Blog. 「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233」 もののけ姫 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/05

映画雑誌「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233 宮崎駿と「もののけ姫」とスタジオジブリ」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

本タイトルのとおり映画「もののけ姫」公開にあわせて刊行された臨時特集号になっています。スタジオジブリ刊行「ロマンアルバム」や現在シリーズ刊行中「ジブリの教科書」(文春ジブリ文庫)にも通じる、映画に携わる各スタッフのインタビューなども満載です。

また宮崎駿監督・高畑勲監督の巻末フィルモグラフィーでは、ジブリ以前のTVアニメの作画・演出の小さな(あるいは当時クレジットされていないかもしれない)仕事もきっちり網羅されています。その辺りも熱心に興味のある人は、両監督の書籍とあわせてフィルモグラフィーを照合してみるとおもしろいかもしれません。

ここでご紹介する久石譲インタビュー内容は、「ロマンアルバム」「ジブリの教科書」とも違う本誌のために取材されたものです。

 

 

 

スタッフ・インタビュー
音楽 久石譲氏に聞く

宮崎駿という大きな山をクリアしないと先に進めない

-映画も凄い迫力でしたが、透き通るような音楽も素晴らしかったですね。今回の音楽は今までのとは違うのでしょうか。

久石:
「宮崎さん自身が今回覚悟を決めていたように見えたんです。だからこの作品には通常のレベルの音の付け方では、とても追いつけないなと考えました。なぜ今、宮崎さんがこの映画を作るのか、宮崎さんの思想、バッグボーンを理解していないと音楽は作れません。といって、宮崎さんの思想を直接聞くようなことはせず、宮崎さんの著作や、宮崎さんが愛読した本を読んで、宮崎さんを理解しようとしたんです。」

-初めはこんな映画になると予想していました?

久石:
「ストーリーを聞くと今までとぜんぜん違うものだし、話している表情などを見ていると、これは相当な覚悟を決めているなというのがこちらにも伝わってくる。その段階ですでに、今回はフルオーケストラでいくしかないなと、こちらも覚悟したわけです。」

-どんなイメージで曲想を得たんですか?

久石:
「今度の映画は全世界公開も考えられているし、日本が舞台であるということをどうとらえるか難しかったんです。逆にいうと日本の和楽器をどう使ったらいいのかということ。異国情緒ではなくてね。」

-難しいところですね。

久石:
「ええ、イギリスだとアイルランド地方に、いい民族楽器があるんです。ところが日本の楽器はイメージが強すぎるんです。尺八がプァーと鳴っただけで、いかにも素浪人がバサーッでしょ(笑)。匂いが強いんです。一番大事だなと思ったことは、やはり日本が舞台であるがそれにとらわれると世界が小さくなる。ヒチリキチリキとか笙とかがあくまでオーケストラとブレンドできる範囲内で処理しました。それで”ディス イズ ジャパン”みたいなものはどんどん外していった。」

-すうーっと素直に耳に入ってきますよね。

久石:
「そうですか。今回ひとつ重要なのは、映像のダイナミックさを生かすために、曲の表現を抑えることによって精神世界を生かすということを重要視したんです。沈黙を作ることに気を使いましたね。」

-音楽を抑えるということですか?

久石:
「アクションシーンというのは激しい動きとバカでかい音の効果音が入ります。だから効果音とも良い関係を作る”間”ですね。すき間を作るといったらいいのかな。今回はスペクタクル・シーンが終わってから音楽が出るぞ、というスタンスを取りました。」

-今回の曲のイメージで特に難しかったところは?

久石:
「全部で40曲もあるんです。これは宿命的なもんだと思うんですが、アニメは実写映画に比べて1曲1曲がちょっと短いんです。「もののけ姫」は2分台が多かった。それでも40曲でしょ。ストーリーに合わせて音楽全体の構成をどうとるか、テーマ曲はどことどこに使うかと考え、全体を組むのが大変でした。」

-宮崎監督からイメージを説明するメモをもらったと聞きましたが。

久石:
「最初にイメージアルバムを作る時に、10個程の言葉をもらったんですが、まずタタリ神(笑)、犬神モロ、あとはシシ神とか、ね。」

-えっ、それだけなんですか?

久石:
「さすがにこれだけではまずいと宮崎さんも考えたんでしょう。後で自分の想いを書き綴ったのをいただいたんですが、その言葉が素晴らしくてね。特に「もののけ姫」という詩は読んだとたん、これは歌になると思って、勝手に曲をつけちゃったんです。宮崎さんは聞いたとたんに驚いちゃってね。」

-久石さんから見て、宮崎さんはどんな人ですか?

久石:
「宮崎さんは絶えず一歩前を歩んでいます。だから僕がやらなければいけないことは、僕は僕なりに音楽家としてきちんと成長していかなければいけないってこと。再び仕事で会ったときに、自分はここまできたのかという気持ちになるんです。僕にとってはこれをクリアしないと先に進めない大きな山なんです。今度「もののけ姫」をクリアしたから、あと3年は大丈夫でしょう(笑)。私にとってはとても大事な人ですよ。」

-曲の制作中は大変でしたか。

久石:
「ええ、徹夜がずうっと続いていて、朝方にならないと帰れませんでしたね。でも俺がきついなと思ったことの数百倍も宮崎監督はきつかったでしょう。」

-この後の久石さんの活動はしばらく休みですか?

久石:
「いやいや、今は北野監督の映画の曲制作に入っています。それと来年パラリンピックがあるんですが、開閉会式の演出と総合プロデュースもやるんです。僕は以前から五十歳で引退しようと考えていたんですが、宮崎さんは司馬遼太郎の死に様を見て、ああやって生きればいいんだと、納得された。僕はそういう宮崎さんを見ていて、自分の方向性が見えたような気がしています。」

(「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233」より)

 

 

本号には久石譲インタビューにつづけて米良美一インタビューも掲載されています。一部抜粋してご紹介します。

 

 

~中略~

米良:
「~中略~ 私のことは、宮崎監督がラジオで私の歌を偶然聞いて、決めたということです。」

-そのときは詩もできていたんですか。

米良:
「ええ、詩も曲もできていました。そして翌年に音楽の久石さんと顔合わせということでうかがったところが、そこでテスト・レコーディングしてみましょうということになって。次の日にはもうレコーディングになってしまったんです。本当はレコーディングは3月と聞いていたんです。だから心の準備がまだできていなくて(笑)。でもそれがかえって新鮮で、歌い込み過ぎず、初めてなにかに触れたときの感動みたいなものを保ちながら歌えました。」

-その状況へ行くまでに、歌に対するアドバイスはなかったのですか?

米良:
「監督も忙しいですし、私も日本にいなかったんです。レコーディングのとき、私はいろいろと悩んでいたんです。どういう気持ちで歌っていいか判らない。私一人の個性を表現することはたやすいことですが、主題曲は映画のなかの一つの部品ですから、強すぎる個性ではいい映画もだめにしてしまうんです。逆に空気のようにただあるという存在では、私がいやなのです。これは誰の気持ちで、どういう立場で歌ったらいいのかと悩んでいたんです。前日のテストのときも悩みながら歌っていて、でも誰もわからない。そしたらレコーディングの日、監督が見えて、「これはね、アシタカがサンに対する想いを歌った歌なんですよ。米良さんが思ったように歌ってください」とおっしゃってくださって、肩の力がすーっと抜けたんです。」

-最初に詩と曲をもらったときはどう感じました。

米良:
「短い詩なんですよ。ところが監督は1番しか書けないとおっしゃる。この歌は1番で完結しちゃっているんですね。この詩には美辞麗句もメッセージもないんですが、私の胸の中にすんなり入ってくるんです。詩の中にはこの映画の意味がすべて含まれていました。」

(「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233」より)

 

 

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Blog. 「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/03

映画情報誌「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」に掲載された久石譲インタビューです。なお、本記事は本分に欠落部分があったため「キネマ旬報 1996年12月上旬号 No.1207」にて後半部を完全なものを再掲載したという経緯があります。ここでは両誌をまとめて完全版としてご紹介します。

ソロアルバム『PIANO STORIES II -The Wind of Life-』の楽器編成の話から、『もののけ姫 イメージアルバム』についてなど盛りだくさんな内容になっています。

 

 

SOUNDTRACK HOUSE INTERVIEW

取材:賀来卓人

常に第一線にいる危険な作曲家でありたい

久石譲が走っている。一昨年の大林宣彦監督作品『女ざかり』を最後に、スクリーンから遠ざかってファンをヤキモキさせた才人が、北野武監督の『キッズ・リターン』で復帰したのが今年の夏。それに前後してオリジナル・ソロアルバム『銀河鉄道の夜』、来年夏の大作『もののけ姫』のイメージアルバムを同時にリリース。さらにこの秋にはヒット・アルバムの続編『PIANO STORIES II -The Wind of Life-』の発売に加え、全国約20ヶ所をまわるコンサートを準備中と、猛烈な活動が展開しつつある。”僕らの時代の終焉”を叫んで迎えた充電期の真意は、そして、そこから得たものとは、何だったのか。新たな野心に燃えた彼に、じっくり聞いた。

 

この10年間で初めてだった台本のない生活

久石:
「映画でいうと『風の谷のナウシカ』以来ですか? ずっととぎれることなくやってきて、それは並行して自分のソロ活動を続けてきて、どこか自分の中で立ち止まらなければいけないという気持ちがあったんですね。もちろん、立ち止まったからといって結論が出るものではないし、出るわけがない。そういう意味では、忙しい仕事をして日常を埋めていく方がよほど楽なわけです。では立ち止まるとはどういうことかといえば、これはもう音楽家が音楽をやらなくなったら日常をどう過ごすか、ということ。一応、音楽プロデュースとかレコーディングとかの映画以外のものは続けていたことは続けていたんです。ただ、自分がそれまで重要にしていたソロアルバムや映画を1年間全くやらなかった。精神的な葛藤というかプレッシャーはあって、相当キツかったというのが本音です。」

-離れてみて初めて見えたと?

久石:
「ええ。映画はもう生活に染みついてるんですね。映画をやらないことがどんなに自分にとって苦しいことか分かりました。実はハリウッドからの話もあったんです。それは煮詰める必要もあったし、何よりも今までの日常のルーティーン・ワークから外れてみたいという、そんな気持ちが強かったんですね。」

-『キッズ・リターン』が映画復帰の直接のきっかけになったんですか?

久石:
「武さんの話と宮崎さんの『もののけ姫』がほぼ同時に来たんです。去年の秋ごろですか。それで「う~ん、これ以上わがままは言えないぞ」と(笑)。映画は独特の世界で、やり方を忘れちゃうというか、あまり休んではいけないので、テレビの仕事をやったりしてたんですが、現実にその二つが来た。作家はわがままなもので「こういうものは人に渡したくない」と思うじゃないですか(笑)。それもあって、そろそろかなと。」

-やはり久石さんが生来持ってらっしゃる映画好きの性がそうさせた節もあるのではないですか。

久石:
「ありますね。台本のない生活ってやったことなかったんですよ、この10年間。だからビックリしました。スヌーピーでいうとライナスの毛布みたいなもので、「ああ、自分が映画音楽をやってないって、こういう感じなんだな」と。新鮮を通り越して怖くもありましたね(笑)。逆に今は、映画をやっていられる喜びを客観的に考えられますね。そういう意味では『キッズ・リターン』はすごくいい映画だったし、宮崎さんの『もののけ姫』もホントにスゴイですから。だから前にも増してやりがいを感じています。」

-個人的には、久石さんのためにそういう舞台が何か自然と用意されていたような気さえします。

久石:
「もしそうだとしたら、うれしいですね。今年は不思議な縁で、1998年の長野のパラリンピックの総合プロデュースも引き受けることにもなって。もういろんなものがゴチャンと来て「これでしばらく走らなきゃ」と思ってるんです。」

 

今までで宮崎さんの存在が最も大きかった時期

久石:
「去年というのは、作曲家として音楽を作っていくという意味が見えなくなってた時期なんです。単にいいメロディを書けばよしというのは、もともと現代音楽をやっていたせいもあって、個人的にはそれでは納得できないわけです。じゃあ自分の原点では、自分が音楽を作り続けるというのは一体何なのだろうと、そこへハマっちゃってね。例えば宮崎さんはすごく自分の作品に対していいポジションをとってらっしゃる。今までの中で宮崎さんの存在が最も大きかった時期でしたよ。これまで僕は都会生活者の漂流感覚みたいな、いわゆる根無し草的な人間像に固執してソロアルバムを作ってきた。つまり世紀末感と一緒になったね。しかし、こんな時代や社会が堕ちてしまったら、そんな漂流感ではなく、もっと夢のあることをしなければいかんのだと、すごく思ったのが正直なところです。で、ニヒリズムに走らない夢のあることを考えていったら、宮崎さんがそれをずっとやってる。それがすごくショックだった。だから、宮崎さんが愛読されてきた堀田善衛さんとか司馬遼太郎さんの作品を読んだりしましたよ。もはや宮崎さんはアニメの作家というよりは時代のオピニオン・リーダーでしょう。それを宮崎さんは望んでいないんだけれど、ああやってキチンと日本を見つめて発言できる人が少なくなってきている。そんな人が自分のそばにいて仕事を一緒にできる。すごく幸せな反面、僕は僕の視点を持たなければいけない。それがやっと分かってきたということです。」

-この秋のコンサート・ラッシュにも何かつながってくるものがありますか。

久石:
「結局、自分の原点を確認するためのものですね。ハッキリ言って。11月のはアンサンブルでやるんですが、これが大事なんです。僕と弦楽四重奏、コントラバスにマリンバに木管という編成ですが、これは何をやりたいかというと、ミニマルをやるための編成なんです。もう僕の原点というか総決算で、大変な内容になりそうですね。オーケストラで、こちらもミニマルをやろうと思ってる。今までのメロディ主体の音楽もやりますが、同時に今の時代に対して自分にしかできないことを明確にしたコンサートをやろうと。《DA・MA・SHI・絵》なんて僕の曲は5拍子で、これをオーケストラでやるとなると、180何小節もあってリズムが命だし、とてもできるとは思えない。思えないけど、やめちゃうよりは悪い結果が出るだけでもハッキリする。だからやるべきなんですね。」

 

今後10年間をどう生きるべきか

-そういうコンサートへの意気込みは、例えば『PIANO STORIES II -The Wind of Life-』という新しいソロアルバムにも顕著ですね。一昨年の取材の折にはピアノ主体でシンプルに徹するという話でしたが、実際には弦に重きを置いた音楽になってます。

久石:
「難しかったんだよね。それまでガッチリとコンセプトを組んできたんだけれど、最後の最後で自分を信じた感覚的な決断をしたということです。あの弦の書き方って異常に特殊なんです。普通は例えば8・6・4・4・2とだんだん小さくなりますね。それを8・6・6・6・2と低域が大きい形にしてある。なおかつディヴィージで全部デパートに分けたりして……。チェロなんかまともにユニゾンしているところなんて一箇所もないですよ。ここまで徹底的に書いたことは今までない。結果として想像以上のものになってしまって、ピアノより弦が主張してる……ヤバイ……と(笑)。」

-それは基本を踏まえた上での久石さんのさらなる欲の表れでは?

久石:
「僕は戻りって性格的にできないし、オール・オア・ナッシングなんですね。時代って円運動しながら前へ進んでいると思うんですが、自分にとってのミニマルとか弦とか、原点に立ち返るというのは前に戻るのではなく、そのスタイルをとりながら全く新しいところへ行くことだと。そうでなければ意味がない。単なる懐古趣味に終わってしまうでしょう。ピアノというコンセプトでソロアルバムを作るということに変わりはなかったけれども、思い切りターボエンジンに切り替える必要があったわけです。」

-コンサートも含めて、単なるアイデンティティの確認の場ではないと。

久石:
「やっぱり、今後10年をどう生きるかということだよね。何かを引きずりながら次へと進んでいくようでは生き着けないんです。そのために断ち切らなければいけない部分と、まるで学生のように一から練習し直して自分を鍛え直さなければいけない部分がある。それをこの1、2年やってみて、考え方や技術を含めて、やっと可能性が見えるところへ行き着けたかなと。別の意味でスタート・ラインにつけたんじゃないかな。」

 

宮崎監督のためだけに作った『もののけ姫』

-『もののけ姫』のイメージアルバムを聴くと、そういった久石さんの燃え上がる魂が感じられますね。

久石:
「作るのに6ヶ月もかかっちゃったんだよね。予算は飛び出すわ、ソロアルバムより時間がかかるわで(笑)。でもあれって、たった一人に聴いてもらうために作ったんですよ。だからCDなんて出なくてよかったんだよね。」

-それは宮崎さんのことですか?

久石:
「そう。宮崎さんが聴くこと以外は何一つ考えなかった。宮崎さんが早く聴きたいって望んだ、じゃあ作りますっていう非常にシンプルな関係なわけ。それと半年という期間は、『ナウシカ』以来の良い面もあるけどそうじゃない部分も含めたいろんなものを洗い流す意味で必要な時間だったんだよね。ただ、僕が宮崎作品のために書いてきた音楽を聴いてきた人からすると、何か不満みたいね。」

-不満、ですか。

久石:
「愛とか感動とかロマンとか一切感じないでしょう。だから宮崎さんもすごく戸惑われたと思う。ただ、よく分かってる人達からは「ついに新しいところへ行ったね」と言われましたね。『もののけ姫』のイメージアルバムは僕にとってかなり大きかった。自分という人間をすごく考えましたね。」

-胡弓や琵琶といった楽器が絡んできてますが、この辺りの感触は?

久石:
「宮崎さんはああいう和楽器を使うことは望まれてなかったんです。和楽器って難しいの。例えば尺八がポーンと鳴ると、それだけで世界ができちゃうでしょ。そうするとそのクサ味みたいなものが嫌われる。大体作家の方は嫌いますね。武さんの作品にも実はエスニックなアフロヴォイスをいっぱい入れたんですよ。でもほぼカットしてしまいました。」

-わずかに残ったあのヴォイスがギリギリだったんですね。

久石:
「ギリギリだね。宮崎さんの場合の和楽器も一度途中で聴いてもらったら、「あの和楽器が……」と真っ先に言われましたね。いわゆるクサ味のある楽器以外は残しましたけどね、結局。」

 

日本人であること、チャレンジャーであること

-その『もののけ姫』のイメージアルバムのコメントにもありましたが、「日本的なものを目指す」というのが久石さんの新しさの一つだと思うのですが。

久石:
「そのスタンスというのは、今年の頭にパラリンピックのメインテーマを作ったときにすごく考えたのね。パラリンピックは日本では有名ではないですが、世界的には国際的なイベントなんです。そこでキチンと世界に向けて言える音楽って何だろうと考えたときに、すごくドメスティックなことが逆にインターナショナルになると。そこへやっと行き着けた。その辺りのやり方が今一番納得できるし、これをそのままキチンと出していかなければならない。日本の政治も映画もアイデンティティを失ってますよね。なかなか方向を定められないんです。何かほかに道があるのではと視点がいつも揺れてる。一つ方法を決めたらどんなに苦しくてもそれをやり通すこと。それが今の日本に必要なことじゃないかな。」

-その気迫が『もののけ姫』の迫力の正体ですね。

久石:
「途中でかなり悩んだんです。「間違ったかな」と思うこともあった。だけど「僕はこれで作る」と宣言したんだから変えなかったんです。その作家としての姿勢を貫けるかどうかで半年かかった気がしますね。」

-私事ですが、堀田さん、司馬さん、宮崎さんの鼎談集『時代の風音』に非常に啓蒙されたんです。

久石:
「僕も2、3回読みました。」

-あのお三方はインターナショナルであることが、あるいはその前に、日本人であることにこだわってらした。そういった部分から駆り立てられるものが、今の久石さんにも感じられますが。

久石:
「あの本を読んだ結果、日本の歴史の本をずいぶん読みました。そうして思ったのはやっぱり日本人ってカッコイイやと。平家の時代の人って海洋貿易の先駆者じゃないですか。信長だってポルトガルのとんでもない服を着て戦争やってたわけでしょ? ということは日本人って進んでたのね。おかしくなったのは明治以降でしょう。僕らが何か日本って嫌だなあと思ってることは、実はたかだかこの100年くらいの話かと気付くわけです。台湾へ自分のコンサートに行ったときに、ある記者に「あなたはヨーロッパ人になりたいのか」という挑発的な質問を受けたのね。でも、「僕は日本人は大好きだけど、日本という国は大嫌いだ」と答えたんです。それは宮崎さんの本に出てくるけれども、それが借りてきた言葉でなくて、自分の気持ちとしてキチンと言えるようになったらいいよね。」

-そういった意識の変化を含めて、久石譲はやはりニュー久石譲へと大きく変わったんでしょうか。

久石:
「変わってないと思うんですよ。いつも楽じゃない道を選んできた僕は一昨年も、そして今もまた楽じゃない道を歩こうとしている。そういう意味では変わってない。でもそれは言い方は変だけど、新しいことだと思うんです。つまり巨匠と呼ばれるよりは、常に第一線にいる危険な作曲家でありたい。いつも一等賞をとれる位置にあと5年はいるぞと。僕のことをベテランなんて書く奴がいると、バカヤローと思う。まだ何もやってないのに何がベテランですか。僕なんかこれから何を書くかわからないんですから、そういう意味ではいつでもチャレンジャーの側にしかいないと思うんです。」

 

インタビューではもう一本の新作『パラサイト・イヴ』への意気込みも熱く語られた。作家としての模索を経て、あくなき情熱と気力を得た名手は、果たしてこの世紀末にどのような夢と活力を銀幕にたたき込もうというのか。期待は募るばかりだ。今、久石譲が走り始めた。

(「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」「キネマ旬報 1996年12月上旬号 No.1207」より)

 

 

 

Blog. 「キネマ旬報 1995年2月下旬号 No.1154」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/01

映画情報誌「キネマ旬報 1995年2月下旬号 No.1154」に掲載された久石譲インタビューです。当時発表したアルバム「Melody Blvd.」の話や映画業界の話、なぜこの時この作品を発表したのか。貴重な足跡が紐解ける内容になっています。

 

 

サントラ・ハウス・スペシャル
久石譲インタビュー

「もう僕らの時代は終わった」
それを早く認め、今は学ぶべき時

取材・構成 賀来卓人

映画音楽家として最も脂の乗った時期にあるはずの久石譲の94年は、大林宣彦作品「女ざかり」の音楽監督のクレジットのみに終わった。ある種の選曲主体のアプローチを前に、新たな久石メロディの発掘に身構えたファンは、少なからず寂しさを覚えたはずだ。果たして動向が注目される95年初頭、彼のニューアルバムが発売された。いみじくも「メロディ・ブールバード」と題されたこの一枚は、過去彼が作曲した映画、TVの主題歌、主題曲を再アレンジ、これに英語詞を加えたユニークなボーカル・ナンバー集となっている。カバーアルバムと呼ぶにはあまりに遠いポップ感に満ちたここには、実はというかもちろんというか、聴き手のさまざまな憶測を補ってあまりある人気作曲家の情熱が隠されていたのだった。

 

10年分の区切りを付ける…作るべくして作ったアルバム

久石:
「このアルバムの前に「地上の楽園」というアルバムを作ったんですが、これが2、3年もかかった労作でして。もう一枚今年中に作らなきゃならないといったときに、とにかく軽いものにしおう、気が楽なものにしようと思って(笑)。で、今年はすごくボーカルに興味があったんですね。「地上…」もボーカル曲が多かったし、じゃこれまたボーカルでいこうと。ただ映画音楽をリアレンジした程度だと面白くない。映画で作ったメロディだけど全く違うものになるような、つまりインストゥルメンタルである映画音楽に英語の詞を付けることによって全く別の曲に仕上げるという……。映画のシーンが思い浮かばない、それでいてメロディだけが際立つような、そんなボーカル・アルバムに仕上げたかったんです。」

-ズバリ、タイトルが「メロディ・ブールバード」。いわゆるメロディ作家としての久石さんの自信作みたいなものがそこはかとなく感じられるんですが。

久石:
「これは後付けというか、結果論的な言い方になっちゃうんだけどね。94年というのは「風の谷のナウシカ」が公開されてちょうど11年目になるわけです。84年以前の僕は前衛的なことをやってまして、メロディ作家と言われたのはその後なんですね。そのメロディメイカーと言われた10年分の区切りを付けるというか……。作るべくして作ったアルバムですね。あとはやっぱり1994年スタイル。アップ・トゥ・デイトなものをやりたかったんです。単なる企画ものでなく、ソロ・アルバムの中に組み込みたかった94年の音がしていないと意味がない。それにはこだわりましたね。」

-その区切りとはメロディ作家としての集大成を指すものなのでしょうか、または今後の決意表明なのでしょうか。

久石:
「今までの集大成であって、また吐き出すことによって新たな出発となるということですね。それが同じ方向か分からないけど、区切りは付けようとね。」

-久石さんのボーカルものとなると少し前の『冬の旅人』(「illusion」内収録)が思い出されますが。

久石:
「マズイ……(笑)。」

-ご自身で歌われたあの曲は別にして、ミニマルからメロディ指向に来て、それで今回のボーカルへと至る久石さんの流れはどう受け取れば良いのでしょうか。

久石:
「やっぱり過渡期なんですね、今の僕は。2年前の「My Lost City」というアルバムのときはピアノと弦だけですごいシンプルなものを作ったんです。ところが掘り下げちゃったんです。あの方向でやると次はピアノ・コンチャルトをやるしかない。でも僕は本来ポップス・ミュージシャンなんだから、そうするとポップスの道から逸脱しちゃう気がしたのね。だからそれをもう一回戻す作業が必要だったんです。まだ全然過程ですけどね。次は全部書き下ろしでやらなきゃいけないですよ。ただ自分は同時にピアニストでもあるから、もう少しピアノの世界を煮詰めたいとも思ってます。6年前に「Piano Stories」というのを出したんですけど、あの第2弾をきちんと作りたいなと。一つ目は作るのに3年かかったんですよ。つまりシンプルにやるってのはすごく難しいんですよ。今はピアノの腕も上がっていて、よりエモーショナルになっていると思うんですが、それを一番シンプルなメロディを歌わせるという原点に戻ることで、いいアルバムに仕上げたいと思うんですね。」

ーそういう姿勢というのはどういう意識から?

久石:
「やっぱり40過ぎて日本アカデミー賞を3回いただいたりしちゃうと、巨匠の道を歩み出すんですよ。だけどそれは絶対に嫌だし興味がない。むしろ変に先生と呼ばれるよりは15歳の女の子が歌う曲を真剣に書いて「よくやるよ」と言われる方が絶対カッコイイと思うんだよね。20代のころを思えばもとはマイナーだったし、そこに戻るには当然だと思ってる。」

 

絶対にすごい形で映画の世界へ戻ってきたい

-94年はTV中心の年だったという印象が強いのですが。

久石:
「正直言うと、ちょっと映画に苛立ったというのがありますね。ここ数年間たくさんの映画をやらせていただいて、本当に頑張ってきたんですよ。はっきり言っちゃいますけど、僕としての最大のフェイバリット・ムービーは「ソナチネ」なんですね。宮崎さんのは別格としてね。ああいうシンプルで感情を移入させない音楽を書くというような、そういうのをやってすごく勉強になった。一方で大林さんの「水の旅人」では3分40秒のシーンで60ヵ所も動きに合わせたりね。技術的にある種のピークまで行ったんじゃないかと思ってますよ。もちろんまだまだ勉強しなければならないことはあるんだけれども、今の日本映画にこれ以上付けても、この技術って意味ないなって、少し思ったんですね。例えば5億10億で作る映画に85人編成をぶつけても音量を下げられるだけで、何も返ってこない。映画自体の批判ではなくて、そういう状況的な問題ですよね。現実に94年の日本映画のラインナップを見て、「本気?」って思ったね。これなら自分の出番はないし、自分のソロ・アルバムの活動をやる時期じゃないのかなと思ったわけです。やっぱり「ナウシカ」から10年やってきて、映画を冷静に見る必要があるなというそんな気がしましたね。そこへTVも自然に入ってきたんですよ。」

-94年は「パラダイスロスト」という小説も出版されてますね。そんな活字での姿を含めて、一見休んでいるかに見える映画の世界に久石譲が次に戻ってきたときに、一体どのような形になって戻ってくるのかという期待があるのですが。

久石:
「あのね、絶対すごい形で戻りたいと思う。実は来年の映画を一本断ったんです。それだけの覚悟があるんです。それくらい映画が好きなんですよ。好きだからこそ、中途半端にやらない方がいいという気が今すごくしてる。次は少なくとも音楽の分野でここまでやれるということをしたいんですね。」

-それは具体的にはどういうことですか。刺激する何か特別なこと、例えば外国映画をやったりするとか……。

久石:
「それもあります。あるいはもう一回本の方ができたら、今度は映像になるような原作を書きたいよね。技術的なことなら僕はまず環境ビデオを作りたい。カメラが動かない映像で、でもあまり前衛的にならないような。例えば「Piano Stories」に映像を付けるという話もありますし。映像というのは多分95%以上技術だと思うのね。美術、音楽といった技術のプロが集まって一つのものに向かうじゃないですか。それを把握していないとダメですよね。外の分野から来た監督が失敗するのはそのせいです。そういうのを死ぬほど見てきているから映画に関して安易に自分が撮りたいとか、そういうことは一切言う気はないけども、自分が考えることを音楽だけで関わっていても厳しいかなとは思うときがあるんですよ。」

-それはつまり映画監督を……

久石:
「やりたいね、機会があったら。」

-では、そこへ行くまでの久石譲の映画音楽家としての機能は?

久石:
「分からないね。本当にいいものであるならやりたいよね。燃えるものを。」

-ではそれだけのものが来ない限り、映画音楽家、久石譲はないと?

久石:
「いやいや、そんな大げさなものじゃないんですけどね。ただあえて言うなら、もう僕らの時代は終わったということですね。僕を含めた僕より上の人は全部終わったと思ってほしい。音楽もそうですが、もう自分たちがいいと思ったものがそのままウケてた時代は終わったんです。それは何で感じたかというと、やっぱりたけしさんがああいうことになって表立った活動をしなくなったときに、ダウンタウンやtrf、ミスター・チルドレンなんかが出てきた。それで自分の基準イコール大衆であるという考えはなくなったのね。それを早く認めちゃうことによって、今度は勉強するんです。なぜtrfはウケるんだ、とか(笑)。映画の人たちは15歳の子が何を望んでいるのか、家に帰って子供と会話してみるところから始めないと変わんないじゃないかって(笑)。冷たい言い方ですけど。」

-では久石ファンにはどう伝えればいいのでしょうか。「久石譲は生まれ変わって帰ってくる」ですか?

久石:
「(笑)。そうですね、ちょっと充電期に入ったから、休んだ分だけ次はとんでもないことをやりたいですね。「地上の楽園」を3年かけて作ったときはやっぱり自分の中で吹っ切れたしね。そんな「地上の楽園」に匹敵するような映画を次はやりたい。あるいはそれを超えるものをね。」

-そういう気持ちの出発点がこの「メロディ・ブールバード」になると?

久石:
「そういうことにもなりますね。だといいと思います。」

ポップス・アルバムの装いをした映画音楽の提言、といえば言い過ぎか。しかし軽やかなリズムの中には、我々の想像をはるかに超えてヒットメイカーの異端児の部分が脈打っているようだ。いつの日か、新たに出てくるであろうニュー久石譲を迎えるために、この新作アルバムをしかと耳に入れておいてほしい。

(「キネマ旬報 1995年2月下旬号 No.1154」より)

 

久石譲 『MELODY BLVD』

1. I Believe In You (映画「水の旅人」より / あたなになら)
2. Hush (映画「魔女の宅急便」より / 木洩れ陽の路地)
3. Lonely Dreamer (映画「この愛の物語」より / 鳥のように)
4. Two of Us (映画「ふたり」より / 草の想い)
5. I Stand Alone (映画「はるか、ノスタルジィ」より / 追憶のX.T.C.)
6. Girl (CX系ドラマ「時をかける少女」より / メインテーマ)
7. Rosso Adriatico (映画「紅の豚」より / 真紅の翼)
8. Piano(Re-Mix) (NHK連続テレビ小説「ぴあの」より / ぴあの)
9. Here We Are (映画「青春デンデケデケデケ」より / 青春のモニュメント)

 

 

 

Blog. NHK FM 「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」 番組内容

Posted on 2018/01/21

1月2日放送 NHK FM「真冬の夜の偉人たち」、各界の著名人たちが自分が敬愛する音楽家について語り尽くすスペシャル番組です。4人が日替わりでパーソナリティを担当、初日に登場したのが久石譲、とりあげた偉人はベートーヴェン。自身が選曲したベートーヴェン交響曲の聴きどころや作曲家ならではの解説などボリューム満点の内容です。

 

NHK-FM『真冬の夜の偉人たち』
放送日:2018年1月2日(火)21:00-23:00
「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」
久石譲、黒崎めぐみ(NHKアナウンサー)

 

あまりにも聞き流したくない充実した内容だったので書き起こし(お勉強の時間です)。2時間たっぷりのプログラムで各交響曲から久石譲が選曲した楽章をノーカットでオンエア。合間にベートーヴェン話に濃く深く花が咲きます。

とても勉強になったしわかりやすい。先入観なく楽しめるグッとクラシックが身近に感じられる、音楽と解説によるベートーヴェンの世界。こういう聴き方もあるのかあ、と耳を傾けるきっかけになります。

ベートーヴェン話になると楽しく饒舌な久石譲でしたが、ベートーヴェン話の向こうに久石譲も透けて見えるような秘話。作曲家としてベートーヴェンのことを語っているようでもあり、自身のことを語っているようでもあり。結果、なかなかここまで掘り下げた内容は聞くことができないんじゃないかというくらい、作曲家久石譲の貴重な講義を拝聴している気分でした。

久石譲がいろいろな理由で選曲した演奏も、気になったものは早速チェック。全楽章聴くのが楽しみです。こうやって学びは楽しくなり、耳は喜び、音楽生活が豊かになっていく。常々、クラシック音楽の指揮もする久石さんはどんな演奏盤を聴いているんだろう?それぞれの演奏をどう捉えているんだろう?と興味津々だったので、少し知ることのできるいい機会に恵まれました。

音楽専門用語も顔をのぞかせ難しい箇所もありましたが、これでまた久石譲音楽の新しい聴き方にもつながってくるかもしれません。そんなヒントがいっぱいにつまっていたように思います。

 

 

以下、「」はありませんがすべて久石譲語りです。一言一句まるまる書き起こしではありません、予めご了承ください。

 

 

真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説~ベートーベン交響曲~ –

久石譲、黒崎めぐみ

 

この数年間、自分が一番聴いたあるいは譜面を見た作曲家というとベートーヴェンなんですね。長野市芸術館が新しく開館してそこの芸術監督をやっていまして、オープニングからベートーヴェン・ツィクルスのプログラムを組んで、2年半がかりで全曲演奏そしてCD化するというプロジェクトをやっています。交響曲第1番から始めてちょうど第6番まで終わったのかな、そんなこともあって一番身近でよく聴いているのがベートーヴェン、今回ベートーヴェンで特集していただこうかなと思いました。

すごく高邁な理想と下世話さが同居しているんですよ。高邁さだけだと扉の向う側ににある偉いもので終わってしまいますよね。でもベートーヴェンのなかには必ず一般の人にどううけるかというのをたえず意識しているんですよ。そこのところがすごくおもしろくて。突然下世話さが顔を出したり、瞬時にまた芸術的といいますか高邁になったりするんですよ。これが作曲家から見てるとおもしろくて仕方がないですよね。

 

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やっぱり第1番だと第1楽章を選びたい。これを書いたのがちょうど30歳ぐらいなんですよ。非常に脂が乗りきりだしたいい時期だと思うんですね。ヴァイオリン・ソナタ「春」、ピアノ・ソナタ「月光」、ピアノ・コンチェルト、これらも交響曲第1番・第2番を書いている時期じゃないでしょうかね。ただね、ちょっとこれに関して言うとまだ世間では習作時代、ハイドン、モーツァルトの影響が抜けないと言われちゃうんですが、僕ね作曲家の初期の作品大好きなんですよ。誰から影響を受けたというのも多少わかるけど、なんといっても最初に書くときが一番つらいんですよ。なかなか若い頃チャレンジするんだけどそんなにできない。そうするといろんな思いが詰め込まれちゃってるから。やっぱりいいですね、すごく新鮮です。

長野市芸術館をやるときに芸術館の顔がいるんじゃないかと。みんなが応援するときにホールは応援しませんよね。ちゃんと顔が見えたほうがいいねということでチェンバー・オーケストラを組織する、各オーケストラのコンサートマスターや首席奏者それから長野出身の演奏家を集めてつくったんです。

どちらかというとベートーヴェンやブラームスのようなドイツの音楽というのは、非常に大きいオーケストラで重厚にやるのが正しい、と日本ではわりとなってきています。ですが初演した当時くらいの小さい編成、チェンバー・オーケストラですから約40人くらい、そうするとこういうことがあるんですよ。大きいフル・オーケストラってダンプカー、曲がろうと思ってもハンドルを切ってからずうっと曲がってく感じでしょ。チェンバー・オーケストラってスポーツカーなんですよ。スピード感、切れ味そういうところが一番聴きどころですね。

 

♪「交響曲第1番 ハ長調 作品21 第1楽章 Adagio molto – Allegro con brio」
 /久石譲、ナガノ・チェンバー・オーケストラ

 

そうですね、自分の演奏はあまり聴かないんですけど、聴いてみると活きはいいですよね。重厚なドイツ音楽というよりはロックに通じるような感覚で、現代的な演奏をこのナガノ・チェンバー・オーケストラでは心がけていますね。

僕は映画音楽も書きますけども、ミニマル・ミュージックという現代音楽も作っています。これってかっちりとインテンポで弾かないと、いろんなフレーズが絡んじゃうから。クラシックの方はどうしてもフレーズで演奏しちゃうんですね、そうするとずれちゃうんですよ。だからオーケストラを指揮するときにいつも言っていることは「インテンポでね。16分音符なら16分音符そろえて」って、そういうことばかり言ってるわけ。それと同じように、ベートーヴェンを扱っていても譜面の構造がよく見えるようにするためには、あまり歌いすぎてぐちゃぐちゃにならない方向をどうしても選んじゃいますね。

 

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これはとてもきれいな曲なんですよ。この時期のベートーヴェンは耳がかなり聞こえなくなってきて、深刻で遺書まで書いたぐらいに状況は悪化しているんですが、この第2番はすごく明るい。ここがおもしろいんですよね。作曲家って生きていくなかでいろんなプレッシャーがあって落ち込んだり苦しんでるんですけど、それがイコール作った曲と一致しないんです。メンタル的に落ち込んでいることと、今作っている曲が始まっちゃうと、それはもうある線路に乗っかっちゃったようなもので、終着まで間違えないで作りつづけるんですね。途中からは自分が作ってるんじゃなくて作らされているという。つまりいくつか音符を置いていって、フレーズになっていろいろ作っていくと、もうそれ自体がひとつの機能で動き出しますから。僕も大概そうですね、辛い時に悲しい曲を書いてるかっていうとそうじゃないですね。その辺が作曲ということのおもしろいところでもあります。この時期ベートーヴェンはクロイツェル・ソナタ(ヴァイオリン・ソナタ第9番)も書いていますし、ピアノ・コンチェルト第3番も書いている。よく言われる「傑作の森」非常にいい時期に入っているそのちょうど入り口ぐらい。交響曲第3番ではじけるんですけど、その予兆はもう十分もっていますね。

古楽器奏法、ピリオド奏法(その時代の楽器を使ってその時代の弾き方で演奏する)というのがあるんですね。ビブラートを基本的にかけない。調弦もちょっと違うんですよ。今僕らがやっている平均律のラの音が441hzだ442hzだというのと比べてかなり低いんですよ、おっと半音ぐらい違わないかと思うくらいに低いんですね。だけど、古楽器でやる独特の良さがあってノリントンさんのこの演奏はとても好きですね。

 

♪「交響曲 第2番 ニ長調 作品36 第2楽章 Larghetto」
 /ロジャー・ノリントン、ザ・ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ

 

基本的にビブラートをかけない。そうすると音は正弦波に近くなるんですね、要するにあまり波形がぐちゃぐちゃにならない。音圧感とかそういうのはなくなるんですが、非常に透き通って遠くまで音がよく届くんですね。

 

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これは34歳のときに作曲されています。ここが難しいんですが「傑作の森」というのは第3番以降をさすケースもあるんです。というのは、作曲家って「はいここまでこれ、ここまでこれ」ってないんですよ。つまり新しい実験するんだけど、また前のスタイルに戻って、また行ったりとかしていくわけです。ですから、クロスしながらまだら模様でだんだんこう「あ、そういえば変わったなあ、おれは」みたいなそういう変更をしていくわけです。音楽の歴史というのは、行っては戻り行っては戻り、レ・ミゼラブルの行進みたいなもんですね、三歩進んで二歩下がる、ずっと行ったり来たりしながら作っていっている。

第3番は長い50分を超える。知り合いの人にも、だらだらしていて構成がよくわからん、飽きちゃうという人も結構います。ですが僕は第3番すごく好きなんですね。演奏するとき本当に皆さん遅いんですよ比較的に。でも実は第7番に通じるくらいに快活に演奏すると、すごく長さを感じないとてもいい雰囲気になる。ピアノ・ソナタ「ワルトシュタイン」を作ったり、トリプル・コンチェルト、ヴァイオリンとピアノとチェロそれとオーケストラ、そういうものを作っていて、一番なんかこうちょっと大曲志向の時期でもあったかもしれませんね。すごくおもしろいですこの辺は。

これもソナタ形式、大きく言うと三部形式なんですけども、16分音符の速いパッセージで、これもおもしろい勢いのある曲です。

 

♪「交響曲 第3番 変ホ長調「英雄」作品55 第3楽章 Scherzo」
 /久石譲、ナガノ・チェンバー・オーケストラ

 

第3番は特に第2楽章の「葬送行進曲」がすごく有名なんですけども、第3楽章も本当にすごくよくできている曲なのであえてこちらを選びました。

 

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これは36歳、第3番から2年後なんですけれども、すごく短期間で作ってるんですよ。1806年の6月くらいから始めて10月には終わっている。逆にいうと、変にひねくりまわしたところがなくてすごくストレートです。第4番は、もう第5番・第6番にいくだろうという芽は全部出てますね。

アイデアっていうのは、たとえば第3番書いているときに実はもう第4番・第5番のモチーフができていたりとかね、スケッチにあったりするんですね。作曲家のなかで浮かんだもので、そのモチーフが時期がきたら作品化している。ですから実際にその時期だけで作っているわけではないんですよね。作曲家でよく「構想10年」とかね、構想10年っていうのはね、思いついたのが10年前、で実際書くのは数ヶ月前(笑)。うん、それはやっぱり締め切りこないと誰も書かんから(笑)。だから、書こうかなー書こうかなーっていう時期が10年、実際は直前ですよ全員。こんなベートーヴェンの話してるときに、僕の話なんかしたくないですけども、20年前に作ろうと思ったやつがまだできてないのありますからね。機が熟したらとも思うし、まあいっかこれはみたいな(笑)このまま終わり、とかね。ただそういう芽が出たこと、着想が浮かんだっていうのは絶対に忘れないですよね。忘れないです、うん。

これは今もっとも僕が好きな指揮者です。今NHK交響楽団の首席指揮者でやってますね、すばらしいですね。というのは、アプローチがまずリズムをきちんと整理するところからおやりになる。非常に現代的なリズムの捉え方をされるんです。ですからこの第4番なんかは、たぶん今市販されているCD、あるいは演奏で聴けるなかでは最も速いかもしれません。ですがちゃんときちんとフレーズが作られているし、すばらしいですね。

 

♪「交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 第4楽章 Allegro ma non troppo」
 /パーヴォ・ヤルヴィ、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

 

すごいですね、速いですね(笑)。単に速いだけじゃなくて、ちゃんと歌ってるんですよね。ドイツ・カンマーって歴史があるオケですからほんとうまいですよね。こういう演奏を聴くと、あまり日頃クラシックを聴かれない方でも、あっ聴いてみようって思うんじゃないでしょうかね。先入観で聴かなくなっちゃってるよりは、もう「ロック・ザ・ベートーヴェン」ってナガノではそういうふうにわざと言ってるんですけどね、なんかそのくらい身近でいい、もっと気楽に聴いて楽しめる音楽ですよ、って言いたくなりますよね。

 

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第1番から第4番まで聴いてきて、そんなに重い曲ではないと皆さんにもわかっていただけるかなと思うんですが。もうひとつ片側に非常にシンプルな、メロディー・メーカーとしてのベートーヴェンもいるわけですよね。この辺で、ちょっと休憩モードで聴かれたらどうでしょうか。

 

♪「エリーゼのために」
 /アンヌ・ケフェレック

 

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第5番はちょうど第4番から2年後、だいたいだからコンスタントに書いてますよね、38歳のときに書いてます。この次の第6番「田園」とほとんど同時に作ってるんですね。この同時というのは実はミソで、それは後ほど第6番のときに説明します。

第5番といえば誰でも知ってるしほんとに有名な曲ではあるんですが、僕は今までやってきたなかで一回もうまくいかない。難しい、ほんとにイヤですねこれ。よく指揮者の方々は第1番から第9番のなかでどれが一番難しいかっていう話になるんですけども、皆さん共通して言うのが第6番なんですね、第6番が難しいと。第5番もみんな緊張します。なんでかっていうと、この出だし「ダダダダーン」をどう扱うか、これによって第5番の性格が変わってしまうんですよ、第4楽章まで。ですから出だしの一瞬勝負、なんですよ。

というわけで、今日はいろんな人のタイプを聴いてみて、違いをわかってもらうとおもしろいかなあと思いまして、何人かの演奏を用意しています。

 

♭第5番 第1楽章 冒頭部分 聴き比べ

・ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

これ重々しいでしょ。いかにもドイツだぞっていう重厚感あふれる。フルトヴェングラーはカラヤンの前のベルリン・フィル常任指揮者で非常に優れた方です。

・パーヴォ・ヤルヴィ、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

ずいぶん現代的になりますよね。演奏してると「タタタターン」と弦を伸ばしますね。弓を返していくか、ワン・ボウイングでひとつでいっちゃうかというのがあるわけですね。(伸ばす音符が)長い人だとひっぱれないので弓を返さないといけないんです。返すというのはアップ・ダウンで弓が行ってまた戻ってくる。だけどこのクラス、現代になると行って来いしないでいいんですね。「ダダダダーン」をワン・ボウイングでいけてしまう。わりと新しい方はみんなあまりひっぱりません。

・ロジャー・ノリントン、ザ・ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ

「運命が戸を叩く」とか言って「ダダダダーン」とみんな思い入れするんですけど、この人なにもないですよね。

 

これだけでもアプローチがみんな違う。この入口を間違えるとあとが非常に苦しくなってしまうんですね。第1楽章と第4楽章、これが皆さんよく言う「苦悩から歓喜」あるいは「闘争から勝利」そういう図式の典型的な例で、いわゆる第5番に象徴されるスタイルが例えばマーラーの交響曲第5番、ショスタコーヴィチの交響曲第5番、みんな「5」が付いちゃいますね、「5」っていうのはそういう運命なんですかね(笑)。もっとも先駆的で典型的な例であると。

ある種僕らのやってるミニマル・ミュージックと同じくらいに、「タタタタン」という要素だけで第1楽章作っているわけです。こんなのありえないですよ、ほんとありえない。よくここまで要素を削りに削って単一要素で、もちろん第2テーマとかもありますが基本的にはこの要素で押し切った、この辺がもう究極。だから究極すぎるので、演奏で自分のカラーを出そうと思うのが非常に苦しいんですよ。そうすると今言った冒頭の「ダダダダーン」の扱いで実はすべて決まってしまう。そこが第5番の最も難しいところなんじゃないでしょうかね。

この時代の音楽というのは調性音楽なんですね。長調と短調というふたつの性格の、長三和音・短三和音です。一番最初は単旋律の音楽、バロック時代は旋律が複数になってくる。この段階でもそんなにハーモニーという意識ではない。ところがバッハ以降になってくると長音階・短音階、いろんな旋法が集約されてこのふたつにほぼ集約されてくる。そうすると、ここで何が起こるかというと感情の表現なんです。明るい・暗いというのがあります。それがもうちょっと複雑になってくると「悲しみから喜び、苦悩から歓喜」と。そういう表現にメロディ、ハーモニー、リズムという音楽の三要素が非常にくっきりと役割がわかれた音楽なんですね。これは後期ロマン派までつづきます。そのなかのいわば感情表現、あるいはプラス論理的構造のピークがこの第5番なんでしょうね。

カルロス・クライバーというのは僕のマイフェイバリット指揮者で。よくコンサートやると言ってはキャンセルばかりして。観客もまた出ないんだろうなあと思うけど買っときたいというくらいにカリスマ的な指揮者ですね。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで彼が振ったときなんかも、ふてぶてしいんですよ。ポケットに手突っ込んだまま振ってますからね。でもそれがめちゃくちゃかっこいいんです。決めるところはめちゃくちゃ決めます。彼はいっぱい曲を演奏しないんですよ、限られた曲以外は振らないんですね。特に彼は第7番と第4番が得意なんですが、第5番もとてもいい演奏しています。

 

♪「交響曲 第5番 ハ短調「運命」作品67 第1楽章 Allegro con brio」
 /カルロス・クライバー、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

今回選んでいるなかでは、唯一いかにもドイツ音楽のように厚いオーケストラですね。ただこのカルロス・クライバーのアプローチというのは、彼にしかできないひらめきみたいなものがあって。これはもう永遠の生命といいますかね、なんかそういう感じがして僕はとても好きなんです。

 

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これは「田園」として有名で、第5番とほぼ同時期に作っています。(順番が)逆だっていう説もある。作曲家のおもしろいところで、同時期にまったく違う性格のものを書いているんですね。どちらかというと「田園」は情景描写が出てきたりします。なんでこういうことが起きるかというのを、学者ではないので個人的な意見で言いますとね、世の流行を無視できない。この時期もうロマン派という新しい指向の音楽も出てきています。先ほども言ったように時代がぱつっぱつっと切れるんではなくて、何人かはもっと新しい手法をとったりしている。世の流行にベートーヴェンも非常に敏感だったわけですね。情景描写、ロマン派のスタイル、古典派からロマン派何が違うかというと、単純に言ってしまうと文学が入ってくるんです。純粋な器楽曲を書いていますとね、どうしてもソナタ形式とかテーマを提示してそれをああだこうだいじくりまわしてもう一回くり返してハイ終わりというスタイルで。それを突き詰めていっちゃうと、もうやることなくなっちゃうんですね。あとから出てくる作曲家はなんにもすることがない。そのときに新しい方法として文学ですね、文学的な表現をあるいはストーリーを音楽で表現していくという。たとえば「中央アジアの草原にて」みたいに、遠くから来たのが傍まで来て遠ざかるとかね。リヒャルト・シュトラウスのように、アルプスの一日を表現する(「アルプス交響曲」)とかね。つまり文学的な表現を借りることで、ソナタ形式とか今まで使われてきた形式から脱却したい。観客が実はそれをすごく喜んでたわけだ、当時の客は。それに対してベートーヴェンも敏感だった。だから自分もやりたい。第5番で非常に突き詰めた純音楽のピークのような、切り詰めた「タタタターン」をやった。同時にそういうアプローチを自分でやりたい、それがちょうどこの第6番。ですから全9交響曲のうち第6番だけ第5楽章があったりとかね、ちょっと性格が違うんですね。

第6番は先ほども言ったように、いろんな指揮者の方が演奏一番しづらいと。しづらい理由というのは、情景「小川のほとり」とかあまり変化しないんですよ。第1楽章なんかも「タンタラランタン、タンタラランタン」とずうっと同じことやって8小節いくとまた今度セカンド・ヴァイオリンがやってとか、第1から第2にいってとかね、だけど同じなんですね。ですからみんななんとか「クレッシェンドだ」とか「アッチェル(ランド)だ」とかいろんなことやるんですよ。だけど僕はミニマル・ミュージックというのをやっていて、同じ音型のくり返し超得意ですから(笑)。だから「タンタラランタン、タンタラランタン」短いなあ、もう3分くらい僕はやってるぞみたいなね。そういう気持ちで臨んでるから、変にアプローチかけなかった、譜面どおり淡々と演奏したんですよ。そうするとすごくいいんです。なんかじわーっとゆったり動いて。だからいろんな指揮者の人が、第6番一番難しいって言ってるんだけど、それはなんとかしようとするから難しいんで、なんにもしないと決めると僕にとってはやりやすかったですね。

そのことは置いといて、第6番の最大の特徴というと情景描写になりますので、選んだのは第4楽章の「嵐」のところです。これが一番ほかと違うというのが見えると思います。正直言ってこの辺は誰が演奏してもあまり変わらないということもあって、まあ一番安定しているのを選びました。

 

♪「交響曲 第6番 ヘ長調「田園」作品68 第4楽章 Allegro」
 /サイモン・ラトル、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

この時期は「歌劇フィデリオ」など劇的なものを作曲していた時期。ピアノ・コンチェルト第5番「皇帝」を作った時期でもあります。ですからいろんな意味で劇的な要素というのが彼のなかで一番強かった時期なんじゃないでしょうか。

作曲家ってやっぱり基本的に「昨日と同じ自分」でありたくないんですよね。同時に人がやったようなことじゃないことをやりたいと。新しい流行りのものが出てくる、それを多(or 単)に取り入れるんじゃなくて、無視してたら自分は過去に置いておかれてしまいます。そうすると、それを自分なりに消化したいという意欲もたえずありますね。たぶんそういうようないろんな思いで、第6番は彼にとっては最大のチャレンジだったんだと思います。第2楽章は本当にきれいですし素晴らしいし、第5楽章は天国的な美しさ、あれも素晴らしいですからね。味わい深いというか、非常にベートーヴェンらしい気質が出た交響曲ですね。

 

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たとえば日本ですと「運命」という言葉が付いているから第5番が一番有名になります。が、海外ですと第7番が一番有名です。日本では「のだめカンタービレ」でも使われたりもして、もっとも明るくてわかりやすい。要するに全楽章ほぼリズムをベースにしていますので、非常にとっつきやすいと言いますかね、わかりやすいし明るいし。そういう意味では、一番ベートーヴェンの明るさそういういろんなところが出てますね。

第2楽章がとても有名なところなので、ここをしっかり皆さんに聴いていただこうかなと思います。

 

♪「交響曲 第7番 イ長調 作品92 第2楽章 Allegretto」
 /ロジャー・ノリントン、ザ・ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ

 

これちょっとピッチが低いですよね。やっぱり古楽器を使っているせいでしょうかね。ある種の素朴さと。逆に古楽器の演奏が古いわけじゃないんですよ。ワーグナーの影響以降の巨大化したオーケストラで大袈裟になった表現を、もう一回非常にフラットに戻す、逆にいうともっと自由自在にやるんですね。古楽器奏法を譜面どおりきちきちと弾くと、実は音楽にあまりならないんですよ。パサパサっていうか、なんていうんでしょうかね。だから、失礼な言い方なんですけどわりと日本人の演奏家の方たちで、古楽奏法をやってらっしゃる団体はいいんだけど、普通のオーケストラがピリオド奏法を真似てやると、ほんとに「あらまあ」っていう演奏になりがちなんですね。

彼(ノリントン)なんかは自由自在ですよね。彼学者でもありますからすごく音楽詳しいので、突飛なことしてるわけではなくてこういう解釈もあるというのを見事に出されますね。

 

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音楽学者ではないので詳しくはないんだけれど、第8番のほうが早くできていた可能性があります。両方とも同じ日に同時演奏しているんですよ。倍管といいまして、フルート、オーボエ、クラリネットが2本ずつなんですけど、これを4本ずつにして、弦も第1ヴァイオリンで18人、20人、初演のときは大編成でやっているんですね。だんだんやっぱり時代で素朴なものよりは、ちょっとコテコテな観客にうけるスタイルが流行りだしたんでしょうね。なので初演のときは倍管で演奏しています。第8番に関していうと、9曲あるシンフォニーのなかでもっともシンプルなんです。余計なことをしてなくて、逆にいうと最もベートーヴェンらしい良さが出ている。わりと「はい第1テーマ、はい第2テーマ、はい終わり、展開部」みたいにさっぱりしてるぐらいに扱ってるんですが、その分だけ本質がよく出ている。

今日聴いていただく第2楽章も、ほんとにこんなにシンプルなものはないんじゃないかっていうぐらいにシンプルに作ってますね。僕が第2楽章を選んだ理由というのは、メトロノームの考案者のメルツェルさんという人がいたんですね。その人に贈った「親愛なるメルツェルさん」という曲があって、そのテーマを使って書いているんですよ。このメルツェルさんというのは結構くせ者で、実際にメトロノームを作ったのは彼じゃないらしいんですよ。大量生産してシェアを占める、商売人と言ったほうがいいんじゃないかっていう。当時の作曲家って非常に重要なことがひとつあって、今みたいにお金を得る方法がCDとかないんですよ。コンサートに行かないと無理なわけですね、音楽聴くためには。コンサートだけの収入で食べていけるかっていうといけないので、譜面の出版がいわゆる今のCDやなんかと同じ扱いになってくるわけですね。譜面の出版が非常に重要視される。同時にもうひとつの収入源は、新しい楽器の開発をしたときにみんな持ち込んでくるわけです。その楽器を広める役割を、スポークスマンをやるわけですね。だからベートーヴェンのシンフォニーで、なぜ1番のホルンではなくて4番ホルンや3番ホルンが活躍するか。新しいホルンが持ち込まれて、ピストンホルンというかいろいろいっぱいできるんですね。各地にあるオーケストラの首席の人たちはそんなのは吹いてないわけです。新曲を書いて持ち回っていろんな土地で公演する。4番ホルンだけ連れて行くわけです。それでできるっていう、そういうのもあるわけです。この場合も、メルツェルさんがメトロノームを普及するためには、どうしてもベートーヴェンという偉大な名前、有名な名前がほしい。彼が使う、イコール広まる。たぶんそういう役割をベートーヴェンもやっていて、もちろん純粋に音楽的にもこれは重要だと認識されたこと。あともうひとつは経済的な理由で、ベートーヴェンはこのメルツェルさんを重要視したらしい。これ音楽学者に間違ってたらごめんなさいといううえでの僕の解説です。

わりと第8番とか第2番とかなかなか演奏できないんですよね。コンサートでいいますと、後半のメインに置くにしては短い、前半でやるにしては重い。というわけで比較的取り上げづらいんです、第2番、第8番、第4番とかね。ですが、プロのオーケストラのプレーヤーも第8番はやりたくて仕方がないという人大勢います。

(第8番 2月公演に向けて)今ちょうどその深い森に入っているところなんで。シンプルなんだけど、実は第4楽章とかは異常に難しいです。シンプルであるということが楽だということではないんですよ。だからこそ、ちょっとした違いをきちんと消化できないとボロボロになっちゃうんですね。だから今ちょうど格闘の真っ最中です。

 

♪「交響曲 第8番 ヘ長調 作品93 第2楽章 Allegretto scherzando」
 /パーヴォ・ヤルヴィ、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

 

これは演奏するのは大変ですね。このぐらいシンプルだと、誰か飛び出したりするとえらく大変だし、あぁちょっと緊張するなあなんていう感じがします。第8番全編を通して明るいんですね。明るいんですが、この時ベートーヴェンの甥カールの親権問題だとかね、非常に精神的にはきつくなってる時期なんですよ。でも明るい、さっきの第2番と一緒で、でも明るいんですよね。ものをつくるっていうことの深さを感じますね。

 

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これはね、演奏しないとわかんないよっていうところがあります。というのは、作曲家の人たちは第9番は破綻したシンフォニーと皆さんおっしゃいます。僕もそう思ってました。なぜかというと、第1楽章から第3楽章までの非常にクオリティの高い無駄のないきっちり書いてきた、最晩年のほんとにすごいシンフォニーだなと。ところが、第4楽章になるといきなりコーラスが入って、まったく作曲のスタイルが違うと。というわけで、バランスの悪い曲だなあとわりと作曲家の人は皆さんおっしゃいますね。僕もそう思ってました。ところが演奏すると逆なんですよ。もうね第4楽章始まってから、マリオブラザーズですね。一面クリア、二面クリア、さあトルコマーチや、さあこっからフーガやど、みたいなね。すごくやっててこんなに興奮するものないですね。

僕の解釈ですと、本人困ったんだと思います。第3楽章までこんなに書いちゃうと、これ絶対うけないというか重いよこれ、なんかしなきゃなと。なんかないか新しい方法ということで、実はこの時期第10番も書こうとしてたし、それからコーラス使った曲も書こうとしていた。そのアイデアが転用されてコーラスを入れたわけですね。それまでにシンフォニーにコーラスを入れた例がないんですよ。彼が初めてそれをやった。要するに、楽器としてもっと新しい音ないかというなかでコーラスに行き着いた。これでいくことによってこの長大なシンフォニーが観客ともちゃんとうけるんじゃないかと、そういうことを考えてコーラスを入れた。しかし本人は作曲家だから当然よくわかっている。合わない、1.2.3.から4.は合わんと、絶対合わんと。それで彼が考えた手というのがオペラチックな手です。第4楽章の冒頭で各楽章のテーマを出しつつ、いやこれは違う、違う違う、これも違う、第1楽章から第3楽章を順番に出しては違うとやって、(第4楽章のテーマ)「タラリララララ~」あっ、これだ!といって始まりますね。これって、1.2.3.と4.が全く違うから言い訳、変な言い方だけど言い訳というかつなぎ。これをやらないと納得できないだろうと観客は。

それでね、いわゆるオペラ的な手法を導入することで、1.2.3.と4.をつなげると。典型的な非常におもしろい演奏というかすごい演奏しているのがあるんですよ。これは日本人が聴く第九とはまったく違うんですね。ロジャー・ノリントンさんの演奏があるんですけど、ちょっと冒頭部分聴いてみませんか。

♭冒頭部分
「交響曲 第9番 ニ短調「合唱」作品125 第4楽章」
ロジャー・ノリントン、ザ・ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ

変わってるでしょ。大概はねすごく重く演奏するんですよ、でもこの軽さ。20年以上眠っていた、初演されたあと第九ってまったく演奏されなかったんですよ。その時にパリでこの曲を演奏したフランス人がいるんですね。それをワーグナーとかベルリオーズは聴きに行っているわけです。その時、第4楽章のコーラスができないと第4楽章をカットして、第1楽章、第3楽章、第2楽章で占めるという演奏でやってたんですね。それを聴いたワーグナーやベルリオーズは感銘を受けて、どうしてもこれを演奏すると。それでワーグナーは商売人というかすごい人ですから、第九をつくる環境をつくったわけですね。ただ同時に彼は作曲家なんで、当時は著作権概念がないからどんどん書き変えちゃうわけですよ。要するに第九を自分の楽劇と同じスタイルに変えたわけです。楽器は加えるはいろいろして、冒頭はギリシャの王様、自分の楽劇に出てくるようなギリシャの王様が出てくるように始めちゃったわけですよ。これがずっと20世紀になっても尾を引いてて、みんなこのスタイルできているわけです。

だけどさっき説明したように、冒頭でやってる人っていうのは基本的にベートーヴェンなんですよね。本人なんです、これ違う、あれ違うって。ギリシャの王様じゃないんだよコラっ、て僕はいつも言ってるわけ。だけどどうしてもやっぱり何回か第九を演奏しましたけれども、どうしても抜けないわけですよ。いやそうじゃない、ベートーヴェンだから、もっとせかせかせかせかして、これ違うあれ違う、これだ!あっこれいいっ!、ってもっと軽くやろうと言ってるんだけどなかなかうまくいかないんだなあ。このノリントンさんのノリというのがその感じなわけですよね。僕の解釈だとこれが正しい。作曲家本人でなきゃいけない。というのがあって、ちょっとこれを聴いてもらうとどうかなあと思いました。

頭のオーケストラの部分が長いところはちょっとカットして、ちょうどバリトンといいますかバスといいますか、入るところから聴いてもらえるといいかなと思います。

 

♪「交響曲第9番ニ短調「合唱」作品125第4楽章」
 /クラウディオ・アバド、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 

なぜか日本では12月です。ただ、僕は前に台湾で5月に第九やったことがあるんですね。すごくいいんですよ、爽やかで。ですから12月だけではなくて、一年中それぞれのシーズンでこれを聴いてもものすごく楽しいと思います。

(ベートーヴェンとは)冒頭でも言いましたけれども、非常に高邁な理念と非常に大衆的な下世話さと、両方あわせもつという、ものをつくる人間にとっての本当の手本。非常にクリアな明快なコンセプトでつくる、そういう意味ではやはり金字塔といいますか一番の頂点の人であって。やはり音楽をつくることを目指す人間は、ベートーヴェンという存在を意識しながらやってくべきではないかと、そういうふうに思っています。

(長野市芸術館で)ちょうど2月に第7番と第8番、夏に第九を演奏することでこのツィクルスをやっと完了します。(2018年予定は)このベートーヴェン・ツィクルスのほかに、去年の6月にやったスタジオジブリの映像付きコンサート、これも結構世界各地でやったりとか、それから夏のワールド・ドリーム・オーケストラとかね、コンサートが結構多くなりました。

ありがとうございました。

 

(NHK FM 「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」 より 書き起こし)

 

 

 

補足です。

「第九」に関する同旨の久石譲解説は、「久石譲 第九スペシャル 2015」コンサートのプログラム・ノートでも語られています。興味のある人はぜひご覧ください。

 

 

2018年7月開催予定「久石譲、ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回定期演奏会」で演奏される第九はベーレンライター版と別機会にひと言語られていました。第九の楽譜は大きくブライトコプフ版とベーレンライター版とあって、これまでの久石譲演奏会では前者だったということですね。

ブライトコプフ版(1864年刊行)、ベーレンライター版(1996年刊行)ということで、過去の多くの演奏は前者の楽譜版。ブライトコプフ版は校正の段階でオリジナルと違うかたちに仕上げてしまった箇所があると。そこへベートーヴェンの自筆スコアやオリジナル資料を洗い出し、真にベートーヴェンが意図した楽譜をよみがえらせようとしたのがベーレンライター版。これまでの「第九」の印象を大きく覆すほどのインパクトがあったそうです。もちろんベーレンライター版が決定版というわけではなく、今でも研究はつづいているようですが、刊行以降の演奏会やCD作品などはベーレンライター版が増えてきているそうです。深すぎる世界。

いろいろと調べていると、このラジオ番組「真冬の夜の偉人たち」で紹介された第9番の演奏もベーレンライター版ではないかなあと思います。アバド指揮もノリントン指揮も、確実ではないですが。

CD作品ってなかなか「◯◯版使用」とか、どの楽譜版を使っているそんな情報まではわからないことが多いです。ブライトコプフ版とベーレンライター版の違いを聴き比べてみたいと思っても、簡単な手引きはありません。1950~1980年代録音の名盤と、番組で紹介された指揮者による名盤やわりと新しく録音されたCD盤とで気になったものとを聴き比べてみる。はたまた久石譲の7月演奏会およびそのCD作品化で聴き比べてみる。もちろんそこには版の違いからくるものではない、指揮者・オーケストラのアプローチの違いによる印象の差は大きいです。ブライトコプフ版とベーレンライター版の差異も、パート楽器から指示表記や楽譜記号など多岐に及ぶようです。楽譜版の違いを聴くだけで読み解こうとするのは非常に難しい。「ギリシャの王様」か「ベートーヴェン本人」か、この印象の違いくらいはわかるように聴き分けてみたいですね。深すぎる世界。でも楽しみです。

こんなことに興味をもって想いめぐらせてみると、クラシック音楽も「過去のすでに出来上がったもの」というものではないんだなと思います。時代を遡って忠実に再現しようとすることも、新しい解釈で表現しようとすることも、結果いまこの時代と過去をつないでいる証のような気がしてきます。だからこそ今も演奏する価値があり、今も観客に愛されつづけている。感動の再現と感動の発掘ですね。

 

 

 

Blog. 「ダカーポ 422号 1999.6.2 号」鈴木光司×久石譲 対談内容

Posted on 2018/01/19

小説が大ヒットし映画化も大ヒットした「リング」「らせん」で知られる人気作家鈴木光司と久石譲による対談です。

雑誌「ダカーポ」(1999)にて企画されたもので、その後「鈴木光司対談集 天才たちのDNA―才能の謎に迫る」(2001)として書籍化されました。糸井重里、いっこく堂、秋元康、俵万智、柳美里、村治佳織、立川志らく、横尾忠則ら26人のゲストを迎え、落語家、ピアニスト、レーサー、棋士、歌人、能楽師、映画監督、脳機能学者といった、さまざまな分野のスペシャリストたちとの対談を集めたものです。

この対談とても長く、宮崎駿監督や北野武監督とのエピソードなど話は多岐にわかります。異分野の作家同士の共鳴するお話はとても奥が深く興味が尽きません。ふせんやマーカーがあったらいくつチェックしても足りないくらいです。

 

 

ぽっと何か浮かぶ。すると、「これなんだ、これで行ける!」と

鈴木:
「小説でも、僕はたとえば太宰の小説は引き込まれるんですよ。ひかれるものがあるんです。圧倒的におもしろいストーリーでもないんだけど、いまの世代の人が読んでも、やっぱりひかれてしまう。だからと言って、ベストセラーになっている小説を分析して、ベストセラーを書こうとして、絶対に成り立たない世界。人の心をとらえる名曲というのはどういう瞬間に生まれるのか、とても興味があります。」

久石:
「名曲と言われる音楽って、伴奏を付けないで歌っても音楽的なんですよ。いい音楽って、みんなそうなんです。まず、だいたいの場合ですけど、シンプルです。メロディーがものすごいシンプル。たとえば『上を向いて歩こう』でいえば、あれは5音階なんですよ。ドドレミドラソという。普通で言うと、「わ、ださい」という典型のメロディーなんです。文部省唱歌と全然変わっていないんですよ。ところがそれが全然、日本風じゃないんですよ。」

鈴木:
「日本風じゃない?」

久石:
「中村八大さんというジャズピアニストが作曲者です。当時もあれに関しては、一歩間違えば演歌になるそうなところを、ジャズコードを使っていて、通常のああいうものと比べたら、しゃれていたんです。その辺の、計算でできるものではないミスマッチというもので、単に童謡にならなかった。五音階って逆に言うと、アメリカの人たちには慣れ親しんだものではないから、その辺の新鮮さもすごくあって、アメリカでもヒットした。」

鈴木:
「唯一あの曲くらいですよね、日本の歌でアメリカでヒットしたのは。」

久石:
「その核が分かれば、もの作りは楽なんですけどね。さっきの太宰の話にしても、読み始めたときに、そこにはっきりした世界観があれば、たとえば興味のある話ではなくても入って行っちゃいますよね。それが嘘じゃないと、そのまま行けるし、ものを作るときの虚構性って、そういうのすごく強いんですよね。」

鈴木:
「たとえば太宰の小説をアメリカ人が読んでひかれるかな、というのは、ちょっと分からないんですよね。音楽の場合は、地球規模のものがあると思うんですよね。たとえば日本人の心はつかむけど、アメリカ人の心はつかまない音楽と言うより、音楽は言葉の壁を乗り越えた、全世界的なものですよね。」

久石:
「言葉の問題はあると思うんですけど、本来は、インターナショナルを狙うという発想は違うんですよね。ある意味では超ドメスティックにやることで、どこまでも掘り下げていき、深いところで理解すると、それが結果、インターナショナルになる。だからその辺が、たとえば今度の北野さんの映画(『菊次郎の夏』。この対談は99年4月に収録)でも、あれは絶対日本の空間でしか成立しない話なのに、外国の観客にもかえって分かり合えたというところがありますよ。」

鈴木:
「アメリカでこういう映画受けているから、似た映画を作ったとしたら、日本人の観客の心すらつかめないものができてしまいますよね。」

~中略~

鈴木:
「映像を見て、音楽を載せるという作業について聞きたいんですが。映画を見ながら考えるんですか?」

久石:
「一番最初は、台本をいただいて、台本の段階で、本当は70%は作曲が終わっていなくてはいけないんですよ。結局その台本をもとに監督さんはお撮りになり、いろんな人たちがものを考えていく。まずそこに何がいいたいかというのは確実にあるはずだから、そのテーマに即して考えていくんですよ。そうすると、たとえば一見恋愛ドラマ風になっているけれど、実は社会ドラマだっりすると、ラブシーンはあまり甘い音楽を付けない方がいい、もしかしたら音楽をはずした方がいいとか。さらにそのテーマが浮かび上がるように、僕なんかは全体設計する。その次に重要なのは、それぞれの演出家の方の画面のテンポがある。それは歩くだけでも、非常に遅くする方と速い方と、あるんですね。その画面のリズム感みたいなものをつかむのは、もう一つ重要です。そうすると、つかんでしまえば、自分が書いた音楽を、このシーンに合わせようとしなくても、合ってしまうんです。それはその演出家のテンポを分かったときですよね。その2つが重要だと思います。」

久石:
「もう一つ、昔やった『天空の城ラピュタ』がアメリカで英語で公開されるんです。ディズニーで公開するんですけど、ディズニーの常識でいうと、アニメーションというのは1時間40分なんですよ。ところがあれば2時間4分です。しかもあまり音楽の量が多くない。日本の映画はアニメーションを含めて、みんなそうで、音楽の量が多くないんですよ。ところがアメリカは全編に入れるんです。もう10何年前の映画だから、新たに音楽を足してくれと言われてもできないし、性格的にもオール・オア・ナッシングなところがあるから、いま全部作り替えているんですよ。来月の頭にアメリカのシアトル交響楽団というところで、録るんですよ。これはいままで自分がやってきた映画のスタンスと全然違うんです。アメリカは過剰情報量の世界だから、誰々のテーマというのがあって、何かが出てくるとそのテーマを流すんです。基本スタイルが本当に劇の伴奏なんです。僕はそういうやり方、基本的に嫌いだし宮崎さんの作品に関しても、これが我々の決定稿であるというオリジナルがちゃんとあるわけです。でも今回、もしやるのであれば、まったく違うもの、あえてハリウッドスタイルでやろうかということで。鈴木さんの『バースディ』みたいなものですよ。『こういうのもあるだろう』というスタイルで作っている。映画音楽の作り方って、いろんな考え方があるんですよ。僕にとってそれは、作者の意図がどう伝わるかということに貢献していくということです。」

鈴木:
「僕も芝居に音楽を付けていた時代があるんですよ。大昔のことですけど、やっぱりその時に非常に気になったのは、演出家が役者に与えるテンポなんです。テンポがちょっとずれていると、芝居はやりにくくなってしまいますよね。映画の場合は演技は終わっていますけど。本来はシナリオの段階で音楽がある方がよろしいとしても、だいたい映像ができてから考えるわけですよね。」

久石:
「大体、真剣にシナリオを読んだときに、メロディーが浮かぶケースが多いんですよ。」

鈴木:
「自然に?」

久石:
「そう、無理やりじゃなく。そうすると、台本の裏に5本線を引いて、でだしのフレーズとか、頭に浮かんだメロディーを書いておくんですよ。それで、そのまま忘れてしまうんですね。それで監督とラッシュ見ながら、どうしよう、こうしようといって、監督の意図とかが分かってきたときに、意外に一番最初に書いたそれがいいケースって、結構あるんですよ。京都の映画だったら、帰りの新幹線の中でふっと浮かんで書いたヤツとか。そういうのがすっと出るときというのは、逆に言えばいい状態になりますね。映画って、やっぱり、2時間くらいありますけど、僕らが実際に音楽をつけるのは50分前後ですかね。だから50分の音楽を書いているんですけど、核になるのは一つなんですよ。それがメインテーマだったりする。その切り口が一つ、きちんとはまれば、後はある程度技術で作れてしまう。重要なのは、新鮮なネタだったり……ネタというのは何といえばいいんでしょうかね。たとえば小説家が小説を作ると思ったときに、一番基本の動機みたいなところ、あるいはシーンだったりするかもしれません。それと同じようなところが音楽家もあって、ぽっと浮かんできたとき、あるいは頭ですごく考えて作っても、結果的に据わりが悪い時ってあるんですよ。どんなにゴテゴテにアレンジしても、最後まで寄り添えないぞ、という時もあります。」

鈴木:
「基本になる核というのは、1本の映画だったりすると、1つですか?」

久石:
「1つだと思います。それがあるから副次的なテーマだとか出てくる。」

鈴木:
「バリエーションみたいに?」

久石:
「出てきますよね。それはやっぱり、台本がしっかりしていないと難しいですよね。」

鈴木:
「それは小説にとってのテーマということになると思うんです。小説の場合、長編だったりすると、テーマは1つなんです。それでこのシーンを描きたい、この心情だけはどうしても描きたいというのが5、6個は絶対にほしんですよ。テーマから派生した感じになると思うんですけど、このテーマはたぶん強調するシーンであるとか、人間と人間とのつながりとか、これだけは書きたいというのがあるとうまくいく。それは論理とか、考えた結果出てくるものではないんです。自然に出ないとまずいんです。」

久石:
「ドラマって構造が基本的には対立じゃないですか。主人公がいたら、それと対峙する人間とか。音楽もそれがすごくあって、メインテーマにすごくきれいなものを書いてしまったときは、それに対立するメロディーって別にいるんですよね。つまり、これを際立たせるためにもう一つ、というのはありますね。それは映画2時間の中で沈黙、音楽をつけない場所を作るのも仕事のうちですから。それをどう構成していくかという時には、音楽自体には非常にドラマチックな構成が要求されますね。昔、ソナタ形式というのがあって、モーツァルトからベートーヴェン、全部そうなんですけど、Aテーマがある、すると必ずそれとは正反対のBテーマがある。第二主題というんですけど、それが絡んでいって、展開部があって、もう1回再現されている。だから音楽の構造って想像以上に映画とか、ストーリー作りの構造に似てるんですよ。」

鈴木:
「そうなんですよね。似ているんですよ。」

久石:
「黒澤明さんも言っていますよね。映画も時間軸の中で作っていくものだから、それと最も近い形式は音楽であると。それはすごく分かります。」

鈴木:
「ボクもよく、長編小説をどうやって書くかというのを聞かれるんです。その時には音楽家が音楽を作曲するのと同じだ、と言っているんです。もちろん僕は交響曲なんて作ったことなんてないんだけど、たぶん同じじゃないかと類推しているんです。いろいろな聞かれ方するんですけど、『リング』なら500枚ですが、「その作品が最初からストーリーが頭の中になって書き始めるんですか?」と、みんな聞かれるんですよ。そんなこと、まったくないんです。最初に何かが鳴り始めるんです。たぶん作曲家の方というのは、テーマが鳴り始めると、その後に引きずられて頭の中に音楽が鳴って来るんじゃないかなと、僕なんかは想像しちゃうんですけど、それと同じような感じなんですよ。ワープロで書き始めると、物語がこちらに流れてくる、という感じなんです。頭の中にテーマが生じ、音楽が鳴り始めるような体に作り替えていくのが、音楽家にとっても修行だと思っているんですが、小説家にとっての修行もまったく同じことだと言っているんです。テーマが明確になって、自然に書き始めて、物語が引きずられて流れこんで来る。そういうふうに細胞を全部変えていくのが、作家にとっての修行じゃないかと。小説を書くという作業を音楽にたとえると、非常に分かりやすい。」

久石:
「まったくそうですね。最初から全体の設計図を引いてから作っていく、ということはないですね。僕の場合は布団の中だったり、シャワー浴びてたりトイレの中だったりが多いんですけど、ぽっと何か浮かびますよね。すると、「これなんだ、これで行ける!」と思いますよね。それはワンフレーズだったりイメージだったりする。そこから出発します。あとは直感というのじゃないんですけど、累積の中の直感。これで行けるんだというのを確信するときがある。そこから作って、もしかしたらそれはメロディーの頭じゃなくてまん中だったりするけど、それは勝手に動いていきますよね。長い曲になってもそれはすごくある。だから次、どうやって展開するかというのは、論理的に考えるというよりも、この道を行かなくてはならないという感じが、すごくします。小説もそうですか?」

鈴木:
「そうなんですよ。だから、「来るか来ないかというのは、もうオレの責任じゃない」と言いたいくらいですよ。」

久石:
「分かる、それは。逆に言うと、いつか来なくなるんじゃないかという恐怖はありますよね。」

鈴木:
「ありますよね。だから僕の場合だと、締め切りに追いまくられて、年がら年中書いていたら、絶対来なくなるからと言って、制御しているんです。来なくなるのが一番怖いですから。何もないところから生み出す作業というのが一番きついですよね。」

久石:
「締め切りがない方がいいですか?」

鈴木:
「ないと無理です。締め切りがあって、どうにかそれが来るように持って行くんです。お祈りするんです。」

久石:
「同じだ。締め切りがないと、やらないでしょう。締め切りがあって、それに向かって動いていく。その過程で、今日行けそうか行けそうじゃないか、行けそうじゃない日はやらない、というのはありますけどね。締め切りは必要なんですよ。でも500枚とか、750枚とかだと、どのくらいかかるんですか?」

~中略~

久石:
「普通はそこから行けないか、と考えてしまうけど、捨てた方が本当はいいのかもしれない。『もののけ姫』やっているときに、僕も初めてあんなに時間かけたというか、退路を断ってやっちゃったんですよ。普通、余力を残して作品は作っていくのが一番いいんですね。その人がストレートに出るから。ところがあの時は退路を断ってしまったために、入り込んじゃったんですよ。入り込んじゃうと、これを書きたいと思いますね。で、ふと宮崎さんの顔が浮かんだときに、たぶんノーだろうなと思うと、聴かせると間違いなくノーなんですよ。何かこう、分かっているんだけど突き進む。僕らの場合は、映画に関しては共同作業なんで、監督がいて的確な判断をされるから、「ハイ」という感じで、それは捨てて戻れます。ところがソロアルバムとか、自分の世界になった時は、ノーという人がいないじゃないですか。ちょっと間違ったなと思っていても、捨てる勇気がなかなかないですよね。その時が逆に一番苦しい。」

~中略~

久石:
「僕の音楽というのは、決して芸術作品じゃないから、支持している人がいて、初めて成立する。根本的にはエンターテインメントの音楽であると、強く認識しているんですよ。芸術作品であるならば、自分の作りたいものを何年もかけて、山にこもって、あるいは学校の先生をしながら、シンフォニーを3年4年かけて作ればいい。でも、我々はそうじゃなくて、人に聴いてもらうというのが大前提であると。ただ、それを喜んでもらえばいいというのではなくて、エンターテインメントの音楽なんだけど、聴き終わったときに、一つだけなにか、良かったなと感じてほしい。たとえばシンフォニーを僕がオーケストラを使って書いたら、それでコンサートに来てくれた人が、いいなーと思って、次回は、マーラーでもベートーヴェンでもコンサートに行ってみようと。音楽っていいものだなと、何か一つ階段を上ってもらえれば。押しつけちゃいけないけど。そういうようなところで音楽を書いていけたらいいなと思います。」

鈴木:
「久石さんの音楽、聴いていると僕はものすごく心がやすらぐんですよね。」

久石:
「本人はのたうちまわっているんですけどね(笑)。」

鈴木:
「(北野)武さんの映画を見ても、音楽と映像が離れないというか、音楽を聴くと映像が浮かぶんです。」

久石:
「それは、視覚と聴覚で考えていくと、聴覚の刺激の方が強いみたいですね。たとえば『ムーンリバー』だったら、曲を聴くとオードリー・ヘップバーンが窓際で歌っているシーンが浮かんでくる、というケースも多いんですよ。視覚と聴覚というのは、すごく面白いなと思います。」

~中略~

久石:
「音楽がどういうルートで脳に働きかけるのか。たとえば歌詞カードがあったとすると、いい歌詞だなと思うけど、そんなに泣けない。でもそれがメロディーにのっかたりすると、非常にエモーショナルなものを引き起こすじゃないですか。なぜ音楽がそうなのかは、メカニズムとしてはまだ分からない。それを解明できたら、人間の持っている何かが分かる。人間の感情を揺り起こすのに、音楽がどう作用するかというのは、永遠のテーマなんですよ。でも映画の世界観に音楽が与える影響はすごく大きいですよね。たとえばバレエで踊っているダンサーが、何も音がないところで手を急にぱっとふると、何だろうと思いますよね。それが音楽に合わせて動いたら何でもないんですよ。音楽はそのすごさもあるんだけど、本来ならもっとすごいことを流してしまうことも、必ずあるんです。本来ならここで集中すべきところを、ストーリーを平板にしてしまうという、悪いケースもあります。ハリウッドでも、「何でこんな付け方をしたんだ?」というのもありますね。たとえば、スピルバーグなんかが、これは大林さんが言っていたんですけど、音を消してスピルバーグがつないだ絵を見ると、余りよくないんですよ。シーンのつなぎがぎくしゃくしている。でもスピルバーグはやろうと思えば完璧にできるんですよ、すごいテクニックがあるから。なぜそういうことをしているかというと、そのところにジョン・ウィリアムズのオーケストラの音楽がガーンと流れるんですよ。それでつないじゃうんです。逆にきれいにつながった絵にあの太い音楽をつけると流れちゃうんですよ。音楽がガーンと行くから、シーンは少しごつごつのつなぎをした方が、見る側に衝撃が来る。そこまで計算して、わざと荒くつなぐ。音楽を信じている。だからスピルバーグは絶対ジョン・ウィリアムズとしかやらない。あれは正しいやり方です。だから僕らが音楽を頼まれて、監督さんが期待したものを出したら、もうだめですね。えっ、こういうふうにもなるんだな、となるように。監督は音楽のプロじゃないから、その人が想像した範囲内のものを出したら、それは予定調和でしかないから、何もそこからはドラマが生まれないんですよ。」

~中略~

久石:
「北野武監督はすごい人ですよね。僕はこの映画に一番ピッタリだと思う曲をメインテーマで書きます。それで副次的なサブテーマを書きます。聴いた武さんは、サブテーマを気に入ったりするんですよ。「監督、もっといいのありますから」と言っても、これなんですよ。なぜだろうと思うと、たいがいその場合、副次的テーマの方がシンプルなんですよね。それでそれをメインにすげ替える。映画の様相ががらっと変わるんですよ。その時に北野武という監督の嗅覚、感覚のすごさ、いまという時代に生きている彼が選ぶ、いいなと思うものというのが、一番ポップなんですよね。大衆との接点では大体あたるんですよ。テレビで大衆を目の当たりに日々闘っている、武さんの嗅覚というのは鋭いですね。僕らはこもって作っているから、どうしても頭で作ってしまいます。その分ステージは高いかもしれないけど、一般とのつなぎの部分で弱い時がよくあるんですよ。その時に武さんはぽーんとそれを見抜く。その能力はすごいですよね。『菊次郎の夏』でも、非常にシンプルなピアノの曲を書いたんですけど、武さんもすごく気に入って、結果的に非常にいい感じの分かりやすい音楽が主体になった。武さんも弾きたいっておっしゃったから、譜面を書いて送ったら、もう弾けるよって言ってましたけど。いまでも最低1日1時間はピアノを練習しているとか。秋の僕のコンサートの時に弾くって言ってますよ。3回くらい言ったから、本気なのかもしれない。」

ー曲が浮かぶ時って、どういう感じなんでしょう。

久石:
「楽器の音の時もありますけど、フレーズだったり、音の輪郭、図形的なものというのも結構多いですよ。この映画はメタルのような鋭いもの、とがっているものとか、あるいは非常になだらかなもの、そういう音楽がたぶん合う。そういうのはすごくあります。音の図形みたいな感じて考えるケースもすごく多いです。そうか、これでいけるんだ、と思ったときは、結構核になるので、そのまま突き進んでいくケースも多いです。最初に、CMでも映画でも、こういう世界観、という感じが浮かぶと、スタートラインについたこれでいける、となりますね。最初からメロディーが浮かぶときもあるし、それはケース・バイ・ケースですよね。」

-いきなり頭の中でオーケストラが鳴ることも。

久石:
「あります。『もののけ姫』の話が来た時は、宮崎さんと話している時にオーケストラの音ががんがん鳴っていたから、これはオーケストラだと。それから武さんの『HANA-BI』やるときは、その入口がちょっと見えなかった。それまでは割とミニマルミュージックをベースにした、感情を排した音楽でやっていたから、またそっちでいくのかな、でもそろそろ変えたい、と思っていたときに、飲み屋で一緒になって「久石さん、やっぱりアコースティックでいきたいんだよね。きれいな弦が流れてさ。暴力シーンもあるんだけど、関係なくきれいな音楽が流れて……」と言ったときに、ぱーんと世界が見えて、それからは迷いなく行けましたけどね。世界観が見えるまでは苦しみますね。」

-『菊次郎の夏』は?

久石:
「これが困ったんですよ。監督に聞いたんですけど「いままでうまく行ってるからいいんじゃない」それだけで終わってしまった。でも爽やかなピアノ曲というイメージはお持ちだったし、それは分かるなと。エモーショナルと言うよりは少年が主人公だし、ピアノ曲なんだけどリズムがあり、という感じで作ったんですけどね。あの映画で困ったのはギャグが満載なので、どうするんだと、実はちょっと思っていたんですよ。そうしたら武さんは大胆なことをおやりになった。「大ギャクをやっているところに悲しい音楽を流してみたら」って言って。大丈夫ですかね、と言って、長めに流したんですよ。そうしたら面白かったのは、それまでは、やってるやってる、というギャグが、全部悲しく見えるんですよ。「ああ武さん、これをやりたかったんだ!」と思って。菊次郎とか少年の持っている悲しみみたいなものが、画面が明るいだけにどんどん出て来ちゃって。あの時に「この映画、やった!」と音楽的にも思いましたね。あの辺を計算していたとしたら、北野さんはすごい人だと思います。普通に笑いを取るために笑いを取る音楽を付けたら自殺行為ですよね。人を好きだという時に、「好きだ」という台詞を書いたらバカ臭いじゃないですか。その時に「お前なんか嫌いだ」と書いた方が、そいつは好きかもしれないというのがあるじゃない。音楽もそういうのがあって、予定調和でこういうシーンだから、こういう音楽流せばと流してしまったら、コンクリートで固めたみたいで、そこから何も立ち上ってこない。ものを作るってそのくらい面白いものだと、最近思います。小説でも、「この主人公、こう動くな」と思っていて、その通りに動いたら、引きますよね。それがこちらの想像を超えていってくれるから引き込まれる。」

鈴木:
「創造するとき、どこかにスリルがないと、作ってて面白くないですよね。」

 

(初出:雑誌「ダカーポ 422号 1999.6.2号」/書籍「鈴木光司対談集 天才たちのDNA―才能の謎に迫る」 より)

 

 

Blog. 「ゾラ ZOLA 1998年2月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/01/17

雑誌「ゾラ ZOLA 1998年2月号」に収められた久石譲インタビューです。当時は、映画「HANA-BI」が日本だけでなく世界中を席巻した時期です。

 

 

「北野映画に限らず『沈黙』をつくることも、音楽監督の仕事です」

第54回ベネツィア国際映画祭で、映画『HANA-BI』が金獅子賞(グランプリ)を獲得したニュースは、97年中でも一・二を争うほどの心から喜べる出来事のひとつだった。この快挙は、どこか異端児扱いだった”映画監督 北野武”だけでなく、彼の映画に欠かせない協力者としての”音楽監督 久石譲”の存在感を世界の内外にアピールしたのではないだろうか?

実際、たびたびテレビでも流れた映画祭会場での映像で、北野監督の傍らに付き添う久石譲の姿を目に焼き付けた方も多いだろう。映画の評判が現地で高まるにつれ、会場での彼への取材が殺到し、日本では尋ねられないような、鋭い質問に驚いたという。

「『日本的な音楽ですね』って言われると思ってたら、『とてもイタリア的ですね』という感想を突きつけられた。だから『僕にはイタリア人の血が流れてるんです』と答えると、横で北野監督は呆れたって顔してる(笑)」

音楽監督の存在は、日本の映画界では影に隠れがちだ。しかし、20世紀が生んだ「総合芸術」としての映画の中では、映像・演技・脚本に負けず劣らず、「音の設計」が重要な役割を果たす。だからこそ、北野作品および大ヒットした『もののけ姫』をはじめとする宮崎駿作品での、久石音楽の多大な貢献ぶりがもっと注目され、正当に評価されてもいいと思う。

「映画音楽は映像と対等であるべきだと思うんです。単に絵をなぞるような、付属品にしたくない。中には、あらかじめ監督に『どんな感じがいいですか』って、お伺いをたてる人がいるけれど、僕は絶対にやらない。音楽に関しては監督から、対等なくらい任されてますから」

ある事件をきっかけに警察を辞めた主人公と不治の病に侵された妻が二人きりで出発する途方のない旅……。鮮烈な暴力描写を散りばめながらも、今までの北野作品にはない形で、東洋的な家族観そして死生観が浮かび上がる映画『HANA-BI』。どんなコンセプトに基づいて今回、久石音楽は作られたのだろうか?

「生のストリングスなどを使って、アコースティックな音に仕上げたいと考えたんです。きれいな音をつけてあげたい。かわりに暴力シーンには音楽はいらない。主人公と奥さんの関係、そして銃で撃たれて車椅子生活をおくっている主人公の同僚、その2つの関係を中心に音楽をつくっていこうと。全体的にあまりムーディーにならないようには心がけました。本当のメインテーマは最後の方に出てくる。音を抜くときいは思いっきり抜くことで次第に、後半に行くに従って情感が増してくるんです。この作品に限らず、沈黙をつくるのも、映画音楽の大事な仕事です」

 

誰がつくったか知らないけれど、何処かで聴いたことのある旋律

久石譲は音大生のころから現代音楽の作曲家として、活動を開始していた。当時、最も影響を受けたのがテリー・ライリーやスティーヴ・ライヒらによる、いわゆるミニマル・ミュージック。無駄な装飾を削ぎ落とし、音の反復を基調とするその手法は、どこか北野監督の映画づくりに似たところがあると、彼は以前語ったことがある。

「今でも根本的なところは継承していると思います。『省略』が最も重要な点、できるだけシンプルな形態を目指すこと。そしてもちろん、映画の中ではミニマルだけではやっていけないので、何か象徴的なメインテーマが必要になる。『風の谷のナウシカ』の時にメインテーマのためにオルガンを弾きたおした後でようやく『ああ、これはテリー・ライリー的だな』と気づかされることもありました」

映画音楽の世界でこれだけの実績を重ねた彼が、ふたたび現代音楽の世界に戻ることはあるのだろうか?

「現代音楽をやっていた当時、ふと隣をみると、ブライアン・イーノが『ミュージック・フォー・エアポート』をやっていたりだとか、むしろロック・フィールドにいた人たちの方が自由にミニマルを使いまわしてたりしていて、そっちの方が面白いや、と感じたんです。20代の後半のころに『(芸術)作品』をつくるのをやめました。『作品』を残すことよりも、エンタテイメントのためにポップス・フィールドへと移る決意をしたんです。作曲家として名前を残すことよりも、誰が作ったか知らないけれど、このメロディーは何処かで聴いたことがある、というような『無名性』の方がよほど大事だと考えています──名前よりも音楽を覚えていてくれることこそが、ある意味、作曲家の理想でしょ?」

(ゾラ ZOLA 1998年2月号 より)

 

 

Blog. 「CDジャーナル 1991年4月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/01/15

音楽雑誌「CDジャーナル 1991年4月号」に収められた久石譲インタビューです。

この頃の作品というと、ソロアルバム「I am」、映画「タスマニア物語」や映画「仔鹿物語」などがあります。映画音楽論としても興味深く、当時の映画音楽のポジションと久石譲の揺るがない芯を見ることができる貴重な内容です。

「映画音楽というのはとてもプライドのある仕事」「交響曲のフルスコアを書けるくらいのクラシックの素養と、同時にチャートにヒット曲を送り込めるだけのポップス性の両方を持っていないと本来できない」など、「自分に忠実に一所懸命書いたら、同じタイプになっていいと思うんですよ。オリジナリティっていうのは、そういうものでいいんですね」「メロディをいくつか作っておいた方が楽なんです。メロディが一個だと、ものすごく、緻密に作らないと持たないし、本格的にそういう作り方をしようと思ったら、時間とお金が膨大に必要なんですよ」などなど。ぜひ前後の文脈もかみしめながら理解を深めたい、とっておきの内容になっています。

 

 

日本のポップスを創る人たち 最終回

日本の映画音楽とポップシーンに大いなる刺激を与える男 久石譲

映画音楽はとてもプライドのある仕事だ

アメリカにおける映画とポップ・ミュージックの関係は、レコード会社の中に映画会社の関連会社がかなりあることからもうかがえるように、伝統的にも非常に密接なものがある。しかし、日本のポップ・シーンに映画音楽が占めるポジションは、アメリカとは比較にならないほど小さい。それは、わが国のポップ・ミュージック史の欠落部分とさえ言えるのではないかと思うくらいだ。

そんな状況の中で、存在感のある日本の映画音楽を作りだしている数少ない作家のひとりが久石譲だ。自らのピアノとストリングスだけで彼のメロディアスな音楽性のエッセンスを描き出した新しいソロ・アルバム『アイ・アム』にも、昨年公開された「タスマニア物語」や今年公開される「仔鹿物語」のメイン・テーマのメロディも収められており、彼の活動の中で映画音楽のポジションが、けして小さくはないことが感じられる。

「『風の谷のナウシカ』の音楽を手掛けるまでは自分がメロディ作家とは思ってなかったんですよ。それまで、日本人が映画音楽をやると、ヘンリー・マンシーニ風だったりジョン・ウィリアムズ風だったり、必ずナニナニ風だったんですが、『ナウシカ』の音楽にはナニナニ風というのがなかったんです。それは、後で人に言われて気がついたんで、狙ってやったことじゃないんですけど、結果的にオリジナルなメロディを作ることができた。その後も、宮崎駿さんの作品とか『Wの悲劇』などで、自分に素直に音楽を書いていくうちに、いつの間にかみんなが久石メロディと言うようになって、自分はメロディ・メーカーだったということを気づかせてくれた。それは映画の仕事をやらなかったら気がつかなかったと思うんですね。」

ともあれ多くのリスナーにとっても、久石譲の登場が日本の映画音楽に初めて関心を持つきっかけとなったことは間違いないだろう。しかし、それは逆に言えば、日本の映画音楽の地位が非常に低いままに置かれてきたということの裏返しでもあるだろうと思う。

「ぼくは映画音楽というのはとてもプライドのある仕事だと思うんです。だけど、日本の映画音楽は劇伴ですよね、はっきり言えば。テレビの2時間ドラマとどこが違うんだ、みたいな映画音楽が多すぎます。それは映画自体もそうですね。映画音楽というジャンルは、交響曲のフルスコアを書けるくらいのクラシックの素養と、同時にチャートにヒット曲を送り込めるだけのポップス性の両方を持っていないと、本来できないと思うんです。ところが日本映画の場合は、現代音楽の作家が手がけるか、そうでなければコードネームでしか音楽ができない人が書いちゃったりとか。バランスが悪すぎるんです。その両方を持ちながらキチンとした作品として仕上げられているものが、あまりに少ないと思うんです。」

それが、日本の映画音楽がポップ・シーンから縁遠いものになっている大きな理由でもある。しかし、ある意味でハリウッドをお手本にしてきたハズの日本映画界が、映画音楽をここまでおろそかにしてしまったというのも、ちょっと不思議な気はする。

「日本映画はヨーロッパの真似をし過ぎたと思う。本当にアメリカ映画主流にしていれば、もっとエンターテイメントが重要視されるハズだけれど、もっとプライベートな、もともとお金がなくて作っているようなヨーロッパ映画を変形させたATGみたいな形で発達しちゃったために、監督個人の青春記みたいなところで作る映画が多すぎたと思うんですよ。ぼくは、本来、映画のまん中に置かれるのは、ありとあらゆる人が楽しめるエンターテイメントだと思うんです。その一方で、映画が追求すべき芸術性をちゃんと表現する作品もあるというふうに、ちゃんとしたピラミッドを作らなきゃいけない。でも、日本では、それが出来なかったために、映画音楽家も育たなかったと思いますよ」

 

一本の映画にはひとつのメロディしかない

という自覚のもとに、久石譲は映画音楽に取り組んでいる。では、彼がその作品を作る時には、どんなことを考えているのだろう。

「ぼくにとっては、映画は台本なんです。台本を読んだところで仕事のかなりの部分は終わり。というのは、映画っていうのは、非常に論理的なものだと思うんです。この映画を通じて何を言いたいのか、という論理的なところから構成を作っていくものですよね。だから、シリアスな問題を扱っている映画だとすれば、ラブ・シーンでも甘い音楽は流さない方がいいとか、音楽の使い方でシーンをより効果的に表現できる。そういうふうに組み立てていくのが映画音楽です。ぼくは映画音楽の仕事は音楽監督として受けてますから、必ず映像と対等の立場で発言するようにしています。それが映画に臨む姿勢ですね」

「単に映画に音楽を提供するということではなく、少なくとも、自分の作品でもあるという意識は持つようにしています。もちろん、最終的には監督の世界です。でも、大林宣彦さんのような方は別ですけど、たいていの監督は音楽に対しては素人で、イメージは持っているけど、どう言葉で表現していいかわからない場合が多いんです。ですから、その人になり替わって自分がやるんだ。ということは考えますね」

「作品によってあえて違うものを書こうという考えはないんです。前の作品に似ていようと、その映画に合っていると思った自分の正しいメロディを正しい形で書くということに徹したんですよ。ジョン・ウィリアムズも、けっこう何を書いても同じでしょ。すごい技量があって何でもやれるハズの彼が、何故ワンパターンと言われながらもやっているのか。自分に忠実に一所懸命書いたら、同じタイプになっていいと思うんですよ。オリジナリティっていうのは、そういうものでいいんですね」

「去年『タスマニア物語』をやった時に、一本の映画にはひとつのメロディしかないというのが正しいということにしたんです。たとえば、『ティファニーで朝食を』という映画には、当然いくつもの音楽が使われていたわけですけど、結局『ムーンリバー』しかないですよね。だったら、メインテーマですべてを押さえなければいけないということにして、それに徹したんです。実は、メロディをいくつか作っておいた方が楽なんです。メロディが一個だと、ものすごく、緻密に作らないと持たないし、本格的にそういう作り方をしようと思ったら、時間とお金が膨大に必要なんですよ。『タスマニア』ではじめてそれが出来たんです」

「だからプレッシャーもすごくあります。そこまで言いきって、予算も用意させて”なに、このくらいの音楽?”って言われたら、その瞬間が自分の終わりですから、そのためにはこちらも命をかけなきゃいけない」

 

アーティストとしてのポジションをキチンと確立したい

いい作品を作ろうとするのはアーティストとして当然のことだが、久石譲は同時にポピュラリティ、ポップス性を非常に重要視している作家だ。そして、興味深かったのは、彼が久石譲というブランド・イメージを本気で売りだそうとしていることだった。

「先日、自分のコンサートをやってみて気づいたんです。これだけたくさんの人が待っていてくれて、感動してくれた。だから今後も、『アイ・アム』というアルバムからの流れをも大切にして、自分のアーティストとしてのポジションをキチンと確立した上で、それを映画に返していくという作業をすることが、自分がやるべき仕事じゃないかなと思っているんです。そうやって映画音楽の土壌をなんとか引き上げること、それから日本のポップス・シーンを、もう少し大人の音楽をキチンと聴けるようにすること。それが僕が戦わなきゃいけないことだという気が、すごくするんですよ」

客観的に見れば、現在の日本の映画界では彼の存在は特例に過ぎないだろうとも思う。しかし”やっぱりポップスは売れなきゃ正義じゃないと思うんです”という久石譲の覚悟が、日本の映画音楽およびポップ・シーンに大いなる刺激を与えることを、彼の音楽のファンとして、僕は期待しているのだ。

(CDジャーナル 1991年4月号 より)

 

 

Blog. 「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」久石譲出演 コメント内容 【1/9 Update!!】

Posted on 2017/01/04

「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」に出演した際のステージ上での久石譲インタビュー・コメント内容です。

 

NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO

[公演期間]  
2017/11/26 *公開収録

[公演回数]
1公演 (東京 NHKホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

[曲目] 
久石譲:Links
久石譲:One Summer’s Day
久石譲:Oriental Wind

 

[TV放送日時]
NHK WORLD
Part 4: January 2, 2018 8:10, 15:10, 22:10, 28:10 (Japan time)
NHK 総合
前半:2018年1月8日(月)午後10時50分~午前0時
後半:2018年1月9日(火)午前0時15分〜1時5分(月曜深夜)

[TV放送曲目]
-NHK WORLD- 
One Summer’s Day
Links

-NHK総合 前半-
One Summer’s Day

-NHK総合 後半-
Oriental Wind

 

 

久石譲:出演時コメント

「(パリ公演は)2日間で3回やったんですけども、最終公演はもう最初に登場しただけで全員立っちゃって。いきなりスタンディング・オベーションなんで、そのまま帰ろうかなと思った(笑)。」

「何回かパリでもやらせてもらってるんですけれども、今回は特にちょっと感慨深かったですね。スタッフも観客の皆さんも全員外国人だったんで。だからそれはまあなかなか楽しかったというか。」

「海外でやるときって全部そうですよね。日本人は一番まじめですから。それ以外は、事が起こると思ってかからないと厳しくないですか。」

「オリンピックというのはスポーツの祭典です。世界中の人が集まったり、オンエアされて世界中の人が見る。そうするとある意味では日本の文化といいますか、それも古いものだけではなくて、現在進行系のいろんな文化を発信しなきゃいけない場所だと思うんですね。」

「そういう意味では、こういう番組とかいろいろあることで、日本の文化を知ってもらう、進行形の文化を知ってもらう、その辺がとても大事だろうと思います。」

(NHK WORLD O.A. より 書き起こし)

 

 

Blog. 「キネマ旬報 1991年4月下旬号 No.1056」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/01/07

映画情報誌「キネマ旬報 1991年4月下旬号 No.1056」に掲載された久石譲インタビューです。

「特集 映画音楽 -日本映画音楽の担い手たち-」というコーナーで、佐藤勝のインタビューや他作曲家コメント集なども掲載されています。

 

 

特集 映画音楽 -日本映画音楽の担い手たち-

映画を構成する要素はさまざまあるが、その中で音楽もまた重要なパートであることは、今さらいうまでもない。日本の映画音楽界はこれまでにも早坂文雄氏、伊福部昭氏、佐藤勝氏、武満徹氏をはじめ、世界に誇る名匠を次々と送りだしていった。彼らの多くは現在も第一線で活躍中であり、新しい才能も確実に増えはじめてきている。さらには80年代ミュージック・ビデオの急成長、衛星放送の開始など、人々の興味が映像と音楽との融合へ向かっていることは疑いようのない事実である。しかるに、日本映画界の現状は?

これから本誌では、全ての映画音楽にこだわり続けていく。今回”日本映画音楽の担い手たち”は、その序章である。

・佐藤勝 いい映画がないといい映画音楽は成り立たない
・久石譲 新しいサウンドトラックの在り方を求めて
・作曲家コメント集
・音楽プロデューサーに聞く
・八木正生追悼 秋山邦晴

 

新しいサウンドトラックの在り方を求めて

久石譲

エンターテインメントが少なすぎる!

今度、NECアベニューから、今まであったレーベルの中に新シリーズ”サウンド・シアター・ライブラリー”を設けて、積極的に映画音楽のCDを出していこうと思っています。基本的に大きな柱が二つあって、一つは日本の良質な映画音楽を出していこうというもので、もう一つは、映画からイメージを受けた耳で聴くサウンドトラックみたいな形で、映像を抜いた新しいサウンド・シアターというか、そういう新しい試みが出来ればいいな、と考えているんです。もっと言えば、実際にサウンドトラックで作った曲ではなく、新たに歌で作り直したりという、そういったことも当然起こってくるでしょう。もちろんベーシックには映画というものを置いてありますけど、映像との関わり合いというか、そういった関係の中で起こり得る、これからのオーディオ・ヴィジュアル時代にあるべきいろんな試みが出来ればいいと思っています。

日本のサウンドトラックというのは、今、最悪の状況になっています。映画の製作費だけでは映画音楽は作れない、それでレコード会社とタイアップで、例えば主題歌を出すからとか、サントラ盤を出すからという前提で、お金を出して貰って、両方でビジネスにしていたところが今まではあったんです。ところが、今はレコード会社自体がサウンドトラックに見切りをつけちゃって、興味がないと。それでレコード化される例も少なくなったんですね。

レコード会社はあくまで主題歌を誰に歌わせるということで、ついでにサントラ盤を出すという姿勢だった。従って、彼らはサウンドトラック自体に興味があるわけではない。主題歌に興味があるんですよ。だからその感覚で作ってくる、あくまでシングル・ヒット狙いの主題歌と、映画の内容とが毎回ぐちゃぐちゃに対立してしまうわけ。僕は監督と一緒に映画をやっているし、ヒット・ソングも作るから、両方の接点が見い出せる。それで僕は映画を全部見渡せる立場として、音楽監督を引き受けるケースが多いんです。

日本の映画音楽が悪くなった理由は三つ。一つは予算が少ない、一つは日数がない、もう一つはいい作曲家がいなかった。この最後の、いい作曲家がいないというのは非常に難しい意味があって、エンターテインメント出来る作曲家がいなかったということです。日本にもいい作曲家の方はいらっしゃるわけですけど、映画を一つのアートとして捉えたところでのワークが凄く多かった。佐藤勝先生などはエンターテインメントをよく知ってらっしゃる方ですけど、日本ではエンターテインメント映画として成り立つ分野がとても少なかった。それも大きな理由だと思います。映画音楽の厳しい点は、クラシック音楽の教養とポップスの最先端の両方の感覚を持っていないと、実は書けないということ。その両方を持っている方は、想像以上に少ないんです。いい音楽家の方は大勢いたんだけれど、映画音楽に最適の人が少なかった。映画音楽は裏方でいいと思うけど、一方で音楽の主張もあるエンターテインメント映画が中心になって、片方に芸術映画、もう片方に別の映画があるというような構造が一番いいわけ。それが日本にはなさすぎた。みんなが入りこめるいいメロディがなさすぎた。

僕はたまたま宮崎駿さんという素晴らしい監督と知り合えて、四作やっていますけど、それがたまたまアニメだったために特殊な世界に閉じこめられていることに腹が立ちます。例えば、僕は宮崎さんが日本アカデミー賞で作品賞を取れないのはおかしいと思う。アニメという偏見が日本映画をダメにした。そういうことの裏で、僕が一所懸命やった仕事が全部帳消しにされてしまう。僕と宮崎さんがやった仕事のアルバムは、既に売り上げが100万枚以上超えているわけ。それを聴いたファン層があり、やがて親になって子供をコンサートに連れてくる。これは非常に健全な図式です。こういう映画が実写にないことを本当は恥ずべきことなのに。

 

もっと音楽を身近なものに!

みなさん映画音楽の現状を知らなさすぎる。好きなんだけど、知らないから変に口出ししてはいけないと思ったり、知らない自分が恥ずかしいんじゃないかと敬遠する人が多すぎて、音楽家だけがガラス張りに取って置かれたような現状がありすぎた。僕が”気分はJOE JOE”のエッセイを引き受けた理由も、裸の自分を全部出すことによって、いろんな、音楽家の日常や考え方を見せていくことによって、音楽家を身近に感じてほしかったからです。単に映画だけ作っていたらいえないことや、僕が考える映画のことも体系だててはいえないけど、エッセイ風に綴りながら、みんなに音楽が身近になって貰えれば、今度は自分達が音楽にこうしてほしいとか、こういうのはどう、といえる。今はそういうレベルにも達していないんです。スタッフにしても、キャメラマンの人でも、音楽が好きな人は大勢います。監督さんも好きな人が多い。でも、なんか自分は知らないからと気遅れしちゃって、もう一歩立ち入れない状態で映画をやってきちゃったケースが非常に多いんです。これを何とかしたかった。もっと音楽は身近にならなければいけない。そういったことが、今回の”サウンド・シアター・ライブラリー”にもつながってくるんです。

”サウンド・シアター・ライブラリー”の大きな特徴は、CDに脚本が全部ついてくることです。それによって自分達が映画に対して音との関係とか、映像があるために納得してしまうようなことを、見ないために、脚本を読んで音を聴いてイメージを喚起できることもあるし、その方がよほどイマジネーション豊かなわけ。とりあえず3月21日に「仔鹿物語」を出し、同時に大林宣彦監督自身が歌っている「ふたり」のシングルを、4月にそのサウンドトラックを出す予定です。このシリーズで大事なことは、単発で出してもあまり見向いてもらいないことを、こういったシリーズにして形にすることによって注目してもらうことであり、映画音楽にスポットを当てるという意味では非常に効果的なんです。今回脚本の中に音楽が入る箇所は示さなかったんですが、何かの作品ではやると思います。ただ、専門家用の企画になると困るので、もっと一般の人に楽しめるように、あまり細かい視点までは入れないつもりです。やはりこれ自体、エンターテインメントでありたいものですよね。

今年、各社の映画の中でもよほどのものでないとCD化されないでしょうから、いい作品があって、これを出したいというのがあれば、こちらも検討してどんどん出したいと思っています。この前調べたら、ニーノ・ロータのアルバムもあまりレコード化されてないんです。あれだけたくさんの名曲を残しておきながら、悲しいことですね。ですから、ニーノ・ロータの全集も出したらいいじゃないかと。佐藤先生や武満徹さんの仕事もどんどん形になってほしい。今の状況だと、映画音楽の価値観みたいなものが復権できないんですよ。僕はいい監督と巡り会えて、みなさんに教わったことも凄く多かった。だから、恩返しの意味でも僕がこういうシリーズをやって、映画音楽を活性化させることを少しでもやっていきたい。イコール、キネ旬のような立場はなおさら重要ですよ。キネ旬だからこそ、そういうことに使命感があると思うから、キネ旬で映画音楽賞をぜひ作ってほしいですね。そうすれば変わるかもしれませんよ。僕らは映画と同じように音楽が好きでしょう。その二つがドッキングしている映画音楽なんて、実は最も興味がある分野なはずなんですよ。でも、キネ旬に音楽賞がないというのは、日本を象徴しているね。

(「キネマ旬報 1991年4月下旬号 No.1056」より)

 

 

Blog. 「新潮45 2012年6月号」久石譲×養老孟司 対談内容

Posted on 2018/01/06

雑誌「新潮45 2012年6月号」に掲載された久石譲×養老孟司 対談内容です。「耳で考える」(2009年刊行)でも豊かな対談は読み応え満点でした。今回も貴重なやりとりがたくさんでてきます。12ページにも及ぶロング対話から抜粋してご紹介します。

 

 

特別対談

目と耳と脳のあいだ
久石譲(作曲家・指揮者・ピアニスト)× 養老孟司(解剖学者)

なぜ、直感の方が正しいのか、現代人はきちんと考えない。音楽家と解剖学者のスリリングで豊穣な対話。

 

二重に測れないものの危険さ

久石:
すごくいい天気ですね。

養老:
箱根にしばらくいると、曇りや雨の日もいいんです。あれ、この音はなんだ?

久石:
ずいぶん中途半端なサイレンの音ですね。

養老:
初めて聞きます。下の方で地震があったのかな…、ああ、山火事警報か。

久石:
いつも大地震を疑ってしまうので。大丈夫そうですね。お久しぶりです。

養老:
わざわざ遠くまで。

久石:
今日箱根湯本まで来る電車、平日なのに、ものすごく込んでいたんです。韓国と中国の旅行客が多かったですね。

養老:
それはよかった。去年は、箱根は、本当にがらがらだったんです。

久石:
わが家は世田谷なのですが、けっこう、中国人が土地を買いに来ているようです。窓から見ていると、集団で来てガヤガヤとやっています。3.11以降、全然来なくなって、最近復活したみたいで(笑)。

 

~中略~

 

養老:
だから、放射能はあやふやで危ないものなんです。測定方法がガイガーカウンターしかなくて、直感では絶対に分かりません。科学では、二重に測れないものは常に警戒しないといけないんです。全然別のやり方でもう一回測ることができないと、計器に異常があった場合はどうしようもない。いくつか違う原理の計器を使って測れれば確実なのですが、放射能ではなかなか難しい。人間の感覚で捉える方法がないので、誰かが嘘をついたらそれっきりでしょう。

久石:
第二の方法で検証できないものは、もともと危険なんですね。

 

~中略~

 

久石:
村上春樹さんの『1Q84』に、「説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんということだ」という一節があったのを思い出しました。

養老:
似た話かもしれません。科学をやっている人は、あまり人間の側の能力をチェックすることをしません。多くの科学者は自分が利口な者で、論理は確かなものだと思っています。だから、精密に測れば違いが出るだろうと考えがちですけど、ぱっと見てわからなきゃ、一生懸命見ても同じなんです(笑)。

久石:
音楽も同じですね。どんなに論理的によくできていても、聞いて、つまんないじゃん、と言われれば終わりです。

養老:
すべて抽象的になっていれば話は別ですけれども、物のかたちにも音楽もいったん頭の中に入りますから、感覚が関わってきます。

久石:
受け手側、感じる側の持っているアンテナをもっと信じていいんですね。

 

~中略~

 

視覚と聴覚

久石:
養老先生とは、何度か対談させていただいているのですが(『耳で考える』角川oneテーマ21)、テーマは視覚と聴覚の違いでした。視覚は空間、聴覚は時間の経過であるから、両方に入ってくる情報があまりに違いすぎて、その誤差を人間の中で一致させる「時空」という概念が必要になり、そこから「言葉」が発生するという話をされました。あの時、養老先生は、「ムソルグスキーの『展覧会の絵』というのはどうにも気に入らない(笑)。(音楽と絵画という)こんなに繋がりにくいものをなんで一緒にするんだ、どういう皮肉か」と仰っていました。

ところが、困ったことに、僕は知り合いからどうしてもと頼まれて、フェルメールの展覧会(「フェルメール 光の王国展」)に流す曲を書かざるを得なくなりました。

でも、フェルメールは、狭い自分のアトリエに籠もってほとんど同じ構図で左側から光が入ってくる光景を描いているだけだから密度が濃くて、音楽など入り込む余地が全くありません。オランダまで行って実物を見たけれど、全然やる気が起きない。断ろうとしたのですが、時間があったから、エッシャーを見に行ったんです。

エッシャーは版画ですし、時間も空間もパターン認識の形で抽象化されています。僕がやっているミニマル・ミュージックという音楽では、まず、エッシャーならば曲にできると思いました。そして、エッシャーとの比較対照からフェルメールに行けば曲ができるのではないかと考えて、無理矢理「フェルメール&エッシャー」とくっつけたんです。

結果的に、なんとか完成したのですが、なぜできたのか、すごく考えたんです。やはり目で見た情報をそのまま音楽にすることはできないんです。ところが、一度、絵画を言葉に置き換えると、自分自身も言葉で考えているわけですが、音楽にすることが可能だったんです。言葉というクッションを介入させた瞬間に、可能になったんですね。

養老:
その通りでしょう。言葉ではなくて数でもいいんです。数が一番典型的に抽象化されたものですから、一回、抽象化すればいいのです。すると、目から脳の特定の部位に入り、他の部位と繋がっていきます。目と耳はいきなり繋がっていませんから、一遍、脳味噌に入らないといけません。

動物は、目から入るものと耳から入るものを別のものと思っているはずです。脳の中で繋がないまま、目は目、耳は耳で反応しているかもしれません。人間が耳と目を一番よく繋いだんです。

 

~中略~

 

久石:
先日、気仙沼に行ってピアノを弾いてきましたが、なかなか復興は進んでいないようです。

養老:
場所が場所で、東北は過疎で人口がどんどん減っていたわけですから、さらに減らすか、あえて増やすか、どちらを復興と呼ぶのかよく分からないんでしょう。神戸ならば大都市ですから、復興という言葉も単純になりますが。

久石:
東北は自然に返せということか。

養老:
怒られるかもしれませんが、復興と言って皆さん矛盾を感じないのかしら。そもそも青写真などない土地ですし。隈研吾という建築家が言っていましたけれど、いっそ地下都市にしてしまえばいいのかもしれません。津波でも大丈夫。いざという時は密閉できるようにすれば安全でしょう。冗談みたいですけれど、可能性はいろいろ考えなければ。昔、「核の冬」が真面目に議論されていた頃、みんな地下都市を考えていたんですから。

久石:
9.11の後のニューヨークは、もともと他人に関心を持たない街だったのに、すごく優しくなりました。今、福島や宮城に行くとみんな優しくて、前よりも共同体意識がすごく強くなっています。屋台村に行って焼鳥屋に入っても、ほかの店のおいしいものを分け合って、持ってきてくれたりするんです。

養老:
やはり、自分が生き延びたのはありがたいという意識があるんじゃないですか。戦争の時もそうですよ。戦後、人があれだけ元気だったのは、死んだ人には悪いけれど、俺は元気だよ、という気持ちがあったからです。どこかで、生き残って申し訳ない、という後ろめたさもあり、だから何かやらなくちゃ、という気も起きます。大事なことです。

 

反応しかしない人

久石:
音楽家はどうしても、音楽を作ればいい、という話に集約されます。でも、材料はドレミファソラシドに半音足しても十二しかなくて、後は高い低いがあるだけです。アラブ系など半音の半音の四分音がある音楽はありますが、基本を西洋音楽でやると、十二個しかない音を組みかえているだけです。身も蓋もない言い方だけれど、僕の世界が十二個しかないと考えると、本当に寂しいです(笑)。

養老:
まさにミニマル・ミュージック。

久石:
音楽に感動したとか、人生を表現した、とか言っていると、何かが胸に詰まるんです。そんな時、養老先生にお目にかかると、しゃきっとします。

養老:
世の中に顔を見たい人と見たくない人があるんです(笑)。十秒でもいいから会うといいことありそうな気がする人と、あいつに会ったら百年目、今日は家に帰って寝る、という人もいます。

久石:
養老先生に、ラジオの対談で最初にお目にかかった時、まず、いい音楽と悪い音楽はどう違いますか、と聞いたんです。すると、速攻で、「長く聞かれる音楽、生き残った音楽、それがいい音楽です。例えばモーツァルト」とお答えになった。こんなに明確に言う人は少ないです。

養老:
単なるミニマル・アンサーです(笑)。返事は、ぐずぐず言っても仕方がない。いきなり聞かれて細かい話などできないでしょう。

久石:
どちらもミニマル好きですね。

養老:
お互い基礎から考える点が共通しています。解剖学、あるいは分類学は学問の基本です。若い頃から、どちらも学というものではないと馬鹿にされてきましたし、子供の科学ではないか、と言われてきました。確かにあまり高級なものとは言えませんが、みんなやらなすぎます。原発事故など、ほとんどささいな原因で起こった子供の事故でしょう。発電機に電気が行かないし、周囲には山ほど水があるのに、ヘリコプターで水をかけて冷やしている。ほとんど悪い冗談です。

久石:
震災以来、価値観が完全におかしくなっていますね。だから、この一年、こんな状況で音楽は何をやれるのか、すごく悩みました。十二個の音をいじってどうなる、と即物的に考えれば、物を作ることなど意味がないでしょう。

養老:
昔からずっと気になっているんですが、反応しかしない人が増えてきましたね。メディアが発達したことも大きいかもしれませんが、モンスタークレーマーと呼ばれる人たちなどは典型で、自分の世界が、何か起こったせいでこうなった、という理屈だけになっています。自分から何々しようという発想がない。

久石:
行き詰まりですね。今時の歌が全然良くない理由は、たとえばラブソングを作る場合、人を好きだ、ということしか歌っていないんです。ラブソングを作るならば、二人の状況や季節感など、さまざまな風景に自分の気持ちを託した言葉が盛り込まれるから成り立つのに、今は直感的に、相手の気持ちも関係なく「君が好きだ」で止まってしまいます。ラブソングは相手と関係性を含む、基本的に二人称の歌なのに、全部、自分の思いだけに単純化されてしまっています。反応だけ、というお話と同じですね。

養老:
当たり前の話ですが、解剖は自分でやらなくては絶対に進まないものです。学生の時、臨床をやるか解剖をやるか、ずいぶん考えたんですが、臨床をやれば楽だな、と思ったんです。臨床は患者さんという問題が向こうから来てくれるから、それを解決していけばいい。ただ、その生き方は、安易だし自分のためにならない。基礎医学は自分で問題を考えて、答えも自分で出さなければならない、と若いから馬鹿なことを考えたんです。自分から行動することのない死体をずっと相手にしていると、だんだん禅の修行をやっているような気持ちになってきます。

久石:
死体に向き合っている時間は、結局、自分に向き合うしかありません。

養老:
そうなんです。若い頃は過敏なのでどうしても反応しているんです。それは精神的にも良くない。逆に、死体を見ていると落ち着きます。変な話、解剖は全部、いわゆる自己責任なんです。

久石:
人生観がまったく変わりますね。一番、生き方として変わったのは、どういうところですか?

養老:
解剖しかやっていないので、よく分からないのですが、とにかく、どんどん鈍くなりました。昔は、心理学など他人の内面を考えるのが好きだったんですが、どんどん考えなくなりました。

久石:
とてもいいことですね。今、人間の存在は人との関係性でしか考えられなくなっているでしょう。

養老:
フェイスブックみたいなものにあまり手を出さないのは、やりとりだから、どうしても反応が入ってくるからです。それより、全く無反応がいい(笑)。僕はもともと精神科に行こうと考えていたんですが、今思えば、ほとんど患者として行こうとしていたんですね。医者と思っている患者と、患者と思っていない患者が一緒になっている場所が精神病院。どこか神経質すぎるから、死体みたいなものでブレーキをかけないといけない、と自分で感じたんです。

 

歌は語れ、朗読は歌え

久石:
僕は、音楽をやっていてよかったかもしれません。否が応でも、さっき言った十二しかない音に向き合い、来る日も来る日も、とにかく昼から夜まで作っています。よく書けますね、と言われますが、日常にしているから書けるだけです。本当に名曲を一曲書こうと思ったら、一年やっても十年やっても一曲もできません。生活の中で作っているから、たまたま上手く行く時もあると考えないと、曲など絶対に書けません。クラシックや現代音楽の作曲家は、命題の立て方を間違うんです。「次はシンフォニー書くぞ」と言った人間は、だいたい書けなくなります。自分のすべてを投入した巨大な、ジス・イズ・俺みたいな曲を作らなければいけないというプレッシャーがかかる。僕も一楽章で止まったままです(笑)。

僕はもともと、現代音楽をやっていたんです。考え方でいえば、幹を作る音楽で、葉も花もない。音楽の可能性を追求するようなジャンルで、聞いても理解できません。論理と意識だけが行き過ぎるから、現代音楽の作曲家同士でコンサートすると、毎晩、討論会になってしまうんです。連合赤軍のつるし上げのような話になって、とても音楽やってるとは思えなかったんです。その時、イギリスのロキシーミュージックというロックグループのブライアン・イーノなどが、現代音楽の要素を取り入れて、同じ音を繰り返したりしながら、自由な音楽をやっていたので、僕も町中の音楽家でいいや、と思って前衛をやめたんです。

通常、ロックミュージシャンは体制に対する反対や何かをぶち壊すことが目的です。でも、体制がはっきりしている時にアンチはありますが、今はロックなど存在しません。ぶち壊すべき体制がないからです。ロックは、基本的に自立した音楽ではないんです。

養老:
戦後日本は、アンチが学生運動の主流でした。反体制、反何とか、僕はつくづく嫌だった(笑)。アンチも反応ですが、反ばかりやってもどうにもならない。アンチの奴は、体制が消えれば自分がすぐ体制側になってしまうんです。

久石:
歌のことですが、作詞と作曲は陣取りゲームみたいなものです。実は、今、校歌の作曲をやっていて、谷川俊太郎さんの詩がずいぶん前から来ているんですが、論理的な構造がきちんとできていてすごいんです。まず、文字数で五、七、七、五、八、五とか完全なリズムができているし、内容も意味も過去、現在、未来が一番から三番の歌詞でばしっと決まっています。本来、作曲家と作詞家が五分五分で行けるのが理想だけれど、詩だけで十分で、僕の音楽が出る幕がないんです。悔しいからがんばるつもりですが、谷川さんみたいな人と仕事をするのは良い意味で大変です。

養老:
曲つけないで、全員で朗読すればいい。これぞミニマル・ミュージック。

久石:
それ、いいな。確かに、どこにもない(笑)。ともあれ、歌というのは難しくて、極力、オペラや歌曲には手をつけないようにしているんです。単純に言うと、いい曲で、いい演奏者で、いい録音をすれば、いいCDはできます。けれど、歌の場合は、歌は変なメロディで声もしゃがれている、アレンジも最低なのに感動する場合があります。だから、こちらはまったく計算が成立しなくて、感覚だけで勝負しなければなりません。今は、感覚に命を賭けることはできないけれど、もう少ししたらやるかな。

養老:
若い頃、飲み屋でよく人の歌を聞いていたけれど、音程は外れているし、本当に下手だと思うのに、聞いている人が泣いている。歌は上手い下手いじゃないでしょう。あれは一種の語りなのかな。

久石:
歌は語れ、朗読は歌え、とよく言います。

養老:
歌には現場がありますから、どこで歌うかで全然違ってきます

久石:
そうですね。それと、喜怒哀楽をどう伝えるかはテンポが重要になってきます。怒っている場合はテンポが上がりますし、悲哀の場合はテンポがうんと落ちます。歓喜の歌を作りたい時はテンポを上げて、音程も大ざっぱに言うと飛躍させます。ところが、悲哀、レクイエムや祈りの歌を書く時は、あまり音程も跳躍せず、テンポも遅くして作ります。これは、人間が声で喜怒哀楽を表現する方法と、ほとんど同じです。ロボットに喜怒哀楽の調子を入力して朗読させれば、案外、きちんと感情を表現できます。

養老:
若い頃はよく考えていたのですが、歌は言葉と音楽の間に入って、どっちつかずの中間領域でしょう。詩も歌になれば言葉ではありません。視覚で言えば漫画です。文字でもないし絵でもない、一番面白い領域なんです。

久石:
去年の九月、マーラーのシンフォニーの五番を振らせてもらったんです。七十分ぐらいかかるんですが、もう徹夜で何ヶ月も分析したんです。マーラーは分からない人で、あるメロディと同時にカウンターメロディや他のメロディが、四つ巴ぐらいぐちゃぐちゃに来るんです。形式感もあまりなくたらたらしていて、自分が過去に聞いた軍楽隊の音楽なんかがちょこちょこ出てきたり、大学時代から本当に嫌でした。でも、あの時向き合っていて本質的に分かったのですが、マーラーは歌曲、歌の人なんです。いろんな楽器は歌手のように使われていて、ただ横に繋がっていて浮かんでくるものが書かれています。だから、全体の構造は全然分かりづらい。ただ、なぜあんなに重いのか、正体が摑めませんでした。

兄弟が十何人もいたけどほとんどが若いうちに亡くなったとか、奥さんとうまくいってないとか、悲劇は一杯抱えていますが、それだけであの重さは生まれません。ところが、最近、養老先生と内田樹さんの『逆立ち日本論』で書かれているフランクルの『夜と霧』の件を呼んでいた時、電流が走るように分かりました。マーラーのあの世界観は、ユダヤ人だからとしか言いようがない気がします。「神に選ばれた民」だという「選民意識」があの重さを生むんだな、としか。

養老:
ユダヤ人は、個人や歴史の大きな悲劇を背負っている状態を、あまり気にしない人たちですね。

久石:
いや、演奏前に読んでおけばよかったと、ものすごく悔しかったです(笑)。

養老:
まさに音楽を体感されているわけですね。普通の人は、頭で理解するものだと思っていますが、本当の理解は身体でするものです。指揮の身体の動かし方など、その典型でしょう。

久石:
音楽も身体性ですね。だから、ピアノが一番嫌です。指揮者は自分で音を出すわけではないですし、ある指向性をしっかり打ち出せば、優秀な演奏者たちがきちんと音を出してくれます。でも、ピアノは同じフレーズを何百回練習しても、本番では弾けないケースがあるんです。ピアノは頭を経由せずに手が動くところまで行かないと難しいんです。いかに避けようかっていう日々だけれど、弾かなければならないとなったら、人と話している時でも指を動かしています。

養老:
たぶん、寝ていてもピアノを弾いています。運動選手のスランプは、練習しすぎるところから来るんです。無意識のうちに身体を動かしているから、本当の意味で休んでなくて、疲れちゃうんですよ。

 

対立構造が人間を動かす

久石:
考えることは止められますか?

養老:
いや、数学者の脳など、どうなっているのかよく分かりません。頭脳がほとんど自動運転みたいに動いています。

久石:
寝ている間も、ですか?

養老:
動いています。寝ている間に問題が解けたという有名な例がいくつかあります。たいてい間違いなんだけど(笑)。

久石:
なぜか数学者や医学関係の方に音楽が好きな方がすごく多いでしょう。

養老:
情動との関係ですから、一番難しいところですよ。僕がいつも言う脳の話は、大脳皮質の問題ですから、繋がりは平面上に広がっています。でも、感情はその下の部分の領域が司り、繋がりが立体的です。音楽が感情の部分に直に行くことは間違いありません。

久石:
感情の問題は大きいです。昨夜、六月にドヴォルザークを振る予定が突然ブラームスの四番に変更になり、僕は大好きだから俄然やる気まんまんです。ブラームスは論理的なものと感覚的なもの、あるいは感情的なものが全く相容れないぐらいに並立している男なんです。頭の中ではベートーヴェン的な論理構造に憧れているのに、感性は完全にロマン主義の体質です。一人の中で激しいダイナミズムが起こり、矛盾したものがそのまま音楽に表れているからすごいんです。やはり、対立構造が人間を動かす原動力になっているんじゃないですか。

養老:
ニーチェの最初の著作『悲劇の誕生』は、ギリシャ悲劇は目と耳の二項対立から生まれる、ということだけ説明した本ですが、久石さんの話と同じですね。今、話を聞きながら、僕は自分の中で、何が対立しているんだろうと考えていましたが、これだけ長く生きてもはっきりしません。だから、あまりプロダクティブじゃないんでしょう。いつも適当に折り合っていますからね。

久石:
ユダヤ人の音楽家は大勢いますが、考えてみると、みなさんプロダクティブです。シェーンベルク、バーンスタイン、アシュケナージ…。『逆立ち日本論』によると、ユダヤ人は「『遅れていることを受け容れるのと引き替えに、イノベーションの可能性を手に入れる』ということを知った集団」だそうですが、あらかじめ対立構造が生まれるテーマが与えられた人たちみたいに見えます。

養老:
ユダヤ人の文化を調べること自体がプロダクティブな行為になります。山本七平さんや内田樹さんなど、ユダヤを専門にしている人からは、今まで日本にないような思考が出てきます。

久石:
ユダヤ人抜きの西洋音楽が成り立つかどうか、知りたくなります。

 

~中略~

 

日本人は互助会方式で

 

~中略~

 

久石:
日本人が海外でコンサートやイベントをやろうとする時、保険会社が最大の問題なんです。何が起こるか分からないから、どうしても保険が必要なのですが、日本の保険会社を通すのには異常に手続が多くて、時間がかかりすぎるんです。比較的緩いのがドイツ系らしいです。日本人が感じているより、世界の中で保険はものすごく重要なんです。

養老:
今日、テレビでやっていましたが、原発に保険をかけるとしたら七百兆円かかるそうです(笑)。無理ですよ。民間が引き受けられるはずもない。

日本は今、フリーメイソン、マフィア、華僑会型を採るか、アングロサクソンの保険型を採るかという、境目のところに来ていますね。保険会社だとオープンで行くわけですが、日本人に合っているのは、むしろユダヤ型のオープンではない共同体型の保障じゃないでしょうか。大震災が起こる前から言っていたんですが、日本にも互助会方式の、保険に代わる組織が必要ですね。

久石:
互助会方式、いいな。今、西欧型の保険がこの国では成り立たなくなっていますからね。僕は長野で育ちましたが、昔は、小さな町や村の中で、お互いの助け合いが色々ありました。今は、ほぼなくなっているでしょう。

養老:
それが子供の教育に一番出ちゃったんです。昔は、共同で子育てっていう感覚で、理屈じゃなく、よその子を平気で怒っていたんです。子供がそのまま大きくなって困るのは自分、という感覚だったんです。今は、人の子だから知ったことじゃないし、親の方も、関係ない人間がなぜうちの子を叱るんだという話です。

久石:
完全に関係性が切れています。そして、清潔に、清潔になりすぎていて、転んで痛い目に遭わないようにしています。無菌状態のまま、どんなことが危険なのか分からないまま大きくなると、この子たちをどう育てる気なんだろうという感じがしています。

(「新潮45 2012年6月号」より)