Posted on 2019/07/07
雑誌「月刊サーカス CIRCUS 2012年4月号 No.93」に掲載された久石譲×田村淳の対談です。肩に力の入らない相手ならではのフランクで直球なやりとり、とてもおもしろい内容になっています。
FACTORY_A NO.33
作曲家 久石譲 × ロンドンブーツ1号2号 田村淳
久石譲。『風の谷のナウシカ』『おくりびと』などの映画音楽をはじめ、これまで数々の名曲を世に送り出してきた日本を代表する作曲家だ。「久石が作った音楽がテレビで流れない日はない」といわれているが、しかしなぜ久石は、それら名曲の数々をコンスタントに作ることができるのか。才能は枯渇しないのだろうか。
言葉を疎かにしていたら考え方までいい加減になってしまう
音楽は言葉で表現できないから伝えるのが非常に難しい
淳:
今回、福岡伸一先生監修の『フェルメール 光の王国展』の音楽を担当されていますが、美術館で流す音楽を担当することは、よくあるんですか?
久石:
いや、初めてです。
淳:
そうなんですか? 話が来た時は、どんな感覚でした?
久石:
絶対ヤダって思った(笑)
淳:
アハハハ!
久石:
人間の視覚と聴覚って、脳で感じるところが全然違うんですよ。だから「絵」という視覚的な刺激を、「音楽」という聴覚的なものに置き換えるっていうのは、あんまりいい行為じゃない。例えばムソルグスキー作曲の『展覧会の絵』。これは友人の絵の展覧会をヒントにして曲を作ったといわれているけど……。
淳:
違うんですか?
久石:
僕は、その絵描きの親友が亡くなったこと自体に触発されたんじゃないかって思ってます。それに当時のロシアって圧政でしたし。とても絵からインスピレーションを得て作曲したとは思えないんですよ。
淳:
なるほど~。
久石:
フェルメールの作品も、細部に至るまで作り込まれているから、音楽が入り込む余地がない。なのでやってもあんまり意味がないと思って、最初はお断りしたんです。
淳:
でも、「そこをなんとか表現してください」と(笑)
久石:
はい(笑)。だからその打開策として、エッシャーを加え、アルバムのタイトルも『フェルメール&エッシャー』としたんです。エッシャーは騙し絵の版画で有名ですが、フェルメールと同じオランダの画家ですし、エッシャーが使ってた方法論が、僕のやっているミニマル・ミュージック……同じパターンの音を何度も繰り返す音楽とどこか共通項があるなって思って。エッシャーを媒介することで、フェルメールに行き着くことができたんです。
淳:
じゃあエッシャーがなければ、お断りしてたんですか?
久石:
うん、1000パーセント。
淳:
そうなんだ~! 僕は久石さんぐらいになると、「こういう絵ならこういう音楽ね」って、パッとできるもんだと思ってました(笑)
久石:
いやいや、毎回何をやるにしても、ものすごく苦しんでますよ。
淳:
どの作品も?
久石:
どの作品も!(笑)
淳:
久石さんといえばジブリ作品というイメージがあるんですが。それらも……やっぱり大変? それぞれ作品の内容とかテイストが全然違いますけど、あれはどういうふうに曲に落とし込んでいくんでしょう?
久石:
絵コンテからインスパイアを受けて、宮崎駿監督が表現したいであろう世界観に、自分を対応させることから始めます。
淳:
映画作品が完成した後に楽曲制作に入るんじゃないんですね。
久石:
そうですね。途中ぐらいまで絵コンテができてて、それから打ち合わせして作っていく……っていう感じです。
淳:
僕は宮崎監督が久石さんの楽曲に合わせて物語を作ってる部分もあるんじゃないかって思ってるんですが、その辺はどうですか? 「その曲ができたなら、こういう演出にしていこう」って。だって音楽があまりにも作品にマッチしてますもん!
久石:
それはたぶんないと思います。確かに早い時期にイメージアルバムを作って、それを宮崎さんがお聴きになってるっていうのは聞きますけど、非常にピュアに絵コンテをしっかり描かれる方だから。
淳:
じゃあ、これだけは譲れないっていう、互いにぶつかり合う部分はありますか?
久石:
作り手同士ですから、それは宮崎監督に限らずありますよ。ぶつかることもあるし、でも逆にすごく助けられたり。
淳:
意見のぶつかり合いのない創作なんて、あり得ないですもんね。
久石:
映画音楽に関して言うと、打ち合わせが非常に難しいんです。だって音を言葉に置き換えなければいけませんから。
淳:
確かに。言われてみれば……。
久石:
「この辺はブワーッという感じで」とか、「ここでドーンと!」とか、いい加減にしろよ!って思うような会話になる(笑)。論理的に組み立てようと思ったって、音楽はうまく言葉で表現できないから、実写の監督も含めて、、皆さんホントに苦労してますよね。
淳:
じゃあ……どうするんですか?
久石:
相手が何を言おうとしてるのかを、くみ取るっていう作業が必要になるんだよね。
淳:
ああ、この監督はこういうことを表現したいのか、と。
久石:
そうそう。例えば「ここはすごく明るいシーンだけど、本人たちはちょっと暗い過去を抱えてるんで……そんな感じで」って。そんな感じって、どんな感じやって言いたくなるけど(笑)
淳:
抽象的に投げてこられるな~(笑)。映画音楽って大変ですね!
久石:
映画1本で30~40曲ぐらい書くんです。短い曲や長い曲、音が入らない、つまり音を抜く必要もある。ですから沈黙も含めて、2時間の作品を構成するという作業なんです。
淳:
えっ、沈黙の必要性まで考えるんですか?
久石:
ある監督が「音が欲しい」っていうシーンでも、そこはなくてもいいですよって言ったりとか。
淳:
沈黙のほうが効果があると。
久石:
逆に「このシーンは持たないんで、ちょっと音楽入れてくれ」と言われたり。「画で持たないシーンなんか、音楽入れても持たねえよ」みたいな(笑)。そう思いつつも、「そうですか?」と頷いたり。1本の映画音楽を作るのも、なかなか大変なんですよ。
「縛られてる」と感じるか「いいヒントがある」と考えるか
淳:
自分の作品を生み出す作業と人が作った映画に音楽を当て込む作業、どちらが楽しいですか?
久石:
自分の作品というのは、一見自由なように感じますが、自分を表現しろと言われると、むしろ何していいか分かんなくなる時があります。反面、映画音楽となると、映像という縛りがあるけど、裏を返すとそれは非常に大きな取っ掛かりでもあるんです。だからこれは捉え方の問題で、「縛られてる」って感じるか、「いいヒントが転がってる」と考えるか……その違いですね。
淳:
どの作品に対しても、ヒントを見つけにいくポジティブさを持っていようと。これはどの仕事にも当てはまる教訓ですね。
久石:
それがないと曲は作れませんし。それと、納得できないと仕事が終われないというか。どうにも腑に落ちない仕事があったとして、そんな時は楽器を全部配置してメロディを1音入れ替えただけで「あ、これならいいかも」って、ストンと腑に落ちる瞬間がやってきたりもする。
淳:
それでようやく作品として提出できる、と。でもそれ、しんどくないですか? 毎回、100%じゃないと提出できないって。
久石:
自分で納得できるラインにも、振り幅を持たせてますから(笑)
淳:
締め切りとかもありますしね。
久石:
そんな場合は、「今回はやり切れなかった。それはそこまでの実力しか今はなかったんだ」って思うようにしてます。
淳:
えっ!? 久石さんでも、まだ実力が足りていないって思ったりするんですか?
久石:
足りてないに決まってるじゃないですか(笑)。ある程度の経験値を積み、技術がついてくると、今度は初心にあった「曲をみんなに聴いて欲しい」という欲求より、もっと高度なものを目指したくなるんです。そうなると独りよがりになる。だから、自分に対して客観的な目を持って折り合っていかないといけない。これって野球選手と一緒だと思うよ。
淳:
野球選手!?
久石:
イチローだって他人には理解できないレベルで、「ん!?」って感じたら、自分の経験を総動員しながら修正してるわけで。
淳:
そういった”ちょっとした微調整”って、きちんと努力してやってきた人とやってこなかった人の差が出る部分ですよね。
久石:
出る! 昨日と同じでいいと思ってるやつは基本的にダメ! それは作曲に関しても……最近、僕はクラシックの指揮も振ってるんだけど、ベートーヴェンとかマーラーとかの辞書みたいに分厚い楽譜を読み込んでいくと、それはヒントだらけなんですよ。「こんなことも知らなかったのか!」「これはすごい」って発見の連続なんです。そして、その譜面を書いた作曲家の気持ちを知ろうと読み込むことで、入ってくる知識、感じること、そして実際に本番ホールで演奏した時に得たものが、確実に作曲家として財産になる。
淳:
何かを吸収して、それを自分の作品に活かそうっていうヒントを常に探してるんですね。
久石:
アウトプットばかりしてたら作れなくなっちゃいますから。だからそれに見合うインプット、つまりお勉強を絶えずしていかないと。
淳:
そんな久石さんの前で言うのは超おこがましいんですけど……指揮って楽しいですよね。
久石:
えっ!? やったことあるの?
淳:
僕、『淳の休日』というのをやっていて、その中で”即席オーケストラ”というのをやったんです。指揮者をやってみたいという単純な動機で、ツイッターで楽器ができる人を募って。それで、ベートーヴェンの『第九』をやったんです。
久石:
おぉっ! あれは難しいよ(笑)
淳:
めちゃくちゃ難しかったです! 僕がまったくの素人だったからだと思うんですけど、途中でみんなが「指揮者無視で行こう」みたいな感じになっちゃって(笑)。しかも「1曲だけじゃつまらない」と言ったら、自然発生的に『ラデツキー行進曲』を奏で始めて、それを僕が後から追っかけて指揮をする、みたいな(笑)
久石:
僕が指揮してるときも、ちゃんと俺のこと見てるのかな?って思う時、あるもん(笑)
世界で一番最初の聴衆は自分 自分が感動しない曲は出さない
淳:
僕は久石作品の中でも特に『菊次郎の夏』が大好きで。どの人も経験した夏休みが、あの曲には詰まっている気がするんです。夏休みが持つ、独特の胸騒ぎや切なさ……。これは聴き手の心を揺さぶりたいっていう感覚で作られたんですか?
久石:
ひとりの作家の意図でみんなを感動させようと思っても、それはできないし、聴衆もそんなに簡単じゃないですよ。だけど、世界で最初の聴衆となるのは自分だから、まず自分が感動できないものは提出しません。自分で「いいな」って思うものは、必然的に周りの人間に「これいいから聴いてよ」ってなりますよね。
淳:
その広がりの結果、たくさんの人に聴いてもらえることになる。
久石:
1万人の観客を集めてコンサートをしても、感じるのはひとりひとりなんです。だから僕は1対1で音楽を届けているんです。その最初の観客が、自分であるっていう意識ですね。
淳:
作り手として作品を作る脳味噌と、それを客観的に聴かなきゃいけない自分かぁ!
久石:
うん。それは何をやるにしても、最も重要。あと最近よく思うのが、現代は言葉が弱くなっていること。例えば政治家の言葉なんて全然入ってこない。何故か分かります? 形容詞だらけなんですよ。「誠心誠意で~」「一生懸命に~」「皆で力を合わせて~」ばかりで、ちっとも具体的なこと言わない。
淳:
曖昧なことを言ってれば誰からも責められず、議員生活を続けられるとでも思ってるんですかね。
久石:
発言を不明確にする、という意味では、一般の人もそうですよ。今はパソコンで匿名でガンガン言いたいこと言ったりするじゃない。そうじゃなくて、自分が発言してるんだっていうのを明確にしたうえで、自分の言葉を磨いていかなきゃ。
淳:
そう思います。発言の責任なしにネットに書き込んで満足できるの?って思いますもん。本当の満足感は、きちんとしたコミュニケーションがあったうえで生まれるわけで。
久石:
そう。コミュニケーションって会話のキャッチボールですから、自分が発した言葉に対して、キチンと言葉が返ってきて初めて成り立つ。ただ厄介なことに、日本語はすごく難しい。以前、解剖学者の養老孟司さんとも話したんだけど、アルファベットは26文字しかないから、言葉をシステマティックに構築しなきゃいけなかった。しかし日本語は、例えば「山」に「上下」と書いて『峠』と読んだり、「雨」を下に「散」らして『霰(あられ)』だったと、システム的ではなく、根本が情緒的なんですよ。だから日本人のメンタリティは論理的な言動に向いてないかもしれない。「はい、OKです」って言われても、「それはどの程度のOKを言ってるの?」っていう心の探り合いがフォーマットになってる(笑)
淳:
曖昧なやり取りをしながら、相手の本音を探っていくというか。
久石:
そういうの、日本人得意だもんね。それって同じ風土、同じ生活、みんな同じというのがないと、できない。
淳:
さまざまな人種や宗教の中で暮らしていたら、「YES/NO」じゃないと無理ですもんね。
久石:
曖昧表現って、日本人が生きるうえでの知恵でもあるけど、だからこそ、もう少し言葉というものに向き合う必要があると思うんです。
淳:
作曲家の方が「言葉を大切にしよう」と仰るのも何だか不思議です。
久石:
作曲家のみならず、ものを考えるときって絶対、言葉で考えますよね。言葉を疎かにしていたら、考え方までいい加減になってしまう気がするんですよ。
淳:
ああ、確かに! 今の言葉、ストンと腑に落ちました。ちなみに外国からのオファーの場合はどうなんですか? 通訳を介すことで、微妙なニュアンスが変わったり……。
久石:
そうなんですよ(笑)。中国からの依頼だったんですが、まず北京語なりなんなりを脚本にするでしょ。それを日本語に翻訳したのが来たんだけど、なんか違うんじゃないかって思いながら読んだこともあったなぁ。
淳:
逆に「こう!」って直接的なオファーだった場合、また新たな感覚が開けてくるもんなんですか?
久石:
それはあります。中国の人たちの仕事の進め方って、大雑把なんだけど、貫徹する力がすごいんですよ。「これ来月なんて無理に決まってるじゃん」みたいなのが、わりとそれでもやっちゃう。映画の台本にしてもそう。3時間分くらいありそうなのが、2時間で入っちゃう。つまり10秒間に相手に伝えるインフォメーションの量が多いんです。
淳:
情緒的な部分に時間を使わないってことですか?
久石:
かな? 音楽でいうと日本語では1音につき1語って考えます。例えば「ド・レ・ミ」だと「す・き・よ」。ところが英語だと「ド・レ・ミ」で「アイ・ラブ・ユー」が入っちゃう。
淳:
なるほど!
久石:
「私は・あなたを・愛しています」っていう文章をたった3音で表現できちゃう。この差が音楽には絶えずあるんですよね。
淳:
そんなこと考えたことなかったなあ。
久石:
僕は今年中にシンフォニーを書いて、その後はオペラに挑戦したいって思っているんだけど、その際はどうしたって日本語と向き合わなきゃいけない。1音1音のこの関係性を、どうやって壊せるかとか。
淳:
オペラと日本語って相性が悪いような感じもしますけれど……。
久石:
でもね、このあいだ民謡を聴いていたら、これほど日本語がスッと入ってくる音楽はないなって思いましたね。案外、ヒントはそこにあるのかなって。だからもっと勉強していけば、何だってできますよ。
淳:
表現の可能性はいくらでもあると。アウトプットの量もハンパないから、インプットも相当な量になりますね。
久石:
まだまだ足りてませんけどね。
人生、何やったって悩むんだから「やってやろう」と思って欲しい
淳:
では最後に、音楽以外で向き合ってることってありますか?
久石:
週に1回ジムに通うぐらいですかね。一応、体脂肪は8.2%。
淳:
アスリート並みじゃないですか! 今61歳ですよね? それ週1で維持できます?
久石:
というか、コンサートの指揮では1日6~8時間立ちっ放しで全身を使うから、それがトレーニングみたいなものですかね。イチローの体脂肪が6%だから、そこを目指そうかと思ってます(笑)
淳:
体を動かせないと、いいメロディは出てこないっていうことですよね。
久石:
うん。体を鍛えるっていうのは誰でもできることだし。僕も汗流すの好きだし、その時だけはいろんなことを忘れられるからね。音楽のことも。なので、それは欠かさないようにしてますけどね。
淳:
そこからちゃんとつながってるわけですよね、体が健康な状態の音楽と、調子の悪いときの音楽は、当然出てくるメロディとしては変わってくるわけですよね。
久石:
まったく違います。誰しも体の好不調はあるわけですから、どちらの自分と向き合うためにも、体のケアはやっていたほうがいいです。
淳:
では、オペラのほかに、これからチャレンジしたいことは?
久石:
最近だいぶクラシックづいてるんだけど、エンターテインメント性の高い音楽もやりたい。それを踏まえて、「これは久石にしかできない」と言わしめるところにまで辿り着きたいな、と。
淳:
こんなに確立してるのに?
久石:
いやいや、半ばというか、まだ全然(笑)
淳:
その言葉を聞いて『久石さんみたいにはなれないよ』って思うのか、『久石さんでも、自分に納得してないんだから、俺なんかまだまだだ。頑張ろう!』と思うのか。受け止め方でだいぶ差がつきますよね。
久石:
『なんだ、それだったら俺もできるじゃん』って思って欲しいよね(笑)。人生何やったって悩むんだから、それなら『やってやろうかな』って思ってくれたら嬉しい。
淳:
なるほど、楽だわ~。僕はなかなかお仕事ご一緒させてもらう機会はないと思うんですけど、いつかお仕事したいですね。
久石:
いや、また会いましょうよ、どっかで(笑)
淳:
是非! 今日は貴重なお話、ありがとうございました!
テレ朝チャンネル『FACTORY_A』放送予定
対談の様子がそのままCS放送・テレ朝チャンネルで見られるように。小誌と併せて見ればさらに楽しめるはず!(月1回更新)
3月11日(日)17:30~18:00
【再放送】
3月12日(月)24:00~24:30
(月刊サーカス CIRCUS 2012年4月号 No.93 より)