Blog. 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.4」 コンサート・レポート

Posted on 2017/10/31

10月24,25日に開催された「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサートです。2014年から始動した同コンサート・シリーズ(年1回)、今年で4回目を迎えます。

今年も意欲的なプログラムと久石譲新作、初の試みとなる若手作曲家の新作オリジナル作品の公募、選ばれた優秀作品の演奏という、まさに今を走り抜ける現在進行系の音楽たちの響宴です。

 

まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

 

久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.4

[公演期間]  
2017/10/24,25

[公演回数]
2公演
東京・よみうり大手町ホール

[編成]
指揮:久石譲、太田弦
チェロ:古川展生
バンドネオン:三浦一馬
管弦楽:フューチャー・オーケストラ、西江辰郎(コンサートマスター)

[曲目]
デヴィット・ラング:pierced (2007) *日本初演
David Lang:pierced *Japanese premiere
(チェロ:古川展生)

『Young Composer’s Competition』優秀作品受賞作
門田和峻:きれぎれ (2017) (10/24)
Kazutaka Monden:Kiregire
(指揮:太田弦)

フィリップ・グラス / 久石譲 編:Two Pages (1968) (10/25)
Philip Glass / Arranged by Joe Hisaishi:Two Pages

—-intermission—-

ガブリエル・プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番 (2006)
Gabriel Prokofiev:String Quartet No. 2

久石譲:室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜 *世界初演
Joe Hisaishi:The Chamber Symphony No.2 “The Black Fireworks” Concerto for Bandoneon and Chamber Orchestra *world premiere
1. The Black Fireworks
2. Passing Away in the Sky
3. Tango Finale
(バンドネオン:三浦一馬)

 

 

ご挨拶

今年で4回目をむかえるミュージック・フューチャー(MF)は内容を充実させるべく、より深いあるいは衝撃力のある作品を選びました。

例えば、デヴィッド・ラングの《pierced》における執拗にくり返されるリズムとフレーズはまるでストラヴィンスキーの《春の祭典》のように原始的な力を感じさせる一方、強い人間の性、衝動、哀しみといった人間的な感情をも刺激します。フィリップ・グラスの《Two Pages》も加算されていくフレーズ(これも執拗にくり返します)の向こうに人間的な感情の起伏を感じます。それは去年彼の日本でのコンサートで、僕が彼のピアノ曲を演奏したときにも強く感じました。ミニマルはエモーショナルでもいいんだ!そう思ったものです。同時に音楽を変えよう、あるいは新しい音楽に出会いたいという強い信念もこの曲にはあります。このような楽曲が1968年に書かれていたことは奇跡です。そして今でも斬新です。

ガブリエル・プロコフィエフの《弦楽四重奏曲第2番》もクラブシーンの影響を受けながらも祖父譲りの強い音の構成力と感情を揺さぶる強い力があります。そう、今年は「くり返す」ということと「揺さぶられる感情」あるいは「揺れ動く感情」がテーマです。

このお三方とは今年ニューヨークやロンドンで直接お会いしてそれぞれの楽曲へのアドバイスをいただきました。また作曲家どうしの話題はとても刺激的で至福の時間でもありました。

そしてもうひとつ今年の挑戦としては「Young Composer’s Competition」として若い作曲家の作品を公募したことです。期間が短かったにもかかわらず海外を含め約20作品の応募がありました。到着順にすべて番号を振り(年齢、国籍、出身学校などの付加情報に左右されないためです)足本憲治氏と僕で5作品に絞り込み、それを審査員の先生方に採点していただきました。だから選ばれた優秀作品の《きれぎれ》の作曲家が門田和峻さんという名前であることは最近知ったわけです(笑)

またこのようなコンペでは作曲関係者が審査員を務めるケースが多いのですが、MFでは映画監督の高畑勲氏、作家の島田雅彦氏のように異分野の先達に審査をお願いしました。もちろん音楽にも詳しい方々です。これは作曲関係者のごく狭い世界だけで完結するのではなく、広く創作に関わるアーティストの目を通すことで、観客との接点を大切にしたいという思惑です。もちろん日本を代表する作曲家西村朗氏と音楽評論家の小沼純一氏にも加わっていただき、たくさんの助言をいただきました。諸先生方には心より感謝いたします。

さて、今年のMF 多少の忍耐はいると思いますが、聴き終わって何かを感じていただければ幸いです。

久石譲

 

 

PROGRAM NOTES

デヴィッド・ラング (1957-)
pierced 約15分
《pierced》はチェロ、パーカッション、ピアノのリアル・クワイエット(Real Quiet)というアンサンブルと弦楽合奏のための協奏曲として委嘱された。伝統的なスタイルにならないよう、ソリストと弦楽合奏が関連性を持つよう工夫した。両者間にある正反対な性格はいいアイデアだと思ったが、伝統的な協奏曲スタイルによくあるソリストがオーケストラと戦うような競い合いは避けたかった。私が思いついたアイデアは、両者を隔てる透明な布のような壁があり、各々の世界にあるすべての音・音符・調がしばしば自由にその壁を行き来し、音が片方から他方へ移動するときに、演奏家たちを分ける布が穴を開けられたり、切り裂かれたりすることだった。

初演は2007年6月12日にリアル・クワイエットとミュンヘン室内管弦楽団、クリストフ・アルフテッドの指揮。ソロ弦楽バージョンはリアル・クワイエットとフラックス・カルテット、アラン・ピアソン指揮によって初演された。

作曲者によるプログラムノートより

 

フィリップ・グラス (1937-)
Two Pages 約16分
調性のないリズミカルなミニマリズムと《1+1》(1967年フィリップ・グラス・アンサンブルにより初演)に見られる即興形態は、グラスに単旋律の主要構想をもたらし、彼の最初のミニマル作品として《Two Pages》は完成するに至った。最初の主題に音を足したり引いたりすることでメロディが伸び縮みし、曲全体の輪郭が作られていく。曲の構造を圧縮して表現できるシステマチックな乗数を用いた省略法で記譜した初の曲として《Two Pages(2つのページ)》というタイトルが付けられた。

参考文献:『フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉』ほか

 

ガブリエル・プロコフィエフ (1975-)
弦楽四重奏曲第2番 約17分
《弦楽四重奏曲第2番》はガブリエルの作曲形式の雄大さが顕著に表れている。メカニックなテクスチャーやテクノ音楽のエネルギーに多いに影響を受け、かの有名な作曲家である祖父のセルゲイ・プロコフィエフとは対照的な作曲形式である。

ガブリエルはあるインタビューの中で、「《第2番》のカルテットは《第1番》の残り香から始まった。より迫力があり、リズミカルでエッジが効いていてメロディックだ。《第1番》で引用したダンスミュージック(テクノ、ハウス、ヒップホップ)をさらに掘り下げたいと思った。目まぐるしく動くヨーロッパの大都会で生きるスピード感を与えたかった。」と語っている。

《弦楽四重奏曲第2番》は2006年、エリシアン・カルテットによって委嘱された作品で、《第1番》を初演した彼らによって、この《第2番》も引き続き初演された。

 

久石譲 (1950-)
室内交響曲第2番《The Black Fireworks》
~バンドネオンと室内オーケストラのための~ 約24分
バンドネオンでミニマル!というアイデアが浮かんだのは去年のMFで三浦くんと会ったときだった。ただコンチェルトのようにソロ楽器とオーケストラが対峙するようなものではなく、今僕が行っているSingle Trackという方法で一体化した音楽を目指した。Single Trackは鉄道用語で単線ということですが、僕は単旋律の音楽、あるいは線の音楽という意味で使っています。

普通ミニマル・ミュージックは2つ以上のフレーズが重なったりズレたりすることで成立しますが、ここでは一つのフレーズ自体でズレや変化を表現します。その単旋律のいくつかの音が低音や高音に配置されることでまるでフーガのように別の旋律が聞こえてくる。またその単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。第3曲の「Tango Finale」では、初めて縦に別の音(和音)が出てきますが、これも単旋律をグループ化して一定の法則で割り出したものです。

そういえばグラスさんの《Two Pages》は究極のSingle Trackでもあります。この曲から50年を経た今、新しい現代のSingle Trackとして自作と同曲を同時に演奏することに拘ったのはそのためかもしれません。

全3曲約24分の楽曲はすべてこのSingle Trackの方法で作られています。そのため《室内交響曲第2番》というタイトルにしてはとてもインティメートな世界です。

また副題の《The Black Fireworks》は、今年の8月福島で中高校生を対象にしたサマースクール(秋元康氏プロデュース)で「曲を作ろう」という課題の中で作詞の候補としてある生徒が口にした言葉です。その少年は「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」というようなことを言っていました。その言葉がずっと心に残り、光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸を連想させ、タイトルとして採用しました。その少年がいつの日かこの楽曲を聴いてくれるといいのですが。

久石譲

(「ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサート・パンフレット より)

 

Message for MUSIC FUTURE vol.4

夕食時、私の音楽が日本で演奏されることを家族に話しました。23歳、21歳、18歳の3人の子どもたちがいつも歌うのは大好きな久石譲さんのメロディ。それは美しくてとても幸せな瞬間です。今日のコンサートで私の曲が久石さんの指揮で演奏されるのを光栄に思います。ありがとう。皆さんに楽しんでもらえますように。

-デヴィッド・ラング

《弦楽四重奏曲第2番》はエッジの効いたリズムによって構成されています。エレクトロニックダンスミュージック(テクノ、ハウス、ヒップホップなど)からインスピレーションを得たほか、ヨーロッパの都市が急速に動いていることにも影響されています。現代的でありながらクラシックな方法でレイヤーを重ねています。

-ガブリエル・プロコフィエフ

(「ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサート・パンフレット より)

 

注)
「きれぎれ」作曲者によるプログラムノート、および審査員評もパンフレットに掲載されていますが割愛しています。こちらでご覧いただけます。

受賞結果の詳細はこちら>>>
https://joehisaishi-concert.com/competition/

 

 

 

以上、ここまでがコンサート・パンフレットからの内容になります。

 

ここからは、感想をふくめた個人的コンサート・レポートです。

 

パンフレットの久石譲挨拶に「より深いあるいは衝撃力のある作品」、「”くり返す”ということと”揺さぶられる感情”あるいは”揺れ動く感情”がテーマ」とあるとおり、とてもディープで刺激的な作品たちばかりです。それでいて無機質ではないパッションやエモーショナルな躍動を感じる。10分以上にも及ぶくり返しが奏されたとしてもまったく飽きを感じることのない、どんどん引き寄せられていく感覚。それはおそらく作品の持っている力もあるでしょうし、今この場で生身の人間が演奏しているという生きた音楽を肌で感じることができたからかもしれません。

デヴィッド・ラング「pierced」のチェロの力強いフレーズと弦楽合奏やパーカッションが創り出す独特な世界観にはただただ圧倒されるばかり。覚醒的で揺れ溺れる危険なグルーヴ感。フィリップ・グラス「Two Pages」はエレクトリック・オルガンと木管四重奏、マリンバという編成。久石譲編となっていたのはこの編成によるところもあるのかもしれません。というのも、この作品いろいろな編成で演奏されることの多いようで、ピアノ2台(もしくは連弾形式)、バンド編成(ベースやギターなどさながらロックバンドのような)、あるいはマリンバ。いかなる楽器にも置換可能でありながら作品世界観を失わない究極のミニマル(最小)音楽とも言えるのかもしれません。久石譲編のそれは、オルガンと木管が不思議なほど溶け合い、ユニゾンを奏でる楽器が集まってひとつの音・旋律になり、なんともいえない揺らぐ音色の変化。ガブリエル・プロコフィエフ「弦楽四重奏曲第2番」は、コンサートマスター西江辰郎さんのヴァイオリン、体全体を使って大きなアクションでフレーズを体現するその姿や、弦楽四重奏の一糸乱れぬ合奏とリズム。

こんなにもクオリティの高い演奏を生で聴くこと目で見ること肌で感じることができるだけで幸せな時間です。まったく音楽専門知識がないなかで、作品のなにがすごいのかどこが聴きどころなのか、そんなことは正直わかっていません。作品や演奏から浴びせられる半分くらいも受け取れていないのかもしれませんが、新しい体験をしたという自信、これまでにはなかったものに出会えたという感動はしっかりとあります。

今回特に強く感じたのは「むきだしの音・むきだしの音楽」という感覚です。血がどくどくと脈うっているような音楽、生身の音楽。もしCD盤など録音されたものだけを聴いていたら、いくぶん耳に馴染まない音楽で終わっていたかもしれません。あるいは執拗なくり返しに飽きる。ちょっとした先入観やイメージで拒絶するのが「食わず嫌い」だとしたら、まさにミュージック・フューチャーで聴くことのできる音楽たちは「聴かず嫌い」をはらんだ濃い作品たちです。だからこそ、どれだけ言葉をならべても実際に生で聴かないと感じることのできないなにかがあります。

たとえば、フル・オーケストラ・コンサートであればその壮大な響きに大きく包まれ感動します。この小ホールで開催されどの作品も4人、7人、約15~20人という小編成アンサンブルおよび小編成オーケストラで構成されるコンサート。奏者一人一人の息づかいや鼓動がダイレクトに伝わる生身の演奏、生々しいほどのリアルな音楽と最高品質の演奏。畑に入って採れたての野菜をその場でかじる格別の美味しさと同じように、楽器そのものの音や今発せられたばかりの新鮮な音色と会場いっぱいに広がる響き。そんな贅沢な音楽空間こそこのミュージック・フューチャー・コンサートです。

 

 

1曲目「pierced」演奏後、ステージのセットチェンジの時間を使って久石譲MCがありました。一問一答形式インタビュー形式によるものです。主にパンフレットに書かれている各作品解説で10分もなかったかな5分くらいでしょうか。デヴィッド・ラングは今一番注目している作曲家であること、「Two Pages」とは実際に2ページの楽譜でできているということ、ガブリエル・プロコフィエフと会った時のエピソードなど、パンフレットを補完するような貴重な語りを聞くことができました。

そして、自作の新作については、興味深いコメントも。これは自分が勝手にそう思ったそう捉えたということだがとことわったうえで、サマースクールでの生徒の言葉が副題となった「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」、東日本大震災を経験した彼の発したこの言葉にいろいろと思いずっと心に残っていた、というようなことをおっしゃっていました。また、パンフレットでは約24分となっていますが、おそらく27分くらいあります、とも。サマースクールについては下記インフォメーションも発信していますのでぜひご覧ください。

 

 

さて、久石譲新作「室内交響曲第2番《The Black Fireworks》~バンドネオンと室内オーケストラのための~」について。単旋律の音楽ということで、約27分全3曲一貫した単旋律で構成されています。

単旋律というキーワードを掘り下げたときに、「Single Track Music 1」(吹奏楽版・2014年)「Single Track Music 1」(サクソフォン四重奏と打楽器版・2015年/「Minima_Rhythm II」CD収録)があります。この作品を聴いたときに、なにか新しい挑戦がはじまった布石のような作品かもしれない、と少し時間が経過してから思った記憶があります。このSingle Track(=単旋律の音楽、線の音楽)が久石譲のなかでも大きなテーマのひとつになっていることを今回パンフレットでも感じとることができました。

単旋律について多くを語ることができません。なにが醍醐味でなにが組み立ての妙で、という専門的なことがまったくわからないからです。パンフレット久石譲解説と、「Singe Track Music 1」の吹奏楽版久石譲解説、CD作品「ミニマリズム2」評論家による専門的解説の項を読んでいただき、理解を深めていただければ幸いです。

 

今言えること。約27分にも及ぶ長大な単旋律にもかかわらず、決して単調とも単純とも思うことの絶対にない豊かで広がりのある作品。この先どんな展開をしていくのか気になって仕方のないあっという間の時間。単旋律ながら広がり奥ゆき厚みのある立体的な音楽。不思議な迫力です。

三浦一馬さんのバンドネオンも相当な演奏難易度だったと思います。張り詰めた緊張感と真剣なる熱演。久石譲指揮とオーケストラ奏者、ステージ全体が気迫に包まれそのエネルギーだけでも圧倒されてしまうほど。「今自分たちが届けたい音楽はこうだ!」と野心と確信にみなぎったオーラで、それはまさに狂気。

なにか不思議な魅力を感じます。とても個人的な解釈だけでもって言葉にすることを許されるならば。始点と終点がわからない魅力、待ちうける展開の魅力。単旋律ということはハーモニーがない、和声がないということですよね(ここが間違っていると根底から覆される)。どこまでも1本の旋律であり多声の伴奏や対旋律のない音楽。メロディやコード進行がはっきりしているということはその音楽の起承転結がわかりやすいということです。小学校の「起立・礼・着席」をピアノで伴奏することもコード進行のひとつです。全3曲ともにパートが展開しているはずなのですが、どこが始点かどこが終点かわからない。次につながる展開もよめない。フィリップ・グラス「Two Pages」は4-5音からなる基本音型(モチーフ)があってそれが伸縮展開していくわけですが、久石譲作品は単旋律が様々な装いでおり重なっているように聴こえます。実に入りくんでいる、実に難しい、としか言えないのです。

実際に鳴っている楽器や音色はとても緻密で細かく配置され豊かな世界を構築しているのだけれど、別の見方をすると全体を大きく太い線1本で貫かれているような。そして、普段耳にする多くの音楽が複旋律・多声音楽(ポリフォニー)であり、それぞれが独立した旋律をもつことで音楽三要素のメロディ・ハーモニー・リズムがつくられ、メロディと異なる伴奏や対旋律によって奏でられているとしたときに。これはすごい!と思うわけです。単旋律でメロディ(モチーフ)を奏でることはもちろん、分散和音のように音を散らすことやおり重なって交錯する単旋律がハーモニー的響きを錯覚させ、ズレや変化によってグルーヴ感のあるリズムを生み出す。もしあまりにも見当違いな勘違いをしていないのならば、これはすごい!と思うわけです。

こういう音楽って聴き飽きることがないだろうな、とまたすぐにでも聴きたい衝動にかられます。ループのようでありエンドレスのようであり、でも同じところをぐるぐる廻っているわけではなく螺旋のように上昇下降と展開をもった音楽。単旋律って日本固有の響きとしても親和性があるのかなあ、そんなことも頭をかすめたりしますが、今感覚だけで語るのはここまで。ぜひ1年越しにCD化されるならば、そのときにまたしっかり向き合って聴き楽しみたい作品です。

 

さて、三浦一馬さんについて。以前音楽番組で聴いた作品が強く印象に残っています。バンドネオン協奏曲「TANGOS CONCERTANTES」すぐにCDを探したのを覚えています。全3楽章からなる作品でテレビではたしか第3楽章(抜粋もしくは編集)でした。師匠でありバンドネオンの世界的権威でもあるネストル・ マルコーニ作曲とあります。これがすごくかっこいい!バンドネオンとオーケストラによるタンゴでありながら新しい響き。全楽章とおして聴いてみたいと探したのですが、まだ録音はされていないんですね。とても大切な作品なのだろうと思うのですが、いつの日かその全貌を聴いてみたいです。また11月には久石譲が芸術監督を務める長野市芸術館でもリサイタル公演があります。今回のミュージック・フューチャー・コンサートのリハーサル風景も公式Facebookに掲載されていました。ぜひチェックしてみてください。

 

 

コンサート終演後の観客の拍手も鳴り止むことがなく、何度も舞台袖から久石譲はじめ奏者の皆さんが再登場し大盛況で幕をとじました。決してポピュラーでも馴染みのある音楽でもない前衛的・実験的・意欲的なこのようなコンサートで、ここまでの拍手(もちろん満員御礼)って珍しいと思います。それだけに真剣勝負の選曲・演奏に感動し、そんな貴重な時間を提供してくれたことへの感謝と感動の拍手だったのかもしれません。言葉にならない感動、まだ消化できていないなにかを表すこと、それが体全体で表現する拍手しかなかったように。たしかに観客にも忍耐を必要とするプログラムかもしれません。とするなら忍耐を通って得た解放が、あの瞬間ステージとオーディエンスをつないだのだと思います。なにかが伝わった、なにかを受けとった、音楽のもつかけがえのない瞬間です。

コンサート会場には献花もたくさんありました。これから先の久石譲活動をうかがわせるような献花もあるのかなあと、ついつい順を追って見してしまいます。ただ札だけではわからないものもありますからね、なにつながりだろうと。そして、今年vol.4は例年以上に若い観客が多かったようにも思います。もし毎年恒例夏W.D.O.コンサートを聴いて、それとは異なる志向のコンサートがすぐ秋にあるなら行ってみたいと思ったり、いろいろな久石譲を感じとってみたいと思う人がふえているなら、とても素敵なことだと思います。またシリーズが定着し、今年こそはと楽しみにしていた音楽ファンもきっといると思います。

 

同コンサートの様子については、下記Webニュースでも詳しく取り上げられていますので、より音楽的な理解はこちらのほうが最適だと思います。ぜひご覧ください。

 

 

 

最後になんともうれしいサプライズ。コンサートにあわせて会場でのみ先行販売されたのが11月22日発売予定の新譜CD「MUSIC FUTURE II」。昨年2016年開催「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.3」ライヴ音源化です。なんの予告もなかっただけに会場に着いてのサプライズ、約1ヶ月以上も先行して手に取ることができる喜びです。

さらには「MUSIC FUTURE II」会場購入者の先着特典として、コンサート終演後久石譲によるサイン会参加券付き!久石譲がコンサートにあわせてサイン会を実施するなんてかなり希少です。両日あわせると80-100人以上はサイン会の列を作っていたのでは。終演直後の安堵と疲労のなか、この人数だとかなりの時間も要するなか、そんな機会に恵まれた観客にとってはうれしい記念です。

コンサートで新しい音楽を体感し、同じシリーズである昨年のCD盤をいち早く入手でき、さらにサインや握手までしてもらえた日には。もちろん来年以降、サイン会まで実施してもらえるかはわかりませんが、コンサート・シリーズがつづくかぎり、必ず毎回新しい音楽を受けとることができるミュージック・フューチャーです。なによりも回を重ねしっかりとその足跡を残しつづけていること、音源化され多くの人が聴くことができること、そしてCDとして未来へ手渡していけることが、素晴らしいことだと思います。

 

 

 

”現代(いま)の音楽”を伝える──ナビゲーターでありクリエーターである「久石譲 presents ミュージック・フューチャー」コンサートシリーズ。毎年1回2公演とはいえ、企画からプログラミング、自作創作から入念なリハーサルまで。とてつもないエネルギーと集中力をすでに4年間も続けている。そして観客もしっかり入り刺激的な大盛況でカーテンコール。来年以降も新旧入り乱れたディープな音楽を届けてくれることへ期待が高まります。うまく言えませんが、ミュージック・フューチャー・コンサートそれは「今を生きているんだ」と改めて感じさせてくれるのかもしれません。

 

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Blog. 「キーボードマガジン Keyboard Magazine 1999年8月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2017/10/07

音楽雑誌「キーボードマガジン Keyboard Magazine 1999年8月号」に掲載された久石譲インタビューです。

音楽機材も多く取り上げられることの多い同雑誌ならでは、久石譲の音楽制作には必須の多彩な機材のこともよくわかる内容です。久石譲もインタビューのなかでこういった機材や電子音源を使う妙技についてもフォーカスして語ったインタビュー内容。読み応え満点の永久保存版です。

「NHK驚異の小宇宙・人体III~遺伝子・DNA」「菊次郎の夏」「天空の城ラピュタ USA盤」など、それぞれについても深く語っています、書籍として残してほしいほどの充実した内容です。

「Summer」のスコア譜も完全収録されています。ピアノ譜ではなく総譜です、17ページに及ぶ楽譜でこれまた貴重なものです。パートはヴァイオン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス、ピアノ、キーボード、ハープ、パーカッションという10段譜になっています。

 

先に読後感を。1980年代当時の8トラックしか鳴らせないシーケンサーで磨かれた訓練と感性、なるほどぉとただただ唸るのみ。またこういった機材で作ったデモ音源はそのままレコードにできるほどのクオリティであるという話は有名ですが、デモ音源が生オーケストラのレコーディングを経て”混ぜる”というテクニックや足して質感のコントロールにも一役買っている、すごい。普通の耳では聴きとる聴きわけることのできないような低音の隠し味なんてエピソードも。ここまでくるともうアコースティック音とデジタル音の配合は久石譲本人にしかわからない、超一流の感性と耳です。そりゃあいくら”久石譲っぽい音楽”があったとしても、”なにか違う、でも大きな違い”が君臨しているわけですね。ここまで惜しみなく自らの武器を語ることも希少だと思います。たとえ手の内を見せたとしても動じない自信と常に止まらない進化なのかな。知って研究したい人もいるでしょう、知って聴きほりたい人もいるでしょう。知っても聴いても上手にテイスティングできない私は残念です。

これを見ると、ググっと18年後の現在に立ち戻り「NHK人体」から「NHKディープオーシャン」へ継承されている手法もあるのかな、新しい手法もあるのかな、と気になってきますね。建物と同じで、完成したものから感じることもたくさんありますが、もしその設計図や制作過程を少しでも垣間見ることができたなら、新しい発見もあるし違った見方もできるし、なにより一層の感慨深い愛着がこみあげてきます。そしてそれは”新しい住み方”になり”新しい豊かな生活”を得ることができる。音楽についても同じことが言えるような気がします。そんな普段は絶対に知るよしもない制作現場インタビューです。

「NHK驚異の小宇宙・人体III~遺伝子・DNA」「もののけ姫」「菊次郎の夏」「天空の城ラピュタ USA盤」についても作品ごと音楽ごとに制作エピソード盛りだくさんです。

 

ボリュームあります。ぜひゆっくり読んでみて、聴きかえしてみてください。

 

 

 

久石譲

自分の作品と違って 映画というのは あくまで監督の世界なんです

今や日本のサウンドトラック界を代表する巨匠であり、自らも数多くの作品を発表している久石譲さん。これまで手掛けたサントラは数多いが、中でも映画監督、宮崎駿とのコラボレーションはあまりに有名だ。創作の拠点であり、都内有数のレコーディング・スタジオでもある”ワンダーステーション”を訪ね映画との出会いや音楽史、独自の手法を駆使するというサントラ制作の様子を聞いてみた

 

曲を書くことより音楽の成り立ちに興味がありました

4歳のころからバイオリンを習い始め、音楽に親しんでいた久石さんだが、同時に、大変な映画少年でもあったという。高校の先生だったお父さんが、映画館の巡回にしばしば幼い久石少年を連れて行ったという特別な事情はあったものの、年間何と300本以上もの映画を見ていたというから、半端ではない。

「でも、昔は映画って大抵3本立てでしたから、年間に300本ってそんなに大変な数ではないですよ(笑)。僕が住んでいたのは田舎の町でも、ふたつ映画館がありましたから、週に2回行くと6本、1ヵ月で24本ですから。家も映画館の近くでしたしね。親父はまだ若い先生だったので、先輩の先生から代わりに巡回に行ってくれよとよく頼まれていたようです。それに僕が付き合ったという感じなんでしょうね(笑)」

とにかく上映されていた映画は、チャンバラなどの日本映画から西部劇まで、片っ端から見ていったという久石さん。”子供のころは映画館で育ったようなものでした”と当時を振り返る。

「印象に残っているのは、やはり「ピーターパン」とか、西部劇なんですよ。言葉がどうとかではなく映像の迫力がやはり違ったんですね」

そんな少年時代を過ごした久石さんだが、その後は音楽学校に進み、作曲/演奏活動を行うなど、音楽が生活の中心になっていった。メロディアスな曲を数多く手掛けている現在の久石さんからはちょっと想像しにくいが、学生時代はガチガチの現代音楽指向だったという。

「もちろん、普通にビートルズなどは聴いていましたし、中学とか高校のころにドラムとかベースの友人がいたら別の人生になっていたかもしれませんね。ところが、周りは幸か不幸かクセナキスを研究しているような友人ばかりで(笑)、自然と現代音楽の方に行ったんですね。大学のころは、音楽の概念をぶち壊すようなことしかやっていませんでした。最終的には”不確定奏者のための音楽”というのを追求したんです。演奏者は、ふたり以上数百人まで、演奏時間も5分でも2時間でも構わないような。基本はミニマル・ミュージックを指向していたんですが、乱数表を使って偶然の中の理論などを研究したりもしました。とにかく、音楽がどのようにして成り立っているかということに興味があったんです。逆に言うと、曲を書くこと自体にはあまり興味がなかったのかもしれないですね」

 

生のオケにサンプラーのオケを混ぜて質感をコントロールするんです

その後、だんだんと音楽の仕事に携わるようになっていった久石さんは、20代のころからドキュメンタリーやテレビ番組、映画の音楽を手掛けるようになっていく。

「テレビとかドキュメンタリーとかの仕事は昔から結構好きだったんです。それに、例えば山にこもってシンフォニーを書き上げるような、いわゆる”芸術家”は、最初から自分に合っていないと思っていました。書いた音楽が目の前の人にどう伝わるかということに興味があったんです」

そして、サウンドトラックという仕事に対する考え方を大きく変える運命的な出会いが訪れる。映画「風の谷のナウシカ」の制作に先駆けて企画されたイメージ・アルバム制作のオファーが舞い込んだのだ。もちろん、監督は宮崎駿である。

「当時、宮崎さんはもう40歳を超えていたんですが、仕事のことをこんなに夢中になって話せるおじさんがいたんだった驚いたのを覚えています(笑)。例えばセル画のことをひとつ取っても、イスに飛び乗って説明したりしているんですよ。ただ、僕は当時、全くアニメについて知識がなかったので、宮崎さんがカリスマ的な存在ということすら知らなかった(笑)。もうその時点で、あの有名な「ルパン三世 カリオストロの城」を作っていたのに……。でも、結果的にはそれが良かったのかもしれないですね。気負わずに済みましたから(笑)」

久石さんの手掛けたイメージ・アルバムを高く評価した宮崎監督は、当時まだ新人だった久石さんを本編のサウンドトラックにも起用、ここから今や切っても切れない関係となった両者のコラボレーションが始まった。

「自分の中で、初めて明確に映画音楽というものを意識したのは「風の谷のナウシカ」だったんです。映画音楽と自分のソロ・アルバムなどとの最も大きな違いは、映画というのはあくまで監督の世界だということだと思います。ですから、音楽を作るときも、自分の思いだけではなく、監督がどういう世界を作りたいのかということがフィルターとして必ず入ってくるのですが、そのフィルターがすごい人であればあるほど刺激を受けて、そこから新しい自分を発見できるんですよ」

ちょうどそのころ、音楽制作の面でも大きな転機が訪れた。サンプラーとの出会いである。

「「ナウシカ」をやってきたときに、知り合いの人が持っていたFAIRLIGHT CMIを初めて使ったんです。「人間の声みたいな音が出るんだ」って聞かされていたんですが、”そんなワケない”って思っていた。ところが、実際に使ったら本当だったので驚きましたね。そして、「ナウシカ・レクイエム」という曲の歌の部分のバッグを全部FAIRLIGHTで作ったんです。その後、これからはきっとこういう機材がメインになると思って、千数百万円を出してFAIRLIGHTを購入しました。清水の舞台から10回くらい飛び降りるような気持ちでしたね(笑)」

だが、このFAIRLIGHT CMIは久石さんの作曲/編曲自体にも大きな影響を与えることになる。FAIRLIGHTに搭載されていた、リアルタイム・シーケンサー”PAGE R”を活用し始めたのだ。それ以前にも、ROLAND MC-4などを使っていたという久石さんだが、リアルタイム・レコーディングをベースにした打ち込みを本格的に取り入れたのは、このときが初めてだった。

「作曲=ピアノの前で譜面を書くような作業だったのが、弾いたものを数値に置き換えたりするようになって、発想がすごく変わったんです」

ただ、リアルタイム・シーケンサーといっても、当時の”Series II”に搭載されていたのは8トラック、しかも各トラックはモノフォニックという現在のレベルからはほど遠いものだった。

「でも、そのことが良い音楽を作る決定的な要素になったんですね。全部で8トラックしかないということは、ハイハットとキックとスネアを使って、ベースを入れて、キーボードが4声だったらもう終わり。すると、そこで工夫が必要になってくるんです。当時、FAIRLIGHTのシーケンサーを使わせたら、僕は絶対に世界一うまかったと思いますよ(笑)。壮大な音を8つの音だけで、いかに作り上げるかということを考えることが、ものすごい訓練になり、その感覚は現在に至るまでずっと続いています。今のように、1チャンネルだけで幾らでも音が出るような環境でやっていると、90%以上は無駄な音を入れてしまっていると思いますよ。ああいうふうに音楽を作っていては、感性は育たない。必要なのは、いかに無駄な音を使わず、しかも色彩豊かに作り上げるかという訓練だと思います」

現在はAKAI Sシリーズをメインにオーケストラのパートやリズム・ループを組み立てているということだが、FAIRLIGHT CMIは相変わらずお気に入りのようだ。

「ほかの音と混ざっても、音がちゃんと主張しているところが好きなんです。この辺りは、SEQUENTIAL Prophet-5などにも通じるところですよね。「驚異の小宇宙・人体III~遺伝子・DNA」でも、低域の音にFAIRLIGHTを多用していますよ」

さらに、久石さんの音楽制作に欠かせない機材と言えるのが、STUDIO ELECTRONICSのモノフォニック・シンセサイザー、Midi-miniだ。

「Mini-miniの低音は、必ず隠し味にうっすらと入れています。定位感とか存在感のない、ほとんどいるかいないか分からないような低音が好きなんです。ただ、低域を扱うときに気を付けなくてはならないのは、ちょっとしたピッチのズレがとてつもなく全体を貧弱にしてしまうということ。ですから、これ以上はないというくらい、細心の注意を払ってピッチを合わせています。でも、そういうところに気を付けて録ると、音楽全体がすごく立体的に、豊かになりますよ」

本番で生のオーケストラを使う場合でも、こういった機材を駆使していったんデモを作るという久石さん。そのクオリティは、そのままレコードになるほどの完璧なものだという。そして、そのデモは単なるスケッチなのではなく、ときに作品の仕上がりを決定する重要な要素になっている。

「サンプラーやシンセサイザーで作ったオケは整理してMTRにレコーディングしておくんです。その後、基本的には生のセクションに差し替えるんですが、音によっては、作っておいたデモと、生のオーケストラ・パートを混ぜるというテクニックを使うんですよ。例えば、ピチカート・ストリングスなどは、曲によってはサンプラーの音を足した方が圧倒的にいい。チェロのセクションを少し固い感じの音にしたい場合なども、シンセサイザーのチェロを混ぜてやるんです。ハープの駆け上がりも同じで、ちょっと足りないな?と思ったらシンセサイザーのトラックを少し足す。こうやって質感をコントロールするんです」

”生の楽器に比べれば、電子楽器の表現力にはあり過ぎるほど限界がある”、と言う久石さんだが、両者の特徴をうまく組み合わせることですばらしい効果を上げている。このあたりに絶大なる評価を受けるサウンドトラックの秘密の一端が隠されているのではないだろうか。

 

ハリウッド調のサントラ作りはとても勉強になりました

さて、最近の活動の中で最も注目すべきは、「もののけ姫」につづいて全米公開が予定されている「天空の城ラピュタ」のために、サウンドトラックを新録音したことだろう。それにしても、あれだけ高い評価を受けていたサウンドトラックに、なぜ手を加える必要があったのだろうか。

「ディズニーのスタッフによると、外国の人って、音が3分も鳴らなければ落ち着かなくなるんだそうです(笑)。洋画を見ると分かりますが、ずーっと音が鳴っていますよね。しかもアニメなんて、全編鳴っているのが当たり前なんです。ところが、オリジナルの「ラピュタ」では、2時間4分の上映時間のうち、音楽は1時間。すると7分間~8分間、音楽が全くない部分があるんです。これでは海外で通用しないというわけで作り直すことになったんですが、単に新しいものを足しても、14年前に制作した音楽と合わないので、すべて新録にしたんです。もちろん「ラピュタ」のメロディは崩せないので、そこは生かしながらアレンジを変更しています」

また、海外での公開を前提とするという新たな要素が加わったことで、制作のアプローチにも変化があったという。

「アメリカ映画の音楽の付け方って、基本的にすごくシンプルなんです。それはどういうことかというと、とにかくキャラクターと音楽を一致させる。軍隊が出てきたら軍隊のテーマというように、映像を説明するような音楽が、ハリウッド調の音楽であり、それがポイントになっている。これまで、僕はそういうアプローチというのは理解はしていましたが、すごく音が単調になりそうなのがいやで、避けていたんです。でも、いざ意識して作ってみると、やはりものすごく勉強になりましたね」

もちろん、新録された「ラピュタ」でも、シンセサイザーによるデモ作りは行われた。しかも、こちらも全くゼロの状態から制作し、レコーディングされたのだという。当然、生のオーケストラ・パートもすべて新録音。総勢80人という大きな編成を組み、教会を使った大規模なレコーディングが行われたのだが、ここでも、生のオーケストラとシンセサイザーのミックスという手法が大きな威力を発揮したという。

「教会でのレコーディングは、まさにすさまじい音で、アンビエンスがあまりにすごいため、近接マイクや各セクションのマイクなどで音質のコントロールをすることが難しかった。ですから、ちょっとゴリっとした音にしたりしようとしてもそうならない。そこで、シンセサイザーをミックスするという手法が役に立ったんですよ。サウンドトラックのリリースについては、まだ予定が立っていないのですが、仕上がりは最高です。宮崎さんもすごく喜んでくれていましたね」

このほかのサウンドトラックでは、篠原哲雄監督の「はつ恋」(来春公開予定)という映画の音楽を仕上げたばかりだ。

「田中麗奈さんが主演で、真田広之さんとか、原田美枝子さんが出演しています。高校生の女の子が主人公の話で、非常に青春っぽい映画ですよ。音は珍しくピアノを中心にして、ストリングスも使っているんですが、サウンドトラックの中でこれだけピアノを弾きまくったのは珍しいのではないでしょうか。映画の音楽に関しては、このあと秋元康さん監督の作品も手掛ける予定です」

さらに、今後の活動についてだが、秋には待望のツアーが予定されている。

「今年は、本数こそさほど多くないものの、大阪フェスティバル・ホールとか、東京芸術劇場などで、少し大きな規模になる予定です。実は、イギリスからバラネスク・カルテットという弦楽四重奏を呼ぶんですが、彼らはクラフトワークなどのカバーで知られる、非常に前衛的な面も持っているカルテットですよね。今回のツアーでは、彼らが久石譲アンサンブルに加わるわけなんですが、そうなったら僕も前衛的なことをやりたくなってしまうじゃないですか。元々そういう人間ですから(笑)。だから、今回は”久石メロディを聴きたい”っていう人をぶっ飛ばしてやろうなんて考えたりもするんですが(笑)、そればかりでも仕方ないので、自分の中のバランスをどう取ろうかと悩んでいるところです」

”せっかく1ヵ月以上も一緒にツアーをするんだから、アルバムも一緒に作ってみたい”と語ってくれた久石さん。「もののけ姫」など、宮崎作品の全米公開、新しいサウンドトラック、そしてコンサート、待ち遠しい新作と、ますますその活動が楽しみだ。

 

 

●「驚異の小宇宙・人体III~遺伝子・DNA」

ドキュメンタリーの仕事はすごく好きなんです。このシリーズも3作目ですね。ただ、今回はテーマが遺伝子ということで非常に抽象的ですから、映像が浮かばなくて苦しみました。Iは「内臓」がテーマでしたし、IIは「脳と心」がテーマでしたから、割とイメージが膨らんだんですが、「細胞」と言われてもピンと来ないじゃないですか? そういった、最初のイメージ作りで苦しみましたね。でも、遺伝子についていろいろ調べるうち、利己的遺伝子(セルフィッシュ・ジーン)という言葉に出会ったんです。「人間は遺伝子の乗り物でしかない、生命が誕生して以来、人間という器は単なる乗り物でしかない」という内容なんですが、そういうことを考えていると、太古の時代と未来がつながっていて、それは音楽も同じだと思えるようになったんです。そこで、エスニックな要素をたくさん入れたりしました。

この作品では、打ち込みと生の弦を組み合わせています。こういう世界観だと、アコースティックが絶対にいいということはあり得ないんです。あまりにも具象音過ぎますからね。そうすると、もう少し神秘的な世界を出すにはやはりシンセサイザーがよくて、結果的に生と打ち込みの比率は50/50くらいになりました。ただ、今までのシリーズはもっとシンセサイザーが多かったので、今回は割とアコースティック楽器が増えていると言えますね。

このシリーズに関しては、映像に合わせて音楽を作っているわけではありません。「何月何日に映像をお渡しします」って言われても、その日に来ることは絶対にないですから(笑)。2、3ヵ月はズレます。これは映画もそうなんですが、CGを使うとその部分が圧倒的に時間を食うんです。特に、この番組は内容的にCGのウェイトがすごく大きいですから大変だと思います。でも、真剣に作ったら遅れるのはしょうがないですよ。

そんなわけで、基本的にはこのシリーズに関しては、こちらの方である程度世界観を作って大体12~13曲ほど仕上げ、さらに幾つかバリエーションを付けたものをお渡しして、そこから選曲してもらうというスタイルでやることにしているんです。僕の手掛けているサウンドトラックの中で、選曲のスタイルはこの番組だけです。

 

●「もののけ姫」

「もののけ姫」に関しては、宮崎監督から「覚悟を決めた映画を作るから」ということを聞いていました。「人がたくさん死ぬような映画だけど、この時代はこういうものを作らなくてはならない」という決意表明があったんです。そんな話をしていて、今回はフル・オーケストラで行こうということになりました。

宮崎さんの仕事は、とにかく丁寧さが別格です。この作品でも、最初にイメージ・アルバムを作って、そのアルバムを元にして綿密な打ち合わせを行った上でサウンドトラックを作っていったんです。映像を見て、映像のために本当に細かく作っている、まさにサウンドトラックといえる音楽ですよ。どれくらい細かい作業をしているかというと、例えば2分半とか3分程度の曲の中でも、その中で20箇所くらい絵と音楽をシンクロさせたりしているんです。それも1/30秒などの単位で。ですから、曲中でテンポもどんどん変わりますし、そのテンポも80,28とか、そこまで細かく設定しています。

ただし、あとで編集して合わせ込むなんてことは絶対にしません。テンポ・チェンジがプログラムされたクリックに合わせて生で演奏するんです。もちろん、演奏する人間にテクニックと能力がないと合いません。こういう手法に関しては「もののけ姫」がひとつのピークと言えるんじゃないでしょうか。

 

●「菊次郎の夏」

北野武さんの作品では、「あの夏、いちばん静かな海」から音楽を担当させていただいていますが、あの映画のときに北野さんと話したのは「通常音楽を入れるところは一切抜きましょう」ということ。例えば、盛り上がるシーンだからといって、盛り上げるための音楽を入れるのはやめましょうと。そういうのってすごく北野さんらしいところだと思うのですが、いわゆる劇伴的なものは本人が望んでいませんし、必要もないんですよ。

「菊次郎の夏」でも、メロディアスだけど絶対ベタベタした感じにならないように心がけました。北野さんの映画は、とにかく立ち振る舞いがすごくきれいで品があるんです。だから、音楽も下品になったり、表現しすぎてはいけない。それが、最も大切にしなければならないところでしょうね。「菊次郎の夏」に関しては、北野さんから「リリカルなピアノものでいきたい」というリクエストがあったんです。最初は、こんなにギャグの多い映画なのにいいのかな?と思ったんですが、実際にやってみたら、ギャグの中に、人間の孤独とか寂しさみたいなものが表現できた。もちろん、北野さんはそれを最初から狙っていたわけで「やっぱりこの人は天才だな」って思いましたね。

そして、北野さんのすごい点は、やはり個性的だということに尽きるでしょう。特に、海外での評価は絶大ですが、それはなぜかというと、個性があるからですよ。独特の映像美、たくさんの要素を入れない、ムダのない引き算のような絵作り……それが、あそこまで徹底できる人って、世界に何人もいません。ものすごく強い意志が必要なんだと思うのですが、北野さんはそれをやり抜いている。本当にすさまじい作業であり、ある意味、周囲のだれよりも孤独だと思うのですが、それをやり抜く意志の強さは本当に素晴らしい。だからこそ、”世界の北野武”なんでしょうね。

(「キーボードマガジン Keyboard Magazine 1999年8月号」 より)

 

 

SCORE | 映画「菊次郎の夏」より
「Summer」

幅広い音楽性が盛り込まれた久石譲の集大成ともいえる楽曲

今や”世界の北野武監督”による、ベネチア映画祭受賞後第1作「菊次郎の夏」のメイン・タイトルがこの「Summer」。作曲は前作「HANA-BI」をはじめ北野映画にはなくてはならない存在となった久石譲だ。氏の今までの作品の傾向を振り返ってみると、宮崎アニメ「となりのトトロ」や「もののけ姫」に見られるどこか日本的な旋律、「風の谷のナウシカ」のロマン派風のオーケストラ、初期のソロ・アルバムにあるような、サンプリング・パーカッションを多用したミニマル的な楽曲、TVドラマ「華の別れ」主題歌に代表される非常にロマンチックなメロディと、自らの演奏によるピアノといった特徴が挙げられる。今回の「Summer」には、これらの特徴がすべて現れており、久石氏の集大成ともいえる楽曲になっている。以下、流れに沿って詳しく見ていこう。

冒頭、弦の2分音符で演奏される2小節の循環コードだが、どこか「下校の鐘」のような音形で、映画全体の雰囲気を見事に象徴している。こういった、楽曲の出だしの瞬間、一気に世界を作ってしまうのも氏の特徴で、これはまさに映画音楽として非常に優れた点だと言えるだろう。

以後しばらくこの低音を繰り返しながら、ピアノによるテーマ・メロディが導かれる。こういったシンプルな低音の繰り返しパターンは、ブラームスでも有名なパッサカリア(古典舞曲の一形式)を思い起こさせる。どこか和風の[C]の4度和声を経て、途中から加わるリズムも、いかにも久石譲らしい、オン・ビートを強調したアジアン・エスニック風のパターンだ。さらに、[J]からのピアノ主体の部分はでは、右手のアルペジオの使い方やメロディ終わりのD#m7など、非常にロマンチックな雰囲気。続いて[L]からの、弦の刻み+音階だけのメロディ+ピアノのオスティナートといった、ミニマル風の経過部を経て、最初のテーマに戻る。ここでは、リズミックな動きは伴わず、自由にモチーフを回想しており、ある種ノスタルジックな気分を醸し出しつつ効果的に曲を閉じている。

このように、さまざまな要素が盛り込まれているにもかかわらず、全体を通して非常に親しみやすく、分かりやすい曲調になっており、どちらかというと「ぶっきらぼう」な演出が魅力の北野映画と、互いにうまく補完しあっている。こういった、幅広い音楽性に支えられた強い描写力は、映画音楽の王道的な魅力のひとつといえるだろう。

(「キーボードマガジン Keyboard Magazine 1999年8月号」 より)

 

スコアは掲載していません。楽曲解説の箇所になります。楽曲について深く紐解く参考、解説の掘り下げ方、表現の仕方など勉強になることも多かったのでご紹介しました。

 

 

Blog. 「ディレクターズマガジン 2001年11月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/08/14

プロフェッショナルクリエイターのための情報誌「Director’s MAGAZINE ディレクターズマガジン 2001年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。

久石譲監督作品 映画「Quartet カルテット」についての話が中心ですが、久石譲が定義する音楽映画とは? 久石譲が折にふれて語るポップフィールドに立つ音楽家としての「売れてなんぼ」の真意とは? とても興味深い内容で理解が深まります。

ぜひ久石譲の言葉の表面的な部分だけではない、深く紐解くためにも読んでもらいたい内容です。時代を生きる作家の大衆との共鳴や葛藤が見え隠れしてくるような気がします。そして生み出される大切な作品のひとつひとつ。

 

 

プロデューサー列伝 No.48
久石譲が提示する、音楽映画という名のエンターテインメント。

久石譲監督作品/音楽映画『Quartet カルテット』

久石譲監督作品『Quartet カルテット』が公開されている。若手音楽家たちが、同じ大学で学んだ仲間と巡業旅行を経験し、コンテスト出場をめざす青春映画。日本では初めての本格的音楽映画として注目を集める作品だ。

「『ここに泉あり』という、群馬交響楽団が再生するまでを描いた映画がありました。とても良い作品でしたが、あまり注目されなかった。そして、日本ではその作品くらいで、本格的な音楽映画はほとんどありませんでした。実は、世界的にも数は少ない。『レッドバイオリン』などが、数少ない音楽映画といえる作品ですね」

音楽映画の定義とは?

「音楽が主役になっている、ということ。物語に音楽がからんでいるとか、主人公が音楽家というだけでは音楽映画にはなりません。音楽がドラマとからんでクライマックスに向かっていくような映画を、私は音楽映画と呼ぶことにしています」

「整理すると、音楽とストーリーが密接にかかわっていること、音楽が台詞の代わりになりえていること、この2点に集約されます」

音楽が台詞の代わりになるというのは、どういうことなのか?

「たとえば『もののけ姫』の戦闘シーン。戦闘シーンですから、ジョン・ウィリアムズ調の勇壮な管弦楽を構想するのが普通だと思います。ですが私は、あのシーンを山神たちの集団自殺だと解釈しました。そしてレクイエム(鎮魂曲)を作曲しました。たとえば、そういうことです」

 

音楽映画を成立させるために脚本も共同執筆

音楽に関する造詣も深い映画。ということは、観る側を選ぶということになるのであろうか?

「そんなことはありません。テレビシリーズ『ER』を思い浮かべてください。あの作品では登場する医師たちが専門用語を使いまくりますね。でも、だからといって医学知識のある人にしか楽しめないドラマなのかというと、まったく違う。会話の内容は理解できなくても、登場人物が怒っている、困っているということはちゃんとわかります。音楽映画の構造は、あれによく似ています」

「今回の作品でも、クラシックがアッパーカルチャーとして描かれていたら観客の共感など得られません。共同執筆した脚本では、そのことを重視しました。さらに言えば、脚本がしっかりしていなければ音楽映画は成立しないと考えていたんです」

できあがった脚本をベースに、もちろん全曲、約40のオリジナル曲を自ら書き下ろした。

「作曲をしながら考えたこと。一音楽プロデューサー、作曲家として受けた依頼なら、たぶん断っていただろうなあ(笑)です。想像以上にたいへんな作業だった。オペラの作曲を依頼されたら、たぶんこんな仕事量になるのだろうと感じました。たいへんでした」

監督はもちろん、脚本、音楽をひとりで手がけた経験は貴重なものだったはずだ。

「もちろんそうですね。つくづく感じたのは、脚本づくりと音楽づくりがまったく別物だということ。この2つを同時にこなすことなんて、まず無理な話ですね」

苦労した点は?

「まったく誰も、音楽の心配をしてくれなかったこと!(笑)。当然と言えば当然ですが、音楽プロデューサーである私が撮る映画ですから、『久石に任せる』ということになる。誰ひとりとしてアドバイスも苦言もくれません。本当に孤独な作業がつづきました」

「通常の映画は、映像の編集が終わってから音楽をつくります。でも、今回は、脚本をもとに作曲し、録音を完了させ、撮影はそのスコアに合わせて進めました。ほかの現場と決定的に違っていて、役者もスタッフも、もちろん監督も、もっとも労力を費やしたのはそこでしょうね。各シーンは録音された音楽の長さに即して◯分☓秒と時間まで決まっていますから、スクリプターが楽譜を絵コンテ代わりに現場をコントロールすることになりました」

 

なぜ音楽家は映画のメガホンを取ったのか?

ところで、『Quartet カルテット』の公開で私たちの多くは今、心の奥底に”音楽家/久石譲が映像作品をつくった”ことの相関関係に思いをめぐらせている。それを唐突に感じる者は、なぜ彼が異ジャンルに進出するのか?という動機、いきさつを知りたくなる。

結論から言うと、それはいたく自然な流れに乗って行き着いた場所だということ。さらに言えば、1998年には長野パラリンピックの総合演出を手がけ、『Quartet カルテット』のあとには福島県/うつくしま未来博・ナイトファンタジアの総合プロデュース&演出を手がけ、同イベント上映用の短編作品『4 MOVEMENT』も監督している。これらの経緯を見知っている者には、大きな違和感のある話ではない。つまり、総合クリエイター/久石譲の可能性に期待する関係者が多くいて、それに応えた新たな取り組みは『Quartet カルテット』以前から始まっていたのである。

「映画監督に関しては、自分から積極的にアクションをおこしたわけではありません(笑)。ずいぶん前から期待してくださる方、やってみないかというお話があり、次第に機が熟していった結果こうなったということですね。幸いにして私の中に、具体的なアイデアもあった」

「もちろん、宮崎駿さん、北野武さん、大林宣彦さん、澤井信一郎さんといったそうそうたる監督たちの作品に参加させてもらったことの意義は大きい。諸監督たちと仕事をごいっしょさせていただいているうちに映画に対する造詣、興味が深まり、それが『Quartet カルテット』を手がける動機のひとつになったことは事実です」

疑問への答えは、こんなコメントでも返ってきた。

「パラリンピックの総合演出を手がけたころ、自分の中に、音楽だけでは解決できないこと、欲求があると気づきました」

手がけるチャンスを得たときに、ふさわしい準備、あるいは蓄積がなされているか?それが異分野に進出するクリエイターに問われることだと思う。久石氏の場合、それは十分になされていたようだ。

「『Quartet カルテット』の成否のひとつは、登場人物の演奏シーンにかかっていると確信しました。ですから役者のトレーニング、そしてシーンのトリックには力を入れた」

「まず演奏トレーナーには役者が楽器を弾けるようにするのではなく、”弾いているように演じる”ことを教えてもらいました。役者たちは彼のもとで最低1ヵ月間のトレーニングを積んで、撮影に挑んでいます」

「たとえば、役者が演奏しているふうの表情をアップで見せ、切り返しでプロの演じている手元だけを見せるというカット割では、観る人誰もが『編集で見せていますね』と興ざめしてしまう。ワンカットで登場人物が演奏するシーンを成立させるためには、まず役者のトレーニング。しかし、それでも追いつかないほどの演奏技術が必要なパートがあることもわかっていましたから、そこは撮影のトリックを入れる計画を立てました。技法は複数。完全な種明かしをしてはつまらないので、たとえば2人羽折り、たとえば合わせ鏡、そんな技法を用いているということだけお伝えしておきます。時間をかけた創意工夫ばかりで、その分できばえも良かったと自負しています。ぜひ、映画館で演奏シーンを堪能していただきたいですね」

 

ポップフィールドに立つ音楽家の創作モチベーション

久石氏は、自らを「芸術家ではない」と公言している。

「私は、自分のいる場所をポップフィールドだと思っています。芸術家は、自分のことを掘り下げて、それを表現できればOK。でも、ポップフィールドでの創作活動は、ビジネスです。『売れてなんぼ』という言葉そのものですね。ただし、大衆に迎合するという意味ではない。言い方を換えれば、人に受け入れられるのが最低条件だけれど、受け入れた人が救われたり、何かを学べるクオリティを兼ね備えていなければならない。とても難しい目標です。でも、難しい目標だからこそ、やっていて面白いんです」

芸術家を否定しているわけでも、拒否しているわけでもない。

「私は、20代で芸術家としての活動をし尽してしまいました。音楽大学在学中からミニマル・ミュージシャンという前衛芸術に没頭していて、乱数表を用いて作曲する(笑)なんていうラジカルなことをやっていた。30代が近づいたある日、『もういいかな』と思って、それを機に、芸術とはきっぱり手を切りました」

そんな久石氏は今、『Quartet カルテット』、『4 MOVEMENT』という演出作品のリリースを一区切りに、本来の”ポップフィールドに身を置く”音楽家に戻ろうとしている。10月30日に名古屋を皮切りにスタートした『JOE HISAISHI SUPER ORCHESTRA NIGHT』がその第1弾だ。

「思い返せばここ数年、プロデュース、演出という仕事のラッシュの中にいました。もちろんその途中で『BROTHER』、『千と千尋の神隠し』といった映画音楽の仕事もこなした。そういう時期を過ごした後、湧き上がってきたいちばんの欲求がピアニスト/久石譲としての仕事でした。ずいぶん長いことプレイヤーを休んでいたなあ、というのが率直な感想。ピアノレッスンとともに体力づくりにも取り組んで、ツアーを心から楽しむための準備をしています」

今後の予定は?

「まずは目前の『JOE HISAISHI SUPER ORCHESTRA NIGHT』に全力投球します。それ以降は、これまでのように映画音楽にも取り組みますし、チャンスがあれば映像作品も手がけたい。仕事への意欲はますます高まっていくでしょうね」

一連の監督経験を経て、特に映画音楽のしごとには新たな視界が開けているという。

「まず、脚本の読み方が変わりましたね。これまでも十分に読み込んで取り組んでいたつもりでしたが、メガホンを取ってみて、監督という立場でかかわってみて、まだまだ読み込みと理解が足りなかったことを痛感しました」

「もうひとつは、映画監督は音楽監督にもっと要求してもいいんじゃないかということ。音楽が映画でできることは、もっとあるのだと実感しました。映画監督が要求すれば、もっと良くなるはずです。あるいは音楽監督が映画監督から引き出せる部分もあるかもしれませんね」

音楽というフィールドを媒介に映画への情熱を育てた作家の次回作に期待したい。そして、監督という貴重な体験をたずえさた音楽家の今後の活動にも興味が尽きない。そして何より、ここから先、既成の枠や肩書きにとらわれない総合クリエイター/久石譲氏の繰り出す創作の数々を心待ちにしていよう。

 

人に受け入れられるのが最低条件だけれど、受け入れた人が救われたり、何かを学べるクオリティを兼ね備えていなければならない。とても難しい目標です。

(ディレクターズマガジン 2011年11月号 より)

 

 

Blog. 「ショパン CHOPIN’ 1991年3月号」ソロアルバム『I am』久石譲インタビュー内容

Posted on 2017/08/01

音楽誌「ショパン」1991年3月号に掲載された久石譲インタビューです。内容は当時発売されたばかりのオリジナル・ソロアルバム「I AM」についてです。制作過程の記憶が新しいとても貴重なインタビューです。

 

 

風の流れを感じさせる

この2月22日に発売される東芝EMIソロ移籍の第1弾アルバムのタイトルは『I AM』。今までに自分のやってきたものの代表作にしよう、これこそ久石譲──This is HISAISHI JOE──といった意味で、名づけた。

彼の名をポピュラーにしたのは、おそらく宮崎駿のアニメーション映画「風の谷のナウシカ」の音楽だろう。それ以後、宮崎さんの映画の音楽は彼が手がけている。その他昨年は「タスマニア物語」、今年はこの4月公開の「仔鹿物語」。だが今回の作品は、そういったフル・オーケストラの音楽から離れて、よりシンプルなピアノとストリングスを中心とした作品に仕上がっている。

「ストリングスはロンドン・シンフォニーとロンドン・フィルのメンバーに協力してもらいました。ロンドンの──特に弦の音は、僕の求めている音に合うんです。録音はアビー・ロード・スタジオ。あそこはね、ルーム・エコーが非常にいいんですよ。ピアノのパートは日本で録音しました。ピアノはベーゼンドルファー・インペリアル。低音部分にこだわってみたので」

今後のアルバムでは、”ピアニスト・久石譲”という部分を追求してみたのだという。だがもう少し、よく聴いてみて欲しい。さり気ないフレーズの中に、”アレンジャー・久石譲”の小憎らしいまでの閃きが見えてくる。

「結構ね、難しいことやってるんですよ。普通だったら使わないような手法とか。でもさすがに向こうの人たちはその意図をわかってくれて、のってやってくれた。イギリス人のユーモアというか、あけっぴろげなアメリカとはまた違って、楽しい共同作業になりました」

久石さんのサウンド──というとやはり注目するのがメロディだ。耳に心地よく、覚えやすく、ついつい口ずさんでしまう。そのメロディに絡み、隠れ、時には主導権を握るリズムは、異国的であり、そしてどこか懐かしい気持ちさえ呼び起こす。「風の流れを感じさせる音楽家」だという。しかしその風は、砂と岩の間を吹き淀む乾いた赤道の風ではなくて、旅行記を記すように、草原の羊の群を追い、沢を走り、砂を巻いて吹き抜ける季節風なのだろう。そこに留まらず、でもすべてを見霽(はる)かし、孕んでいる。

久石譲の”代表作”『I AM』。あなたも、風の流れを感じて欲しい。

文:渡邉さゆり

(音楽誌「ショパン 1991年3月号」より)

 

 

 

Blog. 「読響シンフォニックライブ 2012年8月15日」 放送内容

Posted on 2017/08/01

2012年8月15日、日本テレビ系「読響シンフォニックライブ」にて久石譲が出演しました。

 

読響シンフォニックライブ 「深夜の音楽会」

[公演期間]  63 読響シンフォニックライブ「深夜の音楽会」
2012/5/30

[公演回数]
1公演(東京オペラシティコンサートホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:読売日本交響楽団

[曲目]
第1部
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
久石譲/シンフォニア-弦楽オーケストラのための-
第2部
ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番 ニ短調 作品47

 

 

公式番組ホームページからの放送内容をご紹介します。

 

 

≪久石譲自作曲「シンフォニア」演奏!≫
1曲目は久石譲さんの指揮で、久石さん自作の「シンフォニア~室内オーケストラのための~」をお送りしました。

久石さん作曲の「シンフォニア」は、久石さんがおよそ30年ぶりに書いた純音楽の作品。現代音楽の作曲家として活動を始めた久石さんが得意とする、「ミニマル・ミュージック」という作曲スタイルが取り入れられています。

 

久石譲インタビュー

Q.「ミニマル・ミュージック」とは、一体どこに注目して聴けば よいのでしょうか?

久石:
このシンフォニアというのは全3楽章から出来ていて、1楽章目が「パルゼーション」。これは「パルス」ですね。四分音符のタン・タン・タン・タン、八分音符のタン・タン・タン・タン、三連符のタタタ・タタタ、十六分音符のタタタタ・タタタタ。そういう色々なものがただ組み合わされて、パーツで見ると何をしているか非常に明解な曲なんですね。それから2曲目の「フーガ」というのは、朝礼で使われる「ドミナントコード」というのがあるのですが、この和音ばかりを繋げて出来ています。普通ドミナントいうのは必ず解決しますが、これは解決しないまま次々と行ってしまうんですね。3曲目の「ディヴェルティメント」は、「ミニマル・ミュージック」と「古典」の音楽を融合させています。テーマは単純に第九のモティーフと一緒です。これを使って出来るだけシンプルに構成する。僕がやっているミニマル・ミュージックというのはあくまでもリズムがベースになるんですね。それを徹底してやろうと思いました。

 

Q.「崖の上のポニョ」や「さんぽ」を書いた久石さんと、「シンフォニア」を書いた久石さん。 同じ方が書いたとは思えない作風の違いですが、作曲するうえでスタンスの違いはあるのでしょうか?

久石:
どちらが大変かと言ったら、確かに物量的におたまじゃくしの数が多い方が書く大変さに比例するんですね。大量の音符を扱う分だけ時間は掛かるし手間隙が掛かります。ただし「ポニョ」や「さんぽ」でもああいう曲を書くとなると、その大元が新鮮でなかったら誰も歌ってくれないんですね。方や「シンフォニア」のようにものすごく構築して自分の世界観を出すのも、シンプルに書くのも同じくらい大変なんですけど、どんな場合でも今作ろうとしている音楽にちゃんと命が吹き込まれて楽曲になるまでを考えると重みは一緒だと思います。だからこそチャレンジしています。

 

≪ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」≫
2曲目は、ドビュッシー作曲「牧神の午後への前奏曲」をお送りしました。

Q.久石さんは“作曲家”として「ドビュッシー」をどのように とらえていますか?

久石:
この曲は小節数にするとそんなに長いものではないんですが、この中に今後の音楽の歴史が発展するであろう要素が全部入っていますね。音楽というのは基本的に、メロディー・ハーモニー・リズムの3つです。メロディーというのはだんだん複雑になってきますから、新しく開発しようとしてもそんなに出来やしないです。そうすると「音色」になるわけです。この音色というのは現代音楽で不協和音をいっぱい重ねて特殊楽器を使ってもやっぱり和音、響きなんですね。そうするとそっちの方向に音楽が発達するであろう出だしがこの曲なんだと思います。20世紀の音楽の道を開いたのはこのドビュッシーの「牧神」なんじゃないかなと個人的にすごく思いますね。

(読響シンフォニックライブ より)

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン 1994年4月号」久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/07/02

音楽雑誌「キーボード・マガジン 1994年4月号」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

”脳と心”というテーマの今回の方が内容がウェットな分だけ、音楽は非常にドライなアプローチでいこうというのはありました

自分の感覚でかけたいBGMとして成立するよう気を付けた

●NHKスペシャル「驚異の小宇宙・人体」は内容もさることながら、映像も音楽も素晴らしかったですね。久石さんは、前回から音楽を担当されてますが、今回リリースされたアルバム『脳と心 BRAIN&MIND サウンドトラック VOL.1』はその続編のサントラということですよね。今回はテーマも”脳と心”という、かなり難しいものですが、いかがでしたか?

久石:
「前回の方が非常にヒューマンでメロディックにいっちゃったんでね。でも、きっとNHKとかレコード会社の人達っていうのはあのラインを望んでたと思うんですよ。だけど、やっぱり同じ路線を2回やるとね、良くて前くらいね。越えることはほとんど不可能なんで、アプローチはやっぱり変えなきゃいけないと思ってたんです。結局”人体”っていうのは肝臓だとか、腎臓っていう部品というか、部分をやってる分には確実にできるんだけれども、”脳と心”っていうのはね……どうやって人を好きになるのかっていうような、非常に抽象的な世界に入るんですよ。」

「ただ、脳の問題を扱わない限り人体はわからないっていうのはあって、いつかはやろうという話はしてたんです。だけど、基本的に実体があまりないもんだから、いわゆるメカニズム的な実体の追及が非常に難しい分だけ、今回のもやっぱりどちらかというとヒューマン・ドキュメントみたいになっちゃってるんだよね。つまり、例えばどこかに障害を持ってる人が出てたりとかね。」

 

●実際、番組ではそういった人々が実例として登場しますね。

久石:
「そうそう。ああなってしまうと、一歩間違えるとヒューマン・ドキュメントになってしまって、科学番組にならない。実際、そういう傾向があったんでね。前回は非常に科学番組的なニュアンスが強かったんで、音楽はヒューマンに攻めた。だけど、今回はヒューマン・ドラマになってる分だけ、音楽は非常に引いてね、もっと違ったアプローチでいこうと。ただ端的に言っちゃうと、クールな気持ちっていうかね、突き放したアプローチっていうか。そういう方が多分、良くなる。もうひとつ言うと、”脳と心”っていうテーマの今回の方がウェットな分だけ、音楽は非常にドライなアプローチでいこうというのはありましたね。」

 

●実際の映像はどの程度ご覧になってから、お作りになってるんですか?

久石:
「ほとんど見てないです。それと同時に、状況的に今回はロンドンで作らなければならないということもあったんでね。映像はもうほとんど勘でやってます。」

 

●ロンドンで作るっていうのは久石さんのスケジュール的なものですか?

久石:
「ええ、他の仕事との絡みもあって。もうこのままロンドンで、それこそソロ・アルバムとの絡みもあったんで、とにかくロンドンでやろうと。そういうことが基本にあったんで。逆に、変に日本人的情緒に流されないで済むから、きっといいものができるだろうっていうのもありましたね。実際の話、向こうに行って……日本の音楽レコーディング業界とその状況と、ロンドンのレコーディング状況ってやっぱり違うんですよね。日本は、もうどうでもいいものまで全部デジタル、デジタルって言ってる。でも向こうはまだデジタル・レコーディングって、ほんとに2割か3割だから。だから、ヒューマンな味っていう意味で言うとね、逆に内容が非常にハウス的であったりとかいろいろしてても、アプローチとしての音の肌触りは暖かい方がいいんで、あえてアナログで全部通すとかね。そういうような方法は、いろいろ細かくやりましたね。」

 

●こういったドキュメンタリーなどの音楽を手掛けるにあたって、いつも心掛けていることってありますか?

久石:
「基本的には、アルバムとしてまずキチンと聴けることっていうのがありますね。音楽的にまずしっかりしていること。それからもうひとつ、ファンタジーっていうか、いろんなことを想起できるような内容にするっていうことですか。その2点にすごく気を付けてますね。だから、例えば今回の場合は、いかにもNHKというようなヒューマン・ドキュメントみたいなものよりは、自分の部屋で、自分の感覚でかけたいバックグラウンド・ミュージックとして成立するようにするっていうことに気を付けたんですよ。それこそ、そのまま”人体”って言っちゃったら、なんか「人体だ? どんくさいなぁ」みたいな感じがするけど、”BRAIN&MIND”っていうことでひとつの環境……バックグラウンド・ミュージックっていうふうにとらえても、絶対聴けるものをっていうのはすごく意識して作りました。そのくらいやらないと、前回と変化がないですしね。」

 

●実際に音楽を付けた完成版をご覧になってると思うんですけれど、感想はいかがですか?

久石:
「やっぱりこのアプローチで良かったなっていう気がする。そうしないとけっこうベタベタした関係になっちゃうと思うんですよ。前回みたいなね、ヒューマンな音楽が入るとね。だから、このくらいのアプローチをしておいて、ちょうど全体が良くなった。僕が作った音楽と映像がけっこうよく絡んでるんで、すごく満足してますけどね。」

 

●実際あの映像と久石さんの音楽が、本当に素晴らしい効果を上げていると思います。

久石:
「ありがとうございます。こういうような質がある程度保てたものを、キチンと手を尽くしていかないとね。今、TVってどうしてもお手軽なものになり過ぎてるから、あんまりTVはやりたくなかったんですよ。だから、こういう良質なものがあれば、キチンとやっていこうっていうことでね。こういうのをやらせていただくと、こっちもすごく嬉しいですよね。今、映画がね、すごくつまんなくなっちゃったから、内容的にね。その分、こういう質のいい番組とかってやっていかないと、つまんなくなっちゃうような気がするよね。」

 

ソロ・アルバムには足掛け3年もやってます

●ところで、久石さんのソロ・アルバムの方はいかがですか?

久石:
「ぜんぜんダメです(笑)。」

 

●いつ頃から着手されてるんでしたっけ?

久石:
「一昨年の10月かな(笑)。そう、今井美樹さんのロンドンでのプロデュースが終わって即レコーディングに入って、それからまあ、やってたはずなんだけど。途中でいろいろと、映画だとかねなんかがごちゃごちゃしてて、今日までまだ。でも、珍しいんですよね。いつもね、3,4曲できたら、もうアルバムに入って、ガッと終わってんだけど。珍しく、もう20曲を越えてるのに、まだ入りたくないっていうか、入れないっていうか……。」

 

●それは、自分の中の問題ですか?

久石:
「うん、中の問題だね、根本的に言うと。だから、たとえば今ソロに入ると、「あっ、『プリテンダー』ってアルバムを越えないな」とかね、自分の今までの「あ、ここまでだな」っていうのが見えちゃうんですよ。で見えちゃうとね、けっこうそこに飛び込めなくなるね。ソロ・アルバムなんて、結局どこかで覚悟みたいなものじゃないですか。自分で「これはもう、こうだ」と、「これが、正しい」と思えば、もう何も問題ないことなんだけれども、「果たしてこれでいいんだろうか」とかね、「自分とは何だろう」って考えた瞬間からそれに対して、確信犯にならない限りは、制作に入れない、そういう感じはする。だから、逆に今回の「脳と心」とか、映画の「水の旅人」だとか、あるいは中山美穂さんのための曲っていうのは、そういうものを与えられてっていうか、決めて、それに作曲家としてアプローチ、あるいはプロデューサーとしてアプローチするには、何にも支障ははないんですけどね。その辺が難しい。」

 

●「今、自分が作るソロ・アルバムだ」というのが、一番の問題というか、大きいわけですね。

久石:
「大きいよね。でも、一日一日と日が経つにしたがって、難しくなっていく気がするよね(笑)。早くやっちゃわなきゃと思うんだけど。でも今年は、それも入れて2枚やりますよ。その、足掛け3年やってるヤツを早目に決着つけて。で、その後に『ピアノ・ストーリーズ』を、再び完全なソロでね、”パートII”を出す予定ですから。やらなきゃいけないことはいっぱいあるんだけどね。」

 

●今は何に着手されてるんですか?

久石:
「今はね、某国営放送の(笑)、この「人体」じゃないですけども、朝の連続ドラマ(の音楽)っていうのを引き受けちゃったんでね。」

 

●春の新番組ですね。

久石:
「4月からの。「ぴあの」っていうタイトルなんで、「これはもう、ピアノで弾くしかないでしょう」みたいなのがあって(笑)。それのテーマを作ってるところかな。でも、飽きちゃうよね。絶対飽きると思うね、自分で(笑)。」

(キーボード・マガジン Keyboard Magazine 1994年4月号 より)

 

 

 

補足です。

インタビューに出てきた作品をピックアップします。

 

話の中心となっていたのはこのCD作品です。

久石譲 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体II 脳と心/BRAIN&MIND サウンドトラック Vol.1』

Disc. 久石譲 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体II 脳と心/BRAIN&MIND サウンドトラック Vol.1』

 

その前作がこちら。

久石譲 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体 Vol.1』

Disc. 久石譲 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体 サウンドトラック / THE UNIVERSE WITHIN 』

 

当時制作中だったソロ・アルバムというのがこちら。

地上の楽園

Disc. 久石譲 『地上の楽園』

 

 

インタビューのなかに前作を越える越えないの例えで出てくるのが、ソロ・アルバム『PRETENDER / プリテンダー』(1989)です。でも、この時点で前作に位置するのは『MY LOST CITY』(1992)。新作に向けた構想のなかで、『MY LOST CITY』のようなシンフォニックな作品ではなく、前衛的なサウンドかつヴォーカルも絡めた作品になるというイメージがこの時すでにあったのかもしれませんね。

そして、ソロ・アルバム制作期間のなかで、同時進行で手がけていたのが映画『はるか、ノスタルジィ』(大林宣彦監督)、『ソナチネ』(北野武監督)、『水の旅人 -侍KIDS-』(大林宣彦監督)などです。ちなにみ中山美穂さんは映画主題歌を歌っていました。「あなたになら…」という曲名で、久石譲コンサートではオーケストラによるシンフォニックな「For You」という楽曲でたびたび披露されています。

今も変わらぬ怒涛のような音楽制作年表は1990年代ディスコグラフィーにて。

Discography 1990-

 

今井美樹さんのオリジナル・アルバムにして久石譲プロデュース作品。

今井美樹 flow into space

Disc. 今井美樹 『flow into space』

 

NHK連続テレビ小説「ぴあの」

久石譲 『ぴあの オリジナル・サウンドトラック Volume 1』

Disc. 久石譲 『ぴあの オリジナル・サウンドトラック Volume 1』

 

そして、結果的には1-2年遅れて満を持して結実したピアノ・ストーリーズ。

久石譲 『PIANO STORIES 2』

Disc. 久石譲 『PIANO STORIES II ~The Wind of Life』

 

インタビューで話題にあがった作品をピックアップしただけでも、こんなにもバリエーションに富んだ音楽を一人の作曲家が作っているとは思えないほど。しかも1990年代だけで、もっというと1994年前後の数年間だけで。

ぜひこのなかから気になった1枚でも聴いてみてください。

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年1月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/07/01

音楽マガジン「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年1月号」に掲載された、4ページに及ぶ久石譲インタビューです。

 

 

HARDBOILED SOUND GYM by 久石譲

第1回 熱烈OPEN記念インタビュー
「久石譲のPOP断章」

ボクたちにとって音楽には好きな音楽と嫌いな音楽、この2種類しかない。どうでもいい音楽…? それはどうでもいい。要は、好きな音楽をもっと楽しむためには、そしてもっと好きになれる音楽を自分でどう創り出すか。そのためにはまだ獲得できないでいるいろんなテク、これをなんとか手に入れたい。そこでっ!当編集部では、スーパー・コンポーザー久石譲氏の門を叩くことにした。今回はそのイントロダクション。久石氏の音楽観を伺ってみることにした。

 

■久石さんの音楽的な姿勢
それまでの流れを変えるような音楽を作りたい

-久石さんがミニマル・ミュージック以前に影響を受けた作曲家、お好きな作曲家というと、どんな人たちなんですか。

久石:
「それはもう大勢いるんだけど……、たとえばブラームスも好きだったし、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンも好きだったし。日本人で言えば武満徹さん、松村禎三さん、三善晃さん…みんな研究したからね。過去、勉強で深く聴いた場合もあるし、この楽曲が好きだからと研究したこともあって、影響ということでいうと、ほんとにいろいろある。でも、ミニマル以前で、まぁ、けっこう好きだったりした人と言えば、ジョン・ケージだろうね。思想的な影響を受けたのはケージ。シュトックハウゼンには、そんなにのめり込まなかったね。非常に理論がはっきりしていてそれを前に押し出すというか、それによって変革している人たちは好きだった。それは、今、ロック/ポップスに対しても変わらないのね。ボクがポップスでやりたいことっていうのは、それまでの音のあり方が変わっていく人が好きなわけで、変わるようなことをやりたい。

すごく身近な例で言えば、ザ・パワー・ステーションによってドラムの音が変わったでしょ。理論的にはたいしたことないんだけど、変わった。あるいは、YMOが出たことによって、テクノ・ポップという感じで変わった。あのベースになっていたものがクラフトワークであろうとなんだろうとね。ボクはクラフトワークにもすごいショックを受けたけどね。

ともかく一つのエポックになってスタイルを変換できる力のある音楽というのがすごく好きなんだ。その姿勢は現代音楽にいたときも現在も変わらない。」

 

-その姿勢が基本にありながら、でも、たとえば映画のサウンドトラック、アニメーションのサウンドトラックなどの場合はどうなんですか。

久石:
「歌ものでない限りまったく同じ。まったく規定するものはない。いつもフリーな気持でやってるよ。」

 

■作曲家の領域、聴き手の可能性
音楽は理論だけでは説明つかないけれど…

-音が頭の中で鳴るというのはどういうことなんでしょうか。ボクらはいつも、実際にレコードから聴こえてくる音を追ってアーティストの頭の中まで入り込み、それをなんとか言葉に置き換えようと考える。でも、いつも、言葉や譜面からこぼれ落ちているものがあり、それに気づきながら、それをフォローする方法を模索し続けているようなところがあるんですね。

久石:
「まず、”その瞬間”ボクらの頭の中に浮かぶものって、ボクらの頭の中でも不定形だよね。しかもそれが毎回同じ要領で浮かんでくるわけじゃない。これは言葉に置き換えられるような作業とは別のところで動いているものだと思う。すると、やっぱり何か伝え切れない、ボクらにしても。この曲のこのかんじが浮かんだ核はと考えたとする。でもその浮かんでる瞬間というのは何も考えてない、真空状態と同じ。ただ、ある瞬間、たとえば指がアルトに触れた瞬間、シンセで音を捜しているとき、たまたま鳴ったその音をおもしろく思ったそのとき。これを後でなら、その瞬間のことを思い出して理論は組み立てられる。高い音があって低い音がこうあって、真ん中はなかった。だからちょうどその音でサウンドが構築できた、とか。でも作ってるときというのは、もっと違うところで動いていると思う。」

 

-たぶんそういうものでしょうね。でも、理論で説明できそうなことや、テクニカルな点から解明できそうな部分がまだまだそのままの状態にあるような気もするんです。

久石:
「はっきり言ってテクニカルなことでこなせる部分でできなくって、思ってる音に行きつけない。そういうものに対しては完全にアドバイスできるよね。」

 

-そういう点をボクらはもっと開拓して行きたい、と考えているんですが…。

久石:
「作家のフィールドというのがある。それは作家一人一人の独占的な部分だけど、本来それは言葉に置き換えるのはラクなんだよね。ボクなんかは理論的なタイプのほうだから、説明しやすい。でも、ふつうのメロディー・メイカーの多くは、何も言えないかもしれないかもしれないけどね。

それと、創作の上で、絶対言葉で表現できないことってあるんだ。絵にしろ何にしろ。でもそこは、だから作家の領域だと言って聖域視してそのあいまいな部分をそのままにしていたら何も始まらないんでね。だから、理論的であるっていうことは、絶対言葉に置き換えられるってことだし。かなりの部分。自分なりにつきつめているつもりでいるから、それはできると思う。」

 

-歌になるとどうでしょう。ポップスの名曲に関する普遍的な要素をファイルしていくようなことができないかとも考えるんですが。

久石:
「うん、歌ものっていうことになると、比較的理論が成り立ちづらい。というのは、まず音楽というのは、完成度が高くて次元が高ければ、やっぱりいい音楽なんだ。」

 

-インストゥルメンタル、器楽曲ですね。

久石:
「ん。ところが、歌になると、プラス詞の要素、歌う歌手のキャラクターが入ってくる。すると、優秀な楽曲と詞があって、歌手もうまい。それじゃヒットするかといったらそうじゃない。もっと別な要素が入ってくる。だから音楽理論だけでは説明できないことも出てくるんだよね。」

 

■コード・ネームの限界
コード・ネームは響きの可能性を規制する?

-まず手始めに、コード・ネームと和音の関係をどう考えればいいのかを教えてください。ポップスのフィールドでは、コード・ネームを手がかりに作られていく音楽がたくさんありますね。そしてそれらの現場では、コード・ネームによって実際に鳴らされる和音はさまざまである、と。

久石:
「ボクもずっとコード・ネームは使ってるけどね。でもボクは、コード・ネームと和音は違うと思っている。Cはドミソだけど、そのCと書いてしまうドミソとドとミとソは違うんだ。だから、それは確実に使い分けている。

コード・ネームというのはそもそも両刃の剣で、単なる記号としてはいいんだけど、記号性があるものほどニュアンスはふっとばしてしまう。

たとえば弦のアンサンブルで考えてみようか。弦の場合、ドミソという和音はくっついて団子になった状態だと鳴りが悪い。だから当然一番低いド、オクターブ上のド、5度上のソを鳴らして、それから6度上のミを鳴らす。

これは確かにコード・ネームで言えばCなんだけど、ふつうのCでくくられるCとは意味が違ってくるよね。もっと言えば、そこに同じCでも”レ”を入れておいてもいいわけなんだ。それでもCなんだ。ふつうはレが入れば9thとか+2とか言うけれど、でも、それは、ただたんに9thと言った場合の9thと、この場合に”レ”が入るというのとはほんとは違うんだ。ドードーソーレーミと鳴らして、Cの”鳴り”を作ったとしても、Cというコード・ネームはそういうニュアンスまで伝え切れないでしょ。」

 

-そういうふうに音を配分することは、なんて呼ぶんですか?

久石:
「単に”音の配置”。だからコード・ネームでしか書けない人は、その程度の音しか出せないから、つまんないよね。」

 

-とすれば、1つのコード・ネームから、いかに豊かな音を鳴らせるかが、プロとアマの分かれ目ということになる…?

久石:
「ところが、たとえばCーFーG7ーCというのがあったとする。それは、実はそういうふうに行かなくてもいいんだ。基本的には。だって目の前には茫洋といろんな音がある。なのにそれをいつのまにか理論によって規定されたところで使っていることになる。

ところが、理論というのは、それをとっぱらったところにも面白味はあるわけだ。すると、コード・ネームというのは便利なもので、音楽が商業ビジネス化していく上で大きな功績はあったんだけど、切り捨てたものも大きいという気がするね。

だから、今でもボクが大切にするのは手クセなんだ。Cと書いてあったら、もう自然に右手の配置がシーレーミーソと弾くことが当たり前になってたり、あるいはシーレーミーラになってたりとか……。で、これは、単純にモードと片づけて欲しくない部分っていうのが出てくる。難しい問題だけどね。一人ひとりの感覚でえらく違っていいと思うし。

ボクはスタジオ・ミュージシャンの人をあまり使わないんだけど、それは、そういうことまで指定しきれないから。つまり、けっきょく自分でシンセでやっていったほうが、そういうニュアンスが出やすいということになる。」

 

-そのニュアンスを出すのは手クセ…、つまりその音の配置というのはその人の好みということでしょうか。

久石:
「響きに対する好み、だよね。ただ、ボクの場合は今、リズムを主体にしていてコード・ネームにはほとんどこだわってないから、譜面にはCーFーG7としか書いてなくて、ただし、素直にその音を弾く人は使わない、とか、そういう非常に単純なことしか考えていないんだけどね。」

 

■ストリングス・アレンジについて
弦というのはひと筋なわではいかないけれど

-ボクらはつい一言でストリングス・アレンジと呼んでしまうんですが、そのとき、生のストリングスを使うときと、シンセのストリングスを使うときでは、どのくらい考え方が違うんですか。

久石:
「うーん。共通する部分もあるし、違う部分もあるね。」

 

-その両者の使い分け方はどういうふうに決めるんですか。

久石:
「シンセがいいと思えばシンセ、生がいいと思えば生にするし……。フル・オーケストラがいいと思えば、日フィルとか東フィルを使うこともあるし、あるいは弦のスタジオ・ミュージシャンを使うこともある。そして、サンプリング楽器で弦をやるときもあれば、プロフィット5でやるときもあるし。それはもうどういう音楽を望んでいるかで全然変わるからね。」

 

-それぞれ持味があって別のものだ、と。

久石:
「うん。というか、パレットだからね。何種類あってもいいよね。それを全部同じパターンで書くヤツがいたら、それはたまんなくイモということになるよね(笑)。」

 

-となると、久石さんに生のストリングス・アレンジの秘訣を教えてもらったとしても、それをそのままシンセ・ストリングスのアレンジ法には応用しにくいということになりますか?

久石:
「うーん…。その前に、生のストリングス・アレンジをする上で、どうしてもうまくいかないポイントがあったとしたら、その解決法は教えてあげられると思う。」

 

-漠然としていては答えられない、と。

久石:
「ケースが変わると全部音が違ってくるからね。それと、ボクは生まれてこの方、生のストリングスをダビングで2回重ねて作っていったことは1回もないからね。全部”生”!」

 

-1発!?

久石:
「ただ、とっておきの話があるんだ。以前、ある仕事でスタジオに弦を仕込んだらどこかで間違えて、ダブル・カルテットが入っちゃってね。ほんとはもっと大きな編成を頼んでたんだけど、えらく人数が少なくなっちゃった。でも、その編成が鳴らした音はまったく大きな編成でやったものと変わらなかった。そのときのスタッフはみんな、6 – 4 – 2 – 2の編成で、盛大に人がいる、と思ってた。」

 

-そういうテクニックもある!?

久石:
「うん。書き方なんだけどね。ただこういうのは、ボクなんか4歳か5歳の頃からバイオリンをやってるから、弦の響きの良さを出すポイントがどこにあるか知ってるわけ。

たとえばCーdurで良く鳴る配置(音符の配置)を単純にDーdurに上げたら、もう鳴らない。全然ダメなんだ。開放弦の問題も出てくるしね。開放弦にいかに引っかけるか。」

 

-開放弦を音の配置の中にいかに組み込むか、ですね。そうなってきたとき、たとえば数ページのマニュアルでポイントを押さえるというのはちょっと難しい。

久石:
「KBをやってると単純だからね。半音ずつずり上げていけば同じ音がすると思っちゃう。ところがとんでもない。弦というのはとんでもないよ。

だから、おそらく優秀な人がボクのところに弟子みたいに入ってきても、3年やっても無理でしょう。裏返せば、すっごい素質のある人なら半年で一丁前に書けるかもしれないけどね。」

 

■オーケストレーションとは
オーケストラには、なぜいろんな楽器が使われるのか

-すると、それが管弦楽にまで発展させようとしたらもっとたいへんになっちゃうでしょうね。でも、たとえば、ラベルの管弦楽曲は、もともとはピアノ曲という場合が多いと思うんです。それならば、ラベルのピアノ曲と管弦楽曲を対比させて、彼の管弦楽法から、シンセ・ストリングスや、シンセ・ブラス”鳴らす”コツをいくつか引き出せないか、などと考えているんですが……。

久石:
「だいたい作家というのは自分に手になる楽器で曲を作っていく。ボクらはKBで先に曲を作る。ラベルにしても、あの人はピアノの達人だからピアノから作っているだろうね。で、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を管弦楽曲に仕上げた。といっても、そこには、その作品がいい作品だ、という以外にそんなに深い理由はないと思うんだ。しかも、その”いい作品”というのも、自分の管弦楽の色彩をバッと人に聴かせるのに都合のいい曲だ、と。むしろあれほどのナルシストだからほんとに自分のことしか考えていなかったんじゃないかな。だから平気で「ボレロ」なんか作るわけ。

「ボレロ」というのは単純でしょ。メロディーが単純で繰り返していくから耳はどうしても音色にいく。う~んときれいなメロディーで盛り上がるわけじゃないから、もうオーケストラの技術で盛り上げるしかない。で、そういう圧倒的な自信があったから、ああいうチャレンジをし、しかも応えてしまった。」

 

-すると、オーケストレーションというのは、音色の組合せ方と、音の配置の仕方ということになる…。

久石:
「いいオーケストレーションというのは、ピアノとまったく違うんだ。これはもうボクらもそうだけど、学生時代に、たとえばベートーベンのピアノ・ソナタをオケにするという課題がある。そして、そのときピアノの音をオケに移し変えるということをする。そうすると鳴るハズがないんだ。オーケストラになぜ木管があり、金管があり、弦があるのか? ただ、ピアノの音域を移しただけだったら、鳴らない楽器さえ出てくる。」

 

-鳴りが悪いというか、場合によっては音を出せない楽器もでてくるわけですね。

久石:
「オーケストラには小さな音もあれば大きな音もある。独特の音の世界の重ね合いなんだ。そこが難しいところでね。」

 

-まず、そういう大前提を踏まえていないと話にならないというところですね。

久石:
「だから、KBをやってる人は、なんでもいいから、生楽器をひとつマスターしておくといいね。」

注)
Durは長調の意味。C-durはハ長調、D-durはニ長調。

(「KB SPECIAL キーボードスペシャル 1988年1月号」より)

 

 

Blog. 久石譲ソロアルバム『ETUDE』 音楽制作秘話 (久石譲著書より)

Posted on 2017/05/25

久石譲オリジナル・ソロアルバム『ETUDE』(2003)の音楽制作秘話です。エチュード(練習曲)をコンセプトにした渾身のピアノソロアルバム。

映画音楽などは各メディアインタビューも多く音楽についてのエピソードや想いを語った記録も豊富です。それだけにソロアルバムについての貴重な音楽制作エピソード。「35mm日記」(2006・久石譲著)に収められた秘話です。

 

 

「ETUDE」

02年の4月から、およそ1年間かけて完成させたのが「ETUDE」というアルバムだ。

13曲書いたが、最終的に3曲をボツにして10曲。それを週に1回、2曲ずつ東京オペラシティに通ってレコーディングした。これはボクにとって特別な作品で、ソロアルバムとしては、「My Lost City」と並んで自分の代表作だと思っている。その後に手がける「ハウルの動く城」や「ワールド・ドリーム・オーケストラ」(WDO)などにも影響を及ぼすことになったわけで、音楽的な面でも意味の大きいアルバムだ。

「ETUDE」は、それまでのいわゆる「久石メロディ(?)」とは異なり、ポップスフィールドに入るかどうかという意味ですら、ギリギリに位置する音楽と言える。

このアルバムを完成させたとき、はっきり自覚したことは、作曲家として「作品として形を残そう」という意識が自分の中で強くなってきている、ということだった。作家性を意識しながらも商業音楽のベースを外さず仕事をしていた作曲家が、「作品を残したい」という意識を強く持つことは、ある意味レールの外にはずれてしまうのかもしれない。

しかしボクは、またもとの道へ戻ることを拒否することで、新しい音楽的境地へ向かった。そうして誕生したのが後に続く「WORKS III」の「組曲DEAD」や「ハウルの動く城」だった。

アルバム「ETUDE」は、すべてオリジナルの10のピアノ曲で構成されている。「エチュード」とは「練習曲」とう意味だ。ショパンの「エチュード」が24曲で構成されているように、本来、すべての調(全24調)で書かれて「エチュード」は完成となる。だから、このアルバムは未完成で、現在10曲あるからあと14曲、書かなければならない(これはいずれ近いうち、発表したいと思っている)。

なぜ、この楽曲が「ぎりぎりのポップス」だとボクは思うのだろうか? それについて少し説明すると、ピアノにおける「ポップス・ミュージック」はたいていの場合、右手でメロディ、左手で和音というスタイルをとる。それは、アンドレ・ギャニオンであろうと、リチャード・クレイダーマンであろうと基本は同じだ。ただ、そのやり方だと、多少上等なコードやメロディを使ったとしても、ワンコーラス、ツーコーラスと進むにつれて、ストリングスやフルートなど他の楽器の助けが必要になってくる。自分自身、そうした「もたせる」楽曲づくりは随分やってきたが、それには抵抗があった。

そこで、クラシカルな方法論である「エチュード」を導入することで、たとえば半音階やスタッカートなど、ピアノの技術そのものを追求する、明快な基本コンセプトが出来る。その上で小さなモチーフを変奏していくことでワンコーラス、ツーコーラスというメロディのくり返しではない一貫した世界も表現できる。たとえば「MONOCHROMATIC」は、半音階が続く曲。それによっていわゆるポップスらしいピアノとは一線を画することになる上、楽曲としてはより音と音との結びつきが強固になる。ただコンセプトは明快なのだが、ピアノの技術がより難しくなり、演奏者(ボク自身)のことを考えず欲しい音を書いたこともあって、レコーディングを含めた完成までには実に1年がかりの作品となった。

ここまでは技術面での話だが、そうした技術、手法を含めて、全体として何を言いたいのか、という内容の問題がある。この時代に、いったい何を言うのかという問いだ。

「ETUDE」は、非常に孤独な世界観のアルバムとなった。つくり手と聴き手が1対1で対峙するようなギリギリの精神世界だ。

このときのボクは、グレン・グールドのように白と黒だけの世界に浸っていた。曲を書こうと思っている意識の世界から、次第に無意識の世界に引き込まれていく。

頭でこうしたい、というのではなく、あるフレーズが積み重なるとき、楽曲が自然に動かされていく。そして自分はただの媒介者になる。修行と同じく、自分を消していく作業だ。1日8時間、10時間とピアノを弾きながら、ひたすら自分を消していくのだ。「いつか、夢は叶う」というコンセプトは、苦しんだ作曲の過程で、それも5、6曲出来たころに、初めて浮かんできた。

もちろんそこには反語的表現が含まれている。夢は、切ない願望であって、必ずしも叶うものではないことをボクは知っている。だからこそ、叶うと信じて努力する過程に何かが見えてくるという、孤独な現代人への励ましのメッセージでもある。

物事をやっていくうちに初めて、大切なことが見えてくる、分かってくるということが、ボクの場合は少なくない。たとえ、当初思い描いていた構想や計画が変わっていくことがあっても、そこでつかんでいく世界には、重いリアリティがある。

こうして、ピアノの技法追求を縦軸に、楽曲の意味を横軸にして、初めて「ETUDE」の全体のコンセプトは完成した。ポップス・ミュージックとしては随分高度なものになったが、自分の作品をつくりたいという思いの確認を含めて大きな転機となったアルバムだ。

(久石譲 35mm日記 より)

 

 

Blog. 一つのテーマ曲で貫いた『ハウルの動く城』「人生のメリーゴーランド」誕生秘話 (久石譲著書より)

Posted on 2017/05/24

久石譲著書「感動はつくれますか?」(2006年)に収められた映画『ハウルの動く城』の音楽制作秘話です。メインテーマ「人生のメリーゴーランド」が生まれた瞬間のお話。貴重なエピソードです。

 

 

一つのテーマ曲で貫いた『ハウルの動く城』

メインのテーマ曲が登場する箇所は、普通それほど多くない。ところが『ハウルの動く城』は、それぞれアレンジを加えているものの、全三十三曲中の十八曲にメインテーマが登場する。

これは宮崎さんの意向だった。音楽打ち合わせのときに、僕が宮崎さんに言われたことは「徹底的に一つのテーマ曲でいきたい」という新たな注文だった。

すでにイメージアルバム『交響組曲 ハウルの動く城』が出来上がってからのことだ。『交響組曲 ハウルの動く城』は、名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が演奏し、トラックダウン(音の仕上げ)はロンドンのアビーロード・スタジオ。あのビートルズで有名なアビーロード・スタジオで録ったのである。しかも、エンジニアは、かつて僕の録音のアシスタントエンジニアだったが、その後出世して今ではジョン・ウィリアムズの『ハリー・ポッター』などをレコーディングしているサイモン・ローズなのである。その豪華メンバーにもかかわらず注文が出た。僕は少ししょげた。

二時間を一曲のテーマで引っ張っていく? これは大変な冒険である。確かに、メインテーマがそれ自体喜びにも悲しみにも聞こえるように作曲し、これをいろいろ変奏していこう、というやり方はある、それにしても、音楽全体からすれば三分の一がいいところだ。

宮崎さんが一番気にされていたのは、ソフィーが十八歳から一気に九十歳という年齢になる点だった。一足飛びに歳をとる。しかも、シーンによって微妙に若返ったり老けたりと、顔が変わる。それを、観る人にも一貫して同じソフィーの気持ちが持続するように、音楽に一貫性を持たせたいと仰った。明快である。『交響組曲 ハウルの動く城』ではソフィーのテーマも録音していたのだが……。僕はだいぶしょげた。

だが、音楽を担当する僕がどんなに長く一本の映画と関わっても、半年から一年くらいがいいところ。しかし、監督というのは企画の段階から関わっていると、短くても二年とか三年。宮崎さんの場合だと、四年も五年もその映画のことを考えてきている(アイディアからだと十-二十年ということもある)。その映画のことを最も知り抜いているのは、やはり監督なのである。それに対する尊敬もあるし、信頼もあるから、監督の求めるものは最大限に尊重すべきだというのが僕の映画音楽に対する基本姿勢だ。

だから、このときも気を取り直して、全体を貫くモチーフとなるメロディーを新たに作曲した。

この話し合いをしたのが二〇〇三年十一月。年が明けて二月、僕は三曲の候補を胸に、宮崎さんのアトリエに出向いた。いつもはデモテープで聴いてもらうのだが、このときは自分でピアノを弾いて聴いてもらうことにした。そのほうが良いと直感が告げた。

宮崎さんの仕事場である「豚屋」には、宮崎さんをはじめ鈴木敏夫プロデューサー、音楽担当の稲城さんたちが待ち構えていた。僕はものすごく緊張した。しかもあろうことか、宮崎さんがイスをピアノのそばまで持ってきて座ったのである。心臓の音が聞こえるのではないかと心配になった。

で、まずは一曲め。弾き終わると宮崎さんは大きく頷いて微笑んだ。鈴木さんもまあまあの様子。ほっと胸を撫で下ろす。ちょっと勢いのついた僕は三番目に弾く予定だった曲の順番を繰り上げた。

「あのー、ちょっと違うかもしれませんが、こういう曲もあります」

宮崎さんたちの目を見ることもできず、ピアノの鍵盤に向かって弾き出した。

そのワルツは、そんなに難しくはないのだが、僕は途中でつっかえて止まってしまった。まるで受験生気分なのである。最高の緊張状態で弾き終えたとき、鈴木敏夫プロデューサーがすごい勢いで乗り出した。眼はらんらんと輝いている。「久石さん、面白い! ねえ、宮さん、面白くないですか?」宮崎さんも戸惑われた様子で「いやー」と笑うのだが、次の瞬間、「もう一度演奏してもらえますか?」と僕に言った。が、眼はもう笑ってはいなかった。

再び演奏を終えたとき、お二人から同時に、「いい、これいいよー!」「かつてないよ、こういうの!」との声をいただいた。

その後、何回かこのテーマを弾かされたが、この数か月本当に苦しんできたことが、ハッピーエンドに変わる瞬間だったので、ちっとも苦ではなかった。

僕はこれまで何作も宮崎さんの映画音楽をつくらせてもらっているが、一度でもつまらない仕事をしたら、次に僕に声がかからないことは知っている。いつもそういう切羽詰まった気持ちで引き受けている。毎回が真剣勝負。苦しいのだが、この至上の悦びが全てを救ってくれるのである。

(「感動をつくれますか?」/久石譲 著 より)

 

 

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Blog. 「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/05/14

「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号 No.329」に掲載された久石譲インタビューです。

日常の創作活動のリズムから、作曲するうえでの方法論や姿勢、またちょっとした質問コーナーなど久石譲の音楽論を深く紐解ける内容です。

 

 

「音楽が生まれるまで……」 作曲家、久石譲

日本の音楽界をリードしつづける作曲家、久石譲。CMや映画、ドラマと、彼の音楽を耳にしない日がないほど、その音楽はさまざまなシーンで愛されている。「人を癒したいという気持ちで曲を書いているわけではない」と語る久石さん。しかし、次々と生み出される旋律は、私たちの心に安らぎを与え、明日への希望を持たせてくれる。

天才作曲家は、日々をどのように過ごし、どんなことを感じながら曲を作っているのだろうか? 久石譲の音楽の秘密に迫った。

 

久石譲の1日

1日のスタートは、いつも朝の10時半から11時の間。ベッドから抜け出すと、まずはお湯を沸かしてピアノに向かいます。そして、お湯が沸くまでの5分ほど、指をほぐすために自作の一番難しい曲を弾くんです。その後、ゆっくりコーヒーを飲んで、ごはんを食べてから会社に行きます。仕事を終えて自宅に帰るのが23時ごろ。会社ではもっぱら曲作りに専念しているので、コンサートで指揮する曲を勉強するのは、この後です。

7月に『展覧会の絵』とラヴェルのピアノ協奏曲、8月には『トリスタンとイゾルデ』、9月にマーラーの交響曲5番を指揮することになっているのですが、どれも大曲ばかりでしょう(笑)?

とくにマーラーは複雑でくせがありますから、そういったくせをなんとか解消して、お客さんが聴きやすくしたいなぁなんて考えると、他の交響曲まですべて勉強しなくてはならない。ですから、家に帰るとまずはクラシックのCDをかけて、ビールを飲みながらオンとオフのスイッチを切り替えるんです。最近は、オペラのアリア(とくにソプラノ系)を聴くと、すごく安らぎを感じますね。そうして、朝4時頃まで勉強すると、やっと1日が終わります。

ちなみに、朝会社に向かうときは、いっさい音楽は聴きません。これから音を生み出さなくてはいけないわけですから、何も頭に入れたくないんです。

日曜日は、毎週ジムで汗を流します。最近では空手も始めました。「毒をもって毒を制す」というわけでもありませんが、体を動かすことが僕にとっては一番のリラックス。一生懸命体を使うと、その間は何も考えなくていいですから。

20年間、ほぼ毎日変わらない生活。案外平凡でしょう!?

 

メロディーメーカーがひらめく瞬間

人によって癒しを感じる音楽のジャンルは違うと思いますが、メロディーの奥に、本来の孤独に裏打ちされた前向きな姿勢や、希望が持てるような何かを感じることで、人間は安らぎを感じるのではないでしょうか。

僕は、人を癒したいと思って曲を書いたことは1度もありません。曲を作るときには、どんなものを書こうかを頭の中で組み立てていくのですが、この作業はひたすら自分と向きあっていくしかない。映画音楽のようなメロディー主体の曲は、お風呂に入っているときや打ち合わせの最中に思い浮かぶことが多いです。逆に、しっかりとした構造のオケの曲を書くときは、考えたり組み立てたりする作業もすさまじく膨大なので、かなり時間がかかりますね。

まずモチーフがひらめいたとして、そのひらめきをひとつの曲にしようとしたとき、音と音を連ねて音型を作っていくのですが、どう連ねていくかによってまったく違う曲になってしまうので、非常に気を遣うところです。すごく地味で生みの苦しみを伴う作業ですから、癒しがどうとか、夕日がきれいなんて考えている余裕はありません(笑)。

たとえばベートーヴェンの『運命』も、「だだだだーん」とうメロディーを極限まで使い切っていますよね? ひとつのアイデアがひらめいたところで、そのアイデアをどういう形にすれば説得力がある形で聴かせられるだろうかと考える。そこからは、本当に純粋な作業です。

できるだけ無駄なくきちんと作れれば作れるほど、聴いてくださる方々が癒しを感じたり、イマジネーションが広がる曲になります。そのためには、こちらの変な思い入れを極力なくして、自分がいいなと思った素材や音型に見合うように、フォームを作っていく。そして、音楽的な機能美を追求していくこと。これが一番大事ではないでしょうか。

もうひとつ重要なのは、作家がその作品にどのような想いを込めたいかということ。それは、感情的なものの場合もあれば、非常に理想的で純粋な音楽的自然要求かもしれません。いずれにしても「こういうものを作りたい」という強い意志があるかどうかで、楽曲というものはすごく変わってしまうんです。

 

音楽が湧き出る秘訣!?

「こんなにたくさん曲を作っていて、イメージは枯渇しないのか?」とよく聞かれます。僕は恵まれていることに、〈忘れ方〉がうまいのかもしれません。常に先のことを見ているし、後ろを振り向くこともあまりない。いつもリフレッシュして切り替えることができます。もしかしたら、自分の作品に対しての愛着が薄いのかな!?(笑)作曲をするときはものすごく細かいくせに、作品が手を離れると意外にすこーんと自分の中から抜けちゃう。

一生同じ曲を見ていたって、いつまでも完成しないじゃないですか。今日はこれでいいと思っても、自身の成長に伴って手を加えたり、直したくなってしまうものです。それは仕方のないことですから、どこで見切るかを決めないと難しいですよね。

 

久石譲のいま、そしてこれから

これまでオーケストラ曲の楽譜は出していませんでしたが、今回初めてふたつのCDアルバム『ミニマリズム』と『メロディフォニー』の完全オリジナル楽譜を出すことになりました。4月に発売された『ミニマリズム』は、ミニマル・ミュージックのオーケストラ作品を集めたスタディスコア、そして5月に発売される『メロディフォニー』は、『となりのトトロ』や『おくりびと』などの映画音楽をフル・オーケストラ版にアレンジしたものです。6月からは『ミニマリズム』の楽譜レンタルもできるようになりますので、ぜひたくさんの方に僕の音楽を楽しんでいただければと思います。

また、5月からはポーランドのクラクフ映画音楽祭を皮切りに、東京・大阪で東日本大震災復興支援のチャリティーコンサートをおこないます。また現在、海外でも計画中です。

日々、被災された方々の生き様に勇気をもらっています。皆さんの姿勢を心から尊敬し、いま僕にできることを”一生懸命”努力したいと思います。

 

 

◇久石譲に聞く4つの質問

Q.作曲中に幸せを感じるときは?

A.1日中部屋にこもって曲を書いて、夜になると何がしかの曲が生まれているとき。その瞬間が一番幸せですね。もしかしたらこの曲を、日本中の人がいつか歌ってくれるかもしれない、あるいはずっと語り継がれる曲になるかもしれない。もちろん、認められるまでに思ったより時間がかかる可能性もありますが(笑)。その瞬間の感動に勝るものはありません。

Q.逆に、へこむことはありますか?

A.そんなの1日中です。だめだ、俺才能ないなって(笑)。1日のほとんどがそういう時間。そんな中で、ごくたまに、10回に1度くらい「俺って天才!」と思いますね(笑)。

Q.自作の中で一番気に入っている作品は?

A.ナウシカでおなじみの『風の伝説』ですね。僕の中でエポックになっていて、いつも初心に戻らなくてはと思う曲です。

Q.一番「よくできた!」と思う作品は?

A.それは、次回作でしょう。つねに、今作っているものが一番いい曲だと思いながら作っています。

(「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号 No.329」 より)