Blog. 「クラシック プレミアム 38 ~ヴァイオリン・チェロ名曲集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/6/21

クラシックプレミアム第38巻はヴァイオリン・チェロ名曲集です。

まったくの余談ですが、久石譲が初めて習った楽器がヴァイオリン、4歳から鈴木鎮一ヴァイオリン教室に通っていました。ちなみに今やピアニストとしても独特の世界観を響かせていますが、実はピアノをきちんと習い始めたのは30歳を過ぎてから。コンサートなどでの演奏に必要になってきたためという理由からだそうです。意外といえば意外ですね。

 

 

【収録曲】
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ト短調 《悪魔のトリル》 (クライスラー編曲)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ジェイムズ・レヴァイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1992年

ベートーヴェン:《ロマンス》 第2番 ヘ長調 作品50
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
チョン・ミュンフン指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音/1996年

サン=サーンス:《ハバネラ》 作品83
ジャニーヌ・ヤンセン(ヴァイオリン)
バリー・ワーズワース指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音/2003年

ドヴォルザーク:《ユモレスク》 変ト長調 作品101の7
アルテューユ・グリュミオー(ヴァイオリン)
イシュトヴァン・ハンデュ(ピアノ)
録音/1973年

サラサーテ:《ツィゴイネルワイゼン》 作品20
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ジェイムズ・レヴァイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1992年

エルガー:《愛の挨拶》 作品12
クライスラー:《愛の喜び》 《愛の悲しみ》
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
フィリップ・モル(ピアノ)
録音/1985年

カタロニア民謡:《鳥の歌》 (カザルス編曲)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
パーヴェル・ギリロフ(ピアノ)
録音/1987年

シューマン:《アダージョとアレグロ》 変イ長調 作品70 (グリュツマッハー編曲)
ピエール・フルニエ(チェロ)
ラマール・クラウソン(ピアノ)
録音/1969年

フォーレ:《エレジー》 作品24
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
セミヨン・ビシュコフ指揮
パリ管弦楽団
録音/1991年

フォーレ:《夢のあとに》
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
ダリア・オヴォラ(ピアノ)
録音/1999年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第37回は、
指揮者のような生活

前号では、4月に開催されたイタリアでのスペシャルコンサートのお話でした。前々号で、指揮者ドゥダメルの演奏会のことを記していたのですが、そこからの続きになります。5月に開催された富山コンサートのことにも触れていて、演奏会を聴いて感じていたことが、謎が解けました。そんなお話になっています。詳細は順を追って。

一部抜粋してご紹介します。

 

「先日、一連の指揮活動が終了した。イタリアから始まり、すみだトリフォニーホールでのシェーンベルク《浄められた夜》、アルヴォ・ペルトの交響曲第3番を経て、リニューアルされた富山県民会館でのこけら落としコンサート(日本での演奏はいずれも新日本フィルハーモニー交響楽団)まで、なんだか指揮者のような生活を送ってきた。」

「演奏するのはまあ嫌いではないのだが、前にも書いたようにまったく作曲ができなくなるのは痛い。それはそうだ、頭の中で《浄められた夜》のような凄まじく難しい楽曲が鳴りまくっていたら、自分の音符なんて浮かんで来るわけがない。作曲のために徐々に減らしていこうと思うのだが、夏からまたコンサートが始まる。ありがたいことではあるが……複雑な心境だ。」

「富山ではドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》を演奏した。最もポピュラーなクラシック曲だ。オーケストラのレパートリーとしても演奏頻度が高く、場合によってはゲネプロ(当日の全体リハーサル)のみで、本番に臨むというケースさえあるらしい。だからといって易しいとは限らない。シンプルで力強い美しいメロディーの後ろで、各楽章とも変化に富んでいるうえにしっかり構成されていて、思いのほか手強い。前々回に書いたドゥダメル&ロサンゼルス・フィルでも演奏されていたが、その明確な構成力と躍動感に溢れるリズムに圧倒された。スケジュールが込んでいてなんとなく選んだ《新世界より》がまったく別の楽曲に聞こえ、思わず客席で背筋が伸びた。それから合間を縫って今までの方法を改め、猛特訓、いや猛勉強したのだが、スコア(総譜)を読めば読むほど、スルメのように味が出てくる。ドヴォルザーク本人もそれほどの大作に挑んだ(もちろん45分以上かかる楽曲だから大変な労力を必要とするが)と思っていなかったようだが、だからこそ力が抜けて音たちはとても自由に動いている。このことは重要だ。他の芸術でもスポーツでも思い入れが強すぎたり、気合いが入りすぎると力は発揮できない。指揮でいうと力んだ腕をどんなに一生懸命に振ってもスピードは出ないし、他の筋力を巻き込んで軸がぶれたり、頭を前後に大きく振ったりで、自分が頑張っていると思うほど演奏者には伝わっていない。ゴルフでいうところのヘッドアップと同じだ。力みをとる-あらゆる分野で最も大切で、最もできないことかもしれない。」

「だが、それより重要なことがある。結局のところ、どういう音楽を作りたいか明確なヴィジョンを持つことに尽きる!と僕は考える。」

「NHKのクラシック番組で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団の演奏でショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏を聴いた。この楽曲については前にも触れているので多くは書かないが、一応形態は苦悩から歓喜、闘争から勝利という図式になっているが、裏に隠されているのはまったく逆であるというようなことを書いたと思う。パーヴォ・ヤルヴィの演奏はその線上にあるのだがもっと凄まじく、この楽曲を支配しているのは恐怖であり、表向きとは裏腹の厳しいソビエト当局に対する非難であると語っていた。第2楽章がまさにそのとおりでこんなに甘さを排除したグロテスクな操り人形が踊っているような演奏は聴いたことがなかったし、第4楽章のテンポ設定(これが重要)がおこがましいが僕の考え方と同じで、特にエンディングでは、より遅いテンポで演奏していた。だから派手ではないが深い。」

「彼はエストニア出身、小さい頃はソビエト連邦の支配下にあったこの国で育った。父親は有名な指揮者でショスタコーヴィチも訪ねてきたときに会ったくらいだから、この楽曲に対する思いは尋常ではない。明確なヴィジョンを持っている彼にNHK交響楽団もよく応え、炎が燃え上がるような演奏だった。」

「ついでにいうと作曲家アルヴォ・ペルトさんも同じエストニア出身だ。若い時は十二音技法やセリー(音のさまざまな要素を音列のように構築的に扱う作曲技法)で作曲していたがソビエト当局の干渉で禁止され、教会音楽などを研究していく中で今の手法を考えだした。今では世界中で最も演奏される現代の作曲家なのだがCDも多く出ていて、その中で一番おすすめなのがパーヴォ・ヤルヴィだ。同じ国の出身、深い共感が良い音楽を作る。」

「以上数回にわたって指揮活動を中心にした音楽的日乗を綴ってきた。」

「それにしても、クラシック音楽はいい。目の前でオーケストラが一斉に音を出すのを聴いていると(これは指揮者の特権)、人類は偉大なものを作り上げたと驚嘆する。そのクラシック音楽は、いやクラシックだけではなく他の分野の音楽も含めて、我々はどういう進化を遂げてこういう形態に至り、これからどういう音楽を作り上げていくのか考えてしまう。つまり画家のゴーギャン風にいうと「我々はどこから来て、どこへ行くのか!」ということだ。次回からはいよいよ本題「音楽の進化」について書く。」

 

 

補足しますと、指揮者パーヴォ・ヤルヴィさんは、2015年9月からNHK交響楽団の首席指揮者に就任予定です。それもあって2014年あたりから歴代の作品が一気にCD再発売されています。2000年録音のアルヴォ・ペルト:「スンマ」「交響曲第3番」を収めたものなど多数あります。

せっかくなので、久石譲も過去に取り上げたことのある、この「スンマ」「交響曲第3番」が収録された、CDを買って聴いてみたいと思っています。久石譲の解説で俄然興味も湧いたアルヴォ・ペルト(作曲)×パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)という組み合わせで。

 

 

もうひとつ。ドヴォルザーク 交響曲第9番 《新世界より》について。5月開催コンサート「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団 富山特別公演」での演奏を聴いたときに、えらく緩急のメリハリがしっかりした構成になっていたということはレポートで書きました。

こちら ⇒ Blog. 「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団 富山特別公演」 コンサート・レポート

 

コンサートに臨む前に、予習もかねて名盤と評されているCDをいくつか聴いていたのですが、もちろん久石譲もCD作品化していますが、聴いていたどの盤にもないテンポ感だったので、非常に強烈に印象に残り、レポートにそのことを記した記憶があります。

その後、このクラシックプレミアム・エッセイにてドゥダメル指揮の《新世界より》を聴いてきたという久石譲の話があったので……

こちら ⇒ Blog. 「クラシック プレミアム 36 ~ビゼー~」(CDマガジン) レビュー

 

もしや!と思い、ドゥダメル指揮の同楽曲音源を探しに探して聴くことができたのですが・・やっぱりっ!という結論でした。久石譲も今号エッセイにてはっきりと綴っているので、疑問から推測が確信へと変わりました。ドゥダメル盤新世界よりと、最新の久石譲盤新世界より。

こうやっていろいろなキーワードやパズルのピースのようなものをたよりに、推測したり時系列で整理したりするのは非常に楽しいですね。おかげで「交響曲第9番 新世界より」はここ数ヶ月のあいだに、何十パターン(指揮者違い,オケ違い,録音年違いなど)聴いただろうと思います。そして自分だけのお気に入りの盤を見つけたときの喜びです。

 

ほんとうにクラシック音楽って、指揮者、演奏者、録音年代、録音場所などで、同じ楽曲でもまたと同じものはないというくらい、全然響きも印象も感動も違います。そして一番感動するのは、どんな名盤をCDなどで聴くことよりも、実際にコンサート会場で体感することだな、ということを痛切に感じているのも事実です。

だいぶんクラシック音楽に対する見方が変わってきたのは、このクラシックプレミアムのおかげなのか、久石譲の同雑誌内エッセイのおかげなのか、はたまた久石譲コンサートでクラシック音楽を聴くことが定着したからなのか…全50巻、2年越しの「クラシックプレミアム」も、7-8合目くらいです。

 

 

クラシックプレミアム 38 ヴァイオリン・チェロ名曲集

 

Blog. 「週刊文春 2015年4月30日号」コーナー「時はカネなり」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/6/13

雑誌 週刊文春 2015年4月30日号にて「時はカネなり」のコーナーに久石譲が登場しました。巻末カラーということで、愛用の腕時計や財布がエピソードとともに写真紹介されています。

 

 

時はカネなり 22

久石譲(作曲家・指揮者)
日本アカデミー賞の副賞で八度目に巡り合った時計

このジャガー・ルクルトは昨年、『風立ちぬ』で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した際、副賞で頂いたものです。これまでは時計は重くて腕が縛られる感覚が嫌で、ほとんどつけませんでした。でもこれは軽くてシンプル、フェイスもすっきりしていて邪魔にならないので、とても気に入っています。

私は同賞を過去にも受賞していて、この時計は八本目。ほとんどは自宅の机の引き出しなどに入れて保管していたのですが……ある時とてもショックなことが起きました。自宅に泥棒が入り、この副賞の時計が三本も盗まれたんです。さらに腹立たしいことに、僕のCDを一枚も盗んでいかなかった!嘘でもいいから、一枚くらい持っていけよ、と思いました(笑)。

作曲家の時計感覚は独特かもしれません。音楽というものは時間の中に構築する建造物です。例えば、映画音楽は一秒の二十四分の一単位で画面に合わせる。プロなら当たり前にできることではありますが、時間感覚は自然に鋭くなると思います。そのせいか、目覚まし時計が鳴る三分前にはパッと目が覚めます。海外に行っても、時差ボケはほとんどありません。あまり時計を必要としない体なんです。

財布はアイグナーを長く愛用していました。滑らかな革が気に入ってね。それがだいぶ傷んできたなと感じていたところ、ロンドンのヒースロー空港でフライトの待ち時間にふと目に留まったのが、このヴェルサーチの財布です。アイグナーを敢えて買い直そうとは思わなかった。物は”縁”ですから。

そもそも、買いに行く時間がありません(笑)。毎日、昼の一時から二時にスタジオに来て、夜中の十一時まで作曲をします。クラシックコンサートが近い場合は指揮者として、帰宅するとスコアの研究を朝までやる。そんな生活だから、財布を一週間、開かないこともあります。もともと同じ鞄を二十年も使うほど、非常に物持ちがいい。この財布も結局十年も使っていますね。

 

●ジャガー・ルクルト

購入時の価格
日本アカデミー賞 最優秀音楽賞の副賞
(定価は450,000円+税)

愛用年数
約1年

本来ポロプレーヤーのために開発された時計で、ガラスの破損を防ぐためフェイスが反転する。クラシックコンサートのスコア研究のため、自らも手で書き写した楽譜とともに

久石譲 ジャガー・ルクルト

 

●ヴェルサーチ

購入時の価格
覚えていない

愛用年数
10年くらい

平均所持金
7万円

銀行カードはほぼ使わず、奥さまが適宜、現金を補充する。アメックスのブラックカードと、体力作りのために通うジムの会員カード(白)

久石譲 ヴェルサーチ

(「週刊文春 2015年4月30日号」より)

 

 

上の写真にあるとおり久石譲による直筆譜も写りこんでいます。これは5月5日に開催されたコンサート「新・クラシックへの扉・特別編 久石譲 「現代の音楽への扉」」の演目からシェーンベルクの《浄夜》を自ら書き起こした楽譜です。

 

 

 

そしてこの手書き譜面を書き起こす奮闘記は、クラシックプレミアム内連載中エッセイにて語られています。

 

「それで今猛勉強中なのだが、とにかく各声部が入り組んでいるため、スコアと睨めっこしても頭に入ってこない。いろいろ考えたあげく、リハーサルの始め頃は連弾のピアノで行うので、そのための譜面を自分で書くことにした。やはり僕は作曲家なので自分の手で音符を書くことが覚える一番の近道だと考えたのだが、それが地獄の一丁目、大変なことになってしまった。」

「《浄められた夜》は室内楽なので、音符が細かい。例えば4/4拍子でヴィオラに6連符が続くと4×6=24、他の声部もぐちゃぐちゃ動いているので一小節書くのになんと40~50のオタマジャクシを書かなければならない(もちろん薄いところもある)。それが全部で418小節あるのである! そのうえ、4手用なので、弾けるように同時に編曲しなければならない。全部の音をただ書き写しても音の量が多過ぎて弾けないので、どの声部をカットするか? もう無理なのだが、どうしてもこの音は省けないからオクターヴ上げて(下げて)なんとか入れ込もうとかで、とにかく時間がかかる。実はこの作業は頭の中で音を組み立てているのだから、最も手堅い、大変だが確実に曲を理解する最善の方法なのだ。」

「年が明けてから、映画やCMの仕事をずっと作ってきて、台湾のコンサートが終わってからこの作業に入ったのだが、昼間は作曲、夜帰ってから明け方まで譜面作りと格闘した。それでも一晩に2~3ページ、小節にして20~30くらいが限度だった。毎日演奏者に定期便のように送っているのだが、他にもすることが多く、実はまだ終わっていない、やれやれ。」

Blog. 「クラシック プレミアム 35 ~モーツァルト5~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

 

 

週刊文春 久石譲

 

Blog. 「クラシック プレミアム 37 ~ワーグナー 序曲・名場面集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/6/7

クラシックプレミアム第37巻はワーグナーです。

【収録曲】
歌劇 《さまよえるオランダ人》 序曲
歌劇 《タンホイザー》 序曲
ダニエル・バレンボイム指揮
シカゴ交響楽団
録音/1994年

歌劇 《ローエングリン》 第3幕前奏曲 - 〈婚礼の合唱〉
ダニエル・バレンボイム指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
録音/1998年

楽劇 《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 第1幕前奏曲
ダニエル・バレンボイム指揮
シカゴ交響楽団
録音/1992年

楽劇 《ニーベルングの指環》
第1夜 《ワルキューレ》 より 〈ワルキューレの騎行〉
第3夜 《神々の黄昏》 より 〈夜明けとジークフリートのラインの旅〉 〈ジークフリートの死と葬送行進曲〉
ダニエル・バレンボイム指揮
シカゴ交響楽団
録音/1991年(ライヴ)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第36回は、
イタリアで自作のコンサート

前号では、今注目の若手指揮者ドゥダメルの演奏会に行っての感想などが、久石譲ならではの視点(指揮者/作曲家)で興味深く語られていました。今号では、日本ではあまり情報が少なかった久石譲コンサート、4月にイタリアで開催された映画祭でのスペシャル・コンサートについて。

この演奏会の情報は、各媒体を探しに探して少しまとめています。演奏プログラム、写真紹介、記者会見内容など。

こちら ⇒ Info. 2015/04/25 《速報》久石譲 伊映画祭コンサート 演奏プログラム&写真紹介

こちら ⇒ Info. 2015/04/26 《速報》続報 久石譲 イタリア・コンサート 記者会見内容など

そして今号ではご本人による貴重な情報と記録!ということで見逃せません。

一部抜粋してご紹介します。

 

「昨日、イタリアから帰ってきた。ヴェネツィアから北に車で1時間半くらいのところにウディネという人口約10万人の町がある。そこでファーイースト・フィルムフェスティヴァルという映画祭が行われている。イタリアでアジアの映画にスポットを当てた催しとして今年で17回目だから歴史はある。そのオープニングのコンサートとなんとか功労賞というものをいただけるということで出かけていった。本当は前回に続いてグスターボ・ドゥダメル☓ロサンゼルス・フィルのことを書こうと思っていたのだが、状況変転、今関心があることから書いていくことにする。」

「まずは内容だが、コンサートは約1時間半、映画祭なので僕の作曲した映画音楽(もちろんミニマル曲も演奏した)を中心に構成した。およそ1200席のチケットは発売3時間で完売、ヨーロッパ中から観客が訪れたということはやはりネットのおかげだろう。」

「演奏はRTVスロベニア交響楽団が担当した。ウディネの地元のオーケストラは編成が小さいらしく、隣国から呼んできたわけだ。そのためリハーサルの2日間はスロベニアの首都、リュブリャナで行われ、当日のゲネプロ(最後の全体リハーサル)、本番がウディネということになる。短期間での移動が多いのは負担になると思われたが、何故かスロベニアに惹かれ都合5泊7日間の日程で旅に出た。本当はヴェネツィアが近いので久しぶりに立ち寄りたかったが、翌週から小難しい現代曲などのコンサートが控えているため、できるだけコンパクトな日程にした。何だか指揮者みたいなスケジュールだ(笑)。」

「海外のオケの場合はいつもそうだが、打ち合わせどおりには行かない。今回も対向配置(弦楽器の配置で、第2ヴァイオリンが舞台に向かって右に位置する)のはずが普通の並びだったり、マリンバが2台無かったり、アルト・フルートが練習の始めに間に合わなかったりで大変なのだが、指揮者たるものがそんなことで動じてはならない。本来あるべき状況に戻しつつ、何事もなかったかのように(順調のように)進めていった。」

「またいつもどおり初日は音も合わず、間違える人も多いのだが、日を追うごとにうまくなり、フレーズも大きく歌い音楽的に向上していく。日本のオケは初日からうまく、かなりのレヴェルなのだが、日を追うごとに目に見えるような向上はあまり感じられない。国民性なのか?」

「そしてウディネに我々は移動してコンサートに臨んだ。北イタリアのこの小さな町はそれでもサッカー・セリエAのウディネーゼを持つくらいだから、まあ知られた町ではある。ホールも舞台上の汚さはあったが(オペラやバレエも行われている)、壁のポスターを見るとアバド、チョン・ミュンフン、シャルル・デュトワ、あのドゥダメルから辻井伸行さんまで来ているので、ちゃんとしたクラシックのホールなのだろう。ただ音はドライで舞台上はあまり響かない。この場合は音楽全体のテンポを速めに設定し、ソリッドに仕上げるほうがうまく行く、本番は夜の8時半から。昼夜の温度差が激しく、楽屋で寝ていた時、寒気がして激しい頭痛に襲われた。そんな中で舞台に立ったが、膨大な汗をかくことで風邪を退散させ、無事に終了した。観客はおおよその楽曲は知っていて熱狂的に受け入れてくれた。特にアンコールの《ナウシカ》ではどよめきすら起こった。一緒に来た日本人の関係者は目を丸くし異口同音に「久石さん有名なんだね~」。」

「このところクラシックがらみのコンサートしか行っていなかったが、久しぶりの自作のみ、は意外に新鮮で、早く新アルバムを作って日本でツアーを行ってもいいと思えたのは収穫だった。」

 

 

海外での公演、そして海外オケとの共演の苦労と収穫、そんな舞台裏が垣間見れました。このコンサートではオール久石譲作品、そして映画音楽から自作現代音楽までと、昨今の日本国内コンサートではまあお目にかかることのできないセットリスト。贅沢な演奏プログラムです。

そしてエッセイ最後の結びがやはり気になりますよね!「早く新アルバムを作って日本でツアー」ぜひっ!と読みながら強い合いの手を入れてしまいます。「行ってもいいと思えた……」ではなく「行いたいと思った!」と言い切ってほしかったくらいです(笑)。

それでも異国の地で特別功労賞を受賞し、国内とはまた違った気候・環境・オケで久石譲音楽を響かせ、観客の反応をダイレクトに感じ。そんななかから「早く新アルバムを作って日本でツアーを行ってもいい」と思っていただけたのなら、ファンの一人としても、このコンサートが大きな収穫となりこれから先につながることを期待してやみません。

 

クラシックプレミアム 37 ワーグナー

 

Blog. 「クラシック プレミアム 36 ~ビゼー~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/5/19

クラシックプレミアム第36巻は、ビゼーです。

 

【収録曲】
《アルルの女》 第1組曲・第2組曲
チョン・ミュンフン指揮
パリ・バスティーユ管弦楽団
録音/1991年

《カルメン》 第1組曲・第2組曲
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団
録音/1986年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第35回は、
ドゥダメルの演奏会を聴いて

今号では久石譲が聴いた演奏会の話から、クラシック界の新しい風、時代、世界の動き、そして日本。いろいろな角度から俯瞰的に理解することができてとてもおもしろい内容でした。

もうひとつ、個人的に気になっていたことが解決しました。久石譲のコンサートでもその都度替わることのあるオーケストラの楽器配置。対向配置、そんな用語があるんですね。通常の楽器配置と、そうじゃないときがあって、なんでだろう? と不思議に思っていました。

作品や楽曲によってかな?とも思ったのですが、いや、同じ楽曲でも配置が違うコンサートもあります。これが対向配置ということがわかりました。そしてどういう意図や効果があるのか。そんなことも書かれていました。

一部抜粋してご紹介します。

 

「先の週末、2日間にわたってグスターボ・ドゥダメル&ロサンゼルス・フィルハーモニックのコンサートに行った。素晴らしいコンサートだったうえ、いろいろ考えさせられることがあったので今回はそれについて書きたい。」

「演目は初日がマーラーの交響曲第6番《悲劇的》のみ(80分かかるから当たり前だが)。2日目はジョン・アダムズの《シティ・ノアール》とドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》だった。僕としてはむろんジョン・アダムズ(1947~/アメリカの作曲家)がお目当てなのだが、前回書いたシェーンベルクなどの楽曲を演奏するコンサートの直後に、富山で《新世界より》を指揮するのでこれも勉強を兼ねて楽しみにしていた。」

「まずマーラーの交響曲第6番《悲劇的》だが、冒頭のチェロとコントラバスが刻むリズムからして切れが良く、音量もびっくりするほど大きい。そしてどんどん盛り上がるのだが、もともと5管編成で、ホルンは8本という巨大な編成なので音が大きいのは当然なのだ。だが、大きくても正確なリズムのために音が低音まで濁っていない。またこの編成では弦楽器は埋もれがちになるが、金管の咆哮の中でもクリアに響いていた。おそらくその要はリズムにあるのだが、ラテン人特有の鋭いリズム感を持つドゥダメルと5年間音楽を演奏している間に、オーケストラ自体リズムへのアプローチもソリッドになったのだろう。まあフィラデルフィア管弦楽団なども明快だったのでアメリカのオーケストラの特徴かもしれない。ヨーロッパの伝統的なオーケストラはもっと音に込める何か、ニュアンスというか精神というか、日本人が八木節を歌う時の小節回しのようなものに近い何かを大切にするから、リズムはそれほど明快ではない。アメリカのオーケストラはそういうものを無視しているわけではないが、それよりも明快さを優先するように思える。ドゥダメル&ロサンゼルス・フィルはもちろん楽譜に書かれているさまざまなニュアンスは丁寧に表現しているし、音楽の目指す方向もぶれていない。僕としては書かれた音がこれほどクリアに表現されるのならこのほうがいい。なんとなれば伝統を持たない日本人が目指すのはこの方向しかないからだ。ちなみに外国人の歌う八木節を想像してみてほしい。うまく歌っても「?」がつく。ヨーロッパ人が聴く日本のオーケストラもそれに近いのかもしれないと思う。」

「話を戻して、マーラーは第4楽章まで集中力が切れず、終わり直前のフォルティッシモもぴったり合い、余韻のある見事なエンディングだった。驚いたのは皆まだ余力があり、もう一度最初から演奏しそうな勢いだったことだ。やはり体力差か? また対向配置(第2ヴァイオリンが向かって右側にいてコントラバスが左の奥にいる配置。古典派、ロマン派の楽曲はほとんどこの配置を想定して作曲家は書いた)で、左側のコントラバスと右側のチューバが同じ音量で拮抗する演奏を初めて聴いた。やはり対向配置はいい。」

「翌日はジョン・アダムズの《シティ・ノアール》からだったが、これはドゥダメルの就任お披露目コンサートのために書かれた楽曲で彼らの得意な演目だ。ジョン・アダムズはミニマル・ミュージックの作曲家としてスタートして、今はポスト・ミニマルというより、後期ロマン派的な手法まで導入し、表現主義的な方法をとっている。つまりメロディーがあり、和音があり、アメリカ音楽特有のリズム(例えばジャズ)があるので、ある意味わかりやすい。そのため現代音楽好きの人たちは、後ろ向きと批判することもある。彼はオーケストラを知り抜いているためそのスコアは精緻を極め、オケからも人気があり、演奏される機会は世界的に多い。音楽出版社のBoosey & Hawkesの会報を見ると、今年の2月から5月までに演奏されるジョン・アダムズの楽曲はきわめて多い。新作のオラトリオを発表したこともあり、近年に書かれた楽曲が目白押しだ。《シティ・ノアール》の演奏回数も多いのだが、その中でも注目すべきはウィーン・フィルが3月にこの楽曲を演奏していることだ。初演から5年ほど経ち、各地で演奏され、今では世界のスタンダードとして認識されたということだ。日本のオーケストラでは……まだまったく演奏の予定はない、たぶん。 紙面が尽きた、次回に続く。」

 

クラシックプレミアム 36 ビゼー

 

Blog. 「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団 富山特別公演」 コンサート・レポート

Posted on 2015/5/14

3月に開業した北陸新幹線に乗って。

ゴールデンウィーク終盤5月9日に開催されたコンサート「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団 富山特別公演」です。富山県民会館リニューアルオープン・開館50周年記念事業、県民ふるさとの日記念事業 という企画コンセプトのもと開催されています。

演奏プログラムおよびアンコールはこちら。

 

久石譲&新日本フィル・ハーモニー交響楽団 富山特別公演

[公演期間]
2015/05/09

[公演回数]
1公演
富山・富山県民会館ホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
混声四部合唱:富山県合唱連盟特別編成合唱団

[曲目]
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」
久石譲:室内オーケストラのための「シンフォニア」
I.パルゼーション II.フーガ III.ディヴェルティメント
久石譲:交響変奏曲「人生のメリーゴーランド」
(Symphonic Variation ”Merry-go-round” + Cave of Mind)
久石譲:ふるさとの空 (富山県ふるさとの歌)
(原詞:布村勝志 補作詞:須藤晃 編曲:山下康介)

—-encore—-
久石譲:となりのトトロ (with Chorus)

 

 

まずは、当日会場で配布されたコンサート・プログラムより。

 

【曲目解説】

ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』
ドヴォルザークの最後の交響曲で、アメリカ時代に作曲されました。音楽院で黒人学生と接したドヴォルザークは、彼らの歌う黒人霊歌に感銘を受け、自分の作品に(そのまま素材として用いるのではなく)その精神を反映させようと考えました。円熟した作曲技法、親しみやすいメロディー、『新世界(=アメリカ)より』という魅力的なタイトルと相まって、最も人気の高い交響曲として世界中で毎日のように演奏されています。

第1楽章 静かな序奏から始まり、ホルンが力強い第1主題を吹奏します。フルートやオーボエが奏でる第2・第3主題も民族色が強く、黒人霊歌やボヘミア民謡との関連がうかがわれます。

第2楽章 最も有名な楽章。イングリッシュ・ホルンによって吹かれるひなびたメロディーは後に歌詞が付けられ、「家路」というタイトルで有名になりました。

第3楽章 活気あふれる民族舞踊的な楽想で、ネイティヴ・アメリカンの踊りから発想したとも、ボヘミアの農民の踊りと共通しているともいわれています。

第4楽章 徐々にテンポを速めていく弦楽による序奏は、鉄道マニアだった作曲者が蒸気機関車の発車を模したという説もあります。ホルンとトランペットによる力強い第1主題は勇壮で、クラリネットが吹く女性的な第2主題とあざやかなコントラストを作ります。

 

室内オーケストラのための《シンフォニア》
2009年に発表された「Sinfonia」は、ミニマル・ミュージックの作曲家として、久石が原点に立ち返って書き上げた弦楽オーケストラ作品。

「第1楽章は、昔、現代音楽家として最後に書いた「パルゼーション」という曲の構造を発展させたものだ。機械的なパルスの組み合わせで構成され、四分音符、八分音符、三連符、十六分音符のリズムが複合的に交差し展開していく。第2楽章は、雲のように霞がかったり消えたりするようなコード進行の部分と、いわゆるバッハなどの古典派的なフーガの部分とで構成されている。これも第1楽章と同じで五度ずつハーモニーが上昇し、全部の調で演奏されて終わる。第3楽章は、2009年5月「久石譲 Classics vol.1」のクラシックコンサートで初演した曲。そのときは弦楽オーケストラだけだったが、管楽器などを加えて書き直した。ティンパニやホルンなどが入ったおかげで、より一層古典派的なニュアンスが強調されて、初演の弦楽オーケストラとは一味違う曲になった。」
(※アルバム「ミニマリズム」より、一部改変して転載)

 

交響変奏曲 「人生のメリーゴーランド」 (『ハウルの動く城』より)
2004年公開、宮崎駿監督作品の映画『ハウルの動く城』より。魔法で老婆に変えられてしまった主人公・ソフィーと魔法使いハウルをとおして、生きる楽しさや愛する歓びを描いた作品です。劇中では、18歳の少女から90歳の老婆に変化するソフィーですが、観る人が同一人物だとわかりやすいようにメインテーマ「人生のメリーゴーランド」のモチーフが、物語の進行に合わせて見事に変奏されていきます。オリジナル・サウンドトラックでは、シーンごとに個別に収録されていますが、その楽曲を紡ぎ合わせ、フル・オーケストラのためのひとつの交響的変奏曲として生まれ変わらせた楽曲です。

 

ふるさとの空 (富山県ふるさとの歌)
「ふるさとの空」は、県民や県出身者が、ふるさとを思い、ふるさとへの愛着を育みながら、みんなで一緒に歌い、心を一つにできる歌を作って欲しいという県内外の多くの方々の声を受け、平成23年8月から「富山県ふるさとの歌づくり実行委員会」で歌づくりが進められました。歌詞については、公募で選ばれた布村勝志さんの原詞を、富山県出身の音楽プロデューサー須藤晃さんが補作、久石譲さんが作曲を担当して、平成24年7月に富山県教育文化会館において発表されました。ふるさと富山の素晴らしさや魅力が盛り込まれた「ふるさとの空」は、子供から大人まで広く歌われています。今回の公演は、大編成の管弦楽と合唱により、久石譲さん本人の指揮で演奏される貴重な公演となります。

(久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団 富山特別公演 コンサート・プログラムより)

 

 

 

少し感想をまじえて。

 

  • ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』

「久石譲 Classics vol.1」にも収録されている、久石譲が過去に何度か指揮したことのある楽曲です。曲目解説にある第1楽章の第2・第3主題など、とても緩急のある、ゆっくりとその旋律を聴かせる箇所もある、そんな構成になっていました。第3楽章や第4楽章でもその流れは引き継がれ、とてもメリハリのある抑揚起伏に富んだ展開。2009年CDとはまた違った、久石譲の指揮者としての解釈も表現力もパワーアップした演奏を堪能することができました。

[参考作品]

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』 収録

 

  • 室内オーケストラのための《シンフォニア》

こちらもCD作品よりも第1楽章、第2楽章はややスローテンポ。音をしっかり確かめるように、音の絡み合いやズレをしっかりと表現するような構成になっていました。また第3楽章はティンパニがより強調され、楽曲に躍動感や独特のグルーヴ感を与えていました。

[参考作品]

久石譲 『ミニマリズム』

久石譲 『ミニマリズム Minima_Rhythm』 収録

 

約100名を超える混声合唱団および二管? 三管編成用の奏者が壇上に加わる

 

  • 交響変奏曲 「人生のメリーゴーランド」 (『ハウルの動く城』より)

コンサートではおなじみの人気曲。『WORKS III』(2005年)にて “Symphonic Variation 「Merry-go-round」”として作品化されました。このときはメインテーマである「人生のメリーゴーランド」モチーフの変奏のみでの約14分の大作。その後2008年武道館コンサートなどを経て、「Symphonic Variation ”Merry-go-round” + Cave of Mind」へと発展。『WORSK III』の原型から、少し構成を短縮し、その分中間部に「Cave of Mind」を挿入。映画本編でもクライマックスに近づく印象的なシーンで使われた楽曲で、オリジナル・サウンドトラックでは「星をのんだ少年」という曲名で収録されています。トランペットの優しい旋律が印象的です。

そしてそんな定番曲も新しい試みもありました。「Cave of Mind」から終盤の「人生のメリーゴーランド」メインテーマへと引き継がれる楽曲構成なのですが。通常、ここで久石譲ピアノによる「人生のメリーゴーランド」からテーマがはじまります。オリジナルではほぼ久石譲ピアノ・オンリーという聴かせどころです。でも今回は、ステージ中央にピアノがない。どうなるんだろう?と思っていたら、その箇所をハープやヴィブラフォンなどの楽器に置き換えられていました。ピアノとはまた違った、オルゴール的な響きと雰囲気でした。次の管弦楽が入ったあとのピアノパートは、オーケストラのピアノ奏者の方でした。

※下記CDの9’00” – 10’10” くらいの箇所のことです

[参考作品]

久石譲 『THE BEST OF CINEMA MUSIC』

久石譲 『The Best of Cinema Music』 ライヴ収録

 

  • ふるさとの空 (富山県ふるさとの歌)

もちろんCD作品化もされていない楽曲ですが、公式に聴けるサイトもありますのでぜひ聴いてみてください。(http://www.pref.toyama.jp/sections/1002/furusato/index.html) 管弦楽から吹奏楽、独唱から合唱まで、いろいろなバリエーションで聴くことができます。今回は曲目解説にもあったとおり、1回限りの管弦楽+混声合唱団という特別な編成でのお披露目となりました。久石譲が手がけたご当地ソング、うらやましい限りです。

[参考]

富山県ふるさとの空

久石譲 富山県ふるさとの歌 『ふるさとの空』 作曲 *Unreleased

 

アンコールは「となりのトトロ」主題歌。たしかに混声合唱団の方々も壇上に残ったままですし、この編成だからこそ実現できた合唱付きバージョンです。合唱までをものみ込むような新日本フィルハーモニー交響楽団のすさまじい迫力でした。会場が揺れんばかりのクライマックスの爆発力。そしてわれんばかりの拍手喝采。コンサートならではの体感でした。

そしてここでも中間部の間奏は久石譲のピアノがしっとりと聴かせるパートなのですが、今回は楽団のピアノ奏者が演奏。

※下記CDの2’37” – 3’05” くらいの箇所のことです

[参考作品]

久石譲 『THE BEST OF CINEMA MUSIC』

久石譲 『The Best of Cinema Music』 ライヴ収録

 

 

今回久石譲は「ハウルの動く城」や「となりのトトロ」といった、定番人気曲であっても、ピアノには指1本触れない!?という珍しい内容でした。オーケストレーションをかき替えてまで指揮者に徹したコンサートです。それだけに、久石譲ピアノを聴けなかった残念な想いはあるのもも、指揮者とオーケストラの一心同体という緊張感が終始張りめぐらされ、地響きがするほどのトトロまで行き着けたのだと思います。

コンサートという、楽曲の現在進行形を示す場、進化しつづける解釈や今想うかたちを表現する場。そんなことをあらためて思い、久石譲の今という瞬間、そして久石譲の長い通過点のひとつに立ち会えた喜びでした。

またひとつコンサートのあしあとが刻まれます。

久石譲 Concert 2015-

 

久石譲 富山公演 2015

 

Blog. 久石譲&新日本フィル 「現代の音楽への扉」コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/5/10

新日本フィルハーモニー交響楽団が主催する「新・クラシックへの扉」その特別編「現代の音楽への扉」に久石譲が登場しました。事前の雑誌インタビューでは本企画への想いを語っています。

 

「定評ある入門シリーズなので、僕のコンサートが入るのは、新しい形の実験だと思います。今回は、調性の崩壊を促した『トリスタン和音』が使われている、ワーグナー『トリスタンとイゾルテ』前奏曲から始まって、シェーンベルクの『浄夜』、そして現代の音楽であるペルトの交響曲第3番というプログラムを組みました」

(MOSTLY CLASSIC 2015.2 vol.213 より)

 

 

新・クラシックへの扉・特別編 久石譲 「現代の音楽への扉」

[公演期間]
2015/05/05

[公演回数]
1公演
東京・すみだトリフォニーホール

[編成]
指揮・解説:久石譲
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』より前奏曲
シェーンベルク:『浄められた夜』 op.4(弦楽合奏版)
アルヴォ・ペルト:交響曲 第3番

—-encore—-
アルヴォ・ペルト:スンマ、弦楽オーケストラのための

 

 

【楽曲解説】

ワーグナー/ 楽劇『トリスタンとイゾルデ』より第1幕への前奏曲
作曲:1857-59 年
初演:1859 年3月12日プラハ(前奏曲のみ)、1865 年6月10日ミュンヘン(楽劇全曲)

『トリスタンとイゾルデ』は、中世から伝わる有名な悲恋物語 ― コーンウォールの騎士トリスタンとアイルランドの王女イゾルデが誤って媚薬を飲み、愛し合ってしまう ― をドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーが脚色・作曲し、楽劇(オペラ)として完成させた作品です。その内容を集約した第1 幕への前奏曲に関して、ワーグナー自身が次のようなプログラム(標題)を書き残しています。「トリスタンは、叔父の[コーンウォール]王に嫁ぐイゾルデを、王のもとへ連れて行く。トリスタンとイゾルデは、実は[最初から]愛し合っている。最初は抑えることの出来ない憧れをおどおどと訴え、望みなき愛を震えるように告白し、その告白が恐るべき爆発を起こすまで、音楽に込められた感情は、内なる情熱と格闘し続ける絶望的な努力の一部始終を辿っていく。そして、感情は無意識の中に沈み、情熱は死と区別がつかなくなる」(1863年12月27日、ウィーンでの演奏のための解説)。ごく大まかに、曲の最初に3回登場するチェロと木管のモティーフが「憧れ」を表し、管弦楽の強奏の後に出てくるチェロのモティーフが「愛」を表し、この2 つのモティーフが絡み合いながら爆発的なクライマックスを迎え、あたかも死を迎えるように静まっていくというのが全体の構成ですが、特に重要なのは最初の「憧れのモティーフ」。チェロと木管が最初に重なる時、ヘ(F)、ロ(H)、嬰ニ(Dis)、嬰ト(Gis)の4 音からなる和音(俗にトリスタン和音と呼ばれる)が鳴り響くのですが、このトリスタン和音のせいで、音楽がどの調に向かおうとしているのか、曖昧になってしまうのです。トリスタン和音を聴いた19 世紀の作曲家や音楽学者は、長調や短調に基づく西洋音楽の作曲システムが、もはや機能しなくなったと危機感を覚えました(調性の崩壊)。その結果、多くの作曲家が新たな作曲システムを模索するようになります。

[楽器編成] フルート3、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット3、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦楽5部。

 

シェーンベルク/浄められた夜op. 4(弦楽合奏版)
作曲:1899 年(弦楽六重奏版)、1917 年(弦楽合奏版への編曲、1943 年改訂)
初演:1902 年3月18日ウィーン(弦楽六重奏版)、1918 年3月14日ライプツィヒ(弦楽合奏版)

上に述べた調性の崩壊の後、新たな作曲システムを模索し、現代の音楽への扉を開いていったのが、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルクです。彼が24 歳の時に作曲した『浄められた夜』は、リヒャルト・デーメルの同名詩をプログラム(標題)として用い、その内容を(歌うことなく音楽だけで標題を表現した交響詩のように)室内楽で表現する斬新な手法で書かれた弦楽六重奏曲(本日演奏されるのは、コントラバス声部を追加した弦楽合奏版)。この作品で、シェーンベルクはワーグナーのトリスタン和音の方法論をさらに拡大し、半音階を多用することで調性システムの限界に挑みました。曲はデーメルの詩の構成に従う形で作曲され、全体は情景描写(A)― 女の声(B)― 情景描写(A’)― 男の声(C)― 情景描写(A”)の5 つの部分から成り立っています。まず(A)では、暗いニ短調の音楽が恋人たちの重い足取りを表現しますが、その終わり近く、ドキリとするようなピッツィカートが突如として鳴り響き、息を呑むような沈黙のフェルマータを挟んで(B)に移ります。この(B)は、狂おしいまでに揺れ動く女の感情を半音階を駆使して表現した、全曲の中で最も激しい部分です。重い足取りの音楽が再び戻って(A’)の情景描写となりますが、重苦しい音楽が消え行くように静まった後、光が明るく差すようなニ長調の音楽が始まり、(C)となります。『トリスタンとイゾルデ』の愛の二重唱を彷彿させる陶酔的な音楽が展開した後、(C)は虚空の中に消え去り、最後の(A”)が第2 ヴァイオリンのさざ波と共に始まります。この(A”)では、最初の(A)で登場した重い足取りの音楽が美しい長調に変容し、文字通り夜を浄めるようにして全曲が閉じられます。

[楽器編成] ヴァイオリン I, II、ヴィオラ I, II、チェロ I, II、コントラバス。

 

アルヴォ・ペルト/交響曲第3 番(1971)
作曲:1971 年
初演:1972 年9月21日タリン

シェーンベルクが開いた現代の音楽への扉は、無調、十二音技法、セリー主義といった新たな作曲システムへの道を導き、20 世紀の作曲家たちは調性に全く頼ることなく、音楽を作曲することが可能になりました。しかしその反面、音楽があまりにも複雑になり過ぎ、伝統的な長調と短調に馴染んできた聴き手は、理解不能に陥ってしまいます。そうした状況の中で、一種の揺り戻しを試みた作曲家のひとりが、エストニアのアルヴォ・ペルトです。1960 年代に十二音技法やセリー主義の作品を作曲していたペルトは、当時エストニアを併合していたソ連当局から圧力を受けたこともあり、1968 年から新作の作曲を止めてグレゴリオ聖歌や中世音楽の研究に没頭します。交響曲第3 番は、その研究の成果が具体的に現れた作品です。驚くべきことにペルトは、切れ目なく演奏される3 つの楽章のすべてを、全曲の最初に登場するわずか3 つの短いモティーフから生み出すという大胆な試みに挑んでいます(以下の分析はポール・ヒリアー著『Arvo Pärt 』に基づく)。すなわち、第1 楽章の冒頭でオーボエとクラリネットのユニゾンが出すモティーフ(X)、続いて堂々たる金管とベルが出すモティーフ(Z)、その直後に2 本のクラリネットが忙しなく動き回る3 連符のモティーフ(Y)がそれです。このうち、Z のモティーフは、調性システムが確立する以前の中世音楽で頻繁に用いられていたランディーニ終止(音符がシ―ラ―ドと動く終止形)と呼ばれる技法に基いています。交響曲第3 番の作曲後、ペルトは作曲の素材を極度に切り詰めていく手法を開拓していきますが、その音楽は同時代のアメリカ人作曲家(テリー・ライリー、スティーブ・ライヒ、フィリップ・グラスなど)の手法と一括りにして、現在ではミニマル・ミュージック(最小限の音楽)と呼ばれています。そして、日本でいち早くミニマル・ミュージックの作曲に取り組んだ作曲家のひとりが、本日の指揮者、久石譲に他なりません。昨年10月、高松宮殿下記念世界文化賞受賞のために来日を果たしたペルトは、久石と直接対面し、交響曲第3 番の演奏を久石に託しました。本日の演奏は、西洋と東洋をそれぞれ代表するミニマリスト2 人の歴史が交叉する、記念すべきコンサートとなるでしょう。

[楽器編成] ピッコロ、フルート2(アルトフルート持替)、オーボエ3、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン4、テューバ、ティンパニ、グロッケンシュピール、マリンバ、タムタム、チェレスタ、弦楽5部。

(サウンド&ヴィジュアル・ライター 前島秀国 )

(新日本フィルハーモニー交響楽団 公式サイト プログラムPDFファイルより)

 

 

Related page:

 

久石譲 現代の音楽の扉

 

Blog. 「クラシック プレミアム 35 ~モーツァルト5~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/5/5

クラシックプレミアム第35巻は、モーツァルト5です。

全50巻中、5回にわたって特集されてるモーツァルトも、今号がその最後となります。第2巻モーツァルト1にて、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》、ピアノ協奏曲 etc、第6巻モーツァルト2にて、交響曲 第39番・第40番・第41番《ジュピター》、第12巻モーツァルト3にて、ピアノ・ソナタ集 第8番・第10番・第11番、第27巻モーツァルト4にて、5大オペラ名曲集《フィガロの結婚》 《魔笛》 etcとなっています。今号収録の協奏曲たちも、聴いたことのある旋律ばかりです。

 

【収録曲】
クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
ザビーネ・マイヤー(バセット・クラリネット)
ハンス・フォンク指揮
ドレスデン国立管弦楽団
録音/1990年

フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299
ジャン=ピエール=ランパル(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ジャン-フランソワ・パイヤール指揮
パイヤール室内管弦楽団
録音/1963年

ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412・514
ヘルマン・バウマン(ホルン)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1973年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第34回は、
シェーンベルクの天才ぶりとその目指したものは……

前号では、2015年台湾コンサートでも演奏された、「ショスタコービッチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47」についての考察が、指揮者として、そして作曲家としての久石譲ならではで語られていました。今号では、シェーンベルク作曲:『浄められた夜』 op.4(弦楽合奏版)について。この作品も2015年5月5日開催コンサート「新・クラシックへの扉・特別編 「現代の音楽への扉」」で演奏されるもので、その準備段階、久石譲の楽曲研究・指揮勉強の時期に、執筆された内容となっています。とても充実したエッセイ内容となっています。

一部抜粋してご紹介します。

 

「アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)の《浄められた夜》は弦楽のための作品で、約30分かかる大作だ。もともとは1899年に弦楽六重奏曲として作曲されたのだが、1971年、それから1943年にもそれぞれ手を入れ、いずれも出版されている。」

「この連載との関連性でいうと、まずシェーンベルクはユダヤ人、それから作曲家は時間が経つと手直しをしたくなる変な習性があることか(笑)。」

「実は5月5日にこの曲を演奏することになっている。新日本フィルハーモニー交響楽団の「新・クラシックへの扉」というシリーズでの出演だが、他にリヒャルト・ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲、ホーリーミニマリズムのアルヴォ・ペルトさん(去年、高松宮殿下記念世界文化賞で来日したときにお会いした)が書いた交響曲第3番というなんとも大変なプログラムだ。まあ現代の音楽入門編といったところだが、よく考えると「なんで『こどもの日』にこんなヘビーな選曲なの? 《となりのトトロ》を演奏したほうがいいんじゃないか!」と自分でも思う。でも観客のことを考えるとそうなるのだが、作曲家はやはり自分の興味のあることがやりたいことなので、仕方ない。」

「それで今猛勉強中なのだが、とにかく各声部が入り組んでいるため、スコアと睨めっこしても頭に入ってこない。いろいろ考えたあげく、リハーサルの始め頃は連弾のピアノで行うので、そのための譜面を自分で書くことにした。やはり僕は作曲家なので自分の手で音符を書くことが覚える一番の近道だと考えたのだが、それが地獄の一丁目、大変なことになってしまった。」

「《浄められた夜》は室内楽なので、音符が細かい。例えば4/4拍子でヴィオラに6連符が続くと4×6=24、他の声部もぐちゃぐちゃ動いているので一小節書くのになんと40~50のオタマジャクシを書かなければならない(もちろん薄いところもある)。それが全部で418小節あるのである! そのうえ、4手用なので、弾けるように同時に編曲しなければならない。全部の音をただ書き写しても音の量が多過ぎて弾けないので、どの声部をカットするか? もう無理なのだが、どうしてもこの音は省けないからオクターヴ上げて(下げて)なんとか入れ込もうとかで、とにかく時間がかかる。実はこの作業は頭の中で音を組み立てているのだから、最も手堅い、大変だが確実に曲を理解する最善の方法なのだ。」

「年が明けてから、映画やCMの仕事をずっと作ってきて、台湾のコンサートが終わってからこの作業に入ったのだが、昼間は作曲、夜帰ってから明け方まで譜面作りと格闘した。それでも一晩に2~3ページ、小節にして20~30くらいが限度だった。毎日演奏者に定期便のように送っているのだが、他にもすることが多く、実はまだ終わっていない、やれやれ。」

「もしかしたらこれは多くの作曲家が通ってきた道なのかもしれない。マーラーやショスタコーヴィチの作品表の中に、過去の他の作曲家の作品を編曲しているものが入っている。リストはベートーヴェンの交響曲を全曲ピアノに編曲している(これは譜面も出版されている)。これからはもちろんコンサートなどで演奏する目的だったと思われるが、本人の勉強のためという側面もあったのではないか? モーツァルトは父親に送った手紙の中で、確か「自分ほど熱心にバッハ等を書き写し、研究したものはいない」と書いていたように記憶している。モーツァルトは往復書簡などを見る限りかなり変わった人間ではあるが、天真爛漫な大人子供のイメージは映画『アマデウス』などが作った虚像だったのかもしれない。」

「そんなことを考えながら、何度も書いては消し、書いては消している最中にふと「久石譲版《浄められた夜》を出版しようかな」などと妄想が頭をよぎる。もちろんシェーンベルク協会みたいなものがあったらそこに公認されないと無理だろうけど。」

「それで改めてシェーンベルクの天才ぶりがわかった。ピアノ版に直していく過程でどの音域でも音がかぶることろがほぼ見当たらなかった(もちろん半音をわざとぶつけてはいるが)。ベートーヴェンは意外に頓着がなく、交響曲第5版の第2楽章の中に出てくるのだが、第2ヴァイオリンとヴィオラが和音を刻んでいる中を、同じ音域で第1ヴァイオリンが結構平気で駆け上がっていく。要はそんな細かいことはどうでもいいというくらい音楽が強いのだが、こと技術的なことを言えばシェーンベルクは歴史上最も優れた作曲技術の持ち主だった。しかも作品番号4ということは若い頃の作品だ。普通は一生かかっても身に付かない技術をこんなに若いときに手に入れるなんて、その先どうやって……ワーグナーも影響下にあった彼が次に目指すものは……。結局、無調に走り、十二音音楽を始めるしかなかった。それを僕は強く実感した。」

 

 

作曲家、指揮者、ピアノ、あらゆる音楽的側面をもつなかで、「自分の肩書は作曲家である」と最近もよく公言している久石譲です。そんな作曲家の久石譲が、他作曲家の作品を伝えたいという思いから演目に入れること、指揮者としての水面下での研究と勉強、エッセイにもあるとおり《久石譲の仕事》としても忙しいなか、ひとつの楽曲・ひとつのコンサートに臨むために、こんな膨大な経過があるのかと唸ってしまいます。それでも他作曲家・他作品を久石譲が今取り上げる所以、本人としては確固たる想いがあるのだろうと思います。

こういう秘話を垣間見ることで、久石譲コンサートに行く姿勢が変わるといいますか、久石譲作品であっても、そうでない楽曲であったとしても、心して聴かなければと襟を正される思いです。そして、こういった指揮活動やクラシック音楽の研究・勉強という蓄積が、次の久石譲作品に昇華されていくのだと思います。それがなによりも一番楽しみなところです。

シェーンベルク《浄められた夜》も久石譲コンサートで演奏されると知ってから、初めて耳にし、今ではよく聴いています。まさに美しい旋律、弦楽が織りなす美です。遠く近く、広く深く、ストリングスの響きにのみ込まれます。

 

 

クラシックプレミアム 35 モーツァルト5

 

Blog. 「久石譲 ~Piano Stories 2008~」 コンサート・パンフレット より

Posted on 2015/5/1

2008年開催コンサート・ツアー「Joe Hisaishi Concert Tour ~Piano Stories 2008~」全国全11公演にて、久石譲のピアノと12人のチェリストという斬新的な編成で、パーカッションなどもまじえたアコースティック・コンサートです。

どういう時代の楽曲たちがプログラムに並んでいるかというと、映画「崖の上のポニョ」や映画「おくりびと」から、このツアー後の翌年に発売されたオリジナル・アルバム、『Another Piano Stories ~The End of the World~』に収録されることになる、まさに発売に先駆けてのコンサートお披露目となった楽曲たちです。実際にインタビューにもあるとおり、このツアー中にレコーディングされている、熱量そのままの作品です。

 

久石譲 『Another Piano Stories』

 

Joe Hisaishi Concert Tour 〜Piano Stories 2008〜
Presented by AIGエジソン生命

[公演期間]43 Joe Hisaishi Concert Tour
2008/10/13 – 2008/10/29

[公演回数]
11公演
10/13 長野・まつもと市民芸術館
10/15 東京・サントリーホール
10/17 東京・東京芸術劇場 大ホール
10/18 新潟・りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
10/19 神奈川・ミューザ川崎シンフォニーホール
10/22 愛知・愛知県芸術劇場 コンサートホール
10/24 大阪・ザ・シンフォニーホール
10/25 奈良・マルベリーホール 新庄町文化会館
10/27 兵庫・アワーズホール 明石市立市民会館
10/28 広島・広島厚生年金会館
10/29 福岡・福岡シンフォニーホール

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
12人のチェロ:
ルドヴィート・カンタ、古川展生(10/13以外)、諸岡由美子、唐沢安岐奈、海野幹雄、ロバン・デュプイ、三森未來子、小貫詠子、大藤桂子、堀内茂雄、中田英一郎、櫻井慶喜、羽川真介(10/13のみ)
マリンバ:神谷百子
パーカッション:小松玲子(10/24,27以外)、服部恵(10/24,27のみ)
ハープ:ミコル・ピッチョーニ、田口裕子
コントラバス:イゴール・スパラッティ

[曲目]
第1部
Oriental Wind

[ETUDEより]
Moonlight Serenade ~ Silence
Bolero
a Wish to the Moon

[V.Cello Ensemble]
Musée Imaginaire

Departures

第2部
[Piano solo]
夢の星空
Spring
Zai-Jian

The End of the World
Movement 1
Movement 2
Movement 3

[Woman of the Era]
Woman
la pioggia
崖の上のポニョ
Les Aventuriers
Tango X.T.C.

—–アンコール—–
Summer
Madness
スジニのテーマ (大阪・兵庫・福岡)
あの夏へ (奈良・福岡)

 

 

コンサート会場で販売されたツアー・パンフレットに、このコンサートにかける久石譲の想いが綴られています。それをご紹介します。

 

 

久石譲 コンサートを語る

-まず、今回のコンサートの大きな特徴であるチェロアンサンブルを起用した理由、チェロ12人を選んだわけとは?

久石:
5年前に、ピアノとチェロ9人の編成で[ETUDE ~a Wish to the Moon~]というツアーを行ったんですが、とてもうまくいったので、いつかまたやりたいと思っていたんです。それで、2008年のコンサートはチェロ主軸でいこうかと考えていたときに、今公開中の「おくりびと」という映画のお話をいただいて、偶然にも主人公がチェロ奏者という設定だった。そこで、思い切ってこの映画の音楽は、チェロ12人+ソリストを主体にしたサウンドトラックをつくったんです。通常、映画の場合にはたくさんの曲が必要とされ多くの楽器を用いることが多いのですが、敢えてチェロをメインに据えたことが効果を奏し、監督をはじめ関係者の皆さんも非常に喜んでくれましたし、自分の中でも満足できる出来ばえだった。尚かつ、映画自体も数々の賞をいただいて、大勢の皆さんが観てくれている。そういうきっかけもあって、自分の中では、そろそろチェロを主体にした、チェロ × ピアノのツアーを行う時期ではないかと思っていたんです。

 

-[ETUDE]ツアーのときはチェロ9人でしたが、今回は12人に増えてさらにパワーアップしていますね、それは何か意図的なものが?

久石:
12という数字に特別な思い入れがあった訳ではないんですが、最近のチェロアンサンブルというと、”ベルリン・フィル12人のチェリストたち”に代表されるように、12人で組む形態が主流になってきている。例えば、”弦楽四重奏”や、”木管五重奏”と同じように、”チェロ12人”というのがクラシックの一つの形態として定着しています。そこで、このチェロ12人の編成を採用したんですが、そのために非常に苦しむ大変な目に遭いました。

というのも、通常の弦楽器セクションの書き方では、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ(+コントラバス)と4部のパートがあって、例えばド/ミ/ソ/ド/という風に4つの音による和音を演奏します。そして音の数を増やしたいときにはそれぞれのパートを更に二手に分け、計8つの音による和音を演奏するんです。もちろん色々な場合がありますが、全体のバランスを考えるとそれが基本です。

ですから、今回のツアーのように12人いる場合、弦4部と捉えて4パートに分けると1パートが3人ずつ。でも、この3人というのが鬼門で、8つの和音を各パートに2音ずつ振り分けると、どうしても1人ずつ余ってしまうんです。この通常の書き方が通用せずに、やはり難しくて、どうしよう!困った!……と(笑)。これでは、あまりにも難しい書き方になってしまうので、悩んだ挙句、自分の解決策として、4人1組のチェロ”カルテット”が3組あるという考え方に辿り着いたんです。要するに、第1カルテット、第2カルテット、第3カルテットという発想で書くことによって、全く違う動きをもたせることが出来るようになった。その上で、一人一人の奏者が更に独立したり共同したりという様々な動きを見せることによって、タペストリーのように非常に細かい動きを出していこうと思ったんです。

 

-3人のトリオ×4組と、4人のカルテット×3組といった組み替えが起こることで、緻密な動きと様々な表情が楽しめるということですね。

久石:
そうなんです。でもそのアレンジには大きな難点があって、細かな動きを一人一人指定していく、それも12人のチェリストに指定するのには莫大な時間がかかってしまって……。こんなにもこの編成で書くのが大変なことで、オーケストラの作品を1曲書くのと同じくらいの時間がかかってしまうとは、当初は予想していませんでしたね。

実は、この秋ツアーの直前には、200名のオーケストラをはじめ総勢1200人近い大規模編成のアレンジをしたんですが、そのときに費やした労力と同じくらい時間を要してしまったんです。確かに、大きい編成の方が複雑で難しいと思われがちだけれども、実は、今回のように少人数の編成でも、優れたチェロ奏者がそれぞれ独立して、あるいは共同しながら音楽をつくっていくような譜面を書くのは、非常に複雑な作業で……。

一見、小さい世界なんだけれども、その中にはそういう巨大な編成と同じくらいの世界があると。だから、それぞれのパートをしっかり書くことで、緊張感がさらに増してオーケストラのフル編成に負けないぐらいのスケールの大きい曲が書けたと思っています。

 

-12人のチェロとピアノに加えて、今回のコンサートではパーカッション、ハープ、コントラバスという新しい要素が取り入れられていますね。

久石:
やはり、前回よりも更に進化している必要がありますよね。普通、大規模なオーケストラでないとハープ2台は使わないと思うんですが、そこを敢えてこの小さい編成で取り入れ、マリンバ、ティンパニまで入ったパーカッションが2人と、そしてコントラバスを付け加え、全く新しい編成で、世界にもないスタイルでの挑戦です。

 

-新曲「The End of the World」について、強いメッセージ性が感じられます。

久石:
この曲は、もう本当に一言で表わせば、「After 9.11」ということなんです。「9.11(アメリカ同時多発テロ)」以降の世界の価値観の変遷と、その中で、政治も経済もそこで生きている人々も、今の時代は、どこを向いてどう頑張っていけばいいのか分からなくなってしまっているんじゃないかと、最近とみに考えるようになって。

今年はたくさんの作品や映画音楽を書かせていただき、監督たちとコラボレーションすることで自分を発見する楽しい作業に数多く恵まれましたが、それとは対極の、ミニマル作曲家である本来の人という立場から、自身を見つめる時期も必要であると。そして、今回の限られたわずかな時間しかない中でも、どうしてもつくらなければならないと、個人的な使命感にも似た感覚を強く感じて、書いた作品なんです。

今回は優れたチェリスト12人とハープとパーカッション、コントラバスという特別な編成で、せっかく演奏できる機会でもある。ならば、単に書きためたものを発表するだけではなくて、今どうしても聴いてもらいたい作品をつくりたかった。それで、書いた曲です。

 

-「世界の終わり」という非常にインパクトあるタイトルも目を引きます。

久石:
実は、直前まで決定するのに苦しんでいて、やっと「The End of the World」というタイトルに決まったんです。この「The End of the World」には同名のスタンダード曲も存在して、「あなたがいないと私の世界が終わる」というような意味のラブソングです。でも、この曲のあなたを複数形でとらえ、あなたたちが存在していなければ、世界は終わってしまうといった、もっと広い意味で捉えると、たぶん今、僕が考えている世界観にとても近いんじゃないかと感じて、敢えてこの同じタイトルを用いた理由です。

楽曲は、1楽章は4分の6拍子から始まり、最終楽章が8分の11拍子という、大変難しい曲。おまけに、絶えずピアノが鳴らす基本リズムがあり、それに他の楽器が絡み合う、本当に”世界のカオス”、まさに”混沌”を表現するような、アンサンブル自体がカオスになってしまうんじゃないかというくらいの難曲になってしまいました。

 

-対して、もう一つの新曲「Departures」は、非常に柔らかなイメージが湧いてくるのですが。

久石:
これは、映画「おくりびと」のために書いた楽曲を、今回、約14分の組曲風に仕立て上げました。どちらかというとこちらの新作は、精神的な癒し、あるいは究極の安らぎをテーマにした楽曲でもあるんです。

 

-世界中に拡がる不安な時代を象徴した「The End of the World」と、精神世界の柔和と安寧を印象づける「Departures」、そこに「Woman of the Era」というコーナーが加わることにも注目できますね。

久石:
「Era」という言葉は、ある特定の時期を表す言葉なんだけど、タイトルをそのまま直訳すると「時代の女」。もっと言うと「オンナの時代」(笑)。今の時代は、男性よりもやはり女性が強いということなんですよね。基本的に社会を含めた世の中の構造は、男社会の構造になっていると思うのですが、結局今の時代、それでは機能しなくなってきてしまった。特に、「9.11」以降、機能自体が崩壊したというか……、やはりこの世界をきっちり生き抜いていくには、そして不安な時代の中でもちゃんと力を発揮しているのは女性特有の強さなんだなと思うんです。

で、このコーナーに「崖の上のポニョ」が入っているのは意外かと思われるかもしれませんが、ポニョは5歳といえども立派なレディ、あるいは”Woman予備軍”。そう位置づけると、ひたすら自分が思った行動に忠実に生きているポニョも、力強く生きる女性像として、男性も見習わなきゃいけない原動力を持っているんだよ、という。その意味でいうと「ポニョ」も、この「Woman of the Era」の括りの中に入ってくるんですよね。

このツアー中にレコーディングを予定しているのですが、来年初頭に発表する予定の次回作のアルバムタイトルには「Woman of the Era」でいければいいなぁと、今は思っているんです。

(久石譲 コンサート・ツアー ~Piano Stories 2008~ コンサート・パンフレットより)

 

ピアノ・ストーリーズ コンサート2008 P

 

Blog. 久石譲 「日本経済新聞 入門講座 音楽と映像の微妙な関係 全4回連載」(2010年) 内容紹介

Posted on 2015/4/23

2010年日経新聞夕刊に全4回連載された入門講座「音楽と映像の微妙な関係 久石譲」です。

この連載では、久石譲が映画音楽について語っています。しかしながら、そこには自身が手掛けた映画音楽ではなく、他の映画作品、他の映画音楽をテーマに考察しています。登場する作品は、『ベニスに死す』『グラン・トリノ』『2001年宇宙の旅』『アバター』新旧織り交ぜた不朽の名作たちばかりです。

どういう視点で映画および映画音楽を見ているのか?今日の日本映画音楽における巨匠ともなっている久石譲による貴重な映画音楽講座になっています。末尾に、雑誌インタビューで語っている「グラン・トリノ」や「2001年宇宙の旅」の話も紹介していますので、興味のある方はご参照ください。

 

 

 

音楽と映像の微妙な関係 1

映画音楽は映像の伴奏ではない__。宮崎駿監督らの作品を華麗な旋律で彩ってきた作曲家、久石譲さんは明確な信念を持つ。古今の名作を検証。映画音楽の神髄が表れたケース、逆に表現が萎縮した例などについて熱く筆を振るう。

 

「かけ算」の美学に昇華

「普通の音楽と映画に付ける音楽とは何が違うんですか?」
インタビューで受ける質問ベスト10ではかなり上位に入る。

「”ふつう”の音楽はそれだけで100%、映画なら映像と音楽を足して100%になるようにします」などと答えているが、人間は「百聞は一見に如かず」というくらい視覚のインパクトが強いので聴覚側の音楽はやはり肩身が狭い。理想は「映像と音楽が100%ずつ発揮したうえで成立する映画」なのだが、そんな不可能なことを可能にした作品を僕は知っている。

『ベニスに死す』だ。
音楽はグスタフ・マーラー、監督はルキノ・ヴィスコンティ。もちろんマーラーがこの映画のために書いたのではなく交響曲第5番の第4楽章アダージェットとして書かれた名曲を使用しているので厳密に言えば映画音楽ではない。が、まちがいなくここでは映像と音楽が足しあうのではなく、かけ算にしてみせて我々の度肝を抜くのである。

といっても、派手なものではなく冒頭の船のシーンを観るだけでわかるように、マーラーの切々とした孤高の音楽と画面の隅々まで神経を配った無駄のない映像が、晩節を迎えた老作曲家を通し人間というものを、人が生きるということを描くのではなく深く体感させるのである。

以下具体的に見ていくと音楽の入っている箇所は約12カ所でそのうちこのアダージェットが5カ所、しかもかなり長く使用している。他はホテル内での生演奏や教会の賛美歌、広場の流し芸人や美少年の弾く「エリーゼのために」などで、状況内音楽が多い。状況内音楽とはそのシーンのどこかで流れているであろう音楽のことだ。例えば喫茶店で流れるクラシック音楽、飲み屋さんの演歌、野球場での応援歌などで映像の一部に映っていることも多いので無理なくドッキングする。

それに対する状況外音楽が我々の言う映画音楽で日常流れることはあり得ない。つまり映画音楽というもの自体が不自然で非日常なのだが、映画自体がフィクション(作りもの)なのだから映画音楽が最も映画的というレトリックも成り立つ。この場合アダージェットがそれに相当する。他にマーラーの歌曲と思われる(残念ながら失念)曲も重要だ。

トーマス・マンの原作では主人公グスタフ・アッシェンバッハは老作家なのだが映画では老作曲家に変更している。しかも風貌を含めて限りなくマーラーのイメージに近づけていて追い打ちはマーラーのアダージェットなのである。これではこの主人公がアダージェットの作曲家であるグスタフ・マーラーだと言わんばかりなのだが、このイメージをダブらせるような演出こそが最大のトリックであり最大の映画的効果なのである。ヴィスコンティ恐るべし。

次回はイーストウッド症候群というプロの映画音楽家を絶滅させんばかりの強いウイルス性を持つクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を検証する。

(日本経済新聞(夕刊)2010年(平成22年)4月1日付 夕刊文化 より)

 

 

音楽と映像の微妙な関係 2

「監督、この殺人シーンの音楽どんなイメージですか?」
「うーん、やっぱりミスティック・リバーみたいな感じですかね」。

「ラスト、ヴォーカル入ってもいいですね、グラン・トリノみたいな」と僕。吉田修一原作、李相日監督の「悪人」という映画の音楽打ち合わせの会話である。そして話題に挙がった2本ともクリント・イーストウッドの作品だ。

「許されざる者」から最新作「インビクタス」までこれといった派手な仕掛けはなく淡々としているのだが細部に神経が行き届き、やたら感情を煽るでもないのだが深く感動させる。御年79歳、このところ精力的に映画を発表している最も旬な監督である。

それはいいのだが、大きな問題がある。音楽がヘタウマなのだ。良く言うと素朴、悪く言うと素人っぽい。白たま(全音符のこと)にピアノがポツポツみたいな薄い音楽が主体だから映像を邪魔するようなことはない。しかも監督自ら作曲することが多いので映像と音楽の呼吸感も見事なものだ。だがそれは両方兼業(特に近年)する彼にしかできないことで、修練を積んで来たプロの作曲家にヘタウマ風に書けと言っても無理なのだ。この手の音楽が主流になったら大変、そこで「グラン・トリノ」を検証してみる。

 

絶妙な抑制の響き

全部で23曲、冒頭のクレジットに流れるメインテーマはフレットレスベースのシンプルなメロディーでこの映画の音楽の要である。正直僕はこの手の先の読めるメロディー、つまりあるフレーズがありそれが和音進行に従いお決まりのコースを辿るのが嫌いだ。やれやれと思いながら見ていくと、その後インストゥルメントで、歌詞なしのスキャットで、そして歌でと6シーンにわたって流れるのだが、だんだん良く聞こえてくるのである。特にラストシーンではイーストウッド自身が1コーラス渋く歌いそのままジェイミー・カラムの歌でエンド・ロールに繋がっていくところが感動的なのだ。うまい、ちょっと参った。

原因はやはりシンプルなメロディーにある。冒頭に流れたものがストーリーの進展とともに成長していくのである。これは誰も意識してないのに確実に情動を煽る。しかもイーストウッドの場合は下品ではない。むしろ抑制を利かしている分、映画全体の品格を上げている。この他には計6回使われるサスペンス調の曲と悲劇的な曲で、以上が状況外音楽いわゆる映画音楽だ。後は基本的に先週説明した状況内BGMで、アジアン暴走族の車からのラップ、隣家の室内シーンの民族音楽などだ。

確かに映像と音楽の関係は両者を生かし素晴らしい作品となっている。が、基本的には映像を邪魔しないものに主眼が置かれているのは「映像と音楽は対等であるべきだ」と考えている僕にはやはり物足りない。

そう考えているとき「悪人」の劇場用5.1サラウンドミックスの音楽がリテイクになった。原因はエコーを多用し包み込むような優しい音響にし過ぎたせいだ。そうイーストウッドの映画のように。李監督は「録音のときの弦のすさまじい音が忘れられないんです。つまりイーストウッドというより久石さん風ですかね」。未来の大監督は清々しく笑った。

次回は巨人中の巨人、スタンリー・キューブリックを検証する。

(日本経済新聞(夕刊)2010年(平成22年)4月8日付 夕刊文化 より)

 

 

音楽と映像の微妙な関係 3

わかりやすいということは決して良いことではない。難解な映画や音楽、絵画などに接したとき「これは何?」という畏怖にも似た疑問がおこる。だから頭を働かせる。わかろうとするからだ。あるいは自分の感覚を最大限広げて感じようとする。そこにイマジネーションが湧く。もちろん優れた作品であることが前提だ。何も大衆性を否定しているわけではない。その両方がない作品に接する時間ほど無駄なものはないと考えるのだが、作る側としてはそのさじ加減が難しい。

スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」はその答えの一つである。冒頭の古代の人猿から有名な宇宙を航行する宇宙船のシーン、そして舞台は月に移りコンピューターのHALが暴走し、その後木星に行く。謎の物体「モノリス」をめぐる展開だが一貫した主役はなく各シークエンスも関連性に乏しくわかりづらい。最初予定していた解説やナレーションをキューブリックが過剰な説明は映画からマジックを奪うと考え削除したせいもある。僕は最初これは映画ではないとさえ思ったのだが、何度か見ていくうちに映像と音楽の関係性に圧倒され、今では僕の「名作中の名作」である。マーラーやブルックナーの交響曲のように何度も接しないと良さはわからないのだ。

 

突き抜けた芸術 大衆に届く

映画全体の音楽は15曲(メドレーは1曲として)で数は多くはないが一旦鳴りだすと長く使っている。その関係は映像に付けるのではなくてむしろ映画自体を引っ張っていくエンジンのような役割だ。ちなみに「博士の異常な愛情」は10曲と多くなく、オープニングとエンディングの4ビートのスタンダードナンバーを除くと爆撃機に流れる西部劇のような曲だけというシンプルさだ。

話を戻して、まず驚くのは宇宙航行にヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」を使っていることだ。無重力の漆黒の宇宙に浮いた宇宙船がワルツのリズムに乗って現れたときは仰天した。それまではホルストの「惑星」まがいの曲が主流だったのに(その後はジョン・ウィリアムズ風か)、ワルツである。今ではそれがスタンダード化したが、メインタイトルのリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」も原曲は知らなくとも誰もがこの映画で知るようになった。

その他ハチャトゥリアンの「ガイーヌ」のアダージョもあるが、なんといっても衝撃を受けるのはジェルジ・リゲティの曲の使用である。20世紀後半のもっとも重要な現代音楽の作曲家だが難解である。早い話が不協和音なのである。オープニングでは画面は何も映らず結構長く名曲「アトモスフェール」がかかり、月面の低空飛行では「ルクス・エテルナ」、それに「レクイエム」が頻繁に使われラストの白い部屋では「アヴァンチュール」である。圧巻は木星と無限の彼方(異次元への突入)で15分にわたり流れる3曲ほどのメドレー。多くの監督が望む大衆性とは真逆の姿勢をキューブリックは音楽でも貫く。そしてこの作品以降クラシック音楽を多用するようになる。

決してわかりやすい音楽と映像の関係ではないが、そこには新鮮な「何?」が必ずあり、我々のイマジネーションを駆り立てるのである。

次回は「アバター」を通してエンターテインメント映画での音楽を検証する。

(日本経済新聞(夕刊)2010年(平成22年)4月15日付 夕刊文化 より)

 

 

音楽と映像の微妙な関係 4

「アバター」を見た。監督自ら”もののけ姫”を参考にしたシーンもあると発言していたが、僕は”ラピュタ”も参考にしたと思う。雲間から見たナヴィの国は間違いなく天空の城と同じカットだった。ジェームズ・キャメロン監督はおそらく宮崎さん(宮崎駿監督)に尊敬の気持ちを込めて引用したのだろう。

彼の特徴は「ターミネーター」のロボットや「エイリアン2」の地球外生物に感情移入させることができる演出にある。「アバター」のキャラクターも最初は気が引けたがすぐ感情移入できた。では大ヒットした「タイタニック」にそういう存在はあったか? 船です、タイタニック号自体がその役目をしていた。

ドラマ設定の時間と空間が多重になっていることも良い。主人公ジェイクの現実世界と彼がシンクロするアバターが活躍する国の二重構造があり、最初はそれぞれ別のシークエンスになっているが徐々に接近し、最後はそれが一つになりクライマックスになる。これはうまい。「ターミネーター」でも時間軸を捻った同じ構造がみられる。

ただし登場人物は善と悪がはっきりしすぎていてドラマが平板。対立構造はわかりやすいが深みが感じられない。典型的なハリウッド映画だ。

「アバター」を見終えた感想は、そんな単純構造を捨てて映画を作り続ける宮崎さんの世界はいかにクオリティーが高いかということだった。

 

大衆性と芸術 共存めざせ

音楽はジェームズ・ホーナー、前回登場したジェルジ・リゲティに英国で師事する。スコットランド的などこか懐かしいメロディーラインと節度のあるオーケストレーションがいい。

2時間42分の映画のほとんどに音楽が付いているので、前回までのように全部で何曲というように数えられない。エンターテインメント映画の宿命か。こういう鳴りっぱなしの場合は音楽密度を薄くし劇と馴染ませる工夫がいる。逆に音楽が少ない場合は瞬間の凝縮力(音の厚さではなく)が要求されるわけで、どちらも難しさは変わらない。

ナヴィの住む国のテーマは耳に残るが、「ターミネーター」のパーカッションと「タイタニック」のメロディーを合わせたような音楽は新鮮味に欠ける。一番気になったのはナヴィの世界のコーラス(これは状況内音楽)がエキゾティズムを出すため第三世界、特にアフリカ系の音楽をベースにしているのが音楽帝国主義のようで好きではない。

エンターテインメント映画の場合、ストーリーで引っ張るケースが多いので音楽はそれに寄り添うしかなく、場面チェンジでの音合せが多くなる。それぞれのシーン(状況)と主人公(感情)に音楽を対立させるようなこともあまりできない。早い話が「スター・ウォーズ」のダースベイダーのテーマのように登場人物に付けることも多い。だからここには「音楽と映像の微妙な関係」は存在しない。

大勢の人に楽しんでもらうことがエンターテインメント映画の主な目的だが、多くの映画人はそれで終わらせず、何か一つ心に響くものを見る人に伝えたいと思っている。音楽も全く同じで、映像の制約の中で作品性を追求する。前回書いたわかりやすい(大衆性)ということと芸術性は共存することができるのではないか?と僕は考える。その答えを探しつつ、とりあえず今は中国映画の音楽を書いている。

(日本経済新聞(夕刊)2010年(平成22年)4月22日付 夕刊文化 より)

 

 

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Blog. 「クラシック プレミアム 34 ~リスト ピアノ作品集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/4/20

クラシックプレミアム第34巻は、リストです。

誰もが耳にしたことがある「愛の夢」から、村上春樹の長編小説でも一躍脚光を浴びた「巡礼の年」など、リストのピアノの世界へひきこまれていきます。

ピアノだけの音色とは思えないほどの色彩豊かな世界、そして一人で弾いているとは思えない難易度の高い楽曲の数々。リストの魅力は、そういった超絶技巧を駆使したなかにも、しっかりと聴かせる、心に響く旋律があるところでしょうか。

 

【収録曲】
《パガニーニによる大練習曲》 LW-A173 (S141) より 第3曲 〈ラ・カンパネラ〉
《愛の夢》 LW-A103 (S541) 第3番 変イ長調
ホルヘ・ボレット(ピアノ)
録音/1982年

《ハンガリー狂詩曲集》 LW-A132 (S244) 第6番 変ニ長調
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
録音/1960年

《超絶技巧練習曲集》 LW-A172 (S139) 第5番 〈鬼火〉・第8番 〈死霊の狩り〉
ホルヘ・ボレット(ピアノ)
録音/1985年

《3つの演奏会用練習曲》 LW-A118 (S144) 第3曲 〈ため息〉
《2つの演奏会用練習曲》 LW-A218 (S145) 第1曲 〈森のざわめき〉
ホルヘ・ボレット(ピアノ)
録音/1978年

《巡礼の年 第1年 スイス》 LW-A159 (S160) より
第4曲 〈泉のほとりで〉・第8曲 〈ノスタルジア〉
ラザール・ベルマン(ピアノ)
録音/1977年

《巡礼の年 第2年 イタリア》 LW-A55 (S161) より
第5曲 〈ペトラルカのソネット 第104番〉
《巡礼の年 第3年》 LW-A283 (S163) より
第4曲 〈エステ荘の噴水〉

アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音/1986年、1979年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第33回は、
クラシックは演奏するたび新しい発見がある

前号ではクラシック音楽を指揮する久石譲が指揮者としてのあれこれや体験談をまじえた内容でした。今号でもその続きとなるわけですが、2015年今年初のコンサートとなった台湾(台北/台南)でのコンサート舞台裏を垣間見ることができます。演奏プログラムでもあった「ショスタコービッチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47」についての考察もめぐります。

一部抜粋してご紹介します。

 

「台湾でショスタコーヴィチ作曲の交響曲第5番を指揮した。2月の終わりで中華圏では旧正月明けの華やいだ時期だった。台北と台南の2回公演だったが、おかげさまでチケットは両日とも即日完売。台南はホールの外でもスクリーンを設置し、約1万人以上の人が詰めかけた、ロックコンサートでもないのに。実は昨年の5月もそこでコンサートを行ったのだが、同じく数万人の人が押し寄せた。もちろん台湾でも異例なことだ。ただそのときはベートーヴェンの第9交響曲だったのでまだわかるが(それもよく考えると何だか変だが)、ショスタコーヴィチと僕の曲でこれほど人が詰めかけるとは、僕自身が驚いている。ちなみに台湾は世界の名だたるオーケストラのツアーサーキットに入っていて観客の耳は肥えている。その観客はとても素直で熱心に聴いてくれて、オーケストラ(国家交響楽団)と僕はかなりハイテンションの演奏ができた。」

「もう一つ、忘れられない出来事!それはコンサートが終わってから駅までパトカーに先導されて移動したこと。去年、人が大勢出過ぎて交通渋滞を起こし、共演したウィーンの合唱団の人たちが危うく列車に乗り遅れるところだった。その反省からか今回はパトカーが待機。コンサート終了を待って、駅まで誘導していただいたのである。」

「だいぶ脱線したが、台湾では音楽家としてパトカー先導されたのだからこれはちょっとうれしい。だから駅に着いてから運転していた警察官たちと記念写真を撮った。もちろん頼まれたからではあるが。」

「ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、前回、読売日本交響楽団と演奏したのだが(これは当時の「深夜の音楽会」という番組でオンエアされた)、そのときより僕自身だいぶ進化し、全体のテンポ設計や、細部の表現、何よりも何が行いたいのかより明確にオーケストラに伝えられたのではないか、と思っている。」

「そして一番わかったことは「革命」というタイトルを持つこの楽曲が(これは日本だけでしか呼ばれていない)、実はとてつもなく暗く、表の表現とはかけ離れているところにショスタコーヴィチ本人はいたということだ。つまり苦悩から歓喜へ、闘争から勝利へ、というベートーヴェンの第5番、第9番やマーラーの第5番交響曲と同じ図式に従って全体は構成しているが決して歓喜でも勝利でもないのである。表面上をそうすることで党から睨まれている状況から脱出したが、本人の心はいたってクール、冷めて見ているのがよくわかった。だからといってこの楽曲を適当に書いたのではなくて、むしろ裏に託した批判の精神、孤独などが痛いほど僕には感じられた。だから第4楽章ラストのテンポは色々議論の的なのだが、これは遅ければ遅いほどよいというのが僕の結論。凱旋パレードのように華やかに盛り上げるのは以ての外。まるであたりを埋め尽くしている戦車軍団がゆっくり進軍していくようなA音(ラ)の連打がここの決め手になる。もちろんこれは僕の考えで、人に押し付けられるものではない。やはりクラシックは演奏するたびに新しい発見がある。」

「そういえば僕の指揮の師でもある秋山和慶先生はベートーヴェンの第9番をなんと400回以上指揮されたと伺った。恐るべし、と言いたいのだが、もっと凄いことを先生は仰った。「これだけ演奏してもまだ毎回新しい発見があるんだよね、それで頑張ろうと……」 やはり、クラシック音楽は奥が深い。」

 

 

ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、ムラヴィンスキー指揮やレナード・バーンスタイン指揮などで名盤があります。うえのふたつはどちらもライブ録音(しかも東京公演)が、よくレビューなどで話題にあがっています。もちろんエッセイにもあるようにテンポのことでもいろんな感想など。

気に入ったクラシック音楽に出会えたときに、そういった聴き比べをしてみるのもおもしろいですね。明らかに「これが同じ楽曲とは思えない!」という感動に出逢えるときがあります。

 

また、2月に開催された台湾公演での、セットリスト(アンコールまで)、および久石譲も語っていたその”熱狂的な様子”は現地写真付で公開しています。

こちら ⇒ Info. 2015/02/27 《速報》 久石譲 「世紀音樂大師-久石譲」 台北コンサート プログラム

 

そうこうしているうちに、2015年日本での久石譲の熱い夏がやってきそうです!

 

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