第11回:「祝福したい関係」—後編

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第11回:「祝福したい関係」—後編

久石譲の初ソロアルバム「インフォメーション」は、1983年にジャパンレコードから発売された。

ジャパンレコードは、現在の徳間ジャパンコミュニケーションズの前身で、徳間書店を中心とした徳間グループの一角。その徳間グループがメディアミックス型で進めていたのが、雑誌「アニメージュ」で宮崎駿監督が連載していた漫画「風の谷のナウシカ」のアニメーション映画化だった。

このプロジェクトの一員だったジャパンレコードの担当者が、「ナウシカ」に音楽面から参加するため、無名だった久石を推薦することを思い立つ。

これが、宮崎監督との出会いのきっかけだった。

すでに著名だったある作曲家がサウンドトラックの「本命」にほぼ決まっていたため、久石はイメージアルバムへ推薦される。

宮崎監督とプロデューサーと務めていた高畑勲は、久石の名前も知らず、音楽を聴いたこともなかった。ミニマルを中心とした久石の音楽を資料用に渡された高畑は、当時を振り返り、「ほしいと思っていたエスニックな“根っこ”からはほど遠く、あまり参考にならなかった。大丈夫かなと思った」と語る。

今では、宮崎・久石コンビの重要な創作モチーフとして重要な役割を果たしているイメージアルバムだが、「ナウシカ」製作委員会は公開前に映画を盛り上げていく材料に使おうとしていた。どうやら、久石は「失敗もアリ」の状況で実験的に起用されたのが真相のようだ。

一方の久石も、「さすがの猿飛」などのテレビシリーズで音楽を担当したことはあったが、映画音楽は経験がなかったうえ、宮崎監督の作品を観たことがなかった。

そうして83年夏、お互いのことをほとんど知らないまま、久石と宮崎監督、高畑の3人は東京・阿佐ヶ谷の「ナウシカ」準備室で初めて出会う。机が一つか二つのがらんとした部屋には、イメージ画だけが何枚も張られていた。

監督は、あいさつもそこそこに、絵の説明を始めた。音楽の話はなく、自分がやりたい映画について、熱心に語るだけだった。

久石は、監督の情熱に驚かされながらも、すぐにその姿勢に胸を打たれた。「すごく優しい、いい人だ。本当にのめりこんで、真剣に取り組んでいるんだと思った」(久石譲著「Iam」より)

高畑監督が振り返る。「あの時点で、久石さんは燃えたと思う」

打ち合わせ後、久石のもとに、監督から「腐海」「メーヴェ」など、イメージを言葉にしたキーワードが届いた。久石は、これらをもとに、作曲に取り組み始めた。

この頃、頭の中が音楽で溢れ、創作意欲に満ちていたという久石は、「曲作りで苦労した覚えはない」というほど、次々とモチーフを生んでいった。「楽器に触れさえすれば、すべて音楽になったといっても過言じゃなかった」

テーマ曲である「風の伝説」も、朝起きてピアノに座り、30分ほどで作られた。本編を担当することが決まっていなかったため、ストーリーを意識する必要がなく、音楽に没頭できたのも幸いした。

こうして、「ナウシカ」のイメージアルバム「鳥の人」が完成。宮崎監督と高畑はこのアルバムがいっぺんで気に入った。特に、メロディーの秀逸さに2人は心を奪われた。

これが、久石には意外なことだった。

稀代のメロディーメーカーとして知られる久石も、当時はドラムの音をどう鳴らすか、シンセサイザーの音色をどうするかといったサウンドにこだわっており、自分のメロディーに魅力があることに気がついていなかった。

「底に流れているメロディーの温かさがいい。新しくも古くもない、時代を超えた音楽ですね」──監督が久石に言った言葉は、「ナウシカ」のテーマでもあった。

視聴用テープを繰り返し聴きながら、監督は絵コンテを書き続けた。気がつけば、頭の中は久石の音楽でいっぱいだった。

答えは、決まった。「本編も、久石さんにお願いしたい」

ところが、製作委員会はこれを拒否。映画の興行的成功のために、知名度を優先する声は根強かった。

この時、久石を起用すべく熱心に説得して回ったのが、高畑だった。「必要な複雑さに到達しているイメージも、分解すれば、単純明快な要素の組み合わせであり、感情の表出は直接的であるよりは、情況の中で支えられる必要がある」(高畑勲著「映画を作りながら考えたこと」より)──アニメーション・ファンタジーにおける音楽の理想をこう考えている高畑にとって、久石の登場は、まさに待望久しいものだった。

公開を翌年3月に控えた83年の年末まで人選は難航したが、高畑による根気強い説得の結果、製作委員会はこの提案を受け入れた。久石は「高畑さんが先頭に立ってくれたと後で聞き、本当に嬉しかった」と語る。

こうして、久石は「ナウシカ」で初めて映画音楽に挑むことになった。

高畑が振り返る。「監督と作曲家は常に緊張関係にある。どんな音楽が返ってくるか、いつも心配。だからこそ、2人のようなコンビが生まれたことは幸せだと思う。祝福したい関係ですよ」(依田謙一)

(2004年3月22日 読売新聞)

 

コメントする/To Comment