Blog. 「シネマスクエア Vo.46 (2012)」天地明察 滝田洋二郎×久石譲 対談内容

Posted on 2021/09/12

映画情報誌「シネマスクエア Vol.12」(2012年8月1日発行)に掲載された映画『天地明察』特集から滝田洋二郎監督と久石譲の対談です。

 

 

天地明察

滝田洋二郎 監督 × 作曲・久石譲

ーおふた方がタッグを組むのは『天地明察』が3作目になりますが、今回はどのようなプロセスで映像と音楽を融合させていったんでしょうか?

久石:
前作の『おくりびと』は主人公がチェリストだったこともあり、どうしても曲が先に必要でした。その段階で音があったことによって、滝田監督も思っていた以上に作業を進めやすかったようで、今回も早めに曲が欲しいとおっしゃって。それで、ピアノだけのサウンドスケッチをクランクイン前にお送りしたんです。あまり感情に訴えかけるような曲調ではなかったので、メインテーマになりうるのかな…と思うところもありましたが、青春ドラマを引き立たせるには、ちょうど良かったのではないかと思っています。

滝田:
先にテーマ音楽があると、現場で表現できることの幅がすごく広がるんですね。作品を象徴する世界観を撮る時など、どうしても人物の動きだけを見てしまいがちなんですけど、音楽をアテることによって、より全体像を掴むことができると言いますか。『おくりびと』の時にそういう発見をしたもので、『天地明察』でも無理を承知で早めに久石さんにお願いしまして(笑)。思惑どおり、現場での表現により深みが増しましたね。

ー完成形のテーマは、壮大なフルオーケストラになりましたが、その経緯は?

久石:
『天地明察』の音楽を作るにあたって、じつはかなりの冒険をしているんです。それは方法論において、ですけど。普段は「この楽器を使って、こんなメロディでいきます」と提示するんですけど、今回は徹頭徹尾、全シーンほぼピアノスケッチでいったんですね。場合によってはどこか淋しい印象を与えかねないですけど、滝田監督には全幅の信頼を置いていたので、あえてピアノ1台で薄い音の曲をアテていってもらったんです。で、撮影の後半のほうはオーケストレーションが終わった曲を日報のように、毎日監督のもとへお届けしていきました(笑)。滝田監督からも「このシーンではもう少し早めに音楽をフェイドアウトしましょう」といった明確な指示があったので、そんお段階になると話は早かったですね。

滝田:
僕は首を長くして曲ができるのを待っていたんですが…(笑)、冗談はさておき、最初に聞いた時のインスピレーションというのは、すごく大事なんですよ。シーンの尺に合っているかどうかということよりも、役者が生きた芝居をしているところへ、この音楽が重なるとどうなるんだろう…ということだったり。シーンによってはセリフや効果音を消して、音楽をフィーチャーした方が効果的な場合もありますし、そういったイメージを構築するための確認という意味合いで、久石さんから日報のように届く曲を聞いていました。僕もまた久石さんに全幅の信頼を置いていましたし、人生の先輩たる方ですぅから、音に生き様が表れるんですね。そういう機微を聞き取ることが、じつは楽しみでもありました。

 

クライマックス直前の”句読点”となりうる梅小路のシーンと音楽

ー滝田監督から「こんな曲が欲しい」といったイメージを久石さんにお伝えすることはあったのでしょうか?

滝田:
「音楽を言葉で表すことって大変で、なかなかイメージを伝えるのが難しいんですよね。反対に、こちら側からイメージを限定してしまうと、広がっていかない気もしていて。なので、久石さんから具体的なメロディを提示していただいて、そこから練り上げていくという手法を主にとっていきました。

久石:
監督がおっしゃるように、映画音楽というのは言葉で説明しヅラいんですね。なので、信頼関係がすごく大事になってくるんです。なおかつ、滝田監督はとても丁寧な演出をなさるので、僕の音楽がなくともお客さんを魅了できると思うところもあるんですね(笑)。だから、僕の役割は一歩引いたスタンスから、滝田監督の撮られた映像を包み込む音楽をつけることだと思っていて。『おくりびと』の時はそれこそ引き算で、どれだけ音楽をつけないかというのが僕にとっての主題だったりもしたんです。ただ『天地明察』は青春ドラマの要素もあるので、音楽の量は若干増やしましたけど、基本的には画を支える存在でありたいというスタンスで、音楽をつけていきました。

ーその匙加減やバランスは、監督の采配にも掛かってくる…のでしょうか?

滝田:
芝居にもリズムというものがあって、それは僕のイメージと役者さんたちの間合いで出来上がっていくんです。そこで一度映像そのもののリズムが完成するんですが、ここに音楽が入ることで、さらに緩急がついて、僕の計算を超えたところでリズムに変化が生まれるんですね。具体的には、算哲が梅小路で勝負懸けをするシーンで突然ラテン系のリズムが流れるんですけど、これがすごくいいアクセントになってて。まさしく久石さんの真骨頂だなぁと唸らされましたね。

久石:
この映画は2時間20分強あるんですけど、あのシーンは2時間を超えたところなんですね。また、クライマックスへの導入でもある。そこで、何か音楽で変化を付けられないだろうかと考えて、ダメ出しされるのを承知で(笑)、提案させていただいたんですよ。

滝田:
映画というのは、お客さんに展開を予測してもらいつつ、気持ち良く裏切っていかなければならない。そういう意味で、あの梅小路のシーンというのは非常に”効いて”いるなと思いますね。

久石:
コンサートもだいたい2時間強なんですけど、クライマックスの前に句読点を打つごとく、曲を差し挟むことがあるんですね。梅小路のシーンは、まさにその句読点だったような気がしています。

(「シネマスクエア Vol.46」より)

 

 

久石譲 『天地明察 オリジナル・サウンドトラック』

 

 

 

Info. 2021/09/11,12 「新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 #637」久石譲指揮 開催 【9/11 Update!!】

Posted on 2020/12/15

【速報】 新日本フィルハーモニー交響楽団 〈2021/2022 シーズン〉定期演奏会プログラム

◎いよいよ「新日本フィル創立50周年」期間がスタート!
プレ50周年となる2021/2022シーズンは 2021年9月~2022年3月までの7カ月間とし、演奏会の各シリーズも新たに生まれ変わります。新日本フィルに縁(ゆかり)のある指揮者たちを迎え、それぞれの思いを込めたプログラムをお届けします。 “Info. 2021/09/11,12 「新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 #637」久石譲指揮 開催 【9/11 Update!!】” の続きを読む

Info. 2021/09/09 東京発 〓 久石譲が新作を自ら世界初演、創立50周年を迎える新日本フィルの2021/2022シーズンのオープニング・コンサートで (Web 月刊音楽祭より)

Posted on 2021/09/09

東京発 〓 久石譲が新作を自ら世界初演、創立50周年を迎える新日本フィルの2021/2022シーズンのオープニング・コンサートで

創立50周年を迎える新日本フィルの2021/2022シーズンのオープニング・コンサートで、作曲家の久石譲が新作を自ら指揮して世界初演する。9月11日にすみだトリフォニーホール、12日にサントリーホールで披露される。久石はコンサートで、新作とマーラーの交響曲第1番《巨人》を指揮する。 “Info. 2021/09/09 東京発 〓 久石譲が新作を自ら世界初演、創立50周年を迎える新日本フィルの2021/2022シーズンのオープニング・コンサートで (Web 月刊音楽祭より)” の続きを読む

Info. 2021/09/17 「久石譲×日本センチュリー交響楽団 プレミアムコンサート」(岐阜)開催決定 【中止 9/9 Update!!】

Posted on 2021/07/05

久石譲と日本センチュリー交響楽団による公演が決定しました。同プログラムは、姫路公演(9/19)、京都公演(9/20)もすでに決定しています。 “Info. 2021/09/17 「久石譲×日本センチュリー交響楽団 プレミアムコンサート」(岐阜)開催決定 【中止 9/9 Update!!】” の続きを読む

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」久石譲連載 第4回 新展開のための整理をね

Posted on 2021/09/07

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」に掲載された久石譲連載です。「久石譲のボクの方法」というコーナーで第4回目です。ただこの連載が何回まで何号までつづいたのかは把握できていません。すべての回に目をとおしてみたい作曲家ならではの深く掘り下げた貴重な内容です。

 

 

連載:久石譲のボクの方法
第4回:新展開のための整理をね

新シリーズでスタートしたこのページでは、これから久石さんの仕事内容の”方法”についてより深くさぐっていけたらと考えている。そう話したらなんと久石さん自身自分の仕事を総括する意味でそういったことをやりたいという。

 

自分の中のケジメ

というのは、じつはぼく自身今までやってきたことあるいは自分の中の方法だとか、いろんなものに対するけじめをつけようと思って、そういったことに関する整理をつけているところなんですよ。これは生き方にもかかわってくるしね。同時にソロ活動でピアノ・アルバムを出し『人体』『イリュージョン』『プリテンダー』を出したっていうことがあって、ソロ活動って自分にとってなんだったんだろう。というようなこととかいろんなものがあって、そういうものを考えてる時期なんですよ。

でね、でもぼくが日々なんで一番悩んでいるかというと意外と会社のことなんですよ。音楽以外のこと、つまり社長業のこと。このワンダーシティという会社はぼくが34~5才のとき、55才までに自分の会社をもてたら良いな、という話をしていて、そしたらちょうどそこにスタジオの専門家がいて、そうだねえ、って笑っていたんだよね。でも翌年ぼくは自分で作りましたよね。

で、やっぱりここまでやってきてやっぱり自分が活動するための最低条件を確保したかったんですね。譜面を書くだけではなくそういうものも全部背負ってきた。スタジオを持てばどうしたってお金がかかる。そういうものも含めたものを全部背負ってきた。そうすると作曲、プロデュースのためにもお金がかかる。レコードも出す。そうすると出版権も必要になる。そしてそういうふうにやってきたこととソロ活動でやってきたこととははっきり矛盾がでてきたわけなんです。

というのはソロ活動っていうのはやっぱり自分にこだわるわけでしょ、ところが作曲家/プロデューサーっていうのはあくまでスタッフ・ワークだから、そのスタッフとして働きやすい環境を作り出さなければいけない。

したがって、社長業もやらなければいけない。極端な話をすれば駐車場の稼働率まで考えなければいけないんですよね。

だから生き方自体の矛盾がでてきた。そこでまず自分のライフスタイルのペースからくずしてきたということもある。それとね、30代後半として、なにか可能性が限られてきたんではないかっていう気持ちもあるし、同時にぼくは前しか見ないで生きてきたんだけど、あるとき急に有名人になっちゃったんですよね。自分で言うのも変だけど、いわゆるロッカーたちとは違う、まあ、先生のような捉えられ方ですよね。あるイメージが世間に定着しちゃった。一方で「冬の旅人」みたいな曲を歌っていたりで、いろんなファン層がごちゃ混ぜになってきたんです。そういう意味で自分の存在っていうのを見直す必要がある、考え直す必要があるって思ったんですね。

同時に『イリュージョン』をやって『プリテンダー』をやって、これに関しては作ったときからずっと、「これでいいのか」っていう気持ちもあったんです。

で、やっぱり発売して2ヵ月たち3ヵ月たつとそういう気持ちははっきり出てくるんですね。というのは日本人の僕の友人の大半は「すごい曲だと思うんだけど今はイリュージョンのほうをよく聞いている」というんですよ。「いいアルバムだと思うんだけど一人のときは『イリュージョン』を聞いている」とかね。で、それはぼくもすごく感じていたんです。

それで、なにかな、と考えたとき結局『イリュージョン』のときは日本人としてはかなりシャイなアルバムを作ったなと思っていたんだけど、まだ日本的なウェット感が残っていたんですよね。ぬれた部分が。それに比べて『プリテンダー』は圧倒的にドライですよ。日本的情緒っていうのは完全にない。それは英語だからっていうことじゃなしに曲自体もそういう作りだったし最初から向こうでやってきたし。エコー感もミキシングの方法も、ミュージシャンも。で、いろいろな問題でね。

で、しかもメロディーも自分の中でいちばんモードっぽいメロディーに徹したからそういう意味ではけっこう感情移入を拒む部分があるんですね。

だから『イリュージョン』と『プリテンダー』は対になってるんですね。かたやウェット、かたやドライ。ちょうど同じものの両面みたいなものでね。

そういうこととかがね、自分の中で大命題になるんだけど、じゃ、次になにをやるんだっていうことになると、じつは今年「ナウシカ」のピアノ・ソロを出すんですよ。こういう要望はずっとあったんです。でもぼくはキャンセルしてきた。というのはずっと宮崎さんと仕事をしてきてようやくこのへんでひとつけじめをつける必要があるっていうことでまああの「ナウシカ」の組曲と「魔女の宅急便」のなかのいくつかの曲で作ろうっていうことはアーティストとして計画中だったわけですよ。アーティストとしての宮崎駿さんに対してのメッセージというかひとつの解決というかね。今までやったことの区切りとしてやりたかったことなんだけど。でも、世間から見るとすごく商業的なアルバムに見えるよね。

さらにピアノ・ストーリーズもすごくやりたい。これに入れる曲はもう6、7曲たまっているんですよ。「人体」のときの「INNERS」とか「冬の旅人」だとか。これはもう自分のベスト・メロディーを弾くっていう企画だから。

で、もうひとつはオーケストラでやってくれというもの。それじゃ、今年この3枚を出してくれって言われるとナウシカ、ピアノ・ストーリーズ2、そしてオーケストラを出しちゃったら『イリュージョン』『プリテンダー』は、いったいなんだったんだってことになっちゃう(笑)、ね。

そうするとアーティストとしての活動は幅が広すぎるっていうこともあるんだけどもう少しきちっとしたラインが引きたいっていう気持ちが強くなってきてる。2年先3年先が見える状態でレコードをリリースしたいってことなんです。

(「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」より)

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1989年11月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/06

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1989年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。アルバム『PRETENDER』をたっぷり語られています。

 

 

久石譲インタビュー

久石さんの最新ソロ作品は「あくまでポップ、あくまで生!」

久石さんが9月21日、満を持して発表した作品『PRETENDER』は、フェアライトによって、ほとんど完成品のレベルまで打ち込んでおきながら、NYでミュージシャンを集めて録音したというもの。僕らとしては『魔女の宅急便』、さらにNHKで放映された『人体』のサウンドトラックで久石メロディーを堪能していたところだっただけに、矢つぎ早の作品発表にまず驚き、ソロ作品としてのアルバム発表ということに、期待がふくらんだ。そして『PRETENDER』リリース。期待にたがわぬ完成度と、その中にただよう久石メロディー。

久石さんの、今現在の音響世界を探り、久石ワールドに改めて足を踏み入れるべく、今号と次号でロング・インタビューを紹介します。

 

●今、”生”に対する欲求が出てきているものだから…

ー最新ソロ・アルバムの『PRETENDER』はNYに行って録音したといいうことなんですが、このへんの意図を教えてください。

久石:
フェアライトとかでけっこう長い間打ち込みで仕事をやってきて、全部ジャスト・ビートで来てることに対して少し飽きがきたのは事実なんですよね。だから最近よくやるのは、打ち込みものでもズラす方向で…苦労しながらズラしてるわけですよ。で、ズラすんだったら生の方がいいだろう、と。気付いてみたら自分の生に対する欲求が強くなった、ということなんです。だけど、ただズレればいいというもんじゃない。ズレるというのは、イコール、それなりのノリとかが必要になるわけですね。そのときに、日本人の中でやるよりは、外人の中でやりたかった、アチラのノリを欲しかったということなんです。

 

ーで、メンバーの方は?

久石:
ドラムがスティーブ・ホリーというポール・マッカートニー&ウィングスのドラマーで、この人はたぶんNYで5本、いや3本の指に入っているというどこに行ってもすごい評判のいい人ですね。それから、ベースがブライアン・スタンリーという人で、この人はドラムのスティーブとよく組んでやっているらしい。コンビネーションがいい方がいいですからね……。

ギターが、ポール・ペスコっていうマドンナやなんかのツアーやってる人で、5月にサイア・レコードからソロ・アルバムを出しているのね。非常に才能のある人で、まだ若いですから今後すごい出て来る人じゃないですかね。あと、弦はニューヨーク・フィルの連中だったりとか、それからサックスはスティーブ・エルソン。彼はジョー・ジャクソンとかデビッド・ボウイなんかとずっとやってる人です。

 

ー今回のドラムは全部生ですか?

久石:
2曲だけ打ち込みのままやってる曲がありますけどね。

 

ーそれはどの曲ですか?

久石:
どれでしょう(笑)?

 

ーえ、えーと、「トゥルー・サムバディ」あたりですか?

久石:
みんな言うんだよね。でも、あれは生なんですよ。「ミート・ミー・トゥナイト」と「マリア」はドラムとベースが打ち込み。「ミート・ミー……」はTR808を使ってます。

 

ー打ち込みパートはこっちで録ったのを残したわけですか?

久石:
そうですね。というか、一応デジタル・マルチに全部録って持って行ったんですけど、全部落として向こうでもう一回全部録り直ししました。

 

ー打ち込みものに関してもですね?

久石:
そうですね。

 

ー向こうに行く前に、ミュージシャンにドンカマを聞かせないで録ろうかな、とおっしゃっていましたね。

久石:
何曲かでもそれはやりました。

 

ーそういう録り方だとテイク1でOKというわけにはいかなかったと思うんですが……。

久石:
基本的には、東京でフェアライトで組んだモノはけっこう完璧にできたのでそのまま持って行って、それを彼らが聞いて、それに合わせて入っている感じですよね。だから、音楽の全体像を見ながらそれぞれセッションをやってったわけですよね。

それで、結果的にはどうしたってジャストで演れるわけじゃないから、必ずズレるわけだよね。逆にそのズレが欲しかったために、ドンカマは一部消して……。それぞれが自分でオン/オフできるようにしといたから聞いてない人がけっこういたんじゃないかなあ。

 

ーじゃあ、ノッてきたらドンカマを消しちゃって演るっていう感じで……。

久石:
そう。それとね、「マンハッタン・ストーリー」が端的な例なんだけど、東京でこのテンポがたぶんベストだろうと思ったテンポでやってたんですよね。それもかなり遅くしてね。他の曲はけっこう速い曲が多かったから、遅い曲が必要なのでテンポを落としてったんですよ。

ところが、ギリギリまで落としてったつもりだったのに向こうでこの曲を録る段になったら、(ミュージシャン達が)もっと(テンポを)落とすんですよ。1回、何も聞かないでリズム・セクション3人だけで演り出したらもっと遅いんですよ。日本でやったら思いっきりダレるなっていうテンポが、全然ダレない。

 

ーノリを持ってるっていうことですね。

久石:
そうですね。今回一番思ったことは、確かに向こうの人はすごい体力もあるし音もすごいからハデな曲を持ってった方がいい、という発想はあったんだけど、逆にこういう「マンハッタン・ストーリー」とか遅い曲も彼らはすごくうまいんですよ。で、ワーッと思ってね、テンポが8つくらい、128ぐらいだったのを110いくつくらいにしたのかな、すごい量を落としたんです。中間のファンクっぽい部分が成立するギリギリのテンポまで落としました。

それで、ほとんどの曲が東京で組んだテンポのままなんですよ。せいぜいひと目盛り下がるかどうかという……。それに関してもかなりシビアにやってったから、ほとんど変わんなかった。唯一変わったのが「マンハッタン……」。それがドドド……って落ちたっていう……。この辺がやっぱりノリのすごさなんだなっていうことを思いましたね。

 

●1回やってみたかったJAZZ…(?)

ーメンバーの人選というのはどんな風にやったんですか。

久石:
このレコーディングに入る前に3月に2週間位NYに行ってたんですよ。で、そのときに全員に直接会って、どんな感じでいくか決めてって……。

一番最初に決まったのはドラムのスティーブ・ホリーですね。で、彼がやりやすいメンツということと、こちらがいろんな人を聞いて決めてったんです。ギターは3人か4人くらい候補がいて、その中にカルロス・アロマーもいて、彼はコ・プロデューサーでやるつもりでいたんですよ。だけど、どう聞いてもロック・フレーズだし……そりゃそうだよね(笑)。だから、どうしようかなみたいなところから、もっとビョーキっぽいのをできる人がいいねっていう感じで、もう一度人選しなおしてもらったりとか……。

 

ーそういえば、「ホリーズ・アイランド」とか「ミッドナイト・クルージング」などではかなりジャズ的なものを感じたんですが。今までこういうのはあまり無かったんじゃないですか?

久石:
いや、『イリュージョン』から少しずつそういうのは入れてたんですよ。高校時代からジャズはすごい好きだったのね。好きだったけど、自分がやるもんじゃないと思ってたからのめり込まないだけで……。ただ、古く言えばスティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲンもポップスなんだけどジャズのイデオムをいっぱい入れてやってたよね。だから、自分としてはフィールドはあくまでもこっちにいるんだけれども、ジャズというのは一つの表現手段として、ジャズのスピリットまでいかない程度にね(笑)、前からやりたいとは思ってたんですよね。で、『イリュージョン』では、けっこうやったね。

 

ー僕の印象では、『イリュージョン』よりもうちょっとジャズに近づいたかなっていう感じがあったんですが……。

久石:
それはあるね。ジャズに近づいたっていうかね……。何て言ったらいんだろう……(しばし沈黙)。……実は僕がジャズの表現をやりだすと本格的になっちゃうんですよ、出だしはマイルス・デイビスから入って、コルトレーンに戻って……ずーっとやってっちゃったから、聞き手としてはわりと聞き込んじゃってたので、あまり深入りしたくなかったんですよ。

ただ、今回は場所が場所でしょ?NYだったということもあって、それをそういうパワフルなものをやるためにはああいう表現(ジャズ)に近づいてもいいなと。で、ジャズ・ワルツっぽい曲もあったでしょ?「ミッドナイト……」かな?あんな感じの曲も一回やってみたかったんです。

 

ーあの曲は最初からあんな感じになる予定だったんですか?即興的に8分の6みたいな感じになったんじゃなくて。

久石:
いえ、全部あのまんまシーケンスを組んでたんですよ。あれは苦労しましたね。録れるかな、とか思いながらね(笑)。日本でやったら止まったと思うんだけど、誰も止まらないんだ。すごかったですよ、あれは。

 

ーロック寄りのメンバーなのに、こういうジャズっぽいのもできちゃうんですね。

久石:
このへんも大事なことなんだけど、ジャズのミュージシャンを集めてないんですよね。もし、ジャズのミュージシャンを集めてたらもっとニュアンスが出るけど、あくまでこちらのフィールドの人がジャズにエレメントを取るという風にやりたかったから、あえてジャズの人は呼ばなかったんですよ。だからよかったと思う。あの曲でジャズっぽい人を呼んじゃうと思いっきりのその世界に入っちゃうでしょ?

例えば、サックスがマイケル・ブレッカーとかだったら、どうしてもフュージョンになりますよね。「マンハッタン……」もそうでしょ?あれをあのままジャズの人を集めちゃったら、もうそのままピタッとはまっちゃうから、なんでこれを今、日本人がやらなきゃならないんだ、みたいな感じになっちゃうじゃない? そういうこともあったんで、あくまでポップス・フィールドの人でやるっていうのは決めてたんです。

 

ー今回、ボーカルものは歌詩が全部英語なんですが、これはやはり世界に打って出ようと……。

久石:
それはかなり意識しましたけどね。前に『アルファベット・シティ』というアルバムのトラック・ダウンをNYでやってるときに、A&Mとかビル・ラズウェルのセルロイド・レーベルから契約の話が来てたんですよね。その時は、契約で過去の全作品の権利を渡すとかなんとかでこじれそうなんでやめちゃったけど。

その時に思ったことは、僕は基本的にインストゥルメンタルでやってきたでしょ? インスト物っていうのは東京でやってもNYでやってもパリでやってもロンドンでやっても、いいものはいいって受け入れやすい状態なんですよ。

それは服飾メーカーでもそうですよね。山本寛斎なんかも言ってるけど、ロンドンで当たった、NYで当たった、東京で当たった、という風に同じ様に評価される。音楽でいうと、日本語が介在しないぶんだけインストゥルメンタルっていうのはそういう世界観を持ち得るんです。

だからそういう意味で『アルファベット・シティ』のときの経験からいっても、どうせやるならばそこまで徹底した方がいいだろうと。日本語でやるよりは英語でやろう、というのは最初のコンセプトで決めてましたからね。

 

ー作詩の方はどういう方が?

久石:
詩はね僕とCMで何本か一緒にやらせてもらったウチダさんという人なんです。それと、「ワンダー・シティ」は今から7、8年前の作品だから、これはマーティ・ブレイシーっていうもんた&ブラザースとかのドラムをやってた人です。

 

ー「ワンダー・シティ」は『インフォメーション』に入ってたのとキーが違いますね?

久石:
変えてます。今度は生でやるから、ベースの最低音にルートを合わせた。2月の草月会館でのコンサートのときからあのキーにしちゃったんですよ。

 

●鳴る音、鳴らない音

ー6月末のコンサート(6月29日サントリー・ホールの小ホール)を聞かせていただいたんですが、ピアノと弦楽四重奏だけですごく豊かな響きを出していて、改めて感心したんですが……。

久石:
弦はね、とても書き方が難しいんですよ。鳴らし方が本当に大変なんだ。例えばある配置で作ったのを半音キーを上げただけで、180度、もう民族が変わるくらい、楽器が変わったと思うくらいに響きが変わっちゃうんです。半音上げるんだったら配置から全部作り直ししないと同じ鳴り方はしないんです。その辺まで知りぬかないと、弦は鳴らないですね。

 

ー久石さんはバイオリンを習ってらしたことがあるそうなんですが、自分で弦楽器をやっていたということでその楽器の鳴る音域とかフレーズとかを体で知っているということが、まず、あるんでしょうね?

久石:
あっ、それはありますよ。それと、バイオリンをやるとすごいいい点はね、ピアノだと鍵盤を弾いたらソの音はソ、ラの音はラって出ちゃうでしょ?だけど、バイオリンの場合はフレットがあるわけじゃないから自分で音を捜さなきゃいけないんです。小さい頃やると耳の訓練には一番ですよね。だから、バイオリンを4歳からやったっていうのは自分のルーツですよね。仕事していく上でもとても武器になったし……。弦のアレンジってなかなかできないでしょ?

 

ー僕も勉強してるんですが奥が深いですよね。で、コントラバスもやってたんです。

久石:
一応そういうのをやってて弦の響きがわかってれば、少しずつできるようになりますよ。

 

ー久石さんの弦の鳴らし方、例えば「ヴュー・オブ……」の盛り上がるところで弦が対位法的に動くとこなんかは一朝一夕にはできるものじゃないですよね。ただ単に白玉を鳴らすっていう発想じゃないですし……。ところで、あの曲はストリングスは後録ですよね。

久石:
そう、最初にまずピアノを録って、それから弦のアレンジして弦を録ったんです。ピアノを録る前の日に曲ができましたからね……。

あの「ヴュー・オブ……」は今までの自分のメロディーらしいメロディーと、同時にちょっと踏み出してるんですよ。メロディーの中でのキーのチェンジが激しいですからね。一歩間違うと今回のコンセプトに合わない曲なんですよ。あの曲を外すかどうか迷いましたね。

で、アルバムに入れた中では唯一ミニマルっぽい扱いですね。途中からピアノが一つのフレーズの繰り返しで押し切って、それとは別に弦が動く。あそこらへんからモードっぽい進行に切り換えることによって、やっとアルバムに入ったんですよ。辻褄が合うようにした。それがすごい難しかったね。

コード進行にそった形でピアノのアルペジオを入れるといちばん僕らしくなるんだけど、今回それをやるとちょっと違うんじゃないかっていう感じがあって。それがちょっと苦しかったとこですね。「ヴュー……」は楽曲的には自分でも納得いってたから、今回入れるためには他の曲とのつなぎの接点でモードというのを使ったんです。そういう方法というのは全体にあるんです。

あと、今回は全体的にバンドっぽい仕上がりにしたんですよ。従来の自分の方法だと、この楽曲は打ち込み、例えば「ワンダー・シティ」だったらやっぱりシンセ・ベースの方が絶対合うわけ、気分的にも。そう思ったら必ずそうやってきたんだけど、今回に関して言うとあえて目先の音のチェンジの前に統一感を出したかった。いいフレーズがあればそれでいい。いい音楽であればそれでいいっていうことで、アレンジャー的感覚でいろんな音色を使うというのは全部排除して……。ベースは全部同じ音でいい。ドラムも全部同じでいいと……。

音色のような細かいことでの目先は変えないで、ストレートに押し切ろうという考え。

今回のアルバムは、基本的に”生”だと。そのままステージにかけられるバンドっぽいことをやろうと……。打ち込みでやってると、ドラムでもなんでも不可能なことを平気でやるでしょう?ドドドッとか。その手のことはもうしない、人間が弾けるっていう状態でとにかくやろうと徹しちゃったです。

(「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1989年11月号」より)

 

 

久石譲 『PRETENDER』

Disc. 久石譲 『PRETENDER』

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年8月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/05

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年8月号」に掲載された久石譲インタビューです。久石譲による連載コーナーの第7回です。

 

 

HARDBOILD SOUND GYM by 久石譲

第7回 ミニマルも「ナウシカ」も素材は同じモードだった

久石さんがPOPワールドに入るきっかけをつくったのは、クラフトワークとの出逢いだった。クラシックとは離れたところで、ミニマルの手法も応用したニューBGMをつくろうとした。それが久石さんたったひとりのオーケストラ、”ワンダーシティオーケストラ”だ。ソロアルバム『インフォメーション』を82年に発表、ミニマルにこだわったニュー・ウェーブ色の強いアルバムだった。その後、2年もたたないうち、「風の谷のナウシカ」のサントラが大ヒット。土着要素の強いミニマルと、クラシックなイメージを持つ「ナウシカ」は対照的だが、久石さんに言わせると、”モード”ということで自分の中では全く違和感はないのだ。

 

クラフトワークの落とし前をどうつけようか?

クラフトワークは、日本では”何だこれっ!?”って感じでなかなかレコードにはならなかったんです。僕は別のルートから彼らの音を聴いていて、絶対ウケルと思ったんだけど…。その後、ニューヨークから超一流のモデルが来日して自分のステージでクラフトワークのテープを流した。それに感動した糸井五郎さんや今野雄二さんらが、自分の番組で紹介して火がついたというわけ。

ところが、タンジェリン・ドリームの方が日本でウケた。アメリカの東海岸では逆にクラフトワークがウケてタンジェリン・ドリームの人気はいまいち。僕からするとタンジェリンは好きじゃないんです。彼らは即興演奏の感性的な感覚だけでぜんぜん理論武装していない。それに対して、クラフトワークは明確。メロディー・ラインもこれ以上なくらいに単純化、パターン化されている。僕のようにミニマルをやってきた人間にとって、同じシーケンス・ベースの中でわーっと弾いているタンジェリンとは全く違って聴こえた。

そのとき、あっと思った。こういうラインで、ポップになれるならば、自分としてもクラシックと離れた音楽のやり方があるんじゃないか、より超モダンでアヴァンギャルドなやり方が…。

その後で知ったことだけど、クラフトワークのメンバーの経歴が興味深い。みんな現代音楽やミニマルの影響を受けたりしている。ドイツのプログレ・バンドやロック・シンセ・バンドは、クラシック出身とか、シュトック・ハウゼンの研究所にいた人間とかが多い。自分と思考過程が似てて、彼らの屈折したところなんかがとてもよく見えた。

YMOがやったことというのは、完全にクラフトワークをベースにしている。メロディを日本風にわかりやすくしてるけど、ステージの前にマネキン人形を置いて、後ろで弾くというやり方などは、クラフトワークがずっとやってきた手段だからね。はっきり言ってものまねだった。彼らのやろうとしてきたコンセプトは、裏にはクラフトワークがあって、でもクラフトワークほどうち出せないところで揺れ動いていた。テクノデリックとか、ポップス・バンドであるとかいうところで、いつもやっていることに対して、クラフトワークまでいけないといういら立ちの中で揺れていたんだとはっきり言い切っていいと思う。彼らは、自分の中でクラフトワークをどうやって解決させるか、どう落とし前をつけるかって作業だったんだろう。

だから、今は逆に彼らはつらいかも、坂本龍一さんはとくに…。彼はその気になればクラシックもできるし現代音楽もできる立場にある、かといって一方でニュー・ウェーブもやってきたという切り口がある。『NEO GEO』はあんまりいいできだと、僕は思ってないんです。ちょうどあの頃に、清水靖晃さんも『サブリミナル』を出したでしょう。2人ともエスニックを素材にしてたけど、エスニックを素材にしたサウンンドってもう新しくないんだよね。第一、もうサウンドがインパクトを持つ時代でもないわけ。サンプリング楽器が安く手に入って、アマチュアの人もすごいことをやってる。すると、おのずと、サウンドで驚かせられる時代じゃなくなってきている。

 

ミニマルから「風の谷のナウシカ」へ

テクノの縦割りのノリは新鮮だった。クラフトワークの、あれだけ削ぎ落としたサウンドは他にはなかった。そこで最初にN(エヌ)というバンドのPOPミュージック、ニュー・ウェーブBGMをつくろうとした。現代音楽も引きずりつつミニマルでポップスをつくろうとしたんです。でもそれだけに、ちょっと苦しいところがあって、今、聴いてみてもえらく綱渡りしている感じがする。

”ワンダーシティオーケストラ”という、といってもたったひとりで演ってたんだけどニューBGMをつくろうとしてたんです。その頃の曲はすべてワンコード、つまりモードなわけ。ベースラインがC#とかでずっと通していて、コードはその中で動くんだけどね。それが、82年に10月に発表したソロ・アルバム『インフォメーション』なんです。

それから次に出したのが「風の谷のナウシカ」のサントラです。メロディだけ聴くと、ミニマルとは反対のクラシカルなものにとらえられがちだけど、自分の中では全く違和感がない。というのは基本的にモード(ナウシカの場合はCドリアン・モード)を使っているからなんです。

(「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年8月号」より)

 

 

 

Blog. 「KEYBORD LAND キーボード・ランド 1989年10月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/04

音楽雑誌「KEYBORD LAND キーボード・ランド 1989年10月号」に掲載された久石譲インタビューです。アルバム『PRETENDER』発売に合わせた時期になっています。

 

 

日本人っていつも何かのフリをしている人が多い
その姿を客観的に表したかった

久石譲

『風の谷のナウシカ』や、『となりのトトロ』など映画音楽やCMソング、他のアーティストの曲の作・編曲の他、キーボード・プレーヤーとしてっも幅広い活動をしている久石譲。彼が3年ぶりの自分自身のアルバム『PRETENDER』をニューヨークで制作した。

久石といえばフェアライトなどの最新テクノロジーを積極的にとり入れたキーボーディストというイメージがあるが、今回のアルバクでは生の楽器が多く使われている。

「今までは90%くらいは電気楽器、打ち込みものとかが多かったのですが、今回は逆に85%近くは生のピアノやドラム、ベースなどを前に出して非常にバンドっぽくあげたかったんです。打ち込みだとジャストでしょ。ジャストだとニュアンスがないからつらい部分があって…。そういう意味では今回はリズムのノリもいいし、かなり欲しいニュアンスが録れたなと感じますね。中には1曲めと5曲めのように部分的に打ち込みを使った曲もありますが、後は全部生です。その打ち込みの部分も、生の音との違いがほとんどわからないくらい精密に、フェアライトで作っていったんですよね。今回はバンドっぽいサウンドということをコンセプトにおきましたから、そういう意味でのカラーの統一をしたかったんです」

彼の言葉どおり、アルバム全体を通してライブ感覚のノリが溢れている。が、そこには人間臭さは不思議となく、都会的なドライさが感じられる。

「今回は全体に乾いた音を中心にして、日本人特有のウェットな部分をできるだけ切り捨てようと思ったんです。そういう意味からもロンドンよりは絶対ニューヨークの方が合っているという気がして行ったんです。ロンドンの音楽は、どちらかというとウェットという部分では、日本のものと似ていますからね」

アルバム1曲1曲は、60年代風のロックあり、ラテンあり、ジャズあり、バラードあり、生ピアノと生弦中心のインストありと実に多彩。しかもラテン風のサウンドひとつとっても、それに東洋的なメロディがのっているような、型にはまらない久石独自の自由なアソビ感覚が伝わってくる。

「1曲1曲、思いっきりパワーを持つように作ったんです。今回はインストとボーカルものを混ぜてしまったし、下手するとバラバラになっちゃうような非常に難しいアルバムだったんですよ。ただ正解だったのはバンドっぽい音ということで、リズム体を変にサンプリングで入れ替えたりして凝りすぎないで、全曲、素直に通したんです。曲の表わし方の個性をどうつけるかでジャジイなものがあったり、ピアノ曲があったりするけど、その上でもっと大きな個性で結実しないかなという思いはありました」

1つの型に凝り固まらず、いろいろなジャンルの音楽をいろいろなノウハウで作り上げてきた彼だけに、実力に裏付けされた確かな自信がうかがえた。その彼の自信作は9月21日NECアベニューより発売される。またライブは10月4、5日インクスティック芝浦ファクトリーで行われる予定。

(「KEYBORD LAND キーボード・ランド 1989年10月号」より)

 

 

久石譲 『PRETENDER』

 

 

 

Blog. 「音楽の友 1998年4月 特大号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/03

クラシック音楽誌「音楽の友 1998年4月 特大号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。連載コーナー「この一曲が好き!」に登場しました。久石譲が選んだのは「マーラー:アダージェット」、そして当時公開されたばかりの映画『HANA-BI』の話まで。

 

 

この一曲が好き!

第37回 マーラー/アダージェット 久石譲(作曲、演奏、プロデューサー)

各界の著名人に、自分の一番好きな「この一曲」について、熱い告白をしていただこうという好評連載!今月は、現代音楽の作曲家として出発しながらも、ポップス、映画音楽のフィールドで高い支持を得ている久石譲さんです。

 

昔、学生時代はマーラーはあまり好きではありませんでした。ところが、ロンドンに2年ほどいたときに『水の旅人』という映画のサウンド・トラックを、ロンドン・シンフォニー・オーケストラで、フルの3管編成でレコーディングしようとした(93年4月)んですが、いわゆる管弦楽法の本とかはみんな東京に置き忘れてきてしまった。そのとき手元にあったのは、マーラーの5番のスコアだけだったんですよ。そのスコアをずっと参考にして、ヴォイシング、音の配置を舐めるように見た。それで、マーラーの5番に親しんだのがとても記憶に残っています。

特にアダージェットは、『ヴェニスに死す』という映画のテーマ曲になりましたね。これだけ映画を見ているし、映画音楽をやってきたにもかかわらず、実は『ヴェニスに死す』は見ていなかったんですよ。で、去年、北野武さん監督の『HANA-BI』という映画がベネチア国際映画祭で金獅子賞を取りました。それでその前後であわてて『ヴェニスに死す』を見たんです。とても恥ずかしかったんですが、ヴィスコンティのあの映画に圧倒されて、同時にアダージェットという曲の持っている凄さに、もう一度心酔したんですね。

今回、長野パラリンピックのトリビュート・アルバム『HOPE』を作ったときに、ポップスの人から、ジャズ、クラシック、いろんなジャンルから参加していただきました。クラシックでは藤原真理さんと、オーボエの茂木大輔さん、カウンターテノールの米良美一さん、和太鼓の林英哲さんです。

で、どの曲をやろうかという段階で、チェロとピアノでは不可能かなと思いつつ、アダージェットをやってみたいという提案をしたんですね。真理さんと改めてもう1回聴いてみて、はたしてこれはチェロとピアノになるんだろうか、どうなるかわからないけれども、とにかく置き換えてみます、と編曲を始めたんです。

ところが、弦のスタティックな曲だから、音符がのびないとサマにならないんですね。弦は音を延ばすことは可能だけれども、ピアノはどうしても音が減衰していっちゃいますからね。原曲の響きや世界観をいかに変えずにピアノに置き換えるかで、ずいぶん苦しんだんですよ(笑)。そのレコーディングは相当うまくいって、これからきっとチェロの人のレパートリーに入るんじゃないか、それくらいのアレンジはできたし、自分も納得してるんです。もちろん原点にあったのは、あのアダージェットという楽曲の持っているすばらしさです。

これを書いた時のマーラーは、おそらく精神的に相当きつい状況だったと思うんです。メロディ自体はメイジャーの曲ですよね。でも、心底落ち込んだ、精神状態が最悪のときに、かえってメイジャーなメロディを書くというのは、何段階か人間として器が大きくなるというのでしょうか。辛いときに辛い曲、悲しい時に悲しい曲を書くほど、つまらないことはないんで(笑)。それをつき抜けた絶望の渕の明るさ、そして何かを求めるというようなところが、この曲にはある。ある意味でシューベルトの《白鳥の歌》に近いような、とても死を見据えた強さを、このアダージェットには強く感じるんです。第9番の第4楽章もすごくいいんですが、あれはオーケストラとしても劇的に構成され過ぎている。それに較べると第5番の第4楽章は、ハープと弦だけですよね。シンプルな中に本当に突き抜けた世界観をもっている。そういう意味でもこれはすばらしい。

もともとはブラームスがすごい好きなんです。ブラームス独特の、重たくなるくらいに低音を重ねてしまう、そういうもののほうが本当は好きなんですけれども、ただやっぱり、マーラーは指揮者としても一流でしたよね。ですから、小手先に走る、オケの効果に走る、構成上の弱さを持っているんだけれども、基本的には、オケの鳴らせ方、響かせ方に関しては、作曲部屋にこもって作っている人と、毎日オケの前でやっていた人との違いはある。マーラーの場合、譜面上では、えっ、これで大丈夫なのかな、というのが、実際音を出してみるととてもいいんですよね。この辺は、机上の作曲とまったく違うものがあって、ものすごく参考になります。

ブラームスは、彼の引き裂かれ方が好きなんです。体質はロマン派のくせに、頭の中は構成がっちりの古典派のベートーヴェンなんかに憧れきってる。そのバランスの悪さは、いつ聴いても面白い。第4シンフォニーなんて、音型、モティーフという捉え方でどう頑張っても、メロディにはロマンの香りがしちゃいますよね。ブラームスは一生そのことで闘って悩んでいた。そのことが露骨に見えるのが、ブラームスの一番破綻しているところでもあり、僕が好きなところでもあるんです。

人間の中にも、物事を論理的に考えたいというところと、ものすごいエモーショナルに動きたいというところと、みんな持っているじゃないですか。だからそれを大きなタームで捉えてみると、クラシックの流れ自体が、古典派、ロマン派、新古典派、十二音技法、現代音楽と、絶えず人間のなかの感覚的な部分と、理性的な統御の部分とが、交互に揺れ動いて来ていますよね。

 

僕の学生時代は、ミニマル・ミュージックが最先端の音楽だったんですね。1964年くらいですね。僕らはそれまではペンデレツキやクセナキスの流れで、不協和音を重ねるクラスターという書き方をしていました。あれは正直言ってだれもわからないんですよね。もっといえば、だれでも書ける。ものすごい大きなスコアに、「第1ヴァイオリン」という表記ではなく、ひとりひとりの奏者のヴァイオリン何10本に半音だ4分音だとぶつけていけばいいんだから。そんなに苦労はない。あれは机上の音楽でしかなかった。

実際に創造してるものとは違うはずなんです。それをちゃんとやりきれている作曲家は基本的にいないと思うんです。そういうものをただただ追求していくことが作曲の指南になり、あれだけの大量の音符の量を不確定理論とかでやっても、それが飽和状態まできてるような気がしていた。そこへ、ポンとミニマルを聴いたときに、あの形になってるというのは、僕にとって、ものすごく新鮮だったのね。ミニマルの方が自分たちのリアリティがあった。もちろん、スティーヴ・ライヒたちはいきなりそれを作ったんじゃなくて、いろんなムーヴメントのなかでやってきていますが。

当時、作曲家どうしが集まったときに話すことは、他人の批評ばかりだったわけです。あれはだめだ、これもだめだ、と。つまり、彼らの言い方というのは、他のものはすべてだめ。だから自分が正しい、という理論。赤ちょうちんで飲んで課長の悪口言ってるサラリーマンと何ら変わらない。だから体質的に現代音楽の連中のもっている雰囲気が大嫌いだったんです。音符で証明すればいいのに口で証明しているような奴らとやってもしようがない、と思った。そのときにふっと横を見ると、ロキシー・ミュージックから出てきたブライアン・イーノが、芸術論なんかぶたなくても、充分やっているという姿がすごくうらやましかったんですよ。それならこのまま現代音楽をやっているよりはポップスのフィールドに行った方が自分はいいと。

そこで「作品を書く」というのはやめたんです。そのかわり、ポップスのフィールドに行ってからはもっと自由にできるようになった。あっちは面白ければ正義ですから。もうひとつは売れなければ正義にもならないんだけど。それさえきちんとしていればやりたいことはやれる。だいたい我々の世代でも、才能のあった人物が、ほとんどみんなポップスとか、他のフィールドに流れちゃいましたよね。

映画音楽を作るときは、よほどのことがない限りは、台本を読んで、ラッシュを見て、それからどういう世界観にするかを通常決めて行きます。『HANA-BI』のときは、わりと早い時期から、北野さんから大体の内容は聞いていたし、「今回はアコースティックで行きたい」と言われていた。北野さんとやってきた映画音楽は、『HANA-BI』で4本目なんですけど、それまでのものは実はミニマル的な扱いが多かったんですよ。感情表現というよりは引いてしまって、最少単位の音型が繰り返されるような。具体的にいうと、シンセサイザーをだいたいメインにして作ってきた。『HANA-BI』の場合は、暴力的なシーンでも、弦とかできれいな音楽が流れているようなのはどうですか、という話があった。それがキーワードになりました。ただ、弦を使っていると、どうしてもメロディラインがついて、エモーショナルな部分に走りやすくなるんですよ。北野さんの世界では、おいおい泣いたりするような、感情表現の場って少ないんですよ。そういうところにエモーショナルな音楽を付けると、ものすごくダサくなったり、かえって北野ワールドを壊してしまうんじゃないか、というのが一番心配だったですね。弦を使ってやっていくときに僕が大事にしたのは「格調」。一、二歩引いて、主人公たちの精神状態を奏でるというところから全体を構成していった。通常僕らが映画音楽を書くときは、映画1本で25~30曲くらい、各シーンに入れていくんです。だけど今回は10曲だった。短くなったと喜んでいたんですが、1曲1曲が8分だったり6分だったり長いんですよ。だから、音楽全体の長さは結局45分くらい、いままでと全く変わっていなかった。その分、入れるときはドンと入れる。抜くときは思い切り抜く。映画としての音楽的なメリハリはつけられたという気がします。

以前見たスティーヴ・ライヒの《ザ・ケイヴ》はすごくショックでした。いつかこういうのにチャレンジしてみたいというのはありましたから。ただ、彼は現代音楽のフィールドだけど、僕は、ポップスのフィールドだから、斬新なもの、それでいてエンターテインメントとして楽しめるもの。そういう作品をこれから作っていきたいですね。変に芸術家というと、山の中に篭っていて自分の気にいった音符を書いていれば成り立つかもしれないけれど、僕がいまいる世界は、人様に見て聴いていただいて初めて成立する世界だから。自己満足では完結しないんですよ。それに対して出資してくれる人がいたり、レコード会社や映画会社がいる。そういう人たちは資本をしっかり回収し(笑)、なおかつ人々をただただ楽しませるだけでじゃなくて、もうひとつ上のランクのもの見せられるというのが理想ですから。それを一番やっているのはたぶん宮崎駿さんです。その人とずっと仕事させてもらったし。身の回りに北野さんとか凄い人が大勢いるもんで、いまでもいろいろ勉強させてもらっています。

(「音楽の友 1998年4月 特大号」より)

 

 

久石譲 『長野パラリンピック支援アルバム HOPE』

 

HANA-BI サウンドトラック

Disc. 久石譲 『HANA-BI』