Posted on 2018/10/05
「キネマ旬報 2000年7月上旬 夏の特別号 No.1311」に掲載された久石譲インタビューです。オリジナルソロアルバム「Shoot The Violist」の話から、「BROTHER」(北野武監督)、「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)の話まで。
特に映画音楽への久石譲の流儀、第一線を走り続ける立場と覚悟。強くストレートに語られた言葉たちが印象的です。もうこの頃から日本の映画音楽を背負ってたつ決意のようなものをしっかりと持っていて、だからこそ約20年を経て今現在でもトップを走りつづけている。名言の宝庫です。
久石譲インタビュー
映画音楽の王道をきっちり守っていかなければならない
インタビュー:賀来卓人
絶好調である。この春から初夏にかけて篠原哲雄との「はつ恋」と秋元康との「川の流れのように」が公開されたのに続き、先頃北野武との「BROTHER」を完成させたばかり。さらに来年夏に控える宮崎駿との「千と千尋の神隠し」に加え、初監督作品も準備中。海外版「もののけ姫」の世界公開も進み、オリヴィエ・ドーハン監督とのフランス映画の仕事が決まるなど、国際的に知名度も増してきている。90年代半ば、映画音楽の作曲家としてピアニストとしてどうあるべきか悩み停滞した久石譲は、その迷いを捨て、猛烈なる目的意識の中で燃えさかっている。日本映画のリーディング・コンポーザーが今、吠えた。
社会を反映できない曲を書き出したら終わりだな
久石:
「今年に入って、イギリスのバラネスク・カルテットという弦楽四重奏団を呼んで『Shoot The Violist』というソロアルバムを出したんです。これで非常に吹っ切れましてね。ああ、自分の代表作ができたなって。20代とか大学を出るところでね、こういう作曲家になりたいって思っていたことを20年かけて完成させたっていう感じかな。「ピアニストを撃て」という映画に掛けたタイトルなんだけれど、カルテットというのはヴァイオリンやチェロと違って、ヴィオラっていちばん埋もれがちになるんですね。カルテットの中では、弱者なんです。その弱者を撃てっていう反意語で使っていたものが、現実では17歳の子供がキレて弱者をねらってる。時代の最も悪い雰囲気を警鐘のように捉えられたアルバムになったなあって。これを作ったことで、自分の中で何かが吹っ切れましたよね。去年辺りまでクラシックなアプローチを極めてたりしたんですけれど、このままこの道を走るのかどうかすごく悩んだんですね。で、結果はそうじゃない道を選んだ。つまり巨匠じゃない道を歩んでいると(笑)。それがすごくよかったな、と。」
-再び時代に乗ってきたという実感なのではないですか。
久石:
「僕がいまいるポジションというのは、クラシックの前衛芸術家という立場ではないですね。あくまで町中の音楽、つまりポップス。自分のソロアルバムを買ってもらう、一般に映画で見てもらうというのが自分の原点だから、自分が完成されていくっていうことよりも、自分と社会の関係の方が大切なんですね。今みんなが生きていて苦しんでいることを反映できないような曲を書き出したときには終わりだなって、いつも思っているから。そういう自分の生き方を踏まえたINGで動いてるっていう自分が確認できたことがうれしいってことかな。それにスタンスに余裕ができましたよね。音楽を作る上で、あるいは映画の音楽を作る上で何が必要で、自分に何が欠けているのか、それがすごく分かるようになってきたということですね。」
-そこへ至る「もののけ姫」以後のアコースティックな傾向というのは、日本的な部分にこだわったということも含めて、意識的にやってこられたとしか思えないですが。
久石:
「非常に意識的にやりました。コンピューター上の打ち込みものでは、音楽を作っていくときの最低限必要な情報量が圧倒的に少ないんですよ。最初から分かっていたことなんだけれど、なおのこと、もうそのレベルではダメだということですか。「BROTHER」に関しては揺れ戻しで、戻ってるんですよね。打ち込みでしかできないエスニックな大パーカッションとフルオケとかね、そういうブレンドに入りましたから、そういう意味でならオケだけよりもスケール感は増しましたよね。」
-宮崎さんの新作で何らかの答えが出てくる可能性がありますね。そこを目標にしていませんか。
久石:
「あ、絶対ありますね。というのは、宮崎さんとは今度が7作目になるのでしょうか。一本やるたびに苦しみます、映画3、4本分くらいに。それをやってきて、そのたびに新しい方法なり、自分を発見してきていますから、やはり今のやり方、世界観でちょうど来年の夏の公開を目指す、そのあたりには確実に形になるな、あるいはしたいなって、素直に思いますよね。イメージアルバムは年内に作ります。そこでは40%くらいそれをお見せできるかな。」
-「BROTHER」のテーマ・リミックスを拝聴しますと、リズムの華やかさや仁義を感じさせるトランペットが非常に面白いですが、総じてカッコイイ曲になってますね。
久石:
「そうだね、いろんなことを考えていても、結果ね、出てくる音が自分たちにとって聴いてみたいかそうでないかっていうのは、映画音楽でも同じなんですね。あくまで画面で書いているから、劇を邪魔しない音楽の方が正しいっていう人がいるんだけど、僕はまったくそんなことを考えていないんですよ。壁みたいな音楽なんか書いてどうすんだいっていうのがある。音楽が鳴ることによって映像がもっと引き立つ、あるいはあえて違和感のあるものをぶつける、あるいは相乗的によくなる、何らかの形できちんと主張しなかったら、それは無駄な音楽ですよね。」
周りから撮らないかというお誘いがあって
-昨年亡くなられた佐藤勝さんなども映画音楽を掛け算で考えられていた節がありました。
久石:
「佐藤さんはね、僕が25歳のときにお手伝いをしていたんですよ。いわゆる弟子になったわけではなくて、一本の映画の中でテーマが4個あるとすると、そのうち一個を書いてアレンジして持っていく。だから佐藤さんのスコアを僕が手伝って書くとか、そういうことは一切なかったんですよ。あくまで助っ人のような感じで書いていたんですよね。「ルパン三世」の実写版とか「球形の荒野」とかね。本当に議論好きでね。いやもう、ずっといい先生でしたよね、気持ちの中では。」
-今年の日本アカデミー賞での久石さんの受賞スピーチをお伺いしますと、佐藤さんの跡を継がなければという覚悟を感じましたが。
久石:
「それはありましたね。日本の映画音楽の王道として、やはり早坂文雄さんが作られてきた映画音楽がありました。それを佐藤さんがきちんと継承してずっとメインでやってこられた。早坂さん、佐藤さんがおやりになったことを僕が継ぎますとは言い過ぎで自惚れた言い方になるのかもしれないけれど、あのとき壇上にいた僕を含めた優秀賞を受けられた方たち、あるいは今映画音楽を書いている方たちが、映画音楽の王道をきっちり守っていかなければならないって、そういう気持ちがすごく強かった。佐藤さんのね、クセの音ってあるんですが、ずいぶん影響を受けました。今書いていても、たまに「あ、佐藤さんだったらこう行くな」っていうのがある。もっとも佐藤さんによると「君は僕と全く違うものを書くなあ」っておっしゃっていたし、僕も「そうですよね」って返してましたが(笑)。不良息子がやっと家業を継ぐ気になったという感じかな。」
-久石さんの場合はピアニスト久石譲という側面をお持ちですし、大衆音楽への関心が強い。その意味では、映画音楽を大衆とつなぐ橋になる可能性を持っています。
久石:
「大衆性って、すごく大切なんですよ。僕は芸術作品を書いているわけではない。あくまでも今生きている人たちが何で音楽を聴くのかな、そのニーズと自分がやりたい音楽のせめぎ合いの中で、音楽家としていちばん必要である発言をしていく、それがやはり最も大切なんだと思うんです。その中で僕にとって映画音楽というのは欠かすことのできない世界なんですよ。」
-そうやってきた今、映画音楽家から映画監督へという流れは必然に映るのですが。
久石:
「映画監督について本当にはっきり言わなければならないのは、僕が自分からやりたいとは一言も言ってないの。宮崎さんとか北野さんとか、とんでもない世界的な人とずっとやってきているでしょ。そうして、「お前、俺の映画の音楽をやってきていて、こんなものしか作れないのか」と言われたら、アウトじゃないですか(笑)。ただ周りから撮らないかというお誘いがずいぶんあって、その中の一つが形になってきたときに、ここまで来たなら一本撮ってみようかなって思ったわけなんですけれどね。覚悟はできてます。今回は共同で脚本を書きました。書く側に回ることで、いかに柱とト書きと台詞だけで世界を作るのが大変か。それがよくわかったし、今まで相当脚本を読み込んできたと思っていた自分がずいぶん浅かったことに気付くわけです。反省しましたよね。これから映画音楽を作っていく上で想像以上の財産になりますね。タイトルは「カルテット」というんですが、弦楽四重奏団のお話なんです。大学時代にいいかげんに弦楽四重奏団を組んだ人間がコンクールを受けて大失敗して、それぞれ社会に出るんだけれど、挫折を死ぬほど味わって、もう一回再結成してコンクールを受ける、という話なんです。それともう一つは主人公の家族ですよね。家族崩壊をしている息子が親を分かっていく。同時に自分の音楽も豊かになっていく。難しいんですよ。初監督でこんなことやるなよって思ったんですけれどね(笑)。今の予定では夏にクランクインです。完成は秋くらいでしょうか。来年の春頃に公開する予定です。」
音楽家・久石譲とは何かをずっと考えてきた
-監督も経験して、今後21世紀の久石譲はどうなっていくのか。
久石:
「一言で言ってしまえば、久石譲の音楽とは何だったのか、証明したいということかな。音楽家・久石譲とは何かということをずっと考えてやってきたわけで、それに対する答えをちょっとでも出せれば…出るわけはないんですけれどね。出ないんだけれど、それを知りたい。映画音楽の中でそういうことを表現できるキャパシティって十分ある。」
-佐藤さんは「劇伴」という言葉を嫌ってました。
久石:
「僕も大っ嫌い。打ち合わせで劇伴って出た瞬間に「ああ、劇音楽はね」って、必ず言い直しをしてね、訂正させます。冗談じゃない。劇の伴奏なんてだれが書いているんだと。」
-なぜ映画音楽が面白いのか、一つにはその音楽が面白いからです。
久石:
「そうなんです。音楽としてつまらなくて、それが実は「劇伴」というやつなんですが、そんな単体で聴いたらつまらないものを何となく流しておくみたいな、そんな音楽なんてつけちゃマズイですよ。映画の音楽をやったことがある作曲家にね、「久石さん、映画の音楽って安いでしょう」って言いにくる人がいるんです。そのとき「あ、ごめん、俺、恐らく日本の映画の4、5本くらいの音楽予算がないとやらないから、決して安くないよ」って、はっきり言いますよね。「これはぜひ久石さんの音楽が欲しい。でも予算がなくて」なんてさ、それで役者の衣装に費用をかけたりするとさ、「こらっ」って、思うじゃないですか。だったら衣装の一つや二つ削って、音楽予算を作ればいいじゃないかと。例えば「内容さえよければ、どんなに低予算でも私はやります」っていえば、それは70点の回答なんだけれど、それって逃げてる言葉なんです。自分をカヴァーしているだけ。「安いものは基本的にやりません」って言う方が誠意があると思う。」
-それは久石さんを追い込み発言ではありますが、映画音楽ってお金が必要なんだという認識にもつながりますし、当然いい音楽を作るにはお金がいる。
久石:
「いります。シンセで後ろにちょこっと流しておこうという話でなければ、やはりちゃんとお金をかけなければいけない。もし僕が安いギャラで引き受けてしまったら、後に続く連中がもっと安くなってしまう。だれかが突っ張って言っていかないと、ほかの連中がもっとかわいそうになってしまう。自分が置かれた立場を考えると、責任感というものが少しは芽生えましたね。そういう意味では発言の場を作って、機会のあるごとに言っていかないと、日本の映画が豊かにならない気がするんですよ。自分自身がやりやすくなるためにも環境を作っていかなければいけないんです。」
(「キネマ旬報 2000年7月上旬 夏の特別号 No.1311」より)