Posted on 2021/09/07
音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」に掲載された久石譲連載です。「久石譲のボクの方法」というコーナーで第4回目です。ただこの連載が何回まで何号までつづいたのかは把握できていません。すべての回に目をとおしてみたい作曲家ならではの深く掘り下げた貴重な内容です。
連載:久石譲のボクの方法
第4回:新展開のための整理をね
新シリーズでスタートしたこのページでは、これから久石さんの仕事内容の”方法”についてより深くさぐっていけたらと考えている。そう話したらなんと久石さん自身自分の仕事を総括する意味でそういったことをやりたいという。
自分の中のケジメ
というのは、じつはぼく自身今までやってきたことあるいは自分の中の方法だとか、いろんなものに対するけじめをつけようと思って、そういったことに関する整理をつけているところなんですよ。これは生き方にもかかわってくるしね。同時にソロ活動でピアノ・アルバムを出し『人体』『イリュージョン』『プリテンダー』を出したっていうことがあって、ソロ活動って自分にとってなんだったんだろう。というようなこととかいろんなものがあって、そういうものを考えてる時期なんですよ。
でね、でもぼくが日々なんで一番悩んでいるかというと意外と会社のことなんですよ。音楽以外のこと、つまり社長業のこと。このワンダーシティという会社はぼくが34~5才のとき、55才までに自分の会社をもてたら良いな、という話をしていて、そしたらちょうどそこにスタジオの専門家がいて、そうだねえ、って笑っていたんだよね。でも翌年ぼくは自分で作りましたよね。
で、やっぱりここまでやってきてやっぱり自分が活動するための最低条件を確保したかったんですね。譜面を書くだけではなくそういうものも全部背負ってきた。スタジオを持てばどうしたってお金がかかる。そういうものも含めたものを全部背負ってきた。そうすると作曲、プロデュースのためにもお金がかかる。レコードも出す。そうすると出版権も必要になる。そしてそういうふうにやってきたこととソロ活動でやってきたこととははっきり矛盾がでてきたわけなんです。
というのはソロ活動っていうのはやっぱり自分にこだわるわけでしょ、ところが作曲家/プロデューサーっていうのはあくまでスタッフ・ワークだから、そのスタッフとして働きやすい環境を作り出さなければいけない。
したがって、社長業もやらなければいけない。極端な話をすれば駐車場の稼働率まで考えなければいけないんですよね。
だから生き方自体の矛盾がでてきた。そこでまず自分のライフスタイルのペースからくずしてきたということもある。それとね、30代後半として、なにか可能性が限られてきたんではないかっていう気持ちもあるし、同時にぼくは前しか見ないで生きてきたんだけど、あるとき急に有名人になっちゃったんですよね。自分で言うのも変だけど、いわゆるロッカーたちとは違う、まあ、先生のような捉えられ方ですよね。あるイメージが世間に定着しちゃった。一方で「冬の旅人」みたいな曲を歌っていたりで、いろんなファン層がごちゃ混ぜになってきたんです。そういう意味で自分の存在っていうのを見直す必要がある、考え直す必要があるって思ったんですね。
同時に『イリュージョン』をやって『プリテンダー』をやって、これに関しては作ったときからずっと、「これでいいのか」っていう気持ちもあったんです。
で、やっぱり発売して2ヵ月たち3ヵ月たつとそういう気持ちははっきり出てくるんですね。というのは日本人の僕の友人の大半は「すごい曲だと思うんだけど今はイリュージョンのほうをよく聞いている」というんですよ。「いいアルバムだと思うんだけど一人のときは『イリュージョン』を聞いている」とかね。で、それはぼくもすごく感じていたんです。
それで、なにかな、と考えたとき結局『イリュージョン』のときは日本人としてはかなりシャイなアルバムを作ったなと思っていたんだけど、まだ日本的なウェット感が残っていたんですよね。ぬれた部分が。それに比べて『プリテンダー』は圧倒的にドライですよ。日本的情緒っていうのは完全にない。それは英語だからっていうことじゃなしに曲自体もそういう作りだったし最初から向こうでやってきたし。エコー感もミキシングの方法も、ミュージシャンも。で、いろいろな問題でね。
で、しかもメロディーも自分の中でいちばんモードっぽいメロディーに徹したからそういう意味ではけっこう感情移入を拒む部分があるんですね。
だから『イリュージョン』と『プリテンダー』は対になってるんですね。かたやウェット、かたやドライ。ちょうど同じものの両面みたいなものでね。
そういうこととかがね、自分の中で大命題になるんだけど、じゃ、次になにをやるんだっていうことになると、じつは今年「ナウシカ」のピアノ・ソロを出すんですよ。こういう要望はずっとあったんです。でもぼくはキャンセルしてきた。というのはずっと宮崎さんと仕事をしてきてようやくこのへんでひとつけじめをつける必要があるっていうことでまああの「ナウシカ」の組曲と「魔女の宅急便」のなかのいくつかの曲で作ろうっていうことはアーティストとして計画中だったわけですよ。アーティストとしての宮崎駿さんに対してのメッセージというかひとつの解決というかね。今までやったことの区切りとしてやりたかったことなんだけど。でも、世間から見るとすごく商業的なアルバムに見えるよね。
さらにピアノ・ストーリーズもすごくやりたい。これに入れる曲はもう6、7曲たまっているんですよ。「人体」のときの「INNERS」とか「冬の旅人」だとか。これはもう自分のベスト・メロディーを弾くっていう企画だから。
で、もうひとつはオーケストラでやってくれというもの。それじゃ、今年この3枚を出してくれって言われるとナウシカ、ピアノ・ストーリーズ2、そしてオーケストラを出しちゃったら『イリュージョン』『プリテンダー』は、いったいなんだったんだってことになっちゃう(笑)、ね。
そうするとアーティストとしての活動は幅が広すぎるっていうこともあるんだけどもう少しきちっとしたラインが引きたいっていう気持ちが強くなってきてる。2年先3年先が見える状態でレコードをリリースしたいってことなんです。
(「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」より)