Disc. 久石譲 『風立ちぬ サウンドトラック』

2013年7月17日 CD発売

2013年公開 スタジオジブリ作品 映画「風立ちぬ」
監督:宮崎駿 音楽:久石譲
演奏:読売日本交響楽団

宮崎・久石コンビ最後の長編作品。本作はサントラ盤のみが制作された。映画本編はモノラルだがCDはステレオ収録。

読売日本交響楽団によるフルオーケストラ演奏ほか、バラライカ・マンドリン・バヤン・アコーディオ等の民族楽器での楽曲も印象に残るサウンドトラック。荒井由実の歌う主題「ひこうき雲」も収録。録音は2013年5月。

 

 

「まずは、オーケストラを小さな編成にしたことです。宮崎さんも「大きくない編成が良い」と一貫して言っていました。それから鈴木プロデューサーから出たアイデアで、ロシアのバラライカやバヤンなどの民族楽器や、アコーディオンやギターといった、いわゆるオーケストラ的ではない音をフィーチャーしたことです。それによっても、今までとは違う世界観を作り出せたんじゃないかと思います。」

「オープニング曲は、飛行機が飛び立つまでは、ピアノがちょっと入るくらいで、あとは民族楽器だけです。大作映画では、頭からオーケストラでドンと行きたくなりますけど、それを抑えたのが凄く良かったですね。二郎の夢の中なので、空を飛んだとしても派手なものになるわけではないと、宮崎さんは言っていましたし、僕としても、観る人の心を掴むオープニングに出来たと思っています。この曲があったから、映画全体の音楽が「行ける!」と感じました。」

「モノラルは一カ所から音が出るから、それぞれの楽器の微妙なバランス調整が必要になるんです。通常よりも細かい作業が必要で、不眠不休の状態が続きました。でも左右が無く、遠近だけというところに面白さがあって、上手く行くとパァッと音の空間が広がるんです。やっぱりレコーディングの基本はモノラルにあると思いました。良い経験をすることが出来ました。」

「効果音というのは、普通は人間の生理とは無関係の音なんです。でも、それを人間が口で作ると生理的な音になって、音楽に割り込んで来る。そこは宮崎さんとも話をして、色々調整しました。最終的には効果音も加工が入ってシンプルになり、音楽、セリフと調和して良い感じになったと思います。ここでも、モノラルで音の出どころを一点に集中したことが良かったですね。」

Blog. 久石譲 「風立ちぬ」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)

 

 

「自分と映画が同化するくらい真剣になって書くようになったんですよね。音楽家として映画に携わったというスタンスよりも、自分が映画の一員になり、監督の分身になるくらいに入り込む。以前は音楽家としての野心みたいなものも強かったけれど、『悪人』(2010年)以降かな、引くことを覚えた。映画と音楽が一体化したとき、どう観客に訴えかけるか、どう伝えるかを中心に考えるようになったんです。音楽はドレミファソラシドと半音を足して、12個の音の組み合わせでしかない。それにリズムとハーモニーでしょ。しかも映画音楽では調性やメインテーマが求められるわけだし、映像やセリフ、効果音などとのバランスや制約もある。やれる範疇が決まってるんです。非常に限定されているなかでオリジナリティを出すのは、本当に大変な作業なんですよ」

Blog. 久石譲 「風立ちぬ」 インタビュー月刊ピアノ2013年8月号より 抜粋)

 

 

「結構苦しみましたし、大変でした。というのも、今までのファンタジーとは違って、今回は実写に近い。そういう場合、テーマ曲はどうあるべきなのかをつかむまでに時間がかかった」

「宮崎さんの作品は世界中の人が待っていますからね。音楽にも格が必要だと思っていたので、今回もですが、ホール録音が多いんです。でも、『今回は大きくない編成がいいんだ』というので、そのスタイルを切り替えた。これはかなり難しかった。オーケストラにはないものをフィーチャーし、結果的に一番小さい編成になった。今までとは違う世界観を持ち込んだつもり」

「作曲というのは点ではなく線。一つの仕事をすると、必ずやりきれなかったことや反省が出てくる。弦の使い方が良くなかったなとか、ちょっとうるさく書きすぎた、とか。それを次の作品でクリアしていく。クリアしても、次の問題が出てくる。宮崎さんの作品はほぼ4年に1度。オリンピックのようなもの。節目節目でクリアしなければいけない課題が出てくるんです」

Blog. 久石譲 「風立ちぬ」 インタビュー スポーツ報知特別号より 抜粋)

 

 

久石:
あとね、実はドルビー・サラウンドっていうのは劇場の中でも真ん中の数メートル以外関係ないんですよ。(4人だけ、)そこで聴かない限りは完全なサラウンドってわからないんですよ。どちらかによっちゃうから。ところがモノラルって一番隅でも一番前でも後ろでも右でも左でも、まったく同じなんですよ。だからそういう意味でいうと、モノラルっていうのは本来、実は「ナウシカ」がモノラルだったですよね公開、でもそんなの誰も感じない、すごくいいんですよ。ところがその技術がもうなくなっちゃって、モノラルレコーディングを全然体験していない人たちでモノラルを作るわけだから、これ逆に言うと非常に労力がかかる。だってその技術は廃れてなくなってたはずなんだよね、それをあえてモノラルでいくってなると、そのための準備がまたすごくかかった。(効果音には人の声も使った)ちょっと音程があったんで一部直してもらったんですよね。声でやっちゃうとどうしても音程が出ちゃうところがあったんで、直してもらって、それで全体がわりと音楽となじむようにしてもらうっていう経過はあります。

久石:
(バラライカ、バランなどの民族楽器を使ったのは)これは鈴木さんのアイデアなんですよね。「ドクトル・ジバゴ」でしたっけ、ちょっとね全体にああいうロシア的な匂いをさせたらどうかみたいな話があって。僕も、大きい大河ドラマのように動いてる話なんだけど、個人にスポットを当てるような話なので、そこで翻弄されるでもなく、ちゃんと自分を保ってる個人の人間にスポットを当てるっていったときに、音楽はどういうところに焦点絞るかなっていうところで、それはわりと鈴木さんとよく話し合いましたね。で、ちょっとロシア調にしようか、みたいなのはちょっとありました。

鈴木:
宮崎が好きだと思ったんですよ。音色に弱いから(笑)。

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- より抜粋)

 

 

 

いつもの品格あるジブリ音楽であり、これまでとは次元の違う新しい世界観。

「ファンタジーはやらない」と公言していた宮崎駿監督だけに、壮大な二管編成フルオーケストラでファンタジー感を演出するのとは対極に、シンプルな小編成の音楽がリアリズムの演出に功を奏している。

オープニングから流れる印象的なメインテーマ「旅路」は、主人公 二郎のテーマであり、宮崎駿監督の『今回のテーマは「旅」である』という構想をもとにされている。美しいメロディーもさることながら、その旋律を凛と立たせている楽器は、ロシアの代表的な弦楽器である「アルトバラライカ」や同種のマンドリン、同じくロシアのアコーディオン「バヤン」といった民族楽器。

メインテーマ「旅路」はストーリー展開やそのシーンに寄り添うように、時にストリングスに、時に管楽器にと、そのモチーフも色彩豊かに表現されている。同じメロディーでもここまで印象が違うものかと感嘆させられる。昭和の日本の香りがするかと思えば、イタリアの爽やかな風が吹いてくる。まさに魔法の旋律である。

もうひとつのテーマである「菜穂子」では、切なくも美しい清く生きた女性の姿が、ピアノやストリングスで涙腺にふれる。

「カプローニ」では美しい夢をもった者の誇り、時空を超えた対峙が、勇壮な旋律で高揚感ある鼓動が響いている。

「隼班」「紙飛行機」などでは、研ぎ澄まされたミニマル・ミュージックを堪能できる。ピアノとヴァイオリンの高音が緊張感と気品を見事に表現している。ここまでシンプルながらも、相反する張り詰めた躍動感を感じる術はすごい。

まさに至高の映画音楽。上品なバロック音楽、室内楽のようなクラシカルな響きであり、日本とイタリア、夢と現実、男と女、生と死、と言った二極的な世界を、最高のメロディーと最高の楽器編成により表現されている。

久石譲本人は「ひとつの作品にこれだけ長く時間をかけたのは初めてだし、一番苦しんだ作品かもしれない。」とその約2年間にも及んだ制作過程を振り返っている。

また劇中音楽はすべてモノラル音源となっている。「全体にわたって細部のバランスを調整しないといけなくなり、通常よりも細かい作業が大変だった。それがうまくいくと空間が広がっていく。」と久石譲本人も語っているとおり、新しい試みとなっている。

本作品はもちろんステレオ音源だが、【先着購入特典CD】には映画本編で使用されたモノラル音源にて、旅路(夢中飛行) / 菜穂子(めぐりあい) の2曲が特別収録されている。音楽の原点はモノラルというとおり、確かに懐かしさもあり、心地良い音の広がりも感じることができる。1ヶ所からしか鳴っていない音にも関わらず、各楽器や各旋律の広がりや奥ゆきを体感することができる贅沢な特別収録。

また映画「風立ちぬ」では過去のスタジオジブリ作品 宮崎駿監督では恒例となっていたイメージアルバムも制作されていない。

映画同様、音楽も新しい挑戦にして現時点での最骨頂とも言えるのではないだろうか。まさに「風立ちぬ」の音楽世界を堪能するには唯一にて至高の1枚となる。

 

 

 

2021.4 Update!!

2021年発売LP盤には、新しく書き下ろされたライナーノーツが封入された。時間を経てとても具体的で貴重な解説になっている。

 

ゼロ戦開発に従事した実在の設計者・堀越二郎の半生と、小説「風立ちぬ」の作者・堀辰雄の世界観を融合させ、美しい飛行機を造りたいと夢見る主人公・二郎の夢と狂気、そして肺結核に冒された妻・菜穂子との夫婦愛を描いた、宮崎監督と久石譲の記念すべき長編コラボレーション第10作『風立ちぬ』は、それまで2人が作り上げた9本の長編映画とはいくつかの点で異なる特徴を備えている。まず、3管編成と混声4部合唱という巨大なカンヴァスを用いた前作『崖の上のポニョ』から一転し、4型の1管編成という大変慎ましいオーケストラとピアノ、ギター、それにロシアの民俗楽器によってスコアが演奏されていること。そのスコアの大半は、劇中に登場する4人の主要登場人物(二郎、菜穂子、カプローニ、カストルプ)を表現した、4つのテーマに基づいて構成されていること。そして、いくつかの例外を除き、シーンの状況を説明するような音楽をほとんど含んでいないこと。要約すれば、物語的に必要な音楽を最小限に配置した、簡明にして凝縮されたスコアと呼ぶことが出来るだろう。このような異例とも言える音楽設計は、言うまでもなく、宮崎監督の演出意図を踏まえた上で生み出されたものである。

まず、音楽を含めた本作の音響設計について、宮崎監督が2013年9月の引退会見(のちに引退は撤回)で詳細に語っているので、少し長くなるが、該当箇所を引用する。

”自分の記憶の中によみがえってくるのは、特に「風立ちぬ」をやっている間じゅうよみがえってきたのは、モノクロ時代の日本の映画です。いろいろな昭和30年以前の作品ですよね。そこで暗い電気の下で生きるのに大変な思いをしている若者やいろいろな男女が出てくるような映画ばかり見ていたので、そういう記憶がよみがえるんです。(中略)そういう意味で、非常にこの「風立ちぬ」の映画はドルビーサウンドだけど、ドルビーではないモノ(=モノーラル)にしてしまう。周り(=サラウンドスピーカー)から音は出さない。それからガヤ、ガヤというのはがやがやとかざわざわとかというやつですけれども、そういうのを20人も30人も集めてやるのではなくて、音響監督は『2人で済んだ』と言っています。つまり、昔の映画はそこで喋っているところにしかマイクが向けられませんから、周りでどんなにいろんな人間が口を動かして喋っていても、それは映像には出てこなかったんですよ。そのほうが世界は正しいんですよね。僕はそう思うのです。それを、24チャンネルになったら『あっちにも声を付けろ』『こっちにも声を付けろ』、それを全体にばら撒くという結果、情報量は増えているけれども、表現のポイントはものすごくぼんやりしたものになっているのだと思います。それで思い切って──これは美術館の短編作品をいくつかやっていくうちに、いろいろ試みていたら、これでいけるんじゃないかと私は思ったんですけども──プロデューサーがまったくためらわずに『それでいこう』と言ってくれたのが本当に嬉しかったですね。それから、音響監督もまさに同じ問題意識を共有できていて、それができた。こういうことって、めったに起こらないと僕は思います。それで、これもうれしいことでしたが、色々なそれぞれのポジションの責任者たち(中略)、音楽の久石さんも、何かとてもいい円満な気持ちで終えたんです。こういうことは初めてでした。” (宮崎駿×鈴木敏夫×星野康二「宮崎駿監督 引退記者会見」スタジオジブリ『熱風』2013年10月号 (引用にあたり、若干の補足を加えた))

日本の映画製作現場において、音楽収録に磁気テープが導入されたのは1954年(昭和29年)の『七人の侍』と『ゴジラ』が最初であり、それ以前に製作された日本映画のサウンドトラックはすべて光学録音のモノーラル、当然のことながら音楽も非常に小さい編成で演奏されていた。本作の音楽もそれで充分だというのが、宮崎監督の言う「問題提起」なのである。

本作の物語は、1923年(大正12年)の関東大震災が発生する7年程前から、二郎が九試単座戦闘機のテスト飛行に成功する1935年頃までの、おおよそ20年間を舞台に展開している(ラストの夢のシーンのみ戦後を示唆)。映画史においては、十数名の楽士たちが映画館で伴奏していたサイレント映画の全盛期から、1931年の『マダムと女房』で日本初のトーキー映画が登場した時期とおおよそ重なるが、本作においても、久石がそうした時代背景を考慮しながらスコアを作曲しているのが大変に興味深い(後述するように、サイレント映画の伴奏音楽風に書かれた楽曲すら存在する)。宮崎作品としては珍しく、ピリオド・アプローチ(オーセンティック・アプローチ)で書かれた映画音楽と言ってもいいだろう。

本作のスコアを考える上でもうひとつ重要なのは、飛行機のエンジン音などの効果音を人間の声で収録するという宮崎監督のアイディアを踏まえながら、久石がスコアを書いているという点である。

これに関しては、宮崎監督と本作のプロデューサー・鈴木敏夫、それに高畑勲監督による鼎談の中でも触れられているので、それを引用する。

”鈴木 興味深かったのは音楽を担当した久石譲さんの指摘でした。効果音は音楽の邪魔にならないけど、人間の声でやると音楽とぶつかる、というんです。つまり、声で入れた効果音って一種の音楽でもあるんですね。
宮崎 あれは鋭い指摘でしたね。だから音楽とぶつからないよう、タイミングをずらしたり、音量を調整したり。” (高畑勲『映画を作りながら考えたこと』文春ジブリ文庫 初出は宮崎駿/高畑勲/鈴木敏夫「スタジオジブリ30年目の初鼎談」文藝春秋 2014年2月号)

具体的にわかりやすい例を、本盤収録曲の中から挙げてみる。

本編オープニング、少年時代の二郎が夢を見るシーンの《旅路(夢中飛行)》は、大まかにA-B-A-ブリッジ-B-A-コーダという形式で構成されている。Aのセクションはト長調のメロディ、Bのセクションはト短調のメロディをそれぞれ持ち、ブリッジとコーダの部分は基本的にトレモロの和音で構成されている。本編をご覧になってみると、(人間の声が奏でる)飛行機のエンジン音の音量が大きいカットに、トレモロの2つのセクションを当てていることに気づくだろう(つまり、メロディとエンジン音がかぶらないようになっている)。これが宮崎監督の言う「音楽とぶつからないよう、タイミングをずらしたり、音量を調整したり」している例のひとつだ。つまり久石は、効果音まで音楽のパートとみなした上でスコアを作曲しているのである。無論、そうした手法は作曲家にとっては大変な負担を強いられることになるが、映画のサウンドトラック全体をひとつの音響芸術と考えれば、これほど理想的なことはない。逆に言えば、そこまでこだわり抜いた映画音楽と音響の稀有な成果が、この『風立ちぬ』という作品に結実していると言ってよいだろう。

先に述べた通り、久石のスコアは4人の主要登場人物をそれぞれ表すテーマに基づいて構成されている。まずは、本作のメインテーマでもある「旅路」こと二郎のテーマ。愛のテーマの役割も果たし、多くの場合、久石の叙情的なピアノで演奏される「菜穂子」のテーマ。勇壮な行進曲として書かれた「カプローニ」のテーマ。そして、独特の暗さと苦々しさを持つ「カストルプ」のテーマ。本盤収録曲では、いずれもテーマ名が曲名に付されているので、リスナーはどの楽曲がどのテーマを基にしているか、容易に理解することが出来るはずである。

これらのテーマに該当しない(もしくはごくわずかしかテーマが用いられていない)楽曲として特筆すべきは、軽井沢のホテルで二郎と菜穂子が親密さの度合いを高めていくシーンの《紙飛行機》である。このシーンにおいては、音楽が流れる約2分半ものあいだ、菜穂子の「しっかり!」と「ナイスキャッチ!」、それにカストルプの「Oh…」というセリフ以外に言葉が発せられない。つまり、シーン全体が一種の黙劇(パントマイム)として演出されている。そのような演出意図を踏まえた上で久石が書いた《紙飛行機》は、まさにサイレント映画の伴奏音楽のような節度を保ちながら、紙飛行機の優雅な飛行と、それに重なり合うような二郎と菜穂子の心の高まりを見事に表現していて素晴らしい。このシーンにおける映像の動きと音楽の完璧な一致は、もはや”バレエ”の領域に達していると言ってもいいだろう。実際にサイレント映画のための伴奏音楽を書いたこともある久石の力量が遺憾なく発揮された映画美術の結晶を、この《紙飛行機》のシーンで存分に堪能することが出来るはずである。

久石らしい作家性が現れた楽曲としては、いずれもミニマル的な手法で書かれた《隼班》および《隼》を挙げることができる。特に《隼》は、18世紀イタリア音楽を思わせる擬バロック風なオーケストレーションが爽やかな風とテスト飛行のスリルを表現していて素晴らしい。また、同様にミニマル的手法が用いられた《避難》(脱線した列車から二郎たちが避難するシーンのための音楽)は残念ながら本編未使用に終わったが、余震の地鳴りを表現したようなリズムの反復がドラマティックな緊張感を見事に伝える忘れがたい楽曲である。

また、映画音楽作曲家としての久石の丁寧な仕事ぶりが見られる好例として、尺数は短いながらも《風》を挙げておきたい。この楽曲が流れるシーンにおいて、クリスティーナ・ロセッティの原詩を西條八十が訳した「風」を主人公の二郎が朗読する。「風」は、草川信がこの訳詩に曲を付けた童謡が日本では知られているが、草川のメロディはどちらかというとベルカントの歌唱向けなので、本作の世界観にはそぐわない。そこで久石は、このシーンのためにギターと弦楽四重奏曲だけの慎ましい《風》を書いているのだが、よく聴いてみると、ギターのメロディは西條の訳詩を乗せて歌うことが出来るように書かれているのである! 本編の中で二郎がそのメロディを歌わないにも拘わらず、である。これぞ、プロフェッショナルの仕事と呼ぶべきだろう。

以上、久石のスコアを概観してきたが、本作の音楽を深く理解する上で指摘しておかなければならない、非常に重要なポイントがある。それは、メインテーマである「旅路」(及び「カストルプ」)がロシアの民俗楽器、すなわちバラライカとバヤン(ロシアのアコーディオン)で演奏されているという点だ。

2013年3月15日、久石はニッポン放送「サンデーズバリラジオ 久石譲のLIFE is MUSIC」最終回において、すでに出来上がっていた特報用の音楽(「旅路」のテーマのプロトタイプ)を紹介した。その時、相手役を務めさせていただいた筆者は「なぜバラライカを使ったのか?」と質問したところ、「ロシアの空気はね、青年が旅立っていく時にこの音色がいいなと」というのが久石の答えであった。実はこの時、映画公開前という事情もあってトークが大幅にカットされてしまったのだが、放送されなかったトークで久石はおおよそ次のように説明していた。「この作品の主人公がドイツに旅する時は、シベリア鉄道に乗っていったので、ロシアの楽器が相応しいかと。以前、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の音楽を手掛けた時にバラライカを使ったことがあるので、それが頭にあったんです」。

バラライカとバヤン(通常、この2つはセットで演奏される)の響きは、予備知識なく聴いたとしても、それだけで旅情と哀愁を感じさせる素晴らしい楽器である。物語の中で頻繁に旅をする二郎という主人公に相応しい。だが、それだけでなく、この楽器がロシアという土地と、物語の時代背景に結びつき、さらには『坂の上の雲』の原作者・司馬遼太郎と結びつくことで、筆者は「旅路」のテーマが言外の意味を持っているような妄想に囚われるのである。

宮崎監督が司馬遼太郎および堀田善衛と語り合った鼎談『時代の風音』(宮崎監督が「書生」として司会進行役を務めた)の中に、次のような箇所が出てくる。

”司馬 文学史的にいえば、昭和初年に中野重治さんたちが『驢馬』という同人雑誌をやってて、(中略)『驢馬』の同人はほぼ全員、左翼になった。
堀田 その同人の堀辰雄はね……。
司馬 堀辰雄さんは免れてるんですね。
堀田 そうなんです。だけど堀さんも、(中略)戦時中はやはり「堀田君、ヨーロッパ全部が社会主義になる日まで、俺、生きていたい」と言っていました。亡くなったのは戦後ですけど。” (堀田善衛/司馬遼太郎/宮崎駿『時代の風音』ユー・ピー・ユー、1992年)

本作において二郎を乗せたシベリア鉄道がロシアの大地を走り抜けるシーン、すなわち本盤収録の《ユンカース》が流れるシーンにおいて、久石は《ユンカース》冒頭部分に「旅路」のフレーズをほんのわずかだけ登場させている。そのフレーズが、あたかも革命歌「インターナショナル」のように聴こえてくるのは、筆者ひとりだけの錯覚だろうか? 物語の中で特高に目を付けられ、日本を去ることになる「カストルプ」の苦々しいテーマが、「旅路」と同じバラライカとバヤンで演奏されるのは、単なる偶然だろうか? 本作が実在の堀越二郎を基にした二郎の夢だけでなく、堀辰雄が抱いていた夢も反映しているのだとしたら、「旅路」と「カストルプ」のテーマ、その2つを演奏するバラライカとバヤンはどのような意味を持ってくるのだろうか? これらがすべて筆者ひとりの妄想に過ぎないとしても、『風立ちぬ』の久石のスコアは単なる映画音楽にとどまらない重層的な意味を備えた音楽であることは間違いない。

宮崎監督と久石がそれまで作り上げた9作とは異なり、本作では公開前にリリースされるイメージアルバムが製作されなかった。その代わり、久石は本編公開後に2つの演奏会用組曲を編曲・初演している。ひとつは、2013年12月に世界初演された〈バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」小組曲〉で、物語の時系列に沿って本編に使用された主要曲をまとめたもの。もうひとつは、2014年5月に世界初演された〈バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲〉で、こちらは物語の時系列に捉われない構成となっており、大幅に加筆した《避難》を組曲全体のクライマックスとすることで、演奏会用作品として聴き応えのある内容に仕上がっている(文中敬称略)。

2021年1月5日、宮崎駿監督の誕生日に
前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

久石譲 『風立ちぬ サウンドトラック』

1. 旅路 (夢中飛行)
2. 流れ星
3. カプローニ (設計家の夢)
4. 旅路 (決意)
5. 菜穂子 (出会い)
6. 避難
7. 恩人
8. カプローニ (幻の巨大機)
9. ときめき
10. 旅路 (妹)
11. 旅路 (初出社)
12. 隼班
13. 隼
14. ユンカース
15. 旅路 (イタリアの風)
16. 旅路 (カプローニの引退)
17. 旅路 (軽井沢の出会い)
18. 菜穂子 (運命)
19. 菜穂子 (虹)
20. カストルプ (魔の山)
21. 風
22. 紙飛行機
23. 菜穂子 (プロポーズ)
24. 八試特偵
25. カストルプ (別れ)
26. 菜穂子 (会いたくて)
27. 菜穂子 (めぐりあい)
28. 旅路 (結婚)
29. 菜穂子 (眼差し)
30. 旅路 (別れ)
31. 旅路 (夢の王国)
32. ひこうき雲 歌:荒井由実

作曲・編曲・プロデュース:久石譲

指揮:久石譲
ピアノ:久石譲 (Track 5,18,27,28,29)
演奏:読売日本交響楽団
バラライカ & マンドリン:青山忠
ギター:千代正行、古川昌義
バヤン & アコーディオン:水野弘文

音楽収録:東京芸術劇場、ビクタースタジオ
ミキシングスタジオ:Bunkamura Studio

 

 

【先着購入特典CD】
サントラCDはステレオ録音商品
「風立ちぬ」の映画音楽はすべてモノラル音源
特典CDは映画で使用されたモノラル音源を特別に収録
収録曲:旅路(夢中飛行)/菜穂子(めぐりあい) 以上2曲
紙ジャケット仕様 Discプリントはレコード盤デザイン

風立ちぬ サウンドトラック 特典CD MONO

1.旅路(夢中飛行)≪MONO≫
2.菜穂子(めぐりあい)≪MONO≫

 

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