2014年3月12日 CD発売 UMCK-1473
1984年3月11日に公開された「風の谷のナウシカ」から30年。
久石譲が再編曲した名曲達をまとめた初のジブリ・ベストセレクション!
久石譲は当初、レコード会社からの提案に「過去を振り返るのは嫌いなので作りたくなかった」と感じたそうだが、「出来上った盤を聴いてみると、これはこれで一つの世界があり、納得できた」とコメントしている。ソロアルバム用に録音してきた編曲の中から、ピアノをメインにリアレンジされた楽曲、ロンドン交響楽団が演奏した「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」など13曲を収録。
ジブリ映画を彩った名曲達を久石譲が再編曲・プロデュースした作品を集めたベストアルバム! 公開30周年(2014年時)を迎える『風の谷のナウシカ』から『崖の上のポニョ』まで、初CD化音源も含めた、ジブリ映画音楽の決定盤。
30年という時間
僕が宮崎さんと一緒に仕事をするようになって、30年という時間が過ぎた。本当は宮崎駿監督とお呼びしなければいけないのだが、彼の明るく飾らない人柄のせいか、周りの人や僕は宮崎さん、あるいはもっと親しい人は宮さんと呼んでいる。
『風の谷のナウシカ』から最新作『風立ちぬ』まで10作品、そのひとつひとつに制作上のドラマがあり、葛藤があり、真の喜びがあった。そのエピソードを語るつもりはない。が、世界中の人たちに観ていただき、音楽を聴いていただいたということは、結果として宮崎さんの作品に少しは貢献できたものとして安堵しているし、心から感謝している。
このアルバムは、その30年間に僕のソロアルバムとして制作してきた中から、宮崎さんの映画のために書いた曲を集めたものである。ピアノを中心に、アルバムごとのコンセプトに即してリアレンジしたものなのでサウンドトラックとは違う。だが、どんな状況でも(オーケストラの演奏でも、ピアノ一台でも、あるいは街を歩いている子供の鼻歌でも)そこには宮崎さんがいて僕がいる。そのような強い楽曲を作れたのはもちろん僕の力だけではなく、多くの関わった人たち、特に鈴木敏夫さんの力がなければできなかったであろう。
過去を振り返るのは嫌いなのでこのようなベストアルバムは作りたくはなかったが、レコード会社の強い要望で(最近ソロアルバムを作っていないので)出すのを了承した。
だが、出来上がった盤を聴いてみると、これはこれで一つの世界があり、存在していいものだと納得した。多くの関係者に感謝する。彼らがいなかったらこのアルバムは存在しなかった。
そして僕はというと、ピアノの音と音の間の沈黙から30年という時間の流れにのって宮崎さんの満面の笑顔が浮かんでくるのを観てニンマリとしているのである。
久石譲 -ライナーノーツより
ピアノ、ミニマル、オーケストレーション
宮崎駿監督作における久石譲の音楽について
今から30年前の1984年3月11日に公開された宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』で、久石譲は映画音楽作曲家としての第一歩を踏み出した。それ以前の彼は、テリー・ライリーやスティーヴ・ライヒといったアメリカン・ミニマリズムの作曲家やドイツのクラフトワークに刺激を受けた、彼独自のミニマル・ミュージックの可能性を模索する作曲活動を地道に続けていた。ミニマル・ミュージックとは──『MKWAJU ムクワジュ』(1981)や『INFORMATION』(1982)といった彼の初期のアルバムに聴かれるように──シンプルなリズムパターンを繰り返し、時には拍をずらすことによってパルス(=拍動、脈動)の存在を聴き手に強く意識させる音楽である。アフリカやインドの伝統音楽に見られるような、音楽を最小限(=ミニマル)の構成要素から組み立てていく手法をとるので、フレーズやメロディを中心に発展してきた西洋音楽史全体に挑戦状を叩きつけることに繋がりかねない。そんな過激な姿勢を貫く日本人作曲家は、1980年代初頭の時点で久石以下ごく少数しか存在しなかったし、ましてや、それを劇映画の音楽に応用しようなどと無謀なことを考える作曲家は、世界中見渡してもほとんど存在しなかった。
そんな彼の『INFORMATION』が高畑勲監督と鈴木敏夫プロデューサーの目に留まったことで、久石は『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムを録音することになり、結果として『風の谷のナウシカ』の本編そのものの音楽も手がけることになった。
では、実際に久石は『風の谷のナウシカ』をどのように作り上げたのか?
まず彼は、ピアノという楽器でメインテーマ──《風の伝説》の曲名で知られている──のメロディを導入する。当時の一般的な観客が予想し、期待したであろうヴォーカルを一切用いることなく、である。しかも、そのメロディの冒頭部分は、当時のポップスのトレンドに真っ向から対抗するように、コード進行をほとんど変えず、ストイックに提示される。そして本編の物語が進むにつれ、久石はシタールのようなインドの民族楽器から後期ロマン派風のオーケストラにいたるまで、死力を尽くしてありったけの音色を投入するのだ。実験的なミニマル・ミュージックと商業用の映画音楽という、ある意味で対極的な二項対立の狭間に立たされた久石は、自己のアイデンティティを殺すことなく、ギリギリのところで壮大な音楽ドラマを書き上げてみせた。そうした彼のストイックな音楽的姿勢が、ナウシカというヒロインの壮絶な生きざまに重なって聴こえたのは、著者ひとりだけではないだろう。そして、その後30年にわたって彼が書き続けることになる宮崎作品の音楽の原型が、『風の谷のナウシカ』の中にすべて含まれていると言っても過言ではないのだ。
メロディの導入にあたり、演奏家としての久石の力量が遺憾なく発揮されるピアノ(1)。音楽の構成要素を最小限まで切り詰めていくミニマル的な手法(2)。そして、多種多様な楽器やアンサンブルを駆使していくオーケストレーションの多様性(3)。『風の谷のナウシカ』の音楽を特徴づけるこれら3つの要素は、時には単独の形で、時には三位一体の形で、宮崎作品の重要なエッセンスを表現していくことになる。そのエッセンスが何かと問われれば、おそらく次のように要約することが出来るだろう。
久石自身の演奏楽器である(1)のピアノは、メロディを生み出す母体となることで、物語における叙情的な要素──とりわけ宮崎作品のヒロインたち──を強調する役割を果たす。これに対し(2)のミニマル的な手法は、リズムパターンを剥き出しにする場合に、根源的な生命(力)の存在──『となりのトトロ』の雨中のバス停の場面が有名──を示すことが多い。そして(3)のオーケストレーションの多様性は──フランス印象派を思わせるダイナミックな三管編成を駆使した『崖の上のポニョ』が端的に示しているように──宮崎監督の世界観の確立に貢献する役割を果たす。仮に(1)のピアノを”女性的”な要素、(3)のオーケストレーションを”男性的”な要素、(2)のミニマルを久石自身の”生命”、と読み替えてみるならば、少し飛躍があるかもしれないが、このように結論づけることも出来るだろう。すなわち宮崎作品における久石の音楽は、(1)ピアノという”ヒロイン”の”君をのせて”、(3)オーケストレーション(オーケストラ)という”ヒーロー”が奏でていく、(2)ミニマルという”生命”から生まれたドラマなのだ。
そのドラマにおいて、特にヒロインが恋に落ちる時、彼女たちがピアノのメロディと共に登場するのは決して偶然ではない。謎の少年・ハクに惹かれる『千と千尋の神隠し』の千尋。魔法使いハウルを愛し続ける『ハウルの動く城』のソフィー。身を削って夫・二郎への愛を貫く『風立ちぬ』の菜穂子。彼女たちの存在感が大きくなるにつれ、メロドラマ的な要素が物語に占める割合も大きくなっていく。ここで想起しておきたいのは、そもそもメロドラマという言葉が古代ギリシャ語の「メロス(歌)」と「ドラマ(劇)」を語源としているという点である。そうした根源的な意味において、久石のピアノのメロディは”ヒロイン”という女性的な要素と結びついていると見るべきだ。つまり、宮崎作品におけるメロドラマとは、文字通り「歌(メロディ)による劇(ドラマ)」なのである。
本盤『ジブリ・ベスト ストーリーズ』には、久石が宮崎作品のために書いた楽曲をソロアルバム用にアレンジし直した演奏が収録されているが、サントラのアレンジに比較的近いものもあれば、アルバムのコンセプトに沿って大胆にアレンジし直されたものもある。ここで是非とも確認しておきたいのは、そもそも久石の映画音楽は──映画公開以前に録音されたイメージアルバムの中で表現されているように──先に触れたようなエッセンスを直接的に表現するところから作曲がスタートしているという点だ。個々の場面に後付けする伴奏とは、発想の出発点が根本的に違う。別の言い方をすれば、映像と音楽は協調関係(対位法的な対立関係を含む)を結ぶことはあっても、主従関係に陥ることはない。つまり、音楽が特定の映像に縛られないので、映画が完成した後も、さらに音楽が発展する余地が残されている。と同時に、それらの楽曲が映画とは異なる文脈でアレンジされることで、サントラを聴くだけでは判らなかった潜在的な意味が浮かび上がってくる。だからこそ、彼が宮崎作品の音楽をリアレンジし、演奏する必然性が生まれてくるのだ。
以下の楽曲解説は、そうしたリアレンジの文脈も知っていただきたく、敢えてCDをの収録順とは異なり、出典元となったソロアルバムの録音年代順でお読みいただくことにした。そのほうが、本編とは異なる世界観を表現したオーケストレーションの醍醐味と、アーティストとしての久石が辿った30年の変遷が、明瞭に浮かび上がってくるからである。
『Piano Stories』(1988)より
4.The Wind Forest
6.Fantasia (for NAUSICAÄ)
ミニマル作曲家・久石が、旋律作曲家としての自己を強く意識し始めた時期のアルバム。ミニマル風の前奏の後、日本音階のメロディが続く《The Wind Forest》(風のとおり道)は、その意味で極めて象徴的な楽曲と言えるだろう。一方の《Fantasia (for NAUSICAÄ)》は、先に触れた《風の伝説》を幻想曲としてリアレンジしたもの。久石が著者に語ったところによれば、この時期の彼のピアノのタッチは、高校時代から敬愛するジャズ・ピアニスト、マル・ウォルドロンの影響を強く受けていたという。
『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』(1998)より
7.il porco rosso
イタリア・モデナで録音された『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』は、『紅の豚』で描かれたアドリア海の陽光と青空を久石に懐古させる、注目すべき成果をもたらした。イメージアルバムの段階で《マルコとジーナ》というタイトルが付けられていた《il porco rosso》(帰らざる日々)は、後半部分にストリングスを加えることで、原曲以上にノスタルジックなジャズへと生まれ変わり、ホテル・アドリアーノに漂う”大人のロマン”を優雅に演出している。
『WORKS II』(1999)より
11.もののけ姫
宮崎作品のサントラ録音で初めて常設の交響楽団(東京シティ・フィル)を起用した『もののけ姫』以後、久石は大編成を用いた演奏に意欲を燃やし始める(その論理的な帰結が、2000年から始める彼の指揮活動だ)。有名なヴォーカル盤では、ケーナや篳篥といった民族楽器を隠し味として使っていたが、この東京シティ・フィルのライヴではそれらを排除し、伝統的なオーケストラサウンドの枠内で『もののけ姫』の世界観を再現している。
『ENCORE』(2002)より
12.アシタカとサン
久石初の全曲ピアノソロアルバム『ENCORE』は、マイクの設置場所にミリ単位までこだわった入魂作。”破壊された世界の再生”を描く、『もののけ姫』の重要なラストにおいて、久石はそれまで鳴り続けていたオーケストラを止め、シンプルなピアノだけで希望のメロディを奏でてみせた。その意味では《風の伝説》と対をなす楽曲と言えるかもしれない。
『Castle in the Sky』(2002)より
3.Confessions in the Moonlight
『天空の城ラピュタ』の北米版のために、久石が本編全体のスコアをリアレンジ・追加作曲し、シアトルの教会で録音した演奏から。オリジナル版の電子楽器を排除し、豊かなオーケストラサウンドにこだわって宮崎作品の世界観を再構築していくという点では、先に触れた《もののけ姫》の方法論の発展と見ることも可能だ。冒険活劇といえば長調の明るいメインテーマ、というハリウッド的な常識に真っ向から反旗を翻すように、『天空の城ラピュタ』のメインテーマ《君をのせて》は変ホ短調で書かれている。その表現の奥深さを示した例のひとつが、飛行船の上でシータがパズーに不安を打ち明ける場面の《Confessions in the Moonlight》(月光の雲海)だ。空間の響きを活かした久石のピアノソロが、オリジナル版以上に《君をのせて》の旋律をしっとりと浮かび上がらせている。
『空想美術館』(2003)より
5.谷への道
フルオーケストラとチェロ九重奏の演奏を交互に並べた野心作『空想美術館』収録の《谷への道》は、もともと『風の谷のナウシカ』イメージアルバムのために作曲された楽曲。のちにチェロ独奏を前提とした《ナウシカ組曲》の第5楽章に組み込まれた。独奏部分だけでなく、伴奏部分まですべてチェロの音色に統一するという発想は、作曲家ヴィラ=ロボスの《ブラジル風バッハ第5番》チェロ八重奏の先例を彷彿とさせるだけでなく、ミニマル作曲家ライヒのカウンターポイントシリーズ(チェロ9声部で書かれた《チェロ・カウンターポイント》など)にも通じるところがある。なおかつ、ここでのチェロ九重奏の大らかな響きは、『風の谷のナウシカ』の豊かな世界観と何ら矛盾をきたしていないのだ。
『Piano Stories Best ’88-’08』(2008)より
10.人生のメリーゴーランド -Piano Solo Ver.-
『ハウルの動く城』は、スコアのほぼすべてをワルツ主題とその変奏だけで押し通す久石の音楽設計が、そのまま宮崎監督の演出意図を表現したユニークな作品。ここに聴かれる演奏では、前半がワルツのテーマ、後半にその変奏を聴くことが出来るが、ヒロインのソフィーも同様に──ハウルへの変わらぬ恋心を抱きながら、18歳から90歳まで年齢が変化し続けるという点で──”主題と変奏”というべきキャラクターなのだ。
『Another Piano Stories ~The End of the World~』(2009)より
8.Ponyo on the Cliff by the Sea
『崖の上のポニョ』公開後にピアノ、チェロ12本、コントラバス、マリンバ、打楽器、ハープ2本という編成によるツアーと連動して録音されたアルバムから。伝統的な管弦楽法からは絶対に思いつかない発想だが、チェロのピツィカートとマリンバの倍音が生み出すユーモラスな響きは、不思議とポニョのイメージに合う。宮崎作品のエッセンスを的確な音色で表現していく、久石のオーケストレーションの凄さが現れた演奏のひとつ。
9.海のおかあさん(CD初収録)
『崖の上のポニョ』本編では1コーラスしか聴くことの出来なかったオープニング主題歌を、今回初めて2コーラスのフルヴァージョンで収録したもの。”母なる大地”ならぬ”母なる大海”と読むことができるグラン・マンマーレは”母性”そのものというべき存在である。それを表現するため、久石はクラシックのソプラノ歌手(林正子)を起用した。彼女が歌うベルカントの豊かな声量は、”母性”の象徴であると同時に、広大な海の象徴でもある。
『Melodyphony』(2010)より
1.One Summer’s Day
2.Kiki’s Delivery Service
13.My Neighbour TOTORO
2009年のアルバム『Minima_Rhythm』に続き、久石がロンドン交響楽団を指揮したアルバムから。《One Summer’s Day》(あの夏へ)と《Kiki’s Delivery Service》(海の見える街)は、それまでの日常と異なる世界──『千と千尋の神隠し』の場合は湯屋の町、『魔女の宅急便』の場合は大都会コリコ──に足を踏み入れようとするヒロインが、そこはかとなく感じる期待と不安を表現しているという点で、対をなす2曲と言えるかもしれない。しかも、《Kiki’s Delivery Service》のリアレンジでは久石のピアノソロがメロディをくっきりと演奏しており、《One Summer’s Day》のニュアンスに富んだピアノソロと見事な対照を生み出している。
そして《My Neighbour TOTORO》(となりのトトロ)は、組曲《オーケストラストーリーズ 「となりのトトロ」》の終曲を演奏したもの。近年はクラシックの古典曲を積極的に指揮している久石にとって、ロンドン響での録音は大きな意味があった。ロンドン響はクラシックの超一流オケである以上に、ライヒやジョン・アダムズといったミニマル作曲家の演奏で比類なき能力を発揮するオケなのだ(つまり、世界で一番ミニマルを理解しているオケ)。《My Neighbour TOTORO》のコーダ部分に聴かれる圧倒的な歓喜の音楽は、ミニマル・ミュージックの作曲家、宮崎作品の作曲家、そしてクラシックの指揮者という久石の3つの側面が統合された、ひとつの到達点なのである。(文中敬称略)
前島 秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター) -ライナーノーツ・楽曲解説より
1. One Summer’s Day (千と千尋の神隠し)
2. Kiki’s Delivery Service (魔女の宅急便)
3. Confessions in the Moonlight (天空の城ラピュタ)
4. The Wind Forest (となりのトトロ)
5. 谷への道 (風の谷のナウシカ)
6. Fantasia (for NAUSICAÄ) (風の谷のナウシカ)
7. il porco rosso (紅の豚)
8. Ponyo on the Cliff by the Sea (崖の上のポニョ)
9. 海のおかあさん 歌 / 林 正子 (崖の上のポニョ) *初CD化
10. 人生のメリーゴーランド -Piano Solo Ver.- (ハウルの動く城)
11. もののけ姫 (もののけ姫)
12. アシタカとサン (もののけ姫)
13. My Neighbour TOTORO (となりのトトロ)
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