連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第17回:「主題歌の条件」
映画と主題歌の関係について、少し考えたい。
主題歌と劇中音楽の「役割分担」は難しい課題だ。久石もかつて、自身の著書「Iam」のなかで、主題歌を用いることに対し、「よほど細心の注意を払って使わないと、映画の内容とチグハグになって、かえって白けることも多い」と指摘している。
確かに、宣伝目的で内容と関係ない主題歌を取り入れる映画は、依然として存在する。エンドクレジットで、突然、不釣合いな主題歌が流れてがっかりした経験は、誰にもあるだろう。
しかし久石は、同書で「観客に直接訴える分、感動も大きいし、理解も深められる」と記している通り、主題歌の存在そのものを否定しているわけではない。例として「ティファニーで朝食を」(1961年)のヘンリー・マンシーニによる主題歌「ムーン・リバー」を挙げ、「映画のテーマ曲の理想」と讃えている。
映画にとって、理想的なテーマ曲とは何だろう。久石は「歌でも、インストゥルメント(器楽曲)でも、どっちでもいける曲」と定義する。
映画音楽の中心となるテーマ曲は、作品中で何度も使用される。「ムーン・リバー」のメロディーは、主題歌としてはもちろん、様々な場面の要求、編曲に耐えうる力を持っており、最近のテレビドラマなどで見られる「歌のために作られたメロディーを、安易に編曲したもの」とは、一線を隠す。
久石はさらに強調する。「主題歌は、楽器のみで演奏してさまにならなければ意味がない」
その考えを実践したのが、宮崎駿監督と組んだ2作目の作品「天空の城ラピュタ」(86年)だろう。同作の主題歌「君をのせて」は、繰り返し登場するテーマ曲の到達点として、物語を締めくくる。
続く「となりトトロ」(88年)では、作品のイメージそのままの「せいいっぱいに口を開き、声を張りあげて歌える歌」という監督の要望に久石が応え、今や誰もが知っている「さんぽ」が生まれた。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーによれば、宮崎監督は「映画には主題歌があってほしいと思っている人」だ。だからこそ、主題歌は大切な「作品の一部」でなければならない。
久石による主題歌を採用していない「魔女の宅急便」(89年)や「紅の豚」(92年)でも、その信念は一貫している。
もちろん、「ハウルの動く城」の主題歌「世界の約束」(作詞・谷川俊太郎、作曲・木村弓)でも。
監督には、谷川が書いた「涙の奥にゆらぐほほえみは」で始まる歌詞が、どうしても必要だった。
しかし、一方で、久石が作曲した劇中音楽と明らかに違うメロディーを、どうやって作品内で一体化させるかという課題が生まれた。
久石は、これを解決するため、新しい試みに挑んだ。自ら新たに同曲を編曲し、テーマ曲のメロディーを織り込んで、作曲者が違う曲を一つのものとして表現したのだ。久石が自身のものでない主題歌を編曲するのは、初めてのことだ。
果たして、その結果は──。(依田謙一)
(2004年5月14日 読売新聞)