Overtone.第84回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.6

Posted on 2022/11/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.6です。

今回題材にするのは『職業としての小説家/村上春樹』(2015)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

今回題材にするのは『職業としての小説家/村上春樹』(2015)です。

自伝的エッセイです。語られている内容は、これまでどこかで読んだことあるかも、と重複しているものも多いのです。でも、この本の文章はとても研ぎ澄まされていて、同じテーマもそのすべてを総括するように体系的に文章化されています。

なんでかなと思ったら「あとがき」でわかりました。”いつか語っておきたいことを、数年間かけて断片的に書きとめておいたもの”。つまり時間と推敲を重ねるなかで、文章と思考が磨かれてきたかたちとして収まっている。繰り返し語られるのは、それだけ大切であり本質であるということ。だから、とっても噛みごたえあるというか、しっかり噛んでゆっくり咀嚼したい、そんな本です。

 

自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

”そういう作業を進めるにあたっては音楽が何より役に立ちました。ちょうど音楽を演奏するような要領で、僕は文章を作っていきました。主にジャズが役に立ちました。ご存じのように、ジャズにとっていちばん大事なのはリズムです。的確でソリッドなリズムを終始キープしなくてはなりません。そうしないことにはリスナーはついてきてくれません。その次にコード(和音)があります。ハーモニーと言い換えてもいいかもしれません。綺麗な和音、濁った和音、派生的な和音、基礎音を省いた和音。バド・パウエルの和音、セロニアス・モンクの和音、ビル・エヴァンズの和音、ハービー・ハンコックの和音。いろんな和音があります。みんな同じ88鍵のピアノを使って演奏しているのに、人によってこんなにも和音の響きが違ってくるのかとびっくりするくらいです。そしてその事実は、僕にひとつの重要な示唆を与えてくれます。限られたマテリアルで物語を作らなくてはならなかったとしても、それでもまだそこには無限の──あるいは無限に近い──可能性が存在しているということです。「鍵盤が88しかないんだから、ピアノではもう新しいことなんてできないよ」ということにはなりません。

それから最後にフリー・インプロビゼーションがやってきます。自由な即興演奏です。すなわちジャズという音楽の根幹をなすものです。しっかりとしたリズムとコード(あるいは和声的構造)の上に、自由に音を紡いでいく。

僕は楽器を演奏できません。少なくとも人に聞かせられるほどにはできません。でも音楽を演奏したいという気持ちだけは強くあります。だったら音楽を演奏するように文章を書けばいいんだというのが、僕の最初の考えでした。そしてその気持は今でもまだそのまま続いています。こうしてキーボードを叩きながら、僕はいつもそこに正しいリズムを求め、相応しい響きと音色を探っています。それは僕の文章にとって、変わることのない大事な要素になっています。”

~(中略)~

⇒⇒⇒

ん?これは小説を書くことじゃなくて音楽についてのことなの?というくらい音楽的にみてもとても説得力があります。作曲家や演奏家が強くうなずきそうです。逆に物書きで強く共感する人はいるのかな、というほうが気になってきます。いかに村上春樹さんが作家性としての特異なオリジナリティをもっているか、それもまた浮き立ってよくわかります。

 

 

”でも僕は基本的には、というか最終的には、自分のことを「長編小説作家」だと見なしています。短編小説や中編小説を書くのもそれぞれに好きですし、書くときはもちろん夢中になって書きますし、書き上げたものにもそれぞれ愛着を持っていますが、それでもなお、長編小説こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明確に──おそらくは最も良いかたちで──現れているはずだと考えています(そうは思わないという方がおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんが)。僕はもともとが長距離ランナー的な体質なので、いろんなものごとがうまく総合的に、立体的に立ち上がってくるには、ある程度のかさの時間と距離が必要になります。本当にやりたいことをやろうとすると、飛行機にたとえれば、長い滑走路がなくてはならないわけです。

短編小説というのは、長編小説ではうまく捉えきれない細部をカバーするための、小回りのきく俊敏なヴィークルです。そこでは文章的にもプロット的にも、いろんな思い切った実験を行うことができますし、短編という形式でしか扱えない種類のマテリアルを取り上げることもできます。僕の心の中に存在する様々な側面を、まるで目の細かい網で微妙な影をすくい取るみたいに、そのまますっと形象化していくことも(うまくいけば)できます。書き上げるのにそれほど時間もかかりません。その気になれば準備も何もなく、一筆書きみたいにすらすらと数日で完成させてしまうことも可能です。ある時期には僕は、そういう身の軽い、融通の利くフォームを何より必要とします。しかし──これはあくまで僕にとってはという条件付きでの発言ですが──自分の持てるものを好きなだけ、オールアウトで注ぎ込めるスペースは、短編小説というフォームにはありません。

おそらく自分にとって重要な意味を持つであろう小説を書こうとするとき、言い換えれば「自分を変革することになるかもしれない可能性を有する総合的な物語」を立ち上げようとするとき、自由に制約なく使える広々としたスペースを僕は必要とします。まずそれだけのスペースが確保されていることを確認し、そのスペースを満たすだけのエネルギーが自分の中に蓄積されていることを見定めてから、言うなれば蛇口を全開にして、長丁場の仕事にとりかかります。そのときに感じる充実感は何ものにも代えがたいものです。それは長編小説を書き出すときにしか感じられない、特別な種類の気持ちです。

そう考えると、僕にとっては長編小説こそが生命線であり、短編小説や中編小説は極言すれば、長編小説を書くための大事な練習場であり、有効なステップであると言ってしまっていいのではないかと思います。一万メートルや五千メートルのトラック・レースでもそれなりの記録は残すけれど、軸足はあくまでフル・マラソンに置いている長距離ランナーと同じようなものかもしれない。”

~(中略)~

⇒⇒⇒

”長編小説こそ”という内容は村上春樹の根幹にあたることよく語られます。久石譲でいうと「今はクラシックに籍をおいている」という根幹に近いかもしれません。自分の創作活動のフィールドやポジショニング、常に位置を定め確認している。そして、周りを見渡しながら(作家・大衆・社会)時代のなかで共鳴できるポイントの距離感を測っている。

先頭のほうの文章に戻ります。”長編小説こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明確に──おそらくは最も良いかたちで──現れているはずだと考えています(そうは思わないという方がおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんが)”、久石さんもそんなふうに思っているんじゃないかな、なんとなく。そう思っていてほしいなとも、なんとなく。

 

(「職業としての小説家/村上春樹」より 一部引用)

 

 

 

今回とりあげた、『職業としての小説家/村上春樹』。これまでにどこかで書いた語った散文的なものとは違います。小説家としての姿勢、大きく言えば小説家としての生き方のようなものが、作家自らによって思考をまとめあげるように、丁寧に濃密に記されています。とても価値のある稀有な種類の本だと思います。

今回はピックアップしたものがふたつ。自伝的エッセイらしい多彩なテーマについて記された本です。そのなかに、オリジナリティについてたっぷりと頁をさいた章もあります。オリジナリティとは何か、何をもってオリジナリティとするか、みたいなことが説得力たっぷりに記されています。ここはまたいつか、それだけでOvertoneしたいくらいの内容です。

今回はピックアップしたものがふたつ。いちばんロジカルにまとまっています。どちらもよく語られる内容で同旨あります。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

 

それではまた。

 

reverb.
好きな小説とか、まったく触れていない、今さらながら。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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