Disc. 久石譲 『Prime of Youth』 *Unreleased

2010年 委嘱

 

2010年11月5日~2011年1月16日開催「久石譲アジアツアー2010」にて初演(東京/大阪/韓国のみプログラム)。

■Prime of Youth
2010年、大阪青年会議所のピース・カンファレンス・オブ・ユース事業のテーマソングとして書き下ろされた。ファンファーレのように高らかに鳴り響く冒頭と、それに続く8分の11拍子の変拍子のリズムから紡ぎだされるミニマル・ミュージックとシンフォニックな響きが特徴的な作品。

 

 

2015.11. 追記

2015年12月11日開催「久石譲 第九スペシャル 2015」にて、「Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~」の第3楽章に組み込まれる。合唱編成をともなう加筆と修正によって新たに改作されている。

 

 

Disc. 久石譲 『海洋天堂 / Ocean Heaven』 *Unreleased

2010年 中国公開

 

2010年公開 映画 「海洋天堂」
監督:シュエ・シャオルー 音楽:久石譲 出演:ジェット・リー ウェン・ジャン 他

日本公開日:2011年7月9日

2012年DVD化
サウンドトラック未発売 未CD化作品

 

父と子の絆を描く感動のヒューマンストーリー。また親子愛のみならず男女愛、隣人愛、友情までと様々な愛情を映し出す作品。

リアリティさと海や水中を描く映像のコントラストが美しい。そして映像に共鳴するかのような音楽の寄り添いもまた美しい。主張しすぎず、涙腺に訴えかけすぎない配慮のされた奥深い音楽。それはクラシックの印象派のような表現。

ピアノやハープの細かい音の粒が母なる生命=海を感じさせる。そしてそれはあらゆる生き物の力強い生命力や息吹までも感じることができる。

劇中音楽はさほど多いほうではないが、それが作品のリアリティさを増し、海や水中を表現しているシーンに、効果的にこのメインテーマが響いている。ピアノやハープが旋律を織りなし、いつしかストリングスに旋律が移るなか、ピアノの細かい粒たちは、そのバックグランドとして奏でつづける。フルートやオーボエなどの木管楽器も絡み合いながら、フルオーケストラの広がりと深み、あらゆる生命体が共鳴し光り輝くようである。

メインテーマはまさに海を象徴しているものであり、同じく生命の尊さ、愛おしさを美しく表現した名曲。一度聴いただけではメロディーを覚えられそうにないところにこの楽曲の肝があり、主張しすぎない、印象派のような、1枚の絵画のように、楽曲全体として聴けば聴くほどに深く心に入ってくる。

作品全体をとおしても、悠々としたピアノやストリングスの旋律が美しく寄り添っている。緻密で繊細なオーケストレーションが、生命の愛おしさを感じさせてくれる。愛に溢れた音楽、ぜひともCD化してほしい作品である。

 

 

またメインテーマ曲に歌詞をつけたボーカルバージョンも存在する。

《海洋天堂 (「海洋天堂」电影插曲) 》
作词:许朔
作曲:久石让Joe Hisaishi
演唱:桂纶镁

原曲のイメージを崩していないオーケストラによる伴奏だが、久石譲が編曲も担当したかどうかは不明。

 

 

海洋天堂 DVD

 

海洋天堂 ポスター

 

Disc. 久石譲 『パン種とタマゴ姫 サウンドトラック』

2010年11月20日 CD発売 MDG-R-00007

 

2010年11月20日より、三鷹の森ジブリ美術館にて公開

三鷹の森ジブリ美術館 ジブリの森のえいが
『パン種とタマゴ姫』 上映時間 11分37秒
原作・脚本・監督:宮崎駿 音楽:久石譲

 

『ラ・フォリア』ヴィヴァルディ / 久石譲 編
指揮:久石譲
演奏:三浦ストリングス
コンサートマスター:三浦章宏

 

同美術館のショップ「マンマユート」でのみの販売されている本作サントラ盤は、ジャケットだけでなく内容も一部異なっており、本盤は最終的に映画で使用された構成で収録されている。録音は2010年10月。

本作のみ、美術館ショップ専売CDとは別に一般市販向けCDが制作された。ヴィヴァルディの「ラ・フォリア」を久石が現代的アプローチで再構築。

 

久石譲 『ラ・フォリア パン種とタマゴ姫 サウンドトラック』

 

 

2021.11 update

liner notes フォリア(ラ・フォリア)とは?/ヴィヴァルディの原曲について/『パン種とタマゴ姫』のスコアについて/楽曲(主題と変奏)解説 (前島秀国)所収

 

 

 

パン種とタマゴ姫 サウンドトラック sc

1. 主題~第1変奏
2. 第2変奏
3. 第3変奏
4. 第4変奏
5. 第5変奏
6. 終曲

レコーディングスタジオ:ビクタースタジオ , Bunkamuraスタジオ

 

La Folía – Mr. Dough and the Egg Princess Soundtrack

1.Theme
2.Variation 1
3.Variation 2
4.Variation 3
5.Variation 4
6.Variation 5
7.Coda

 

Disc. 久石譲 『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック 2 』

久石譲 『坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック 2 』

2010年11月17日 CD発売 TOCT-27010

 

司馬遼太郎の長編小説を原作とするスペシャルドラマ「坂の上の雲」。日本のテレビ史上これまでにないスケールを目指しNHKが総力を挙げて取り組んでいるスペシャルドラマである。音楽を手掛けるのは日本を代表するコンポーザー久石譲。

本作は「ドラマ第1部」使用曲より第1弾サントラ未収録曲と「ドラマ第2部」のために録音された新曲をまとめて一挙収録した豪華盤。視聴者の皆様からの多くのお問い合わせ・リクエストを頂いた「少年の国」などの楽曲も収録。

壮大なスケール感。希望に満ちた旋律。坂の上の雲に向かってひたすらに歩み続けた明治人の世界が鮮やかによみがえるオリジナル・サウンドトラック。

(メーカーインフォメーションより)

 

 

生みの苦しみ、生みの喜び

スペシャルドラマ「坂の上の雲」は3年間におよぶ撮影、そして3年に亘る放送と、これまでの規格に収まらない番組だ。この文章を書いている時点で、この番組のプロジェクトを立ち上げてからすでに8年になる。プロジェクトを進行させてゆく面白さと裏腹に、継続させてゆくつらさも常に付きまとう。新しいことに挑戦してゆくときのある種の熱気のようなものをバネに「エイヤッ」と走り出しても、ゴールは遥か先で到底視界には入らず、そして途中棄権も許されないマラソンを走っている感じだ。しかし、短距離走よりマラソンの利点も多く、それだけ準備も撮影も周到にできる。番組をご覧いただいた方には、その質の高さを実感いただけたのではないかと自負している。

このマラソンを走る「面白さ」と「つらさ」を感じているのは私だけではなく、この番組に携わっている全てのスタッフや出演者が感じているのではないかと思う。ご本人に直接聞いたことはないが、音楽を担当していただいている久石譲さんも、同じ感覚を持っているのではないか、と勝手に想像している。

ドラマの第1部はいわば「青春編」だった。日本が国際社会という舞台に初めて立ち、主人公たちがそれぞれの道を歩き始めるというストーリーだった。第2部は「友情編」である。ロシアとの関係が緊張を増し、ついに開戦となるなか、秋山真之の二人の親友、正岡子規と広瀬武夫が壮絶な最期を遂げる。兄の好古はロシアや清国の、本来は対決するはずの人々と親交を結んでゆく。子規や広瀬の死は音楽的にも大きなテーマだし、ロシアを音楽でどう表現するのかなど、久石さんのマラソンコースの上で、難所だったに違いない。

そしてメインテーマだ。ドラマは3部構成であり、しかも3年に亘って放送する。物語は激しく展開し、時代は変わり、見ている人たちも作っている私たちも変わってゆく。ならばメインテーマも変わっていったらどうだろうか。そう思っていたのは私だけではなく、久石さんも同じだったようだ。しかし、英国の歌姫のイメージを踏襲しながら、違和感なく新しいヴァージョンを創り出すのはかなりの難産だった。けれど、森麻季さんの歌声と久石さんの手腕で素晴しい曲に仕上がった。

これがマラソンの面白さかな、と思っている。

2010年11月

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」
チーフ・プロデューサー 藤澤浩一

(CDライナーノーツより)

 

 

 

『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲』楽曲解説

(1)イントロダクション
(2)語られたこと
(3)Stand Alone
(4)サウンドトラック
(5)組曲
(6)第1部(第一回~第五回)使用楽曲
(7)第2部(第六回~第九回)使用楽曲
(8)第3部(第十回~第十三回)使用楽曲

 

 

 

 

久石譲 『坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック 2 』

第1部:未収録楽曲より
1. 少年の国
2. ガキ大将!真之
3. 奇跡の時
4. 悪ガキ行進曲
5. Stand Alone for Violin & Violoncello
6. 疵
7. 偵察
8. 狼煙
9. 破局の始まり
10. 終の住処
11. 少年の国 for Woodwinds & Strings
12. 広瀬 ~快活な人物~
13. Stand Alone with Piano サラ・ブライトマン×久石譲(Bonus track)

第2部:新録音楽曲より
14. 若き精鋭たち
15. 真之と季子
16. 律 ~愛と悲しみ~
17. 強国ロシア
18. アリアズナ
19. 列強と日本
20. 奸計
21. 慕情
22. 開戦への決意
23. 広瀬の最期
24. Stand Alone 歌/森麻季(ソプラノ)

Total Time:約76分

音楽/久石譲
指揮/久石譲 演奏/東京ニューシティ管弦楽団
指揮/外山雄三 演奏/NHK交響楽団 (第2部メインテーマ:M24)

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Piano by 久石譲 (M13, M24)

Recorded at NHK CR-506, CR-509, Nemo Studios (M13)
Mixed at NHK CP-604, CR-506, NHK出版宇田川スタジオ (M24), Nemo Studios (M13)

 

Disc. 久石譲 『Melodyphony メロディフォニー ~Best of JOE HISAISHI〜』

久石譲 『メロディフォニー』

2010年10月27日 CD発売
2CD+DVD(初回限定盤A)UMCK-9386
CD+DVD(初回限定盤B)UMCK-9387
CD(通常盤)UMCK-1369
2018年4月25日 LP発売 UMJK-9079/80

 

一般アンケートで上位に選ばれた楽曲を中心に 「誰もが知っている久石譲メロディー」 を久石譲の指揮・ピアノと世界最高峰のオーケストラ、ロンドン交響楽団の演奏で贈るベストアルバム。

 

 

Joe Hisaishi “Melodyphony” に寄せて

スピーカーからオープニングを飾る「Water Traveller」が流れ出してすぐに僕はその見事なオーケストレーションに唸らされた。以前から映画音楽からCM音楽、自身のアルバム、それにコンサート活動、イベント制作に至るまで驚くべき仕事量をどれも高いクオリティでこなしてきた久石譲は3年ほど前からさらにそのレベルを上げ、創作活動を拡大、かつ加速させている感があるが、聴き進めていくうちに『Melodyphony』と題されたこの新作には久石譲の音楽を創ることの喜びと自信がみなぎっているとはっきりと思った。

収録されているのは映画『水の旅人~侍KIDS』のメインテーマである「Water Traveller」から映画『となりのトトロ』のエンディング曲「My Neighbor TOTORO」まで全9曲。僕はこれまでにも幾度となく、久石譲の手になる曲がまるで魔法のように形を変え、新たな魅力を持った作品になってしまうのをコンサート会場で目撃、またCDでも耳にしてきたが、一般のファンからの投票も受けつけて選ばれた曲は、ロンドン交響楽団という世界最高峰と称賛されているオーケストラと久石譲の完璧ともいえるコラボレーションによって、時空を超えたマジカルな作品になっている。

同じロンドン交響楽団とロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングされた『ミニマリズム』が深い森のような、とても入り組んだ構造を持ち、神秘的ともいえる雰囲気を漂わせていたのに対し、この『Melodyphony』はこれまでに本当に多くの人に感動と夢を与えてきた久石メロディが大きな客船や帆船になり、大海原を航海しているような印象を受ける作品。完成したばかりのCDと一緒に手元に届けられたDVDにはロンドン交響楽団とのレコーディング風景とともにインタビューも収録されていたが、「2度目であるということもあって非常にいい協調する関係ができ、去年よりもお互いに理解しあえた。1回目より2回目、2回目より3回目とうまくいってれば、音楽の上でもすごくコミュニケーションがとれる。ほぼ去年と同じメンバーの人たちがマリンバとかすごく難しいところがあるとか、去年と同じとか、デジャ・ヴとか言ってけっこう楽しみながら演奏してたから自分が書いている音楽のスタイルが理解してもらえたっていうのがある」と満足気に話す久石譲のロンドン交響楽団についてのコメントは何故彼が多忙なスケジュールをさいてロンドンまで出かけ、ロンドン交響楽団と一緒にレコーディングするのかの解答にもなっていると思う。

そして「こういうセッションのレコーディングっていうのは、1曲1時間半ぐらいであげていかなきゃならないんですけど、それにしては音符の数とか難易度は非常に高い。でも、そのレベルをこなしてしまうというロンドン交響楽団の奥深さというか、弦はどんな高い所であってもヒリヒリはしてこないし、豊かで下まで響いている音を作ってくれる。それからホルンも含めて難しいものを難しいように演奏するのではなく、音楽的に表現する。やはりこの辺で世界最高峰のオケなんだなとすごく思いました。」というコメント。

このコメントはそのままメロディとシンフォニーという言葉の造語である『Melodyphony』というアルバムの魅力、聴きどころを言い当ててもいる。

「難しいものを難しいように演奏るのではなく、音楽的に表現する」という言葉は作曲家、編曲家、ピアニスト、プロデューサーという肩書きに数年前から指揮者という肩書も加わり、昨年にはクラシックの指揮者デビューまで果たしてしまった久石譲の作り出す作品全てに共通する魅力であり、久石譲がアルバムのレコーディング・エンジニアであるピーター・コービンも口にしていた通り”Special Musician”であることの大きなポイントでもあるが、音楽の構築力ということでは世界でも有数のアーティストではないだろうか。

軽い思いつきや簡単なひらめきなどから生まれた音楽とは全く次元が違う、十分に練り上げられ、精密な作業を続けた結果として高みに位置している久石譲の音楽。この『Melodyphony』制作の動機についても「昨年『ミニマリズム』ってアルバムを作って、長い間の夢だったミニマル・ミュージックが出来上がったんですが、同時に自分がやってきたメロディアスなオーケストラを録りたいと思っていたんです。ミニマリズムは出来たけれど、その作家性の部分と、メロディ・メイカーというか、メロディを作っていく自分というのを両方出したい。それを昨年ここでレコーディングが終わった時から思っていて、年が明けてこれはやはり両方あって自分ではないかという思いがどんどん強くなった。ミニマリズムっていうのはミニマルとリズムという言葉の合成語だったんだけど、今回はメロディとシンフォニックなオーケストラ、メロディとシンフォニー、これが合体することでメロディフォニーっていうアルバムを作る、これで全て自分が表現できる、そう思えた」と話しているが、その思い、発想は完璧かつ理想的な形で1枚のCDに結実している。

「昔の作品はもっと編成が小さかったので、それを今回用に直したりすることと、映像音楽として書いた曲はそのままになっていてコンサート・ピースとしては完成させていないものが多かったので、それを今回まとめて作品として聴けるようにすることを考えた。例えば『坂の上の雲』もものすごい量があるわけですよ。それを11~2分にきっちり作品としてまとめる。あるいは『魔女の宅急便』、個人的には1回もレコーディングしていない。武道館で演ったりはしたけれど、CDとしてはないので、今回きちんと弦とピアノでやるとか、そういうことで今、現在としてのメロディとシンフォニック・オーケストラが一番合体する方法、それを一番気をつけました。ただ選ぶ段階で、インターネットなどでみなさんに投票してもらって、何が聴きたいのか、それも参考にして上位に入っているものはほとんど網羅しましたね」という言葉はそれをはっきりと裏付けているし、今やオーケストラを自由自在に操る才能ということでは、かけがえのない音楽家になっているのではないだろうか。ピーター・コービンが口にしていた”Best musician in the World”という言葉もとても現実味をおびている。

だから、僕は出来る限りの音量でこの『Melodyphony』を聴いて欲しいと思う。20年以上の時を超えて、メロディがシンフォニー・オーケストラと合体した作品群が聴く者にもたらしてくれる高揚感は”良い音楽”の力と永遠性を実感させてくれるし、聴き慣れた曲がまるで魔法のように変化していく様は久石版”ファンタジア”と形容してもいいかも知れない。

僕はこの『Melodyphony』を聴くときに、久石譲がクラシックの指揮者デビューを果たした記念すべきアルバム「JOE HISAISHI CLASSICS 1 ドヴォルザーク 交響曲第9番 《新世界より》/シューベルト 交響曲第7番 《未完成》」のライヴ録音の際に語った「ドヴォルザークはチェコの偉大な作曲家だ。彼は今でいう最も優れたキャッチーな作曲家だろう。スコアを追っていくとよくわかるのだが、とても緻密に、色々なモチーフ(音型)を散りばめ、沢山構築している。ところが、幸か不幸か、あまりにもメロディがキャッチーすぎるため、我々はその裏側に隠された彼の緻密さになかなか気づくことができないのである」という言葉の”ドヴォルザーク”をそのまま”久石譲”に置きかえると、久石ワールドを聴き手に十分に堪能させながら新しいアプローチや様々な仕掛けをしているこのアルバムの”凄さ”がわかることをつけ加えておきたい。「シューベルトの一番わかりやすい天才的な部分は、ハーモニー感覚の凄さだ。普通は、ある調からある調に移るには正当な手続きを踏んで新たなキーに転調するように書くのだが、シューベルトはたった一音で次の調に自然に転調してしまう。これほどの天才は他に見たことがない」という言葉もそこにつながっていく。

そして、もしまだ久石譲の原点ともいえる「MKWAJU」から「自分の中のクラシック音楽に重点を置き、音楽的な意味での、例えば複合的なリズムの組み合わせであるとか、冒頭に出てくる四度、五度の要素をどこまで発展させて音楽的な建築物を作るか、ということを純粋に突き詰めていった。」…と本人が書いている「Sinfonia」、「The End of the World」といった魅力的な作品が収録された『ミニマリズム』をお持ちでない人がいたら、すぐ手に入れて、連続して聴いて欲しいと思う。僕はこの原稿を書くため、以前久石譲も出演してくれたことがある彫刻の森美術館でのコンサートの仕事をするべく箱根に向かう車の中で久しぶりに『ミニマリズム』を聴き、クラクラするくらいの魅惑的空間に連れていかれたが、ラストの「DA・MA・SHI・絵」が終わってすぐに流れ始めた「Water Traveller」を聴いた時に、この2枚のアルバムは完全に一対のものであることがよくわかった。

その音楽性の幅広さと完成度の高さ。僕は今回の『Melodyphony』を初めて聴いた時、一体この人はどこまで飛翔していくのだろうかと思わされたが、「サントリー 1万人の第九」の25周年記念序曲として2007年に作曲された「Orbis」はメロディとシンフォニー・オーケストラの合体に、さらに現代音楽の要素が大胆に盛り込まれた久石譲ならではの作品に仕上がっていることも最後につけ加えておきたい。

『ミニマリズム』にも参加していたロンドンでは由緒ある合唱団、London Voicesとパイプオルガンを加えて出来上がった華やかな祝典序曲。ラテン語の”Orbis”には”環”や”輪”などの意味もあり、本人は生命の起源となる水の小さな水泡が繋がって、やがて大きな環となるようなイメージで作ったようだが、それはミニマル・ミュージックに対する久石譲の思いそのものでもあり、もし図形で表すとすると、この曲が『ミニマリズム』をつなぐポイントになると思う。

久石譲自身が『Melodyphony』の核になっていると感じているというのも納得できる。DVDの中で久石譲は「ひとつひとつの仕事を区切りにしながら挑戦して解消し、次のことを考えていく…」という言葉も口にしていたが、『Melodyphony』はその姿勢が見事に反映したアルバムであり、これからもその歩みは決して止まることがないだろう。その歩みを追いかけることは今や僕の楽しみになっている。

2010年夏 箱根にて 立川直樹

(CDライナーノーツより 抜粋)

 

 

『ミニマリズム』 『メロディフォニー』 久石譲インタビュー内容(Web/DVD収録)

音楽業界では、世界で最高峰の機材を英国人たちが作っているんですよ。「ロード・オブ・ザ・リング」も「ハリー・ポッター」も、サウンド・トラックはロンドンで録音していますよね。ハリウッド映画だって、一番大事な音楽はほとんどロンドンで録ってるんですよ。すると、やはりここは世界で一番良い音楽環境ということになる。ロンドンでのレコーディングを続けていると、そのレベルを絶えず意識させられます。

ロンドン交響楽団とは、15年くらい前に、「水の旅人 -侍KIDS」という映画のテーマ音楽を録ったんですね。また昨年には、前作となる「ミニマリズム」の録音も行いました。日本以外で音楽を表現できる場として、ロンドンでの活動がまた復活したというのがうれしいですね。

私には、大きな夢が2つありました。一つは、芸術家としての自分が追い求める、ミニマル・ミュージックをテーマとしたアルバムを完成させること。この目標は、昨年の時点で「ミニマリズム」というアルバムを完成させることで実現しました。ただそれだけではなくてもう一つ、これもやはり自分が長年続けてきた映画音楽やテレビ・ドラマのサウンド・トラックに代表されるメロディアスな音楽を、オーケストラを使って録りたいと去年からずっと思っていたんですよ。つまり、作家としての自分と、メロディー・メーカーとしての自分の両方を生かしたいというか。去年の「ミニマリズム」の録音時に書いていたノートを引っくり返してみると、両方の種類の音楽についてのメモを残しているんですね。年が明けて考えてみて、やはりこれは両方あってこそ自分の姿ではないか、と強く思うようになって。「ミニマリズム」と「メロディフォニー」の2つを持って、自分をすべて表現できるという気持ちです。

レコーディングでこちらに来る直前まで編曲作業などを行っていたので、ピアノを触る時間が1日に1時間もなかったんですよ。ピアノは間違いなく練習量が比例してくる楽器ですから。通常だと1日7、8時間は練習するのに、今回は1時間くらいしかできなかった。

3日間にわたってオーケストラとのレコーディングがあり、その後に迎えたピアノ演奏の収録の日は、朝から別の録音作業を始めて、午後は50人くらいのコーラスを指揮して、疲労もピーク。それからピアノの演奏をするのは少し厳しいんじゃないかと思っていたんですが、その中でも実は起きていたんで。限界を超えているときは、変に休まない。確か夜中に4時間くらいぶっ通しでピアノを弾いてました。疲れているときは、ピークを超したらひたすら集中する。休まずにもうひたすらそこに向かったのが、良い結果になったのではないかと思いますね。

もっと完成されたものを考えたい、もっとレベルの高いものをという思いはいつも根底にはあるのですが、結局はディテールの積み重ねなんですよ。一つひとつの仕事を区切りにしながら、一個一個調整をしていく。指揮者としてもきちんとしたものができるようになりたい。もちろん作曲家としても。そういうようなことを僕は考えちゃいますね。

Blog. 久石譲 「ミニマリズム」「メロディフォニー」 Webインタビュー内容

 

 

 

【楽曲解説】

1. Water Traveller
1993年、大林宣彦監督の映画『水の旅人 ~侍KIDS』よりメインテーマ。身長約17センチの水の精霊と主人公の少年の交流を描いた末谷真澄原作の『雨の旅人』を映画化したSFXファンタジー映画。サウンドトラック収録も、ロンドン交響楽団の演奏で行った。当時のオリジナル楽譜のホルン6本の編成を甦らせ、壮大な世界観が見事再現されている。

2. Oriental Wind
2004年より放映中のサントリー緑茶・京都福寿園「伊右衛門」CM曲。今やお茶の間でお馴染みとなった美しい旋律は、黄河のようなアジアの大河の悠々とした流れをイメージしてつくられた。朗々とした格調高い優雅なメロディの裏では、繊細なリズムや激しいパッセージの複雑な内声部が繰り広げられ、より深い味わいを加えている。

3. Kiki’s Delivery Service
1989年、宮崎駿監督の映画『魔女の宅急便』より。「海の見える街」を本アルバムのために、ピアノとヴァイオリン、弦楽オーケストラを主体に書き下ろした楽曲。愛くるしさいっぱいの軽やかなリズムと可憐なメロディ、中間部の大人びたジャジーな曲調は、大人へと成長をとげる魔女の子・キキのように、様々な表情を魅せてくれる。

4. Saka No Ue No Kumo
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』より。司馬遼太郎の同名長編小説をもとに映像化され、2009年より足掛け3年間にわたり放映。明治時代の過渡期を生きた人々を描く壮大なスケールの物語。重厚なオーケストレーションは日本の五音階と西洋のモダンな音階を融合させ、独自の世界観を引き出している。”凛として立つ”美しき姿をイメージしたというメインテーマ「Stand Alone」を含む、「時代の風」「蹉跌」「戦争の悲劇」の4つのテーマを組曲形式で再構築した。

5. Departures
2008年、米国アカデミー賞外国語映画賞に輝いた滝田洋二郎監督作品、映画『おくりびと』のサウンドトラックより、メインテーマを含む複数の主要テーマを組曲として書き直した。元チェリストの主人公が納棺師になる設定から、チェロをメインに据える楽曲の構想が練られた。楽器の特性を最大限に活かしたメロディは、時には優しく、時には激しく、時折コミカルさも覗かせながら、心の揺れ動きを表現している。

6. Summer
1999年に公開された北野武監督の映画『菊次郎の夏』より、メインテーマ「Summer」。軽快な弦のピッツィカートからはじまる冒頭部と、中間部の美しいピアノの旋律が印象的な楽曲は、ひと夏の冒険を描いた映画の世界を爽やかにうたいあげている。トヨタ「カローラ」のCMでも起用された楽曲。

7. Orbis
「サントリー 1万人の第九」の25周年記念委嘱曲として2007年制作。初演時には、大阪城ホールとサントリーホールとを衛星中継で同時演奏し話題を呼んだ。パイプオルガンとオーケストラ、1万人の合唱から成る華やかな祝典序曲を、フルオーケストラ用に書き直した。散文的なキーワードを組み込んだ歌詞を世界有数の合唱団London Voicesが歌う。生命の起源となる水の小さな水泡が繋がって、やがて大きな環となる…。Orbisとはラテン語で「環」「輪」などの意。

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「Orbis」 ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~
曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」のために作曲した序曲で、サントリーホールのパイプオルガンと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっていますね。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いているので、演奏が大変難しい作品です。

「Orbis」ラテン語のキーワード

・Orbis = 環 ・Laetitia = 喜び ・Anima = 魂 ・Sonus, Sonitus =音 ・Paradisus = 天国
・Jubilatio = 歓喜 ・Sol = 太陽 ・Rosa = 薔薇 ・Aqua = 水 ・Caritas, Fraternitatis = 兄弟愛
・Mundus = 世界 ・Victoria = 勝利 ・Amicus = 友人

Blog. 「久石譲 第九スペシャル」 コンサート・プログラムより
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8. One Summer’s Day
2001年公開、宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』より「あの夏へ」。神々の住まう不思議な世界に迷い込んでしまった10歳の少女・千尋が、湯屋「油屋」で下働きしながら次第に生きる力を取り戻していく物語。郷愁をかきたてる美しいメロディと、ピアノをフィーチャーした繊細なオーケストレーションは秀逸。

9. My Neighbour TOTORO
1988年の宮崎駿監督作品、映画『となりのトトロ』より、エンディングテーマ曲「となりのトトロ」。父親とともに郊外に引っ越してきたサツキとメイの幼い姉妹が、森で不思議な生き物・トトロと出会う。心躍るファンタジーの要素をふんだんに取り入れたアレンジとシンプルなメロディは、久石譲の代表作の一つ。

(【楽曲解説】 ~CDライナーノーツより)

 

 

【補足】
DVD収録内容について

本作品より選ばれた楽曲のレコーディング映像を編集したものである。またドキュメンタリーなどとは違い、レコーディング映像中心で楽曲も省略されたり途中で終わることなく一曲通して聴くことができるのもありがたい。CDと同じように音楽だけが響いている。CD同様に楽曲を楽しみ、かつパートごとに映し出される楽器や奏者を映像で楽しむことによって、臨場感や緊張感が伝わりより深く作品を味わうことができる。

インタビューに関しては本作品ライナーノーツでの楽曲解説や久石譲インタビューと重複内容も多く、言葉として文章として参考にされたい。

また久石譲インタビューの前に、レコーディング・エンジニアであるピーター・コービンのインタビューも収められている。ここではその内容を一部抜粋して紹介する。海外からみた久石譲、世界屈指の一流音楽家たちからみた久石譲を垣間見ることができる貴重な証言である。

 

「彼は完成された音楽家です。作曲家としてももちろん尊敬していますし、オーケストラにとっては、実際に作曲する指揮者と共に演奏する事が最も幸せな事なのです。言語の違いはあるけれど、コミュニケーションも問題なく、オーケストラの中でも尊敬されています。自分の音楽を誰よりも把握しているし、具体的な指揮をしているからです。リズムとメロディーを通じて、明確な指揮をしていると感じます。」

「去年収録した『ミニマリズム』と今回のアルバムの違いは、前回はリズムが特徴的でしたが、今回のアルバムではメロディーが中心になっています。楽曲から映像が想像できる美しいメロディーが存在しています。映像的なメロディーは、彼の卓越した感性と技術から成るものです。メロディーとリズムを絶妙に組み合わせるのが上手いのです。」

(ピーター・コービン DVD収録インタビューより 書き起こし)

 

 

「つくり終わって大変満足しています。やっとこれでトータルな自分の音楽が完成したなと。なぜかと言うと去年『ミニマリズム』という作家性の強い作品をつくって。その制作中から今回のようなエンタテインメントのメロディー中心の曲をオーケストラで録りたいと思っていたんです。だから2年がかりでひとつのコンセプトが完成したという感じ。自分の持っている内生的な部分と外に向かって人を楽しませたいという部分。その両面をこれで表現できたなと思います。やはりどちらかだけではダメなんですよね。」

「それはですね、映像の仕事の場合、基本的には監督にインスパイアされて、すごく一所懸命曲を書くわけです。ところがやはり映像の制約というものもある。『このシーンは3分です』だとか。だから映像の中のドラマ性に合わせなくてはいけなくて。映像と音楽合わせて100パーセント、もしくは音楽がちょっと足りないくらいがいいときもある。そこから解放されて音楽自体で表現、音楽だけで100に。つまり本来曲がもっている力を音楽的にすべて表現できる。そこが今作なんです。」

Blog. 「週刊アスキー 2010年11月9日号」「メロディフォニー」久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「サビの部分で日本のオーケストラは『トトロ…』と歌を知っているので楽譜の音符ではなく、言葉のリズムで弾くんですが、LSOは譜面に忠実に演奏するので、イントネーションが違ってきたんです」

Blog. 「モーストリー・クラシック 2010年12月号 vol.163」久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「昨年、ストイックに現代音楽を追求した「ミニマリズム」という作品を作って長年の夢をかなえた。でも、実はその時から対になるメロディーを重視したアルバムを出したいという構想があったんだ。「ミニマリズム」に続いてロンドン交響楽団に演奏してもらったのは、「となりのトトロ」など、僕の曲をほとんど聴いたことがないであろうオーケストラが演奏するとどうなるか興味があったんだ。結果はとても面白いことになった。「トットロ トットーロ」というフレーズも、彼らは元の歌を知らないのであくまでシンフォニーを支えるモチーフの一つとして捉えて演奏していたんだ。」

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より) 抜粋)

 

 

 

久石譲が全曲を編曲、監修した作曲家自身によるオフィシャルスコア。久石の映画音楽の楽譜がオーケストラ・スコアの形で公表されることは、これまでほとんどありませんでした。久石サウンドの秘密を探る絶好の楽譜となっています。

 

 

 

2018年4月25日 LP発売 UMJK-9079/80
完全生産限定盤/重量盤レコード/初LP化

 

 

 

久石譲 『メロディフォニー』

1. Water Traveller (映画『水の旅人』メインテーマ)
2. Oriental Wind (サントリー緑茶「伊右衛門」CM)
3. Kiki’s Delivery Service (映画『魔女の宅急便』より「海の見える街」)
4. Saka No Ue No Kumo (NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』より)
5. Departures (映画『おくりびと』より)
6. Summer (映画『菊次郎の夏』メインテーマ / トヨタ・カローラCM)
7. Orbis (サントリー「1万人の第九」25回記念序曲 委嘱作品)
8. One Summer’s Day (映画『千と千尋の神隠し』より「あの夏へ」)
9. My Neighbor TOTORO (映画『となりのトトロ』より「となりのトトロ」)

指揮・ピアノ:久石譲
演奏:ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra
コーラス:ロンドン・ヴォイシズ London Voices 7.

録音:アビーロード・スタジオ(ロンドン・イギリス)

 

初回限定盤
レコーディング映像とインタビューを収録したDVD付豪華デジパック仕様

《初回限定盤DVD》 (メロディフォニー映像)
Melodyphony Recording Video
・Departures
・One Summer’s Day
・Kiki’s Delivery Service
・Interview

 

【初回限定盤A】
CD2+DVD
CD ~「Melodyphony」 / 「Minima_Rhythm」
DVD ~「Melodyphony映像」「Minima_Rhythm映像」
※「Minima_Rhythm」CDおよびDVD内容は同作品初回限定盤に同じ
スペシャル・ブックレット

【初回限定盤B】
CD+DVD
CD ~「Melodyphony」
DVD ~「Melodyphony映像」「Minima_Rhythm映像」
※「Minima_Rhythm」CDおよびDVD内容は同作品初回限定盤に同じ

【通常版】
CD
CD ~「Melodyphony」

 

Disc. 久石譲 『悪人 オリジナル・サウンドトラック』

久石譲 『悪人 オリジナル・サウンドトラック』

2010年9月1日 CD発売 SRCL-7360

 

2010年公開映画「悪人」
原作/吉田修一 監督/李相日 出演/妻夫木聡 深津絵里 他

 

 

INTERVIEW

事前に手の内を明かさないように、
ニュートラルな位置から映画を推進していきたかった。

-久石さんの音楽が、映画を観る手助けをしてくれていると感じました。特に、祐一に対して。なぜか、やさしい気持ちで祐一を見つめていられる。でも、簡単に救いを与えているわけではなくて。負担を軽減してくれるというか、高度な音楽作用だと思いました。

久石:
祐一は殺人者だけど、誰もがなりえてしまう。若くて、思い通りに生きられない、大勢いる人たちのなかのひとりでもある、でも、それを音楽が肯定してもいけない。やっぱり罪を犯しているわけですから。距離はとる。けれども、彼が持っている孤独感や共感できる部分は、この映画のメインテーマになるだろうと思いました。あまり饒舌にもならず、たえず揺れる祐一の気持ちとシンクロしていくために、同じ音階を繰り返すミニマルな曲調を選びました。

-映画と音楽の距離感が絶妙です。

久石:
気持ちを煽ってしまうと、すごく安っぽくなってしまうから。あと、難しかったのが、この映画は後半、群像劇になる。房枝にしても、佳男にしても、それぞれがシチュエーションのなかで自分を乗り越えていく。一方、(祐一と光代の)ふたりの主人公は、逃避行がはじまってから、ドラマがなくなる。でも、最後には、祐一のテーマをメインにした、少しメロディアスなふたりの愛のほうに焦点を絞っていったほうが結果、観る側はこの映画にストレートに入れる。あの夕陽を見て終わっていく瞬間に、「これはふたりのラブストーリーだったんだ」ということが明確になってくれれば、観やすくなるんじゃないかと。そこに神経を使いました。

-だから、あのラストが効くのだと思います。

久石:
ラストの曲は、救い、じゃないんです。レクイエムでもない。ある種の救済的なぬくもりはある-でも、あったかいわけじゃない-それがあることで音楽的な構造は非常に明確になるんじゃないかと思いました。

-あのラストが、いわば「到着」の感慨をもたらすのは、序盤で流れる音楽が、それこそ山道の急カーブを祐一が駆る車の走りのように、どこに連れて行かれるかわからない、あらゆる「予感」だけが乱れ絡み合うドライブ、つまり多様なファクターの集積になっているからだと思います。

久石:
ある種のサスペンス。どうなっていくの? というニュアンスは絶対必要。でも、メロディアスに「これはラブロマンスですよ」と伝えるのもまったくの嘘。悲劇性が強すぎても駄目。つまり、事前に手の内を明かすような真似をしたらいけない。たえず、何かが繰り返されている。気持ちが増幅されていくかもしれないし、不安も増強されていくかもしれない。どちらにもいない、ニュートラルな位置から映画を推進していきたかったんです。

-あの雑多な「予感」は、全体に流れていますね。

久石:
李(相日)監督も(あの曲を)すごく気に入ってくれて。結果、今回は、ギリギリまで無駄をはぶいた構成になりました。

-徹底された?

久石:
そうですね。日本映画でここまで(曲のトーンを)抑えて作ったのは久しぶりですね。自分としても、「いつもだったら、こうしてしまうな」というところも全部、抑えて抑えて作った。結果的に、いままでやったことのないかたちにチャレンジができました。たいていの場合、音楽は、ある部分の感情だけを刺激するのはものすごく得意。でも、(それが何か)はっきりとは言わないで、押し上げていくようなことは難しい。音楽はどうしても、色を決めてしまうのが速い。でも今回はそこを極力避けるようにしましたね。あとは、音楽が映像と共存しつつも、映像から一歩退いたところで支えていく。たぶん、映像と音楽が(ドンピシャと)ハマってる箇所は一個もない。唯一の笑顔であるラストカットへのアプローチもやはりそうです。

-音楽そのものの可能性を追求された結果、日本映画というより世界映画と呼ぶべき作品が完成したと思います。

久石:
最も重要なのはクリエイティヴィティ。とにかく徹底的に「ほんもの」を作る。それだけです。我々はもっと危機感を持つべき。たえず挑戦するべき。この映画は間違いなく、世界に向かって放つことができるレベルの作品になったと思います。

-最後に。『悪人』というタイトルをどう捉えましたか。

久石:
人間。そう解釈しました。

(取材・文/相田冬二)

Blog. 映画『悪人』(2010) 久石譲インタビュー 劇場用パンフレットより

 

 

 

映画『悪人』の音楽制作の模様を少しだけお届けします。2月末におこなった音楽打ち合わせの内容をもとに、2週間足らずで全曲ラフスケッチを書き終えた久石は、2回目の音楽打ち合わせに臨みました。しかし、そこで重大な問題に直面することになります。久石と、監督、そしてプロデューサー、三者の音楽に対する考え、イメージ、音楽のつける対象の方向性が微妙に違うのです。また、ラフスケッチをシンセサイザーでラフに創りこんだものを元に話し合いを進める方法をとったので、そのシンセサイザーの音源から、オーケストラで演奏しているものを想像するのが難しかったらしく、また、それが方向性のずれへと発展してしまったように今考えれば思えます。

いずれにせよ、この打ち合わせの翌日から、監督が毎日久石の元へ通うという、今までにおそらくなかった事態になりました。打ち合わせの次の日から久石、監督は久石のプリプロルームに揃ってこもり、久石がラフの音楽を書き、その音楽を予定の映像箇所にあててみて、それを監督と二人でその場で話し合い、また久石が微修正をかけ、仕上げる。監督は決して口数の多い方ではないのですが、ピンポイントで要望をいう、それに久石が応える。または、監督の要望とはさらに違ったアプローチで結果、監督の要望に応える。などというやり取りが、時間のなか張りつめた状況の中続きます。久石はもちろんのこと、監督も絶対妥協はしないので、双方納得、というところにたどり着くまでとてつもない時間と労力がかかります。そのような作業が連日深夜まで繰り返されました。

また、そのようなやりとりはレコーディング後も状況は変わらず続き、トラックダウンの微修正、主題歌のアレンジの方向性、主題歌の歌手選定など全てのことが紆余曲折。気がつけば通常の倍くらいの労力をかける結果となりました。

5月8日、最後のレコーディング及びトラックダウンが都内某スタジオで行われました。今回は、久石が描き下ろした主題歌「Your Story」を歌っていただくことになった福原美穂さんの歌入れと、そのトラックダウン。実は、この『悪人』プロジェクトでのトラックダウンはこれで3回目、ちなみに最初のレコーディングは3月16日に行われています。音楽打ち合わせのときから、完成まで相当難航することがおおよそ予測はできたのですが、久石の作曲、アレンジ期間を入れると、およそ3ヶ月。早いときは、映画1本の音楽を作曲からトラックダウンまでだいたい一月くらいでこなしてしまう久石にしては珍しいくらい、長期間を要したプロジェクトとなりました。

しかし、久石、監督共々、信念にもとづき最大限の労力を結集したため、時間がかかったわけで、映画(我々としては特に音楽)の出来は、前回作品『ウルルの森の物語』とは全く違う世界観で、とてもすばらしいものとなっています。二人の天才が、妥協することなく作り上げたことを考えると当たり前と言えば当たり前なのですが、本当にみごとな仕上がりになっています。

(映画『悪人』制作レポート ファンクラブ会報 JOE CLUB vol.13 2010.06 より)

 

 

 

今までの映画音楽とは違った新しい印象を受ける。壮大ともメロディアスともミニマルとも違う佇まい。もちろんそれらの要素がないわけではないが、そのどれもが全面には出ておらず主張していない。

楽器にしても、オーケストラやピアノに加えて、アコースティックギターや、少しシンセサイザーも使わている。おそらく製作過程で通常では稀なほど監督と密にコミュニケーションを図り、シーンごとの音楽や楽器まで監督と意見交換しながら作り上げられたからゆえだろう。

物悲しい音楽が並ぶようだが、ある種人間の深い感情から祈りまで、アンビエントのような感情の揺れを巧みに表現している。(16)の主題歌は福原美穂が担当。英語歌詞。(13)では同曲のヴォカリーズ・ヴァージョンとなっているがこれが名曲。ボーカルとアンビエントなシンセサイザー伴奏のみの包み込むような音楽。まさに祈りの曲、一寸の光が射しこむような希望の曲。

(6)ではこの主題歌をモチーフにアコースティックギターやチェロがメロディーを静かに奏でている。またもうひとつの主要テーマ曲といえる(1) (4) (11) (15)などでは、ピアノの儚くも静かなメロディーが流れるように響いている。

奥深く切ない音楽、深い感動をおぼえる。自身の映画音楽としても新境地を開拓したとも言える秀逸な作品。

別のCD作品「The Best of Cinema Music」では、『(11)Villain (映画『悪人』より)』が、フルオーケストラでのライブ音源で、約11分に及ぶ組曲として映画のストーリー展開に沿って構成されている。

 

 

 

久石譲 『悪人 オリジナル・サウンドトラック』

1.深更
2.焦燥
3.哀切
4.黎明
5.夢幻
6.彷徨
7.悪見
8.昏沈
9.侮蔑
10.何故
11.彼方
12.追憶
13.Your Story ~Vocalise~ (久石譲 × 福原美穂)
14.再生
15.黄昏
16.Your Story (久石譲 × 福原美穂)

All Music and Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Tokyo New City Orchestra
Performed by Shinozaki Strings (M-13,16)
A.Guitar:Masayoshi FUrukawa
Piano:Ichiro Nagata (M-13,16)

Recorded at Sound City, Bunkamura Studio
Mixed at azabu-O Studio, Bunkamura Studio

 

Akunin

1.Shinkou
2.Shousou
3.Aisetsu
4.Reimei
5.Mugen
6.Houkou
7.Akken
8.Konchin
9.Bubetsu
10.Naze
11.Kanata
12.Tsuioku
13.Your Story – Vocalise –
14.Saissei
15.Tasogare
16.Your Story

 

Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

2010年9月1日 CD発売 WRCT-2002

 

久石譲「クラシックス・シリーズ」第2弾

久石譲指揮 クラシックでありながら新しい!
作曲家ならではの”血の共感”なくしてはあり得ない
伝統にとらわれない新たなクラシックがここに生まれる…

 

 

久石さんのブラームスとモーツァルトの指揮に寄せて

昨年2009年の夏、シュトックハウゼン作曲「グルッペン」の演奏会場で久石さんの姿をお見かけした時は、本当にびっくりした。3群のオーケストラと3人の指揮者が同時に演奏する「グルッペン」は、いわば独墺系オーケストラ音楽の極北に位置するような作品で、欧米でも滅多に演奏されない。驚くべきことに、久石さんは35年前の「グルッペン」日本初演にも足を運んでいたのだった。かつてシュトックハウゼンをはじめとする現代音楽の先人たちと真剣に格闘し、今もなお、その情熱を保ち続けている”永遠の音楽学生”の興奮が、久石さんの表情から伝わってきた。

本盤に収録されたブラームス「交響曲第1番」の久石さんの指揮には、”ブラームスの先人との格闘”が、これ以上望むべくもない明瞭な姿で刻みこまれている。その”先人”とは、久石さん自身の楽曲解説にもあるようにベートーヴェンだ。ブラームスの第1楽章主部全体を貫く「タタタ」あるいは「タタタ・ター」という三連のリズム。これがベートーヴェンの「運命」の有名なリズムに由来することは言うまでもない。それを実証するため、久石さんはブラームスの代名詞というべき濃厚なロマンティシズムからやや距離を置き、ブラームスがスコアの中に散りばめた運命リズムを、ひとつの洩れもなく丁寧に叩いていく。ブラームスの演奏で、これほど運命リズムを強調した解釈も珍しい。その結果、ブラームスがいかにベートーヴェン流の作曲原理を咀嚼し、それを自らの養分としていったか、その格闘のドラマがヴィヴィッドに伝わってくる。こういう解釈は、作曲家ならではの”血の共感”なくしては不可能だろう。

モーツァルト「交響曲第40番」の演奏も、最初の一音から久石さんのコンセプトは明瞭だ。つまり、バス(低音)声部と内声部の強調である。モーツァルトが得意としたポリフォニー音楽は、西洋音楽の調性と和声進行の原理を最大限に利用したものだった。その土台となるのが、言うまでもなく和音の構成音である。それをしっかり認識しなくては、モーツァルトの本当の凄さがわからない。だから久石さんは、一点の曇りもなく、バス声部と内声部を堂々と鳴らしていく。「第40番」が、これほど巨大な建築物のように聞こえたことは、久しくなかったのではあるまいか。

かつてシュトックハウゼンがモーツァルトを演奏し、ブラームスがベートーヴェンの作曲技法を嘆賞したように、作曲家たちは常に先人たちの仕事を振り返り、自らの音楽を豊かにしていく新古典主義(ネオ・クラシシズム)の運動を繰り返してきた。久石さんも、実はそうした作曲家のひとりに他ならない。2009年に久石さんが初演した「シンフォニア~弦楽オーケストラのための~」の明快この上ない形式感は、明らかに久石さんの新古典主義的関心を示すものであった。そして今、久石さんは指揮者として、先人たちの偉大なクラシック作品と格闘する、壮大な”ネオ・クラシック”の冒険を始めようとしている。

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68

ブラームスはまさに地上の音楽である。例え天地創造を謳ったとしても、この北ドイツのハンブルクで生まれた天才の音楽には、悩み苦しみ希望に向かって生きていく、地に足をつけた人間の姿がそこにある。だからこそ人はその音楽に共感し感動するのではないだろうか。

交響曲第1番は構想から完成まで20年近い歳月を要した。1855年にシューマンの《マンフレッド》序曲を聴いて若きブラームスは大きな感銘を受け、自らも交響曲の構想を練りはじめた。ところが、第1楽章の原型が完成をみたのは1986年の夏のことであったという。その後も長い放置状態が続くが、1874年頃からようやく集中して作曲が進められるようになり、1876年ブラームスが43歳のときに全曲が完成した。

ブラームスがこれほど用心深く交響曲の作曲にあたったのは、ベートーヴェンを強く意識していたからに他ならない。第1楽章のハ短調に対して第2楽章は長三度上のホ長調、第3楽章は変イ長調、第4楽章はハ短調-ハ長調と、楽章が進むにつれて長三度ずつ上方へ進行し、終楽章において主調に戻っている。これはすでにベートーヴェンに見られたものであり、両端1・4楽章が長・短調の関係をもって明暗のコントラストを持つこともベートーヴェンの第5番(運命)に類似している。

だが、この第1番の初演のとき終楽章の主題がベートーヴェンの第9交響曲〈合唱付き〉と似ているという指摘に対してブラームスは「そんなことは驢馬(ろば)にだってわかる」と言ってのけている。つまりベートーヴェンの影響下にあることは織り込み済みの上で彼にはもっと大きな自信があったのだろう。実際リストやワーグナー派が主流になった当時のロマン派的風潮の中で、ブラームスはむしろ時代と逆行して形式を重んずるバロック音楽やベートーヴェンを手本として独自な世界を作っていった。本来持つロマン的な感性と思考としての論理性の葛藤の中で、ブラームスは誰も成し得なかった独自の交響曲を創作していったのである。

第1楽章は、序奏を持つソナタ形式。序奏では重厚なハーモニーがティンパニによって導かれ、全曲を統一する主要動機が次々に現れ緊迫感を高めていく。主部はアレグロ ハ短調 8分の6拍子。ヴァイオリンによるエネルギッシュな第1主題が提示され展開された後、第2主題が木管によって柔和に歌いだされ、激しく展開されていく。

第2楽章はアンダンテ・ソステヌート ホ長調 4分の3拍子で三部形式である。ヴァイオリンが美しい第1主題を提示するのだが、その背後にファゴットが同じテーマをユニゾンで演奏している。この辺りは北の大地ハンブルク生まれのブラームス特有の分厚いオーケストレーションの特徴となっている。その後オーボエが表情豊かに第2主題を奏でるのだが、第3部では同じ主題が独奏ヴァイオリンによって極めて印象的に演奏される。

第3楽章も三部形式で、ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ 変イ長調 4分の2拍子。第1主題はクラリネットで牧歌風に始まるのだが、10小節から成るこの主題は前半の5小節のフレーズがそのまま反転して後半の5小節を形成している。この辺りはブラームスのユーモアに満ちた遊びということだけでなく、論理的なこだわりという意味で細部まで徹底するのに十数年という歳月を要した原因ではないかと考える。中間部ではブラームスが生涯好んで用いた2つの動機が現れる。〈運命の動機〉が管楽器に現れ、弦楽器による〈死の動機〉がそれに応える。なおこの2つの動機はリズムの核として全編を通して登場する。

第4楽章、アダージョ ハ短調の序奏と、アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ ハ長調 4分の4拍子で展開部の無いソナタ形式。再現部で展開部を兼ねさせているのが大きな特徴だ。重々しい序奏とまるで嵐のような激しい弦のパッセージの後、ピウ・アンダンテ ハ長調の美しいアルペンホルン風の旋律は、ブラームスが愛するクララ・シューマンに贈った歌曲から引用されている。そして歓喜のコラールともいえる第1主題がヴァイオリンによって歌いだされ、様々な変奏の後、経過句的な第2主題が提示される。それと同時に音楽は熱を帯び、輝かしいクライマックスへと向かっていく。そしてこの「勝利のフィナーレ」が発想のすべてのもとであり、最初に構想されたのではないかと僕は考える。

初演は、1876年11月にカールスルーエの宮廷劇場でオットー・デッソフの指揮によって行われ、直後にはブラームスの指揮によりマンハイム、ミュンヘン、ウィーンでも演奏された。

 

モーツァルト/交響曲 第40番 ト短調 K.550

「モーツァルトの三大交響曲」と呼ばれる第39番から第41番までは、死の3年前にウィーンで書き上げられた。第39番が1788年の6月26日、続いてト短調の第40番が7月25日、第41番(ジュピター)が8月10日という驚くべき速さである。それぞれの交響曲が1ヶ月足らずで作曲され、そのうえこの3曲が音楽史に燦然と輝く不朽の名作なのだから畏れ入る。だが、どういった目的で作曲されたのか、つまり委嘱を受けて書いたのか、コンサートのためなのか自発的に書きたいから書いたのか(当時の状況からするとあり得ない)判明せず、実際に演奏されたのかでさえ疑わしいのである。

が、ト短調の第40番は演奏された確率が高い。その根拠は原曲にはクラリネットが入っていないのだが、改訂版には入っている。つまり何らかの必要に迫られて改訂されたのだから、用途(演奏)はあったということになる。

曲の美しさと完成度は人類が到達できる最高峰のものであることは間違いない。しかし、この名曲は同時に当時では考えられない調性の実験をしている。

第1楽章の展開部はなんと半音下の嬰ヘ短調から始まりさらに下降するという不安定な調性が続いていくのである。美しさと裏腹のこの不気味さがいっそうこの曲の神秘さを増している。

第2楽章は、まれに見る高雅で気品ある緩徐楽章である、と言われているがそれは表面だけ、これほど完璧な方程式のような無駄のない書法は、情緒的なものなど寄せ付けない厳しさがある。第3楽章のメヌエットは、ヴァイオリン群の強い2拍子系とヴィオラ・チェロ・コントラバスの3拍子系という上下2つの声部に分割され、対位法的な鋭い緊張とエネルギーをはらんで絡み合う。これに対してトリオ部では、なだらかな旋律が優しく歌いかわされるのだが、それが救いではある。

終楽章は、強弱対比の著しい第1主題で始まり激烈なパッセージが続き、一気に我々をデモーニッシュな世界へ連れて行く。ここでも展開部では刺激的な転調を重ねながら対位法的な声部の交差で劇的なクライマックスへと上り詰める。ブラームスが地上の音楽であるとするならば、モーツァルトはすべてを超越した、まさに天上の音楽である。

 

最後にこの2曲を指揮するにあたって、僕が考えたことはできるだけスコア(総譜)から読み取れる情報をそのまま再現すること、ブラームス、モーツァルトが作曲するにあたってどこに苦心したか、どう響いてほしいかを作曲家としての眼で読み取ることであった。だから、ドイツ的、ウィーン的なヨーロピアンな響きということには重きを置いていない。それはベルリンフィル、ウィーンフィルの演奏を聴いたほうがいい。常々考えることがある。我々、亜細亜人がクラシックを演奏するということは、そして少しでも価値があるとするならば、伝統にとらわれない自由な解釈(それもまっとうな)をする、あるいは徹底的に譜面を読み込み、別の視点で再構築することしかないのではないか。それが古典芸能ではなく、現代に通じるクラシック音楽のあり方ではないかと僕は考える。

久石譲

(【楽曲解説】 ~CDライナーノーツより)

 

 

「ブラームスの交響曲第1番。作曲家として譜面に思いを馳せると圧倒されて、自分の曲作りが止まってしまった。20年近くかけて作られただけあって実によく練られている。あらゆるパートが基本のモチーフと関係しながら進行していくのに、そのモチーフが非常に繊細で見落としやすく、読み込むのに相当な時間を要した。バーンスタインがマーラーに取り組むと3か月間は他のことができないと言っていたそうだけど、分かる気がした。その分、強い精神力が養われたけどね。ただ、あんまり突き詰めたもんだから、今度は多くの人に届くような曲がもう一度作れるだろうかという不安な気持ちも出てきた。芸術家は「自分はアーティストだ」と宣言した瞬間に成立するけど、エンターテインメントの世界でやっていくには、受け手の支持がないと始まらない。そういう時にたまたまSMAPの曲(「We are SMAP!」)を依頼されて、「遠慮せず行けるところまで行ってみよう」と振り切ることができたんだ。」

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より) 抜粋)

 

 

 

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

Brahms Symphony No.1 in C minor Op.68
ブラームス / 交響曲第1番 ハ短調 作品68
1. I. Un poco sostenuto-Allegro
2. II. Andante sostenuto
3. III. Un poco allegretto e grazioso
4. IV. Adagio-Più andante-Allegro non troppo, ma con brio
Mozart Symphony No.40 in G minor K.550
モーツァルト / 交響曲第40番 ト短調 K.550
5. I. Molto allegro
6. II. Andante
7. III. Menuetto:Allegretto
8. IV.Finale:Allegro assai

指揮:久石譲
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
録音:2010年2月16日 東京・サントリーホール

 

Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』

2010年7月28日 CD発売 WRCT-2001

 

「久石譲 クラシックス・シリーズ」第1弾

音楽家 久石譲が作曲家・演奏家としてではなく
指揮者として新しい視点とアプローチでクラシック音楽に挑んだ
選りすぐりのクラシック名曲集。

音楽はこれほどまでに論理的だったのか!
微細(ミニマル)な音までこだわった究極のクラシック

 

 

「誰がために音楽はあるか」

”久石譲クラシックス・シリーズ”のアルバムを発売することになった。

クラシック音楽は、一応音楽大学でモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、バルトークなどの古典を勉強したが……「?」 それよりシュトックハウゼン、ジョン・ケージ、クセナキスといった現代音楽の方にのめり込んだ。

不協和音の複雑な音響とそれぞれの作曲家の思想に当時の今を感じたからだ。当然スコア(総譜)は何連音符も重なり真っ黒でありそこには調性もリズムもなかった。人間が理解する限界を超えた作品も多かった。「誰がこれを聞くのか?」「誰が理解できるのか?」という素朴な疑問も浮かんだその頃は「これが芸術だ」という時代の先端のカッコ良さを感じた。

その後、ミニマル・ミュージックに出会った。ミニマル・ミュージックは1960年代にアメリカで始まった新しい手法(当時は)で最小音型を繰り返しながら微細な変化を聴く音楽である。ここには調性もリズムもあった。僕がそこで取り組んだのは集団即興演奏の今で言うシステム構築に当たる方法の追求である。

次第に譜面は図形化していき丸い円の中にいくつかの音符が存在するという、もう生粋の前衛スタイルになっていた。また繰り返しの音楽は、やはり独特の演奏スタイルが必要なのでプラーナ(古伝書)アンサンブルという演奏団体も作った。誰もいない客席に向かって僕たちは新作を発表し続けた。

また何人かの若手作曲家と共同で新作の発表会も続けた。前衛的な音楽ではその音楽を成立させている思想性が重要になり、そこで流れる音自体はさほど問題ではない。あくまで結果なのである。いきおい仲間内では議論が多くなり、相手を論破することに夢中になる。徹夜の議論を繰り返していくうちに疑問がわいた。「これは音楽をすることなのか?」「これがオレのやりたい音楽なのか?」そして「誰に聞かせたいのか?」

その気持ちが年々強くなっていったとき、フィル・マンザネラやブライアン・イーノのロキシー・ミュージックを聴いた。ロックグループなのだがベーシックなアプローチはミニマル的要素が大きかった。そこには現代音楽が失った自由があった。そしてマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」(これは映画『エクソシスト』にも使われた)、タンジェリン・ドリーム、テクノ・ポップのクラフトワークなど、ミニマル的アプローチのロックグループが次々に現れてきたのをみて僕は動揺した。そちらの世界がうらやましくなったのだ。そしてオブスキュア・レーベルの一連のロック、ミニマルの融合したアルバムを聴くにおよんで前衛作曲家、ひいてはクラシック音楽の世界と決別し、エンターテインメントの音楽世界に身を投じた。その方が良いミニマル的なアプローチができると思ったからだ。

エンターテインメント音楽は非常に厳しい世界だ。芸術家は自分がある日「芸術家だ」と標榜すれば、あるいはそう思えは芸術家なのである。そしていつの日か認められる(シューベルトなど)ことを信じて生きていくことはできるが、エンターテインメント音楽は自分が決めるのではなく聴衆が決めるのである。つまり支持されないと仕事は来ない。しかも書法のテクニックなど無関係に時代の世相、流行に左右される。ある意味でジャンクフードをうまそうに食べるような逞しさも必要だ。

毎年200名近い人が音楽大学の作曲科を卒業し、その人たちがずっと何十年もたまっているのだから、それはもう数万人規模の作曲科卒とバンド出身の作曲家がいて、そしてそのほとんどの人が映画やテレビの音楽を担当したがっているのである。だから仕事をゲットすることはサッカーのワールドカップ決勝戦のチケットを手に入れることの数万倍、数十万倍難しいのである(この原稿当時ワールドカップが南アフリカで開催されていた)。

などと鼻息が荒くなったが、要は色々苦労してやっと映画音楽や様々な音楽を書く機会に出会えたということだ。もちろんミニマル作家としてのプライドもあり、色々なところにミニマル的要素を織り込んだことは間違いない。

段々規模の大きな作品を担当するようになると、オーケストラを使う機会が多くなった。そこで参考として、いわゆるクラシック作品の楽譜を眺めていると、実に多くのヒントを受けるようになった。

学生時代に授業で受けたスコアリーディングのベートーヴェンは退屈きわまりなかったし、チャイコフスキーに至ってはただしつこく繰り返しながらクライマックスに向かう山師的コザックおじさん、ブラームスはただただ音の分厚い暗い人くらいに思っていたのが(ちょっと誇張しているが)、今では細部の和音の扱い、弦楽器の音域配置、低弦でのリズム処理など恐ろしく知的で、これに行き着くために血みどろの葛藤があったことが読み取れるようになった。僕は感動し、クラシック音楽の前にひざまずいた。まさしく僕にとってクラシックは玉手箱(パンドラの箱)であった。

それは2004年に始めた新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラといったプロジェクトでクラシックの指揮をするようになったことにも起因している。作曲家として読む譜面と指揮者で読む譜面はまるで違う。前者は音の組み立てやリズムの構造、全体の構造などモチーフに則した楽曲の成り立ちに主眼をおくし、後者はそこまでの過程は同じでも演奏するための実践的な各パートへの指示などを中心に組み立てていくのである。

そうすると今まで見えていなかった景色が見えて来た。何故金管楽器をここで休ませたか? ここのフェルマータの意味は? 考えていくとすべてが必然であり、すべての指示には意味があった。先人たちの深い知恵に脱帽した。もっと知りたいしこの感動を指揮者として多くの聴衆に伝えたい。

そして「久石譲クラシックス」とうコンサートシリーズを開始した。同時にその思いは諦めたはずの現代音楽の作曲家としての自分を「Minima_Rhythm(ロンドン交響楽団と共演)」というアルバムを作ることで復活させ、今年からは国立音楽大学の作曲科の授業で学生たちとも接することになった。クラシックの世界に戻ったというか、放蕩息子、火宅の人がやっとたどり着くべき我が家に帰ったのに近い感覚だ。

しかしそれまでの回り道も悪くない、「色々な音楽を体験した」のは僕であり、それだからこそわかることもある。自分の生きる原点は音楽にあり、目指す彼方も音楽なのである。だから「誰がために音楽はあるか」の問いに僕は「自分が生きるため」と答えるし、それは多くの人たちの「自分のため」の音楽とリンクしているはずだ。その人たちに向かって僕は発信し続けていく。

そんなことを考えている中で「久石譲クラシックス」のライヴ盤がCD化される。恥ずかしさと同時に今でしか伝えられないこともあると思う。それはシューベルトやドヴォルザーク、ブラームスやモーツァルトなどといった曲は、小・中学校の音楽の授業でも扱うくらい一般的で(もちろん実際クラシックのコンサートでも頻繁に取り上げられているが)おなじみの曲ではあるのだが、実際指揮者として譜面を勉強してみると、何と深く立派な作品であることかと驚く。長い間人々に支持された曲はそれだけで充分名曲なのである。

だが、例えばドヴォルザークの「新世界より」を何十回も振っていたら消えてしまうであろう新鮮さといった類を、そのまま新鮮と感じているうちに、皆さんと共有したい。もちろん素晴らしいオーケストラの団員のサポートがあってこそ成立しているのだが。

またこの機会に今までなじみが無かったクラシック音楽に自分も接してみたいと思う人が一人でも現れたら、このCDの存在意義は達成されると僕は考える。

もちろん歴史的な名曲たちを現代の作曲家の観点からもう一度再構築したいという野望は当然ある。作曲家が頭の中で辿ったはずの曲を作る過程を追体験し、彼らが構築したかったこと、うまくいかなかったこと、こだわったこと、そして何よりも純粋に音の機能と運動性を重視して表現したい、それが西洋の伝統を持たない我々の表現であるし、今という時代とクラシックの唯一の接点であると考える。それは「誰がために音楽はあるか」の答えでもあると僕は考えている。

2010年6月 久石譲

(CDライナーノーツより)

 

 

久石さんの「新世界より」と「未完成」の指揮に寄せて

「個人的な希望だけど、指揮者として『運命』『新世界より』『未完成』を振ってみたい」。3年前の夏、久石さんの口からこんな発言が飛び出した時、ぼくは本当に驚いた。ぼくたちが普段親しでいる”久石譲”と、誰もが一度は耳にしたことがある”学校名曲”が、にわかに結びつかなかったからだ。しかし、本盤に収録された「新世界より」と「未完成」のライヴ録音を聴いて、ぼくは3年前の驚き以上の衝撃を受けた。「楽譜に書かれている音符は、聴衆の前ですべてを明らかにする」という分析的なアプローチを、久石さんが頑なに守り通し、また、それを見事に実践いていたからである。

本盤を手に取られたリスナーは、「楽譜なんか怖くて読んだことがない」と尻込みせずに、ぜひともオーケストラの総譜(ミニチュアスコアが簡単に入手できる)を眺めてほしい。久石さんの指揮を聴きながら楽譜を見ると、音符を目で追うことがとても易しく、しかも楽しく感じられるはずだ。それだけでなく、久石さんの演奏は「新世界より」と「未完成」を何百回となく聴きこんできたリスナーにも、多くの新鮮な発見と驚きをもたらしてくれる。

例えば、「遠き山に陽は落ちて」のイングリッシュホルンの第1主題でおなじみの「新世界より」~第2楽章も、久石さんのタクトにかかると全く違った表情を見せ始める。第1主題を第1ヴァイオリンが受け継ぐ時、第2ヴァイオリンがひそやかに囁くシンコペーションの意味深さ(30小節目から)。あるいは嬰ハ短調の中間部、フルートとオーボエがひなびた歌を奏でている裏で、反復パターンを繰り返す第1ヴァイオリンの木の葉のざわめき(54小節目から)。久石さんは、まるで「細部に神は宿りぬ」と言わんばかりに、どんな小さな音符や音形も見逃さず、すべてを白日の下に晒していく。これら膨大な細部の積み重ねなくして、「遠き山に陽は落ちて」が人々の記憶に残ることはあり得なかった。その厳然たる事実を、久石さんは慎重にメスを執る解剖学者のように明らかにしていくのである。

巨匠風の重々しいテンポで演奏される「未完成」も実にショッキングな演奏だ。その第1楽章、木管が「♯ファーシー♯ラシ♯ド」と吹く第1主題や、チェロが「ソーレーソ♯ファソラー」と弾く第2主題が美しいことは、誰でも知っている。だから久石さんは、それらを必要以上にカンタービレを強調して歌わせることはしない。その代わり、シューベルトの歌謡的な旋律の美しさの影に隠れた”地味”な側面を、久石さんは謙虚に、しかし確信をもって強調していく。第1主題の裏でいつ果てるともなく繰り返しを続ける、ヴァイオリンの16分音符と低弦のリズムのうねり(9小節目から)。あるいは、展開部に入ると弦が刻み続ける、全身を揺さぶるようなトレモロの震え(338小節目から)。これらリズムやトレモロを、久石さんは一音たりとも疎かにせず、まるで階段を一段一段踏みしめていくように、はっきりと、魂をこめて演奏していく。その結果、もはや「未完成」が”学校名曲”のままでいることは、あり得ない。この曲が驚くほど微小(ミニマル)なモザイクの上に築き上げられているという核心的な真実を、ぼくたちは久石さんの指揮を通じて知ってしまったからである。

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

ドヴォルザーク/交響曲 第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」

19世紀後半のチェコの偉大な作曲家ドヴォルザークは何といってもクラシックの3大メロディーメーカーのひとりである。勝手に僕が決めているだけなのだが、ちなみに後の二人はビゼーとチャイコフスキーだといっているのだが、それではシューベルトはどうなのかと問われたらもちろん、と答えてしまう程度のタニマチ的ベスト3なのである。

とにかく今で言うところの、最も優れたキャッチーな作曲家である。ブラームスは「彼がゴミ箱に捨てたスケッチでシンフォニーが1曲書ける」というほどドヴォルザークのメロディを評価していた。

が、それだけではなくスコアを追っていくとよくわかるのだが、とても緻密にオーケストラを書いている。色々なモチーフ(音型)を散りばめ、ポリフォニックに構築しながら全体の構成に気を配っている。ところが、幸か不幸か、あまりにもメロディがキャッチーなため、「タータータータータターン(第4楽章の10小節目)」と派手にホルンとトランペットが第1テーマを鳴り響かすと、聴衆の耳はそちらに集中するので、メロディの後ろの緻密さにはなかなか気づかない。

「新世界より」は、ドヴォルザークがニューヨークにある音楽院の学長として呼ばれ、1983年、アメリカで最初に書いたシンフォニーである。初演はカーネギーホールでニューヨーク・フィルハーモニック協会管弦楽団によっておこなわれた。それは一大センセーショナルを巻き起こすほどの大変な成功を収めた。

この楽曲の本質はタイトルから迫ることができるだろう。楽譜を出版する際にドヴォルザーク自身の合意のもとでつけられたのが「新世界(The New World)」ではなく、「From the New World(新世界より)」だった。

ドヴォルザークが異国の地であるニューヨークに滞在したときに一番考えたことは、自分の故郷であるチェコのことではないだろうか。異国の地に長く滞在すると感じる望郷の念を、おそらく彼も人一倍に感じたに違いない。そのうえアメリカの先住民(インディアン)や多種多様なフォークソング(民謡)黒人霊歌に接する機会があり、作曲的なインスピレーションも受けた。だからこの曲に関して言えば、新天地・アメリカと、故郷・チェコのモチーフが、微妙に交じり合い独特な情緒的世界を築いている。

そして、忘れてはならないドヴォルザークのもう一つの大きな特徴は、独特なリズム感にある。我々日本人には到底真似できないほどの複雑なリズム、これは彼のおそらく血の中にあるスラブ的リズムだろう。特に第3楽章では、顕著に現れる。3拍子の速い楽曲なのだが、そのリズムも聴きどころの一つである。

 

シューベルト/交響曲 第7番 ロ短調 D.759 「未完成」

シューベルトは、31歳で亡くなった。が、その若さで、実に膨大な数の曲を書いている。1822年に作曲されたこの「未完成」は、彼が没後45年目に初演されたのだから、生前は一度もこの曲を聴いていないことになる。

だからなのだろうか、実はこのスコアをみると(こんな偉大な先達にこんな言い方は失礼千万なのだが)、これはあり得ないだろうと思う譜面の書き方をしている箇所がある。例えば、クラシックをかじった人ならわかると思うのだが、ソ・シ・レ・ファという和音があると、ソとファの長二度でぶつかる音をそのまま、フルートからオーボエ、クラリネット、ファゴットまで、オクターブユニゾンで書いてある。

実演していたならば、きっと書き直したに違いないと思ったが、実際に僕がリハーサルで指揮をして気づいたことは、そのナタで割ったようなスパッとした書き方が、この「未完成」という曲の独特の魅力になっていることだった。もちろん響きを作るうえでこの「未完成」はとても難しい曲である。オーケストレーションに問題は確かにある。が、美しいメロディの裏側にある激しい感情の起伏をどうとらえるか表現方法は全く異なってしまう。また2つの楽章が同じ3拍子で、楽想も長調と短調の差はあるが極端なコントラストを描いてはいない。実際シューベルトの音楽はこの長調と短調を揺れるがごとく行き来するので、すべての感情は哀しみに包まれるのだが、それゆえ全体の構成が掴みづらいのである。

そのうえ成立しなかった第3楽章のスケッチが残っているのだが、これも確か3拍子であったと記憶している。思いに任せて書き綴っていったが長い交響曲の性格上、これでは構成的ににっちもさっちもいかなくなって先が続かなかった、つまり「未完成」に終わったというのが僕の推理である。が、しかしそれがこの曲を中途半端にしたわけではない。むしろ同じ方向で書くべきことはすべて書き尽くしたから筆を休めたわけで、沢山の曲を平行して作っていったシューベルトは、しかも締め切りは無く思いつくまま作曲していたのだから、またいつかこの曲の神が降りて来てもおかしくないわけで、続きを本当に書くつもりだったのかもしれない。何よりも音楽史上最も魅力的な言葉「未完成」を手に入れたのだから作曲家冥利に尽きる。

シューベルトの最も天才的な部分は、ハーモニー感覚の凄さにある。普通は、ある調からある調に移るには正当な手続きを踏んで転調するように書くのだが、シューベルトはたった一音で次の調に自然に移ってしまう。例えば、第1楽章の38小節目のホルンとファゴットが最後の2音だけで転調してしまうのだ。或いは、第2楽章の後半で、第1ヴァイオリンだけになり、その最後のたった一音で完全に転調してしまう(280小節、295小節など)。これほどの天才は他に見たことがない。

シューベルトは本当に書きたいから書いた。注文を受けて書いたのでも、コンサートがあるから書いたわけでもない。村上春樹氏曰く、ひたすら自分が書きたいから書いた。クラシックの世界での評価は形式がイマイチである、歌曲のメロディのようだといった風評があるが、僕の考えでは、そんな次元の人ではない。本当に書きたいから書いた。湧いて出るから書いた。

最後に音楽評論家吉田秀和氏の言葉を引用しておく。「シューベルトは、社会の中に自分のいる場所がどこにも無いことを発見した、最初の近代音楽家であった。彼のように、他の人間を誰ひとり傷つけることなく、創造一途に生きる人間は、社会からはじきだされるほかなかったのである。誰から注文されたわけもないのに、音楽を書き、いつ演奏されるというあてもないのに音楽を書くということは、モーツァルトにも、ベートーヴェンにも、非常に稀な場合のほかには考えもおよばないことだった。~中略~彼は虚空に向かって、歌を歌った」 虚空に向かって、歌を歌ったシューベルトを僕は表現できたのだろうか……。

久石譲

(【楽曲解説】 ~CDライナーノーツより)

 

 

 

「僕の指揮はメロディーのパートをほとんど振ってなくて、ビオラなど内声を受け持つ人たちに「もっと出して!」って指示している。CDに収録したドボルザークの「新世界より」はその典型だよね。メロディーが有名すぎて、ともすれば他の音の印象が薄くなってしまうけど、それぞれのハーモニーが持っている素晴らしい響きを伝えたかった。作曲する時も同様で、内声をどう書くかで表情が決まる。メロディーの果たす役割は大切だけど、楽曲にとっては全体の一部でしかないんだ。」

「指揮をするにあたり、東洋人がクラシック音楽をやるのはどういうことなのかということを考え続けた。西洋音楽として本格的なものを味わいたければ、ウィーンフィルやベルリンフィルを聴けばいい。しかし、現代音楽の作曲家としてその楽曲をどうとらえるかという観点では、今を生きる自分がやる意味がある。」

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より) 抜粋)

 

 

 

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』

Dvořák Symphony No.9 in E minor Op.95 《From the New World》
ドヴォルザーク / 交響曲 第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」
1. I. Adagio-Allegro molto
2. II. Largo
3. III. Scherzo. Molto vivace
4. IV. Allegro con fuoco
Schubert Symphony No.7 in B minor D.759 《Unfinished》
シューベルト / 交響曲第7番 ロ短調 D.759 「未完成」
5. I. Allegro moderato
6. II. Andante con moto

指揮:久石譲
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
録音:2009年3月24日 東京・サントリーホール

 

Disc. SMAP 『We are SMAP!』

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2010年7月21日 CD発売 VICL-63666

 

SMAP 19枚目のオリジナル・アルバムへの楽曲提供。ラストを飾る「We are SMAP!」作曲・編曲を手がけている。作詞は爆笑問題の太田光という豪華コラボレーション。「シルク・ドゥ・ソレイユ クーザ日本公演イメージソング」にもなっている。

7分半にも及ぶ壮大な曲は、大きな世界観をもっている。おそらく2000年以降ほとんどポップスソングに携わっていないなか、久しぶりに生バンドやシンセ音源とフルオーケストラというアレンジの妙を聴くことができる。

壮大なダイナミックな曲ながら、かなり緻密に計算された音が散りばめられている。後半は子供たちによるコーラスも入り、さながら博覧会テーマソングのよう。ぜひ歌なしのインストゥルメンタル・アレンジヴァージョンを聴いてみたい作品。

 

 

we are smap!

16.We are SMAP! 作詞:太田光 作曲・編曲:久石譲

 

Disc. 久石譲 『LIFE』 *Unreleased

2010年5月 TVCM放送

 

中部電力 CM音楽「LIFE」

2010年5月より、中部地区限定にて放送

「CO2を出さない」という事実篇
「安定供給できる」という事実篇

ピアノとオーケストラによる、格式ある上品な曲。

未発売曲であり、未CD化作品。

 

30秒CMのため、楽曲も30秒でフェイドアウトするが、実際は45秒程度作られている。またこのCM用には2バージョン用意されていた。違いはアタマの数小節、ひとつはピアノのメロディのみから始まるバージョンで、もうひとつはそのピアノにクラリネット音色も加えたバージョン。レコーディングの段階で、CM前半にナレーションを乗せるかどうかがまだ決まっていなかったため2タイプ用意される。最終的に選ばれたのはピアノとクラリネットのバージョンで、CMの前半約15秒は音楽を聴かせたいという中部電力の希望によるものである。

 

 

また、2011年5月1日「中部電力 創立60周年謝恩コンサート「LIFE」久石譲コンサートが企画され、ここでコンサート初お披露目の予定であったが、事情により公演中止となった。