Blog. 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回 定期演奏会」 コンサート・レポート

Posted on 2018/07/19

7月16日開催「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回 定期演奏会」です。「アートメントNAGANO 2018」のフィナーレを飾る最終公演、2016年から2年間をかけてベートーヴェン全交響曲を演奏するプロジェクトのシリーズ完結でもあります。

 

先立って5月に公開されたプロモーションで久石譲はこう語っています。

 

長野だからこそという「第九」になるのがいい。

ベートーヴェンの曲もリズムを重要視して書かれている。それを現代的なリズム感覚でNCOではずっとアプローチをかけて来たわけです。ですから単純に言うと速いです、テンポも。NCOはどうしても速いです。トータルで言うと、まるでロックを聴いたようなリズムで、興奮するねっていうようなベートーヴェンをやろうと。

(久石譲)

Info. 2018/05/06 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回定期演奏会」PV公開 より

 

 

まずはセットリストとパンフレットからご紹介します。

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第7回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2018/07/16

[公演回数]
1公演
長野・長野市芸術館メインホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサート・マスター:近藤薫
ソリスト:安井陽子(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(バスバリトン)
合唱:栗友会合唱団、信州大学混声合唱団、市民合唱団

[曲目]
久石 譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための
久石 譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」 (with mixed chorus)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 

解説

久石譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための

曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」の時、冒頭に演奏する楽曲として委嘱された。サントリーホールのパイプオルガンと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。

歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっています。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いています。そのため演奏が大変難しい作品です。約10分の長さですが、11/8拍子の速いパートもあり、難易度はかなり高いものがあります。

(*コンサート・プログラム歌詞掲載あり)

 

久石譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」

1984年に公開された映画『風の谷のナウシカ』のために書いた曲です。それをもとにして新たに交響組曲として2015年に再構成した楽曲で、今回は2曲「ナウシカ・レクイエム」と「鳥の人」を演奏します。

これは宮崎さんと出会ったきっかけでもあるので、人一倍思い入れがあります。よく宮崎さんとの映画でどれが一番好きですか?と聞かれます。僕は「全部好きですが、あえて選ぶなら『風の谷のナウシカ』です、ここから始まったんですから」と答えます。

久石譲

 

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

(*コンサート・プログラム ~柴田克彦氏(音楽評論家)による解説)

 

(アートメント NAGANO 2018 パンフレット より)

*同冊子には全公演データ(スケジュール/プログラム/解説/出演者プロフィール)が日本語・英語で収載されています。全77ページ。

 

 

ここからは個人的な感想、コンサート・レポートです。

どうしてもシリーズ完結はその場に居合わせたい!NCOが奏でる「Orbis」を聴いてみたい!体感したコンサートがそのままCD化される!一日の経験が一生の宝物になる、そんな期待に胸をふくらませこの日をとても楽しみにしていました。

長野市芸術館のホール開演ベルも久石さんが手がけたメロディです。優しいやわらかいその旋律は、木のぬくもりを感じる響きのよいホールに包みこまれます。

 

久石譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための

ベートーヴェン「第九」に捧げる序曲、この作品を取り上げるときには「第九」と並列プログラムとなる、過去のコンサート略歴からみても必然です。NCOがどんな「Orbis」を聴かせてくれるのか。リズムを武器にもつ若い精鋭たちがつくりあげる、これまたリズムを肝にした作品。圧巻でした。ソリッドで瑞々しい生き生きとしたリズム、ダイナミクスに富んだエネルギー溢れる勢い。まさに一点に集中した波紋の”環”が一気に解き放たれる瞬間。今のNCOだからこそ、久石譲のもとで3年間築いてきた成長と進化があってこその一期一会の「Orbis」がそこにはありました。重厚で威厳のある「Orbis」もいいけれど、生命力に溢れたエネルギッシュな「Orbis」もとびきり素晴らしい。音を楽しんでいる粒子たちが飛びかっているようでした。

2015年「Orbis」は全3楽章作品としても初演されていますが、本公演では2007年オリジナル版(2015年版第1楽章にあたる)のプログラムです。

 

久石譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」

合唱編成の組まれた本公演ならでは。合唱団も全プログラムにおいて出番があるというのも珍しいかもしれません。それだけリハーサルから本番まで大変だったと思います。観客としては得した気分でうれしいセレクトです。それはおのずと、公演によっては合唱編成なしの「ナウシカ」プログラムもあるということです。「風の谷のナウシカ」作品ほど、合唱編成ありなし、甲乙つけがたいものはないですね。合唱がなくても物足りなさを感じないオーケストレーションの完成度と壮大さ、合唱編成があるとまたそこに世界観が広がるような。不思議な作品です。別の言葉でいいかえるなら、稀にみる驚異的な作品です。

「Orbis」にはじまり「第九」まで。コーラスパフォーマンスも素晴らしく、オーケストラとも絶妙なバランスで溶け合っていました。「第九」のときに気づいたのですが、男女比は男声合唱のほうが多かったような気がします。これはなにか意図するものだったのか?たまたまなのか?(たまたまってことはないか)「第九」合唱編成のものさしを調べてみたけれど、わかりませんでした。

 

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

いまこの交響曲が生まれたばかりのようなエネルギーとフレッシュさ全開の快演。快速なんだけれど、勢いまかせではないかちっとそろったリズムとフレーズ。クラシック交響曲の金字塔といわれる「第九」、歴史と作品の重みから、畏敬や荘厳の精神性を込めた重厚な演奏が定番だとしたら、NCO版はそんな一種肩に力の入った窮屈さを解放してくれるような演奏。もしかしたら、当時の人たちはこのくらいセンセーショナルに受け止めていたのかもしれない、と一気に引き込まれていきました。

第1楽章からとにかく激しいパワー全開、ベートーヴェンの創作性が爆発している瞬間のようでした。音楽の哲学というよりはむきだしのベートーヴェン、「どうだっ!これが今おれが世に問う作品だ!」と言わんばかりの。崇拝の第九ではなくて生身の第九、神の領域ではなくて人間に根ざした第九。第2楽章も執拗にくり返される主題、有無を言わさず観客をのみこんでしまう指揮者とオーケストラの集中力。

第3楽章にも驚きました。一般的に緩徐楽章(ゆっくりしたテンポの楽章)で、ベートーヴェンが構築した到達点ともいわれる美しい楽章。久石譲とNCOがつくりだす世界はとても軽やか。第1楽章からの速いテンポ流れを考えたら、第3楽章もテンポを底上げするという考え方もできるでしょう。でも、それともちがう。流れるようなしなやかな旋律というよりは、メヌエットのようなステップのはっきりしたリズミカルな演奏。これはとても新鮮でこれまでには聴いたことがない衝撃でした。たしかにそう思って注意深く聴いていくと第3楽章は3拍子が基本なので、ロンドともとれる。静かにさとすような緩徐楽章ではなく、からだが自然と揺れ動くような調べ。

第4楽章、久石譲が「ギリシャの王様」ではなくここは「ベートーヴェン本人」なんだと語っていた冒頭も、違う違うと否定しながらこれだっ!と確信に至るベートーヴェンの姿や頭のなかが浮かぶようで、おもしろかったです。わかりやすく誇張して奏してくれていたのではと思えるほどでした。初めてベーレンライター版楽譜を使用して臨んだ「第九」、楽譜版の差異がわかる知識はないのが残念ですが、とにかく心からだ踊る第九でした。もうね、久石さんはじめステージのみなさん、力込めすぎて血がのぼりすぎないかな、倒れないかなというほどの気迫と燃焼度で圧巻の第九でした。

 

 

ちょっと終われない。

ティンパニがなあ、ティンパニが気になって気になってしょうがない。

NCOのティンパニは乾いた音がする。重厚で沈みこむ一般的なティンパニに比べてかなり軽い響き。このことがコンサート前から離れないお題で、じかに体感できる確認できる楽しみのひとつでもありました。

さかのぼることお正月。ラジオ番組「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」(末尾に詳細あります)で紹介されたノリントン指揮のベートーヴェン交響曲がとても心地よく、古楽奏法の特徴などもわかりやすく解説されたのもあり、ぜひ聴いてみたいと気がついたらノリントン指揮全交響曲をそろえていました。今まで聴いていたものとはがらりと印象が違うものも多く、持っているCD盤と聴き比べていくのが楽しかったんですね。

古楽器奏法またはピリオド奏法(その時代の楽器を使ってその時代の弾き方で演奏する)、、”基本的にビブラートをかけない、正弦波に近くなって波形がぐちゃぐちゃにならない、そうすると非常に透き通って遠くまで音がよく届く”、、、そういった久石譲解説があって、なるほどー!と聴き方の手引きをもらったように、今までの無味乾燥のイメージが少し変わりはじめ。

絵でいったら具材がちがうのかな。絵の具なのか、クレヨンなのか、色鉛筆なのか。割り当てられた色味や完成図は同じでも具材が異なれば、完成したそれは異なる表情をみせ違う印象を与えます。絵の具であれば濃淡や厚みを表現しやすいかもしれないし、色鉛筆であれば清涼感や柔らかさがあるかもしれない。僕は、古楽器による演奏と現代楽器による演奏をこんな風にとらえるようになりました。どちらが良い悪いでもなく、どちらにも良さや持ち味があると。そしてまた、具材をまぜあわせる表現方法もあるように、ピリオドやモダンにとらわれない、ミックスアップした奏法もあると。

前後して2月にCD化された「ベートーヴェン:交響曲 第2番 & 第5番「運命」 / 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ」を聴きながら、あれっ?こんなところでこんな勢いよくティンパニ鳴ってたかなと一瞬耳を疑ったのが、Track.1から収録されている第5番 第1楽章。アレンジしたのかな?!(そんなはずはありません、失礼しました)と思うくらいのインパクトです。

NCOのティンパニの音は、ノリントンさんのティンパニの音に近い。ちょうど同時期に聴いていたのでつながったのかもしれません。ティンパニにも当時のオリジナル楽器ってあるのかな、古楽器奏法があるのかな、でもNCOは編成こそ当時の規模に近いコンパクトながらも、楽器はモダンオーケストラのはずで。解決の糸口が見つからない。

……。

本公演「第九」のティンパニは、やっぱりNCO特有のティンパニの音でした。そして際立ち具合や炸裂具合はノリントン盤の比ではない。コンサート前半「ナウシカ」のティンパニとも明らかに違う。いつものティンパニがドーン!と大砲だとしたら、パンパンパーン!と小刻みに撃てる。楽譜のおたまじゃくしは変えられないので、同じ威力として比較したら、顔をのぞかせる頻度としてという意味です。うん、ティンパニが表立って活躍する場がふえる、そういうことなのか!?とひっかかりだした。ひとつ大きく後悔し反省しています。休憩時間のセットチェンジのときに、ティンパニを見張っておくべきだった。ティンパニそのものを入れ替えているのか、なにか付け替えたり調整したりしているのか。叩く棒(マレット)やその硬さが違うだけなのか、鼓面の膜のようなものその素材が違うのか…などなど。強く後悔しています。

 

僕の出した回答。

ティンパニの響きが乾いて軽いということは、NCOの小回りが効く駆動力ある編成の要のひとつかもしれない。第5番第1楽章などでも聴かれるティンパニの強烈で小切れよいアタックは、その乾いた響きゆえに重くならず絶妙なリズム感を推進する。パーカッションのアクセントにとどまらない、エンジンフル稼働ティンパニ。エネルギッシュでスポーティーなNCO版ベートーヴェン交響曲、急発進もアクセルふかしもカーブさばきも、ティンパニがギアチェンジをひっぱっているのかもしれない。

いつかこのことはゆっくりまた。すでに発売された第1番・第3番・第5番・第2番、そしてCD化されたばかりの第7番・第8番も。ティンパニだけではない久石譲の視点がいっぱいに詰まっているんだと思います。第5番第1楽章の耳を疑ったティンパニ箇所も、注意深く聴きなおすとどのCD盤でも鳴っていました。でも全然気づかない。そのくらい譜面からなにをどう読み取って表現するのか。作曲家/指揮者 久石譲盤の楽しみ方のひとつになります。本公演の第9番もティンパニは終始炸裂していましたし、まさに興奮するアドレナリンを誘発する巧妙な仕掛け。ほかにも聴き比べて発見できること新しい感動があるはず、CD化が待ち遠しい。CDライナーノーツでアンサー解説があるととてもうれしいです。

 

PS.
Track.1「ベートーヴェン 交響曲第5番 第1楽章」の0:34~0:37や1:06~1:09に聴かれるティンパニ。第5番のなんらかの演奏盤があったら聴き比べてみてください。ティンパニの乾いた響きってこのことね、と伝わると思います。そしてこの久石譲&NCO版のようにティンパニは前面に出ていないんじゃないかな、と思います。こんな小さな探しものから入るクラシックの楽しみ方もおもしろいですよ♪

Disc. 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 『ベートーヴェン:交響曲 第2番&第5番「運命」』

 

 

全7回公演データを振り返り。ベートーヴェンと並列してプログラムされた意欲的な他作品、そして久石譲作品たち。輝かしいNCO全集としてCD化される日がくるのなら、もっともっとこれから先も”日常に音楽のある”生活をつづけていくことができます。そしてそれは長野発信という輝かしい歴史であり財産です。くり返しくり返し時間をかけて根づかせていく。コンサートをきっかけに豊かになった人、CDを手にとって豊かになった人、そしてこれから始まる人へのきっかけづくり。ぜひっ!

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第1回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 定期演奏会
2016/7/16

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサートマスター:近藤薫

[曲目]
ヴィヴァルディ(久石譲編曲):ラ・フォリア 独奏:原雅道 / 小林久美(ヴァイオリン) / 西山健一(チェロ)
ヘンリク・グレツキ:あるポルカのための小レクイエム 作品66

–intermission–

ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調 作品21

[参考作品]

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第2回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 定期演奏会
2016/7/17

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサートマスター:近藤薫

[曲目]
久石譲:シンフォニア~室内オーケストラのための~
ウラディーミル・マルティノフ:カム・イン! ヴァイオリン独奏:近藤薫

–intermission–

ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 作品36

[参考作品]

ベートーヴェン:交響曲 第2番&第5番「運命」

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第3回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 定期3
2017/2/12

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)

[曲目]
久石譲:Encounter for String Orchestra  *世界初演
ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
ベートーヴェン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」

—-encore—-
久石譲:Kiki’s Delivery Service for Orchestra

[参考作品]

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第4回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2017/7/15

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
ピアノ:横山幸雄

[曲目]
〈前半〉
久石譲:5th Dimension
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」

—-encore—-
ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番「悲愴」より第2楽章

〈後半〉
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」

—-encore—-
ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番

[参考作品]

ベートーヴェン:交響曲 第2番&第5番「運命」

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第5回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2017/7/17

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コントラバス:石川 滋(読売日本交響楽団ソロ・コントラバス奏者)

[曲目]
〈前半〉
久石譲:コントラバス協奏曲 (2015・日本テレビ委嘱作品)

—-encore—-
パブロ・カザルス:鳥の歌

〈後半〉
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」

—-encore—-
久石譲:Dream More

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第6回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2018/2/12

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)

[曲目]
〈前半〉
アルヴォ・ペルト:カントゥス~ベンジャミン・ブリテンの追悼に (1976)
ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93

〈後半〉
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 作品92

—-encore—-
”Merry-go-round” 『ハウルの動く城』より

[参考作品]

ベートーヴェン:交響曲 第7番&第8番

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第7回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2018/7/16

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサート・マスター:近藤薫
ソリスト:安井陽子(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(バスバリトン)
合唱:栗友会合唱団、信州大学混声合唱団、市民合唱団

[曲目]
久石 譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための
久石 譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」 (with mixed chorus)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 

 

久石譲がベートーヴェンについて語ったこと

 

「人間が日々感じている喜びは、単純な嬉しさにとどまらない部分があります。「辛かったけれど、努力して続けてきて良かった」と思うような、ジワっと伝わってくる喜びから全身の細胞が波打つような興奮した喜びまで様々です。たとえ”喜び”の大半が”苦しみ”や”辛さ”を占めているのだとしても、それでも人間は生きるに値する。人類に対しての深い愛、それが、おそらく晩年を迎えた老作曲家・ベートーヴェンが《第九》え伝えようとしている”歓喜”の意味ではないか。そこに、日本人が《第九》をこよなく愛する大きな理由のひとつがあると思います。」

Blog. 「久石譲 第九スペシャル」 コンサート・プログラムより 抜粋)

 

「大概の作曲家が言うことですが、第九はフォームがよくない。五番や七番に比べると、一、ニ、三楽章はいいけれど、四楽章はバランスが変。交響曲としての完成度で言うと、第九ってどうなの?と、僕を含めて多くの作曲家が疑問を持っていた。それはベートーヴェン自身にもあった。

でも、何回か第九を指揮しているうちに、そんなことは吹っ飛びました。あの四楽章の持っているカタルシス。まるでマリオブラザーズの一面クリア、二面クリア(笑)……という感じの、あの興奮。それから合唱が持つ圧倒的なエネルギーなどを考えていくと、やはり音楽は理屈じゃないのだと最後に気づきますよ。構成だ、論理的構造だとか言っていたことは一体何だったんだというのを最後に感じます。そのぐらい第九はすさまじい。」

Blog. 「考える人 2014年秋号」(新潮社) 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

「例えば、ベートーヴェンの交響曲第9番第1楽章の冒頭。多くの指揮者の場合、ピアニッシモで抑えに抑えて、深淵から音が現れるように演奏するが、僕は第2ヴァイオリンとチェロが6連符を刻み続けるリズムを大事にしたいので、あまり弱くはしない。第2主題になるとだいたい遅くなるのだが、そこはどうしてもリズムをキープしたい、ソリッドな構造が見えるベートーヴェンにしたい。それは最初の練習の時にはっきり伝える。そうすると、オーケストラの奏者も、この指揮者は全体を通して何をやるたいのかが見えてくる。2日か3日のリハーサルしかない中で、極論すれば、指揮者は自分のやりたいことを最初の10分で伝えなければならない。」

Blog. 「クラシック プレミアム 33 ~エルガー/ホルスト~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

 

「実は他にもたくさん「第九」には不都合な場所、整合性が取れていないところがあります。今日多くの優れた指揮者がそれに対する答えを用意して、それぞれの「第九」に挑戦していますが、まるで「答えのない質問」をベートーヴェンから突きつけられているか、のようです。

僕の指揮の師匠である秋山和慶先生はすでに400回以上「第九」を指揮されていますが、それでも「毎回新しい発見があるんですよ、だから頑張ろうと」と仰っています。「第九」はその深い精神性を含めて表現しようとする指揮者、演奏家にとって永遠の課題なのかもしれません。」

Blog. 「久石譲 第九スペシャル 2015」「久石譲 ジルベスター・コンサート 2015」コンサート・レポート より抜粋)

 

「音楽する日乗」(久石譲著・2016)では、【《第9》を指揮して思うこと】【「神が降りてきた」】(台湾での第九コンサート出来事)などクラシック音楽を中心に「振る」「伝える」「知る」「考える」「創る」のテーマで執筆されています。創作活動、演奏活動、指揮活動など作曲家・指揮者としての久石譲を多角度的に紐解くことができます。

Book. 久石譲 「音楽する日乗」

 

「隔年で僕もベートーヴェンの「第9」を演奏させていただいていましたが、「暮れって第9だけ?」という素朴な疑問があったからです。もちろん「第9」はとても好きですし、来年の夏!に演奏(初めてベーレンライター版で臨みます)も決まっています。」

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2017 in festival hall」 コンサート・パンフレットより 抜粋)

 

「すごく高邁な理想と下世話さが同居しているんですよ。高邁さだけだと扉の向う側ににある偉いもので終わってしまいますよね。でもベートーヴェンのなかには必ず一般の人にどううけるかというのをたえず意識しているんですよ。そこのところがすごくおもしろくて。突然下世話さが顔を出したり、瞬時にまた芸術的といいますか高邁になったりするんですよ。これが作曲家から見てるとおもしろくて仕方がないですよね。」

「だけどさっき説明したように、冒頭でやってる人っていうのは基本的にベートーヴェンなんですよね。本人なんです、これ違う、あれ違うって。ギリシャの王様じゃないんだよコラっ、て僕はいつも言ってるわけ。だけどどうしてもやっぱり何回か第九を演奏しましたけれども、どうしても抜けないわけですよ。いやそうじゃない、ベートーヴェンだから、もっとせかせかせかせかして、これ違うあれ違う、これだ!あっこれいいっ!、ってもっと軽くやろうと言ってるんだけどなかなかうまくいかないんだなあ。このノリントンさんのノリというのがその感じなわけですよね。僕の解釈だとこれが正しい。作曲家本人でなきゃいけない。というのがあって、ちょっとこれを聴いてもらうとどうかなあと思いました。」

「(ベートーヴェンとは)冒頭でも言いましたけれども、非常に高邁な理念と非常に大衆的な下世話さと、両方あわせもつという、ものをつくる人間にとっての本当の手本。非常にクリアな明快なコンセプトでつくる、そういう意味ではやはり金字塔といいますか一番の頂点の人であって。やはり音楽をつくることを目指す人間は、ベートーヴェンという存在を意識しながらやってくべきではないかと、そういうふうに思っています。」

Blog. NHK FM 「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」 番組内容 より抜粋)

 

「それから、作曲家としてもう一回クラシック音楽を再構築したいっていうふうになるわけですね。どういうことかというと、指揮者の人が振る時の指揮の仕方って、やっぱりメロディだとかフォルテだとかっていうのをやっていくんだけど、僕はね作曲家だから、メロディ興味ないんですよ。それよりも、この下でこうヴィオラだとかセカンド・ヴァイオリンがチャカチャカチャカチャカ刻んでるじゃないですか。書くほうからするとそっちにすごく苦労するんですよ。こんなに苦労して書いてる音をなんでみんな無視してんだコラっ!みたいなのがある。そうすると、それをクローズアップしたりとか。それから構成がソナタ形式ででてるのになんでこんな演奏してんだよ!と。たとえばベートーヴェンの交響曲にしてもね。そうすると、自分なら作曲家の目線でこうやるっていうのが、だんだん強い意識が出てきちゃったんですよね。そして、それをやりだしたら、こんなにおもしろいことないなあと思っちゃったんですよ。たとえば、ベートーヴェンをドイツ音楽の重々しいみたいな、どうだっていいそんなもんは、というふうに僕はなっちゃうんですよ。だって書いてないでしょ、譜面に書いてあることをきちんとやろうよ、っていうことにしちゃうわけです。そうするとアプローチがもうまったく違う。ドイツの重々しい立派なドイツ音楽で聴きたいなら、ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでも聴いてくれよと。僕は日本人だからやる必要ないってはっきり思うわけね。そういうやり方で迫っていっちゃうから。」

「それともう一個あったのは、必ず自分の曲なり現代の曲とクラシックを組み合わせてるんです。これは在京のオーケストラでもありますね、ジョン・アダムズの曲とチャイコフスキーとかってある。ところが、それはそれ、これはこれ、なんですよ、演奏が。だけど重要なのは、ミニマル系のリズムをはっきりした現代曲をアプローチした、そのリズムの姿勢のままクラシックをやるべきなんですよ。そうすると今までのとは違うんです。これやってるオケはひとつもないんですよ。それで僕はそれをやってるわけ。それをやることによって、今の時代のクラシックをもう一回リ・クリエイトすると。そういうふうに思いだしたら、すごく楽しくなっちゃって、やりがいを感じちゃったもんですから、一生懸命やってる(笑)。」

「(MC:久石譲指揮のベートーヴェン交響曲第7番・第8番を聴いたんですけど、もうロックなんですね、まさに) はははっ(笑)もしかしたら当時もこうだったんじゃないかっていう。今みたいに大きい編成じゃなくてね、非常に明快にやってたはずなんですよ。だから、ある意味ではベートーヴェンが目指したものを、今という時代にもう一回実現する方法として、長い間クラシックの人がいっぱい演奏してきたそのやり方を全部捨てて、新たな方法でやれれば一番いいかなとちょっと思いましたね。(ナガノ・チェンバー・オーケストラは)在京のN響・読響・都響・東フィル、全部の首席あるいはコンサートマスターがどっと集合してて、もうスーパー・オーケストラですね。ここで僕もすごく育ててもらったんだけど。すごくね毎回やっぱり怖いんですよね、イヤなこともあって。イヤなことっていうのは、たとえば自分のミニマルの現代曲とベートーヴェン一緒にやりますね、チャイコフスキーでもいいです。そうするとね、長い時代を経て生き残った曲って名曲なんですよ。もう本当に永遠の名曲。それに対して自分ごときの曲が一緒にやるってなった時に、ほんとにつらいですよね。うあ、すまないなあって気持ちにいつもなるんですよ(笑)。逆にいうと、作曲家としてもっとがんばれよっていう、ほんとにそう思いますよね。」

Blog. TBSラジオ「辻井いつ子の今日の風、なに色?」久石譲ゲスト出演 内容紹介 より抜粋)

 

 

 

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