Posted on 2016/10/18
10月13,14日に開催された「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.3」コンサートです。2014年から始動した同コンサート・シリーズ(年1回)、今年で3回目を迎えます。コンサート趣旨・過去開催経緯など時系列での紹介は、下記コンサート・パンフレット解説にもありますのでご参照ください。
まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。
久石譲プレゼンツ ミュジック・フューチャー vol.3
JOE HISAISHI PRESENTS MUSIC FUTURE vol.03
[公演期間]
2016/10/13,14
[公演回数]
2公演
東京・よみうり大手町ホール
[編成]
指揮:久石譲
コンサートマスター/ソロ・ヴァイオリン:豊嶋泰嗣
管弦楽:Future Orchestra
[曲目]
アルノルト・シェーンベルク:室内交響曲第1番
Arnold Schönberg:Chamber Symphony No.1 in E major, Op.9 (1906)
久石譲:2 Pieces for Strange Ensemble *世界初演
Joe Hisaishi:2 Pieces for Strange Ensemble (2016)
1. Fast Moving Opposition
2. Fisherman’s Wives and Golden Ratio
マックス・リヒター:マーシー
Max Richter:Mercy (2010)
デヴィット・ラング:ライト・ムーヴィング
David Lang:Light Moving (2012)
スティーヴ・ライヒ:シティ・ライフ
Steve Reich:City Life (1995)
I. Check it out
II. Pile driver/alarms
III. It’s been a honeymoon – can’t take no mo’
IV. Heartbeats/boats & buoys
V. Heavy smoke
JOE HISAISHI
久石譲
-挨拶-
今年で3回めを迎えることができて、主催者として大変うれしい限りです。本来インディーズとして小さな集いでしか発表できない現代の楽曲をこの規模で行えることは、評論家の小沼純一さん曰く「世界でもあり得ないこと」なのだそうです。徐々に皆さんからの支持をいただいていることは、多くの優れた演奏家から出演してもいいという話をいただくことからも伺えます。新しい体験が出来るこの「MUSIC FUTURE」をできるかぎり継続していくつもりです。
-プログラムの楽曲-
シェーンベルクの「室内交響曲」、スティーヴ・ライヒの「シティ・ライフ」などの楽曲は、前島さんの解説をお読みください。
-自作について-
「2 Pieces for Strange Ensemble」はこのコンサートのために書いた楽曲です。当初は「室内交響曲第2番」を作曲する予定でしたが、この夏に「The East Land Symphony」という45分を超す大作を作曲(作る予定ではなかった)したばかりなので、さすがに交響曲をもう一つ作るのは難しく、それなら誰もやっていない変わった編成で変わった曲を作ろうというのが始まりでした。
ミニマル的な楽曲の命はそのベースになるモチーフ(フレーズ)です。それをずらしたり、削ったり増やしたりするわけですが、今回はできるだけそういう手法をとらずに成立させたい、そんな野望を抱いたのですが、結果としてまだ完全に脱却できたわけではありません、残念ながら。発展途上、まだまだしなくてはいけないことがたくさんあります。
とはいえ、ベースになるモチーフの重要性は変わりありません。例えばベートーヴェンの交響曲第5番「運命」でも第7番でも第9番の第4楽章でも誰でもすぐ覚えられるほどキャッチーなフレーズです。ただ深刻ぶるのではなく、高邁な理念と下世話さが同居することこそが観客との唯一の架け橋です。
ベートーヴェンを例に出すなどおこがましいのですが、今回の第1曲はヘ短調の分散和音でできており、第2曲は嬰ヘ短調(日本語にすると本当に難しそうになってしまう、誰か現代語で音楽用語を作り替えてほしい)でできるだけシンプルに作りました。
しかし、素材がシンプルな分、実は展開は難しい。どこまでいっても短三和音の響きは変わりなくさまざまな変化を試みるのですが、思ったほどの効果は出ない。ミニマルの本質はくり返すのではなく、同じように聞こえながら微妙に変化して行くことです。大量の不協和音をぶち込む方がよっぽど楽なのです。その壁は沈黙、つまり継続と断絶によって何とか解決したのですが、それと同じくらい重要だったのはサウンドです。クラシカルな均衡よりもロックのような、例えればニューヨークのSOHOでセッションしているようなワイルドなサウンド(今回のディレクターでもあるK氏の発言)を目指した、いや結果的になりました。
大きなコンセプトとしては第1曲は音と沈黙、躍動と静止などの対比第2曲目は全体が黄金比率1対1.618(5対8)の時間配分で構成されています。つまりだんだん増殖していき(簡単にいうと盛り上がる)黄金比率ポイントからゆっくり静かになっていきます。黄金比率はあくまで視覚の中での均整の取れたフォームなのですが、時間軸の上でその均整は保たれるかの実験です。
というわけで、いつも通り締切を過ぎ(それすらあったのかどうか?)リハーサルの3日前に完成?という際どいタイミングになり、演奏者の方々には多大な迷惑をかけました。額に険しいしわがよっていなければいいのですが。
1.「Fast Moving Opposition」は直訳すれば「素早く動いている対比」ということになり、2.「Fisherman’s Wives and Golden Ratio」は「漁師の妻たちと黄金比」という何とも意味不明な内容です。
これはサルバドール・ダリの絵画展からインスピレーションを得てつけたタイトルですが、すでに楽曲の制作は始まっていて、絵画自体から直接触発されたものではありません。ですが、制作の過程でダリの「素早く動いている静物」「カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽」が絶えず視界の片隅にあり、何かしらの影響があったことは間違いありません。ただし、前者の絵画が黄金比でできているのに対し、今回の楽曲作りでは後者にそのコンセプトは移しています。この辺りが作曲の微妙なところです。
日頃籠りがちの生活をしていますが、こうして絵画展などに出かけると思わぬ刺激に出会えます。寺山修司的にいうと「譜面(書)を捨てて街に出よう」ですかね(笑)
いろいろ書きましたが、理屈抜きに楽しんでいただけると幸いです。
久石譲
(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)
MESSAGE
from Composers
私の作品である「シティ・ライフ」が久石譲の指揮によって演奏されることをとても嬉しく思います。80歳になった今年、世界中でこの作品を演奏するプログラムが組まれていますが、純粋な”ニューヨーク・ピース”として日本の観客のために演奏されるのはとても嬉しいことです。楽しい夜になりますように。
スティーヴ・ライヒ
私の音楽が日本で、しかも久石譲さんの手掛けるコンサートで演奏されることをとても嬉しく思います。私の子供たちは久石さんの映画音楽を聴いて育ってきました。残念ながらコンサートに伺えませんが、私の音楽が今回のプログラムに入ることはこの上ない名誉です。ありがとう。
デヴィット・ラング
「マーシー」は、ヒラリー・ハーンのアンコールとして書きました。作品の出発点は、シェイクスピアの『ベニスの商人』の有名な一節です。
”慈悲というものは強制されず、大地をうるおす恵みの雨のように降りそそぐ:
与えるもの、そして受けるものに神の祝福があるのだ:
それは偉大なものの中で最も偉大なもの:
冠に勝る王;その統治は畏怖と威厳の力となり王に対する恐れ;
しかし慈悲はこの支配を越えた存在である;
王のような心において授けられるもので、神自身に属するもの;
この世の力が神の力に似通うとすれば正義に慈悲が伴った時だ。”
マックス・リヒター
(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)
「JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE vol.3」に寄せて
「MUSIC FUTURE」は、現代屈指のミニマル・ミュージックの作曲家であり、また指揮者でもある久石譲が、現代に書かれた優れた音楽を自らセレクトし、紹介していくコンサート・シリーズである。立ち上げに際し、久石が打ち出した方針は次の通り。まず”未来に伝えたい古典”というべき、評価の定まった重要作を紹介すること。併せて、久石より下の世代に属する注目の若手作曲家を必ず紹介すること。一人よがりの難解な語法で書かれた音楽ではなく、聴衆と高いコミュニケーション能力を持つ音楽を紹介すること。欧米で高い評価を受けながら、まだ日本で紹介されていない作品/作曲家を紹介すること。そして、作曲家・久石の作品を初演または演奏すること──。かくして、今回の「MUSIC FUTURE Vol.3」は5人の作曲家の作品を取り上げる。
新ウィーン楽派の創始者として知られるシェーンベルクは、一般的には”難解な現代音楽の作曲家”というイメージが強いかもしれない。だが、彼の《室内交響曲第1番》は、最小限(ミニマル)の手段による濃密な音楽表現を実現したという点で、久石を含む現代の作曲家たちにも大きな影響を与え続けている作品だ。今回は、「MUSIC FUTURE」の精神を100年以上も前に先取りした偉大な古典として演奏される。
今年10月3日に80歳を迎えたスティーヴ・ライヒは、アメリカン・ミニマル・ミュージックのパイオニアであり、また久石が敬愛する作曲家のひとり。今回は彼の代表作のひとつ《シティ・ライフ》が演奏される。この作品とシェーンベルクの作品が、編成や構成の点で類似しているのは、決して偶然ではない。日本では、プロの音楽家による《シティ・ライフ》の演奏は今回が初となる。
マックス・リヒターは、ライヒのミニマルや後述のラングのポスト・ミニマルに影響を受けて登場した、ポスト・クラシカルと呼ばれるジャンルの代表的作曲家。今年に入り、彼の代表作《ヴィヴァルディ「四季」のリコンポーズ》が日本でも初演され、がぜん注目度が高まっている。今回は、ヴァイオリンとピアノのための《マーシー》が演奏される。
ライヒより2世代ほど下に属するデヴィッド・ラングは、今年、彼が音楽を手掛けた映画『グランドフィナーレ』をご覧になった方も多いかもしれない。ラングがニューヨークで共同主催している現代音楽紹介のユニット「バング・オン・ア・キャン」は、いわば「MUSIC FUTURE」の先輩に当たる存在だ。今回は、ヴァイオリンとピアノのための《ライト・ムーヴィング》が演奏される。
そして久石が、本公演のために作曲した最新作を世界初演予定である。
開催3回目を迎えた「MUSIC FUTURE」を存分にお楽しみいただきたい。
前島秀国(「MUSIC FUTURE」アソシエート・プロデューサー)
(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)
PROGRAM NOTES
アルノルト・シェーンベルク:室内交響曲第1番 (1906)
Arnold Schönberg:Chamber Symphony No.1 in E major, Op.9
編成:
フルート/ピッコロ、オーボエ、コーラングレ、クラリネット 2、バス・クラリネット、ファゴット、コントラ・ファゴット、ホルン 2、弦楽四重奏、コントラバス
後期ロマン派の音楽が19世紀末から20世紀初頭にかけて爛熟期を迎えた結果、調性システムは曖昧になって機能しなくなり、楽曲の演奏時間はひたすら長大化の一途を辿り、オーケストラの楽器編成は100人を超える四管編成まで登場した。ラ・フォンテーヌの寓話「ウシになろうとしたカエル」のように、腹を最大限(マキシマル)に膨らませた後期ロマン派は、いつ破裂してもおかしくない状態にした。そのような時代の趨勢に反旗を翻すように、シェーンベルクは本作を最小限(ミニマル)の楽曲構成と楽器編成で作曲した。
通常、交響曲は4楽章形式で構成されることが多いが、この作品にはたったひとつの楽章しか存在しない。その楽章の中に、スケルツォ楽章に相当するセクションとアダージョ楽章に相当するセクションを挿入することで、シェーンベルクは多楽章形式のような構成感を打ち出そうとした。作曲者自身の分析によれば、全体の構成は〈I.提示部〉-〈II.スケルツォ〉-〈III.展開部〉-〈IV.緩徐楽章〉-〈V.フィナーレ(再現部)〉となっている。
楽器編成は、やや変則的な一管編成。当時の管弦楽法の常識では、管楽器の数が弦楽器の数を上回ることはあり得ないとされていた。シェーンベルクはその常識を覆し、管楽器奏者10人に対して弦楽器奏者5人という、型破りの編成を採用した。そうすることで、室内楽のような透明感のある響きを保ちつつ、大編成のオーケストラに勝るとも劣らない濃密な表現を達成することに成功している。
1907年に作曲者自身がこの作品を指揮して初演した際、客席の中から凄まじい怒号の嵐が巻き起こり、乱闘寸前の騒ぎにまで発展した。その中で敢然と拍手を送り続け、シェーンベルクを積極的に擁護したのが、他ならぬ後期ロマン派の肥大化を推し進めた張本人のひとり、グスタフ・マーラーだったというエピソードが残っている。
マックス・リヒター:マーシー (2010)
Max Richter:Mercy
編成:
ヴァイオリン、ピアノ
曲名は「慈悲」の意。ヴァイオリン奏者ヒラリー・ハーンが、26人の作曲家に演奏時間5分以内のアンコール・ピースを委嘱するプロジェクトの1曲として作曲された。リヒター自身の解説は別ページを参照のこと。なお、リヒターが筆者に語ったところによれば、リヒターはかねてから久石の音楽を敬愛しており、今回の演奏を非常に喜んでいるという。
デヴィット・ラング:ライト・ムーヴィング (2012)
David Lang:Light Moving
編成:
ヴァイオリン、ピアノ
この作品も、ヒラリー・ハーンのアンコール・ピース・プロジェクトの1曲として作曲された。ラング自身の解説は次の通り。「アメリカ音楽の巨匠になるずっと以前、フィリップ・グラスとスティーヴ・ライヒは、然るべき評価も報酬も得られない新進作曲家だった。ニューヨークに住んでいた2人は、生活費捻出のためにチェルシー軽運送(Chelsea Light Moving)という引越会社を始めた。私は以前から、この社名が好きだった。チェルシー地区の明減する街灯のような、詩的なイメージが感じられたから。だが、この社名に込められたもうひとつの意味、『俺たちは作曲家だ!思い荷物運びはお断り!』も気に入っている。本作品の柔らかい推進力から、当時の2人の様子が感じられると思う」。
スティーヴ・ライヒ:シティ・ライフ (1995)
Steve Reich:City Life
編成:
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ピアノ 2、サンプリング・キーボード 2、パーカッション 3または4、弦楽四重奏、コントラバス
第1楽章 「チェックしろ Check it out」
第2楽章 「杭打機/警笛 Pile driver/alarms」
第3楽章 「ハネムーンは終わりだ - もう我慢ならねえ It’s been a honeymoon – can’t take no mo’」
第4楽章 「心拍音/船舶とブイ Heartbeats/boats & buoys」
第5楽章 「濃い煙 Heavy smoke」
ガーシュウィンの《パリのアメリカ人》(1928)で使われたタクシーのクラクションをはじめ、楽器音以外の生活音(ノイズ)を、楽曲の中に使用した例は多い。ライヒの代表作のひとつとして知られる《シティ・ライフ》は、そうした生活音や人間の話し声を一種の楽器として扱い、都市の生活(=シティ・ライフ)を生き生きと表現した作品である。
ライヒが筆者に語ったところによれば、彼がミルズ・カレッジでルチアーノ・ベリオの授業を受けた時、ベリオは人間の声(スピーチ・サウンド)を用いた電子音楽の参考例として、いくつかのレコードをかけた。その中で、ライヒはベリオ作曲《テーマ(ジェームズ・ジョイスへのオマージュ)》(1958)と、シュトックハウゼン作曲《少年の歌》(1955-56)に大きな影響を受けたという。その後、彼自身もスピーチを音楽の構成要素として扱うような作曲を実験し始めた。《イッツ・ゴナ・レイン》(1965)や《カム・アウト》(1966)のような初期テープ作品、あるいは器楽がスピーチのイントネーションをなぞる形で作曲された弦楽四重奏曲《ディファレント・トレインズ》(1988)やオペラ《ザ・ケイヴ》(1993)は、いずれもスピーチに対するライヒの強い関心から生まれた作品である。ベリオを強く意識しながら作曲したという《シティ・ライフ》は、それまで彼が試みてきたスピーチと器楽の融合をさらに発展させ、サンプリング・キーボードを使用することによって、杭打機や汽笛のようなノイズ(のサンプル音)と器楽のアンサンブルを可能にしている。
全5楽章は続けて演奏されるが、奇数楽章のみスピーチのサンプル音を使用。第5楽章のサンプリング・スピーチは、1993年ワールドトレードセンター地下駐車場爆破事件発生時の警察・消防無線から採られた。
テキスト:前島秀国
(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)
*コンサート・パンフレットに掲載された《シティ・ライフ》サンプリング・スピーチは省略
以上、ここまでがコンサート・パンフレットからの内容になります。
ここからは、感想をふくめた個人的コンサート・レポートです。
といいながら、上の公式パンフレットで各楽曲について詳細ありますので、補足と言えるものもないです。「Mercy」について、豊嶋泰嗣さんのソロ・ヴァイオリンは、ヒラリー・ハーンの演奏よりもとても線を細くしていたのが印象的でした。弓と弦の摩擦を浮かせる、やもすると音程も狂いそうな、長いフレーズも途切れてしまいそうな、そのくらいギリギリのところで音を生みだしていたのが強く印象に残っています。相当な集中力と筋肉運動を必要とするだろうと推測します。糸の張りつめた緊張感で、500席収容小ホールという空間だからこそできる、最上質なパフォーマンスだったと思います。「City Life」について、CDでしか聴いたことがないアナログとサンプラーの融合は、実演で聴いてこそ!と強く思った名演でした。
今回、最前列ほぼ中央で聴くことができた幸運にも恵まれ、久石譲の指揮はもちろん、指揮者の息づかい、奏者の息づかいや音の生まれる瞬間の音まで聴くことができたことは、贅沢極まりない体験でした。
久石譲作品について。
編成は、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォン、パーカッション、ドラムス、ピアノ 2、サンプリング・キーボード、弦楽四重奏、コントラバス、だったと思います。こちらもスティーヴ・ライヒ作品にもあったような、アコースティック楽器(アナログ)とサンプラー(デジタル)の見事な融合で、至福の音空間でした。デジタル音は低音ベースや低音パーカッションで効果的に使われていたように思います。一見水と油のような特徴をもったそれらが、よくうまく溶け合った響きになるものだと感嘆しきりでした。CDならば、ミックス編集などでバランスは取りやすいかもですが、コンサート・パフォーマンスで聴けたことはとても貴重でした。
例えば、ピアノを2台配置することで、ミニマル・フレーズをずらして演奏している箇所があります。ディレイ(エコー・こだま)効果のような響きになるのですが、CDだと、コンピューターで編集すれば、ピアノ1の音色をそのまま複製して加工すればいい、などと思うかもしれません(もちろん割り振られたフレーズが完全一致ではないとは思いますが)。そういうことを、アコースティック・ピアノ2台を置いて、互いに均一の音価と音量で丁寧にパフォーマンスしていたところ、それを直に見聴きできたことも観客としてはうれしい限りです。
1.「Fast Moving Opposition」は、前半12拍子と8拍子の交互で進みます。これも指揮者を見る機会じゃないとおそらく聴いただけではわかりません。この変拍子によって久石譲解説にもあった今回の挑戦である「音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶」という構成をつくりだしているように思います。中盤からドラムス・パーカッションが加わり、4拍子独特のグルーヴ感をもって展開していきます。
2.「Fisherman’s Wives and Golden Ratio」は、こちらも指揮者を見ても拍子がわからない変拍子でした。「黄金比率の時間配分で構成」についてはまったくわかりませんでした、難しい。管楽器奏者が口にマウスピースのみを加えて演奏するパートもありました。声なのか音なのか、とても不思議な世界観の演出になります。
言うなれば、贅沢な公開コレーディングに立ち会っている感覚すら覚えたほどです。アコースティック楽器とデジタル楽器、スタジオ・レコーディングならば、1パートずつ録音していくようなそれを、一発勝負で響かせて最高のテイクを奏でるプロたち。スコアを視覚的に見て取るように「あ、今のこの音はこの楽器か」とわかるところも含めて、贅沢な公開レコーディングに遭遇したような万感の想いです。
おそらくとても難解、いやアグレッシブな挑戦的なこと高度なことをつめこんでいる作品だろうと思います。一聴だけでは、第一印象と目に見えた範囲のことでしか語れないので、あまり憶測やふわっとした印象での見解は控えるようにします。1年後?CD作品化された暁には、聴けば聴くほどやみつきになりそうな、味わいがにじみ出てくるような作品という印象です。
《素早く動いている静物》 (1956年頃) サルバドール・ダリ
《カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽》 (1928年頃) サルバドール・ダリ
今回の久石譲作品およびコンサートをひと言で表現するなら、「カッコイイな!」に尽きます。今の久石譲の立ち位置で、こんな作品を観客にぶつけることがとても前のめりで一切の守りを感じない。ご本人のコメントにもある「まだまだ発展途上」、これをはっきり言い切れる、その過程である今を披露できることは、やっぱり「カッコイイな!」のひと言です。もちろん聴き手として、本作品を発展途上だなと思うはずもなく、未知の体験に立ち会えていることの喜びを感じます。
「ミュージック・フューチャー」コンサート・シリーズは、いわば”純粋に音楽を聴く”コンサートです。今まで聴いたことのない(またはCDでしか)、新しい音楽体験の場だと思います。誤解を恐れずにいえば、そこに久石譲というネームバリューはいらないのかもしれません。”純粋に音楽を聴く”場所だからです。
ファンである久石譲が選んだ作品が並ぶことで、久石譲の音楽的思考の今を垣間見ることができます。指揮者としての作品構成力、作品表現力を目と耳と肌で体感することができます。そして最後に、久石譲の今がつまった自作をも聴くことができる、そんなコンサートのように思います。
久石譲ファンとしては、ふつう上に書いた逆からの流れを期待すると思うのですが、それとは一線を画する演奏会、それが「久石譲 presents MUSIC FUTURE」です。
いや、久石譲のネームバリューは大きい。このプログラムで観客を集めることができて、極上の音空間を演出し、観客を魅了することができるのは、久石譲だからこそ。楽曲プログラミングから実演までハイクオリティなその流れのすべてにおいて。日本音楽界の巨匠という権威と、相反する新進気鋭のような挑戦の姿勢、その拮抗したバランスで、vol.4以降も大きく期待したいコンサートです。