Info. 2016/05/20 「久石譲 フィリップ・グラスとの共演に向けて」 (SPICE スパイス)Webインタビュー

久石譲(作曲家)インタビュー フィリップ・グラスとの共演に向けて

久石譲、フィリップ・グラスのピアノパフォーマンス究極の集大成に参加決定

『現代最高の音楽家、フィリップ・グラスが11年ぶりに再来日する』
この報せを聞くだけで、飛び上がって喜ぶ人も少なくないはずだ。

御年79歳を迎えるグラス氏だが、その活動は今なおとどまる所を知らない。彼の作曲範囲はオペラ、ダンス、映画音楽からオーケストラにいたるまで多岐に渡っており、今なお熱狂的なファンを獲得し続けている。2012年には高松宮殿下記念世界文化賞を、2015年には芸術のノーベル賞とも言われるグレン・グールド賞を受賞するなどその活躍はまさに円熟の極みに達していると言えるだろう。

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Info. 2016/05/20 <グラス+久石>のミニマル化学反応が東京で

1960年代よりスティーヴ・ライヒらと並んでミニマル・ミュージックという潮流の中心にあり、次々と作品を発表。さらには映画音楽においても『コヤニスカッツィ』『めぐりあう時間たち』など多くの作品を手がけているのが、2017年に80歳を迎えるフィリップ・グラス。この6月、注目すべき公演『ギンズバーグへのオマージュ』のために来日するが、別の日には彼のピアノ曲をじっくりと聴くコンサートも開催される。全20曲の「エチュード」を3人のピアニストが演奏するという『ザ・コンプリート・エチュード』は、作曲者自身の演奏も聴けるという貴重な機会。そして、ピアニストのひとりに指名されたのが作曲家の久石譲だ。学生時代よりグラスの音楽に傾倒し、自らもミニマル・ミュージックの手法を駆使したオーケストラ曲などを多数書いている。

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Blog. 久石譲 「長野市芸術館 グランドオープニング・コンサート」 コンサート・レポート

Posted on 2016/5/19

5月8日開館した長野市芸術館。その芸術監督と務める久石譲によるこけら落とし公演が、開館同日に開催されました。指揮・久石譲、演奏・読売日本交響楽団、久石譲書き下ろし新作を含む華やかな幕開けとなりました。

当日会場にはTV各局やメディア関係者も多く、開演前や終演後の観客たちへの取材やインタビューもたくさん行われていました。長野市芸術館の建物やホールについては、公式HPなどで詳細や特徴をご覧いただくとして、ここではコンサート内容に絞ってお伝えしたいと思います。

 

 

長野市芸術館 グランドオープニング・コンサート

[公演期間]久石譲 長野市芸術館グランドオープニング・コンサート
2016/05/08

[公演回数]
1公演
長野・長野市芸術館メインホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:読売日本交響楽団

[曲目]
久石譲:TRI-AD for Large Orchestra *世界初演
アルヴォ・ペルト:交響曲 第3番
チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64

 

 

会場にて配布されたコンサート・パンフレットより、グランドオープニング・コンサートの詳細を紐解いていきます。

 

 

長野市芸術館 柿落しに寄せて

長野市芸術館の開館日が来ました。芸術監督として関わってほぼ2年半の月日が流れました。その間いくつかの問題も生じましたがそれを乗り越えてこの日を迎えました。長野、いや信濃の国は教育が行き届いた知的な人々が多い。その人たちが集まる場所を目指すのが長野市芸術館です。

文化、アート(芸術)は人間が育んだ最も優れたものです。何故ならそれが心を豊かにするからです。食べて寝て享楽に走るだけでは動物と変わりありません。芥川龍之介は「心の貧しい人」と書きました。南米ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカは「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっとほしがることである」と演説しました。この経済大国「日本」という国で生活している僕にとって耳が痛い話です。

21世紀も16年が過ぎ、我々は新しい生き方、人生のあり方、国のあり方、世界のあり方を真剣に模索しなければならない時代に入りました。基本は人です。一人一人が地面に足をしっかり付けて自分の生き方を考え実行する。頭の中だけで終わってはいけない。コンピューターやスマートフォンの中に人生はないのです。

アートは人間が創造した遺産です。もしかしたらそこに生きるヒントや勇気があるかもしれない。何だか難しい話になりました。でも安心してください。アートと言ったって所詮同じ人間が作ったものです。我々が作ったものです。ありがたがる必要もないし、構えて見たり聞いたりする必要もありません。何回か足を運んでいただいて、実際に音楽や演劇に接していただくと、その面白さが分かってきます。その精神活動をする人が「心の豊かな人」なのです。

この芸術館が少しでもお役に立てば、幸いです。

さあ、始めましょう、長野市芸術館!

久石譲

 

久石譲 長野市芸術館 グランドオープニング・コンサート3

 

PROGRAM NOTE

久石譲:「TRI-AD」 for Large Orchestra
作曲にあたって、最初に決めたことは3つです。まず祝典序曲のような明るく元気な曲であること、2つめはトランペットなどの金管楽器でファンファーレ的な要素を盛り込むこと。これは祝祭感を出す意味では1つめと共通することでもあります。3つめは6~7分くらいの尺におさめたいと考えました。

そして作曲に取りかかったのですがやはり旨くいきません。コンセプトが曖昧だったからです。明るく元気と言ったって漠然としているし、金管をフィーチャーするとしてもどういうことをするのかが問題です。ましてや曲の長さは素材の性格によって変わります。

そんなときに思いついたのが3和音を使うことでした。つまりドミソに象徴されるようなシンプルな和音です。それを複合的に使用すると結果的に不協和音になったりするのですが、どこか明るい響きは失われない。ファンファーレ的な扱いも3和音なら問題ない。書き出すと思ったより順調に曲が形になっていきました。そこで総てのコンセプトを3和音に置きました。それを統一する要素の核にしたのです。

3月末からの中国ツアーの前にピアノスケッチを作り、帰ってきてから約2週間で3管編成にオーケストレーションしました。

「TRI-AD」とは3和音の意味です。曲は11分くらいの規模になりましたが、明るく元気です。演奏は難しいのですが、読響の演奏力は本当にすばらしい。このところ共演する機会が多いのですが、いつも感動します。もしかしたら一番楽しみにしているのは僕かもしれない。もちろん長野の皆さんに、楽しんでもらえることを心から願っています。

久石譲

 

アルヴォ・ペルト:交響曲第3番
作曲者や曲のご紹介をする前にお伝えすべきは「なぜグランドオープニング・コンサートで、アルヴォ・ペルトなのか」ということだろう。長野市芸術館の記念すべき1年目となる年間プログラムを俯瞰してみるとおわかりいただけるが、このペルトなる作曲家の音楽はこれ以降も演奏される。これこそが実は久石譲芸術監督の”イチ推し”作曲家であり、欧米各地のオーケストラや合唱団などが積極的にコンサートで取り上げている音楽でもある。しかし日本ではまだまだペルトの作品を演奏しているコンサートが少ない。久石芸術監督には「長野を世界標準へ」という思いもあるだろう。本日のコンサートでペルトの名前を初めて知ったという方も、彼の音楽を初めて聴いたという方もいらっしゃると思うが、その”新しい発見”を楽しんでいただければ幸いである。

アルヴォ・ペルトは1935年、バルト海をはさんで対岸にフィンランドを臨むエストニアに生まれた。しかし第二次世界大戦が勃発すると(一時期はナチス政権のドイツ統治下になるものの)ソヴィエト連邦に占領され、その統治は1991年に共和国として独立するまで続く。ペルトもエストニアの首都であるタリンの音楽院で学ぶが、作曲家としての初期はショスタコーヴィチやバルトークらの音楽に影響を受けつつ、徐々に12音技法やセリエル(音列)・ミュージックといった前衛音楽手法に手を染めていった。それは1950年代~60年代のソ連における、ひとつの楽派を形成していたのである。

しかし彼はそれを突き詰めていくうちい袋小路にはまり、1960年代末には自身の作風や作曲家としての存在理由について再考することになる。ほぼ作品を発表しない沈黙の期間は1968年から1976年まで8年に及んだが、その間にグレゴリオ聖歌や中世・ルネサンス時代の教会音楽などを徹底的に再検証。その甲斐もあって、1970年代後半には主にキリスト教の典礼音楽などをベースにした新しい作風を確立したのである(彼独自の技法には「ティンティナブリ(鈴鳴り・鐘鳴り)」と呼ばれるものがある)。

1980年に国を後にして、オーストリアのウィーン、そしてドイツのベルリンへ移住するとペルトの存在に光が当てられ、「現代における癒やしの音楽」というある種の誤解も招きながら、彼の知名度は徐々に高まっていった。先鋭的なジャズやクラシック音楽を紹介するECMレーベルから『アルボス』『タブラ・ラサ』という作品集(CD)がリリースされたのも、まさにこの頃。人気ミュージシャンのギドン・クレーメルやキース・ジャレットらが演奏に参加していたこともあって、日本でもペルトの名前が注目されるようになったのだ。

1971年に作られた交響曲第3番は、前衛的手法を疑問視し、新しい自分探しへの模索へ入っていった「沈黙の期間」における数少ない(ほぼ唯一と言ってもよい)作品である。しかしすでに抒情性にあふれた教会音楽的な作風で書かれているため、彼は早くから新しい方向性を発見していたに違いない。オーケストラによって演奏される交響曲ではあるが、その背景には人間の声による「歌」がとうとうと流れており、全編が祈りの連続でもある。初演の指揮は日本でも馴染みのある存在であり、やはりエストニア出身でありながらもアメリカへと出国したネーメ・ヤルヴィが担当。現在は2人の息子(NHK交響楽団の首席指揮者を務めるパーヴォ・ヤルヴィ、欧米のオーケストラで活躍するクリスティアン・ヤルヴィ)もこの曲をレパートリーに入れ、3人それぞれがCD録音も行っている。

曲は3つの楽章で構成されており、全曲は休みなく一気に演奏される。第1楽章はオーボエによる聖歌風の旋律で幕を開け、ミサなどの儀式で先導を務める歌唱の役割を果たしている。その後に金管楽器が演奏する聖歌風の旋律、木管楽器による運動的な音のつながりなどを素材として、この楽章を劇的に展開していく。

第2楽章は冒頭で悲哀をまとったような聖歌風の旋律が演奏され、やはり中ほどでは音楽に緊張感が増し、叫ぶような部分もあらわれる。静謐な雰囲気の音楽を経て、楽章のおしまいには和太鼓を連想させる力強い連打が刻まれる。

第3楽章は前2楽章より希望への兆しを感じさせる旋律で始まり、やはり中ほどでは力強い音楽が展開されるものの、日本の子守歌にも似た聖歌風の旋律(第1楽章冒頭の旋律と酷似!)が演奏されながら音楽は収束。断固たる意思を表明するような音楽で曲を閉じる。

 

チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
今日では世界中で人気の高いロシア音楽だが、国際的に人気や知名度の高い作曲家を輩出したのは、ドイツやフランスなどと比べればかなり遅い。たとえばJ.S.バッハが活躍した18世紀前半、モーツァルトが活躍した18世紀後半、さらには19世紀を迎えてベートーヴェンが革新的な作品を発表していた古典派からロマン派音楽への移行期、ロシアには(アリャビエフやボルトニャンスキーといった作曲家たちに、時々スポットライトは当たるものの)同じレヴェルで語れる作曲家がいない。そして、作曲に関する基礎的な知識を学ぶための教育機関も、実は1862年に創設された首都サンクトペテルブルグの音楽院を待たなくてはいけないのだ。

その音楽院へと早々に入学した一人が、当時は法務省に勤務していた22歳のピョートル・チャイコフスキー(1840~1893)だった。彼はドイツ音楽の伝統的な形式を継承するアントン・ルビンシテインに師事して作品を書きためていくが、一方で敵対していたバラキレフ・グループ(後にロシア国外で「ロシア五人組」と呼ばれる集団)とも交流し、民謡や民族舞曲などを素材とする作風にも興味を抱く。結果としてチャイコフスキーは折衷的な作風を模索して独自の路線を行く存在となり(そのため双方からの批判を受けることもあった)、誰にもない個性と現代まで続く人気を得たと言ってよいだろう。

チャイコフスキーの生涯が紆余曲折であり、作曲家生活においてもプライベートにおいても激動の連続だったことは彼の伝記などを読んでいただければわかる。しかし、そうした中で作品への評価は高まっていき、ロシア国外でも彼の知名度はアップ。要望に応えて渡航し、指揮者として自作を披露する機会も増えていった(ちなみに有名なニューヨークのカーネギーホールが1891年にオープンした際、こけら落としの公演にも招かれて「戴冠式行進曲」を披露している)。交響曲第5番はこうした順調期の産物であり、曰く「(絶対服従の)運命のモティーフ」と呼ばれる旋律を駆使して構成された、まさにチャイコフスキー流の交響曲である。

作曲は1888年の5月から8月にかけて(チャイコフスキーは48歳)。同年1月から3月まではヨーロッパ各地の6都市へ赴いて演奏旅行を行い、自作も含めたプログラムを指揮している。ブラームスやドヴォルザーク、マーラー、フォーレやまだ若かったリヒャルト・シュトラウスなど多くの音楽人と交流したこの演奏旅行は弱気だったチャイコフスキーに自信を与えたが、帰国後に手がけた交響曲第5番はそうした勢いもプラスに働いた作品かもしれない。文通による交流が12年も続いていたナジェージダ・フォン・メック夫人には「ようやく交響曲に向かうためのインスピレーションが湧いてきた」と書き送っている。初演は1888年11月17日(ロシアの旧暦では11月5日)、チャイコフスキー自身の指揮によるサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー協会のオーケストラによって行われた。

全4楽章構成であり、曲全体が「運命のモティーフ」に支配されつつ、抑圧から解放されるストーリーを描いているようでもある。その「運命のモティーフ」は第1楽章の冒頭で2本のクラリネットが演奏するので、この曲を初めて聴く方にとってもわかりやすいはずだ。しかし作曲者自身が「このように聴いて欲しい」という明確なプログラムノートを残しているわけではないので、最終的な判断は聴き手それぞれの想像力に委ねられるだろう。そうしたストーリーを考えず、純粋に「循環形式」(ひとつのモティーフが多彩に変容していきながら全曲を構成する作曲手法)を活用した交響曲として楽しむという姿勢も、もちろん正解である。

第1楽章(ホ短調、序奏付きのソナタ形式)は、その「運命のモティーフ」で幕を開け、重苦しい気分の序奏が終わると、クラリネットとファゴットによって第1主題が演奏される。ヴァイオリンによって演奏される山型の主題を経て、やはりヴァイオリンが憧れの気分を歌うように演奏するのが第2主題(ニ長調)。その後はこうした主題を軸として音楽が展開されていく。

第2楽章(ニ長調、複合三部形式)は、ホルン・ソロによる神々しい主題が全体の柱となり、オーボエが演奏する第2の主題やクラリネットが演奏する不安げな主題が加わる。そうした中、2度にわたって「運命のモティーフ」が威圧的に鳴り響く。

第3楽章(イ長調、三部形式)は、バレエ音楽に転用されても不思議はないほど美しいワルツ。優雅な主部とせわしない中間部がコントラバスを生み出し、おしまいには「運命のモティーフ」がそっと顔を出す。

第4楽章(ホ短調の序奏~ホ長調の主部:ロンド・ソナタ形式)は、まず「運命のモティーフ」が勝利への行進曲となって演奏され、少しするとなだれ込むようにして嵐のような主部の第1主題へ。第2主題は木管楽器群が演奏する民族音楽風の旋律。そうした中で金管楽器群が「運命のモティーフ」を挟み込んでくる。こうして展開していく音楽は、突然の全休止によって一度ぱたりと止まるが、その後に演奏されるコーダ(終結部)では「運命のモティーフ」が高らかに鳴り響き、まさに勝利の行進へ。最後は第1楽章の第1主題が輝かしいファンファーレとなって力強く演奏され、全曲を閉じる。

[ペルト、チャイコフスキー/オヤマダアツシ(音楽ライター)]

 

久石譲 長野市芸術館 グランドオープニング・コンサート2

(久石譲コメント、楽曲解説 ~コンサート・パンフレットより)

 

 

長野市芸術館の開館にむけて、様々な雑誌インタビューも事前に掲載されてきました。その中からパンフレット内容を補足する意味も含めて、久石譲の言葉や思いを紹介します。

 

「オープニングですから、やはり希望があった方がいい。そこでチャイコフスキーの交響曲第5番をメインに選びました。この作品は、いわゆる”闘争から勝利へ””苦悩から歓喜へ”という明快な構造をもっています。それはベートーヴェンの『運命』や『第九』に通じるもの。しかも10数年前、僕がオーケストラで交響曲の全曲を指揮した最初の作品ですので、新たなスタートにも相応しいと考えました。それと自分は現代の作曲家ですから、いま活躍している作曲家の作品をきちんと演奏したい。そこで選んだのがアルヴォ・ペルトの交響曲第3番です。また、自分が書く『祝典序曲』については、いま(3月中旬)スケッチ段階ですが、(本領である)ミニマル・ミュージックをベースにしながら、世界中のオーケストラが演奏できる、3管編成で7~8分の曲にしたいと思っています」

「そうしないと日本の作曲家なんて育たないですよ。”現代音楽”の特殊閉鎖社会だけでやっていたら、それで終わり。僕は『ベートーヴェンと並ぶことの苦しさを知るべきだ』と言いたい。名曲というのは、長い時間ふるいにかけられた末に生き残っている音楽です。その曲と自作が並ぶのは、なかなかキツい。でもそうした体験をしていかないとガラパゴス状態になってしまいます。僕は、チャイコフスキーやベートーヴェンと一緒に現代曲に接してもらうことが重要だと考えていますし、できる限り実践していきます」

Blog. 「NCAC Magazine Vol.1」(長野市芸術館) 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

「音楽や芸術を日常化し、そうしたものを楽しむ人や心を育てていきたいですね。その精神を象徴する長野市芸術館のモットーともいうべき『アートメント』という造語には『アートとエンターテインメント』でなく、『アートをエンターテインメントとして楽しむ』という意味が込められています。コンサートでもベートーヴェンのようなクラシックとアルヴォ・ペルトのような現代の作品を並べ、21世紀の今を体験していただきたいですし、自分もまた一人の作曲家として同じ時代の音楽をもっと知って欲しい、楽しんで欲しいという気持ちが強いのです」

Blog. 「ぶらあぼ 2016年5月号」 久石譲 長野市芸術館芸術監督 インタビュー内容 より抜粋)

 

「ふと、気づいたことがあるんです。自分が、全部ひとつにつなげることができるのは、このホールでこそだ、と。指揮をする。プログラムを作れる。さらに、エンターテインメントの音楽をやる立場からすれば、一番重要なのは観客です。ホールではダイレクトに観客に向き合うことができる。」

「歌舞伎でも新作があったり、スーパー歌舞伎があったりと、トライしている。クラシックもやらなくてはいけない。でも、現代音楽祭と称したもので、現代のものをやってます、と処理されてしまう。この現状は絶対に間違っている。そう思っているんです。そうじゃなくて、ブラームスとかベートーヴェンをメインに据えてでも、どこかに必ずこんにちの音楽を入れこむ、それが今自分の指揮者活動でのスタイルです。現代曲を聴きに来ているわけではないお客さんに、新しい体験をどんどんさせる、してもらう。そのコンセプトは東京でも全国のコンサートも変わりません。そうした意味の実践の場として、長野が一番いいんじゃないかと考えるようになったのです。」

Blog. 「音楽の友 2016年5月号」 久石譲 長野市芸術館芸術監督 インタビュー内容 より抜粋)

 

「日本では『お客さんが入らない』と敬遠してしまいますが、それは逆だと思います。誰も『現代の音楽』を届けないから認知されないんです。聴いた方からは『こんな曲があったんだ!』と、とてもいい反応をいただいていますから」

「僕がスポーツ観戦をするのは、選手たちの素晴らしい技や人間の可能性に感動するからです。音楽も同じで、楽器を奏でるとそこに世界が生まれ、『人はこれだけの可能性を秘めている』と感動できるんです。ですから目の前に生まれる”世界”を是非、体感して下さい。感動は心に豊かさを生み、その一日が素敵に思えるはずです。一度足を運んでいいただけると嬉しいですね」

Blog. 「週刊文春 2016年4月28日号」 久石譲 長野市芸術館 インタビュー内容 より抜粋)

 

「僕は作曲家なので、長野市芸術館の芸術監督の話をいただくまでは、作曲や指揮活動以外のことには消極的でした。でも、社会還元も重要なことだと考え、引き受けました。芸術監督といっても、年間プログラムの作成など、細かい仕事も多いのですが、大きな目標が見えたんです。それは、長野市で日常的にいろいろな音楽を聴けるようにしていくこと。しかも、そこで演奏される内容は、決して長野限定ではなくて、世界中のどこに出しても恥ずかしくないものを提供すること。何年か先には、長野市民の皆さんにとって音楽が日常になっていて、このホールに足しげく通っていただける、それが理想であり、一番大事なことだと思っています。ホールで音楽を聴くことに対して、敷居が高いというイメージを持っている方もいるかもしれませんが、そこをできるだけ日常と繋げていく。市民の皆さんにも、演奏家にも、音楽を通してどんどん新しい体験をしてもらう。そういうことをきちんと取り組みたいと思います。毎年夏に開催する音楽フェスティバル「アートメントNAGANO」や、僕が長野市芸術館で立ち上げる室内オーケストラ「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)」も、その構想の中に位置付け、世界を目指して継続してきたいと考えています。」

「その通りだと思います。僕は高校生までまともなオーケストラは聴いたことがなかったんです。長野市のホールで本格的なオーケストラを聴いたのは、高校一年だったと思います。その時すごく衝撃を受けました。すばらしいと思いました。同時に、もっと早い時にそういう経験をしていたらよかったな、とも思いました。これから、長野市芸術館で、絶えず一流の音楽を演奏していき、それを見てくれた小学生や中学生が「かっこいいな」「すごいな、自分もやりたいな」と思ってくれたら一番うれしいですよね。そういう場所になることを願っています。」

Blog. 「Nagano ARTOlé -長野市芸術館開館記念BOOK-」 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

さて、ここからは個人的所感を書こうと思いますが、ここまでで結構なボリュームになってしまいましたし、全貌はわかっていただけるかとも思います。

いくつかを補足程度になります。

久石譲が書き下ろした新曲「TRI-AD」は、「トライ・アド」と読みます。またこの作品に関して感想を言えるほど消化できていません。華やかでありながら賑やかしくもあり、緩急豊かにめまぐるしく展開していく作品でした。久石譲本人による上記楽曲解説が当然ながら一番参考になると思います。直近のオリジナル作品傾向も含めて、いつかまたゆっくり腰を据えて考察できたらと思っています。

映画「風立ちぬ」(2013)から親交を深めてきた読響とだけあって、オープニングから、チャイコフスキーの渾身のクライマックスまで圧巻でした。初々しい生まれたてのよく響くホールと相まって、怒涛のごとく響きわたる管弦楽と、終演後のブラボー!と拍手喝采。この揺れるほどの演者と観客が創り出す音こそが、新しいホールの歓喜の産声のような気がして、とても感慨深いものがありました。

長野市芸術館ホールの開演ベルも久石譲が作ったものです。実はこれ、公演終了後に長野市芸術館公式Facebookにて知ったため、まったく気にも留めておらず、覚えてもおらず。これから長野市芸術館での公演に足を運ばれる人はぜひ耳を傾けてみてください。

本公演は、読売日本交響楽団ということもあって日本テレビ系「読響シンフォニックライブ」での放送が決定しています。正面はもちろん2階席からの両サイド、ステージから指揮者や客席をとらえるもの、複数のカメラがこのこけら落とし公演を完全収録しています。もちろんステージ上には集音用マイクも数多く設置されていました。放送予定は8月とのこと。どの作品が放送プログラムとなるのかもふくめて興味は尽きません。

 

PS.

開演前のTVインタビューも受けてしまいましたが、地元ではないため放送に使われたのかどうかはわかりません。きっとボツでしょう。公演終了後の様子が長野市芸術館公式Facebookにて写真1枚公開されています。実は小さく写り込んでいます。そういった点でも8月放送予定の「読響シンフォニックライブ」は、個人的にはまた別の楽しみがあったりもしています。最前列で聴くことができた私は、暗がりに聴いている姿か拍手している姿がキャッチされるのでしょうか!? そのときにはまた勝手にご報告する、かもしれません。

 

 

長野市芸術館および「アートメントNAGANO2016」に関連するTOPIC

 

一部スケジュール変更されています。上記ページは修正していますが、詳しくは公式HP・Facebookをご参照ください。

公式サイト:長野市芸術館HP長野市芸術館公式Facebook

 

久石譲 長野市芸術館 グランドオープニング・コンサート1

 

Info. 2016/05/08 長野市芸術館グランドオープニング コンサート インフォメーション各種

いよいよ本日5月8日、長野市芸術館開館です。こけら落とし公演としてグランド・オープニング・コンサートは、芸術監督である久石譲指揮、日本読売交響楽団演奏で幕を開けます。

長野市芸術館公式Facebookでは、開館までのカウントダウンとして、直近でさまざまなインフォメーションがアップされています。

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Blog. 「Nagano ARTOlé -長野市芸術館開館記念BOOK-」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2016/5/7

雑誌「別冊KURA 《Nagano ARTOlé》 長野市芸術館開館記念BOOK」(4月20日発売)に久石譲のインタビューが掲載されています。

5月8日グランド・オープニングを迎える長野市芸術館、その芸術監督としての久石譲のインタビューになります。ほかにも開館記念BOOKだけあって、長野市芸術館の着工前から現在に至るまで、様々な切り口での総力取材がぎっしりつまっています。

本誌コンテンツ内容はこちらをご参照ください。

Info. 2016/04/20 [雑誌] 「Nagano ARTOlé -長野市芸術館開館記念BOOK-」発売

ここでは久石譲インタビューにフォーカスしてご紹介します。

 

 

SPECIAL INTERVIEW

「長野市で日常的に音楽を聴けるように。しかも、世界に出しても恥ずかしくないものを提供したいのです。」
長野市芸術館 芸術監督 久石譲

 

世界の久石譲が目指す長野市発の音楽とは

-改めて、長野市芸術館への思いをお聞かせください。

久石:
「僕は作曲家なので、長野市芸術館の芸術監督の話をいただくまでは、作曲や指揮活動以外のことには消極的でした。でも、社会還元も重要なことだと考え、引き受けました。芸術監督といっても、年間プログラムの作成など、細かい仕事も多いのですが、大きな目標が見えたんです。それは、長野市で日常的にいろいろな音楽を聴けるようにしていくこと。しかも、そこで演奏される内容は、決して長野限定ではなくて、世界中のどこに出しても恥ずかしくないものを提供すること。何年か先には、長野市民の皆さんにとって音楽が日常になっていて、このホールに足しげく通っていただける、それが理想であり、一番大事なことだと思っています。ホールで音楽を聴くことに対して、敷居が高いというイメージを持っている方もいるかもしれませんが、そこをできるだけ日常と繋げていく。市民の皆さんにも、演奏家にも、音楽を通してどんどん新しい体験をしてもらう。そういうことをきちんと取り組みたいと思います。毎年夏に開催する音楽フェスティバル「アートメントNAGANO」や、僕が長野市芸術館で立ち上げる室内オーケストラ「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)」も、その構想の中に位置付け、世界を目指して継続してきたいと考えています。」

-久石さんにとって長野県はどういった場所ですか?

久石:
「あまり意識していないんですよ。でも、ここで生まれ育っているわけですから、今日(2016年1月18日)のように雪が降っているとうれしいです。皆さん「あいにくの雪で…」と言ってくださいますが、僕は素直に、うれしいって思います。意識的ではなくて無意識に、きっとどこかで長野の自然の恩恵を受けている、と感じています。僕の中には、長野で生まれ、日本で育ったというベーシックなものがあり、そこで培われたものも確かにあるわけですが、それを意識して前面に出して音楽活動をすることはありません。音楽は、いいものをつくるか、つくらないか。世界中どこでやっても、基本的には自分がやるべきことをきちっとやる、それだけです。」

 

音楽=論理的な構造で想像力を養う体験を

-以前、久石さんは、想像力を養うことの大切さについてお話しされていました。長野市芸術館での体験を通して、子どもや若い方たちに伝えたいことは。

久石:
「百聞は一見に如かずというように、いまの時代、すべての判断基準が視覚中心になっています。それはつまり、即物的になっている、とも言えます。目で見えるものが豊かだったり、物質が人間を豊かにするという、視覚の効果ですね。一方、音楽の話で言うと、たとえば「あ」という音には意味がない。でも、「あ」の次に「し」「た」とくると、はじめて意味を持ちますね。「あ・し・た」と言った時に時間の経過があります。音楽も、ドだけじゃ意味がない。ド・ソとか、ド・ミ・ソと音が続くことで、時間の経過が生まれてきます。時間の経過があるということは、そこに論理的な構造ができる。耳から入ってくると、非常に論理的にものごとを考えるということなんです。それをしなくなって、全部視覚で情報として処理していくとなると、アートは死んでいく。即物的なものの考え方ができてしまうと、そこにはもう想像力がなくなってしまうんですね。活字で「ここは広大な宇宙だった」とひと言書いてあるとします。すると、広大な宇宙を自分でイメージしますね。でも、映画で、広大な宇宙を表現したものを見ると、「ああ、これが宇宙か」と。視覚のほうが直接的で、そこには、想像力が入りづらくなってきます。想像力が養われないとどうなるかというと、人に対する思いやりが減ってしまうんです。たとえば、人と話している時、相手は僕のことを「小難しいやつだな」と思っているかもしれない。それに対して僕が「このまま小難しいやつで通そう」と思ったり(笑)、さまざまな思いが浮かびます。時間の経過の中で、相手のことを考えている。そうやってコミュニケーションは成り立っている。それが、おろそかになってはいないだろうか、と危惧しています。音楽に対しても、自分のイマジネーションや空想する力といったものをどんどん広げるためには、音楽をいっぱい聴いてもらったほうがいい、本もたくさん読んだほうがいい。長野市芸術館での体験を通して、想像力のおもしろさや大切さをみんなに投げかけられたらいいなと思っています。」

 

子どもたちに夢と希望を 世界初演の新作「祝典序曲」

-小さいお子さんにとっても、本物の音楽を聴かせてあげられるすばらしい機会ですね。

久石:
「その通りだと思います。僕は高校生までまともなオーケストラは聴いたことがなかったんです。長野市のホールで本格的なオーケストラを聴いたのは、高校一年だったと思います。その時すごく衝撃を受けました。すばらしいと思いました。同時に、もっと早い時にそういう経験をしていたらよかったな、とも思いました。これから、長野市芸術館で、絶えず一流の音楽を演奏していき、それを見てくれた小学生や中学生が「かっこいいな」「すごいな、自分もやりたいな」と思ってくれたら一番うれしいですよね。そういう場所になることを願っています。」

-5月8日のグランドオープニング・コンサートで、久石譲さんの新曲が演奏されると聞き、ワクワクしています。

久石:
「芸術監督を引き受けたからには、作曲家としてできることは、やはり曲をつくること。まず祝典序曲を書こう、と思いました。イメージは見えていますが、今はまだ曲を書いている段階なので、お話しできることは少ないのですが。ものをつくる人間は皆、そうだと思いますが、締切日が近づかないと完成しないんです(笑)。」

-5月8日を楽しみにしております。ありがとうございました。

 

長野市芸術館記念BOOK アトレ

(「別冊KURA 《Nagano ARTOlé》 長野市芸術館開館記念BOOK」より)

 

NAGANO ARTOle

 

Blog. 「週刊文春 2016年4月28日号」 久石譲 長野市芸術館 インタビュー内容

Posted on 2016/5/6

雑誌「週刊文春 2016年4月28日号」(4/21発売)に、久石譲のインタビューが掲載されました。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。とは言いつつも、夏の「アートメントNAGANO」や、秋の「Music Futureシリーズ」など、今の久石譲の軸を線で感じられ、一貫した強い想いや音楽活動におけるポジションを垣間見ることができます。

 

 

音楽が生みだす世界で、日常はもっと豊かになる

久石譲さんが10月に行うコンサート「Music Future」には、現代の音楽を多くの人に届けたいという、音楽家としての強い使命感が込められている。

「僕のいう『現代の音楽』とは、聴衆を無視したような『現代音楽』とは違い、『ミニマル・ミュージック』や『ポスト・クラシカル』と呼ばれるジャンルのものです。ミニマルは、1960年代、権威に抗い、既成の概念や価値を壊す運動の中で生まれた音楽で、最小限の音を僅かにずらしながらも、作品として見事に構成されていたんです。当時音大生だった僕は、その新しさに衝撃と戸惑いを覚えながらも、ミニマルを、自分の、作曲家としてのアイデンティティにしようと決めたんです」

もうひとつのポスト・クラシカルは、クラシックに電子音楽や現代的な感覚を組み合わせた音楽である。「Music Future」のプログラムは、これら「現代の音楽」に加えて、久石さんの新曲も披露することが決まっている。

「今年で3回目となりますが、演奏会を『敷居が高い』と思っている方こそ、気楽に来ていただきたいんです。唄が、ポップスや演歌といったジャンルを越えて受け容れられるように、オーケストラも身構えずに聴いて下さい」

久石さんが手がけた映画音楽のコンサート・チケットは即完売になるというが、こうした「現代の音楽」を取り上げる演奏会は、まだまだ一般客には認知されていない。そこには、日本の音楽界が持つ深い問題があるという。

「日本では『お客さんが入らない』と敬遠してしまいますが、それは逆だと思います。誰も『現代の音楽』を届けないから認知されないんです。聴いた方からは『こんな曲があったんだ!』と、とてもいい反応をいただいていますから」

実は、10月のコンサート以外にも聴く機会はある。まず、長野市芸術館の芸術監督を務める久石さんが、5月8日、芸術館の柿落しコンサートを指揮する(全席完売)。また、7月14日~29日の音楽フェス「アートメントNAGANO」の、善光寺での奉納コンサート(14日)でも演奏が決まっている(久石さんは、同フェスの他のイベントにも参加します)。

久石さんは、現代の音楽に触れてもらうと同時に、音楽を聴くことがもっと日常になってほしいと望んでいる。

「僕がスポーツ観戦をするのは、選手たちの素晴らしい技や人間の可能性に感動するからです。音楽も同じで、楽器を奏でるとそこに世界が生まれ、『人はこれだけの可能性を秘めている』と感動できるんです。ですから目の前に生まれる”世界”を是非、体感して下さい。感動は心に豊かさを生み、その一日が素敵に思えるはずです。一度足を運んでいいただけると嬉しいですね」

(週刊文春 2016年4月28日号より)

 

週刊文春 2016年4月28日号

 

Blog. 「音楽の友 2016年5月号」 久石譲 長野市芸術館芸術監督 インタビュー内容

Posted on 2016/5/5

音楽専門誌「音楽の友 2016年5月号」(4月18日発売)に久石譲のインタビューが掲載されました。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。久石譲の”3つの柱”、それを表現する場所であり観客と新しい体験を共有する場所としての長野市芸術館。そんな想いやコンセプトが語られています。

 

 

「古典芸能でないということは、こんにちの音楽をやらなきゃいけないということです」

5月にオープンする長野市芸術館。南に松本のサイトウ・キネン、北にアンサンブル金沢という立地で、どういう取り組みがなされるのか。芸術監督・久石譲に話を聴く機会を得た。

久石譲には三つの柱があった。映画を含めたエンターテインメント、コンサートで演奏される音楽作品、そして指揮。そこにホールという新しい柱が加わる。異質であると同時に、音楽そのものとは異った煩雑さがはいってくるのだが……。

「ふと、気づいたことがあるんです。自分が、全部ひとつにつなげることができるのは、このホールでこそだ、と。指揮をする。プログラムを作れる。さらに、エンターテインメントの音楽をやる立場からすれば、一番重要なのは観客です。ホールではダイレクトに観客に向き合うことができる。」

具体的には?

「例えばプログラムです。長野では、一回のプログラムに現代の作品を必ず入れる。それもベートーヴェンやブラームスと一緒に、です。指揮の依頼があるとしましょう。現代曲を組みこむ提案をします。と、お客さんが来ないと言われてしまう。無難なプログラミングに陥ってしまうのです。東京だけでも9つのオーケストラがある。全国にはすごい数が。でもほぼ似たり寄ったりのプログラムが中心です。でも、『クラシック音楽』は、古典芸能ではありません。古典芸能でないということは、こんにちの音楽をやらなきゃいけないということです。」

作曲家として、新しい作品を生みだす立場だからこそ、ですね。

「歌舞伎でも新作があったり、スーパー歌舞伎があったりと、トライしている。クラシックもやらなくてはいけない。でも、現代音楽祭と称したもので、現代のものをやってます、と処理されてしまう。この現状は絶対に間違っている。そう思っているんです。そうじゃなくて、ブラームスとかベートーヴェンをメインに据えてでも、どこかに必ずこんにちの音楽を入れこむ、それが今自分の指揮者活動でのスタイルです。現代曲を聴きに来ているわけではないお客さんに、新しい体験をどんどんさせる、してもらう。そのコンセプトは東京でも全国のコンサートも変わりません。そうした意味の実践の場として、長野が一番いいんじゃないかと考えるようになったのです。」

クラシックの聴き手は、「知っている」を大切にします。そしてひとつの判断基準にするところがあります。知らないものに拒否反応がある。

「エンターテインメントのフィールドにいたから、すごくよく分かるんですが、やっぱり素直なんですよ、知っているかいないかではなく、いいか悪いか、です。それだけにわたしのコンサートに足を運んでくれる方は、年齢層が若いのです。まだ経験値が少ない分だけ、楽章間で拍手があったりするケースもあるんです。でもね、その人たちが面白いと、じゃあまたクラシックのコンサート行こうかな、って思ってくれるなら、それでいいんです。ただ、日本中の最大の問題だと思います、この閉鎖的な考え方になるのは。」

そうした場、文脈のなかにクラシック音楽を置いてみる、そして、久石さんが選ばれる「いまの音楽」によるプログラムが、ホールとしての独自性になるのかと思います。

「やっぱり作曲家がやるわけですから、自分がいいと思う音とか必要だと思う音楽をきちんと素直にぶつけていこうかと思っていますね。実際、ポスト・ミニマルとかポスト・クラシカルと呼ばれる音楽はまだほとんどコンサートで演奏されていないのが現状でもありますから。」

取材・文:小沼純一

(「音楽の友 2016年5月号」より)

 

音楽の友 2016.5月号

 

Blog. 「ぶらあぼ 2016年5月号」 久石譲 長野市芸術館芸術監督 インタビュー内容

Posted on 2016/5/4

音楽情報満載 無料配布誌「ぶらあぼ 2016年5月号」(4月18日発行)、Pick up Interview欄にて久石譲のインタビューが掲載されました。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。長野市芸術館の目指す「アートメント」の活動内容、そして久石のコンサート活動の最新情報についても触れられています。

 

 

Interview
久石譲(作曲/長野市芸術館芸術監督)

皆さんに21世紀の音楽シーンを体験してほしいですね

作曲家であり、近年は指揮者としても注目を集めている久石譲。2016年における久石のトピックの一つは、芸術監督に就任した「長野市芸術館」が5月にオープンすることだろう。すでに発表されている初年度のプログラムには作曲家として、また指揮者として、多くの公演やイベントに登場する。

「音楽や芸術を日常化し、そうしたものを楽しむ人や心を育てていきたいですね。その精神を象徴する長野市芸術館のモットーともいうべき『アートメント』という造語には『アートとエンターテインメント』でなく、『アートをエンターテインメントとして楽しむ』という意味が込められています。コンサートでもベートーヴェンのようなクラシックとアルヴォ・ペルトのような現代の作品を並べ、21世紀の今を体験していただきたいですし、自分もまた一人の作曲家として同じ時代の音楽をもっと知って欲しい、楽しんで欲しいという気持ちが強いのです」

 

ベートーヴェンと現代音楽を指揮

長野市芸術館での活動として大きなものに、在京オーケストラの主席奏者クラスが集まるという「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」の結成がある。自ら、指揮者としてベートーヴェンの交響曲全9曲を3年間で演奏し、そこでは自作を含む現代の作品も取り上げる。

「ベートーヴェンの交響曲は王道ですが、単に欧米を追従するのではなく、伝統を背負っていないからこそできる現代の演奏を僕は追究していくつもりです。その一方で、演奏家もお客様も未知の作曲家や作品にチャレンジしていただきたい」

そうした長野での精神は、東京の活動であっても一貫している。コンサート用の作品は(久石が手がけた多くの映画音楽とはまったく違う)ミニマル・ミュージックを軸にした作風であり、これから発表される作品もそこにブレはないという。

「作曲家としての自分の本籍は学生時代からミニマルにありますし、現在は僕よりも若い世代の作曲家たちがポスト・ミニマル、ポスト・クラシカルと呼ばれて活動しています。ブライス・デスナーやニコ・ミューリー(ニコ・マーリーと表記される場合もあり)といった作曲家はミニマルの語法を当たり前のように消化・活用していますけれど、日本ではそうした音楽がまだまだ育っていないように思えます。そうした風潮を覆し、同じ時代に生まれた音楽を新鮮な気持ちで楽しんで欲しいので、積極的に紹介していきたいですね」

 

刺激的な「ミュージック・フューチャー」

2014年から久石自らのプロデュースにより東京で開催している『ミュージック・フューチャー』というコンサートのシリーズは、そうした精神の象徴で、長野での活動ともリンクするものだ。前記のような注目の作曲家を紹介してきたが、3回目となる2016年も、自作の「室内交響曲第2番」、ヴィヴァルディの「四季」を再構築して話題を呼んだマックス・リヒターや、映画『グランド・フィナーレ』の音楽を担当し、ヒラリー・ハーンらにも新作を書き下ろすデヴィッド・ラングなどを取り上げる。

「さらに、ミューリーやジョン・アダムズたちによる室内オーケストラ作品のルーツを再検証するため、シェーンベルクの「室内交響曲第1番」を演奏します。そうした時代の流れを知ることも、最先端の音楽を理解するカギになりますので」

新しい音楽を求めている聴き手は、久石譲の活動を注視すれば思わぬ視界が広がる可能性大なのだ。

(ぶらあぼ 2016年5月号 より)

 

久石譲 2016 プロフィール写真

 

なお、雑誌「ぶらあぼ」は、デジタル・マガジン「eぶらあぼ」としてWebでも閲覧できます。

公式サイト:ぶらあぼ2016年5月号 | WEBぶらあぼ

 

ぶらあぼ 久石譲

 

Blog. 「NCAC Magazine Vol.1」(長野市芸術館) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2016/5/3

長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Vol.1」(4月1日発行)に久石譲のインタビューが掲載されています。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。グランド・オープニング・コンサートでの演奏予定プログラムについて、さらに長野市芸術館のために書き下ろされる新作「祝典序曲」について、とても内容の濃い充実したインタビューとなっています。

 

 

久石譲 長野市芸術館 インタビュー

日常に音楽を。

さまざまなジャンルの音楽・芸術を、長野から発信。長野市芸術館が特別編成する室内オーケストラ「Nagano Chamber Orchestra」の立ち上げ、夏の長野を芸術で彩る音楽祭「アートメント NAGANO」の開催により、みなさんが音楽・芸術と身近に接することのできる機会を創出します。「そこに行けば何かがある」。期待に胸躍るような長野市芸術館を創造します。

長野市芸術館 芸術監督 久石譲

 

音楽を日常にする第一歩
~久石譲に聞く「グランドオープニング・コンサート」への思い~

「杮落としの公演には、プログラム1つとっても、ホールの今後を見据えた姿勢が表れると思います。長野市芸術館のグランドオープニング・コンサートにも、それを打ち出したいと考えました」。

当ホールの芸術監督・久石譲に、杮落とし公演について話を聞いたとき、彼はまずこう語った。一見当たり前に思える言葉だが、そこには、この著名音楽家が、ホールの方向性に自らの考えを反映させる意志が表れており、ひいては長野市芸術館が、従来の公共ホールにはない個性をもった、唯一無二の存在に成り得ることが示唆されている。

過去の事例を見てきて思うのは、”ホールには顔となる人物が不可欠であり、しかもその人物が明確な方向性を示してこそ出し物が生きる”ということだ。そうでない場合は、たとえ人気アーティストの公演に行っても、ラインナップが輝きを放たない。また、顔となるのは概ねクラシック畑の作曲家や演奏家、あるいはプロデューサー的な人物だが、個々の専門分野や嗜好性にこだわり過ぎれば、聴衆の層が限られてしまう。特に公共のホールえは、明確な方向性と同時に絶妙なバランス感覚が必要となる。

久石譲は、作曲家、指揮者、演奏家であり、プロデュースも手掛けている。作曲家としては、宮崎駿監督の”ジブリアニメ”や、北野武、山田洋次監督などの映画音楽に携わると同時に、クラシック系の現代曲の作品を創作し、オーケストラでは自作や現代曲も古典も指揮する。さらには室内楽に取り組み、ピアノを弾き、コンサート・シリーズも企画する。こうした広い視野と最前線での豊富な経験を有する人物が、ホールの芸術監督を務め、自らの考えを反映させるのは、日本初と言っても過言ではない。それが、長野市芸術館が唯一無二の存在と成り得るゆえんだ。

コンサート全体について、久石はこう話す。

「オープニングですから、やはり希望があった方がいい。そこでチャイコフスキーの交響曲第5番をメインに選びました。この作品は、いわゆる”闘争から勝利へ””苦悩から歓喜へ”という明快な構造をもっています。それはベートーヴェンの『運命』や『第九』に通じるもの。しかも10数年前、僕がオーケストラで交響曲の全曲を指揮した最初の作品ですので、新たなスタートにも相応しいと考えました。それと自分は現代の作曲家ですから、いま活躍している作曲家の作品をきちんと演奏したい。そこで選んだのがアルヴォ・ペルトの交響曲第3番です。また、自分が書く『祝典序曲』については、いま(3月中旬)スケッチ段階ですが、(本領である)ミニマル・ミュージックをベースにしながら、世界中のオーケストラが演奏できる、3管編成で7~8分の曲にしたいと思っています」。

ここに彼の持ち味(の一部)が反映されているのは言うまでもない。演奏は、在京オーケストラの最上位に位置する読売日本交響楽団。これまで久石が、2回の「第九」をはじめとするベートーヴェンの交響曲や、ショスタコーヴィチ、オルフなど数々の作品を指揮してきた、信頼の厚い楽団のひとつである。

「素晴らしいオーケストラであり、日本を代表する存在なので、オープニングに相応しいと考えました。それに私がクラシックの現代曲として書いた作品を数多く演奏してもらっているのも、出演をお願いした理由のひとつです。先日も読響の弦楽器陣を主体としたメンバーと録音を行ったのですが、難しい譜面を渡しても即座に理解してくれますし、ありがたいほどの信頼関係ができています」。

読響が元来ゴージャスでスケールの大きなサウンドが特長だが、近年さらにパワーアップし、アンサンブルの精度と表現力を増している。充実著しい同楽団ならば、新ホールの響きを十全に満喫させてくれるのは間違いない。

 

プログラムを詳しく見ていこう。演奏順にまずは自作の「祝典序曲」(長野市芸術館委嘱作品)から。これは技術的に難しい曲になる可能性が高いという。

「自分が振れないかもしれない(笑)。ミニマル系の音楽は”ズレ”がポイントですから、フレーズで考えるのではなく、8分音符は8分音符、16分音符は16分音符の正確な音価でとっていかなくてはいけません。それはポップスでいう”グルーヴ感”に近いものです。ただ日本のオーケストラはこのような曲を演奏する機会がないので、上手くいかない。従って例えばジョン・アダムズの曲がなかなか取り上げられない。自分の中で最大の課題は、世界では当たり前になっているような音楽に取り組んでいくことであり、今回もそうした曲を書くつもりです」。

前記のように、読響は難曲にも対応できるオーケストラだ。

「この前読響で僕のコントラバス協奏曲を演奏したとき、メンバーが『今年最大の危機。1回落ちたら絶対に戻れない』と言っていたとの話を、後で聞きました(笑)。今回は難度が最大級になりそうですが、もちろん心配ありません。ただ一方で、通常よりも苦労せずに演奏できる曲にしたいとの思いもあります。祝典序曲というのは、ショスタコーヴィチの作品のように、吹奏楽で普及するケースもあるので、それも考慮に入れながら、演奏可能な範疇に収めたいなと」。

同曲は、当然グランドオープニング・コンサートが世界初演。作品自体もむろん楽しみだし、新たな音楽が誕生する瞬間に立ち会う喜びは大きい。

ペルトの交響曲第3番は、1971年に書かれた3楽章の作品。久石は昨年、信頼するもうひとつのオーケストラ、新日本フィルのコンサートで指揮している。

「ペルトはエストニア出身で、若い頃はいわゆる”現代音楽”を書いていたのですが、複雑になり過ぎたことの反省から、古い教会旋法に戻って、シンプルな表現を目指しました。ですから調性もありますし、基本的なメロディは賛美歌やオラトリオの研究の成果を反映しています。その東欧特有のメロディは、日本人の琴線に触れるもの。24~5分でさほど長くもなく、『こんなにわかりやすいの?』と言われるほど、皆に親しんでもらえる曲です」。

実際この曲は、耳なじみがよく、ピュアな美しさに充ちている。演奏機会の少ない名作だけに、今回ぜひ生で味わいたい。

流麗なチャイコフスキーの交響曲第5番は、リズムを軸にしたミニマル・ミュージックが本領の久石のイメージからすれば、意外な感もある。

「そう思われるかもしれませんが、僕は一方で映画音楽を随分やっています。そちらの方面から考えれば、ロマン派の音楽は抵抗がないんですよ。例えばラフマニノフなどは僕と一番縁がないように見えますが、彼の交響曲第2番は物凄く指揮したい作品なんです」。

ただチャイコフスキーの5番は、「作曲家目線で見ると、成功しているかどうか微妙な曲」だという。

「循環主題(全楽章に登場する第1楽章冒頭の旋律)の扱いが過度で、全体のフォルムが崩れていますよね。多くの指揮者はそれをカバーするために、一生懸命歌い上げるのですが、あまり成功しない。楽章ごとの主題に加えて循環主題があるので、その処理の仕方で曲が全く変わります。一例を挙げると、多くの演奏は第4楽章冒頭の循環主題を朗々と歌います。でもオーケストレーションを見れば、クラリネットが弦に変わっただけで、伴奏の配置は第1楽章の冒頭と全く同じ。なので第1楽章同様に抑えるべきと考えています。あと今回楽しみにしているのは、第2楽章の朗々としたホルン。読響のような良いオーケストラでどうなるのか、僕自身も聴いてみたいですね」。

甘美なメロディとロシア的なロマンに溢れたこの曲は、オーケストラを初めて生で聴く人が醍醐味を知るに最適だ。しかも今回は、作曲家=久石ならではのアプローチによって、聴き慣れた耳にも清新な演奏が実現するに違いない。読響の華麗な響きと相まって、これは万人必聴の1曲となる。

 

今回は、日本の新作、ヨーロッパの現代曲、ロマン派の作品とカテゴリーの異なる楽曲が並んでいる。これは「意識してのこと」との由。

「日本のオーケストラは、チャレンジできないんですよ。指揮者は毎回結果を出す必要があり、観客も集めないといけない。現代曲を入れようものならお客さんが来ない。それゆえ、これは日本自体の問題でもあるのですが、全員で安全圏を狙っていく。でもクラシック音楽は古典芸能ではありません。過去から現在に繋がり、未来に繋げていかないといけない。すると現代の曲の中から何かを見つけて、きちんと演奏していくことが重要になりますし、『現代音楽祭』と称して特殊な人だけ集めるのではなく、日常で普通に聴かせる必要があると思うのです」。

つまり「序曲、協奏曲、交響曲」という定型プログラムの中にも、”今日の音楽”を入れることが大事になる。

「そうしないと日本の作曲家なんて育たないですよ。”現代音楽”の特殊閉鎖社会だけでやっていたら、それで終わり。僕は『ベートーヴェンと並ぶことの苦しさを知るべきだ』と言いたい。名曲というのは、長い時間ふるいにかけられた末に生き残っている音楽です。その曲と自作が並ぶのは、なかなかキツい。でもそうした体験をしていかないとガラパゴス状態になってしまいます。僕は、チャイコフスキーやベートーヴェンと一緒に現代曲に接してもらうことが重要だと考えていますし、できる限り実践していきます」。

これが久石にとっては、指揮をする最大の意義でもある。

「特に長野の場合は、『音楽を観客の日常にすること』が重要になります。日本全国そうですが、おそらくクラシック・ファンが、掃いて捨てるほどいるような状況ではない。その中で、親しみやすい『運命』『新世界』から入る方法もあります。しかし新しい長野市芸術館では、お客さんもピュアな分だけ、現代の音楽を古典と並べて体感してもらう方が、音楽に親しむ早道なのではないかと考えています。そのためにも、自分が指揮し続けなければならないでしょう」。

その第一歩となる本公演にかかる期待は、限りなく大きい。

取材・文:柴田克彦(音楽ライター)

(長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Vol.1」より)

 

※広報誌は長野市芸術館の公式サイト内からどなたでもご覧いただけます。
長野市芸術館公式サイト>>>
https://www.nagano-arts.or.jp/ダウンロード/
こちらのページの「NCAC Magazine」の「ダウンロード」をクリック。

 

長野市芸術館 NCAC Magazine Vol.1

 

Info. 2016/04/30 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)」メンバー発表

ベートーヴェン交響曲全曲演奏を軸に、指揮者・久石譲が未来につなげたい現代の音楽作品と古楽作品を織り交ぜたプログラムを奏でる精鋭オーケストラ・メンバーが決定いたしました!

いずれも、国内主要オーケストラやソロ活動などでも飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍している若手ツワモノたち。第1回&第2回定期演奏会は、今年7月16日、17日。皆さん、NCOにどうぞご期待ください!

 

長野市芸術館が特別編成する室内オーケストラ
ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
芸術監督・指揮:久石譲
コンサート・マスター:近藤薫(東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)

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