連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第6回:「ベリー・バッド・サウンド!」—前編
2003年10月19日。録音2日目。久石譲は、前日と同じ午前9時30分にドボルザークホールに入った。初日に比べるとずいぶん穏やかな表情だ。「今日は、気楽に話しかけてよ」の一言に、記者も一安心。
この日、最初に録音されたのは「暁の誘惑」。久石によれば、「290小節もあるのに、なぜか5分で終わってしまう」という激しい曲だ。
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による演奏が始まった。メロディー、ハーモニー、リズムがうねりながらめまぐるしく展開していく。「この曲に限らず、今回のアルバムは、短期間で集中して書いた分、勢いがあるよね」と久石。
この日録音された4曲のうちの一つ、「ケイヴ・オブ・マインド」にドラマがあった。
悲しくも美しいメロディーをトランペットが奏でるこの曲で、ソロを吹くのはミロスラフ・ケイマル。アルバムの録音エンジニアである江崎友淑が師事した、チェコ・フィルの前首席トランペット奏者だ。楽譜を見た江崎が、「彼が吹くべきだ」と久石に推薦したことで、今回のソロが実現した。
江崎によれば、ケイマルは「とにかく音が大きい奏者。でも、単に大きいだけじゃない。彼のトランペットは、聴く者を包み込んでくれる。楽譜を見た瞬間、合うと思った」という。
「ケイヴ」の演奏が始まった。予想以上の素晴らしさに、久石が、「ホールで聴きたい」とコントロール・ルームを飛び出していた頃、テレビモニター越しに聴きながら涙ぐんでいる男がいた。江崎だ。久しぶりに聞く師匠の名演奏にノックアウトされていたのだ。
録音後、久石とともにケイマルがコントロール・ルームに戻ってきた。感激の対面かと思いきや、江崎の口から出た言葉は「ベリー・バッド・サウンド!(なんてひどい音だ)」。
久石も周囲も一瞬戸惑ったが、ケイマルを見ると、笑っている。しかも、満面の笑みで。すぐに、2人の長年の付き合いによる「最大級の褒め言葉」だと分かり、今度はスタッフの目に涙が浮かんだ。
江崎とケイマルについてもっと知りたい──そう思った記者は、じっくり話を聞くために、帰国後、江崎を訪ねることにした。(依田謙一)
(2004年2月14日 読売新聞)