Blog. 「クラシック プレミアム 8 ~バッハ1~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/06/16

「クラシックプレミアム」第8巻は、音楽の父バッハです。

なぜバッハが「音楽の父」とされているのか、また他の偉大な作曲家、ベートーヴェンやモーツァルト、後期のワーグナー、ブラームスたちにまで、当時から称賛され音楽の原点とみなされていたかなどが解説されています。

教会と世俗、声楽と器楽、さまざまな音楽が網羅され、体系化されているというバッハの音楽のなかから、選りすぐられた名曲かつ名演者が収められています。それは収録曲のラインナップを見ただけでも、その知名度の高さ、多岐にわたる音楽編成と構成で、すべてが一人の作曲家の手によるものとは思えないほどの傑作たちです。これまでにも映画/TV/CMなどに引っ張りだこなバッハの音楽ですから、どれか数曲はきっと聴いたことがあると思います。

 

【収録曲】
トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
フーガ ト短調 BWV.578
シュプラー・コラール集より 〈目覚めよと呼ぶ声が聞こえ〉 BWV.645
トン・コープマン(オルガン)
録音/1994-1995年

カンタータ 第147番 BMW.147より 〈主よ、人の望みの喜びよ〉
ニコラウス・アーノンクール指揮
テルツ少年合唱団、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1984年

ゴルドベルク変奏曲 BWV.988より アリア、第1変奏~第3変奏
スコット・ロス(チェンバロ)
録音/1988年

《G線上のアリア》 (管弦楽組曲 第3番 BWV.1068より / ヴィントシュペルガー編曲)
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)、イタマール・ゴラン(ピアノ)
録音/1998年

無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV.1007
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
録音/1992年

《シャコンヌ》 (無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 BWV.1004より)
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
録音/1970年

《マタイ受難曲》 BWV.244より終曲
ニコラウス・アーノンクール指揮
レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊、ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1970年

 

 

また後半の音楽史では、交響曲 vs オペラ の解説もあっておもしろかったです。交響曲は、ほぼドイツ語圏によってうまれた音楽で、重厚で真面目で偉大な芸術音楽、一方のオペラはイタリアなどでうまれた音楽で、娯楽音楽でもだった。つまりクラシックと呼んでいるヨーロッパの近代音楽には、二つの「極」があった、と。水と油のように音楽文化が違う交響曲とオペラ。

決してオペラが娯楽性が強すぎるわけではなく、「難解な音楽」「真剣な音楽」(交響曲)だけではない側面をもち、当時の演歌のような、親しみやすく口ずさんでしまう音楽、それがイタリアのオペラ、通称「イタ・オペ」だったそうです。

これはわかりやすくイメージするならば、コンサートホールで、じっとだまって聴き入る交響曲の音楽に対して、演奏中であっても一緒にメロディを口ずさみ、拍手喝采し、演奏がまだ終わっていないのに感極まって「ブラボー!」と叫ぶイタ・オペ。

ひとつの捉え方ではあるのですが、非常にわかりやすくておもしろかったです。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第8回は、
作曲家兼指揮者がこの時代に指揮をする意味とは何か?

今回のエッセイ連載内容も「今の久石譲」、とりわけ「2014年今年の久石譲活動」とも密接にリンクしている内容でした。それは、5月に発表された『今夏2大コンサート開催』です。ひとつは、久石譲&新日本フィル・ハーモニー管弦楽団によるW.D.Oの復活ですが、もうひとつ新しい試みとしてスタートする《ミュージック・フューチャー Vol.1》です。

ミニマル、ポスト・クラシカルなど、最先端の現代の音楽を久石がセレクトし、“明日のために届けたい”音楽をナビゲートする、新たなコンサート・シリーズ〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉(9月29日開催 / 会場:すみだトリフォニーホール)。クラシック音楽とテクノロジーを融合させた「ポストクラシカル」など、最先端の音楽を久石さんが選び、演奏していくコンサート。初演となる自身の曲をはじめ、エストニア出身の作曲家であるアルヴォ・ペルトや、アメリカの若手作曲家ニコ・ミューリーらの作品を演奏予定で、久石自らピアノと指揮をとり、濃密な空間で演奏することで“誰でも楽しめるコンサートにしたい!”とか。

というのが〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉のプレス情報です。

 

されこれを念頭に、今号の連載内容より一部抜粋してご紹介します。

「ちょっと大げさだが、僕の考えでは、まずクラシック音楽は古典芸能であってはならない。過去から現代に繋がって、未来に続いていく形が望ましい。そのためにはオーケストラをはじめ演奏家は「現代の音楽」をもっと積極的に取り上げたほうがいい。作曲家兼指揮者は特にこの問題に対しては最前線にいるのだから、誰よりも積極的に取り組むべきだと考える。未来に繋がる曲を見つけ、育てることが必要だと僕は考える。」

「例えばクラスター奏法のペンデレツキ(《広島の犠牲者に捧げる哀歌》が有名)はその後、新古典主義のスタイルになるショスタコーヴィチの後継者のような音楽を書く。東欧の作曲家、アルヴォ・ペルト、ヘンリク・グレツキなどはセリエル(12音技法)の書法を捨て、教会音楽や、中世の音楽をベースに調性のあるホーリーミニマリズム(聖なるミニマリズム)とカテゴライズされるスタイルに変わっていった。ただし彼らはミニマルにこだわってはいなかったのだが。」

「これらのような「現代音楽」ではなく「現代の音楽」をできるだけ多く聴衆に届ける必要がある。文化は慰みものではない。文化は聴き手に媚びるのではなく、聴き手一人一人にもある程度の努力と忍耐を要求する。しかし知識として音楽を聴くのではないイノセントな彼らは、おもしろいものであれば、あるいは新しい体験をしておもしろいと思えば、それを素直に受け入れてくれると僕は信じている。そしてその体験が音楽的日乗を育てることになる。」

 

 

いかがでしたでしょうか。

上に紹介した〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉のプレス内容を、さらに具体的に久石譲自身の言葉として語っている内容だとは思いませんか。これが今年新しく”始動”と打ち出したコンサート・シリーズのコンセプトのようです。

 

実際にその公演内容(予定)は、

久石譲プレゼンツ「ミュージック・フューチャー vol.1」

[公演期間]
2014/9/29

[公演回数]
1公演(東京・よみうり大手町ホール)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
ヴァイオリン:近藤薫 / 森岡聡 ヴィオラ:中村洋乃理 チェロ:向井航
マリンバ:神谷百子 / 和田光世 他

[曲目] (予定)
久石譲:弦楽四重奏 第1番 “Escher” ※世界初演
久石譲:Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2Marimbas ※世界初演
アルヴォ・ペルト:鏡の中の鏡 (1978)
アルヴォ・ペルト:スンマ、弦楽四重奏のための (1977/1991)
ヘンリク・グレツキ:あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム (1993)
ニコ・ミューリー:Seeing is Believing (2007)

 

 

今号、「久石譲の音楽的日乗」に出てきた現代作曲家たちやその代表曲が、多く取り上げられる内容になっています。

これから公演日が近づくにつれて、いろいろな追加情報も上がってくるかもしれませんが、なぜ今現代音楽を軸にしたコンサート・シリーズを”始動”させるのか?純粋に疑問といいますか興味がありました。

それが今号のエッセイでいち早く久石譲の言葉として知ることができてとても納得したというか、今後の展開も含めてワクワク楽しみになってきました。おそらく単発ではないシリーズとして”始動”しているわけですから、どんどん発展していくプロジェクトなのだと思います。

そんな取りあげられた「現代の音楽」の作曲家たちの代表曲も、実際に聴いてみようと少しずつチェック中です。アルヴォ・ペルトやニコ・ミューリーあたりから。

 

クラシックプレミアム 8 バッハ1

 

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