Blog. 「Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/18

雑誌「Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

21世紀の匠たち

音楽家 久石譲

誰もいない小学校の校庭、晴れた日の田んぼのあぜ道、裏山に作った秘密基地…。トヨタ「NEWカローラ」のCMソングに代表される彼の音楽は聞き手にそんなデジャブにも似た幼い日の記憶を色鮮やかに呼び起こす。単に映像を説明するのではない。かといって映像から逸脱するのではない。そこからしか生まれ得ないあのメロディーの秘密を聞いた。

 

風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、青春デンデケデケデケ、Sonatine、HANA-BI、菊次郎の夏…。久石譲。現在の日本の映画音楽は彼なくしては語れないだろう。そんな彼は意外にも、大学時代は前衛音楽の流れの中に身を置き西洋音楽の洗礼を浴びていた。乱数表を使った偶然性の音楽などを学びながら、どうやったらギリギリの音楽が成立するかという世界で彼はオリジナリティーを模索していた。

「オリジナリティーは結果にすぎないからあまり意識したことはないですね。ただ海外で演奏していると、やっぱり誰かの借り物ではないアイデンティティが欲しくなる。そして、自分は間違いなくアングロサクソンではなく黄色人種の一人、アジア人の一人であることに気づくわけです。そうするとそういう自分が一番ストレートにできることが一番大事なんですよ。僕の持論でもあるんですけど、超ドメスティックであることがインターナショナルであるということですから。だからといって、ただ尺八使うんだとか、沖縄の音楽を持ってきて自分のコンサートに入れるとかそういう表面的なことではなく、手段はオーケストラでもやっぱりジャーマン系ではないなという個性を大事にしたいと思います」

今では映画音楽家として広く知られている彼だが、その前に前述のような音楽家であることを忘れてはならない。では、オーケストラを率いての純音楽と映像につける映画音楽。その違いとは何なのだろうか?

「映像につける音楽と、音楽だけで勝負するのは全く別モンだという捉え方をしている。人に何かを伝えるときに、音楽で100パーセント伝えられるものと、映像があって100パーセント伝えられるものとは別ですから。映像がないと成立しないような音楽は純音楽としては成立しないし、逆に映像につける音楽というのは映像が入り込む余地を創らなければいけないんです。だから、映像につける音楽というのはハリウッド的にキャラクターを説明しようとしたり、音楽や映像をなぞっては駄目なんです。映像と音楽のどちらかが一方を説明してはならないんです。例えば映画の中で誰かが泣くシーンがあるから泣いた音楽とか、走ったから速い音楽ではダメなんです。そのためにはどこか冷静に、映像に寄り添いすぎないで一歩ひいて、監督がこのシーンで何を言いたいか? を考えることが大切だと思います。感性だけに頼るのは凄く危険なんですよ。直感的な部分とそれを論理的に創る両面が要求されるんです」

天性のメロディーメーカーである彼の感性に論理が加わって、初めてあのメロディーが生まれる。しかし、それは言葉で聞くほど容易なものではない。

「自分を追いこんで追いこんでギリギリのところで自分が納得するもの。それも自分が意図しているものじゃないくらいのものに出会った時に、聞き手が納得してくれるものができると思う。絶えず良いメロディーを書きたいと思って作曲という作業をやっているわけですけど、そうしょっちゅう出会えるわけではないよね。ある意味ではラッキーに近い。ゾウキンを絞って絞って破けるくらい絞ってやっと出てくる最後の一滴。それに出会うために毎日作曲していると思うんですよ。それをポンと話せるようなコツがあるとしたらもっと大量生産してるよね。もしくは風景見たくらいでポンとメロディーが出てくるんだったらしょっちゅう旅行していますよ(笑)」

全ては最後の一滴のために。昨年映画『カルテット』を監督したのもそんな一滴のためなのだろうか?

「あくまで僕の活動の中心は音楽ですから、他のジャンルという意識はあんまりないんですよ。ただ音だけを追求してやっているとどうしても足りないものが出てくる時もあります。そういう欲求が凄く強くなって、それをやらないと次にいけないと思う時があったら何かやると思います。今の課題は日本語の解決。自分のメロディーと日本語のかみ合わせがどうしても納得できていない。ある意味で音楽と言葉の相性ってとても重要なんですよ。自分の中でそれが納得できたら将来的にはオペラとかミュージカルをやってみたと思いますね。そういう新しい自分に出会えるような仕事じゃない限りやりたくない。自分が入り込めない仕事は相手に逆に迷惑をかける気がするから。でも幸せなことに共感できる仕事をやらせてもらうことは多いですよね。誰も文句を言わないと解っていても安易な完成度に身を置くことはないんですよ。手を抜きたいと四六時中思っているんだけど、抜いてやったら後悔する自分を解っているから。だから徹底的にやります。オール・オア・ナッシングが自分の性格ですから」

今でも5、6本の仕事を抱え、これはインフルエンザで高熱が出た中でのインタビューであった。にも関わらず、ひたむきにこちらの話に耳を傾け、時折やさしそうな笑みを浮かべる彼の姿が印象に残っている。一体、いつ休まれているんですか? という問いに彼は少し自嘲気味な笑みを浮かべてこう答えた。

「でも生きていくというのはそういうことだし、モノを創っていくというのはそういうことだからね。知的な要素が強いストレスのある仕事が一番楽しいもんですよ」

(Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42 より)

 

 

Bolg. 「ROADSHOW ロードショー 2002年4月号」 淀川長治賞受賞 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/17

映画情報誌「ROADSHOW ロードショー 2002年4月号」に掲載された久石譲インタビューです。200年淀川長治賞受賞記念のスペシャル・インタビューとなっています。

 

 

2002年淀川長治賞発表!!

淀川長治賞とは

日本の映画文化の発展に長年にわたり多大な貢献をされてきた故淀川長治氏の業績をたたえ、これを記念して1992年に設立されました。この賞は、映画文化の発展に功績のあった人物(または団体)を毎年1名程度選考し、表彰するものです。

2002年の同賞受賞者として、選考を重ねました結果、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』など宮崎駿監督のヒット作や、『HANA-BI』『BROTHER』など北野武監督の話題作を中心に斬新な映画音楽を手がけ、映画界に比類のない存在となった久石譲氏を選出いたしました。2002年4月12日に行われる「淀川長治賞授賞式」にて正賞を授与します。

 

●授賞理由

久石譲さんは、『風の谷のナウシカ』を皮切りに、40数本の話題作の映画音楽を手がけてこられました。特に、超ヒット作『千と千尋の神隠し』に至るまでの宮崎駿監督作品、『あの夏、いちばん静かな海。』から『BROTHER』に至る北野武監督の問題作において、きわめて現代的な映画音楽作りに取り組んでこられました。さらに昨年は、初監督作『カルテット』を発表、またフランス映画『リトル・トム』(仮題)で国際舞台にも進出され、日本の映画音楽の水準の高さを証明されました。

こうした業績をたたえて、ここに2002年淀川長治賞を授与いたします。

 

●受賞のことば

一緒に仕事をしてきた北野武監督も宮崎駿監督も、過去に淀川長治賞を受賞していますね。そういう素晴らしい賞をいただけると聞きまして、名誉だと思いますし素直に喜んでいます。思い出しますと、北野監督との初の作品『あの夏、いちばん静かな海。』は、淀川先生にほめていただいたことが世間の評価につながりました。おかげで名作として見直してもらえたという点で、淀川さんの発言力もすごく大きかったと思います。(久石譲・談)

 

[選考委員]
品田雄吉(映画評論家)、渡辺祥子(映画評論家)、髙澤瑛一(映画評論家)、ROADSHOW編集長

 

 

久石譲さん〈受賞記念 SPECIAL INTERVIEW〉

いま自分がやっている仕事は、世界でも先端をいくものだとわかりました!

北野監督や宮崎監督のように正反対な世界観を持つ人のほうがやりやすいですね

-久石さんは、北野武監督や宮崎駿監督らの、異なったジャンルの映画の音楽を同時に担当されたりして、違和感はありませんでしたか?

久石:
「海外で取材を受けると”ハートウォーミングな宮崎作品と、バイオレンスの北野作品を同じ作曲家が手がけるようなことは、ヨーロッパやアメリカにも例がない”と言われるんですよ。なぜ、できるのかと必ず聞かれる。でも、中途半端に似た監督の音楽を手がけるほうがつらい。正反対な世界観を持つ監督のほうが、逆にやりやすいですね。北野作品では、できるだけ感情を伴わない、同じパターンを繰り返すようなタッチで。宮崎作品ではメロディが主体。はじめから、はっきり区別してやってきたので苦労はしなかったです。でも最近、北野監督からはエモーショナルな音楽を要求されるケースが多くなった。逆に宮崎監督のほうは、『千と千尋の神隠し』などでは、冒頭から感動を押しつけるのではなくて、シンプルな音がいいねと言われるようになったかなあ(笑)」

-映画音楽というのは、どういう手順で作られていくのですか。

久石:
「それは監督によって違います。でも、まずは脚本を読むことから始まる。そして、どんな世界にしたらいいかを考える。具体的に言うと、オーケストラでいくのか、シンセサイザーでいくのかとか。それから、北野監督の場合は、余り多くのことを語られないかたですから、相当な部分を任されていると思って、音楽を作った上で提示するケースが多い。宮崎監督とは、絵コンテを見ながら、徹底的に話し合ってやっていきます」

-2001年は、おふたりの『BROTHER』と『千と千尋の神隠し』があり、久石さんの初監督作『カルテット』が公開されて、いそがしい年でしたね。

久石:
「『カルテット』では、過去に40本余りの映画に音楽をつけてきた作業の末に、こういう音楽映画も日本にあっていいのではないかと考えたことが、監督をするきっかけになりました」

-監督業は大変でしたか?

久石:
「多くの監督さんたちが苦しんでいる姿をそばで見てきましたから、そう簡単に監督業に手をつけるものではないと思って、断り続けてきたんですよ。やってみたら、思っていた以上に大変でした」

 

海外作品での初仕事、フランス映画『リトル・トム』で自信を持ちました!

-さらに、海外での初仕事になるフランス映画『リトル・トム』(仮題)の音楽も手がけられたのですね。

久石:
「シャルル・ペローのおとぎ話”親指トム”を下敷きにした、幻想的で、けっこう怖い大作です。監督は、30代のオリビエ・ダアン。この作品に音楽をつけていくうちに、ぼくたちは世界中の映画音楽のレベルでいっても、相当進んだ位置にいることがわかりました。ハリウッドのメジャーでやってきたエンジニアとケンカして、自分のやりかたを通しました。日本でいい音を作ろうとして、ドルビー5.1チャンネル・デジタル・ミックスその他の技術的な面のノウハウを追求してきた末に、いまぼくたちは世界でも先端にいると実感しました。現場での経験を積み重ねた結果、外国人スタッフと仕事をしてみたら、ぜんぜんイケテルじゃないかという気分になりました」

-ところで、外国映画で好きな作品とか、影響を受けた作品はありますか。

久石:
「好きな作品は、『ブレードランナー』と『セブン』ですね。それに、一緒にやってきた監督すべてに影響を受けています。でも、仕事が煮つまったり、疲れたりすると、スタンリー・キューブリックか黒澤明監督の作品を見ます。そして見るたびに、いろいろな発見をします。なんで、ここでこういう音楽を使ったのだろうとか、映像のもっていきかたを考えると、すごいんですよ。キューブリックなどの場合は、『シャイニング』にしても『フルメタル・ジャケット』にしても、長いシーンで緊張感を持続させる。何が映像的なのかを、とことんまで追いつめたのが、このふたりの監督です。彼らの映画は、バイブルみたいなものだと思います」

-2002年のお仕事の予定は?

久石:
「まずは北野武監督の新作、そのほかに何本かの作品のオファーがあります。今年も映画音楽家としてがんばります」

(ROADSHOW ロードショー 2002年4月号 より)

 

 

Blog. 「PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/16

映画情報誌「PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42」に掲載された久石譲インタビューです。

『joe hisaishi meets kitano films』『千と千尋の神隠し』『Quartet / カルテット』『Le Petit Poucet』、怒涛の2001年を象徴するような、そして各作品ごとにしっかりと語られた貴重なインタビューです。

「Summer」(菊次郎の夏)は第2テーマのつもりだった?!宮崎駿監督はミニマルを要求した?!日本を代表する二大監督の音楽を手がけてきた久石譲。それぞれ別ベクトルで音楽を創作してきたものが、大きく交わろうとした2001年とも言えるのかもしれません。

 

 

映画音楽の魔術師
久石譲が奏でる新しい旋律

彼の音楽なくして、2人の映画は語れない。北野武と宮崎駿、共に日本が世界に誇る映画監督の作品を見るとき、久石譲の生み出したサウンドは単なる音以上の力を持つ。それは映像と一体となってイメージを膨らませ、見る者の耳と目に鮮烈な印象を残す。その彼が、『カルテット』では指揮棒の代わりに自らメガホンを握った。北野作品、『千と千尋の神隠し』、初監督作、そして初の外国映画とのコラボレーションなどについて、マエストロが語った。

Text by 前島秀国

 

北野武監督とのコラボレーションを集大成したベスト盤『joe hisaishi meets kitano films』の発売、宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』完成披露、自身の初監督作品『カルテット』完成披露、そしてフル・デジタル・ムービーによる監督第2作『4 Movement』の初上映……。

わずか1ヵ月の間に驚くべき密度の濃さである。秋には全国8ヵ所を訪れるツアーとソウル公演を控え、指揮者への意欲も見せる。八面六臂の活動ぶりを見せる久石譲を、もはや「音楽家」という枠組みにはめておくことはできない。

 

北野武監督作品

「今回のベスト盤は僕にとって重要な作品です。北野監督のために書いてきた音楽が、実は自分のソロアルバムのための音楽と呼べるものでもあった、という面を含んでいます」

最新作『BROTHER』ではトレードマークのピアノ・ソロでメインテーマを奏でることを潔しとせず、リード楽器にフリューゲルホルン(トランペットより若干、柔らかい音を発する)を使用して話題となった。

「もともと監督はピアノと弦が好きで、ブラス(金管)はあんまり好きじゃないんです。僕もあんまり好きじゃなかった(笑)。しかし、LAの乾いた雰囲気をフル・オーケストラでどう表現すればよいかを考えたとき、あえて硬質で乾いた響きをブラスや木管で表す方向に切り替えたんです。作品的に見れば『BROTHER』は『ソナチネ』や『HANA-BI』の延長線上に位置づけることができるので、その2作と同じような音楽を繰り返せば何の問題もない。ただし、それをやってしまったら今度、北野監督とコラボレーションを組むときに音楽がマンネリ化してしまう。北野監督の世界もどんどん大きくなっているわけですから、音楽の側もキャンパスを広げる作業をして対応しなければならない、という気持ちがあったのです」

北野監督や宮崎監督と組んで音楽を書くとき、久石は自分自身のソロアルバムでは得ることのできない大きな喜びを感じるという。

「例を挙げると『菊次郎の夏』のメインテーマ『Summer』。あれは僕にとっては第2テーマだったんです。もともと『菊次郎の夏』では北野監督が『絶対にピアノでリリカルなものを』というイメージをはっきりもっていたので、その意向に沿って第1テーマと、軽くて爽やかな『Summer』を作った。そして両方聴いて頂いたときに『あ、これ、いいね』と監督が洩らしたのが第2テーマだったんです。そう言われたら、こっちはパニック(笑)。つまり、映画のなかの重要な個所は第1テーマで押さえたつもりだったのに、監督が気に入ったのは第2テーマだから、全部入れ替えなければならない。しかし、そのときに監督が出した方向性というのは、実は圧倒的に正しいんですよ。僕なんかでは太刀打ちできない『時代を見つめる目』があるんです。軽かったほうの『Summer』が結局メインテーマになり、しばらくたってからそのテーマ曲が車メーカーに気に入られ、1年以上もCMで流れている。宮崎監督もそうですが、彼らは音楽が社会に出たとき、人々の耳にどのように聞こえるか、ちゃんと知っているんですね」

 

『千と千尋の神隠し』

その宮崎監督が引退宣言を撤回し、実に4年ぶりのコラボレーションとなった『千と千尋の神隠し』。これまでの宮崎アニメ同様、本作でもサントラ録音に先立ってイメージアルバムが制作された。このイメージアルバムと実際のサントラの仕上がりは時に大きく異なることもあり、作曲家は通常の倍の手間をかけなくてはならない。今回、『千と千尋の神隠し』のイメージアルバムで興味深いのは、本編で使用されていない歌が数多く収録されていること。しかもすべて宮崎監督の作詞によるものだ。なかでもムッシュかまやつの陽気なヴォーカルと「さみしい さみしい 僕ひとりぼっち」という歌詞が奇妙なミスマッチを生み出すカオナシのテーマソングなど、『千と千尋の神隠し』を読み解くための鍵が隠されているようにも思えるのだが。

「イメージアルバムの制作に入ったときには、すでに1、2ヵ月後に本編のサントラに取りかからなければならない時期にさしかかっていました。そこでイメージアルバムでは、あえて全部『歌もの』に切り替えたという事情があります。宮崎監督から頂いた説明がかなり詩的なものだったので、『じゃあ、これを全部歌にしちゃえ』と。ですから、映画と切り離して作ったアルバムですね」

ところが実際に本編に付けられた音楽を耳にし、大きな衝撃を受けた読者も多かったのではなかろうか。沖縄の島歌からガムラン、果てはロマンティックなワルツまで、驚くほど色彩的なスコアが展開されていた。

「宮崎監督は最初、すごくミニマルっぽいものを要求したんです。もともと『となりのトトロ』などでもミニマル風の音楽を付けたことはありますが、今回、監督から『ここのシーン、普通なら(フルオケで)ジャーン!と鳴らすところをミニマルで行きませんか?』と言われてびっくりしました。いつも宮崎監督は『自分は音楽のことはよくわからないので』とエクスキューズしていますが、北野監督と同様、映像に付ける音のあり方に関しては、ものすごく鋭敏な神経をもっていますね。『千と千尋の神隠し』のサントラでは、あまり好きなやり方ではないのですが、キャラクターごとに音楽を付けていくハリウッド的な手法をとりました。あくまでも少女の話なので、彼女の心情にできるだけ寄り添いながら静かな音楽で押し通し、あとは監督の世界観に(フルオケで)合わせると。ただ、その世界観をつかむのが大変でしたね」

 

真の音楽映画『カルテット』

これまで日本にもミュージカル映画や歌謡映画は存在した。しかし、久石監督のデビュー作『カルテット』は「日本初の音楽映画」だという。

「まず音楽映画とはどういうものか、明確な定期をしておかなければいけないと思いました。ドンパチがあればギャング映画、音楽があれば音楽映画というふうに考えれば、実際どのジャンルを見ても明確な定義など存在しないんです。そこで自分が考える音楽映画とは、まず第1に音楽自体がストーリーの展開と強く絡んでいなくてはいけない。第2に、せりふの代わりに音楽で半分ぐらいは表現してしまう。つまり、(音楽で)見る側にイマジネーションを広げてもらう。この2点を明確にして自分のスタンスをとろうというのが演出の根底にあったんです」

音楽大学の同級生だった4人の若者がカルテット(=弦楽四重奏団)を組んでコンクール優勝を目指すという青春映画、撮影にあたってスタッフに手渡されたのは、なんと監督の手による楽譜だったという。現場での混乱はなかったのだろうか?

「そりゃ大混乱ですよ(笑)。譜面を渡されて、『3小節目のジャン!で、左からカメラ寄る』なんて書いてあるわけです。結局、学生さんのアルバイトを雇い、たとえば阪本善尚カメラマンの後ろに1人付けて、「1、2、3、ポーン」という感じで背中を叩いてもらって撮ってもらいましたから(笑)。通常、オケを撮る場合もオケを恐れちゃって遠くから撮るだけっていうケースが圧倒的に多いんですよね。自分はオケの連中との仕事も長いんで、『はいっ!弦、全部どけ~!』ってガンガンなかに入って撮る」

袴田吉彦以下、主要キャストの演奏場面を、監督は「アクション・シーン」とみなして演出したという。

「袴田君たちは(プロの)ヴァイオリン奏者じゃないから、みんな(実際に)弾いていないってわかっているわけです。だから見る側が『あっ、本当に弾いている』と思えるところまでもっていくのが鍵でした。楽曲の小節ごとに顔のアップ、手のアップ……と決め、『その小節だけは何が何でも手とかは写るからね』と指示して、さらってもらったんです」

初監督の経験は今後、映画音楽作曲家としての彼にどのような影響を及ぼすのだろう?

「プラス、マイナス両面あると思います。プラスの面は、まず脚本の読み方が変わりましたね。つまり、カット割りを含めて監督の視線を前よりも強く認識するようになりました。映像をどうやって組み立てていくか、監督の気持ちがより深く理解できるようになった。マイナス面は、かえって深読みしすぎて映像のほうに寄った音楽を書いてしまう可能性がありますね。実は音楽を付ける作業では、直感的なところで決断したほうがかえって力強いものが生まれたりするんですね。映像と音楽が対等にあって、喧嘩するくらいの感じで距離をとりながら相乗効果になっていくのが、僕はいいと思います。そのあたりは今後、自分でも距離をとっていかなければならないですね」

 

初の海外作品は童話がベース

さらに驚くべきことに、こうした多忙な作業と並行しながら初の海外作品『Le Petit Poucet』のスコアも手がけたというから凄まじい。原作は「シンデレラ」などで知られる童話作家ペローの「親指小僧」だ。

「確かに子供も出演している童話ですが、結構残酷な映画なんですよ。なぜ僕のところに依頼が来たのかまったくわからないんだけど……スタッフは僕以外、全部フランス人なんですが、オリヴィエ・ドーハン監督は『トレインスポッティング』のフランス版のような映画をこの作品の前に1本撮っています。本人も鼻ピアス、目ピアスみたいな(笑)」

だが、久石はことさらフランスの風土に見合った音楽を提供するような、安易な姿勢をとらなかった。

「全体のサウンドの設計からいうと、〈日本〉をすごく出しました。和太鼓だったり尺八だったり……宮崎監督をはじめ、日本の監督は尺八を使うとすごく嫌がるんですよね。『尺八の音』とイメージを限定してしまうから、と。でも、フランス人には全然関係ないことなので、逆に前面に出したんですよ。そのほうが自分にとってリアリティがあるということもありますが、もうひとつはドメスティックなほうがかえってインターナショナルに通用する。要するに日本やアジアの風土に根ざした音楽を掘り下げた状態で提示すれば、それは世界中で通用するはずなんです」

これまでの名声に甘んじることなく飽くなき実験を重ねながら、活動の場は世界へ……。久石譲の新たなる挑戦が始まろうとしている。

(PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42 より)

 

 

Blog. 「CDジャーナル 2002年4月号」 冨田勲 vs 久石譲 対談内容

Posted on 2018/10/15

音楽雑誌「CDジャーナル 2002年4月号」に掲載されたものです。冨田勲と久石譲という日本を代表するふたりの作曲家の貴重な対談内容になっています。

 

【現代コンポーザーspecial対談】
音、映像、そして空間の魔術師たち
冨田勲 vs 久石譲

作曲家活動50年という時間のなかですこしも止まることなく、日本文学の最高傑作とされる『源氏物語』をテーマに、あらたにコンサート組曲と映画音楽というふたつの作品を仕上げた冨田勲。一方、宮崎駿、大林宣彦、北野武といった日本映画を代表する監督たちとともにその代表作を音楽面から支えてきた久石譲は、はじめて自分自身で映画作品を仕上げた。そんなふたりにとって映像と音楽の関係、そして自分らの作品への想いはどんなものだろう。そして、それぞれの仕事へ向ける興味とは。

久石:
「もう30年も前のことになりますか、ほんの少しだけ冨田さんのお仕事を手伝ったことがあるんですよ。NHK大河ドラマ『新平家物語』のテーマ録音でした」

冨田:
「へ~え。あれはたしかまだシンセサイザーを使ってないですよね」

久石:
「ええ、キーボードを弾かせていただいたんです。当時の学生仲間が琴で参加していまして、ちょっと助っ人に来いということだった。そのときスタジオでお目にかかって〈いや、3日寝てないんだよ〉と話されていたのがすごく印象に残っています。作曲って体力勝負だな、と思いましたよ」

冨田:
「いや、ほんとうにぼくらの仕事は肉体労働だよ。やっとこの頃、どうにか自分でコントロールできるようになってきたけど。久石さんなんか、いまが死ぬほど忙しいでしょう? 仕事がいろいろな方向へ拡がっているものね。すごく興味を持って見させていただいているんですよ」

久石:
「いやいや、ボクにとっては、一瞬のうちに響きやサウンドが聴き手の耳を惹きつけてしまうという冨田さんの仕事がいつも一番気になってきたものなんです」

冨田:
「なんだかいつでも押しまくられているなかで仕事してきた、というのが実感なんだけど、そんな風に感じてもらえたら最高ですね。でも、余裕があるから出来にも満足できるかというとそうでもない。緊張のなかでポッといいものができたりする」

久石:
「〆切ぎりぎりのテンションが高まったなかでやるのがよかったりしますよね」

 

『源氏~』に漂う幻想的なトミタ・ワールド

-エールの交換といった感じですが、そんななかで仕上げられた今回の仕事。冨田さんの『源氏物語』関連2作品、久石さんの『Quartet ~カルテットOST』と『ENCORE』、それぞれについて聞かせていただけますか。

冨田:
「ぼくの場合はたまたま『源氏~』が重なったんです。はじめにコンサート版の『源氏物語幻想交響絵巻』があり、そのあとに『千年の恋~ひかる源氏物語』のオリジナル・サントラといった具合いにね。偶然なんですよ」

久石:
「ロンドン・フィルとやった『~交響絵巻』は、サウンドも音楽も素晴らしかった。オーケストレーションは全部、ご自分で書かれたんですか?」

冨田:
「不思議なもので覚えてるんだよね。シンセサイザーを使うようになってから、楽譜を書くなんてこと一切やらなかったのに、今回試してみたらできるんですよ。30年ぶりだよ。でも、結局、自分でやってよかったというのが実感ですね」

久石:
「ナマの楽器を使っても間違いなく冨田さんの音ですよね」

冨田:
「普通、ぼくはテーマ音楽をつくるときには主人公に入れ込む。脚本などをとことん読み込んで自分なりのイメージをつくってね。それが今回は違っていたんですね。最後まで光源氏の顔がでてこない。人間の本質がでてこない。わからなかったんだね。だから結局、光源氏のテーマってないんだよ。その代わり、紫の上の哀しみのようなものがずいぶん強く漂っていますよ」

-『千年の恋』も同じことですか?

冨田:
「いや、ぼくのなかではまったく別ですね。具体的には源氏、六条御息所、若紫と、みんな役者さんがいる。その意味ではイメージはまとまりやすかった。ただ、彼らが暮らしているベールの向こう側の世界を表現するのには、ナマの楽器ではなくシンセサイザーで創った音、幻想的な音が適していると考えたんです」

久石:
「メロディを創るだけじゃなく、和音や音色まで創造する。自分が発想した音色をそのまま実現するのがシンセサイザーですからね」

冨田:
「ぼくはモノラル放送2ラインを同時に使ってステレオ放送を流すというNHKの『立体音楽堂』という番組から大河ドラマの音楽へというように、作曲の道に踏み込んだ。でも、そのうちに、いろいろな曲を書いても結局は自分の書いてる譜面は前に誰かがやっちゃってるんじゃないか、と悩むようになりまして。ピアノもヴァイオリンも、もう誰かがやり尽くしてるんじゃないかってね。そんなときに出会ったのがシンセサイザーだったんですよ」

久石:
「最初のころにシンセは、たしかにすごくイマジネーション豊かな楽器でしたよね。なんといってもひとつひとつの音から創っていかなければならない。逆に創れる。電子楽器とはいっても、その意味では手作りの楽器だった。それと、また別のところでボクが非常に面白いと思ったのは、作曲の過程というのが冷静に音を数値に置き換えていく作業だと気づいたことでした。自分と自分が出す音を客観的に見られるようになる訓練だったともいえますね。シンセは本来、音色を創らなければならない。でも、いまはあふれるほどサンプリングがありますよね。クラリネット、フルート、弦……それをそのまま使うなら、ナマの楽器の音の方がいいんじゃないかな」

冨田:
「アナログのころは同じシンセサイザーを使っても、個性があってそれぞれの作品に深みがあったよ」

久石:
「冨田さんの『月の光』を聴いたときのショックといったらなかったもの」

 

音以外の”世界創造”を、と映画制作に辿りつく

-ところで、久石さんのあたらしい方向性はどんなところからでてきたんですか。映画音楽から映画そのものへですよね。

久石:
「宮崎さんや(北野)武さんの映画作りをみていると、とてもじゃないけど、あんな大変な思いをするのはまっぴらだし、だいたい自分にはとても無理だ、というのが正直な感想なんですよ。でも、それとは違ったところで、これまでは”音楽で世界をつくってきた”のだけれど、もっとべつの形で”世界創造”をしてみたい、やってみたら、どんなになるのだろうという気持ちが強くなってきた。『Quartet~カルテットOST』という作品はそんな気持ちの表れなんです」

冨田:
「ぼくもそうなんだけれど、作曲するときって自分なりのイメージを持ちながら、つねに映像とのズレがあるよね。それがかえっていいものを創るバネになったりする。逆に自分で両方引き受けてしまうというのは辛くないの?」

久石:
「脚本を読み込むなかで自分のイメージができる。もちろん実際の映像は違ったものになるから、ある程度の距離を保ちながらその違いを出していく、ということなんです。ただ、だんだん音楽だけでは表現できないものがたまってきた。こういう映像でこういったものがあってもいいんじゃないか、ビジュアルをふくめて自分の創作を実現してみたい。そんな気持ちですね」

冨田:
「久石さんはライブラリーが広くて懐が深いから、それができるんだろうな。ぼくの場合、自分の志向は割と狭いんで、そこからはずれると意外に弱いんだ」

久石:
「いえ、じつは『Quartet~カルテット』は音楽映画ですから、逆にそのための音楽は必要ない。弦楽四重奏団が主人公だから、彼らの演奏だけで音楽は十分。劇中でかならず音楽がなるから、映画音楽を一切書かないでやろうということで、映像を創る自分と音楽の距離をとったんです。もちろん、そうは単純には行きませんでしたが」

-それと較べると、ソロ・ピアノの作品『ENCORE』の位置づけはどういったものでしょう。

久石:
「14年ぶりにやってみたピアノだけのアルバムなんですよ。映画音楽からはじまって、ここ数年、イベント・プロデュース、映画制作と仕事の枠を大きく拡げてしまったんです。音楽に向かう自分自身が一番ピュアな原点に戻らなきゃいけないという気持ちになった。それがこのピアノ・アルバムというわけです」

冨田:
「なにかをやってだれかを驚かそうとかじゃなく、たまたまやりたかったことや、やらなきゃいけないと突き動かされたものを手掛けるんだよね」

久石:
「活動は線だから、目前にあるものに向かって自分を表現していく。もちろんその向こうには聴き手がいるわけです。でも、まずは自分がどこまで納得できるかが大切でしょう」

冨田:
「ぼくの場合、それはずっとこだわり続けてきた立体感あふれる音楽だったりする。だからいま四方八方から音が聴こえる日常生活の音を体験できるDVDオーディオに興味津々だよ」

久石:
「長野パラリンピックの総合プロデューサーをやり、福島の『うつくしま未来博』ではフル・デジタル・ムービーとステージ・パフォーマンスを組み合わせました。あまりにも拡がりすぎたので音楽の仕事へ立ち返ったのがいまの姿。ここからまた踏み出そう、というところですかね」

そう語り合った冨田氏と久石氏。まだまだ新しい音楽の姿で、わたしたちを魅了してくれそうな予感を漂わせた対談だった。

 

「こだわっているのは、やはり立体感のある音楽ですね」(冨田)

「純粋に音楽へ立ち帰ろうと思っているのが今なんです」(久石)

 

(CDジャーナル 2002年4月号 より)

なお本誌には貴重な2ショット写真も掲載されています。

 

 

Blog. 「pen ペン 2011年7月15日号 No.294」創造の現場。久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/10

雑誌「pen 2011年7月15日号 No.294」に掲載された久石譲インタビューです。

世界で活躍する創造者たちがクリエーションを生みだす場所を写真家ベンジャミン・リーが写しだす、という好評連載コーナー「創造の現場。」に久石譲が登場した回です。2ページ見開きで1ページ分を大きな写真が掲載されています。取材に人が入るのは初めてというプライベートスタジオの写真です。

 

 

創造の現場。 36 久石譲 音楽家

音楽の根本を考える、ここは「世界の中心」。

「ここは、自分にとっては『世界の中心』みたいなところですね」と久石譲はやわらかな声で言った。自宅にあるプライベートスタジオでのことだ。

「音符やリズムの実践は、昼間、オフィスにあるスタジオで行います。でも、根本的なアイデアはここで生まれますね。とても重要な場所です」

深夜に自宅に帰ると、明け方までをこのスタジオで過ごす。

「ここでは、気になるCDを聴いたり、本や資料を読んだり。中心となるのは、昼間に実践している音楽の根本を考えることと、クラシックの勉強です」

自身の生き方を「螺旋を描くように進んできた」という。現代音楽家としてスタートを切り、映画音楽に数多く関わり、2年前からクラシック音楽を活動の芯にしている。コンサートではベートーヴェンやマーラーの曲を指揮し、自身の新作交響曲も披露する。長く親しまれてきたクラシックと、いま生まれたばかりの曲を同じホールに響かせるのは、大きな挑戦だ。

「いまやっておかなければ、という気がするんです。短い作品は2000以上作曲してきたので、そろそろ、全体でものを言うもの(交響曲)を書いてもいいのでは、と。それに、クラシックにもコンテンポラリーな視点を入れたほうがいいと思う。どんなにいい時代の曲でも、新しい視点で前の観念を壊し続けないと、生き続けないから」

自分にプレッシャーをかけ、全身全霊を捧げて音楽を追究する。3月11日を経て、思いはさらに強くなった。

「音楽はひとつの救いになるけれど、我々音楽家はそれに加えてもっと強く、音楽がなぜ必要なのか、自分で回答を出していく仕事をしなければ」

音楽はいつでも、いまを生きる人のためにある。音楽の潮流がこれからもみずみずしく強くあるために、そして螺旋状に続く道をその先へ進めるために、「世界の中心」がある。

 

写真横に掲載されたコメント)
プライベートスタジオ。オフィスのスタジオと同じ機材を揃えた。オフィスは実践、ここは思考。ふたつの場所を行き来し、気分を切り替える。取材のために人が入るのは初めて。

(pen ペン 2011年7月15日号 No.294 より)

 

 

この4年間におよぶ連載は2014年「創造の現場。」書籍化されています。紙面構成は同じです。各界著名人、約100人のクリエイターたちの言葉と象徴的写真を収めた本です。

 

 

 

 

Blog. 「SWITCH スイッチ JULY 2001 Vol.19 No.16」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/09

雑誌「SWITCH スイッチ JULY 2001 Vol.19 No.16」に掲載された久石譲インタビューです。『JOE HISAISHI meets KITANO films』リリースに合わせて組まれた取材は、北野武監督の映像について、手がけた音楽について、あらためてたっぷりと語られた貴重な内容です。

 

 

久石譲

映画音楽の重要人物が語る
創作の哲学、北野監督、
そして新たな挑戦について

久石譲の名を聞いて読者が思い出すものが、幾つかの映画か監督名かそれとも彼自身のリーダーアルバムかはともかく、その才と手腕から、彼が今日の日本映画界において重要人物である点については異論が無かろう。その代表的な仕事の一つに挙げられるのが、北野武監督作品への楽曲提供である。この度リリースされる『JOE HISAISHI meets KITANO films』は両者の初顔合わせであった『あの夏、いちばん静かな海』から最新作『BROTHER』までの楽曲から、久石のセレクトによる16曲によって構成された、北野映画のサントラベストである。しかし彼にとってこの一枚は、それ以上の、そしてそれ以外の意味を持った仕上がりであると、穏やかな口調で語り始める。

「当初からベストであっても決して回顧ではない、いわば現在進行中のプランの途中報告みたいなものにしたいとは考えていた。例えばアプローチの変化としては『BROTHER』がそう。ここで『あの夏~』からのアプローチを敢えて変えてみた。もし、今後も北野監督と仕事ができるのなら、ここで一度違うアプローチにした方が、世界観が拡がると考えたから。日米合作で、ロケーションもロスだったりと、それまでと違う環境という点も、変化という点では適していたし。それで映画のドライな世界観を表現するためにブラスを多用した。これまでも弦とか管は入っていましたが、割合ピアノ中心だったからね。

だから本来なら今回のアルバムの曲順も『あの夏~』から映画の公開順に並べれば、こうした変化が見え易くて良いのだけど、どうしても記録としての意味合いが強く出すぎてしまう。それは避けたかったので最近CFで流れた『Summer』を最初に持ってきて、次に最新作である『BROTHER』を。その後からを公開順にしてみた。

編集し終えて嬉しい発見だったのは『あの夏~』から『BROTHER』まで、実に各々の底辺が共通性を持っていた、ということ。頭では常に北野監督の映画のために音楽を提供することを第一に作ってきたつもりだったけれど、気がつけば自分のソロアルバムを作るような気持ちで携わってきたんだ、という明快な結論に達した。時には、ソロから一歩踏み出した表現もしていたりするこの一枚には、僕自身のここ数年の姿勢が見事に反映されていた。そしてこの一、二年の中で、僕自身にとっても、まさにベストな一枚と言える仕上がりだと思う」

バイオリンを習い始めた五歳の頃から、同じく両親の薦めでジャンルを問わず年間約三〇〇本、多忙な現在も週七~八本の映画鑑賞を欠かさないという久石。そんな無類の映画好きの視点から北野監督、その作品に対しての印象、実作業でのコミュニケーションまでを語ってもらおう。

「省略の人、だね。引き算の映像美。従来の映画の概念にとらわれずに独自の世界観を展開するのは並大抵ではない。北野監督はそういう登場をして見せて、今もそう在り続けている。一〇秒間のシーンだけで彼の作品だと分かる、というのは、やはり尊敬に値する。

北野監督とは、やりとりとか詳しく話したりすることなんてほとんどない。ヒントのような一言、二言だけ。『あの夏、いちばん静かな海』の時は、『シンプルなメロディーの繰り返しが好きなんです』って。『HANA-BI』では『暴力シーンが多いんだけど音は綺麗なのがほしいな』で、『菊次郎の夏』は『さわやかなのがいいな』とか毎回そんな感じ。『BROTHER』に至っては『おまかせ』でしたから。他にその時手掛けている作品の事で、顔を合わせる際に二人で話すことといえば、決まって次回作のアイデア。こんな具合で互いのスタンスが明確に保たれている。とてもシビアだけど、だからこそ信頼感や、やり甲斐も非常に大きいと言える。

北野作品はどれも好きだけど、手掛けた音楽で一番好きなのは『Sonatine』。この作品から確信犯としてミニマル・ミュージックを前面に押し出した。僕自身、当時ロンドンに住み始めたこともあってハイテンションだったので、実験的要素も結構盛り込んでいる。録音したドラムのフレーズを逆回転させて、楽曲の後ろ全体にうっすらと敷いてみたり。映像としてもあの微熱に犯されながら進行していくようなクールさが好きだな」

ここで”ミニマル・ミュージック”という単語が登場したが、実は彼には、現在の自身のスタイルに大きな影響を及ぼした一枚のアルバムがある。テリー・ライリーの『A Rainbow In Curved Air』である。

「このアルバムでミニマル・ミュージックに出会い、衝撃を受けた。約二〇年間培った前衛クラシックの方法論を全て捨て、ミニマル・ミュージックを手掛けてみたいと思った。実際に精神と肉体を全て改造するために、約三年を費やしてしまったけどね」

こうした転機を経て、今日までに久石は、既知の通り北野以外にも宮崎駿や大林宣彦等、多くの監督の作品へと音楽を提供している。多種多様な映画音楽に対して、何か特定のルールや概念を抱いて、彼はその創作に携わっているのだろうか。

「言ってしまえば、映画音楽っていうのはどんな音楽でも成り立ってしまう。アクションモノならハードロックっていうストレートな発想でも別に構わない。でも実はそこが一番の罠であり、楽しさでもある。

自分の中で映画音楽に関するルールとかは、これといっては設けてないけど、敢えて言えば映像の従属物のような音楽には興味が無い。つまり走ったら速い、泣いたら悲しいとうのは作りたくない。それだったら映像と喧嘩するくらいで丁度いいっていう感じかな。あとは、仮に映画がトータルで二時間の作品なら、何も音楽がつかないシーンも含めて展開を意識する。一つのシンフォニーを書くのと同じ気持ちで考え、最終的な映画のテーマ、つまり”何を残すことができるか”を浮き立たせる。もっと言えば、監督、脚本、役者、照明他スタッフ全てが同じ方向を向いて、もしくは向いたフリをして自己の表現を確立させる。その過程で生まれてくるダイナミズムが映画であり、だからこそあらゆる物を包括したメディアと成り得ている。

僕が最も大切だと捉えていることは、”映像から読みとる”という作業。映画音楽の制作は、どうしても”はじめに映像ありき”という当たり前の前提を見失いがちになる。映画監督は自らのメッセージを作品に込めている。それをどう読み解いて音楽を提供するか、そこからが僕の領分なんだ。

結局、音楽というのは抽象的だから、ああだこうだとやり取りしてもあまり意味がないし『ここがこうでね』って他者とディスカッションしづらい。特に日本人って映画音楽って印象のみで批評をする傾向が強い。比べるフランスは正反対。『あの○○のシーンであの音楽を付けたのは、何を狙ったんだ?』って驚く程細かく突っ込んでくる」

宮崎監督の最新作「千と千尋の神隠し」、仏映画「Le Petit Poucet」と音楽を手掛けた新作の公開が続き、一〇月下旬からのオーケストラとの全国ツアーを経て、一一月には韓国でのコンサートも控えている。

「そろそろピアノ弾きに戻るトレーニングもしなくてはならない。弾き方にクセがあるせいかもしれないけど、一度のステージで二~三キロの体重が落ちる。自分にとっては結構な重労働というか、格闘技だから、身体を作っておかないともたないんだ」

そして久石自身もついに監督業に挑戦。第一作『Quartet』(今秋公開)では音楽は勿論、脚本までも自ら手掛けたという熱の入れよう。語り口も自然と弾んでくる。

「撮影は去年に終えていてね。劇中、袴田(吉彦)君扮する主人公の台詞で『音楽ってそれほどのものなんですか?』っていうのがある。この一言を音楽家である僕が言わせるのは、自分では結構強烈な挑戦だった。多分この一言を撮りたくて映画を作ったんだなと、今は思っている。”音楽を作る”ことと”生きる”ことの関係性を何らかの形にしてみたかったのではないかな。音楽は自分では未だ模索の最中だし『Quartet』も、その明確な答えとは成り得ていないけれど、リアリティという点ではなかなかの仕上がりだよ」

実はすでに二作目の撮影済み。デジタルカムコーダーで撮った三〇分の短編映画『4 MOVEMENT』は現在編集中。完成すれば、日本初フルデジタルムービーの登場である。まさしく精力的な活動の久石であるが、目下その才と手腕を持ってしても解決できない、一つの悩みを抱えているらしい。

「二作目の方が公開が早くなってしまってね(福島での『うつくしま未来博』にて七月上映)。こればかりはどうにもならなくて」

充実した表情の後に浮かべた、仕方なさそうな苦笑が印象的であった。

(SWITCH スイッチ JULY 2001 Vol.19 No.16 より)

 

 

この取材は北野作品の映画音楽が中心となっています。ちょうど『JOE HISAISHI meets KITANO films』のリリース時期だったこともあり、本誌には貴重な広告ページもありました。発売当時、初回特典・予約特典として同デザイン特大ポスターを入手できた久石ファンもいるかもしれませんね。

 

 

 

 

また制作スタジオでの写真も印象的でした。

 

 

 

 

 

Blog. 「秋元康大全 97%」(SWITCH・2000)秋元康×久石譲 対談内容

Posted on 2018/10/07

SWITCH SPECIAL EDITION「秋元康大全 97%」大型本(2000)に収載された秋元康と久石譲による対談です。

2000年公開映画『川の流れのように』(監督:秋元康/音楽:久石譲)の話題を中心に多岐にわたります。作家性、クリエイティブ、エンターテインメント、時代を牽引しつづける二人のプロフェッショナルが語り合う内容は、どこかセンテンスを選んでも選んでも溢れてしまうほど。A4サイズ大型本(計8ページ/文面5ページ)にじっしり詰め込まれた言葉たち。超ロング対談のため抜粋してご紹介します。ぜひゆっくりかみしめるように読んでほしい内容です。

 

 

一番向こうのドア

ある日ラジオから流れてくる音楽を聴いて、ふいに脳裏に映像が甦ったことはないだろうか。映画音楽とはそういう力を持つものだ。映像をより象徴的に印象づけるものとして、映像と同じ比重で絡み合いながら存在すべきもの。

久石譲は宮崎駿、北野武など日本が誇る映画監督たちに才能を乞われ、新しくも懐かしい不思議な音楽を提示しつづけてきた第一人者である。常にその旋律は、記憶のどこかに眠っていた情景や匂いや手触りを喚起させてくれる。最新作『川の流れのように』で念願の彼を音楽監督として迎えた秋元康が繙く、クリエイターの”ドア”の存在について。

 

久石:
今日は映画『川の流れのように』の反省会ですか?(笑)

秋元:
いや、次回作の打ち合わせですよ。今回久石さんには音楽監督として参加していただいたわけですが、これは久石さんのキャリア的にも珍しい試みだったんですよね。というのも、本来久石さんは脚本を読み、映像を観て、まったくゼロから音楽を作りあげていく方法をとられているのに、今回は「川の流れのように」という美空ひばりさんの曲があった。そういうのは今までやったことがないと伺って、だからみんなでがんじがらめにしようと思っていました。

久石:
以前、秋元さんと食事をしながら、この『川の流れのように』という映画を一緒にやらないかと言われた時に、一番大変だなと思ったのは、『川の流れのように』というタイトルだと、一般の人に美空ひばりさんの伝記映画だと思われる可能性があるのではないかという危惧でした。この「川の流れのように」という日本で一番愛されてる曲の根底に存在する世界と、森光子さんたちが演じる老人の話を重層的ないい形でドッキングさせるということ、それが今回音楽監督としての最大のテーマだったわけです。一歩間違えれば深い内容を持った映画が歌謡映画に観られてしまう危険性がありましたね。それはものすごく損なことなので、どうバランスを取るのかというのが一番の課題でした。

秋元:
「川の流れのように」はひばりさんのはからずも最後の曲になってしまったことで、ある意味一人歩きしている部分があると思うんです。だから最初に久石さんに依頼しておきながらも、それをどう加工するのかというのはすごく難しいだろうなと思っていたんですね。

久石:
結局その会食の後、帰りの車の中ですぐ思いついたんですけどね。まず僕は、曲をただアレンジしたものをエンディングに流すということに大きな抵抗があった。ならば、この映画の世界観を湛えたストーリーの終盤に、美空ひばりさんの歌が乗ればいいんだと思ったんです。となると、今はマルチレコーディングの時代だから、トラックから美空ひばりさんのヴォーカルチャンネルだけを抜いて、映画の世界と同じサウンドに乗せればいい。ナット・キング・コールの「アンフォゲッタブル」に、ナタリー・コールがデュエットした時みたいにね。そこからヒントを得て、10年前にお亡くなりになった美空ひばりさんと自分が競演するかのような、そういう曲を作ることができれば大丈夫なんじゃないかと思ったのです。その時に全体像が見えたんですね。

秋元:
別れて30分でプロデューサーに電話をいただいて、一言「見えた」って。

久石:
そう、速かったですね。

秋元:
久石さんとの一番最初のお仕事は純名里沙さんの曲でしたよね。次に西田ひかるさんのアルバムの構想を練っていた時に、今度こんな映画をやりたいんだっておっしゃっていて。実は一番初めにお仕事する予定だったのは『魔女の宅急便』だったんですよ。すごくやりたかったんですが、僕がその時海外に行っていて、どうにもスケジュールが合わなくてとても残念だった。帰ってきて次はぜひということで、二回目が純名里沙さんだったわけです。

久石:
その間に長野のパラリンピックのプロデュースをやらせていただいてたのですが、そこでトリビュートアルバムを作りたくて歌い手さんを探していた時に、猿岩石さんを紹介していただいた。お忙しいのにあっという間にスケジュールを取っていただいて。秋元さんとはいろいろといいお仕事をさせていただいています。

秋元:
その時に、「次回、僕が監督作品をやる時は絶対久石さんにやってほしい」とお願いした。当初はラブストーリー。『ピアノ・レッスン』みたいな作品を構想していたんですが、最終的には全然違っちゃいましたね。

 

~中略~

 

久石:
僕は4歳からヴァイオリンを弾いていたんですけど、同じ頃、親父が高校の化学の先生だったんです。うちの近所に映画館が二つあって、両方とも当時は女子高の生徒は入っちゃいけないということで、先生が巡回に行くわけですよ。僕は幼稚園だったんですけど、親父にしょっちゅう連れていかれて、年間300本ぐらい観てました。3本立てなので、週に6本、月に24本。4年間ぐらいそれが続きました。その時の体験が大きかった。それこそ恋愛映画からアクション映画まで、洋画邦画問わずに観てましたから。それに当時は今ほどではないとしても、映画館は一番大きくていい音が聴こえる場所でしたからね。その暗いところで座っているというのが僕の重要な原体験な気がします。それからずっと映画が好きですね。音楽も映画もすごく好きで、両方一遍にやれるのが映画音楽ですから。

秋元:
久石さんを見ててプロだなと思うのは、音のこぼし方ですね。カットが変わった時の音のこぼし方。普通は、一つのシーンで音楽を入れるとすると、そのシーンとともに音楽は終わるじゃないですか。例えば次は外に出て車に乗るシーンだとしたら、そこには別の音楽が、あるいは車の騒音を入れるとか。でも久石さんはそこへ微妙に前の音楽を落とす。そうすることによって、絵がなめらかになるし、言葉は終わっているんだけど音楽が続いているから余韻が残るんですよね。またはせつなさが残ったり。僕は映画監督志望や脚本家志望の人が持ち込んでくるシノプスをよく読むんですが、あまり驚かないんですよ。自分が作る立場にあるから、「僕だったらこうするな」とか考えてしまう。だから僕は久石さんから映画のアイデアを聞かされた時にとても衝撃を受けました。というのも久石さんは音楽が主軸の人じゃないですか。だから『巴里のアメリカ人』とか、日本だったら『七変化狸御殿』みたいなミュージカルものか、イギリスものなら『ブラス!』のような作品をお作りになるのかと思っていたら、実はエンタテインメント性の高いアイデアだったのでびっくりしました。

久石:
映画というのは一人の作家の想いで作るものであると同時に、人に観てもらわなければいけないというのが根底にありますよね。だからある程度の作家性は保ちたいけれど、エンタテインメントというフィールドは外れられない。人に観てもらって楽しんでもらうというのが基本。でもディズニー映画みたいに、終わって「ああ、楽しかった」と外に出るけど、心に何も残っていないというのはやりたくない。なにか一つでもプラスになるものがないとダメだと思うんです。音楽にしてもそうですけど、僕は”芸術家”ではないですから。町中の音楽やってるわけですから。

秋元:
世間は完全に芸術家だと見てますけどね。

久石:
やっぱり人に楽しんでもらうというのが基本にある。自分が観る映画にしてもそうですね。例えば昔のATG系の作品も好きなんだけど、敷居をまず高くして、観る人だけ観なさいという雰囲気は好きじゃないですね。

秋元:
以前「これ映画になるよね」と久石さんが話してくださった話でおもしろかったのは、オーケストラってみんな一緒に全国を回るじゃないですか。それでギャラも一緒なんですけど、シンバルの人は1カ所しか打つところがないんですよね。なのに、大抵間違えるという(笑)。

久石:
そうなんですよ。あの誰でも知ってるドヴォルザークの「新世界」、あの四楽章に1カ所だけ合わせシンバルがあるんです。でもギャラも、費用もみんな一緒なんですね。それでシンバルの人は30分ぐらいひたすら待ってるわけです。「あ、一楽章終わった」「二楽章終わった」「三楽章終わった」「そろそろ出番だ」と腕まくり始めて「さあ叩くぞ」なんて思ってるうちに、過ぎちゃうんですよ(笑)。結局一回も叩かずに終わっちゃう。それをやっちゃったら大変なんです。「おまえ、何やってたんだよ!」とかみんなに責められて。

秋元:
それ、すごいおもしろいですよね。

 

~中略~

 

久石:
秋元さんにはいっぱい切口がありますよね。作詞もそうですし、映画もテレビ番組も、次から次へとこの世に出している。世間から見るとすごいマルチで、こんなにいろんな仕事して大変じゃないかと思っているでしょう。でも実は、ご本人は意外と最初のアイデアとソースを考えるだけで、そんなにいろんなことに手を延ばして収拾つかなくなっているという感じではないんですよね。

秋元:
そう、料理と同じで、出される方はイタリアンからフレンチからベトナム料理から変わったものがどんどん出てくるなあと思うけど、こちらは素材を見て、「これだったらフレンチがいいな」とか「和食にしてみようか」とか考える。要するに料理法なんですね。それが映画だったり、テレビだったりするだけ。あまり自分の中ではいろんなものに手を出してるつもりはないんです。それを素材として最大限生かすためにやる。例えば森繁久彌さんっていいなあと思うじゃないですか。映画もいいけど、舞台で『屋根の上のバイオリン弾き』に続くものがあればおもしろいだろうなと考えますよ。でも久石さんも守備範囲が広いというか、年末のコンサートを見せてもらいましたけど、やりたいことがいっぱいあるみたいですね。例えば映画音楽だけやろうとは思わないでしょう?

久石:
思わないですね。僕は映画音楽が三本続くと嫌になるんですよ。なぜかというと、あくまで映画は監督のものだと思うんです。自分が考える世界と監督の世界を、こう台本を挟んでやりあうわけですね。すると自分一人でできる世界じゃないので、監督の要求に応えていくうちに思わぬ自分が出たりするんです。あくまで他の人との関わり合いで自分の表現をしなくてはいけない。でもそうすると意外な面も出てくるし、もちろん苦しい部分もありますけど、確かにすごくおもしろい。ただし、そのもう片方にソロアルバムやコンサートがある。これは自分がすべてやるわけなんですけど、絶えずこればっかりやるとそれはそれで辛いんですよ。やっぱりどんどんダメになっていく。だから一番いいのは映画のようにいろんな人と一緒に仕事して、こっちはこっちで自分のことをする。その幅を行ったり来たりすることでバランスが取れるんですね。例えば秋元監督と『川の流れのように』という映画をやる。これは確かにいい話で、老人たちももっと元気が出る。そこでいい話だからいい音楽を書こうと普通は思いますよね。いいメロディーを書いて心温まる音楽を作ろうと。でもそうすると監督の視線と一緒になりすぎてしまって、単になぞるだけじゃないかと考えてしまうんです。例えば映画の冒頭のシーン、主人公が伊豆に何十年ぶりかに帰ってきた。そこに、いかにも帰ってきましたという美しくせつない音楽をつけてしまうと、全体のトーンがベタベタになってしまうんじゃないかと思うんです。台本を読んだ時から考えていたんですが、ブルガリアン・ヴォイスを使ってみたらどうだろうかというアイデアが浮かんだ。いったいどこの国の音楽だろうと観た人が不思議に思うような。ただそのまま使うと、よくありがちな奇を衒ったものになってしまう。それでオーケストラとブルガリアン・ヴォイスをミックスした。ある種のミスマッチなものは絶対ダイナミックに広がっていくし、もう一カ所ポイントになるものを使えば全体の音楽的な筋は通るんじゃないかと思った。まあ秋元さんとやらせてもらってるからこそ、そういうアイデアが出てくるんですけどね。

秋元:
奇を衒ってしまう部分と、だからといってコンサバティブにいけばいいわけじゃなくて、そのバランスが難しいんですよね。確かにあの音楽は見事でしたね。映画というのは監督のものだとは思うんですけど、結局監督が役者とホンと音楽と一体にならないと絶対ダメなんですよね。

久石:
映画が成立してる最終的な意志みたいな部分は監督のものなんだけど、映画がなぜこんなに楽しいかというと、本当に音楽から美術からいろんなもの、いろんな人の力が総合されるからなんですよね。最近、日本の映画はなぜこんなにつまらないんだろうと思うんですが、根底に日本の映画人って古くなってるんじゃないか。現場はそれでもいい。きちんと対応できる技術さえあれば。要は脚本なり監督なりプロデューサーなり、ヘッドになる部分がもっと真剣に悩みぬいたものを作っていかないと。ハリウッドみたいに車を壊したり家を爆発させたりというお金をかけることは日本ではできないわけだから。使えるのはアイデア、要するにヘッドワークですね。それが中途半端だから、どうしても弱い。

秋元:
僕らはよくいろんな方とコラボレーションをするじゃないですか。ドラマでも映画でも悲しいメロディーというと、普通の音楽監督というのは聴いただけで悲しい曲を書いてきてくれる。でも驚かないんですよ。脚本でも音楽監督でも役者でも、やっぱり一緒にやった人が自分が投げたアイデア以上ものもを返してくれて、お互い驚きあいながら作っていかないとダメなんですよね。今回はそこが非常におもしろかった。日活の会議室で初めてブルガリアン・ヴォイスを聴いた日、久石さんが曲を流す前に「いっちゃっていいですか?」と訊ねられて、曲を聴いたら本当にいっちゃってた(笑)。すごくいいなあと思った。作詞でもそうなんですけど、どこまで奇を衒っていいかを判断するのは難しいんですよ。ただ奇を衒ってるだけだと単なる企画もの、イロモノになっちゃう。だから微妙に奇を衒っている新しさ、そこが一番難しいんですよね。

久石:
単に奇を衒うというのはできるんだけど、それがどう主題に関わってくるかですね。それができたのはやはり秋元さんに対する信頼です。受け止めてもらえるというのがあったので。こちらが窮屈にならずに持っているアイデアをぶつけられたんです。

秋元:
いや、それはプロの技ですよ。ブルガリアン・ヴォイスから嵐のシーンのオーケストレーションまで幅が広い。ブルガリアン・ヴォイスだけのアイデアを出せる人はブルガリアン・ヴォイスのテイストで最後までいっちゃうんですね。そうすると今度は映像と音楽が分離してしまう。それにしてもラッシュの音がない時に比べて数百倍良かったです。

久石:
日本映画としては本当にお金を出してもらったんですよ。ホールでオーケストラをきっちり録れるなんてまずないですから。これだけの規模でできたからこそなんです。

秋元:
オーケストラというと、それだけの人数と楽器を集めて、ホールまで借りるのは、すごくお金がかかる。だから大抵みんな打ち込みでやるんですけど、久石さんがホールでモニータに映像を流して同時に録ろうとおっしゃった。すごく贅沢ですよ。アメリカではそういうシステムが整っているけど、日本ではなかなかできない。

久石:
設備が整ったところで録るわけではないので、レコーディング機材を全部運び込まなくてはいけなくて、ものすごく大変なんです。しかもいろいろトラブルがあるし。

秋元:
我々も、いつもああいうことができると思ってはいけないんですね。

久石:
でもこの先デジタルになったら、もっとああいうやり方の重要性が出てきますよ。ホールのアンビエントがそのまま再現されるから、とても奥行きが深くなる。

秋元:
あと、公会堂のシーンなんて品があっていいですよね。音楽というのは何をもって品がいいというのかよくわからないけど、とにかく品が必要だと思う。

久石:
そうですね。同じマイナーを書いてもゴールデン街が浮かんでしまうマイナーの書き方になっちゃう人と、そうじゃない人といるんですよ。日本の映画はどうしてもやっぱりゴールデン街が浮かんでしまう。

秋元:
僕も偉そうなこと言えませんけど、なんて言うか、粘りだと思うんですよ。僕らのエンタテインメントの世界というのは、いつも一番近いところのドアが開いているんです。ここから出ればすごく楽。脚本作るのも映画作るのも、一番手前のドアはね。でもそのドアを選ぶと、大抵予定調和に陥ってしまう。例えば公会堂のシーンなら普通はピンクパンサーみたいな音楽を選ぶと思う。でも久石さんが一番向こうのドアを開けてくださった。何でもそうなんですけど、手前のドアではなく一番向こうのドアを開ける、そこがふんばりどころですよね。

久石:
苦しいですよね。でも、ものを作る時は必ずあることですよね。音楽をやっていても、毎回リセットしてゼロから作ってるつもりなんですけど、やはり覚え慣れた方法論というのがいくつかある。それだと大量に作れるのがわかるんですけど、ゼロにしてまだ開けたことのないドアを開けようとする、そこまでが大変ですよね。一番近いドアを開け続けるとやっぱり枯渇していくし、悪いほうへ向かっちゃいますね。昔ジョン・ウィリアムズがやった『スターウォーズ』と『スーパーマン』と『E.T.』は全部同じメロディーじゃないかと言われてたのね。ほとんどの人はそう言った。でも僕はその時擁護したんです。なぜかと言うと、ジョン・ウィリアムズは自分の音楽を突き詰めて、突き詰めて、その結果自分の音楽はこうだと言い切ったんです。自分をきちんと突き詰めていない人間だと、ジャズ風、クラシック風、ロック風と簡単に書き分けることができる。それはオリジナリティがないということです。でも最後まで自分を突き詰めた人は、似ていてもいいんです。そうしないと、彼も音楽家としてのアイデンティティがなくなってしまう。彼は自分の曲がどれも似ているというのを誰よりもよく知っているはずだし、でもそうせざるを得なかったというところに作家性を感じる。毎回違うことをやろうとした結果、同じような音が生まれたとしても、それは次に発展することだからオーケーなんだと思う。

 

~中略~

 

久石:
そうですよね。先週もそういうことがありましたね。テレビドラマでバジェットも小さいし、でもたまにはテレビもやってみようかなと思って曲作りを始めたんです。でも「今日は3曲以内に収めよう」とかいろいろ考えていても、スタジオ入っちゃうとダメなんですよね。いつの間にか真剣になっちゃって、3曲どころか結局28曲も作ってしまいました(笑)。やっぱりどんなものでも監督さんとかスタッフの方々が真剣にやっているのが見えると、自分も発奮するというか、いくところまでいかないと終わらないですね。

秋元:
僕もそうですよ。「これはもう30分で書け、30分で書いて次の楽しいこと考えよう」といって本当に30分で書くんですけど、終わって「やっぱりなあ」と思うと、その後結局2時間ぐらいかけちゃうんですよ。だったら最初からそうすればいいんだけど(笑)。

久石:
ものを作るのってそうですよね。全力を出し切ると「ああ、勿体ないな」なんて一瞬思うんだけど、本当は勿体なくないんですよ。やっぱりいいものができた時は嬉しいですからね。

 

~中略~

 

秋元:
そういうことを考えるのが好きなんですよ。今回の映画もプロの映画監督だったら最後の森光子さんが歌う「川の流れのように」のところはフルコーラスじゃなくてワンハーフにしますよね。実際、みんなに反対された。でも異業種監督としてやるんだったら、あれはやらないでしょうということをやらないと、ダメだと思うんですよ。だから、今度久石さんが映画監督をする時は普通はやらないようなことを期待してます。

久石:
僕も普通に考えて、森さんがワンコーラス歌ってそこから美空ひばりさんの方へ乗り換えていくのだろうなと想像していました。秋元さんがツーハーフ粘られたということを聞いて、それならいかに聴きやすくするかを考えるわけですけど、それがなかなかできなかったんですよ。森光子さんの歌に弦楽器を入れてだんだん盛り上げていこうかとか。

秋元:
僕はまるで音がないところにツーハーフでもいいんじゃないかと思ってたんだけど、久石さんが音楽を作ってくださって、上手くこぼれているじゃないですか。それはそれですごく良かった。

久石:
ギリギリのところでね。ドーンと来るところは下手にデコレーションしないで、ストレートに入口だけ弦を入れてちょっとこぼして、あとは歌に委ねてしまって正解だったと思いますね。

秋元:
僕らは職人ではないわけですからね。職人だったらあそこはワンハーフにするんでしょうけど、僕らはどこかに作家性があって、だからやりたいことがどこかにないといけないと思うんです。もちろん観客を観ながらなんですが「これが訴えたい」というものを入れないと。例えば武さんの『菊次郎の夏』は井手らっきょさんとグレート義太夫さんがふざけてばかりいるんだけど、それは武さんの作家性なんですよね。それを編集してカットして、もっと子供をフィーチャリングして泣ける作品にするのなら、武さんである必要がなくなってくる。山田洋次さんだったらあれはやらないだろうし、それをあえて残すところが武さんらしくていいなと思うんですよね。

久石:
迷ってたのは、ラストまで「川の流れのように」の曲を出していないんですよね。途中で一回インストで流して前振りを作ったほうがいいのかとずっと考えていた。でも結局やめた理由は、曲が始まった瞬間に観客が「川の流れのように」だと気づいて予定調和になってしまうから。ラッシュを観た時、出さなくて良かったと思いました。その分、森光子さんのツーハーフ、そしてラストのひばりさんの歌が生きた。

秋元:
ホンの段階でも迷ったんですよ。普通は主人公の大好きな歌が「川の流れのように」だと、例えばラジオから流れてきて涙するとか、友達に会った時にカラオケで歌うとかね。つまり最後になぜあの歌が入るかという必然性を入れる。でも必然性を入れれば入れるほど強引に「川の流れのように」を説明していることになるので、それをばっさり切ってラストに突然入れた。映画というのは、どこを省略するかが一番重要なんですよね。タランティーノの『レザボア・ドッグス』でも銀行強盗のシーンをばっさり抜いてあるけど、それは「想像してください」ということじゃないですか。僕もそういうつもりだったんですけど、アンケートでは見事に「なぜあの歌が唐突に出てくるのかわからない」というのがいっぱいあって。普通は初めにふってあるんですよね。部屋にCDが置いてあって「この曲好きなんだろうな」と悟らせるとか。でも久石さんと同じ理由で、あの曲はあまりにも有名だから途中で触れない方がいいと思ったんですね。

久石:
潔いですね、予定調和を段取りに持ち込まなかったというのは。

秋元:
例えば、あんな妊婦を船で運んでいいのかとか、たかだかトンネル一つ潰れたというだけで道が通れなくなることなんて日本ではないじゃないかとか。でも、そういうのをものともせずに、そういうものなんだと言い切る。

久石:
次回が楽しみですね。次はラブストーリーですよね。『マンハッタン・キス』のような世界の次に『川の流れのように』がきて、次はどう裏切ってくれるのか、楽しみです。

秋元:
でも好きなことをやると当たらないんですよ。もし久石さんが今後ご自分で映画を作る時は、やっぱり当たる当たらないということを考えるんですか? まあ、でも久石さんならもうある種のステータスがあるから芸術作品に仕上がりそうですけど。

久石:
いや、それは考えますよ。一度撮ってみないことにはわかりませんが、大変でしょうね。頭で考えるのと現実は違いますし、甘くないだろうというのはわかっていますから。

秋元:
早く久石監督の映画を観たいですね。

(SWITCH SPECIAL EDITION「秋元康大全 97%」 より)

 

 

久石譲 『川の流れのように』

 

 

 

Blog. 「キネマ旬報 2000年7月上旬 夏の特別号 No.1311」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/05

「キネマ旬報 2000年7月上旬 夏の特別号 No.1311」に掲載された久石譲インタビューです。オリジナルソロアルバム「Shoot The Violist」の話から、「BROTHER」(北野武監督)、「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)の話まで。

特に映画音楽への久石譲の流儀、第一線を走り続ける立場と覚悟。強くストレートに語られた言葉たちが印象的です。もうこの頃から日本の映画音楽を背負ってたつ決意のようなものをしっかりと持っていて、だからこそ約20年を経て今現在でもトップを走りつづけている。名言の宝庫です。

 

 

久石譲インタビュー

映画音楽の王道をきっちり守っていかなければならない

インタビュー:賀来卓人

絶好調である。この春から初夏にかけて篠原哲雄との「はつ恋」と秋元康との「川の流れのように」が公開されたのに続き、先頃北野武との「BROTHER」を完成させたばかり。さらに来年夏に控える宮崎駿との「千と千尋の神隠し」に加え、初監督作品も準備中。海外版「もののけ姫」の世界公開も進み、オリヴィエ・ドーハン監督とのフランス映画の仕事が決まるなど、国際的に知名度も増してきている。90年代半ば、映画音楽の作曲家としてピアニストとしてどうあるべきか悩み停滞した久石譲は、その迷いを捨て、猛烈なる目的意識の中で燃えさかっている。日本映画のリーディング・コンポーザーが今、吠えた。

 

社会を反映できない曲を書き出したら終わりだな

久石:
「今年に入って、イギリスのバラネスク・カルテットという弦楽四重奏団を呼んで『Shoot The Violist』というソロアルバムを出したんです。これで非常に吹っ切れましてね。ああ、自分の代表作ができたなって。20代とか大学を出るところでね、こういう作曲家になりたいって思っていたことを20年かけて完成させたっていう感じかな。「ピアニストを撃て」という映画に掛けたタイトルなんだけれど、カルテットというのはヴァイオリンやチェロと違って、ヴィオラっていちばん埋もれがちになるんですね。カルテットの中では、弱者なんです。その弱者を撃てっていう反意語で使っていたものが、現実では17歳の子供がキレて弱者をねらってる。時代の最も悪い雰囲気を警鐘のように捉えられたアルバムになったなあって。これを作ったことで、自分の中で何かが吹っ切れましたよね。去年辺りまでクラシックなアプローチを極めてたりしたんですけれど、このままこの道を走るのかどうかすごく悩んだんですね。で、結果はそうじゃない道を選んだ。つまり巨匠じゃない道を歩んでいると(笑)。それがすごくよかったな、と。」

-再び時代に乗ってきたという実感なのではないですか。

久石:
「僕がいまいるポジションというのは、クラシックの前衛芸術家という立場ではないですね。あくまで町中の音楽、つまりポップス。自分のソロアルバムを買ってもらう、一般に映画で見てもらうというのが自分の原点だから、自分が完成されていくっていうことよりも、自分と社会の関係の方が大切なんですね。今みんなが生きていて苦しんでいることを反映できないような曲を書き出したときには終わりだなって、いつも思っているから。そういう自分の生き方を踏まえたINGで動いてるっていう自分が確認できたことがうれしいってことかな。それにスタンスに余裕ができましたよね。音楽を作る上で、あるいは映画の音楽を作る上で何が必要で、自分に何が欠けているのか、それがすごく分かるようになってきたということですね。」

-そこへ至る「もののけ姫」以後のアコースティックな傾向というのは、日本的な部分にこだわったということも含めて、意識的にやってこられたとしか思えないですが。

久石:
「非常に意識的にやりました。コンピューター上の打ち込みものでは、音楽を作っていくときの最低限必要な情報量が圧倒的に少ないんですよ。最初から分かっていたことなんだけれど、なおのこと、もうそのレベルではダメだということですか。「BROTHER」に関しては揺れ戻しで、戻ってるんですよね。打ち込みでしかできないエスニックな大パーカッションとフルオケとかね、そういうブレンドに入りましたから、そういう意味でならオケだけよりもスケール感は増しましたよね。」

-宮崎さんの新作で何らかの答えが出てくる可能性がありますね。そこを目標にしていませんか。

久石:
「あ、絶対ありますね。というのは、宮崎さんとは今度が7作目になるのでしょうか。一本やるたびに苦しみます、映画3、4本分くらいに。それをやってきて、そのたびに新しい方法なり、自分を発見してきていますから、やはり今のやり方、世界観でちょうど来年の夏の公開を目指す、そのあたりには確実に形になるな、あるいはしたいなって、素直に思いますよね。イメージアルバムは年内に作ります。そこでは40%くらいそれをお見せできるかな。」

-「BROTHER」のテーマ・リミックスを拝聴しますと、リズムの華やかさや仁義を感じさせるトランペットが非常に面白いですが、総じてカッコイイ曲になってますね。

久石:
「そうだね、いろんなことを考えていても、結果ね、出てくる音が自分たちにとって聴いてみたいかそうでないかっていうのは、映画音楽でも同じなんですね。あくまで画面で書いているから、劇を邪魔しない音楽の方が正しいっていう人がいるんだけど、僕はまったくそんなことを考えていないんですよ。壁みたいな音楽なんか書いてどうすんだいっていうのがある。音楽が鳴ることによって映像がもっと引き立つ、あるいはあえて違和感のあるものをぶつける、あるいは相乗的によくなる、何らかの形できちんと主張しなかったら、それは無駄な音楽ですよね。」

 

周りから撮らないかというお誘いがあって

-昨年亡くなられた佐藤勝さんなども映画音楽を掛け算で考えられていた節がありました。

久石:
「佐藤さんはね、僕が25歳のときにお手伝いをしていたんですよ。いわゆる弟子になったわけではなくて、一本の映画の中でテーマが4個あるとすると、そのうち一個を書いてアレンジして持っていく。だから佐藤さんのスコアを僕が手伝って書くとか、そういうことは一切なかったんですよ。あくまで助っ人のような感じで書いていたんですよね。「ルパン三世」の実写版とか「球形の荒野」とかね。本当に議論好きでね。いやもう、ずっといい先生でしたよね、気持ちの中では。」

-今年の日本アカデミー賞での久石さんの受賞スピーチをお伺いしますと、佐藤さんの跡を継がなければという覚悟を感じましたが。

久石:
「それはありましたね。日本の映画音楽の王道として、やはり早坂文雄さんが作られてきた映画音楽がありました。それを佐藤さんがきちんと継承してずっとメインでやってこられた。早坂さん、佐藤さんがおやりになったことを僕が継ぎますとは言い過ぎで自惚れた言い方になるのかもしれないけれど、あのとき壇上にいた僕を含めた優秀賞を受けられた方たち、あるいは今映画音楽を書いている方たちが、映画音楽の王道をきっちり守っていかなければならないって、そういう気持ちがすごく強かった。佐藤さんのね、クセの音ってあるんですが、ずいぶん影響を受けました。今書いていても、たまに「あ、佐藤さんだったらこう行くな」っていうのがある。もっとも佐藤さんによると「君は僕と全く違うものを書くなあ」っておっしゃっていたし、僕も「そうですよね」って返してましたが(笑)。不良息子がやっと家業を継ぐ気になったという感じかな。」

-久石さんの場合はピアニスト久石譲という側面をお持ちですし、大衆音楽への関心が強い。その意味では、映画音楽を大衆とつなぐ橋になる可能性を持っています。

久石:
「大衆性って、すごく大切なんですよ。僕は芸術作品を書いているわけではない。あくまでも今生きている人たちが何で音楽を聴くのかな、そのニーズと自分がやりたい音楽のせめぎ合いの中で、音楽家としていちばん必要である発言をしていく、それがやはり最も大切なんだと思うんです。その中で僕にとって映画音楽というのは欠かすことのできない世界なんですよ。」

-そうやってきた今、映画音楽家から映画監督へという流れは必然に映るのですが。

久石:
「映画監督について本当にはっきり言わなければならないのは、僕が自分からやりたいとは一言も言ってないの。宮崎さんとか北野さんとか、とんでもない世界的な人とずっとやってきているでしょ。そうして、「お前、俺の映画の音楽をやってきていて、こんなものしか作れないのか」と言われたら、アウトじゃないですか(笑)。ただ周りから撮らないかというお誘いがずいぶんあって、その中の一つが形になってきたときに、ここまで来たなら一本撮ってみようかなって思ったわけなんですけれどね。覚悟はできてます。今回は共同で脚本を書きました。書く側に回ることで、いかに柱とト書きと台詞だけで世界を作るのが大変か。それがよくわかったし、今まで相当脚本を読み込んできたと思っていた自分がずいぶん浅かったことに気付くわけです。反省しましたよね。これから映画音楽を作っていく上で想像以上の財産になりますね。タイトルは「カルテット」というんですが、弦楽四重奏団のお話なんです。大学時代にいいかげんに弦楽四重奏団を組んだ人間がコンクールを受けて大失敗して、それぞれ社会に出るんだけれど、挫折を死ぬほど味わって、もう一回再結成してコンクールを受ける、という話なんです。それともう一つは主人公の家族ですよね。家族崩壊をしている息子が親を分かっていく。同時に自分の音楽も豊かになっていく。難しいんですよ。初監督でこんなことやるなよって思ったんですけれどね(笑)。今の予定では夏にクランクインです。完成は秋くらいでしょうか。来年の春頃に公開する予定です。」

 

音楽家・久石譲とは何かをずっと考えてきた

-監督も経験して、今後21世紀の久石譲はどうなっていくのか。

久石:
「一言で言ってしまえば、久石譲の音楽とは何だったのか、証明したいということかな。音楽家・久石譲とは何かということをずっと考えてやってきたわけで、それに対する答えをちょっとでも出せれば…出るわけはないんですけれどね。出ないんだけれど、それを知りたい。映画音楽の中でそういうことを表現できるキャパシティって十分ある。」

-佐藤さんは「劇伴」という言葉を嫌ってました。

久石:
「僕も大っ嫌い。打ち合わせで劇伴って出た瞬間に「ああ、劇音楽はね」って、必ず言い直しをしてね、訂正させます。冗談じゃない。劇の伴奏なんてだれが書いているんだと。」

-なぜ映画音楽が面白いのか、一つにはその音楽が面白いからです。

久石:
「そうなんです。音楽としてつまらなくて、それが実は「劇伴」というやつなんですが、そんな単体で聴いたらつまらないものを何となく流しておくみたいな、そんな音楽なんてつけちゃマズイですよ。映画の音楽をやったことがある作曲家にね、「久石さん、映画の音楽って安いでしょう」って言いにくる人がいるんです。そのとき「あ、ごめん、俺、恐らく日本の映画の4、5本くらいの音楽予算がないとやらないから、決して安くないよ」って、はっきり言いますよね。「これはぜひ久石さんの音楽が欲しい。でも予算がなくて」なんてさ、それで役者の衣装に費用をかけたりするとさ、「こらっ」って、思うじゃないですか。だったら衣装の一つや二つ削って、音楽予算を作ればいいじゃないかと。例えば「内容さえよければ、どんなに低予算でも私はやります」っていえば、それは70点の回答なんだけれど、それって逃げてる言葉なんです。自分をカヴァーしているだけ。「安いものは基本的にやりません」って言う方が誠意があると思う。」

-それは久石さんを追い込み発言ではありますが、映画音楽ってお金が必要なんだという認識にもつながりますし、当然いい音楽を作るにはお金がいる。

久石:
「いります。シンセで後ろにちょこっと流しておこうという話でなければ、やはりちゃんとお金をかけなければいけない。もし僕が安いギャラで引き受けてしまったら、後に続く連中がもっと安くなってしまう。だれかが突っ張って言っていかないと、ほかの連中がもっとかわいそうになってしまう。自分が置かれた立場を考えると、責任感というものが少しは芽生えましたね。そういう意味では発言の場を作って、機会のあるごとに言っていかないと、日本の映画が豊かにならない気がするんですよ。自分自身がやりやすくなるためにも環境を作っていかなければいけないんです。」

(「キネマ旬報 2000年7月上旬 夏の特別号 No.1311」より)

 

 

Blog. 「Title タイトル 創刊 2000年5月号」 久石譲×田中麗奈 映画『はつ恋』 対談内容

Posted on 2018/10/03

雑誌「タイトル Title 創刊 平成12年 5月号」に掲載された久石譲・田中麗奈の対談です。映画『はつ恋』公開にあわせて組まれたものです。対談ではこの映画の音楽についてたっぷり語られています。

 

 

田中麗奈 × 久石譲
「存在感」

デビュー作『がんばっていきまっしょい』で世間をあっといわせた女優・田中麗奈。彼女の主演第二作となった映画『はつ恋』ではオルゴールのメロディが重要な鍵となる。その音楽を手がけたのが、今や日本映画になくてはならない作曲家・久石譲。『はつ恋』で映画音楽に魅せられた田中麗奈が果たした、久石譲との初めての出会い。

 

久石:
最初にいただいたお話は、この映画の中の実際のシーンで使われる楽曲を一曲作って欲しい、というものでした。

麗奈:
お母さん(原田美枝子)が大切にとっておきたオルゴールの音楽。映画全体を通してキーとなる曲ですね。

久石:
はい。でも、いろいろ話をお聞きしているうちにとてもいい内容だったので、楽曲一曲だけ提供するより、スタンスとして映画全体に関わりたいと思うようになった。僕は仕事を音楽監督という立場でお引き受けするようにしてるんです。どうしても、このご時世だと、いろいろなタイアップがついたりして、なぜかわからないけれどエンディングになると変な歌が流れたりする(笑)。でも、それはテレビに任せておけばいい。映画を作品として完成させるためには僕はそういうことは望まない。だから、『はつ恋』でも映画の中で流れる音楽は全て責任を持つという音楽監督という立場でお引き受けしました。麗奈さんは今回、出番が多くて大変だったでしょう。

麗奈:
そうですね。ほとんどのシーンでどなたかと共演しています。原田さん、真田(広之)さん、平田(満)さんたちベテランの方々にいい意味で引っ張ってもらいました。今までは考え過ぎてしまうところがあったんですが、今回はその時々の状況に素直に反応しよう、いい意味で受け身になろうと思ってました。

久石:
その受けるっていうのはよくわかる。考えてみたら大変な演技者ばかりだもんね。なおかつ、自分が主役だから他の人の上をいかなきゃならない。受け身を意識したというのは正しいでしょうね。あのぐらい演技のうまい人たちは出る時は出るし、引っ込む時は引っ込めるだろうけど、『はつ恋』では総じて控えめな演技をしている。真田さんは今まで出演された作品の中でベストの演技じゃないかな。どの作品よりも相当抑えてる。原田さんも抑えてる。それなのに、存在感がすごくある。不思議ですが、そういう時の方が存在感が出る場合があるんです。

麗奈:
久石さんの音楽もそうですよね。とてもシンプルなんですけど印象的。聞いてて不思議な感じがしました。気持ちいい音なのに、なんともいえないさみしい感じがしてくる。

久石:
主人公が17~18歳という設定だと2つの方向性が考えられるんです。一つは北野(武)監督の『キッズ・リターン』のような動的な感じ。そういう映画だとリズムを強調する。もう一つは『はつ恋』のような優しいイメージ。17~18歳の女の子の揺れる気持ちを出したかった。それで篠原(哲雄)監督と話し合ってシンプルな感じで行こうと。『はつ恋』って小粒だけどキラリとしたいい映画ですから、最初からピアノと分厚くない弦の世界で作るのが一番いいなと思ったんです。そういったイメージはとても作りやすい映画でした。

麗奈:
特に印象的だったのが原田さんと真田さんを再会させる約束の日の前夜のシーン。音楽を通して「明日。明日がいよいよ約束の日なんだ」と気持ちがどんどん高まっていくんです。音楽ですごく盛り上がるシーンでした。

久石:
あのシーン、トータルで6分あるんです。「ここは全部音楽入れて下さい」っていわれた時はちょっとめげましたが、あそこはもう、一番力をいれました。もちろん全部力いれてるんですけどね(笑)。あの6分の中で麗奈さんが真田さんの部屋から外に出て、ふっと見上げるシーン。あの麗奈さんの顔はベストショットだと思います。僕は女優さんの演技を見ていて、一番気になるのが目の強さなんです。俳優の存在感ってつまるところ目じゃないかなと思う。あのシーンの麗奈さんの目、存在感がとても強い。

麗奈:
すごくうれしいです。あれは夜中の撮影で本当に大変でした。寒い中スタッフみんなですごくがんばってできたシーンなんです。雨を降らせて、ライティングも凝りに凝って、撮る前からスタッフの方たちの熱気がひしひしと伝わってきました。私の気持ちを盛り上げるためにオルゴールを流してくれたり、演技に集中できるように準備時間とってくれたり。

久石:
それは画面にちゃんとでてるよ。

 

現場の熱気が生んだシーン
そして”恐怖”の初号試写

麗奈:
雨の中走ってカメラに寄らなきゃいけないシーンなんです。でも、走って来るとカメラがどこにあるかわからないんじゃないかって気になってたんです。そうしたらカメラマンさんが「大丈夫だ、俺に任せろ。俺が寄るから」って言ってくれて。とても熱い現場でした。だからそう言ってもらえてすごくうれしいです。涙でそうになっちゃいました。

久石:
みんなが一つになれるシーンがあるっていうのは映画を作ってて、とても幸せだよね。そういうのがないまま終わっちゃう映画もあるから。

麗奈:
今回(『がんばっていきまっしょい』で高い評価を受けて)「プレッシャーはありませんでしたか」ってよく聞かれるんですけど、賞がどうとか、そういうプレッシャーはなかったんです。ただ演じてると、ライティングも素晴らしいし、桜もきれいだし、音楽ももちろんいい。これはきっといいシーンになるはずだというシーンがどんどん増えてきて、『はつ恋』はいい映画になるはずだ、ならなきゃおかしいと思うようになったんです。そうなると今度は逆に自分の演技にプレッシャーを感じるようになって。完成して初めて見た時は、自分の演技しか見られなくて、かなり落ち込みました。がっかりして、もう見られないと思ったぐらいです。

久石:
それはよくわかる。僕もちょうど初号試写見たあたりってだめなんです。やっぱり自分の音楽中心に聴いちゃうから。「なんだボリュームが小さい」とか、「しまった、ここで音楽がいくんじゃなかった」とか、反省ばかりしちゃう。冷静に初号試写見たことってないですね。ほとんど反省してばかり。でも、みんなそうじゃないかな。自分が関わったものって半年とか一年ぐらい時間がたって、やっと冷静に全体が見えるようになる。

麗奈:
そうそう。私も半年たって、ようやく冷静になってもう一度見てみたら『はつ恋』をとても好きになったんです。もちろん、自分の演技に反省する点はあっても、とてもきれいな映画だなと思いました。

久石:
麗奈さん、今後はどんな役やってみたいですか?

麗奈:
私、シンガーの役をやってみたいんです。CDを出したいとかそういうのではなくて、ライブが好きなんです。限られた時間の中で自分のパワーを使い切って、自分を全部出す。見ている人が鳥肌立つくらいに興奮や感動を体で感じる。そういうのがとてもかっこいい、気持ちよさそうっていう、ただそれだけの理由からなんですけど(笑)。

久石:
コンサートって大体2時間ぐらいじゃないですか。その2時間、集中してパワーを出しきるってとても楽しいと思います。舞台もそうなんじゃないかな。ぜひシンガーの役やってみてください。

麗奈:
はい。あと、アクションもやりたいんです。格闘的なことをやってみたい。『マトリックス』を見てからなんですけど。

久石:
『マトリックス』いいよね。僕はレコーディングにいったシアトルで見たんです。でも、ストーリーも結構難しいし、全部英語だったから、ちょっとわからなくて。それで日本の試写会で見て、後でもう一回、自分でお金払って見に行きました。3回も見ちゃった。

麗奈:
おもしろいですよね。アクションやりたいと思うようになったのは実はキャリー=アン・モスを見て憧れたからなんです。

久石:
ウォシャウスキー兄弟の作品は『バウンド』もむちゃくちゃおもしろかった。すごいなあと思ってたらやっぱりきましたね。

麗奈:
久石さん、映画をお撮りになりたいっていうお気持ちはないんですか?

久石:
ふー(苦笑)。自分から撮りたいと言ったことはありません。自分にとってすごいプレッシャーになのはやっぱり日本で一番のヒット作を作った監督(宮崎駿監督)と世界で賞をとった監督(北野監督)と一緒に仕事をしてるじゃないですか。あの二人が見て、「なんだ、こんなもんか」って言われるのが一番しゃくなんです。そうするとやっぱり、「いいんじゃない」って言われる水準の作品を作れるかどうかが問題ですから。その自信がついたら、いつでも。その節は麗奈さん、よろしく(笑)。

麗奈:
こちらこそよろしくお願いします。

(タイトル Title 創刊 平成12年 5月号 より)

 

 

はつ恋 オリジナル・サウンドトラック

 

 

 

Blog. 書籍「NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体3 遺伝子・DNA 6」久石譲 音楽制作ノート

Posted on 2018/10/01

1999年放送 NHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体III 遺伝子DNA」の音楽を担当していた久石譲。これはその書籍版ともいえる「NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体3 遺伝子・DNA〈6〉パンドラの箱は開かれた―未来人の設計図」大型本に収載されたエッセイです。

全人体シリーズの音楽を手がけ、第1シリーズ・第2シリーズの音楽的振り返り、そして第3シリーズの音楽制作の過程。それは音楽制作現場というよりも、むしろその前段階、久石譲の音楽アプローチに至るまでの思考の過程です。このように取り扱うテーマに対して考えをめぐらせる具体的過程やその内容を知れることも貴重です。そしてそれらがどう音楽として置き換わったのか、聴き手は深いところでその音楽を受けとることができるように思います。

 

 

「Gene・遺伝子」 音楽制作ノート 久石譲

NHKサイエンス・スペシャル「人体」は第1シリーズから音楽を担当している。それぞれ6作ずつあり、今回の第3シリーズを入れれば全18作になる。我ながらずいぶん書いたと思う。

第1シリーズの「人体」はピアノとオーケストラを中心に構成した。実はCGが多いと聞いてテクノ系の音楽を考えていた。が、精子が卵子に飛び込む顕微鏡撮影の映像を見て考えを変えた。精子がいくつかのグループに分かれ、天の岩戸の前よろしくたむろしていた。何やら話し合っている風でもあるそれらは、どこにでもある学校のクラスを彷彿させた。そのうちに元気のいい、いわばガキ大将のような威勢のいい精子がその岩戸に突入する。が、次々に玉砕する。するとクラスによくいる眼鏡をかけたガリ勉型のひ弱な感じの精子が、するすると抜け出してすんなりと岩戸卵子の壁を突入して侵入に成功した。人間社会の縮図のような光景に感動した僕はヒューマンなアコースティックな方向に音楽を切り替えた。

第2シリーズ「脳と心」は、ヒューマンドキュメントとしての側面が強く打ち出されていて、それぞれ6作の内容が脳に障害を持った人たちを主人公にしていて、科学的な解明とそれをどう乗り越えていったかを丁寧に描いた力作だった。そこで僕は内容自体がヒューマンなぶんだけ、音楽的には客観性を持たせるためハウスミュージック的なリズムを全面に出した音楽を作った。感動的な内容に感動的な音楽をかぶせるほどつまらないものはないからだ。オープニングの不可思議なボーカルも僕自身である。

そして第3シリーズ「遺伝子」が始まった。はじめは順調だったレコーディングはテーマ曲のところで大きくつまずいた。遺伝子をイメージできないのだ。様々な関係本を読み、過去のシリーズの音楽を聴いたりしたが、遺伝子のテーマ曲の輪郭は、ますます遠く霞の彼方に行ってしまった。

「遺伝子という言葉を聞くと僕は身構える。情緒の入り込む余地のないこの言葉が、人間の最小単位だと言われても(頭では理解しても)何処か得体の知れないエイリアンの存在を思わせて僕を落ちつかなくさせる」。こんな言葉が僕の制作ノートに書いてあった。

また、「遺伝子はデオキシリボ核酸(DNA)という化学物質でできていて、ちょうど『らせん階段』のような構造をしている。DNAのすべてが遺伝子ではない。人のDNAは30億塩基体あり、遺伝子は約10万個で1個の遺伝子は約2500塩基体だから、単純計算すると遺伝子はDNA全体の約8パーセントに相当する。塩基は4つあり、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)と呼ばれている」とも書いてあった。創造的なイマジネーションとはかけ離れているところに、創作が順調にいっていない事が読みとれる。

また別のノートには「音楽を聴かせて育てた栽培作物、特にトマトは甘くなる。どうやら遺伝子に働きかけるらしいのだが、特にモーツァルトが効果的だ」。この説に僕は興味を持った。我が仕事の領域である音楽はそんなに力があるのか、しかも遺伝子に! ……しかしこの説はアメリカのある大学での実験で否定された。「特別モーツァルトが効くわけではない」。ということは、甘くなることに音楽が関与すること自体を否定してはいない。よかった。でも大の大人が何人もトマトを前にモーツァルトを流している構図なんてなかなか微笑ましいではないか。

続いてノートにはこう書いてあった。「DNAの配列を音に置き換えたメロディーがある。フランスの研究者がそのパテントを持っているらしい」。ある大学教授から聞いたこの話には興奮した。耳から入った音楽は、電気信号に変わって脳に伝わり音として認識される。その脳を司るのが遺伝子ならば、音楽が遺伝子に働きかける事もできるかもしれない。何やらSF的サイコサスペンスになってきた。これで映画が一本作れるではないか。僕の創造的イマジネーションが活発に動き出した。

SFと言えばコンピューターを扱ったものが最近多い。コンピューターは0(ゼロ)と1(いち)の世界だけでできている。遺伝子はA、T、G、Cの4つの組み合わせの世界。その組み合わせで意味を持つ。何か共通するものがあるかもしれない。

「2001年宇宙の旅」ではHALというコンピューターの暴走、今年公開された「マトリックス」は、仮想現実を作り出し、人間を支配するコンピューターの話だ。つまり0(ゼロ)と1(いち)の世界が意志を持ち、人間に作り出されたのに人間に反旗を翻し逆に支配しようとする話だ。だとしたら、コンピューターより、2つも要素が多く(かなり乱暴な発想だ)セルフィッシュジーン=利己的遺伝子と呼ばれるくらいなのだから、遺伝子が人間の意志を支配しようとしたとしてもおかしくはない。人間が遠く及ばない大いなる存在が、戯れに4つのさいころを振ってできたものだと言われても僕達は笑えるだろうか?

ちなみにDNAや遺伝子をあつかった映画は内外を問わず成功していない。おそらくそれを物語としての映像にするところで無理があるらしい。僕の夢は急速にしぼんだ。

「人が離婚するのも遺伝子の中にその因子が組み込まれているからであり、太るのも酒に強いかどうかもすでに組み込まれている」。このノートに書き込まれた言葉が本当だとすると人はどうすればいいのか? 人殺しの悪人も、泥棒も、法廷で「全部遺伝子の仕業です。私は嫌だと言ったのに遺伝子が勝手に私の体を動かしたんです」なんて言ったりする。すると裁判長は「遺伝子に懲役15年、本被告人は執行猶予に処す」と判決を言い渡す。この場合、刑務所はどう対処するのか? 考えただけでも眠れなくなりそうだ。

眠れないと言えば、実は僕は不眠症だ。どんなに徹夜状態の激しいレコーディングが続いても眠れない。これも遺伝子のせいなのか? だとしたら僕はもう眠る努力をしない。いや、眠ることだけではなく、全ての生きていくための努力をしなくなる。どうせ生まれたときから自分は決まっていて、たぶん一生もがき苦しんでも、ほんの少ししか変えられないのなら……。まずい、これはまずい。遺伝子に関する事柄が僕たちを後ろ向きにさせるのは、単に体を作っているということではなく、その精神あるいは人間のアイデンティティーまで影響を及ぼしているからに他ならない。

人は人であるために哲学を学んだり、いかに生きるかを考える。しかるに、もがき苦しんでいる自分たちを遺伝子はいとも軽々と超え、もっと上の意志を感じさせる。人間をも支配する何か……、それを人は神というなら遺伝子はまさしく神ではないか。遺伝子という神の言語を翻訳して人は豊かになれるのだろうか?

かつて構造主義が「我思う、ゆえに我あり」的な個人主義としての思想から脱却しようとして失敗したが、遺伝子は軽々と人間の存在としての哲学を乗り越えてしまうかもしれない。これは人間に対する挑戦でもあり、人間という存在に対する新たな問いかけでもある。その時、音楽はどう人と関わっていくのか? そんなことを考え出すと、もうテーマ曲を作っているどころではなくなってしまった。

かつてコンピューター(正確にはICか?)が現れたとき、人間の思考のプロセスに発生する膨大な情報を処理することで、大きく社会の構造が変わった。いや、今でも変わりつつある。そして遺伝子、この人類に仕掛けられた2つのウィルスは人類を豊かにするかもしれないし、破壊する爆弾かもしれない。いずれにしても、もう人類は地雷を踏んでしまった。ここで止まることはできない。今現在の中途半端さではクローン牛を作ったり、癌の治療に使ったりするしかない。もっと凄まじいこと、例えばその研究が間違って人類を滅ぼすようなことがあるかもしれない。だから我々は全て知らなくてはいけない。

しかし、いくら遺伝子が解明されても人間の全てが解明されるとは思わない。例えば音楽が与える感動は解明されるのだろうか? 脳の中でどういう物質がどこに働きかけると感動するかは解明できても、何故良い音楽を聴いたらそういう物質が出るかまでは予測は出来ても解明されることはないだろう。全ての遺伝子、DNAが解明されてもまだ分からないもの、それが人間本来のアイデンティティーではないのだろうか?

後日、僕はテーマ曲を作った。それは第1シリーズと同じアプローチのヒューマンな人間賛歌だった。

(書籍「NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体3 遺伝子・DNA〈6〉パンドラの箱は開かれた―未来人の設計図」 より)

 

TV放送全6回に併せて、書籍も全6冊あります。久石譲音楽について掲載されたのはここにご紹介した(6)のみになります。

 

 

久石譲 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体 Vol.1』

 

久石譲 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体II 脳と心/BRAIN&MIND サウンドトラック Vol.1』

 

久石譲 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体III〜遺伝子・DNA サウンドトラックVol.1 Gene』