Blog. 「月刊ピアノ 2006年10月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/11/27

ピアノ楽譜付きマガジン「月刊ピアノ 2006年10月号」に掲載された久石譲インタビューです。

オリジナル・ソロアルバム『Asian X.T.C』の発表、活発となったアジア映画音楽の仕事、アルバムを引き下げての国内ツアーに、アジア五都市でのオーケストラ・ツアーです。

 

 

Pianist interview

久石譲

最新CDはアジアをテーマに、秋にはコンサート・ツアーで全国をまわる

次はアジアでいこう、という方向に風が吹いてきた

つねに新しい”何か”をテーマにかかげ、独自の音楽、そして映画を彩る音楽を次々と作り続けてきた久石が、今回、形にしたものは”アジア”。韓国の大ヒット映画『トンマッコルへようこそ』をはじめ、中国、韓国映画の音楽を数多く手掛けたこともきっかけとなり、彼は、自分の原点を探ることにベクトルを向けたのだった。

 

Depapepe、いいでしょう? 音楽に年齢は関係ないからね

-アジアをテーマにしたアルバムを作ろうという考えはいつごろからあったんですか?

久石:
「たとえば、トトロの中の『風のとおり道』だってそうだし、いま流れている伊右衛門のCM曲だってそうだし、アジア的なものをモダンな視点で作る、というコンセプトはずっとあるんです。今回は、もっとコアなところで、自分のなかのアジア的なものをきちんと確認して、それをアルバムとして表現しようと思ったんですよ。ここ数年、韓国映画や中国映画の音楽をやる機会が続いて、漠然と、次はアジアだなって決めていたところもあったし、そういう時期がきたな、という」

-自分のなかのアジア的なものを確認する、というのは具体的には?

久石:
「音楽をやっていると、目がどうしてもヨーロッパやアメリカに向いてしまって、そっち経由で見ちゃうところがあるんですよ。ピアノだって西洋楽器なわけだからね。そういう意味でいうと、アジアというのは近いのに最も遠い国、という感じなんです。でもぼくはアジアの一員で、自分自身を確認するうえでも、音楽的に自分がアジア人として何ができるのかをすごく考えたんですよね」

-確かにアジア的なサウンドですが、いままでの久石さんの世界から大きく逸脱した印象はありませんね。

久石:
「中国とか東南アジアの楽器を使えばアジア的になるかっていったら、そういうものでもなくて、結果的に使うのはいいんだけど、元々、音楽のコンセプト自体が西洋っぽいところに、そういう楽器を使ったからって、アジアにはならないんですよ。自分のなかのアジアを確認するということは、まずぼくの音楽の原点を考える、ということだったんです。そうしたら、ミニマルミュージックをもう1回作品として取り組みたいという強い意識が出てきたんですよ。学生時代はフィリップ・グラスやマイケル・ナイマン、スティーヴ・ライヒなんかを追いかけていたわけですけど、それをそのままやるわけじゃない。ミニマルが自分のアイデンティティを通ったときに、イギリス人でもアメリカ人でもない、アジア人が作ったミニマルになるわけですよね。それをいま、きちんとやるべきだと思ったわけです」

-韓国の大ヒット映画『トンマッコルへようこそ』(日本では10月公開)のテーマ曲がニューアレンジで収録されていますが、Depapepeのギターサウンドが新鮮でした。

久石:
「いいでしょう? たまたま、ぼくが通っているジムの受付の女性にDepapepeっていいですよ、って言われてね。でも、知らなかったんだよ、そのとき。で、すぐにCDを聴いてみたら、本当によくて。なんか一緒にやりたいなあと思ったんですよね。ぼくと彼らと3人だけで、どんなふうになるのかなと思ったんだけど(笑)すごくいい感じだった」

-きっと、ふたりは緊張したでしょうね。いきなり久石さんからのオファーで。

久石:
「音楽に年齢は関係ないからね。もし自分を中途半端に巨匠だなんて思ってるようなところがあったらできなかったかもしれないけど、そんなこと思ったらそこで終わっちゃう。ぼくは新しい出会いを大事にしたいし、彼らもすごく伸び伸び演奏してくれて、和気あいあいとやれましたよ」

-ワールドワイドになっていく活動のなかで、久石さんのフットワークはどんどん軽く、自由になっているように感じます。

久石:
「変なこだわりがなくなってるのかもしれないですね。自由になるためにはチャレンジしていくしかないし。やりたい、と思ったことも多少実績を積んできたことで、前よりも実現しやすくなってるのも確かだし」

-年末にはテーマの仕上げとしてアジア五都市でのツアーもありますが、その前の国内のツアーはどんな内容になるんですか。

久石:
「今回はバラネスクカルテットと一緒にやります。彼らとは6、7年前にも一緒にやったんですけど、そのとき、とてもいろいろなことを勉強したんですよ。演奏に関して。彼らはぼくが考えうる現代的なカルテットのなかではナンバーワンなんです。ロック、ポップスのようなリズム感から、クラシカルな実力も全部あわせ持ってる。自分が求めている音楽を最も表現できる弦楽四重奏団ですね」

-その直後はアジア五都市で、しかも各地のオーケストラと共演するそうですね。

久石:
「台北で始まって、北京、香港、上海、年明けはソウル。去年からやってきたアジアというテーマの仕上げとして、アジア各地でやりたいという気持ちは強くあって、あといろんなオーケストラとやることで、文化の交流ができればいいなと……なんて言っちゃうと大げさだけど、ダイレクトに、自分の音楽を、ぼくの指揮で彼らがどう演奏するか、どういう反応がくるのかすごく楽しみなんです。アジアといっても、各国全然違いますからね。そんな多様なアジアの魅力を存分に楽しみたいと思っています」

(月刊ピアノ 2006年10月号 より)

 

 

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「週刊ポスト 2006年9月22日号」著書『感動をつくれますか?』 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/11/26

雑誌「週刊ポスト 2006年9月22日号」に掲載された久石譲インタビューです。久石譲著書『感動をつくれますか?』発売にあわせての内容です。

 

 

ポスト・ブック・レビュー
著者に訊け!

久石譲

即物的なテレビや携帯が隆盛を極め、「感じる心」を失った日本人への伝言

音楽・久石譲──。そのクレジットを映画のオープニングやCM画面で目にするたびに、こういうトクベツな人間のもとには何もせずとも音楽が天から舞いおりるのだろうと、私たちはその奇蹟に易々と嫉妬しがちである。だが果たして、現実はどうなのか。『もののけ姫』『ハウルの動く城』といった一連のジブリ作品や北野武作品、CM『伊右衛門』『いち髪』などいまやトップブランドの趣さえある久石譲氏の音楽。その創造の現場を詳(つまび)らかにしたのが、本書『感動をつくれますか?』である。

結論から言えば、奇蹟は奇蹟的に、直感は直感的に、感動は感動的に、ただただもたらされるものではなかった。感動を”つくる”という、まさに死にもの狂いの工程が本書には言葉を尽くして綴られ、とかく曖昧にされがちな感性や直感の正体にも真正面から迫る。

いわく〈モノづくりは感性に頼らない!〉──創造し続ける人間にしか語れない言葉が、ここにはある。

 

 

〈ものをつくる姿勢には、二つの道がある〉〈一つは、自分の思いを主体にして、つくりたいものをつくる生き方〉〈もう一つの在り方は、自分を社会の一員として位置付けてものづくりをしていく在り方〉とある。そして作曲家・久石譲のスタンスは、意外にも後者だと。

 

「作曲家というのは、もちろん自分の頭の中で曲を作るんですが、その曲を第三者が聞き、共有して、初めて完結する世界ですから、そもそもが社会的な存在だと僕は思っている。

だからと言って、できるだけ沢山の人に聞いてもらうことが”正義”なのかというと、これがまた違うわけですね。自分がつくりたいものと社会的需要の間で常に揺れながら、どこまで独創的なものをつくれるかに心を砕く。その行為自体が社会的ですし、それ以前に誰しも生活している時間の8割5分は人間関係に悩み、社会での役割に悩むもの。僕ら音楽家だっていろいろあるんですよ(笑)。

そんな社会の一員である自分を受け入れることは、しかし何ら自分を損なうことにはならないと僕は思うんですね。それは曲をつくる人間であろうと工業製品をつくる人間であろうと、たぶん変わりはない」

 

『第一章 「感性」と向き合う』、そして『第二章 直感力を磨く』では、〈より完成度の高い”良い音楽”を書く〉ために、久石氏が自らに課す心得が披露される。

まず作曲家として最もプライオリティを置いているのは〈とにかく曲を書きつづけること〉。ハイレベルの力を継続的に発揮してこそ一流であり、そのためには〈その時々の自分の気持ちに依存しないことだ〉〈気分は感性の主軸ではない〉。

また気分に煩わされないよう、環境も徹底して整える。生活に一定のペースを保ち、食事や睡眠も、空腹でなかろうと眠くなかろうと定時にとる……あたかも長距離走者のように創造というゴールに向かって坦々と過ごす日々が綴られる。

 

「そうは言っても僕も誘惑には思い切り弱い人間なんで、遊びの誘いにはとりあえず乗る。そしてもう帰らないとやばいなと思いつつ飲んで、翌日反省する……スタティックにやってたら人間死んじゃうよ(笑)。それでも、いい音楽を書きたいという芯だけはブレない。そもそも規則的な生活にしても何にしても、すべてはいい音楽を書くための方策なわけで、あらゆる行動や選択の基準をこれと決めているから、逆に楽なのかもしれないですね。だいたい人間が本当に創造力を発揮できるのは1日2時間が限度だと思う。むしろ集中力を失った状態で仕事にしがみつくほうが危険で、自分が凄いものをつくっているような気になったり、主観に走りがち。主観だけでも、客観だけでも、いいものはつくれませんから」

 

〈日本人は、漠然としたイメージだけで「感性」という言葉を大事にしすぎている〉と語る久石氏によれば、感性と呼ばれるものの95%は、その人の知識や体験を土台にしたあくまでも論理的な思考。残る5%が感覚的な閃き、直感で、〈これこそが”創造力の肝”だ〉。

だからその直感はただ待っていれば降って湧くものではなく、論理の限界を自覚しながらも論理を重ね、あらゆる作為が意識から削ぎ落とされた地点に到達してようやく、〈頭で考えていたものを凌駕するものが生まれてくる〉。そのためには感覚的な自分も、論理的な自分も〈すべてひっくるめたカオス状態の中で向き合っていくこと〉……。久石氏が〈迷路の中で音を見つける悦び、これは音楽家として最高の悦びといってもいい〉と書くとき、その興奮と歓喜は読む者にも手に取るように伝わってくる。

 

「悲しい場面に悲しい曲」の薄っぺら

さて本書には昨今の感動をめぐる風景への戸惑いも微かににじむ。

とりわけ若年層における〈感じる心〉の鈍化は〈今日的な緊急課題になっている〉と久石氏は書き、〈感じる心が希薄であれば(中略)どんな事実もその人の頭と心を素通りしていくだけだ。それはすなわち無知となる〉と。

 

「感動が薄っぺらで底の浅いものになりつつあるのは事実でしょうね。例えばポップス系のライブに行くと観客は1曲目から総立ちで”感動”している。あればその場にいる自分に感動しているだけなんだろうな。

音楽でも映画でも、ある表現に重層的にこめられたものを汲み取ることをして初めて、熱くて深い本物の感動はあると僕は思う。でも今はテレビにしても常時テロップを流して、考えずとも情報が全部伝わるようにつくってあるし、携帯のような便利なツールがあることで、逆に人と関わるという本来圧倒的な経験からも感動が薄れてきている」

 

その果てに広がるのは、想像力を働かせるべき奥行きをなくした単純な世界。悲しい場面に悲しい曲が求められ、自分で考え、感じなければわからないものは、排除される一方だと。

 

「ある美術大学の教授が、19世紀には絵画に出会って人生が変わった人間が大勢いた、しかし20世紀に入って美術は社会的影響力を失い、21世紀はもはや絶望的、音楽はまだいいですね、と嘆いていた。でも音楽にしても、あるいは映画にしても、昨今の状況を見れば、こちらの感動も結構怪しくなっている気がする。

この、説明されないものを読み取り、感じ取る力の低下は、もしかすると日本が抱えている相当大きな問題で、一見大ごとに見えないのがかえって恐いよね。そして音楽はそれでは困るんです。想像力がなければひもとけない世界に生きることを誇りに思う僕としては、何とかしなければと」

 

だからというわけではないが、ここ数年、久石氏の感性は「アジアの風」をとらえているのだという。

 

「10月に出るアルバム『Asian X.T.C.』のテーマもそうなんですが、陰と陽なり、神と悪魔なり相反するものを両立させてしまうアジア的世界観が、僕の中ではとても大事なものになっていて……。信ぜよ、さらば救われんというキリスト教的価値観とは対照的に、南無阿弥陀仏と唱えていれば救われるとする懐の深さが、こんな時代にこそ必要なのかもしれない。

善悪や損得というった二元論で物ごとを決めつけず、混沌(カオス)の中にもどこか規律のあるアジアのよさ、ある種の官能性になぜ惹かれるのかと言えば、僕自身が常に混沌の中でのたうちまわっているからかもね(笑)。でもそうでなければ重層的で奥行きのある、つまり本当の感動に値する音楽などつくれない。表層的、即物的な情報を処理するだけの人生なんて淋しすぎます」

 

羞恥心さえ自在に操り、自分を開け放てるのも、ひたすら音楽のため。そういう仕事には人格すら宿るのだと教えられる、すべての仕事人のための実用書である。

構成/橋本紀子

 

 

”アジアの風”を感じる
久石氏が「感動」した一冊

『シッダールタ』 ヘルマン・ヘッセ著 岡田朝雄訳 草思社

ヘッセ後期の傑作を新訳。最上位階層バラモンの恵まれた境遇を捨て、苦行の旅に出た美青年・シッダールタ。あらゆる欲を、知への渇きさえも憎んだはずの彼が〈世界をあるがままにまかせ、それを愛し、この世界と進んで密接に結ばれるようになることを学〉ぶまでの魂の彷徨。

「シッダールタとは仏陀の幼名。でもドイツ人のヘッセは仏陀とは別人のシッダールタの物語を描くことで、仏教でもキリスト教でもない新たな価値観を創出する。さすがノーベル賞作家です」(久石氏)

 

(週刊ポスト 2006年9月22日号 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「月刊ピアノ 2001年7月号」映画『Quartet』 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/11/25

音楽雑誌「月刊ピアノ 2001年7月号」に掲載された久石譲インタビューです。

初監督作品となった映画『Quartet カルテット』についてたっぷり語っています。

 

 

初監督作品は、まず初めに音楽ありき、の純音楽映画

音楽は僕をけっして幸せにはしない。こんなに苦しんでるのだから

宮崎駿、北野武ら名監督の作品の音楽を手がけてきた久石譲が、音楽映画『カルテット』を初監督。音楽ってそれほどのものですか。『カルテット』では何よりこの台詞をいわせたかったのだという。すでに2作目の監督作品も撮り終えたところだという彼に、初監督に挑んだワケを聞いてみた。

 

音楽とドラマが密にからんだ、ほんとうの”音楽映画”を撮りたかった

-初監督ですね。とてもおもしろい撮り方をなさったそうですね。スタッフたちは、ふつうなら脚本を持つところを、譜面を手にして撮影に臨んでいたとか。

久石:
「ふつうはいい絵をつないで、あとで音楽を作りますよね。ところが、『カルテット』は音楽を先に作ったから、時間軸がまず固定されちゃう。つまりMTVというか、ああいうビデオクリップと同じ作り。まず音楽があって、それに対して必要な映像を撮るというやり方なんです。譜面をもとにこの小節ではこっちの角度から撮って、こっちはアップとかっていうのを事前に作っておかないといけなかった」

-作曲しながら、同時に映像も考えていったんですか。

久石:
「それは、脚本の段階で見えてました。自分の原作の話だし、共同ですけど、同時に脚本も書いてましたから、脚本を書く段階でどういう映像にするかというのは、当然考えてますよね」

-それに合わせて、作曲したわけですね。

久石:
「そうですね。音楽が台詞代わりみたいなところがすごく多いから」

-やっぱりそうですか。

久石:
「クライマックスなんかでも、台詞はほとんどなくて、演奏していたり走ったりしてるだけというのが多いから。音楽が、台詞となって語ってなきゃいけない。その辺は大事にしました」

-演奏シーンは全体のどのぐらいを占めてるんですか。

久石:
「う~ん。4、50分くらいかな」

-4分の1から3分の1くらいですか。

久石:
「そうなると思いますね。日本で音楽映画って実はないんですよ。『ここに泉あり』っていう、経営危機に陥った群馬交響楽団が再生するまでを描いた映画がありましたけど、それ以外はあんまりないんです。海外には『シャイン』だったり『ミュージック・オブ・ハート』『海の上のピアニスト』『シャンドライの恋』『ブラス!』とかたくさんあります。でも、たしかにいっぱい音楽を演奏してるけど、シチュエーションにしか音楽がなってないんですよね。主人公が音楽家である証明にしかなってない。音楽がドラマとからんでクライマックスに向かっていくっていうのがないんですよ」

-音楽映画とはいわれているけど、実はそうではない?

久石:
「と、僕には思えてしまうんですよ。音楽家が主人公だから音楽映画になってるんだけど、音楽が主役になってるかどうかっていったら、あんまりなってない気がする。その辺を、僕はもっとやりたかった」

-具体的にはどんなふうに、音楽がストーリーとからんでいるんですか。

久石:
「メインテーマに相当する楽曲が、主人公のお父さんが作った曲という設定で、最後にコンクールを受けるときに、その楽曲で受けるわけですね。お父さんは優秀なコンサートマスターで、ソリストだったんです。それがある日、オーケストラを辞めて売れない弦楽四重奏団を始めたことで、家庭は窮乏、お母さんは家を出てしまって、家庭崩壊。主人公は、父親に対する恨みと、イコール音楽に対する恨みみたいなものとを両方抱えちゃってるという設定で、物語は始まるんです。それが最後に、父が残した弦楽四重奏を演奏することで、ある意味で父親を受け入れていく、と。その主人公の心理の変化の過程が、音楽をやっていく過程でわかっていくっていうかね。その辺がちゃんと出ればいいな、と」

-40曲くらい作られたとうかがってますが?

久石:
「演奏するシーンはそのくらいありますけど、同じ曲をリハーサル・シーンで繰り返しやりますから。それがいろんな音楽だったら、通常の音楽映画になってしまうでしょう。何のためにそこで音楽を演奏するのかといったら、単に音楽家だからじゃなくて、このドラマに即してリハーサルをしているわけですから。コンクールを受けるためのリハーサルだったら、いろんな曲をやったらヘンですよね。だから、実は、音楽映画としては音楽がすごく少ないんですよ」

-たしかにそんなに必要ないですよね。

久石:
「あともうひとつ、本当のことを言うと、時間がなかった(笑)」

-『カルテット』は久石さんご自身の物語でもあるとコメントなさってますが、そうなんですか。

久石:
「ストーリーは自分とはそう関係ないんですけども、僕にとってのリアルという面でね。たとえば、大学のシーンをどこで撮ろうかと、いろんな大学を見せてもらったんですけど、結局、自分が出た大学、国立音大しかない、と。キャンパスの真ん中にはやっぱり噴水(笑)。あったほうがいいんじゃなくて、なきゃいけない。庭ではラッパを練習していないと。ピャラララ、ピャラララとかってやっててくれないとダメなんです(笑)。監督というのはみんなどこかで虚構をやってるから、ウソっぽくなることをすごく恐れるんですね。そこでいちばんリアルなのは、自分の体験なんですよ」

-父親という存在を取り上げたのは、どうしてですか。

久石:
「父親をひとつのテーマにやりたいというのは、最後までこだわった部分ですよね。17歳の犯罪とか、少年事件が多発してますよね。報道を見ていると、彼らには父親の顔が見えないんですよ。事件に対応しているのは母親ばかりで。本来、ロックミュージシャンがね、なぜロックをやるかというと、父親の存在を乗り越えるためだったんですよ。つまり、いちばん身近な社会が父親だった。ところが、いまは父親がいない。いったいいつから日本はこんなになっちゃったのかなって。失われた父親ってやつをやってみたかった。やる必要がある、と」

-なるほど。久石さんは、音楽についても、「社会を反映できない曲を書きだしたらおしまいだ」ということをおっしゃってますよね。でも、音楽という抽象的なものに、社会をこめるってすごく難しいと思うんですけど。

久石:
「それはね、とっても深い問題で。僕はアーティストじゃないんですよ。芸術家じゃない。芸術家っていうのは自分を掘り下げていって、自分のことを表現できればOKなんですよ。僕がいまいるフィールドは一応ポップスフィールドなんですね。ということは、極端なことをいうと、売れてなんぼ、人に聞いてもらってなんぼ、という世界なわけですよ。一般の人たちが求めるニーズに無関係であってはならない。かといってニーズに迎合してもいけないんですよ。その辺のバランスがね……。時代の音ってありますね。それを、どこか自分のフォーカスのなかにちゃんと入れておかないと、いつのまにか孤立するだけになってしまう。たとえば、いま、ヒーリングが流行ってます。僕は癒し系って大嫌いなんですけど、でも、みんなが疲れてることは事実。だったら、エキセントリックではない音楽を聴きたいなというのが、ひとつの事実としてあるわけですよね。その部分はちゃんとつかまえておかないといけない」

 

音楽に対するコンプレックスが僕を走らせる

7月にスタートする福島県のうつくしま未来博・ナイトファンタジアの総合プロデュースと演出も担当なさって、そこでも映画を撮ってらっしゃるそうですね。2本目の監督作品ということになりますよね。

久石:
「『4 MOVEMENT』というんですけど、これは1本目の反省から、最新テクノロジーを駆使する方法でやってるんですよ。やっぱり100パーセント満足することって、ないじゃないですか。『カルテット』を撮りおえたあとも、あのシーン、なんでもうひとつ顔のアップを撮っておかなかったんだとか、そんなことばかり考えてたら、もう1本撮りたくなっちゃんたんですよね。『4 MOVEMENT』はね、すごくいい映像が何カットか撮れてるんです」

-何カットか、ですか。

久石:
「あっ、そういうこと言っちゃいけないか(笑)。でも、実はこれが映画のピンポイントなんですよ。北野監督もみんなおっしゃるんですけど、このシーンを撮りたくてストーリーを作ったということはあるんです。それが5つか6つ、その監督が命がけで、どうしてもこれを撮りたかったというシーンを持っている映画は、すべていい映画ですよ」

-そういうシーンのときには、音楽の音量は控えたりするんですか。

久石:
「音楽はないほうがいいくらいですよ(笑)」

-『カルテット』でいうと、どんなシーンですか。

久石:
「主人公が、お父さんが家を崩壊させてまでカルテットに打ち込んだことに対して、「音楽ってそれほどのもんですか」っていうシーンがあるんですよ。観ていると、すっと流れちゃう場面かもしれないけど、音楽家である僕が監督しながら、この台詞をいわせるっていうのは、すごく重いんですよね」

-久石さんのなかでそういう思いが?

久石:
「あります、正直いえば。こんなに全部を犠牲にして…。たとえば、この2日間すさまじい指揮をしました。その前は籠もりきりで一日10数時間、譜面を書いてます。そのまた前は、2ヵ月間籠もってレコーディング。1年間、ピアノにさわってないのに、ピアノをダビングするなんてことまで起きてくる。まったくよくやってますよね。何のためにやってるんだろうって、ふと思うことがあるんです。「音楽ってそれほどのもんですか」。この台詞をいわせるために、僕はこの映画を撮ったんじゃないかという気がしてます」

-いろんなものを犠牲にしてる、というかんじがあるんですか。

久石:
「もちろん、根底には、好きだからやってるというのがあります。ともかく、好きだからやってる。でも、音楽は僕個人をけっして幸せにはしてないんです。音楽のためにこんなに苦しんでるんだから。自分では、あんまり幸せな人生じゃないなってかんじはしてますよね」

-それでも、今回の初監督にしてもそうですけど、つねに新しい場所に向かって前進させてますよね。

久石:
「それはね、簡単なんです。音楽に対してコンプレックスがあるから」

-というと?

久石:
「つまり、僕よりうまいピアニストって山ほどいるし、僕よりもちゃんとスコアが書ける作曲家もいっぱいいるわけじゃないですか。いま、作ってる音楽にしても、いい部分もあるけど、こうやったほうがよかったかなっていう思いは、絶えずあるわけですよ」

-そういう意味でのコンプレックスですか。

久石:
「現実にも、もうちょっと早い曲を書けるんじゃないかとか、いろんなことを考えます。それを克服するためにやってるようなところがありますよね。どこかの落語家がいってましたけど、ふたつの道があって、険しい道といままでのやり方に近い道があると、必ず自分は険しい道を選んできたって。そういうわりにはその人たいした落語はやってないんですけどね(笑)。それと同じようなもので、安全なラインを狙わないようにはいつも心がけるんです。そうすると、ドキドキするじゃないですか。うまくいくかわからないから。だから、真剣になるでしょ」

-つまり、自分で自分を追い込んでいくわけですね。

久石:
「そういうことだと思いますよ。たとえば、『BROTHER』の作曲のとき、『ソナチネ』『HANA-BI』のラインを踏襲すれば問題なかったんですけど、あえて北野さんがあまり好きではないブラスの音を全面に押し出して、わりと硬質な響きにもっていった。これで説得したい、と思ったんです。そうなると、もう息が抜けませんよ」

-説得するには、それだけ構築させてないとできないですものね。

久石:
「そういうところで、自分を追い込んでいくんですよね」

-次はどこを見てらっしゃいますか。

久石:
「次は、秋のツアーに向けて、どうやってピアニストに戻れるか、去年はずっと映画を撮ってましたし、フランス映画の音楽もやったりで、実はあんまりピアノをさらってないんですよ。でも、秋は期待してていいですよ。久しぶりにフル・オーケストラとやりますから。頑張らなきゃと思ってます」

(月刊ピアノ 2001年7月号 より)

 

 

誌面写真下コメントより

「すごい名手が4人集まったからといって、弦楽四重奏はいい音を出せるわけじゃない。4人それぞれが個性的でありながら、どこかで自分を殺しつつ作りあげていったときに、はじめて音楽になる」

(月刊ピアノ 2001年7月号 より)

 

 

 

QUARTET カルテット

 

久石譲 『カルテット DVD』

 

 

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE III』

2018年11月21日 CD発売 OVCL-00685

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE III』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲主宰Wonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル 夢のコラボレーション第3弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲が“明日のために届けたい”音楽をナビゲートするコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、アルバム第3弾が登場。2017年のコンサートのライヴを収録した本作は、よりエッジの効いた衝撃力のある作品が選ばれています。ミニマル特有のフレーズの繰り返しや重なりが、感情を揺さぶる力となり、新たな感覚と深い衝撃を与えます。日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」が奏でる音楽も、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。レコーディングを担当したEXTONレーベルが誇る最新技術により、非常に高い音楽性と臨場感あふれるサウンドも必聴です。「明日のための音楽」がここにあります。

ホームページ&WEBSHOP
www.octavia.co.jp

(CD帯より)

 

 

解説 松平敬

本アルバムは、『MUSIC FUTURE』と銘打ったコンサート・シリーズからのライヴ録音である。「現代音楽」を超越した「未来音楽」を目指していこうという心意気の感じられる、野心的なネーミングだ。

2014年の「Vol.1」以来、毎年継続されているこの企画において終始一貫しているのは、ミニマル音楽への強烈なまでのこだわりだ。前衛音楽を経由し、「繰り返し」という音楽の原点に立ち返ったこの作曲技法は、もはや現代音楽の古典としての地位を確立している。実際、このジャンルの第一世代であるスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスらの名前は、いまやクラシック音楽以外のファンにも広く知られている。そして、このコンサートのプロデューサーである久石譲も、筋金入りのミニマリストである。ミニマル音楽にこそ音楽の未来への希望が詰まっており、その魅力を日本の幅広い聴衆へ伝えたい、という彼の信念が、このコンサート・シリーズ、そして本アルバム制作への原動力となっている。前述のライヒ、グラスなどのミニマル音楽の「古典」、そして彼らの精神を受け継ぎ、音楽の未来を切り拓いていこうとする、より若い世代の作曲家の作品、そして久石自身の新作という3つの核で、毎回のコンサートの選曲がなされている。

ところで、ミニマル音楽は、短い要素の繰り返しを作曲の基礎に置いていることから、ただ繰り返すだけなら演奏は簡単なのでは、と誤解されることが多い。しかし、実際は全くその逆である。例えば、ライヒの『クラッピング・ミュージック』のような小さな作品ですら、奏者の一瞬の気の緩みによって演奏全体が破綻してしまう危険を孕んでおり、その演奏には常に極度の緊張感を伴うことになるからだ。そして、そのスリルがあるからこそ、ライヴ演奏の高揚感も格別なものとなる。久石のこだわりの選曲による作品が、彼自身の指揮による、緊張感みなぎるライヴ録音で収録された点も、本アルバムの聴きどころとなるだろう。

2017年に開催された「MUSIC FUTURE Vol.4」からのライヴ録音を収めた本盤には、久石、ラング、G.プロコフィエフの3人の作品が収録されている。この三者に共通するのは、映画音楽、クラブ・ミュージックなど、ジャンルの壁を軽やかにすり抜けていく音楽性だ。多種多様な音楽を吸収してきた彼らの作品を聴き比べることによって、ミニマル音楽の多面的な魅力を楽しむことができるだろう。

 

デヴィット・ラング:
pierced

チェロ、ピアノ、パーカッションと弦楽合奏のための作品。作品全体は、続けて演奏される2つのセクションから構成されている。

ヘ短調の前半セクションを支配しているのは、ヴィブラフォン、チェロ、ピアノがユニゾンで奏でるジグザグとしたメロディーだ。この独特な造形感覚は、頻繁に跳躍する音程構造以上に、メロディーのリズム構造が鍵を握っている。例えば、各拍の分割(連符)は、2-3-2-3-4-3-2-3-4-5-4-3-2…というようにシステマティックに決定され、拍ごとに体感テンポが変化する仕掛けになっている。さらに、このリズムのいくつかの音が休符に置き換えられることで、リズム構造は、さらに入り組んだ様相を呈することになる。この特徴的なメロディーを弦楽合奏によるトレモロの持続音と、キック・ドラムとピアノの低音による不規則なリズム・パターン(これもまたシステマティックに構成されている)が支える。ちなみに、後者のリズムは後半セクションにも引き続き使用されることで、作品の統一を図る役割を果たす。

後半セクションでは、調性がイ短調に変わるだけでなく、音楽の装いも大きく変わる。ここで中心となるのは、チェロが奏でる、むせび泣くような息の長いメロディー。下行する半音によるたった2音のメロディーの繰り返しから、独特の悲哀が浮かび上がる。このシンプルさは、前半の、跳躍を多用した複雑なメロディー・ラインとのコントラストを意識したものでもあろう。ちなみにスコアには、むせび泣くニュアンスを出すために、このメロディーにグリッサンド的な処理を自由に加えることが指示されている。本録音でソリストを務める古川展生がどのように「泣いている」かは、録音でお楽しみいただきたい。後半セクションでは、これまでひたすら音楽的背景に徹していた弦楽合奏が、音楽の前面に現れる。パルスが加速するかのような同音連打の音形が、第1、第2ヴァイオリンとヴィオラの3声部で、エコーのように重なり合って演奏される。

 

ガブリエル・プロコフィエフ:
弦楽四重奏曲 第2番

彼の祖父は、ソ連の高名な作曲家セルゲイ・プロコフィエフ。『ターンテーブル協奏曲』を作曲するなど、クラブ・ミュージックからの影響が強いガブリエルであるが、祖父の疾走感溢れる音楽を思い起こせば、両者に同じ血筋が感じられるだろう。

『弦楽四重奏曲 第2番』は、クラシック音楽の王道と言えるこのジャンルにテクノ的な要素を持ち込もうとした作品である。

「極めてメカニカルに(テクノ風に)」と記された第1楽章を貫くのは、パルス状に繰り返される16分音符のリズムだ。このリズムが、はじめは間を置きながら短く提示され、それがグルーヴ感溢れる長いうねりへと盛り上がっていく展開は、まさにテクノ的。無機質な同音反復や、規則的なリズムで楽器のボディを叩くアイデアはドラム・マシンを彷彿とさせる。4分音ずれた音を重ねることで電子的なエフェクトを模倣する発想もおもしろい。

スケルツォ的な役回りを担う第2楽章では、ヴィオラがリフ的な短いフレーズを繰り返し、そこに他の楽器によるノイジーな音響が絡み合う。本楽章の基調をなすのは、8分音符で刻む規則的なリズム。要所要所で、そこに付点音符のリズムを拮抗させるアイデアが、シンプルながら効果的だ。

緩徐楽章となる第3楽章は、最も非テクノ的といえる。しかし、この楽章の要となる、気だるい3拍子のメロディーを伴奏するピッツィカートの音形には「オルゴールのネジを巻くように」と記され、やはり機械的な発想が明らかだ。

第4楽章は、ギターを掻きむしるかのような、ヴィオラのアグレッシヴなリズム・パターンで始まる。反復を基調とした要素が次々と出入りする発想こそテクノ的であるが、野性的な弦楽器の音色はむしろ民族音楽を想起させる。この楽章の最終セクションでは、第1楽章のパルス的な音楽が回帰する。はじめはゆっくりとしたテンポで、そして徐々にオリジナルのテンポへ加速する疾走感はSL機関車さながらだ。

 

久石譲:
室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》

3つの楽章からなるこの作品を貫くのは、久石が「Single Track」と呼ぶ、単旋律を主体として楽曲全体を構成する作曲技法だ。

第1楽章は、バンドネオンとピアノ、そして弦楽器の交替によって演奏される短いメロディーの繰り返しで始まる。このメロディーが変容していく過程で、メロディーのいくつかの音が木管楽器で演奏され、単一のメロディーに少しずつ色彩感が加わっていく。ホケトゥス(「しゃっくり」の意)と呼ばれるこのアイデアによって、単旋律から複数の旋律が浮き上がって聞こえる錯覚的な効果が生まれる。

楽章中盤以降、短音ばかりで構成されていたメロディーのいくつかの音が、残響音のように長く引き伸ばされ、メロディーに和声的な彩りを加える。さらにその後、メロディーのいくつかの音がパルス状に繰り返されることで、今度は「人力エコー」が実現される。

第2楽章は、ピアノとヴィブラフォンによる、うねるようなメロディーから始まる。バンドネオンは、このメロディーのいくつかの音を引き伸ばしながら、それぞれを「結び合せ」、長くゆったりとした、そして物憂げな新しいメロディーを導き出す。冒頭のテンポ感は一見、第1楽章のそれと類似しているが、バンドネオンのゆったりとしたメロディーが浮き上がることによって、第1楽章とのキャラクターの違いが明確となり、この曲が実質的な緩徐楽章であることが示唆される。

「Tango Finale」と題された第3楽章は、単旋律を主体とした先行楽章と異なり、まさにタンゴを彷彿とさせる、弦楽器による和音の繰り返しで始まる。しかしそれは、直後に演奏されるバンドネオンのメロディーの構成音を、和音へとまとめたものであることが、明らかとなる。バンドネオンの音色と、前述した弦楽器の和音の刻み、そして、時折現れるカスタネットによる合いの手など、タンゴ的な要素が醸し出す肉感性と、ミニマル音楽特有のメカニックなグルーヴ感が融合した、独特な質感を持つ音楽となっている。本作品は、今回の初演に参加している三浦一馬のバンドネオンを想定して作曲されている。特にこの第3楽章においては、彼の流麗な演奏そのものが、楽曲の一部になっているとも言えるだろう。

「室内交響曲」と銘打ちながら、あえてシンフォニックな響きを回避したシンプルな音作りに徹しているところも興味ぶかい。全曲を通じてバンドネオンがソリスト扱いされているものの、超絶技巧をひけらかしてオーケストラと対峙するのではなく、バンドネオンのメロディーに、様々な楽器の音色が塗り絵状に重なっていくことで、オーケストラとの融合が目論まれている。このコンセプトは、「音の調和」を意味する「シンフォニー(交響曲)」の語源に回帰しているとも言えるだろう。

(まつだいら・たかし)

(解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。

”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーを、2016年の「Vol.3」ではシェーンベルク、マックス・リヒター、デヴィット・ラングを、本作に収録された「Vol.4」では、フィリップ・グラスやガブリエル・プロコフィエフの作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナーノーツより)

 

 

 

久石譲 (1950-)
室内交響曲第2番《The Black Fireworks》
~バンドネオンと室内オーケストラのための~
バンドネオンでミニマル!というアイデアが浮かんだのは去年のMFで三浦くんと会ったときだった。ただコンチェルトのようにソロ楽器とオーケストラが対峙するようなものではなく、今僕が行っているSingle Trackという方法で一体化した音楽を目指した。Single Trackは鉄道用語で単線ということですが、僕は単旋律の音楽、あるいは線の音楽という意味で使っています。

普通ミニマル・ミュージックは2つ以上のフレーズが重なったりズレたりすることで成立しますが、ここでは一つのフレーズ自体でズレや変化を表現します。その単旋律のいくつかの音が低音や高音に配置されることでまるでフーガのように別の旋律が聞こえてくる。またその単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。第3曲の「Tango Finale」では、初めて縦に別の音(和音)が出てきますが、これも単旋律をグループ化して一定の法則で割り出したものです。

そういえばグラスさんの《Two Pages》は究極のSingle Trackでもあります。この曲から50年を経た今、新しい現代のSingle Trackとして自作と同曲を同時に演奏することに拘ったのはそのためかもしれません。

全3曲約24分の楽曲はすべてこのSingle Trackの方法で作られています。そのため《室内交響曲第2番》というタイトルにしてはとてもインティメートな世界です。

また副題の《The Black Fireworks》は、今年の8月福島で中高校生を対象にしたサマースクール(秋元康氏プロデュース)で「曲を作ろう」という課題の中で作詞の候補としてある生徒が口にした言葉です。その少年は「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」というようなことを言っていました。その言葉がずっと心に残り、光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸を連想させ、タイトルとして採用しました。その少年がいつの日かこの楽曲を聴いてくれるといいのですが。

久石譲

(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)

 

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.4」 コンサート・レポート より抜粋)

 

 

 

1曲目の『The Black Fireworks』では、オーケストラ各々の楽器が反復を奏で、それが幾重にも幾重にも重なり独自のグルーヴ感を生む。2曲目の『Passing Away in the Sky』では奥底にオリエンタルな響きを聴かせながら、突き刺さるように随所に入ってくるパーカッションが聴くものを覚醒させる。最後の『Tango Finale』では、前の2曲では最下層の音を支えてきたバンドネオンが縦横無尽に炸裂。これに併せるように各楽器の反復音が唸りを上げて暴れ出すや、ステージは美しい混沌状態となる。観客も息を呑む圧倒的な凄まじさだ。

Info. 2017/10/26 「久石譲 ミュージック・フューチャーVol.4コンサート開催」(Webニュースより) 抜粋)

 

 

 

[作品のアイデア]

「発表する場の問題はすごく大きいと思います。「MUSIC FUTURE」は、新しい、まだ誰もやってないようなことをチャレンジする、日本で聴かれない音楽を提供する場と考えています。そこで、古典的なスタイルよりは、たまたま今自分がやっているようなシングルトラックというか単旋律から組みたてる、この方法で、バンドネオンを組み込めないかというのが、最初のアイデアではありました。」(久石譲)

[作品のプロセス]

この作品、「8月の中旬まで全く手がつけられなかった」という。久石氏のことばを要約する。まず、2か月強でしあげなくてはならない。はじめは3つの楽章で、「最後はタンゴのエッセンスを入れた形に仕上げようと思った。だけど曲を書き出した段階で全く検討がつかなくなって……」2つの楽章を書いて、それぞれ異なった方法をとっているし、これで完成と考えた。すでに楽譜も送った。しかし何かが足りない。これがリハーサルの10日前。そしてこのあいだに1週間で最後の楽章を書き上げた。「これは今までにやったことがない」。

[作品について]

「ミニマル・ミュージックをベースにした曲はどうしても縦割りのカチカチカチカチしたメカニカルな曲になりやすいんです。でもなんかもっとエモーショナルでも絶対成立するんだというのがあって、それをチャレンジしたかったんですね。ミニマルなものをベースにしながらも広がりのあるものを、あるいはヒューマンなものを今回けっこう目指しました。」(久石譲)

[バンドネオンに対する固定概念]

「コンサートを終えてみて、バンドネオンという楽器に対して、自分の中で新しいものを獲得したという感覚がすごく大きい。今まで弾いてきたいろいろな曲のどれからも得られなかったものです。バンドネオンにはある種の固定概念がつきまとう。それが運命だし、どこか宿命にある楽器なんです。それをここまで強烈にバン!と影響を与えてくれる曲が今までなかったんでしょうね。ですからコンサートが終わって、何日かしても、ちょっと鼻歌で口ずさんじゃうくらい身体に入り続けているし、バンドネオンそのもので考えても、やっぱりタンゴとかそういうものとは違う奏法がやっぱり必要とされていたんだと思うんです。またミニマル・ミュージックという新しいジャンルが、僕にとってはじめて扉を開けた世界で、そこに足を踏み入れ皆さんとご一緒することができた。今度は僕が普段やってる音楽も考え方がちょっと変わってくると思うんです。バンドネオンのチラシとか、8割がた「魅惑の~」とか「情熱の~」とか「哀愁の~」とか入ります。そういうことじゃなく、フェアに楽器として考えるっていうのは常日頃から思っていることです。嬉しかったですね。」(三浦一馬)

 

Blog. 「LATINA ラティーナ 2018年1月号」 久石譲 × 三浦一馬 対談内容 より抜粋)

 

 

「結局、音楽って僕が考えるところ、やはり小学校で習ったメロディ・ハーモニー・リズム、これやっぱりベーシックに絶対必要だといつも思うんですね。ところが、あるものをきっちりと人に伝えるためには、できるだけ要素を削ってやっていくことで構成なり構造なりそれがちゃんと見える方法はないのかっていうのをずっと考えていたときに、単旋律の音楽、僕はシングル・トラック・ミュージックって呼んでるんですけれども、シングル・トラックというのは鉄道用語で単線という意味ですね。ですから、ひとつのメロディラインだけで作る音楽ができないかと、それをずっと考えてまして。ひとつのメロディラインなんですが、そのタタタタタタ、8分音符、16分音符でもいいんですけど、それがつながってるところに、ある音がいくつか低音にいきます。でそれとはまた違った音でいくつかをものすごく高いほうにいきますっていう。これを同時にやると、タタタタとひとつの線しかないんだけど、同じ音のいくつかが低音と高音にいると三声の音楽に聴こえてくる。そういうことで、もともと単旋律っていうのは一個を追っかけていけばいいわけだから、耳がどうしても単純になりますね。ところが三声部を追っかけてる錯覚が出てくると、その段階である種の重奏的な構造というのがちょっと可能になります。プラス、エコーというか残像感ですよね、それを強調する意味で発音時は同じ音なんですが、例えばドレミファだったらレの音だけがパーンと伸びる、またどっか違う箇所でソが伸びる。そうすると、その残像が自然に、元音型の音のなかの音でしかないはずなんだが、なんらかのハーモニー感を補充する。それから、もともとの音型にリズムが必ず要素としては重要なんですが、今度はその伸びた音がもとのフレーズのリズムに合わせる、あるいはそれに準じて伸びた音が刻まれる。そのことによって、よりハーモニー的なリズム感を補強すると。やってる要素はこの三つしかないんですよね。だから、どちらかというと音色重視になってきたもののやり方は逆に継承することになりますね。つまり、単旋律だから楽器の音色が変わるとか、実はシングル・トラックでは一番重要な要素になってしまうところもありますね。あの、おそらく最も重要だと僕が思っているのは、やっぱり実はバッハというのはバロックとかいろいろ言われてます、フーガとか対位法だって言われてるんですが、あの時代にハーモニーはやっぱり確立してますよね、確実に。そうすると、その後の後期ロマン派までつづく間に、最も作曲家が注力してきたことはハーモニーだったと思うんです。そのハーモニーが何が表現できたかというと人間の感情ですよね。長調・短調・明るい暗い気持ち。その感情が今度は文学に結びついてロマン派そうなってきますね。それがもう「なんじゃ、ここまで転調するんかい」みたいに行ききって行ききって、シェーンベルクの「浄夜」とか「室内交響曲」とかね、あの辺いっちゃうと「もうこれ元キーをどう特定するんだ」ぐらいなふうになってくると。そうすると、そういうものに対してアンチになったときに、もう一回対位法のようなものに戻る、ある種十二音技法もそのひとつだったのかもしれないですよね。その流れのなかでまた新たなものが出てきた。だから、長く歴史で見てると大きいうねりがあるんだなっていつも思います。」

 

(The Black Fireworksについて)

「一昨年夏にサマーセミナーみたいなものがありまして、福島でやったんですけど、震災にあわれた子供たちの夏のセミナーだったんですけどね。午前中に詞を作って午後に曲を作って一日で全員で作ろうよっていう催しだった。夏の思い出をいろいろそれぞれ挙げてくれっていった中に、一人の少年が「白い花火が上がったあとに黒い花火が上がってそれを消していく」っていう言い方をした。つまり普通は花火っていうのはパーンと上がったら消えていきますよね。あれ消えていくんじゃなくて、黒い花火が上がって消していく。うん、僕は何度もそれ質問して「えっ、それどういう意味?」って何度も聞いたんだけども「黒い花火が上がるんです」って。うん、それがすごく残ってましてね。彼には見えてるその黒い花火っていうのは、たぶん小さいときにいろいろそういう悲惨な体験した。彼の心象風景もふくめてたぶんなんかそういうものが見えるのかなあとか推察したりしたんですが、同時に生と死、それから日本でいったら東洋の考え方と言ってもいいかもしれません。死後の世界と現実の世界の差とかね。お盆だと先祖様が戻ってきてとか。そういうこう、生きるっていうのとそうじゃない死後の世界との狭間のような、なんかそんなものを想起して、もうこのタイトルしかないと思って。」

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 より抜粋)

 

 

 

2014年から始動した「久石譲 presents MUSIC FUTURE」コンサート。披露された作品が翌年シリーズ最新コンサートにあわせるかたちでCD化、満を持して届けられている。本作「MUSIC FUTURE III」は、コンサート・ナンバリングとしては「Vol.4」にあたる2017年開催コンサートからのライヴ録音。約500席小ホールではあるが、好奇心と挑戦挑発に満ちたプログラムを観客にぶつけ、二日間満員御礼という実績もすっかり定着している。

ライヴ録音ならではの緊張と迫真の演奏、ホール音響の臨場感と空気感をもコンパイルしたハイクオリティな録音。新しい音楽を体感してもらうこと、より多くの人へ届けること。コンサートと音源化のふたつがしっかりとシリーズ化されている、久石譲にとって今の音楽活動の大切な軸のひとつとなっている。

 

 

本作品に収録された「MUSIC FUTURE Vol.4」コンサート(2017)の、コンサート・レポートはすでに記している。初対面となった作品たち当時思うがままの感想、コンサート・パンフレットに掲載された内容、久石譲が追求する「Singe Track(単旋律)」の補足、コンサート会場の様子など。

 

 

CDリリースされた今は、この域を出ない。コンサート・パンフレット、CDライナーノーツ、雑誌インタビュー、これらによる作品解説が充実している。まずはじっくり音楽に耳を傾け、解説をゆっくりそしゃくしていくところから始めたい。これから先、新しい発見・新しい理解、思うところがしっかりと浮かびあがったときに、追記したい。

 

 

久石譲 presents MUSIC FUTURE III

デヴィット・ラング
David Lang (1957-)
1. pierced (2007) [日本初演]
 pierced

ガブリエル・プロコフィエフ
Gabriel Prokofiev (1975-)
弦楽四重奏曲 第2番 (2006)
String Quartet No.2
2. 1 Very Mechanical (alla techno)
3. 2 Allegro (freddo ma appassionato)
4. 3 fragile
5. 4 Allegro aggressivo ma sfacciato

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》
~バンドネオンと室内オーケストラのための~ (2017) [世界初演]
Chamber Symphony No.2
“The Black Fireworks” for Bandoneon and Chamber Orchestra
6. 1 The Black Fireworks
7. 2 Passing Away in the Sky
8. 3 Tango Finale

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (Conductor)
フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

古川展生(チェロ) 1.
Nobuo Furukawa (violoncello)

三浦一馬(バンドネオン) 6. – 8.
Kazuma Miura

2017年10月24、25日、東京、よみうり大手町ホールにてライヴ録音
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 24, 25 October, 2017

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE III

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 24, 25 October, 2017

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu, Masashi Minakawa
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Mastered at UNIVERSAL MUSIC STUDIOS TOKYO
Cover Desing:Yusaku Fukuda

and more…

 

Info. 2018/11/16 「MKWAJU/MKWAJU Ensemble」初の公式アナログリイシュー

マルチ打楽器奏者の高田みどり参加のMKWAJU ENSEMBLEが81年に発表した「Mkwaju」がついに公式アナログリイシューです。1stアルバムである「Ki-Motion」の再発を手がけた〈WE RELEASE WHATEVER THE FUCK WE WANT 〉がまたも復刻ワーク。日本音楽界の巨匠・久石譲が参加、加えてパーカションにはペッカー橋田、LOGIC SYSTEMの松武秀樹を迎えて製作された東洋ミニマルコンテンポラリー至宝。 “Info. 2018/11/16 「MKWAJU/MKWAJU Ensemble」初の公式アナログリイシュー” の続きを読む

【お知らせ】「ミュージック・フューチャー Vol.5」ニューヨーク公演風景 公開予定:11月末

11月11日開催「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.5」(ニューヨーク)公演のコンサート風景やプログラム情報は《速報》公開は11月末予定です。

11月21日、22日 日本公演(東京)を控えています。

予めご了承ください。 “【お知らせ】「ミュージック・フューチャー Vol.5」ニューヨーク公演風景 公開予定:11月末” の続きを読む

Info. 2018/11/04 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(ニューヨーク) プログラム 【11/7 Update!!】

Posted on 2018/11/04

2018年11月2~3日、久石譲によるスタジオジブリ宮崎駿監督作品演奏会がアメリカ・ニューヨークにて開催されました。

2017年6月パリ世界初演、「久石譲 in パリ -「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会-」(NHK BS)TV放送されたことでも話題になりました。

1984年公開の「風の谷のナウシカ」から2013年公開の「風立ちぬ」まで、宮崎駿監督と久石譲コンビが手がけた全10作品の音楽を演奏するスペシャルなジブリフィルムコンサート。巨大スクリーンに映し出される映画の名シーンと共に奏でられるオーケストラの迫力の音楽。指揮・ピアノはもちろん久石譲、共演オーケストラはハリウッド・フィルム・ミュージック・オーケストラ。 “Info. 2018/11/04 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(ニューヨーク) プログラム 【11/7 Update!!】” の続きを読む

Info. 2018/11/05 [Web] GQ JAPAN「作曲家・久石譲に訊く。なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?」公開

Web GQ JAPANにて「作曲家・久石譲に訊く。なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?」、久石譲インタビュー記事が公開されました。

これは雑誌「GQ JAPAN 2018年12月号」(10月25日発売)に掲載されたものと同内容Web版です。掲載写真もすべて同じものが公開されています。

ぜひご覧ください。 “Info. 2018/11/05 [Web] GQ JAPAN「作曲家・久石譲に訊く。なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?」公開” の続きを読む

Info. 2018/11/21 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー III」 CD発売決定!!

久石譲 主宰のWonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル
夢のコラボレーション第3弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲 presents ミュージック・フューチャーIII
発売日:2018年11月21日
税抜価格:3,000円
品番:OVCL-00685 “Info. 2018/11/21 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー III」 CD発売決定!!” の続きを読む

Info. 2018/05/16 [TV] NHK BSプレミアム「久石譲 in パリ」再放送決定!! 【11/1 Update!!】

Posted on 2017/11/27

9月に放送し大好評だった「久石譲 in パリ」の再放送が決定いたしました。
「Joe Hisaishi Symphonic Concert:Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」パリ公演の模様が再放送されます。ぜひご覧ください。

久石譲 in パリ -「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会-
放送局:NHK BSプレミアム
放送日:2017年12月30日(土)午後18:00-19:29 “Info. 2018/05/16 [TV] NHK BSプレミアム「久石譲 in パリ」再放送決定!! 【11/1 Update!!】” の続きを読む