Posted on 2018/05/13
ふらいすとーんです。
サウンドトラックがメロディの宝庫だった頃のお話。
1984年公開アメリカ・イタリア合作映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』。理想的な映画監督と映画音楽作曲家の関係にあったセルジオ・レオーネ監督とエンニオ・モリコーネによる作品でレオーネ監督の遺作でもあります。
1920年代初めから1960年代後半に至る、自由と夢を求めて新大陸アメリカに渡ったユダヤ系移民を描く物語、禁酒法・マフィア・ギャング団という構図の中で若者たちが成長する、今のアメリカを語る時に忘れてはならないユダヤ系移民たちの暗黒の物語。本編3時間半という大作でロバート・デ・ニーロが主人公を演じています。
レオーネ監督がこの作品のテーマとしておいたのは〈大人にとってのノスタルジー〉。メロディ展開の柔らかさや整然としたスコアが郷愁を誘うメロディメーカーとしてのモリコーネの代表作のひとつです。エッダ・デ・ローソによる美しいソプラノ・スキャットやパンフルートの第一人者であるゲオルゲ・ザンフィルによる素朴な音色。そしてモリコーネが丹精こめて紡ぎ出す至極のメロディたち。
撮影の1年半前から音楽制作にとりかかり、撮影を始めたころにはもうほとんどの楽曲がレコーディングされていた、現場でそれを流しながら俳優達は音楽にあわせて演技した、作品のテーマやムードをつかむのに重要な役割を果たした、といったエピソードもあります。
レオーネ監督とモリコーネのコメントが象徴的です。
「何ヵ月も前からモリコーネと話し合いを持った。実際に映画の中では、ある特定の情緒とかエモーションは音楽が導いてくれることがあるからね。彼には10から15、または20ぐらいのテーマ曲を作ってもらい、その中から一曲を選ぶ。映画のある瞬間やパートを最高に盛り上げるためには、その選んだ一曲がまず初めにセンセーションを与えるものでなくてはいけない。自分に課す、一番最初の音楽的なテストみたいなものだね。僕にとって音楽は台詞の一部なんだ。そして多くの場合台詞よりも重要だったりする。音楽はそれだけで完成された表現手段だからね。」(レオーネ)
「他の監督と比べてレオーネは音楽の重要性をはるかに認めている。彼にとって音楽は、台詞やその他の構成要素と同じくらい重要なものだったんだ。だからこそ、彼は撮影に入る前に僕に曲を書くことを依頼しておくことが大事だと思っていたんだろうね。…僕らの友情のためにしていたことではないんだ。それが彼独特のスタイルだった。音楽をとてもドラマチックで表現力のあるものだと考えていたから、彼は音楽のために時間と空間を使ったんだろう。」(モリコーネ)
監督と作曲家のタッグは『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『ウエスタン』などでもコラボレーションを築きあげ、エンニオ・モリコーネは他監督作品『1900年』『ミッション』『ニュー・シネマ・パラダイス』新しくは『海の上のピアニスト』などいずれも映画を印象づける名曲をのこし、今でも数多く演奏されています。
また映画ではモリコーネの曲以外に、作品の核となるフィーチャー・ナンバーがあります。「アマポーラ」、スペイン出身作曲家ジョセフ・ラカールによって書かれた歌で、この映画をきっかけに有名にその後日本でも幾多カバーされているスタンダード・ナンバーです。
いくつかの候補の中から選ばれたこの楽曲は、モリコーネの手によって美しいストリングスを奏でたり、クラリネットが主旋律を歌ったりいくつかのバージョンでアレンジされています。重要な楽曲として浮きでているだけでなく、音楽全体として一体感をもって溶け込んでいるのは、モリコーネの匠な手腕によるところが大きいと思います。”アマポーラがこれほど美しく思われたことはない” ”アマポーラもモリコーネの手によるものだと思っていた” という当時の評論もうなずけます。
そして、モリコーネが書き下ろした「デボラのテーマ」とスタンダード曲「アマポーラ」は映画の中で交錯し、ついにはひとつの楽曲として絡み合います(15. デボラのテーマ「アマポーラ」)。対位法的にふたつの曲のメロディが重なりあい、かけあい、流れていく。キャストや台詞と同じように音楽が呼応する。対となるふたつの曲が主人公たちと同じように呼吸し対峙し演じているようです。
エンニオ・モリコーネ指揮による2004年Live映像から、前半は主要テーマ曲「デボラのテーマ」、1曲はさんで6分前後からメインテーマ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を聴くことができます。極上の調べに時間はとまり、記憶はよみがえる。まさに〈大人にとってのノスタルジー〉です。
映画から離れたところで、「デボラのテーマ」は歌詞がつけられセリーヌ・ディオンがカバーしたりもしています(曲名:I Knew I Loved You)。それだけに美しく輝いたメロディということですね。エンニオ・モリコーネが織りあげる名曲に、スタンダード曲「アマポーラ」が美しく絡み合う旋律は、ぜひサウンドトラックを聴いてみてください。
不朽の名作・不朽の名曲、サウンドトラックがメロディの宝庫だった時代。映画ももちろん素晴らしいですが《サウンドトラックはドラマティックである》そんな誇り輝いていた頃のお話。
Ennio Morricone – Once Upon In a Time In America 約7分半
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
ONCE UPON A TIME IN AMERICA
1. ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
2. つらい想い
3. デボラのテーマ
4. 少年時代の想い出
5. アマポーラ~愛のテーマ
6. ともだち
7. 禁酒時代挽歌
8. コックアイズ・ソング(やぶにらみの歌)
9. アマポーラ~パート2
10. 若き日のつらい想い
11. 想い出の写真
12. ともだち
13. 友情
14. もぐり酒場
15. デボラのテーマ「アマポーラ」
音楽:エンニオ・モリコーネ
映画『かぐや姫の物語』の音楽を聴いたときに、ふと思い起こしたのが上に書いた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でした。なによりも強く浮かんだのがふたつの異なる楽曲が対位法的にひとつの楽曲として新しい命を吹き込まれること。
映画『風の谷のナウシカ』から交流のあった高畑勲監督と久石譲がはじめてタッグを組んだ記念碑的作品、久石譲が書き下ろしたメロディと高畑勲監督も自ら作曲したメロディがとても重要な役割を果たしています。
少しだけ制作秘話を紐解きます。
「僕はこれまで久石さんにわざとお願いしてこなかったんです。『風の谷のナウシカ』以来、久石さんは宮崎駿との素晴らしいコンビが成立していましたから、それを大事にしたいと思って。でも今回はぜひ久石さんに、と思ったのですが、諸事情で一度はあきらめかけた。しかし、やはり、どうしても久石さんにお願いしようという気持ちが強くなったんです。」(高畑勲)
(Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
「2012年の暮れに鈴木(敏夫)さんから「『かぐや姫の物語』の公開が延期されたので、『風立ちぬ』共々ぜひやってほしい」とご依頼をいただきました。そのときはビックリしましたね。まさか高畑さんとご一緒できるとは思ってもいませんでしたから。でも、僕は高畑さんをとても尊敬していましたし、高畑さんとご一緒できるのだったら、ぜひやりたいと、返事をさせていただきました。」(久石譲)
「今回は高畑さん自身がお書きになった “わらべ唄” が映画のなかでしっかりした構造を持っていて、例えばオープニングにしても、「出だしをなよたけのテーマでワンフレーズ演奏したら、わらべ唄に移って、そしてテーマに戻って、またわらべ唄に…」という具合に、かなり具体的な注文をいただいていたんです。でも、そのまま交互にはせず、結果として対旋律のように同時進行させています。問題だったのは、そのわらべ唄が五音音階(1オクターブに5つの音が含まれる音階)だということです。この唄が重要な部分を占めている以上、劇中の僕の音楽もそれに合わせて整合性をとらなければなりません。でも、一歩間違えると、五音音階というのは陳腐になりやすい。なので、同じ五音音階を使っても日本人が考えるものとは全く違うものを作ろうと。」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ビジュアルガイドより 抜粋)
最初にとりかかったのが、絵を書くために必要な映画のなかでかぐや姫が弾く琴の楽曲。それが《なよたけのテーマ》です。高畑勲監督はとても楽曲を気に入り、またそれ以前に自ら作曲していた「わらべ唄」と一体感が出たことをとても喜んだそうです。
映画はこのふたつの主要テーマ曲がたびたび登場します。ここでフォーカスしたいのは、ふたつの楽曲が対位法的にひとつの楽曲として絡み合う「1.はじまり」「33.月」、映画のオープニングとエンディングです。《なよたけのテーマ》(久石譲)と「わらべ唄」(高畑勲)のふたつのメロディを、久石譲曰く【対旋律のように同時進行させている】曲。
初めて「1.はじまり」を聴いたときは、ついに高畑勲×久石譲 が完全なコラボレーションを果たした瞬間、音楽として見事に融合した瞬間、約1分間の曲をくり返し聴きながらこみあげてくる感慨を覚えています。相思相愛でありながら一度もタッグを組まなかった高畑勲×久石譲、その積年の想いが結晶化されて音楽としてしっかりとかたちに残ったことは、うれしい・感謝の一言です。
サウンドトラック盤には、映画で使用されたすべての楽曲が初回プレス限定特典ディスクもふくめて完全収録されています。
〈宮崎駿×久石譲〉や〈レオーネ×モリコーネ〉などと同じように、理想的な映画監督と映画音楽作曲家の関係〈高畑勲×久石譲〉で映画がつくられたことは、さまざまな秘話から知ることができます。高畑勲監督が久石譲に求めたこと、久石譲が応えたこと、ふたりで到達したこと、鮮烈な印象を残した「天人の音楽」のこと。ぜひ紐解いてみてください。
- Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより
- Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ビジュアルガイドより
- Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー キネマ旬報より
- Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー 熱風より
- Blog. 「かぐや姫の物語をつくる」ドキュメンタリーより 久石譲音楽制作軌跡
時をおかず、映画『かぐや姫の物語』は音楽作品として組曲化されます。映画公開翌年のコンサートで初披露。
交響幻想曲 「かぐや姫の物語」
「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」でプロデューサーを務めた高畑勲監督が、旧知の久石に初めてスコアを依頼した記念すべき作品。今回演奏される曲は、本編の主要曲をかぐや姫の視点で繋げ、オーケストラ作品として書き改めたもの。木管が演奏する「なよたけのテーマ」と高畑監督が作曲した「わらべ唄」を対位法的に扱う〈はじまり〉の後、〈月の不思議〉のセクションをはさみ、東洋的な曲想が特徴的な〈生きる喜び〉の音楽へ。その後、3拍子のピアノが〈春のめぐり〉の音楽を導入するが、曲想が一転し、前衛的な語法を用いた暗い〈絶望〉に変わる。再び木管が「なよたけのテーマ」を演奏すると、オーケストラが〈飛翔〉の音楽を高らかに演奏し、久石エスニックの真骨頂〈天人の音楽〉へと続く。最後の〈月〉では「なよたけのテーマ」「わらべ唄」など主要テーマが再現し、幕となる。
★アルバム「WORKS IV -Dream of W.D.O.」 収録
(Blog. 「久石譲 ジルベスター・コンサート 2014」(大阪) コンサート・レポート より抜粋)
サウンドトラック盤をベースに主要曲で構成され楽曲名も継承されていますが、この組曲化には高度な苦労も多かったようです。
「これはかなり苦しみました。何度もトライして、うまくいかないからやめたりもして(笑)。でも、しばらく経つと、挫折したような感覚が嫌になり、再びチャレンジするんです。その繰り返しで、最終的にはコンサートの一ヶ月くらい前に完成しました。」
「まず、本作の音楽としては「わらべ唄」という高畑さんご自身が作られた本当にシンプルな歌が基本にあるんです。それが重要なシーンに使われているから、僕の書く音楽にも五音音階を取り入れないとバランスが取れない。つまり、「ドミソラドレ」とか「ドレミソラド」というものですね。さらにこれをひとつ間違えると、すごく陳腐になり、不出来な日本昔話のようになってしまう(笑)。それをなんとか高畑さんのイメージに合うように工夫するのですが、高畑さん自身が音楽に詳しい方なので、細かい要求がたくさん出てくるんです。そのひとつひとつに応えていったことで、いろいろなスタイルの音楽が混在してしまうことになり、まとめるのが難しくなりました。
『風立ちぬ』でロシアの民族楽器を使ったように、「『かぐや姫の物語』は日本を題材とした映画だから、和製楽器の琴とオーケストラでやろう」というアイデアも出ました。ところが、そうすると逆にトリッキーになってしまう。一度聴く分には面白いんだけれど、きれいにはまとまらないんです。それで他の楽器を足すなど試行錯誤しましたが、オーケストラだけのシンプルな構成のほうが統一感がある、というところに行き着いて。そこに至るまでにけっこうな時間がかかりました。
また「天人の音楽」(天人が天から降りてくるときの音楽)は、もともとサンプリングのボイスなどを入れていたので、オーケストラとの整合性がうまくとれずに苦戦しましたね。ただ、それが現代的にかっこよく響いてくれれば成功するだろうという狙いが根底にありましたし、高畑さんも実験精神旺盛な方ですから、とがったアプローチをしても快く受け入れてくれました。「五音音階を使っているのに何故こんなに斬新なの?」と思わせるラインまではすごく時間がかかりましたが、結果として納得いくものができました。」
(Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより 抜粋)
「2013年は宮崎(駿)さん、高畑(勲)さん、山田(洋次)さんという3人の巨匠と向い合って映画を作るという非常にヘビーな年でもありました。この3作品を披露することは、今回のコンサートのもう一つの重要な要素です。いずれも”映画的”に作った曲ばかりで、台詞の邪魔をしないように構成しているため非常に音が薄いんです。それをコンサートで演奏する作品として書き直すのは、ゼロからリニューアルするのと一緒で本当に大変でした。特に「かぐや姫の物語」は昨年秋に公開されたばかりの作品で、まだそれほど時間が経っていない。自分の中でも消化しきれていない状態で作品化に取り組んだので、今までコンサート用に作品化した中で一番と言ってもいいくらい苦労しましたが、手ごたえはあります。」
(Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」 久石譲インタビュー 抜粋)
こうした経緯のなか華々しくコンサート披露され、ハイクオリティな技術を極めたLive音源としてCD化もされている「交響幻想曲 かぐや姫の物語」。サウンドトラック盤からさらに音楽的豊かになった「かぐや姫の物語」の世界。今だからこそ、もう一度しっかり耳を傾ける価値があります。
さてここで、久石譲インタビューでは語られていないことを考察します。
映画は「1.はじまり」で始まり「33.月」で終わります。このニ楽曲は《なよたけのテーマ》(久石譲)と「わらべ唄」(高畑勲)のふたつの旋律が対位法的に織りあげられています。もっと掘りさげると、「33.月」に使われているのは「わらべ唄」のモチーフではなく「天女の歌」のモチーフです。「わらべ唄」のメロディがより悲しい短音階の旋律になっている「天女の歌」は歌詞も異なります。
「わらべ唄」は地球・人間・生の世界を「天女の歌」は月・天女・死の世界を、と対になっているとしたら。「わらべ唄」の歌詞には自然・生き物・四季が高らかに歌われ【せんぐり いのちが よみがえる】(順繰り命がよみがえる)という歌詞が登場します。「天女の歌」はその正反対で【まつとしきかば 今かへりこむ】(本当にあなたが待っていてくれるなら、すぐにでもここへ帰ってきます)という歌詞が登場します。
高畑勲監督がつくった対となる「わらべ唄」「天女の歌」。映画では「1.はじまり」(なよたけのテーマ/わらべ唄)地球に生まれたときに始まり、「33.月」(なよたけのテーマ/天女の歌)月に帰っていくところで終わります。物語も音楽も。
でも、実は「交響幻想曲 かぐや姫の物語」はそうはなっていません。
「木管が演奏する「なよたけのテーマ」と高畑監督が作曲した「わらべ唄」を対位法的に扱う〈はじまり〉の後、 (~中略~) 最後の〈月〉では「なよたけのテーマ」「わらべ唄」など主要テーマが再現し、幕となる。」(コンサート・プログラムノートより)
とあるとおり、楽曲名は「月」と継承しながらも、そこで使われているモチーフは「天女の歌」ではなく「わらべ唄」です。これは何を意味するのか? とても興味があります。久石譲が音楽作品へ組曲化するにあたり再度検討したこと、高畑勲監督へ打診したことなどがきっとあると思います。インタビューでも語られていない高畑勲×久石譲のふたりだけが知る真実。
〈生にはじまり死におわる〉のではなく、〈生にはじまりまた生がめぐる〉。物語から少し自由になれる音楽作品への再構築だからこそ、強く生きること・生きる価値があることを響かせて幕をとじる作品にしたかった、一歩強く押し進めた「かぐや姫の物語」の音楽世界、…と個人的には思っています。そう思ったのは、数々のインタビューを読み返しながらお二人のやりとりを改めて見たときに、「交響幻想曲 かぐや姫の物語」音楽構成のクライマックスと糸がつながった気がしたからです。
高畑:
制作が本格化した頃に東日本大震災がありました。それによって内容が影響されたわけではありませんが、人がたくさん亡くなられたり、家が流されたりするのを見て、無常観というか、この世は常ならないんだとあらためて思い知らされました。生き死にだってあっという間に訪れる。にもかかわらず強く生きていかなくちゃならない。そこに喜びもある。そういうことと、この作品も無関係じゃないんです。
久石:
東洋の発想だと魂は死なずに、また生まれ変わる…。人間になるのか牛になるのかわからないんだけど繰り返す。ふと思ったのですが、つまりかぐや姫というのはそれをデフォルメしている物語なのかもしれませんね。「いつか帰らなきゃいけない」という命題に生と死が凝縮されている。
高畑:
そうですね。この土地、要するに地球は、すごく豊かで命に満ちあふれているわけですよね。それを考えたとき、月は対照的なものとしていいですよね。光はあるかもしれないけど太陽の光に照らされているだけで、色もなければ生命もない。そこにあるのは原作にも出てくる“清浄”だけ。地球は清浄無垢より大変かもしれないけど、生きる価値がある。そのことをもっと噛かみ締めたいという思いで作ったつもりです。
久石:
限りある命だからこそ、ですよね。
(Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
高畑勲×久石譲 長い年月を経ての初タッグ辿り着いた到達点、化学反応を起こしたふたりの旋律《なよたけのテーマ》と《わらべ唄》。サウンドトラック盤と組曲版を聴き入りながら、念願のコラボレーションがつくりあげた作品の尊さとしっかり感じとることができる命のぬくもりのようなもの。
2015年には、映画『かぐや姫の物語』の劇中歌「わらべ唄」と「天女の歌」が女声三部合唱曲に。さらには久石譲作曲《なよたけのテーマ》に高畑監督が新たに詞を書き下ろし「なよたけのかぐや姫」として新しい命が吹き込まれました。映画制作時から「わらべ唄」は歌詞も切り離せない映画のなかで重要なものと語っていた高畑勲監督。そこへ歌詞が与えられて映画から羽ばたくことになった「なよたけのかぐや姫」。これらの楽曲は「アートメント NAGANO 2016」でCD盤と同じ東京混声合唱団によって初演されています。
こう想いめぐらせると。
理想的な映画監督と作曲家の関係があるということは、幸せなことであると同時にそれはまた奇跡です。お互いに尊敬し対等でもあるきびしい関係。そんな出会いによって生まれた楽曲たちもまた幸せものであると同時に強い生命力を持ちえます。名作に寄り添う名曲たちは、作曲家の創造性とポテンシャルを最大限に引き上げる監督の力と、見事に挑戦し打破した作曲家の新しい可能性の開花。
こう想いめぐらせると。
久石さんが手がけたスタジオジブリ作品は、メインテーマであり主題歌である楽曲もたくさんあります。また映画ではインストゥルメンタルとして主要テーマ曲だったものが、のちに歌詞をつけて生まれ変わった楽曲もたくさんあります。
後者でいえば、「アシタカとサン」(もののけ姫)、「いのちの名前」「ふたたび」(千と千尋の神隠し)あたりがすぐに思い浮かぶ名曲です。イメージアルバムでは歌曲中心だった映画『となりのトトロ』、映画『千と千尋の神隠し』、映画『崖の上のポニョ』、公開後歌曲集が企画された映画『魔女の宅急便』など。はたまた「人生のメリーゴーランド」(ハウルの動く城)も実は歌曲としてカバーされています。
そこには、歌であっても楽器であってもしっかりとした性格をもったメロディ、はじめから念頭に音楽制作されているという紛れもない事実。また映画監督の強い意志や要望があってはじめて生まれた楽曲もあるという紛れもない事実。作曲家と監督の強い化学反応によって書かれ導かれた幸せな曲たち。
いい音楽とは、聴き継がれるための、愛されつづけるための強いエネルギーをそのメロディに宿しているのかもしれませんね。スタジオジブリ音楽はメロディの宝庫である。久石譲音楽はメロディの宝庫である。
それではまた。
reverb.
イタリア的な「唄」をコンセプトにした久石譲 『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』(1998)、自身の映画音楽からイタリア映画のカバーまで大人のノスタルジー漂うドラマティックな作品です♪
*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number]
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