Info. 2018/02/20 [雑誌] レコード芸術「青春18ディスク」2018年3月号・4月号 久石譲掲載 【3/16 Update!!】

Posted on 2018/02/14

『レコード芸術』2018年3月号(2月20日発売)の
巻頭カラー連載「青春18ディスク」に久石が登場いたします。

幼少期からオトナになるまで、青春時代の音楽体験を
思い出にまつわるディスクとともに振り返る貴重なインタビューです。
3月号では前篇、3月20日発売予定の4月号には後篇と、
2回にわたり掲載されます。ぜひお楽しみに。 “Info. 2018/02/20 [雑誌] レコード芸術「青春18ディスク」2018年3月号・4月号 久石譲掲載 【3/16 Update!!】” の続きを読む

Info. 2018/03/14 宮崎駿監督最新短編アニメ『毛虫のボロ』完成 久石譲ピアノ曲

スタジオジブリの宮崎駿監督が映画『風立ちぬ』(2013年)以降、初めて手掛けた映像作品『毛虫のボロ』(原作・脚本・監督)の完成披露試写会が3月14日、東京・三鷹の森ジブリ美術館の映像展示室「土星座」で行われた。

「毛虫のボロ」は、長年“虫の目から見た世界”を描く企画を温めていた宮崎が原作、脚本、監督を担当した14分20秒の作品。劇中の音声は、ラストに流れる久石譲のピアノ曲以外、ボロの声や効果音などすべてをタモリが担当している。 “Info. 2018/03/14 宮崎駿監督最新短編アニメ『毛虫のボロ』完成 久石譲ピアノ曲” の続きを読む

Info. 2018/03/14 久石譲 団長のジュニア合唱団設立へ 長野市芸術館に付属

長野市芸術館を運営する市文化芸術振興財団は今春、市内の小学3年生〜高校生でつくる同館の付属合唱団「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)ジュニア合唱団」を設立する。同館芸術監督の久石譲さん(67)が「長野市民と近い距離で活動したい」と提案、自ら団長に就任し、指導にも当たる。

 同館を拠点にする音楽活動団体としては、久石さんが指揮する室内管弦楽団「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」に続き二つ目。同財団によると、久石さんの提案を受けて昨年から運営態勢を検討してきた。市教育委員会や市校長会、県合唱連盟などと連携し、毎年3月に同館で定期公演を開くほか、市内を中心とした民間のイベントにも参加する方針だ。 “Info. 2018/03/14 久石譲 団長のジュニア合唱団設立へ 長野市芸術館に付属” の続きを読む

Info. 2018/03/13 [ゲーム] 「二ノ国II レヴァナントキングダム」特別インタビュー映像 第5弾「アート編」公開

レベルファイブは、PS4/PC用ソフト『二ノ国II レヴァナントキングダム』の公式サイトで、コアスタッフによる特別インタビュー映像を公開しました。

今回公開されたのは第5弾「アート編」です。

第1弾「アニメーション編」(2017年12月公開)、第2弾「キャラクター編」(2018年1月公開)、第3弾「音楽編」(2018年2月公開)、第4弾「ゲームシステム編」(2018年2月公開)とあわせて5つの特別インタビューすべてが公開されました。 “Info. 2018/03/13 [ゲーム] 「二ノ国II レヴァナントキングダム」特別インタビュー映像 第5弾「アート編」公開” の続きを読む

Blog. 「キネマ旬報増刊 1998年2月3日号 No.1247」北野武映画 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/08

「キネマ旬報増刊 1998年2月3日号 No.1247」に掲載された久石譲インタビュー内容です。「フィルムメーカーズ 2 北野武 Filmmakers 2 TAKESHI KITANO」と題されたこの本は、北野映画総特集になっています。

北野武監督と久石譲の初タッグとなった『あの夏、いちばん静かな海。』から『ソナチネ』『キッズ・リターン』『HANA-BI』までの作品について、それぞれの作品とその音楽について振り返るように語られている貴重なインタビューです。

 

 

久石譲インタビュー

「『今回、どうします?』って聞くと、『今までうまくいってるからいいんじゃない?』としか答えてくれないんです(笑)」

-『HANA-BI』がベネチア国際映画祭グランプリを受賞、『もののけ姫』(宮崎駿監督)が空前の大ヒット。97年はこの2作の音楽を担当された久石さんの当たり年だったですね。

久石:
「うれしい1年でしたね。大変だったけど(笑)。『もののけ姫』が夜中の1時半に終わって、翌日の朝から『HANA-BI』というとんでもないスケジュールだったんですよ。ただ、『もののけ姫』は3年がかりの作品で、『HANA-BI』も去年に話しをいただいていたんです。だから事前に、いろいろ考える時間もあったので、あまり苦にはなりませんでしたね。逆に、全く世界観が違う作品だったからガラッと切り替えがきいたんですね。」

-『HANA-BI』ではどんな点に苦心されたんでしょうか?

久石:
「今までの3作はどちらかというと、シンセサイザーやサンプリング楽器を多用していましたが、今回、監督からは、ストリングスや何かを使った「アコースティックな世界で、きれいな音楽があるといいね」と事前にオファーされたんです。ただ、それだと情緒的に流れすぎる可能性があるので、そうならないために、どういうスタンスをとるかということを一番考えました。今回は北野作品ではいちばんメロディを前面に出したんですよ。今までの作品はミニマル的な、音型の繰り返しみたいなのが多かったんだけれども。ただ、画面に音楽が寄り添わないで、外して、どこでどう「すき間」をつくるか、どうやって抜くかということに気をつかいました。『もののけ姫』もそうですが、97年の僕のテーマだったんですよ。」

-北野作品の第1作は『あの夏、いちばん静かな海。』からですね。

久石:
「あのときは、ニューヨークでレコーディングをしていたときにプロデューサーから電話がかかってきて。「ビートたけしさんの映画をお願いしたいんですが」って言われて、「あ、なにかの間違いです」って思わず言っちゃったという(笑)。基本的には好きな監督だったんですよ。ただ、『その男、凶暴につき』とか『3-4×10月』をみると、僕のところに話が来ると思わなかったんですね。でも帰国してから、『あの夏、いちばん静かな海。』のラッシュをみたら、「これなら分かる」と。もっときちんとみていたら見落とさずに済んだんだけど、北野さんの作品というのはすごくピュアなんですよ。表面的には暴力があったりとかいろいろあるんだけれども、その奥の精神とか出てくる人間たちって、中途半端な屈折をしていないんですね。だからその一点で考えると、自分の音楽がなぜ必要とされるかというのがよく分かったんです。

ただ、やっぱり最初はね、台詞が極端に少ないし、劇的な要素もないし、どうしようかなと思ったんです。そしたら、北野さんが、「通常、音楽が入る場面から全部、音楽を抜きましょうか」というので、「そうですね。面白いですね」って僕も答えちゃって(笑)。それで通常音楽が入るところを極力音楽を抜いたんですよ。それがすごくうまくいったと思うんですよね。あとね、「朗々とした大きな感じじゃなくて、シンプルな、寄せてはかえすようなメロディ」と言われていて、僕としては「それはミニマルの精神と同じだから」と理解しましたね。」

-ミニマルな旋律の方が印象に残るというのは、北野作品の作風の影響なんですね。

久石:
「北野さんの場合はそうでしょうね。本人の映画も要素を多くしない世界ですから、そこで音楽が過剰にものを言い出すと、すごく浮いちゃうんでね。今まで、ミニマル的な、できるだけ短いフレーズをくり返したりとかっていう方法論をとってきたのは北野監督の作風には合うんでしょうね。」

-次に『ソナチネ』なんですが、実は個人的に大好きな作品なんです。

久石:
「僕も大好きです。フェイバリットなんですよ、実は。」

-サウンドトラックを改めて聴きますと、非常にノッてつくられている印象を受けます。

久石:
「それは鋭いですね。あの頃ちょうど僕はロンドンに住みだしたばかりで、こっち(日本)に帰ってきて録った最初の仕事なんですね。しかも、あれは石垣島のロケにも付き合ったし。石垣島の持っているなにか異様な雰囲気にひかれて……その空気感を出したいとすごく思って。そういう気持ちとロンドンでの新生活によるテンションの高さが一緒に吐き出された感じで、つくっている最中も、不思議な熱気がありましたね。

映画とか音楽ですごく大事なのは空気感だと思うんです。あの時の石垣島の空気感というのがばっちり自分の中で理解できていたんで、それをどう出すかという、それに見合う音楽をすごく考えました。単に沖縄とか石垣の雰囲気を出すために、沖縄音楽を普通に取り込むのではなく、その音楽をこっち側までひっぱりこんでつくれたから、すごくうまくいきましたね。あと、石垣島に行ったとき、貝をずいぶん拾ってきたんで、貝をぶつける音をパーカッション代わりに使いましたね。別に石垣島の貝じゃなくてもよかったんだけど、気持ちの問題で(笑)。ただ、問題なのが、あの『ソナチネ』が自分の中でうまくいきすぎたために、それ以降北野映画をやるたびに、みんな頭の中で『ソナチネ』になっちゃうんです(笑)。今回の『HANA-BI』をやる時も「ああいうのが合うのかな?」って相当悩んだんです(笑)。」

-その次が96年の『キッズ・リターン』になるわけですが、北野監督の交通事故後の復帰作ということもあってか、もっともポジティヴな印象を受けますね。

久石:
「音楽的にいうと、僕は10代・20代の子が主人公だから、音楽は元気なものでやる必要性を感じていたんで、相当リズミックにしましたね。底辺のベースにあるのはユーロビート、もっというとディスコビートみたいなもの、その上に来るのが印象に非常に残るのに、歌おうと思うと歌えないくらい、拒否しているメロディなんですよ。北野さんもあのメロディをすごく気に入ってくれて、「いや~、メロディ残るなあ。いいよこれは」っておっしゃって、すごくうれしかったですね。特にラストシーンがね、「まだ始まっちゃいねえよ」って言った瞬間に、ピストルの音をサンプリングしたんですけど、ドヒューンといって、エンドロールになりますよね。もう「この効果狙ったね」って言われるくらいハマっちゃったんでね。あそこは北野さんも喜んじゃって「あのエンドロールのために映画があったなあ」なんてね。

あれはね、不思議な話、北野さんの事故後の復帰の映画であると同時に、僕にとっても復帰作だったんですよ、こんなこと話すのは初めてなんだけど。映画音楽から離れて、自分のソロアルバムをつくったり、他人のプロデュースをしたりしていて、1年半か2年のブランクがあった。そこへちょうど偶然にも、日本を代表する二人の監督に同時に頼まれたんで、「これはもう復帰しなきゃな」と。先にできたのが『キッズ・リターン』で、その次に『もののけ姫』の準備にかかった。そういう意味で『キッズ・リターン』は相当大事にしてつくった作品です。」

-北野監督はいつも音楽については、どういう指示を出されるのでしょう?

久石:
「全然ないんです。本当に、「今回、どうします?」って聞くと、「今までうまくいってるからいいんじゃない?」って答えしか返ってこないですから(笑)。逆に言うと、すごく怖い監督ですよね。こちらがよりどころにしておくことが欲しいなと思っても、ぽーんと「はい、映像は撮ったから、後は久石さんヨロシク!」みたいな感じであずけられるから、それはすごいプレッシャーですよね。

僕は各シーンの音楽よりも、「この映画にはこの音楽だ」という確信の部分がどう決まるかだけが大事なんですね。『ソナチネ』『キッズ・リターン』だったらどの音楽かということが確信としてあること。それは音楽もきちんと主張するということですよね。そういうつくり方をして、作品にきちんとなっているから、僕の音楽は通常の劇映画のサウンドトラックよりも、多くの方に聴いていただけるんだと思います。ほかの映画でも同じなんですが、きれいなメロディを書こうという気はないんですよ。メロディがシンプルに単音で弾いても、その映画の世界観が出るくらいのものというのが自分の理想なんでね。監督が意図した世界にぴったりしたものをどう探しあてるか、どういう世界観をもってつくるかということですね。注文に応じるだけではダメで、(音楽だけで)きちんと独立してその世界が成り立たなきゃいけないんです。」

 

追記-
久石譲氏のソロ作品の集大成ともいうべきシリーズ『WORKS I』では、『あの夏、いちばん静かな海。』と『ソナチネ』のテーマ曲が、ロンドン・フィルの力強い演奏による装いも新たなヴァージョンで聴ける。ベネチアで北野監督も「いや~壮大になったねえ」と喜んで聴いていたそうだ。98年3月に開催される長野パラリンピックで総合プロデューサーを務め、北野監督の次回作にも参加が決定している。「スティーヴ・ライヒの『ザ・ケイブ』じゃないけれども、ヴィジュアルを取り入れたシアターピースのような作品にチャレンジしたい」と、語られた久石さん。映画音楽にとどまらない、さらなる躍進が期待できそうだ。

[1997年12月3日東京・代々木にて]

(「キネマ旬報増刊 1998年2月3日号 No.1247」より)

 

 

Info. 2018/06/08 映画『羊と鋼の森』エンディング曲「The Dream of the Lambs」 久石譲&辻井伸行 初タッグ

山崎賢人(23)が主演する映画「羊と鋼の森」(監督橋本光二郎、6月8日公開)のエンディング曲で、日本を代表する音楽家2人が共演した。数多くの映画音楽を手掛ける久石譲氏(67)が作曲と編曲、ピアニスト辻井伸行氏(29)がピアノ演奏を務めた。

「羊と鋼の森」は、2016年本屋大賞で第1位に輝いた宮下奈都氏の同名小説、ピアノの調律に魅せられた一人の青年・外村直樹が、ピアノとつながる多くの人と出会い、成長していく姿を描く。山崎が外村、三浦友和が外村の人生を導く調律師・板鳥宗一郎を演じたほか、上白石萌音、上白石萌歌、鈴木亮平、仲里依紗、佐野勇斗(M!LK)らがキャストに名を連ねる。「orange-オレンジ-」の橋本光二郎がメガホンを取った。 “Info. 2018/06/08 映画『羊と鋼の森』エンディング曲「The Dream of the Lambs」 久石譲&辻井伸行 初タッグ” の続きを読む

Blog. 「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233」 もののけ姫 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/05

映画雑誌「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233 宮崎駿と「もののけ姫」とスタジオジブリ」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

本タイトルのとおり映画「もののけ姫」公開にあわせて刊行された臨時特集号になっています。スタジオジブリ刊行「ロマンアルバム」や現在シリーズ刊行中「ジブリの教科書」(文春ジブリ文庫)にも通じる、映画に携わる各スタッフのインタビューなども満載です。

また宮崎駿監督・高畑勲監督の巻末フィルモグラフィーでは、ジブリ以前のTVアニメの作画・演出の小さな(あるいは当時クレジットされていないかもしれない)仕事もきっちり網羅されています。その辺りも熱心に興味のある人は、両監督の書籍とあわせてフィルモグラフィーを照合してみるとおもしろいかもしれません。

ここでご紹介する久石譲インタビュー内容は、「ロマンアルバム」「ジブリの教科書」とも違う本誌のために取材されたものです。

 

 

 

スタッフ・インタビュー
音楽 久石譲氏に聞く

宮崎駿という大きな山をクリアしないと先に進めない

-映画も凄い迫力でしたが、透き通るような音楽も素晴らしかったですね。今回の音楽は今までのとは違うのでしょうか。

久石:
「宮崎さん自身が今回覚悟を決めていたように見えたんです。だからこの作品には通常のレベルの音の付け方では、とても追いつけないなと考えました。なぜ今、宮崎さんがこの映画を作るのか、宮崎さんの思想、バッグボーンを理解していないと音楽は作れません。といって、宮崎さんの思想を直接聞くようなことはせず、宮崎さんの著作や、宮崎さんが愛読した本を読んで、宮崎さんを理解しようとしたんです。」

-初めはこんな映画になると予想していました?

久石:
「ストーリーを聞くと今までとぜんぜん違うものだし、話している表情などを見ていると、これは相当な覚悟を決めているなというのがこちらにも伝わってくる。その段階ですでに、今回はフルオーケストラでいくしかないなと、こちらも覚悟したわけです。」

-どんなイメージで曲想を得たんですか?

久石:
「今度の映画は全世界公開も考えられているし、日本が舞台であるということをどうとらえるか難しかったんです。逆にいうと日本の和楽器をどう使ったらいいのかということ。異国情緒ではなくてね。」

-難しいところですね。

久石:
「ええ、イギリスだとアイルランド地方に、いい民族楽器があるんです。ところが日本の楽器はイメージが強すぎるんです。尺八がプァーと鳴っただけで、いかにも素浪人がバサーッでしょ(笑)。匂いが強いんです。一番大事だなと思ったことは、やはり日本が舞台であるがそれにとらわれると世界が小さくなる。ヒチリキチリキとか笙とかがあくまでオーケストラとブレンドできる範囲内で処理しました。それで”ディス イズ ジャパン”みたいなものはどんどん外していった。」

-すうーっと素直に耳に入ってきますよね。

久石:
「そうですか。今回ひとつ重要なのは、映像のダイナミックさを生かすために、曲の表現を抑えることによって精神世界を生かすということを重要視したんです。沈黙を作ることに気を使いましたね。」

-音楽を抑えるということですか?

久石:
「アクションシーンというのは激しい動きとバカでかい音の効果音が入ります。だから効果音とも良い関係を作る”間”ですね。すき間を作るといったらいいのかな。今回はスペクタクル・シーンが終わってから音楽が出るぞ、というスタンスを取りました。」

-今回の曲のイメージで特に難しかったところは?

久石:
「全部で40曲もあるんです。これは宿命的なもんだと思うんですが、アニメは実写映画に比べて1曲1曲がちょっと短いんです。「もののけ姫」は2分台が多かった。それでも40曲でしょ。ストーリーに合わせて音楽全体の構成をどうとるか、テーマ曲はどことどこに使うかと考え、全体を組むのが大変でした。」

-宮崎監督からイメージを説明するメモをもらったと聞きましたが。

久石:
「最初にイメージアルバムを作る時に、10個程の言葉をもらったんですが、まずタタリ神(笑)、犬神モロ、あとはシシ神とか、ね。」

-えっ、それだけなんですか?

久石:
「さすがにこれだけではまずいと宮崎さんも考えたんでしょう。後で自分の想いを書き綴ったのをいただいたんですが、その言葉が素晴らしくてね。特に「もののけ姫」という詩は読んだとたん、これは歌になると思って、勝手に曲をつけちゃったんです。宮崎さんは聞いたとたんに驚いちゃってね。」

-久石さんから見て、宮崎さんはどんな人ですか?

久石:
「宮崎さんは絶えず一歩前を歩んでいます。だから僕がやらなければいけないことは、僕は僕なりに音楽家としてきちんと成長していかなければいけないってこと。再び仕事で会ったときに、自分はここまできたのかという気持ちになるんです。僕にとってはこれをクリアしないと先に進めない大きな山なんです。今度「もののけ姫」をクリアしたから、あと3年は大丈夫でしょう(笑)。私にとってはとても大事な人ですよ。」

-曲の制作中は大変でしたか。

久石:
「ええ、徹夜がずうっと続いていて、朝方にならないと帰れませんでしたね。でも俺がきついなと思ったことの数百倍も宮崎監督はきつかったでしょう。」

-この後の久石さんの活動はしばらく休みですか?

久石:
「いやいや、今は北野監督の映画の曲制作に入っています。それと来年パラリンピックがあるんですが、開閉会式の演出と総合プロデュースもやるんです。僕は以前から五十歳で引退しようと考えていたんですが、宮崎さんは司馬遼太郎の死に様を見て、ああやって生きればいいんだと、納得された。僕はそういう宮崎さんを見ていて、自分の方向性が見えたような気がしています。」

(「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233」より)

 

 

本号には久石譲インタビューにつづけて米良美一インタビューも掲載されています。一部抜粋してご紹介します。

 

 

~中略~

米良:
「~中略~ 私のことは、宮崎監督がラジオで私の歌を偶然聞いて、決めたということです。」

-そのときは詩もできていたんですか。

米良:
「ええ、詩も曲もできていました。そして翌年に音楽の久石さんと顔合わせということでうかがったところが、そこでテスト・レコーディングしてみましょうということになって。次の日にはもうレコーディングになってしまったんです。本当はレコーディングは3月と聞いていたんです。だから心の準備がまだできていなくて(笑)。でもそれがかえって新鮮で、歌い込み過ぎず、初めてなにかに触れたときの感動みたいなものを保ちながら歌えました。」

-その状況へ行くまでに、歌に対するアドバイスはなかったのですか?

米良:
「監督も忙しいですし、私も日本にいなかったんです。レコーディングのとき、私はいろいろと悩んでいたんです。どういう気持ちで歌っていいか判らない。私一人の個性を表現することはたやすいことですが、主題曲は映画のなかの一つの部品ですから、強すぎる個性ではいい映画もだめにしてしまうんです。逆に空気のようにただあるという存在では、私がいやなのです。これは誰の気持ちで、どういう立場で歌ったらいいのかと悩んでいたんです。前日のテストのときも悩みながら歌っていて、でも誰もわからない。そしたらレコーディングの日、監督が見えて、「これはね、アシタカがサンに対する想いを歌った歌なんですよ。米良さんが思ったように歌ってください」とおっしゃってくださって、肩の力がすーっと抜けたんです。」

-最初に詩と曲をもらったときはどう感じました。

米良:
「短い詩なんですよ。ところが監督は1番しか書けないとおっしゃる。この歌は1番で完結しちゃっているんですね。この詩には美辞麗句もメッセージもないんですが、私の胸の中にすんなり入ってくるんです。詩の中にはこの映画の意味がすべて含まれていました。」

(「キネマ旬報 臨時増刊 1997年2月3日号 No.1233」より)

 

 

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Blog. 「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/03

映画情報誌「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」に掲載された久石譲インタビューです。なお、本記事は本分に欠落部分があったため「キネマ旬報 1996年12月上旬号 No.1207」にて後半部を完全なものを再掲載したという経緯があります。ここでは両誌をまとめて完全版としてご紹介します。

ソロアルバム『PIANO STORIES II -The Wind of Life-』の楽器編成の話から、『もののけ姫 イメージアルバム』についてなど盛りだくさんな内容になっています。

 

 

SOUNDTRACK HOUSE INTERVIEW

取材:賀来卓人

常に第一線にいる危険な作曲家でありたい

久石譲が走っている。一昨年の大林宣彦監督作品『女ざかり』を最後に、スクリーンから遠ざかってファンをヤキモキさせた才人が、北野武監督の『キッズ・リターン』で復帰したのが今年の夏。それに前後してオリジナル・ソロアルバム『銀河鉄道の夜』、来年夏の大作『もののけ姫』のイメージアルバムを同時にリリース。さらにこの秋にはヒット・アルバムの続編『PIANO STORIES II -The Wind of Life-』の発売に加え、全国約20ヶ所をまわるコンサートを準備中と、猛烈な活動が展開しつつある。”僕らの時代の終焉”を叫んで迎えた充電期の真意は、そして、そこから得たものとは、何だったのか。新たな野心に燃えた彼に、じっくり聞いた。

 

この10年間で初めてだった台本のない生活

久石:
「映画でいうと『風の谷のナウシカ』以来ですか? ずっととぎれることなくやってきて、それは並行して自分のソロ活動を続けてきて、どこか自分の中で立ち止まらなければいけないという気持ちがあったんですね。もちろん、立ち止まったからといって結論が出るものではないし、出るわけがない。そういう意味では、忙しい仕事をして日常を埋めていく方がよほど楽なわけです。では立ち止まるとはどういうことかといえば、これはもう音楽家が音楽をやらなくなったら日常をどう過ごすか、ということ。一応、音楽プロデュースとかレコーディングとかの映画以外のものは続けていたことは続けていたんです。ただ、自分がそれまで重要にしていたソロアルバムや映画を1年間全くやらなかった。精神的な葛藤というかプレッシャーはあって、相当キツかったというのが本音です。」

-離れてみて初めて見えたと?

久石:
「ええ。映画はもう生活に染みついてるんですね。映画をやらないことがどんなに自分にとって苦しいことか分かりました。実はハリウッドからの話もあったんです。それは煮詰める必要もあったし、何よりも今までの日常のルーティーン・ワークから外れてみたいという、そんな気持ちが強かったんですね。」

-『キッズ・リターン』が映画復帰の直接のきっかけになったんですか?

久石:
「武さんの話と宮崎さんの『もののけ姫』がほぼ同時に来たんです。去年の秋ごろですか。それで「う~ん、これ以上わがままは言えないぞ」と(笑)。映画は独特の世界で、やり方を忘れちゃうというか、あまり休んではいけないので、テレビの仕事をやったりしてたんですが、現実にその二つが来た。作家はわがままなもので「こういうものは人に渡したくない」と思うじゃないですか(笑)。それもあって、そろそろかなと。」

-やはり久石さんが生来持ってらっしゃる映画好きの性がそうさせた節もあるのではないですか。

久石:
「ありますね。台本のない生活ってやったことなかったんですよ、この10年間。だからビックリしました。スヌーピーでいうとライナスの毛布みたいなもので、「ああ、自分が映画音楽をやってないって、こういう感じなんだな」と。新鮮を通り越して怖くもありましたね(笑)。逆に今は、映画をやっていられる喜びを客観的に考えられますね。そういう意味では『キッズ・リターン』はすごくいい映画だったし、宮崎さんの『もののけ姫』もホントにスゴイですから。だから前にも増してやりがいを感じています。」

-個人的には、久石さんのためにそういう舞台が何か自然と用意されていたような気さえします。

久石:
「もしそうだとしたら、うれしいですね。今年は不思議な縁で、1998年の長野のパラリンピックの総合プロデュースも引き受けることにもなって。もういろんなものがゴチャンと来て「これでしばらく走らなきゃ」と思ってるんです。」

 

今までで宮崎さんの存在が最も大きかった時期

久石:
「去年というのは、作曲家として音楽を作っていくという意味が見えなくなってた時期なんです。単にいいメロディを書けばよしというのは、もともと現代音楽をやっていたせいもあって、個人的にはそれでは納得できないわけです。じゃあ自分の原点では、自分が音楽を作り続けるというのは一体何なのだろうと、そこへハマっちゃってね。例えば宮崎さんはすごく自分の作品に対していいポジションをとってらっしゃる。今までの中で宮崎さんの存在が最も大きかった時期でしたよ。これまで僕は都会生活者の漂流感覚みたいな、いわゆる根無し草的な人間像に固執してソロアルバムを作ってきた。つまり世紀末感と一緒になったね。しかし、こんな時代や社会が堕ちてしまったら、そんな漂流感ではなく、もっと夢のあることをしなければいかんのだと、すごく思ったのが正直なところです。で、ニヒリズムに走らない夢のあることを考えていったら、宮崎さんがそれをずっとやってる。それがすごくショックだった。だから、宮崎さんが愛読されてきた堀田善衛さんとか司馬遼太郎さんの作品を読んだりしましたよ。もはや宮崎さんはアニメの作家というよりは時代のオピニオン・リーダーでしょう。それを宮崎さんは望んでいないんだけれど、ああやってキチンと日本を見つめて発言できる人が少なくなってきている。そんな人が自分のそばにいて仕事を一緒にできる。すごく幸せな反面、僕は僕の視点を持たなければいけない。それがやっと分かってきたということです。」

-この秋のコンサート・ラッシュにも何かつながってくるものがありますか。

久石:
「結局、自分の原点を確認するためのものですね。ハッキリ言って。11月のはアンサンブルでやるんですが、これが大事なんです。僕と弦楽四重奏、コントラバスにマリンバに木管という編成ですが、これは何をやりたいかというと、ミニマルをやるための編成なんです。もう僕の原点というか総決算で、大変な内容になりそうですね。オーケストラで、こちらもミニマルをやろうと思ってる。今までのメロディ主体の音楽もやりますが、同時に今の時代に対して自分にしかできないことを明確にしたコンサートをやろうと。《DA・MA・SHI・絵》なんて僕の曲は5拍子で、これをオーケストラでやるとなると、180何小節もあってリズムが命だし、とてもできるとは思えない。思えないけど、やめちゃうよりは悪い結果が出るだけでもハッキリする。だからやるべきなんですね。」

 

今後10年間をどう生きるべきか

-そういうコンサートへの意気込みは、例えば『PIANO STORIES II -The Wind of Life-』という新しいソロアルバムにも顕著ですね。一昨年の取材の折にはピアノ主体でシンプルに徹するという話でしたが、実際には弦に重きを置いた音楽になってます。

久石:
「難しかったんだよね。それまでガッチリとコンセプトを組んできたんだけれど、最後の最後で自分を信じた感覚的な決断をしたということです。あの弦の書き方って異常に特殊なんです。普通は例えば8・6・4・4・2とだんだん小さくなりますね。それを8・6・6・6・2と低域が大きい形にしてある。なおかつディヴィージで全部デパートに分けたりして……。チェロなんかまともにユニゾンしているところなんて一箇所もないですよ。ここまで徹底的に書いたことは今までない。結果として想像以上のものになってしまって、ピアノより弦が主張してる……ヤバイ……と(笑)。」

-それは基本を踏まえた上での久石さんのさらなる欲の表れでは?

久石:
「僕は戻りって性格的にできないし、オール・オア・ナッシングなんですね。時代って円運動しながら前へ進んでいると思うんですが、自分にとってのミニマルとか弦とか、原点に立ち返るというのは前に戻るのではなく、そのスタイルをとりながら全く新しいところへ行くことだと。そうでなければ意味がない。単なる懐古趣味に終わってしまうでしょう。ピアノというコンセプトでソロアルバムを作るということに変わりはなかったけれども、思い切りターボエンジンに切り替える必要があったわけです。」

-コンサートも含めて、単なるアイデンティティの確認の場ではないと。

久石:
「やっぱり、今後10年をどう生きるかということだよね。何かを引きずりながら次へと進んでいくようでは生き着けないんです。そのために断ち切らなければいけない部分と、まるで学生のように一から練習し直して自分を鍛え直さなければいけない部分がある。それをこの1、2年やってみて、考え方や技術を含めて、やっと可能性が見えるところへ行き着けたかなと。別の意味でスタート・ラインにつけたんじゃないかな。」

 

宮崎監督のためだけに作った『もののけ姫』

-『もののけ姫』のイメージアルバムを聴くと、そういった久石さんの燃え上がる魂が感じられますね。

久石:
「作るのに6ヶ月もかかっちゃったんだよね。予算は飛び出すわ、ソロアルバムより時間がかかるわで(笑)。でもあれって、たった一人に聴いてもらうために作ったんですよ。だからCDなんて出なくてよかったんだよね。」

-それは宮崎さんのことですか?

久石:
「そう。宮崎さんが聴くこと以外は何一つ考えなかった。宮崎さんが早く聴きたいって望んだ、じゃあ作りますっていう非常にシンプルな関係なわけ。それと半年という期間は、『ナウシカ』以来の良い面もあるけどそうじゃない部分も含めたいろんなものを洗い流す意味で必要な時間だったんだよね。ただ、僕が宮崎作品のために書いてきた音楽を聴いてきた人からすると、何か不満みたいね。」

-不満、ですか。

久石:
「愛とか感動とかロマンとか一切感じないでしょう。だから宮崎さんもすごく戸惑われたと思う。ただ、よく分かってる人達からは「ついに新しいところへ行ったね」と言われましたね。『もののけ姫』のイメージアルバムは僕にとってかなり大きかった。自分という人間をすごく考えましたね。」

-胡弓や琵琶といった楽器が絡んできてますが、この辺りの感触は?

久石:
「宮崎さんはああいう和楽器を使うことは望まれてなかったんです。和楽器って難しいの。例えば尺八がポーンと鳴ると、それだけで世界ができちゃうでしょ。そうするとそのクサ味みたいなものが嫌われる。大体作家の方は嫌いますね。武さんの作品にも実はエスニックなアフロヴォイスをいっぱい入れたんですよ。でもほぼカットしてしまいました。」

-わずかに残ったあのヴォイスがギリギリだったんですね。

久石:
「ギリギリだね。宮崎さんの場合の和楽器も一度途中で聴いてもらったら、「あの和楽器が……」と真っ先に言われましたね。いわゆるクサ味のある楽器以外は残しましたけどね、結局。」

 

日本人であること、チャレンジャーであること

-その『もののけ姫』のイメージアルバムのコメントにもありましたが、「日本的なものを目指す」というのが久石さんの新しさの一つだと思うのですが。

久石:
「そのスタンスというのは、今年の頭にパラリンピックのメインテーマを作ったときにすごく考えたのね。パラリンピックは日本では有名ではないですが、世界的には国際的なイベントなんです。そこでキチンと世界に向けて言える音楽って何だろうと考えたときに、すごくドメスティックなことが逆にインターナショナルになると。そこへやっと行き着けた。その辺りのやり方が今一番納得できるし、これをそのままキチンと出していかなければならない。日本の政治も映画もアイデンティティを失ってますよね。なかなか方向を定められないんです。何かほかに道があるのではと視点がいつも揺れてる。一つ方法を決めたらどんなに苦しくてもそれをやり通すこと。それが今の日本に必要なことじゃないかな。」

-その気迫が『もののけ姫』の迫力の正体ですね。

久石:
「途中でかなり悩んだんです。「間違ったかな」と思うこともあった。だけど「僕はこれで作る」と宣言したんだから変えなかったんです。その作家としての姿勢を貫けるかどうかで半年かかった気がしますね。」

-私事ですが、堀田さん、司馬さん、宮崎さんの鼎談集『時代の風音』に非常に啓蒙されたんです。

久石:
「僕も2、3回読みました。」

-あのお三方はインターナショナルであることが、あるいはその前に、日本人であることにこだわってらした。そういった部分から駆り立てられるものが、今の久石さんにも感じられますが。

久石:
「あの本を読んだ結果、日本の歴史の本をずいぶん読みました。そうして思ったのはやっぱり日本人ってカッコイイやと。平家の時代の人って海洋貿易の先駆者じゃないですか。信長だってポルトガルのとんでもない服を着て戦争やってたわけでしょ? ということは日本人って進んでたのね。おかしくなったのは明治以降でしょう。僕らが何か日本って嫌だなあと思ってることは、実はたかだかこの100年くらいの話かと気付くわけです。台湾へ自分のコンサートに行ったときに、ある記者に「あなたはヨーロッパ人になりたいのか」という挑発的な質問を受けたのね。でも、「僕は日本人は大好きだけど、日本という国は大嫌いだ」と答えたんです。それは宮崎さんの本に出てくるけれども、それが借りてきた言葉でなくて、自分の気持ちとしてキチンと言えるようになったらいいよね。」

-そういった意識の変化を含めて、久石譲はやはりニュー久石譲へと大きく変わったんでしょうか。

久石:
「変わってないと思うんですよ。いつも楽じゃない道を選んできた僕は一昨年も、そして今もまた楽じゃない道を歩こうとしている。そういう意味では変わってない。でもそれは言い方は変だけど、新しいことだと思うんです。つまり巨匠と呼ばれるよりは、常に第一線にいる危険な作曲家でありたい。いつも一等賞をとれる位置にあと5年はいるぞと。僕のことをベテランなんて書く奴がいると、バカヤローと思う。まだ何もやってないのに何がベテランですか。僕なんかこれから何を書くかわからないんですから、そういう意味ではいつでもチャレンジャーの側にしかいないと思うんです。」

 

インタビューではもう一本の新作『パラサイト・イヴ』への意気込みも熱く語られた。作家としての模索を経て、あくなき情熱と気力を得た名手は、果たしてこの世紀末にどのような夢と活力を銀幕にたたき込もうというのか。期待は募るばかりだ。今、久石譲が走り始めた。

(「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」「キネマ旬報 1996年12月上旬号 No.1207」より)

 

 

 

Info. 2018/03/02 長野市芸術館 2018-2019 公演カレンダー 発表

平成30年度(2018年度)長野市芸術館 主催/共催事業ラインナップが発表されました。2018年4月から2019年3月までの公演カレンダーです。

もちろんそのなかには「長野市音楽フェスティバル アートメント NAGANO 2018」も含まれています。ここではピックアップしてご紹介していますが、盛りだくさんの年間コンサートスケジュールぜひその全貌は公式サイトをご覧ください。 “Info. 2018/03/02 長野市芸術館 2018-2019 公演カレンダー 発表” の続きを読む

Blog. 「キネマ旬報 1995年2月下旬号 No.1154」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/01

映画情報誌「キネマ旬報 1995年2月下旬号 No.1154」に掲載された久石譲インタビューです。当時発表したアルバム「Melody Blvd.」の話や映画業界の話、なぜこの時この作品を発表したのか。貴重な足跡が紐解ける内容になっています。

 

 

サントラ・ハウス・スペシャル
久石譲インタビュー

「もう僕らの時代は終わった」
それを早く認め、今は学ぶべき時

取材・構成 賀来卓人

映画音楽家として最も脂の乗った時期にあるはずの久石譲の94年は、大林宣彦作品「女ざかり」の音楽監督のクレジットのみに終わった。ある種の選曲主体のアプローチを前に、新たな久石メロディの発掘に身構えたファンは、少なからず寂しさを覚えたはずだ。果たして動向が注目される95年初頭、彼のニューアルバムが発売された。いみじくも「メロディ・ブールバード」と題されたこの一枚は、過去彼が作曲した映画、TVの主題歌、主題曲を再アレンジ、これに英語詞を加えたユニークなボーカル・ナンバー集となっている。カバーアルバムと呼ぶにはあまりに遠いポップ感に満ちたここには、実はというかもちろんというか、聴き手のさまざまな憶測を補ってあまりある人気作曲家の情熱が隠されていたのだった。

 

10年分の区切りを付ける…作るべくして作ったアルバム

久石:
「このアルバムの前に「地上の楽園」というアルバムを作ったんですが、これが2、3年もかかった労作でして。もう一枚今年中に作らなきゃならないといったときに、とにかく軽いものにしおう、気が楽なものにしようと思って(笑)。で、今年はすごくボーカルに興味があったんですね。「地上…」もボーカル曲が多かったし、じゃこれまたボーカルでいこうと。ただ映画音楽をリアレンジした程度だと面白くない。映画で作ったメロディだけど全く違うものになるような、つまりインストゥルメンタルである映画音楽に英語の詞を付けることによって全く別の曲に仕上げるという……。映画のシーンが思い浮かばない、それでいてメロディだけが際立つような、そんなボーカル・アルバムに仕上げたかったんです。」

-ズバリ、タイトルが「メロディ・ブールバード」。いわゆるメロディ作家としての久石さんの自信作みたいなものがそこはかとなく感じられるんですが。

久石:
「これは後付けというか、結果論的な言い方になっちゃうんだけどね。94年というのは「風の谷のナウシカ」が公開されてちょうど11年目になるわけです。84年以前の僕は前衛的なことをやってまして、メロディ作家と言われたのはその後なんですね。そのメロディメイカーと言われた10年分の区切りを付けるというか……。作るべくして作ったアルバムですね。あとはやっぱり1994年スタイル。アップ・トゥ・デイトなものをやりたかったんです。単なる企画ものでなく、ソロ・アルバムの中に組み込みたかった94年の音がしていないと意味がない。それにはこだわりましたね。」

-その区切りとはメロディ作家としての集大成を指すものなのでしょうか、または今後の決意表明なのでしょうか。

久石:
「今までの集大成であって、また吐き出すことによって新たな出発となるということですね。それが同じ方向か分からないけど、区切りは付けようとね。」

-久石さんのボーカルものとなると少し前の『冬の旅人』(「illusion」内収録)が思い出されますが。

久石:
「マズイ……(笑)。」

-ご自身で歌われたあの曲は別にして、ミニマルからメロディ指向に来て、それで今回のボーカルへと至る久石さんの流れはどう受け取れば良いのでしょうか。

久石:
「やっぱり過渡期なんですね、今の僕は。2年前の「My Lost City」というアルバムのときはピアノと弦だけですごいシンプルなものを作ったんです。ところが掘り下げちゃったんです。あの方向でやると次はピアノ・コンチャルトをやるしかない。でも僕は本来ポップス・ミュージシャンなんだから、そうするとポップスの道から逸脱しちゃう気がしたのね。だからそれをもう一回戻す作業が必要だったんです。まだ全然過程ですけどね。次は全部書き下ろしでやらなきゃいけないですよ。ただ自分は同時にピアニストでもあるから、もう少しピアノの世界を煮詰めたいとも思ってます。6年前に「Piano Stories」というのを出したんですけど、あの第2弾をきちんと作りたいなと。一つ目は作るのに3年かかったんですよ。つまりシンプルにやるってのはすごく難しいんですよ。今はピアノの腕も上がっていて、よりエモーショナルになっていると思うんですが、それを一番シンプルなメロディを歌わせるという原点に戻ることで、いいアルバムに仕上げたいと思うんですね。」

ーそういう姿勢というのはどういう意識から?

久石:
「やっぱり40過ぎて日本アカデミー賞を3回いただいたりしちゃうと、巨匠の道を歩み出すんですよ。だけどそれは絶対に嫌だし興味がない。むしろ変に先生と呼ばれるよりは15歳の女の子が歌う曲を真剣に書いて「よくやるよ」と言われる方が絶対カッコイイと思うんだよね。20代のころを思えばもとはマイナーだったし、そこに戻るには当然だと思ってる。」

 

絶対にすごい形で映画の世界へ戻ってきたい

-94年はTV中心の年だったという印象が強いのですが。

久石:
「正直言うと、ちょっと映画に苛立ったというのがありますね。ここ数年間たくさんの映画をやらせていただいて、本当に頑張ってきたんですよ。はっきり言っちゃいますけど、僕としての最大のフェイバリット・ムービーは「ソナチネ」なんですね。宮崎さんのは別格としてね。ああいうシンプルで感情を移入させない音楽を書くというような、そういうのをやってすごく勉強になった。一方で大林さんの「水の旅人」では3分40秒のシーンで60ヵ所も動きに合わせたりね。技術的にある種のピークまで行ったんじゃないかと思ってますよ。もちろんまだまだ勉強しなければならないことはあるんだけれども、今の日本映画にこれ以上付けても、この技術って意味ないなって、少し思ったんですね。例えば5億10億で作る映画に85人編成をぶつけても音量を下げられるだけで、何も返ってこない。映画自体の批判ではなくて、そういう状況的な問題ですよね。現実に94年の日本映画のラインナップを見て、「本気?」って思ったね。これなら自分の出番はないし、自分のソロ・アルバムの活動をやる時期じゃないのかなと思ったわけです。やっぱり「ナウシカ」から10年やってきて、映画を冷静に見る必要があるなというそんな気がしましたね。そこへTVも自然に入ってきたんですよ。」

-94年は「パラダイスロスト」という小説も出版されてますね。そんな活字での姿を含めて、一見休んでいるかに見える映画の世界に久石譲が次に戻ってきたときに、一体どのような形になって戻ってくるのかという期待があるのですが。

久石:
「あのね、絶対すごい形で戻りたいと思う。実は来年の映画を一本断ったんです。それだけの覚悟があるんです。それくらい映画が好きなんですよ。好きだからこそ、中途半端にやらない方がいいという気が今すごくしてる。次は少なくとも音楽の分野でここまでやれるということをしたいんですね。」

-それは具体的にはどういうことですか。刺激する何か特別なこと、例えば外国映画をやったりするとか……。

久石:
「それもあります。あるいはもう一回本の方ができたら、今度は映像になるような原作を書きたいよね。技術的なことなら僕はまず環境ビデオを作りたい。カメラが動かない映像で、でもあまり前衛的にならないような。例えば「Piano Stories」に映像を付けるという話もありますし。映像というのは多分95%以上技術だと思うのね。美術、音楽といった技術のプロが集まって一つのものに向かうじゃないですか。それを把握していないとダメですよね。外の分野から来た監督が失敗するのはそのせいです。そういうのを死ぬほど見てきているから映画に関して安易に自分が撮りたいとか、そういうことは一切言う気はないけども、自分が考えることを音楽だけで関わっていても厳しいかなとは思うときがあるんですよ。」

-それはつまり映画監督を……

久石:
「やりたいね、機会があったら。」

-では、そこへ行くまでの久石譲の映画音楽家としての機能は?

久石:
「分からないね。本当にいいものであるならやりたいよね。燃えるものを。」

-ではそれだけのものが来ない限り、映画音楽家、久石譲はないと?

久石:
「いやいや、そんな大げさなものじゃないんですけどね。ただあえて言うなら、もう僕らの時代は終わったということですね。僕を含めた僕より上の人は全部終わったと思ってほしい。音楽もそうですが、もう自分たちがいいと思ったものがそのままウケてた時代は終わったんです。それは何で感じたかというと、やっぱりたけしさんがああいうことになって表立った活動をしなくなったときに、ダウンタウンやtrf、ミスター・チルドレンなんかが出てきた。それで自分の基準イコール大衆であるという考えはなくなったのね。それを早く認めちゃうことによって、今度は勉強するんです。なぜtrfはウケるんだ、とか(笑)。映画の人たちは15歳の子が何を望んでいるのか、家に帰って子供と会話してみるところから始めないと変わんないじゃないかって(笑)。冷たい言い方ですけど。」

-では久石ファンにはどう伝えればいいのでしょうか。「久石譲は生まれ変わって帰ってくる」ですか?

久石:
「(笑)。そうですね、ちょっと充電期に入ったから、休んだ分だけ次はとんでもないことをやりたいですね。「地上の楽園」を3年かけて作ったときはやっぱり自分の中で吹っ切れたしね。そんな「地上の楽園」に匹敵するような映画を次はやりたい。あるいはそれを超えるものをね。」

-そういう気持ちの出発点がこの「メロディ・ブールバード」になると?

久石:
「そういうことにもなりますね。だといいと思います。」

ポップス・アルバムの装いをした映画音楽の提言、といえば言い過ぎか。しかし軽やかなリズムの中には、我々の想像をはるかに超えてヒットメイカーの異端児の部分が脈打っているようだ。いつの日か、新たに出てくるであろうニュー久石譲を迎えるために、この新作アルバムをしかと耳に入れておいてほしい。

(「キネマ旬報 1995年2月下旬号 No.1154」より)

 

久石譲 『MELODY BLVD』

1. I Believe In You (映画「水の旅人」より / あたなになら)
2. Hush (映画「魔女の宅急便」より / 木洩れ陽の路地)
3. Lonely Dreamer (映画「この愛の物語」より / 鳥のように)
4. Two of Us (映画「ふたり」より / 草の想い)
5. I Stand Alone (映画「はるか、ノスタルジィ」より / 追憶のX.T.C.)
6. Girl (CX系ドラマ「時をかける少女」より / メインテーマ)
7. Rosso Adriatico (映画「紅の豚」より / 真紅の翼)
8. Piano(Re-Mix) (NHK連続テレビ小説「ぴあの」より / ぴあの)
9. Here We Are (映画「青春デンデケデケデケ」より / 青春のモニュメント)