Overtone.第6回 名盤なき「ドイツ・レクイエム/ブラームス」

Posted on 2017/02/21

ふらいすとーんです。

ブラームスといえば「交響曲第1番」、でも「ドイツ・レクイエム」。3大レクイエムといえば、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ、でもブラームスの「ドイツ・レクイエム」。

レクイエムとは「死者のためのミサ曲」のことで、ラテン語による合唱音楽・宗教音楽です。一方ブラームスの「ドイツ・レクイエム」は、ドイツ語で歌わています。さらに、「死者のためのレクイエム」ではなく「生者のためのレクイエム」となっているのも大きな特徴です。ブラーム自身がのちに「私は、喜んでこの曲のタイトルから『ドイツ』の名を取り去り、『人間の』と置き換えたいと公言してもいい」と語っているほど、ブラームの人生観が投影されている作品。10年間をかけて楽章の加筆や修正をくり返し完成させた大作です。

ドイツ・レクイエムの歌詞をみると、第1曲は”Sigle”ではじまり、第7曲は”Sigle”でおわります。”Sigle”は「幸いである」と訳されていますが、辞書をひくと「この上ない幸せ、至福の」という意味がでてきます。つまりは【神の祝福を受けた状態】のことをさしている宗教的なニュアンスをくみとれます。「ドイツ・レクイエム」が通常のレクイエム(死者のために神に祈る)とは違い、「生きる者たちへの救済の音楽」として、聴く人の心を救い奥深くに入ってくる音霊と言霊。人間の苦悩や儚さ、働くことと忍耐、喜びと慰め、そして希望や祈り。

 

ちなみに、3大レクイエムのひとつフォーレの「レクイエム」。名盤のひとつになっているCD盤ジャケットがこれです。ワッツ作「HOPE」の絵が使われています。久石さんの『地上の楽園』のジャケットに使えなかった理由のひとつ、なのかもしれませんね。(Overtone.第3回からの余談でした)

 

 

とりわけブラームのなかでもお気に入りの「ドイツ・レクイエム」。でも名盤なきドイツ・レクイエムなんです(あくまでも僕のなかで)。もう十数枚はいろんなCD盤を聴いてきたと思います。すべてを満たしているものがなかなかない。録音状態だったり、管弦楽と合唱のバランスだったり、独唱の歌い方だったり。あちらを立てればこちらが立たず。これはない!惜しい!もったいない!もうひと越え! そんなことをブツブツ心のなかで言いながら、さながら「ドイツ・レクイエム」勝ち抜き選です!

カラヤンはこの作品に特別な愛着があったようで、晩年にいたるまで7回も録音しています。それぞれの時代や指揮した年齢によってその響きは異なっています。僕のなかで、ただ今勝ち残っているCD盤はそんなカラヤン指揮からの渾身の演奏です。

カラヤンは、平たく言って、あまり合唱を前面に押し出さないことが多いのかな。それは他の合唱付き作品を聴いていても思います。どう聴いても管弦楽が前に出ている作品が多い。合唱を軽視しているとは言いませんが、合唱が管弦楽よりも前に出されることはない、かな。「ドイツ・レクイエム」はオーケストラも大編成ということもあって、どうしても重厚なそれを堪能したく、僕はそちらを選んだわけです。

他の指揮者では合唱が前面に出ていて、管弦楽が伴奏のように奥に引っ込んでいるものも幾多あります。その場合、とてもきれいな宗教音楽や教会音楽のように聴くことはできますし、レビューによっては「合唱の練習用には最適」なんてのも見かけたりします。混声合唱の各パートが聴き取りやすいんでしょうね。自分が求めている演奏や響きによって、どんな演奏盤を選ぶかというのは大きく違ってくるんだろうと思います。だからこそ、「これは名盤だ!」と言われるものが複数存在し(あてなく探すほうにはすごく迷路だけれど)、人それぞれの名盤なんですね。

 

カラヤンの建築構造的な解釈と美学は、ブラームの同じく建造物のような緻密な作品構成をうまく表現しています。…なんて言うと、煙にまいたような言い方になりますね。管弦楽と合唱の対等な緊張感、迫真の指揮、魂を注いだ演奏、天上音楽というよりはずっしりと重い地上の音楽、を僕は感じます。バッハの影響も見えるこの作品は、オーケストラとコーラスによる壮大なフーガなど、天に昇っていくような劇的な展開も聴きどころのひとつです。

そんなことを言いながら掌握しきてれいないんです、今の僕には。歌詞を覚えているわけでも理解しているわけでもない。ただただその音楽に耳を傾けているだけです。でも「ドイツ・レクイエム」を聴くと、”なにかを感じる”んです。それは音楽の素晴らしさかもしれないし、生かもしれないし、死かもしれない。ときには慰めかもしれない、希望かもしれない、祈りかもしれない。──なにかを感じるんです。濃い霧に包まれた深い森の中で聴くように。

一言では、簡単には語り尽くせない「ドイツ・レクイエム」の魅力。ぜひ気になったCD盤を手にとって、その解説や歌詞も含めて、聴いて感じてほしい作品です。

 

ブラーム:「ドイツ・レクイエム 作品45」
Brahms:Ein deutsches Requiem Op.45

第1曲 悲しんでいる人々は幸いである
第2曲 人は皆草のごとく
第3曲 主よ、我が終わりと、我が日の数の
第4曲 万軍の主よ、あなたの住まいは
第5曲 このように、あなた方にも今は
第6曲 この地上に永遠の都はない
第7曲 今から後、主にあって死ぬ死人は幸いである

 

 

さて、久石さんの合唱編成付きコンテンポラリーなオリジナル作品といえば、真っ先に浮かんでくるのが「The End of The World」ですね。映画音楽やCM・TV音楽で活躍してきたなか、封印していた本格的なミニマル・ミュージックを再び、もっと言うと「作品を書かなければいけない」とクラシックに立ち返ったエポック的なアルバム『ミニマリズム Minima_Rhythm』(2009)に収録された作品です。

このあたりのエピソードや楽曲解説はCD作品ページにて網羅ご紹介していますので、ぜひご覧ください。今読み返しても、久石さんの並々ならぬ熱量を感じます。

 

久石譲 『ミニマリズム』

 

それから7年後、すでに完成された作品だと思いこんでいたところに、楽章の加筆や改訂を経て突如現れたのが「The End of the World for Vocalists and Orchestra」です。W.D.O.2015コンサートにてプログラムされ、ライヴ盤としてCD作品化もされました。

なぜここにきて?どんな進化を遂げたのか?「The End of the World」という作品が辿っている複雑な変遷は、一言では語れません(まだ進化の過程なのかもとすら)。今の時点での、その歩みを紐解いてみてください。

 

 

このCD作品には、スタジオジブリ作品の交響曲化シリーズ第1弾『風の谷のナウシカ』より、「Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015」も収録されています。もちろん「ナウシカ・レクイエム」も構成されています。ライヴ・レコーディングならではの迫力のある臨場感はもちろん、演奏も録音も最高品質です。

 

 

クラシック音楽を聴きあさるようになって特に思うんです、久石さんのCD作品って(聴く人にとって)なんて恵まれてるんだろう、と。曲そのものの良さはあえて言うこともないとして、ここで言っているのは”記録された演奏としてのクオリティ”のことです。

だって、作曲者である久石譲自らの指揮、選ばれた管弦楽と奏でる最高のパフォーマンス。そして久石譲監修による音のチェックやトラックダウンを経て、CD作品としてパッケージされる。至れり尽くせりです。当たり前なんですけどね、それが現代の一般的な”CD盤を残す”一連の工程ですから。──いや、本当に当たり前なのかな?!

一方、クラシック音楽って、ほんとに「いい演奏」を探すのって大変です。しかも極端に言えば、そこに作曲家の意図は直接的に反映されない。故人の遺した楽譜や想い、時代背景をくみとりながら、こうじゃないかな?と多くの指揮者や演奏家たちが、答え探しつづけている。それがクラシック音楽における”CD盤を残す”ことそのものです。

オリジナル版が存在しないクラシック音楽だからこそ、「これが名盤じゃないか?!」とその時々の時代を反映した幾多の名盤が存在しています。でも、久石さんの音楽は、ほぼすべてがオリジナル版として、その一枚のCDを手に取りさえすれば、疑う余地なく満たされる幸福感。そして世に送り出された時点で、それは唯一無二の”オリジナル版にして名盤”という刻印を約束されているわけですからね。なんとありがたい。

 

 

あっ、大切な合唱付き作品を忘れていました。「Orbis」です。ベートーヴェンの第九に捧げる序曲として、アルバム『メロディフォニー Melodyphony』(2010)に収録されています。ファンの間では、かなり人気のあるオリジナル作品なんじゃないかな、いや断言できるほどでしょう。

 

久石譲 『メロディフォニー』

 

「Orbis」もまた、時を経て「Oris~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~ 新版」として楽章が追加され、全3楽章となりました。「久石譲 第九スペシャル 2015」コンサートにて世界初演されています。おそらく聴くことができた人は、そんなに多くないと思いますので、コンサート・レポートにてその熱気を感じていただけたらうれしいです。かなり荒い息で書き上げたと記憶しています(^^;)

 

 

「Oris~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~ 新版」、いつその命を録音に吹き込まれるのか、とても楽しみですね。ただただ静かに待つのみです。指を加えて…と言いたいところですが、そんなことしてたら、第2関節くらいまでふやけちゃうんじゃないかな…いや、静かにずっと待ちますよ!という宣言がしたかっただけです。

もうホント。遠い未来に、「ドイツ・レクイエム」勝ち抜き選のようなことになりませんように。久石譲によるオリジナル版にして名盤がない状態、楽譜を頼りに幾多の迷盤が混在する…。「これが作曲家の意図を忠実に再現した演奏ですよ、これがこの作品のあるべきかたち、名盤です」なんて言われても……。そんなことになったら、僕は、悲しい。久石ファンはみんな、悲しい。

 

 

名盤なき「ドイツ・レクイエム」から少し話がそれたでしょうか。時代を越えて普遍的に響く作品です。いい演奏がないと言っているわけではありません、実際僕もすり減るくらい聴いています。管弦楽+合唱という大規模な大作に、果敢に挑み音楽のかたちとして封じ込めたCD盤たち。どの演奏に出会ったとしてもきっと心揺さぶるものが、そこにはあります。

そして久石さんの、疑う余地なく満たされる響き、圧倒的な完成度をもって君臨する管弦楽+合唱編成作品群。「ドイツ・レクイエム」が10年の歳月をかけて完成したように、「交響詩ナウシカ」は1997年版から2015年版へ、「The End of The World」は2008年から2015年へ鼓動をつづけています。今は、名盤よき『The End of The World』、その一枚のCD盤で「この上ない幸せ、至福の」をかみしめています。

それではまた。

 

reverb.
富士急ハイランド「富士飛行社 Mt.Fuji 2016」体感してきました。少し前の話です。/^o^\

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

コメントする/To Comment