Blog. 「週刊読売 1999年12月19日号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/01/20

雑誌「週刊読売 1999年12月19日号」に掲載された久石譲インタビューです。「宮崎緑の斬り込みトーク」コーナーでの対談になっています。5ページにわたっていろいろな話題が飛び交っています。

 

 

宮崎緑の斬り込みトーク No.182

久石譲さん 作曲家

映画の次は日本語オペラ
ぼくは独自の作品を作りたい

「この曲聴いたことがある」「あの曲、いいよね」。そんな名曲をたくさん、たくさん作ってらっしゃるのが今回ゲストの久石さん。やさしさと、明るさと、希望にみちた曲の数々。それらの曲が、久石さんのお人柄をそのまま映しだしたものだということが、お会いしてみて初めてわかった。

 

宮崎:
幅広いジャンルでご活躍されてますけれど、最近はとくに映画音楽でのご活躍がめざましいですね。宮崎(駿)監督とか、北野(武)監督といった、非常にユニークな監督と一緒にお仕事をされるお気持ちというのは、どのようなものなのでしょう?

久石:
やはり、優れた監督と仕事をさせてもらっているぶん、ぼくひとりで自分の世界を作るより、彼らからインスパイアされたものがすごく大きいと思うんですね。だから、ある意味では共同作業のつもりでいます。

宮崎:
映画を生かすも殺すも音楽次第というところがありますでしょう。

久石:
いや、生かしていただいているという感じだと思いますよ(笑)。もちろん、作曲家なりの自負としては、自分ではこうアプローチするというのはありますけれど、映画に関しては監督のものですよ。監督の世界観からはまったく違うものをつくるわけにはいかないんですから。

宮崎:
でも、監督に言われるままではないのでしょう?

久石:
そうですね。やはり、監督が考えうる範疇の音楽を提出したんではつまらないんですよ。それは監督が考える範囲内でしかないからね。それにプラス必要なのは、それを超えた、「えっ、こういう方法もあったのか」みたいな…。

宮崎:
驚かすような着想をしないといけないのですか。

久石:
もっと大きな世界観というか、普通の人が想像するのとちょっと違うところまでもっていかないと、あのクラスの監督さんは満足しませんね。

宮崎:
戦っているのですね。

久石:
ある意味では戦ってます。

宮崎:
本当の意味でのコラボレーション、共同作業というのでしょうかしら。異質なものを溶け合わせてひとつの新しい生命体をつくるみたいな、そんな捉え方でいいのでしょうか。

久石:
そういうところはありますね。たとえば、悲しいシーンに悲しい音楽だとか、喜んでいるところに明るい音楽を、単純につけていったら何もそこから生まれてこないですから、そういう方法はとらないようにしてます。

宮崎:
とはいっても、悲しいシーンには、悲しい雰囲気を出さないといけないのでしょう?

久石:
でも、どんなときに悲しく感じるかというと、強がり言って口笛を吹いて立ち去っていくシーンのほうがよほど悲しく感じられるときってあるじゃないですか。悲しいといって本当に泣いてる姿を撮るのは、映像としておもしろくないですし、それに寄り添うような音楽を書いてたら、なおさらレベルの低い映画になってしまいますよね。

宮崎:
私、久石さんの作品のなかに、たくさん好きな曲があるんですが、なかでも──すごくミーハーですけれど──「もののけ姫」がすごく好きなんですね(笑)。

 

「もののけ姫」で内面的強さを

 

久石:
「もののけ姫」は作曲に3年ぐらいかかったんですが、自分の中ではとても大事な作品で、実際あれでだいぶ吹っ切れたところがあるんですね。

宮崎:
吹っ切れたといいますと?

久石:
作曲家としてもうひとつ大きな表現というか、強い表現ができるようになったと思うんです。それまではまだ、音楽の大事な要素として、どこかきれいな部分というのが自分の中にあったんですよ。たとえば、メロディーは美しいほうがいいだろうとかね。もちろん、そうではない音楽があることもわかってるつもりなんだけれど、実際、久石譲が音楽をやるときには、なぜかメロディーラインはきれいであって、それで大勢の人に聴いてもらいたいという思いがすごく強かったんですよ。

宮崎:
わりと万人というか、不特定多数が受け入れてくれるような音楽を作る傾向にあったと。

久石:
それがあったんですけれども、「もののけ姫」の時は、そういう表面的なメロディーというよりも、内面的な強さをすごく心掛けて作ったんですね。つまり、作曲家からしてみると、たとえば戦闘シーンがるとするじゃないですか。そうすると、ジョン・ウィリアムズばりの、オーケストラをフルに鳴らした、「どうだ、こんなすごいスコア、見たことないだろう」というのを作りたがるものなんですよ。

宮崎:
作曲家なら「スター・ウォーズ」ばりの、ガンガン響いてくるような音楽をつけたいものなのですか。

久石:
ええ。「どうだ」というのを書きたくなるんですよ。なぜなら、自分の培った技術、音楽性が全部出せそうに感じられるから。だけど、「もののけ姫」に関していうと、そういう雄壮なシーンも極力、弦だけで、レクイエムのように後ろに流すとか、戦闘している人間たちの高揚感というのも、そのままストレートに表現するよりも、そこに至らざるをえなかった悲しさのほうに表現を切り替えるとか、そういうことをすごく考えた作品だったんです。

宮崎:
あぁ、なんとなくわかります。

久石:
音楽的表現というよりも、音楽で何を表すかというか、内面的な面をすごく気をつけるようになった作品で、そういう意味で、自分の中で吹っ切れた部分があったんですね。

宮崎:
削り取っていく作業も大切なのですね。私なんかすごく俗人だから、持ってる力が仮にあるとしたら、全部見せたくなるっていうようなところがありますけれど(笑)。

久石:
音楽家も同じですよ(笑)。

宮崎:
そもそも、どういうジャンルから音楽に世界に入られたのですか。

久石:
現代音楽ですね。まず、驚くものというか、音が鳴った瞬間って「えー」と思うような、未知のものに出会うような感動があるじゃないですか。それがぼくにとっては現代音楽だったんですよ。

それで大学に進んで、ミニマル・ミュージックという、同じパターンを繰り返す音楽に出会って、そっちのほうに進んだんですけれど、もともとは音楽でどういう可能性があるかということをずっと追求していきたかったんです。つまり、木でいうと幹なんですよ。幹を見て美しいって思う人はだれもいませんよね。

宮崎:
まず、いませんね。

久石:
枝があって、葉っぱだとかたわわになって、それではじめてみんな、「ああ、いい木だな」「いい森だな」とかいいますよね。だけど、自分がすごく興味があったのは幹の部分で、音楽にどういう可能性があるのか、たとえば、こんなやり方でも音楽は成立する、そんな音楽をずっとやりたかったんです。

宮崎:
幹でも、力を持って人を魅きつける幹を目指してらしたのですか。

 

聴かせるという気はなかった

 

久石:
いや、魅きつけなくてよかったんです(笑)。

宮崎:
自分だけで愛でていればいいと。

久石:
そうそう。こんな幹もあるぞという可能性を追求することができればよくて、人にうけようという気はまるでなかったんです。

宮崎:
聴かせるということは前提としてなかったのですか。

久石:
それはあんまり興味がなかったです。それよりも、それをやることで次の人たちがそこに枝をつけたり葉っぱをつけていく、そういうパイオニア的な音楽のアプローチにすごく興味があったんです。

だから、現代音楽をやっていた後半では、不確定多数のミュージシャンによる不確定多数音楽という、訳のわからない命題に取り組んでました。

宮崎:
……?

久石:
それはどんな音楽かというと、2人以上なら、たとえば100人でも200人でも演奏できるんです。時間の長さをあらかじめ決めておけば、5分でも1時間半でも演奏できる音楽なんです。

宮崎:
演奏する人によっては全然ちがうわけですよね、そこから出てくる音は。

久石:
そこをどこまで管理するかが重要なポイントなんですよ。自由にやってるようなんだけれど、結果的に出る音は、まったく自分が意図した音でなければ作曲ではないですから。20代はほとんどそういうことをやってました。

宮崎:
それは聴いていて、なかなか難しかったかもしれませんね。心を動かされた人がどれだけいたかというと…。

久石:
いや、だれもいませんでしたね、観客は(笑)。

宮崎:
それから、どういういきさつで方向転換されるのですか。

久石:
自分がやってきたミニマルというスタイルは、海外ではテクノポップ系にすごく影響を与えたんですね。同じパターンを繰り返しますからね。そういうなかで、イギリスなんかに、ブライアン・イーノだとかいろんなミュージシャンが出てきて、実際ぼくらが理屈と理論でがんじがらめになって窮屈でアップアップしていたときに、いともたやすく、そういうのをポップスというフィールドに取り入れてやってるんですよ。それを見たときに、羨ましいという気持ちがすごくあったんです。

宮崎:
久石さんでもがんじがらめで悩まれることがあるのですね。

久石:
それは今でも悩んでますから(笑)。やはり、理屈が先行した世界は、ものを殺しにくいんですよ。

宮崎:
それはすごい表現ですね。

久石:
つまり、現代音楽だと「ねばならない」「してはならない」という禁止事項が増えてくるわけですよ。ところが、人間のイマジネーションとか発想の出だしっていうのはすごく曖昧なわけじゃないですか。「わあ、鳥が飛んでる」という出だしから深めていって、結果それが理論的な武装にいたれば理想なんだけれども、現代音楽の世界だと、出だしにそういうことをつぶしていく作業になるんですよ。

宮崎:
枠をはめてしまうのですか。

 

創作とはイマジネーションだ

 

久石:
そうなんです。それで、とても窮屈になってしまうんですね。でも、創作というのは、基本的にはイマジネーションをどれだけ持っているかがすべてですよね。たとえばコップを見ると、ほとんどの人は「あっ、コップだ」と言いますよね。でも、「いや、花瓶じゃないか」と、同じものを見ても、もうひとつ違った認識ができる、そして思い込める強さみたいなものが創作の原動力になるわけですよ。

宮崎:
それは訓練して得られるものなのですか。それとも、もともと持っている素質なのですか。

久石:
ぼくが考えるには、だれでも持っていると思います。たぶん深層心理だったりとか、奥底にはみんな持ってる。ただ、それが性格だったり環境に左右され、自分で気づかないまんま一生送ってしまう人もいるでしょうね。

宮崎:
久石さんの場合、曲の構想とかメロディーはどういうときに浮かぶのですか。

久石:
場所とか環境よりも、やはり自分の中の問題のほうが大きいですね。仕事の打ち合わせをして、それから長い間自分の中で考えてる時間というのがあって、それが自分にとってはすごく大事なんですね。実際に作業に入ると、ぼくはすごく早いほうで、わっと作ってしまうんです。

宮崎:
書きはじめると、あっという間なのですか。

久石:
ええ。レコーディングもものすごく早いんです。だけど、そこまで行き着くまでの期間が長い。その間いろんなことを考えていて、ポーンと発想が浮かぶ瞬間というのは、ベッドの中だったり、シャワーを浴びているときだったり、ご飯を食べたりしているときとか、そういうときが多いですね。

宮崎:
それまで体の中で発酵させておくのですね。

久石:
おそらく音楽をつくるときでいちばん大事になる核みたいなものがあるんですね。その核みたいなものがひ弱だったときは、どういうふうにデコレーションしても、最終的な仕上がりはだめなんです。だから、この映画の何が核になるのか、それは音だったりイメージだったりするんですが、このへんに迷いが生じてるときはだめです。

宮崎:
それをご自分で納得できるところまで突き詰めるのですか。

久石:
しますね。「こういうイメージだ」とか「これはこうだ」というのが、見える瞬間があるんですよ。それで確信できたら、あとはそれを曲にする作業だけですから。

宮崎:
それは強制的には浮かばないでしょう。ご自分をそういう状態にもっていかれるのですか。

久石:
強制的には浮かばないので、自分を追い込むようにはしますけれどね。

宮崎:
はぁ、それは大変ですねぇ。

 

メインテーマで苦労しますね

 

久石:
往々にして、メインテーマで苦労するケースが多いですね。締め切りが迫っていたりして、やむをえずメインテーマをひ弱なまま作ったときなどは最後まで納得できませんね。

宮崎:
そういうこともあるのですか。

久石:
ありますよ。それはどうしたって全勝するわけにはいきませんから(笑)。

宮崎:
生身の人間が仕事でやってるわけですからね。そういうときはどうするのですか。

久石:
できるだけ早く忘れるように努力してます。

宮崎:
ハハハハハ。そうなんですか。でも、意外にそのほうが世の中でうけたりしません?

久石:
それもたまにあるんですよ(笑)。

宮崎:
これからの音楽人生、大きな目でみて、どういう方向に進んで行こうと思ってらっしゃいますか。

 

日本語のきれいさを伝えたい

 

久石:
まだやりたいりないことがいっぱいあるんですよ。いまだ日々発見していることもありますし、タイムスパンの長い短いにかかわらず、自分の中で解決していかなければいけない、音楽家としての問題は日々解決していかなければならない。

ただ、ぼくのなかで、どうしても日本語と西洋音楽のメロディーが頭の中で一致しないという思いがあるんですよ。その解決さえついたらとっくに、ミュージカルとかオペラをもっともっと書いていたはずなんだけれど、書いてないんですよ。

宮崎:
では、これからはそういった分野にも挑戦していきたいと。

久石:
ぼくはこうやって映画音楽をやってるわけだから、音楽の劇性に関してはそれなりの意見は持ってますし、できるはずなんです。つまり、クラシックの世界でも、モーツァルトにしろベートーヴェンにしろ、みんな歌劇を書いてますでしょ。たとえば、ラフマニノフがいまの時代に生きてたら、絶対映画音楽をやってますよ。映画音楽までやっている自分が、なぜオペラを書かないかというと、やはり日本語がね。日本の創作ミュージカルを見にいくと、ほんとにまいっちゃうんですよ。

宮崎:
それ、わからないでもないです(笑)。

久石:
もうさぶ~っていう感じで、いやなんですよ(笑)。

宮崎:
西洋音楽と日本語と一致させるというのはむずかしいでしょうね。

久石:
(節をつけて)「ちょっと、明日何食べる~」とか言われたら、ほんと帰りたくなりますよね。

宮崎:
ハハハハ。ほんとにねぇ。

久石:
ちょっとやめてくれよ、みたいな感じがしますよ。だから、その問題を解決することがすごく大事で、自分の中ではその答えがちょっと見えだしてるんです。ですから、来年ぐらいに何とか形にしようなかなとは思ってるんですよ。

宮崎:
そのときには、日本語を捨てて歌劇を作るのではなくて、あくまで日本文化にこだわるのですか。

久石:
捨ててはだめなんですね。ぼくはよく、ボーカルを使う曲を作るとき、歌詞を英語に直したりするんですよ。英語のほうが作曲が楽だから。でも、やはり最後は、純正の日本語でしっかりしたものを残したい。「あぁ、日本語ってこんなにきれいだったんだ」と思えるような、自分のメロディーと日本語を一致させる方法を考え出したいんです。

宮崎:
久石オペラの誕生、心待ちにしておりますわ。きょうはありがとうございました。

(構成・二居隆司)

 

緑の眼

「久石」芸術のコラボレーションは、ぴったり親しい間柄ではなく、ぴんと緊張した関係からこそ生まれると、よくわかります。

あれだけ宮崎駿監督作品や北野武監督作品に欠かせない存在でいらっしゃるのに、プライベートなお付き合いはほとんどないのだそうです。従って、お仕事以外の「お顔」も知らない、とのこと。

とはいえ、お互いに知り尽くしているからこそ、ああいう作品が生まれるのでしょうけれど。この辺りの割り切り方が久石さん流なのですね、きっと。

目の前にいらっしゃる久石さんは、外界との輪郭をくっきりつけずに、何事も受け入れてしまう、という感じの柔軟さをたたえて、穏やか、にこやかでした。あの独特な久石ワールドの秘密を垣間見たような気がしました。

(「週刊読売 1999年12月19日号」より)

 

 

Info. 2021/01/18 【中止】「FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3&Vol.4」中止のお知らせ (オフィシャルサイトより)

Posted on 2021/01/18

【中止】「FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3&Vol.4」中止のお知らせ

「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS」の2021年2月の【Vol.3】と2021年7月の【Vol.4】は、緊急事態宣言が発出されている状況を踏まえ、残念ながら中止とさせていただくこととなりました。 “Info. 2021/01/18 【中止】「FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3&Vol.4」中止のお知らせ (オフィシャルサイトより)” の続きを読む

Info. 2021/07/08,10 「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサート開催決定!! 【中止 1/18 Update!!】

Posted on 2020/09/01

※再始動のお知らせ※

新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、一旦全公演を中止した「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS」シリーズを再始動します。2021年2月にVol.3、7月にVol.4を開催し、止まったままになっていたブラームス交響曲ツィクルスを再開します!

※感染拡大予防対策※
※Vol.2の無料配信※ “Info. 2021/07/08,10 「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサート開催決定!! 【中止 1/18 Update!!】” の続きを読む

Info. 2021/02/04,05 「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」コンサート開催決定!! 【中止 1/18 Update!!】

Posted on 2020/07/13

「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」
2021年2月4日(木)、5日(金)に東京・紀尾井ホールにて開催決定!
詳細は後日発表します。

from
久石譲コンサート@WDO/FOC/MF 公式ツイッター
https://twitter.com/joehisaishi2019

公式サイト:
https://joehisaishi-concert.com/foc-2020-jp/foc-vol3/ “Info. 2021/02/04,05 「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」コンサート開催決定!! 【中止 1/18 Update!!】” の続きを読む

Info. 2022/06/30-07/02「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(シアトル) 開催決定!! 【再延期 1/16 Update!!】

Posted on 2019/11/21

2020年4月9-11日、久石譲によるスタジオジブリ宮崎駿監督作品演奏会がアメリカ・シアトルにて開催決定!

2017年6月パリ世界初演、「久石譲 in パリ -「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会-」(NHK BS)TV放送されたことでも話題になりました。 “Info. 2022/06/30-07/02「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(シアトル) 開催決定!! 【再延期 1/16 Update!!】” の続きを読む

Info. 2020/03/28 「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団」コンサート(三重)開催決定!! 【中止 1/15 Update!!】

Posted on 2019/05/02

2020年3月28日、「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団」特別公演が決定しました。

2019年3月9日、【開館25周年2019年度イベントカレンダー】4月から来年3月までの主催公演発表をうけてアナウンスされています。今年開館25周年。その締めくくりに三重文化会館のみの特別プログラムを。 “Info. 2020/03/28 「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団」コンサート(三重)開催決定!! 【中止 1/15 Update!!】” の続きを読む

Blog. 「音楽の友 2021年1月号」 特集:オーケストラの定期会員になろう2021 久石譲インタビュー 内容

Posted on 2021/01/13

クラシック音楽誌「音楽の友 2021年1月号」の特集II「オーケストラの定期会員になろう2021」内で、久石譲インタビューが掲載されました。2021年これからの新日本フィルハーモニー交響楽団とのコンサートについて語られています。

 

 

特集II
オーケストラの定期会員になろう2021

(山田治生/池田卓夫/二宮光由[大響]/池田卓夫/山口明洋[大フィル]/尾高忠明/広上淳一/藤岡幸夫/奥田佳道/川瀬賢太郎[神奈フィル]/片桐卓也/久石 譲[新日フィル]/石丸恭一[東フィル]/下野竜也&井形健児[広響])

1月号恒例の「オーケストラの定期会員になろう」、今年は6つのオーケストラが参加、2021年シーズンを紹介する。特別編として、尾高忠明、広上淳一、藤岡幸夫の3指揮者が参加した座談会(鼎談)を掲載。

 

2020年はオーケストラにとっても受難の年だったのではないだろうか。3~5月は感染防止の自粛のためほぼ演奏活動ができず、配信などを通じてかろうじて動いていた団体も多い。さて、迎えた2021年、オーケストラにとって再出発のシーズンとなる。今年は6団体が参加、それぞれの団体の次シーズンについて語っていただいた。

(*以後、久石譲ページのみ抜粋)

 

新日本フィルハーモニー交響楽団
Composer in Residence and Music Partner 久石譲

楽団創立50周年記念シリーズが幕開け

取材・文=山田治生

新シーズンの開幕を久石譲が指揮

2020年9月、久石譲は、新日本フィルハーモニーのComposer in Residence and Music Partnerに就任した。久石は、1991年に同フィルと初共演し、2004年からは新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(スタジオジブリ映画で使われた久石作品などを中心に演奏)の音楽監督を務め、共演を重ねている。

「新日本フィルはオーケストラとしてとても品のよい音がします。僕は、新日本フィルの育ちの良い、温かい音がすごく好きなのです。彼らとは現代的なアプローチもずいぶんいっしょに行ってきましたが、新日本フィルは、時代の先端を走るオーケストラであったし、これからもそうあると思います」

そして、新日本フィルが音楽監督不在となる来季、久石は、2021/2022シーズン開幕となる9月定期演奏会の指揮を担い、マーラー「交響曲第1番《巨人》」を振るとともに、みずからの新作初演で楽団創立プレ50周年記念シリーズのオープニングを祝する。

「新作は、マーラー『交響曲第1番』と一つの世界が作れるような音楽にしたいと思っています。マーラー『第1番』とバランスがとれるような20~30分の曲を考えています。創立50周年ということで、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』のようにオーケストラの機能を最大限に発揮でき、いつでも演奏されるような、オーケストラ作品にしたいですね」

2022年4月のすみだ名曲シリーズも指揮し、再来年度からは久石ならではの新たなコンサート・シリーズも企画している。

「新しいコンサート・シリーズでは、現代の音楽と古典の音楽を同じプログラムで演奏し、クラシックの名曲を現代の視点からコンテンポラリーなアプローチでリクリエイトしたいと思っています。状況が許されるなら、新日本フィルとは、マーラーやブルックナー、《春の祭典》のような大きな編成のものをきちんと形にしたいですね」

 

変わっていく新日本フィルを目の当たりに

現在、新日本フィルではいくつかのパートで首席奏者の欠員が問題となっている。

「われわれの音を聴いてもらうためには、各セクションの首席奏者を早い時期にととのえること。いちばん考えなければならないのは、お客さまのことです。自分たちの最高のものを提供してお客さまに聴いていただくことを最優先事項と考えるならば、できるだけ早く問題を解決するべきです。僕は音楽的なアドヴァイスをする立場ですが、こういう状況なので最大限協力したいと思っています。そして元気なオーケストラになること。2021年夏ごろまでに諸問題を解決して、変わっていきます。お客さまのために、練ったプログラムを作り、真剣に演奏する。いま、定期会員になるとお得ですよ。変わっていく新日本フィルを目の当たりにすることができますから。熱気のある演奏がいっぱい繰り広げられるので、会員になられると楽しいと思います」

新日本フィルでは、2021年9月にプレ50周年記念シリーズがスタートし、小泉和裕、井上道義、佐渡裕、クリスティアン・アルミンク、インゴ・メッツマッハーら、これまで新日本フィルでポストを持っていた指揮者が登場する。そして、2023年4月に新しい音楽監督が就任する予定である。

(「音楽の友 2021年1月号」より)

 

 

目次

特集I
ウィーン・フィル、日本ツアーのすべて~奇跡の来日を追いかける!

(寺西基之/渋谷ゆう子/寺西肇/加藤浩子/ヴァレリー・ゲルギエフ/池田卓夫/奥田佳道/高山直也/山田真一/片桐卓也/山田治生/堤 剛/金子建志/折井雅子/白川英伸)
来日の5日前に発表されたウィーン・フィルの来日。さまざまな話題を呼び、2020年のコロナ禍における日本のクラシック音楽シーンのハイライトとなったツアーを、入国から最終日まで追いかけた。

特集II
オーケストラの定期会員になろう2021
(山田治生/池田卓夫/二宮光由[大響]/池田卓夫/山口明洋[大フィル]/尾高忠明/広上淳一/藤岡幸夫/奥田佳道/川瀬賢太郎[神奈フィル]/片桐卓也/久石 譲[新日フィル]/石丸恭一[東フィル]/下野竜也&井形健児[広響])
1月号恒例の「オーケストラの定期会員になろう」、今年は6つのオーケストラが参加、2021年シーズンを紹介する。特別編として、尾高忠明、広上淳一、藤岡幸夫の3指揮者が参加した座談会(鼎談)を掲載。

●[Interview]鈴木優人―仲間とともに、革新的でより多彩な音楽活動を(伊熊よし子)
●[Report]鈴木優人が率いる、生き生きして勢いあるヘンデル《リナルド》(山田治生)
●[Interview]ヨーヨー・マ―コロナ禍という嵐のなかでの演奏活動(小林伸太郎)
●[Report]東京芸術劇場で野田秀樹演出、井上道義指揮によるモーツァルト「《フィガロの結婚》~庭師は見た!~」が再演(山田治生)
●[Report]日生劇場《ルチア~あるいはある花嫁の悲劇》―感染症対策のため、ルチアの一人芝居に翻案(萩谷由喜子)
●[Report]世界の現状に対する危機感を描き出した、新国立劇場《アルマゲドンの夢》(山田治生)
●[告知]読者招待イヴェント「ふかわりょうのクラシックの友」
●[連載]マリアージュなこの1本・番外編名曲レシピはお好き?(8) ―ショパン「マズルカ第51番」(伊熊よし子)
●[連載]林家三平の古典音楽(クラシック) でど~も・すいません! (16)(林家三平)
●[連載]カメラマンリレー連載「舞台カメラマンの回想 ―私が出会ったアーティストたち」(8) ―広上淳一、佐渡 裕(大窪道治)
●[連載]コバケンのタクト(10)(千葉 望)
●[連載]ベートーヴェン的な、余りにベートーヴェン的な(16)~〈ゲスト〉クリスティアン・ベザイデンホウト(fp)(越懸澤麻衣)
●[連載]IL DEVUの重量級・歌道(18)(河野典子)
●[連載]誌上名曲喫茶「まろ亭」―亭主のメモ帳から(25)~ NHK交響楽団第1コンサートマスター篠崎史紀の偏愛案内 サン=サーンス「交響曲第3番《オルガン付き》」(篠崎史紀)
●[連載]東音西奏 ! ―QBT冒険記(4)(クァルテットベルリン-トウキョウ)
●[連載]和音の本音―ショパンとともに(5)(清水和音/青澤隆明)

ほか

 

 

Blog. 「サンデー毎日 1992年9月20日号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/01/12

雑誌「サンデー毎日 1992年9月20日号」に掲載された久石譲インタビューです。6ページに及ぶ誌面ですが、インタビューメインというよりは作家による随筆構成となっています。久石譲の生い立ちから作曲家までの具体的な経緯をまとめたとても貴重な内容です。

 

 

連載
ノンフィクション作家シリーズ
人間・語り出す肖像

第42回
売れっ子メロディー・メーカー
久石譲(41)

西山正

Prologue
四歳のときだった。楽器店の前を通りかかった。そこで、バイオリンを見た。この楽器を弾けるようになりたい、と思った。父に頼んで、町にあった鈴木慎一バイオリン教室の分室に通い出した。

物心ついたときから、音楽には絶えず触れていた。クラシック、歌謡曲、童謡……ジャンルを問わず、朝から晩までレコードをかけては聴いていた。音楽と共にあることが、自然だった。そんな幼年時代。

父は高校の化学教師だった。その父に連れられて、毎週、映画館に通った。父の趣味が映画だったのではない。勤務先の高校の生徒が映画館の中にいるかどうかを確認する役目だったのだ。活劇、恋愛もの、文芸作品、喜劇……これもジャンルを問わず、週二本、次から次へと見た。

音楽と映画とにどっぷりとつかって過ごした幼い日々。すでに、何かが、始まっていた。

 

豚も空飛ぶミニマル・ミュージック
メロディアスな風から君はもう逃れられない

 

1st movement
中学三年生のとき、作曲家になろうと決めた。すでにある譜面を演奏するのも音楽家だが、いまだこの世にない譜面をつくり出すのも音楽家。再現芸術ではなく、創造音楽。そのほうがより素晴らしく思えたのだ。

高校に進学して、ブラスバンド部に入部した。たまたまトランペットに欠員があった。試しに一口吹いてみたら音が出た。翌日からレギュラー部員、次の年には一番トランペットを吹いていた。

高校時代から作曲の勉強を始めた。国立音楽大出身の先生についてピアノの基礎、さらに月二回、上京して和声学、対位法など作曲法のレッスンに励んだ。このころから現代音楽に熱中し始めた。武満徹、黛敏郎、シュトックハウゼン、メシアン、ジョン・ケージ……音楽的な知の最前線を行く作曲家たちの作品に好んで親しんだ。

当然のことのように、国立音楽大学の作曲科に進学した。高校は男子校だったので、女子学生の数の多さに驚いた。作曲科のクラスは一学年二十人。ここでも女性のほうが多かった。与えられた課題を数学のパズルを解くようにこなす。そんな教室での日々のかたわら、オペラの作曲を試みた。矢代静一原作の「海の陽炎」。ギリシャ悲劇ふうの素材だった。自ら脚本を書き、十二音技法を使った現代オペラに仕立てあげた。マルメロ座という名の創作オペラの会が、学内の講堂で上演した。

三年生のときには、自ら企画してコンサートを開いた。学内、学外の現代音楽作曲家に依頼して作品を集め、演奏した。自作曲も発表した。学内の先生たちから一目置かれる存在となり、「きみは授業に出なくてもいい。いるとうるさいから」といわれた。リムスキー・コルサコフの管弦楽法を教える先生に「あなたは古い。現代の音楽は……」と盾つくような学生だったのだ。そこで教室にはあまり顔を出さず、創作した作品を学外のコンサートに発表したりして時を過ごした。当時の代表作はフルート、バイオリン、ピアノの三重奏曲「メディア」。むろん最前衛の無調音楽だった。

卒業と同時に、ピアノ科の同学年生、文女(あやめ)と結婚。二人でピアノ教師をして暮らした。当時の月収は四万~五万円、食うや食わずの生活だったが、苦しいとは感じなかった。音楽は四歳のときからの夢。これも当然、という気持ちだった。出航というよりも漂流。だが音楽と共にある漂流。苦しいわけがない。

 

2nd movement
そんな二十歳代のとある日、友人の家でとある輸入盤レコードを聴いて、大きなショックを受けた。アメリカの現代音楽作曲家テリー・ライリー作曲の「A Rainbow in Curved Air」。ディレー・エコーを使ったオルガン曲で、同一のフレーズを執拗に何度も何度も反復する。

当時、最前衛とされていた「ミニマル・ミュージック」の一曲だった。むろん初めて耳にする音楽だった。

ミニマルとは、極小の意味だ。極小音楽、いったいどんな音楽なのか?

実は、美術が音楽に先行していた。ミニマル・アート。このアートを生んだ思想が、音楽の世界にも波及して生じたのが、ミニマル・ミュージックなのである。

現代美術の解説書を開く。こんな解説が記されている。

「感情の表出をできる限りおさえる。笑ったり泣いたりもしないし観客に伝えるべきメッセージもない。最小限の表情、けちけち・アート、これが最小限芸術、すなわちミニマル・アートである。(中略)ミニマル・アートの特徴は、画家の手作業を感じさせない均質で無表情な仕上げと、シェイプト・キャンバスと呼ばれる長方形や正方形ばかりでないさまざまな形のキャンバスの使用にあった。画家は色と形を決定したあとは、作業をした形跡を残さないように十分に注意している。絵画という物体を純粋に作りだそうというのだから、画家の仕事ぶりが見えては不都合なのである。(中略)ミニマル・アートは抽象表現主義の思わせぶりな迷彩模様への反抗から出発していた。だから、主観性、情緒性、即興性といったものを嫌ったのであった。このあたりの主知主義的な態度は、モンドリアンなどの幾何学抽象と血のつながりを感じさせる」(若林直樹著『現代美術入門』から)

ミニマル・アートが生まれたのは一九六〇年代のことだった。ベトナム戦争が泥沼化していた。既成の価値への信頼が崩壊し、若者たちの反乱が世界的に広がった。芸術家たちもまた既存の”伝統”を拒絶して、瞬間的な行為そのものへと表現作業を収斂していく。そんな土壌から発生したミニマル・アートは、ついには芸術家という概念を全否定し、芸術の無名性という逆説の中に芸術の普遍性を見いだそうとするに至る。そんな時代精神が、音楽家たちをもとらえた。

ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーブ・ライヒ、フィリップ・グラスといったアメリカの若い作曲家たちが創始したミニマル・ミュージックは、切りつめられた素材への集中、短い旋律とリズム・パターンの執拗な反復、停滞する和声、緩やかなそれらの変形……といった手法によって、従来の音楽が持っていた全体的構造を骨抜きにし、瞬時の音の鳴り響きそのものへと意識を集中させる音楽だった。

ある意味では単調。ある意味では退屈。だがよく聴いてみると、アジアやアフリカの民族音楽の中にも同様の技法や効果をもった音楽がすでに存在していることがわかる。作曲家たちはそうした音楽を学んで技法を豊かにすると共に、最新の音響機器──とりわけテープの操作(ループ、フィードバック、複数のプレーヤー間の回転数の微小な相違が生む位相のずれなど)によって新しい技法を開発していった。その意味ではまぎれもなく科学技術時代の”現代音楽”ではあった。

この音楽に初めて触れて衝撃を受けた若き日本の作曲家は、この新しい音楽を実践していくアーティストになろう、とたちどころに決心した。この技法による音楽を実作するとともに、ライヒやグラスの作品の日本初演コンサートを開いたりした。

高校・大学時代は、学園紛争の嵐が吹き荒れていた。人並みの関心を持ちはしたが、政治闘争にはかかわらなかったこの音楽青年が、こんなにも深くミニマル・ミュージックにのめりこんでしまったのは、やはりあの反体制的な六〇年代の時代精神のとりこになったということではなかろうか。

「ところが、当時の最前衛のロックが、ミニマルと全く同じ技法の音楽をつくり出していたんですよ。いわゆるクラシックのほうからえんえんと上りつめてきた坂の頂点で、ロックの坂を上りつめてきた連中とバッタリ出会ってしまったという感じでね。顔見合わせて、いったいどこが違うの? そんな感じでした」

当時をふりかえって、久石譲は、そういった。そして、ミニマル・ミュージシャンとして生きていたそんな青春のある一日、突如として「明日からはポップスでいこう!と決心した」とも。

当然かもしれない。ミニマル・アートが自己否定の芸術だとすれば、自己否定の行きつく先、なおも時代の中で生きなければならぬとしたら、自己蘇生、すなわち古典的創造活動をする作曲家となるしかないのだから。

音楽はすでに大量消費の時代に入っていた。ミニマル・ミュージックもまた、多様な音楽技法の一つとして時代の中に拡散した。

「Curved Music」というタイトルのCDアルバムがある。久石がミニマルの技法を使って書いたCF音楽集だ。日立、日産、キャノン、小西六、資生堂などのCM音楽が入っている。今聴いても、実に刺激的だ。

 

3rd movement
いわゆるクラシック音楽の世界に、息がつまるような思いを感じ始めてもいた。自作発表の機会も一年に一回、あるかなし。聴衆の数もさして多くない。ミニマル・ミュージックに必要なリズム感にあふれた演奏家の数も少ない。その点、ポップスの世界のほうが、ひろびろとしたコミュニケーションの回路をもっているように思えたのだ。

「ただし、ポップスの世界は、売れなくては正義じゃない。それなら、売れてやる! と決心したんです。売れるまでは、どんなことがあっても弱音をはくまい、と肝に銘じたんです」

意志の力が成功を引き寄せた。以下、成功にいたるまでの久石譲の足どりを年譜ふうに──。

1981年
初ソロ・アルバム「インフォメーション」を発表。ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立。

1984年
「風の谷のナウシカ」「Wの悲劇」などの映画音楽を担当、注目を浴びる。

1985年
アルバム「α-Bet-City」。

1986年
「天空の城ラピュタ」の映画音楽。アルバム「Curved Music」。

1987年
「となりのトトロ」の映画音楽。この間、CM音楽の分野でも大きな実績をあげ、超一流の作曲家・プロデューサーとしての地位を確立。

1988年
IXIAレーベルを設立。アルバム「Piano Stories」「Night City」「Illusion」。

1989年
「魔女の宅急便」の映画音楽。NHKの特集番組「驚異の小宇宙・人体」の音楽。ニューヨークでソロ・アルバム「Pretender」を完成。二月の草月ホールを皮切りに本格的コンサート活動を開始。

1990年
「タスマニア物語」の映画音楽。東芝EMIとソロ契約。ロンドンのアビー・ロード・スタジオでアルバム「I AM」を完成。

1991年
「ふたり」「福沢諭吉」「あの夏、いちばん静かな海。」などの映画音楽。「I AM」の発表と同時に本格的ライブ・コンサート・ツアーを開始。

1992年
フジテレビのドラマ「大人は分かってくれない」の音楽。「はるか、ノスタルジィ」「紅の豚」の映画音楽。東芝EMI移籍後第二作のソロ・アルバム「My Lost City」発表直後の二月から五月にかけて、東京、名古屋、大阪でコンサート活動。

「彼は不思議な音楽家だ。映画音楽、アレンジャー、TV・CF、プロデューサー……ポップなヒットソングからアバンギャルドな領域まで、活躍するフィールドは広く、変化に富んでいる。その多彩な才能の中でも、ひときわ際立っているのは、彼の書きげた独特のメロディー・ラインではなかろうか?

久石メロディー……ある時はTV・CFであったり、ある時はTVドキュメント番組のBGMであったりするが、そのいずれもが彼ならではのメロディー・センスで息づいている。ポップでいて正統的。メロディアスなのにアバンギャルド。優しいのに、どこか過激……久石譲は風の流れを感じさせる音楽家なのだ」

東芝EMIの担当ディレクター・三好伸一の久石評である。そんな久石を一言で定義するのは難しい。作曲家であり、演奏家であり、優れた企画能力をも備えたマルチ音楽人間、といっただけでは、何かが欠けているようなのだ。

八〇年代からいま九〇年代にかけて、久石メロディーは、超消費大国日本の時空間の中に絶えず流れ、漂い続けていた。

漂うメロディー、漂う人間──。

彼の最新・ソロ・アルバム「My Lost City」の中に「漂流者」と題する一曲がある。解説カードの曲名のかたわらに彼はこんな言葉を書き記している──「都市の漂流者。行く場所さえない心のさすらい人」。

成功への道を足どり軽く上ってきたように見えながら、久石の心は絶えず漂流感覚にゆさぶられ続けていたのだろうか? だからこそ彼のメロディーは、同時代の都市生活者たちの心に共鳴作用を喚起するのだろうか?

このアルバムには「フィッツジェラルド頌」という副題がついている。スコット・フィッツジェラルド。華々しいデビューのあと落魄し、四十四歳で世を去った今世紀初頭のアメリカ作家。その生の軌跡に久石は自分をオーバーラップさせているのかもしれない。

 

4th movement
「初めて打ち合わせしたとき、びっくりしたんです。宮崎駿監督も一九二〇年代に興味をもっていたのか! と──「紅の豚」の舞台は一九二〇年代の末期。ぼくも以前から一九二〇年代に関心をもっていて、たまたま製作中だったソロ・アルバムも、一九二〇年代をテーマにしたものだったんです。あの時代への単なるノスタルジーではなく、現代に通じる何かをあの時代に感じとる敏感な嗅覚なようなものを、宮崎さんも持っていた。偶然の一致なんですが、そのことに驚きました」

宮崎アニメの映画音楽を担当するのは、これで五作目になる。が、その間、たがいに一九二〇年代への関心を口にしたことは一度もなかった。

この夏、大ヒットした「紅の豚」の舞台は、一九二〇年代末期の地中海。かつてイタリア空軍のエースだった男が、”国家の英雄”になることを拒み、自分で自分に魔法をかけて豚になる。一方、同じように食いつめた空軍くずれの男たちは、海賊ならぬ”空賊”となって地中海を荒らし回っていた。豚男は賞金かせぎとなって彼らと戦う。”空賊”たちはそんな男を、ポルコ・ロッソ(紅の豚)と呼んで恐れた──飛ばねえ豚はただのブタだ。そんなセリフが、若いアニメファンばかりでなく、くたびれかけた中年男の脳味噌をも刺激して、映画館に幅広い年齢層の観客をひきよせた。

映画の中で、修理が飛行艇を工場から外へ出すシーンがある。早朝。工場の周囲には秘密警察沙汰。が、果敢な操縦で、艇はみごと脱出に成功する──この手に汗にぎる場面のバックに流れるのは、初打ち合わせのときに製作中だった久石のソロ・アルバム「My Lost City」中の一曲「狂気」である。宮崎監督のたっての希望でこの曲を使った。あとはすべて久石のオリジナル曲である。

一九二〇年代を背景に、宮崎駿と久石譲をつなぐ共通の要因が「狂気」であるというのは、何かしら暗示的ではなかろうか?

久石にとっての一九二〇年代とは、まずもってフィッツジェラルドの時代、ということだ。だから、アメリカの一九二〇年代。禁酒法で開幕し、ウォール街の大暴落で幕を閉じるこの十年間は、アメリカが史上空前の物資的繁栄に酔った時代だった。

「それは約半世紀前の金ピカ時代を一層大衆化したようなものだったが、保守政権が続き、汚職がはびこり、誰もが自動車を持ち、株ブームや土地ブームが続き、建築競争が始まり、大勢の若者が大学の門に殺到し、老いも若きも海外旅行に熱中する──ということになれば、たいていの人は気がつくだろう。高度成長を終わったあとの日本、とくに一九八〇年代の日本と、どうやらただごとならず似ているのを」(猿谷要著『物語・アメリカの歴史』から)

二十四歳で文壇にデビュー、一躍流行作家となったフィッツジェラルドは、この時代の寵児だった。莫大な収入を派手に浪費し、一貫して無軌道な生活を送った。が、大恐慌を境に三〇年代にはいち早く”忘れられた作家”となり、四〇年の十二月、長編を執筆中、心臓発作で息を引きとった。

「ある時期、村上春樹の小説を熱中して読みあさったことがあるんです。そうしたら、急にフィッツジェラルドの作品を読み返してみたくなった。前に『華麗なるギャツビー』やいくつかの短編は読んでいました。その時にはこれといった印象はなかったのに、読み返してみると、今度は実に面白い。もう一人の作家の目を通してある作家の本質が見えてくるなんてことがあるんですね」

というのが、一種、奇妙な久石のフィッツジェラルド体験である。いちばん好きな作品は、彼の自伝的エッセーだという。

「彼が味わった栄光と挫折、憧れと絶望がニューヨークという街とのかかわりの中で語られているすばらしいエッセーです。ぼくの琴線に最も触れた作品でした」

そのエッセーのタイトルを「My Lost City」という。それがそのまま久石のアルバムのタイトルとなたのだ。一九二〇年と一九八〇年が、このアルバムの中で混じり合い、甘く、どこか哀しい響きを立てている。

この秋から、久石は、ロンドンに居を移す。むろん、日本での仕事もあるから行ったり来たりの生活になるのだが。

「そろそろ安住の地をさがして動き出さなくては……そして、自分を変えたいと……」

ポツリと、漂流者は、もらした。

二年後──そう、フィッツジェラルドが没したその年齢で、久石はどんなふうに生きているのだろうか? 誰にもわからない。だから、この肖像は、未完だ。

(サンデー毎日 1992年9月20日号 より)

 

 

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Info. 2021/01/20 「青春18ディスク レコード芸術 編」音楽之友社 発売

Posted on 2020/12/22

2021年1月20日発売予定、ONTOMO MOOK「青春18ディスク 私がオトナになるまでのレコード史 レコード芸術 編」。この本はクラシック音楽誌「レコード芸術」連載コーナーをまとめたものになります。 “Info. 2021/01/20 「青春18ディスク レコード芸術 編」音楽之友社 発売” の続きを読む