Posted on 2019/11/11
ふらいすとーんです。
2014年1月から2015年11月まで「クラシックプレミアム(CD付きマガジン)」(小学館・全50巻)に、久石譲のエッセイが連載されていました。もちろんこれが一番の目的で、久石さんの近況、作曲やコンサートの出来事、今考えていること、リアルタイムな久石譲に触れることができる。定期的・習慣的にメディアに登場することがないなか、定点観測できる約2年間は貴重な機会でした。のちに、『音楽する日乗/久石譲 著』(2016)として加筆ふくむ書籍化されています。
小学校で習ったクラシック音楽、大人になってTV・CM・映画に使われ話題になることでふれたクラシック音楽。その範囲の入門者にとって、自分の好む好まざるに関わらず2週間に1回聴く全方位的なクラシック音楽の数々は、能動的で積極的な自分がわかるほど楽しい音楽の授業でした。「あっ、この曲ね、知ってる知ってる」というものもあれば、「あっ、こういう曲名だったんだ」「この作品の一部だったんだ(聴いたことがあったのは)」「うーん、難解、ピンとこない」。もっとほかにいい演奏があるのかなと掘り下げてみたり、気になる作曲家、時代、ジャンルが頭のなかで整理されてきたり。自分が好きなクラシック音楽ってこういうのかな、というのを少しずつかたちづくってくれた期間だったように思います。
CDに耳を傾け、ブックで解説を咀嚼しながら。ささやかならが、自分のなかに今までにはなかった音楽の血が少しずつ注がれているような、そんなたしかな感触がありました。わかりやすく言うと、ジブリ音楽だけを聴いた人が吸収できる久石譲音楽と、オリジナル作品も聴いた人が吸収できる久石譲音楽。そこから受けとれるもの感動の振幅は、雲泥の差があるように。もっとわかりやすく言うと、CM音楽でしか「Oriental Wind」を耳にしたことがない人の感動と、オーケストラ版「Oriental Wind」(WORKS III/メロディフォニー 収録)を聴いている人の感動は、その広さ深さが明らかに違うように。もういいですね。
「クラシックプレミアム」には、久石譲エッセイと同じく連載されていたものがあります。「キーワードでたどる西洋古典音楽史」、その書籍化されたものが「クラシック音楽とは何か/岡田暁生 著」です。
時代ごとジャンルごと、とてもわかりやすい切り口と語りで、入門者としてはとても学ぶこと多く、毎号楽しみにしていました。誰もが思っているけど恥ずかしくていざ聞けない疑問、わかっていたようでごっちゃになっていたこと、「よし、おまえ説明してみろ」と言われたら、「えっと…感覚的にはわかってるんだけど…うーん、なんて言ったらいいのかなあ…あれ、よくわかってなかったかも」みたいなこと。末に記した目次一覧を見てください。たとえば、【交響曲にはなぜ複数の楽章があるのか?】【オペラとオペレッタは違う!】【対位法の難しさ】【名演とは何か】【オーケストラになぜ指揮者がいるのか】(目次より)などなど。なんか興味もってきましたか? もし、気になってきた!という人は、おそらく潜在的に自分のなかでも疑問くすぶっていたことかもしれませんね。
そして、僕は。
クラシック音楽を好きになること。このことについて、わかりやすく語られている本の導入部【はじめに】項、惹きつけるには十分なほどです。「趣味を極める」ー「膨大な手間・時間がかかる」ー「探究心や根気」ー「要領がわかる」。クラシック音楽にかぎらず、多くの趣味において、この一連の工程は同じかもしれません。知らない広大なフィールドに立ち、さてどこへ向かえばいいのか?どっちの方角をめざす?目的地までの順序・通過点は?絶対に立ち寄らないといけない場所は?。打算的な近道はないからこそ、”かけただけ”の到達点や感動、手に入れたものがそこにある。振り返ったら出発点の自分が遠くほほえましい、たしかにあの場所とはちがう変化した自分が、いる。
本より【はじめに】をご紹介します。
はじめに
「趣味を極める」という言い方がある。その代表的な対象はといえば、例えばワイン(あるいは日本酒)、蘭の栽培、切手やコインや美術の蒐集(しゅうしゅう)などだろうか。これらに共通するのはコレクション性の高さ(多様さ)、そして「極める」には膨大な手間暇がかかるという点だろう。蒐集自体に半端ではない時間がいるということ。だが単に集めるだけではだめで、集めてものを丁寧に自分なりに整理する必要があるということ。集めるにあたっては、それなりの一貫性、つまり「趣味=センス」が問われるということ。そしてそのためには、対象についての相当に深い知識が必要だということ。何をどう集めるかを通して、その人の見識のみならず、自ずと人となりが滲み出てくるということ。「趣味を極める」には「暇(とお金)」があるだけではだめで、相応の「手間」、すなわち探究心と根気のようなものが必須なのである。音楽を美術品のような意味で蒐集所有することは出来ないにせよ、自分の記憶の中に整理棚のようなものを作って、そこに自分がこれまでに聴いたものをあれこれ並べて、自分だけの空想の博物館を一生かけて構想していく楽しみは変わるまい。もちろん「聴いてその時に楽しければいい音楽」というものもあるし、こうした消費的な音楽がもつ「束の間の喜び」を否定する気はない。だが他方、一種のコレクション性を暗黙裡にもとめている音楽ジャンルもあるわけで、クラシックはジャズと並んでその代表格だと言っていいだろう。
今日のわたしたちにとって、「趣味を極める」ための悠長で贅沢な時間を見つけることは、加速度的に難しくなっている。こうも日常が何かに急き立てられるような息苦しいものになってくると、難しいことは言わずとも、単なる「気晴らし=リクリエーション」であればそれでいいという気にもなってくる。しかしリクリエーションと趣味とは、似て非なるものだということを忘れたくはない。リクリエーションとは実は、明日の労働のために必要な気力体力を再び回復=リ・クリエーションするための時間なのであって、その意味では労働サイクルの一部なのだ。労働する者はきちんと余暇に「気晴らし」ないし「憂さ晴らし」をしておいて、明日に備える義務があるのである。
そこに行くとクラシック音楽は、幸か不幸か、リ・クリエーションにはまったく向いていない。そもそもそれはもっと時間がゆったり流れていた時代に作られた音楽であって、クラシック音楽の多くが時間をかけすぎるくらいかけて悠然と流れていくのは、そのせいだ。しかも音楽自体が長いというだけではない。それを存分に味わうには、なんだかんだと知識が必要ときている。作曲家の名前、作品の名前、作られた時代とその背景等々──ただ受け身で響きに身を任せるというわけにはいかない。聴く側が能動的になる必要がある。音楽を集中して聴き、それについて積極的に勉強する探究心がいる。「敷居が高い」という印象をクラシックが与えるとすれば、それはこのせいだ。聴いてすぐ楽しめるというわけにはいかないのである。本当はいったんある程度の要領さえわかれば、こんなに面白い音楽ジャンルはそうないのだが。
「要領がわかる」──どんな趣味でもそうかもしれないが、クラシック音楽の敷居をまたぐとき一番難しいのはこれだ。つまりジャンルに既になじんでいる人々にとっては今さら説明の必要もないのだが、しかし部外者にとってはどうにも要領を得ない、そういう死角のようなものが色々とあるのである。本文中でも書いたが、例えば私自身かつて、どうしてクラシックの交響曲だのピアノ・ソナタだのには「楽章」などというものがあるのか、よくわからなかった。一つの曲(例えば「ベートーヴェンの交響曲第五番」など)のはずなのに、どうしてそれが四つの曲(楽章)から出来ているのか。おまけにその「四つの曲」を、どうして第一楽章の次は第二楽章、その次は第三楽章という具合に、順番通りに聴かなければいけないのか。ジャンル通にとっては自明すぎるがゆえに、逆に口に出して自覚的に説明することが難しく、そして門外漢はまさにそこが要領を得ないせいで、いつまでたってもジャンルの中に入っていけない、そして門外漢が「どうして?」と問うても、通の側からすれば「だって当たり前でしょ」ということになってしまう──「死角」とはそういうものである。
本書で私は、外から見た時のクラシック音楽のこうした死角を、色々と考えてみた。自分にとってはあまりに自明なことを、人はなかなか自覚できない。ましてその根拠を説明することはとても難しい。だが何かの本質とは実は、まさにこの死角においてこそ、最も端的な形であらわれてくる。その意味で本書は、「一体クラシック音楽とは何なのか」という難問に対する、私なりの答えの模索の試みでもある。
(クラシック音楽とは何か 「はじめに」項 より)
さて、この【はじめに】項で投げられた疑問は、本を読みすすめるなかでひとつひとつ丁寧にほどかれていきます。たとえば【交響曲にはなぜ複数の楽章があるのか?】項では。
~中略~
今にして思えば、当時の私は歌謡曲のアルバムを聴くような感覚で、交響曲を聴こうとしていたのだろう。いわばコース料理と単品の違いがわかっていたなかったのだ。ショパンの《英雄ポロネーズ》とか、シベリウスの《フィンランディア》とか、グノーの《アヴェ・マリア》といった曲は「単品」である。単独で聴くものである。それに対して通常四つの楽章を持つ交響曲はコース料理だ。そしてかつての私は、順番に出てくるスープやサラダやメインやデザートを見て、「どうしてこの順番で、しかも全部食べなければいけないんだ? 今日は別にスープはいらないんだけど……どうせならサラダもなしで、メインを二種類だけ注文して終わりにしたいんだけど……」などと考えていたわけだ。だがこれは勘違いも甚だしいわけで、「絶対にこの順番通りに、通しで最初から終わりまで聴いてもらわないと困る」と考えて、作曲家は交響曲を作っているのである。
「コースと単品」の代わりに「短編小説と長編小説」、あるいは「寸劇と四幕の悲劇」などという比喩を出してもいいであろう。シェークスピアの『マクベス』の各幕を、あるいはトーマス・マンの『魔の山』の各章を、順番をばらばらにして読むとか、好きな章だけ読んで、他のところは眼を通さないなどということはありえない。じっくり最初から丁寧に読んでいかないと、すぐに筋がこんがらがってくる。登場人物の誰が誰か分からなくなってくる。だから長編小説は寸劇や短編小説よりもはるかに読むのに根気がいる。だがじっくり時間をかけてこそ初めて味わえる感動の深さというものが、そこにはある。だからこそ数々の偉大な作曲家たちは、交響曲をあらゆるジャンルの金字塔と考えた。
~中略~
(クラシック音楽とは何か「交響曲にはなぜ複数の楽章があるのか?」項 より一部抜粋)
以下、交響曲の「定番コース」としてのソナタ形式について、作曲家・時代ごとの違いや変遷についてふれられていきます。料理や物語といった日常からの例えはとてもわかりやすく、すっと入ってきますね。映画や小説を一通り見たうえで、この場面が好き・この章を何回も読んでしまうはあるとして、最初からピンポイントにそこしか知らない、はたしかに作品の魅力をもったいない形でしか受け取れていないのかもしれない。極端な話、ガマンしてでも一回は始めから終わりまで通して聴いてみる。映画は2時間、小説なら数日から数週間じっくりかかることも、クラシック交響曲は1時間。楽章ごとに間隔をあけて聴いたとしても、立派な時間的価値があると思います。
もし!もし、映画『魔女の宅急便』を好きだと言っている人がいて、「飛行船から落ちそうなトンボをキキが助けるシーンは最高だよね、そこしか知らないけど、超感動する。」なんて言われてしまったら。「ちょっと待って!たしかにそこはクライマックスだけど、でもその感動へ向かう紆余曲折、物語がちゃんとあるんだよ。そこだけであの映画が好きというのはちょっとザンネンというか、もったいないよ。」って、すごくシンプルですね。
当サイトでは、「クラシックプレミアム」全50巻、毎号レビューを記していました。久石譲エッセイを抜粋紹介することがメインです。そのなかで、「キーワードでたどる西洋古典音楽史」エッセイ(「クラシック音楽とは何か/岡田暁生 著」として書籍化)、とても面白く興味深かったとき併せて紹介していたものもあります。
本の目次からどこにあたるのかを整理したので、ぜひ本の全貌を知る、本を手にとるきっかけになったらうれしいです。紹介している文章はエッセイから抜粋した一部分です。
Blog. 「クラシック プレミアム 5 ~ヴィヴァルディ / ヘンデル~」(CDマガジン) レビュー
→【交響曲はクラシックのメインディッシュ】
Blog. 「クラシック プレミアム 7 ~チャイコフスキー1~」(CDマガジン) レビュー
→【交響曲にはなぜ複数の楽章があるのか?】
Blog. 「クラシック プレミアム 12 ~モーツァルト3~」(CDマガジン) レビュー
→【バッハはお好き?】
Blog. 「クラシック プレミアム 13 ~ブラームス1~」(CDマガジン) レビュー
→【対位法の難しさ】
Blog. 「クラシック プレミアム 23 ~グリーグ / シベリウス~」(CDマガジン) レビュー
→【名演とはなにか】
Blog. 「クラシック プレミアム 24 ~ベートーヴェン5~」(CDマガジン) レビュー
→【名演とはなにか】
Blog. 「クラシック プレミアム 28 ~ピアノ名曲集~」(CDマガジン) レビュー
→【オーケストラになぜ指揮者がいるのか】
Blog. 「クラシック プレミアム 29 ~ブラームス2~」(CDマガジン) レビュー
→【オーケストラになぜ指揮者がいるのか】
Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 46 ~ショスタコーヴィチ~」(CDマガジン) レビュー
→【即興演奏再考】
Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 47 ~ハイドン~」(CDマガジン) レビュー
→【即興演奏再考】
Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 48 ~新ウィーン楽派の音楽~」(CDマガジン) レビュー
→【音楽の終わり方】
クラシック音楽とは何か/岡田暁生・著 (小学館)
目次
はじめに
「クラシック」音楽の黄金時代は一九世紀
音楽史の流れ──ウィーン古典派まで
ロマン派は自己表現する
「現代音楽」と二〇世紀
交響曲はクラシックのメインディッシュ
交響曲は一九世紀の頑張りソング?
交響曲にはなぜ複数の楽章があるのか?
オペラは「クラシック」じゃない?
サロンの物憂いプレイボーイたちの音楽
家庭音楽とドイツ教養市民
オペラとオペレッタは違う!
バッハはお好き?
対位法の難しさ
バロック音楽の楽しみ方
モーツァルトの凄さとさりげなさ
モーツァルトとベートーヴェンの違いについて
「後期ベートーヴェン」というスフィンクス
シューベルトと病み衰える快楽
うんざりするほど長い音楽について
宗教音楽について
ワケのワカラナイ音楽について
名演とは何か
演奏のよしあしはどうすればわかる?
アンチ・エイジング時代の演奏家たち
古楽演奏とは何か
オーケストラになぜ指揮者がいるのか
オペラの客いろいろ
音楽と旅
ヨーロッパ音楽都市案内──ナポリ
ヨーロッパ音楽都市案内──ヴェネツィア
ヨーロッパ音楽都市案内──ウィーンのただならぬ場所
ヨーロッパ音楽都市案内──ザクセンの音楽
ヨーロッパ音楽都市案内──バイエルンの音楽
ヨーロッパ音楽都市案内──一九世紀の首都パリ
故郷の歌
クラシック音楽の現代性を考えてみる
私見──音楽史で最も偉大な作曲家
一九七〇~九〇年──クラシック演奏の転換点?
即興演奏再考
音楽の終わり方
*本書は、小学館発行『クラシックプレミアム』誌に平成26年1月から平成27年11月まで連載された記事に加筆して構成したものです。
もちろん各レビューには、久石譲エッセイの紹介もあります(こちらがメイン)。ふと読み返しても濃密な音楽講義だなあと思うのですが、飛び飛びで読んでこんがらがるよりも、コンプリートされている書籍をじっくり読むことをおすすめします。クラシック音楽寄りな久石譲の音楽活動がじっくり堪能できます。
目次は
久石譲著書からクラシック音楽を攻めるか、「クラシック音楽とは何か/岡田暁生・著」からクラシック音楽を攻めるか。この二冊からだけでも得られる音楽体験は大きなものがあります。
僕は、2年間の「クラシックプレミアム」を通して、なにがわかったのか、どう自分のなかで体系的に整理できたのか。これからクラシック音楽を少しでも豊かに楽しみ「趣味を極める」ための「要領がわかった」入り口部分。
”クラシック音楽の洗礼”と題して、【指揮者、演奏者、録音時代、録音環境、年版/改訂版、編曲版、補筆版、スコア版、楽器時代、楽器配置、録音場所、録音技術、周波数】という13の切り口とものさし。これらの条件を照らし合わせながら好みの演奏盤を探していく。誰にでも経験あることと思いますが、興味をもった作品を聴いてみたけど全くフィットしなかった。そして、巡り巡ってある日聴いた別の演奏では、驚くほどすこぶるフィットしてきた。第一印象がよくなかったあまりに、作品の良さを理解できぬまま遠のいてしまっていたもの。もし探すとっかかりがあれば、もっと素敵で運命的な出会いが待っているのかもしれない。
このクラシック音楽の宇宙のなかから、自分のお気に入りの愛聴盤を探す難しさ。そこから導き出されたもうひとつの面は、《久石譲(作曲)の、久石譲による(指揮・演奏)、久石譲による(録音・パッケージ化)》という、当たり前のことすぎて素通りしそうなことへの、決して当たり前ではない感謝!そういったことをたっぷりと書いていたように思います。
もっと直感的にクラシック音楽に入っていきたい、そういう久石譲ファンには。これまで著書やインタビューで語られてきた登場してきたクラシック作品、久石譲も聴き親しんできたクラシック演奏盤。このあたりから扉をたたいてみるのもいいですね。
もうひと押し!
そう言うならば、久石さんがこれまでに演奏会で指揮したクラシック作品。
- ショスタコーヴィチ:ジャズ組曲第2番 ワルツ
- ラヴェル:ボレロ
- ワーグナー:楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」序曲
- ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」より ワルキューレの騎行
- バーバー:弦楽のためのアダージョ op.11
- ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調「運命」 op.67
- チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 op.64
- シューベルト:交響曲第7番 ロ短調 D.759「未完成」
- ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 op.95「新世界より」
- ホルスト:組曲「惑星」
- ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」
- モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550
- ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68
- ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲
- チャイコフスキー:バレエ組曲 「くるみ割り人形」 より
- ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
- プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」組曲第2番より
- プロコフィエフ :ピーターと狼
- ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー
- ガーシュイン:パリのアメリカ人
- ヴィヴァルディ:ラ・フォリア〜ヴィヴァルディの主題による変奏曲
- シベリウス:フィンランディア
- グリーグ:組曲「ペール・ギュント」より抜粋
- サン=サーンス:動物の謝肉祭
- ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 作品92
- ドビュッシー(ビュッセル編):小組曲
- ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
- ムソルグスキー(ラヴェル編):「展覧会の絵」
- ヴェルディ:歌劇『運命の力』より「序曲」「神よ、平和を与えたまえ」
- ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲」「愛の死」
- マスカーニ:歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より「間奏曲」
- プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』より「序曲」「ある晴れた日に」
- プッチーニ:歌劇『ジャンニ・スキッキ』より「私のお父さん」
- マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
- ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
- ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47
- シューマン:チェロ協奏曲
- ブラームス:交響曲第4番 変ホ短調 作品98
- ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲
- レスピーギ:交響詩「ローマの松」
- ガーシュイン:キューバ序曲
- ブラームス:大学祝典序曲 作品80
- ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73
- ブラームス:ハンガリー舞曲第1番
- ハチャトゥリアン:仮面舞踏会よりワルツ
- ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90
- ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
- ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」
- ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
- ペンデレツキ:広島の犠牲者に捧げる哀歌
- チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」
- チャイコフスキー:バレエ音楽「眠れる森の美女」作品66より 第1幕 <ワルツ>
- ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調「英雄」作品55
- ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲
- シェーンベルク:浄められた夜 op.4 (弦楽合奏版)
- ペルト:交響曲第3番
- ペルト:スンマ、弦楽オーケストラのための
- カール・オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」
- ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト短調 作品88
- ドヴォルザーク:スラブ舞曲第2番 ホ短調 作品72
- ヘンリク・グレツキ:あるポルカのための小レクイエム 作品66
- ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調 作品21
- ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 作品36
- シェーンベルク:室内交響曲第1番
- ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60
- ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
- ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
- ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93
- ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調 作品93
- マーラー:交響曲第1番
ほか
*順不同
(2019.11現在)
これでもすべては挙げられなかったのですが、たくさんありますね。並べてみて、改めていろいろな作品を指揮していることがわかります。こんなにあるんだぁ…と思うのか、こんなにたくさんのきっかけがある!ここからクラシック音楽をピックアップして楽しんでみようかな! あなたはどちらですか?
僕は、《クラシック音楽という趣味を極めたい》んじゃないんです。《音楽という極めたい趣味のなかにクラシック音楽もある》、それだけです。そしてとても大切な一部分です。久石譲音楽をもっと豊かに楽しむために跳ね返ってくるものがある。
それではまた。
reverb.
今年の新しい出会いのひとつは「シューベルト:交響曲第5番」でしたー♪
*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number]
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