Info. 2016/06/16 久石譲書き下ろし エリエールブランドテーマ曲 制作決定

エリエールブランドの大王製紙株式会社では、世界的な音楽家である久石譲氏書き下ろしによるエリエールブランドテーマ曲を制作することが決定しました。当社では初めてとなるブランドテーマ曲です。

また、同楽曲は7月29日(金)に長野から始まる「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」において初披露されることも決定しました。同コンサートではエリエールブランドテーマ曲の他、宮崎駿監督作品の楽曲を交響組曲にするプロジェクト第2弾「もののけ姫」も初披露されます。(※「もののけ姫」はAプログラムのみの上演です。)

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Blog. 久石譲 『Quartet カルテット』(2001) 関連CD作品ご紹介

Posted on 2016/6/15

2001年公開 映画「Quartet カルテット」
監督・音楽:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 他

久石譲第1回監督作品です。脚本も共同で手がけ、もちろん音楽も久石譲による書き下ろし。映画タイトル「カルテット」とあるとおり、弦楽四重奏をベースとした青春ストーリーで音楽もクラシカルな弦楽四重奏をベースに構成されていますが、フルオーケストラや、シンセサイザーを織り交ぜた楽曲、久石譲ピアノによる演奏などバラエティ豊かな楽曲群です。

 

 

『Quartet オリジナル・サウンドトラック』 / 久石譲
2001.9.27 Release

日本初の本格的音楽映画、劇中使用曲フル・バージョン収録、ボーナス・トラックにリミックス・バージョン収録した映画サウンドトラック盤です。ロンドンにて一流弦楽四重奏団バラネスク・カルテットとそれらを録音しています。当初古典クラシック音楽を使用することも検討していた久石譲が、やはり自身のオリジナル曲で攻めたいとし、それならばと古典と自作を併用するのではなく、全曲オリジナルで書き下ろされた楽曲たちです。

既存のクラシック音楽の使用も構想していたこともあり、楽曲によっては、モーツァルトの「ディベルティメント」、パガニーニの「カプリース24」からイメージされるような楽想をもった楽曲も盛り込まれています。「となりのトトロ」~「HANA-BI」~「KIDS RETURN」というおなじみの楽曲たちも弦楽四重奏メドレーで収録されているのもうれしいところ。久石譲による楽曲解説もCDライナーノーツには記載されていますので、より具体的に理解できると思います。

 

QUARTET カルテット

Disc. 久石譲 『Quartet オリジナル・サウンドトラック』

 

 

『久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス』 / オムニバス
2001.9.27 Release

サウンドトラック盤と同日発売されたこちらのCDは、久石譲が自らセレクトした弦楽四重奏曲のコンピレーション・アルバムです。

「音楽を志した頃から、弦楽四重奏というものは当然あるべきスタイルとして頭にありました。カルテットというのは、基本的にはクラシック音楽のエッセンスだという気持ちがすごく強いんです。例えばベートーヴェンの作曲の仕方を見ていても、それぞれの時期、時代にまずピアノ・ソナタで新しい方法にチャレンジする、それをオーケストラでうんと拡大してその時期の自分のスタイルを確立して、最後に必ず弦楽四重奏を書くんですよ。それによってある時代の自分の音楽のアプローチというものに必ず区切りをつけていきます。ピアノでまずチャレンジ、オケで拡大、最後にカルテットでその時期をまとめるという繰り返しです。」

「ベートーヴェンにとってカルテットはどのくらいの重さがあったんだろうか、と作曲家として考えることがよくありました。我々が作曲を勉強する時に和声学という勉強をします。和声学はソプラノ、アルト、テナー、バスという4声体を基準にして音楽を作るんです。そうすると実は弦楽四重奏はそれと全く同じ形式になってしまう。つまり、作曲をやる上で最初に学ぶ形態が発展したものが弦楽四重奏なんだなというのが僕の根底の考え方です。したがって、作曲家にとって弦楽四重奏に最後に行き着くというのは、それが無駄をすべて削ぎ落とした本当のエッセンスのような究極の形態であるからという気がします。」

(CDライナーノーツより)

 

と同作品CDライナーノーツからの久石譲コメントにもあるとおり、久石譲が映画製作時期にあらゆる古典クラシック音楽のCDを聴きスコアを研究し、そのなかから選りすぐりの弦楽四重奏楽曲がセレクトされています。

 

久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス

Disc. V.A. 『久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス』

 

 

映画『Quartet カルテット』 DVD
2002.3.25 Release

映画本編を収録したDVDです。また映像特典「プロローグ・オブ・カルテット」にて久石譲インタビューが収録されています。ちなみに映画本編でエンドロールに使用されたメインテーマ曲は、ここでしか聴くことができません。サウンドトラック盤にボーストラックとして収録されたリミックス・バージョンともまた異なるエンドロール・バージョンが収録されています。具体的には、よりシンセサイザーによるリズム打ち込みをふんだんに際立たせたバージョンになっています。

 

久石譲 『カルテット DVD』

Disc. 久石譲 『Quartet カルテット』

 

 

『ブラス ファンタジア I ~宮崎アニメ作品集~』 / 上野の森ブラス
1994.1.24 Release

『ブラス ファンタジア II ~宮崎アニメ作品集~』 / 上野の森ブラス
1994.2.25 Release

映画『Quartet カルテット』よりも遡ること数年前。お馴染みのジブリ名曲たちを金管アンサンブル(トランペット/チューバ/ホルン/トランペット/トロンボーン)で奏でる、そんなカバーアルバムがありました。久石譲プロデュースでも、久石譲アレンジでもないこの作品ですが、原曲の持ち味を損なわない上質でハイセンスな品のあるカバー作品でした。

どういう経緯からかはわかりませんが、実は映画本編にも登場している上野の森ブラスのメンバー。たしか神社の境内か道端かで練習している金管アンサンブルを横目に、主人公たちが歩いているというシーンだったと思います。そこで上野の森ブラスご本人たちが実演しているのが、「ハトと少年」(天空の城ラピュタ)です。本編では抜粋演奏でしたが、もちろん同楽曲・同アレンジで収録されているオリジナル版がこのCDになります。(『ブラス ファンタジア I ~宮崎アニメ作品集~』収録)

個人的には幾多あるカバー作品、つまみ聴きで終わってしまうことが多いなかで、この上野の森ブラスに関しては、CD発売当時から久石譲CDと同じようにリピートしていつも聴いていた記憶があります。例えば「遠い日々」(風の谷のナウシカ)(同 II 収録)は、あの「ラン、ランララ、ランランラン♪」の切なく美しい旋律です。この作品では中盤から長調に展開したりするのですが、金管楽器のキラキラと輝くような音色の効果もあって、光が射しこみます。そのくらいおすすめな作品です。2006年に再販され、今でも廃盤になっていないようですので、そういうことなんだろうと思います。

 

ブラスファンタジア1

Disc. 上野の森ブラス 『ブラス ファンタジア I ~宮崎アニメ作品集~』

 

ブラスファンタジア2

Disc. 上野の森ブラス 『ブラス ファンタジア II ~宮崎アニメ作品集~』

 

 

『ジブリ・ザ・クラシックス』 / 久木田薫
2005.3.24 Release

『Unplugged GHIBLI アンプラグド・ジブリ』 / 久木田薫
2007.12.19 Release

映画「カルテット」の主人公たちのひとり、弦楽四重奏団にてチェリストを担当していた久木田薫。当時現役音大生として抜擢され、映画本編・サウンドトラック盤でも「冬の夢」(オリジナル版「MY LOST CITY」収録)を演奏しているのが彼女です。この映画の出会いがきっかけで、 『ジブリ・ザ・クラシックス』というジブリ作品カバーCDを発売しました。スタジオジブリ映画の主題歌、挿入曲を、チェロの演奏をメインにクラシック風、タンゴ風などにアレンジ。ギター、バンドネオン、ハーモニカなど多種多彩な楽器によるアコースティック・カバー作品となっています。久石譲プロデュース、久石譲アレンジではありません。

ライト・クラシック・アルバムともいえる、上品なアコースティック・サウンドでありながら、バラエティに富んだアレンジが施されています。それによってチェロの音色としても様々な表情を感じることができます。CD発売当時からお気に入りだったのは、タンゴ風にアレンジされた情熱的な「君をのせて」、料理番組でもはじまりそうなアットホームで軽快な「となりのトトロ」(『ジブリ・ザ・クラシックス』収録)などでした。残念ながらCD作品としてはどちらも廃盤となっているようです。上野の森ブラスと同じくらい、おすすめできるカバー作品です。デジタル・ミュージック(配信音楽)としては今でも買える楽曲もあるようですので、ぜひ探してみてください。

 

久木田薫 ジブリ・ザ・クラシックス

Disc. 久木田薫 『ジブリ・ザ・クラシックス』

 

久木田薫 アンプラグド・ジブリ

Disc. 久木田薫 『Unplugged GHIBLI アンプラグド・ジブリ』

 

 

その他、劇場用公式パンフレットや、雑誌に掲載された久石譲ロングインタビューにて、当時の映画製作過程やエピソードなどを紐解いてみてください。とても興味深い内容です。

Blog. 映画『Quartet カルテット』(2001)監督・音楽:久石譲 劇場用パンフレットより

Blog. 久石譲 映画「カルテット」 ロングインタビュー内容 (キネマ旬報 2001年10月上旬号より)

 

映画 カルテット ポスター 久石譲

 

Blog. 久石譲 映画「カルテット」 ロングインタビュー内容 (キネマ旬報 2001年10月上旬号より)

Posted on 2016/6/12

2001年公開 映画「Quartet カルテット」
監督・音楽:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 他

2001年映画公開直前に行われた「キネマ旬報 2001年10月上旬号 No.1341」での特集およびロングインタビュー内容です。

 

 

特集 久石譲
映画に勝負をかけた音楽家

ロングインタビュー

久石譲が初監督を務めた「カルテット」がいよいよ10月6日より公開される。撮影終了を間近に控えた昨年9月、取材の席で漏れた「後悔はない」という言葉は、あれから1年を経た今でも気持ちの上では変わりはないという。「変わらないですね。テクニカルな部分の不満が多少あっても、やりたかったことはほとんどやり遂げましたから満足しています」 すでに現在、日本映画界にとって不可欠な存在である久石譲の野望をここで探ってみたい。

 

自分の範囲内でできることを語る久石譲のある一面

久石譲の体験が息づく物語だが、”トゥルー・ストーリー”というよりは”リアル・ストーリー”というべき作品であろう。

久石:
「それ、いい言葉だよね。自分の初監督ってせいもあるんですけど、体験していないことを頭で想像して書いた場合、リアリティがないと思ったんですね。起こった事象自体は違うけれど、自分が体験したこと、目で見たものを中心に動かしましたね」

北野武、宮崎駿、大林宣彦など、これまで仕事を共にした監督たちとの記憶が随所に見て取れるが、オーソドックスなドラマ作りに澤井信一郎作品を連想することも可能だ。

久石:
「僕が最初に長編の実写映画でデビューしたのが、澤井さんの『Wの悲劇』でした。澤井さんは若い女優さんを撮るのが特にうまいですよね。で、ラストに必ず振り返る(笑)。振り返って明日に向かって歩いていくっていうシーンが必ずありますね。今回、袴田(吉彦)くんが最後に振り返るときに”あぁ、澤井さん的だ”って思いましたよ(笑)」

青春映画という点でも澤井作品の共通項を見ることができる。

久石:
「青春ドラマってやり方がいくつかあるんです。音楽を絡めるとなると、大林さんの『青春デンデケデケデケ』のようなロックグループもできるんですが、自分がクラシックの音楽大学を出て、ヴァイオリンもやってましたから、クラシックの弦楽四重奏団を選びましたよね。その段階で、いわゆるMTVみたいなやり方は捨てましたね。まず最初にきちんとしたドラマを一回撮りたいと。それをやっておかないとつぎがないだろうと思いましたし。もっとも、最初に書いたプロットはとんでもなくスラップスティックな喜劇でしたけどね。智子(桜井幸子)なんか男を見るとすぐセックスしたくなるような役だった(笑)。ただ、自分の技量でそこまでやりきれるとは思えなかったし、そこまでしなくてもこの内容はできるんじゃないかということで、今のスタンスに落ち着いたんですけれど」

最も扱いやすい題材と最もハンドルの効く音楽で勝負したわけである。

久石:
「ただね、春ごろに大林さんから言われました。”退路を絶ったね”って。つまり音楽家が音楽映画を撮るっていうのは言い訳をきかなくしてしまっている。だから”自分で自分の退路を絶っちゃって、どうするの?”って言われて、あぁそういう考え方もあるなって思いました(笑)。少し前に澤井さんに観ていただいたら、ニコニコ笑いながら”よかったよ”っておっしゃってくださったんですけど」

澤井信一郎の意見が批評的には一番怖いのではないだろうか。

久石:
「だと思います。本当に映画というものを知り抜いている人ですからね。そういう意味で言うと一番厳しくというか、ある程度及第点を越えていたら”うーん、お前いいよ、それで”というところで多くをおっしゃらないか、どちらかだと思いますね」

 

音楽で生きる者の音楽映画における理想郷に向かって

今回、久石譲は「音楽映画を作る」と宣言して初監督作品を仕上げた。ユニークなのは、現実音としての音楽はあふれていても、ドラマ用の音楽そのものは少ないことだろう。音楽的に饒舌なようでいて、実はそうではないということを確認するべきである。

音楽映画とは、音楽自体がドラマのシチュエーションの中に入り込んでくるものだと思う

久石:
「音楽映画という言葉の定義はハッキリとしていませんが、僕の考えでいうと、一つは音楽がドラマに絡んでくる、音楽自体がドラマのシチュエーションの中に深く入り込むということ。もう一つが台詞の代わりに音楽が重要な要素になることですね。今回すごくこだわったのは、音楽家が出てくる映画だし、弦楽四重奏を皆が演奏していく過程を見せるドラマなのだから、現実の音、いわゆる状況内の音楽がイコール映画音楽として成立するように作ることでした。これって、けっこう実験的な仕掛けなんです。それと、僕としては音楽シーンを格闘技、いわゆるアクションということで考えていましたから、練習シーンなんかは変な説明はしないで、とにかくハードな練習をしている彼らをどう画に撮るか、それに集中していましたよね。ヴァイオリンってこんなに肉体を使うんだとか、そういう汗の感じを感じとってもらえれば幸いですね」

袴田吉彦が皆を叱咤激励する練習シーンは、前半のクライマックスである。

久石:
「練習シーンは1日で撮っちゃったんですよ。2日かける予定だったんだけど、役者さんのテンションが高くて、行っちゃえ! ということで、朝10時ぐらいから夜中の3時半まで撮ったんです。最後の方はみんな完全にイッてましたね。袴田くんなんかは目の焦点が定まらない。ダビングのときにこの半分狂気のような顔を観たとき、あぁもう十分だって、音楽を全部消したんです。みんなは”長いから切りましょう”って言うんだけど”ダメ、これが音楽やる怖さの顔だから使えるだけ使う!”と主張して最後まで延ばしたんです」

その練習シーンがあることで、観客はクライマックスを安心して迎えられるはずだ。

久石:
「タラタラと音楽を流すシーンがあっては絶対、音楽映画にはならないと思いました。一番勝負を賭けたのは冒頭。つぎに袴田くんがオーディションを受けるときのソロのヴァイオリン、つぎに4人が練習しているシーン。そしてラストの袴田くんがオーケストラとやるところと、コンクールを受けるところ。大きく分けるとそこに音楽のシーンを集中させて、あとはドラマに専念しようと」

 

一度は捨てた映画を監督することの久石譲的意義とは

そんな「カルテット」が公開される2001年は、北野武、宮崎駿との共同作業に加え、オリヴィエ・ドーハンとの仏映画「Le Petit Poucet」が秋にフランスで公開。おまけにコンサート・ツアーも開催される。例えば北野監督との映画音楽をまとめた「joe hisaishi meets kitano films」というアルバムについて、久石はいみじくも「確認の場だ」と定めたが、この21世紀最初の年の動きというのは、試みでありつつ、同時に今後の行く末を考える確認作業のように思えてならない。

久石:
「そうかもしれない。映画を撮ったことが本当によかったのかっていう確認もあるし、その後2本目の監督作品として30分の短編映画『4MOVEMENT』もやりましたよね。1本目が35ミリ・フィルムで、2本目は完全に撮影も合成も編集も上映もデジタルでやった。そういう映像的に引っかかっていたことをこの2、3年でやってみた。音楽的にも自分の映画を含めてやることはやったんです。ある意味で自分の中のものを使い果たしましたね。逆にゼロにする必要があったんだと思います。吐き出して、自分で自分に飽きるというかね。音楽に関しても、正直に言えば、あまりにも自分の和音の使い方とかが確立しすぎちゃってる。自分では一個一個スタンスを変えてるつもりでも、生理的に好きな音が出る。これだけの作品で出しきってみたところで、音楽家としての新たな自分のやり方っていうのを確認したいというのがあったんですね」

90年代半ば、映画の仕事を辞めようとすら思った時代から心機一転、久石譲は映画のために走った。突っ走ってきた。それもこれも映画音楽のよりよい形を求めたためであり、映画監督への挑戦もその延長線上にある。

久石:
「生意気だって言われて、下手をするとあらゆる監督からの音楽の依頼が途絶えてしまうかもしれませんね。僕らは監督の方々に”久石だったら自分の世界を表現してくれるかもしれない”と思っていただいて仕事をいただけるわけじゃないですか。個人的にはそういう仕事は大好きですから、皆さんが組みたいと思う音楽家であることが一番重要です。そのためにはこの誌上を借りて強く申し上げなければいけませんね。決して僕を値段が高いとか思わずに誘ってくださいって(笑)」

 

音楽と映画って実は、案外近いところにある

では、監督を体験したことで、何が見えてきたのか。何が変わったのか。

久石:
「素直に言えることは、今まで音楽家の目で見たときと全く違う目で脚本を読むようになったということです。前より内容的にも監督の意を汲むようになった。といって、全てがプラスになったということではないんですね。映画音楽って、映像をある程度無視するくらいに強くガーンとやることで相乗効果をあげられるはずなのに、今僕が音楽を付けると監督の気持ちが分かっちゃうために画に寄っちゃうと思う。それに気づいているだけそういうことはやらないでしょうけれど」

音楽を追求した果ての監督挑戦ならば「カルテット」は久石譲という音楽家のソロアルバムと考えてもいいのではないか。

久石:
「かもしれない。音楽と映画っていうのは構造がすごく近いんです。どちらも同じ時間軸の上で作る世界なんですよ。いつも時間に縛られる。例えばシンフォニーを想像してもらえればいいですけど、第1テーマが出る、第2テーマが出る、それが展開されていってクライマックスを迎えて、再び第1、第2テーマが展開されて終焉を迎える。これ完全に映像の世界と一緒ですよね。例えば、振ったら落とせ、つまりモチーフを出したら必ず展開しなきゃいけない。基本的に音楽の構造というのは時間のタイミングなんですよ。構成力がない音楽はつまんないです。映画も絶対、構成力なんですよね」

訊かねばならない。映画監督・久石譲というのは今後も実現するのだろうか。

久石:
「2本撮らせていただいて、映画をやる怖さはよく分かりましたよ。全ての自分が出ちゃうんですからね、薄っぺらなら薄っぺらなりの自分の世界が。自分を磨くなり自分とは何かっていうのをしっかり持ってからでないと、簡単に作っちゃいけないとも思うし……」

し?

久石:
「し(笑)、はい、もう1本だけは撮りたいと思います」

ギリギリの誠意をもって応えてくれた久石譲が次回作でいかなる試みを仕掛けてくれるのか。そのお楽しみのためにも、久石流・音楽映画の成果を決して見逃してはならない。

取材・文:賀来タクト

(雑誌「キネマ旬報 2001.10月上旬号 No.1341」 より)

 

 

「カルテット」への思いと出演者が触れた久石監督の素顔

相葉明夫 役
袴田吉彦

親父っ、と信頼できる存在です

他の共演者同様、全くのヴァイオリン初心者だった袴田吉彦。「最初はお断りするつもりだったんですよ。過去に『我が心の銀河鉄道・宮沢賢治物語』でチェロをやったことがあったんですが、3日間だけしか練習せずに痛い目を見ていたので(笑)」

それでもあえて引き受けたのは、「君を忘れない」で一緒に仕事をしたプロデューサーをはじめとしたスタッフの励ましたがあったから。「いろいろ腹を割って話をしてくれたので、ここでやらなきゃ男じゃないなって」それから、正味1ヵ月弱の練習期間が始まった。「辛かったですよ。できなくて泣きながら甲州街道を歩いて帰ったこともありましたね(笑)」ヴァイオリンをケースから出すところから練習し、オフの日も肩からヴァイオリンケースを下げていた。「この作品は、撮影中ほとんど寝ていない」という熱心さで臨んだ。

若かりし頃の久石監督をモチーフに肉付けしていったとされる明夫の役柄については、「最初の設定よりも、だいぶ丸くなっている」のだとか。でも、明夫の性格から「思いっきりカッコつけて弾いてました。こういう感じの役だったらこれくらいやってもいいか、とかヴァイオリンの先生には聞いてましたね」

久石監督の印象については、「ピアノを弾かれるので、想像してたより結構ゴツいんです。この人から『となりのトトロ』が出てくるのか……って(笑)」そんな久石監督とは、かなり話し合いの機会をもったそう。「最初、監督がものすごく遠慮されていて。映画はもういいって思われてしまうのも悲しかったので、できるだけ監督と話をしました」

でもひとつの転機が。「明夫が楽団のオーディションを受けるシーンが難しくて。僕はまた”できない”って泣きながら(笑)楽屋に駆け込んだんです。そのとき”袴田、ちょっと来い!”って監督に。それまで”袴田さん”と呼ばれてたのに、そこから親父みたいな感覚に変わりましたね」

 

坂口智子 役
桜井幸子

やはり音楽には厳しい方ですね

久石監督作品「カルテット」で、第2ヴァイオリンを担当する芯の強い女性・坂口智子を演じているのは桜井幸子。「最近では珍しい新鮮で清潔感のある話で、安心して読めました。ぜひやってみたいなって」最初に脚本を読んだ時の印象をそう話す彼女。だが出演を決めるに当たってネックになったのは、まだ一度も手にしたことのないヴァイオリンだった。「とにかく心配はそこでしたね。監督に”大丈夫でしょうか?”とお聞きしたら”久木田さん(現役芸大生)以外は皆さん初めてだし、練習期間もあります。撮り方も考えていますから”と言って下さったんです」

撮影前の1ヵ月以上、俳優それぞれが個人コーチについて、徹底的に指と腕の動きを学んだ。そして、「前の日からソワソワしてしまった」という、演奏シーンの撮影日。久石監督はスタジオに入ると、まずその日に撮影するシーンの曲を流した。「監督は、本番までその曲を聞いて馴染ませた方が、私たち俳優が演じやすいと思われたんでしょうね。実際、曲を聞くと手も動くし、意識もそちらに集中するので、とてもやりやすかったですね」

また演奏シーンは他の撮影現場とは異なる独特の緊張感があり、いい意味でピリピリしていたとも。「監督は周りの話し声とか、ちょっとした音にも敏感なんです。演奏場面では、やはり専門分野なので余計な雑音には厳しかったですね。ふだんは温厚な方なんですが」それ以外のドラマ部分に関しては、基本的に自由に演じていたそう。

「監督は、”僕は演出は初めてなので、分からないことも多い。だからいろいろ考えて下さいね”とおっしゃいました。監督がそんな姿勢だったので、皆で一緒に作っていけた、とてもいい雰囲気でした。私自身、智子の気持ちが理解しづらい時などは、”こうだからこうなったんですよね?”と監督に確認しつつ進めていったので、とてもスムーズでした」

完成した作品を観た時は、改めて”映画における音楽の重要さ”を痛感したと話す桜井幸子。「演奏シーンは本当に4人で頑張ったので、注目して下さい」

(雑誌「キネマ旬報 2001.10月上旬号 No.1341」 より)

 

キネマ旬報 2001 10月上旬号

 

Blog. 映画『Quartet カルテット』(2001)監督・音楽:久石譲 劇場用パンフレットより

posted on 2016/6/8

2001年公開 映画「Quartet カルテット」
監督・音楽:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 他

久石譲第1回監督作品です。脚本も共同で手がけ、もちろん音楽も久石譲による書き下ろし。映画タイトル「カルテット」とあるとおり、弦楽四重奏をベースとしたストーリーで音楽もクラシカルな弦楽四重奏をベースに構成されていますが、フルオーケストラや、シンセサイザーを織り交ぜた楽曲、久石譲ピアノによる演奏などバラエティ豊かな楽曲群です。

映画公開時、劇場等で販売された公式パンフレットより、この映画の製作過程をご紹介します。

 

 

この作品は僕の自伝ではないけれど、ある意味で僕の物語。
僕の周りにいた、音楽と共に生きようとして悩み立ち止まる、繊細で、美しい人たちの物語です。
-久石譲

 

INTRODUCTION

映画音楽の第一人者、久石譲が映画監督に初挑戦!

誰にも忘れられない夢がある。誰にも捨てられない友がいる…。
『もののけ姫』(宮崎駿)、『BROTHER』(北野武)、『はるか、ノスタルジィ』(大林宣彦)、『時雨の記』(澤井信一郎)、『はつ恋』(篠原哲雄)など、現代日本映画を代表する監督たちの秀作、話題作の音楽監督を一手に担い、海外からも熱い注目を集める久石譲がついに映画監督に挑戦した。その記念すべき第1回作品『カルテット』は、久石自身がかねてより温めていたオリジナル・ストーリーをもとに、弦楽四重奏団を組んだ4人の若者の挫折と再起、愛と友情を描くさわやかな青春ドラマだ。

 

絵コンテは、なんとオリジナル40曲の譜面

もちろん日本屈指の作曲家としての久石譲もまぶしく輝いている。撮影1ヶ月前に劇中使用音楽約40曲を作曲したばかりか、海を渡ってロンドンの一流弦楽四重奏団バラネスク・カルテットとそれらを録音。演奏シーンの撮影には現場で実際に音楽を流しながら、譜面を絵コンテ代わりに俳優、カメラの動きを決定するという異例の方法がとられた。映画で音楽はどう使われるべきか、どう見せる=魅せるべきか。これまでになくリアルな演奏描写、スキのない音楽配置は、出演陣に課せられた弦楽器の演奏訓練、及び半端なクラシックの使用に甘えないオリジナル曲の創作を含め、映画音楽を知り抜いた才人ならではの演出で、結果、従来の日本映画にはない本物の”音楽映画”となった。

 

日本映画界の第一線で活躍するスタッフが集結!

久石自身による原案をもとに、『君を忘れない』『ホワイトアウト』などの脚本を担当し、『恋は舞い降りた。』で監督も手がけた長谷川康夫が約1年をかけて久石と共同で脚本を執筆。撮影には『金融腐蝕列島/呪縛』の阪本善尚が久石たっての希望で登板。大林宣彦作品で知り合った両者の息の合った映像処理も本作品の見どころの一つだ。そして音楽監督には、勿論久石譲自身が兼任。編集終了後もできあがった映像を見ながら音楽を追加作曲し、より緊密な作品の完成に尽力している。撮影は2000年8月20日から9月22日まで行われ、東宝・砧スタジオのほか、東京都内、熱海などでロケが敢行された。

 

PRODUCTION NOTES

そもそも”カルテット”とは?

カルテット(英語表記で quartet)とは、広義で四重奏(唱)のこと。四重奏曲を指すこともある。『新音楽辞典』(音楽之友社刊)には「4個の独奏楽器による室内楽重奏。弦楽四重奏が基本的で、(中略)ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロにピアノ四重奏、木管をひとつ加えたフルート四重奏、オーボエ四重奏、木管、金管、ホルン、サクソフォーン四重奏その他各種の編成がある」と記されている。今日まで続く弦楽四重奏曲の基本様式を確立したのはフランツ・ジョゼフ・ハイドン(1732~1809)という説がもっぱらである。その醍醐味は様々だが、劇中で三浦友和扮する青山助教授わいく「アンサンブルの中でも弦楽四重奏ってのは、余分なものをすべて削ぎ落とした究極の形態だ。演奏家としての力量がこれほどはっきり表れるものはない」とのこと。幼少の頃バイオリンをたしなんでいた久石自身の弦楽四重奏に対する考え方としてとらえてもいいだろう。

 

ロンドンで録音されたオリジナル40曲

撮影スタート1ヶ月前の2000年7月に、劇中で演奏される楽曲40曲がロンドンで録音された。本格的な音楽映画を作り上げるため、ありきたりのクラシックではなく、自身のオリジナル曲で攻めいたとする久石の意気込みの結果だった。演奏はアレクサンダー・バラネスク率いるバラネスク・カルテットが担当したが、同カルテットと久石は既に懇意の仲で、撮影を控えた2000年5月にリリースされたオリジナル・アルバム「Shoot The Violist」(ポリドール)でも共演を果たしている。同アルバムでは久石が過去に手掛けた『ふたり』『キッズ・リターン』『菊次郎の夏』などの主題曲が演奏&収録されており、同じく『となりのトトロ』『キッズ・リターン』『HANA-BI』がドサ回りの場面で演奏される映画本編のバージョンと比べても興味深いだろう。

また、俳優たちは撮影前に用意された曲を個々に練習しなければならなかった。主演の袴田吉彦は4ヶ月に及ぶヴァイオリンの訓練に追われ、さらにコンクールのシーンで演奏する主題曲の難しさにも悲鳴を上げた。「この映画の苦労なら2時間は平気で話せる」とは演奏シーンを撮影中の彼から漏れた言葉。一方、大介役の大森南朋は「撮影前の1ヶ月の準備が助かってます。現場も居心地がいいです」と、終始明るい笑顔だった。

 

久石監督が熱望したカメラマン

1年以上をかけたシナリオ作業を受けて、いよいよ撮影の準備を始めた久石が熱望したのが阪本善尚カメラマンの起用だった。両者は大林宣彦監督の『はるか、ノスタルジィ』の現場で出会い、その後同監督の『水の旅人』でさらなる交友を深めた。「現場が好きな作曲家だと思った」とは『はるか、ノスタルジィ』小樽ロケでの出会いを振り返っての阪本カメラマンの言葉。久石の初監督ぶりには「最初の一週間は戸惑いがあったかもしれないけれど、以降はもう他の監督と同じですよ。ズバズバ御意見をおっしゃる。音楽家らしい独特のリズムがありますね。特に”音楽とはアクションです”という言葉が印象に残っています。オーソドックスなタイプだけれど、ものすごい量を撮ってますね。イメージもはっきりされているし。僕もMDを買って音楽の勉強をしました。やはり一芸に秀でている人は違うと思いました」とのこと。絶妙のコラボレーションは作品を見ての通りだ。

 

映画と音楽の究極の関係を実現

久石譲は今回の監督挑戦にあたり、あくまで”映画音楽家・久石譲”として演出に臨むことを広言していた。つまり、これを契機に今後、監督業を定期的にこなしていくのではなく、映画音楽の仕事を極めていくための経験の一つとしての監督挑戦だと言うのだ。これまで宮崎駿、北野武などの有名監督との仕事を通じて知った映画や映画音楽の世界を、自身がどれだけ自分のものにしたかという検証が一つ。そして映画音楽を手掛ける者が映画監督を試みるときにできることへの挑戦が一つである。特に後者については本格的な”音楽映画”を作ることが第一の目的だった。音楽への理解が足りないために半端な音楽挿入、幼稚な演奏描写などに終わっていることが多かった過去の作品に対する答えを自分なりに出そうとしたのだ。その結果、音楽が台詞となった『カルテット』では、幸福でリアルな映画と音楽の究極の関係が誕生したと言っても過言ではない。音楽が映像に、映像が音楽にそれぞれ新たな命を吹き込んだのだ。久石は言う、「後悔はありません」と。

 

総額数億円の小道具と『二人羽織』、『合わせ鏡』

この映画のもう一つの主役は「楽器」。楽器は「小道具」でもあるが、この映画ではとても重要な役割を担っている。プロ・レベルの楽器をぜひ撮影に!という久石の要望は、日本の弦楽器業界ではナンセンスな話で、楽器探しも非常に困難を極めた。が、とある楽器商が今作品の企画意図を理解し、「本格的な音楽映画であるならば中途半端なものはお貸しできない」と、1700年代イタリア、及びフランス製のオールド楽器を惜しみなく提供。これらの銘器を使っての演奏シーンは、まさに今作品のメイン。ではなぜ、久石はこれらの銘器を必要としたのか。久石曰く「やはり本物の楽器は色、(木目の)模様、スタイル、どれをとっても素晴らしく、撮影していてもとても美しい。それと、これらの楽器を使って演じる役者達が楽器をとても大切に扱います。このことは演技においても、非常に良い影響を彼らに与えています。」俳優はクランクインまでの間、時価数千万円の楽器を手にプロの演奏家から個別にトレーニングを受ける。そして、撮影では監督考案による様々な撮影技法が駆使された。その中に『二人羽織』と『合わせ鏡』と呼ばれるものがある。『二人羽織』は演奏シーン中、顔の表情のアップの撮影の際使用された方法で、これは実際に演奏できるプロの演奏家が役者の背後(もしくは下方)から左手のみを差し出して楽器を演奏し、表情、及び右手の弓の演奏は俳優が演じる、というもの。また『合わせ鏡』は、実際に演奏している演奏家の動きを俳優が演じやすいように、撮影中の役者の対面でプロの演奏家が同時に演奏し、役者はその演奏家を見ながら演じる、という方法だ。これらあらゆる撮影技法によって、よりリアルで迫真のシーンが撮影された。

(映画「Quartet カルテット」劇場用パンフレット より)

 

その他、パンフレットでは、映画主要キャストによるインタビュー等も掲載。
袴田吉彦 / 桜井幸子 / 大森南朋 / 久木田薫

 

久石譲 カルテット パンフレット

 

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 3

Posted on 2016/06/04

久しぶりにテーマを掲げて進めています。

ここまでは下記よりご参照いただき、そのままつづけます。

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 1

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 2

 

 

6.交響曲を完成させる時期(とき)がきた (WDO2016初演予定)

いつかは作曲家としてしっかりとした交響曲を書きたい、と過去語っていた久石譲。2013年以降その作曲活動スタンスをクラシックに戻すことで、今まさに交響曲を完成させる時期がきた、ということでしょうか。ここ数年間はそこへもっていくためのストレッチ、ウォーミングアップ期間だったという見方もできてきます。

『Sonfonia for Chamber Orchestra』(2009)の発表時、「副題として”クラシカル・ミニマル・シンフォニー”とつけたいくらいなのだが、それは、クラシック音楽が持っている三和音などの古典的な要素をきちんと取り入れてミニマル・ミュージックの作品にしたかった」とも語っていました。このことは【3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す】項での考察とも整合性がでてきます。たとえば『Sonfonia for Chamber Orchestra』は全3楽章ではありますが、全楽章ともミニマル・ミュージックが基調となっており、急・緩・急の手法をとっていません。当時久石譲が”クラシカル”や”交響曲”と銘打たなかった、自身の明確な線引きが見え隠れしてきます。

ということは…?

クラシックの方法論により、多楽章(全3楽章:急・緩・急 もしくは全4楽章:急・緩・舞曲・急など)で構成された作品であり、古典的な要素もしっかり盛り込んだ正統的な交響曲。作品コンセプトとして「3和音」など楽典的要素をすえて第1主題・第2主題・提示部・展開部・再現部などと構成され、”East Land”(作品名)という世界観が築きあげられた作品。従来の壮大なシンフォニーからより進化した、立体的な響きを求める楽器編成や管弦楽法(オーケストレーション)によって、大編成フルオーケストラでありながらシャープでソリッドな「現代の音楽」を高らかに鳴り響かせる、新境地久石譲の記念碑的作品である、かもしれませんね。

 

「久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品」リストにも紹介されていたとおり、『交響曲第1番 (第1楽章)』という作品が2011年一度だけ披露されています。第1楽章のみの未完作品のまま現在にいたります。この当時、「当初、全3楽章20-25分ほどの曲を考えていたが、第3楽章のスケッチに入った途端、第4楽章まで必要と感じ」(第1楽章のみの演奏となる)と久石譲が語っている記録があります。私個人は、この作品は未聴のため多くを語ることはできません。ただ、”披露された第1楽章はミニマル要素を取り入れた変拍子で構成され、パーカッションも鳴り響く大編成の作品”、と演奏会に行かれた方のレビューを参考までに。

さてその答えは?

本来であれば、この未完交響曲を完成させたもの、それが『交響曲第1番「East Land」』と推測するのが順当だとは思います。でも、でも、もしかすると…。未完交響曲の着想は2011年、それをベースに再構築することはもちろん想定できるのですが、2013年以降大きな方向性の転換とその結実ぶりからみたときに。上の”クラシックの方法論により~”箇所で書いたような、再度ゼロベースでスタートし、新たな着想点から作品をつくるのかもしれない、そんなもうひとつの可能性も感じてはいます。こればかりは何が起こってもおかしくない、いかなる完成版であっても純粋に楽しみです。

「East Land」、もしこのキーワードが”世界の極東、日本”(※)を意味するならば。「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」のコンサート・テーマは「再生」。同2014「鎮魂」、同2015「祈り」から、前を向いて踏み出すとき。その一歩を私たちが生活する日本から、私たち一人一人から。「もののけ姫」が交響作品化第2弾として選ばれたことも、トータル・コンセプトとしてまた必然、なのかもしれません。

(※)
ひとつの推測です。一般的に「極東」をさす英語は「Far East」です。この場合ロシアや中国、もしくはその東側地域や日本も含めたヨーロッパからみた世界の極東を意味することが多いようです。「East Land」とは、より範囲を限定することでの”極東の島国=日本”という連想になるのではないか、という勝手な推測ですので、ご了承ください。

 

「演奏会において古典クラシック音楽と自作を並べることの大変さ苦しさ」という表現で近年よく語る久石譲。ベートーヴェン:『交響曲第9番〈合唱付き〉』と久石譲:『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』、ドヴォルザーク:『交響曲第9番「新世界より」』と久石譲:『Sinfonia for Chamber Orchestra』。このように近年の久石譲コンサートでは、古典と自作を同一演奏会で並べるプログラムが多く見られます。そしてこれから先、次のステージとして古典交響曲に自作交響曲を並べる、そんな日がくるのかもしれません。もっとその先には、久石譲が「現代の音楽」としてアルヴォ・ペルトやジョン・アダムズの交響作品を演奏するように、国内外の指揮者や楽団が、久石譲の交響曲と古典交響曲を並列して演奏する、そんな日もまた訪れるのかもしれません。

 

7.シブリ交響作品化にも影響を及ぼすのか

この答えはNOでありYESだと思っています。それはスタジオジブリ作品がそもそもそれだけで確固たる世界観を表現しているからです。本編音楽やサウンドトラック盤から再構築されたとして、いずれの作品もコンセプトも骨格もはっきりしています。大改訂することよりもオリジナルを継承したスケールアップ、オーケストラ編成をベースにした交響作品としての「交響詩」や「交響組曲」という手法をとるのだろうと思います。

『Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015』は、『交響詩ナウシカ』(2007)を壮大にスケールアップしたもの。そのなかでも特筆すべきは「巨神兵」パートが新たに組み込まれたことです。ナウシカのもつ”光”に、巨神兵の”影”を持ち込むことであらゆる表裏一体の真理、その世界観は大きく深みをましています。オーケストレーションにおいても、弦楽合奏・コーラス編成ともに不協和音を堂々と響かせたこのパートは、近年の久石譲が色濃く反映されているとも感じます。

今年「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」コンサート・ツアーにて、第2弾として初演予定の『交響組曲「Princess Mononoke」』においても、『交響組曲 もののけ姫』(1998)がベースにあります。全八章約50分に及んだ交響組曲を、どのように再構築するのか。近年のオーケストレーション傾向からみたときには、「レクイエム」や「黄泉の世界」のパートがもし盛り込まれるならば、おそらく新しい響きをつくるのではないかという大きな期待を膨らませています。

久石譲の匠技がフルスペックで発揮されるのは、「千と千尋の神隠し」あたりではないか、と想像するだけでもワクワクします。しますが、スタジオジブリ交響作品化シリーズとしては、限りなくクライマックスに近い位置づけではないかなとも思っています。スタジオジブリ長編映画×久石譲音楽全11作品、何年かかって完結するのでしょうか。ボーナス・イヤー、ドリーム・イヤーとかないかな!?なんて。そんな乱れた心は置いておいて、この交響作品化シリーズを同時代性においてリアルタイムに享受し、聴き喜ぶことができる私たちは、過去人にも未来人にもない幸せな特権ですね。

 

8.まとめ ~すべてはこの作品が大きな布石だった~

1.宮崎駿監督長編引退(2013)が与えた影響と分岐点
2.エンターテインメントの制約がなくなったときに、自ら創り出す制約=作品コンセプト
3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す
4.「ミュージック・フューチャー」シリーズと「アメリカ」が与えた影響
5.大衆性と芸術性がクロスオーバー、象徴する2作品
6.交響曲を完成させる時期(とき)がきた (WDO2016初演予定)
7.シブリ交響作品化にも影響を及ぼすのか

これらの考察点をもとに、テーマ・レポートを進めてきました。その流れのなかで俄然存在感を主張しだしたのが、あるひとつの作品です。『Single Track Music 1』、「バンド維新2014」に委嘱された吹奏楽作品です。映画「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」(2013)の音楽制作を終えて、おそらく最初に書き下ろされたオリジナル作品になるのではないか、と思います。

この作品コンセプトは「単旋律のユニゾン」ということで、従来のミニマル・ミュージックとも少し異なる、今振り返れば新しい作風の第一歩だったのではないかという気がしてきます。”これからはクラシックをベースに、新しいことをやっていくよ”という名刺代わりな一曲、決意表明のようなものだったのではないかと。吹奏楽作品として書き上げたあと、早いタイミングで自身のオリジナル・ソロアルバム「ミニマリズム2」に収録。さらには作品のもつテーマやコンセプトをより明確に具現化すべく、[サクソフォン四重奏と打楽器版]というアンサンブル編成で再構築。その後の作品群へと派生する大きな布石だったのではないかと思えてきます。時間軸を俯瞰した流れで、あらためてしっかり聴いてみると、おもしろい作品だなと印象が変わってくるから不思議です。

 

コンサート・パンフレットに紹介されていたオリジナル作品リスト。そこに『Untitled Music』と『三井ホームCM音楽』を補足追加し、2013年以降に書き下ろされた新作および新楽章を赤太字・下線に、過去作からの改訂や楽章改訂などの再構築を青太字にしてみます。(原典は1.をご参照ください)

 

久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品

  • DA・MA・SHI・絵
  • Links
  • MKWAJU 1981-2009 for Orchestra
  • Divertimento for string orchestra
  • Sinfonia for Chamber Orchestra
    1.Pulsation / 2.Fugue / 3. Divertimento
  • 弦楽オーケストラのための《螺旋》
  • 5th Dimension
  • 交響曲第1番 (第1楽章)
  • Shaking Anxiety and Dreamy Globe
    [2台ギター版] [2台マリンバ版]

——————————————————— composed after 2013

  • Single Track Music 1
    [吹奏楽版] [サクソフォン四重奏と打楽器版]
  • String Quartet No.1
    1.Encounter / 2.Phosphorescent Sea / 3. Metamorphosis / 4.Other World
  • Winter Garden for Violin and Orchestra
    第1楽章 / 第2楽章 / 第3楽章
  • 祈りのうた ~Homage to Henryk Górecki~
  • The End of the World for Vocalists and Orchestra
    1.Collapse / 2.Grace of the St.Paul / 3.D.e.a.d / 4.Beyond the World
  • 室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra
    第1楽章 / 第2楽章 / 第3楽章
  • (Untitled Music)
  • コントラバス協奏曲
    第1楽章 Largo – Con brio / 第2楽章 Comodo / 第3楽章 Con brio
  • Orbis for Chorus, Organ and Orchestra
    1.Orbis ~環 / 2.Dum fāta sinunt ~運命が許す間は / 3.Mundus et Victoria ~世界と勝利
  • (三井ホームCM音楽)
  • 「TRI-AD」 for Large Orchestra
  • 交響曲第1番「East Land」
  • 祈りのうた II

 

・・・?

・・・!!!

そうか!そういうことだったのか!頭の中で、作品リストがパズルのように交錯し、違う形(配置)を描き出しました。

と冒頭に書いたそのパズルと配置とは、上のようなリストの見方です。『Single Track Music 1』を起点として1本の線を引きます。そしてそのカテゴライズのなかから、”書き下ろし””改訂””再構築”などをすみ分けしていったイメージが上の色塗りになります。気が早くも、今年の夏初演予定の『交響曲第1番「East Land」』『祈りのうた II』をリストに含めていますが、次のステージを展開している新境地の久石譲作品として、同種赤太文字・下線作品群の延長線・発展系にあるだろうことは、大きく外れていないと思います。

 

 

結びにかえて。

現在進行形の久石譲ファンであることを自負していました。過去の久石譲作品も、特別な思い入れのある作品も数多くあります。そして同じように今の久石譲音楽を好きでいる自分もいます。そう言ってきたのに、「あれ、なんか違う」「過去のああいう作品を期待していた」と、直近オリジナル作品にはどこかそういった思いやズレがあったのかもしれません、無意識に。だから素直に聴けていなかった、無心で初対面できていなかった、結果受け止められなかったんだろうと。『「TRI-AD」 for Large Orchestra』を聴いたときの、なにかひっかかる違和感を持ってしまったのはここに起因します。

2013年以降の初演や改訂初演という時系列で見た場合に、『The End of the World for Vocalists and Orchestra』『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』のようなオリジナル版から昇華された完全版がある一方で、『コントラバス協奏曲』『「TRI-AD」 for Large Orchestra』のような明らかに作風・着想点・コンセプトの異なる新作も混在し初演披露されてきました。だから自分の頭と心のなかで、予測する新作・期待する新作の照準が絞れていなかった。「ヤバイ!自分の感覚が過去にひっぱられていた。もう久石譲は次のステージを展開しているんだ、ついていけてなかったんだ!」という閃光が走ったわけです。コンサート・パンフレットに感謝。

 

変わってしまった、とそっぽを向くのは簡単です。でも、わかりたい気持ちのほうが強い。いつも無条件に手放しで何を出されても受けいれますよ、とはならないかもしれません。一方で自分の無知や固執のせいで、見えてない部分があるんだったら、というのがこのテーマで書こうと思ったきっかけです。

『交響曲第1番「East Land」』も、今回のテーマ・レポートをしっかりと頭と心で整理することで、どんなものが飛び出してくるのか、期待と楽しみでいっぱいになります。たとえそれが素人にはいくぶん難解であったとしても、「おもしろい!」と思える自分でありたい。事実、近年の作品群をあらためて聴く・考える・書くを繰り返した一連の作業は、それぞれの作品に新たな発見と愛着を感じることができました。そうやってまた自分のなかでの久石譲音楽が豊かになったことは喜びです。

答えは久石譲ご本人にしかわかりません。それでも「こうかもしれない」とわかろうとすることも、聴衆や観客としてとても大切なことだと思っています。もし久石譲のファンでありつづけたいならば、自分もまた学びつづけなければいけない。いろいろなものに触れて、久石譲だけではないクラシック音楽や現代音楽にも耳を傾けることで、俯瞰して久石譲という作家性が見えてくる。海外で生活してみて、はじめて心に刻まれる日本への想い誇り、と同じ感覚でしょうか。だから、ファンとして視野や思考がガラパゴスになってしまったらだめですね、と言い聞かせ。主観全開ではありますが、言葉にすることの重みも感じながらの全力投球でした。書き記すことに意義があり、稚拙でも今の自分を出し切ることで、ひとつの通過点としたい。

このテーマは、一個人の解釈であり、わかろうする過程です。

 

わかろうとするからこそのPS.

『Untitled Music』『コントラバス協奏曲』はTV放送音源。『The End of the World for Vocalists and Orchestra』もTV放送音源でしたが、このたび7/13CD発売でひと安心。本来であれば『Winter Garden for Violin and Orchestra』『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』もしっかりと考察の素材としたかったのですが、未発売音源。『「TRI-AD」 for Large Orchestra』は「読響シンフォニックライブ」(8月放送予定)にて、フルサイズ・プログラムとなりますよう、どうかよろしくお願いします!

 

テーマに興味を持っていただいた人へ

今回まとめるにあたって、2013年くらいからを振り返り紐解いた当サイト内での資料ページです。今読み返すと興味深い久石譲の言葉、伏線として現在の活動につながっているインタビュー、私がコンサートやCD作品で感じた感覚へのタイムスリップ、さまざまな点と線が見てとれます。

 

 

 

久石譲 傾向 論文

 

Info. 2016/06/03 久石譲、世界的音楽家とのコラボに恐縮しきり (Webニュースより)

作曲家の久石譲が3日、東京・すみだトリフォニーホールで行われたコラボレーション公演『THE POET SPEAKS』(4日開催)、ピアノリサイタル『THE COMPLETE ETUDES』(5日開催)の記者会見に出席した。

4日の公演は、今年生誕90周年を迎えるビート詩人アレン・ギンズバーグに捧げられた演目。世界的音楽家のフィリップ・グラスのピアノ演奏にあわせてシンガーソングライターで詩人のパティ・スミスが詩を朗読。その日本特別版で小説家・村上春樹氏と、翻訳家・柴田元幸が詩の翻訳を担当。5日の公演は、グラスがライフワークとして作曲に取り組んだエチュード全20曲を久石譲、ピアニストの滑川真希と共に演奏する。

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Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 2

Posted on 2016/05/31

久しぶりにテーマを掲げて進めています。

ここまでは下記よりご参照いただき、そのままつづけます。

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 1

 

 

4.「ミュージック・フューチャー」シリーズと「アメリカ」が与えた影響

『The End of the World for Vocalists and Orchestra』(WDO2015版)を聴いたときに、明らかに『The End of the World』(2009「ミニマリズム」収録版)とは違う空気感を感じていました。とても霧がかったアメリカ、ニューヨーク・マンハッタンを連想させる…写真でいうと高層ビルのそびえ立つ洗練された街、でもそれはモノクロの世界。

なにがアメリカを連想させるんだろう?

2014年から新しいコンサート企画として始動した「ミュージック・フューチャー・シリーズ」。とりわけ2015年のVol.2ではアメリカをテーマに据え、アメリカ作曲家の作品や、自身の新作を披露。なにがアメリカらしさを連想させるんだろう、とこのあたりの作品からずっと考えていました。もちろん曲想でいえば『The End of The World for Vocalists and Orchestra』も『コントラバス協奏曲』も楽章のなかにジャズ・エッセンスを盛り込んだセクションはありますし、『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』ではサクソフォンが前面に出ていたようには思います。

でも、果たしてそれだけだろうか?

……

やっと微かな小さな糸口のひとつを見つけました。楽器編成とオーケストレーションの変化です。

 

管楽器

木管楽器では従来以上に高音域パートのフルートやピッコロが特徴的に使われています。さらにその奏法が強く息を吹きかける、とてもシャープな響きになっているのではないか。金管楽器では、あまり従来の久石譲作品には見られなかったミュートを使用した奏法が増えたのではないか。ミュートとはカップやフタのようなものをラッパの部分にかぶせるものです。それによってとても乾いた音、乾燥した響きになります。管楽器でミュートを使用した場合、ジャズにおける奏法でも定番ですので、ジャズエイジ、アメリカという連想ゲームを音からするからかもしれません。そうでなくてもぐっと現代的な響きにはなります。

 

パーカッション

これまでも久石譲のオリジナル性の強みとして、様々なパーカッションが作品を彩ってきました。その多くはオーケストラ・パーカッションだけではなく、ラテン系などの民族楽器パーカッションを散りばめ、エスニックなエッセンスや、隠し味となってきました。

ところが、直近の作風では、これらの特殊楽器よりも、オーソドックスなドラムセットを使用している場合が多くみられます。バスドラム・スネアドラム・シンバルというセットです。またスネアやシンバルもスティックで叩くだけでなく、ブラシを使った奏法もあるため、これまたジャズにも共通するのですが、アメリカらしくも聴こえてきます。

どの作品がどれにあたるかは線引きが難しいのですが、総して『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『コントラバス協奏曲』『「TRI-AD」 for Large Orchestra』などで強く印象を受けます。

 

このひとつの糸口をつかんで、あらためて『The End of the World』(2009「ミニマリズム」収録版)と『The End of the World for Vocalists and Orchestra』(WDO2015版)を聴き比べていきました。

WDO2015版第2楽章の2:00くらいから、ミニマリズム版ではマリンバなどのアクセントが奏でられたいた箇所に、木管楽器のピッコロ系が一層追加されています。そしてそのあとに、新たに書き加えられたサクソフォン・セクションへと流れていきます。サックスを使用することでアメリカ感がますことは久石譲の過去インタビューにもあったような気がします。もちろんこの第2楽章は展開するにつれ、ジャズ風セクションに入っていくわけですが、それだけではないアメリカへの色濃い変化。それがフルートよりも高音域のピッコロとその強く息を吹きかける奏法、サックス・セクションにあったのではないか、と思い始めました。

WDO2015版第4楽章の1:00くらいから、合唱セクションに入りますが、そこでもミニマリズム版にはなかった(後半には出てきますが)、ピッコロのアクセントが非常に印象的に配置されています。また第4楽章では、パーカッションにも変化がみられます。トライアングルが編成され、ティンパニ、ドラ、シンバルも従来以上に随所に緊迫感をもって響きます。これによりミニマリズム版にあったシンフォニックな響きから、より立体的な響きへと作品全体が進化したのではないか。

トライアングルはWDO2015版第4楽章2:00以降の合唱パートにはほぼ入っていますので、聴き比べやすいと思います。ミニマリズム版にも編成されているかもしれませんが、聴きとりにくく。いずれにせよ、従来よりも前面に打ち出されていることはたしかです。

フルオーケストラとしての音の厚みや塊から一歩進めて、効果的な楽器編成とオーケストレーションによって、おうとつ感や遠近の距離感、つまり立体的かつよりくっきりとシャープな輪郭になったのではないか。その一役を担っているのが管楽器の奏法やパーカッションではないのか、という見解になりました。

 

楽器や奏法からくる響きだけで「だからアメリカだ」「古典とは違う現代の響きだ」というのは、いささか安直なのはわかっています。もちろんほかにも見えていない部分が多く潜んでいるはずです。それでもこれまで自分の中で解消することのできなかった、糸口のひとつにはなったような気がしています。

「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2015」コンサート・レポートにおいて、あの『交響詩ナウシカ2015』の初演をさしおいて、『The end of the World for Vocalists and Orchestra』について、「個人的には本公演で一番震えた作品です」なんて書いていたのですが、そのときに感覚的・直感的に印象に強く刻まれたことが、ここにきて直近の作品群から逆流することで、やっとひとつのとっかかりを見つけることができた、のかもしれないと思うと少しうれしくなります。

 

作品群を上から下から逆流ついでに。

 

「ミュージック・フューチャー」+「アメリカ」=『コントラバス協奏曲』

これまでの考察4.をもとに、もうひとつ明確に浮かびあがってきました。「ミュージック・フューチャー」コンサートは、室内オーケストラや室内アンサンブルにこだわっていて、いわば小編成です。そのアンサンブルへのこだわりが結実したのが「ミニマリズム2」(2015)というCD作品で、収録曲の多くは同コンサート企画にて披露されています。

もう一度『コントラバス協奏曲』をじっくり聴いていきました。するとそこには管楽器や打楽器・パーカッションの奏法にみられる同じような響きが随所にありました。ピッコロ、シロフォン、グロッケンシュピールなど。

『コントラバス協奏曲』ってアンサンブル?

コントラバスを主役に据えるということは実はものすごく挑戦的なことなのかもしれない、と。それは音域の狭いうえに低音域であり、なかなか前面には出にくい響き、つまり埋もれてしまいやすい。同じ弦楽であるヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、これらの弦楽合奏を悠々と音厚で奏でようものなら、コントラバスは主張できたとして低音域の音厚。でもソリストとしての独奏となった場合は、厚みでは負けてしまい、ゆえにピッツィカートが効果を発揮するのかも、など。

この作品で久石譲が巧みにオーケストレーションしているのは、弦楽合奏にかえて管楽器・打楽器・パーカッションを各々の楽器の特性を活かし、色とりどりに配置していることです。全体としては音の塊として厚くしすぎることなく、余白のある音楽、輪郭のくっきりとしたそぎ落とした構成ができあがります。さらに薄くならない、単調にならない、間延びしないよう、絶妙にオーケストレーションされているのが各種管楽器・打楽器・パーカッション。そこにコントラバスを主役として迎えているわけです。

とりわけ管楽器+パーカッション、打楽器+パーカッションという旋律を数多く聴くことができます。パーカッションがリズムを刻んだり、拍子を打つ役割だけでなく、管楽器や打楽器と同じフレーズで重ねられているということです。音程のある管楽器群や打楽器群で音に厚みをもたせるところから、基本的には音程のないパーカッションを重ねることで”薄くならない””単調にならない”という、広がりのある色彩豊かな展開を実現しています。編成されているパーカッションの種類も豊富なうえに、同じ楽器でも奏法バリエーション豊かで聴くたびに新たな発見があります。これを一寸狂わぬ演奏で、しかもレコーディングではない一発勝負の公開収録コンサートで、見事に表現している読売日本交響楽団の技術力の高さに、あらためて唸らされます。

従来の壮大なシンフォニーではなく、この手法はまさにアンサンブル的です。「ミュージック・フューチャー」でアンサンブルを進化させ、さらに新しいオーケストレーションを構築するようになったからこそできた作品、それが『コントラバス協奏曲』だったのかもしれません。この『コントラバス協奏曲』で「アメリカ」と形容したのは、『The End of the World for Vocalists and Orchestra』でのアメリカとは少し異なり、ポスト・クラシカル、ポスト・ミニマルの最先端を進めている「アメリカ発信現代の音楽」と共鳴している位置づけにある、という趣旨です。とても気に入っている作品です。

よし!今回は木管楽器(フルート、ピッコロ、オーボエ、クラリネット、ファゴット、コントラファゴットほか)に意識を集中させて聴いてみよう、次は金管楽器(ホルン、トランペット、テナートロンボーン、バストロンボーン)に、次は打楽器(マリンバ、ビブラフォン、グロッケンシュピール、シロフォンほか)に、次はいつもよりも奥に名脇役に徹しているピアノ、チェレスタ、ハープは? パーカッション(ドラムセット、カウベル、ウッドブロック、大太鼓、クラベス、トライアングルほか)だけを追っていても、おもちゃ箱のようにいろんなところから飛びこんでくる! そんな発見ができると思います。

 

古典から現代へ

久石譲がクラシックを軸にした作曲活動をするということは、クラシックの方法論にのっとることに他なりません。でも古典からの風習をただなぞるということはしていない。守破離です。「今発信したい音楽」「現代の音楽」として創作するにあたって、古典にはない奏法・楽器編成・管弦楽法(オーケストレーション)を随所に盛り込むことにより、ガラパゴスでもないグローバル・スタンダードとなりうる「現代の音楽」を響かせているのではないか。そしてそれはアンサンブル作品・オーケストラ作品、編成をも越えて進化しつづけている、という着地点になりました。

管弦楽の高音域~低音域という音の高低差、楽器編成と楽器配置による音の広がり、ここまでを仮に二次元の壮大なシンフォニーとしたときに。奏法・パーカッションなどをアクセントとした残響や奥行きの演出、三次元な立体的響きへの昇華。その音空間は、密集しすぎることなく風がよく通る、輪郭のくっきりとした音像パノラマ。決してそんな表現が大袈裟ではないと感じる、新境地を開拓した久石譲発信「現代の音楽」が、今私たちに響き届いているのかもしれません。

 

5.大衆性と芸術性がクロスオーバー、象徴する2作品

今回テーマとして取り上げている「久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品」。ひとつ不思議に思ったのが、そのなかに『Untitled Music』が含まれていなかったことです。TV番組「題名のない音楽会」新テーマ曲として2015年に書き下ろされた作品です。

たしかにTVテーマ曲になりますので、エンターテインメント音楽(大衆性)の位置づけになるのかもしれません。それにしては芸術性としても秀逸な作品で、オリジナル作品と一緒にラインナップされてもいいのでは、と思うほどです。

『Untitled Music』では五嶋龍というヴァイオリンの名手をソリストに迎えて、まさにヴァイオリンの表現の可能性を凝縮したような作品です。これまでの考察をベースにするならば、グロッケンシュピール(鉄琴の種)やトライアングルを巧みにブレンドすることにより、とてもキラキラと輝いた印象を受けますし、フルートやピッコロをふくめたこれらの高音域との対比として、金管楽器をファンファーレ的に配置(ミュート奏法ではない)しています。全体構成・楽器編成として格調高い華やかさがあり、ヴァイオリンの音域をとてもうまく浮き立たせていると、個人的には感じます。また『コントラバス協奏曲』と同じように、緻密でありながら余白のある音楽、主役を際立たせる巧みなオーケストレーションです。

 

もうひとつが2016年一番新しいCM音楽として発表された『三井ホームCM音楽』。ソリッドに研ぎ澄まされたミニマル・ミュージック全開で、CM音楽におけるインパクトとしては抜群ですが、キャッチーさを求めるならば真逆な作品といえます。

最初聴いたときに「えらく(ミニマルサイドに)振り切った作品だな」とびっくりしたのを覚えています。ただ、これまた考察をもとにすると違う発見があります。マリンバ・ピアノのミニマル伴奏にコーラスが旋律として構成されたこの作品。随所にピッコロとグロッケンシュピールによる装飾が出てくると思います。そしてピッコロはとてもシャープな強く息を吹きかける奏法になっています。

…これがなかったとしたときに?

ミニマル・ミュージックの躍動感は維持されますが、一見すごく耳あたりのいいサウンドともなります。心地よいグルーヴ感と優美なコーラス・メロディ。本来ならば、これだけのミニマル音楽がテレビから流れてきただけでもひっかかりは強いですね。普段聴き慣れない音楽としてインパクト充分です。がしかし、やはりあの高音域装飾(ピッコロ・グロッケン)が、強烈すぎるアクセントになっている。あのフレースがあった時点で、久石譲の勝ちだな、と思ってしまうくらいの凄み。

従来の久石譲アンサンブル手法からだった場合、おそらくあのパートはピアノ、サックス、ハープなどの楽器で別の装飾モチーフとして奏でられていた、かもしれません。それが、今の久石譲の手にかかるとあの完成形となるわけです。ない場合、従来手法の場合、そしてお茶の間に響いた楽曲。イメージするだけでも響きの違いは雲泥の差。15秒・30秒の音楽を聴いて、久石譲という作曲家の感性と論理性をまざまざと魅せつけられた思いです。

もっとマニアックな見解をさせてください。

弦楽器や管楽器は持続音です。弾いている・吹いている間、一定の音が鳴り続けます。一方で、ピアノやマリンバ・シロフォン(木琴の種)・グロッケンシュピール(鉄琴の種)などは減衰音です。叩いたときに音が発せられそのあとは減衰していきます。

さて、ここで減衰音のグロッケンと、持続音のピッコロをブレンドして編成する。かつピッコロの奏法を息を強く吹きかける、つまりは音の立ち上がりを強くすることで、フッと息をするようにシャープになり減衰音と同じような音の減衰を期待できます。そうすることで、メロディという主旋律の邪魔をすることなく、もちろんナレーションやセリフの邪魔をすることもなく、かつ瞬間的に強烈なインパクトを印象づけることができる。ほんと久石譲という人が末恐ろしくなってくる数十秒間です。

一連のピッコロ、シロフォン、グロッケンシュピール、トライアングルという高音域楽器をブレンドした妙技は、『コントラバス協奏曲』でもいかんなく発揮されています。またこのことは、”余白のある音楽・そぎ落とした構成”と表現した同作品にもつながります。持続音を減らすことで音厚になりすぎず、減衰音と同じ効果を期待できるパーカッションをふくめ巧みにオーケストレーションしているからです。

 

この『Untitled Music』と『三井ホームCM音楽』が象徴していること、それは大衆性と芸術性のクロスオーバーにおいて、芸術性が色濃くなってきているということです。これまでの久石譲の中で作曲活動のすみ分けがあるならば、ここまでのオリジナリティをエンターテインメント界において突飛することはなかっただろうと思います。現に『Untitled Music』にいたっては、メインテーマ曲という肩書とはある種程遠く、Aメロ・Bメロ・サビとわかりやすく展開するわけでもなく、さらには変拍子のオンパレードで、いまだに私は拍子が刻めません。

これらの作品を見て思うのは、抑制がきかなくなったということではなく、大衆性の中にうまく芸術性を色濃くすり込ませる、ちょと表現が難しいのですが、「現代の音楽」をコンサートだけではなく、マス媒体を使ってうまくお茶の間に浸透させていく。そんな久石譲の一歩先を見据えているからこその戦略とすら感じるほどです。もちろんいい意味で表現しています。

だからこそエッセンスとして切り取られた数十秒の『三井ホームCM音楽』であり、結晶のように凝縮された約3分半の『Untitled Music』。そして自分のコンテンポラリーな作品は、もっと大きなテーマ性とコンセプトによって構築していく、必然的に演奏時間は長く必要となってくる。次のステージに入ったからこそできる術、それを象徴しているのが現時点ではこの2作品だったような気がしてきます。

 

今回進めた考察4-5.は、連動連鎖しています。考察1-3.での「クラシック手法」や「作品コンセプト」は、作風変化に対する大きな指針であり、それを表現した響きとして具現化されたものが、考察4-5.にあたるのではないか、というつながりになってきます。

2013年以降書き下ろし新作、クラシックへの回帰、作品コンセプト、ミュージック・フューチャー。さまざまな点が大きな線へと絡まり結びつき、螺旋を描きだしてきました。

 

つづく

 

タイムリーなPS.

今回取り上げた作品のうち『コントラバス協奏曲』『Untitled Music』はTV放送音源です。『The End of the World for vocalists and Orchestra』はいよいよ7月13日CD発売されます。『三井ホームCM音楽』は三井ホーム公式サイト内「広告ライブラリー」にて閲覧可能です。『Untitled Music』は、久石譲指揮・新日本フィル・ハーモニー交響楽団演奏で、6月5日TV放送予定です。

 

 

 

久石譲 傾向 論文

 

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 1

Posted on 2016/05/27

久しぶりにテーマを掲げて進めようと思います。

先日5月8日、長野市芸術館グランドオープニング・コンサートが開催されました。そこでお披露目されたのが久石譲書き下ろし新作「TRI-AD」(トライ・アド) for Large Orchestra です。

コンサート・レポートはすでに公開していますが、実は当日会場にてもらうことができたコンサート・パンフレットには、次のような紹介頁がありました。それは、映画音楽やCM音楽ではない、久石譲オリジナル作品をまとめたものです。

 

久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品

DA・MA・SHI・絵
初演:1996年10月14日 Bunkamuraオーチャードホール
演奏:金洪才(指揮)、新日本フィルハーモニー交響楽団

Links
初演:2007年9月9日 東京国際フォーラムC
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

MKWAJU 1981-2009 for Orchestra
初演:2009年8月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィルハーモニー交響楽団

Divertimento for string orchestra
初演:2009年5月24日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

Sinfonia for Chamber Orchestra
1.Pulsation / 2.Fugue / 3. Divertimento
初演:2009年8月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィルハーモニー交響楽団

弦楽オーケストラのための《螺旋》
初演:2010年2月16日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

5th Dimension
初演:2011年4月9日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

交響曲第1番 (第1楽章)
初演:2011年9月7日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

Shaking Anxiety and Dreamy Globe
[2台ギター版]
初演:2012年8月19日 Hakujuホール
演奏:荘村清志、福田進一
[2台マリンバ版]
2014年9月29日 よみうり大手町ホール
演奏:神谷百子、和田光世

Single Track Music 1
[吹奏楽版]
初演:2014年2月22日 アクトシティ浜松 大ホール
演奏:加藤幸太郎(指揮)、浜松市立開成中学校
[サクソフォン四重奏と打楽器版]
初演:2015年9月24日 よみうり大手町ホール
演奏:林田和之、田村真寛、浅見祐衣、荻島良太、和田光世

String Quartet No.1
1.Encounter / 2.Phosphorescent Sea / 3. Metamorphosis / 4.Other World
初演:2014年9月29日 よみうり大手町ホール
演奏:近藤薫、森岡聡、中村洋乃理、向井航

Winter Garden for Violin and Orchestra
初演:2014年12月31日 フェスティバルホール(大阪)
演奏:久石譲(指揮)、岩谷祐之(ソロ・ヴァイオリン)、関西フィルハーモニー管弦楽団

祈りのうた ~Homage to Henryk Górecki~
初演:2015年8月5日 ザ・シンフォニーホール(大阪)
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ

The End of the World for Vocalists and Orchestra
1.Collapse / 2.Grace of the St.Paul / 3.D.e.a.d / 4.Beyond the World
初演:2015年8月5日 ザ・シンフォニーホール(大阪)
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ、高橋淳(カウンターテナー)、W.D.O.特別編成合唱団

室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra
初演:2015年9月24日 よみうり大手町ホール
演奏:久石譲(指揮)、西江辰郎(エレクトリック・ヴァイオリン)、Future Orchestra

コントラバス協奏曲
初演:2015年10月29日 東京芸術劇場
演奏:久石譲(指揮)、石川滋(ソロ・コントラバス)、読売日本交響楽団

Orbis for Chorus, Organ and Orchestra
1.Orbis ~環 / 2.Dum fāta sinunt ~運命が許す間は / 3.Mundus et Victoria ~世界と勝利
初演:2015年12月11日 東京芸術劇場
演奏:久石譲(指揮)、読売日本交響楽団

「TRI-AD」 for Large Orchestra
初演:2016年5月8日 長野市芸術館
演奏:久石譲(指揮)、読売日本交響楽団

(「長野市芸術館グランドオープニング・コンサート」パンフレットより)

 

 

これを眺めるだけでも錚々たる作品群です。スタジオジブリ作品やTV・CM音楽を除いたとしても、これだけの大作たちがすでにそびえ立っているんだと再認識させられたのが第一印象です。もちろん「主要」とあるとおり、これらがすべてではありません。ラインナップを頭の中で整理するとても参考になりました。

「あっ、これはまだCDになってないな」(チクッと)とか、「そうか、この作品はあのコンサートのときか」とか、いろいろな見方ができるのですがひとまず置いておきます。

 

「TRI-AD」 for Large Orchestra を聴いて抱いた違和感

コンサート・レポートでもこの作品の感想は記しませんでした。もちろん消化できていないという理由が大きく、一度聴いただけで中途半端な感想を書いてしまうことで、未聴の方へ先入観を与えてしまうリスクを避けたかったためです。CDやTV/CM音楽であれば、ある程度同じタイミングで聴くことができますので、個人的見解は書きやすいですね。それぞれが聴いた感想も選別しやすい。「あの人はああ言っていたけど、自分はそうは思わない」と。でも、この作品のようにコンサートでしか聴くことができない一期一会な作品、そして次いつ再会できるかわからない作品に対しては、やはりレビューは慎重になります。一個人の解釈が、他の意見にもまれることのないままにひとり歩きしてしまった先には、一見解が一般的見解へと飛躍してしまうリスクが潜在してしまうためです。

・・・?

そんなことが言いたかった?!

コンサートで聴いたあとにずっとひっかかるものがありました。素直に消化できていない自分がいる。手放しにすっきり感動できていない自分がいる。このモヤモヤ、ひっかかっているものはなんだろう、と。そんな思いを数日ひきずったまま、改めてコンサート・パンフレットの上記作品紹介ページに目をおろしました。

・・・?

・・・!!!

そうか!そういうことだったのか!頭の中で、作品リストがパズルのように交錯し、違う形(配置)を描きだしました。

 

「ヤバイ!自分がついていけていなかった」 閃光走る!

このファンサイトでもよく記しますが、久石譲には大衆性(エンターテインメント)と芸術性(アート)の二面性があり、それぞれの制作環境によって作品が生み出されています。前者は映画・TV・CMなど依頼されてつくる音楽であり、後者はオリジナル性を追求する音楽。これまでは7:3くらいの比率で音楽活動をしていたのでしょうか、その分エンターテインメント界で制約をうけたことや葛藤・ストレスが、折に触れ自分の原点を突き詰めたくなるという動機へと掻き立てられ、その結晶が上記オリジナル作品群ということになります。

・・・結論から言ってしまいます!

「2013年以降に書き下ろした新作(および改訂新楽章含む)は、明らかに作風が変わっており、久石譲が次のステージに入った創作活動をしている証です」

 

結論に至った考察点。

1.宮崎駿監督長編引退(2013)が与えた影響と分岐点

2.エンターテインメントの制約がなくなったときに、自ら創り出す制約=作品コンセプト

3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す

4.「ミュージック・フューチャー」シリーズと「アメリカ」が与えた影響

5.大衆性と芸術性がクロスオーバー、象徴する2作品

6.交響曲を完成させる時期(とき)がきた (WDO2016初演予定)

7.シブリ交響作品化にも影響を及ぼすのか

8.まとめ ~すべてはこの作品が大きな布石だった~

 

さて、これらの仮説を立て、順番に検証していこうと思います。

 

1.宮崎駿監督長編引退(2013)が与えた影響と分岐点

映画「風立ちぬ」(2013)を最後に長編映画を引退すると会見した宮崎駿監督。四方八方の推測を抜きにしても、この出来事が久石譲にとって影響を与えていないことはない、という前提で進めます。ちょうど同時期のメディア・インタビュー各種で「自分の本籍をクラシックに戻す」との発言が増えたのもこの時期です。つまりは、4-5年に一度の宮崎駿監督との仕事というサイクルに区切りがついたとき、立ち止まってこれからの方向性を見据えなおした分岐点になったであろう、そのくらい大きく振り子を動かすには十分すぎる出来事だったと思っています。

そしてその方向性とは、自分のベーシックなスタンスをクラシックに戻し、ミニマル・ミュージックという原点を突き詰めた、いやミニマルの発展系であるコンテンポラリーな作品をつくっていく、ということになってきます。

 

2.エンターテインメントの制約がなくなったときに、自ら創り出す制約=作品コンセプト

エンターテインメント音楽が依頼されて作る仕事であることは、過去の久石譲インタビューでも多く語られています。作品ごとの性格・注文・条件が制約となり、その制約のなかで音楽を創作する、というのが久石譲の作曲スタイルです。

これを逆説的に見たときに、オリジナル作品は”自由に創作できる”、つまり制約がないということになります。もちろんここでいう制約とは、いわばルールのようなものですね。このルール・条件で作ってくださいとなるのか、無条件でお好きにどうぞとなるのか。作曲における着想点とも言っていいかもしれません。

これまではエンターテインメント音楽(大衆性)7:オリジナル作品(芸術性)3の割合くらいだったでしょうか、と前述したのもポイントになってきます。2013年以降「クラシックに本籍を戻す」ということは、必然的にオリジナル作品(芸術性)の比率が高くなってきます。

エンターテインメント界で制約をうけたことや葛藤・ストレス、今自分が作りたいもの、折に触れオリジナル作品をつくる動機へと掻き立てられてきた従来の創作活動スタイルが大きくそのバランスを崩します。依頼されて作ることよりも、自らの作品を残すことに比重が傾くわけですから、いつも好き勝手につくっていいでは、おそらく続きません。その都度にテーマ性をもうけること、コンセプトを明確にすること。はたまた点(作品)で終わることのないよう、線(作品群)へと自ら大きな指針や道標をつくる。

「自ら創り出す制約」、それはクラシックの方法論にのっとった「作品コンセプト」ということになるのではないか、という見方です。『コントラバス協奏曲』は「コントラバスの表現の可能性を追求」という明確なコンセプトがあり、『TRI-AD for Large Orchestra』は「3和音でつくる」というコンセプト、『Single Track Music 1』は「単旋律のユニゾン」というコンセプト、『祈りのうた』は「3和音を基調としたホーリー・ミニマリズム」などというように。

結論で述べた「作風が変わった」という表現は、作曲におけるスタート・着想点がそもそも従来と違う、そういうことが言いたかったことです。

長らく商業ベース・エンターテインメント音楽に携わり、一長一短制約の中で作曲活動をしてきた久石譲。「制約があったほうが発想が広がることもある」と過去語っていたように、今度は自ら制約(ルール)をつくることで、自らの創作意欲を掻き立てる、あくなき挑戦の姿勢。そして作曲するとっかかりをクラシックの手法による様々なコンセプトを”お題”とし、おそらくはその先の大きな構想までもすでに描いているのかもとさえ。

そうなったときに、従来よりも情感に訴える旋律は影をひそめ、コンセプトにふさわしい、もしくはコンセプトで進めて八方塞がりにあわない、しっかり発展して出口が見える、作品として着地できる核(メロディ・モチーフ・主題)が必要ということにもなるのかもしれません。

 

3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す

その一

いかなる作曲においても、核が必要となります。メロディーやモチーフです。約1時間にも及ぶ古典クラシック交響曲においても、主題(メロディ・モチーフ)をどう位置づけどう発展させていくか、ということになるんだと思います(専門的知識はありませんので少し濁した言い方になります)。

これを従来の久石譲オリジナル作品でみたときには、基本は同じです。ミニマル・ミュージックでいえば、作品の核は、同じくメロディーやモチーフであり、音型とも言われます。シンプルにズラしたり微細な変化をかけていくのがミニマル・ミュージック。この場合リズムが肝となるそれにおいて、ある種グルーヴ感を失うことなく、作品は構成されてきました。『DA・MA・SHI・絵』『Links』『MKWAJU 1981-2009 for Orchestra』などが典型です。

ただしクラシックという広義での手法となった場合は、やはり主題を発展・再現させていくことが必要になってきます。単一楽章で構成されない多楽章な交響曲・協奏曲などの多くは、急・緩・急、全4楽章構成であれば急・緩・舞曲・急などと構成されます。急は急速楽章、緩は緩徐楽章、舞曲はメヌエットやスケルツォという表現もします。

また循環主題といわれる全楽章にまたがって主題が登場するような交響作品もあります。第1楽章では短調だった主題が、第4楽章では長調となったり、それだけでも主題を発見しずらくなることもありますし、主旋律ではなく内声部に主題を隠している場合や、わざと数小節にまたがってあるパートに主題を担わせ、聴いただけではわからない、スコアを見なければ、ということも出てくるんだろう、と思っています。

クラシックの話はここまでにして、ということは、今までの久石譲の作風にはなかった引き出しが持ち込まれることになります。このことは、一方では”久石譲らしさ”を排除することにもなりかねませんが、一方では”新しい久石譲”を発見することもできるわけです。”らしさ”を癖と表現するならば、自分の癖をおさえて、新しい可能性を探り、新しい表現ができる、ということになります。

これはとんだ失礼な話、『コントラバス協奏曲』を聴いたときに、「あっ、作品が作りやすくなったのかもな」と思ったことがありました。とんだ上から目線ではなく、クラシック方法論、クラシックの方程式に、自らのオリジナル性をブレンドしたときに、今まではやらなかった旋律・展開・オーケストレーションなどが出てきて、作家性に大きな広がりができたのではないか、というとんだ生意気な意見です。

久石譲初期オリジナル作品は単曲として成立していますが、近年のオリジナル作品は、全3楽章など作品の世界観が大きく広がっています。全3楽章構成の作品の多くにおいて、第2楽章は緩徐楽章という見方もできます。ただし、”交響曲”とはうたっていないこともあり、緩徐楽章+リズムセクションを盛り込んだ楽章という独特な世界観を構成しています。『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『コントラバス協奏曲』『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』など。(※室内交響曲は、エレクトリック・ヴァイオリン協奏曲の体であることは本人も語っています)

 

そのニ

古典クラシック音楽において、作曲家が自らの作品やモチーフを違う作品にも使用することはよくあります。気に入っている旋律・メロディを複数の作品で使用する。また過去に一旦の完成をみた作品を新作のなかで新たに再構成する場合もあります。

現代ではあまりなじみがない手法かもしれませんので、やもすると「使い回しですか?手抜きですか?」と思われてしまうかもしれませんが、これは立派な手法のひとつとして古典クラシック音楽にも幾多あります。もっと言えば、作曲家によるこの手法は、オリジナル性やアイデンティティが確立されているからこそできることであり、それだけ強力なカラーをもった作家性だからこそです。

久石譲においては、『The End of the World for Vocalists and Orchestra』における「第3楽章 d.e.a.d」は、『DEAD組曲』(2005)の第2楽章を新たに再構成したものであり、『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』における「第3楽章 Mundus et Victoria ~世界と勝利」は、『Prime of Youth』(2010)を大胆に組み入れて生まれた新作です。

 

その三

クラシックならではの編成や奏法について。ほとんど詳しくなたいめ掘り下げるに及びません。久石譲のオーケストラ編成は古典クラシックに基本的には準じており、作品ごとのアクセントとして独奏楽器や特殊楽器、パーカッションなどがふんだんに盛り込まれています。

また近年の全3楽章作品の多くでは、フィーチャーされた楽器によるカデンツァ風の独奏が終楽章に配置されています。『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『Winter Garden for Violin and Orchestra』『コントラバス協奏曲』など。もちろんこれには作曲家が表現したいことに対して、それを具現化して演奏することのできる優秀なソリストの存在と、信頼関係があってこそです。クラシック作曲家たちが協奏曲をつくる場合の大きな動機となったのは、信頼できる優秀な奏者が近くにいて、その人のために作品を書いたからです。

カデンツァとはソリストが妙技を発揮できるべく挿入される即興的独奏パートです。ここで作品に対する華麗な装飾を披露することで作品全体を豊かにします。カデンツァ風と書いたのは、従来カデンツァはその名のとおり即興だったのですが、古典派以降~現代にいたるまで、その多くは即興ではなくなり、作曲家の意図する譜面があることが増えたためです。ただし奏者によって得意な技法や”らしさ””クセ”はあると思いますので、自由に差し替えれる即興パート部はあるかもしれませんね。

協奏曲はあるひとつの独奏楽器を主役にむかえて構成される作品。そして協奏曲形式だからこそカデンツァが醍醐味となります。久石譲作品において、これからこれらの作品がいろいろなソリストによって奏でられたときに、色彩豊かなカデンツァ・セクションを聴き比べられる日がくるのかもしれません。

 

古典クラシック音楽と同じくオーソドックスな編成による作品が多かったなかで、微細に、でも確実に変化している奏法もあったります。それが次項の「アメリカ」や「現代の音楽」を象徴しているような気がしてならないわけです。

つづく

 

 

 

久石譲 傾向 論文

 

Info. 2016/08/03 映画『家族はつらいよ』(監督:山田洋次 音楽:久石譲) DVD発売決定

2016年春公開映画「家族はつらいよ」が早くもDVD化されます。「東京家族」の豪華キャストが再集結した同作品は、久石譲にとっても「東京家族」「小さいおうち」につづく、山田洋次監督作品3作目の音楽担当。2016年8月3日、DVD/Blu-ray全3種にて発売決定です。

 

家族はつらいよ 豪華版(初回限定生産)

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Info. 2016/05/29,06/05 [TV] 「題名のない音楽会」 久石譲2週連続出演! 【5/22 update】

2016年4月25日、東京オペラシティにて行われた「題名のない音楽会」公開収録。久石譲と新日本フィルハーモニー交響楽団によるプログラムが早くもオンエア決定。しかも2週にわけての2部構成にて余すところなく放送予定となっています。

2016年5月29日(日) 9:00-9:30 テレビ朝日系
「題名のない音楽会 久石譲が語る歴史を彩る6人の作曲家たち 前編」
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