Overtone.第22回 「交響曲第1番/ブラームス」 ~論理とロマン II~

Posted on 2019/04/07

ふらいすとーんです。

2回にわたって「交響曲第1番/ブラームス」を出発点にお届けしています。ブラームス、ベートーヴェン、パーヴォ・ヤルヴィ、芸術監督、室内オーケストラ、久石譲、NCO、FOC ?!、そんな点たちが線となってつながっていきますように。

 

”こんなのオレのラーメンじゃない”!?

人それぞれに好みの味があります。育ち慣れ親しんだ環境があります。だからといって食わず嫌いで試さないのはもったいない。いろいろ食べてみて、「こんなのもありか」と新しい食感をおぼえることも、「変わったの食べたよ」「めずらしくて美味しかった」「はじめての味」と共感することも。しょうゆ・みそ・とんこつ、きっとあなたがかつて好きだったその味にも、一層の魅力をもって味わいまします。

前回は「交響曲第1番/ブラームス」について、解説や分析など少し難しいところから作品の魅力をご紹介しました。今回はまた違うところから、だからあまり拒絶反応せずにリラックスして。好奇心のセンサーがピクッとなる瞬間に気づけるくらいに。もし、あなたがラーメンを、いやブラ1を嫌いじゃなければ。

 

 

「交響曲第1番/ブラームス」にふれたエッセイをひとつご紹介します。

『音のかなたへ』/梅津時比古・著、知の巨星たちに「最も美しい日本語」と愛された音楽エッセイ。「新・コンサートを読む」新聞連載されていたものなどをまとめた本です。日常的な光景や自身の体験・エピソードと、足運んだコンサートや録音を上手に絡ませあいながら綴られているお気に入りの本です。

 

 

パーヴォ・ヤルヴィ指揮のブラームスの交響曲
外見の陰に隠された優しさ

犬が可愛いのは、喜んだり、怒ったり、悲しんだりする表情がそのまま信じられるからだろう。喜んでしっぽを振っているけれども本当は怒っているのだというような犬は見たことがない。

人と人との付き合いはそこのところが難しい。あの人がすごく丁寧な口調になったときは本当は怒っているのです、などと言われると、お手上げだ。フェイスブックなどで直接に会わないままに個人的な交流が行われるようになって、ますます分からなくなった。もっとも、人間が表面の表情をそのまま受け取れるような生物的仕組みになったら、味気ないのかもしれない。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮のドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団が、ブラームスの交響曲全4曲と協奏曲などを組み合わせた連続コンサート「ブラームス・シンフォニック・クロノロジー」を開いた(2014年12月10,11,13,14日、東京オペラシティコンサートホール)。

初日の交響曲第1番で、テンポが速めなことに軽い驚きを覚えた。鋭角でときにはざらついた響きが、エネルギッシュな前進力として駆り立てる。そのぶん、通常、ブラームスらしい表情として入ってくる重々しさが遠のく。やや違和感があったが、武骨な面と快活な面がないまぜになったブラームスの新たな表情が見える。

第2楽章に入って不意をつかれた。テンポは速めなままに、なんとも心優しい響きが波のように耳を浸してくる。旋律がヴァイオリンなど声部ごとに腑分けされてそれぞれ十分に歌われる。

交響曲第3番の第3楽章で、それはさらに明らかになった。この楽章の冒頭の旋律は、交響曲全体を聴き終わったあとでも口をついて出てくる。それほど歌謡性に満ちている。多くの指揮者がその旋律にすべての響きを束ねて大きくうたい上げるのも故なしとしない。しかしパーヴォの指揮はそれぞれの声部をそれぞれの言葉で語らせる。それによってきめこまかく分かれた旋律の中から、あの遠い憧れに満ちた響きが、ひそやかに、浮かび上がってくる。弦は弦の潤いで語られ、またホルンがその旋律を繰り返してファゴットなどに引き継ぐと、音色の変化が、優しさとしてにじむ。

楽器の多様性を犠牲にして聴衆に受けが良いようにフレーズを単純明快にまとめることなど、パーヴォは考えもしないのであろう。彼がしていることは、それぞれの楽器で表されていることをていねいに観察して、声部の響きを明確にし、こまやかに和声の変化を追うことである。多くの言葉が語られていることによって音型が複雑になったその果てに、傷つきやすく、深い優しさが聞こえてくる。武骨さをかきわけた所に浮かび上がってきただけに、その優しさは、いとおしい。

聴きながら、クララ・シューマンがブラームスの作品について「その人物と同じように、最も甘美な神髄は、しばしば粗野な外見の陰に隠されている」(玉川裕子訳)と語った言葉を思い出していた。

隠されているのは、それが壊れやすいからであろう。

(「音のかなたへ」/梅津時比古 著 より)

 

 

「外見の陰に隠された優しさ」をテーマに、表情・心情・メロディ・声部という日常的/音楽的キーワードを上手に紡ぎあげながら、ブラームス交響曲とパーヴォ・ヤルヴィ指揮の核心に迫ろうとしています。何回読んでもうっとりします。そして、パーヴォ・ヤルヴィのコメント「ブラームスは何事も表面には出さず、隠しておくのが得意です。」(前回・記)とも響きあいます。

ブラームスの交響曲に論理とロマンが交錯しているように。聴くきっかけや聴き方も一方向ではありません。分析や評論から作品のおもしろさを追求することも(論理)、エッセイ・小説やコンサート感想などの物語性から惹かれることも(ロマン)。どちらから入っても奥深く進めば進むほど、聴いている人の論理とロマンもいつしかどちら寄りでもなく溶け合っていく。それが作品を愛おしく好きになるということなのかもしれませんね。

各声部が室内楽的な密度で対話しあうブラームス交響曲の魅力、室内オーケストラで見透しのよさをつくり、緻密さと壮大さをあわせもつ演奏。決して痩せ細ることない引き締まった筋肉質のそれは、第1楽章堂々と立つ存在感、第2楽章しなやかさで魅惑し、第3楽章軽やかなステップ、そして第4楽章の爆発力も快感です。

 

 

久石譲がブラームスについて語ったこと。

 

「ブラームスの交響曲第1番。作曲家として譜面に思いを馳せると圧倒されて、自分の曲作りが止まってしまった。20年近くかけて作られただけあって実によく練られている。あらゆるパートが基本のモチーフと関係しながら進行していくのに、そのモチーフが非常に繊細で見落としやすく、読み込むのに相当な時間を要した。バーンスタインがマーラーに取り組むと3か月間は他のことができないと言っていたそうだけど、分かる気がした。その分、強い精神力が養われたけどね。」

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く より抜粋)

 

「そして家に帰ってから明け方まで、過去の作曲家の譜面を読んだり、彼らが生きた時代や本人の生活の環境、その時代の方法に対して、その作曲家がどのくらい進んでいたのか、遅れていたのか、そういうことを考えます。例に出すと、ブラームスなんかは当時の流行からすると、遅れた音楽をやっていたんです。まだベートーベンの影響を引きずっていた。ところが当時は、シューマンとかいろんな人たちが、新しい方法に入っていた。古くさい方法をとっている中で、革新的な方法をとっている人もいた。どっちが優れていたのか、というのは全然言えないんですよ。長く生き残ってきたものというのは、本物ですから。でも本人の中は、絶えず葛藤してたわけだよね。僕ら、ものを作る人間というのは、絶えずそれですから。今のこの時代で、僕が作曲家としてどういう書き方をするか、自分にとってはすごく重要なことで、そのようなことをいっぱい勉強するという感じですかね」

Blog. 「デイリースポーツオンライン」 久石譲インタビュー内容(2011年) より抜粋)

 

「この第1番の初演のとき終楽章の主題がベートーヴェンの第9交響曲〈合唱付き〉と似ているという指摘に対してブラームスは「そんなことは驢馬(ろば)にだってわかる」と言ってのけている。つまりベートーヴェンの影響下にあることは織り込み済みの上で彼にはもっと大きな自信があったのだろう。実際リストやワーグナー派が主流になった当時のロマン派的風潮の中で、ブラームスはむしろ時代と逆行して形式を重んずるバロック音楽やベートーヴェンを手本として独自な世界を作っていった。本来持つロマン的な感性と思考としての論理性の葛藤の中で、ブラームスは誰も成し得なかった独自の交響曲を創作していったのである。」

Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』 CDライナーノーツ より抜粋)

 

「感情の問題は大きいです。昨夜、6月にドヴォルザークを振る予定が突然ブラームスの4番に変更になり、僕は大好きだから俄然やる気まんまんです。ブラームスは論理的なものと感覚的なもの、あるいは感情的なものが全く相容れないぐらいに並立している男なんです。頭の中ではベートーヴェン的な論理構造に憧れているのに、感性は完全にロマン主義の体質です。一人の中で激しいダイナミズムが起こり、矛盾したものがそのまま音楽に表れているからすごいんです。やはり、対立構造が人間を動かす原動力になっているんじゃないですか。」

Blog. 「新潮45 2012年6月号」久石譲×養老孟司 対談内容 より抜粋)

 

「やっぱりベートーヴェンは偉大ですね。あと、僕はブラームスが大好きです。ブラームスのシンフォニーは全曲振っていますが、全部良いですね。面白いし。」

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 サウンド&レコーディング・マガジン インタビュー内容 より抜粋)

 

「さて、文学に結びつくことがトレンド(懐かしい言葉)だった時代、一方では相変わらず前の時代の方法に固執する作曲家もいた。ヨハネス・ブラームスである(他にも大勢いた)。彼は純音楽にこだわった。純音楽というのは音だけの結びつき、あるいは運動性だけで構成されている楽曲を指す。ウイスキーに例えればシングルモルトのようなもの。シングルモルトというのは一つの蒸留所で作られたモルトウイスキーの事だ。防風林も作れないほど強い風が吹く(つまり作ってもすぐ飛ばされる)、スコットランドのアイラ島で作られるラフロイグは、潮の香りがそのまま染み付いていて個性的で強くて旨い。対してブレンドウイスキーというのは香りや色や味の優れたものをミックスして作るウイスキーだが、シングルモルトほどの個性はない。」

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 47 ~ハイドン~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

 

「クラシックを指揮する時に暗譜するくらい頭に入ってしまうと、その期間中はまったく作曲ができなくなります。絶えずクラシックの曲が頭の中に流れてしまって、その影響が何らかの形で曲作りに出てしまうのです。例えば、映画音楽を書いている最中に、一方でブラームスの曲の指揮をするという時に、ブラームスの弦の動かし方などが作っている曲の中に無意識に出たりします。「あっ、やってしまった!」というような(笑)。もちろんメロディーまで同じにはしませんが、弦の扱いなどはかなり影響を受けますね。」

Blog. 「味の手帖 2015年6月号」 久石譲 対談内容紹介 より抜粋)

 

 

久石譲がパーヴォ・ヤルヴィについて語ったこと。

 

「NHKのクラシック番組で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団の演奏でショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏を聴いた。この楽曲については前にも触れているので多くは書かないが、一応形態は苦悩から歓喜、闘争から勝利という図式になっているが、裏に隠されているのはまったく逆であるというようなことを書いたと思う。パーヴォ・ヤルヴィの演奏はその線上にあるのだがもっと凄まじく、この楽曲を支配しているのは恐怖であり、表向きとは裏腹の厳しいソビエト当局に対する非難であると語っていた。第2楽章がまさにそのとおりでこんなに甘さを排除したグロテスクな操り人形が踊っているような演奏は聴いたことがなかったし、第4楽章のテンポ設定(これが重要)がおこがましいが僕の考え方と同じで、特にエンディングでは、より遅いテンポで演奏していた。だから派手ではないが深い。」

「彼はエストニア出身、小さい頃はソビエト連邦の支配下にあったこの国で育った。父親は有名な指揮者でショスタコーヴィチも訪ねてきたときに会ったくらいだから、この楽曲に対する思いは尋常ではない。明確なヴィジョンを持っている彼にNHK交響楽団もよく応え、炎が燃え上がるような演奏だった。」

Blog. 「クラシック プレミアム 38 ~ヴァイオリン・チェロ名曲集~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

 

♪「交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 第4楽章 Allegro ma non troppo」
 /パーヴォ・ヤルヴィ、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

「これは今もっとも僕が好きな指揮者です。今NHK交響楽団の首席指揮者でやってますね、すばらしいですね。というのは、アプローチがまずリズムをきちんと整理するところからおやりになる。非常に現代的なリズムの捉え方をされるんです。ですからこの第4番なんかは、たぶん今市販されているCD、あるいは演奏で聴けるなかでは最も速いかもしれません。ですがちゃんときちんとフレーズが作られているし、すばらしいですね。」

「すごいですね、速いですね(笑)。単に速いだけじゃなくて、ちゃんと歌ってるんですよね。ドイツ・カンマーって歴史があるオケですからほんとうまいですよね。こういう演奏を聴くと、あまり日頃クラシックを聴かれない方でも、あっ聴いてみようって思うんじゃないでしょうかね。先入観で聴かなくなっちゃってるよりは、もう「ロック・ザ・ベートーヴェン」ってナガノではそういうふうにわざと言ってるんですけどね、なんかそのくらい身近でいい、もっと気楽に聴いて楽しめる音楽ですよ、って言いたくなりますよね。」

♭第5番 第1楽章 冒頭部分 聴き比べ
・パーヴォ・ヤルヴィ、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

「ずいぶん現代的になりますよね。演奏してると「タタタターン」と弦を伸ばしますね。弓を返していくか、ワン・ボウイングでひとつでいっちゃうかというのがあるわけですね。(伸ばす音符が)長い人だとひっぱれないので弓を返さないといけないんです。返すというのはアップ・ダウンで弓が行ってまた戻ってくる。だけどこのクラス、現代になると行って来いしないでいいんですね。「ダダダダーン」をワン・ボウイングでいけてしまう。わりと新しい方はみんなあまりひっぱりません。」

Blog. NHK FM 「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」 番組内容 より抜粋)

 

 

もうこれら久石譲が語ったブラームス、久石譲が語ったパーヴォ・ヤルヴィ、魅力を伝えるには十分だったかもしれませんね。いや、遠回りでも、たとえ周回遅れでも、視野を広げて吸収する量や質を豊かにしたい、そう思っています。

 

 

久石譲がNCOでやりたかったこと。

2013年長野市芸術館の開館(2015年)にあわせて芸術監督に就任。そして2016年久石譲の呼びかけのもと長野市芸術館を本拠地として結成された室内オーケストラ、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)です。2年間かけてベートーヴェン交響曲全曲演奏会&CD化プロジェクト。コンセプトは「ベートーヴェンはロックだ」──”作曲当時の小回りが効く編成で、現代的なリズムを活用した、ロックのようなベートーヴェン” ”往年のロマンティックな表現もピリオド楽器の演奏も、ロックやポップスも経た上で、さらに先へと向かうベートーヴェン”──、貫いたコンセプトは推進力と躍動感にあふれ、回を追うごとに研ぎ澄まされていく久石譲&NCOの演奏・録音は”明快!痛快!”な表現で魅了し高い評価を得ています。

 

新時代のクラシック音楽

重厚壮大な大編成モダンオーケストラによる往年のアプローチ、当時の楽器・演奏法・小編成・楽器配置を追求したピリオドアプローチ。ベートーヴェンもブラームスも、文献やスコアの研修もすすみ演奏スタイルも昨今変化しています。(モダン=現行楽器、ピリオド=古楽器)

そして今、新時代の名盤たちは、原典研究に基づく表現スタイルを規範とし、過去の模倣ではない新時代の切り口、現代的なアプローチで挑んでいます。それは、モダンとピリオドの要素を混合させながら、どちらか一方のスタイルに固執することなく、すべての成果を踏まえ咀嚼したうえで先へと向かう、新しい世界を築き上げること。パーヴォ・ヤルヴィと久石譲の目指すアプローチは共鳴している点がたくさんあります。さらに付け加えると、久石譲指揮は、作曲家視点で譜面をとらえること、ミニマルやポップスで培われたリズムを昇華すること。

 

芸術監督

指揮はもちろんオーケストラの中長期的な活動指針やコンセプトを明確に掲げる役割もあります。オーケストラのカラーをどう打ち出すか、どのような作品を取り上げるか、それによって生まれる育つオーケストラの特色強み。パーヴォ・ヤルヴィも久石譲も芸術監督としてオーケストラメンバーと親密な信頼関係を築き、ともに学び進化し、そして拠点となる土地に音楽の豊かさをもたらす。生半可では居座れないポジションであることがわかります。

 

リハーサル・実演・録音

ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンは母体がある、ナガノ・チェンバー・オーケストラは久石譲の呼びかけのもと結集した少数精鋭。首席奏者を多数含む国内外の楽団メンバーなど若きトッププレーヤーたちが中心です。

メリットは、ゼロベースでその音楽を作りあげることができること。演奏頻度の高いベートーヴェン作品など、各オーケストラ楽団で積み重ねてきた特色やカラーといったものがあります。既存オーケストラの客演指揮者としてタクトを振るのではない、固定概念や先入観を解体した状態での集結、新しい音楽を一緒に磨きあげることができます。

デメリットは、各オーケストラ楽団に所属するトッププレーヤーたちのため、集結する頻度が限られること。コンサートツアーなど各地を巡ることは現実的に難しいかもしれません。2-3年先のコンサート・プログラムを組み立てるのは各オーケストラとも慣例、そこへのスケジュール調整は至難です。

リハーサルはNCOの場合、最低でも3日間はみっちり行われています。その場所は長野であり、実際に演奏するホールで空気や響きを確認しながら綿密に完成度を高めていくのだと思います。それでも2-3日間という期間は一般的、決して多くの時間は与えられていません。結集型オーケストラというリハーサル・実演機会に限界あるデメリットを逆手にとるように、極限の集中力と最高のパフォーマンスで完全燃焼、ライヴ音源としてリリース。

 

 

 

 

 

 

*交響曲第4番&第6番は未発売

 

久石譲がベートーヴェンについて語ったこと。

久石譲が現代的アプローチについて語ったこと。

 

4CD盤のディスコグラフィーとあわせてさらに深く紐解くことができます。

 

 

そして、FOCへ。

久石譲の長野市芸術館 芸術監督退任(2019年3月)のニュースを知ったときにはとてもショックでした。なんとか続けてほしい、なんとか本物を続けてほしい、その一心でした。誰が悪い何が悪いではなく、そこには理想と現実にうまくはしごを架けることができなかったんだろうと思っています。

 

……

 

「夏の音楽フェスティバルの象徴的存在であった「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)」は来期より名称を変え、より進化した音楽を伝えるべく全国へ飛び立つ予定です。また長野の地でふたたび皆さんとお目にかかれることを楽しみにしております。 5年半の間、どうもありがとうございました。」

Info. 2019/03/29 久石譲さんよりメッセージをいただきました (長野市芸術館HPより) 抜粋)

 

……!?

 

そこへ飛び込んできた「久石譲コンサート2019」のひとつ、久石譲 & FOC(フューチャー・オーケストラ・クラシックス)始動!NCO(ナガノ・チェンバー・オーケストラ)のメンバーを多く含む継承結集、ベートーヴェン交響曲第5番&第7番、長野から飛び出し東京でも熱演。NCOの解体消滅は残念すぎると思っていたなか、歓喜です!

また、ベートーヴェン交響曲全集CDがFOCコンサートにあわせて発売予定とあります。NCOのライヴ録音がそろうのか(第4番&第6番 未発売)、はたまたFOC名義としてなにかある?! 楽しみは尽きません。ブラームスやシューマンも聴いてみたいですね。近現代作曲家の意欲的なプログラムもあるのかな。NCO公演と同じように、FOC公演でも久石譲作品が並列されること、レコーディングされることを心から願っています。FCOメンバーで映画・CM音楽の録音なんてこともきっとあるでしょう。夢はふくらみます。

 

 

 

ブラームスのテーマのはずが…

ベートーヴェン?久石譲?の巨像に押しつぶされそうになっている。

久石譲の音楽活動は、そのすべてがつながっています。それは久石譲屈指のエンターテインメントコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)」もしかり、切り離されたものではありません。よくよく耳をすませばW.D.O.2018で披露された「Links」も「DA・MA・SHI・絵」も進化したソリッドなアプローチでしたし、「Encounter」のように弦楽四重奏版から弦楽オーケストラ版へ拡大されることも、「Kiki’s Delivery Service 2018」のようなリズミックなオーケストレーションも、そのすべてはつながっています。

大きく言い切ってしまえば、いかなるコンサート企画であれ、いかなるオーケストラ共演であれ、いかなる演目であれ、そこには久石譲が今具現化したい響きが貫かれる。古典クラシックであれ現代の音楽であれ、同じアプローチで並列されるプログラム、現代的アプローチで追求される音楽たち。久石譲の多種多彩なコンサート、それは変化している進化している瞬間に立ち会えるということです。優れた芸術は常に「今」になる。

 

「久石譲 スプリングコンサート Vol.1 ~仙台フィルとともに~」では、「交響組曲 天空の城ラピュタ」「DA・MA・SHI・絵」といった久石譲作品とともに、「交響曲第1番/ブラームス」がプログラムされています。

 

もし、聴いたことがない人、せっかくだから予習したい人、どれを聴いたらいいかあてのない人。久石譲も大きな共感をよせるパーヴォ・ヤルヴィ指揮のCD盤をおすすめします。さらに当日、久石譲&仙台フィル共演のリアルな音楽を聴いて、からだで感じて、CDだけでは決して味わうことのできない迫力ある感動がきっと刻まれます。思い出と余韻を大切に記憶するように、好きな演奏CDを探しだすかもしれません。そうして、音楽はその人のなかへ深く深く染みこんでいきます。

 

 

あなたにとって「交響曲第1番/ブラームス」って?

きっとこう答えます。

” 春雷 ”

 

それではまた。

 

reverb.
ブラ1新しい出会いを求めて、終わりのない旅路です♪

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

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