Blog. 「月刊サーカス CIRCUS 2012年4月号」FACTORY_A 久石譲×田村淳 対談内容

Posted on 2019/07/07

雑誌「月刊サーカス CIRCUS 2012年4月号 No.93」に掲載された久石譲×田村淳の対談です。肩に力の入らない相手ならではのフランクで直球なやりとり、とてもおもしろい内容になっています。

 

 

FACTORY_A  NO.33

作曲家 久石譲 × ロンドンブーツ1号2号 田村淳

久石譲。『風の谷のナウシカ』『おくりびと』などの映画音楽をはじめ、これまで数々の名曲を世に送り出してきた日本を代表する作曲家だ。「久石が作った音楽がテレビで流れない日はない」といわれているが、しかしなぜ久石は、それら名曲の数々をコンスタントに作ることができるのか。才能は枯渇しないのだろうか。

 

言葉を疎かにしていたら考え方までいい加減になってしまう

 

音楽は言葉で表現できないから伝えるのが非常に難しい

淳:
今回、福岡伸一先生監修の『フェルメール 光の王国展』の音楽を担当されていますが、美術館で流す音楽を担当することは、よくあるんですか?

久石:
いや、初めてです。

淳:
そうなんですか? 話が来た時は、どんな感覚でした?

久石:
絶対ヤダって思った(笑)

淳:
アハハハ!

久石:
人間の視覚と聴覚って、脳で感じるところが全然違うんですよ。だから「絵」という視覚的な刺激を、「音楽」という聴覚的なものに置き換えるっていうのは、あんまりいい行為じゃない。例えばムソルグスキー作曲の『展覧会の絵』。これは友人の絵の展覧会をヒントにして曲を作ったといわれているけど……。

淳:
違うんですか?

久石:
僕は、その絵描きの親友が亡くなったこと自体に触発されたんじゃないかって思ってます。それに当時のロシアって圧政でしたし。とても絵からインスピレーションを得て作曲したとは思えないんですよ。

淳:
なるほど~。

久石:
フェルメールの作品も、細部に至るまで作り込まれているから、音楽が入り込む余地がない。なのでやってもあんまり意味がないと思って、最初はお断りしたんです。

淳:
でも、「そこをなんとか表現してください」と(笑)

久石:
はい(笑)。だからその打開策として、エッシャーを加え、アルバムのタイトルも『フェルメール&エッシャー』としたんです。エッシャーは騙し絵の版画で有名ですが、フェルメールと同じオランダの画家ですし、エッシャーが使ってた方法論が、僕のやっているミニマル・ミュージック……同じパターンの音を何度も繰り返す音楽とどこか共通項があるなって思って。エッシャーを媒介することで、フェルメールに行き着くことができたんです。

淳:
じゃあエッシャーがなければ、お断りしてたんですか?

久石:
うん、1000パーセント。

淳:
そうなんだ~! 僕は久石さんぐらいになると、「こういう絵ならこういう音楽ね」って、パッとできるもんだと思ってました(笑)

久石:
いやいや、毎回何をやるにしても、ものすごく苦しんでますよ。

淳:
どの作品も?

久石:
どの作品も!(笑)

淳:
久石さんといえばジブリ作品というイメージがあるんですが。それらも……やっぱり大変? それぞれ作品の内容とかテイストが全然違いますけど、あれはどういうふうに曲に落とし込んでいくんでしょう?

久石:
絵コンテからインスパイアを受けて、宮崎駿監督が表現したいであろう世界観に、自分を対応させることから始めます。

淳:
映画作品が完成した後に楽曲制作に入るんじゃないんですね。

久石:
そうですね。途中ぐらいまで絵コンテができてて、それから打ち合わせして作っていく……っていう感じです。

淳:
僕は宮崎監督が久石さんの楽曲に合わせて物語を作ってる部分もあるんじゃないかって思ってるんですが、その辺はどうですか? 「その曲ができたなら、こういう演出にしていこう」って。だって音楽があまりにも作品にマッチしてますもん!

久石:
それはたぶんないと思います。確かに早い時期にイメージアルバムを作って、それを宮崎さんがお聴きになってるっていうのは聞きますけど、非常にピュアに絵コンテをしっかり描かれる方だから。

淳:
じゃあ、これだけは譲れないっていう、互いにぶつかり合う部分はありますか?

久石:
作り手同士ですから、それは宮崎監督に限らずありますよ。ぶつかることもあるし、でも逆にすごく助けられたり。

淳:
意見のぶつかり合いのない創作なんて、あり得ないですもんね。

久石:
映画音楽に関して言うと、打ち合わせが非常に難しいんです。だって音を言葉に置き換えなければいけませんから。

淳:
確かに。言われてみれば……。

久石:
「この辺はブワーッという感じで」とか、「ここでドーンと!」とか、いい加減にしろよ!って思うような会話になる(笑)。論理的に組み立てようと思ったって、音楽はうまく言葉で表現できないから、実写の監督も含めて、、皆さんホントに苦労してますよね。

淳:
じゃあ……どうするんですか?

久石:
相手が何を言おうとしてるのかを、くみ取るっていう作業が必要になるんだよね。

淳:
ああ、この監督はこういうことを表現したいのか、と。

久石:
そうそう。例えば「ここはすごく明るいシーンだけど、本人たちはちょっと暗い過去を抱えてるんで……そんな感じで」って。そんな感じって、どんな感じやって言いたくなるけど(笑)

淳:
抽象的に投げてこられるな~(笑)。映画音楽って大変ですね!

久石:
映画1本で30~40曲ぐらい書くんです。短い曲や長い曲、音が入らない、つまり音を抜く必要もある。ですから沈黙も含めて、2時間の作品を構成するという作業なんです。

淳:
えっ、沈黙の必要性まで考えるんですか?

久石:
ある監督が「音が欲しい」っていうシーンでも、そこはなくてもいいですよって言ったりとか。

淳:
沈黙のほうが効果があると。

久石:
逆に「このシーンは持たないんで、ちょっと音楽入れてくれ」と言われたり。「画で持たないシーンなんか、音楽入れても持たねえよ」みたいな(笑)。そう思いつつも、「そうですか?」と頷いたり。1本の映画音楽を作るのも、なかなか大変なんですよ。

 

「縛られてる」と感じるか「いいヒントがある」と考えるか

淳:
自分の作品を生み出す作業と人が作った映画に音楽を当て込む作業、どちらが楽しいですか?

久石:
自分の作品というのは、一見自由なように感じますが、自分を表現しろと言われると、むしろ何していいか分かんなくなる時があります。反面、映画音楽となると、映像という縛りがあるけど、裏を返すとそれは非常に大きな取っ掛かりでもあるんです。だからこれは捉え方の問題で、「縛られてる」って感じるか、「いいヒントが転がってる」と考えるか……その違いですね。

淳:
どの作品に対しても、ヒントを見つけにいくポジティブさを持っていようと。これはどの仕事にも当てはまる教訓ですね。

久石:
それがないと曲は作れませんし。それと、納得できないと仕事が終われないというか。どうにも腑に落ちない仕事があったとして、そんな時は楽器を全部配置してメロディを1音入れ替えただけで「あ、これならいいかも」って、ストンと腑に落ちる瞬間がやってきたりもする。

淳:
それでようやく作品として提出できる、と。でもそれ、しんどくないですか? 毎回、100%じゃないと提出できないって。

久石:
自分で納得できるラインにも、振り幅を持たせてますから(笑)

淳:
締め切りとかもありますしね。

久石:
そんな場合は、「今回はやり切れなかった。それはそこまでの実力しか今はなかったんだ」って思うようにしてます。

淳:
えっ!? 久石さんでも、まだ実力が足りていないって思ったりするんですか?

久石:
足りてないに決まってるじゃないですか(笑)。ある程度の経験値を積み、技術がついてくると、今度は初心にあった「曲をみんなに聴いて欲しい」という欲求より、もっと高度なものを目指したくなるんです。そうなると独りよがりになる。だから、自分に対して客観的な目を持って折り合っていかないといけない。これって野球選手と一緒だと思うよ。

淳:
野球選手!?

久石:
イチローだって他人には理解できないレベルで、「ん!?」って感じたら、自分の経験を総動員しながら修正してるわけで。

淳:
そういった”ちょっとした微調整”って、きちんと努力してやってきた人とやってこなかった人の差が出る部分ですよね。

久石:
出る! 昨日と同じでいいと思ってるやつは基本的にダメ! それは作曲に関しても……最近、僕はクラシックの指揮も振ってるんだけど、ベートーヴェンとかマーラーとかの辞書みたいに分厚い楽譜を読み込んでいくと、それはヒントだらけなんですよ。「こんなことも知らなかったのか!」「これはすごい」って発見の連続なんです。そして、その譜面を書いた作曲家の気持ちを知ろうと読み込むことで、入ってくる知識、感じること、そして実際に本番ホールで演奏した時に得たものが、確実に作曲家として財産になる。

淳:
何かを吸収して、それを自分の作品に活かそうっていうヒントを常に探してるんですね。

久石:
アウトプットばかりしてたら作れなくなっちゃいますから。だからそれに見合うインプット、つまりお勉強を絶えずしていかないと。

淳:
そんな久石さんの前で言うのは超おこがましいんですけど……指揮って楽しいですよね。

久石:
えっ!? やったことあるの?

淳:
僕、『淳の休日』というのをやっていて、その中で”即席オーケストラ”というのをやったんです。指揮者をやってみたいという単純な動機で、ツイッターで楽器ができる人を募って。それで、ベートーヴェンの『第九』をやったんです。

久石:
おぉっ! あれは難しいよ(笑)

淳:
めちゃくちゃ難しかったです! 僕がまったくの素人だったからだと思うんですけど、途中でみんなが「指揮者無視で行こう」みたいな感じになっちゃって(笑)。しかも「1曲だけじゃつまらない」と言ったら、自然発生的に『ラデツキー行進曲』を奏で始めて、それを僕が後から追っかけて指揮をする、みたいな(笑)

久石:
僕が指揮してるときも、ちゃんと俺のこと見てるのかな?って思う時、あるもん(笑)

 

世界で一番最初の聴衆は自分 自分が感動しない曲は出さない

淳:
僕は久石作品の中でも特に『菊次郎の夏』が大好きで。どの人も経験した夏休みが、あの曲には詰まっている気がするんです。夏休みが持つ、独特の胸騒ぎや切なさ……。これは聴き手の心を揺さぶりたいっていう感覚で作られたんですか?

久石:
ひとりの作家の意図でみんなを感動させようと思っても、それはできないし、聴衆もそんなに簡単じゃないですよ。だけど、世界で最初の聴衆となるのは自分だから、まず自分が感動できないものは提出しません。自分で「いいな」って思うものは、必然的に周りの人間に「これいいから聴いてよ」ってなりますよね。

淳:
その広がりの結果、たくさんの人に聴いてもらえることになる。

久石:
1万人の観客を集めてコンサートをしても、感じるのはひとりひとりなんです。だから僕は1対1で音楽を届けているんです。その最初の観客が、自分であるっていう意識ですね。

淳:
作り手として作品を作る脳味噌と、それを客観的に聴かなきゃいけない自分かぁ!

久石:
うん。それは何をやるにしても、最も重要。あと最近よく思うのが、現代は言葉が弱くなっていること。例えば政治家の言葉なんて全然入ってこない。何故か分かります? 形容詞だらけなんですよ。「誠心誠意で~」「一生懸命に~」「皆で力を合わせて~」ばかりで、ちっとも具体的なこと言わない。

淳:
曖昧なことを言ってれば誰からも責められず、議員生活を続けられるとでも思ってるんですかね。

久石:
発言を不明確にする、という意味では、一般の人もそうですよ。今はパソコンで匿名でガンガン言いたいこと言ったりするじゃない。そうじゃなくて、自分が発言してるんだっていうのを明確にしたうえで、自分の言葉を磨いていかなきゃ。

淳:
そう思います。発言の責任なしにネットに書き込んで満足できるの?って思いますもん。本当の満足感は、きちんとしたコミュニケーションがあったうえで生まれるわけで。

久石:
そう。コミュニケーションって会話のキャッチボールですから、自分が発した言葉に対して、キチンと言葉が返ってきて初めて成り立つ。ただ厄介なことに、日本語はすごく難しい。以前、解剖学者の養老孟司さんとも話したんだけど、アルファベットは26文字しかないから、言葉をシステマティックに構築しなきゃいけなかった。しかし日本語は、例えば「山」に「上下」と書いて『峠』と読んだり、「雨」を下に「散」らして『霰(あられ)』だったと、システム的ではなく、根本が情緒的なんですよ。だから日本人のメンタリティは論理的な言動に向いてないかもしれない。「はい、OKです」って言われても、「それはどの程度のOKを言ってるの?」っていう心の探り合いがフォーマットになってる(笑)

淳:
曖昧なやり取りをしながら、相手の本音を探っていくというか。

久石:
そういうの、日本人得意だもんね。それって同じ風土、同じ生活、みんな同じというのがないと、できない。

淳:
さまざまな人種や宗教の中で暮らしていたら、「YES/NO」じゃないと無理ですもんね。

久石:
曖昧表現って、日本人が生きるうえでの知恵でもあるけど、だからこそ、もう少し言葉というものに向き合う必要があると思うんです。

淳:
作曲家の方が「言葉を大切にしよう」と仰るのも何だか不思議です。

久石:
作曲家のみならず、ものを考えるときって絶対、言葉で考えますよね。言葉を疎かにしていたら、考え方までいい加減になってしまう気がするんですよ。

淳:
ああ、確かに! 今の言葉、ストンと腑に落ちました。ちなみに外国からのオファーの場合はどうなんですか? 通訳を介すことで、微妙なニュアンスが変わったり……。

久石:
そうなんですよ(笑)。中国からの依頼だったんですが、まず北京語なりなんなりを脚本にするでしょ。それを日本語に翻訳したのが来たんだけど、なんか違うんじゃないかって思いながら読んだこともあったなぁ。

淳:
逆に「こう!」って直接的なオファーだった場合、また新たな感覚が開けてくるもんなんですか?

久石:
それはあります。中国の人たちの仕事の進め方って、大雑把なんだけど、貫徹する力がすごいんですよ。「これ来月なんて無理に決まってるじゃん」みたいなのが、わりとそれでもやっちゃう。映画の台本にしてもそう。3時間分くらいありそうなのが、2時間で入っちゃう。つまり10秒間に相手に伝えるインフォメーションの量が多いんです。

淳:
情緒的な部分に時間を使わないってことですか?

久石:
かな? 音楽でいうと日本語では1音につき1語って考えます。例えば「ド・レ・ミ」だと「す・き・よ」。ところが英語だと「ド・レ・ミ」で「アイ・ラブ・ユー」が入っちゃう。

淳:
なるほど!

久石:
「私は・あなたを・愛しています」っていう文章をたった3音で表現できちゃう。この差が音楽には絶えずあるんですよね。

淳:
そんなこと考えたことなかったなあ。

久石:
僕は今年中にシンフォニーを書いて、その後はオペラに挑戦したいって思っているんだけど、その際はどうしたって日本語と向き合わなきゃいけない。1音1音のこの関係性を、どうやって壊せるかとか。

淳:
オペラと日本語って相性が悪いような感じもしますけれど……。

久石:
でもね、このあいだ民謡を聴いていたら、これほど日本語がスッと入ってくる音楽はないなって思いましたね。案外、ヒントはそこにあるのかなって。だからもっと勉強していけば、何だってできますよ。

淳:
表現の可能性はいくらでもあると。アウトプットの量もハンパないから、インプットも相当な量になりますね。

久石:
まだまだ足りてませんけどね。

 

人生、何やったって悩むんだから「やってやろう」と思って欲しい

淳:
では最後に、音楽以外で向き合ってることってありますか?

久石:
週に1回ジムに通うぐらいですかね。一応、体脂肪は8.2%。

淳:
アスリート並みじゃないですか! 今61歳ですよね? それ週1で維持できます?

久石:
というか、コンサートの指揮では1日6~8時間立ちっ放しで全身を使うから、それがトレーニングみたいなものですかね。イチローの体脂肪が6%だから、そこを目指そうかと思ってます(笑)

淳:
体を動かせないと、いいメロディは出てこないっていうことですよね。

久石:
うん。体を鍛えるっていうのは誰でもできることだし。僕も汗流すの好きだし、その時だけはいろんなことを忘れられるからね。音楽のことも。なので、それは欠かさないようにしてますけどね。

淳:
そこからちゃんとつながってるわけですよね、体が健康な状態の音楽と、調子の悪いときの音楽は、当然出てくるメロディとしては変わってくるわけですよね。

久石:
まったく違います。誰しも体の好不調はあるわけですから、どちらの自分と向き合うためにも、体のケアはやっていたほうがいいです。

淳:
では、オペラのほかに、これからチャレンジしたいことは?

久石:
最近だいぶクラシックづいてるんだけど、エンターテインメント性の高い音楽もやりたい。それを踏まえて、「これは久石にしかできない」と言わしめるところにまで辿り着きたいな、と。

淳:
こんなに確立してるのに?

久石:
いやいや、半ばというか、まだ全然(笑)

淳:
その言葉を聞いて『久石さんみたいにはなれないよ』って思うのか、『久石さんでも、自分に納得してないんだから、俺なんかまだまだだ。頑張ろう!』と思うのか。受け止め方でだいぶ差がつきますよね。

久石:
『なんだ、それだったら俺もできるじゃん』って思って欲しいよね(笑)。人生何やったって悩むんだから、それなら『やってやろうかな』って思ってくれたら嬉しい。

淳:
なるほど、楽だわ~。僕はなかなかお仕事ご一緒させてもらう機会はないと思うんですけど、いつかお仕事したいですね。

久石:
いや、また会いましょうよ、どっかで(笑)

淳:
是非! 今日は貴重なお話、ありがとうございました!

 

テレ朝チャンネル『FACTORY_A』放送予定
対談の様子がそのままCS放送・テレ朝チャンネルで見られるように。小誌と併せて見ればさらに楽しめるはず!(月1回更新)

3月11日(日)17:30~18:00
【再放送】
3月12日(月)24:00~24:30

(月刊サーカス CIRCUS 2012年4月号 No.93 より)

 

久石譲 『フェルメール&エッシャー』

 

 

 

 

Blog. 「モーストリー・クラシック 2010年12月号 vol.163」久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/07/06

クラシック音楽誌「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2010年12月号 vol.163」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

映画、CMなどを収録した「メロディフォニー」
前作同様アビーロードでロンドン響を指揮して録音
「意外なほどすんなり僕の音を掴んでくれました」

「前回の『ミニマリズム』を作った時に、自分の作家性の強い方向を出したんですが、同時にエンターテインメントの部分で活躍している自分の曲をまとめた作品を作りたいと思いました。2枚同時というのは難しかったので、1年置いて前作と同じロンドン交響楽団(LSO)、録音はアビーロードスタジオという環境で録音を実現させました。前作はミニマルとリズムを合わせた造語、今回はメロディーとシンフォニーを合わせた『メロディフォニー』というタイトルで、対になる2つのCDが完成しました。2枚揃って僕の世界です」

「メロディフォニー」は、「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」「おくりびと」などの映画音楽を中心に、NHKのドラマ「坂の上の雲」、サントリーの「伊右衛門」のCMなど、誰でも知っている曲が並んでいる。

「前作は、全ての部分を自分の考えでやりました。今作は、自分の趣味で選ぶというより、いろんな人に聴いてもらっているメロディーで構成していこうと、インターネットによる投票を行い、参考に構成しました」

前作のミニマルミュージックは、世界の現代音楽の流れの中にある共通言語だが、映画音楽はある意味ローカルな世界。しかし、曲のニュアンスはLSOにうまく伝わっている。

「意外なほどすんなり音の世界をつかんで、素晴らしい演奏をしてくれました。もちろんピアノ・パートは自分で弾いてリハーサルで曲の世界を伝えようとしました。コンサートマスター以外は前作と同じメンバーだったので、全く違う世界にもかかわらず曲の中に何か共通するものを見つけたのかもしれません」

「トトロ」を録音したときが面白かったという。

「サビの部分で日本のオーケストラは『トトロ…』と歌を知っているので楽譜の音符ではなく、言葉のリズムで弾くんですが、LSOは譜面に忠実に演奏するので、イントネーションが違ってきたんです」

その結果、譜面に書かれたシンフォニックな響きがより強調され、曲に新鮮なイメージが加わった。それを見事にまとめているのは近年充実を見せる久石の指揮だ。昨年は、東京フィルでブラームスの交響曲第1番などを指揮、作曲家の余技を遥かに越えた充実した演奏を聴かせた。

「いつかは、ストラヴィンスキーの『春の祭典』をピエール・ブーレーズがやったように完全なリズム分析から入って、作品の並外れたエネルギーを引き出す方向で指揮してみたいと思っています」

(モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2010年12月号 vol.163 より)

 

 

久石譲 『メロディフォニー』

 

 

 

Blog. 「週刊朝日 5000号記念 2010年3月26日増大号」久石譲×林真理子 対談内容

Posted on 2019/07/05

雑誌「週間朝日 5000号記念 2010年3月26日増大号」に掲載された久石譲と林真理子の対談です。対談だからこそ引き出せる多彩な話題が飛び交っています。

 

 

マリコのゲストコレクション 509

林真理子 × 久石譲(作曲家)

音楽に詳しくない方でも、宮崎アニメなどで、きっとこの方の音楽を耳にしたことがあるはず。言わずと知れた日本を代表する作曲家、久石譲さんのご登場です。「久石譲」というお名前は、世界的作曲家クインシー・ジョーンズにちなんでつけたそう。日本のクインシー・ジョーンズ、意気軒昂です。

 

美しい曲は楽譜も美しいんですよ。パッと見た瞬間にわかります。

林:
久石さんは、宮崎駿監督作品の映画音楽はもちろんですけど、アカデミー賞の「おくりびと」やNHKの「坂の上の雲」の音楽も手がけてらっしゃって、すごいですよね。ことごとく当たっちゃうという感じ。

久石:
たまたまラッキーだったんです。そういう時期もありますし、何をやっても思いどおりにいかないときもありますしね。一つひとつの仕事がけっこう重いから、6勝4敗ペースでいければいいなと思ってます。

林:
「坂の上の雲」の最初のイントロ、壮大で素晴らしいですね。私、このあいだ松山の道後温泉に行ってきたんですけど、たしかにこの曲、松山をほうふつとさせますよ。

久石:
そうですか。僕、松山に行ったことないんですよ。

林:
ええっ(笑)。今、松山は「坂の上の雲」ブームで大変ですよ。高視聴率ですし、素晴らしいドラマですよね。原作はお読みになりました?

久石:
原作は、「もののけ姫」の音楽を作ったころ、十数年前に一回読みました。

林:
みんな途中で挫折しちゃいますけど(笑)、久石さんは8巻読み通すのに挫折しなかったですか。

久石:
いえ、夢中で読みましたねえ。僕、それまで司馬さんの本はあまり読んだことなかったんですが、宮崎さんが司馬遼太郎さんと堀田善衞さんと鼎談してる本が出たんです。「もののけ姫」のバックボーンには司馬さんたちの考え方が入ってるんじゃないかと思って、年間20タイトル、80冊ぐらい読みました。特に『坂の上の雲』は、この時代を生きた人々のエネルギーが伝わってきて、すごくおもしろかったです。

林:
「坂の上の雲」のテーマ音楽が聞こえると、意味もなく悲しくなるんですけど、雲の向こうに壮大な世界が広がっていくような気がして。あの音楽を聴いただけで、みんな胸がキュッとなるんじゃないですかね。

久石:
それはすごく嬉しいです。ああいう大型のドラマになると、大河ドラマのオープニングみたいに、「ジャジャジャ~ン!」という派手な音楽で出るのがふつうなんでしょうけれども、僕、そうはしたくなかったんです。あれだけの大作なんだから、その精神を受け止めるような、バラード的なもののほうがあの世界観が出るんじゃないかと思ったんです。

林:
私、久石さんのその意図に見事にはまりました(笑)。最近の民放、チャラいことばかりやってますけど、やっぱりNHKはすごいですよ。私、見直しちゃった。

久石:
本当に。ドキュメンタリーを見てもいいじゃないですか。

林:
いいですよね。私、NHKの民営化絶対反対です、体を張って。「おまえが体を張ってどうするんだ」って言われそうですけど。(笑)

久石:
アハハハ。

林:
久石さん、たばこお吸いになるんですよね。どうぞ。

久石:
大丈夫です。ギリギリまで我慢します。(笑)

林:
けっこうお吸いになる人多いですよね、音楽関係の人。

久石:
ストレスが多いから、どうしても吸っちゃいますよね。

林:
でも、順風満帆じゃないですか。

久石:
全然そう思ったことないし、目の前のことしかわからないです。毎日午後1時ぐらいにスタジオに入って、夜中の12時前後までずっと曲を作ってまして。それから帰宅して、朝6時くらいまで次の演奏会で指揮をする曲の譜面の勉強をするんです。これを半年以上繰り返したので、さすがにちょっと疲れましたね。

林:
すごいスケジュール……。

久石:
本来、作曲家ですし、今、映画音楽を2本ぐらい作ってるので、譜面の勉強はどうしても真夜中になっちゃうんですよ。

林:
すいません、そんなお忙しいときに来ていただいて。先月はサントリーホールでのコンサート、大成功を収めたんですよね。

久石:
おかげさまで無事終えることができました。ブラームスの交響曲第1番とモーツァルトの40番、それから、この演奏会のために作曲した「螺旋」という曲をやりました。

林:
素人の質問で申し訳ないんですが、例えばモーツァルトの譜面から、モーツァルトが伝えたいことを読み取っていくわけですよね。

久石:
ええ。僕の場合は、指揮専門の人がスコアを読む方法と、ちょっと視点が違うかもしれません。僕は作曲家が見た視点でしか指揮ができないです。モーツァルトのスコアにひどいことを書いたりしますよ。「ここからここはつなぎ」とか。(笑)

林:
そうやって夜中に譜面を読んでると、のめり込んじゃいます?

久石:
はい。ほんとに楽しくておもしろいです。指揮というのは、すでにある譜面を読むわけですから、勉強した分だけ跳ね返ってきます。作曲は、何もないところに作らないといけないから、苦しい作業なんです。でも、朝起きたときにはまだ何もないけれど、スタジオにこもって、夜帰るときには何がしかのものができてるんだから、達成感がありますね。

林:
モーツァルトの譜面を見て、「チクショー、うまいな」と思ったりすることもありますか。

久石:
美しい曲は楽譜も美しいんですよ。この人は書ける、書けないというのは、パッと譜面を見た瞬間にわかります。いい譜面というのはストーリーがあるんですよ。ここでオーボエのソロとこれが来て、フンフンなるほどと思ってると、次の瞬間、金管楽器がスポーンと出てきて、譜面が真っ黒になっていく……というストーリーが。

林:
「美しい曲は楽譜も美しい」か……。

久石:
モーツァルトは、よく言うと魔術師。悪く言うとペテン師。すごいです。なんとなく聴き心地がいいと思ってる人が多いでしょうが、とんでもないですね。

林:
そうなんですね。

久石:
僕なんかは、体調が悪いときは不安なんで、作曲をするときに楽器を全部埋め込んじゃう。だから譜面が黒いんです。オーケストラにはいろんな音色があるはずなのに、全部が重なってますから、音色がなくなっちゃうんです。絵の具を混ぜすぎると灰色になるのと同じで、オケもそうなるんですね。だから、流れがしっかり見えるスコアが書けたらいいなといつも思ってます。

林:
サリエリが「神はなぜこんな下品でばかな男に素晴らしい才能を与えたのだ」って言ってますけど、モーツァルトは確かに神に愛されてたんでしょうね。

久石:
ええ。モーツァルトはこの40番を作った当時は、お客が来なくてなかなかコンサートができなかったようなんです。それでも先鋭的なトリッキーな和音を使っていて、一般ウケするものではなく、実験的なことを相当やっていたんですね。僕なんかモーツァルトとはまったく比べものにならないんですが、曲を作るときに居心地のいいところにいるのではなくて、絶えずチャレンジしていないと意味がないと思いますね。

林:
お話聞いていると、「作曲家です」って名乗りをあげる人がそう多くないのもうなずける気がします。日本人なら日本語は誰でも書けますから、作家はいっぱい出てきて、「これで作家と名乗っていいのか」と思うような人もいますけど。

久石:
ハハハ。作曲は自分にとってほんとに天職だと思います。指揮をしたり映画を撮ったりするのも、きっと作曲に役立つと思ってるからなんですよ。作曲がすべての基本です。

林:
養老孟司さんとの対談本(『耳で考えるー脳は名曲を欲する』)、すごくおもしろかったです。養老さんが、「久石さんは大衆と芸術のあいだの塀の上を、どっちにも落ちないように実にうまく渡っている」とおっしゃってますけど、これは最高のほめ言葉ですよね。

久石:
それはすごく嬉しいんだけど、うまく渡ってはいないですよ。どちらかに転びすぎると、何とか反対側に戻すという感じですから。

林:
ロンドンシンフォニーなどとの共演やクラシック曲の作曲で、そっちに戻そうとするわけですね。

久石:
映画の音楽だとかをしばらくやってると、飽きちゃうんです。「これでいいのかな」と思うと、逆に完全に作品風に振っちゃって。そうすると今度は独りよがりになりがちなんです。あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、の繰り返しですね。

林:
團伊玖磨さんみたい。團さんは大作を書く一方で、シンプルで、みんなが好きな「ぞうさん」もお書きになっていて、懐の深さが似てますね。

久石:
「ぞうさん」は、まど・みちおさん作詞で、あれは名曲ですね。ああいうシンプルな曲ほど難しいんです。「♪ぞーうさん ぞーうさん おーはながながいのね……」って、言葉のカーブとメロディーカーブが一致してるんですよ。

林:
ほおー、そこまで考えたことなかったです。「♪歩こう 歩こう……」(「となりのトトロ」の主題歌)もカーブが合ってますよね。

久石:
合わせてます。ポニョ(「崖の上のポニョ」)もそうですね。

林:
運動会で、どこの小学校でもこの2曲に合わせて子どもが行進していきますよね。あの年代には、DNAにすり込まれた曲になりましたね。

久石:
嬉しいことです。言葉が持っているリズムと、音楽が持っているメロディー、リズム、すべてが一致して初めて真の名曲なんです。ただ合わせると、メロディーは弱くなっちゃう。映画のバックグラウンドミュージックもそうです。画面に合わせるだけじゃダメなんです。

林:
解説でもないし、違う世界をつくって、相乗効果を出さなきゃいけないわけですもんね。難しそう。

久石:
たいがいはそういうものなんですけどね。理想は、映画と音楽が対等でいることです。画面よりしゃしゃり出ちゃいけないと思いますが、画面の説明を音楽でなぞるのはつまらないし、できるだけそうしないように努力してます。

林:
例えば米良美一さんとか、映画からいろんな名曲や歌手が生まれましたけど、歌手は作曲家が指定するんですか。

久石:
いや、ジブリの作品に関しては、宮崎さんと鈴木敏夫さん(プロデューサー)が選ぶことが多いです。

林:
アーティストや芸術家って、「自分の感性で生きている特別な人間だから、多少のわがままは聞け」みたいな人が多いですけど、久石さんは起床時間から、スタジオにこもる時間、散歩や読書の時間も、寝る時間まできちんと決まってるそうですね。常識人として創造的なお仕事をされるって、すごく驚きです。

久石:
感性に頼りすぎではいけないと思うんです。長距離ランナーみたいなものですから、ペースを保ったほうがいいと思うんですよね。林さんもそうだと思いますが、たくさんの仕事をこなしているときに、気持ちがのる、のらないに頼ってたら、ある水準は保てないじゃないですか。

林:
ええ、そうですね。

久石:
いい日もあるし悪い日もあるけど、ペースを保つことで、逆にいろんなものが見えてくる。少し距離をとりながら作っていったほうがいいような気がしてます。もちろん最後の仕上げのときは、2週間ぐらい徹夜になっちゃうんですけど。

林:
中学生で、ご出身の長野から東京まで習いに行ってたんですよね。

久石:
高校1年からですね。レッスンで通ってました。

林:
バイオリンと……。

久石:
いや、東京は完全に作曲の勉強です。

林:
えっ、す、すごい! 私、隣の山梨県だからわかりますけど、田舎の子からすればそれはちょっと別格のことですよ、英才教育だったんですね。

久石:
うーん、べつに大した……。作曲の勉強って、和声学というハーモニーの勉強なんですけど、月2回、土曜の夜にレッスンに行ってました、東村山市まで。

林:
すごく遠いじゃないですか。

久石:
そうなんです。特急で上野に出て、電車を乗り継いで立川まで行って、そこからバスに乗って。片道3時間以上かかりました。

林:
高校生のときから作曲家になろうと思ってたんですか。

久石:
ええ、もちろん。中学2年ぐらいだったと思います。作曲家になると決めたのは。

林:
何かきっかけがあったんですか。

久石:
同世代の子たちはビートルズを聴いていて、僕も当然大好きでしたけど、たまたまその時期に現代音楽を聴いちゃったんです。「なんだ、この不協和音は」って耳から離れなくなって。みんながロックにいくときに、僕は現代音楽に夢中になってました。そのころから、演奏するより作ったものを弾いてもらうほうが好きだったんです。

林:
そのとき聴いた現代音楽は、日本の作曲家ですか。

久石:
いろんなものを聴きました。日本の作曲家では、武満徹さんとか黛敏郎さんとか。黛さんの「涅槃交響曲」なんて素晴らしかったです。外国ではシュトックハウゼンとかクセナキスとか、いっぱい聴きました。

林:
大学は、現代音楽を専攻したんですか。

久石:
いえ、作曲科でした。音大の作曲科ではアカデミックなことしか教えませんから、まともに通わずに、よその大学の人とグループをつくっては作品の発表会をやるとか、そういうことばかりしてました。(笑)

林:
作曲家の三枝成彰さんが言うには、「音大でピアノ弾いてる男はばかにされるし、歌を歌ってるのはもっとばかにされるけど、唯一頭がいいと思われて尊敬されるのは作曲科の人間だ」って。ほんとですか。

久石:
アハハハ、どうかなあ。いろいろ考えるから、その意味で言えばそう見えたかもしれませんけどね。

林:
卒業記念コンサートみたいなものはあったんですか。

久石:
ありましたね。

林:
そこで高い評価を得たんですか。

久石:
どうでしょう。あんまり覚えてないです。卒業試験のときに、作曲科の学生はバルトークに毛が生えたような曲を提出する学生が多いんだけど、僕はすごい現代音楽っぽい譜面で、フルートとバイオリンとピアノの曲を出したんです。そのピアノを自分で弾いた覚えがありますね。だけど、前の晩に飲みすぎて、メッチャクチャ弾いて、仲のいい作曲科の先生に「おまえ、メチャクチャ弾いたな」って言われて、「どうせ不協和音だから、変わらないでしょう」と話した覚えはあります。(笑)

林:
そういえば久石さん、絶対音感がないってほんとなんですか。

久石:
ほんとです。例えば踏切の「キンコンカンコン」を聞いて「シラシラ……♪」というふうにはまったく聞こえないです。ただ、小さいときバイオリンをやってたので、「ラ」の音に対してはほぼあるんです。頭の中で「ラ」を鳴らして、そこから音楽を組み立てる感じですね。オーケストラも、最初にチューニングするときは「ラ」の音ですからね。

林:
えっ、そうなんですか。みんな好きな音を出してるんだと思って、ボーッと聞いてましたけど、違うんですね(笑)。久石さん、オペラはお書きになっていらっしゃいます?

久石:
ミュージカルはありますけど、オペラはないです。日本はオペラを書く環境にないんです、残念ながら。

林:
お金がかかりすぎますか。

久石:
作るとなったら、自分でせっせとお金集めて作らなきゃいけない。ある歌劇場から委嘱を受けて、何年かかけて作って、ずっと作品を育てていくといった環境が、日本にはまったくないんです。その環境が整うなら、いつでも書きたいですけど。

林:
日本中に300くらいオペラは作られてるそうだけど、何かのイベントで演奏されて一回きりで終わることが多いそうですね。

久石:
オペラって何年かおきにきちんと上演し続けることで作品が育っていくと思うんです。僕と同じミニマル・ミュージックというスタイルをとってる人で、ジョン・アダムズという現代音楽の作曲家がいます。この人が書いた「ドクター・アトミック」や「中国のニクソン」というオペラは非常に優れてるんですよ。

林:
そうですか。全然知らなかったです。

久石:
クラシックって、クラシックのままだと古典芸能なんです。ところが、このあいだウィーンフィルの来日公演を聴きに行ったら、現代音楽もきっちりやる。日本のオケは、現代音楽をやるとお客が呼べないからという理由で、率先してやろうとしなくなっちゃうんですね。そうすると発表する場がないから、作曲家の趣味のような形でちょこちょこっとしかできなくなっちゃう。

林:
日本のオペラの状況と似てますね。

久石:
ええ。過去と現代を同時に大事にしていかないと、文化は育たないんじゃないかという気がします。

林:
でも、「オペラをやる」と宣言なされば、いくらでもスポンサーがつくんじゃないですか。

久石:
そうだと嬉しいんですけど。ほんとは新国立劇場あたりが中心になって、門戸を開いてやっていくべきなんでしょうけどね。

林:
不況で何もかもが削られていくみたいですから、いちばん人気のある久石さんのような方に、そういうことをどんどんご発言いただきたいですよ。オペラファンとしては。

構成 本誌・中釜由起子

(週間朝日 5000号記念 2010年3月26日増大号 より)

 

 

Blog. 「別冊カドカワ 総力特集 崖の上のポニョ featuring スタジオジブリ」(2008) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/07/04

雑誌「別冊カドカワ 総力特集『崖の上のポニョ』featuring スタジオジブリ」から久石譲インタビューです。目次は末記していますが、ジブリ音楽にまつわる井上あずみ・中田ヤスタカ それぞれインタビューもピックアップして掲載します。

 

 

Music on Ghibli
ジブリと音楽の共振関係

ジブリ作品の音楽を手掛ける久石譲のインタビューをはじめ、主題歌を担当した歌手からのメッセージ、中田ヤスタカによる分析で、映像と音楽の関係に迫る

Part 01 久石譲
Part 02 テーマソング
Part 03 中田ヤスタカ

 

Part 01 interview

『崖の上のポニョ』音楽監督 久石譲
ジブリと重ねた時間が生み出した音楽

多くの映画やCMの音楽を手掛け、音で映像にさらなる彩りを添える作曲家・久石譲。’84年に劇場公開された「風の谷のナウシカ」から「崖の上のポニョ」まで、25年にわたって宮崎駿監督作品の音楽を担当してきた彼が、映画における音楽の在り方から「崖の上のポニョ」の制作エピソードまでを語った。

 

音楽は”諸刃の剣”なのですごく注意しています

宮崎駿監督をはじめ、北野武監督の作品など、これまでに50本以上の映画音楽を手掛けてきた久石譲。映画に音楽は欠かせないものだが、映画における”音楽の役割”について、どんな考え方を持っているのかを聞いた。

「映画における音楽の役割を一言で説明するのは難しいですね。実のところ、僕もよく分かってないんですよ。でも、音楽のない映画ってあり得ないですよね。ということは、やっぱり音楽は映画に必要だということだと思うんです。音楽の役割というのは、作品によって違ったりもします。音楽によってセットを大きく立派に見せることもできますし、登場人物の心理を表したセリフ、例えば”好きだ”という言葉を、音楽を使って、どれだけ好きなのかをハッキリと表すことも可能です。作品ごとに役割は違ってきますから、僕も作品に合うものをどう書くかを毎回手探りでやっているんです。ただ言えるのは、エンターテインメント的な作品には比較的多くの音楽を入れて、現実的な話だったら少なくするようにしています。音楽は”諸刃の剣”でもあるんですよ。リアルな作品に音楽を入れ過ぎると、逆にうそくさくなったり、作り物めいてしまうことがあるので、そのことはすごく注意しています。中国映画で『おばさんのポストモダン生活』という作品があって、僕が音楽を担当したんですけど、悲哀のあるストーリーなので徹底的に音楽を減らしつつ、中国の民族楽器とオーケストラの融合を試みました。”映画にはこういうふうに音楽を入れればいい”というマニュアルはありませんからね。毎回気持ちをリセットして、新たな気持で臨むという姿勢を取りたいと思っています」

作品ごとに気持ちを切り替えて臨むという姿勢は、25年もコンビを組んできた宮崎駿監督の作品においても同じ。「崖の上のポニョ」の音楽も、真っさらな状態から取り掛かった。

「子どもから大人まで誰もが口ずさめるような歌を作ってほしいというのが宮崎さんの希望でした。そうなると、一番大事なのがメインテーマ。幸いなことに、宮崎さんとの最初の打ち合わせのときに浮かんできたんですよ。”ポ~ニョポ~ニョポニョ”っていう部分のメロディーが。でも、あまりにもシンプルなメロディーだったので、2~3カ月くらい寝かせてたんです。でも結局、それが一番良いと思ったので、デモを作って宮崎さんに渡してみたら気に入ってくださって。最大の難関になるはずのメインテーマが最初にできたというのは非常に助かりましたね」

 

主人公が揺れてくれると音楽を入れやすいんです

好調なスタートを切ったかのように思えた「崖の上のポニョ」の音楽作りだが、間もなく”難所”に差し掛かった。

「作っていくうちに”これは難しいな”と思ったことがありました。主人公の宗介は5歳の男の子なんですけど、それくらいの年齢の子は感情のブレがないんです。”行きたい””好き””会いたい”とか、とにかく真っすぐですからね。映画音楽では、主人公が揺れてくれるとありがたいんです。揺れると心理描写が入りますから、いろんなバリエーションの音楽を入れやすいんですよ。宗介もポニョも真っすぐなので、そこは大変でした(笑)。でも、『崖の上のポニョ』という作品は”子ども向け”に見えますけど、全然”子ども向け”じゃないですからね。人間の生と死とか、現実に生きている世界と裏返しの世界の間の物語なんですよ。グランマンマーレとか、向こうの世界の存在ですし、永遠の生命とか、まさに東洋哲学ですよね。でも、ただ深いものとして見せるんじゃなくて、子どもにも分かるように作るという、難しいことに挑戦した作品なんじゃないのかなって。僕はそう感じたので、作っている途中で”これは大変だなぁ”って思いました。一番大切なことは、作品の深さに見合った音楽を書かなくてはいけないということでした。つまり、表面に出てくるメロディーはシンプルなものだとしても、水面下にものすごく深いものがないと成立しないんです」

しかし、その難所もシンプルなメロディーのメインテーマによって、乗り越えることができたようだ。

「小学校の音楽の授業で習うことですけど、音楽の中には”メロディー”と”ハーモニー”と”リズム”という三要素があるんです。僕らが音楽を作る上でも重要なのはこの三要素なんですよ。今回、メインテーマの”メロディー”が非常にシンプルで分かりやすいので、”リズム”や”ハーモニー”が相当複雑な構成になっても成立するんです。そこは良かったところですね。この曲の良さは、”ポ~ニョポ~ニョポニョさかなのこ”という最初の部分のメロディーですべて分かってしまうところ。そのメロディーを認識させるために4小節とか8小節とか必要としないですから。1フレーズだけで分かるので、どんな場面でも使えるんです。すごく悲しい感じにもできるし、すごく快活にもできるから、いくつでもバリエーションが作れるんです。メインテーマのアレンジを変えて使うという方法は、前作の『ハウルの動く城』の経験が生きましたね。今回、『崖の上のポニョ』でも徹底的にアレンジを変えました。使い回しは一つもありませんよ」

 

トータルで何を表現したいのかを考えないと、成立しない

音楽を付けるのに大変だった場面を聞いてみると「それは全部ですね」という答えが返ってきた。それぞれの場面と向き合って、ベストな音楽を入れるという作業に妥協はない。

「音楽を入れるのに楽なところは一つもありません。その中でも悩んだところは、宗介が”リサ!リサ!”って叫ぶ場面と、その後のおばあちゃんたちがいる”ひまわりの家”が水没している場面ですね。ひまわりの家の場面には音楽が必要だと思ったんですが、そうすると宗介のシーンには音楽が入れられないなって。2つの連続する場面のどちらにも音楽が入っていたら”音楽ベッタリ”な感じになってしまいますからね。僕も宮崎さんも悩んだんですけど、宗介のシーンには音楽は要らないという話になりました。ところが、作っていくうちに、”やっぱりこれだとおかしい”っていうふうに思えてきたので、宗介のところにも音楽を入れることにしたんです。でも、ひまわりの家の部分がフルオーケストラなので、違いが出せるように宗介のところはピアノ一本で入れることに。いやぁ、うまくいきましたね。惜しいのは、僕のピアノがちょっと強かったことかな。オケの録音の後にとったので、ちょっと力が入り過ぎたみたいです(笑)」

個々の場面に合っている音楽を作って入れることは、もちろん重要なことだ。しかし、映画音楽で最も大切なのは、トータルでのバランスを考えて構成すること。

「そうなんですよ。トータルバランスを考えて作るということが大切です。この映画の上映時間は1時間41分ですから、音楽も1時間41分の長さのシンフォニー(交響曲)を書くつもりで取り掛からないといけません。ずっとフルテンションの分厚い音楽だったら飽きちゃいますよね。厚い部分があれば薄い部分もあって、速い部分があれば遅い部分もある。その音楽がトータルで何を表現したいのかを考えないと作品として成立しないんです。音楽が入ってない場面も出てきますよね。”この場面には音楽を入れない”と決めるのも、僕の仕事なんです」

 

このコンサートで重要なのは映像と音楽のバランスでした

8月4日と5日に、日本武道館でコンサート「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~」(全3公演)を行ったが、そこでも”トータルバランスを考えて構成する”という彼のコンセプトを感じ取ることができた。

「武道館公演ではいろんなバランスについて悩みました。まずは『風の谷のナウシカ』から『崖の上のポニョ』まで、9作品もあるので、それをどうやって構成しようかということ。『ナウシカ』で始まって、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』というふうに年代順というのが一番単純で安心感もあるんだろうけど、その通りにやっていたら、『もののけ姫』くらいのときに、”今、中ごろだな”って観客が予想できちゃうじゃないですか。そうではなく、観客の予測を裏切っていくために必要なのが”構成”です。映画を一本撮るのと同じように、構成することで感動が残るんですよ。映画の魅力って”サスペンデッド”なんです。”宙づり”っていう意味ですけど、観客を”どうなるの?”って引っ張っていくドキドキ感が必要だと思うんです。あとは映像と音楽のバランス。スクリーンが大き過ぎても駄目なんです。人間って映像の印象を強く受けるから、映像に音楽がくっついてるっていう感じになるんだったら、コンサートをやる意味がないんですよね。かといって、小さ過ぎると映像がオマケになっちゃうからそれも駄目。88メートル×約162メートル、巨大ですけどちょうどバランスのいい大きさのスクリーンだったと思いますよ」

世界最大級のステージを作る。そんな気持ちで臨んだ武道館公演。観客にとっても、出演者にとっても、ずっと記憶に残るコンサートとなった。

「通常、僕のコンサートは、サントリーホールとかで行うときには一般的なクラシックコンサートと同じように年齢制限を設けているんですけど、今回は子ども連れ、赤ちゃん連れでも来てもらえるようにしました。今までやったことにない大規模なコンサートだし、その場に居合わせたことで、この体験がどこかに残ったりしたらいいなって思ったんです。このコンサートがきっかけで音楽をもっと好きになってくれる人がいたり、将来音楽家になりたいって思う人がいたらうれしいですからね。音楽っていいなって思ってくれただけでも、このコンサートを開催した意味があったと思うんです。出演者の中に、公募で選んだ合唱の人たちがいるんですけど、皆さん喜んでくれたみたいです。一般公募の合唱隊が参加することは、僕が”どうしても入れたい”ってこだわったことだったんですよ。終わった後、彼らが寄せ書きした冊子をもらったんですけど、それがうれしくてね。いやぁ、このコンサートをやってホントに良かったです」

 

[写真掲載箇所コメント]

物語の冒頭の部分はセリフがなく、音楽が重要な役割を担っている。「15分間くらいセリフがないでしょう。ディズニー映画でいうと『ファンタジア』みたいなもので、音楽がハイレベルにいかないとゼッタイに成立しないなって思ったんです」(写真:崖の上のポニョ)

200人のオーケストラとピアノで共演する久石譲。大きなスクリーンも効果的だ。「映画のシーンのほか、ライブ映像も多く映しました。映画の場面との切り替えを自然に見せるために、モノクロ映像も結構多く使ったりしたんですよ」(写真:久石譲 in 武道館)

 

 

 

Part 02 Theme Songs

テーマソングが奏でる、ジブリの世界

1980s
「天空の城ラピュタ」に始まり、ジブリの存在感をわずか数年で知らしめた成長期

’80年代は、’84年に公開された「風の谷のナウシカ」の大ヒットを受け、”スタジオジブリ”が発足。’86年には第1弾作品「天空の城ラピュタ」が公開された。ほかにも「となりのトトロ」(’88年)、「魔女の宅急便」(’89年)と、わずか数年間でスタジオジブリの存在を広く知らしめた。

’80年代のジブリ作品の中で、重要な役割を担っていたのが井上あずみの歌。「君をのせて」(「天空の城ラピュタ」挿入歌)では透明感あふれる歌が物語の余韻を広げ、「となりのトトロ」と「さんぽ」(「となりのトトロ」)で観客をファンタジーの世界へと導いた。デビュー25周年を迎えた井上あずみに当時を思い出してもらい、楽曲のエピソードについて語ってもらった。

 

井上あずみ
絶対この歌を歌いたい!って心から願いました

「天空の城ラピュタ」の「君をのせて」は、最初、久石譲さんが歌われたデモテープを聴かせていただいたんですが、温かくて広がりのあるすてきな歌だと思いました。オーディションだったので、「絶対この曲を歌いたい!」って心から願いました。レコーディングのとき、宮崎駿監督に「自由に歌ってください」と言っていただいたことで気持ちが楽になったのを覚えています。完成披露試写会で作品を見たんですけど、どこで流れるのかを知らされてなくて、いつまでたっても流れてこないので、「使われなかったのかな…」って思っていたらエンディングで流れてきたんですよ。映画の感動もあって、号泣しました。

「となりのトトロ」は、映画に先駆けて制作されるイメージアルバムのデモ作りから参加させてもらいました。主題歌はわたしが歌うことになっていたのですが、当初「さんぽ」は杉並児童合唱団が歌うことになっていました。でも、「井上あずみの声が入った方がしんがあっていいのでは」とうことになり、児童合唱団用に歌ったわたしのデモがそのまま映画に使われたんです。こんな経験は後にも先にもこの一曲だけです。その曲が、20年たった今でも子どもたちが歌ってくれるわたしの代表曲になったのですから、出会いや縁は大切なものだなってつくづく思いましたね。

(Part 02 より 1980s項抜粋)

 

 

 

Part 03
Sound profiling

音楽プロデューサー/DJ 中田ヤスタカ
ジブリの映像と音楽における”レトロ”とフューチャー”

自身のユニット”capsule”の活動にとどまらず、Perfumeらのサウンドプロデューサーとしてヒット曲を生み出すなど、幅広い活躍を見せる中田ヤスタカ。過去にスタジオジブリとのコラボ経験のある彼が、ジブリ作品における映像と音楽の関係性について分析する。

~中略~

映画の中に登場するモノに興味を持っているようだが、使われている音楽についても大いに関心があるという。

「久石さんの作る音楽はすごいです。あんなに映画の中に食い込んでくる音楽って、最近の作品ではあまりないと思うんですよ。効果音の延長みたいな音楽がすごく増えていて、映画はヒットしたけど、音楽は全然覚えていないという作品が多いような気がします。でも、それは作曲家の責任ではなかったりするんですよ。やっぱり監督が権限を握ってるから、音楽が食い込むことを嫌がったりするんじゃないかって。でも、ジブリ作品は、それを良しとしてるんですよね。そこが好きなんです。メロディーが歌ってるというか、歌みたいになってるんです。映像を見てるのに、一緒にメロディーも口ずさめたりしますよね。その絶妙なバランスを保つことって、ホントに難しいことだと思うんです。映像と音をどれくらいリンクさせればいいのか、という感覚は経験を積まないと身に付かないと思いますから」

 

ジブリは音楽がエッセンスじゃないところがすごい

映画における音楽の在り方について聞いてみると。

「音楽はエッセンスというか、足りないところに付け足すものという感じで使われてることも多いですよね。でも、ジブリ作品の音楽はエッセンスじゃないのがすごいところ。『ハウルの動く城』の最初の方のシーンで、全然テンションが上がらないピアノで始まるじゃないですか。それが途中からだんだんと盛り上がっていきますよね。最初から音楽が盛り上がってると、テンション上がり気味で見ちゃうところを、音楽が”ちょっと落ち着いて”って見ている側の感情をコントロールしてるんじゃないかなって。それくらい音楽の持つ力が大きく現れてるんです」

そういう音楽と映像のバランス以外で、最近の映画の音楽での”挿入歌”の使われ方も気になっているという。

「最近の映画のテーマソングは”挿入歌”なんですよね。でも、挿入歌は嫌いなんです。挿入歌が入ること自体がイヤだということではないんですが、それが映画よりも目立ってるのが好きじゃないんですよ。映画音楽を作ってる人は、タイアップで入ってきた挿入歌が目立っていたらそれだけで許せないと思うんです。どっちが映画のために作ってるかというと、明らかに映画のサントラを作ってる方ですからね。ジブリの作品は違うんですけど、”タイアップだから、ここまでは許そう”みたいな雰囲気が感じられる作品はあまり好きではありませんね」

 

ドラマはどの音楽がどこに使われるか分からないんです

中田自身、ドラマ「ライアーゲーム」で音楽を手掛けた経験もあるが、映画とドラマの音楽の違いについても語ってくれた。

「ドラマの場合、映画と違って、どこにどの音楽が使われるかは分からないんです。映画の場合は、このシーンにどういう音があるべきか、またはない方がいいのかを考えて作ることができるんですが、ドラマでは音を使う場所を決める人が別にいるので、秒数的なことを意識して作ったのはタイトル曲くらいでした。サウンドに関して、監督から任せてもらったので自由に作れましたし、音楽の使われ方も良かったので、良い評価を頂きました。新しいドラマ枠だったので、守りに入ってない感じだったのも良かったところですね」

最後に「またスタジオジブリと一緒に仕事ができるなら?」という質問を投げ掛けてみたら、こんな答えが返ってみた。

「長編映画の音楽を担当してみたいですね。内容は問いませんが、出てくるモノが欲しくなったり、行ってみたいと思えるような世界を描いた作品に音楽を付けてみたいです」

 

(「別冊カドカワ 総力特集 崖の上のポニョ featuring スタジオジブリ より)

 

 

【目次】

カラーグラビア「崖の上のポニョ」LOVE GALLERY

スピリチュアル・メッセージ 鈴木敏夫 「ポニョ」と交わした約束

リポート
「崖の上のポニョ」公開初日 舞台あいさつ&記者会見リポート 宮崎駿監督 笑顔につつまれた日
”ポニョ”創作300日を追ったNHKディレクターが目撃した 人間・宮崎駿
この夏、日本中を癒やした愛すべき3人の仲良し!?トーク 藤岡藤巻&大橋のぞみ インタビュー
ポニョに命を吹き込んだ スタジオジブリの至芸

「崖の上のポニョ」作品レビュー
著名人が「崖の上のポニョ」を語る!! 珠玉のレビュー集 ポニョに出逢った夏

才能の共鳴 映像のプロ9人の眼
崖の上のポニョ オリジナル・グッズ・コレクション
「いつものジブリ日誌」でたどる『崖の上のポニョ』制作ヒストリー
「崖の上のポニョ」クロスワードパズル

立体考察
六つのキーワードで迫る「崖の上のポニョ」&ジブリアニメーションの魔力
1.ジブリが選んだ「手描き」の功罪
2.ポニョが起こした50年ぶりの「大波」
3.「生と死」の一体化
4.特別寄稿「ファンタジー」とスタジオジブリ 見つめることが愛すること
5.宮崎駿の恐るべき「老境」
6.6人の評論家によるジブリ作品の「普遍的エンターテインメント性」

別冊カドカワ流 複眼的スタジオジブリ研究
プロローグ 比類なきブランド力を持つアニメーション・スタジオの足跡
スタジオジブリという独立国
ジブリアニメのカレイドスコープ
Music on Ghibli ジブリと音楽の共振関係
Part 1 久石譲/インタビュー ジブリと重ねた時間が生み出した音楽
   ライブリポート/久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年~
コラム アーティスト/谷山浩子 インタビュー 「テルーの唄」作曲者が語るジブリの音楽性
Part 2 テーマソングが奏でる、ジブリの世界
   井上あずみ/矢野顕子/加藤登紀子/本名陽子/木村弓/つじあやの/手嶌葵
Part 3 中田ヤスタカ/サウンドプロファイリング ジブリの映像と音楽における”レトロ”と”フューチャー”
OVER SEAS~海外からの視点~
ジブリアニメの歴代「女性キャラ」声優陣が明かす あの娘のセリフの向こう側
思い出のシーンがよみがえる 世代別 マイ・ベスト・ジブリ

 

 

 

 

Blog. 「CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12」(2007) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/07/03

雑誌「CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12」(2007)に掲載された久石譲インタビューです。8ページに及ぶロングインタビュー+貴重な建物の中を撮影したオールカラー写真も満載です。広々としたアトリエから庭のプールから、永久保存版です。

 

 

マイ・ライフスタイル

感動をつくれますか?

音楽家 久石譲
写真・聞き手 稲越功一

久石譲さん。音楽家として今をときめく時代の寵児である。また宮崎駿、北野武監督作品には欠かせない存在である事は言を待たない。私たちは西麻布のアトリエ(スタジオ)兼事務所にお伺いした。そこは閑静な住宅街の一角に位置していた。およそ音には縁のない静かな佇まいである。まれに見る多忙の中での取材、緊張感が漂ったがしかし久石さんはそんな様子もおくびにも出さず終始にこやかにわれわれを迎えいれてくださった。ちなみに本タイトルは久石さんの同名の名著(2006年刊)からいただいた。

 

今日的なもののなかにある「普遍性」こそ重要

稲越:
お忙しそうですね。

久石:
そうですね…、今、日本の映画とフランス映画を同時並行で進めていて、少しバタバタしています。

稲越:
今年は中国映画もなさるとおっしゃっていましたよね。

久石:
チァン・ウェン監督の「The Sun Also Rises」ですね。これは一応終わったんですよ。先日ヴェネチア国際映画祭にも出品され注目が集まったようです。

稲越:
仕事って、加速がついているときのほうがいい仕事ができますよね。あんまり暇だと間延びがしちゃうでしょう。

久石:
それはありますよね。

稲越:
もちろん職業によっては、全てがそうとは言えないでしょうけど。やはり今、久石さんは映画音楽、そこからご自身のコンサート、さらにコマーシャルと多岐にわたって活動されていらっしゃいます。僕も風景を撮ったり、人物を撮ったりいろいろですが、当然一人ですから自分の根っこみたいなものって、原点があって、そこから枝葉を広げて花を育てていきますよね。

久石:
それはもう、当然。やはり映画音楽ばっかりつくっていても飽きてしまいます。

稲越:
僕は音楽については詳しくはわかりませんけど、映画音楽にしたって、まあ変に映画という枠組みにこだわっちゃうと、それを専門になさっている方となんら変わらないということがあるでしょうし。……時代に媚びる、ってわけじゃないんですが、時代からずれてしまうとやっぱりいけないようなところもあると思うんですよ。その辺の兼ね合いっていうのは、重要なところだと僕は思うんですがね。どうなんでしょうか。

久石:
今日的であるというのはそれなりに重要ですよね。ただその、今日的なものにこだわりすぎると、それは、四年、五年経つと古くなって見えてしまいますよね。ですから、アップ・トゥ・デートっていうのはそれなりにすごく重要だと思うんですけれど、重要なことは、その今日的なものの中に入っている普遍的なものっていうか、それは過去のことから未来のことまで流れている。

稲越:
それはずっと久石さんの中に流れてきているものだと感じています。

久石:
そういうことはすごく大事にしていますね。

稲越:
それはなにをなさっても、—もっと極端に言えばCMの音楽の中にも、久石調—って言うとなんか変ですけれど(笑)そういうものが一貫して通っていると思います。普通に言えば久石ワールドみたいなね。久石さんが執筆された著書(『久石譲 35mm日記』)の中で山折哲雄さんとの対談がありましたね。それを読んで、久石さんは多岐にわたっていろんなことを勉強なさっているなと思いました。当然かもしれませんが、そういうものが一人の音楽家にプラスアルファとして働きかけているなと思っています。僕はいつも思うんです。久石さんはある種の優しさの中にある時代を、作曲を通して表現なさっていると。こういうと大袈裟かもしれないですけれど。それが、久石さんがさっきおっしゃったある種の普遍性みたいなことなのかもしれないのですけれど。なにかそういうものを感じるんですよね。五年前と今でも基本的には一緒ですけれど、そこに微妙に違いをみます。

 

邦画と洋画の本質的な違いとは

稲越:
映画なら映画で、たとえばフランス映画をなさるときと、アジア映画をつくる時の基本は一緒だと思うんですけれど、言葉の違い? ここでいう言葉というのはその、中国語とフランス語の違いってことじゃなくて、映画の言葉ってあるような気がするんですよ。もちろんつくるバックボーンや風土の違いとかはあるでしょう。部屋の様子ひとつでも当然違うわけですし。僕は今、フランス映画とかイタリア映画って活力がないっていう気がするんですよ。

久石:
そうですか? 単に日本に入ってきてないだけでね、元気はやっぱりあると思いますよ。フランスは国が映画を守っていますしね、非常に活発ですよ。日本の監督の場合大概が文学系の人がつくっているので、脚本をどうやって映像化するかが主体になることが多いんだけれど、フランスの監督は美術大学だとか、絵描き出身だったりする。ビジュアルのほうから監督になる人がすごく多いから画作りにはすごくこだわるわけね。画作りにこだわる分だけ、アート性は高いんだけれども、ともすると荒唐無稽になったり、過剰な表現になりがちではあるけれど。だけど、やっぱりフランス映画なんかは、ヨーロッパの中でちょうど真ん中に位置しているせいもあるからすごくよく作られています。ただ、日本でなかなか観るチャンスがないんですよね。

稲越:
ああ、なるほど。多分そうでしょうね。六〇年代っていうと結構イタリア、フランスの映画は日本にかなり入ってきて、それなりの興行収入もあったんでしょうけどね。でも現在では自分たちが触れてないから、どうしてもね。実際フランスに行って観れば久石さんがおっしゃったように活発なのでしょうね。

久石:
音楽のチャートなんかを見てもね、昔はアメリカのビルボードのチャートに入っている歌は、必ず日本のチャートの上位にもいた。ところがある時期から一〇年以上前からかな、ほとんど入らないんだよね。日本のチャートは日本人のポップスが主体になってしまった。映画においても昔は世界中ハリウッドに席巻されて自国の映画よりもハリウッド映画のほうが興行収入が高い所為もあった。ところが今は逆に、日本のほうが圧倒的な強さをみせています。それはハリウッドが弱くなっているとかいろいろ理由を挙げる前に、僕は日本人のキャパシティが狭まってきているんじゃないかと感じてしまうんです。外国の作品を受け入れる側の懐の広さというものも重要になってくると思うわけ。

稲越:
たまたま僕、昨日タランティーノの映画を観たのですけれど、現代の劇画風とかB級映画のおもしろさのある映画としてすごく良くできている作品だと思いました。しかし正直なところ僕の資質からいくと、とことんついていけない。やっぱりある種の血の違いっていうのがあるんじゃないですか。僕が三〇代だったらまた違ったと思うんですが。生き方とか、自分の肉体的なことを含めてね。もう僕も六〇ですから──やはりこう、ノッてるようでノリきれてない。まあその良さと悪さがあると思いますけれど。でもああいう手法っていうのはけっこう難しいのでしょうね。

久石:
僕は観てないからわからないけど、タランティーノはよく映画を知り抜いていますよね。『キル・ビル』を観ても、どれを観てもやっぱりすごい。わかっていてB級をつくっている人だから。それは素晴らしいと思います。

稲越:
ゴダールとはまた全然違うんでしょうけど、今おっしゃったように、映画を知っててなおかつつくり上げていく。それは、久石さんの作曲って言うのも、先ほど優しいって言ったけど優しさの向うにあるものを知ってらっしゃるから優しい音楽が生まれると思うんです。

 

表現したい事を表現できる努力を

久石:
自分では優しさを表現しようと意識して作曲をしているつもりはないのですけれどね。

稲越:
それは久石さんの資質っていうのかな。たとえば僕がいくらエロく撮っても荒木経惟さんにはなりきれない。やっぱり稲越功一のエロティシズムみたいのになっちゃうと思うんですよね。結局最終的にそれはその人の生きてきた人生かもしれないし、環境かもしれない。それは良い言い方をすれば個性とでもいうんですかね。この間まで中国に行っていたんです。カメラを向けた相手が一瞬でもいやな顔をするとかつてはそれでも強引に撮っていたんですが、今は撮れないですよ、そうなったら。もうシャッターを押せない。自分の若いときと違う視線になってしまったとでもいうんですかね。そういうことって久石さんはありませんか? 久石さんが四〇代につくってらっしゃったことと、今つくっていらっしゃる中で、同じ美しいってことを表現するときに違いはどうですか?

久石:
そうですね、それは毎回当然違うし、比べてもしょうがないことだからあまり考えないですね。やはり今一番興味のあること、今の自分でしか表現できないことがあるから、それに夢中になってしまうからね。四〇代のときとかいつの時とかそういう比べ方はしたことないですね。ただ四〇代のときより今のほうが体力はある、間違いないね。それはやはり当時より鍛えてる分体力もあるし、それから知識も増えた。でも物事を見る新鮮さは、もしかしたら前に比べてなくなっているのかもしれないなあ。重要なのは今自分が一番いいと思う、そう思えることをきちんとやることだから。それは絶えず探すし、経験を積めば積むほど自分がどれだけ真剣にやれることがあるか、そう本気で思えるかが大切な気がします。先ほど稲越さんは相手が嫌な顔していたらシャッターを押せなくなってしまったとおっしゃいましたよね。僕は逆に今やろうと思ったらコンサートの前の日でもプログラムを変えてしまうくらいです。なぜならそれがいいと思うから。その代わり、やりたいものにどこまで忠実に向き合うか、ということになってきますよね。まわりは迷惑でしょうけど。(笑)

稲越:
でもそういうこだわりみたいなものはある意味で自分に自信がないとできないんじゃないかって思うんですよ。

久石:
いえいえ、自信があるわけではないですよ。

稲越:
自信っていうか、やっぱり自分がつくりたいって、ひとつのピラミッドの頂点があると思うんですよね。それはその都度、創作だからそんな計算してできることじゃないでしょうから。アウトラインっていうんですか。それもあるでしょうけどね。まあその、コンサートで発表されたあとで、ああ、あそこはこうすればよかったとか、そういう思いもあるかもしれないですよね。

久石:
ええ、それは絶えずですよ。

稲越:
そういえば三年程前にカナダ人のストリングアンサンブルとコンサートをなさってましたよね。あの方々は久石さんがハワイに行かれていた時に、たまたまケーブルテレビに映っていた方々だったとか。そこで気に入った事がきっかけでその年のコンサートに参加してもらった、みたいなことおっしゃられていましたけれど……。

久石:
ああ、ラ・ピエタのことですね。

稲越:
そういう、自分がつくりたいある種のフォーマットがあって、いろいろアンテナを張っていて、そこに引っかかってきたときにすぐ自分のプログラムにいれてしまう……。

久石:
そうですね。最大限に表現できる演奏家を僕はできるだけ選ばなければならないと思っています。だからそれは選びますけど。

稲越:
久石さんのお話を聞いていると、僕ももっと強引に撮るべきかな、と。

久石:
そう思いますね。すごく賢くなってしまったのかもしれませんね。

稲越:
それと撮るってことは違うわけですから。

久石:
そこに何か撮りたいと思う気持ちがあるとしたら、そちらのほうが大事だと思いますけどね。

稲越:
今お話聞いていましてね、僕も反省を兼ねてですね……。(笑)

久石:
いやいや。稲越さんは瞬時にどこが大事かを見抜いて撮られている。

稲越:
それはですね、今日みたいなこういう仕事と、例えば中国の各地を歩いていて、そんなときに向うが撮られて心地いいって、やはり瞬時にわかるんですよ。それが用意されたカットですとね、おっしゃるようにそんなに人の感情読まないんですよ。自分の中で撮った、っていうのが、実際現像なんかしてみると意外にそれ以上でもそれ以下でもなかったりっていうのもあるんですけどね。

久石:
僕はね、何だろう。やりたいものがあったら、逡巡するまえにやってしまうことが多いですね。どちらかというとね。

 

やりすぎないことが信頼の証

稲越:
どうなんですか、お仕事をこういう部屋でなさっているのと、他のスタジオを借り切ってやられたりとか、場所というのは本質的には関係ないでしょうか。

久石:
ものをつくる場所というのはこだわりますよね。雰囲気的にものをつくれる環境を選びます。レコーディングスタジオに入るとミュージシャンやスタッフなど人も大勢いますし、作業場ですね。今日もこの取材後にスタジオに移動してCM音楽のレコーディングをするのですが、完成させた譜面を持ってスタジオに入ります。やはり曲づくりの場所とは分けています。演奏しないことにはレコーディングにならないので、レコーディングする場所としてそこはきちんと分けています。

稲越:
その場でアレンジとかして違ってきたりするのですか?

久石:
僕はスタジオに入ってしまったらもうまったく変えません。

稲越:
えっ、変えないんだ……

久石:
レコーディングは誰よりも早いと驚かれます。二日間のレコーディングを予定していても、たいてい一日目で半分以上の曲数を録ってしまいますから。一日の場合も、二一時までスタジオを借りていたとしても、一八時、一八時半には終わってしまうことが多いです。このあいだ久しぶりにスケジュールの組み方の問題もあり、遅くなることがありましたけど、これなんかは例外です。

稲越:
お話を聞いていてなんとなくわかったのは、撮影のために久石さんにピアノに向き合っていただいていましたが、指のアップと顔って、だいたい自分の中で絵がつくってあるから、そういうときは、久石さんが座ってから自分を探すってことじゃないんですよね。それと一緒で、ロスがないんですね。

久石:
そうだと思いますよ。

稲越:
イメージされたものをそのままロスのないように移行するということですね。

久石:
オーケストラとのコンサートのリハーサルも短く、無駄に回数多く練習はしていないですね。あまりテンポよく進むので皆が驚くくらいです。大概のケース、指揮者は自分が不安だからどんどん練習したくなるのですが僕はもう全然。最近は少し割り切って考えられるようになりました。

稲越:
でも演奏する人は緊張しません?

久石:
しますよね。

稲越:
一時間、ヴァイオリンならヴァイオリンを演奏する人が十分練習をしていて「もういいですよ」と言われた場合、ほんとにこれでいいのかなって演奏する人たちは自分に問うみたいなことってありません?

久石:
でもそれは逆に、指揮者(僕)が演奏者を信頼しているという証でもあるんです。演奏家に「今の演奏どこが悪いのかわからないけどまた練習するのか」と思わせてしまうくらいならやりません。あえてそこで省かれることによって自分たちは信頼されていると思い、本番がうまくいくんです。だからそういうことは一切やらないですね。

稲越:
すごくいいお話ですね。それもチームのハーモニーっていうことですよね。なるほど。

久石:
今日だってこの後に録るCMのレコーディングも早いですよ多分。三〇分かからないで終わると思います。

稲越:
それはもう久石さんの中にちゃんとしたイメージがあって、そのイメージをロスがないようにスタジオでやればいいことだからですか?

久石:
そうですね。あまり録り直しもしません。ある種そういう緊張感があるほうが楽しいですよね。

 

環境との歩み寄り

稲越:
やっぱり、細かいところでピッと合わせるというのは、一流の仕事なんですね。……一流っていうと語弊があるかもしれませんが。まあ、自分に置き換えると、フレームの中で風景探してるようじゃ一流じゃないと思います。

久石:
そうですか、フレームの中でね。

稲越:
僕の場合写真家だから結局、確認したものを撮れちゃう。今の久石さんのお話を伺っていると、やっぱりその、確認することに無駄がない、ってことにつながるんじゃないかって、思ったんですけどね。この部屋の大きな窓の外に風景なんかが広がっていたりとかすると、何か違和感があると思うんですが。

久石:
確かに、最近良くないなと思っているんです。やはり、大きな窓があるとふと外の風景を見たときに視覚的要素が多すぎる。だからブラインドをある程度下ろしたほうがいいかなって。

稲越:
あははは、そうですか。(笑)

久石:
そう、やっぱりこう、映画音楽を作っているときは映像を観ながら仕事をしますから、そこで気づかないうちにモニター以外の要素が多く入ってきてしまうと、良くないなと思います。自宅のほうはそれがないんですよ。だからもっと集中するんですね。そういうところをみるとどうもここはリゾートっぽいというか、「仕事をする雰囲気にならないな」なんて……。最初は気持ちよかったんですよ。僕はわりと閉所恐怖症だから、閉ざされた感じは好きではないので、ここの全面ガラス窓が気に入っていましたし。

稲越:
とくにこの部屋は、角部屋ですからね、抜けがいいじゃないですか。

久石:
そう、それは気に入っているのも確かなんですが、どうも、視覚情報が多い。そう感じる時もある。この部屋では落ち着いて過ごせていることが多いんでしょうけれど、例えば、昨日みたいに映画音楽を一度に九曲書き上げるみたいな状況になってくると、やはり周りを何にもないようすることも必要なのかもしれませんね。目から入る情報って、想像以上に大きいですからね。

稲越:
でも、他のレコーディングスタジオなどで仕事なさって、ここに帰ってこられたときは逆にホッとなさるんじゃないですか。

久石:
ここに移ったのは今年の五月ですから、まだあまり慣れてないんですよ。やはり半年、一年くらいたたないとね。空間っていうのは自分が充分居付かないと。自分のほうもこの環境にすり寄って、おそらく環境のほうも僕のほうにすり寄ってきて、お互いにね。

稲越:
いや、すごくよくわかります。僕の事務所は四〇年近いでしょ、しかも狭いところなんですよ。ほんとにこの、四分の一くらいですけど。

久石:
でも、居心地いいでしょ?

稲越:
いいです。いいってことと、やはり、逆に狭いから常に整理整頓を怠らない。ロフトみたいなところで何も置かないっていうのが夢なんですけど。でもやはり、空間そのものが自分の手の分身みたいですね。まだ半年とかおっしゃいますが、これ一〇年ぐらい経ったら、同じ風景もまた久石さんの体の一部になるかもしれません。

久石:
そう、そうなりますね。自宅のほうは、もう三年目か四年目なので、だいぶ落ち着いてきましたね。だけどなんかこう、環境には我々も慣れないとね。双方の歩み寄り……。

稲越:
それは絶対にありますね。お忙しいところ、本当にありがとうございました。

 

【撮影後記】
当然かもしれないが、久石氏はどんな曲を創っても、相手を包み込むような優しい余韻が残る。映像でいえば残像、文章で言えば余白といったところの漂いかもしれない。それが私にとってはたまらないのである。氏の持っている独自のスタイルあるいは資質と言ってもいいのかもしれない。私どもの仕事は最終的には表現されたものが、好きか嫌いかであって理屈で言えるものではない。私は久石氏の曲が好きである。とにかく氏は疾走中であるし、この勢いは当分止まらないであろう。それだけの魅力を持って花を咲き続けているからだ。

三日後、久石氏のご自宅におじゃましました。あくまでも静かで堂々とした佇まいである。曇りから一転して光が射し、住居に隣接するプールサイドはさながらにカリフォルニアのようだった。ひとつひとつの部屋には秋の陽が広がり、ゆったりした時間が流れていた。

(稲越功一)

(CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12 より)

 

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1987年12月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/07/02

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1987年12月号」に掲載された久石譲インタビューです。オリジナル・アルバム『Piano Stories』制作時期・準備期間にあたります。

 

 

久石譲
次のソロ・アルバムは全編ソロ・ピアノで現在制作中です

今やCM、映画音楽からアイドルものまで、さまざまなジャンルで超多忙なスケジュールをこなしている久石譲。1日15時間以上スタジオに入っているという久石氏にホーム・スタジオ、ワンダー・ステーションでインタビュー。最近の活動振りや準備を進めているソロ・アルバムの話をうかがった。

 

ー今年はどういった活動を主にやっていたのですか?

久石:
CM、映画、レコードと相変わらずまんべんなくやってますが(笑)、基本的には映画の方に力を入れてきました。今年これまでで4本やりましたからね。これは以前から考えてたんですけど、日本の映画っていろいろ問題を抱えてるんですよ。で、僕もその中で状況を変えていかなければ……と思って。

 

ー音楽サイドから見た映画の問題点というと?

久石:
簡単な話、サントラがあまり売れてない(笑)。すると、音楽予算はどんどん削られていくわけでね。だからもう一度サントラ、映画音楽は売れるんだ、という状況にしていかなければいけない。アメリカでは映画内の音楽と最後の主題歌が別だったというのは、もう10年くらい前の話なんですけど、今でも日本はそれを踏襲している。逆にアメリカでは「フラッシュダンス」以降、映画の中にいろいろな歌が入って、相乗りのような形で宣伝効果を高めて、それが若い人達にそれなりのアピールをするようになってるでしょ? この間の「トップガン」にしてもね。日本でもそういう状況が開発されればまたサントラが売れる可能性は出てくる。……そういったことも踏まえて、今年手掛けたものでは歌を起用するケースが多いんです。この前の僕の仕事で「この愛の物語」というのは、全11曲、歌なんです。ただ脈略もなく歌を並べるだけでは失敗しますよね、だから台本に即したところでそれに見合う作曲をして、さらに詞──特に日本の監督さんとかは詞をすごく気にしますからね、それがピッタリ合うもの、というふうにやっていくと、これは並大抵の労力じゃすみませんね。だけど、こうしていかないとただ単にBGMみたいに歌を流すというろくでもないものになっちゃう……最近あるでしょ、そういうの(笑)。そういった状況を誰かが破っていかないとね。だから、この前やった「漂流教室」の時、主題歌の歌手、今井美樹を起用したのは僕だし、12月公開予定の「ドン松五郎の大冒険」、これで立花理佐が歌っているメイン・テーマ(ニュー・シングル)の作曲もやって全体をコーディネイトしていってます。

 

ー例の「風の谷のナウシカ」あたりが突破口になった……?

久石:
結果としてはそういうことも言えるでしょうね。でも、あれで変に高尚だとかいうイメージもつきまとって、日本のヴァンゲリスなんて言われて(笑)……僕がソロ・アルバム『α-BET CITY』でやったような、アヴァンギャルドな聴くのもつらいというような(笑)音楽をソロでやってるといった部分が覆い隠されちゃってるのが、ちょっとね……(笑)。

 

ー次のソロ・アルバムの進行状況はどうですか?

久石:
実は去年からずっと準備してるんですけど(笑)。ソロ・ピアノをやっていまして、去年の11月にロンドンで4曲録ったんです。で、残りを東京で録ろうとしたら、音質が違いすぎて同じアルバムに入らないということになって……(笑)。何度かチャレンジしたんですけど、音も雰囲気も違っちゃって。だから、年が明けたらまたロンドンに行って録ろうかと言ってたらこんな状況でとても行けない。できれば12月に行きたい、そうすればちょうど1年振りになるし(笑)。まあ、どうにか年内に行ければいいなという感じですね。……ずっとインスト系の音楽をやってきて、一度ここで原点に戻りたかったんです。だから今回はエリック・サティのピアノ曲のようにね、虚飾を取り去ってシンプルにメロディを歌わせるというコンセプトなんですよ。曲はこれまでやった映画音楽が中心となります。「ナウシカ」も入ってれば「Wの悲劇」とか「早春物語」や、最近の「漂流教室」とかも入れて。今までの僕のソロの中では一番わかりやすいものになりますね(笑)。

 

ーロンドンではどこのスタジオで録られたのですか?

久石:
サーム・ウェストです、トレヴァー・ホーンで有名な。そこのピアノというのが、リズム録りとかに使っている、ちょっとガタガタのやつなんだけど、タッチがすごく重くて、どうしてかと思ったら、ベーゼンドルファーなんだけど、MIDI化してあるというたいへんなモノだった(笑)。懸命に練習してタッチに慣れましたけど。それは思った通りの感じで4曲録れましたが、あと5曲くらいはやらないと……ピアノでよかったと思うのは、フェアライトやなんかのギンギンのやつだと、1年も経つとコンセプト変わっちゃうけど、ピアノはあまりそういうことはないのでね。春先くらいにはどうにか出したい。それが終わったら、次は『α BET CITY II』というか、暴力的な、ギンギンのやつをやりたいを思っています。フェアライトIIとIIIを使ってできることとかも入れてね、超ドラマティックなものを。

 

ー久石さんの音楽というと、ずいぶんいろいろなとらえ方をされていると思うんですけど?

久石:
でもね、どんなタイプの音楽やっても、自分のメロディ、音というのは必ず出てくるんですよ。アレンジをやっていても、自分のスタイルは絶対崩さない。僕はフュージョンが大嫌いだから、LAっぽいサウンドみたいなのはやらなくて、どちらかというとブリティッシュ系の音をやりたい。注文に応じて何でもやるんじゃなくてね。今年になってアイドルものとかもやってるんですけど、初めの段階では、キュートでかわいいイメージに、とかいうところでもついエスニックな音入れたりして(笑)。最近では歌モノを素直にできるようになりましたけどね。

 

ー最近のメインの機材というと……?

久石:
やっぱりフェアライトのIIとIII、プロフィット5、DX7、DX7II……だいたいその辺ですね。そろそろ何か欲しいなとか思うんだけど、フェアライトIIIがどんどんバージョン・アップしていくんで追いつかないんだよね(笑)。もう、楽器と戯れてる時間がなくて……。今日は半日あいてるな、とかいってゴチャゴチャいじってるうちにいろんなこと発見していくていうのは重要なんだけどね。楽器にさわる時って全部仕事になっちゃってるから。……この間もIIIがバージョン・アップして、コマンドが全部変わっちゃったから、もうわからない(笑)。ただ、ある程度までいくと、楽器を客観視することというのが必要になってくるんですよ。だから今はオペレーターを通して楽器に接するようにしている。手弾きとかね、リアルタイムの打ち込みなんかは自分でやりますけど、その他の部分はオペレーターというフィルターを通してね。これまで、楽器の中でアイディアをふくらませていく場合が多かったけど、頭の中で一度構築してから置き換えていくというやり方に変わってきているんです。

 

ーフェアライトがIIからIIIになったメリット、デメリットというのは?

久石:
まあ、やはり音質が良くなって、特に4リズム系、バスドラムやスネア、ベースなんかのヌケが良くなってリズムがしっかりしたというのがメリット。逆に容量を死ぬほどくうのが……ピアノひとつに8インチ・フロッピー6枚とかいうんだものね(笑)。IIIの方は音色が揃ってないから、IIもまだ手元に置いて使ってるんです。2台を連動させることもありますよ。弦なんかはね、III、II、それにプロフィットとか総動員していっぺんにMIDI弾きしちゃうから……豪華な音ですね、とよく言われますよ(笑)。何通りかの音の組み合わせを音楽に合わせてやりますよ。強めの弦をIIIで、IIはふわっとした音、ザラッとした感じをプロフィットで、とか……。4歳からバイオリンをやっていて、弦には思い入れがあるから、誰にも負けない自信があります。

 

ー今後、ハードウェアに期待する部分はどんなことですか? たとえばこんな機材が出てほしいとか……。

久石:
それはいろいろあるんですけどね(笑)。たとえば、ベースとか生で弾いているのをそのままシーケンサーとして記録して、それをあとからシンセやなにかの音色で差し換えられるようなものとか。MIDIじゃなくて、生でそのまま入れると変換できるもの。これは便利だと思うな(笑)。突拍子もないことを言っているようだけど、そういう思い付きがハードウェア関係者をてんてこまいさせて、それで新しいものが出てくるというのが正しいあり方だと思うんですよね。今は逆でしょ? 勝手に楽器が出てきて、ソフトウェア側が追いかけていく……これじゃいけない。もっと正常な状態になっていってほしいですね。

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1987年12月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号」久石譲 『Piano Stories』紹介内容

Posted on 2019/07/01

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号」に掲載された内容です。オリジナル・アルバム『Piano Stories』発売の紹介になっています。

 

 

自分の音楽の原点に戻りピアノでアルバムを作った

ZTTの本拠地サーム・ウェストと東京の大平スタジオでレコーディングされた久石譲のアルバムがリリースされた。タイトル通り、ほとんどの部分がピアノで演奏されているこの作品のコンセプトは、「フェアライト等を使ってサウンド・クリエイターとして仕事をしていると、そんなに良くない楽曲でもそれなりに聴かせられてしまう……それに自分としてもやや食傷気味だったし、音楽の”シン”の部分、原点にもどってみようと思った」ことで、シンプルなピアノの響きの美しさが印象的だ。このアルバムを聴きはじめて感じるのは”タッチの強さ”。アルバム中4曲はサーム・ウェストのMIDI付きベーゼンドルファー(MIDIは使用していない)を使用しており、このピアノは非常にタッチの重いものらしいのだが、彼は元来タッチの強いタイプで、ピアノやエレピをガタガタにしたこともあるそうだ。彼の「バルトークのようにピアノを打楽器としてとらえている」タッチは、友人から譲り受けた古いCPで養成されたという。「普通の人だとスケールを弾けないような重さの鍵盤で作曲をしていたら、自然にタッチが強くなった」そうで、メロディとしての表情を追求するためにも、もっとピアノを練習したいとのこと。アルバムで演奏されている曲は、「Wの悲劇」、「Laputa」、「Nausicaä」…などの、サントラ用に制作されたもので、”架空のサウンド・トラック”というイメージでそれらが集められ、再構成されている。これらサントラの曲は「台本を読んだときに6割ぐらいはできあがっている」そうで、「その映画のカット割りのテンポ感を読み間違えなければ、映像と音が対等でいられる」というのが彼のサウンドの秘密のひとつでは? ただし結果的に映像が浮かびやすい音楽にはなっているとしても、映像を浮かべて曲を書く姿勢はとったことはないそうで、「音楽は音楽だけで雄弁に物を語らなくてはいけない。映像がつなかいと持たないような音楽は音楽とは思っていない」と断言していた。いわゆるニュー・エイジ・ミュージックも、「主役のいない音楽のようで好きではない。もともとニュー・エイジというのは意味が違う……完全なヤッピーのための、ビタミン剤の横に置かれる音楽ということですからね」と否定的だ。彼のこのアルバムに聴かれる強烈なタッチは、あるいは彼のこうした姿勢を反映しているのかもしれない。

このアルバムは、IXIAレーベル第1弾としてリリースされる。このレーベルは、「日本に欠けている良質のポップス、家で聴ける音楽の提供」をテーマにしており、8月にリリースされるCDでは、彼のボーカル(!)も聴ける。「普通のポップスのラブ・ソングで、OLのお姉さんが聴いても”素敵ね”っていわれて、プロが聴くと実はものすごく高度なことやっている」という音楽を理想としたということで、これはかなり面白そうだ。この作品には多数のゲストもフィーチャーされ、ジャンルの枠を越えたものになりそう。彼の得意とする弦のアレンジも「意識的に欠けた部分を作り、全体のサウンドの中に入ったときに良く響くようにした」そうで、彼の従来の作品とも一味違うサウンドが期待できる。このレーベルからは、これからも「アッと驚くようなアーティストが登場します!」ということなので、こちらの方も期待したい。

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

Blog. 「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 3」久石譲登場回(2008)「ジブリアニメとの25年」内容

Posted on 2019/06/04

書籍「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 3」(2013)に収録された久石譲登場回(2008)です。この本は同ラジオ番組を単行本シリーズ化したものです。

 

 

久石譲
「ジブリアニメとの25年」

ジブリアニメと言えば、久石譲さんの音楽。雄大で、リリカルで、繊細で。そして、時に、ほのぼのとユーモラスに奏でられるその音楽は、ジブリ作品の”肌ざわり”と、切っても切れない関係にあります。『風の谷のナウシカ』(1984年)以来の、両者の永い付き合いは、どのように始まり、どのように発展していったのか……? 『崖の上のポニョ』(2008年)の音楽を作曲中だった久石さんと鈴木さんとのトークに、耳をすましてみましょう。

(ゲスト参加:読売新聞〈当時〉・依田謙一)

 

「駆け引き」はいらない

依田:
初めて宮崎駿監督に会った時は、やっぱり印象深かったんじゃないですか?

久石:
いやあ、それがね……(笑)、全然ドラマチックじゃないからね。阿佐ヶ谷のスタジオ(トップクラフト)でしたね。

鈴木:
はい、そうです。阿佐ヶ谷です。

久石:
壁にいっぱい、『ナウシカ』の絵コンテが貼ってあって。そしたら、宮崎さんがいらして、いきなり説明を……(笑)。「これは腐海といって」とか、「これは王蟲で」って、ワーッと説明された時に、ぼくは、「あれっ!? この人、誰だろう?」と思っちゃって(笑)。

鈴木:
あははは(爆笑)。

久石:
いや、これはあまり言っちゃいけないんだろうけど、実はその時点では、宮崎作品としては、もちろん、『ルパン三世』は知っていましたよ。だけど、それ以外は、そんなに知らなかった。『ナウシカ』も、大まかなストーリーだけ聞いて行ったら、延々と説明されて。もう、ずーっと、1時間くらい、作品のことを全部説明するんですよ(笑)。驚きましたねえ……

久石:
あのね、今作っている『崖の上のポニョ』では、主人公の男の子(宗介)は、5歳の子供でしょう。

鈴木:
はい。

久石:
男の子と女の子(ポニョ)が出会う。そうすると、「好きだ」っていう感情は、もうそのまま、「好きだ」でしょ。普通は、その気持ちが揺れたり、何だかんだ思ってくれたりすると、そこに映画音楽って入れやすいんですよ。

鈴木:
なるほど。

久石:
だけど、その子は、全然悩んでないんですよ。

鈴木:
宮さん(宮崎駿)は、いつもそうですよ。

久石:
もう、スパッと、「好き」(笑)。

鈴木:
あのね、男女関係で宮さんが一番嫌いなのが、”駆け引き”なんです。

久石:
ああ……

鈴木:
会った瞬間、相思相愛。普通だったら、ねえ……打算とかいろいろあって、「ぼくはこんなに好きなのに、彼女はどうなんだろう?」って、いろいろ思い悩むじゃないですか。

久石:
そう。

鈴木:
ないんですよね、あの人の場合は(笑)。

久石:
あははは。キャラクターが思い悩んでくれると、音楽って、そこに入りこむ余地があるんですよ。それがストレートに、「好き」。もうすぐに言っちゃう。追いかけちゃう。そうすると、どうやって曲をつけたらいいのかって悩む。

鈴木:
今に始まったわけじゃないですよ。宮崎作品では、本当に毎回、そうですから。

久石:
そうなんですよ。今回も、見事にスポーンとしてるから……

鈴木:
「現実で、男女はそういうこと(駆け引き)をしょっちゅうやってるんだから、映画の中ぐらい、そういうのがないほうがいいよ」っていう、宮さんの声が聞こえてきそうでしょ?(笑)

久石:
もう、完全にそうですね。

久石:
だから逆に、音楽のほうも割り切った、新しいスタイルでできないかなと思って、今、取り組んでいるんですよ。というか、どちらかというとぼくは、長く曲をつけるのが好きだったんですよ、今までは。入り出したら2分とか、長く続けるのが好きで、その方式をとってきたんだけど、今回は逆に、5秒とかね。

鈴木:
ああ、短いんですよね。

久石:
すごく短い。ようするに、「はい、始まった。終わった」っていうよりも、(音が)「あった」。そのかわり、間もあるんだけど、「また、あった」みたいなね。まあ、理想で言うと、どこから音楽が始まって、どこで終わったか、あまりわかんない方式をとれないかなと思って。

鈴木:
いろいろ考えてますねえ。

久石:
いやいや……(笑)。

鈴木:
絵のほうが、もう、90何パーセントできちゃってるんですよ。

久石:
すごい早いですね。

鈴木:
そう。いつもより余裕がある。だからもう、宮さん本人もね、「あとは音だ」って言ってて。

久石:
あっ……

依田:
プレッシャーが、来た、来た、来た(笑)。

鈴木:
あははは(笑)

 

 

音楽が果たせる役割

依田:
そもそも、最初に『ナウシカ』をおやりになった時は、どうやって曲を作っていったんですか。

久石:
あの作品では、高畑(勲)さんがプロデューサーだったんですよ。

鈴木:
宮さんは、当時、公言しておりましてね。「おれは歌舞音曲には無縁だ」「おれには音楽はわからない」って。だから、「高畑さん、全部よろしく!」って(笑)。そこからスタートなんですよ。「高畑さんが選んでくれたら、おれは、それでいい」と。それで、率直に申し上げると、当時いろんな作曲家の名前が候補にあがって、久石さんを選んだのは、実は高畑さんだったんですよ。で、ぼくも一緒になって、久石さんの作った曲を、とにかく聴きまくった。高畑さんが、「久石さんがいい」って言った時の言葉を、ぼくはよく覚えてる。

依田:
何て言ったんですか?

鈴木:
「この人の曲は、無邪気だ。宮さんに似てる」って。

久石:
ああー……

鈴木:
その時はもちろん、久石さんに会ってないわけですよ。だけど、「この無邪気さ、天真爛漫さ、そして熱血漢ぶりなら、二人は絶対にうまくいくはずだ」って。それで会って、そして、期待に応えていただいたっていうことなんです。

久石:
うーん……いやもう、本当に幸運な出会いだったよね。ぼくはあの時、『ナウシカ』の曲のあと、安彦(良和)さんが監督した『アリオン』というのも担当した。これも同じ徳間書店さんの製作で、やっぱり大作だったわけですよ。『ナウシカ』『アリオン』と、二本続けて音楽を作らせていただいた。だからもう、『天空の城ラピュタ』は(オーダーが)来ないだろうと。「なんか嫌だな、ぼく、やりたいのにな」「ああ、『ラピュタ』できないのかなあ」とずっと思っていたら、連絡があって、うれしかった。あの時は、もう、泣いちゃいましたよ。

鈴木:
高畑さんと二人で、すぐ伺った。で、この音楽が、宮崎アニメの音楽の方向性を決める決定打だったと思うんですね。続いて、『となりのトトロ』ですもん。その時はね、高畑さんも『火垂るの墓』を作ってるから、今度は音楽を、宮さん自らやらなきゃいけないわけですよ。

久石:
そう(笑)。

鈴木:
ぼく、忘れもしないのがね、トトロとサツキとメイが、雨のバス停で出会うシーン。あそこは、すごい大事なシーンでしょ。なのに、宮さんは久石さんに言ってるんですよ、「音楽はいらない」って。でね、しょうがないんで、宮さんには内緒で、『火垂る』を作ってる高畑さんに相談に行ったんです(笑)。そしたら、高畑さんって決断が早いから、「いや、あそこは、音楽があったほうがいいですよ」って。「ミニマルでいくべきだ。久石さんだから、絶対できる」って言った。

久石:
だから、いわゆるメロディーでいくんじゃなくて、ミニマル・ミュージック的な……

鈴木:
そう。で、曲ができました。で、宮さんっていう人は面白いんですよ。聴いた瞬間、「これはいい曲だ!」って(笑)。「あそこは音楽いらない」って言ったのは、かけらも覚えてないわけ。

一同:
あははは(笑)。

鈴木:
とにかく、あの映画の一番のポイントはね、バス停でのトトロとの出会い。子供は、それを信じてくれますよ。だけど、大人が果たして信じてくれるのか。それを、あの曲によって実現した、とぼくは思ってるんですよ。大人も、トトロの存在を信じることができた。そういう意味でね、あの音楽は、本当に大事な曲だったと思います。

久石:
だから、言い方は変なんだけど、何ていうのかな……目の前が霧で何も見えない感じの中で、何か、「あっ、これはいけそうだ」と思うことがある。たとえば、フルートの音だったり。「あっ、こういう感じ!」とか、「あっ、もっと丸いイメージだ」とか、何かピンと来そうなものを頼りに探して歩いてる、っていう感じなんですよね。

だからこそ、映画音楽を作る時に一番気にしなきゃいけないのは、そのストーリー的な流れを邪魔しないようにピッタリ寄り添う時と、あえてそれを無視して、メロディーでそのシーンを押していく場合と、そのバランスですよね。『ポニョ』でも、やっぱり一番気にしてるところなんだけどね。だから、絵コンテをものすごく読み込みますね。それから、映像を観る。で、「どこに音のきっかけがあるんだろう?」と思うのと同時に、「あれっ? ここってもしかしたら、メインテーマや何かとまったく無関係なもので行くべきなのか?」「いや、そんなくだらないことを考えてはいけない(笑)。そうじゃなくて、ここはこういうふうに」とか、ゴチャゴチャ考えながら作っている。音楽に関しては、まず、自分が最初の観客であるわけだから。

映画音楽を書いてるとわかることなんですけど、映画って、もともと”作りもの”なんですよ。フィクションなわけです。で、「あっ、そんなのあり得ない」って思うようなことをやってても、それが逆に、もっと本当らしい現実を表現したりする。だから、映画を観て、みんなワクワクするわけですよね。そういう虚構性の中で初めて存在するわけだから、音楽って、やっぱり必要なんだろうと。

鈴木:
いや、だからね、さっきの、バス停での出会い──やっぱりあそこに音楽がなかったら、あの映画がほんとに名作になったのかなって思う。そのぐらいの力を、音楽は持っている。トトロの存在を大人の観客に信じさせるためには、あの音楽は必須でしたね。

久石:
えっと……ごめんなさいね、今、頭の中が『ポニョ』でいっぱいなもんで……何ていうか、何を話してても、『ポニョ』に気がいっちゃうんですよ(笑)。

一同:
あははは(笑)。

久石:
『ポニョ』ってね、言葉の語感がいいの。そう思いません?

依田:
ああ、音楽的いっていうことですか?

久石:
うん。まず、「ポ」が破裂音じゃないですか。それを、「ニョ」が受けとめる。「ポ」、「ニョ」でしょう。そうするとね、これ自体が、もう音楽なんですよ。

鈴木:
なるほど!

 

 

ラストシーンを決めた音楽

鈴木:
今回の『ポニョ』では、久石さんに作っていただいた曲がね、ラストシーンを決めました。

久石:
あははは(笑)。

鈴木:
いや、そういうことがあるんですよ。あの音楽によって、「ラストは、こうやればいいんだ」と、宮さん本人もわかったっていう……

久石:
いやあ、責任重大ですね。

鈴木:
どうやってお客さんに観てもらったらいいか、それが見えたんですよ、宮さんには。だから今回、早く作ってほんとに良かったなって(笑)。

久石:
いやあ、ぼくは逆にね、宮崎さんは、非常にすぐれた作詞家だと思ってるんですよ、で、本音を言うとですね、音楽の究極は、やっぱり歌ですよ。

鈴木:
うーん……

久石:
だって、人に何かを伝える時に、まず言葉があって、でも、言葉だけでもダメで、それと音楽とが響き合って、瞬時に人生を感じちゃったりとか、いろんなことがすべて見えたりする可能性があるわけで……。そうするとね、最後に行き着くのは、歌なんですよ。

鈴木:
歌も音楽も、生きものなんですね。

久石:
うん。結局は、そこに行き着いちゃう。生命の世界というかね……

鈴木:
何ていうのかなあ……自分の、意識の下のほうにね、太古の昔から続いてる遺伝子みたいなものがあるんじゃないかな、なんて思ってるんですよね。

久石:
うん。今回、もう本当に、「一人で作ってるんじゃないな」っていう感じがして(笑)。鈴木さんとも、しょっちゅうメールしたり、話したり。宮崎さんとも、本当に、すごくコミュニケーションをとったというか、よく話したんですよ。今までは、どちらかっていうと、わりと勝手にこっちで作って、「できました。聴いてください」っていうスタンスが多かったんですよ。

鈴木:
そうですね。

久石:
それがね、今回は本当に出だしからなんで、「ああ、一人で作ってるんじゃないな!」っていう感じが、すごく気持ち良かったんです。

鈴木:
いろいろ注文して、すみませんでした(笑)。でも20何年もお付き合いして、久石さんとこんな話するの、初めてだなあ。いや、貴重な機会でした(笑)。

 

2008年4月11日収録@れんが屋/4月27日放送

(「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 3」より)

*本書には本文下にいくつかの注釈があります。割愛しています。

 

 

内容紹介

5年半をこえる大ロングラン。TOKYO FMの名物番組「ジブリ汗まみれ」(日曜23時~)から、今回もベスト・オブ・ベスト回を厳選収録。書籍シリーズ・第3弾が、『かぐや姫の物語』の公開にあわせて11月発売。天真爛漫でちょっぴり硬派な鈴木トークと、各ゲストの十人十色の個性が魅力。「巻を重ねるごとに面白い」「読みやすく、たっぷり楽しめ、しかも、心に沁みる快著」と、各界で大評判です!

●豪華11大ゲスト(順不同・敬称略)=尾田栄一郎(漫画家)「忘れまじ、任侠のこころ」/細田守(アニメーション映画監督)「”肯定していく力”を描きたい」/山口智子(女優)「日本人の“もの作り”と『かぐや姫』」/久石譲(作曲家)「ジブリアニメとの25年」/矢野顕子&森山良子(ミュージシャン)「ふたりで歌えば」/大塚康生(アニメーター)「追想・ルパン三世」/瀧本美織(女優)「『風立ちぬ』―菜穂子の素顔!?」/三池崇史(映画監督)「映画の息吹、その伝承」/きたやまおさむ(精神科医・作詞家)「“駅裏”のなくなった現代」/川上量生(ドワンゴ会長)「〈鈴木道場〉 其の三・風雲篇」

絶賛発売中
●第1巻:ゲスト=庵野秀明/宮崎駿/阿川佐和子/坂本龍一/志田未来・神木隆之介/山田太一/太田光代/ジョージ・ルーカス/辻野晃一郎/川上量生
●第2巻:ゲスト=浦沢直樹/松任谷由実/押井守/手嶌葵/井上伸一郎・髙橋豊/竹下景子/岩井俊二/宮崎吾朗/川上量生/号外・ジブリ2大最新作製作発表!

(書籍インフォメーションより)

 

*2019年6月現在、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」単行本シリーズは第5巻まで刊行されています。

 

 

 

 

Blog. 「Cinema Cinema シネマ☆シネマ 2012年8月1日号 別冊 No.38」映画『天地明察』座談会 内容

Posted on 2019/06/03

雑誌「シネマ☆シネマ Cinema Cinema 2012年8月1日号 別冊 No.38」に掲載された内容です。映画『天地明察』公開にあわせてキャストや監督、そして久石譲をまじえた座談会です。

 

 

映画『天地明察』 独占座談会!

岡田准一(主演)× 冲方丁(原作)× 久石譲(音楽)× 滝田洋二郎(監督)

『おくりびと』で米アカデミー賞外国語映画賞を獲得した名匠・滝田洋二郎監督が、岡田准一と初タッグを組み、冲方丁のベストセラー小説「天地明察」を映画化。音楽は、滝田監督と3度目のコラボとなる久石譲が務め、豪華エンターテインメントが誕生!作品のガキを握る4人の男たちの熱い想いとは?

 

岡田:
30歳の節目に、自分自身の柱になるような作品と出会えればと思っていたところに今回のオファーを頂き、運命的なものを感じました。滝田組に入れることがうれしかったですし、冲方さんとは以前対談させていただいてどんな思いでこの本を書かれたかをお聞きしていたので、喜びと同時にプレッシャーもあり、たくさんの方の思いを裏切りたくないという気持ちで現場に臨みました。

滝田:
僕がこの原作を映画化したいと思った一番の理由は天下泰平の世を舞台にしているからなんです。平和なのはよいことですが、逆に新たな志の芽を摘み、時代の息吹が失われてしまうこともある。それはまさしく今と全く同じ。でも当時の人たちは若い人を育て、後を託すことの大切さを知っていて、新たな才能を求めていく度量もあった。そこに感銘したんです。冲方さんはお若いのにスケール感のある小説をお書きになったなと。

冲方:
ありがとうございます。最初にこの小説を書こうとしたのが16歳のときで、何度も挫折しつつ、結局16年かかりました。映画化と聞いたときはうれしかったですが、本当に映画が出来上がるまでは信じないようにしようと(笑)。

滝田:
正しいと思います(笑)。

冲方:
撮影現場を拝見して、小説が映画に負けてしまうんじゃないかという危機感が生まれました。完成した映画も感動して喜んでいる自分がいる一方で、小説がノベライズと思われるのではと、おびえている自分もいて(笑)。だから、自分の原作ともう一回勝負しようと思い、文庫化に当たり改稿を加えたんです。

久石:
僕が滝田監督とご一緒するのは今回で3作目。『壬生義士伝』では簡単な意見をもらう程度だったんですが、『おくりびと』からは徐々に注文が多くなって(笑)、今回の『天地明察』では映画音楽を知り抜かれていて大変でした(笑)。でもご指摘は的確ですし、音楽の持っている力、ニュアンスを大事に扱ってくださるので、本当にやりがいがあります。

岡田:
完成した作品を見て、音楽の持つ力をあらためて感じました。美しく、感情があるメロディーに芝居をすごく助けていただいていると思いましたね。

久石:
音楽が乗る役者さんっているんですよ。逆に、書きたくないと思うこともたまにあるんですけど(笑)、岡田さんにはすごく音楽が乗りますね。素晴らしいです。曲を書きたくなります。

 

現場で解放されることでいい作品が生まれる

滝田:
岡田さんは、仕事に対する姿勢も素晴らしいし、真のプロフェッショナルですね。安井算哲は本当に難しい役だったと思います。争いを好まず、周りに好かれる人のよい囲碁打ちが、改暦事業に巻き込まれ、世の中の荒波に放り出され、挫折を繰り返して一人前の男になっていく…。それを2時間で描き切らなければいけないわけなので、もちろんリハーサルやディスカッションもたくさんしましたが、「あとは主演俳優にお任せするしかないよね」という感じでお願いしました(笑)。

岡田:
いやいや、そんなことないです(笑)。たぶん役者って少し神経質なところがあって、どんな表現ができるのか考え抜き、さらにその場の感情も大事にして演じたときに、「こうやりたいけど、やっていいのかな」って悩むことがあるんです。すると監督は、「やってみようよ!」とおっしゃる。「面白いじゃん!」って(笑)。

滝田:
ははははは。

岡田:
現場は生き物だから、面白いアイデアがあったらやってみる。そんな遊び心を監督自身が持たれていて、余裕のある中で、完璧を求めていくスタイルの現場でしたね。滝田監督をはじめ、僕の先生の世代に当たる、懐の深いスタッフの方たちが、何をしても受け止めてくれる安心感がありました。

滝田:
現場で何かに出会える、その瞬間を僕は待ってるわけで、新しい何かと出会えたらうれしい。シナリオは人の感情を理詰めで作っているので、現場ではそこから解放されるべきなんです。監督がすべて分かっていると思うのは間違いで、映画に正解なんてないから、僕自身がどう感動できるかを現場で探すしかない。いつか撮影は終わりますからね、予算もあるし、時間もあるし(笑)。その中で好きに、広くできればいいなと。

久石:
やっぱり、滝田監督が持っている人間的な魅力が磁場になって、みんな現場で解放され、いい雰囲気ができるんじゃないですかね。解放されるって重要で、例えばオーケストラでも、頭で論理的に組み立てたとおりに演奏したら全然面白くない。生きたものにならないんです。一回それをバラバラにして、直感を信じるような次元までいかないといけない。おそらく小説もそうだろうと思いますが。

冲方:
そうですね。はい。

久石:
演技も、音楽も、映画作りも、みんなそうなんじゃないですかね。

滝田:
現場でライブの感覚を楽しめばその人の一番いいところが出るし、僕も何か発見できるかもしれない。いつも自分のスタイルだけで撮ったら、毎回結局同じものしか出てこないですからね。

 

算哲の姿を自分に重ね合わせて観てほしい

岡田:
原作もそうですが、映画もすごく元気が出る、力をもらえる作品に仕上がっていると思います。作品のエネルギーを感じてもらえたらいいですよね。

冲方:
算哲は、どんな挫折を経験しても、いつかは幸福をつかめると確信している。自分の人生を信じるのはとても素晴らしいことで、誰にでもできるはずだと、10代の僕に教えてくれた人物なんですね。僕が彼の人生から得た勇気を、この映画が万人に与えてくれると確信しています。

久石:
見なきゃ損、のひと言に尽きますね。青春物語とか成長物語とかいろいろ言うことはできますが、まず作品として、ものすごくクオリティが高いので。

滝田:
特に若い人に見ていただき、岡田さん演じる算哲の姿を自分に重ね合わせてこの映画を楽しんでほしいですね。400年も前、地球が丸いことさえ確信できてなかった時代に、地道な作業を続け改暦に命を懸けた男の生き方とかロマンを感じていただければうれしいですね。

 

映画館の思い出といえば?

岡田:
箱の中で物語が流れる、特殊で大好きな空間ですね。僕が子供のころは、入れ替え制じゃなかったので一日中映画館にいられたんですよ。『ホーム・アローン』とか、ずっと観ていた覚えがありますね。あと、出演した映画をこっそり観に行くことも。『木更津キャッツアイ』は出演者そろって観に行きました(笑)。

冲方:
僕にとって映画館は心の糧を与えてくれる場所。子供のころ、映画館の存在しない国に住んでいたんですが、日本に戻り映画館に連れていってもらうたびに、「生きててよかった」と(笑)。娯楽は、直接的には人は救えないとよく言われますが、僕からすれば食べ物より大事だっていう気持ちもあるんです。

久石:
僕自身、子供のころから映画が大好きで、4歳のときには既に年間300本ぐらい見ていましたね。映画館というと、夢を見られる場所。映画のフィルムは基本的に(1秒間)24コマで、コマを切り替える際、闇になるので、実はスクリーンでは半分闇を見ていることになる。それが人間のイマジネーションを喚起するんだと思います。

滝田:
僕は、一番好きな映画が、子供のころに見た『路傍の石』なんですが、丁稚へ行った吾一少年を自分に置き換えて涙しながら見てましたから、やっぱり映画の力ってすごいと思いますね。映画館は、もっともっと楽しむ場所であり、ほかの世界を知る場所であり、刺激を与える場所になればいいなと思っています。映画はお祭りですからね。

 

 

2012.5.15 『天地明察』 製作報告記者会見 コメント

岡田准一/安井算哲役
いろんな困難を乗り越えながら、たくさんの人に支えられて事をなす、安井算哲を演じました。現場でも監督、スタッフの皆さんに支えられ、算哲同様の気持ちで作品に取り組んだのを思い出します。素晴らしい作品に仕上がったと思うので、ご期待ください。

原作・冲方丁
数百年前に生きた人間と、同じものを見ることができる。そういう人間の営みを物語にしたいとずっと思っていました。映画は(小説と)同志と言いますか、お互いにしかとらえられない視点で同じものを見たという意味で非常にうれしく、感無量です。

音楽・久石譲
時代劇というよりも、1つの夢を追い続ける人間が、夢を叶えていく。その生き方、青春に焦点を当てたいと思いました。作品としてのスケール感、希望なども重視しつつ、オーケストラ演奏により、あたかも1つのシンフォニーになるように音楽を作りました。

滝田洋二郎監督
映画の企画というのはまさに空にある星をつかむようなもの。今回、ビッグな新星・冲方丁さんの本と出会い、すぐ映画化に手を挙げました。岡田さんの素晴らしい演技と存在感で安井算哲を意欲的に描けたと思っています。渾身の作品になりました。

(シネマ☆シネマ Cinema Cinema 2012年8月1日号 別冊 No.38 より)

 

 

久石譲 『天地明察 オリジナル・サウンドトラック』

 

 

 

Blog. 「週刊アスキー 2010年11月16日号」「メロディフォニー」久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/06/02

雑誌「週刊アスキー 2010年11月16日号」に掲載された久石譲インタビューです。『Melodyphony メロディフォニー』(2010)を中心に2号連続インタビューになっています。

 

 

無から何かをつくり出しているんだという感動

「100人が真剣にぶつかった音」

ー今作はオーケストラで収録。指揮の際、意識することは?

久石:
「この曲をどうしたいのかを明確に伝えることですね。クラシックを振るときも同じなんですが、指揮者が迷うとオーケストラは100人もいるのでどこを向いていいのかがわからなくなるんです。どれだけ明確に、手短にコンセプトを言葉で、もしくは指揮棒の振り方で伝えるかを絶えず考えてますね。イコールそれは曲について自分できちんとイメージをもっていないといけないってことなんです。」

-その中で大変だからこそ、生み出せるものとは何でしょう。

久石:
「100人の意識が同じ方向に向いたときのパワーは、それは本当にすごいです。電気で機械的に増幅した音とはまるで違う。100人が真剣にぶつかった音なんですよ。それがオケの魅力。会場で聴いてもCDで聴いても100人のエネルギー。それを集結させたときの歓びってすごいんです。ところが裏を返すと全員が育ちも生まれも違う。個性的で、みんな訓練を積んでいるからそれぞれの思いがある。だからこそ迷うことなくディレクションすることが大切なんだと痛感していますね。」

 

「本当の音楽って理屈じゃない」

-ところで多くの作品を生んでいますが制作の原動力とは?

久石:
「音楽が好きだからでしょうね。世界で何よりも好きで、しんどいのが作曲なんです。僕にとっていちばん達成感があって、メタメタに自分が落とされるもので。すべてが名作になるとは限らないけど、なにもないところから何かができる。こんな素晴らしいことないんですよ。”無から何かをつくり出しているんだという感動”それです。」

-その感動が制作の源だと。

久石:
「どこに音楽の神がいるのかはわからないし、たんなる音の羅列なのか、本当に音楽になっているのかもわからない。それにすごい量の作品が日々つくられるけど長い年月でほとんどが消えていく。最後に何十年も経って聴かれる音楽。それが唯一の本当の音楽だというならば、それをいつか自分で1曲でも書けたらという念は常にあります。」

-本当の音楽ですか。

久石:
「”本当の音楽って理屈じゃない、いい部分を絶えずもっているもの”だと思うんです。これは深淵なテーマで、芸術的な側面と大衆性。その両方をもっているものなんだと。今回そして前作、海外で一流の方々と仕事をして、今自分のつくっている音楽が世界の中でどのレベルなのかがわかった。自分の方向性は正しいこれでいいんだと確かめられたんです。それが本当に良かったと思っていますね。」

(週刊アスキー 2010年11月16日号 より)

 

 

今週のプレイリスト
my favorite!

選曲:久石譲

前回の続きでラジオでかけている曲。あの番組ではミニマル・ミュージックだとか、びっくりするくらい自分の趣味でしか選曲していません(笑)。

1曲目
PASCAL ROGE『3つの小品』(アルバム『POULENC PIANO WORKS』収録)
プーランクのアルバムはどれも素晴らしいですから。メロディーメーカーとして最高の方。曲のもっているエスプリ、洒落た感じ、気品。彼の小品は自分がいつか書きたいと思う憧れですね。

2曲目
Donald Fagen『Ruby Baby』(アルバム『The Nightfly』収録)
つぶれたような独特のハーモニー感、音楽性の高さ、あとレコーディングテクニックの高さ。Steely Danもしくは彼のアルバムはレファレンスとして、いつもレコーディングのときにもっていました。それくらい完璧。

3&4曲目
Brahms『交響曲第1番ハ短調op.68』 Mozart『交響曲第40番ト短調K.550』(アルバム『ブラームス:交響曲第1番、モーツァルト:交響曲第40番 久石譲&東京フィルハーモニー交響楽団』収録)
交響曲の1番、これはなんといっても最高です。ブラームスは大学で学んだ原点であるクラシックにもう一度真剣に立ち向かおうと思って取り組みました。今の段階で自分の考えるクラシックを実現できたのがこの2曲。

(週刊アスキー 2010年11月16日号 より)

 

 

2号連続前半

 

 

久石譲 『ミニマリズム』

 

久石譲 『メロディフォニー』