Blog. 「GQ JAPAN 2018年12月号 No.185」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/12/10

雑誌「GQ JAPAN 2018年12月号 No.185」に掲載された久石譲インタビューです。「MUSIC FUTURE」コンサート・シリーズ初のニューヨーク公演を控えたなかでの取材、またGQ JAPAN×ボーム&メルシエのタイアップ企画とも連動しています。

 

 

GQ PROFILE:Joe Hisaishi Talks about Life & Music
作曲家・久石譲に訊く
なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?

最先端の“現代の音楽”を久石譲がセレクトするシリーズ「MUSIC FUTURE」。その5回目となる今年は11月11日にニューヨーク・カーネギーホールでの公演が決まった。ミニマル・ミュージックの本場に挑む久石譲に訊いた。

 

久石譲のライフワークは、ミニマル・ミュージックだ。端的に言葉で表現するならば、「同じ音型を反復する現代音楽」。アンディ・ウォーホルは、マリリン・モンローの顔やキャンベルのスープ缶を繰り返し並べることで、そのものが本来持つ意味合いを変え、新たなアートを構築した。これはミニマリズムと呼ばれるアートの手法であり、ミニマル・ミュージックも同じ思想に基づいている。

思想ばかりが先走った、変化に乏しい退屈な現代音楽。そう思う人もいるかもしれない。だが、久石譲のコンサートに行けば、それが偏見であり誤解だということがわかる。確かに繰り返されるのは同じような旋律だ。だが、久石はそこに少しずつ”変化”を加えることで、”景色”を変えていく。

たとえるなら、空に浮かぶ雲。一見、何も変わらぬように見えるが、久石がふるうタクトにあわせ、雲はゆっくり形を変えながら動き、その動きにあわせて、太陽の光の量も微妙に変わっていく。ただ変えるだけではない。久石が描くのは、間違いなく日本の空。やさしく美しい景色。はじめて見たはずなのに、懐かしい。いつの間にか意識は耳に集中し、音楽という雲の行方を追いかけてしまう。

「同じ音楽が繰り返されると、聴き手は時間の感覚が麻痺して、物理的な認識をずらされていく。ミニマル・ミュージックはそれを体感する音楽だと思っています。ただ僕がやっているのは、ミニマル・ミュージックそのものというより、ミニマル・ミュージックをベースとした音楽。現代音楽のなかには、聴き手を無視した単に退屈なものもたくさんありますが、僕はそんなものを作りたいとは思わない。

 音楽とは、譜面があって、演奏があって、観客がいて成立するもの。ミニマル・ミュージックでも人に届かなければ意味がない。だから僕がミニマルをやるときは、同じ時間を何度も繰り返しつつ、少しずつ変化を与えていく。その違い、見えてくる景色の変化を楽しむことがミニマル・ミュージックのおもしろさだと思っています」

コンサートでは、オーケストラを相手に指揮をふるい、ときには自らピアノを奏でる。大仰な指揮はしない。サービスのためのMCもない。それでも久石が音楽というものを全身で楽しんでいることが伝わってくるし、その楽しさと音楽の奥深さを観客は共有することができる。

「同じプログラムでも、毎回まったく同じということはありえない。誰も気づかないような少しの音の違いが発見につながることもあります。だからコンサートはやめられないんです」

 

(2017年10月24日、25日の2日間、東京・よみうり大手町ホールにて行われた「ミュージック・フューチャーVol.4」コンサートの模様。バンドネオン奏者の三浦一馬氏と共演した。)

 

(一定のフレーズを反復するミニマル・ミュージックの発展に大きく貢献した音楽家であり、日本公演では共演経験もある音楽家のフィリップ・グラス(写真左から2番目)さんとのオフショット。写真右は、久石譲の娘で歌手の「麻衣」。)

 

過去は振り返らない

久石譲が描く音の景色には、誰もが馴染みを感じているだろう。世界中で高く評価される数々のジブリ作品や北野武映画は、彼の音楽を抜きにして語ることはできない。だが、当の本人はそんな”過去”には無関心のようだ。

「昔の作品を褒められても、『あ、そう』としか思えない。うれしくないというより、どうでもいいって感じかな(笑)。だってそれを作ったころの自分と今の自分は違う。『トトロが大好きです!』って言われてもさ、30年前の作品だから。あのころの僕は、ベストを尽くして作った。でも今はまた違う場所にいる。聴けば聴くだけ反省が浮かんでしまうんです。

 ベートーヴェンの『第九』ですら、指揮するために譜面を仔細に見ていくと『あ、ここミスしたんだな』と思うポイントがあるんです。そのミスを補うために、他を調整した痕跡もある。音楽に完璧なんてないんですよ。いわゆる”前向き”というのとも違う気がするけど、過去は振り返らない。というか、いまやるべきことに集中しているから、振り返っている時間はないって感じかな」

話しているとまったく年齢を感じさせない。見た目も、口調も、話す内容も実に若々しいのだ。過去の栄光にまったく興味を持たず、ただひたすら未来に向かって音楽を作り続けているからかもしれない。

「クリエイティブに年齢は関係ありませんよ。もちろん年齢を重ねることで失ってしまうものはあるでしょう。でも失うことを嘆くのではなく、それを補って、さらに”上”を目指して走り続けるしかない」

 

 

次の時代にも生き残る音楽

「いい音楽とは、長く聴かれる音楽。僕は、時代を超えて愛される音楽を作りたいと思っています。でもいまという時代からまったく離れた音楽を作るのは無理。作り手が意識しなくても、音楽と時代はシンクロしていくものです。ただ、流行りを追いかけ、ウケそうな音楽を作ったとしても、それは長くて2年で消費されてしまう。大切なのは、流行や時代の本質を見つめ、つかまえること。それができれば次の時代にも生き残る音楽になると思っています。

 音楽とは何か? その正解にたどり着けるとも思っていません。一生かけてもその一端を理解できるかどうか。自分が作る音楽が100年後、200年後も聴かれているかどうか。それもわからない。でもだからこそ、自分の100%を捧げて真摯に音楽と向きあうしかないと思っています」

映画音楽は、注文にあわせて監督の意図に沿う音を作り上げる職人の仕事。一方、オーケストラを率いる作曲家はアーティスト。職人とアーティスト、久石はそのふたつの顔をどのように使い分けているのか。そう質問すると、意外な答えが返ってきた。

「もしかしたら、僕は一生アマチュアなのかもしれません。映画音楽でも交響曲でも作るときは毎回どうすればいいかわからないというところからスタートする。悩んで、途方に暮れて。簡単に作れた曲なんて、ひとつもありません。職人のような磨き上げた技術もアーティストのような天才的なひらめきもなく、苦しみあがきながら音楽を作っている。もしかすると、そのおかげで少しずつでも進化できているのかもしれません」

 

音楽の殿堂に挑む

この秋には、ニューヨークの音楽の殿堂、カーネギーホールで初のコンサートを開催し、東京で凱旋公演をすることも決定している。

「ニューヨークはミニマル・ミュージックの故郷であり、本場。これまで海外でのコンサートは何度もやってきましたが、ニューヨークはやったことがなかった。一度やってみようかという話になって、最初は小さなライブハウスでと思っていたんです。それが気がついたら話がどんどん大きくなってカーネギーホール(笑)。どうなふうに受け止められるんでしょうか。楽しみというより、プレッシャーのほうが大きいですね」

そう言いながら、久石は笑顔を見せる。それは、プレッシャーと裏腹の自信というよりも、新しいことに挑戦する高揚感のあらわれのように思えた。

旅先で空を見上げると、雲も色も異なっていることに気づく。アメリカにはアメリカの空と雲があり、ヨーロッパにはヨーロッパの、アフリカにはアフリカの空と雲がある。ニューヨークで久石のミニマル・ミュージックに接した人は、日本の空と雲を感じることができるはずだ。アメリカで生まれ、日本で、久石譲という稀代のメロディメーカーが磨きあげたミニマル・ミュージックがどんな景色を描くのか。その反響がいまから楽しみだ。

(GQ JAPAN 2018年12月号 No.185 より)

 

 

なお、雑誌掲載と同内容のものがWeb版として11月5日に公開されました。

公式サイト:GQ JAPAN | CULTURE | 久石譲
https://gqjapan.jp/culture/bma/20181105/joe-hisaishi

 

 

 

その他、Webインタビュー/Web動画

 

 

[内容紹介]

COVER STORY
全米オープン覇者は、こんなにもきれいだ!
ナチュラル美女 大坂なおみ

FEATURE
■特集1 Money Issue お金をめぐる6つのおはなし
-What Do People Think About Money? お金の価値観大調査!
-Theory of Winning お笑い芸人「ハナコ」の絶妙なバランス感覚
-A Spiritual Guide To Money 辛酸なめ子の「お金のエネルギー」講座
-Generation Wealth ローレン・グリーンフィールドが撮る「富の世代」
-Money Rules The World? 丸山ゴンザレスの「スラムの沙汰もマネー次第」
-A Clone is Born お金持ちのためのクローンビジネス

GQ GLOBAL
-Fear and Loathing in The Lab パーティドラッグは心の病を治すのか
-Tom Ford’s Underworld エレガンスの帝王が次に手がけるのは下着
-Sperm Count Zero 止まらない精子減少の行方

DETAILS
■The Art 香取慎吾、ルーヴル初個展の手応えは?
■The Man of the Month 世界一悔しい世界一
■The Food パリから最強の“角打ち”がやってきた!

SERIES
-GQ Profile 久石譲はなぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?
-GQ Taste 有名シェフの復活店がおもしろい・後編
-GQ New Face UTA特別撮影

 

 

Blog. 「ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語」 久石譲 インタビュー内容紹介

Posted on 2019/12/09

「ジブリの教科書19 かぐや姫の物語」(文春ジブリ文庫・2018年刊)に収載された久石譲インタビューです。巻末出典一覧で語り下ろしとあるとおり、数ある「かぐや姫の物語」インタビューからの再録ではなく、高畑勲監督への追悼も込めた内容になっています。「熱風 2018年6月号《特集/追悼 高畑勲》」に掲載された原稿と近しい内容になっています。

 

 

映画音楽のあり方を考えさせられた
久石譲(作曲家)

最初に『かぐや姫の物語』のラッシュフィルムを見せてもらったときのことです。かぐや姫が月に帰るクライマックスシーンの話になると、高畑さんは子どもみたいに笑って言いました。「これはまだプロデューサーにも言ってないんですけど、サンバで行こうと思っているんです」。「え!? サンバですか」。僕がびっくりしていると高畑さんは、続けてこう説明してくれました。

月の世界には悩みも苦しみもない。かぐや姫も月に帰ったら、地上で起きたことをぜんぶ忘れて幸せになる。そういう”天人”たちの音楽はなんだろうかと考えると、地球上にある音楽でいえばサンバになるんじゃないでしょうか──。

お別れの場面ですから、普通に考えれば悲しい音楽を想定します。ところが、高畑さんはそうは考えない。非常に論理的に詰めていった上で、サンバへと飛躍する感覚的なすごさがあるんです。われわれ作曲家もそうですが、多くの人は、論理的な思考と感覚的なものとの間で葛藤しながら、ものを作ります。でも、高畑さんはそこの折り合い方がすごく自然で自由なんです。

その自然さはどこから来るんだろうと、ずっと不思議に思っていたんですが、あるとき高畑さんがこうおっしゃったんです。「僕はオプティミストなんですよ。楽天主義者だから、楽しいことが大好きなんです」。それを聞いて、僕は「ああ、なるほど」と納得しました。楽しいこと、おもしろいことに対して素直に喜ぶ。そこに基準を置きながら、論理的、意識的な活動と、感覚的なものを両立していた。それが高畑勲という人だったんじゃないでしょうか。

 

僕が初めて高畑さんとお会いしたのは、『風の谷のナウシカ』のときでした。もちろん音楽のミーティングには宮崎さんも出席されていましたが、作画のほうが忙しかったこともあって、音楽のほうは主に高畑さんが見ていらっしゃいました。高畑さんの場合、七時間以上の長時間のミーティングはあたりまえです。それを何回も何回も繰り返して、「いったいどこまで話すんだ」というぐらい音楽の話をします。

『かぐや姫』のときも、本当に何度も話し合いを重ねました。ようやく「これで行きましょう」と決まり、ほっと一安心していると、翌日の夜十時に突然「いまから行きます」と電話がかかってくる。そして、「昨日はああ言ったんですが、やはりここは新しいテーマが必要なんじゃないでしょうか」と言うのです。ブレるというのとは違います。どこまでも考え抜き、そのほうが作品にとっていいと思った結果なんです。そこで、また四、五時間話をする。録音の二、三週間前まで、そうしたやりとりが続きました。

しかも、二〇一三年は宮崎さんの『風立ちぬ』と高畑さんの『かぐや姫』、二つの大作が重なりました。ああいう優れた監督との仕事は、四年にいっぺんで充分というぐらい極度の集中力を必要とします。それを二本となると、作曲家としてはもはや自殺行為です。それでも、僕としては高畑作品を手がけてみたかったのです。

結果的に、『かぐや姫の物語』に携わったことは、僕にとって大きな転機となりました。

高畑さんは、その前に僕が書いた『悪人』の音楽を気に入ってくれていました。「登場人物の気持ちを説明するわけでも、シーンの状況に付けるわけでもない。観客のほうに寄っている音楽のあり方がいい」と言ってくださったのです。だから、『かぐや姫』に取りかかるときも、まず最初に言われたのが、「観客の感情を煽らない、状況にも付けない音楽を」ということでした。

いわゆる普通の映画音楽は、登場人物が泣いていたら悲しい音楽、走っていたらテンポの速い音楽というように、状況に付けて、観客の感情を煽ります。近年のハリウッド映画などは、あまりにも状況にぴったり付けることで、映画音楽が”効果音楽”に陥っているものすらあります。でも、『かぐや姫』ではそういうことはいっさいやめて、”引く”ことが求められたのです。

難しい課題でした。僕自身、以前から多少意識していたとはいえ、『悪人』のときは、まだそれほど理論武装していたわけではなかったからです。とくに、高畑さんの言わんとしていることを理解するまでが大変でした。ただ、試行錯誤を重ねて、「ここだ」というポイントをつかんでからはスムーズに進むようになりました。最後のほうは、ニコニコと「それでいいです」と言ってもらえることが増え、ほとんどあうんの呼吸のようになっていきました。

それまでの僕のやり方は、もう少し音楽が主張していたと思います。それに対して、『かぐや姫』以降は、主張の仕方を極力抑えるようになりました。音楽は観客が自然に映画の中に入っていって感動するのをサポートするぐらいでいい。そう考えるようになったのです。ただし、それは音楽を減らすという意味ではありません。『かぐや姫』では引いていながらも、じつはかなりたくさんの音楽を使っています。高畑さん自身、「こんなに音楽を付けるのは初めてです」とおっしゃっていたほどです。

矛盾するようですが、僕は映画音楽にもある種の作家性みたいなものが残っていて、映像と音楽が少し対立していたほうがいいと思うんです。映像と音楽がそれぞれあって、もうひとつ先の別の世界まで連れて行ってくれる──そういうあり方が映画音楽の理想なんじゃないでしょうか。そういう僕の考えを尊重してくれたのは、高畑さん自身が音楽を愛し、音楽への造詣がものすごく深い方だったからかもしれません。

制作が終盤にさしかかった頃、ダビング作業の合間に、僕が翌月指揮をしなければいけないブラームスの交響曲第三番のスコアを見ていると、ふいに高畑さんがやってきました。「それは何ですか?」と言ってスコアを手に取ると、第四楽章の最後のページを開いて、「ここです。ここがいいんです」とおっしゃいました。第一楽章のテーマがもう一度戻ってくるところなんですが、そういうことを言える方はなかなかいない。少なくとも僕はそういう監督に会ったことがありません。それぐらい高畑さんは音楽に詳しかった。

高畑作品を見ていると、どれも音楽の使い方がすばらしいですよね。たとえば、『セロ弾きのゴーシュ』。よくあの時代に、あそこまで映像と音楽を合わせられたなと思いますし、『田園』(ベートーヴェンの交響曲第六番)から選んでいる箇所も絶妙です。音楽を知り抜いていないと、ああはできません。『ホーホケキョ となりの山田くん』では、音楽で相当遊んでいます。マーラーの五番『葬送行進曲』を使ったかと思ったら、急にメンデルスゾーンの『結婚行進曲』がタタタターンと来る。あの映画は音楽通の人にとっては、見れば見るほど笑えるというか、すごい作品です。

すべての作品で、使うべきところに過不足なく音楽が入っていて、作曲家の目から見ても、音楽のあり方が非常に的確なんです。世界を見渡しても、こんな監督はいないと思います。だから、できることなら、もう一、二本撮っていただきたかったし、できることなら、一緒にやりたかった。残念ながら、それは叶いませんでしたが、高畑さんとの仕事でつかんだ方法論は、いまも僕の中で活きています。

僕にとって、宮崎さんが憧れの”お兄さん”のような人だとしたら、高畑さんは”理想の人”でした。僕は何か迷いがあるとき、宮崎さんならどうするだろうか?  鈴木敏夫さんなら?  養老孟司先生なら? と考えます。そんなとき、いつも決まって最後に浮かんでくるのは高畑さんの笑顔です。そうすると、何だか希望が湧いてきて、次の自分の行動が決まるんです。いまも高畑さんは、僕の中で羅針盤のような存在であり続けています。

(インタビュー・構成 柳橋閑)

(ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語 より)

 

 

 

 

ジブリの教科書 19
『かぐや姫の物語』

[目次]

ナビゲーター・壇蜜 ジブリのフィルターを通して見た竹取物語

Part1 映画『かぐや姫の物語』誕生
スタジオジブリ物語 『かぐや姫の物語』
鈴木敏夫 高畑さんとの勝負だったこの映画。いまでも緊張の糸はほどけない。

Part2 『かぐや姫の物語』の制作現場
[原案・脚本・監督]高畑 勲 全スタッフがほんとうに力を出しきってくれ、みんながこの作品をやり遂げさせてくれた
[人物造形・作画設計]田辺 修 多くのスタッフに助けられて、完成することができました
[美術]男鹿和雄 自然な余白を残すように描いた浅すぎず軽すぎない「あっさり感」のある背景

対談 伝説の男・高畑勲はいかに帰還したのか?
プロデューサー西村義明×スタジオジブリプロデューサー見習い川上量生

Part3 作品の背景を読み解く
・viewpoint・ ヒキタクニオ 大人味のアニメ
奈良美智 待つとし聞かば今帰り来む
二階堂和美 限りあるいのちを生きている私たちは
久石 譲 映画音楽のあり方を考えさせられた
辻 惟雄 なぜ絵巻物に魅入られたのか
宮本信子 百年先まで残る映画です
マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット 繊細さと叡智――高畑勲監督からのギフト

出典一覧
高畑勲プロフィール
映画クレジット

 

 

 

 

《号外》「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」を予習しよう

Posted on 2019/12/01

今年の大晦日「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」は、まさにアメリカン・プログラム! アメリカ合衆国の音楽史をたどるような、アメリカの作曲家、アメリカで生まれた音楽、アメリカの歴史とともに演奏されてきた作品たち。 “《号外》「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」を予習しよう” の続きを読む

Overtone.第26回 「音楽の聴き方 -聴く型と趣味を語る言葉/岡田暁生 著」 を読む

Posted on 2019/11/28

ふらいすとーんです。

前回『クラシック音楽とは何か』という本をご紹介しました。主にクラシック音楽を中心にさまざまな本を出版している岡田暁生さん、同じ著者による『音楽の聴き方 ー聴く型と趣味を語る言葉』です。

音楽を聴いた感動を、どう言葉にしたらいいか? この感動をどう伝えよう? そんなことって音楽好きにはよくあることですね。「こんな表現の仕方あるよ、こんな言い回しあるよ」という引き出し的な本ではありません。タイトルにあるとおり、聴き方の《型、方法、コツ》を知ることによって、おのずと音楽を語る言葉たちも、より具体的になってきたり、より表現が広がってきたり。

たぶん音楽を聴くことって、極端にいえばとても感覚的なことです。今まで経験してきたこと、無意識のうちにやっていたことも、言葉や文章でロジカルに整理されてみると、「ああ、たしかに」「そういうことなのかなあ」と感覚的だったものが客観的に見えてくることもあります。この本に書かれていることは、クラシック音楽に限ったものではなく広く音楽の聴き方です。普段のマイ音楽生活に当てはめながら読んでもらえるとうれしいです。

僕の結論(思ったこと)。

音楽を聴くことは感覚的、そこには「好き」「嫌い」「わかる」「わからない」という大きな四択が直感的に選ばれて、無意識に振り分けられていく。なぜ好きなのか? なぜ嫌いなのか? なぜわかるのか? なぜわからないのか? それを自分のなかに見つめることで「聴き方」がわかってくる。そんなことが書かれている本かなあ。そして「好き」「嫌い」「わかる」「わからない」は、変化していく。時間の流れ、環境の変化、学びや蓄積の進化、人が変わっていくように聴いた音楽の感覚的印象も絶えず変化しつづける。だからこそ、音楽っておもしろい。そんなことを思いました。

 

11ページにおよぶ【はじめに】項から、抜粋・要約するかたちでご紹介します。

 

 

はじめに

~中略~

やはり大多数の人にとって音楽を聴く最大の喜びは、他の人々と体験を共有し、心を通わせ合うことにあるはずである。例えば素晴らしいコンサートを聴き終わった後、それについて誰かと語り合いたくてうずうずしているところに、ばったり知人と出会って、どちらかともなく「よかったね!」の一言が口をついて出てきたときのこと。互いの気持ちがぴったりと合ったと確信させてくれる、コンサートの後のあの「一言」がもたらす喜びは、音楽を聴いている最中のそれに勝るとも劣らない感興を与えてくれると私は信じている。自由闊達に語り合えば合えるほど、やはり音楽は楽しい。聴く喜びはかなりの程度で、語り合える喜びに比例する。音楽の楽しみは聴くことだけではない。「聴くこと」と「語り合うこと」とが一体になってこそ音楽の喜びは生まれるのだ。

とはいえ、「よかったぁ…!」の感嘆の声をあげるだけで満足するのではなく、もっと彫り込まれた表現で自らの音楽体験についての言葉を紡ぐには、もとよりそう容易なことではない。思えば私自身もかつては、「うまかった/へただった」、「よかった/よくなかった」、「感激した/退屈だった」といった大雑把な印象以上のことを、ほとんど口に出来なかった記憶がある。そして何か気の利いたことを言おうと、通ぶって「あそこのファゴットはあんな風に吹いていいものかねえ」などと口にしてはみても、どうにも周囲と言葉が噛み合わず、後味の悪い思いをしたことも、少なからずあった。音楽の余韻をもっと楽しもうとして、いろいろ話をしていたはずなのに、「そんな細かいことがどうかしたの?」と気色ばまれたりして、せっかくのコンサートの余韻が冷めてしまうのだから、本末顛倒ではある。だが今にして思えばああした行き違いは、単に当時の私の言葉のレベルが余りにも稚拙だっただけのことであろう。「音楽を語る言葉を磨く」ことは、十分努力によって可能になる類の事柄であり、つまり音楽の「語り方=聴き方」には確かに方法論が存在するのだ。

美術史家のゴンブリッチは名著『美術の歩み』の中で、興味深いことを書いている。例えば人がある絵画をなぜ傑作だと感じたのかは、「普通、言葉では正確に説明することはできない。しかし、このことは、この作品もあの作品も、同じようによいものだとか、好き嫌いの問題は議論することができないとかいう意味ではない」。こうした問題について議論をすることを通して、「以前には見逃していた点に私たちは気付くようになる。私たちは、各時代の芸術家たちがなし遂げようと努力した調和ということに関して、感覚を高めるようになる。これらの調和に対する私たちの感覚が豊かになればなるほど、私たちは、それらの作品をもっと楽しむようになる」。

端的に言って、「聴き方」とは「聴く型」のことだと、私は考えている。

(音楽の聴き方「はじめに」より 要約・抜粋)

 

 

とても魅力的な導入部ですね。聴く喜びと語り合える喜び、そして語り合うことで豊かになる感覚。この本、とても読み応えがあって、一方でかなりマニアックなところもあって、何度も読み返しました。ふせんを貼りまくった箇所も多く、ピンポイントに紹介したいところも多く。さてどうしたものかと放置していた期間も長く。最終的には、いくつかの章から気になった箇所をピックアップしてその部分を(ここ大事!章全体をではなく部分を)要約・抜粋するかたちで紹介させてもらいます。原文は変えていませんが、切り貼りされているところもあります。予めご了承ください。マニアックと書いた理由は、本の目次を見てもらったら。

ではいきます!

 

 

第一章 音楽と共鳴するとき

思うに音楽は、その場の空気だとか、よく分からない相性だとか、聴いたときの体調や気分だとかに、ひどく左右される芸術である。もちろん小説などでも、たまたま疲れていたりすると集中力を欠いて大切な箇所を読み落としたりしがちだし、せっかく楽しみにしていた展覧会に行ったのに、気分が乗らなくて印象が薄くなるということもあるだろう。だが、ある程度の線引きはできる。「なるほど、これはすごい作品なんだろうけど、今の自分には少し早いなあ」とか、「こういうものを評価する人がいるのは分かるけれど、自分の好みではないなあ」とか、「大傑作というわけではないのだろうけれど、今の自分にはとてもピンと来る」とか、「今日は疲れていて何を読んでも頭に入らないや」といった具合に。だが、音楽の場合、ことはそう簡単ではない。端的に言って音楽体験は、何よりもまず生理的な反応である。なぜなら音楽は我々の肉体のあらゆる神経に触れるからである。触れてくるものを客観的に判断するのは難しい。例えば「あそこでぐっと来る」といった、身体の奥の漠然とした疼きのようなものについての感想に終始する理由は、まさにこのあたりにある。

とはいえ、音楽に対する生理反応がまったく議論不能かといえば、もちろんそんなことはない。ある音楽に反応した、あるいはしなかった、そこには必ず理由があるはずだし、だからこそ「音楽についての言説空間」とでも呼ぶべきものが、それなりに成立してきたのだ。例えば「波長の相性」、音楽の調子、タッチ、リズム、テクスチャー等がないまぜになって生まれる、一種の律動のようなものである。私は、ウィーン古典派で定評のある某有名ピアニストの解釈と、どうにも「波長」が合わない。その演奏で多用されるスフォルツァンドを聴いていると、自分の主張を一方的にまくしたてるヒステリックな口調を連想してしまい、一向に落ち着けないのである。その演奏の尋常ではない集中力の深さ、身を削るようにして推敲されたに違いない解釈の説得力、非の打ち所のない技術などを認めるにやぶさかではない。しかし頭でどれだけ理解出来ても、身体が嫌がる。これなど「あのタレントの笑うときの口元の表情が好き/嫌い」といった議論と何ら変わるまい。ただの好き嫌いである。

これとは逆に、あらかじめ聴き手がある波長でスタンバイしており、たまたま周波数がそれと一致する音楽を耳にすると、過剰とも思える同調反応を示すということもあるだろう。若い頃に極度の思い入れのあった音楽が、ある年齢を境に何も感じないようになってしまう、心理的波長にまったく反応しなくなってしまうことも。音楽とは人の束の間の気分に左右される、まことに移ろいやすい芸術ではある。いずれにせよ私たちは、他のどんな芸術にも増して音楽体験は、こうした生理的な反応に左右されやすいことを、よく自覚しておいた方がいい。「自分はこういうタイプのメロディーにぐっと来てしまうクセがあるんだよなあ」とか、「こういうリズムを聴くと反射的に嫌悪を感じてしまうんだ…」といった具合に、自分の性癖を理解しておくわけだ。それこそが、個人の生理的反応の次元と客観的な事実とをある程度分けて聴くための、最初のステップである。

すべての音楽体験の原点となってくれるのは、まだどんな言葉も湧き上がってこないような、純粋に感覚的な「第一印象」以外にありえないだろう。一体自分はその音楽にどう反応しているのか。音楽体験において一番大切なのは、他人の意見や世評などに惑わされず、まずは自分の内なる声に耳を澄ませてみることではないかと、私は考えている。自分が音楽にどう反応しているかをきちんと聴き取ってあげる、実はこれはそんなに簡単なことではない。マスメディア時代に生きる私たちは、音楽を聴くより以前に既に大量の情報にさらされているし、知らないうちに「音楽の聴き方」についていろいろなことを刷り込まれている。それに他人の意見や反応だって気になる。

そして私自身が音楽を聴くときの目安にしているのは何かといえば、それは最終的にただ一つ、「音楽を細切れにすることへのためらいの気持ちが働くか否か」ということである。細切れとはつまり、演奏会の途中で席を外したり、CDなら勝手に中断したりすることだ。何かしら立ち去りがたいような感覚と言えばいいだろうか。これは「分かる」とか「よかった」とか「ぐっと来る」とか、そういうこととは必ずしも関係ない。すぐにはピンと来ないかもしれない。だが、「これは最後まで聴いてあげなくてはいけないものだ」という感情がどこかに湧いてきたとすれば、それこそが「縁」というものだ。そのコンサート/CDは今のあなたにとって、まだ縁がない音楽だったのかもしれない(もちろん将来縁が出来る可能性は大いにある)。いずれにせよ私たちは、今の自分にとって「縁」のあった音楽から始めるしかない。不可分/不可逆な時間を共有出来るパートナーとしての音楽を少しずつ増やすことを通して、自分だけの図書館を、つまり自分自身を作り上げていくのだ。

「思うのだけれど、クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。[中略] 当たり前のことだけれど、それはほかの誰の体験でもない。僕の体験なのだ。」(『意味がなければスイングなない/村上春樹 より引用)

(音楽の聴き方「第一章 音楽と共鳴するとき」より 要約・抜粋)

 

 

第二章 音楽を語る言葉を探す

音楽の少なからぬ部分は語ることが可能である。それどころか、語らずして音楽は出来ない。音楽は言葉によって作られる。一流の指揮者のリハーサルなどを見れば、このことは一目瞭然である。彼らが練習で用いる語彙は、明確にいくつかのカテゴリーに分類することが出来る。一つは「もっと大きく」とか「ここからクレッシェンドして」といった直接的指示。二つめは「ワイングラスで乾杯する様子を思い描いて」といった詩的絵画的な比喩。三つめは、音楽の内部関連ならびに外部関連についての説明。内部関連とは「ここはハ長調だ」とか「再現部はここから始まる」といった音楽構造に関するもの。外部関連とは作品の歴史的文化的な背景についての説明などである。どれも「音楽を語る言葉」としてポピュラーなものだ。だが私が何より注意を促したいのは四つめの語彙、つまり身体/運動感覚に関わる彼らの独特の比喩の使い方である。いわく「四十度くらいの熱で、ヴィブラートを思い切りかけて」(ムラヴィンスキー)、「いきなり握手するのではなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」(クライバー)、「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」(チェリビダッケ)等々。それまで単なる抽象的な音構造としか見えなかったものが、これらの言葉に重ねられるやいなや突如として受肉される。体温を帯びた生身の肉体の生きた身振りとなるのである。

あるいは一八三九年に出版されたツェルニーの『演奏について』という本の中では、私たちが一般に物理的強弱に関わると考えている用語が、次のように定義されている。まずピアニッシモは「謎めいた神秘的な性格、遠い彼方からのこだまのざわめきのように、聴き手を魅了する効果」。ピアノは「愛らしくて柔らかく穏やかな平静さ、または静かな憂鬱」。フォルテは「エチケットに反しない範囲えの、独立心に満ちた決然とした力、ただし情熱を誇張するわけではない」。そしてフォルティッシモは「歓呼にまで昂ぶった喜び、または憤激にまで高められた苦痛」。これらの言葉は、今日のような抽象的/普遍的な「用語」になる以前、もともとデジタル的な音の強さの指示ではなく、それぞれ特定の気分で染められた身体感覚の連想を伴っていたわけである。

(音楽の聴き方「第二章 音楽を語る言葉を探す」より 要約・抜粋)

 

 

第四章 音楽はポータブルか?

「音楽を聴く/語る」とは、音楽を歴史の中でデコードする営みである。それはどういう歴史潮流の中からやってきて、どういう方向へ向かおうとしているのだろう? こちらからはこう見えるけれども、向こう側から眺めればどんな風に見方が変化するだろう? 一体どの歴史的立ち位置から眺めれば、最も意味深くその音楽を聴くことができるだろう? 音楽を聴くもう一つの楽しみは、こんな風に歴史と文化の遠近法の中でそれを考えることにある。歴史的文化的に音楽を聴くというのは、実はそんなに難しい話ではない。詳しい知識はなくとも、音楽を聴くとき私たちは常に、何らかの歴史/文化文脈の中で聴いている。逆に言えば、背景についてまったく知らない音楽は、よく分からないことの方が多い。例えば多くの人にとってポピュラー音楽が「分かりやすい」のは、その文脈が人々にとって身近なものだからだろうし、逆にクラシック音楽や雅楽が「難しい」のは、歴史や文化の背景がかなり遠いところにあるからだろう。私たちは美術館で絵を前にして、反射的に作者の名前を見ようとする。人によっては必ずまず作者の名を確認してから作品を見る。またコンサートで作曲家の名前も作品タイトルも確認しないなどという人は、まずいないだろう。そしてラジオで気になる音楽が流れていたら、最後のアナウンスまで聴いて、誰がそれを歌っていたか知ろうとするはずだ。

であればこそ、今の時代にあって何より大切なのは、自分が一体どの歴史/文化の文脈に接続しながら聴いているのかをはっきり自覚すること、そして絶えずそれとは別の文脈で聴く可能性を意識してみることだと、私は考えている。言い換えるなら、「無自覚なままに自分だけの文脈の中で聴かない」ということになるだろう。自分が快適ならば、面白ければそれでいいという聴き方は、やはりつまらない。こうしたことをしている限り、極めて限定された音楽(=自分とたまたま波長が合った音楽)しか楽しむことは出来ない。時空を超えたコミュニケーションとしての音楽の楽しみがなくなってしまう。むしろ音楽を「最初はそれが分からなくて当然」という前提から聴き始めてみる。それは未知の世界からのメッセージだ。すぐには分からなくて当然ではないか。快適な気分にしてもらうことえはなく、「これは何を言いたいんだろう?」と問うことの中に意味を見出す、そういう聴き方を考えてみる。

「音楽を聴く」とは、初めのうち分からなかったものが、徐々に身近になってくるところに妙味があると、考えてみるのだ。こうしてみても初めのうちは退屈かもしれない。確かに忍耐の要る作業ではあろう。音楽など自分と波長の合うものだけをピックアップして、それだけを聴いていればいい、それも一つの考え方だろう。だが「徐々に分かってくる」という楽しみ方を知れば、自分と波長が合うものだけを聴いていることに、そのうち物足りなくなってくるはずである。これはつまり自分がそれまで知らなかった音楽文化を知り、それに参入するということにほかならない。徐々にさまざまな陰影が見えてくることもある。それらの背後には何らかの歴史的経緯や人々の大切な記憶がある。このことへのリスペクトを忘れたくはない。「こういうものを育てた文化=人々とは一体どのようなものなのだろう?」と謙虚に問う聴き方があってもいい。歴史と文化の遠近法の中で音楽を聴くとは、未知なる他者を知ろうとする営みである。

(音楽の聴き方「第四章 音楽はポータブルか?」より 要約・抜粋)

 

 

結構お腹いっぱいだったでしょうか?

本書のなかで比較的に読みやすい箇所、誰が読んでも共感しやすい部分をピックアップさせてもらいました。僕は、結構腑に落ちることが多くて「ふむふむ、そうかそうか、そうだそうだ」と理解が染み込んでいきました。なによりも感覚的なことをロジカルに説明してくれているのは大きかったですね。

本の【おわりに】項では、28の箇条書きで本書がまとめられています。そのなかから半分くらいをご紹介します。「ああ、自分もそんな経験あるなあ」と思えるものがきっとあります。

 

 

おわりに

・他人の意見は気にしない。もちろん「聞く耳」を持つにこしたことはない。だがいちいち「本当はどうだったのですか?」などと他人の顔色をうかがう必要はない。「誰がどう言おうと、自分はそのときそう感じた」、これこそがすべての出発点だ。

・世評には注意。「看板に偽りあり」のケースは意外に多い。そもそも人と意見が違っていたとしても、そこには必ず何か理由がある。「他人との違い」を大切にする。

・自分のクセを知る。そして客観的事実と自分の好みはある程度分けて聴く。そのためにも、自分がどういうものに反応しやすくて(過大評価しやすく)、どういうものに対して鈍いか(過小評価しやすいか)、よく分かっておいた方がいい。

・「理屈抜き」の体験に出会うこと。定期的に音楽を聴く習慣を持つならば、そのうち「これは間違いなくこうだ!」と思える瞬間が来るはずである。そのためにも数を聴かないと始まらない。

・「絶対に素晴らしい!」と「明らかにひどい!」の両極の間には、格別いいとも悪いとも断定しがたい、さまざまな中間段階が存在している。これらは聴く角度次第でいろいろな評価が可能だ。ありうべき判断に幅のある音楽は多い。

・名曲(名演)とは、どんな文脈を当てはめても、「やっぱり凄い…」となる確率が桁外れに高い音楽のことだ。確かにそういうものは存在する。

・そのジャンルに通じた友人を持つこと。「この角度から聴けばこう、あの角度から聴けばこう」といった具合に、複数の聴き方の可能性を教えてもらおう。

・定点観測的な聴き方をする。例えば同じ(地元の)オーケストラの定期演奏会を必ず訪れてみる。やがて出来の微妙な違いが見えてくるはずだ。「聴く耳」を作るには、有名音楽家のつまみ食いよりも、こちらの方がいい。

・音楽は視なければ分からない。録音で音楽を聴くことに慣れている私たちは、身体が現前していないのに音だけが響いてくる異様さを忘れがちだ。しかし本来音楽とは生身の人間の身体から発せられるものであって、耳で聴くだけの音楽はどうしても全身で同調することが難しい。その意味でも、特に最初のうちは、ライブ中心に聴いた方がいいと思う。

・音楽を言葉にすることを躊躇しない。そのためにも音楽を語る語彙を知ること。音楽を語ることは、音楽を聴くことと同じくらい面白い。まずは指揮者のリハーサル風景の映像などを見てほしい。

・音楽についての本を読むことで、聴く幅が飛躍的に広がる。

・音楽に「盛り上がり図式」ばかりを期待しない。その音楽とは不似合いな構成をこちらが勝手に期待して、肩透かしを食うということがある。最初から最後までBGM風に平坦な音楽もあれば、聴き手をけむにまく終わり方もあるし、意識的に断片を並べたような構成もある。いろいろな組み立てパターンを知っておく。

・ある音楽が分からないときは文脈を点検する。特に背景知識の有無、それをどんな場で聴いたか、こちらが何を期待していたかに注意。「ぴんと来ない」ケースの大半は、バックグラウンドに対する共感がなかったり、場違いなTPOで聴いてしまったり、見当はずれな期待をしてその対象に臨んだことに起因する。

・そのジャンルのアーカイブを知る。「ジャンル」として確立されている音楽の場合、必ず観客が暗黙の前提にしている架空の図書館がある。たくさん聴いて、読んで、いろいろな人名や作品を覚え、多くの人と話すこと。

・自分でも音楽をしてみる。ただし「うまい人はよく音楽が分かっている/下手な人間は音楽について語る資格はない」なとど思わないこと。堂々と品評するアマチュアの権利を行使する。

(音楽の聴き方「おわりに」より 抜粋)

 

 

音楽の聴き方 ー聴く型と趣味を語る言葉/岡田暁生・著 (中公新書)

 

目次

はじめに

第1章 音楽と共鳴するとき ー「内なる図書館」を作る
音楽の生理的次元/相性のメカニズム/「内なる図書館」と人の履歴/「好み」の社会的集団/突き抜けた体験/時間の共有としての音楽体験

第2章 音楽を語る言葉を探す ー神学修辞から「わざ言語」へ
「鳴り響く沈黙」とドイツ・ロマン派の音楽観/神の代理人としての音楽批評/聴衆は信者か公衆か?ーストラヴィンスキーのバイロイト批判/鑑定家としての音楽批評?/音楽を「する」「聴く」「語る」の分裂/音楽は言葉で作られる?/「わざ言語」について/「地元の人」の言葉/教養主義と日本固有の問題/「わざ言語」を作り出す

第3章 音楽を読む ー言語としての音楽
「音楽の正しい朗読法」一八世紀の演奏美学/音楽・言語の分節規則/音楽の句読法と民族性/音楽のセンテンスを組み立てる/多楽章形式について/音楽の意味論/「音楽は国境を越える」というイデオロギー/アーノンクールの近代批判と「言語としての音楽」の崩壊/「ケージ以降」への一瞥/言語的聴取の退化?

第4章 音楽はポータブルか? ー複文化の中で音楽を聴く
再生技術史としての音楽史/演奏家を信じない作曲家たち/壊死しつつある「音楽の意味」の救済 アドルノのフルトヴェングラー論/完璧主義の実存不安 アドルノのトスカーニ批判/音楽の解釈とは何か/ポリーニのショパン《エチュード集》をどう聴くか/未知のものとして音楽を聴くということ

第5章 アマチュアの権利 ーしてみなければ分からない
音楽は社会が作る/音楽が社会を作る? パウル・ベッカーのテーゼ/音楽は政治的にうさんくさい? 「感動させる音楽」への恐怖/音楽を中断するということ アイスラーの《ハリウッド・ソング・ブック》/「聴く音楽」と「する音楽」 ハインリッヒ・ベッセラーの二分法/アマチュアの領分/「聴く」から「する」へ

おわりに

文献ガイド

あとがき

 

 

 

文献ガイドもとても充実していて、まるで図書館の[音楽]の棚に置かれているような専門的本が、ジャンルや時代などバリエーション豊富に紹介されています。気になったものをいくつか読んでみる予定です、ついていけるかな。。わからないなりにシャワーを浴びることも大切、ただただ流れ落ちることもあるでしょう、聴いて、読んで、いろんな方法で音楽が楽しめたらいいなあと思います。

とても堅苦しい印象になったかもしれませんが、これって音楽だけじゃないですよね。食文化だって味覚とそれを伝える言葉によって発展してきたもの。受け継ぎたい味、誰かに教えたくなる味。味覚で直に伝えられないとき、それは言葉によって語られます。そのとき「おいしい味」のひと言だけでは足りない、「とにかくおいしいから」で突き通す?!

一緒に食べた料理、一緒に見た景色、一緒に聴いた音楽。共感は言葉にすることで刻まれる思い出の記憶も深くなります。食べてほしい料理、見てほしい景色、聴いてほしい音楽。言葉は次の共感へのコミュニケーションの広がりになります。言葉が豊かになるということは、自分のなかの感情や感覚が豊かになること、そう思っています。

語られるべき音楽があって、語られてきたからこそ今に遺る音楽たち。未来に遺したい音楽がここにあるならば、大いに語っていこうじゃないか!そんな心持ちです。

それではまた。

 

reverb.
一冊一冊ゆっくりそしゃくしているところです。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Info. 2019/11/30 [雑誌] 「家庭画報 2020年1月号」久石譲インタビュー掲載

Posted on 2019/11/27

11月30日発売の『家庭画報』2020年1月号(新春特別付録つき)
「<生誕250周年特別企画>
6人の識者が愛とともに語るベートーヴェンの力の源を求めて」に
久石も登場いたします。
「ベートーヴェン:交響曲全集」の話題も含めて、
久石ならではのインタビューになりました。ぜひご覧ください。 “Info. 2019/11/30 [雑誌] 「家庭画報 2020年1月号」久石譲インタビュー掲載” の続きを読む

《号外》久石譲公式リンク 2019.11最新版&プチ解説

Posted on 2019/11/21

久石譲の最新情報、音楽活動を追いかけるのに欠かせない公式サイトや公式SNS。2019年11月にはオフィシャルTwitterアカウント開設もされ、チェックしたいサイト最新版!実はオフィシャルYouTubeチャンネルも2種あるって知ってましたか? “《号外》久石譲公式リンク 2019.11最新版&プチ解説” の続きを読む

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE IV』

2019年11月20日 CD発売 OVCL-00710

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE IV』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲主宰 Wonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル 夢のコラボレーション第4弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲が”明日のために届けたい”音楽をナビゲートするコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、アルバム第4弾が登場。ミニマル・ミュージックを探求し続ける「同志」であるデヴィット・ラングと久石譲。2人の新作が日本初演された2018年のコンサートのライヴを収めた当盤では、ミニマル・ミュージックの多様性を体感することができます。日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」が奏でる音楽も、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。EXTONレーベルが誇る最新技術により、非常に高い音楽性と臨場感あふれるサウンドも必聴です。「明日のための音楽」がここにあります。

ホームページ&WEBSHOP
www.octavia.co.jp

(CD帯より)

 

 

解説 松平敬

「MUSIC FUTURE」とは、久石譲が世界最先端の音楽を紹介するコンサート・シリーズである。2014年から年1回のペースで、これまで5回の演奏会が開催され、そのライヴ盤も本作で4枚目となる。

久石がこだわりを持つ、ミニマル・ミュージックを中心としてプログラムを構成するアイデアは、これまでのアルバムと同様であるが、本アルバムでは、フィリップ・グラスの作品を久石が「Re-Compose」するという、新機軸が導入された。スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーらと共に、ミニマル・ミュージックの「始祖」として知られるグラスの古典的名作『Two Pages』に、久石が大胆なオーケストレーションを施し、新たな作品として提示するという、時代と国境を超えた野心的なコラボレーションである。

久石のオリジナル作品として収録された『The Black Fireworks 2018』は、『Music Future III』に収録された『室内交響曲第2番』の新ヴァージョンである。両ヴァージョンを聴き比べることで、基本的に同じ構成を持った両作の色合いの違いを楽しむのも一興であろう。

デヴィット・ラングも、久石と同様、ミニマル・ミュージックを探求し続ける、いわば久石の「同志」である。久石とラングの作品を交互に並べた本アルバムを聴くことで、ミニマル・ミュージックという「限定」された素材に基づく音楽が秘めた「多様性」を体感してほしい。

 

久石譲:
The Black Fireworks 2018
for Violoncello and Chamber Orchestra

この作品は、実質的にバンドネオン協奏曲であった『室内交響曲第2番 The Black Fireworks』を、チェロと室内オーケストラの作品として改作したものである。両者の音楽の基本的な構造は同じであるが、バンドネオンの軽やかな音色がチェロの重厚な音色に置き換わることで、軽やかに飛翔するような音楽であった前作が、重機関車を思わせる推進力と迫力を兼ね備えた音楽へと変貌している。ソリストのマヤ・バイザーによる熱量の高い演奏も、この作品の新しい魅力を引き出す。

『室内交響曲第2番』からの大きな違いとして、第3楽章が割愛されて2楽章構成へと変更されたことが挙げられる。前作の第3楽章における、明らかにバンドネオン向けのタンゴ的な曲調がチェロに相応しくないと判断した結果なのであろう。

前作の3楽章構成が、急ー緩ー急という伝統的なコンチェルトを想起させたのに対し、2楽章構成となった今作では、急ー緩という両楽章の対比よりはむしろ、兄弟のような類似性が浮かび上がることになる(この関係性はシューベルトの『未完成交響曲』を彷彿とさせる)。実際、第1楽章のテンポは♩=91、第2楽章は♩=84とほとんど同じで、どちらも16分音符を主体としたリズムが多用されているため、聴覚上のテンポ感もほとんど同じなのだ。しかし、第2楽章における息の長いメロディーや、しばしば挿入される和音の引き伸ばしという新しい要素は、無窮動のリズムが支配する第1楽章とコントラストをなす。ちなみに、この作品も『2 Pages Recomposed』と同様、Single Trackの手法を用いて作曲されている。

タイトルの「The Black Fireworks」は、ある少年が久石に語った「白い花火の後に黒い花火が上がって、それが白い花火をかき消している」という謎めいた言葉に由来するものだ。

 

デヴィット・ラング:
prayers for night and sleep

タイトルを和訳すれば「夜と眠りのための祈り」。本作品はタイトルどおり、「夜」「眠り」と題されたふたつの祈りの歌から構成されている。

1曲目「夜」の歌詞は、「夜になると」というキーワードでインターネット検索した言葉を集めたもの。これらの言葉は「I can」「I feel」「I will」という3種類の言葉で始める文章にまとめられ、この歌詞の構造が音楽の構造にもリンクしている。「I can」と「I will」で始まる文章を集めたセクションでは、ふたつの和音が揺らめくように交替する弦楽合奏を背景に、ソプラノ歌手が静的なメロディーを歌う。この両セクションに挟まれた「I feel」の部分では、一転して眠りを断ち切るかのような緊張感のある音楽へと変わり、歌唱パートも、語るような音形が支配的となる。

2曲目「眠り」は、「私の目に眠りが降りてくると」という、1曲目と呼応するかのような歌詞で始まるが、こちらはユダヤ人の伝統的な就寝時の祈りの言葉をまとめたものだ。チェロ独奏の分散和音と、それをエコーのように繰り返す弦楽合奏によって、音楽が霧に包まれたかのような謎めいた雰囲気が立ち現れる。ソプラノ歌手は、その「音のベッド」の上でまどろむかのように、始まりも終わりもない瞑想的なメロディーを歌う。時折聞こえるグロッケンの密やかな音は、安らかな眠りを見守る星の瞬きのようだ。

透明感に満ちたモリー・ネッターの歌声と、その歌声をさりげなく包み込むマヤ・バイザーのチェロの音色は、この作品の瞑想的なムードと一体化している。

 

フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲:
2 Pages Recomposed

この作品の原曲となったグラスの『Two Pages』は、今から約50年前の1969年に作曲された。G-C-D-E♭-Fというシンプル極まりないメロディーが、何度も繰り返されるうちに少しずつ増殖したり圧縮したりする、グラス初期作品の典型的な構造になっている。一般的な音楽に必須の、メロディーを支える伴奏のようなものはこの作品には存在しない。絶え間なく変化を繰り返す一本の線があるけだ。

『2 Pages Recomposed』は、グラスの原曲を、久石が「Single Track(単線)」と呼ぶ手法によって、室内オーケストラの作品へと拡張したもの。メロディーの構造は原曲そのままである。しかし、それを単にオーケストラ用に「編曲」するのではなく、ひとつのメロディー・ラインを複数の楽器で互い違いに演奏するように割り当てたり、メロディーのいくつかの音を引き延ばすといった処理が施されている。こうした手の込んだ操作によって、単旋律であるにも関わらず複数のメロディー・ラインが重なり合っているような錯覚が生じたり、メロディーからハーモニーがにじみ出たり、という独特な効果が生まれる。

編曲によって原曲の音色を他の音色に置き換える行為は、かつては作曲行為の下位に位置するものと捉えられていたが、ここでは、音色による構成が本質的かつ創造的な作曲行為と考えられている。そして、その思いが「Recomposed」というクレジットに表れている。作曲者本人が想像だにしないアイデアで生まれ変わったこのヴァージョンを聴いたグラスは、とても喜んだそうだ。

 

デヴィット・ラング:
increase

タイトルの「increase」は、作曲者のラングが自身の子供の名として有力な候補として考えながらも、結局は採用しなかった名前だ。そのポジティヴな語感を気に入ったラングは、この名前を自身の楽曲のタイトルとして「復活」させた。

本作品の楽譜冒頭に書かれた「with increasing energy 増大していくエネルギーとともに」という言葉どおり、作品全体は祝祭的な空気感に満たされている。先へ先へと急き立てるような音楽の秘密は、冒頭の軽妙なフルートのメロディーを支える、ヴィブラフォンのリズムにある。そのリズムは、(4分音符を1とすると)3/4-1/2-1/3-1/4-1/3-1/2-3/4という音価の繰り返しであり、耳で聴くと、加速と減速を繰り返すパルスのうねりのように知覚される。このうねりが異なる周期で重なり合うことで、シンプルな仕掛けから目まぐるしく変化する複雑なリズムが立ち現れる。作品後半では、ストラヴィンスキーの『春の祭典』を彷彿とさせる力強く不規則なビートの繰り返しから、雷鳴を思わせる圧倒的なクライマックスへとつながる、楽譜冒頭に記されたモットー通りの展開をみせる。

(まつだいら・たかし)

(解説 ~CDライナーノーツより)

 

*ライナーノーツには「prayers for night and sleep」のオリジナル歌詞 収載

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。

”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーを、2016年の「Vol.3」ではシェーンベルク、マックス・リヒター、デヴィット・ラングを、2017年の「Vol.4」では、フィリップ・グラスやガブリエル・プロコフィエフを、そして本作に収録された「Vol.5」ではデヴィット・ラングを招聘し、コラボレートとして新旧の作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナーノーツより)

 

 

 

The Black Fireworks 2018
for Violoncello and Chamber Orchestra
久石譲 約20分

ここ数年僕は単旋律の音楽を追求しています。一つのモチーフの変化だけで楽曲を構成する方法なので、様々な楽器が演奏していたとしても、どのパートであっても同時に鳴る音は全て同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。

ですが、単旋律のいくつかの音が低音や高音で演奏することで、まるでフーガのように別の旋律が聞こえてきたり、また単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です。僕はこの方法をSingle Track Musicと呼んでいます。Single Trackは鉄道用語で単線という意味です。

「The Black Fireworks 2018」は、この方法で2017年にバンドネオンと室内オーケストラのために書いた曲をベースに、新たにチェロとオーケストラのための楽曲として書きました。伝統的なコンチェルトのように両者が対峙するようなものではなく、寄り添いながらも別の道を歩く、そのようなことをイメージしています。

タイトルは、昨年福島で出会った少年の話した内容から付けました。彼は東日本大震災で家族や家を失った少年たちの一人でした。彼は「白い花火の後に黒い花火が上がって、それが白い花火をかき消している」と言いました。「白い花火」を「黒い花火」がかき消す? 不思議に思って何度も同じ質問を彼にしましたが答えは同じ、本当に彼にはそう見えたのです。

そのシュールな言葉がずっと心に残りました。彼の観たものはおそらく精神的なものであると推察はしましたが、同時に人生の光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸をも連想させました。タイトルはこれ以外考えられませんでした。その少年にいつかこの楽曲を聴いて欲しいと願っています。(written by 久石譲)

 

2 Pages Recomposed
フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲 約16分

1969年に書かれたPhilip Glassさんの伝説的な楽曲「Two Pages」は5つの音の増減と8分音符で刻まれるリズムのみでできています。本来はある音色と繰り返しの回数を決定したら演奏の間中は一定に保たれるべき楽曲です。グラスさんは「最良の音楽は、始まりも終わりもない一つの出来事として経験される」と言っています。

今回、僕はあえてその楽曲を室内オーケストラの作品としてグラスさんの許可を得てRe-Composedしました。理由は彼を尊敬していること、親しいこと、それに加えてこの楽曲はSingle Track Musicでもあるからです。方法としては「The Black Fireworks 2018」と全く同じスタイルで、楽器の編成もソロ・チェロを除いてほぼ同じにしました。ニューヨークのリハーサルに立ち会った彼は大変喜んでくれました。この楽曲の強い個性はいかなる形を取っても変わらず、必ず現代に新たに蘇る!そんな思いをこめてRe-Composedしました。(written by 久石譲)

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.5」 コンサート・レポート より抜粋)

 

 

 

2014年から始動した「久石譲 presents MUSIC FUTURE」コンサート。披露された作品が翌年シリーズ最新コンサートにあわせるかたちでCD化、満を持して届けられている。本作「MUSIC FUTURE IV」は、コンサート・ナンバリングとしては「Vol.5」にあたる2018年開催コンサートからのライヴ録音。約500席小ホールではあるが、好奇心と挑戦挑発に満ちたプログラムを観客にぶつけ、満員御礼という実績もすっかり定着している。さらに「Vol.5」はニューヨーク公演も開催された。

ライヴ録音ならではの緊張と迫真の演奏、ホール音響の臨場感と空気感をもコンパイルしたハイクオリティな録音。新しい音楽を体感してもらうこと、より多くの人へ届けること。コンサートと音源化のふたつがしっかりとシリーズ化されている、久石譲にとって今の音楽活動の大切な軸のひとつとなっている。

 

 

 

 

コンサート・プログラム、久石譲やデヴィット・ラングによるインタビュー動画、初のニューヨーク開催ともなったコンサート風景、東京公演の感想などは記している。

 

 

「室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》」バンドネオン版

 

 

 

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
The Black Fireworks 2018 for Violoncello and Chamber Orchestra [日本初演]
1. The Black Fireworks
2. Passing Away in the Sky

デヴィット・ラング
David Lang (1957-)
prayers for night and sleep [日本初演]
3. 1 night
4. 2 sleep

フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲
Philip Glass (1937-) / Recomposed by Joe Hisaishi
5. 2 Pages Recomposed (1969/2018) [日本初演]

デヴィット・ラング
David Lang
6. increase (2002)

 

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (Conductor)
フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra
マヤ・バイザー(ソロ・チェロ)1-4
Maya Beiser (solo violoncello)
モリー・ネッター(ソロ・ヴォイス)3-4
Molly Netter (solo voice)

2018年11月21-22日 東京、よみうり大手町ホールにてライヴ録音
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 21, 22 Nov. 2018

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE IV

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 21, 22 Nov. 2018

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineers:Takeshi Muramatsu, Masashi Minakawa
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Mastered at UNIVERSAL MUSIC STUDIOS TOKYO

and more…

 

Info. 2019/11/19 「ABU ソングフェスティバル in TOKYO」久石譲 特別出演決定!! 【11/20 Update!!】

Posted on 2019/10/07

村上信五 / Hey! Say! JUMP / Foorin / 久石譲が出演決定
アジアの歌の祭典【ABU ソングフェスティバル】11/19開催

アジア太平洋地域の歌の祭典【ABU ソングフェスティバル in TOKYO】が、11月19日に東京・NHKホールにて開催される。 “Info. 2019/11/19 「ABU ソングフェスティバル in TOKYO」久石譲 特別出演決定!! 【11/20 Update!!】” の続きを読む

Info. 2019/11/18 《速報》「Joe Hisaishi Concert」久石譲コンサート(台北・高雄)プログラム

Posted on 2019/11/18

2019年11月13,14,16日、久石譲コンサートが台湾の台北・高雄で開催されました。昨年は映画「となりのトトロ」公開30周年記念として「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」などを同楽団と共演、今年は「千と千尋の神隠し 組曲」です。

 

音樂大師 久石讓交響音樂會
Joe Hisaishi Concert

[公演期間]

2019/11/13,14,16

[公演回数]
3公演
11/13,16 台北・國家音樂廳 国家音楽ホール National Concert Hall
11/14 高雄・衛武営国家芸術文化中心

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:ナショナル交響楽団(National Symphony Orchestra)

[曲目]
久石譲:Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲
マーラー:交響曲 第1番

 

 

リハーサル風景

from 久石譲オフィシャルTwitter

 

 

コンサート風景

from MNA Facebook

 

 

(高雄)

 

 

from SNS

 

 

また、11月15日には久石譲のコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」が高雄で開催されました。

 

 

 

Info. 2019/11/14-16 「Melody of Japan – Animation, Film and Classics with Mai Fujisawa」麻衣コンサート開催 【11/17 Update!!】

Posted on 2019/05/08

2019年11月14-16日、オーストラリアのメルボルンとシドニーにて「Melody of Japan – Animation, Film and Classics with Mai Fujisawa」麻衣コンサートが開催されます。 “Info. 2019/11/14-16 「Melody of Japan – Animation, Film and Classics with Mai Fujisawa」麻衣コンサート開催 【11/17 Update!!】” の続きを読む