Blog. 「読響シンフォニックライブ 2012年8月15日」 放送内容

Posted on 2017/08/01

2012年8月15日、日本テレビ系「読響シンフォニックライブ」にて久石譲が出演しました。

 

読響シンフォニックライブ 「深夜の音楽会」

[公演期間]  63 読響シンフォニックライブ「深夜の音楽会」
2012/5/30

[公演回数]
1公演(東京オペラシティコンサートホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:読売日本交響楽団

[曲目]
第1部
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
久石譲/シンフォニア-弦楽オーケストラのための-
第2部
ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番 ニ短調 作品47

 

 

公式番組ホームページからの放送内容をご紹介します。

 

 

≪久石譲自作曲「シンフォニア」演奏!≫
1曲目は久石譲さんの指揮で、久石さん自作の「シンフォニア~室内オーケストラのための~」をお送りしました。

久石さん作曲の「シンフォニア」は、久石さんがおよそ30年ぶりに書いた純音楽の作品。現代音楽の作曲家として活動を始めた久石さんが得意とする、「ミニマル・ミュージック」という作曲スタイルが取り入れられています。

 

久石譲インタビュー

Q.「ミニマル・ミュージック」とは、一体どこに注目して聴けば よいのでしょうか?

久石:
このシンフォニアというのは全3楽章から出来ていて、1楽章目が「パルゼーション」。これは「パルス」ですね。四分音符のタン・タン・タン・タン、八分音符のタン・タン・タン・タン、三連符のタタタ・タタタ、十六分音符のタタタタ・タタタタ。そういう色々なものがただ組み合わされて、パーツで見ると何をしているか非常に明解な曲なんですね。それから2曲目の「フーガ」というのは、朝礼で使われる「ドミナントコード」というのがあるのですが、この和音ばかりを繋げて出来ています。普通ドミナントいうのは必ず解決しますが、これは解決しないまま次々と行ってしまうんですね。3曲目の「ディヴェルティメント」は、「ミニマル・ミュージック」と「古典」の音楽を融合させています。テーマは単純に第九のモティーフと一緒です。これを使って出来るだけシンプルに構成する。僕がやっているミニマル・ミュージックというのはあくまでもリズムがベースになるんですね。それを徹底してやろうと思いました。

 

Q.「崖の上のポニョ」や「さんぽ」を書いた久石さんと、「シンフォニア」を書いた久石さん。 同じ方が書いたとは思えない作風の違いですが、作曲するうえでスタンスの違いはあるのでしょうか?

久石:
どちらが大変かと言ったら、確かに物量的におたまじゃくしの数が多い方が書く大変さに比例するんですね。大量の音符を扱う分だけ時間は掛かるし手間隙が掛かります。ただし「ポニョ」や「さんぽ」でもああいう曲を書くとなると、その大元が新鮮でなかったら誰も歌ってくれないんですね。方や「シンフォニア」のようにものすごく構築して自分の世界観を出すのも、シンプルに書くのも同じくらい大変なんですけど、どんな場合でも今作ろうとしている音楽にちゃんと命が吹き込まれて楽曲になるまでを考えると重みは一緒だと思います。だからこそチャレンジしています。

 

≪ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」≫
2曲目は、ドビュッシー作曲「牧神の午後への前奏曲」をお送りしました。

Q.久石さんは“作曲家”として「ドビュッシー」をどのように とらえていますか?

久石:
この曲は小節数にするとそんなに長いものではないんですが、この中に今後の音楽の歴史が発展するであろう要素が全部入っていますね。音楽というのは基本的に、メロディー・ハーモニー・リズムの3つです。メロディーというのはだんだん複雑になってきますから、新しく開発しようとしてもそんなに出来やしないです。そうすると「音色」になるわけです。この音色というのは現代音楽で不協和音をいっぱい重ねて特殊楽器を使ってもやっぱり和音、響きなんですね。そうするとそっちの方向に音楽が発達するであろう出だしがこの曲なんだと思います。20世紀の音楽の道を開いたのはこのドビュッシーの「牧神」なんじゃないかなと個人的にすごく思いますね。

(読響シンフォニックライブ より)

 

 

【お知らせ】「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」レポートについて & 特別企画《チャット・アンケート》

当サイトは「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」コンサートレポートおよび感想などは全公演終了後(8月17日以降)に掲載予定です。

8月2日からツアースタート、コンサートに行く人には純粋に楽しんでいただけるように、そして全公演終了後に総力あげて演奏曲目(セットリスト)やアンコール情報などを網羅できたらと思っています。

予めご了承ください。 “【お知らせ】「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」レポートについて & 特別企画《チャット・アンケート》” の続きを読む

Overtone.第11回 「余白のある音楽は聴き飽きない」(雑文集/村上春樹より) ~心に音楽を貯め込む~

Posted on 2017/07/27

ふらいすとーんです。

お休みの日、30分くらい心落ち着いたとき、好きな音楽や飲み物と一緒に読んでください。

村上春樹さんの本は好きでよく読みます。この本は、雑誌に掲載されたエッセイから、スピーチやインタビューから、依頼された本の序文・解説などから、お蔵入り・未収録から、いろんなものを「雑多」に集めたその名も「雑文集」です。多岐にわたる文章を、村上春樹の本として整理してまとめたものです。

音楽にも詳しいことで有名ですね。長編小説をはじめ、物語にはよく音楽が登場してきます。ジャンルもロック、ジャズ、クラシックまで。ほんとうにこの人は音楽が好きなんだなあ、というか、村上春樹という人そのものを、また書く文章のリズムやテンポ感までも、音楽がつくっているような気さえしてきます。

 

「雑文集」から、音楽についてのエピソードです。具体的には2005年「別冊ステレオサウンド」というオーディオ雑誌に掲載されたお話です。「わかるわかる!僕もそう思う!」「到底およばないなあ」と、あまりにも共感することが多く、またそれを文章で表現されていることに感動してしまって。ご紹介したいな、と思いました。

22ページに及びます。独断と偏見で切り取ろうかなとも思いました。でもそうすると、変なまとめ記事みたいになってしまう。前後の文脈を省略しすぎることは、作者の意図にも大きく反する可能性もでてきます。なので、なるべくセンテンス・段落ごとに抜粋させてもらいました。その分、少し文字量が多くなっていますが、読み物としては、そちらのほうがテンポよく読みやすいとも思います。(と言いながら、ばっさり半分近く削いだのです、すいません)

なるべく”自分がほしいと思っている”部分だけではなく、全体像がつかみやすいようにしたつもりです。僕が共感した部分、あなたが共感する部分、きっと違うと思います。感想は最後に少し書こうと思いますが、まずはゆっくり読んで楽しんでください。

 

 

余白のある音楽は飽きない 「雑文集」/村上春樹より

~略~

オーディオ雑誌でこんなことを言うのもなんだけど、若いころは機械のことよりも音楽のことをまず一所懸命考えたほうがいいと、僕は思うんです。立派なオーディオ装置はある程度お金ができてから揃えればいいだろう、と。若いときは音楽も、そして本もそうだけど、多少条件が悪くたって、どんどん勝手に心に沁みてくるじゃないですか。いくらでも心に音楽を貯め込んでいけるんです。そしてそういう貯金が歳を取ってから大きな価値を発揮してくれることになります。記憶や体験のコレクションというのは、世界にたったひとつしかないものなんです。その人だけのものなんだ。だから何より貴重なんです。でも機械だったら、お金さえあえば比較的簡単に揃えられますよね。

もちろん悪い音で聴くよりは、いい音で聴く方がいいに決まっているんだけど、自分がどういう音を求めているか、どんな音を自分にとってのいい音とするかというのは、自分がどのような成り立ちの音楽を求めているかによって変わってきます。だからまず「自分の希求する音楽像」みたいなものを確立するのが先だろうと思うんです。

~中略~

そんなわけで僕はレコードを中心に音楽をたくさん聴いてきましたし、もちろんいまでもレコードやCDで音楽を楽しんでいます。そのいっぽうでコンサートにもよく足を運んでいます。レコードに入っている音楽も素晴らしいし、生演奏もいい。音楽好きの中にはコンサート至上主義の人もいるし、また逆にレコード至上主義の人もいるようですが、僕は、この両者は別物だと思うんですよ。どちらの価値がより高いというものではない。あえて言えば、映画と舞台演劇の関係みたいなものかな。で、僕としては、映画ばかり観ている、芝居ばかり行っているということではなくて、レコードとコンサート、そのお互いの関わり合いの中で音楽を見ていきたい、考えていきたい、そう思っているんです。バランスをとることって大事ですよね。

レコードには生演奏にはないいいところがありますよね。例えば何度でも繰り返して聴けること。それから、もういまはこの世にいない素晴らしい演奏家の音楽を聴くことができること。もうひとつ、自分がそれを持っている、その音楽をいちおう個人的に所有しているという実感って大きいですよね。一枚一枚に自分の気持ちがこもっている。さっきも言ったように、ニ八◯◯円のブルーノートのレコードって、高校生の僕にとってはものすごく大きな出費だったんだけど、だからこそ大事に丁寧に聴いたし、音楽の隅々まで憶えてしまったし、そのことは僕にとっての貴重な知的財産みたいになっています。無理して買ったけど、それだけの値打ちはあったなあと。活字がない時代、昔の人が写本してまで本を読んだように、音楽が聴きたくて聴きたくて苦労してレコードを買った、あるいはコンサートに行った。そうしたら人は文字通り全身を耳にして音楽を聴きますよね。そうやって得られた感動ってとくべつなんです。

ところが時代が下ると、音楽はどんどん安価なものになっていった。いまやタダ同然の価格で音楽が配信される時代になった。手のひらくらいのサイズの機械に何十時間、何百時間もの音楽が入ってしまう。いくらでも好きなときに簡単に音楽が取り出せる。もちろん便利でいいんだけど、でもそういうのって、音楽の聴き方としてちょっと極端ですよね。もちろんそういうふうにして聴くのがふさわしい音楽もあると思うけど、そうじゃないものも多いはずです。やっぱり、音楽にはその内容にふさわしい容れ物があると思います。僕はいつもランニングしながら音楽を聴いているので、小さくて軽い装置で、大量に音楽が聴けるというのは、個人的にはありがたいことなんですけどね。

それからたとえば、プーランクのピアノ曲が一枚のCDにぶっ続けに七十分入っているというのは、たしかに情報としては便利で都合がいいんだろうけど、普通に音楽を楽しむ人にとってはやっぱり乱暴ですよね。プーランクは、そういう聴き方をする音楽ではないんじゃないか。あるいは、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』なんかは、A面B面をひっくりかえす間とか、最内周での繰り返しなど、レコードの特質を活かしたつくりがされていて、それをCDで聴いてしまうと「なんか違うな」という感じがつきまとうんです。ビートルズのメンバーが設定した世界が、そこには正確に具現されていないのではあるまいかと。

CDというのはLPに比べれば便利で効率的な容れ物です。でもだからといって、七十何分入るからとにかくぎゅうぎゅうに詰め込んじゃえ、というのではあまりにも発想が安易なんじゃないかな。便利で効率的なCDがある一方で、不便で非効率なCDがあったっていいと思うんです。そういう容れ物を求めている音楽だって世の中にはあると思うから。僕はA面とB面をひっくり返せるCDを昔から提唱しているんだけど、誰も取り合ってくれない(笑)。

それにしても、LPレコードというのは、音楽の容れ物としてよくできていると思いますよ。CDが登場して以来、LPを売ってCDに買い換える人がたくさんいるけれど、僕はいまでもよくCDを売ってLPに買い換えたりしています。ひとつには、音楽というのはできるだけオリジナルに近い音源で聴くのがいいと考えているからです。だからCDの登場する以前の音楽は、なるべくならLPで聴きたい。もうひとつ、アナログレコードはもうこれ以上技術的に進歩発展しないですよね。進化のどんづまりにいるわけだから、最終的なかたちになっている。「驚異のスーパー24ビットで新発売!」みたいなことはないだろうし、業界的に振り回されることもなく、落ち着いて音楽が聴ける。あと中古屋で、内容の優れたアナログレコードがあまりにも安い値段で売られていたりすると、ついつい気の毒になって「おお、かわいそうに、僕が買ってあげよう」みたいなことになります(笑)。こうなるともう一種の救済事業です。

もちろんアナログLPからCDになって、音が改善された例もたくさんあります。たとえばエルヴィス・プレスリーなんて風呂場で歌っているみたいにモゴモゴしていたのに、CDではサッとクリアになってますよね。違う音楽みたい。サイモン&ガーファンクルもずいぶん感じが変ったし、ボブ・ディランのこのあいだ出たCDもよかったな。逆にブルーノートの新しい「ルディ・ヴァン・ゲルダー」リカッティングみたいに「何、これ?」と、個人的に言いたくなるものもある。僕は決して偏狭な人間ではないので、両方のメディアの良いところをそれぞれに幅広く楽しみたいと思っています。

どんな時代でもどんな世代でも、音楽を正面からきちんと聴こうという人は一定数いるはずだし、それは本でも同じですよね。本当に本を大事にする人は、携帯電話で読める時代になったとしても、ちゃんと書物を買って読み続けていると思う。世間の大多数の人々は、そのときの一番便利なメディアに流れていくかもしれないけれど、どんな時代にもそうじゃない人が確実にいます。全体の一割くらいでしょうかね。よくわかんないけど。僕がいまここでしゃべっていることは、あくまでもその一割の人たちに向けた個人的な話です。というか、僕という個人がここで、世間の大多数のことを話してもしょうがないでしょう。

~中略~

ヨーロッパに住んでいたころ、クラシックのコンサートによく通いました。それでよかったな、と思うのは、やっぱりレコードなどではわからないことってありますよね。たとえばロリン・マゼールをローマで聴いて、「マゼールってこんなにいい指揮者だったっけ?」って本当にびっくりしました。ジョルジュ・プレートルがベートーヴェンを振ったコンサートも見事だった。レコードを聴くプレートルの印象ってなんかちょっと薄いめで、とくになんていうこともない指揮者だなあ、と思っていたんですけど、実演だとまるで違うんです。音楽が隅々まで生きて動いていて、それが目に見えます。そういうのって、コンサートじゃないとわからないですよね。

それから二十年以上前に、新宿厚生年金会館で聴いた、ボブ・マーリーのコンサート。あのときは最初の十秒でノックアウトされました。身体が勝手に動き出して、もう止まらない。そこまでダイレクトに身体的な音楽を僕は聴いたことがなかったし、その後もないですね。あのレゲエのリズムが身体に染み込んでしまって、いまでもどっかに残っている。そういうのは、そのときも楽しいんだけど、いま思い出してもまだ楽しいですよね。素敵な恋愛と同じで、歳を取ってからでも、おりにふれ思い出して心が暖まる。

~中略~

よく調整された高価なオーディオ装置で聴かせてもらったレコードの音も、ひとつの基準として耳に残っています。たまにそういうのを聴くと、「いい音だな、こういう音で日常的にレコードを聴けるといいな」って思いますよ。ただ僕はオーディオマニアではないし、複雑な機械の調整に没頭したりというようなことはとてもできません。美しい音で聴ければそれに越したことはないけれど、そこにたどり着くまでの手間や時間を考えると、ある程度のところで見切りをつけて、あとは心静かに音楽を聴いた方がいいや、と思っちゃいます。これはもう個人的な優先権の問題ですね。

もちろん好みの音というものはあります。いくら綺麗でクリアで、原音に近い音がしたとしても、みんなが口を揃えて素晴らしいと褒めても、僕にとってぴんとこないということはよくあります。うちのJBLのユニットは柄こそでかいけれど、最新のスピーカーに比べたら上も下もそんなに伸びません。スペック的に見たら時代遅れなスピーカーだと思います。もっと広域が伸びたり、低域がもっとガシッと出たりしたらいいだろうな、と思うときももちろんあります。でもそういう音になって、僕にとっての音楽の情報量がいまより増えるかと言ったら、それはないんじゃないかな。このいまのスピーカーを通して与えられる情報が、自分には長いあいだひとつのメルクマールになってきたし、それをもとにして音楽的にものを考える訓練を僕は積んできたわけです。

~中略~

先ほどレコードのよさとして、繰り返し聴けるということを挙げましたが、年月を経て同じ音楽を何度も聴くことで、以前にはわからなかったことがわかるようになることってありますよね。『ペット・サウンズ』なんか、初めて聴いたときにもいいなと思ったけれど、いま考えると本当にどれだけその真価が理解できていたのかなあと思いますよ。あのレコードが出たのは一九六六年ですが、七〇年代、八〇年代、九〇年代、自分が歳を取って聴くたびに、いいなと思うところが増えてきたんです。不思議なことに『サージェント・ペパーズ~』は初めて聴いたときはひっくり返るくらい感心したんだけど、いま聴いて新しい発見があるかと言ったら、『ペット・サウンズ』みたいに「あとからあとからずるずる出てくる」みたいなことはないような気がするんです。もちろんこれは、どちらが音楽として優れているかという話ではないですけど。

何て言うのかな、ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンのつくった音楽世界には空白みたいなものがあるんです。空白や余白のある音楽って、聴けば聴くほど面白くなる。ベートーヴェンで言えば、みっちり書き込まれた中期の音楽より、後期の音楽のほうがより多く余白があって、そういうところが歳を取るとよりクリアに見えてきて、聴いていてのめり込んでしまう。余白が生きて、自由なイマジネーションを喚起していくんです。晩年の弦楽四重奏曲とか、「ハンマークラヴィア・ソナタ」とかね。デューク・エリントンも余白の多い音楽家ですね。最近になってエリントンの凄さがだんだん心に沁みるようになってきたような気がします。とくに一九三〇年代後半から四〇年代前半にかけて残した演奏が好きです。若いときからエリントンは聴いていましたよ、でもいまの聴き方とは確実に何かが違うような気がする。そういうのもレコードという記録媒体が手元にあればこそ、可能になることですよね。

歳を取っていいことってそんなにないと思うんだけど、若いときには見えなかったものが見えてくるとか、わからなかったことがわかってくるとか、そういうのって嬉しいですよね。一歩後ろに引けるようになって、前よりも全体像が明確に把握できるようになる。あるいは一歩前に出られるようになって、これまで気がつかなかった細部にはっと気づくことになる。それこそが年齢を重ねる喜びかもしれないですね。そういうのって、人生でひとつ得をしたようなホクホクした気持ちになれます。もちろん逆に、若いときにしかわからない音楽や文学というのもあるわけだけれど。

僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさとは何か? それは、いいものと悪いものの差がはっきりわかる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。もちろんそれは自分にとってのいいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのとでは、人生の質みたいなのは大きく違ってきますよね。価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。それだけに本当にいい音楽に巡り合ったときの喜びというのは、文句なく素晴らしいです。極端な話、生きててよかったなあと思います。

(余白のある音楽は聴き飽きない 「雑文集」村上春樹著より 抜粋)

 

 

「心に音楽を貯め込む」「自分の希求する音楽像を確立する」、とても素敵な考え方だなあと思います。なるほどそういうことなんだなあ、とやさしく諭されるような包まれる気持ちにもなります。コンサートやCDそれぞれの音楽の楽しみ方や接し方など、ここにあるのは村上春樹さん個人のエピソードです。でも、音楽好きなら誰もが思ったことがある、経験したことがあるようなお話。共感できたりダブる体験談がここにあるからこそ、人を惹きつける生きた文章なんでしょうね。

僕はLP世代ではないので、その辺のお話は頭ではなんとなくわかっても耳では未体験です。ほかにも「ああ、僕もこんな体験してみたいなあ」とうらやましく思うエピソードもあって、他人の音楽経験から、音楽の素晴らしさをおすそわけしてもらう、そんなお話でした。

 

これからもOvertoneでは、音楽について、いろいろな演奏盤(今はおもにクラシック音楽になってしまいますけれど)について、ああだこうだ云々カンヌン言うと思います。そんなときは「ああ、この人なりに心に音楽を貯め込もうとしているんだな」と温かく読んでいただけたら、ほっと救われます。

久石さんの音楽やコンサートについて感じることも書くことも、村上春樹さんの言葉を借りれば「世界にたったひとつしかない、僕の記憶と体験のコレクション」なんですね。そんな超個人的なものが、もしかしたら誰かに伝わり部分的にでも共感してくれるのかもしれない。その連鎖が、実際には会わない会えないけれど、どこかの誰かとつながっていると感じれるのかもしれない。音楽っていいなあ。

それではまた。

 

reverb.
おもしろい小説を読むと、つい「久石さんだったらどんな音楽つけるかな」と空想しちゃいます。 (^^)oO

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Disc. 『NHKスペシャル ディープ オーシャン 潜入! 深海大峡谷 光る生物たちの王国』

2017年7月21日 DVD/Blu-ray発売
DVD NSDS-22421
Blu-ray NSBS-22418

 

世界で初めてダイオウイカを撮影したNHK深海取材班が新たな探検へ旅立つ!

北米・モントレー湾の深海大峡谷を潜行。めざすのは、谷の奥深くに眠るという「発光生物の王国」だ。そこでは、みずから光を放つ何千種もの発光生物たちが、光の戦いを繰り広げるという。 第一線の研究者とともに、最新の潜水艇で潜行すると、光をくるくる点滅させるクラゲ、電撃のような光を走らせる深海魚など、不思議な光を放つ生物たちに次々と遭遇する。一体、何のために光るのか?そこには、光らなくては生きられない深海の宿命があるという。世界で初めて、深海で発光生物たちの生態撮影に挑み、過酷な環境で生き残ってきた生命の謎に迫る。

(メーカーインフォメーションより)

 

 

2013年TV放送され話題となった「深海プロジェクト」。その最新シリーズとなる「ディープオーシャン」(全3回)。スタッフが再集結し企画された今プロジェクトには、前回音楽担当した久石譲も名を連ねることになった。2017年8月28日TV放送第1集のパッケージ化。

 

TV放送時期にプロモーション放送された久石譲インタビューが特典映像として収録されている。(約2分)

 

久石譲インタビュー

「深海の中でこんなに光るものがあるんだっていうのは驚きでしたよね。発光生物だとか、深海の映像がとても強いすばらしい映像だったので、イメージはすごいつけやすかった。作曲も実はそんなに時間かからないで一気に作れた。全部ミニマル・ミュージックでやったというのは初めてで、うまくいくかどうか非常に不安だったんですけども、生の音で聞いていけばいくほどこれで良かった、おそらく映像ともかなりマッチングするんじゃないか、そこがやっていてすごくうれしかったですね。」

(久石譲インタビューおよびレコーディング風景 より書き起こし)

 

 

音楽:久石譲
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
語り:三宅民夫、久保田祐佳

■特典映像:
プレマップ
内容1 久石譲氏が作曲の意気込みを語る音楽編
内容2 カメラマンが潜水艇を解説! メイキング編

■封入特典: 
リーフレット(8P) 
深海にまつわる情報満載「深海通信」
内容1 ディレクターとカメラマンによる制作後記
「それは、4K超高感度深海撮影システムの開発から始まった」
内容2 珍しい発光生物の生態を解説! 『発光生物ギャラリー』”

○2016年8月28日 NHK総合にて放送

DVD版 定価:4,104円(税込)
ドキュメンタリー/セル/本編49分+特典約10分(予定)/ステレオ・リニアPCM/片面一層/カラー

Blu-ray版 定価:4,104円(税込)
ドキュメンタリー/セル/本編49分+特典約10分(予定)/1920×1080i Full HD/15.1chサラウンド・ドルビーTrueHD 2ステレオ・リニアPCM(ただし「特典映像」はステレオ・リニアPCMのみ)/一層/カラー

 

Info. 2017/07/17 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第5回定期演奏会」公演風景紹介(長野市芸術館Facebookより)【7/20 Update!!】

「アートメントNAGANO」の軸である久石譲指揮、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)による第5回定期演奏会です。 “Info. 2017/07/17 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第5回定期演奏会」公演風景紹介(長野市芸術館Facebookより)【7/20 Update!!】” の続きを読む

Info. 2017/07/19 「長野、10日間の祭典閉幕 NCO演奏会に大きな拍手」(信毎Webより)

長野市芸術館などで開いた音楽フェスティバル「アートメントNAGANO2017」(市文化芸術振興財団主催)は17日、同館が拠点のナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)の第5回定期演奏会を開き、10日間の日程を終えた。ベートーベンの交響曲第6番「田園」などの迫力ある演奏で締めくくり、約700人が大きな拍手を送った。 “Info. 2017/07/19 「長野、10日間の祭典閉幕 NCO演奏会に大きな拍手」(信毎Webより)” の続きを読む

Disc. 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 『ベートーヴェン:交響曲 第1番&第3番「英雄」』

2017年7月19日 CD発売 OVCL-00633

 

長野市芸術館を本拠地として、2016年、新たなオーケストラ「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)」が誕生しました。音楽監督久石譲の呼び掛けのもと、日本のトッププレーヤーが結集してのベートーヴェン・ツィクルスが開始。“音楽史の頂点に位置する作品のひとつ”と久石がこよなく愛する「第九」に至るまで、2年で全集完成を目指します。作曲家ならではの視点で分析する”例えればロックのように”、かつてない現代的なアプローチによる久石譲&NCOのベートーヴェン・ツィクルス、第1弾。

精鋭メンバーが集結した夢のオーケストラ!ベートーヴェンはロックだ!!

(メーカーインフォメーションより)

 

 

 

ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)は長野市芸術館(2016年にオープン)を本拠地とした新しいオーケストラです。若くて優秀なうえに経験も豊富です。

僕がそこの芸術監督として最初に取り組むプロジェクトをベートーヴェンの交響曲全曲演奏&CD化にしました。我々のオーケストラは、例えればロックのようにリズムをベースにしたアプローチで誰にでも聴きやすく、それでいて現代の視点、解釈でおおくりすることができます。つまり新たなベートーヴェンです。今回お届けするのは第1回、第3回定期演奏会で演奏された楽曲です。

楽しんでいただければ幸いです。

2017年6月 久石譲

(CDライナーノーツより)

 

 

前進し躍動するベートーヴェン 柴田克彦

これは、聴く者の全身に活力を送り込み、五感を覚醒させるベートーヴェンだ。今回の交響曲全集プロジェクトにおける久石譲のコンセプトは、「作曲当時の小回りが効く編成で、現代的なリズムを活用した、ロックのようなベートーヴェン」。これに、著名オーケストラの首席クラスが集い、海外一流楽団やフリーの名手も加わった「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」が全力で応えたのが、本作の演奏である。

長野市芸術館で両曲のライヴを体験した際には、久石のソリッドなアプローチと、若い世代を中心とする精鋭たちの表現意欲が相まった、躍動感と生気あふれる音楽に感銘を受けた。”小回りの効く編成”ゆえに浮上する音やフレーズの綾も実感した。そしてリアルかつバランスの良いCD録音をあらためて聴くと、それらに加えて、細かなリズムの意味深さや、音塊一体で前進する強烈なエネルギーを再認識させられる。

両曲ともに速めのテンポでキビキビと運ばれ、緩徐楽章であろうと全く停滞しない。だが快速調であっても勢い任せではなく、各フレーズがこまやかに息づいている。第1番は、推進力と力感の中に、若きベートーヴェンの前向きの意志が漲っている。この曲は先達の進化形である以上に、未来を見据えた作品なのだ。第3番は、リズムが躍る鮮烈な音楽。特にシンコペーションや弦の刻みが効果を上げる。第4楽章前半部分での弦楽器陣の室内楽的な絡みも新鮮だ。そして重厚長大なイメージの「エロイカ」が、実は第7番を先取りするビートの効いた曲であることに気付かされる。

往年のロマンティックな表現や分厚い響きも、次のピリオド楽器演奏も、あるいはまたロックやポップスも経た上で、さらに先へと向うベートーヴェンの交響曲がここにある。

(しばた・かつひこ)

(CDライナーノーツより)

 

※諸石幸生氏による3ページにわたる曲目解説は割愛。詳細はCD盤にて。

 

 

 

久石譲インタビュー

「ベートーヴェンはやはりクラシック音楽の最高峰。何をどう頑張っても最後はここに行き着くんです。別の音楽を何回か経験した後に挑む方法もありますが、最初にベートーヴェンの交響曲全曲演奏を経験し、あるときにまた挑戦すればいい — 僕はそう考えました。演奏者もベートーヴェンをやるとなれば気持ちが違いますし、新たにスタートしたナガノ・チェンバー・オーケストラでも、メンバーの結束の強さが変わってきます。これはとても重要なことだと思っています」

「我々の演奏は、日本の人たちが通常やっているベートーヴェンではないんですよ。アプローチは完全にロックです。さらに言うとベートーヴェンが初演したときの形態でもあります。現代のオーケストラは、ワーグナー以来の巨大化したスタイルであり、ドイツ音楽は重く深いものだと思われています。しかしベートーヴェンが初演した頃は、ナガノ・チェンバー・オーケストラくらいの編成なんです。巨大なオーケストラが戦艦やダンプカーだとすれば、ナガノ・チェンバー・オーケストラは、モーターボートやスポーツカー。小回りが効くし、ソリッドなわけです。我々は、ベートーヴェンが本来意図した編成を用いながら、現代の解釈で演奏します。なぜなら昔と違ってロックやポップスを聴いている今の奏者は、皆リズムがいいからです。そのリズムを前面に押し出した強い音楽をやれば、物凄くエキサイティングなベートーヴェンになる。我々のアプローチはそういうことです」

「何十回もやって慣れてきたスタイルと全く違うので、メンバーも興奮していますよ。別に特別な細工をしたわけではありません。先に申し上げたように、編成はオリジナルに近づけて、リズムなどは現代的な解釈を採用しただけです。皆が色々な音楽を聴いている今は、その感覚で捉えなかったら、ベートーヴェンをやる意味はないと思うのです。ですから本当に、だまされたと思って一度聴きに来てください」

Blog. 「NCAC Magazine Opus.4」(長野市芸術館) 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

 

 

 

 

[ベートーヴェン・ツィクルス第1弾]
ベートーヴェン:交響曲 第1番&第3番「英雄」
久石譲(指揮)ナガノ・チェンバー・オーケストラ

ベートーヴェン
Ludwig Van Beethoven (1770 – 1827)

交響曲 第1番 ハ長調 作品21
Symphony No.1 in C major Op.21
1. 1 Adagio molto – Allegro con brio
2. 2 Andante cantabile con moto
3. 3 Menuetto. Allegro molto e vivace
4. 4 Adagio – Allegro molto e vivace

交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」
Symphony No.3 in E-flat major Op.55 “Eroica”
5. 1 Allegro con brio
6. 2 Marcia funebre. Adagio assai
7. 3 Scherzo. Allegro vivace
8. 4 Finale. Allegro molto

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (conductor)
ナガノ・チェンバー・オーケストラ
Nagano Chamber Orchestra

2016年7月16日(1.-4.)、2017年2月12日(5.-8.)
長野市芸術館 メインホールにてライヴ録音
Live Recording at Nagano City Arts Center Main Hall, 16 Jul. 2016 (1-4), 12 Feb. 2017 (5-8)

 

Produced by Joe Hisaishi

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Nagano Chamber Orchestra
Concertmaster:Kaoru Kondo

Recording & Balance Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineers:Takeshi Muramatsu, Masashi Minakawa
Mixed and Mastered at EXTON Studio, Tokyo

and more…

 

Info. 2017/07/15 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第4回定期演奏会」公演風景紹介(長野市芸術館Facebookより)【7/18 Update!!】

Posted on 2017/07/16

「アートメントNAGANO」の軸である久石譲指揮、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)による第4回定期演奏会です。 “Info. 2017/07/15 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第4回定期演奏会」公演風景紹介(長野市芸術館Facebookより)【7/18 Update!!】” の続きを読む

Info. 2017/07/16 「NCOワンコイン室内楽コンサート②ドイツ編」公演風景紹介(長野市芸術館Facebookより)

「日常に、芸術を」。アートメントのスローガンをそのままプログラムにしたような「NCOワンコイン室内楽コンサート」です。「アートメントNAGANO2017」の新しい企画としてナガノ・チェンバー・オーケストラメンバーによる500円でクラシック音楽を楽しめるコンサート。本物の音、本物の演奏、こういう機会に恵まれることはほんと素晴らしいことです。きっと今までの音楽世界がかわるきっかけになる、素敵な企画だと思います。 “Info. 2017/07/16 「NCOワンコイン室内楽コンサート②ドイツ編」公演風景紹介(長野市芸術館Facebookより)” の続きを読む