Posted on 2023/12/16
「毎日話す」「仕事でしか会わない」
鈴木敏夫と久石譲が語る「宮﨑駿との関係」と『君たちはどう生きるか』
宮﨑駿の引退を報じるニュースは、信用できたためしがない。
日本のアニメーション界の巨匠である宮﨑駿が、アニメ映画制作から引退すると繰り返し宣言する理由。それは、手描きによる新たな世界を創造することに伴う負担への反動である──。
少なくとも、スタジオジブリの設立者の一人で、これまで40年にわたり宮﨑の右腕を務めてきた鈴木敏夫(75)はそう考えている。
「彼は映画を完成させるたびに疲労困憊して、次回作のことなど考えられなくなります」と鈴木は言う。
「肉体的にも精神的にも、エネルギーを使い果たしてしまう。だから頭を空っぽにするための時間が必要なんです。それと、新たなアイデアを思いつくための真っさらなキャンバスも」
2013年の『風立ちぬ』が宮﨑の最後の作品になるといわれてから10年、82歳になる彼の最新作『君たちはどう生きるか』はこの夏、日本で大ヒットし、12月には米国でも公開された。
監督自身はこの最新作について取材に応じていないが、熟練プロデューサーでもある鈴木と、長年にわたり宮﨑映画の作曲を担当してきた久石譲(72)がそれぞれ米紙「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューに応じ、最新作や巨匠との共同作業について語ってくれた。
鈴木敏夫が最新作を見て「面白い」と感じたこと
鈴木はラフな身なりで、トトロの刺繍が入ったクッションの横に座り、日本から通訳を介して気さくに話してくれた。
鈴木によると、最新作は宮﨑の最も個人的な作品だという。第二次世界大戦末期を舞台にした本作は、火災で母を亡くした11歳の眞人が田舎に疎開し、そこで異世界に導かれるというストーリーだ。
「このプロジェクトが始まったとき、宮﨑が僕のところに来て、『これは僕の物語になるんだけど、大丈夫かな?』と聞いてきたんです。僕はただ頷きました」。宮﨑の意向に逆らっても仕方ないと達観した者らしく、鈴木は淡々と当時を振り返る。
鈴木によれば、宮﨑は長年、少年を主人公にした映画を作るとなれば、必然的に自分の子供時代からインスピレーションを得ることになるため、面白い物語にならないのではと心配していた。幼少期の宮﨑は人とコミュニケーションをとるのが苦手で、代わりに絵を描くことで自分を表現していた。
「この映画では、宮﨑は自らをモデルに主人公を作り上げているのですが、彼は自分の分身である少年の繊細で悲観的な性格を隠すために、ユーモラスな場面をたくさん盛り込んでいるんです」と鈴木は言う。「見ていてそれが面白かったですね」
宮﨑が主人公の少年なら、自分は物語のなかで彼の背中を押す、いたずら好きな「青サギ」だと鈴木は語る。さらに、スタジオジブリの三銃士の一人で、2018年に逝去した高畑勲監督は、眞人が迷い込む異世界を支配する老いた賢者「大叔父」としてスクリーンに登場する。
第一印象は最悪
鈴木が初めて宮﨑と顔を合わせたのは1970年代後半、宮﨑が初監督作品の『ルパン三世 カリオストロの城』を制作していたときだった。当時、鈴木は編集者で、宮﨑にインタビューを申し入れていた。
ところが、絵コンテの制作に没頭していた宮﨑は取材にまったく関心を示さず、無視を決め込んだ。
「こっちは親切心から、彼の作品を読者に紹介してあげようと思ったのに、愛想も悪いし態度も失礼だし、すごく腹が立ちました」と鈴木は言う。
鈴木はその後2日間スタジオに居座り、宮﨑のだんまりに付き合った。3日目に宮﨑が、「カーチェイスで、一台の車が別の車を追い抜くことを何というか知っているか」と鈴木に尋ね、鈴木が該当する表現を教えてあげたことで、ようやく二人は打ち解け、彼らの長い関係が始まった。
「宮﨑もいまだに初対面のときのことを覚えていて、僕を胡散臭いやつだと思ったそうです。それで、僕に話しかけるのにやたらと慎重になっていたわけです」
月日を重ねるごとに、鈴木はますます宮﨑にとってなくてはならない存在になっていった。
「いつもこう頼まれるんですよ、『鈴木さん、僕の代わりに重要なことを覚えておいてくれないか?』って。そうすれば、映画に関係ない重要な物事はすべて忘れてもいいという気になるんでしょうね。こっちは彼のためにそれらを覚えておかなくちゃならない」
単なる仕事仲間を超えて親友同士となった2人は、緊急の要件がなくても日々語り合い、月曜日と木曜日には直接会うことにしている。
「話す内容はごく些細なことばかりです。寂しいのか、あるいは僕に会いたいんじゃないかな。いつも彼のほうから電話をかけてきます。僕からはかけません」と鈴木は笑いながら言う。
「たまに午前3時とか、真夜中にかかってくることさえあります。第一声で、『起きてた?』って聞かれるんですけど、そんなわけないでしょう。とっくに寝てますよ!」
「一緒に食事もしないし、飲みにも行かない」
対照的に、1984年の長編映画『風の谷のナウシカ』で初めて宮﨑と組んだ作曲家の久石譲は、監督との関係はあくまで仕事上の付き合いだけだという。
「僕たちは個人的に会ったりしません」。上品なセーターに身を包んだ久石は、通訳を介してそう話す。「一緒に食事もしないし、飲みにも行かない。会うのは仕事の打ち合わせのときだけです」
その感情的な距離感こそが、11作品に及ぶ2人の関係を、創作面で実り多いものにしてきたのだと久石は言う。
「相手の人柄を知り尽くしていれば、仕事上で良い関係が築けると思われがちですが、必ずしもそうとはいえません。僕にとって最も重要なのは作曲することです。宮﨑監督にとって人生で最も重要なのは、絵を描くことでしょう。私たちは2人とも、自分の人生にとっていちばん重要なことに集中しているんです」
監督の誕生日に贈り続けているもの
『君たちはどう生きるか』では、宮﨑は久石になんの注文も出さなかった。久石がようやく見せてもらえた作品は、映像的には完成間際だったが、まだ効果音もセリフもいっさい入っていなかった。このとき宮﨑は、久石に「あとはよろしく」とだけ言ったという。
「私なら任せられる、何か思いついてくれるだろうと、監督に期待されているように感じました」と久石は言う。「すごく信頼されていると思いましたね」
これまでの作品では、宮﨑は4~5パートある絵コンテのうち、3パート出来上がった時点で久石を呼んで打ち合わせをするのが常だった。今作でそのやり方を変更できたのは、2人の歴史があってこそだ。
「オリンピック選手みたいなものですよ、40年間、4年ごとに1作、映画を作り続けている感じです」と久石は言う。「練習と実践を長いこと繰り返してきました。振り返ってみると、作品ごとにまったく異なる映画の楽曲をよく書けたなとびっくりします」
久石は現代クラシックの作品で、繰り返しのパターンを用いたミニマルな作曲手法に取り組んでおり、『君たちはどう生きるか』でもそのアプローチを採用している。
単なる仕事仲間と言いながら、久石はこの15年間、毎年1月に短い曲を作曲し、ピアノで演奏したものを録音して、誕生日プレゼントとして宮﨑に贈っている。この習慣は、いまや熟練の域に達した作曲家にとって、幸運のお守りのようになっている。
「3年くらい続けた後、もう充分かなと思ったんです。それで翌年は贈らなかった。そうしたら、その年はずっと調子が悪くて。ジンクスみたいになってしまって、また誕生日に曲を贈るようになったんです」
久石も鈴木も、数十年間、宮﨑との付き合いは変わっていないと話す。それどころか、2人とも、こうした習慣を頑なに守り続けている。
なぜ宮﨑との深い関係がこれほど長続きしているのかと尋ねると、鈴木はこう答えた。
「必ずしも同意はしませんが、宮﨑にこう言われたことがあります。『君ほど僕に似ている人には会ったことがない。こんな出会いは君が最初で最後だろう』って」
出典:鈴木敏夫と久石譲が語る「宮﨑駿との関係」と『君たちはどう生きるか』 | 「毎日話す」「仕事でしか会わない」 | クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/347548/
なおこの記事は11月27日The New York Timesに掲載されたものの日本語版になります。
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