【ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)第4回定期演奏会】日程変更のお知らせ
当初予定だった開催日が変更となりました。ご了承くださいませ。 “Info. 2017/07/15 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO) 第4回定期演奏会」日程変更” の続きを読む
【ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)第4回定期演奏会】日程変更のお知らせ
当初予定だった開催日が変更となりました。ご了承くださいませ。 “Info. 2017/07/15 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO) 第4回定期演奏会」日程変更” の続きを読む
このたび、久石譲公式YouTubeチャンネルを開設いたしました。
コンサート映像など少しずつアップしていく予定です。
まだまだ手探りの部分もありますが、お楽しみください。
第一弾は、2015年に開催した「MUSIC FUTURE Vol.2」より
久石の自作「エレクトリックヴァイオリンと室内オーケストラのための《室内交響曲》」をお届けいたします。 “Info. 2017/01/27 久石譲YouTube公式チャンネル開設” の続きを読む
Posted on 2017/1/27
ふらいすとーんです。
久石さんの”Symphonic Variation”といえば、「交響変奏曲 人生のメリーゴーランド」(ハウルの動く城より)ですね。そこにいきます、その前に。
「威風堂々」でおなじみのイギリス作曲家エルガー、「エニグマ変奏曲」という作品があります。「エニグマ(謎)」と名前にあるように、2つの”謎かけ”が込められた作品です。といっても、そこは「威風堂々」のエルガーさん、とてもキャッチーで親しみやすいメロディです。1つは、各変奏に付けられたイニシャルで、それはエルガーの友人たちへの肖像になっていて、謎解きは完了しています。もう1つは、「この変奏曲は、主題とは別の、作品中に現われない謎の主題も使われている」というものだそうで、未だ解明されていません。うーん、深すぎてよくわからない。(^^;)
と、ご紹介したような背景は、この作品を好きになってから調べたことで、聴いたが吉日、そんな作品です。僕のなかの”愛聴盤探し”に火がついて、一時期探しては聴いてをくり返していました。なかなかしっくりくるものがなく、国内盤では飽き足らず、輸入盤にまで手を出してしまう始末。おかげで愛聴盤にめぐり逢うことができました。
「エニグマ変奏曲」 おすすめポイント
主題(テーマ)が1曲目にあり「このメロディが変化していくんだな」と、とてもわかりやすいです。各変奏で長調になったり短調になったり、主旋律(メロディ)だったり対旋律(伴奏)にまわっていたり、高音楽器や低音楽器で奏でられていたり、テンポや拍子が変わっていたり。でも、メロディが見つけやすい、聴いていて楽しいです。
ひとつのメロディが表情豊かにドラマティックに展開していきます。オーケストラ楽器の魅力、オーケストレーションの魅力を味わえる作品です。各変奏とても短い曲で、めまぐるしく展開する映画のワンシーンのよう。いいな!と思ったのも束の間、すぐに次の曲へ移っていきます。もうちょっと聴いていたかったなあと思うほど、この先の展開も聴いてみたかったなあと思うほどに。あれ、なんだか久石さんのSymphonic Variationのほうを言っているみたい…、いいえ「エニグマ変奏曲」のお話です。
「エニグマ変奏曲」のなかでも有名なのが、「第9変奏 “Nimrod”(ニムロッド)」です。ほんとに美しい曲です。エンドレス・リピート、心おだやかに時間がとまります。単独でコンサートのアンコールピースとしても人気のある名曲です。
ニムロッドとは、エルガーの親友アウグスト・イェーガーの愛称で、ベートーヴェンに関する議論をしながら、イェーガーがエルガーの音楽活動を激励した一夜の雰囲気を描いている、そうです。その夜、イェーガーが口ずさんだメロディこそ、「ピアノ・ソナタ第8番 悲愴 第2楽章」/ベートーヴェン、誰もが聴いたことのあるあの旋律です。エルガーはエッセンスとして取り入れているとのこと。(エピソードはかけ足抜粋しています)
そうなの?そんなことになってる?!と知って楽しむ音楽ですね。たしかに「悲愴」のあのメロディが、エニグマ主題のなかに見え隠れしてきます。「悲愴」の「ドシミー、レ、ドミラシミー♪」このシの音、「第9変奏」の「ソミラーファーシーファー、ファラソーシーミーファーレー♪」このファーの音を1オクターブ上げてみると、「悲愴」のメロディと同じ音並びになります。曲冒頭からはじまる旋律です。…伝えきれていない。
♪「悲愴」第2楽章のこの音
♪「第9変奏」のこの音 (を1オクターブ高く響かせてみる)
*僕の解釈ではなく音楽番組で紹介されていたことです。ご安心ください♪
ほんとだ!「悲愴」のメロディとかぶる!と目からウロコでした。そりゃ、心揺さぶられる曲なわけです。ぜひ、第9変奏だけでも聴いてみてほしい、きっと久石さんファンの心には響く、美しい曲です。「エニグマ変奏曲」をとおして聴いてみたいと思ったら、僕の愛聴盤はこちらです。4,5つほどCDを聴き比べて、音の良さ、管弦楽のバランス、演奏の抑揚、ダイナミクスや揺れ、この作品の持ち味を最大限表現できてる、と僕の耳は思ったようです。輸入盤です。もしほかに名盤ご存知の人は、教えてください、飛びつきます!
エルガー:「エニグマ変奏曲」
指揮:ノーマン・デル・マー
演奏:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
Elgar:Enigma Variations
Conducted by Norman Del Mar
Performed by Royal Philharmonic Orchestra
主題 Theme 1:32
第1変奏 “C.A.E.” 1:54
第2変奏 “H.D.S-P.” 0:54
第3変奏 “R.B.T.” 1:22
第4変奏 “W.M.B.” 0:31
第5変奏 “R.P.A.” 2:05
第6変奏 “Ysobel” 1:24
第7変奏 “Troyte” 0:59
第8変奏 “W.N.” 1:43
第9変奏 “Nimrod” 3:56
第10変奏 “Dorabella” Intermezzo. 2:38
第11変奏 “G.R.S.” 0:57
第12変奏 “B.G.N.” 2:53
第13変奏 “* * *” 3:07
第14変奏 “E.D.U.” Finale. 5:08
さて、「交響変奏曲 人生のメリーゴーランド Symphonic Variation “Merry-go-round”」。映画『ハウルの動く城』メインテーマ曲にして、映画全体を一貫して響かせるあのメロディです。あまり説明の必要ない人気曲、紹介はこの辺で大丈夫ですね(^^)
僕は、最初「人生のメリーゴーランド」を聴いたとき、なんて優雅で胸躍るワルツなんだろう、と聴き惚れていました。さらにサウンドトラックを聴いて、映画を観て、あの旋律がこんなに表情豊かに奏でられるんだ、びっくりうずうず、開いた口が開いた耳がふさがらない、幸せ気分でした。それはまるで、一つの種からいろんな花が咲くようで、一つの卵からいろんな生き物が飛び出すようで。
サントラ盤では楽曲名が違うので、どれがあのメロディをモチーフにしてたっけ、メモしながらリストアップ、「人生のメリーゴーランド」プレイリストで、めくるめく七変化を聴き楽しんでいました。そうこうしているうちに登場したのが、「変奏交響曲 人生のメリーゴーランド」です。
宮崎駿監督の「この映画はひとつのテーマ(曲)でいきたい」という要望に応えた渾身のメロディ「人生のメリーゴーランド」。サントラ盤では場面ごとの短いモチーフ変奏となっていたものを、音楽作品として昇華させたのが「Symphonic Variation “Merry-go-round”」です。
ひとつのメロディだけで映画二時間をもたせるって、なかなかできることではありません。世界観の反映、メロディとしての核、多彩なオーケストレーション、各シーンにあった楽曲構成。もっとも大切なのは、変奏に耐えうるだけの、自由に飛び羽ばたけるだけの、核としてのメロディ。ときに切なく、ときに力強く、ときに優雅に、音楽家久石譲の妙技を堪能できる旋律美です。
そんな「ハウルの動く城」「人生のメリーゴーランド」にまつわる数々のエピソードは当サイト内で紹介しています。ぜひ紐解いてみてください。サイト上部に検索BOXがあります。「ハウルの動く城」キーワードで検索すると、たくさんHitすると思います。Hitしすぎると思います。そんなときは、
「disc ハウルの動く城」
ディスコグラフィ、CD/DVD作品に絞り込むことができます。
「blog ハウルの動く城」
各媒体(コンサート・書籍・Web 他)からの久石譲インタビューや資料に絞り込むことができます。
ひとつの主題(メロディ)から、大きな作品を築きあげていく。それは「エニグマ変奏曲」でも「交響変奏曲 人生のメリーゴーランド」でも同じですね。変奏はそれぞれです。オーケストラ楽器の使い方も、オーケストレーションも、核(メロディ)と世界観、そして作家性を反映した、趣の異なる変奏曲がかたちになっています。そういう変奏曲聴き比べも、おもしろいなと思います。またそうすることで、久石さんの作品がクラシック音楽と並べて響かせても遜色ない、という凄みを感じてしまいもするわけです。
「エニグマ変奏曲」、イギリス作家らしい響きと世界に包まれます。洗練された都会の街、ちょっと郊外の田舎町、自然豊かな風景、音楽旅行です。「ニムロッド」をはじめとして、ぜひ約30分、純粋に音楽からあなただけのイメージを描いてみてほしい作品です。
「第9変奏 “Nimrod”」と「第14変奏 “E.D.U.” Finale.」を聴いてみて、あなたに響くものがなかったら、それ以上の無茶は言いません。ありますよね、聴くタイミングとか響くタイミングって。僕もこの作品少なくとも中学生の時に聴いているはずで。「威風堂々」とカップリングされたCDを持っていました。そのときは、かすりもしなかったなー。エニグマ?謎?なにそれ、ふーん、ピンとこない(^^;) せめて、このあとすぐ、「交響変奏曲 人生のメリーゴーランド」約14分、あのシンフォニックなバリエーションで心躍らせてくださいね♪
あっ、「第9変奏 “Nimrod”(ニムロッド)」は映画『のだめカンタービレ 最終楽章前編』でも使われてたんだ、知らなかったなー、気になってきたかなー(^^)
それではまた。
reverb.
次回からは月1~2回ペースを予定しています。φ (. . ;)
*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number]
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EXILE ATSUSHIが作詞とボーカルを務め、映画音楽界の巨匠・久石譲が作曲を担当した楽曲「天音(アマオト)」が、青柳翔主演の映画「たたら侍」(5月20日公開)の主題歌に決定した。2人がともに制作に取り掛かるのは、2013年10月に発売された「懺悔」以来、約3年3ヵ月ぶり2度目。今作のために書き下ろされた楽曲となっている。
主題歌としての起用が決まった映画「たたら侍」は、EXILE HIROが映画初プロデュースを手掛けた、原作なしのオリジナルストーリー。戦国時代の島根・奥出雲の村を舞台に、伝統を継承し守ることを宿命付けられた青柳演じる主人公が、葛藤や挫折を通して真の「侍」へと成長していく姿を描いた本格時代劇映画。 “Info. 2017/05/20 公開映画「たたら侍」主題歌 EXILE ATSUSHI×久石譲 『天音(アマオト)』 決定!” の続きを読む
住友ゴム工業は、今年でイメージキャラクターとして9年目となる福山雅治さんを起用した新テレビコマーシャル「LE MANS V(ル・マン ファイブ)誕生」篇と「選べるダンロップ」篇を1月21日(土)から全国で放映します。 “Info. 2017/01/21 [CM] DUNLOP「LE MANS V(ル・マン ファイブ)誕生」篇 「選べるダンロップ」篇 O.A.スタート” の続きを読む
2017年1月21日 TVCM放送
ダンロップ(DUNLOP)新CMに久石譲が音楽を書きおろしている。
出演:福山雅治
音楽:久石譲 曲名:DUNLOP
テレビCM
・LE MANS V(ル・マン ファイブ)「誕生」篇 15秒
・ダンロップ低燃費タイヤシリーズ「選べるダンロップ」篇 15秒
ラジオCM
・「我が子のための発明」篇 80秒
・「我が子のための発明」篇 60秒
・LE MANS V(ル・マン ファイブ)「誕生」篇 20秒
・選べるダンロップ「ひとりひとりに一番合ったタイヤを」篇 20秒
ダンロップCMギャラリーにてCM動画視聴可能 (※2017年1月現在)
公式サイト:ダンロップタイヤ | ダンロップCMギャラリー
「音と沈黙」による、今もっとも旬な久石譲ミニマル・ミュージックのかたち。2016年「ミュージック・フューチャー Vol.3」コンサートで世界初演された新作 『2 Pieces for Strange Ensemble』の流れを彷彿とさせる、斬新な楽曲である。
室内アンサンブルの編成ではあるけれど、その響きはクラシックというよりもロックのようなワイルドさ。これもまた上述新作にて追求したサウンドが活かされているように思う。「音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶」によっても曲のリズムやグルーヴ感は失われておらず、時間軸としての凹凸感がみえておもしろい。
あえて言うならば、台詞やナレーションも必然的に「音と沈黙」があるわけで、互いの「音と沈黙」で意識が散漫になる危険性はあるのかもしれない。一般的に音楽が通音で鳴っている上に台詞や言葉がのっかる、というものとの違いのことである。そんな事象も折り込み済みで、狙っているのなら、意見するところではない。
一般的にCM音楽に不可欠とも思われるキャッチーなメロディはそこにはない。がしかし、聴こえた瞬間に耳に意識を集中させてしまうほどの、手を止めてしまうほどの強烈なインパクトのある楽曲。一瞬にして日常生活にはない違和感のあるサウンドで、強く印象に刻まれることはもちろん、ヴィンテージ感や高級感といった品格の佇まいすら感じる。
近年、CM音楽においても、メロディー系ではなく本格的なミニマル・ミュージックを投じることがふえた傾向にある。そのなかでも、久石譲が今もなお進化していることを証明する、アヴァンギャルドな楽曲である。
最長80秒を視聴することのできる楽曲。その先の展開や着地も気になる、ぜひフルサイズで聴いてみたい作品である。
2019.11.1 Update
「Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra」(「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.6」コンサート)の第3曲に組み込まれる。
Posted on 2017/01/12
ふらいすとーんです。
最初からえらいもんをぶっこんできたな、なんて思ったりもしますが、まあまあ落ち着いていきましょう。2016年No.1映画『君の名は。』(監督:新海誠 音楽:RADWIMPS)、スタジオジブリ映画独占だった興行ランキング、その牙城を崩した作品です。公開から約半年、ここまで社会現象になれば観ている人も多いでしょうが、観ていない人もいると思います。ストーリーの内容には一切触れることなく、ネタバレすることもなく、安全に?!音楽の話だけをしてみたいと思います。
宮崎駿×久石譲、新海誠×RADWIMPS、監督からも音楽からもスタジオジブリ作品と比較されることの多いこの作品。興味深いとも思い、比較するものじゃないとも思い、影響がないわけないとも思い。スタジオジブリ作品が培ってきたものがあって、そのアニメーション映画の延長線上に、映画『君の名は。』は誕生することができた、と僕は思っています。ゼロから生み出された映画というよりも、先人の巨匠たちの職人たちの歴史があって、その地ならし(観客もふくめて)のうえに、新しい作り手たちが受け継いだもの。それが今、巨大な共感と一体感を巻き起こしたのだろうと。
だから同じ天秤にのせても、意味がないし、のせてみたいのもわかるし、うーん、でも時間的重みを加味したら、アドバンテージがちがうしなあ、なんて思ったりしながら、比べることは放棄します。良い悪いではなく、どちらも”それぞれの作品”として尊重されるものですからね。仮に比べることで新しい側面が発見できるのなら、それはすごく支持します。そう、その流れで進めます。
映画『君の名は。』を観て、音楽面で気になったのは《音楽としての情報量》です。「夢灯籠」「前前前世」「スパークル」「なんでもないや」というRADWIMPSの4つの主題歌がクローズアップされ、強烈なインパクトを放っている音楽。その他の本編BGM、インストゥルメンタル楽曲って、あまり印象に残りにくい。サントラ盤も第一印象は、なんか薄い、音数も少ない、メロディーの幅や広がりもない、展開も抑え気味、全体的にいたってシンプル…言いたい放題ですが、要はすごく違和感があったんですね。4つのヴォーカル曲との作り込みというか密度の差が非常に激しい。これはなんだろう?
この映画は、映像そしてストーリーにおいて、最も比重が大きい、とてつもない情報量が詰め込まれています。おそらく観客は映像美に見惚れながらも、その内容を理解しながら追っかけることで2時間ノンストップ集中します。作品構成、スピード感、展開のはやさ、伏線の収拾において、息つくひまを与えないすごい映画だなあと思います。
だらかです。だからゆえに、音楽は情報量を抑えたんじゃないか。例えばピアノ曲は、ピアノを習っている子供ならすぐに弾けてしまうほどのシンプルなメロディのくり返し。サントラ全体の楽器編成も、ヴォーカル曲を除いて、とても小編成なアコースティック楽器とエッセンスとしてのシンセプログラミング。起伏や緩急をもって展開することのない、シーン(場面)のための背景音楽。膨れあがる情報量(映像・ストーリー)から、一歩引いたところにある音楽。あえて情報量を減らし、密度を薄くすることで、そのバランスを保った音楽とも言えるんじゃないかなあと、僕は思います。
たとえば、久石さんとRADWIMPS、どちらが映像のための音楽か、映像を補完する音楽かと言われれば、RADWIMPSのほうでしょう。一方で、どちらが映像にシンクロした音楽かと聞かれれば、それは間違いなく久石さんでしょう。「ラピュタ」にしても「トトロ」にしても、どの宮崎駿作品にも、必ずどこかに、映像と完全にシンクロして、マッチングしている楽曲があります。
このあたりがおもしろいところで、久石さんは『登場人物や映像につけているわけではなく、世界観に音楽をつけている』というスタンスです。僕が言いたいのは、すごく深いことなんです。久石さんは世界観につけた音楽という核があって、一見映像とシンクロして聴かれるそれらの楽曲たちは、核の完成度が高いからこその手法のひとつ、引き出しのひとつ、遊び心のひとつ。だから表面的にシンクロした音楽がすごいのではなく、奥深い音楽としての核が、やっぱりすごいんです。伝わりますか? すいません、文章力がない。
映画『君の名は。』 音楽における最大の功績は、RADWIMPSというロックバンドが映画のための音や言葉を紡ぎだし、純粋無垢な疾走感を演出し、声と声質によって、主人公の内なる声を浮かび上がらせることでコラボレーションしたことだと思います。《音楽としての情報量》その役割を、「言葉と声」に集約させたことが一番の核だと思います。
少し具体的に分けて見ていきましょう。
【ヴォーカル曲】
4つの主題歌は、いずれも”ここしかない”という絶好の場面で流れます。相乗効果はもちろん、それはもう映画の一部です。自分たちの音楽性をこの映画のために捧げた、映像のために作曲され楽想も構成された音楽。これまでの主題歌・挿入歌という枠とセオリーをぶち壊した監督とアーティストの化学反応で、それはひとつの偉業だと思います。
ヴォーカルの声と声質が主人公とダブらせ、紡ぎ出される言葉やシャウトが、主人公の内なる声を浮かびあがらせる。『せーの』『ハイタッチ』『革命前夜』『旗を立てる』『美しくもがく』『権利』『叶えたい夢』『追い越したんだよ』…。若い世代の日常生活に駆け巡るキーワード、若い時代だからこそ光輝く言葉たち、痛いくらい眩しいくらい、汚れを知らないときの純粋無垢な言葉たち。そして、まっすぐに届けられる突き抜けた声。
オリジナルアルバム『人間開花』に収録された「スパークル (original ver.)」や「前前前世 (original ver.)」と聴き比べてみました。両曲movie ver.は、エレキギターもベースも、ボリュームをおさえ、音質もクリアに近いものを選び音の歪みをおさえています。かき鳴らしたいところをカッティングに徹したエレキギター、動きまわりたいところを単音連打で駆けおさえるベース。映画のためという制約のあるなかで、いかにロック性を失わないか、緻密に作り込まれ、音が選ばれているように思います。
映画の邪魔をしてはいけないから当然、という見方もできますね。でもそのなかで主人公、疾走感、高揚感、刹那感を表現するということは、そう簡単なことではないと思います。映画のため、それはアーティスト性として大きな賭けでもありリスクもともないます。ファンを増やすこともあれば、ファンを裏切ることにもなりかねません。本来のテクニックを発揮できないことは、見限られるという紙一重でもあります。
「前前前世」は(movie ver.)とも(original Ver)とも違うヴァージョンが本編では使われています。(original ver.)の歌詞が本編には追加されていますが、楽曲アレンジは(movie ver.)の延長線にあります。「スパークル」は(movie ver.)では映画に広がりをもたせる弦楽が使われていますが、(original ver.)は本来のギターサウンドを前面に打ち出しています。このように、サントラ盤だけでRADWIMPSの音楽性を測ってしまわずに、オリジナル作品と聴き比べることで、RADWIMPSの「映画に100%寄り添った音楽」とその解放がそれぞれの場所に着地しています。
RADWIMPSの楽曲が、ストーリー展開に影響を与えたこと、歌詞の言葉から台詞が変わったシーンがあること、音楽待ちだった映像制作現場、などなど。映像の長さを音楽に合わせるほどに、”ここしかない”場面でRADWIMPSのサウンドと言葉をぶつける手法。登場人物たち、いや主人公と同じくらいの扱いをもって迎えられていることがわかるエピソードですね。
【インスト曲】
たとえば、明快でわかりやすいのは、4つの主題歌をメインテーマとしてインストゥルメンタルでBGMを散りばめることです。そうすることで、音楽全体として統一感のある世界をえがくことができます。でも、主題歌の旋律を聴くことができるのは、「夢灯籠」のメロディをピアノや弦楽が奏でる「かたわれ時」だけです。そうまでして主題歌とBGMを切り離したかった、主題歌をピークに浮き上がらせたかったということなんだと思います。
もうひとつは、映像・ストーリーとの密度のバランスです。それを具現化するように、シンプルな楽曲構成になっています。鳴っている音の数も少ない、メロディの幅や広がりが小さい、急な大きな展開をのぞまない緩やかな繰り返し。音の動きや音の増減は、瞬間的に意識がそっちにいってしまいます。あえてそうさせたくなかったのが、これらインスト曲の役割であり、主題歌におけるギターやベースの立ち位置だったように見えてきます。
ちょっと映像に寄り添いすぎた音楽かなともとれます。明るいシーンに明るい曲、泣かせるシーンに泣かせたい曲、という単純な意味ではないです。久石さんが嫌いな言葉なので普段使わないですが、”劇伴”という表現がしっくりきます。あくまでも映像を引き立てるため、もちろんそこにも大きな意味はあります。見事にその役割をまっとうしたのがRADWIMPSの本編BGMです。
「デート」「三葉のテーマ」「デート2」は同じモチーフをもった楽曲です。とてもシンプルなピアノ曲です。でしゃばらないけれど、そっと近寄ってすっと印象に残るような佳曲です。「三葉のテーマ」を軸にみたときに、「デート」「デート2」は映像の奥にあるもの、心のなかでは気持ちのうえでは誰とデートしているのか? そういったところもしっかりと描かれて音として紡がれています。
この3楽曲の旋律のなかに「♪ドソドソド~、ドソドソド、ドソドソド~」と繰り返しているメロディ箇所、このコードの展開が似ているシーンがあります。主題歌「スパークル」で、長い間奏のあと静かになって再び歌声が戻ってくる「♪愛し方さえも~、君の匂いがした~」。頭の中でピアノのメロディを重ねてみたら、なんとなくダブってくるから不思議です。これは意図していることかわからないので、僕の勝手な解釈です。なんだか物語と一緒に音楽においても伏線、からまって、結びを感じてしまいます。もしよかったら、がんばってイメージして重ね響かせてみてください。
新海誠監督はインタビューで、「宮崎さんと同じ方向に行っても絶対追い越せないので、宮崎さんとは違うものを出していきたい。例えば、宮崎さんには久石譲さんという完璧なコンポーザーがいて、完璧な映像と音楽のマッチングがあります。であるなら、全然違う方向の音楽じゃないと手触りが違う魅力のある作品にならない。じゃあ、ロックバンドの疾走感のある音楽をベースに、音楽を聴きながら作品を作ろうと思いました。これからも違うものを差し出していきたいという気持ちです」と語っています。
まさにこの言葉に凝縮されていますね。そして、その挑戦が見事に成功したエポック的作品になっていくと思います。道なき道をつくった、新しく切り拓いた、これからの映画界の布石になっていくんだろうと。
ロックについてはどうでしょうか。おそらく予想を越えて老若男女が映画館に足を運んだこの作品。ある世代には響いた音楽も、耳になじまない世代や観客もいたでしょう。さらには海外での大ヒット、監督の狙った「ロック」「言葉と声」という画期的な音楽演出は、今後は果たして?
ふと、思い出したのが、久石さんが最近のインタビューで語っていた言葉です。ジブリ映画・ジブリ音楽が海外でも大きく支持されていることについて。「一番良かったと思うのは、中途半端なインターナショナルとか中途半端なグローバリゼーションとか一切無関係で、超ドメスティックに作り続けてきた。それで、超ドメスティックであることが、実は超インターナショナルだった。結果、そうだったような気がします。」(NHK WORLD TVより)
いろいろなものが交錯して見えておもしろいなあと思います。新海誠監督は今作で得た手応えと、大ヒットすることで見えてきたものがあるとするなら。『君の名は。』と同じ音楽手法をさらに突き進めてみるのか、もしくはまた違ったアプローチに挑んでくるのか。もうすでに次回作の構想は、静かに始まっているのかもしれませんね。
宮崎駿×久石譲では生み出すことのできなかったものが、新海誠×RADWIPMSによって確信犯的に生み出された。違う手法を選ぶことで、新しい可能性を示した。セオリーを取っぱらい、突っ込んで、振り切った映像×音楽のコラボレーション。映画『君の名は。』は、過去から遡っても、未来から振り返っても、”ここしかない”タイミングに誕生した作品、そんな気がします。
RADWIMPSにしかできない音楽があって、久石さんにしかできない音楽がある。出発点も方向性も違う作品が、どちらもその時代と共鳴し、大きな共感と渦をもって社会現象を巻き起こす。宮崎駿×久石譲、新海誠×RADWIMPS、その両方を楽しめる観客としては、これはとても幸せなことですよね。
「久石さんが音楽だったらよかった」「新海誠×久石譲をみてみたい」なんてのを目にすると、うんうん、と一瞬思ってしまったことは白状します。でも、こうやって整理して書いてみて、やっぱりこれはRADWIMPSでよかったんだ、映画『君の名は。』は新海誠×RADWIMPSがよかったんだと、心からそう思います。かけがえのない作品をありがとうございます。あーっ、また映画館に行きたくなってきた。何回目かは聞かないでくださいね。
それではまた。
reverb.
「君の名は。」のサントラ、僕のプレイリスト年間再生回数 上位でした (  ̄3 ̄)~♪
*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number]
このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメンする” からどうぞ♪
Posted on 2017/1/11
長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Opus.4」(2016年12月15日発行)にて、久石譲インタビューが掲載されています。巻頭2ページにわたって、「ナガノ・チェンバー・オーケストラ ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス」について語られています。
定期演奏会のプログラムについて、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)が追求するベートーヴェンとは、第1-2回公演を振り返って。そして2月に迫った第3回公演に向けて。読み応えあるだけでなく、メディアを通して語ることが少ないぶんだけ、久石譲のダイレクトなメッセージを受けとれる貴重なインタビューです。
作曲当時の編成で ロックのようなベートーヴェンを!
~ナガノ・チェンバー・オーケストラの比類ない魅力
文:柴田克彦(音楽ライター)
クラシックの最高峰を軸にしたかつてないプログラミング
長野市芸術館オープニング・シリーズの柱ともいうべき「ナガノ・チェンバー・オーケストラ ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス」の第3回の公演が、2月に開催される。クラシック音楽の金字塔であるベートーヴェンの9曲の交響曲を、2年半・全7回で演奏するのがこのシリーズ。まずは、今なぜベートーヴェンなのか?を、ツィクルスの指揮者である当ホールの芸術監督・久石譲の口から語ってもらおう。
「ベートーヴェンはやはりクラシック音楽の最高峰。何をどう頑張っても最後はここに行き着くんです。別の音楽を何回か経験した後に挑む方法もありますが、最初にベートーヴェンの交響曲全曲演奏を経験し、あるときにまた挑戦すればいい — 僕はそう考えました。演奏者もベートーヴェンをやるとなれば気持ちが違いますし、新たにスタートしたナガノ・チェンバー・オーケストラでも、メンバーの結束の強さが変わってきます。これはとても重要なことだと思っています」。
大きな特徴は、毎回「現代作品」がカップリングされている点。そこには、”作曲家”久石譲の明確な意志が示されている。
「現代に作られた曲と古典的な音楽を組み合わせるのが、僕の基本的な考え方。これは長野でも変わりません。クラシック音楽は、ほっておくと古いものばかり演奏されてしまいます。しかしそれでは古典芸能になってしまう。そうしないための唯一の方法は、今日作られている作品を演奏して、未来に繋げていくことです。また自分が一生懸命取り組んでいる音楽を、皆に聴いて頂きたいとの思いもあります。多くの現代音楽は、一部のファンだけを集めた特殊なコンサートで演奏されていて、普通のクラシック好きには届いていませ ん。今我々が生活している世界の動きの中で作られている作品を、理屈抜きに感じる意味においても、通常のコンサートで必ず現代曲を演奏すべきだと考えています」。
清新なアプローチと 類のない豪華メンバー
2016年7月に行われた第1回(第2回も翌日に開催)の公演を聴いて、生気に充ちた演奏に感銘を受けた。プログラムは、前半がヴィヴァルディ(久石譲編曲)の「ラ・フォリア」 とグレツキの「あるポルカのための小レクイエム」、後半がベートーヴェンの交響曲第1番という、見たことのない組み合わせ。これ自体がすこぶる新鮮だ。「ラ・フォリア」のソリストを長野市出身のメンバー3名が務めるのも、第1回の開幕に相応しい配慮。前半は普段聴く機会のない、しかしそれでいて明快な音楽が、シリアスかつ優しく耳に届けられる。後半は、小綺麗に整った模範的な演奏ではなく、各奏者の表現意欲が束になって前進するような、ビート感やライヴ感のあるベートーヴェン。オーボエをはじめとする各楽器のソロも表情豊かで、メインに置かれることの少ない第1番が、エネルギーと躍動感に溢れた力作であることを再認識させられた。
このベートーヴェン演奏には、久石の音楽観が強く反映されている。
「我々の演奏は、日本の人たちが通常やっているベートーヴェンではないんですよ。アプローチは完全にロックです。さらに言うとベートーヴェンが初演したときの形態でもあります。現代のオーケストラは、ワーグナー以来の巨大化したスタイルであり、ドイツ音楽は重く深いものだと思われています。しかしベートーヴェンが初演した頃は、ナガノ・チェンバー・オーケストラくらいの編成なんです。巨大なオーケストラが戦艦やダンプカーだとすれば、ナガノ・チェンバー・オーケストラは、モーターボートやスポーツカー。小回りが効くし、ソリッドなわけです。我々は、ベートーヴェンが本来意図した編成を用いながら、現代の解釈で演奏します。なぜなら昔と違ってロックやポップスを聴いている今の奏者は、皆リズムがいいからです。そのリズムを前面に押し出した強い音楽をやれば、物凄くエキサイティングなベートーヴェンになる。我々のアプローチはそういうことです」。
奏者たちもそれに応えている。
「何十回もやって慣れてきたスタイルと全く違うので、メンバーも興奮していますよ。別に特別な細工をしたわけではありません。先に申し上げたように、編成はオリジナルに近づけて、リズムなどは現代的な解釈を採用しただけです。皆が色々な音楽を聴いている今は、その感覚で捉えなかったら、ベートーヴェンをやる意味はないと思うのです。ですから本当に、だまされたと思って一度聴きに来てください」。
ナガノ・チェンバー・オーケストラは、何しろメンバーが素晴らしい。第1、2回に続いて参加する主な顔ぶれをみても、コンサートマスターの近藤薫(東京フィル・コンサートマスター)をはじめ、ヴァイオリンの遠藤香奈子(都響首席)、水鳥路(東京フィル首席)、ヴィオラの中村洋乃理(N響次席)、加藤大輔(東京フィル副首席)、チェロの渡邉辰紀(東京フィル首席)、向井航(関西フィル特別契約首席)、コントラバスの弊隆太郎(シュトゥットガルト放送響)、オーボエの荒絵理子(東響首席)、ファゴットの福士マリ子(東響首席)、ホルンの福川伸陽(N響首席)、日比野美穂(ドレスデン国立歌劇場管)、トランペットの長谷川智之(N響)、ティンパニの岡田全弘(読響首席)等々、各楽器屈指の名手が目白押し。これに今回初登場となるフルートの荒川洋(新日本フィル首席)、ファゴットのチェ・ヨンジン(東京フィル首席)、ホルンの豊田美加(神奈川フィル首席)などを含めて、著名オーケストラの首席クラスの奏者がズラリと顔を揃え、海外一流楽団からも参加し、フリーの名手や長野県出身者も複数いる。しかも若い世代の実力者が中心を成しており、気力と意欲に充ちた奏者たちが、久石の清新なアプローチのもとで生き生きとした音楽を聴かせてくれる。実はこのオーケストラ、東京でも聴くことができない唯一無二の豪華精鋭アンサンブルなのだ。
本格化の幕開けを告げる傑作が登場
第3回のプログラムの「現代曲」にあたる部分は、久石譲の新作の世界初演。これもまた豪華メンバーゆえに実現した。
「本当は別の曲を予定していたんです。でもオーケストラが物凄く優秀で、次世代を担う人たちが結集している。夏の第1、2回のコンサートも、メンバーたちが喜んでくれて、僕も嬉しかった。なので作曲家たる自分がこのオーケストラのために作品を書かないのは間違いだろうと思い、今回新作を作ることにしました」。
まだ内容は未定だが、「おそらく弦楽を主体にした作品になるだろう」との由。ナガノ・チェンバー・オーケストラのサウンドと技量を想定した初の作品だけに、大きな注目が集まる。
ベートーヴェンの交響曲は、第4番と第3番「英雄」。第4番は、「二人の巨人(第3番『英雄』と第5番『運命』)に挟まれた美しいギリシャの乙女」というシューマンの形容で知られる佳品にして、第1楽章の加速しながら主部へ移る手法や第2楽章の幻想的なロマンなど、古典的造作の中に新たな方向性を見出した意欲作である。それに楽曲の性格上、ナガノ・チェンバー・オーケストラの編成や持ち味が生きるのは間違いない。ここは若干隠れた名作の真髄を体感する好機となるであろう。
第3番「英雄(エロイカ)」は、かつてない巨大な構成で、交響曲の歴史を変えた作品。第2楽章の「葬送行進曲」は広くおなじみだし、第1楽章の大胆な開始と無限の推進力、第3楽章のホルン3本の効果(強力メンバーを揃えた今回の演奏は期待大!)、第4楽章の変奏曲の採用など、画期的要素が満載されている。しかもこの曲は、2014年10月の長野市芸術館開館記念プレイベントで、久石が新日本フィルを指揮して披露した演目でもある。彼は「『エロイカ』は、“ 崇高さと下世話”が同居しているので、大変なんですよ。本当に立体的に届けようと思ったら、正月も休めないくらいです」と話すが、今回はそれを踏まえた久石のアプローチとナガノ・チェンバー・オーケストラの清新な熱演に期待がかかる。
久石は、こう語る。
「ナガノ・チェンバー・オーケストラを、”おらが街のオケ”と思ってもらえるよう、何とか努力したい。僕の理想は、駅前の飲み屋にチラシが置いてあって、『昨日行ってきたけど、これがいいんだよ』といった話が日常会話になること。自分の街がオーケストラを持っているのは自慢できることだし、『長野には善光寺プラスこういうのがある』といわれるためにも、『敷居は高くない。聴いたら絶対楽しい』ことをどんどん発信していきたいと思っています。それに ホールでの生の舞台には、格別な感動があります。とにかくこのオーケストラを、できる限り多くの人に聴いてもらいたいですね」。
ベートーヴェン中期“傑作の森”の幕開けを告げる名作を2曲聴ける今回は、ビギナーも音楽通も“おらが街のオーケストラ”に足を運 ぶ格好の機会だ。
(長野市芸術館広報誌「NCAC Magazine Opus.4」より)
◆長野市芸術館 広報誌 Vol.4(NCAC Magazine)12月15日発行
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長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Opus.4」(2016年12月15日発行)にて、久石譲インタビューが掲載されています。巻頭2ページにわたって、「ナガノ・チェンバー・オーケストラ ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス」について語られています。
定期演奏会のプログラムについて、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)が追求するベートーヴェンとは、第1-2回公演を振り返って。そして2月に迫った第3回公演に向けて。読み応えあるだけでなく、メディアを通して語ることが少ないだけに、久石譲のダイレクトなメッセージを受けとれる貴重なインタビューです。ぜひご覧ください。 “Info. 2017/01/09 長野市芸術館広報誌「NCAC Magazine Opus.4」発行” の続きを読む
あいの風とやま鉄道、全19駅の到着メロディー決まる
あいの風とやま鉄道が3月末をめどに全19駅に導入する到着メロディーが決まった。富山市内の駅と高岡駅には、2012年に「富山県ふるさとの歌」として制定され、久石譲氏が作曲した「ふるさとの空」を使う。県民のマイレール意識を醸成するのが目的で、同社は「駅に到着した際の楽しみにしてほしい」としている。 “Info. 2017/03/下旬 富山市内駅と高岡駅「ふるさとの空」(久石譲)到着メロディーに” の続きを読む