Disc. 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 『ベートーヴェン:交響曲 第9番「合唱」』

2019年1月23日 CD発売 OVCL-00699

 

精鋭メンバーが集結した夢のオーケストラ!ベートーヴェンはロックだ!!

音楽監督久石譲の呼び掛けのもと、長野市芸術館を本拠地として結成したオーケストラ「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」は、日本の若手トッププレーヤーが結集し、ダイナミックで溌剌としてサウンドが魅力です。作曲家ならではの視点で分析した、”例えればロックのように”という、かつてない現代的なアプローチが話題となったベートーヴェン・ツィクルスの最後を飾った「第九」。さまざまな異なる個性が融合し、推進力と活力に溢れたベートーヴェンをどうぞお楽しみください。

(CD帯より)

 

 

自然に流れながら
未来へと向かう音楽
 柴田克彦

2018年7月の第7回定期をもって、久石譲指揮/ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)のベートーヴェン交響曲全曲演奏会が完結した。久石が音楽監督を務めるNCOは、長野市芸術館を本拠とする室内オーケストラ。首席奏者を多数含む国内外の楽団のメンバーなど、30代をコアとする腕利きの精鋭が揃っている。彼らがホール開館直後の2016年7月から行ってきたシリーズの最後を飾ったのが、この第9番「合唱」(第九)。併せて録音されたライヴCDの中で本作は、第1番&第3番「英雄」、第2番&第5番「運命」、第7番&第8番に続く4作目となる。

当シリーズにおける久石のコンセプトは、「作曲当時の小回りが効く編成で、現代的なリズムを活用した、ロックのようなベートーヴェン」、「往年のロマンティックな表現もピリオド楽器の演奏もロックやポップスも経た上で、さらに先へと向かうベートーヴェン」である。既出のCD解説との重複を承知の上でこれを記したのは、第1~8番の交響曲とは別次元の重厚な大作とみられている「第九」では、より強い意味を放つからだ。

本作の弦楽器の編成は、ヴァイオリンが全体で16名、ヴィオラが6名、チェロが5名、コントラバスが4名。前作より低弦が増えてはいるが、「第九」としてはかなり小さい。久石とNCOは今回も、それを生かした引き締まった響きで、細かな動きを浮き彫りにしながら、推進力と活力に溢れた演奏を展開している。アーティキュレーションの揃い方は変わらず見事。当シリーズに一貫したリズムの強調はここでも効力を発揮し、ベートーヴェンの交響曲は「第九」といえどもリズムが重要な要素であることを知らしめる。そして何より、従来の小編成演奏と大きく異なるのは、のびやかに呼吸しながら川の流れのように推移していく、自然で瑞々しい音楽である。テンポは速いが音楽はしなやか……。つまりこれは(今回も)、重厚長大な往年のアプローチでは無論なく、それに対するアンチでさえもない、「すべてを咀嚼した上で先へと向かう」ベートーヴェンなのだ。

第1楽章冒頭の弦の刻みからすでに歯切れよく、あらゆるフレーズやリズムが明瞭に現れる。木管楽器の動きやティンパニの強打もいつになく鮮明。特にティンパニが第2楽章だけでなく全編で重要な働きをしていることを実感させる。そしてあたかも第5番「運命」の第1楽章のような推進力をもって終結に至る。

第2楽章は「タンタタ」のリズムが明示されつつ快適に運ばれ、そのリズムの積み重ねは第7番を、急速なトリオの軽やかさは第8番を想起させる。通常突出するティンパニも、ここでは逆にリズムを担う一員となり、自然な流れを生み出している。

第3楽章は、各声部が明瞭に絡み合い、柔らかく呼吸しながら、淀みなく流れていく。緩徐楽章であってもリズムが浮き彫りにされ、ホルンのソロ付近のピッツィカートも新鮮だ。

第4楽章もひと続きの音楽としてスムーズに表現される。前3楽章を否定する場面はインテンポで進み、それゆえか間合いの後の「歓喜の歌」の提示がすこぶる美しい。声楽部分では、まず最初のバリトンのソロと、そこに絡む木管楽器が豊かな表情を作り出す。ソロの四重唱、合唱とオーケストラとのバランスも絶妙だ。次の場面での管弦楽の鮮やかなフーガはNCOの真骨頂。以下の各場面の清々しいテンポ感、最後のごく自然な大団円も特筆される。

久石の要求以上とも思えるNCOメンバーの積極的な表現も快演に大きく貢献。ちなみに本作のコンサートマスターは近藤薫(東京フィル・コンサートマスター)、ソロで活躍するオーボエは荒絵理子(東響首席)、ホルンは福川伸陽(N響首席)、ティンパニは岡田全弘(読響首席)が受け持っている。

「第九」は、突然変異の大作ではなく、第1~8番と同じ作者が、その延長線上で創作した「交響曲第9番」であり、それでいてやはり「未来へ向かう清新な音楽」である。本作を聴いているとそう思えてならない。

(しばた・かつひこ)

(CDライナーノーツより)

 

※諸石幸生氏による3ページにわたる曲目解説は割愛。詳細はCD盤にて。

※原詩/日本語訳詞 掲載。ナガノ・チェンバー・オーケストラ メンバーリスト掲載。

 

 

 

こんなに爽快で清々しい「第九」は聴いたことがない。リズムをベースにアプローチした久石譲&NCOの集大成。きびきびとタイトで引き締まった演奏は、精神性を追求したものとは一線を画する解放された突き抜け感がある。

第1楽章冒頭弦の刻みから顕著で、最小限の音型という小さい要素たちが集合体となって大きな有機物を創りあげるようなイメージ。ベートーヴェン特有のリズム動機やモチーフが、まるで細胞分裂をくり返しながら意思をもつ生命となり、最後には巨大な生き物がその姿を現す。ミニマル・ミュージックをはじめ現代の音楽を作曲・演奏する久石譲だからこそ、同じアプローチで挑み具現化できる手法。感情表現やエモーショナルに横揺れするフレーズ表現(弧を描くような)とは対極にある、リズムを重視した音符や音幅や強弱といったものをきっちりとそろえるアプローチ。

CDライナーノーツ寄稿、柴田克彦さんによる第1楽章から第4楽章までの本演奏の聴きどころや解説もピンポイントでわかりやすい。実際に道しるべとしながら聴くとすっと入ってくる。そして、コンサートレポートで記していたことが感覚的に間違っていなかったことや、そのアンサー解説のようにもなっていてとてもうれしくありがたい。(その時に書いていたのはティンパニの役割や第3楽章のテンポ設定について思ったことなど)

 

本作録音のコンサートを体感した感想や、久石譲がこれまでベートーヴェンについて語ってきたこと、ナガノ・チェンバー・オーケストラ定期演奏会の全プログラムリスト。

 

 

もし「第九とはかくあるべきだ」という愛聴家が聴いたなら、なかなか刺激的で受け入れがたいものもあるかもしれない。でも、ここにこそ久石譲の狙いがあり、久石譲が表現したい「第九」があると思う。約58分という1時間を切る快演。ただ速ければいいというものではない、快速を競っているわけでもない。速いテンポ設定が必然だった。スコアの細部まで明瞭に聴かせることで構造がはっきりと見える。聴かせたいフレーズだけを前面に出したりニュアンスに偏ることのない、整然とした数式的な「第九」はこのテンポ設定じゃないと実現しなかったと思う。これほどまでに知的な「第九」は潔い、フレッシュみずみずしい音楽そのものを聴かせてくれているように僕は受け取った。圧巻の集中力と気迫で駆け抜ける久石譲&NCO版、純度と燃焼度はすこぶる高い。第4楽章クライマックスの木管楽器の上昇音形の炸裂も素晴らしい。リズムをベースとした快速「第九」は、密度を高めれば高めるほど鮮明に浮かび上がってくることを証明してくれている。

「第九」の平均演奏時間は約65~70分。とすれば、本作はひとつの楽章が抜け落ちるくらい、たとえば第1楽章・第2楽章の次が第4楽章に飛んでしまうくらいの時間差がある。けれども、久石譲版はスコア忠実にすべてのコーダ(くり返し)も演奏してのタイム58分35秒。決して息切れしそうなほどせっかちに急いでいるわけでもないし、決して足がもつれて転びそうなほど心と身体が分離しているわけでもない。快速であることは快感、アドレナリンが湧きあがる喜び。エネルギーに満ち溢れた塊となって聴き手を揺さぶり迫ってくる、鼓動する「第九」。

 

作品に込める精神性を表現するヨーロッパ的アプローチと真逆に位置する、作曲家視点・譜面重視・リズムに軸を置いた久石譲の《第九》。そこにはベートーヴェン作曲当時(歴史が「第九」という作品を肉づけしていく前)の純粋無垢な透明感がある。スコアはベーレンライター版。

 

 

 

 

 

[ベートーヴェン・ツィクルス第4弾]
ベートーヴェン:交響曲 第9番「合唱」
久石譲(指揮)ナガノ・チェンバー・オーケストラ

ベートーヴェン
Ludwig Van Beethoven (1770 – 1827)

交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱」
Symphony No.9 in D minor Op.125 “Choral”
1. 1 Allegro ma non troppo, un poco maestoso
2. 2 Molto vivace
3. 3 Adagio molto e cantabile
4. 4 Finale, Presto

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (conductor)
ナガノ・チェンバー・オーケストラ
Nagano Chamber Orchestra

安井陽子(ソプラノ)
Yoko Yasui (soprano)
山下牧子(メゾ・ソプラノ)
Makiko Yamashita (mezzo soprano)
福井敬(テノール)
Kei Fukui (tenor)
山下浩司(バリトン)
Koji Yamashita (baritone)

栗友会合唱団
Ritsuyukai Choir
信州大学混声合唱団
Shinshu University Chorus
市民合唱団
Special Chorus

2018年7月16日 長野市芸術館 メインホールにてライヴ録音
Live Recording at Nagano City Arts Center Main Hall, 16 July 2018

 

Produced by Joe Hisaishi, Tomiyoshi Ezaki

Recording & Balance Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Recording Engineers:Masashi Minakawa
Mixed and Mastered at EXTON Studio, Tokyo

and more…

 

Info. 2019/01/22 久石芸術監督後任置かず 長野市芸術館(YOMIURI ONLINEより)

久石芸術監督後任置かず 長野市芸術館

季節ごとに音楽家招く

長野市芸術館を運営する市文化芸術振興財団は21日、新年度から2023年度までの運営体制を発表した。3月で芸術監督を退任する作曲家・久石譲さんの後任は置かず、季節ごとに外部の音楽家をプロデューサーに招き、特色ある催しを企画。市民とともに、日常的に音楽や芸術に触れられる活動を展開する。 “Info. 2019/01/22 久石芸術監督後任置かず 長野市芸術館(YOMIURI ONLINEより)” の続きを読む

Info. 2019/02/15,16 「スタジオジブリ レコードコンサート in HARAJUKU」開催決定

昨年のレコードの日(11月3日)に「風の谷のナウシカ」・「天空の城ラピュタ」・「となりのトトロ」に関するアナログレコード9作品が完全復刻されたことを記念して、各作品をその場で試聴・購入出来るイベント「スタジオジブリレコードコンサート」が原宿「ペニーレイン」にて2/15(金)・16(土)の2日間限定で開催される。

「ペニーレイン」は、吉田拓郎や南こうせつなど、70年代当時人気を集めていたフォークシンガーやファッション関係者などの若者が頻繁に訪れる伝説のBARとして知られており、イベント当日はBARの雰囲気の中でお酒を呑みながら、店舗に設置されているアクセサリからスピーカーまでこだわった純国産ハイエンドオーディオ機器でアナログレコードを楽しむことが出来る。 “Info. 2019/02/15,16 「スタジオジブリ レコードコンサート in HARAJUKU」開催決定” の続きを読む

Info. 2019/01/19 ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)来年度活動断念 長野市文化芸術振興財団 (信毎Webより)

NCO、来年度活動断念 長野市文化芸術振興財団

長野市芸術館を運営する市文化芸術振興財団が、3月に退任する久石譲芸術監督がプロデュースしてきた同館特別編成の室内管弦楽団「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)」について、2019年度のコンサートなどの活動を断念する方針を固めたことが18日、分かった。活動の継続を模索したが、予算面などから従来のような事業展開は難しいと判断した。 “Info. 2019/01/19 ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)来年度活動断念 長野市文化芸術振興財団 (信毎Webより)” の続きを読む

Info. 2019/02/10 [TV] NHK BS8K「深海の大絶景 世界初!8Kが見た海底1300mの秘境」放送決定

NHKは、深海1,300mの海底を世界で初めて8K撮影した番組「深海の大絶景」をNHK BS8Kで放送する。

8Kカメラで深海を撮影した世界初の試みを8K番組化。NHKと国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の共同プロジェクトで、2018年7月に伊豆小笠原諸島でのダイブに挑んだ。撮影に使われた深海用8Kカメラシステムは、4年がかりで完成させたという。 “Info. 2019/02/10 [TV] NHK BS8K「深海の大絶景 世界初!8Kが見た海底1300mの秘境」放送決定” の続きを読む

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 【1/13 Update!!】

Posted on 2018/01/06,13

NHKFMラジオ番組「現代の音楽」に久石譲がゲスト出演しました。ナビゲーターは作曲家の西村朗。作曲家同士の貴重なトークも必聴。新年2週連続放送です。

 

NHK-FM「現代の音楽」

1月6日(日)午前8時10分~ 午前9時00分
現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1)

1月13日(日)午前8時10分~ 午前9時00分
現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2)

ナビゲーター:西村朗
ゲスト:久石譲

 

【番組概要】

「現代の音楽」は、作曲家・西村朗さんの分かりやすい解説で現代音楽の魅力を紹介しています。難解と思われがちな“現代音楽”。でも扉を開けば、想像を超える面白さ、本能を揺さぶられる 何かが発見できるはず。作曲家・西村朗さんと未知の世界を冒険して下さい。

1月6日、13日は現代音楽の“いま”をさまざまな視点から紹介するシリーズ「21世紀の様相」。2019年最初の放送では、クラシックファンのみならずその名を広く知られた作曲家、久石譲(ひさいし・じょう)をゲストにお迎えします。宮崎駿監督作品や北野武監督作品の映画音楽で知られる久石氏ですが、その原点は武満徹や黛俊郎、シュトックハウゼン等の作品を分析し、ミニマルミュージックに関心を持つ「現代音楽の作曲家」です。幅広く活躍する久石氏の中に深く存在し続ける現代音楽への関心や愛情を、西村朗氏が本音トークで引き出し、あらためて「現代音楽の作曲家」久石譲の魅力に迫ります。

 

 

番組トーク内容やオンエア楽曲をご紹介します。

とてもディープなトークで期待どおりでした。久石譲オリジナル作品を聴くヒントや学びもいっぱい。久石譲の今がつまった対談は、技法や方向性など作曲家同士だから踏み込める貴重な内容。近年の傾向を振り返る手引きにもなって作品を聴き返すきっかけにもなります。これから先を予想する楽しみももらえたまさに新春にふさわしい充実したラジオ番組でした。

 

 

◇1月6日 現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1)

西村:
「久石さん、お忙しいなかお越しいただきありがとうございます。この「現代の音楽」にご登場されるのは初めてですね。ときどきお聞きになってましたか?」

久石:
「はい、聞いてますよ。」

西村:
「あの、奥様がよくお聞きいただいて、メールいただいたりして(笑)。とてもうれしいです。」

久石:
「はい、毎週聞いてるようです(笑)。「あの曲知ってる?」とかね、晩ごはんの時よく聞かれまして。「あ、それは知ってる」とかね。「これいいわよ」とかっていろいろ言われます。どうもその情報源はこの番組らしいです(笑)。」

西村:
「あっそうですか。それはそれは光栄でございます。」

西村:
「今日はあらためて久石さんをご紹介するまでもないんですけども、国立音楽大学で作曲を専攻されて、もうその頃から現代音楽のひとつのジャンルというか方向性というか、ミニマル・ミュージックにご関心をお持ちになったということですが、これかなり早いかもしれませんね。」

久石:
「そうですね。ちょっと不確かなんですが、大学の後半ぐらいの時に知り合いの作曲家からテリー・ライリーの「A Rainbow In Curved Air」っていうあの7拍子のねえ、あれを聞かされてもうすごくショックだったんですよ。「えっ、これが音楽なの?これが現代音楽か?」ってすごく思いましたね。で、3日間ぐらい寝込んだんじゃないかな。なぜなら、それまではシュトックハウゼンとかクセナキスとかそういうものばっかり、特に好きだったのはイタリアのルイジ・ノーノとかね、あちらだったんですよ。ですから、それでこういう調性もある、リズムもある、これが現代の音楽かというのですごくショックで。それがきっかけでしたね。」

西村:
「色彩とね、躍動感というかリズムというか、ございますもんね。そうすると、ある程度現代音楽に対して、終わってんじゃないみたいなところから、新たな風が吹いてきたというような新鮮な驚きがおありになったということですかね。」

久石:
「ありましたね。どちらかというと、毎日不協和音でいかに半音ぶつけてというかね、大量の音符を処理するというか、そういうようなことに費やしてたんで、そのときに全く違う価値観の音楽が出てきた。しかもそこにはまだハーモニーもある、リズムもあると。なんかその辺で「あっ、こういう音楽があるなら自分にとってはある意味で楽なんじゃないか」というか、そういう気持ちありましたね。」

西村:
「なるほど。まあ要素だけを別々に取り出すとね、なんか音楽は昔に戻ちゃったんじゃないかという見方が成り立たないわけでもないんですけど、新鮮な驚きというのは、調性感であるとか旋法性であるとかリズムとかっていうものを活かしながらも、新しさそういう魅力というものをお感じになったということだと思うんですけど。どういうところが新しいとお感じになりました?」

久石:
「まずね、非常にヨーロッパの現代音楽とかいろいろなものが発達していってるんですけれども、曲って基本的にやっぱり人が生まれて死んでいくまでみたいな、つまり曲の開始があって曲の終わりが必ずあるんですよ。そうすると、音のダイナミズム、どう音を処理するかということにすごく重点置かれちゃう気がする。ですから、非常に静かなところ、濃密になるダイナミックレンジが広がったところですね、また素というか薄くなってまたこうなる。そうすると、形式自体って決して新しくはならない気がしたんですよ。ところが、ミニマルって同じパターンを繰り返して繰り返していく。民族音楽の祭囃子みたいなもので、つまりこっからここまでっていうのが大きい変化が少ない、少しずつ変わっていく。そうすると、楽曲を成立させるっていう概念自体が変わった気がしたんですよね。」

西村:
「全体構成よりも、その変化していくプロセスというものが本体そのものであるというような。だから内容と形が一体化してる、そういう見方もできますよね。」

久石:
「そうですね。逆に、ミニマルっていうのはミニマム、最小の要素を使って構成する。そうすると、繰り返しするものを聴かせるというよりは、繰り返しながら徐々に変容していく様を聴かせていく。変わっていくところを聴かせるわけですよね。そうすると、要素を削ることによって一音ズレたというだけがとても大きな変化になっていく。それでやりながら、実は今も作ってて一番苦しいのは何分の曲にするのか。ただただ繰り返してるだけだったら飽きちゃうし。それはもうフィリップ・グラスさんも言ってますけれども「ミニマルって繰り返すんじゃないんだ」と。どう変わっていくかで、それをどう飽きずに聴かせるか、それがカギになるって言ってたんですけど、まったくそう思いますね。」

西村:
「なるほど。まずおひとつ曲をお聴かせいただこうと思うんですね。ご自身で選んでいただいたんですけれど、まず最初に「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」これの第一楽章をお聴きいただきたいんですが、この作品についてちょっとご紹介いただけますでしょうか。」

久石:
「エレクトリック・ヴァイオリンというのは実は6弦なんですね。ヴァイオリンはふつう4弦ですよね。ソ・レ・ラ・ミなんですけれども、一番低いソの音の五度下のド、そこからまた五度下のファ。ですからあと四度でほとんどチェロの帯域カバーですね。という6弦のエレクトリック・ヴァイオリン、どうしてもこの6弦使ったヴァイオリンと室内オーケストラの曲を書きたいと思って書いた曲です。」

 

♬「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」第一楽章/久石譲(作曲)
(9分40秒)2015

 

西村:
「拝聴していて、前半の部分は第一期の後のいわゆるポスト・ミニマルわりに自由なストーリー性をもっていて、むしろミニマルで蓄えられたような非常に魅力的なエレメントがたくさんあるんですけれど、組み立てとしては自由なストーリー性があるような感じですよね。ところが、後半になると再び一種そのミニマルの縛りとしてのシングルラインが現れてきますよね。ここはだから、ポスト・ミニマルのさらにポストという感じが非常にするわけですよね。」

久石:
「いやあ、もうねえ、西村さんのようにすごく尊敬してる作曲家にこうやって一生懸命聴かれるととても緊張するんですけどね(笑)。」

西村:
「やめてください(笑)。いや、ユニゾンの流れがいろんな楽器変わっていくわけじゃないですか。だからパート譜を見るとね、休みがいっぱいあってちょろっとこう出てくるようなことが、全体としてひとつのラインでいろんな色が塗り上げられていくようなね。そういうカラフルな妙味があると思うんですが。」

西村:
「さあ、ここからなんですけど、実は今回お越しいただいて、ぜひ久石譲さんの今のこだわりをもってらっしゃる作曲技法ですね、これ非常にオリジナリティの高いものですけども、今のシングルラインの単旋律の流れがどのように新たなミニマル音楽の世界への展開につながっていくかという。今まさにそこのところで次々と重要な作品をお書きになっているわけで、私もここのところ拝聴させていただく機会があってうれしいんですけど。そこにちょっとポイントを置いて、技法的な面でね、今お考えになっている単旋律の音楽のその後の展開についてちょっとお話しいただけますか。」

久石:
「結局、音楽って僕が考えるところ、やはり小学校で習ったメロディ・ハーモニー・リズム、これやっぱりベーシックに絶対必要だといつも思うんですね。ところが、あるものをきっちりと人に伝えるためには、できるだけ要素を削ってやっていくことで構成なり構造なりそれがちゃんと見える方法はないのかっていうのをずっと考えていたときに、単旋律の音楽、僕はシングル・トラック・ミュージックって呼んでるんですけれども、シングル・トラックというのは鉄道用語で単線という意味ですね。ですから、ひとつのメロディラインだけで作る音楽ができないかと、それをずっと考えてまして。ひとつのメロディラインなんですが、そのタタタタタタ、8分音符、16分音符でもいいんですけど、それがつながってるところに、ある音がいくつか低音にいきます。でそれとはまた違った音でいくつかをものすごく高いほうにいきますっていう。これを同時にやると、タタタタとひとつの線しかないんだけど、同じ音のいくつかが低音と高音にいると三声の音楽に聴こえてくる。そういうことで、もともと単旋律っていうのは一個を追っかけていけばいいわけだから、耳がどうしても単純になりますね。ところが三声部を追っかけてる錯覚が出てくると、その段階である種の重奏的な構造というのがちょっと可能になります。プラス、エコーというか残像感ですよね、それを強調する意味で発音時は同じ音なんですが、例えばドレミファだったらレの音だけがパーンと伸びる、またどっか違う箇所でソが伸びる。そうすると、その残像が自然に、元音型の音のなかの音でしかないはずなんだが、なんらかのハーモニー感を補充する。それから、もともとの音型にリズムが必ず要素としては重要なんですが、今度はその伸びた音がもとのフレーズのリズムに合わせる、あるいはそれに準じて伸びた音が刻まれる。そのことによって、よりハーモニー的なリズム感を補強すると。やってる要素はこの三つしかないんですよね。だから、どちらかというと音色重視になってきたもののやり方は逆に継承することになりますね。つまり、単旋律だから楽器の音色が変わるとか、実はシングル・トラックでは一番重要な要素になってしまうところもありますね。あの、おそらく最も重要だと僕が思っているのは、やっぱり実はバッハというのはバロックとかいろいろ言われてます、フーガとか対位法だって言われてるんですが、あの時代にハーモニーはやっぱり確立してますよね、確実に。そうすると、その後の後期ロマン派までつづく間に、最も作曲家が注力してきたことはハーモニーだったと思うんです。そのハーモニーが何が表現できたかというと人間の感情ですよね。長調・短調・明るい暗い気持ち。その感情が今度は文学に結びついてロマン派そうなってきますね。それがもう「なんじゃ、ここまで転調するんかい」みたいに行ききって行ききって、シェーンベルクの「浄夜」とか「室内交響曲」とかね、あの辺いっちゃうと「もうこれ元キーをどう特定するんだ」ぐらいなふうになってくると。そうすると、そういうものに対してアンチになったときに、もう一回対位法のようなものに戻る、ある種十二音技法もそのひとつだったのかもしれないですよね。その流れのなかでまた新たなものが出てきた。だから、長く歴史で見てると大きいうねりがあるんだなっていつも思います。」

西村:
「シングルなんだけどポリ(ポリフォニー)なんですよね、あるいはマルチって言ってもいいかもしれないですね。」

久石:
「逆にこういう少ない要素でやろうと思ってシングルでいこうとすると、非常に論理的で明快な部分を持たないとどこ切っても同じになっちゃうんですよね。だから目指さきゃいけないのは、やっぱりきちんとした論理的な構造をもってそれをあんまり感じさせない音楽を作れるのが一番いいかなあ。」

西村:
「つい最近ラングさんの作品を拝聴しました。2002年の作品はアルヴォ・ペルトのティンティナブリの発展形だというふうに僕は聴こえたんですよね。」

久石:
「ああ、なるほどね。はい。」

西村:
「そういう意味では久石さんの作品のほうが開かれて新しいっていう感じを僕は受けました。この番組で流れてない音楽の話をしてもしょうがないんですけど(笑)。」

久石:
「ありがとうございます。なんか思いっきり喜んじゃいますよ(笑)。」

西村:
「さて、音楽に戻らせていただいてですね。シングル・トラックという言葉がタイトルにも出てきている曲ですね。「Single Track Music 1」6分弱の曲なんでお聴かせいただきたいと思うんです。」

 

♬「Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion」/久石譲
(5分50秒)

 

西村:
「この作品の中間部のところは非常にわかりやすく、マルチシャドウというか単旋律が出てきましたですね。後半の部分はもっとパルスでとっていくようなのもあって。ひとつ原型のような作品ですね、技法のね。」

久石:
「この時、シングル・トラックをやろうって、そんなひとつの自分の方法をまだ全然考えてなかったんですよね。なんでかっていうと、ミニマルって必ず二つ以上ないと出来なかったんですよ。ズレるってことは元があってズレるものがないといけない。そうすると必ず二声部以上必要になりますね。大元のパターンがある、一緒にやってるが一個ずつズレていく、それがだんだん一回りして戻ると。そうするとね必ず二ついるんですよ。僕もそれが一拍ズレ、半拍ズレた、二拍ズレたとかってよくやるんですが、必ず元に対してズレがあるっていう方法をなんとか打破できないかと。単純に。ミニマルっていうのはこうやってもう何かがズレるんだと、いやこんなことやってたら永久に初期のスティーヴ・ライヒさんとかフィリップ・グラスさんとかがやってた方法と変わんだろうと。なんか違う方法ないかっていうときに、自分でズレるっていうか、二つがあって相対的にズレるじゃなくて、自分自身がズレていくような効果を単旋律で出来ないかって作った実験的なのがこれが最初でしたね。」

西村:
「もう一曲、今度はバンドネオンと室内オーケストラための曲。「室内交響曲第2番 The Black Fireworks」、黒い花火ですかね、この黒い花火って相当変わった副題ですけれどもこれはどういう。」

久石:
「一昨年夏にサマーセミナーみたいなものがありまして、福島でやったんですけど、震災にあわれた子供たちの夏のセミナーだったんですけどね。午前中に詞を作って午後に曲を作って一日で全員で作ろうよっていう催しだった。夏の思い出をいろいろそれぞれ挙げてくれっていった中に、一人の少年が「白い花火が上がったあとに黒い花火が上がってそれを消していく」っていう言い方をした。つまり普通は花火っていうのはパーンと上がったら消えていきますよね。あれ消えていくんじゃなくて、黒い花火が上がって消していく。うん、僕は何度もそれ質問して「えっ、それどういう意味?」って何度も聞いたんだけども「黒い花火が上がるんです」って。うん、それがすごく残ってましてね。彼には見えてるその黒い花火っていうのは、たぶん小さいときにいろいろそういう悲惨な体験した。彼の心象風景もふくめてたぶんなんかそういうものが見えるのかなあとか推察したりしたんですが、同時に生と死、それから日本でいったら東洋の考え方と言ってもいいかもしれません。死後の世界と現実の世界の差とかね。お盆だと先祖様が戻ってきてとか。そういうこう、生きるっていうのとそうじゃない死後の世界との狭間のような、なんかそんなものを想起して、もうこのタイトルしかないと思って。」

西村:
「それとバンドネオンとはどう関わるんですか?」

久石:
「これはまた別個なんですよね(笑)。西村さんはどうされてるかわからないですけれども、僕はいつも音楽的に追求しなきゃいけないものと、だけどなぜこの曲を作らなきゃいけないのか作る必要があるのか、ふたつでいつも攻めるんですよ。そのときに、バンドネオンというのは、三浦一馬君という非常に若い優秀なバンドネオン奏者がいまして、僕のコンサート聴きに来てくれて、顔見た瞬間になんか閃いちゃって「あっ、来年は彼のバンドネオンで書くんだ」って決めちゃったんですね。それとその時の想いが一体化したっていう、そういうところですよね。だからバンドネオンである必然性っていうのは、我々の音楽ってもしかしたらあまりないのかもしれない。」

西村:
「いやあ、あるかもしれませんよ。」

久石:
「ありますかね。」

西村:
「バンドネオンを呼ぶ何かがあったんじゃないでしょうか。」

久石:
「うん、あのね、それ論理的に言えないからちょっと避けてるんだけど、絶対呼んでる関連はあります。」

西村:
「うん、思いますよ。ちょっと聴かせていただきましょう。」

 

♬「室内交響曲第2番《The Black Fireworks》 バンドネオンと室内オーケストラのための」1 The Black Fireworks/久石譲
(10分50秒)2017

 

西村:
「昔例えばグレゴリオ聖歌とかね、神に祈りの音楽を捧げてるときって、終わりがない、すうっとこう神に捧げる。そういう時代が長かったのが、例えば古典派のような時期になると、はっきりここで終わり、バン!バン!とかね、ベートーヴェンなんかこれでもかっていうくらいここで終わり!終わり!終わり!というぐらい、人間が終わりを付けるというようなことになったわけですけど。ミニマルのスタイルの音楽っていうのは、昔の神に捧げてた頃のように終わりの設定がない、でも終わりますよね。久石さんの作曲上、終わりということはどのように決定されるというか。」

久石:
「あの、単純に言ってしまうと、To be Continued で途絶えず終わりたい。つづくじゃないですけどね、一応長いパウゼ(休止)ぐらいな感じで、ですからこう「うん、また頭から聴いてもいいよ」っていうそういうスタンス、終わりじゃないですよね。」

西村:
「本当におもしろいお話ありがとうございます。次回もお越しいただいて、指揮の話とかいろいろお伺いしたことがあるのでぜひよろしくお願いします。どうもありがとうございます。」

(NHK FM「現代の音楽」21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1)より 書き起こし)

 

 

 

◇1月13日 現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2)

西村:
「今日は前回につづいてこのスタジオにスペシャルゲストをお招きしております。作曲家の久石譲さんです。久石さん、今日もよろしくお願いいたします。」

久石:
「よろしくお願いします。」

西村:
「前回はこのミニマル・ミュージックということをめぐってのお話を伺って、作品を拝聴し、また新たなミニマルの可能性というものも、技法的な、技法というのはある明快さとそこから多様性に広がるというこの両面がないとね、なかなか技法とは言えないと思うんですが、まさにそういった意味での技法の展開を今やってらっしゃる中での作品をお聴かせいただいてきたわけなんですけれども。ちょっと振り返ってみると、発祥の頃のミニマル・ミュージック、そういったものというのはプロセスそのものがすべてであって、プロセスが内容ではないようなんだけど、そこに文学的な物語性とかストーリー性とか意見とかっていうものはないところから始まってますけれども。その後内容というものが入ってくるという経緯がございます。で、同じく最初ミニマルに非常に惹かれて、今独自の技法というものを磨かれている久石さんにとって、内容と音楽のスタイルという関係性ですね、この辺りのことをちょっとお話いただければ。すごく興味があるんですけれども。」

久石:
「はい。作曲するというのはやっぱり構成する、構築するということになりますね。音楽的にある要素が決定して、それをどうやってこう論理的な構造といろんなものできちんとしたひとつの生き物といいますか作品に作り上げるかっていうことに終始します。ところが、もう一個非常に大きな問題があるんですけれども。それは作曲家としてなんでこの曲を書かなきゃならないか。この思いがはっきりしてないと、なかなか曲は書けない。なぜ今この曲を書くのかってなったときに、養老孟司先生はインテンシティって言いますよね。要するに、呼応する思い、つもり、その思い、それがないと非常に作品って作りづらいですよね。ただただ無機的に音をつなげていけば、論理的に組み立てることはできるかっていうよりも、やはりそこに何か、なぜこの曲を自分は書くのか?っていう問いは絶えず付いてくる気がするんですね。そのインテンシティ、どうしてもこれを作らなければならないっていう思いが、実は作曲するときの最大の原動力になってる、という気がします。それがいろんな意味で今後はその作品自体に、音としての作品、それからその音をとおして何を皆さんに伝えたいか、これはもう両輪というか切っても切れない関係だと思います。」

「あの、おそらくインテンシティっていうのをやり過ぎると、実はどんどんロマン派・後期ロマン派のある種精神性あるいは感情とか、(西村:「もしくは表現主義ですよね」)、そうですね、どうしてもそれに走っちゃいます。そうすると、例えば同じミニマルをベースにしていても、ジョン・アダムズはそっちの傾向のほうが強くなりますね。例えば「Scheherazade.2」(2016)とか「City Noir」(2009)とかね、(西村:「めちゃくちゃ物語的ですよね」)、なんかこうある種自分が若い頃に見ていた古い映画の世界を音楽でやりたい、っていうような何かね別の要素って必ず必要になってくるかもしれません。僕が、正直言いますと、そういう要素から作った曲と、あくまで音楽的な要素を中心に作っていくのっていうのは、少しこうカテゴリーが変わる気がしますね。」

西村:
「今どっちに向かってらっしゃるとかっていうのはあるんですか。」

久石:
「あっ、今はねえ、シングルトラックをもっと…(西村:「技法的に展開させていくという」)、で多様性をもってくるときに、もっとそういう要素が入ってくる。なんでも音楽って、例えばですね、木を見て木の幹と枝を見て美しいっていう人はいないんですよ。むしろそこに葉っぱがいっぱい生い茂って豊かな木に見えた時にみんな人はいい木だなってなりますよね。ところが、前衛というものというのは、幹であり枝をつくる作業です。ですからあまり人には歓迎されないかもしれない(笑)。だが、それがないと発展はしない。これを誰かがやらなきゃいけません。ところが、やはりそこに生い茂る葉っぱなりいろいろなものがついた時に、人はやっとそこで美しさだとか多様性を感じますよね。ですからなんか僕は両方必要な気がしてる。うまくやれれば。」

西村:
「というわけで、今日最初にお聴かせいただきたいのはシンフォニーなんですね。久石さんにとってのシンフォニーとは何ですか。」

久石:
「これはすごく悩みます。シンフォニーって最も自分のピュアなものを出したいなあっていう思いと、もう片方に、いやいやもともと1,2,3,4楽章とかあって、それで速い楽章遅い楽章それから軽いスケルツォ的なところがあって終楽章があると。考えたらこれごった煮でいいんじゃないかと。だから、あんまり技法を突き詰めて突き詰めて「これがシンフォニーです」って言うべきなのか、それとも今思ってるものをもう全部吐き出して作ればいいんじゃないかっていうね、いつもこのふたつで揺れてて。この『THE EAST LAND SYMPHONY』もシンフォニー第1番としなかった理由は、なんかどこかでまだ非常にピュアなシンフォニー1番から何番までみたいなものを作りたいという思いがあったんで、あえて番号は外しちゃったんですね。」

西村:
「その場合のピュアとはどういう意味ですか。」

久石:
「それはもう、さっきの技法的なほうです。もうほんとに音の組み合わせが一体なにか。理想はね、主張しないで「えぇ!」っていうぐらいに、ほらこういう要素でこういうふうにこういうふうに組み立てました、って出して。そしたら聴いてる人がね、「あっこれ朝日を想像しますね」とかね「夕日を想像しますね」とかね「悲しいですね」とか。もういろんな意見言ってもらうのが一番うれしい気がする。」

 

♬「THE EAST LAND SYMPHONY」から 第1楽章、第3楽章、第5楽章/久石譲(作曲)
(24分20秒)

 

西村:
「これはメッセージ性がはっきりとありますね。」

久石:
「そうですね。EAST LANDっていうのは東の国ですから、日本ですね、はっきり日本ですね。なんかねえ、これを作ってた時にずっと「日本どうなっちゃうんだろう」みたいな思いがすごく強くて。第三楽章の「Tokyo Dance」っていうのは、ほんとにちょっとブラックな、風刺ですよね、ちょっと「こんなに日々良ければそれでいいみたいな生き方してていいのか」みたいな、そんなような思いもあって。」

西村:
「これテキストはどなたが?」

久石:
「第三楽章は僕の娘の麻衣が書きまして。第五楽章は自分でラテン語の辞書あるいはラテン語の熟語集の中から「祈り」にふれてる言葉をいろいろ選びまして、それを組み合わせて作りました。」

西村:
「マタイ受難曲のコーラルが見事に。」

久石:
「この『THE EAST LAND SYMPHONY』を作ってる間、ずうっと合間に聴いてたのがマタイ受難曲だったんですね。なんかあれを聴くと、音楽の原点という気がして。はい。」

西村:
「あれを聴くともう作曲やめようかななんて思ったり(笑)。」

久石:
「いやいやいや(笑)。いや、ほんとに何をいまさら自分でできると思ってるんだ、ぐらいな、こう、なりますよね。」

西村:
「でもその反対にですね、もうやめようかなと思う一方でですね、志は上がりますよね。」

久石:
「上がります。」

西村:
「それでですね。指揮をされるというご活動もですね。自分の作品をお振りになることももちろんすごく多いでしょうし、ベートーヴェンなどの作品も最近すごくCDなんかでも拝聴しているんですけども。指揮ということに対してのご関心というのは、結構やっぱり強くお持ちなんですか。」

久石:
「指揮は嫌いじゃないんですよ。嫌いじゃないんですけど、自分が指揮してるなんてちょっとおこがましいんです。ただ、やれる範囲で言うと、一番大事に思ってることは、こういうミニマルとかいろんなものを演奏する感覚で新しいクラシック、っていうようなものがもし可能だったら自分はやると。あくまでも作曲家目線で、いわゆる伝統的なベートーヴェンやなんかをやろうとは思ってないんですよね。それはなんでかっていうと、構造を見せたいからです。おそらく一番昔と今が違うのがリズムだと思うんですよ。それを徹底的に、デジタル時代のものを、その感覚でもしベートーヴェンをやったらまた全く違うベートーヴェンできるんじゃないかなあとかね、そういうふうに思ったりする。」

西村:
「ご自分の作品もお振りになる。」

久石:
「それは簡単ですよ、誰も振ってくれないから(笑)。」

西村:
「いやいやいやいや(笑)。」

久石:
「ほんとは人に振ってほしいんですけど。やっぱり譜面で書かれてるものって、表現したい音楽の70%ぐらいかなあ。どんなに細かく書いても、強弱を付けてもですね。そうすると、その後ろにあるものを的確に伝えようと思うときに、オーケストラって信じられないほどリハーサルが短いじゃないですか。2日間とか3日間でね。そうするとね、その短い期間に第三者の指揮者をとおしてやってもらおうとすると時間が足りないんですよ。だったら自分が出来るようになって、伝えたほうが早いって、そう思ったんです。」

西村:
「全然別な見方をすると。例えば、こんな美味しいものを自分が作ったのに、これを食べるのが自分じゃなくてあの指揮者だと思ったら許せないから自分が食べるとかって。」

久石:
「(笑)。いや、あんまりそれないですよ。西村さんも指揮されます?」

西村:
「いや、しません。私自分で作った料理を自分じゃ怖くて食べれない。」

久石:
「あれ?(笑)」

西村:
「いや、毒だらけですから。」

久石:
「(笑)じゃあ、今度西村さんのそれ僕がえっと…。」

西村:
「やってくださいぜひ。毒だらけですから。」

(笑)

西村:
「なんか久石さんの作品って久石さんとこう一体化してるところがすごく僕は感じられるわけですよ。だから自分で音を出して指揮をして、そこまでのところが作曲であると、いう感じもするんですけどね。」

久石:
「たしかに西村さんが言われるように。我々のやっている音楽っていうのは、この番組のタイトルも素晴らしいんですけど、「現代の音楽」ですよね。でも通常は「現代音楽」って言いますよね。現代音楽が陥った最大の問題は、作曲家の頭の脳みその中で完結しちゃった。つまり、それを今言ったように指揮者がいて演奏者がいて、それで観客がいて。そこに届けていかない限りほんとは完結しないわけですね。ところが、ほとんど自己満足のように自分の中で完結、(西村:「紙の上で完結しちゃうようなね、作業としてはね」)、しちゃいますね。やっぱりお客さんからきちんとお金をいただいてコンサートをやり、自分でオーケストラも主導し、観客の反応を見て、「あぁ、ダメだった」とかね、落ち込むとか全部ふくめたそういうことを作業の一貫、全部終わらない限り作曲家の仕事は終わってるとは思わないんですよ。みんなやっぱりワーグナーにしろメンデルスゾーンにしろ、自分の音を最後まで自分で責任をとるっていうときは、やっぱりそこまでやったほうがいいような気がする。」

西村:
「そうですね。だからストラヴィンスキーなんかは振れないのに振ってましたよね。」

久石:
「あっ、知ってます?「春の祭典」書き直しちゃったのね、あの変拍子振れないから。これが難しいですよね。自分で書いたんだから振れるだろうって周りに思われますけど、いやあ。」

西村:
「でも結構変拍子多いですよね。」

久石:
「僕ですか? めちゃくちゃ多いです。」

西村:
「振るとなったら大変ですよね、結構。」

久石:
「ほんとに嫌です。振るほうにまわって一番嫌な作曲家って久石ですね。」

西村:
「間違った時、どういうふうにごまかすんですか?」

久石:
「間違った時はね、何事もなかったように、なかったように合わせていって、しばらく、…」

西村:
「でも何事もなかったように音楽が進行してたら、あれ、誰も見てないんじゃないかとかいうような、疑いをかけたりしません?」

久石:
「えっとね、誰も見てないって思いますよ(笑)。あのね、そこ指揮の難しいところで。要するに、演奏家の人ってもう特に変拍子が多くなったら譜面から絶対目が離せないんですよ。だけどパート譜のこの辺に指揮者をちらちらこう追っかけてるんですね。それでこう弾いてますから、なかったら出来るのかってそうでもないんですよ。いなきゃいけない。僕らは、さっきの質問ですけど、失敗したらどうするんだっていったら、動揺すると全員に伝わりますから、しばらく何事もなかったようにうまいところで帳尻合わせて、区切りのいいところで片手をあげてごめんねっていうジェスチャーをします(笑)。」

西村:
「あっ、それ今度から注目してよう(笑)。そうですか(笑)なんかありがとうございます。じゃああの、指揮者がいらない曲を聴いてみましょう(笑)」

「これちょっと難しい題ですね。「Shaking Anxiety and Dreamy Globe」、globeって地球ですかこれ、夢見る地球。」

久石:
「地球ですね。これね、自分で付けたタイトルなんだけど、今でも言えないんですよ。シュールなタイトルなんですけどね。音が一個一個こう生まれていって、それが一つの有機的な作品になるっていうことは、ちょうどこう細胞が分裂していって一つの生命が宿る、それと同じということでちょっとシュールにこういうタイトルを付けてみました。」

西村:
「これはマリンバ2台ということなんですね。」

久石:
「はい、もともとはギター2本で書いた曲なんですね。それをこう、非常にアップテンポで構造が見えるようにやりたいなと思ってマリンバに直したんですね。」

西村:
「久石さんは打楽器お好きですか?」

久石:
「好きです。西村さんの「ケチャ」大好きですから。」

西村:
「古い曲ですよ。もうちょっと最近のやつを言っていただけますか。」

(笑)

 

♬「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」/久石譲(作曲)
(7分10秒)

 

西村:
「これなんか血の流れがよくなってくるような、体にいい、そういう感じの音楽ですよね。久石さん「Music Future」というコンサートシリーズを去年で5回目ですか、あれは毎年続いていくということですね。」

久石:
「はい。こういうちょっとミニマル系の曲の一番先端ものっていうのは、ベースにしたものですね、なかなか日本で聴く機会がなかったので、そういうチャンスがあるといいなと思ってつくったシリーズです。」

西村:
「今後ともご教示いただきたいことがいっぱいあるんですけれども(笑)。」

久石:
「今後ともよろしくお願いいたします。」

西村:
「よろしくお願いします。前回今回とほんとにお忙しいなかスタジオにお越しいただきましてありがとうございました。作曲家の久石譲さんをお招きしてお送りしました。「現代の音楽」ご案内は西村朗でした。」

(NHK FM「現代の音楽」21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2)より 書き起こし)

 

 

公式サイト:現代の音楽
http://www4.nhk.or.jp/P446/

 

Info.2019/01/11 ニコ・ミューリー オペラ《マーニー》MET初演 映画館上映 久石譲コメント

2018年11月10日MET初演、現代音楽の若き鬼才ニコ・ミューリーが手がける《マーニー》が1月18日(金)~1月24日(木)まで全国の映画館で1週間限定上映されます。それにあわせて久石譲がコメントを寄せています。

「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.1」コンサート(2014)にて「Seeing is Believing」ニコ・ミューリー作品を取り上げています。本作品も予告やリハーサル風景などの動画を見るだけでも興味わいてくる音楽です。 “Info.2019/01/11 ニコ・ミューリー オペラ《マーニー》MET初演 映画館上映 久石譲コメント” の続きを読む

Blog. 「キーボードスペシャル 1994年2月号 NO.109」 久石譲とRoland SH-5 内容

Posted on 2019/01/10

音楽雑誌「キーボードスペシャル 1994年2月号 NO.109」に掲載された久石譲インタビューです。「なつかしのファースト・キーボード」コーナーに登場した回です。

 

 

KEYBOARD FILE No.38
なつかしのファースト・キーボード
1st KEYBOARD

久石譲とRoland SH-5

『風の谷のナウシカ』をはじめとした数々の映画音楽を手がけ、多くのファンを持つ作曲家でありキーボード・プレイヤーである久石譲さんが、現代音楽に夢中だった青春時代に初めて手にした機種は…? 華麗なる音楽キャリアとともに語っていただきましょう。

 

とてもフィットした現代音楽

僕は4歳の頃からバイオリンを始めたんですけど、すごく音楽が好きな子どもで、3~4歳の頃から毎日いろんなレコードを聴き漁っていたんですね。それで、ある日、楽器屋の前を通ったときにバイオリンが目に入って”これをやりたい”と思ったんです。

バイオリンは小学校の高学年まで続けたんですが、週1回レッスンに通っていたところでオルガンやピアノも同時に教わっていました。あくまでも付属的だったんですけどね。そのあとはしばらくブランクがあって…中学のときにブラスバンドはやっていたんですが…中学3年のときに”音楽大学に入りたい”って思って、もう1回すべてのレッスンをスタートさせたんです。

その頃はクラシックにいちばん興味が向いていて…当時は、日本で言えば武満徹であったりとか、ジョン・ケージだったりとか、そういう現代音楽を中心に聴いていました。ポップスは、やっぱり僕らの世代はビートルズで、好きだったし聴いてましたね。高校に入った時点で、ベーシストやドラマーを志すヤツがひとりでもいたら、いまみたいな道にはたぶん行ってなかったと思う(笑)。幸か不幸か、いなかったんですよ。それでけっきょく現代音楽にドップリとのめりこんでいっちゃって。ロック・バンドを組んで活動したことがないんですよ。困ったことですね(笑)。

現代音楽へのとっかかりは…なんていうのかな…”こうやっても音楽になるんだ”みたいな感覚がすごく刺激的で、現代音楽というのはそういう世界でしたからね。最初は、不協和音聴いて”なんなんだコレは?”って思ったんだけれど(笑)やっていくうちに、それが自分にはすごくフィットすることに気づいて。

 

衝撃のテリー・ライリーとの出会い

音楽大学を志望したのも”現代音楽をやりたかったから”というのがいちばんの理由で、クラシックを勉強するというよりは、音楽をやる連中が集まる場に行きたかったんですよ。見事に違いましたけどね(笑)。作曲を志す人間が何人もいれば「もうバルトークなんか古い!」って言って、当然のようにジョン・ケージだとかクセナキスだとかペンデレツキとかっていう話をすると思っていたんだけど、みんな知らないの(笑)。だから、えらくギャップがあって。

そんなある日、テリー・ライリーの「レインボウ・イン・カーブド・エア」という曲を友人に聴かされて、すごいショックを受けて、しばらく悩んで、ミニマルな作風に変えたんです。「レインボウ・イン・カーブド・エア」はドイツに”カーブド・エア”というバンドがあったぐらいで、プログレをやっていた連中…とくにロックをやっていた連中には、ものすごい影響を与えたんですよね。だから、タンジェリン・ドリームにしてもクラフトワークにしても、みんな根っこは同じですよね。

 

SH-5を買った理由はミニマル音楽に合うと思ったから

当時、僕のメイン・インストゥルメンツはオルガンでした。それもハモンドですね。ミニマル系のバンドをやっていたとき、ローランドからちょうどシンセサイザーが出始めたんですよ。ミニマル音楽というのは同じフレーズを繰り返すもので、それを全員でオルガンでやっていたんだけど、もう少し音色のチェンジが欲しいなと思っていたところにシンセが出てきたんですよ。それで、ローランドのSH-5とかストリングス・アンサンブルとかを導入していって、シンセサイザーとも、わりと自然とつながっていったんです。

ホントは、SH-3をいちばん最初に買ったはずなんだけど、あまり印象になくて。だからSH-5が僕にとっての1st Keyboardと言えますね。22歳くらいのときに買って、ずいぶん長いこと使っていましたし。その前からハモンドは使ってて…僕が持っていたのはSH-5とほぼ同時期に買った小さいタイプのものだったんで、コンサートのときは2段鍵盤の足つきのやつを借りてました。あとはね、けっこうピアノの内部奏法が多かったんですよ。ピアノの弦のあいだにゴムとか洗濯バサミとかはさんで弾くという。それとね、ドラをスーパーボールでこすると不思議な音がするんです。そういう得体のしれない打楽器とかの音色は、ずいぶん使ってました。

SH-5を選んだ理由は…当時、同じような機種がコルグからも出ていたと思うんですけど、僕にとってはローランドの音はミニ・ムーグに近い感じがして、コルグの音はアープのオデッセイの音色の華やかな感じに近い感じがしたんですよ。で、僕がやっていたミニマルにはローランドのほうが合うだろうと思って。そんなに機種がたくさんある時代じゃなかったんで、それほど選択の余地はなかったんですけどね。

SH-5は2VCOのモノフォニックで、それをなんとかポリ風に聞かせるテクはないかということで(笑)かなり苦労した思い出があります。たとえばアルペジオ風にうんと速く弾いて、それでなんとか和音的なものが出たようなフリをするとか。そんな苦労をしてました。

 

Prophet-5とフェアライト

その頃からスタジオでアレンジの仕事をやっていたから、だんだんと機材も増えていって、その次に買ったのがProphet-5。あ、SH-5レベルでの似たような楽器はいくつも買ったんですよ。ステップ・アップという意味で買った楽器がProphet-5とリンのドラムと、シーケンスとしてMC-4。それが3種の神器みたいな感じで(笑)。当時、みんなそうだったと思うんだけど。そこにDX7が入ってきて、そのレベルでの周辺機材がふえていったって感じでしたね。

ちょうど『ナウシカ』(映画『風の谷のナウシカ』サントラ)を作った頃ですかね、あるアレンジャーでギタリストの人の家でフェアライトに出会うんです。それで、うなされるほど欲しいと思って…一千何百万とか言われたんですけど、清水の舞台から10回くらい飛び降りたつもりで(笑)フェアライトIIを買ったんです。

 

現代音楽からポップスへ…

話が前後しますけど、国立音大に入学したものの、僕は突出した存在で、先生からも「授業に出なくていい」って言われちゃったんです。授業でやることは全部わかっていたんですよ。で、先生は困っちゃうわけですね。それで「単位はあげるから出ないで」って(笑)。だから、学校には行かないわりに成績よかったんです。

卒業したあとも就職するつもりはなくて、音楽のことしか考えていませんでした。4年生の頃からスタジオでの仕事をやっていたから”このラインでやっていくな”という予感はありました。メインはあくまで現代音楽なんですけどそれはお金を稼げる世界ではありませんから。

20代は、ミニマルのアンサンブルを作って、定期的なコンサートを開いたりとか…そのあたりから、オルガンなんかを使っての本格的なコンサートは多くなったんです。もちろん、小さいところでのものでしたけど。そういう活動を続けながら、片方ではレコーディングのアレンジとかをどんどんやっていきました。

転機となったのは30歳くらいのときで…当時打楽器アンサンブルを中心にしたユニットも組んでいたんですが、そこの打楽器だけを独立させて”ムクワジュ”というグループを作ったんです。そのムクワジュとしてコロムビアから日本初のミニマル・アルバムを出すことになるんですが、その段階で、クラシックの世界に身を置いていたことが、なんか違うんじゃないかと思い始めちゃったんです。というのは、超前衛音楽なのに、それをやっている人たちは前衛的な新しい思考を持っていなかったからなんです。それで”こういう状況からは、絶対新しいものは生まれない”と思っちゃったんですよ。それでフッと横を見たら、ロキシー・ミュージックからはブライアン・イーノが出てきて、で、クラフトワークもいてという状況になっていたわけですよ。彼らはロックをベースにして登りつめてきてミニマル的なことをやってて、僕は現代音楽のほうからきてミニマルをやってたんだけど、両者のやっている内容はそんなに違わなかったんですよ。それなら飛んじゃったほうがいいやと思って。ポップスというフィールドがすごく新鮮に見えたんですよ。ポップスの世界に行ったほうが、よりアヴァンギャルドなことができると思ったんです。で、僕は不器用なもので、ふたまたをかけることができなくて、ポップスの世界に入ったときからクラシックの作品を書くのはやめたんです。

 

いろいろなことが起こった1984年

それで、JAPANレコードから最初のソロ・アルバムを出したんだけど…当時、矢野顕子さんとかP-MODELとかムーンライダーズとか、前衛っぽい人たちがいっぱいいたレーベルだったんで、いいなと思って僕も契約したんですけど売れなくてね(笑)。困ったなあと思ってたら、JAPANレコードが徳間JAPANというレコードになったんです。で、社運を賭けて『風の谷のナウシカ』というアニメーションをやることになって、たまたま僕のディレクターが推薦してくれてイメージ・アルバムを作ったら、(原作者の)宮崎駿さんがすごく気に入ってくれて、そこからいわゆるメジャー路線っていうか(笑)、暗いミニマル路線から、いきなり”メロディ・メイカーの久石譲”となっちゃったんです。

『ナウシカ』が公開されたのは84年だったんですけど、あの年はいちどにいろんなことが起こりまして、映画では薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』を担当して、アレンジでは井上陽水の『9.5カラット』をやって、CMではカネボウの男性化粧品のハシリだった商品を手がけて。それまで全然実績がなかったのに各分野でNo.1をとっちゃったんです。

それを契機にポップスの世界でどんどん仕事をしてきて、今年は『水の旅人』のサントラや中山美穂さんとの仕事もしました。いまは次のソロ・アルバムにとりかかっているところで…ホントは(93年の)2月に出るはずだったんですけどね(笑)。あとは4月から始まるNHKの朝の連続ドラマの音楽を担当することになったんで、並行しながらグジャグジャとやっているところなんです(笑)。

(キーボードスペシャル 1994年2月号 NO.109 より)

 

 

Info. 2019/01/09 [CM] 三井ホームCM「TOP OF DESIGN」 久石譲音楽担当 New動画公開

1月9日、三井ホームの新しい広告動画が公開されました。2016年4月に登場した三井ホーム「TOP OF DESIGN」シリーズは、久石譲が音楽を担当しています。今回も同じ楽曲が使用されています。

動画は三井ホームの公式サイト内「広告ライブラリー」からもご覧いただけます。 “Info. 2019/01/09 [CM] 三井ホームCM「TOP OF DESIGN」 久石譲音楽担当 New動画公開” の続きを読む

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」 コンサート・レポート

Posted on 2019/01/03

2018年12月31日、大晦日に開催「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」です。一旦休止をはさみながらも2014年から再び5年連続開催、一年を締めくくるスペシャルコンサートです。

まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

 

久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall

[公演期間]  
2018/12/31

[公演回数]
1公演
大阪・フェスティバルホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:安井陽子
メゾソプラノ:中島郁子
テノール:望月哲也
バスバリトン:山下浩司
オルガン:室住素子
合唱:関西フィルハーモニー合唱団

[曲目]
久石譲:「天空の城ラピュタより」 *世界ツアーバージョン 日本初演
久石譲:Orbis

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 

久石譲のプログラムノート

「天空の城ラピュタ」より

今回演奏する「天空の城ラピュタ」は、世界ツアーで演奏しているバージョンです。これは去年パリから始まり、メルボルン、サンノゼ、ロサンゼルス、ニューヨークなどで行われました。

冒頭から鳴り響く金管楽器の「ハトと少年」はバンダによって演奏されます。バンダというのは会場に楽器を配置し、あるいは舞台の裏などで演奏する演奏手法のひとつです。トランペットとホルンを会場内に配置することで、まるで天上から降り注ぐように会場に響きます。続いてコーラスと弦楽器を除いた木管・金管楽器で「君をのせて」を演奏します。オープニングにふさわしい作品だと思い選曲しました。

 

「Orbis」

曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」のとき、冒頭に演奏する序曲として委嘱されて作りました。サントリーホールと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。

歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっています。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いています。そのため演奏が大変難しい作品です。約10分の長さですが、11/8拍子の速いパートもあり、難易度はかなり高いものがあります。

 

ベートーヴェン《第九》

ジルベスターコンサートでは、2015年以来、関西フィルハーモニー管弦楽団とは初めての演奏です。

ベートーヴェンの晩年の大作である《第九》は、音楽史の頂点に位置する作品のひとつです。その最大の特徴は第4楽章に声楽を入れたことです。今日ではマーラーなどの交響曲で声楽が入ることに何の抵抗もないのですが、約200年前の当時、純器楽作品とりわけ交響曲に使用するなどということは、まったくなかったのです。

今までに何度か演奏してきてわかったことは、《第九》は理屈や論理を超えたもっと大きなもの、もちろん単なる感情でもない、何かに突き動かされているということです。その何かはとても言葉では表現できません。毎回演奏する度に湧きおこる深い感動は《第九》特有の魅力だと思っています。

2年前から長野で、ナガノ・チェンバー・オーケストラとベートーヴェンの交響曲全曲演奏とCD化に取り組んできましたが、今年の夏の《第九》で終了しました。従来の方法ではなくリズムをベースにしたまるでロックのような新しいベートーヴェンに取り組んだわけです。

その演奏を収録したライヴ盤をいち早く今日から発売しますのでもし興味があったらお買い求めください(笑)*

今日の演奏もそのリズムをベースにした新しいベートーヴェンに挑みます。が、室内オーケストラではなく大きな編成でのチャレンジはタンカーをモーターボートのように操縦するわけですから大変です。かれこれ20年近く一緒に演奏してきた関西フィルへの信頼がないとできません。

2018年を締めくくる最後の《第九》を、皆さんに楽しんでいただければ幸いです。

2018年12月
久石譲

(「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」コンサート・パンフレット より)

 

 

*会場限定先行販売は諸事情により中止となりました。(2019年1月23日CD一般発売予定)

 

 

「それから、作曲家としてもう一回クラシック音楽を再構築したいっていうふうになるわけですね。どういうことかというと、指揮者の人が振る時の指揮の仕方って、やっぱりメロディだとかフォルテだとかっていうのをやっていくんだけど、僕はね作曲家だから、メロディ興味ないんですよ。それよりも、この下でこうヴィオラだとかセカンド・ヴァイオリンがチャカチャカチャカチャカ刻んでるじゃないですか。書くほうからするとそっちにすごく苦労するんですよ。こんなに苦労して書いてる音をなんでみんな無視してんだコラっ!みたいなのがある。そうすると、それをクローズアップしたりとか。それから構成がソナタ形式ででてるのになんでこんな演奏してんだよ!と。たとえばベートーヴェンの交響曲にしてもね。そうすると、自分なら作曲家の目線でこうやるっていうのが、だんだん強い意識が出てきちゃったんですよね。そして、それをやりだしたら、こんなにおもしろいことないなあと思っちゃったんですよ。たとえば、ベートーヴェンをドイツ音楽の重々しいみたいな、どうだっていいそんなもんは、というふうに僕はなっちゃうんですよ。だって書いてないでしょ、譜面に書いてあることをきちんとやろうよ、っていうことにしちゃうわけです。そうするとアプローチがもうまったく違う。ドイツの重々しい立派なドイツ音楽で聴きたいなら、ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでも聴いてくれよと。僕は日本人だからやる必要ないってはっきり思うわけね。そういうやり方で迫っていっちゃうから。」

「それともう一個あったのは、必ず自分の曲なり現代の曲とクラシックを組み合わせてるんです。これは在京のオーケストラでもありますね、ジョン・アダムズの曲とチャイコフスキーとかってある。ところが、それはそれ、これはこれ、なんですよ、演奏が。だけど重要なのは、ミニマル系のリズムをはっきりした現代曲をアプローチした、そのリズムの姿勢のままクラシックをやるべきなんですよ。そうすると今までのとは違うんです。これやってるオケはひとつもないんですよ。それで僕はそれをやってるわけ。それをやることによって、今の時代のクラシックをもう一回リ・クリエイトすると。そういうふうに思いだしたら、すごく楽しくなっちゃって、やりがいを感じちゃったもんですから、一生懸命やってる(笑)。」

「一緒に考えるということですよね。たとえばミニマル系の現代曲をといっても、実は譜面どおりに弾くなら日本の人はうまいんですよ。すごくうまいんですよ、その通りに弾く。たぶん外国のオケよりもうまいかもしれない。だが、それを音楽にするのがね、もう一つハードル高いんですよね。たとえば、非常にアップテンポのリズムが主体でちょっとしたズレを聴かせていくってなると、リズムをきちんとキープしなければならない。ところが、このリズムをきちんとキープするっていうこと自体がすごく難しいんですよ。なおかつオーケストラになりますと、指揮者と一番後ろのパーカッションの人まで15メートル以上離れてますね。そうすると、瞬間的にザーンッ!だとかメロディ歌ってやるのは平気なんだが、ずっとリズムをお互いにキープしあわないと音楽にならないっていうものをやると、根底からオーケストラのリズムのあり方を変えなきゃいけなくなるんですね。もっとシンプルなことでいうと、ヴァイオリンを弾いた時の音の出る速度と、木管が吹くフルートならフルートが吹く音になる速度、ピアノはもう弾いたらすぐに出ますね、ポーンと出ますよね。みんな違うんですよ。これをどこまでそろえるかとかっていう。これフレーズによってもきちっとやっていかなきゃいけない。ところがこれって、そういうことを要求されてないから一流のオケでもアバウトなんですよ。だからミニマルは下手なんです。で、結局これって言われないと気がつけませんよね。0.0何秒でしょうね。こういうふうにもう全然違っちゃうんですよ。そういうことを要求されたことがない人たちに、いやそれ必要なんだよって話になると、自分たちもやり方変えなきゃいけなくなりますよね。で、その経験を積ませないと、この手の音楽はできない。ということを、誰かがやってかなきゃいけないんですよ。と思って、それでできるだけ、日本にもそういう人がいるっていうのを育てなきゃいけない、そういうふうに思ってます。」

Blog. TBSラジオ「辻井いつ子の今日の風、なに色?」久石譲ゲスト出演 番組内容 より抜粋)

 

 

 

ここからは個人的感想、コンサートレポートです。

 

久石譲ファン恒例行事として楽しみにしていた人、大晦日の特別な一日としてイベント感楽しみにしていた人、「第九」をはじめて聴く人、海外からのお客さん。それぞれの日常と環境のなかで、この日会場に集まった観客の期待と終演後の感動は、溢れたSNSからたくさん見ることができました。

 

「天空の城ラピュタ」より

久石譲解説にあるとおり、世界ツアーバージョンのこの作品は日本初演です。『WORLD DREAMS』(2004・CD)に収録されたトランペットをフィーチャーしたヴァージョンとも、『交響組曲 天空の城ラピュタ』(2017・CD)に収録された組曲中同楽曲ともヴァージョンは異なります。

世界ツアーでは現地マーチングバンドの若者たちと合唱団による「天空の城ラピュタ」コーナーで構成されています。「久石譲 in 武道館」コンサート(2008)と同じ編成です。もうひとつ、マーチングバンドが編成されない公演では、現地の共演オーケストラと合唱団による「天空の城ラピュタ」コーナーになっていて、それが今回披露されたヴァージョンになります。

楽器編成は久石譲解説にあるとおり、会場を包みこむバンダ演出によるパノラマ音空間と、オーケストラの主要である弦楽器を除くことでコーラスの圧倒感を前面に引き出す構成になっています。「ハトと少年」は、客席2階席両サイドから吹かれるトランペットの音色が、まるでスラッグ渓谷を見渡せる屋根上でパズーが演奏している映画シーンのように、地平線の遠くまで響きわたるよう。すごくいい。「君をのせて」はフルコーラス歌われ、ステージ中央から聴こえる管楽器たちとバンダの金管楽器たちがコーラスと立体的にかけあい、後半にすすむにつれてコーラスの重厚さを支えるどっしりとしたティンパニやスネアによる荘厳なマーチ風リズムが印象的です。冒険活劇、夢や希望にあふれたラピュラの世界とはまた違った、畏敬の念をまとった俯瞰して地球を見るようなラピュラの世界、そんな気がします。

思えば、2018年は高畑勲監督が逝去された年。”あらかじめ予定されていた”偶然のプログラムとなった「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」での「かぐや姫の物語 組曲」や直前プログラム更新の「The Path of the Wind 2018」。8月TV放送NHK特番「ジブリのうた」での「風のとおり道 久石譲×五嶋龍」演奏(高畑勲監督が絶賛していた曲)、「君をのせて」への久石譲コメント。映画『天空の城ラピュタ』は宮崎駿監督とのタッグながら、音楽プロデューサーを務めた高畑勲監督とも深くかかわり、「君をのせて」の主題歌化や歌詞の補作という共同作業。久石譲は、2018年という一年間をとおして高畑勲監督への追悼の想いを表したかったとすれば、本公演での「天空の城ラピュタ」より世界ツアーバージョンのひと足早い日本初演は、特別な想いがあったのかもしれません。

久石譲と高畑勲監督のエピソードや「W.D.O.2018」プログラム詳細は下記ご参照ください。

 

 

また記憶に新しいところでは、2018年8月NHKFM「今日は一日”久石譲”三昧」ラジオ番組での、鈴木敏夫プロデューサーのトークも、そうだったんだ!と新発見がありました。

 

「それと僕が声を大にして言いたいのは、この「かぐや姫の物語」の映画音楽、大傑作ですよね。高畑さんと日常的にいろいろなこと話してたから、高畑さんは実をいうと、好みもあったんでしょうけれど、「ラピュタ」の音楽、大絶賛してたんですよ。そうするとね、高畑さんのなかにあったのは、全然違う作品なんだけれど映画音楽として、どういうものをやっていくかというときに、「ラピュタ」に勝ちたい、どっかにあったんじゃないかなあ。それを僕は実現したと思ったんですよね。明らかに久石さんの新たな面も見れたし、この人すごいなと思ったんですよ、まだ成長するんだって(笑)。」(鈴木敏夫)

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- より抜粋)

 

ニューヨーク・カーネギーホール公演でも演出されたバンダ。こんなにも早く体感できて幸せです。バンダ演出ってどういうの? カーネギー公演風景をご覧ください。

 

 

「Orbis」

久石譲オリジナル作品の代名詞のひとつ、絶大な人気を誇る作品です。近年ではベートーヴェン《第九》との並列プログラミングが多いです。あまり比べることはしないのですが、2018年「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回定期演奏会」のNCO演奏とは少し印象が異なりました。それは完成度なのか、リハ不足なのか、思い切りの良さが足りなかったのか、この作品のパフォーマンスとしてはちょっともったいなかったかな、というのが正直な感想です。

少し視点をかえて。2015年「Orbis」は全3楽章作品としても初演されていますが、それ以降の公演ではすべて2007年オリジナル版(2015年版第1楽章にあたる)のプログラムです。これをどう見るか? 「新版・Orbis」はまだまだ納得していない、修正の余地が多分にある…そんなことはないんじゃないかなあと思っています。ズバリ、絶対的な自信があるんだろうと僕は勝手に確信しています。だからこそ、「Orbis」の完全版は久石譲オリジナル交響作品の到達点を飾る大作にふさわしい。近年、久石譲オリジナル作品とジブリ交響組曲化の大きく2本柱で構成されるW.D.O.コンサート。「The End of the World」や「ASIAN SYMPHONY」は、「THE EAST LAND SYMPHONY」という新作シンフォニーをはさみながらも、再構築や完全版として昇華・進化・完結へと流れています。久石譲オリジナル交響作品の9番目に値する作品、それこそが「Orbis for Chorus, Organ and Orchestra」完全版なのではないか。そこにこそ《第九》に捧げる序曲であり、《第九》と同じ9番目のシンフォニーとして君臨する久石譲オリジナル作品。だから僕は、2015年以降「新版・Orbis」が封印されていることも、その日まで2007年版「Orbis」でのプログラムであることも、そうだろうなあと寛大な心持ちな自分がいたりします。「MKWAJU組曲」「D.E.A.D組曲」も生まれ変わるかもしれない、「Winter Garden」もある。まだまだやることたくさん&新作もつくり続ける…そんな久石譲の声が聞こえてきそうです。勝手な推測なので鵜呑みは禁物です。でも、これだけは言える!いつかきっと満を持して「Orbis完全版」は日本各地で海を渡って世界各国で公演される日がくるでしょう!その日まで元気に待ちましょう!

 

 

ベートーヴェン《第九》

さりげなく衣装チェンジして(気づいた人どのくらいいたかな前列くらいかな)、後半プログラムに臨んだ久石譲です。NCO版室内オーケストラとは違い、関西フィルの大きな編成ながら、アプローチは同じという挑戦。”リズム”をとことん追求した《第九》。それぞれのパートが鋭くソリッドでティンパニも乾いた響きで推進力や躍動感溢れるスポーティなNCO版が、大きなオーケストラ編成でどのように印象が変化するのか楽しみにしていました。NCO版に負けず劣らずの快速《第九》でした。

 

「今年の夏「第九」やったんですよ、僕の「第九」ちょうど57分、すべてのくり返しやって57分ちょっとだった。(フィナーレのマーチのところのテノール)最初合わせの日にやりたいテンポでやったら目丸くして緊張してて。ゲネプロでちょっと遅くしたんですね、そしたらちょっと安心したんですよ。当然本番はテンポ上げました(笑)。」(久石譲)

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- より抜粋)

 

なんて語っているとおりの快速《第九》です。通常だと約65分前後が平均演奏時間だと思います。5分違うだけでもテンポ感はかなり大きな印象差になります。関西フィルとの信頼関係なくしてと記されていましたが、まさに「信頼してオレについてこい!」「なにがあっても信じてついていきます!」そんな指揮者とオーケストラのお互いのリスペクトがないと完走できないテンポとアプローチだと思います。

《第九》についてはNCO公演レポートで感想や、久石譲の《第九》によせる想いをまとめていますのでご参照ください。

 

今回特に思ったのは、フレーズ(歌うように)で演奏するのではなく、モチーフや音型として各パート・各楽器セクション演奏することにより、ある種ミニマル手法を駆使した久石譲作品のアプローチに近いなと発見できたこと。ミニマル・ミュージックではないのでズレるのではないですが、最小限の音型が第1ヴァイオリンから第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスへと流れて繰り返す第1楽章冒頭。すべてはこのアプローチを基調としているように思います。そこには、弦楽器が折り重なることの感情表現やエモーショナルに横揺れするフレーズ表現とは対極にある、リズムを重視した音符や音型の音価や強弱といったものをきっちりとそろえるアプローチ。最小限の音型という小さい要素たちが、集合体となって大きな有機物を創りあげるようなイメージ。「Orbis」に共鳴するアプローチでもあります。極論すれば、作品に込める精神性を表現するヨーロッパ的アプローチと真逆に位置する、作曲家視点・譜面重視・リズムに軸を置いた久石譲の《第九》。スコアはNCO演奏版と同じベーレンライター版です。

 

 

《第九》プログラムのときは、アンコールなしが常です。それでもカーテンコールの拍手は鳴り止まず、大所帯のコーラスも順繰り退場し、もう何も起こる気配のないステージに向かって拍手は大きな手拍子へと変わりどんどん膨らむ反響音。想定外の久石譲も、衣装からラフな服装へと着替えかけの状態でステージ再登場!登場しならがら上着パーカーのチャックを締めていた久石譲もステージ中央に着いた頃には一気に総立ちスタンディングオベーション!拍手喝采!

久石譲作品で終わったわけでもなく、アンコールもなかったなかで、この光景に一番驚き喜んだのは久石譲ご本人かもしれませんね。久石譲からの一年を締めくくるギフト、観客からの感動と感謝、ひとつになった瞬間です。

 

from SNS

 

こちらは《第九》を彩ったソリストの皆さん(左よりSop安井陽子、Ten望月哲也、Mez中島郁子、B-Bar山下浩司)。

from 二期会 公式Twitter  *終演後

 

 

2018年も話題に事欠かない久石譲でした。そんななかでもコンサートの充実ぶりは内容はもちろんのこと数字から見ても歴然です。コンサート計11企画、計38公演、うち海外計22公演! 2019年もこの勢いは止まりそうにありません。