Blog. 「月刊ピアノ 2000年4月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/05/30

雑誌「月刊ピアノ 2000年4月号」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

北野(武)さんは、音楽抜きで映画を撮れたらサイコー、と思ってるんじゃないかな。

北野武、宮崎駿監督らの映画音楽の作曲で知られる久石譲は、その仕事をどう捉えているのだろうか。

一昨年から去年にかけて半年間、ピアノに向かうことをやめていたというインタビュー記事を読んだ。それはなぜだったのか。まずそのへんのことから聞いてみたい。

 

ピアノはスポーツだからまずはジムで体力づくり

ー昨年、ピアノを半年間弾かない時期があった、という記事を拝見したんですが?

久石:
「一昨年の秋のツアーを終えてから夏ごろまで、ピアノから遠ざかっていたんですよ。理由は簡単なんです。ツアーで全国10ヶ所くらいを回って、もうピアノはいいや、と思った。技術的にもうこれ以上うまくならないや、というような諦めもふくめて(笑)。一方で、もし続けるなら、いま以上のレベルにいかなければいけないという思いもあって、そのいずれかの決断の時期だったんです。そこで一度、ピアノから離れてみたほうがいい、と。そうこうしているうちに、昨年の秋、イギリスのバラネスク・カルテットとツアーを回ることになった。でも、やっぱりピアノは弾かないで、今度はジムばっかり通ってたんです(笑)。僕のピアノはというか、日本人のピアノの欠点だと思うんですけれど、リズムが弱いんですよ。ところが、彼らは弦楽四重奏でテクノ・ポップをやっちゃうようなバンドだから、圧倒的にリズムがいいんですね。彼らと1ヶ月間ツアーを回ったら、これは負ける、と思った。そこでジム(笑)。僕はピアノを弾くことはスポーツだと思っていたから、まったくスポーツと同じように、筋肉を鍛えて、身体からつくりなおしていったんです」

ーそれで、ツアーのほうはどうでしたか。

久石:
「恐れていたとおり、彼らは素晴らしかったですよ。初日から2、3日めまでは、我々日本チームのほうがいいんですよ。ところが、彼らは日々よくなる。馬力を出してくる。彼らが楽曲を理解して納得して弾いたとき、絶対に日本人はついていけない。僕はそのときに自分はどう対応するかと考えていて、一応、狙ったとおりにはできたんです。体力つけたのは正解でした」

ー狙ったとおりというのは、まずは馬力ですか。

久石:
「そう、まずは馬力でしょう。それから、リズム。ツアーではピアノはほんと打楽器だったんです。ドラムと同じ役割で、ずっとリズムをキープしつづける。16分音符で4分5分弾きつづけるというのは、すごく大変なんです。つっちゃって、つっちゃって。そのつっちゃっているときに、いきなり今度はメロディアスなものを弾かなきゃいけなかったり。チェロのニックは、腕は太いしすごくいい体格をしている。でも、自分たちの楽曲を1曲弾いたときには、もう手がつっちゃって弾けない。想像以上にきついラインナップでした。それについていくには、やっぱり一に体力でしょう」

ーバラネスク・カルテットとは新作アルバム『Shoot the Violist』でも共演なさってますよね。

久石:
「そう、彼らはほんとにすごいミュージシャンなんですよ。音楽するとは、音を出すというのはどういうことか、教わりました」

ーどういうことなんですか。

久石:
「譜面をなぞるような演奏をしていても、絶対に音楽にならないということ、なにも表現できないということが、よくわかった。多くの日本のミュージシャンたちは、このことを忘れてます。バラネスク・カルテットといっしょにやってみて、日本の演奏家と組むのはイヤだな、と正直思いました。自分の書いた曲を聴いて、あっ、こんなふうに自分の音を出してくれたのか、とその演奏家を尊敬したいし、僕自身も感動したいんですよ」

ー日本人にそれを求めるのはむずかしいですか。

久石:
「むずかしい、ほんとにむずかしい。テクニックのうまい人は山ほどいるんです。でも、じゃあ、なぜ自分はこの楽器をやって音楽をやっているのかという意識をちゃんともっている方は少ない。したがって、たぶんこの人と話したら1分で寝ちゃうだろうな、と思うような人が多すぎる(笑)。この人はこうやって生きてきて、それでこういう音が出てくるんだ、と思うと、いっしょにお酒を飲んでいても楽しいし、音楽の話もしたくなるわけです。ヨーヨー・マのインタビューを聞いていても、素晴らしいですもの。まず、人間として素晴らしい。海外では、14、5歳でジュリアード(音楽院)を卒業したなんていう人がけっこういます。彼らが偉いなと思うのは、そのあと一般の大学に入りなおして、哲学だったり美学だったり、人によっては経済だったり学んでいるんです。要するに、音楽しか知らないような狭い視野では人間としてダメだと、もっと広い知性をつけたり、もっと人間をみがかなくてはと。そうじゃないとダメなんですよ、ほんとは」

 

映画音楽に、映画を超えた壮大な広がりがあるのだろうか

ー映画音楽の作曲はどのようにして?

久石:
「映画というのは、基本的に監督のものなんです。僕はスタッフとして、自分はこう思うけれど、監督ならどうだろうというところで、決断をします」

ーすると、監督と意見がぶつかることはない?

久石:
「ないですよ。僕の場合、映画音楽では、わりと引いたところでしか仕事のスタンスをとってこなかったから。僕は、映画のなかの音楽に壮大な宇宙があるかというと、あんまりないような気がするんです。それはその監督の世界だから。だって『七人の侍』を見て、音楽が素晴らしかったとはいわないでしょう。音楽はやっぱりバックグラウンド。もちろん、そこに自分の世界を確立しなくちゃいけないし、少しはもっているつもりでいるけれど、そのこちらの世界で、たとえば今回の『Shoot the Violist』の音で、北野さんの映画を全部やろうとは思いませんよね。監督のいうことを全部聞いたうえで、それでも自分の世界が出るように、という努力の仕方なんです」

ー北野監督はどんなことをいってきますか。

久石:
「北野さんはね、さあ、映像を撮ったぞと、ポーンと僕のほうに預けて、さあ、音楽つけてみやがれ、っていうかんじですね、いつも。生易しいものじゃない。できたら音楽抜きで映画を撮れたら最高だな、と思ってると思いますよ。志ある監督はみんなそうです。また今回も(音楽に)助けられちゃったなあ、ってたまにいいますからね。それはお互いさまで、「Kids Return」にしても「HANA-BI」にしても、核になっている部分は、北野さんのアイディア。北野さんの映像に出会わなければ、ああいうメロディーは書かなかったわけですから、半分は北野さんの作曲だと思ってますよ」

ー今年のはじめに映画音楽家の佐藤勝さんが亡くなりましたね。

久石:
「佐藤さんは一生、映画音楽家でしたよね。僕のお師匠さんなんです。若いころは、佐藤先生の作品を何度も手伝いましたし」

ーそうだったんですか。佐藤さんは、黒澤明監督の遺稿を映画化した『雨あがる』の音楽を手がけて、自分のもっているものを全部出しちゃった、とおっしゃったそうですが、そんなふうに全部出しちゃったと思えることってあるんですか。

久石:
「ありますね。滅多にないけれど、ありますね」

ー『Shoot the Violist』はどうですか。

久石:
「ありましたね。それまで、どちらかというと、あくまで仕事としてソロアルバムをこなしていたところがあるんですよ。はい、北野さんの映画終わった、ソロアルバムの締め切りはここ、はい、次の映画……みたいな調子で。ところが、この『Shoot the Violist』については、さあ、次になにをやろうかじゃなくて、このアルバムのなかにしか次にいく解答はない、というかんじがしています」

ー最後に、お話が戻りますけれど、いまこうしてまたピアノを弾いてらっしゃるということは、もっと上にいこうと思われたわけですね?

久石:
「いきたい、と思いましたよね。自分のスタイルをつくらなければいけない時期って、どこかでくるから。あのツアーを、レコーディングをこなしてみて、はじめて見えたところはあります。ピアノをやめることはないなと、いまは確信しています」

(月刊ピアノ 2000年4月号より)

 

 

久石譲 『Shot The Violist〜ヴィオリストを撃て〜』

Disc. 久石譲 『Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~』

 

 

 

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