Blog. 黒澤映画の作曲家たち (モーストリー・クラシック 2007年9月号より)

Posted on 2015/3/22

クラシック音楽誌「モーストリー・クラシック 2007年9月号 Vol.124」に久石譲インタビューが掲載されました。

こちら ⇒ Blog. 「モーストリー・クラシック 2007年9月号」 久石譲インタビュー内容

 

特集が「音楽と映画 成熟した関係」というテーマだったこともあり、ほかにも興味深い記事がたくさんありました。そのなかから黒澤明監督と作曲家たちをめぐる記事がありました。久石譲とは直接的には関係ないのですが、久石譲インタビューでもよく登場するキーワードがあります。

「対位法」 「ライトモチーフ」

これらの言葉の意味や、映像と音楽における対位法的関係がわかりやすく述べられています。またいかに、映画監督×音楽監督というものが一期一会の巡り合わせなのか、そこから生まれる化学反応やはたまた苦悩や一触即発なかけひき。

映像と音楽、監督と作曲家、黒澤明と早坂文雄、宮崎駿と久石譲、etc 置き換えて俯瞰的に見ることで、日本映画音楽の歴史がわかります。

そして黒澤映画時代に切り拓いた映画音楽の新しい世界を、現代の映画音楽巨匠久石譲がどのように継承しているのか、継承しつつもまた違った新しい世界を切り拓いたのか。そういうことに思いを巡らせながら興味深く読んだ特集でした。

 

 

MUSIC × CINEMA

黒澤映画の作曲家たち

映画における音楽の重要性を認識していた黒澤明。
完璧主義であり、何事にも妥協を許さない姿勢が、
映画製作だけではなく、映画音楽にも新しい方向性をもたらした。
情感を増長させる響き、内面から湧き出る旋律を思い描きながら映像を作る黒澤映画は、日本の映画音楽の分岐点となった。

(文:西村雄一郎 映画評論家)

 

「映像と音楽の関係は”映像+音楽”ではなく、”映像×音楽”でなければならない」

これは、黒澤明が音楽について述べたキーワードのような言葉である。この考えを具体的に実践してくれたのは、黒澤にとって唯一無二の作曲家だった早坂文雄である。1948年の映画「酔いどれ天使」のなかで、親分に裏切られた肺病やみのヤクザ(三船敏郎)が、闇市をとぼとぼ歩くシーンに、陽気で活発な「カッコウ・ワルツ」を流したのだ。

悲しい場面には悲しい音楽、楽しい場面には楽しい音楽を流すのが通例であるのに、あえて逆の音楽を使用する。つまり場面を説明し、装飾し、なぞっていくような前者の映画音楽の付け方を”映像+音楽”、場面の雰囲気とは正反対の音楽をぶつけることによって、その場の感情を増幅させる後者の方法を、”映像×音楽”と呼んだのである。

こうした掛け算ともいうべき音楽の使い方を”対位法”という。もともと音楽用語であって、全く異なるメロディーを同時進行させる技術のことを意味するが、これを映画に応用させたのだ。以後、対位法は、音と映像が絡み合う、黒澤の自家薬籠中のテクニックとなっていく。

それまで、デビュー作「姿三四郎」を担当した鈴木静一や、終戦直後の「わが青春に悔なし」の音楽を書いた服部正といった年長者の作曲家には、そうした大胆な実験精神はなかった。黒澤は早坂と組むことによって、自分の考える音楽設計が実現できることを大いに喜んだ。

早坂の代表作というべき「七人の侍」では、ワーグナーが使用した”ライトモチーフ”という手法を生かしきる。ある人間、感情などを象徴する短い楽句を状況に合わせて発展させ、楽器を変えて演奏するのだ。特に勇ましくも哀しい「侍のテーマ」は、外国でも最も親しまれた日本の映画音楽となった。

さて、黒澤の映画音楽のもう一つの特徴は”テンプトラック”という点である。つまり音楽の具体的なイメージが強い黒澤は、既成のクラシック音楽のレコードを作曲家に提示して、「こんな音楽を書いてくれ」と注文する。しかし、似て非なるものを出せと言われた作曲家にとって、これは苦渋の方法だ。にもかかわらず、早坂は全霊を傾けて、黒澤の要求を受け入れた。

最もいい例が「羅生門」。真砂(京マチ子)が証言しながら陶酔感に陥っていくシーンで、黒澤はラヴェルの「ボレロ」のレコードを持って来た。作曲家は見事な早坂「ボレロ」に仕立てたが、ヨーロッパで公開後、フランスの楽譜出版元から「ラヴェルの剽窃(ひょうせつ)ではないか」という抗議の手紙が届いた。

55年、早坂が41歳で病死してからは、弟子の佐藤勝が音楽を引き継いだ。バーバリズム溢れる「用心棒」は、一世一代の傑作となった。「赤ひげ」では、第九や「びっくり」交響曲をモデルとしながらも、佐藤は堂々たる音楽を書いた。しかし「影武者」では、あまりのモデル曲の多さに閉口し、音楽監督の座を自ら降りている。

武満徹も被害に遭った作曲家だった。「どですかでん」は問題なく録音できたが、「乱」の三つの城炎上シーンでは、マーラーの「大地の歌」の〈告別〉に執着した黒澤と、険悪な関係になる。武満は「僕とか佐藤さんは、早坂の弟子という思いが強いんでしょうね」と苦笑した。

最晩年の作品を担当した池辺晋一郎の場合は、モデル曲で悩むことはなかったが、黒澤はすでにクラシック曲そのものを使うようになっていた。もはや作曲家は要らないのだ!「夢」では「コーカサスの風景」の〈村にて〉が、「八月の狂詩曲」ではヴィヴァルディの「スターバト・マーテル」が、そして遺作「まあだだよ」では、同じくヴィヴァルディの「調和の霊感」第9番第2楽章がラストで流されて、黒澤映画のフィナーレを飾ったのである。

 

内「乱」勃発寸前!?
信頼を勝ち取った音楽家たち
「乱」 作曲:武満徹 指揮:岩城宏之 演奏:札幌交響楽団

談:竹津宜男 元・札幌交響楽団ホルン奏者/事務局長

ロンドン交響楽団が演奏する予定だった「乱」の音楽は、武満さんが「僕の音が出せるのは札響だ」と言い張り、黒澤さんが折れる形で札響の演奏で収録しました。「田舎のオケでは3日かけても1曲も録れないだろう」と、録音に立ち会った黒澤さんは、無愛想でまともな挨拶もないまま、音楽について細かく指示していました。一方、自分の音楽をいじくり回されている武満さんは、表面上は気にせず、石の人のようでした。

テイク40くらいでしょうか。「いただきます」の声がかかり、一番長く最も重要な曲のレコーディングを初日の午前中だけで録り終えたのです。黒澤さんは、オケに深々とお辞儀をして「千歳まで来た甲斐がありました」とおっしゃって、その後は武満さんに指示を任せるようになりました。

武満さんの音楽に慣れていて、違和感なく音に入っていった札響と自然にさり気ないながら、何回、演奏し直しても何分の1秒と狂わず同じニュアンスを表現する岩城さんとのコンビネーション。それが武満さんの選択を黒澤さんに納得させたようです。

(モーストリー・クラシック 2007年9月号 Vol.124 より)

 

 

黒澤映画の歴史を紐解くと、音楽家たちの系図がわかります。早坂文雄の弟子が佐藤勝だったのと同じく、佐藤勝の弟子(のような存在)にあたるのが久石譲です。そうやって受け継がれているなにか、もあるのかもしれません。

また「テンプトラック」の話の補足です。映画監督が映画製作中に聴いている音楽が影響することは多々聞きます。何気なく聴いているものだったり、意図して聴いているものだったり。意図して聴くものとしては、映画シーンのイメージを膨らませるため、もしくはイメージにぴったりでそのまま使いたいか「テンプトラック」として注文するか。

 

 

宮崎駿監督作品では、こういったエピソードはあまり出てきません。映画製作中、作業中に聴いていた音楽の話。もちろんそこには先行してイメージアルバムを制作している、久石譲の作品用音楽モチーフがすでにある時期だから、ということもあるのかもしれません。

それでも、映画『崖の上のポニョ』に関しては、公式サイトにておもしろい製作現場話が公表されています。

 

 

”ワーグナーの「ワルキューレ」”を聴きながら”

宮崎監督がこの作品の構想を練っている最中にBGMとして良く聴いていた音楽は、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の全曲盤でした。「この音楽を聴くとアドレナリンがでる」とスタッフに話していたという証言もありますが、かのヒットラーが第二次世界大戦のドイツのプロパガンダに使用したように、ワーグナーの音楽は人間の精神を高揚させる力に溢れています。

そんな「ワルキューレ」が作品に影響を与えたとしても不思議なことではありません。
ポニョの本名が“ブリュンヒルデ”という設定で、それがワルキューレという空駆ける9人の乙女たちの長女の名前から来ていることや、娘を心配する父ヴォータンの魔法で眠らされてしまうこと、そもそもワルキューレの世界観が、今まさに終わりの時を迎えようとしている神々の世界が舞台であることからも推察できます。楽劇に登場するヴォータンは神々の長であり、世界の終焉を回避しようとあれこれ奔走する設定。そこにはポニョの父親フジモトの姿が浮かび上がってくるではありませんか。

(出典:映画『崖の上のポニョ』公式サイト より)

 

 

ワーグナーの「ワルキューレ」が、映画製作中の宮崎駿監督に図らずも?!大きな影響を与えたことはここで明らかです。さてここで、宮崎駿監督から久石譲に「テンプトラック」として注文があったのか。つまり、ワーグナーのワルキューレの第◯幕に出てくる◯◯ような音楽をあのシーンで書いてほしい、など。

それは想像の域を超えませんが、ジブリ音楽初の本格的混声合唱も取り入れ、「ロマン派や印象派の作風をイメージした」ともポニョ音楽に関して語ったことのある久石譲。これは久石譲が宮崎駿監督の製作現場風景を見聞きしていて、敬意を表して取り入れることを自ら決断したのか、はたまた宮崎駿監督から深からず浅からずそういったオーダーがあったのか。そういったことに思いを巡らせることも、またおもしろい聴き方です。

 

やはり監督×音楽の化学反応の一期一会を感じるエピソードです。才能と才能のコラボレーションもそうですが、その時だからこそこういうふうに化学反応したんだ、というのが必ずあります。そんないろいろな過程や背景の結晶としてカタチになっていくのですね。かけがえのない映画、かけがえのない映画音楽。あらためてそんなことをおもった特集でした。

 

 

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モーストリー・クラシック 2007.9

 

Blog. 「モーストリー・クラシック 2007年9月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/3/20

クラシック音楽誌「モーストリー・クラシック 2007年9月号 Vol.124」にて久石譲インタビューが掲載されています。

特集が「音楽と映画 成熟した関係」という今号テーマで、そのなかで久石譲インタビューが取り上げられています。なぜクラシック音楽を勉強しているのか?なぜクラシック音楽を指揮しているのか?指揮者と演奏家を両立させる意味は? そのようなことが語られています。

ちょうどタイミングとしては、「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ There is the Time」コンサートをひかえてのインタビューです。インタビュー内容と、最後に同コンサート演奏プログラムを載せていますので、照らし合わせながら読み進めるとおもしろいと思います。

 

 

MUSIC × CINEMA

久石譲が語る
「僕の中の映画音楽、指揮、クラシック音楽、そして未来」

宮崎駿、北野武両監督などの映画音楽を手がけ、近年は海外からの依頼も多い。久石譲の名声は今、世界に轟いている。一方では、ピアニストとして、2004年からは「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)」で本格的な指揮活動を開始した。いくつかの「顔」を持ち、さまざまな活動で進化を続けながらも、原点の音楽は常に意識している。

 

-久石さんのなかでの映画音楽の特徴はなんでしょう。

久石:
映画の音楽は、他の音楽ととこが違うかというと、映像と一緒になって効果を出すものだということが大前提になっていることです。両者が一体になった時に100%の効果が発揮させるように作るのです。音楽が語りすぎてもいけないのです。

黒澤監督も音楽を中心とする場面では、あえて映像だけでは物足りないように作っておき、音楽が入って満足できるものにすると言っています。

もう一方で、僕は常に映画的な表現を踏まえた上で、イマジネーション豊かな曲が書けたら、映像と相乗効果を上げて映画全体が魅力的になってくるとも思っていて、単独で聴いても魅力のある音楽を書かなければならないとも思っています。

 

私は、映画的な表現と音楽の関係について
常に考えながら作曲しています。

-映画的な表現というのは、具体的にどういったことですか。

久石:
舞台やテレビとは違うところなのですが、例えば、Larkという銘柄が刻まれたライターでたばこに火をつけるとします。舞台だと、客席から舞台まで距離があるので「Larkのライターで、たばこに火をつけた」という台詞が必要です。テレビだとライターでたばこに火をつけるのは説明の必要がないのですが、銘柄は見えないので、それを言う必要がある。映画の場合は、大画面でしかもアップで映りますから一目ですべてが分かる。ですから、劇伴のように走るシーンでは速いテンポ、泣いたら哀しい音楽という場面の説明ではなく、一歩進んで哀しいシーンでも、妙に楽しい音楽をつけると、哀しさが増していくこともある。それは映画音楽的な表現です。私は映画的な表現と音楽の関係について常に考えながら作曲しています。

-音楽大学では、映画音楽に直結するようなことを学ばれたのでしょうか。

久石:
音楽大学の作曲科では、基本的なクラシック音楽の作曲の勉強をしました。クラシック音楽には、ソナタ形式を基本とした交響曲など具体的な音楽形式を追究していく流れがある。その一方で、オペラなどの劇的な要素を持った音楽も作られていました。その後者の流れが今日的には映画音楽にも反映しているわけです。

それに音楽大学の作曲科では、クラシック音楽の管弦楽法を学び、オーケストラ曲を書く技術を習得します。多くの楽器を使って音楽を書く技術や教養を持っていると、監督が要求してくるさまざまなニュアンスを表現し、表現の幅を広げることができる。ただ、僕の場合は、基礎的な管弦楽法は学びましたが、現代音楽に興味を覚え、ミニマルミュージックに出会ったことが、僕の原点になっています。大学で習得したことの延長線上にあるわけではありません。

-クラシック音楽を勉強したことが、基礎となっているのですね。

久石:
そうですね。でも、そこから先は、活動を進めていく過程でいろいろなことを勉強していきました。どんどん音楽の表現は進んでいきますから。でも最近になって、もっとクラシックの勉強をやっておくべきだったと思っているんです。それは、2004年からW.D.O.を指揮し始めたのがきっかけです。そこで演奏するワーグナーの楽譜を見直すと、学生時代には派手な音だなという印象しかなかった「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の前奏曲に書かれている対旋律の使い方やハーモニーの複雑な動きに感心したり、「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲の旋律の絡みの妙にも驚きました。

-ヴェルディやラヴェルなどのクラシック音楽の作品を指揮することで、映画音楽に影響を及ぼしていることはありますか。

久石:
指揮をするようになって、楽譜を深く読み込むようになりました。それに、どのようにすればオーケストラがいい音を出すのか、よく鳴らすとはどういうことなのかが、実際に指揮することでわかってきました。

作曲家で指揮者のクシシトフ・ペンデレツキは、音楽というのは、書いて演奏するまでのすべてを自分でやるべきだと言っています。自分が、指揮者として演奏家にどう表現するかを実際に伝えると、自分が譜面で書き足りなかった部分がわかってくるし、自分の考えていた音と実際に出てきた音が違ったりするという体験もしました。そういった実践を通じて「男たちの大和/YAMATO」や韓国映画の「トンマッコルへようこそ」など、オーケストラを使った映画音楽で表現の幅が広がりました。

-活動領域は広がっていますが、ご自分の活動をどう位置づけられていますか。

久石:
音楽家ですね。そのなかには映画音楽の制作、ソロアルバムの作成、ピアノ演奏、オーケストラを指揮するコンサートなどの活動があります。映画音楽の作業は、あくまで監督とのコラボレーションなので、自分の意思だけで音楽を作ることはできない。そういった共同作業を絶えず続けていくと自分自身が何を表現したいのかを見失いがちになりますから、映画音楽に偏り過ぎないようにしています。

-来年の夏に公開される宮崎駿監督の長編映画「崖の上のポニョ」の音楽を手がけられますが、どのようなものになりそうですか。

久石:
5歳の子供と人間になりたいと願う魚の女の子の交流を描いた話なので、その世界観を音楽にも反映させようと思い、前作の「ハウルの動く城」のような大編成のオーケストラを使ったものとは違った、純粋でシンプルな音楽にもチャレンジしたいと考えています。映画が公開されたら、幼稚園の子供たちがみんなこのテーマを口ずさんでいる状況になってくれたらありがたいですね。

-新しい領域へのチャレンジも続きますか。

久石:
最近、決心したことがあり、新たな試みも考えています。そして、オーケストラのシンフォニーのような少し大きな作品を体力のあるうちに作りたいと思っています。

(「モーストリー・クラシック 2007年9月号 Vol.124」より)

 

 

参考)

久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ There is the Time
Presented by AIGエジソン生命

[公演期間]久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
2007/8/2〜2007/8/12

[公演回数]
7公演(大阪/長野/東京2公演/広島/愛知/福岡)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
ゲストヴォーカル:林正子

[曲目]
ProgramA(長野/池袋/広島/福岡)
World Dreams
[W.D.O.BEST]
マイスタージンガー序曲
パイレーツ・オブ・カリビアン
ロシュフォールの恋人たち
24 Theme
Mission Impossible
[久石譲 with W.D.O.]
Winter Garden 1st&2nd movement
天空の城ラピュタ
For You
遠い街から
Quartet
la pioggia
水の旅人
—–アンコール—–
太王四神記
となりのトトロ

ProgramB(大阪/すみだ/愛知)
World Dreams
[W.D.O.BEST]
マイスタージンガー序曲
パイレーツ・オブ・カリビアン
ロシュフォールの恋人たち
24 Theme
Mission Impossible
[Rock’n roll Wagner]
ツァラトゥストラはかく語りき〜We Will Rock You
Smoke on the Water〜Burn
Stairway to Heaven
Bohemian Rhapsody
ワルキューレの騎行
la pioggia
水の旅人
—–アンコール—–
太王四神記
Summer

 

モーストリー・クラシック 2007.9

 

Blog. 「クラシック プレミアム 31 ~ムソルグスキー / リムスキー=コルサコフ~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/3/14

クラシックプレミアム第31巻は、ムソルグスキー / リムスキー=コルサコフです。

 

【収録曲】
ムソルグスキー
組曲 《展覧会の絵》 (ラヴェル編曲)
クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1993年(ライヴ)

リムスキー=コルサコフ
交響組曲 《シェエラザード》 作品35
フレデリック・ラロウ(ヴァイオリン・ソロ)
チョン・ミュンフン指揮
パリ・バスティーユ管弦楽団
録音/1992年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第30回は、
コンサートマスターってどんな人?

オーケストラ楽団のなかにおいて重要や役割とポジションのコンサートマスターについてわかりやすく、そして普段わからない裏側をのぞくことができます。コンサートマスターを理解したうえで、さらに指揮者との関係性ややり取りも読み進めることができます。

一部抜粋してご紹介します。

 

「前回、コンサートマスターの素晴らしい力演でいい演奏会ができたことを書いた。ところで、コンサートマスター(第1ヴァイオリンの一番前、客席側に座っている、いわばオーケストラのリーダー的存在)の具体的な役割などについて、ご存じのかたは意外に少ないのではないだろうか。」

「まず、僕が常々不思議だと思っているのは、コンサートマスターを務める人は、最初からコンサートマスター、あるいはその候補者としてオーケストラに入ってくることが多いことだ。普通はヴァイオリンの後ろの席から始めて、オーケストラの経験を十分に積んで、徐々に上りつめてコンサートマスターになると考えそうだが、そういうケースはあまり聞かない。オーケストラ経験のない若いヴァイオリニストでも、オーケストラの顔であるコンサートマスターとして白羽の矢が立つ。」

「では何をもってコンサートマスターの資質としているのだろうか。ヴァイオリンのうまさは当然だが、人をまとめる力があるというのも大きな条件になるのだろう。テクニック、統率力、人格、あるいは「華」とでもいうものなのか……。オーケストラ団員から見れば、あの人だから安心してついていけると思える人、もし若い人だとしても、この人なら育てようと思わせる人ということか。そして、あるオーケストラのコンサートマスターが、ほかのオーケストラに移る時、その場合もほとんどはコンサートマスターとして移籍するのだ。」

「舞台の裏からいうと、楽屋に指揮者の控室があるように、コンサートマスターの控室もある。ちなみにオーケストラ団員の個別の控室はない。つまり、コンサートマスターはオーケストラの中でも、特別なポジションなのだ。」

「ではその仕事。僕が初めてオーケストラを指揮したときのこと。木管楽器の奏者たちに合図をしようと思ったとき、当然、目が合うと思っていたのだが、なんと奏者たちの目が泳いでいるのだ。僕を見ていない。視線の先をたどると、みんな僕の左下あたり、コンサートマスターに目を向けていた。つまりオーケストラの人は、極論すると指揮者の僕を見ていなかったのだ!」

「なぜそんなことが起こるのかというと、そのオーケストラにあまり慣れていない指揮者の場合、コンサートマスターがまず指揮者の意図を理解し、それに他の奏者がついていくというのがオーケストラの基本のパターンだからなのだ。それだけコンサートマスターの役割は大きい。まさにオーケストラの顔だ。」

「僕は指揮をしていて気分が乗ってくるとついテンポを速めたくなることがあるのだが、お互い理解し合っている気心の知れたコンサートマスターだと、そんな時にはわざとテンポを遅らせてくる場合がある。そして目で「ここままだ急がずに」と合図を送ってきて、僕も目で応える。演奏中の阿吽の呼吸での会話だ。」

「どんなに大きな楽器編成で複雑な曲の場合でも、指揮者が一度にできることは限られている。手が8本もあれば細かく指揮できるのだが、そうはいかない。全体的なことや音楽の表情などの指示はもちろんするが、そこから先の細かいところまではできないこともある。そこで奏者は、音を出す細かいタイミングを、コンサートマスターの弓の動きに合わせることになる。」

「それはオーケストラの活動のあり方にも関係がある。ひとつのオーケストラの年間演奏数を100回として、それを何人の指揮者が振るのかを考えてみればわかっていただけると思う。少なく見積もっても数十人。次々に違う指揮者と限られたリハーサル時間だけで本番の舞台に立たなければならない。そういう状況の中で、オーケストラの奏者全員が指揮者だけを見ていたら、アンサンブルが成立しない。特に指揮の打点(拍の頭を示す指揮の動きのポイント)がわかりにくい場合などは、コンサートマスターに合わせることになる。」

「時には、オーケストラでも事故が起こる。だんだんアンサンブルが乱れてきて、このままいくと事故につながるというとき、いい指揮者はそこで危険を察知して回避する。そして、コンサートマスターもそれをいちはやく察知し、弓のボウイング(上げ下げ)を大きくして、オーケストラ全員にどこが拍の頭かを知らせるなどして事故を回避しようとするのだ。そうした数々の場面で、この人ならついていける、と思わせるものがあるから、コンサートマスターが務まるのだろう。やはり途轍もなくたいへんな役割なのだ。」

 

 

具体的でとてもわかりやすい内容でした。

オーケストラ演奏会を体験するときには、指揮者・コンサートマスターにも注目しながら聴くと、また違った味わいや感動を得ることができるかもしれませんね。

久石譲の上記エッセイでは、とても論理的に関係性や役割が書かれていましたが、先日紹介したバックナンバーでは、巻末の「西洋古典音楽史」コラムより、『なぜ指揮者がいるのか?(上)(下)』を2回にわたり特集していました。もっと具体的に、もっと辛辣に!?オーケストラ団員と指揮者の関係が語られていて、どの楽団も同じ、日本も海外も同じ、ということがよくわかります。

興味のある方はあわせて読むと、よりオーケストラの舞台裏がわかっておもしろいと思います。いや、結果、指揮者の重要性と名指揮者とは何か? がわかる内容です。

こちら ⇒ Blog. 「クラシック プレミアム 28 ~ピアノ名曲集~」(CDマガジン) レビュー

こちら ⇒ Blog. 「クラシック プレミアム 29 ~ブラームス2~」(CDマガジン) レビュー

 

クラシックプレミアム 31 ムソルグスキー

 

Blog. 「キーボードスペシャル 1995年3月号」 久石譲 ピアノレッスン講座

Posted on 2015/3/12

先日「キーボードスペシャル 1995年3月号 No.122」より当時新作『MELODY Blvd.』の久石譲インタビュー内容をアップしました。

こちら ⇒ Blog. 「キーボードスペシャル 1995年3月号」 久石譲インタビュー内容

 

同雑誌には、実はページを進めると、久石譲が再び登場しています。やさしいPIANO講座 というコーナーです。なんとここで、久石譲の楽曲を、久石譲本人が直々に、レクチャーしているわけです。これはかなりお宝もの、貴重だと思います。

オフィシャル・スコア(久石譲監修 楽譜)でも、ここまでこまかいレクチャーはもちろんありません。譜面しかありません。1曲を具体的に、しかも、作曲者本人、自らもピアノ演奏している、ここが「お宝もの」と言っているところです。

ピアノ講座ですので、それなりに楽器をしていないと、ちんぷんかんぷんな内容かもしれません。コードネーム(和音)や楽典用語も多数でてきます。ただ、そこは作曲家であり編曲・アレンジもする久石譲だけあって、ピアノのみならず楽曲の構成に関する話や、他の楽器の話、他楽器パートをふまえてのピアノパートの弾き方など、とても内容の濃いものになっています。

また、あの独特な久石譲ピアノ奏法の秘密も発見できます。またまた!最後には久石譲の毎日のピアノトレーニング法も初公開!40~45分の特別メニューを作って、それをほぼ毎日練習している、という内容です。

ピアノをやっている方も、そうでない方も、楽器をやっている方も、音楽を聴く方なら、楽しめる音楽話だと思います。忠実に記していますので「譜例」などの注釈がでてきます。これは雑誌内にはもちろん譜面の例がたくさん表記されているのですが、ここで譜例は出てきませんのでご了承ください。

 

 

 

やさしいPIANO講座 久石譲 「Piano」をマスター!

久石譲さんが、映画音楽からのベスト・メロディに英詞をつけたセルフ・カバー・アルバム『MELODY Blvd.』を発表。NHKの連続テレビ小説でおなじみ「ぴあの」からの、ピアノ・プレイについてくわしく教えてもらおう。

 

●コードネームで表せないことも

-今日は、アルバムの中から「Piano(ぴあの)」のピアノ・プレイについて教えてください。まずイントロの部分ですが…。

久石:
「イントロは音域が広いね。左手が分散和音になるからたいへんですよね。あんまり自分で意識したことはないけど(笑)。」

-左手のいちばん下の音は、基本的にコードのルートを押さえているのですか。

久石:
「…僕の場合、コードネームで表せないことがけっこう多いんですよ。簡単に言うと、出だしがAでその次はBm7。ふつうはこう〈譜例①a〉行くんだけど、僕の場合だと〈譜例①b〉なんです。正式には〈譜例①c〉で、Bの音が絶えず残っているんですよね。ここがこの曲でいちばん大事なコード進行になるから、イントロでも同じなんですよね。進行が、Aメロなんかと似ているコード進行でわざと変えているから、大事なのはそのへんのニュアンスが出るか出ないかですよね。」

「ほかのキーでやると、もっとハッキリするんですよ。もともとのキーはE♭majなんです。だから、このへんのコード感がすごく大事。あくまでコード感を大切にしてほしいのと、maj7のコードがけっこう多いので、コードがどんどん変わっていくんです。そういう意味では、これをピアノで弾く時はあくまできちんと進行を押さえていかないとつらいですね。また、パッシング・コードなんかも多いから、そのへんをうまく弾けるといいでしょう。」

-Aメロのバッキングで、メロディとピアノのフィル・フレーズの兼ね合いについてはどうでしょう。

久石:
「Aメロのバッキングはギターだけなんで、僕がピアノでよくやるのは単音のバッキングなんです。やっぱり自分がサウンドを聴いていて思うのは、”いつもピアノがコードを鳴らしていたり、一生懸命弾かなければいけないというわけじゃない”ということ。ピアノの単音はとても美しいから、効果的なところに入れるのは好きなんです。あと、こういうフィル〈譜例②a〉が入ってくるとか、あるいはコードで一生懸命弾いて入ってくるよりは、こういうオブリガード〈譜例②b〉を大切にしたいね。」

 

●ソロをとる時は”ルーズ”に

-間奏ではピアノがメロディをとっていますが、弾き方のポイントを教えてください。

久石:
「間奏の部分は、基本的な弾き方で言うとルーズにルーズに後ろに弾くんですよ。要するにパキパキと弾くのではなくて、あくまで実際のリズムより後ろ後ろで弾いていく。コードを弾く時も左手に”ひっかけ”〈譜例③〉を入れていきます。そして転調していくわけですけど、基本的にメロディのソロをとる時は、できるだけルーズ…つまり”あとノリ”にします。その感じはすごく大切かもしれない。ただし、うんとリズミックな曲の時は逆に突っ込ませるけど。」

「あと、3オクターブだったら3オクターブでやる時に、全部の音が同時には発音していないんです。分散和音のようにずれていますよね〈譜例④〉。微妙なんですけど、ジャストのタイミングでは弾いていないんですよ。こういうメロディを弾く時はちょっとずらす、そうすると音がやさしくなるんです。自分でソロを取る時は、そういうことにすごく気をつけて弾いています。」

「あとはね、基本的にバッキングはレンジ〈音域〉の取り方が一番大切です。僕の場合だと、真ん中のCの音を中心にしたあたりからちょっと下ぐらいを目安に、だいたい弾くんですよ。全体としてギターがもうちょっと上のほうの単音の音で入ってくる前提で考えるから、どうしてもレンジとしてはこうなる〈譜例⑤〉。ものによって左手がうるさくなる場合は、左手をうんとシンプルに弾いてみる。そういう感じでリズム・バッキングは弾いていますね。」

「ただ、人によってずいぶん高いレンジで、もうこのぐらい〈譜例⑥〉弾いてしまう人がいます。どうしてもこのへんの高いレンジになると、ボーカルにぶつかってくるから、ボーカルよりもやや低めのレンジを使うケースのほうが、僕は圧倒的に多いです。それはストリングにも言えることで、ストリングもだいたいこのへんのレンジと、ちょうどボーカルが入りそうなところを抜いたところと上、という計算でやっていますからね。同じようにバッキングもギターとのコンビネーションによりますけど…。」

「たとえば、ギターがすごくガンガンくる時とかは、ベースのフレーズ〈譜例⑦〉を聴かせたいから、バッキングはこのレンジ〈譜例⑧〉でいきます。ところが、もうひとりのキーボード奏者とギターが入った時は、わりとレンジを高くとってモードで全部押してしまっているケースもあります。」

「それから、低音でうまく5度上を使うといいですよね。つまり音を重視させる時に、とくに弦なんかを書く時には、こういう配置〈譜例⑨a〉はすごく大切です。倍音構造的な話になるんだけど、手があるならばこういう配置〈譜例⑨b〉が僕はいちばん好きですね。」

「それからピアノ・ソロの時には、やっぱりどうしたってベース・ラインを押さえなければいけないから、ベース・ラインをきちんと弾いていったほうがいいですね。ただしポップスでベース・ラインがあるとうるさくなって音が濁ってしまう場合もあるので、ケース・バイ・ケースで考えたほうがいいです。」

「あとはリズムは正確に。当たり前だよって(笑)、でも難しいよね。4分打ちをドラムのハイハットといっしょに刻めたら、それは本当にうまい人でしょうね。4分打ちでリズムを感じるように弾けたら、完璧なんじゃないでしょうか。僕も勉強する時は、4分打ちから入るようにしています。バッキングに関しては打楽器のようにきちんと4つ打つということをやると、ピアノがうまくなるでしょうね。」

「「Piano」に関していっても、まず出だしはこういうふうに〈譜例⑩〉できるだけシンプルにペダルを使わないでやってみるといいんです。それから、次にペダルを使って同じことをやってみるといい。それで、自分で弾く時にウラを感じながら弾くことが大切なんだよね。手を上げた時にビートを感じるように弾いていると、意外とテンポは崩れないです。ギターの人がよくアップとダウンで数えながら、アップだけで音を出しているのと同じだよね。だから本当は、(4分音符で音を出していても8分のウラで鍵盤を)カラ打ちしていればリズムが狂わないですみますね。4つ打ちをちゃんとやっていれば、ピアノのバッキングはわかりやすくなるんじゃないかな。」

 

●エンディングは新しい曲を始めるつもりで

-エンディングについて、ポイントを教えてください。

久石:
「エンディングはB♭になります。リタルダンドするときに、どうしても向こう(海外)の歌手はそこにフェイクを入れてくるから、(そのフェイクが終わってアテンポする時に)同時に(ピアノのエンディングを)スタートさせてしまう。まったく新しい曲が始まるようなつもりにしたほうがいいです。だから、リタルダンドしている分だけ次は新たなテンポにするようなつもりで、少し早めなくらいで出て盛り上げて終わる、これが大切でしょう。そして、本当に終わる時はゆっくり、印象的なフレーズ〈譜例⑪〉が乗っかれば気持ちいいよね。」

 

●40分スペシャル・メニューを初公開!途中で休まずに…がポイント

-久石さんのフィンガー・トレーニング法は、何かありますか。

久石:
「本当は教えたくないけど…(笑)、紹介しようか。フィンガー・トレーニングには、だいたい40分の特別メニューを作ってあるんですよ。週に3回、コンサートが近くなると連日やっていますね。」

「基本的にはスケール。あまり時間がないから、今日はメジャー、今日はマイナーというふうに分けますけど…。速いテンポだけでやるのは意味がないから、3パターンやるんですよ〈譜例⑫〉。全部必ずメトロノーム付きで弾いて、それから「ハノン」の20~30番までの間から2つくらい選んで、それもテンポに対して8分、16分で弾くのを欠かさずに。」

「それから、親指の抜きの練習をそれぞれの指でやります〈譜例⑬〉。親指の動きがとにかくいちばん大切だから。それから、アルペジオを12分音符と16分音符でピアノの端から端まで4往復して、全部のキーでやって。それからテンポを変えて、それから半音階を4往復、指の独立を加えて練習して…〈譜例⑭〉。」

「こういう内容を40分~45分くらい、1回も休まずにやっています。音の強弱も、だんだん強くしたりだんだん弱くしたりしますから、汗だくになりますよ(笑)。腕の筋肉のスジが痛くなってきますけど、絶対に1秒たりとも休んではいけないんです。それぐらいやらないと、オーケストラと勝負できない。」

-とくに意識していることはありますか。

久石:
「姿勢はすごく意識しています。椅子の高さなんかもすごく気になる。しばらく弾いていなかったりスタジオでシンセばかりを弾いていると、そのあとはすごく姿勢が悪くなっているから。だからレコーディングが激しい時は、姿勢を直すためになおさらトレーニングが必要になります。ピアノっていうのは、ピアニシモの調性をいかにするかがカギだから、そのために指をきちんと独立させる運動は一生懸命やりますよね。自分のベスト・ポジションというのは、いつも大事にしたほうがいいですよ。」

(雑誌「KBスペシャル 1995年3月号 No.122」より)

 

 

最後に、紙面より少し写真を抜粋してご紹介します。

久石譲 ピアノレッスン 1

実際に久石譲のお仕事場での取材&レクチャーだったのでしょう。

 

久石譲 ピアノレッスン 2

本文中に登場するたくさんの譜例です。さすが専門誌。

 

久石譲 ピアノレッスン 3

久石譲の手と鍵盤。これほど貴重な使われ方はないでしょう。

 

久石譲 ピアノレッスン 4

「Piano 〈English Version〉」の楽譜が完全版として掲載されているという、なんとも贅沢な雑誌。計4ページのレクチャー&譜例による、久石譲ピアノ講座となっていました。

 

Blog. 「キーボードスペシャル 1995年3月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/3/10

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1995年3月号 No.122」にて特集された久石譲インタビューです。

ちょうど作品時期としては「地上の楽園」や「Melody Blvd.」「ぴあの」、つまり久石譲がシンセサウンドやバンドサウンドを追求していた時期です。今となってはかなりレアな作品群なのですが、その当時のインタビュー内容もまた貴重です。

 

 

 

「映像のための音楽と独立している音楽は100%違う」

久石譲さんがLAで制作した『MELODY Blvd.』は、過去に手掛けたスクリーン・ミュージックに英詞をつけ、現地のボーカリストを迎えて新たな世界を作り上げたという、いわばプロデューサー的立場に立ったセルフ・カバー作品。映像にともなう音楽を歌モノとしてリニューアルする時の、その具体的手法とはどんなことだったのだろうか?

 

英語をつけることで、言葉よりも響きを重視

-今回ボーカルの歌詞を英語にしたのはなぜでしょうか。

久石:
「前作『地上の楽園』を作るのに2年半かかったんですよ。イギリスにずっと住みながら作ったんだけど、けっきょく思想的というかコンセプチュアルなアルバムになって、それがすごくキツかったんですね。そのあとだから、今度はすごく軽いものを作りたかった。終わった段階ですぐに「次はLAだ」というのもあったし、でもアルバム自体をまた全部オリジナルで作ろうとすると、すごくたいへんなことになる。ちょうど今作るのにいいんじゃないかということで、”セルフ・カバー”でやろうということになりました。前々からそういう話もあったので。

その段階で「久石譲スクリーン・ミュージック」みたいなベスト・メロディを集めて、今すごくボーカルに興味があるので全部ボーカルでやろうと。そこでボーカルに合う自分のメロディを選んだんだけど、あくまでインストゥルメンタル的なメロディ・ラインを聞かせたいというか…。日本語をそのままやっちゃうと、言葉の比重がすごく重くなってしまう。英語であれば日本人が聴いた段階で、言葉というよりもサウンドの一部という捉え方もできるから、ということなんです。」

-ボーカリストの人選は、久石さんがみずからなさったんでしょうか。

久石:
「すごい(量の)デモ・テープを聴きましたよ(笑)、全部で25人から30人ぐらい。『地上の楽園』で歌ってもらったイギリスのジャッキー・シェルダンの声なんかは、すごく日本人に共通するものがあったんです。でもLAのミュージシャンはとにかくパワーがあるということが大前提になるみたいなところがあって、女の人も男の人もすごく”シャウト型”が多いんだよね。だからイメージを合わせるのがたいへんだった、なかなかね。」

-今回はプロデュースもなさっていますね。もともと、久石さんのお名前はプロデューサーとしても有名なクインシー・ジョーンズに由来しているということなので、プロデューサーという立場から、このアルバムはどういうポジションにあるのかをお聞きしたいのですが。

久石:
「今回は自分のピアノをフィーチャーしていないし、自分で歌っているわけでもないでしょ?そういう意味で言うと、スタンスとしてはクインシー・ジョーンズとかデヴィッド・フォスター、アラン・パーソンズ・プロジェクトみたいな、そういうプロデュース・ワーク…つまりサウンドからコンセプトとか全部を含めたプロデュース・ワークがメインになって、なおかつそれで自分の個性をどこまで出せるんだろうかというのを、ちょっと実験したかったんです。今までの自分のソロ・アルバムの中では、とてもめずらしい形態ですよね。

要するに「久石譲とは何か?」という時、やっぱり「メロディ」だっていう部分があるわけですよね。だあら、そのメロディを1回きちんと切り取ってみて提出したらどうなるかな、みたいなところがあって…。現にLAでも、圧倒的にみんな「メロディがすごく好きだ」と言ってくれたので、僕はすごくうれしかったんですけどね。…誰も日本発売だって思っていなかったということも、笑えるんだけども(笑)。」

 

ボーカルものにする段階で原曲(映画)と切り離す

-作品的にはスクリーン・ミュージックが中心になっているわけですが、久石さんは映像と音にどんな関連づけをされているのでしょうか。

久石:
「僕の中では、映像のための音楽と、音楽だけで独立する音楽というのがまったく100%違います。映像がないと成り立たないような音楽はレコードになっちゃいけない。…もちろんサウンドトラックを除いて、でもボーカルものとかインストゥルメンタルだとか、アーティスト・アルバムには映像がついちゃいけない、というスタンスで必ず作っているんです。

作ったものに対して結果的にみんなが勝手に映像を思い浮かべたりするのは、それだけイマジネーションが豊富だからいいんだけど、僕のほうで「映像的に作ろう」とか、そういう感じでアルバムを作ったことは1回もない。だから今回の場合もスクリーン・ミュージックではあるんだけども、ボーカルものにする段階から原曲あるいはもとの映画というものから切り離したもの…基本的に言ったら音楽だけで独立していなければいけないと思っています。

ただ、「I Believe In You」の元になった「あなたになら…」という曲は、中山美穂さんが作詞して歌っているんですよね。そういう場合にオリジナルの詞は大切にしたいので、訳してもらう時にはできるだけそのニュアンスを汲んでください、ということで発注しました。」

 

核心部分のアイディアのネタの新鮮さが何より大切

-メロディを作る時は、やはりピアノを前にして考えていくのですか。

久石:
「最終的にはピアノです。でもそれまでに、考えるともなく考えている”発酵”する時期をきちんととっていますからね。実際は、朝ベッドの中とかシャワー浴びながらとか、そういう時に浮かぶケースのほうが圧倒的に多い。要するに、1フレーズでもいいからいちばんキャッチーな部分、「これだ」という核心のフレーズなりサウンドの感じとかね、そのアイディアが浮かんじゃえば、もうそこからイモヅル式に組み立てはできます。そのネタが新鮮でないと何やってもダメですから、それをつかむまでにすごく時間がかかりますよ。

それは、映画の時もCMでもこういうアルバムでもみんな同じです。たとえば『ぴあの』なんかは、3ヵ月ぐらいそれで悩んだ。アルバムを作る時はそれぞれ条件があるんですよね。『ぴあの』に関していうと、これはあくまで1日3回で月~土の半年間、膨大な量がテレビで流れるわけですよ。そんな時に飽きないメロディ、シングル・ヒットをねらうだけなら簡単だけど、そうじゃなくて日本のスタンダード曲になるくらいに、飽きないメロディを書こうというのが前提にあるでしょ。その条件の中で作ろうとするから、すごく時間がかかりましたね。」

-最初の2分音符が、たったひとつの音なのに深いですよね。

久石:
「日本語の歌詞でも確か「Dream」だったよね。けっきょく言えるのは、僕のメロディには英語がすごく乗りやすいこと。音数がそれほど多くなくて動きがあるから、英語のように単語で入ってくる言葉のほうがいいんだよね。「I love you」でも音が3つあれば言えてしまうんだけど、日本語だと「わたし」しかいかないじゃない?(笑)」

-これから、さらに挑戦したいのはどんなことですか。

久石:
「『風の谷のナウシカ』から『地上の楽園』までのサウンドが全部入っているような、前向きなアルバムを作りたいですね。それには”エスニック”ということをもう一度きちんとやって、自分なりに消化させて出せたらいいなと思っています。」

(雑誌「KBスペシャル 1995年3月号 No.122」より)

 

 

久石譲 『MELODY Blvd.』

久石譲 『MELODY BLVD』

まさにこのCDジャケットを象徴するかのようなサウンドになっています。

1. I Believe In You (映画「水の旅人」より / あたなになら)
2. Hush (映画「魔女の宅急便」より / 木洩れ陽の路地)
3. Lonely Dreamer (映画「この愛の物語」より / 鳥のように)
4. Two of Us (映画「ふたり」より / 草の想い)
5. I Stand Alone (映画「はるか、ノスタルジィ」より / 追憶のX.T.C.)
6. Girl (CX系ドラマ「時をかける少女」より / メインテーマ)
7. Rosso Adriatico (映画「紅の豚」より / 真紅の翼)
8. Piano(Re-Mix) (NHK連続テレビ小説「ぴあの」より / ぴあの)
9. Here We Are (映画「青春デンデケデケデケ」より / 青春のモニュメント)

 

 

おまけ。

本誌インタビューはカラーインタビューとなっていました。インタビュー記事中に、どんな写真が提供されていたかというと…

 

久石譲 KB 3

これはたしかCDの写真にも当時使われていたような。ジャケット裏写真だったかな、なんの作品だったか。。

 

久石譲 KB 1

久石譲 KB 2

コンサートというよりは、LIVE写真ですね!こんなとんがった(サウンド的にも)時代もあったということです。今はタキシートやジャケットにタクト(指揮棒)が定着していますが、当時のこういう時代も懐かしく新鮮ですね。

いや、それはこういった昔の写真だけでなく、この時代の久石譲音楽も今聴いても完成度高く、かつ新鮮です。『MELODY Blvd.』はよくドライブのおともに聴いていました。青空に吹き抜ける風、これから春の季節にピッタリです。

 

Blog. 「デイリースポーツオンライン」 2011年11月 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/3/8

2011年11月、3回にわたってWeb掲載されたデイリースポーツオンラインでの久石譲コラムです。

 

 

数々の名曲を残してきた作曲家・久石譲(60)。宮崎駿監督の「ジブリ作品」やテレビドラマのテーマ曲など、エンターテインメントの世界で活躍する傍ら、オーケストラの指揮にピアノ演奏と、クラシック音楽にも精力的に取り組んでいる。10月7日には「第24回 西本願寺音舞台」(TBS・MBS系で11月3日午前9時55分から放送)にも出演した。音楽への関わり方、バックボーン、そして日本人への提言…。日本を代表する音楽家による“言葉のアンサンブル”をご堪能あれ。(聞き手=福島大輔)

◇  ◇

‐数々の曲を作ってこられた中で、曲作りの過程というのはどういった形なのでしょうか。

久石:
「うーん、締め切り日があって、それに向かって必死にひねり出すという感じですかね(笑)。大概、書かなきゃいけないものはいくつかだぶってますから、その時に、今、これを勉強しなきゃいけないなっていう仕込みを時間がとてもかかりますので、割と順序立てて、組み立てながら作っていく感じです。アイデアが湧いた、湧かないみたいなことで必死になるよりは、最終的には確かにそれも大事なんですが、そこに持ち込むまでは、どれだけ論理的にやっていくか、というね」

‐計算の上で、ということですね。

久石:
「そうです。今回もお寺さんでやるわけで、『こういう所だったら、いくらでも曲の発想が浮かぶでしょ』なんて言う人もいるんですが、ふざけんな、ってね(笑)。そんなんだったら、一年中旅行してるよって」

‐ある程度こういう曲を作ると決めて、その世界観をご自身の中で作ってから、具体的な製作に入られると。

久石:
「そうなんです。映画の音楽にしても、脚本を読んで、その映像に合うやり方を考えて、そのままやったんでは面白くないから、一歩先を行くにはどうしたらいいか、とかいう感じでね」

‐世界観の作り方というのは、具体的にはどのようにされるのですか。

久石:
「いやこれは、毎回ケースバイケースですよ。例えば今回、西本願寺で演奏するプログラムを作るにしても、一曲一曲はある映画の音楽だったり、自分のアルバムのための音楽だったりするんですが、曲順を決める段階では、本来それぞれを最初に作ったときの意図とはまったく違って、前後関係でそれぞれの楽曲の意味が変わるんですよ。これが構成。1曲目から最後の曲まで聴き終わったときに、何を感じてもらうか。例えば1つの映画を見たように、聴いていただいた人たちがどのように感じてくれるか、それをすごく考えますよね」

‐曲というのは、そのシチュエーションごと1つの作品であると。

久石:
「もちろんそうです。どんな場合でも、パーツパーツがあって、例えば映画の場合は、1シーンずつ撮ってきたものを、最後にどう編集するかで、その意味づけが変わってきますよね。音楽でいえば、1曲の中にもあるし。何でこれは『ド』から『ソ』に降りたんだ、とかね。それが1曲単位になり、ある時間の長さになる。そんな感じがしますね」

‐これまで、ジブリ作品などのアニメ映画の音楽なども手掛けてこられましたが、そこにはやはりアニメならではの世界観が…。

久石:
「そうですね。アニメーションは、ほとんど宮崎(駿)さんの作品しかやってないんで。あれだけすごい人のをやっちゃうと、ほかの人のができないというのもあるんですが(笑)、宮崎さんの場合は、あまりアニメーションとは考えてないんですよ。現存する映画監督の中で、最低でも十本、あるいは五本の指に入るような優れた監督ですから、その人が何をやりたいかというと、そこに映っているものより、バックグラウンドの方が大きいんですね。やはりこちらが浅はかな知識でやっていると、とてもついていけないので、そうするとやっぱり…、勉強しないといけないですね(笑)」

‐勉強の仕方というのは、どのように。

久石:
「僕は今は基本的に、音楽のことしかやらないようにしているんですね。クラシックの指揮をしたりとかもするんですが、オフィスもありますんで、最低限お金は稼がなきゃいけない(笑)。そうすると、お昼の12時、1時過ぎぐらいから夜中の12時ぐらいまでは、エンターテインメントの作曲なり、仕事と言ったらちょっと語弊があるかもしれませんが、それを書く。そして家に帰ってから明け方まで、過去の作曲家の譜面を読んだり、彼らが生きた時代や本人の生活の環境、その時代の方法に対して、その作曲家がどのくらい進んでいたのか、遅れていたのか、そういうことを考えます。例に出すと、ブラームスなんかは当時の流行からすると、遅れた音楽をやっていたんです。まだベートーベンの影響を引きずっていた。ところが当時は、シューマンとかいろんな人たちが、新しい方法に入っていた。古くさい方法をとっている中で、革新的な方法をとっている人もいた。どっちが優れていたのか、というのは全然言えないんですよ。長く生き残ってきたものというのは、本物ですから。でも本人の中は、絶えず葛藤してたわけだよね。僕ら、ものを作る人間というのは、絶えずそれですから。今のこの時代で、僕が作曲家としてどういう書き方をするか、自分にとってはすごく重要なことで、そのようなことをいっぱい勉強するという感じですかね」

‐ご自身が、その時代に立ち返るという感じでイメージされる。

久石:
「そういうことですね。あの、優れた指揮者というのは大勢いるんですが、自分がやる場合の武器って考えると、『作曲家』なんですよ。作曲家として、もう一回ほかの人の譜面を見るから、それはちょっと普通とは違うみたいで、いい意味での武器だと思いますね」

‐作曲家だけでなく指揮やピアノなど、多方面で活躍されていますが、1人の人間としていろんな方向から音楽を見るのは刺激になりますか。

久石:
「すごくありますよ。指揮をしているのも、基本的には指揮者になりたいのではなくて、通常、他人や古典の譜面を見ると、ざっと見て「こういう感じね」で済んじゃうんですけど、自分で実際オーケストラを指揮するとなると、ものすごく細かく見ますよね。それをやることによって、作曲家として『ああ、ここはこうやって音を動かせばいいんだ』っていうふうに、作曲の肥やしになるというのがベーシックですよ。それがないとやらないです」

‐指揮でも演奏でも、なにがしかのフィードバックがあると。

久石:
「ただ、そのおかげで、久石っていう作曲家はね、クソ難しいんですよ、演奏が(笑)。指揮も難しいし、ピアノも難しくて、もうちょっと演奏する人のこと考えて欲しいな、なんて思いますけど」

‐ご自身で演奏するときも…。

久石:
「最悪ですよね(笑)。やりすぎなんだ、っていつも思いながらやってます」

‐そもそも、作曲家を目指したきっかけというのは。

久石:
「きっかけって、ないんですよ。小さいときから、やるもんだと思ってたから、いろんな職業の中で作曲家を選んだ経緯というのはないんです。いや、作曲家を選んだというのは、中学2年か。音楽をやるというのは決めていたというか、やるもんだと思ってましたから。意識的に選んだという記憶はないです」

‐環境の中で、音楽があふれていたなどは。

久石:
「全然。何もなかったね。普通の一般家庭。ただすごく好きで、絶えず音楽は聴いてたし、小さいときからバイオリンを習ったりはしてましたけど」

‐中学校2年生で、作曲家に針が振れたというのは。

久石:
「ブラスバンドなんかをやっているときに、与えられた譜面を演奏するよりは、一生懸命譜面を書いては皆に聴かせている方が好きだったんですよ。それは再現する方の音楽家ではなくて、作る方だなと。それで作曲家を目指したんです」

‐初めて曲を作られたのはいつでしたか。

久石:
「中学1年ぐらいですね。全然手に負えてはいなかった(笑)。ただ音符を並べただけだったと思います。要は、いろんな蓄積がないとできないですね。よく、作曲家の個性なんていいますけど、ないんですよ、そんなのは。結局、自分が今までいろんな状況で聴いてきた音楽や体験してきたこと以外、出ることないですから。その中のものが、その時の思いで断片的に組み合わされて、『あなたの』というのが出てくるだけで、そんなねえ、オリジナリティーなんて、世の中にないと思いますよ。一生に1曲もできないと思う」

‐作ってできるものではなく、にじみ出てくるものだと。

久石:
「とすると、やはり自分のバックボーンを大きくするしかないわけですよね」

‐これまで音楽家として、多くのことを成し遂げてこられましたが、今後目指していかれるものとは。

久石:
「やっとね、今少し自由になってきた気がするんです。自由になったというのは、こういうふうなものを書きたいな、と思っても、全然書けなかった、行き着けなかったんですよ。それが最近、少し楽になったね。だから、体力があるうちに、長い曲を書きたいですね。この2、30年、エンターテインメントの方でやってたんですが、3、4年前から、クラシックの方にもう一回スタンスを戻してますから、そういう意味では、シンフォニーとかオペラとか、そういう作品をきちっと書きたいです」

‐楽になったというのは、蓄積されたものがある程度、自分の自由に出し引きできるようになったと。

久石:
「多少はね。多少はできるようになりましたけどね。でも、エンターテインメントの音楽も大好きですから、それもできる限りしっかり書いていきたいと思ってます」

‐最近の活動でいうと、東日本大震災の被災者へ向けてのコンサートなども行われました。

久石:
「あのときも、大船渡とか陸前高田、気仙沼あたりに行ったんです。そこでに感じた、日本人はどうなっちゃうんだろう、という思いは強かったですね。その中で…、何て言ったらいいんだろう、僕はもうちょっと、世界を意識しますね。どういうことかというと、こういうことが起こった、しかしいろんな対応を見てて、あまりにひどいじゃないですか。遅すぎるね。僕は日本人って、今一番ノロい民族だと思ってるんですよ。何やるにしても遅いでしょ。街中歩いてても思いますよ。店員も遅いし。本当にね、日本人って器用で速いと思ってたけど、そんなことないんです。例えば、この異常な休日の多さ(笑)。こんなんじゃ仕事できないですよ。一年中虫食いのような日程で動いてるでしょ。で、全部の会社が休む。日本人って、世界で一番働いてないと思う。僕の部屋には、ヨーロッパから見た世界地図が張ってあるんです。日本の地図は、日本がど真ん中にあって、ヨーロッパとアメリカが端にあるでしょ。いかにも日本が世界の中心に見えるじゃないですか。しかしヨーロッパの地図で見ると、日本は本当に東の端なんですよ。そこにいるんだって意識しないと、どんどん世界から置いていかれますよね」

‐日本を愛するが故に、の歯がゆさ。

久石:
「もちろんです。どんなに世界中行ったって、日本食が一番好きですし(笑)。今回の『音舞台』の曲目で『World Dreams』という曲があるんですが、これに作詞をして、大勢のコーラスの中でやるんです。これは、国歌のような曲を作りたいと思って、凛々しく、堂々とした曲になっています。これが多分、全体のピークになるんですが、私の伝えたいメッセージはそこに全部入っていると思います。今だからこそ、力強く、凛としていこう、というね」

◇  ◇

(デイリースポーツオンライン 2011年11月8日 より)

 

久石譲 モノクロ

 

Blog. 久石譲 「アップル iTunes インタビューズ」 『パリのアメリカ人』発売記念

Posted on 2015/3/6

2005年発売『パリのアメリカ人』久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)としての第2弾アルバムです。

アップル itunesサイト内でのインタビュー。当時はインタビュー動画も閲覧することができました。なかなか貴重な媒体での、そして貴重な作品をクローズアップしてのインタビュー内容となっています。

 

 

隣にいる人に優しくしてあげたくなるような、心安らぐ音楽をプレゼントしたい 久石譲

New ” for winter lovers” ALBUM
『パリのアメリカ人』 発売記念 Special Interview

宮崎駿作品、北野武作品をはじめとする数々の映画音楽を手がけ、さらにはイベントの総合演出や映像監督など、さまざまなフィールドで活躍する作曲家でピアニストの久石譲さん。最近では韓国映画『Welcome To Dongmakgol』、香港映画『A Chinese Tall Story』の音楽監督を務め、アジア各国での活動にも積極的に取り組んでいます。また、2005年11月30日には、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラを率いてのニューアルバム『パリのアメリカ人』がリリースされ、12月2日からはコンサート『12月の恋人たち』がスタートするなど、ますます精力的な活動を展開中です。そんな久石さんに、ニューアルバムに込められた想い、そして初期の頃からのベテランMacユーザーとしての一面、また、iPodやiTunesの普及によって変化し始めた音楽の環境ついてお話をうかがいました。

 

ポップスオーケストラで奏でる、フランスの映画音楽。

Q. まず、ワールド・ドリーム・オーケストラの新作『パリのアメリカ人』について聞かせてください。フランス映画音楽を多くカバーされていますね。

久石:
ワールド・ドリーム・オーケストラは、僕以外の作曲家の曲を取り上げて指揮をする、というコンセプトで始めたシリーズです。基本的にポップスのオーケストラで、ボストンポップス(オーケストラ)みたいな位置づけになると思います。そのワールド・ドリーム・オーケストラのCDは、今回で2枚目。さあ何をやろうか、と考えた時に、フランスの映画音楽はどうだろうと思ったんです。フランス映画の音楽というのは、とてもいいメロディが多いんですね。あと、12月でしょう。内容的にヘビーなものよりも、心暖まるようなものにしたかった。「今年もキツかったなあ」なんて思っている「お疲れモード」の人たちに、音楽でホッとしてもらいたいという気持ちです。

Q. 『パリのアメリカ人』というコンセプトをもう少し詳しく説明していただけますか?

久石:
1920年代、30年代という世界大恐慌前後の時代、アメリカ人が憧れるものっていうのは「文化」だったんですね。成功したらパリに住むというのが、彼らのステイタスになっていた。それでコール・ポーターもフィッツジェラルドもパリに住むようになった。でも今、成功したらここに住みたい、というような場所はないでしょう? わかりやすい憧れの対象や目的がないこの時代に、「パリのアメリカ人」をテーマにすることで、今の時代性が浮き出てくるといいなと考えたんです。

一方で、パリのアメリカ人ということは、つまり異邦人ですから、基本的に居心地がいいはずがない。どこかに違和感を抱えて暮らさざるを得ない。そしてそれは、今この時代にみんなが抱えている問題とイコールだと思うんです。例えば会社に勤めている人でも、1日の大半を「オレ、この会社に合ってるのかな」って思って過ごしていたりする。なんとなく自分の居場所がないような気持ちになっている人っていっぱいいると思うんです。そういう現代人がこの音楽を聴くことで、安らげるようなものになっていたらいいなと考えています。

Q. フランス映画音楽以外にも、アメリカの作曲家、コール・ポーターの楽曲が多くカバーされているのが印象的でした。

久石:
コール・ポーターはね、作曲家なんだけど作詞もするんです。なので言葉とメロディの関係がすごく上手くいってる。それと、彼はパリに住んでいたんですよ。つまり、「パリのアメリカ人」。アルバムのコンセプトにも合っているということで、カバーしたわけです。

Q. 今作でヴォーカルを取っているレディ・キムの声は心地よいオーケストラの音楽に、いい意味でブルージーな感覚を与えていますよね。

久石:
コール・ポーターっていうと、やっぱり歌ですからね。スウィング的なものや、ジャジーな感覚を持っているということで、彼女を選んだんです。フランス映画音楽だけをそのままやってしまうのではイージーリスニングになってしまうかも知れない。どこかに異種のもの、アメリカン・テイストを入れたかったんですね。フランス料理にハンバーガーが入ってくるというか(笑)。それがコール・ポーターであり、レディ・キムのヴォーカルなわけです。ミスマッチの要素が入ることで両方が際立てばと。そういうことも含めて「パリのアメリカ人」なんです。

あと、こうしたテーマを日本人がやるっていう部分も面白いと思うんです。例えば僕はオーケストラをやってますけど、これは西洋音楽がベースでしょ。なんで日本人がやるんだって言われると困っちゃうわけです。結局みんな根無し草状態なんですよね。でも、だからこそ自分のルーツを知りたいという思いがある。そうした部分から出てくる孤独感や叙情っていうのは僕にとって昔からのテーマなんです。

Q. 2005年12月2日からはじまるコンサートについて教えて下さい。

久石:
基本的にはニューアルバムと共通のコンセプトなんですが、ステージならではの仕掛けも用意してますよ。例えば「パリのアメリカ人」という曲はアルバムでは1分くらいしかないんですが、18分フルでやるつもりです。また、ラヴェルをやったり、12月ですからクリスマス・ソングもやります。女性だけの30人程のコーラスが入ったりするし、レディ・キムの歌があるし、サクソフォン軍団やドラム、ベースも入るので、今までの中でいちばん大がかりな編成です。舞台のレイアウトを考える人が悲鳴をあげていますよ(笑)。ですから自然と、アルバムよりもさらに賑やかになっていくはずです。とにかく、この1年を一生懸命生きてきて、みんな疲れているだろうから、このコンサートを聴くことで心が安らいで、隣にいる人に優しくしてあげたくなるような、そんな音楽をみなさんにプレゼントしたいと思っています。

 

久石譲 itunes 2

 

iPodは大勢の人に選ばれたすぐれたツール。

Q. 久石さんはMacユーザーで、音楽ソフトVisionを使用しているそうですが、ピアノもオーケストラも生音による音楽ですよね。Macを音楽制作にどのように活用しているのでしょうか?

久石:
主に譜面を書くのに使っています。以前は手書きで書いてたんですけど、大量に曲を書かなくてはいけないときには、右手を痛めてしまうんですね。それではピアノを弾くのに困るので、Macで譜面を作成する方式に変えたんです。それが3年くらい前。ところがこれはこれで、問題も出てくる。手書きによる隠し味のようなものが、どうも出てこない。ここでホルンがすうっと伸びて、みたいな部分がオケではとても大事になってくるんですが、それは手描きの線によって無意識に表現されていたりするんですね。それをコンピュータでボーンと作っちゃうと、簡単だけど、情報量が手描きの半分位に落ちてしまう。ただ、逆にコンピュータの良さもあるんです。鉈で割ったような、ガツンという強さが出る。手書きとコンピュータ、それぞれのメリットを、新しい方法として融合させていくのに2年半くらいかかりましたね。

Q. 久石さんがMacを選んだのは何故だったのでしょうか?

久石:
VisionがMacのソフトウェアだったということはあるね。あと、実は僕はずいぶん昔にニューヨークで初めてMacを見て、すごく気に入っちゃってプリンタと一緒に買って、アメリカから持ち帰ってきたことがあるんです。それ以来Mac。かなり初期からのMacユーザーかもしれない。Macってすごくヒューマンなところがあるでしょ。それがよくてね。仕事やる場所には楽器からコンピュータから全て同じセットを置いていて、いつでも制作ができるようにしています。

Q. iPodやiTunesの普及で、音楽を楽しむ環境が大きく変化し始めています。そのことについて、どのように感じていますか?

久石:
僕自身、iPodはよく使っています。これはもう、完全に時代の流れですよね。レコード業界は今までは物流の世界だった。それが本当の意味でのソフトのやり取りになってきている。それは基本的にはいいことだと思います。 ただ、大事なのは、クリエイティブなことをやるためには、それなりの制作費が必要だということ。だから、法律的なことも踏まえて作曲家、作詞家、そして演奏者が存分に音楽を制作できる環境を作っていかないと、結果、クオリティが下がっていくと思うんです。

もうひとつは、曲を作る側の意識がどんどん変わっていくと思います。従来アルバムというのは、アルバムを牽引していくシングル曲があって、その他に実験的な楽曲を入れる余地もあった。それによってアーティストは冒険をし、成長していくわけです。それが1曲単位で選べるようになると、全部がシングルのようなものになっていかざるを得ない。即物的、刹那的な要求に対応していかないといけなくなるわけです。その結果、アーティストが成長するパワーを失う可能性もあるかもしれない。3、4年後にその結果が出てくると思うけど、今後どんな風に音楽を制作していくことになるのか、それを見守っていかなくてはいけないですね。

Q. 逆に、iTunes Music Storeの登場で得るものも大きいですよね。

久石:
そう。これまでドメスティックでしか聴けなかったものが、地球の裏側の人もアクセスして聴けるようになる。これはアーティストにとって絶対にプラスになることなんです。マーケットがレコード会社間の問題を飛び越え、全世界に広がっていく。それはiTunes Music Storeのようなものがないとあり得ない。その上でみんながどういう動きをしていくのか、それを見ていきたいですね。

Q. なるほど、確かにそれは興味深いですね。

久石:
そういう便利さはあればあるほどいいんです。その中でこちらが選択していけばいいわけですからね。僕が音楽やっていて感じるのは、一般の人は本当に頭がいいということ。ものを選ぶ能力が非常に高い。 先日、養老孟司さんと、いい音楽とは何か? という議論をしたんです。結論として、長く聴いても飽きないもの、時代を超えて生き残る音楽がいい音楽だと。それは道具にしても同じですよね。時代を超えて、大勢の人が使っているものというのは、やっぱりいいものなんですよ。何十万人、何百万人もの人と、何十年もの月日によって淘汰され、生き残ったものですからね、そこには絶対的な説得力があるんです。(iPodを指差して)これも、いいものだと思いますよ。これだけ大勢の人に選ばれているわけですから。

 

「AMERICAN IN PARIS」紹介

かろやかなフレンチ・ムーヴィー・ポップスに舞い、しなやかなコール・ポーターの名曲に酔う… 久石譲のセンセーショナルなアレンジによるセレブリティ・アイテム。

久石譲 『パリのアメリカ人』

01. パリのアメリカ人

1928年に作曲家ジョージ・ガーシュインが初めて手がけた同名のフル・オーケストラ用管弦楽曲をもとに、ミュージカル映画「巴里のアメリカ人」が作られたのは1951年のこと。パリに住む画家志望のアメリカ人青年とキュートなパリジェンヌの恋模様を小粋に描いたこのMGM作品は、主演および振付を務めたジーン・ケリーとレスリー・キャロンのダンス・シーンが話題となり、作品賞はじめ8つの部門でオスカーを受賞している。

02. 夜も昼も

コール・ポーターが作詞作曲を手がけた1932年のブロードウェイ・ミュージカル「陽気な離婚」からのナンバーで、主演スターであるフレッド・アステアのために書かれたもの。海辺のリゾートを舞台に、イギリス人作家と離婚を控えた女性との恋が描かれるこの作品は、名ダンス・コンビ、フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャーズの主演で、1934年に「陽気な離婚者」と改題されて映画化された(邦題「コンチネンタル」)。

03. 男と女

フランシス・レイが手がけた「♪ダバダバダ」のメイン・テーマがあまりに名高いこの作品は、過去の痛手から立ち直れず、新たな愛へと踏み切れぬ男女の心の機微を描いた、大人のムードあふれる1966年のフランス映画。主演はジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ。監督は、フランシス・レイと組んで「パリのめぐり逢い」(1967)、「白い恋人たち」(1968)等の名作を送り出したクロード・ルルーシュ。

04. ロシュフォールの恋人たち

監督ジャック・ドゥミ、音楽ミシェル・ルグラン、主演カトリーヌ・ドヌーヴのゴールデン・トリオが生み出した、フランス・ミュージカル映画の傑作の一つ。お祭りにわきたつロシュフォールの街を舞台に、さまざまな恋が展開されてゆく1965年の作品で、ドヌーヴは実の姉フランソワーズ・ドルレアックと、夢に恋に生きる双子の姉妹役で生涯唯一の共演をはたした。ジョージ・チャキリス、ジーン・ケリーと、その他の出演者も豪華。

05. Le Petit Poucet

シャルル・ペローの童話「親指トム」をもとにした、2001年製作のフランス映画。小人の“親指トム”が主人公のファンタジーで、ロマーヌ・ボーランジェ、カトリーヌ・ドヌーヴらが出演している。監督は、ジャン・レノ主演の映画「クリムゾン・リバー2」を手がけたオリヴィエ・ダアン。久石譲が音楽を手がけ、主題歌をヴァネッサ・パラディが歌っている。

06. ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ

1943年のミュージカル映画「サムシング・トゥ・シャウト・アバウト」のためにコール・ポーターが作詞作曲した曲。ドン・アメチーとジャネット・ブレアが歌い、アカデミー主題歌賞にノミネートされたが、失敗作続きのブロードウェイ・プロデューサーが新作を舞台に乗せようとするまでの悪戦苦闘を描いた映画自体は流行らず、クリフォード・ブラウンと共演した歌手ヘレン・メリルのレコード等によってポピュラーな曲となった。

07. ビギン・ザ・ビギン

1935年に初演されたブロードウェイ・ミュージカル「ジュビリー」からのナンバーで、西インド諸島のマルチニーク島の民俗舞曲である“ビギン”と“始める=ビギン”を掛けて、コール・ポーターが作詞作曲した。身分を隠して城を抜け出し、普段できないことを楽しむロイヤル・ファミリーの姿を描いた「ジュビリー」はさほどヒットしなかったが、後の大スター、モンゴメリー・クリフトが子役として出演していたことで知られる。

08. 太陽がいっぱい

リッチな放蕩息子に憧れ、彼になりかわるべく恐ろしい犯罪に手を染めていく貧しい青年を描いた映画「太陽がいっぱい」(1960)は、主演のアラン・ドロンがスターの地位を不動のものとしたサスペンス・ドラマ。監督はルネ・クレマン、「ゴッドファーザー」シリーズやフェリーニ作品などで名高いニーノ・ロータが音楽を手がけた。後に「リプリー」(1999)のタイトルで、マット・デイモン主演でリメイクもされている。

09. ラストタンゴ・イン・パリ

パリのアパートでただただセックスに溺れる日々を送る中年男と若い女の姿をとらえた「ラストタンゴ・イン・パリ」は、衝撃的な性描写ゆえに1972年の発表当時世界各国で上映禁止となり、日本でも27年の年月を経てやっと無修正完全版が公開された。「ラスト・エンペラー」(1987)などで名高いベルナルド・ベルトルッチ監督が31歳の若さで発表した問題作で、主演はマーロン・ブランドとマリア・シュナイダー。

10. ソー・イン・ラヴ

シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」のミュージカル版と、そこに出演している役者たちのラブロマンスが二重写しで描かれるブロードウェイ・ミュージカル「キス・ミー・ケイト」(1948)の、舞台裏の部分で歌われたナンバー。コール・ポーター作品として最大のヒットとなり、第一回トニー賞の栄誉に輝いたこのミュージカルは、1953年にMGMにて映画化されているが、その際コール・ポーターその人も出演をはたした。

11. シェルブールの雨傘

「ロシュフォールの恋人たち」に先駆け、監督ジャック・ドゥミ、音楽ミシェル・ルグラン、主演カトリーヌ・ドヌーヴのゴールデン・トリオが生んだ、フランス・ミュージカル映画の最高傑作で、1964年度のカンヌ映画祭グランプリを受賞した。港町シェルブールを舞台に、戦争で引き裂かれる傘屋の娘と自動車修理工の若者との悲恋が、甘い調べに乗ってせつなく描かれるこの作品は、セリフもすべて歌いあげる手法も話題を呼んだ。

12. 白い恋人たち

フランス・グルノーブルにて1968年に開催された第十回冬季オリンピック大会の模様をとらえたドキュメンタリー映画で、「男と女」や「パリのめぐり逢い」と同じく、クロード・ルルーシュが監督を務め、フランシス・レイが音楽を担当している。アテネからの聖火リレーに始まり、華やかな開会式、各競技に挑む選手たちの姿、そして13日間の白熱した日々を経ての閉会式などが、ヴィヴィッドに描き出されている。

文:藤本真由

 

久石譲 itunes 1

 

Blog. 週刊ポスト「Macはヒューマン」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/3/2

2011年11月11日号「週刊ポスト」に掲載された久石譲インタビューです。

長年愛用しているコンピューターMacについて語っています。

 

 

久石譲氏 「Macはヒューマン。よく固まるけどそれも楽しい」

10月に他界した故スティーブ・ジョブズは、常に革新的なアイデアを重視していた。そのため機械に思わぬ不具合が生じることも少なくないのだが、それでもユーザーは減らない。Macintosh愛好家である作曲家の久石譲氏がいう。

「一言でいえばヒューマンなんですよ。Macはよく固まる。集中して1時間ぐらいかけて作った曲がフリーズでおジャンというのは昔は日常茶飯事でした。泣きたくなるけど、それも楽しかったりする。人間味のあるパソコンですよね」

欠陥さえも愛してくれるユーザーがMacには大勢付いている。久石氏はMacintosh Plus(1986年)の思い出について、こう語った。

「ニューヨークにいた時、友人に勧められて衝動買いしました。最初に触った時の驚きは今でも覚えています。画面にはいくつかのアイコン、そして書類を作って必要ならコピーしていらなければゴミ箱に捨てる。今では当たり前ですが、当時の他のパソコンはこんなに直感的ではなかったんです。まるで自分の机の上で仕事をしているような感覚でしたね。それまで無機質だと思ったパソコンに急に人間味を感じました。

とはいえメモリが1MB程度なので、このマシンでは書類作成がメインでした。Macで曲を作るようになったのは1990年代中盤ぐらいでしょうか。皆さんに聴いていただいている最近の曲のほとんどはMacで作っています」

 

【プロフィール】
久石譲(ひさいし・じょう)1950年生まれ。作曲家として宮崎駿や滝田洋二郎の映画の音楽を担当。国内外で数々の音楽賞を受賞する日本を代表する作曲家。最新CD『The Best of Cinema Music』(ユニバーサルシグマ)が発売中。年末には北九州ソレイユホール(12月28日)、大阪ザ・シンフォニーホール(12月31日)にてコンサートを開催。

(週刊ポスト 2011年11月11日号)

(出典:NEWSポストセブン 2011.11.1 より)

 

Macintosh Plus(1986年)と久石譲氏

【Macintosh Plus(1986年)と久石譲氏】

 

Blog. 「クラシック プレミアム 30 ~ストラヴィンスキー / プロコフィエフ~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/2/28

クラシックプレミアム第30巻は、ストラヴィンスキーとプロコフィエフです。

クラシック音楽のなかでも近代にあたる20世紀を代表する新しい響きとリズムによる名作です。よりストーリー性をもち、劇的でドラマティックな構成と編成。現代音楽にも近く、また古典的な格式も継承しつつ。今聴いていても、さながら映画音楽を聴いているような、時代差をあまり感じない音楽といいますか、はっきりとしたストーリー性、起承転結な音楽だなと思います。

 

【収録曲】
ストラヴィンスキー
バレエ音楽 《春の祭典》
-2部からなるロシアの異教徒の情景
ピエール・ブーレーズ指揮
クリーヴランド管弦楽団
録音/1991年

プロコフィエフ
バレエ音楽 《ロメオとジュリエット》 作品64より
前奏曲
第1幕 街の目覚め / 朝の踊り / 少女ジュリエット / 客人たちの登場 / 仮面 / 騎士たちの踊り / マドリガル
第2幕 マキューシオの死
第3幕 ロメオとジュリエットの別れ / 朝の歌
第4幕 ジュリエットの死
ワレリー・ゲルギエフ指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
録音/1990年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第29回は、
音楽を構成する3要素を座標軸で考えると

直近のテーマで数号にわたって展開されてきた視覚と聴覚の締めくくりとなっています。それもさることながら、年末年始にかけての久石譲のお仕事、コンサートから今年2015年に発表されたふたつの作品のこと「かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための」「Single Track Music 1」バンド維新2015委嘱作品 吹奏楽(制作時期が2014年の秋以降だった模様)

さらには、作品化されていないシリーズ!?ジブリ美術館用館内BGMのことまで。今後の予定にも光の射す一文が。いろいろな意味で、旬な久石譲がわかる、しかも本人直々に語られるというオフィシャルな近況報告、読み応え満点な内容になっています。

一部抜粋してご紹介します。

 

「新しい年を迎えた。1月4日にピアノ曲を作曲し、翌日の5日に録音した。曲名は《祈りのうた》で僕自身初のホーリー・ミニマリズムのようなシンプルな三和音を使った楽曲になった。さっそく宮崎駿さんのもとに届けた。これは恒例化した新春の儀式のようなもので、ジブリ美術館で流れる音楽を作曲して以来、毎年ではないけれどもなんとか作っては届けている。去年サボったら年間通して作曲の調子が悪かったので、今年はなんとしても作るという決意を持って臨んだので、正月も緊張したまま過ごしたせいか疲れが残っている。」

「まあ考えてみたら、12月31日に大阪でジルベスターコンサートを行ったこともあり、まったく休んではいない。おまけに2日目のリハーサル(30日)の後、風邪が悪化して熱も出て救急病院に行ったりで体調も悪かったのだから仕方がない。このときは《Winter Garden》という22分くらいのヴァイオリンとオーケストラの曲の改訂初演を行った。関西フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター岩谷祐之さんの素晴らしい力演もあって成功した。その第1楽章は8分の15拍子という変拍子で2・2・3・2・3・3と分けてリズムを取るというまことに厄介な曲で、かなり肉体的練習をしないと体に入らないので苦労した。”久石さん”の曲はどれも面倒な曲ばかりなので指揮者としてはできるだけ演奏をしないで済ませたい。」

「そう思ったせいか深秋から暮れにかけて書いたウィンド・オーケストラのための《Single Track Music 1》は長年の知り合いである作曲家の北爪道夫氏が振り、次いで書いた女声三部合唱のための《かぐや姫の物語》は東京混声合唱団の指揮者山田茂氏にお願いした。両方ともレコーディングだったので僕はディレクションに専念できて良かったのだが、実は肩の調子が凄く悪くて手が挙がらない状態だったこともある。その状態で暮れに先ほどの変拍子を振り続けなければならなかったのは(しかもテンポが速い)かなり酷だった。だが、人間やればできる!風邪薬を飲んで14~15時間寝たらすっきり、頭もはっきりで、こんなに音楽がクリアに見えたことがないほど調子が良かった。人間やはり寝て休むことが大切だと思い知ったのだが、きっと長くは続かない、たぶん。」

「ついでに言うと救急病院に行くほど風邪がひどかったのでタバコも吸えなかった。翌日、本番が終わり1本吸ったがおいしくなくそれでお終い。1月1日も1本だけ、このまま止められるかな、と思ったら2日は3本、3日は6本、作曲に集中した4日には10本を超え、5日のレコーディングでは、ほぼいつもの状態に戻ってしまった、やれやれ。」

「去年の正月はこの連載などで文章ばかり書いていた気がする。それはそれで言葉に置き換えることによって、頭の中を整理することができてよかったのだが、作曲家はやはり音符を書かないと話にならない。今年は依頼された楽曲も多いので気を引き締めてとにかくたくさん書こうと思っている。」

「やっと本題、視覚と聴覚について書いてきたのだが、その中で聴覚を重視する宗教としてユダヤ教を取り上げ、ユダヤ的なるものを考えることでこの日本で生きること、あるいは日本人であることを考察してきた。そろそろ締めくくろう。」

「視覚と聴覚から入る情報のズレを埋めるために人は言葉を持ち、時空という概念を手に入れた。この時空という概念はそのまま音楽の概念でもある。」

「音楽を構成する要素は小学校で習ったとおり、メロディー(旋律)、ハーモニー(和音)、リズムの3要素だ。座標軸で考えるととてもわかりやすいのだが、横のラインが時間軸、縦のラインが空間軸となる。リズムというのは刻んでいくので時間の上で成り立ち、ハーモニーは響きなのでそれぞれの瞬間を輪切りで捉える、いわば空間把握だ。そしてメロディーはと言えば時間軸と空間軸の中で作られたものの記憶装置である。時間軸上の産物であるリズムと空間の産物であるハーモニー、それを一致させるための認識経路として、メロディーという記憶装置があるわけだ。そしてこれはあらゆる音楽に適合する。例えばあの難解な現代音楽にも当てはまる。不協和音や特殊奏法も響きとしての空間処理であるし、十何連音符のような細かいパッセージも聴き取りやすいリズムではないが時間軸上でのことであるし、覚えやすいメロディーではないとしても基本の音形や何がしかの手がかりがあるし、セリー(十二音列)などでもやはり時間と空間軸の上での記憶装置にはなっている(もちろんわかりにくいが)。そして多くの現代音楽が脳化社会のように込み入ってしまって、本来メロディーが持つ説得力やリズムの力強さ、心に染み入るハーモニーなどを捨て去ったために、力を失ったことは歴史が証明している。今こそ音楽の原点を見直し、多くの人たちに聴いてもらえる「現代の音楽」を必要とする時がきたのである。」

 

 

ということで、読み流せないキーワード満載でした。キーワードごとにチョイスして補足します。

【ジルベスターコンサート 2014】
3年ぶりの復活。久石譲作品の豪華オンパレード。
こちら ⇒ Blog. 「久石譲 ジルベスター・コンサート 2014」(大阪) コンサート・レポート

【ジブリ美術館音楽】
1月5日の宮崎駿誕生日に合わせて、ジブリ美術館用館内BGMを献呈。過去の献呈曲などは下記。
こちら ⇒ Disc. 久石譲 三鷹の森ジブリ美術館 展示室音楽 *Unreleased

今年献呈された楽曲は「シンプルな三和音」のホーリー・ミニマリズムのような曲。ホーリー・ミニマリズムは、作曲家アルヴォ・ペルトなども作品を残しています。

【かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~】
こちら ⇒ Disc. 久石譲・高畑勲 『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』

【Single Track Music 1】
久石譲最新作品(2015.2現在)にして、吹奏楽第2作目。
こちら ⇒ Disc. VA. 『バンド維新 2015』 (演奏:航空自衛隊 航空中央音楽隊)

【現代の音楽】
久石譲が語る、「現代音楽」ではない「現代の音楽」とは。
こちら ⇒ Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

 

【今年は依頼された楽曲も多いので気を引き締めてとにかくたくさん書こうと思っている。】楽しみでなりません。作曲期間からお披露目されるまでのたっぷりとした時間を考えても…今年どれだけの新曲が聴けるのか。待つのみです。

 

クラシックプレミアム 30 ストラヴィンスキー

 

Blog. 久石譲 YOMIURI ONLINE 「私の先生」 インタビュー内容

Posted on 2015/2/20

2012年3月、読売新聞およびWeb YOMIURI ONLINEに掲載された久石譲インタビューです。国立音楽大学在学時の話です。久石譲の学生時代のひとコマが垣間みれておもしろいです。

 

 

[私の先生]和声の権威 静かな喝破 作曲家・久石譲さん

忘れもしません。生意気な学生が鼻っ柱を折られた衝撃的な瞬間ですから。国立音楽大学(東京)の2年か3年、場所は学内の喫茶店。折った主は和声学の権威・島岡譲(ゆずる)教授でした。

演奏活動に明け暮れる日々で、たまに授業に出ると、「話が古い!」なんて野次るから、「単位はやる。もう出なくていい」とこぼす先生もいるほどの生意気盛りでした。

そんな学生が、喫茶店で出くわした権威に持論を浴びせたのです。音の組み合わせや配置など音楽の根本的な仕組みを学ぶのが和声学ですが、「それで曲が作れるなら、学者が最高の作曲家になれるじゃなか。訓練にならない」とね。

それに対し、小柄な、いかにも学者という風貌の先生が静かにおっしゃった。「こんなことでつまずくとは、その程度の人ですね」。聞いて身の内が震えました。音楽には理論がある。掟をしっかり理解した上で枠を外し、自らの音楽を確立せよ。先生はそう説いたのですよ。

それは先生の姿そのものでした。実は、先生には高校時代、ピアノの個人レッスンを受けていました。思えば、ピアノに向かう背中には、いつも音楽への厳しさ、ひたむきさが宿っていた。そのことに改めて気づかされた。すごい、と舌を巻きました。

以来、先生の言葉が、自らの音楽を探す道標になっています。まず基礎を固めてから自分のスタイルに。「トトロ」しかり、「千と千尋」しかりです。

指揮も独学でしたが、この数年は、何人もの方に基礎から教えていただいています。今も輝く道標に沿った音楽の旅は、まだまだ続きます。

(2012年3月27日 読売新聞)

(YOMIURI ONLINE より)

 

久石譲 コンサート 2014.5