Info. 2019/12/28 「ABU ソングフェスティバル in TOKYO」NHK総合 放送決定 【12/31 Update!!】

Posted on 2019/12/13

11月19日開催、アジア太平洋地域の歌の祭典【ABU ソングフェスティバル in TOKYO】のTV放送予定が決定しました。

【ABU ソングフェスティバル in TOKYO】では、10近くの国のトップアーティストが一堂に会し、国際色豊かな楽曲を披露。視聴可能人口20億人超となるこの大型音楽番組の司会を務めるのは、NHKワールドJAPANで放送中の『SONGS OF TOKYO』のホストを務める村上信五。 “Info. 2019/12/28 「ABU ソングフェスティバル in TOKYO」NHK総合 放送決定 【12/31 Update!!】” の続きを読む

Info. 2020/03/11 「魔女の宅急便」「紅の豚」イメージアルバム・サウンドトラック アナログ盤 発売決定

Posted on 2019/12/26

STUDIO GHIBLI「魔女の宅急便」「紅の豚」のイメージ・アルバム、サントラがアナログ化決定!

2018年11月3日の『レコードの日』に発売された「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」のLPは、発売当時のまま完全復刻し、大好評を博したのも記憶に新しいが、今回はLPでは発売されていなかった「魔女の宅急便※」「紅の豚」の2作品のイメージアルバム、サウンドトラックに、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売される。ジャケットの美しさ、アナログならではの音の豊かさを楽しめるラインナップだ。 “Info. 2020/03/11 「魔女の宅急便」「紅の豚」イメージアルバム・サウンドトラック アナログ盤 発売決定” の続きを読む

Disc. ジョバンニ・ミラバッシ 『MITAKA CALLING -三鷹の呼聲-』

2019年12月18日 CD発売 COCB-54294

 

ジブリ作品をこよなく愛する孤高の天才ジャズ・ピアニスト、 ジョバンニ・ミラバッシによるジブリ・カバー集。

宮崎 駿監督が提供したイラストを用いたジャケットデザインの特別仕様でリリース!

少年時代から日本のアニメファンであり、特にスタジオジブリ作品をこよなく愛するイタリア生まれのミラバッシは、2015年にジブリ作品を中心にカバー収録した「アニメッシ~天空の城ラピュタ ほか~」をリリースした。同年に日本で行われたコンサートには、かねてからファンだったという宮崎 駿監督も来場し、その後も交流が続いた。今作ではジブリ作品のみで構成し、ピアノ・トリオによる熟練のアンサンブルで放つ情熱的な演奏がジブリの名曲に新たな息吹を与える。

また、宮崎 駿監督が提供したイラストを使用したジブリファン必携のジャケットデザインとなっており、宮崎 駿監督は今作品に向けて、「ミラバッシさんのピアノが好きです。自由と情熱、彼そのものです。」とコメントを寄せている。

デジパック&スリーブケース、そして折り込みポスターを封入した特別仕様でのリリース。

(メーカーインフォメーションより)

 

 

ムードなBGMを超えた本格的ジャズ・アルバム。オール久石譲楽曲からのセレクトは、ジブリカバー・コンピレーションのなかでも珍しい。また主題歌やメインテーマからの選曲のみならず、JAZZYにアレンジするにあったっての、曲映え・演奏映えから重視されていることもうかがえる、通好みで真剣勝負、聴き応えのある一枚。

 

 

 

 

 

MITAKA CALLING -三鷹の呼聲(よびごえ)-
GIOVANNI MIRABASSI TRIO

1.あの夏へ ~「千と千尋の神隠し」
2.アシタカせっ記 ~「もののけ姫」
3.海の見える街 ~「魔女の宅急便」
4.Flying boatmen ~「紅の豚」
5.カストルプ(魔の山) ~「風立ちぬ」
6.Doom-雲の罠- ~「紅の豚」
7.王蟲との交流 ~「風の谷のナウシカ」
8.崖の上のポニョ
9.となりのトトロ

ジョバンニ・ミラバッシ piano
ジャンルカ・レンツィ bass
ルクミル・ペレス drums

 

Info. 2019/12/20 [雑誌] 「レコード芸術 2020年1月号」久石譲インタビュー掲載

「レコード芸術 2020年1月号」(2019年12月20日発売)に久石譲インタビューが掲載されます。また、12月10日【2019年度 第57回 レコード・アカデミー賞】特別部門 特別賞受賞『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス」と発表されたばかりです。本号の特集にもなっています。 “Info. 2019/12/20 [雑誌] 「レコード芸術 2020年1月号」久石譲インタビュー掲載” の続きを読む

Blog. 「レコード芸術 2019年10月号」久石譲指揮 ベートーヴェン交響曲全集 Viewpoints 内容

Posted on 2019/12/12

クラシック音楽誌「レコード芸術 2019年10月号 Vol.68 No.829」に、『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス』が5ページに渡って取り上げられました。楽しむためのポイントや聴きどころなど、わかりやすく、そしてたっぷりと語られています。久石譲本人ではないクラシック通な専門家による視点という点でもとても貴重です。

「Viewpoints」連載は、毎号ホストの満津岡信育さんをホストに、ゲストを迎え、主にひとつのディスクを取り上げて深く掘り下げ語りつくす、そんなコーナーです。

 

 

Viewpoints ー 旬の音盤ためつすがめつ 34 連載

ホスト:満津岡信育
今回のゲスト:矢澤孝樹

今月のテーマ・ディスク
ベートーヴェン/交響曲全集
久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス
〈録音:2016年~2018年〉
[EXTON (D) OVCL00700 (5枚組)]

 

① 猛烈に楽しい!! 血湧き肉躍るベートーヴェン

肝は”リズム”!その快感にひたすら前進!

満津岡:
今日は、久石譲が指揮したベートーヴェンの交響曲全集を取り上げます。今まで単売されてきたCDですが、交響曲全集の完結編にあたる第4番&第6番のリリースに合わせてボックス化された形ですね。演奏団体は、録音された時点では「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」という名称でしたが、資金的な問題もあって、今後は「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」という名称で活動していくことになり、全集もこの名義になっています。私は本誌の交響曲の月評担当なので、一枚ずつ聴いてきたのですが、とにかくどれもとても刺激的な演奏だと思いました。

矢澤:
同感です。7月18日、紀尾井ホールで第5番と第7番を初めてライヴで聴き、瞠目しました。とにかく、猛烈に楽しかった(笑)。誤解を恐れずに言うなら、エンタテインメントとしての、活劇映画的ベートーヴェン、という印象でした。

満津岡:
コンサート、私も行きましたが、確かにとても楽しいコンサートでした。ほぼ全員が立奏していて、クルレンツィスとムジカ・エテルナかと思いましたよ(笑)。しかも客席には女性が多く、かつ客層も若かった。

矢澤:
以前の写真は座って弾いていますから、立奏に関してクルレンツィスの影響はある気がしますね。さきほど活劇映画的、と申し上げましたが、いわばハリウッド映画やジブリのアニメ映画のように、次から次へとカタルシスが連続し、指揮者が面白いと感じる箇所にくれば「今、ここが面白いぞ!」と強調し最後まで飽きさせない。客層の違いはこの点にも起因している気がします。また彼らは「ベートーヴェンは、ロックだ!」というキャッチ・コピーを掲げていますが、ロックといっても意味するところはいろいろあるものの、ここでは、「このベートーヴェンの肝は”リズム”であり、その快感に正直に、ひたすら前進する音楽である」だと思います。紀尾井ホールの演奏ではそれを心底実感しましたが、全集ボックスを聴き、改めて久石さんの意図を再確認できました。

満津岡:
小編成のモダン・オーケストラでのベートーヴェンは、スタイルとしては、もはや一つのパターンとして確立されているといってもいいと思うんです。しかしこの久石さんのベートーヴェンの場合、いわゆるHIPなどの「ピリオド的成果」も踏まえてはいるけれども、その「スタイル」を借りようといった意識は全くないように思います。

矢澤:
あくまで「手段」ですね。

 

「リズムの繰り返し」でここまで面白く出来る!

満津岡:
久石さんは、作曲家として、「リズム」をとても大切にしていると話していて、同時に「自分はミニマリストだ」とも語っています。私は、この2つが、今回のベートーヴェンの重要な切り口だと思います。

矢澤:
同感です。

満津岡:
まず「リズム」についてですが、ベートーヴェンの交響曲は「リズム・パターン」がしっかりしているので、強弱や緩急というより「リズムの繰り返し」で面白くできることを久石さんはよく承知していて、かつ、そこを徹底的に突き詰めることで、新鮮な感覚があふれ出ています。

矢澤:
それについて久石さん自身が、ライナー・ノーツの中で、面白いことを書かれていますね。映画音楽ではセリフも音楽も両方聴かせるために、メゾフォルテやメゾピアノを重視する。しかし、ベートーヴェンの音楽はフォルティッシモやピアニッシモ、スフォルツァンドが特徴的で、中間の曖昧さがない、と。つまり、「ロマン的」でなく、音の運動、「構造」としてのベートーヴェンに迫ろうという意識がある。こうしたアプローチはHIP系ではもちろん多々あり、アーノンクールもノリントンも、ロマン派的「神話」を音楽から引き剥がし、「構造」から見直した。久石さんの姿勢もそこにシンクロしますが、久石さんの場合はご自身が作曲家として感じる「ベートーヴェンの”リズム”の面白さ」を、いわば「久石流」にオーケストラに反映させることに主眼が置かれている。

満津岡:
まさに。この”リズム”の強調は、彼のベートーヴェンの最大の特徴でしょう。

 

そして「ミニマル」は「ドラマ」と相性がいい!

満津岡:
もう一つのキーワードの「ミニマル」についてはどう思われますか。

矢澤:
同じ「ミニマル」といっても、70年代までのライヒやテリー・ライリーらのミニマルと、80年代以降の世代、つまりジョン・アダムズやマイケル・ナイマンらのそれは違いますよね。70年代は、漸次的変化のプロセス自体に焦点が当たっていた。けれども80年代以降は、明らかに「ドラマ構築手段としてのミニマル」になっている。

満津岡:
まさに。

矢澤:
ナイマンの音楽は、ピーター・グリーナウェイ監督の映画で有名になりました。『ZOO』など観るとわかりますが、反復セクションが突然切り替わる手法が、映画のドラマトゥルギーとうまくかみ合っている。グラスもライヒも80年代以降どんどんドラマティックになっていきますね。ミニマルは、ドラマトゥルギーと相性がいいことが「発見」されてしまった。久石さんは、非常に美しい旋律を創る映画音楽作曲家であり、同時にミニマルの手法に長けた現代音楽の作曲家でもある。メロディ・メーカーにしてミニマリスト、最強です。よって指揮者としては、印象的な旋律が多いベートーヴェンの音楽に内在するミニマルなパワーをリズムによって駆動させ、ドラマティックに表現することでオーケストラを乗せ、かつ聴衆を魅せる。

満津岡:
そういった特徴は、やはりすごく感じますよね。

矢澤:
このアプローチが、第5番や第7番といった元々パワフルな作品で発動するのは納得ですが、《田園》のような「美メロ」曲でも、違った形で生かされるのが面白かった。聴いていて「《田園》って久石さんの曲だっけ?(笑)」「これは《菊次郎の夏》?」「まさかの《ソナチネ》?」みたいな(笑)、そんな感じがそこここに。「美メロミニマル」ですよ。

満津岡:
ベートーヴェンでそういう感想が出てくるのがそもそも凄いですよね(笑)。確かに《田園》でも、リズム・パターンの繰り返しがとても効果的に使われています。私は、最初に第3番を聴いた時に、第3番では、第2楽章のテンポが速過ぎて、全体的に軽い感じがしたこともあって最終的には準推薦をつけたのですが、今回全集のブックレットに、久石さんのロング・インタヴューが掲載されていて、葬送行進曲に言及して、「でも棺おけを担いで、そんな遅いテンポで歩けますか?」という一節があって、なるほどそういう発想かと感服しました。

矢澤:
それも「映画的」、「物語的」な発想ですよね。伝統的”クラシック思考”の虚をつくというか。

満津岡:
ええ、正直驚きます。

矢澤:
告白するなら私は登場当時、少し色眼鏡で見ていたのです。でも聴くにつれて「あ、これは面白いぞ」と思い始めました。満津岡さんが例に挙げられた第3番で言うなら、終楽章の変奏曲で、ヴァイオリン・ソロになる部分がありますよね。

満津岡:
ジンマンが挑戦的にやり始めてから、やる人が出てきた箇所ですね。

矢澤:
そういう新しい解釈も、ちゃんと取り入れている。

満津岡:
インタヴューでも、以前はブライトコプフ版で振っていたけれども今回はベーレンライターの新版に準拠してスコアを読み直したと話しています。つまり独自の勝手なイメージで演奏しているのではなく、ベートーヴェン演奏史の様々な手法を知った上で、「自身のベートーヴェン」を表現しているんですね。

矢澤:
映画的、物語的な発想を、熱意ある研究で支えている。久石さんは、ピリオド楽器演奏のスタイルや版問題、あるいはノリントンが提起したメトロノーム問題などに関しても、参照して咀嚼し、使いこなしている。得た情報を「モダン」「HIP」といった枠内ではなく、「自分の表現のための手段」として用いている。

満津岡:
よく「なんちゃってピリオド」なんて揶揄されるように、現代は、室内オーケストラでヴィブラートを抑えてベーレンライター版を使えばそれがある種の免罪符のように思われるところもある気がしますが、久石さんと彼のオーケストラには、そうしたスタイルへの依存とは無縁の、彼ら独自のベートーヴェンがしっかりとある。

矢澤:
一方でこうしたハイブリッド演奏は、もしかしたら「軽い」と評されるかもしれません。しかしその「軽さ」を、様々な演奏の潮流を柔軟に受け入れる軽やかさと肯定的にとらえたい。そこで私が思い当たるのはクルレンツィスです。

満津岡:
意外な名前が出てきますね。

 

②「伝統の呪縛」から離れた場所で

もしやこれは? のクール・ジャパン

矢澤:
クルレンツィス、近々、ベートーヴェンの交響曲集をリリースするそうですね。きっとすごいことになるのでしょうけれども、今回、久石のベートーヴェンを聴いて、クルレンツィスは──これまでの演奏を聴く限り──やはりヨーロッパの「伝統」を背負った指揮者だと感じました。伝統との戦いが、やはり確実にある。

満津岡:
それはあると思います。「伝統」あっての「革新」ですから。

矢澤:
けれど久石さんの音楽には、そうした軛(くびき)から切り離され存在している。これはもしかしたら「今の日本」だからかもしれない。様々な情報がフラットに飛び込む一方、伝統の呪縛もしがらみもない。どこまでも「自身の考え」で対象と対峙できる。

満津岡:
なるほど。

矢澤:
もしかしてこれこそ「官製のお仕着せ」でない「クール・ジャパン」かな、と思ったりもします。話は飛びますが、最近、大英博物館で日本の漫画展が行われました。画期的な漫画展で、公式図録の表紙は野田サトルの『ゴールデンカムイ』。日露戦争直後の北海道を舞台に、生き残りの兵士たちとアイヌの人々が繰り広げる冒険活劇です。ヒロインであるアイヌの女の子が図録の表紙を飾っている。この漫画ではアイヌや北方少数民族の文化が入念に描かれていますが、日本における民族の多様性を描く漫画が、英国の博物館にちゃんと評価されているわけですね。また図録を観るとセレクションが秀逸で、中村光『聖☆おにいさん』も一話まるまる載っている。イエスとブッダが、日本の立川でヴァカンスを楽しむ話ですから、普通に考えてヨーロッパの人たちには衝撃でしょう(笑)。こんな漫画は、日本でなければ絶対に考えられない。でも、私はクリスチャンですが、あの漫画はOKです。異なる宗教が仲良く共存している、今の世界の現状を考えればこれって理想郷ですよね。私は、久石さんのベートーヴェンにも、こうした作品と共通する、特定のイデオロギーに呪縛されない柔軟な寛容性と、それを信ずる意志の強さがあると感じます。

満津岡:
久石さん自身も、この演奏を日本だけではなく世界に発信していきたいと言っていますからね。世界でどう受け取られるか、私もすごく興味があります。

矢澤:
日本では、本誌の月評で満津岡や金子建志さんが高く評価されたことが、すごく重要だったと思います。普通に考えれば「重々しさがない」「精神性が足りない」「これはベートーヴェンじゃない」とかいって簡単に切って捨てられる危険性も十分にあった。でも軒並み「特選」ですから!

満津岡:
日本は、どうしてもクラシック音楽の聴き方として保守的な面がありますからね。

矢澤:
ヨーロッパの人々が、久石さんのベートーヴェンをどう感じるか。『聖☆おにいさん』じゃないけど、世界が「日本でないと考えられないものが出てきたね。これこそクール・ジャパンじゃない?」と言ってくれたら愉快ですね。

 

ロック・バンドの重い戦いと、楽し気なポップ・バンド

満津岡:
私がふと思ったのは、久石さんと彼のオーケストラは、立ち位置としては、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツカンマー・フィルのベートーヴェンに近いものがあるかもしれないということです。つまり、ベートーヴェンの精神性に迫る方向というより、音そのものを純粋に楽しむ姿勢があるように感じます。ベートーヴェンは面白い、現代にも通じるものがありますと、そういう方向性でしょうか。ロックにも通じているパーヴォはN響の首席指揮者就任時の記者会見で「日本の人たちに、どうやってクラシック音楽の魅力をアピールしますか?」という質問に「クラシックはすごく面白いんですよ。それを演奏を通して表現していきたい」と答えていました。久石さんも、基本的にはそういう立ち位置ではないかと思います。紀尾井での聴衆の若さが、それを証明しているようにも思います。

矢澤:
同感ですね。しかし、もしかしたら、パーヴォ・ヤルヴィ以上に自由かもしれません。久石さんと彼のオーケストラには、現代の「ポップ・バンド」的な精神を感じるのですよ。「ロック・バンド」じゃないの? と言われそうですが、現在はロックよりもポップの方が自由だと思っていまして。というのも、ロックは今や長い歴史を刻み、様々な重みを背負ってしまっている。むしろポップの方がのびのび自由にやっている。レディオヘッドよりもエド・シーランの方が楽し気に自由に(笑)。もちろん優劣の問題ではないですが。

満津岡:
なるほど、面白い考え方ですね。

矢澤:
で、やはりクルレンツィスとムジカ・エテルナは「ロック・バンド」なんですよ。クルレンツィスはロックです。しんどいほど「重い戦い」をしている。レディオヘッドと同じで、それが尊いのですが。ですから、久石さんの解が唯一である、と言うつもりはもちろんありません。重い戦いも、「ロック」も必要なんですよ。

満津岡:
パーヴォとドイツカンマーには、映像によるベートーヴェンの交響曲全集がありますが、ロック・バンドよりは、ポップ・バンド寄りかもしれません。

 

③ ベートーヴェンの”精神性”って?

ロックのリフのような《第九》での伴奏音型

矢澤:
となるとベートーヴェンにおいてはどうしても、「精神性」という厄介な問題と向かい合う必要が出てくる。フルトヴェングラーやクレンペラーのベートーヴェンに対し、久石さんがこの点にどう向かい合われているか? 例えば《第九》では、この軽薄な私ですら(笑)、久石さんたちのアプローチで完全に汲み尽くせない何かがあるように感じたりもします。

満津岡:
いや、私は逆に、一つの可能性を突き詰めた表現として、あの《第九》はありだと思いました。実はたまたま同じ月の月評にアントニーニとバーゼル室内管の《第九》も出たのですが、なんと久石さんの《第九》、あのアントニーニよりも演奏時間が短い!

矢澤:
それは史上最速級ですね(笑)。

満津岡:
しかも、本来重々しく処理される伴奏音型も、ほとんどロックのリフのような感じです。私は非常に面白く聴いて、なるほどなと。これはこれでありだと思いました。

矢澤:
もちろん、彼らの手法が極限的に突き詰められているのは確かですね。

満津岡:
第3楽章も、テンポは速いけれど歌心はとても感じられるし、ヴァイオリンの装飾的な音型が、あのテンポで演奏されるとふわふわ漂っているような感じで気持ちがいい。

矢澤:
《田園》同様、「美メロミニマル」かもしれません。そうおっしゃっていただくと、私はまだ《第九》神話に囚われているのかも(笑)。聴き直してみよう。

満津岡:
こんな手もあるのかということが随所にあって、非常に感心しました。それにしても、矢澤さんは先ほどクール・ジャパンだとおっしゃったけれど、日本からこうした演奏史上前例のないベートーヴェンの交響曲全集が出てきたのは、やはりすごく意義があると思います。

矢澤:
日本はもちろん、世界的に見ても、かつてない全集でしょう。

満津岡:
先月、古典四重奏団によるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集でもやはり世界でも類例がない、かつ日本でしか生まれえないのではという話が出てきました。久石さんのベートーヴェンにも同様のことが言えると思います。

矢澤:
あのショスタコーヴィチ、私も自筆譜を演奏と共にたどるような感銘がありました。あるいは、ラ・フォンテヴェルデのモンテヴェルディ、そしてこの久石さんのベートーヴェン……近年の日本人による「全集」、それぞれに異なりますが、かつて振りかざされた「精神性」とは異なる意味と価値を持つ録音が増えているようにも思います。

 

痛快極まりない!出色の第8番

ーところで、オーケストラは常設ではありませんが、アンサンブル等の技術面についてはいかがですか。

満津岡:
基本的に一発録りなので、アンサンブルとして多少傷があるのは仕方がないところ。しかし、在京オケのトップ・クラスのメンバーが集まっていますから、技術的には極めて高いのは間違いありません。しかも、すでにベースとしてピリオド的な手法が個々のプレイヤーに浸透しているので、久石さんの下でリズムを重視したベートーヴェンをやろうとなった時に、彼らが個々に蓄えてきたピリオド的なノウハウがうまく活かされているように思うんです。ライナー・ノーツにも「ヴィブラートはやめようという話はなかった」と書かれていますが、言わずともそうなるということですね。

矢澤:
先程お話に出た「なんちゃってピリオド」時代も、一種デトックスとして必要で、それによって育まれた土壌があるということなのでしょうね。その意味で久石さんのベートーヴェンは、時機を得ての登場だったかもしれません。

ー特に印象的だったのはどの交響曲でしょう。

矢澤:
どれも面白かったのですが、特に私は第8番が面白かった。一種古典帰りの作品ですが、従来の「精神的」ベートーヴェン路線では扱いが難しい。その後のアーノンクールやブリュッヘンの演奏は、古典回帰と見せかけたアヴァン・ギャルドだと証明しました。それが久石さんたちの演奏では一巡りして、ノリの良い面白い曲だとストレートに楽しめる。こういう第8番はあまりなかったのでは。強いて言うならシャイーが近いかな。

満津岡:
私も第8番はすごく面白かった。昔はベートーヴェンの中では少し軽く見られていた交響曲でしたが、場面転換が鮮やかで、上質なスラップスティック・コメディのような感じがありますね。

矢澤:
確かに。終楽章なんて、実に痛快で。

満津岡:
もちろん、他の交響曲も質が高い。

矢澤:
第7番の、おそらく久石さんのベートーヴェンでベースになる曲ですね。「リズムの権化」なわけですから。演奏も象徴的だと思います。

満津岡:
第7番の解説では「第7番は、ベートーヴェンがキー設定を間違えたと思っています」とも言っていますよね。こんなこと、考えたこともなかったですよ。

矢澤:
ベートーヴェン崇拝者にしてみれば「何てことを言うんだ」と怒ってしまうような話ですが、言ってしまえる強さ(笑)。

満津岡:
しかも、作曲家の目から見て、きちんと理由も挙げていますしね。

矢澤:
その確信が演奏に説得力を与えていますね。私はこの全集を、レコ芸読者の方々がどう聴くか、とても楽しみです。ぜひ、まっさらな気持ちで、聴いてみていただきたいですね。私も《第九》をもう一度虚心坦懐に聴きます(笑)。

満津岡:
今日はありがとうございました。

(レコード芸術 2019年10月号 Vol.68 No.829 より)

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/12/11

2019年公開映画『海獣の子供』、関連書籍「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」に収載された久石譲インタビューです。なお、「海獣の子供 劇場用パンフレット」にも同内容が収められています。

 

 

音楽 久石譲 『海獣の子供』に纏わる第十一の証言

音色がカラフルに飛び込んでくるように

ぼくにとっては、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』以来6年ぶりのアニメーション映画となります。アニメーションというと、ぼくの中では宮崎駿さん、高畑勲さんの存在が大きくて、なかなか気持ちが動かなかったところもあり、極力、依頼をお断りしていたんです。でも、この作品に関しては、ずいぶん前からお誘いをいただいていて、その熱心な声に打たれましたし、映像を拝見したらとても絵が美しい。余計なこだわりに振り回されることもなく、作品に向きあうことができました。

本質的にはいい意味でのファンタジーなんじゃないかなと思います。ストーリーだけを追うと、抽象的なところが多くて、正直、よくわからない。逆に、理解できないからこそ引き受けた部分があるといいますか。先の展開が容易に見える作品ではないからおもしろく観えましたし、一方で考えさせられる部分もたくさんあって、こちらの入り込む余地が十分ありました。そのあたりも今回、作曲の大きなモチベーションになっていますね。

スタイルとしては、徹底的にミニマル・ミュージックで通しています。一昨年からのNHKのドキュメンタリー(『シリーズ ディープ・オーシャン』)や去年、プラネタリウム(コニカミノルタプラネタリア TOKYO)の音楽を書いた頃から「この作品はミニマルでいける」と思ったら、ミニマルでブレずに書くようにしているんです。映画音楽では、メロディがあって、ハーモニーがあって、リズムがあるという手法が通常なんですけど、そういうスタイルから離れてもっとミニマル作曲家として先をいきたかったんです。ミニマルは変化が乏しくなってしまう可能性がありますけれど、多少コミカルに、エモーショナルになってもスタイルを変えずに最後までできたという点で、個人的にはとても満足しています。

シンセサイザーも使っていますが、そんなに分厚くしていない室内楽の形をとりつつ、それでいてしっかり鳴る方法をとっています。ハープや鍵盤楽器の響きを大事にしているところを含めて、最近の自分のやり方を通している感じですね。音色がカラフルに飛び込んでいくようになっているといいなって思っています。

基本的に、映画音楽って音楽を状況につけるか心情につけるかのどちらかです。でも、今回はそのどちらもやっていません。主人公の気持ちを説明する気も全然なかったし、海で起こる状況にもつけなかった。すべてから距離をとる方法をとっているんです。やっぱり、音楽が映画と共存するためには、そういう考え方を持っていないと、劇の伴奏のようになってしまってつまらなくなります。走ったら速い音楽、泣いたら哀しい音楽なんて、効果音の延長のようじゃないですか。

 

イマジネーションを駆り立てる作品

実は、作曲期間はすごく短くて、仕上げまでに3週間ほどしかありませんでした。2月にヨーロッパ・ツアーがありましたから、実際に作曲をしたのは昨年末から1月にかけて。アニメーションは実写に比べて倍以上の時間がかかりますから、時間的に難しいかなと恐れていたんですが、想像以上に順調にいって、1月中に録音を、ツアーから戻った3月にトラックダウンを済ますことができました。

今回は映画として一個の独立したいい作品に仕上がっていると思います。ひと言では言い表せないおもしろさがありますよね。観る人のイマジネーションをきちんと駆り立てるし、そういうアンテナを立てている人ほどおもしろく観られます。観るたびに徐々に感情が開放されていって、出会えてよかったという気持ちになっていくのではないかな。そういう作品だからこそ、音楽的にもほかにはないような、かなりチャレンジングなことをやっています。自分がベーシックな部分でミニマリストであることはよくわかっていますし、その大事にしているものを今いちばんやりたいやり方でやりきりました。きちんと表現できる場でやりきることができたという実感があるので、いろんな方にご覧いただけるとうれしいです。

取材・文=賀来タクト

※このインタビュー文章は、東宝映像事業部発行の公式パンフレットと同一内容になります

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より)

 

 

 

また、本書から、久石譲音楽にまつわるエピソードもあわせてピックアップご紹介します。

 

 

監督 渡辺歩 『海獣の子供』に纏わる第五の証言

音楽と音響によって広がった作品世界

ー久石譲さんの音楽を最初に聴いたときは、どう思われましたか?

渡辺:
作品の色合いがグッと増したな、と思いましたね。もちろん映像にも色がついているんですが、音楽の作用によって、作品全体の色が非常に鮮やかになった。それは開口一番、久石先生にもお伝えしました。加えて、作品内のカットやシーン、それまでバラバラだったものが音楽によって縫い合わされていく感覚もありました。シーン全体の雰囲気やキャラクターの心情を表しながら、決してそこにどっぷり浸かっていかない。客観的に捉えた音作りになっていて、その距離感が心地よかったです。久石先生にお願いして本当によかった!と思いましたね。もともとファンだったものですから、感激もひとしおでした。

ー監督から久石さんに音楽について注文はされたんですか?

渡辺:
いえいえ、お願いできるだけでありがたかったので、注文なんて滅相もない!……なんて言うと、何も考えてなかったみたいですね(笑)。実は最初の打ち合わせのとき、久石先生からうかがった音楽のイメージが、こちらの想像していた感じとかなり合致していたんです。久石先生も原作を取り寄せられて、最後まで読み込んでから打ち合わせに臨んでくださったので、その時点でハッキリとしたイメージを持たれていて。心情心理やストーリーを煽るようなものではない、ミニマルな方向性がいいのではないかと。それはまさに僕としても狙いの通りだったので、久石先生ご自身のイメージのままに作曲をお願いしました。完成した曲も素晴らしくて、ワクワクしましたね。仕事を忘れる瞬間でした(笑)。

ー映画全体の音響設計においても、音楽を含めた音のバランスが絶妙でしたね。

渡辺:
音響監督の笠松広司さんにお願いして、全体の音に関しては早めに青写真ができていたんです。「ここはSEのみで」「ここのセリフは強調して」「ここに音楽のピークが来るように」といった設計図は久石先生と打ち合わせをした段階で詳細に決めてありました。久石先生はセリフの位置まで計算して音楽を作られる方ですから、そのときすでに総合的な音楽の設計図もできあがっているんです。

ーダビング作業中、音響面で重点を置いたポイントなどはありますか?

渡辺:
僕から注文したのは、本当に微妙な部分です。SEの位置や音の絞り方とか、それぐらいですね。笠松さんも名だたる作品の音響デザインをやってこられた方ですからね。僕も音に関するイメージは一応あったつもりですが、こちらの想像のはるか上を行っていました。非常に深く作品を読み込んできてくださって、緻密なプランニングで全体の音を構築してくださいました。音数はそこまで多くはないんですが、じつに要領を得ているというか。音によってシーンの持つ意味が増幅したり、作品がどんどん立体的になっていくのを目の当たりにしました。すごい方でしたね。どことは言いませんが、最終的にセリフを取ってしまったところもあります。「音がここまで雄弁であるなら、セリフで説明するまでもないか」と。

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より 一部抜粋)

 

 

プロデューサー 田中栄子 『海獣の子供』に纏わる第十三の証言

ーこの作品において、田中さんを衝き動かしていた最大の原動力はなんなのでしょうか?

田中:
私は今この時代に、『海獣の子供』という作品を作ったこと自体に、すごく大きな価値があると思っているんです。プロデューサーとしてこの作品を世に届けることで、みんなに勇気を与えられるんじゃないかと。つまり、これほど生産性や経済性を度外視して、メッセージ性やアート性をとことん追求し、人間の表現力の可能性に懸けた作品づくりを会社として実現させるのは、きっと一般的にはありえないことなんです。でも、それは可能なんだ!と。

~中略~

ーでも、莫大なお金がかかるだけですよね。

田中:
もちろん!5年間にわたって大勢のスタッフに創作の場を提供し、その創造力を存分に発揮してもらうために、プロデューサーとして尽力しましたし、そこを評価してほしいという思いはあります。私個人の手柄ということではなく、こういう発想や思想、表現をプロデュースするという行為自体の社会的意義や価値を認めてもらわなくちゃいけない。そうじゃないと、『海獣の子供』みたいな作品は二度と作れなくなるから。

~中略~

ー音周りでも、田中さんのこだわりが発揮されているとか。

田中:
今回のキャスティングは、本当に自信作なんです! 芦田愛菜ちゃんは監督が指名して、石橋陽彩くんと浦上晟周くんはみんなの意見で決めましたが、それ以外の方はほとんど私が独断で決めました。オファーも直接させていただいて、我ながら珠玉の人選だと思います(笑)。今回のアフレコは、ブースのなかの声優に監督が付きそうという異例の収録方法で行われたので、私が収録卓を預かることになり、本当に緊張の連続でした。音楽の久石譲さんには、実は4年前からオファーをし続けていたんですよ。ことあるごとに状況をレポートして、4年越しにやっとお返事をいただけて、諦めないで本当に良かったと思いました。自らタクトを振り、何テイクもこだわって収録する姿がじつにタフでエネルギッシュで、まさに天才の仕事でしたね。曲を録り終わって「あとは笠松に任せた」と言って見せる笑顔がまたチャーミングなんですよね(笑)。音響監督の笠松広司さんは、久石さんが全幅の信頼を寄せる方であり、ウチの作品のほとんどを担当してくれている方です。今回はしっかりと音楽のメニューも作り、音響全体の舵取りをしてくださいました。最初は「この繊細な映像と音楽を凌駕するSEが果たして作れるのだろうか?」と、要らぬ懸念も抱いていました。でも、こちらの想像をはるかに超えるイマジネーションを駆使して、感覚に鋭く響く音作りをしていただいて、圧倒されましたね。そして、エンディングをかざる米津玄師さんの主題歌の素晴らしさ! こんな奇跡のコラボレーションが実現できて、本当に幸せな作品だと思います。

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より 一部抜粋)

 

 

原作・五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポでは、レコーディング風景が紹介されています。そこから「音楽収録は2019年2月に行われたこと」「楽器ごとに個別で音を拾うために、いくつかの部屋に分かれて中継しながら同時録音という手法がとられたこと」「久石譲指揮で映画シーンをモニターに流しながら行われたこと」「事前録音のシンセサイザーと合わせ、映像を観ながら確認作業が行われたこと」などがわかります。《映像に音が重なった瞬間、世界が立ち上がったような、まさに映画が誕生した瞬間に立ち会った気がしました》とコメントあります。

 

小学館HPにて本書ためし読み(パソコン閲覧13ページ/スマホ閲覧25ページ)できます。先にWeb公開された〈五十嵐大介×米津玄師スペシャル対談〉や、久石譲の音楽収録現場など模様を描いた「五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポ 」も見ることができます。

公式サイト:小学館|海獣の子供 公式ビジュアルストーリー BOOK
https://www.shogakukan.co.jp/books/09179299

 

 

レコーディング風景は久石譲メイキングインタビューでも見ることができます。

 

 

 

 

「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」久石譲インタビューは、「海獣の子供 劇場用パンフレット」にも収められています。ここでは最後に、パンフレットのほうから久石譲音楽にまつわるエピソードもあわせてピックアップご紹介します。

 

笠松広司 音響監督

音楽を軸において全体の音を構築したシーンも多い
ある種、音楽映画といっても過言ではない作品

久石さんの音楽もわりと早いタイミングで上がっていたので、音楽を軸において全体を構築したようなシーンもたくさんあります。つまり、音の構造の中心として音楽があって、そのまわりにいろんなものが追従していく。モノローグの位置とか、SEの鳴らし方とか。普段はそういう組み立てをやる時間がないままに終わってしまう場合も多いんですが、今回は音楽の美味しいところを極力スポイルしないように音を構築できました。誕生祭の場面はまさにそうですね。ある種、音楽映画といっても過言ではないくらいだと思います。

(海獣の子供 劇場用パンフレットより 一部抜粋)

 

 

 

 

 

海獣の子供 公式ビジュアルストーリー Book

アニメーション映画『海獣の子供』の真髄に触れる、数々の証言と、その軌跡。

【CONTENTS】

INTRODUCTION
VISUAL STORY ”序”

『海獣の子供』に纏わる第一の証言
原作/五十嵐大介 × 主題歌/米津玄師

COMICS / MAIN THEME
原作・五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポ
CHARACTER / PROP

『海獣の子供』に纏わる第二の証言
安海琉花役/芦田愛菜

『海獣の子供』に纏わる第三の証言
海役/石橋陽彩

『海獣の子供』に纏わる第四の証言
空役/浦上晟周

VISUAL STORY ”破”

『海獣の子供』に纏わる第五の証言
監督/渡辺歩

STORYBOARD

『海獣の子供』に纏わる第六の証言
キャラクターデザイン・総作画監督・演出/小西賢一

ROUGH SKETCH
KEY FRAME&LAYOUT

『海獣の子供』に纏わる第七の証言
CGI監督/秋本賢一郎

『海獣の子供』に纏わる第八の証言
CGI/平野浩太郎

CG WORK / COLOR DESIGN

『海獣の子供』に纏わる第九の証言
色指定・仕上検査・特殊効果/伊藤美由樹

『海獣の子供』に纏わる第十の証言
美術監督/木村真二

IMAGE BOARD / LOCATION HUNTING
VISUAL STORY ”急”

『海獣の子供』に纏わる第十一の証言
音楽/久石譲

ORIGINAL SOUND TRACK

『海獣の子供』に纏わる第十二の証言
アニメーションプロデューサー/青木正貴

『海獣の子供』に纏わる第十三の証言
プロデューサー/田中栄子

LULLABY
CREDIT

原作・五十嵐大介描き下ろし短編
星のうた -南洋探遊-

 

 

 

Blog. 「GQ JAPAN 2018年12月号 No.185」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/12/10

雑誌「GQ JAPAN 2018年12月号 No.185」に掲載された久石譲インタビューです。「MUSIC FUTURE」コンサート・シリーズ初のニューヨーク公演を控えたなかでの取材、またGQ JAPAN×ボーム&メルシエのタイアップ企画とも連動しています。

 

 

GQ PROFILE:Joe Hisaishi Talks about Life & Music
作曲家・久石譲に訊く
なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?

最先端の“現代の音楽”を久石譲がセレクトするシリーズ「MUSIC FUTURE」。その5回目となる今年は11月11日にニューヨーク・カーネギーホールでの公演が決まった。ミニマル・ミュージックの本場に挑む久石譲に訊いた。

 

久石譲のライフワークは、ミニマル・ミュージックだ。端的に言葉で表現するならば、「同じ音型を反復する現代音楽」。アンディ・ウォーホルは、マリリン・モンローの顔やキャンベルのスープ缶を繰り返し並べることで、そのものが本来持つ意味合いを変え、新たなアートを構築した。これはミニマリズムと呼ばれるアートの手法であり、ミニマル・ミュージックも同じ思想に基づいている。

思想ばかりが先走った、変化に乏しい退屈な現代音楽。そう思う人もいるかもしれない。だが、久石譲のコンサートに行けば、それが偏見であり誤解だということがわかる。確かに繰り返されるのは同じような旋律だ。だが、久石はそこに少しずつ”変化”を加えることで、”景色”を変えていく。

たとえるなら、空に浮かぶ雲。一見、何も変わらぬように見えるが、久石がふるうタクトにあわせ、雲はゆっくり形を変えながら動き、その動きにあわせて、太陽の光の量も微妙に変わっていく。ただ変えるだけではない。久石が描くのは、間違いなく日本の空。やさしく美しい景色。はじめて見たはずなのに、懐かしい。いつの間にか意識は耳に集中し、音楽という雲の行方を追いかけてしまう。

「同じ音楽が繰り返されると、聴き手は時間の感覚が麻痺して、物理的な認識をずらされていく。ミニマル・ミュージックはそれを体感する音楽だと思っています。ただ僕がやっているのは、ミニマル・ミュージックそのものというより、ミニマル・ミュージックをベースとした音楽。現代音楽のなかには、聴き手を無視した単に退屈なものもたくさんありますが、僕はそんなものを作りたいとは思わない。

 音楽とは、譜面があって、演奏があって、観客がいて成立するもの。ミニマル・ミュージックでも人に届かなければ意味がない。だから僕がミニマルをやるときは、同じ時間を何度も繰り返しつつ、少しずつ変化を与えていく。その違い、見えてくる景色の変化を楽しむことがミニマル・ミュージックのおもしろさだと思っています」

コンサートでは、オーケストラを相手に指揮をふるい、ときには自らピアノを奏でる。大仰な指揮はしない。サービスのためのMCもない。それでも久石が音楽というものを全身で楽しんでいることが伝わってくるし、その楽しさと音楽の奥深さを観客は共有することができる。

「同じプログラムでも、毎回まったく同じということはありえない。誰も気づかないような少しの音の違いが発見につながることもあります。だからコンサートはやめられないんです」

 

(2017年10月24日、25日の2日間、東京・よみうり大手町ホールにて行われた「ミュージック・フューチャーVol.4」コンサートの模様。バンドネオン奏者の三浦一馬氏と共演した。)

 

(一定のフレーズを反復するミニマル・ミュージックの発展に大きく貢献した音楽家であり、日本公演では共演経験もある音楽家のフィリップ・グラス(写真左から2番目)さんとのオフショット。写真右は、久石譲の娘で歌手の「麻衣」。)

 

過去は振り返らない

久石譲が描く音の景色には、誰もが馴染みを感じているだろう。世界中で高く評価される数々のジブリ作品や北野武映画は、彼の音楽を抜きにして語ることはできない。だが、当の本人はそんな”過去”には無関心のようだ。

「昔の作品を褒められても、『あ、そう』としか思えない。うれしくないというより、どうでもいいって感じかな(笑)。だってそれを作ったころの自分と今の自分は違う。『トトロが大好きです!』って言われてもさ、30年前の作品だから。あのころの僕は、ベストを尽くして作った。でも今はまた違う場所にいる。聴けば聴くだけ反省が浮かんでしまうんです。

 ベートーヴェンの『第九』ですら、指揮するために譜面を仔細に見ていくと『あ、ここミスしたんだな』と思うポイントがあるんです。そのミスを補うために、他を調整した痕跡もある。音楽に完璧なんてないんですよ。いわゆる”前向き”というのとも違う気がするけど、過去は振り返らない。というか、いまやるべきことに集中しているから、振り返っている時間はないって感じかな」

話しているとまったく年齢を感じさせない。見た目も、口調も、話す内容も実に若々しいのだ。過去の栄光にまったく興味を持たず、ただひたすら未来に向かって音楽を作り続けているからかもしれない。

「クリエイティブに年齢は関係ありませんよ。もちろん年齢を重ねることで失ってしまうものはあるでしょう。でも失うことを嘆くのではなく、それを補って、さらに”上”を目指して走り続けるしかない」

 

 

次の時代にも生き残る音楽

「いい音楽とは、長く聴かれる音楽。僕は、時代を超えて愛される音楽を作りたいと思っています。でもいまという時代からまったく離れた音楽を作るのは無理。作り手が意識しなくても、音楽と時代はシンクロしていくものです。ただ、流行りを追いかけ、ウケそうな音楽を作ったとしても、それは長くて2年で消費されてしまう。大切なのは、流行や時代の本質を見つめ、つかまえること。それができれば次の時代にも生き残る音楽になると思っています。

 音楽とは何か? その正解にたどり着けるとも思っていません。一生かけてもその一端を理解できるかどうか。自分が作る音楽が100年後、200年後も聴かれているかどうか。それもわからない。でもだからこそ、自分の100%を捧げて真摯に音楽と向きあうしかないと思っています」

映画音楽は、注文にあわせて監督の意図に沿う音を作り上げる職人の仕事。一方、オーケストラを率いる作曲家はアーティスト。職人とアーティスト、久石はそのふたつの顔をどのように使い分けているのか。そう質問すると、意外な答えが返ってきた。

「もしかしたら、僕は一生アマチュアなのかもしれません。映画音楽でも交響曲でも作るときは毎回どうすればいいかわからないというところからスタートする。悩んで、途方に暮れて。簡単に作れた曲なんて、ひとつもありません。職人のような磨き上げた技術もアーティストのような天才的なひらめきもなく、苦しみあがきながら音楽を作っている。もしかすると、そのおかげで少しずつでも進化できているのかもしれません」

 

音楽の殿堂に挑む

この秋には、ニューヨークの音楽の殿堂、カーネギーホールで初のコンサートを開催し、東京で凱旋公演をすることも決定している。

「ニューヨークはミニマル・ミュージックの故郷であり、本場。これまで海外でのコンサートは何度もやってきましたが、ニューヨークはやったことがなかった。一度やってみようかという話になって、最初は小さなライブハウスでと思っていたんです。それが気がついたら話がどんどん大きくなってカーネギーホール(笑)。どうなふうに受け止められるんでしょうか。楽しみというより、プレッシャーのほうが大きいですね」

そう言いながら、久石は笑顔を見せる。それは、プレッシャーと裏腹の自信というよりも、新しいことに挑戦する高揚感のあらわれのように思えた。

旅先で空を見上げると、雲も色も異なっていることに気づく。アメリカにはアメリカの空と雲があり、ヨーロッパにはヨーロッパの、アフリカにはアフリカの空と雲がある。ニューヨークで久石のミニマル・ミュージックに接した人は、日本の空と雲を感じることができるはずだ。アメリカで生まれ、日本で、久石譲という稀代のメロディメーカーが磨きあげたミニマル・ミュージックがどんな景色を描くのか。その反響がいまから楽しみだ。

(GQ JAPAN 2018年12月号 No.185 より)

 

 

なお、雑誌掲載と同内容のものがWeb版として11月5日に公開されました。

公式サイト:GQ JAPAN | CULTURE | 久石譲
https://gqjapan.jp/culture/bma/20181105/joe-hisaishi

 

 

 

その他、Webインタビュー/Web動画

 

 

[内容紹介]

COVER STORY
全米オープン覇者は、こんなにもきれいだ!
ナチュラル美女 大坂なおみ

FEATURE
■特集1 Money Issue お金をめぐる6つのおはなし
-What Do People Think About Money? お金の価値観大調査!
-Theory of Winning お笑い芸人「ハナコ」の絶妙なバランス感覚
-A Spiritual Guide To Money 辛酸なめ子の「お金のエネルギー」講座
-Generation Wealth ローレン・グリーンフィールドが撮る「富の世代」
-Money Rules The World? 丸山ゴンザレスの「スラムの沙汰もマネー次第」
-A Clone is Born お金持ちのためのクローンビジネス

GQ GLOBAL
-Fear and Loathing in The Lab パーティドラッグは心の病を治すのか
-Tom Ford’s Underworld エレガンスの帝王が次に手がけるのは下着
-Sperm Count Zero 止まらない精子減少の行方

DETAILS
■The Art 香取慎吾、ルーヴル初個展の手応えは?
■The Man of the Month 世界一悔しい世界一
■The Food パリから最強の“角打ち”がやってきた!

SERIES
-GQ Profile 久石譲はなぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?
-GQ Taste 有名シェフの復活店がおもしろい・後編
-GQ New Face UTA特別撮影

 

 

Blog. 「ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語」 久石譲 インタビュー内容紹介

Posted on 2019/12/09

「ジブリの教科書19 かぐや姫の物語」(文春ジブリ文庫・2018年刊)に収載された久石譲インタビューです。巻末出典一覧で語り下ろしとあるとおり、数ある「かぐや姫の物語」インタビューからの再録ではなく、高畑勲監督への追悼も込めた内容になっています。「熱風 2018年6月号《特集/追悼 高畑勲》」に掲載された原稿と近しい内容になっています。

 

 

映画音楽のあり方を考えさせられた
久石譲(作曲家)

最初に『かぐや姫の物語』のラッシュフィルムを見せてもらったときのことです。かぐや姫が月に帰るクライマックスシーンの話になると、高畑さんは子どもみたいに笑って言いました。「これはまだプロデューサーにも言ってないんですけど、サンバで行こうと思っているんです」。「え!? サンバですか」。僕がびっくりしていると高畑さんは、続けてこう説明してくれました。

月の世界には悩みも苦しみもない。かぐや姫も月に帰ったら、地上で起きたことをぜんぶ忘れて幸せになる。そういう”天人”たちの音楽はなんだろうかと考えると、地球上にある音楽でいえばサンバになるんじゃないでしょうか──。

お別れの場面ですから、普通に考えれば悲しい音楽を想定します。ところが、高畑さんはそうは考えない。非常に論理的に詰めていった上で、サンバへと飛躍する感覚的なすごさがあるんです。われわれ作曲家もそうですが、多くの人は、論理的な思考と感覚的なものとの間で葛藤しながら、ものを作ります。でも、高畑さんはそこの折り合い方がすごく自然で自由なんです。

その自然さはどこから来るんだろうと、ずっと不思議に思っていたんですが、あるとき高畑さんがこうおっしゃったんです。「僕はオプティミストなんですよ。楽天主義者だから、楽しいことが大好きなんです」。それを聞いて、僕は「ああ、なるほど」と納得しました。楽しいこと、おもしろいことに対して素直に喜ぶ。そこに基準を置きながら、論理的、意識的な活動と、感覚的なものを両立していた。それが高畑勲という人だったんじゃないでしょうか。

 

僕が初めて高畑さんとお会いしたのは、『風の谷のナウシカ』のときでした。もちろん音楽のミーティングには宮崎さんも出席されていましたが、作画のほうが忙しかったこともあって、音楽のほうは主に高畑さんが見ていらっしゃいました。高畑さんの場合、七時間以上の長時間のミーティングはあたりまえです。それを何回も何回も繰り返して、「いったいどこまで話すんだ」というぐらい音楽の話をします。

『かぐや姫』のときも、本当に何度も話し合いを重ねました。ようやく「これで行きましょう」と決まり、ほっと一安心していると、翌日の夜十時に突然「いまから行きます」と電話がかかってくる。そして、「昨日はああ言ったんですが、やはりここは新しいテーマが必要なんじゃないでしょうか」と言うのです。ブレるというのとは違います。どこまでも考え抜き、そのほうが作品にとっていいと思った結果なんです。そこで、また四、五時間話をする。録音の二、三週間前まで、そうしたやりとりが続きました。

しかも、二〇一三年は宮崎さんの『風立ちぬ』と高畑さんの『かぐや姫』、二つの大作が重なりました。ああいう優れた監督との仕事は、四年にいっぺんで充分というぐらい極度の集中力を必要とします。それを二本となると、作曲家としてはもはや自殺行為です。それでも、僕としては高畑作品を手がけてみたかったのです。

結果的に、『かぐや姫の物語』に携わったことは、僕にとって大きな転機となりました。

高畑さんは、その前に僕が書いた『悪人』の音楽を気に入ってくれていました。「登場人物の気持ちを説明するわけでも、シーンの状況に付けるわけでもない。観客のほうに寄っている音楽のあり方がいい」と言ってくださったのです。だから、『かぐや姫』に取りかかるときも、まず最初に言われたのが、「観客の感情を煽らない、状況にも付けない音楽を」ということでした。

いわゆる普通の映画音楽は、登場人物が泣いていたら悲しい音楽、走っていたらテンポの速い音楽というように、状況に付けて、観客の感情を煽ります。近年のハリウッド映画などは、あまりにも状況にぴったり付けることで、映画音楽が”効果音楽”に陥っているものすらあります。でも、『かぐや姫』ではそういうことはいっさいやめて、”引く”ことが求められたのです。

難しい課題でした。僕自身、以前から多少意識していたとはいえ、『悪人』のときは、まだそれほど理論武装していたわけではなかったからです。とくに、高畑さんの言わんとしていることを理解するまでが大変でした。ただ、試行錯誤を重ねて、「ここだ」というポイントをつかんでからはスムーズに進むようになりました。最後のほうは、ニコニコと「それでいいです」と言ってもらえることが増え、ほとんどあうんの呼吸のようになっていきました。

それまでの僕のやり方は、もう少し音楽が主張していたと思います。それに対して、『かぐや姫』以降は、主張の仕方を極力抑えるようになりました。音楽は観客が自然に映画の中に入っていって感動するのをサポートするぐらいでいい。そう考えるようになったのです。ただし、それは音楽を減らすという意味ではありません。『かぐや姫』では引いていながらも、じつはかなりたくさんの音楽を使っています。高畑さん自身、「こんなに音楽を付けるのは初めてです」とおっしゃっていたほどです。

矛盾するようですが、僕は映画音楽にもある種の作家性みたいなものが残っていて、映像と音楽が少し対立していたほうがいいと思うんです。映像と音楽がそれぞれあって、もうひとつ先の別の世界まで連れて行ってくれる──そういうあり方が映画音楽の理想なんじゃないでしょうか。そういう僕の考えを尊重してくれたのは、高畑さん自身が音楽を愛し、音楽への造詣がものすごく深い方だったからかもしれません。

制作が終盤にさしかかった頃、ダビング作業の合間に、僕が翌月指揮をしなければいけないブラームスの交響曲第三番のスコアを見ていると、ふいに高畑さんがやってきました。「それは何ですか?」と言ってスコアを手に取ると、第四楽章の最後のページを開いて、「ここです。ここがいいんです」とおっしゃいました。第一楽章のテーマがもう一度戻ってくるところなんですが、そういうことを言える方はなかなかいない。少なくとも僕はそういう監督に会ったことがありません。それぐらい高畑さんは音楽に詳しかった。

高畑作品を見ていると、どれも音楽の使い方がすばらしいですよね。たとえば、『セロ弾きのゴーシュ』。よくあの時代に、あそこまで映像と音楽を合わせられたなと思いますし、『田園』(ベートーヴェンの交響曲第六番)から選んでいる箇所も絶妙です。音楽を知り抜いていないと、ああはできません。『ホーホケキョ となりの山田くん』では、音楽で相当遊んでいます。マーラーの五番『葬送行進曲』を使ったかと思ったら、急にメンデルスゾーンの『結婚行進曲』がタタタターンと来る。あの映画は音楽通の人にとっては、見れば見るほど笑えるというか、すごい作品です。

すべての作品で、使うべきところに過不足なく音楽が入っていて、作曲家の目から見ても、音楽のあり方が非常に的確なんです。世界を見渡しても、こんな監督はいないと思います。だから、できることなら、もう一、二本撮っていただきたかったし、できることなら、一緒にやりたかった。残念ながら、それは叶いませんでしたが、高畑さんとの仕事でつかんだ方法論は、いまも僕の中で活きています。

僕にとって、宮崎さんが憧れの”お兄さん”のような人だとしたら、高畑さんは”理想の人”でした。僕は何か迷いがあるとき、宮崎さんならどうするだろうか?  鈴木敏夫さんなら?  養老孟司先生なら? と考えます。そんなとき、いつも決まって最後に浮かんでくるのは高畑さんの笑顔です。そうすると、何だか希望が湧いてきて、次の自分の行動が決まるんです。いまも高畑さんは、僕の中で羅針盤のような存在であり続けています。

(インタビュー・構成 柳橋閑)

(ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語 より)

 

 

 

 

ジブリの教科書 19
『かぐや姫の物語』

[目次]

ナビゲーター・壇蜜 ジブリのフィルターを通して見た竹取物語

Part1 映画『かぐや姫の物語』誕生
スタジオジブリ物語 『かぐや姫の物語』
鈴木敏夫 高畑さんとの勝負だったこの映画。いまでも緊張の糸はほどけない。

Part2 『かぐや姫の物語』の制作現場
[原案・脚本・監督]高畑 勲 全スタッフがほんとうに力を出しきってくれ、みんながこの作品をやり遂げさせてくれた
[人物造形・作画設計]田辺 修 多くのスタッフに助けられて、完成することができました
[美術]男鹿和雄 自然な余白を残すように描いた浅すぎず軽すぎない「あっさり感」のある背景

対談 伝説の男・高畑勲はいかに帰還したのか?
プロデューサー西村義明×スタジオジブリプロデューサー見習い川上量生

Part3 作品の背景を読み解く
・viewpoint・ ヒキタクニオ 大人味のアニメ
奈良美智 待つとし聞かば今帰り来む
二階堂和美 限りあるいのちを生きている私たちは
久石 譲 映画音楽のあり方を考えさせられた
辻 惟雄 なぜ絵巻物に魅入られたのか
宮本信子 百年先まで残る映画です
マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット 繊細さと叡智――高畑勲監督からのギフト

出典一覧
高畑勲プロフィール
映画クレジット

 

 

 

 

《号外》「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」を予習しよう

Posted on 2019/12/01

今年の大晦日「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」は、まさにアメリカン・プログラム! アメリカ合衆国の音楽史をたどるような、アメリカの作曲家、アメリカで生まれた音楽、アメリカの歴史とともに演奏されてきた作品たち。 “《号外》「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」を予習しよう” の続きを読む