Overtone.第14回 「交響曲第3番/マーラー」のポストホルン

Posted on 2017/12/26

ふらいすとーんです。

「好きになりませんように。」「趣味にあいませんように。」そんな気持ちでおそるおそるプレイボタンを押すことってありますか?

クラシックに疎いなかで、マーラーという作曲家は名前だけが先行していて実際にちゃんと聴いたことがない。一年間で好きな作家や長大な小説を読破するそんな目標を立てるように、マーラー交響曲全9作品をちゃんと聴いてみようとはじめました。案の定、作品ごとにいろいろなCD盤を聴き比べてお気に入りの1枚を探すこともまた楽しい行程、聴いて調べて横道にそれてゆっくり味わいながら。

この交響曲第3番は好きになりたくなかった。気に入ってしまったら毎回とおしで100分の時間を捧げなければいけない。それもそのはず、この作品はかつて「世界最長の交響曲」としてギネスブックにも認定されていたとのこと。長いはずです。マーラー交響曲は全9作品、すべてを気に入る必要もない……そんな不純な願いを一蹴するかのように見事にハマってしまいました。

映画『となりのトトロ』よりも長編。トトロに出会って、メイが迷子になって、ネコバスに乗って、お母さんにとうもろこし届けて、となりのトトロ歌って、”おわり”のエンドクレジットで幸せな気分になって。…その頃こちらの交響曲第3番はというと、やっと最終第6楽章のクライマックスにさしかかろうというところ。長いはずです。

映画一本分にも相当するこの作品、中盤なかだるみすることなく、最後に待ちうけるのは至福のカタルシス。ハッピーエンド・バッドエンドという物語の特性に左右されることのない、音楽だけの持ついかようなクライマックスをも潜めたエネルギーの解放、至極の満足感と解放感で胸いっぱいになります。

 

 

たまたま初めて食べたその料理のせいで完全シャットアウト、嫌いになってその後二度と口にすることのない食べ物のように。どうもやっぱり音楽にもそれがあるようです、残念ながら。最初に聴いた演奏でまったく自分のなかの音楽センサーが反応しない、こんなもんか、自分には合わない作品だなと終わってしまう。

でも少しずつクラシックを聴きなれていくと、演奏は合わなくともきっといい作品に違いない。本質的には好きかもしれない、もっといい盤を見つけることができたなら、相性よくお気に入りの愛聴盤になるかもしれない。そんな目利きならぬ耳利きが育っていくのかもしれません。

ご多分に漏れず、この作品もテンポや響き、管弦楽のバランスなどによってまったく印象がちがう。優劣をつけるのではなく、もうそれは「こうあってほしい」という聴き手のイメージと願望に近い選び方。そしてこの1枚に出会いたときには飛び跳ねるほど幸せでした。

マーラー交響曲第3番、名盤とっておきのオシ盤はこれです。

 

マーラー:交響曲第3番

1 Kraftig.Entscheiden 34:20
2 Tempo di minuetto. Sehr massig 9:08
3 Comodo. Scherzando. Ohne Hast 15:44
4 Sehr langsam. Misterioso. 4:41
5 Lustig im Tempo und keck im Ausdruck. 9:12
6 Langsam. Ruhevoll. Empfunden 20:07

指揮:ヴァーツラフ・ノイマン
演奏:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、マルタ・ヴェニャチコヴァ(アルト)、プラハ室内合唱団、ミロスラフ・ケイマル(ポストホルン)

録音:プラハ「芸術家の家」ドヴォルザーク・ホール(1994年)

オクタヴィアレコード/ハイブリッドSACD/2枚組

 

 

好きになった理由、より好きになった理由は、すべてCD情報に書かれています。

 

 

ノイマン(指揮)

マーラーと同郷ゆえにボヘミア様式の音楽づくり、素朴で民謡的なモチーフを多く含んだマーラー作品を自然体で豊かに表現しています。端整であり悠々と歌いあげ大きく広がりのある響き。ノイマンはドヴォルザークやベートーヴェン作品もたくさんいい録音があって、結局ノイマン指揮が愛聴盤にすっと落ち着いてしまうということも僕のなかではしばしば。

 

第1楽章は力強いホルンの響きと多彩な主題が絡み合う壮大な行進曲のリズム、第2楽章は軽やかで優しく弾むメヌエット、第3楽章は素朴で神秘的なポストホルンによる旋律、第4楽章はニーチェの言葉にのせてゆったりとアルト独唱、第5楽章はアルトと女声合唱・児童合唱による天使と鐘の響き、第6合唱は弦楽合奏による美しい感動的な境地。

構想の段階では、全体のタイトルとして「真夏の昼の夢」などの言葉が頭にあって、第1楽章「牧神が目覚める、夏が行進してやって来る(バッカスの行進)」、第2楽章「野の花たちが私に語ること」、第3楽章「森の動物たちが私に語ること」、第4楽章「人間が私に語ること」、第5楽章「天使が私に語ること」、第6楽章「愛が私に語ること」というタイトルが付けられていました。出版の際に誤解を与えかねないとしてこれらの標題はすべて削除されることになりました。が、作品の本質に迫るための鍵としてきわめて重要なものです。交響曲第3番は、自然と人間の存在について、自然観や宇宙観といった壮大な世界が表現されています。

世界観も壮大ならば、音楽構成も多種多彩。それを見事にひとつの大きなかたちとして巨大に構築したマーラーと、収拾つかなくなりそうな音楽的素材たちを縫い目よくまとめあげるノイマンの指揮。第6楽章はクライマックスに向けて最高潮に達しながら終わりそうで終わらない。クセになるほどたたみかけるハイライトの巨渦。大きく起伏する重厚なストリングスの波は怒涛のごとくおし迫り。壮絶な解放感と同時に、このまま終わってほしくないと思わせてしまうほど。これほどまでに名残惜しい残響はない。本当に巨大な宇宙のような作品なんです。

 

 

ポストホルン

ポストホルン? 18世紀から19世紀ヨーロッパで使われていた郵便ラッパのことで、バルブを持たない円柱状の金管楽器、ホルンの仲間とあります。オーケストラのトランペット奏者が演奏するのが一般的で、この楽器は現代では珍しくなったため、トランペットやフリューゲルホルンで代用されることもあるそうです。素朴な音が特徴でモーツァルトもこの楽器のための協奏曲を残しています。

 

ホルン

ポストホルン

 

 

ミロスラフ・ケイマル

交響曲第3番のポストホルンならびにトランペット奏者、ミロスラフ・ケイマル。チェコフィル前首席奏者、ノイマン指揮×チェコフィルとして他マーラー作品でもケイマルさんのトランペットは健在です。第3楽章のトランペットのソロ録音に、ノイマンが聴き惚れ涙を流したというエピソードもあるほどです。ケイマルさんのスケジュールに合わせてマーラー交響作品録音スケジュールの作品順番を入れ替えたというエピソードも。絶大なる信頼とトランペット奏者として存在の大きさがわかります。

 

 

さて。

この辺りからぼちぼちつなげていきます。

 

久石譲 × ケイマル

すぐにピンときた人はすごい!映画『ハウルの動く城』公開に先がけて制作されたイメージアルバム。「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」そのなかに「Cave of Mind」というトランペット旋律の美しい楽曲があります。この奏者こそミロスラフ・ケイマルさんです。

久石さんは当時このように語っています。

「実際に演奏してもらい、“こんなにいい曲だったんだ”と驚かされることってあるんだよね。いい演奏者というのは、そうやって曲の持っている力を引き出してくれる。『ケイヴ』はまさにそういう曲だった」

 

久石譲 × チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

イメージアルバムの枠を超えたフルオーケストラによるひとつの完成されたハウルの世界。100%音楽だけでその世界観を表現しようと、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団と本拠地プラハ「芸術の家」ドヴォルザークホールで録音し、ロンドン アビーロードスタジオで仕上げた渾身の作品です。

 

 

 

ケイマルさんの響きはここで終わりません。

イメージアルバム制作後、ハウルの音楽は二転三転します。宮崎駿監督の「映画をひとつのメインテーマでいきたい」という希望から、イメージアルバムにはなかった一曲が新たに書き下ろされます。そう「人生のメリーゴーランド」、このメインテーマと変幻自在なバリエーション(変奏)によってハウルの世界観は統一されました。

そんななか宮崎監督がイメージアルバムを聴いて気に入っていたのが「Cave of Mind」。この楽曲を本編でも使うことはもちろん「本編もこの音がいい」とケイマルさんのトランペット・ソロを強く望みました。

サウンドトラックは新日本フィルで録音するため、「Cave of Mind」だけチェコフィルの録音をそのまま使うことは難しい。なんとケイマルさんをたった1曲のためだけにチェコから呼んだ。新日本フィルハーモニー交響楽団と一緒に再度あの美しい旋律を甦らせたのが「星をのんだ少年」です。付け加えるなら、本編映像に音楽をあわせたときに「最後にメインテーマに戻りたい。これはハウルとソフィーの物語だから」という録音当日の宮崎監督の要望をうけて、その場で修正を加え「星をのんだ少年」には「Cave of Mind」になかった「人生のメリーゴーランド」の旋律が終盤に追加されることになりました。ケイマルさんを呼んだからこそ、この追加パートでもメインテーマの旋律と絡み合うトランペットの美しい音色を聴くことができる、そんな贅沢な一期一会が記録されることになりました。

いろんなエピソードがあるんですね。幾多の奇跡の連続で音楽は誕生しているんですね。

 

ハウルの動く城 サウンドトラック

 

 

今では、「SYMPHONIC VARIATION “MERRY-GO-ROUND”」として演奏会用に音楽再構築された「シンフォニック・バリエーション メリーゴーランド」がコンサートで演奏される機会に恵まれています。「SYMPHONIC VARIATION “MERRY-GO-ROUND + CAVE OF MIND”」版は、その名のとおり「ケイヴ・オブ・マインド」を加えた作品です。こちらはジブリコンサートなどでも披露されています。オフィシャル・オーケストラ・スコアも出版されています。

 

 

 

「交響曲第3番/マーラー」(1994録音)と「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」(2004録音)の共通点は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ミロスラフ・ケイマル(トランペット)、芸術の家 ドヴォルザーク・ホール録音でした。

これだけでもすごい共鳴なんですけれども、1994年と2004年の間にもうひとつあります。

 

映画「もののけ姫」の世界を、全8楽章から構成された交響作品へ昇華した「交響組曲 もののけ姫」(1998年録音)。この作品こそチェコ・フィルハーモニー管弦楽団との初共演。当時のコンサートツアーパンフレットにもレコーディング日誌が掲載されています、ドヴォルザークホールでの録音風景も紹介されています。今この写真を見返すだけでも、なんだか深い感慨をおぼえます。

 

 

久石譲 『交響組曲 もののけ姫』

 

 

オクタヴィアレコードよりハイブリッドSACDとして発売された「交響曲第3番/マーラー」は音質クオリティの高さにも注目です。迫力や臨場感はもちろん繊細な音も逃すことのない自然で豊かな響きです。ハイブリッドSACDは、通常のプレーヤーでも聴くことができてSACD専用プレーヤーならばさらに最高音質で聴くことのできる規格です。僕は通常のプレーヤーで聴いてますけれど…それでも文句なし素晴らしい。

このクラシック音楽専門レーベル オクタヴィアレコードと久石譲といえば。近年の活動を象徴するコンサート企画の録音が刻まれはじめています。ひとつは”現代の音楽”をナビゲートする「MUSIC FUTRE」、もうひとつは”現代の解釈”を堂々と提起する「ベートーヴェン・ツィクルス」。いずれもコンサート・シリーズ継続中で、現代ゆえの貴重な発信(コンサート)と記録(CD盤)が両輪で着実に生み残されていることは、きっと未来への宝物になります。

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE 2015』

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE II』

 

Disc. 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 『ベートーヴェン:交響曲 第1番&第3番「英雄」』

 

 

結び。

「交響曲第3番/マーラー」この作品にはじまり、愛聴盤を探す過程で出逢えた名盤とつながる点と線。「交響組曲 もののけ姫」発売当時、チェコフィルってすごいの?なにか違うの? と子どもよろしく素朴な疑問。「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」発売当時、ケイマルっていう人がいるんだ、たしかにきれいな音だけど、だって曲がいいし、くらいのふてぶてしい感覚……。

この無知で未熟なままの音楽思考が、マーラー作品の1枚のCDをとおして、やっとやっと巡り巡って周回遅れでたどり着いた感慨。名前やネームバリューといったもので音楽を聴くわけではないけれど、たしかに知って豊かになること、新しい聴こえかたがしてくる瞬間ってある。

その感動を運んできてくれたのが「交響曲第3番/マーラー」(ノイマン指揮)の名盤でした。今振り返ると、きっと久石さんもチェコ・フィルと共演すること、歴史と伝統あるドヴォルザーク・ホールで録音すること、とても感慨深く特別な想いがあったんだろうなあと、巡り巡ってやっと今とてつもない感慨におそわれます。

時間が経過しないとわからない価値もあるでしょう、時代の変化で価値がかわることもあるでしょう。そして価値を見いだせる聴き手、見いだせない聴き手(僕のこと)もいるんだということ学ばせてもらいました。反省というよりも、そのくらい久石さんは「今いいと思うこと、自分がこうだと思うこと」を妥協なく本気でやっている。いつの時代も全力で走りつづけてきた、その数々がきちんと残されている。そのことにその本質にいつ気づき共感共鳴することができるかは、聴き手に大きく託されている。そんなこわさを感じたというほうが正しいかもしれません。

 

今回なにを記したかったかというと、純粋に「交響曲第3番/マーラー」の作品のすばらしさを伝えたかったんです。聴く人それぞれに満足感を堪能できる作品です。ケイマルさんも第3楽章はもちろん各楽章で美しい旋律を奏でています。個人的にはマーラー交響作品 奇数番号ものに好きな作品が多い。マーラーが世俗的であったり民謡的なものを作品に込めたように、久石さんも日本作曲家として現代作曲家として「THE EAST LAND SYMPHONY」で世俗観や民謡的音階をのぞかせています。いろんな角度から眺められるようになると、ほんと音楽って面白い。まだまだ新しい発見や新しい聴こえかたがきっとある。

久石さんが作曲のためにクラシック音楽の指揮をしていると言うならば。僕は久石さんの音楽を広く深く愛するためにクラシック音楽を聴いている。結果そうなってきている、そんな気がしますね。

それではまた。

 

reverb.
この年末年始、ぜひ第6楽章だけでも聴いてみてほしい!心おだやかに心洗われます。あなたの今年一年を包みこんでくれますように♪

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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