Blog. 「クラシック プレミアム 10 ~シューベルト1~」(CDマガジン) レビュー

クラシックプレミアム10 シューベルト1

Posted on 2014/06/22

「クラシックプレミアム」第10巻はシューベルト1です。

歌曲《野ばら》や《魔笛》でも有名なシューベルトですが、そちらは第40巻のシューベルト2に収録予定のようで、今回は後期の交響曲として最高傑作として聴き続けられている「未完成」と「ザ・グレイト」です。

 

【収録曲】
交響曲 第7番(旧第8番) ロ短調 D759 《未完成》
カルロス・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1978年

交響曲 第8番(旧第9番) ハ長調 D944
《ザ・グレイト》
カール・ベーム指揮
ドレスデン国立管弦楽団
録音/1979年(ライヴ)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第10回は、
音楽を伝える方法には何があるのか?

今号では、音楽を伝える方法として、楽譜はもちろんのこと、伝統芸能の世界の場合や、現代社会の傾向など、様々な歴史的および文明的尺度から、その伝達方法が言及されていました。

「音楽」とひと言でいっても、その歴史や文化、地域や語圏、そして発祥やジャンルによって、様々な進化および現代への伝承をしてきているのだなと思ったりしながら読んでいました。

 

さて今回も印象に残った内容を一部抜粋してご紹介します。

「もちろん作曲という行為は音楽を作ることがすべてであって、どんなジャンルでもかまわないけれど、しっかりとしたコンセプトと作品にする!という強い意志がないと書くことは出来ない。たまにちょっとしたアイデアが湧き、神様が降りてきたと思えるくらいに幸運な曲に仕上がることもあるが、それは1年に一度、いや数年に一度あるかないかの数少ないことであって、人生の大半を後悔と挫折に費やされる。少なくとも僕の場合は。」

 

そうなんですか!?あれだけ今も昔も、名曲を生みつづけているのにですか?!と思わず言ってしまいたくなるような。

それだけ作曲するということの、生みの苦しみは、あるということなのでしょうか。これだけ名曲の多い久石譲でも、いやだからこそ?!自分で自分の作品を超えていく、その姿勢や見事な結果(次々に新しい名曲の誕生という現在進行形)には、仕事との向き合い方や、はたまた生き方として尊敬してしまうところがあります。

 

何百年の愛されつづけているクラシック音楽、何百年も聴かれ、演奏され、人々の日常生活のなかにあるクラシック音楽、それがこの「クラシックプレミアム」にまとめられているわけですが。久石譲音楽もこのように、後世にも語り継がれ、聴き継がれていったらいいな、と思います。

やっぱり同じ時代に生きていて、しかも同じ国で、常に新作品を聴ける時代・環境にいるということは幸せなことですね。好きな作曲家と同じ時代や時間を共有できる幸せです。

 

クラシックプレミアム10 シューベルト1

 

Blog. 「クラシック プレミアム 9 ~ベートーヴェン2~」(CDマガジン) レビュー

クラシックプレミアム9 ベートーヴェン2

Posted on 2014/06/20

「クラシックプレミアム」第9巻はベートーヴェン2です。

記念すべき創刊号の第1巻がベートーヴェン1として、交響曲第5番《運命》や交響曲第7番などが、カルロス・クライバーによる名指揮にて特集されていました。今回のベートーヴェン2では、交響曲第3番《英雄》と二つの序曲が収録されています。

毎号特集されている作曲家の伝記のようなものが紹介されていますが、それと同時に収録されている盤の指揮者やオーケストラなどにも触れていて、今回は日本を代表する指揮者、小澤征爾さんのことも解説されていました。

小澤征爾さんのことを知ったときから、それはすでに「世界のオザワ」という代名詞がついていたわけですが、なぜそこまで称されているのか、その理由が少し垣間見れる内容でした。

 

【収録曲】
交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 《英雄》
クラウディオ・アバド指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1985年(ライヴ)

《エグモント》序曲 作品84
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
録音/1997年

《レオノーレ》序曲 第3番 作品72a
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
録音/1998年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第9回は、曲はいつ完成するのか?

今回もリアルタイムな久石譲自身の活動にリンクしています。それは5月に台湾で世界初演された「風立ちぬ 第2組曲」です。大盛況に終わったコンサートだったようですが、世界初演ということで、まだ日本ではお披露目されていません。それもおそらく8月のW.D.Oでのコンサートなどで聴けるのではないでしょうか。

 

ということで今回も印象に残ったエッセイ内容から一部ご紹介します。

「このところ、宮崎さんの映画『風立ちぬ』に作曲した楽曲をコンサート用に書き直している。5月の初旬に台湾で2回、ベートーヴェンの交響曲第9番のコンサート(エヴァーグリーン交響楽団とウィーン国立歌劇場合唱団)を行うのだが、そのとき一緒に演奏するためのものだ。」

「実は昨年の暮れ、東京と大阪で行った第9コンサートでも《風立ちぬ》は演奏している。それなのに何故もう一度書き直しをするのかというと、今ひとつ気に入らなかった、しっくりこない、など要は腑に落ちなかったからだ。これは演奏の問題ではなく(演奏者は素晴らしかった)あくまで作品の構成あるいはオーケストレーションの問題だ。」

「昨年のときには映画のストーリーに即し、できるだけオリジナルスコアに忠実に約16分の組曲にしたのだが、やはり映画音楽はセリフや効果音との兼ね合いもあって、かなり薄いオーケストレーションになっている。まあ清涼な響きと言えなくもないけど、なんだかこじんまりしている。そこで今回、もう一度演奏するならストーリーの流れに関係なく音楽的に構成し、必要な音は総て書くと決めて改訂版を作る作業を始めたのだが、なんと23分の楽曲になって別曲状態になってしまった。そこで後に混乱しないようにタイトルも第2組曲とした。」

「まったく作品はいつまでたっても完成しない。それは映画音楽であろうと作品であろうと同じだ。いったい作曲家はいつその作品の作曲を終了するのか?どこで完成したと判断するのだろうか?」

「僕の場合ははっきりしている。レコーディングかコンサートに間に合わせる、つまり締め切りがあるからそれまでに仕上げる。納得がいかなくともなんとかそこで帳尻をあわせる。そして気に入らなかったらまた次のチャンス(締め切り)に再度トライする。」

「つまり作曲した作品は永遠に完成しない。次の演奏するチャンスと時間があれば、おそらく大多数の作曲家は手を加えたくなるのだ、困ったことに!」

 

 

なんともあくなき創作活動と言ってしまえばそうですが、ある意味悩みのつきない永遠の課題のようですね。

ふと思ったのですが。たしかにこれは”無形芸術”として特有なのかもしれませんね、音楽作品は。他の芸術作品は、映画にしろ、絵、彫刻などにしろ『完成したカタチ』があります。つまり”有形芸術”ということになります。

最高傑作だろうが後悔が残ろうが、その作品に封じ込められます。がしかし、音楽には目に見える、触れる、という意味でカタチがありません。だから、完成形を永遠に探求してしまう、ということでしょうか。

誤解を恐れずに言えば、なんだか良い面も悪い面もあるような気がします。もし多くの芸術作品で、作家の思いに後悔が残れば、また次への創作意欲として、それは次の作品として実を結ぶわけです。

もちろん音楽もその原理原則は同じだとは思うのですが、どうも「書き直す、書き加える」作業ができるという点で、いつまでも過去の呪縛がつきまとっているような気さえしてきます。

そうは言っても、このクラシックプレミアム・シリーズで紹介されている作曲家たちも、書き直しや改訂といった作業は、日常茶飯事だったようなので、それがまた音楽の”完成形のない無限の可能性”という恩恵なのかもしれませんね。

 

久石譲も、今回取り上げられている『風立ちぬ』音楽だけでなく、前号で紹介した「フィフス・ディメンション」、さらにはこの台湾コンサートで同じく改訂初演された「魔女の宅急便」など、やむことのない創作活動と現時点での完成形を多く披露しています。

もっといえば、昨年TVで見た「読響シンフォニックライブ」でも、「オーケストラ ストーリーズ となりのトトロ」は、CD発表された2002年の録音とは、確実に改訂されていました。構成ではなく、細かいオーケストレーションだと思うのですが。

直近の久石譲コンサート活動は別途まとめています。

こちら ⇒ Concert 2010-

 

あくまでも聴き手にはわかる部分とわからない部分があるとは思いますが、常に変化しつづける音楽というのは魅力的ですね。さてこの2014年夏、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラにて、「風立ちぬ 第2組曲」などは日本初披露されるわけですが、ぜひCDとしてもその完成形を封じ込めて、作品化してほしい!と熱望しています。

 

クラシックプレミアム9 ベートーヴェン2

 

Info. 2014/06/18 映画「風立ちぬ」 監督:宮崎駿 音楽:久石譲 DVD&Blu-ray 発売

2014年6月18日 発売

2013年公開 スタジオジブリ作品 映画「風立ちぬ」
監督:宮崎駿 音楽:久石譲

ジブリがいっぱいCOLLECTION
宮崎 駿 監督作品
『風立ちぬ』

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かつて、日本で戦争があった。

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Blog. 「クラシック プレミアム 8 ~バッハ1~」(CDマガジン) レビュー

クラシックプレミアム 8 バッハ1

Posted on 2014/06/16

「クラシックプレミアム」第8巻は、音楽の父バッハです。

なぜバッハが「音楽の父」とされているのか、また他の偉大な作曲家、ベートーヴェンやモーツァルト、後期のワーグナー、ブラームスたちにまで、当時から称賛され音楽の原点とみなされていたかなどが解説されています。

教会と世俗、声楽と器楽、さまざまな音楽が網羅され、体系化されているというバッハの音楽のなかから、選りすぐられた名曲かつ名演者が収められています。それは収録曲のラインナップを見ただけでも、その知名度の高さ、多岐にわたる音楽編成と構成で、すべてが一人の作曲家の手によるものとは思えないほどの傑作たちです。これまでにも映画/TV/CMなどに引っ張りだこなバッハの音楽ですから、どれか数曲はきっと聴いたことがあると思います。

 

【収録曲】
トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
フーガ ト短調 BWV.578
シュプラー・コラール集より 〈目覚めよと呼ぶ声が聞こえ〉 BWV.645
トン・コープマン(オルガン)
録音/1994-1995年

カンタータ 第147番 BMW.147より 〈主よ、人の望みの喜びよ〉
ニコラウス・アーノンクール指揮
テルツ少年合唱団、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1984年

ゴルドベルク変奏曲 BWV.988より アリア、第1変奏~第3変奏
スコット・ロス(チェンバロ)
録音/1988年

《G線上のアリア》 (管弦楽組曲 第3番 BWV.1068より / ヴィントシュペルガー編曲)
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)、イタマール・ゴラン(ピアノ)
録音/1998年

無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV.1007
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
録音/1992年

《シャコンヌ》 (無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 BWV.1004より)
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
録音/1970年

《マタイ受難曲》 BWV.244より終曲
ニコラウス・アーノンクール指揮
レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊、ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1970年

 

 

また後半の音楽史では、交響曲 vs オペラ の解説もあっておもしろかったです。交響曲は、ほぼドイツ語圏によってうまれた音楽で、重厚で真面目で偉大な芸術音楽、一方のオペラはイタリアなどでうまれた音楽で、娯楽音楽でもだった。つまりクラシックと呼んでいるヨーロッパの近代音楽には、二つの「極」があった、と。水と油のように音楽文化が違う交響曲とオペラ。

決してオペラが娯楽性が強すぎるわけではなく、「難解な音楽」「真剣な音楽」(交響曲)だけではない側面をもち、当時の演歌のような、親しみやすく口ずさんでしまう音楽、それがイタリアのオペラ、通称「イタ・オペ」だったそうです。

これはわかりやすくイメージするならば、コンサートホールで、じっとだまって聴き入る交響曲の音楽に対して、演奏中であっても一緒にメロディを口ずさみ、拍手喝采し、演奏がまだ終わっていないのに感極まって「ブラボー!」と叫ぶイタ・オペ。

ひとつの捉え方ではあるのですが、非常にわかりやすくておもしろかったです。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第8回は、
作曲家兼指揮者がこの時代に指揮をする意味とは何か?

今回のエッセイ連載内容も「今の久石譲」、とりわけ「2014年今年の久石譲活動」とも密接にリンクしている内容でした。それは、5月に発表された『今夏2大コンサート開催』です。ひとつは、久石譲&新日本フィル・ハーモニー管弦楽団によるW.D.Oの復活ですが、もうひとつ新しい試みとしてスタートする《ミュージック・フューチャー Vol.1》です。

ミニマル、ポスト・クラシカルなど、最先端の現代の音楽を久石がセレクトし、“明日のために届けたい”音楽をナビゲートする、新たなコンサート・シリーズ〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉(9月29日開催 / 会場:すみだトリフォニーホール)。クラシック音楽とテクノロジーを融合させた「ポストクラシカル」など、最先端の音楽を久石さんが選び、演奏していくコンサート。初演となる自身の曲をはじめ、エストニア出身の作曲家であるアルヴォ・ペルトや、アメリカの若手作曲家ニコ・ミューリーらの作品を演奏予定で、久石自らピアノと指揮をとり、濃密な空間で演奏することで“誰でも楽しめるコンサートにしたい!”とか。

というのが〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉のプレス情報です。

 

されこれを念頭に、今号の連載内容より一部抜粋してご紹介します。

「ちょっと大げさだが、僕の考えでは、まずクラシック音楽は古典芸能であってはならない。過去から現代に繋がって、未来に続いていく形が望ましい。そのためにはオーケストラをはじめ演奏家は「現代の音楽」をもっと積極的に取り上げたほうがいい。作曲家兼指揮者は特にこの問題に対しては最前線にいるのだから、誰よりも積極的に取り組むべきだと考える。未来に繋がる曲を見つけ、育てることが必要だと僕は考える。」

「例えばクラスター奏法のペンデレツキ(《広島の犠牲者に捧げる哀歌》が有名)はその後、新古典主義のスタイルになるショスタコーヴィチの後継者のような音楽を書く。東欧の作曲家、アルヴォ・ペルト、ヘンリク・グレツキなどはセリエル(12音技法)の書法を捨て、教会音楽や、中世の音楽をベースに調性のあるホーリーミニマリズム(聖なるミニマリズム)とカテゴライズされるスタイルに変わっていった。ただし彼らはミニマルにこだわってはいなかったのだが。」

「これらのような「現代音楽」ではなく「現代の音楽」をできるだけ多く聴衆に届ける必要がある。文化は慰みものではない。文化は聴き手に媚びるのではなく、聴き手一人一人にもある程度の努力と忍耐を要求する。しかし知識として音楽を聴くのではないイノセントな彼らは、おもしろいものであれば、あるいは新しい体験をしておもしろいと思えば、それを素直に受け入れてくれると僕は信じている。そしてその体験が音楽的日乗を育てることになる。」

 

 

いかがでしたでしょうか。

上に紹介した〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉のプレス内容を、さらに具体的に久石譲自身の言葉として語っている内容だとは思いませんか。これが今年新しく”始動”と打ち出したコンサート・シリーズのコンセプトのようです。

 

実際にその公演内容(予定)は、

久石譲プレゼンツ「ミュージック・フューチャー vol.1」

[公演期間]
2014/9/29

[公演回数]
1公演(東京・よみうり大手町ホール)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
ヴァイオリン:近藤薫 / 森岡聡 ヴィオラ:中村洋乃理 チェロ:向井航
マリンバ:神谷百子 / 和田光世 他

[曲目] (予定)
久石譲:弦楽四重奏 第1番 “Escher” ※世界初演
久石譲:Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2Marimbas ※世界初演
アルヴォ・ペルト:鏡の中の鏡 (1978)
アルヴォ・ペルト:スンマ、弦楽四重奏のための (1977/1991)
ヘンリク・グレツキ:あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム (1993)
ニコ・ミューリー:Seeing is Believing (2007)

 

 

今号、「久石譲の音楽的日乗」に出てきた現代作曲家たちやその代表曲が、多く取り上げられる内容になっています。

これから公演日が近づくにつれて、いろいろな追加情報も上がってくるかもしれませんが、なぜ今現代音楽を軸にしたコンサート・シリーズを”始動”させるのか?純粋に疑問といいますか興味がありました。

それが今号のエッセイでいち早く久石譲の言葉として知ることができてとても納得したというか、今後の展開も含めてワクワク楽しみになってきました。おそらく単発ではないシリーズとして”始動”しているわけですから、どんどん発展していくプロジェクトなのだと思います。

そんな取りあげられた「現代の音楽」の作曲家たちの代表曲も、実際に聴いてみようと少しずつチェック中です。アルヴォ・ペルトやニコ・ミューリーあたりから。

 

クラシックプレミアム 8 バッハ1

 

Blog. 「クラシック プレミアム 7 ~チャイコフスキー1~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/06/14

「クラシックプレミアム」第7巻は、チャイコフスキー1です。

3大バレエ音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」がおさめられています。

毎号同様、作品ごと各楽章ごとの解説はさることながら、「演奏家の肖像 -音楽の交差点」という特集では、本マガジンCDに収録された作品を指揮したサイモン・ラトルのことから、ベルリン・フィルの首席指揮者選びの舞台裏が紐解かれています。カラヤン、アバド、ラトル、そして2018年以降の次期首席指揮者のことまで、ベルリン・フィルの歴史を垣間見ることができます。

 

【収録曲】
バレエ音楽 《白鳥の湖》 作品20より
第1幕より〈ワルツ〉
第2幕より〈情景〉〈4羽の白鳥の踊り〉
第3幕より〈ハンガリーの踊り〉〈スペインの踊り〉〈ナポリの踊り〉〈マズルカ〉
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
録音/1976年

バレエ音楽 《眠れる森の美女》 作品66より
第1幕より〈ワルツ〉
第3幕より〈長靴をはいた猫と白い猫〉〈青い鳥のパ・ド・ドゥ〉
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
録音/1974年

バレエ音楽 《くるみ割り人形》 作品71より
序曲
第1幕より〈行進曲〉〈クララとくるみ割り人形〉
第2幕より〈ディヴェルティスマン〉-チョコレート(スペインの踊り)/コーヒー(アラビアの踊り)/お茶(中国の踊り)/トレパーク(ロシアの踊り)/葦笛の踊り
〈花のワルツ〉〈こんぺい糖の精の踊り〉〈終幕のワルツとアポテオーズ〉
サイモン・ラトル指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/2009年

 

 

また岡田暁生さんによる「西洋音楽史」連載では、なぜ交響曲が第4楽章からなるのか?第1楽章から第4楽章までを通して味わう意味とは?このあたりのことが”コース料理と単品料理” ”短編小説と長編小説”などの例えを絡めてわかりやすく解説されています。なるほど、交響曲とは起承転結のあるひとつのストーリーなのだな、と思います。

また交響曲の4つの楽章がどう配置されているのか。ソナタ形式、スケルツォ、などの専門用語の解説もあり、とてもわかりやすかったです。

ちょっと引用抜粋します。

「シェークスピアの『マクベス』の各幕を、あるいはトーマス・マンの『魔の山』の各章を、順番をばらばらにして読むとか、好きな章だけ読んで、他のところは眼を通さないなどということはありえない。じっくりと最初から丁寧に読んでいかないと、すぐに筋がこんがらがってくる。登場人物の誰が誰か分からなくなってくる。だから長編は寸劇や短編小説よりはるかに読むのに根気がいる。だがじっくり時間をかけてこそ初めて味わえる感動の深さというものが、そこにはある。だからこそ数々の偉大な作曲家たちは、交響曲をあらゆるジャンルの金字塔と考えた。」

なるほど、すごくわかりやすいですよね。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第7回は、作曲家兼指揮者の有利な点

今回も読み応え満載でした。一部抜粋してご紹介します。久石譲著書でも語られている名言も登場します。

 

「「直感の神秘」、まさにそのとおりである。このことは拙著『感動をつくれますか?』、養老孟司氏との共著『耳で考える』でも繰り返し書いた。作曲家が楽曲を作り出す最後の判断は、論理性でも感性でもなく経験を含めたその本人の直感であると僕は考える。直感と書くと何だかやはり感覚的なものと捉えられるおそれがあるので、別の言葉に置き換えると「無意識下の判断」ということになる。」

「ブーレーズが指揮するストラヴィンスキーの《春の祭典》に出会ったのは高校生の終わりか大学生の頃だった。衝撃を受けた。全く新しい解釈だった。リズムの構造が手に取るように分かり、スコアの欠陥の部分(どの楽曲にもある)をそのまま聴こえるように突き放している。楽曲のダイナミズムはスコアが指し示したとおりで余計な解釈がない。結果、リアルなストラヴィンスキーの《春の祭典》がそこにあった。後年、作曲者自身が指揮する同曲を聴いたがこれは何故か違和感があった。あまり指揮の技術がうまくなかったといわれている問題もあったと思うが、作曲者自身が振る場合の欠点も実はある。このことはまたいつか書こうと思う。」

「ブーレーズが行った原始リズムを中心とした《春の祭典》の徹底分析は凄まじい。ほんのかすかな弦のトリルからこの楽曲の本質を感じ取り(インスピレーション)、さまざまなリズムと和音を解剖しながら全体の構造に迫るその迫力において、この楽曲はまさにブーレーズの作品にもなっている。つまりこれが、作曲家兼指揮者の規範なのだ。この原稿に何度も彼が登場するのはそのせいである。」

 

だいぶん具体的な、専門的な話になってきましたが、難しいので何回も読み返しながらゆっくり咀嚼していました。そしてこのレビュー(過去号含む)をご覧の方はお気づきかもしれませんが、久石譲連載コラムは、毎号の特集作曲家/収録作品CDとはリンクしていません。

独自の展開をしています。ですから、今号でいえば、「チャイコフスキー」が主役なわけですが、久石譲のそれには、チャイコフスキーも、バレエ音楽もキーワードとして出てきません。それはそれで楽しいのですが、同時に、コラムで初めて目にする耳にする作曲家や作品も出てくるので、いろんあ意味で追いかけるのが大変!といううれしい悲鳴です。

今回はチャイコフスキーを聴きながらこのレビューを書いていますが、同時に「ブーレーズ」のCDを調べたりしながら。そしてまた”聴く予定リスト”も増えていくわけです。

クラシック三昧です。

 

クラシックプレミアム 7 チャイコフスキー1

 

Blog. 「クラシック プレミアム 6 ~モーツァルト2~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/06/12

「クラシックプレミアム」 第6巻は、モーツァルト2です。今回取り上げられているモーツァルト作品は3大交響曲。モーツァルトや、モーツァルト音楽を生涯指揮したカラヤンの歴史もいつもながら内容濃く解説されています。

【収録曲】
モーツァルト
交響曲 第39番 変ホ長調 K.543
交響曲 第40番 ト短調 K.550
交響曲 第41番 ハ長調 K.551 《ジュピター》
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1970年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第6回は、
作曲家兼指揮者とプロの指揮者の違いとは

折しもこの執筆およびコラム掲載の前に、久石譲は、今年2014年1月台湾にてコンサートを行っています。その自身のことや体験にもふれながら今号のお題について述べられています。とても貴重な、リアルタイムな久石譲を知ることができますので、一部抜粋してご紹介します。

 

「自作の《フィフス・ディメンション》は、ベートーヴェンの《運命》のリズム動機(有名なダダダダー)と音程を音列化し、ミニマル楽曲として作ろうとしたのだが、作曲していた最中に東日本大震災がおこり、それが影響したのか激しい不協和音とエモーショナルなリズムに満ちていて演奏がとても難しい。今回はさらに手を加えてより完成度を上げたのだが、難易度も計り知れないほど上がった。指揮していた僕が「この作曲家だけはやりたくない!」と何度も思った、本当に。」

「それで(リハーサル)2日目に臨んだのだが、不協和音にシンコペーション、テンポチェンジと変拍子の中で飛び交うパッセージに悪戦苦闘していた僕はあまりに余裕がなかった。指示を待つ団員の表情が彼ら自身に対する不安(リハ1日目)から、僕に対する不安に変わっていくようにすら感じた。さすがに一流のオーケストラの団員、最初は戸惑っていたが、僕の期待に応えるべく、パート譜越しに楽曲イメージを的確に摑んでいって、まだ如何に振るかで汲々としている僕を追い越していってしまったのだ。作曲家としてはありがたいが、指揮者としてはちょっと情けない。一般的に作曲家兼指揮者は、オーケストラを振るという経験値の少なさが、あるいはプロとしての技術力の不足が最大の問題になる。逆にいうと技術というものは経験の裏打ちによってしか獲得できない。実践からしかその先の技術は学べないのだ。」

 

 

コラムの中盤を抜粋していますので、前後の文脈や構成がわかりにくいかもしれません。(そこは本マガジンを実際にご覧ください)

コラムの結びでは、経験豊富で同じ作品を度々演奏するプロの指揮者、作品の特徴(優れた点や脆弱な点)を知ったうえで、難しい箇所を稽古するという、限られた時間の中で何を優先するか的確に見積もることができる、そんなプロの指揮者の優位性に対して、作曲家兼指揮者の優位性はないのか?

というところで結ばれていますので、次号以降の展開も楽しみです。

 

 

さて、今コラムで触れられている台湾コンサートは、2014年初のコンサート開催にして、海外コンサートだったわけですが、そのプログラム詳細やレポート内容は、すでに書いていますので興味のある方はどうぞ。

こちら ⇒ Blog. 久石譲 2013-2014 年末年始コンサートレポート (オフィシャルブログより)

「5th dimension(フィフス・ディメンション)」という楽曲は、久石譲が藤澤守(本名)名義で発表した現代音楽作品で、いわゆる映画/CMなどのエンターテインメント音楽の作曲家 久石譲とは、一線を画して発表した作品です。

2011年に発売された「JOE CLASSICS 4」に収録されています。それから3年後、上にあるようにオリジナル版を改訂したものが、台湾コンサートで改訂初演となったわけです。なかなか久石譲のコンサートプログラムにあがる機会は少ない楽曲かもしれませんが、ぜひ改訂された「フィフス・ディメンション」をいつか実際に聴いてみたいです。台湾コンサートは「ベートーヴェン」プログラムだったため、演奏リストとしてラインナップされたのだと思います。

 

それにしてもリハーサル風景とはいえ、鬼気迫る作曲家・指揮者とオーケストラ楽団との臨場感を、自ら語ったレアな掲載コラムだった今号です。これからもクラシック音楽・指揮者・作曲家という切り口だけでなく、今回のような「今の久石譲」が垣間見れる瞬間があるかもしれません。

とても楽しみです。

 

クラシックプレミアム 6 モーツァルト2

 

Info. 2014/06/10 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 12 ~モーツァルト3~」 久石譲コラム連載 発売

クラシックプレミアム 12 モーツァルト2

2014年6月10日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 12 ~モーツァルト3~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税

「久石譲の音楽的日乗」連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。

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Blog. 「クラシック プレミアム 5 ~ヴィヴァルディ / ヘンデル~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/06/06

「クラシックプレミアム」 第5巻は、バロック音楽の代表であるヴィヴァルディとヘンデルです。

中学校の音楽授業を思い出します。音楽室で大音量でクラシック音楽を鑑賞する時間が当時はありました。そして聴いたあとに感想文なんかを書いていたような。

今マガジンを見ていて知ったのですが、ヴィヴァルディの『四季』は、これまでに世界でもっとも売れたクラシック・レコード(CD含む)だそうです。そのくらい誰でも一度は聴いたことのある音楽ということですね。

そしてその名演として名高い「イ・ムジチ合奏団」です。もちろんCDマガジンにも彼らの名演が収められているのですが、これを聴くとバロック音楽の印象が変わる!というくらい、澄んだ気品のある、まさに18世紀にタイムスリップしたような響きでした。「イ・ムジチ合奏団」の名前は『I MUSICI』(音楽家たち)という意味のイタリア語だそうです。まさに!です。

 

【収録曲】
ヴィヴァルディ
協奏曲集 《四季》 作品8
第1番 ホ長調 《春》 / 第2番 ト短調 《夏》 / 第3番 ヘ長調 《秋》 / 第4番 ヘ短調 《冬》
ピーナ・カルミレッリ(ヴァイオリン)
イ・ムジチ合奏団
録音/1982年

ヘンデル
《水上の音楽》より
第1組曲 ヘ長調 第1番~第9番
第2組曲 ニ長調 第2番 アラ・ホーン・パイプ
トレヴァー・ピノック 指揮、チェンバロ
イングリッシュ・コンサート
録音/1983年

 

マガジン後半の岡田暁生さんによる「キーワードでたどる西洋古典音楽史」も毎号とてもおもしろいです。クラシック音楽の歴史をまさに紐解いていて興味がわいてきます。そんななかでもおもしろかった内容が、交響曲に関するものです。

 

「ウィーン古典派の3人の巨匠。ハイドンの12の交響曲、モーツァルトの3つの交響曲、そして何よりベートーヴェンの9つの交響曲。これらの金字塔はのちの作曲家にとって絶対の規範であり続けた。「大作曲家」と呼ばれるためには、いくらいいピアノ曲や室内楽を書いてもダメ、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの傑作に匹敵するような交響曲を書くことことが、その絶対条件となったのである。」

「19世紀の作曲家にとって、よほどの覚悟がない限り、下手に交響曲に「手を出す」わけにはいかなかった。交響曲に関してメンデルスゾーンは改稿に改稿を重ねるのが常で、最後まで出版を許可しない作品もあった。いつまでたっても出来に満足せず、自作の交響曲を改稿し続けたのは、ブルックナーも同じである。すでにピアノ曲や歌曲の傑作の数々を生み出していたにもかかわらず、シューマンが最初の交響曲を発表したのは31歳になってからであった。交響曲を公にすることに激しいプレッシャーを感じていたのはブラームスも同じで、最初の交響曲の作曲に21年もかけ、43歳になってようやく初演にこぎつけた。」

「交響曲にチャレンジしようとする作曲家にとってとりわけ重圧となったのが、ベートーヴェンの9つの交響曲である。作品の内容面だけではない。9つという数字もまた、19世紀の作曲家にとって呪縛となった。シューマンとブラームスの交響曲は4つ、チャイコフスキーは6つ、そしてドヴォルザークとブルックナーは9つどまり。誰も「第10交響曲」を書くことはできなかったのだ。」

「マーラーはこれに怖れをなして、つまり第9交響曲を書いてしまうと死んでしまうのではないかと半ば信じ、本来なら9つ目の交響曲になるはずだった作品に「交響曲」というタイトルを与えず、代わりにそれを《大地の歌》と名づけた。しかし結局のところ彼はさらにもうひとつ交響曲を書いて、これが「交響曲第9番」となった。しかしその次、10番目の交響曲の作曲は未完のまま、マーラーは世を去ることになった。迷信は本当になったのである。」

 

3大巨匠の交響曲の壁、ベートーヴェンの「9つの交響曲」の呪縛、などなど、まさにトリビア的な内容で、音楽だけじゃなく知識も広がってとてもおもしろいです。

音楽は純粋にそれを聴いて感動するものだとも思うのですが、それもひとつ、そしてクラシック音楽のようなものはまさに「古典」なわけですから、こういった歴史や背景が学べるのもこの「クラシックプレミアム」のいいところです。

そういういろいろな角度からクラシック音楽を紐解きながら、毎号CDを聴いていると、集められた名盤からの名演もさることながら、また違う新しい印象をその楽曲から受けます。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第5回は、作曲家と指揮者の関係

19世紀後半の作曲家兼指揮者として活躍していた、ワーグナーやマーラーなどが、モーツァルトやベートーヴェンの楽曲を指揮するにあたり、オリジナル版に「楽譜の書き換えや加筆」を行っていたという背景などが記されています。

具体的には、音を加えたり、ニュアンスを変更したり、作曲家の指示したテンポとはかけ離れた速さで演奏したりと、そういう時代もあったのですね。オリジナルが尊重されている現代からは考えられない時代が。

そして印象に残った箇所を一部抜粋してご紹介します。

 

「マーラーも激務の指揮活動を毎年夏の数ヶ月だけ休み、南オーストリアのマイアーニヒ山荘でシンフォニーを書いていた。作曲家としては《ウエスト・サイド・ストーリー》などで知られ、指揮者としてもカラヤンと双璧といわれたバーンスタインも「例えばマーラーを振るときの3ヶ月前からは一切の作曲活動は困難だ。作曲家の書いたスコアに没頭するとき、自分の音は頭に浮かばない」と言っている。それでは作曲家兼指揮者と通常のオーケストラ指揮者は何が違うのか?枚数が尽きたので次号に書きたい。」

次号以降も楽しみです。

 

クラシックプレミアム 5 ヴィヴァルディ ヘンデル

 

Blog. 久石譲のヨーロッパの風景の音楽

Posted on 2014/06/04

今年に入ってガーデニング・デビューしました。

気に入った花のことを調べていたら、それが広くヨーロッパでよく鑑賞されていることを知りました。風景としてはこういったものを連想します。

 

ゼラニウム ヨーロッパ 窓辺

 

たしかにヨーロッパって、街の通りにも、家の窓辺にも、本当にお花が多いです。これは景観もさることながら、その土地の歴史や、観光業としても、いろいろな意味があるようです。

そして年間をとおして、よく咲いている、この花たちは、ゼラニウムやペチュニアといった品種です。多年草や宿年草といって、冬場以外の春~秋まで、咲いている期間が長く、一年間に何回も咲く、そして次の年もまた元気に大きくなって咲く、そんな花の種類です。ガーデニングをはじめてから結構勉強しました。

 

まだお披露目できるお花たちはないのですが、そんなこともあり、今ベランダや窓辺には少しずつ花が増えています。日本にいながら、ちょっとヨーロッパな雰囲気を醸し出せてて、気に入っています。

そして、宮崎駿監督のジブリ映画には、架空やいろいろな街の寄せ集め感こそあれ、ヨーロッパが舞台となっている作品がたくさんあります。そのつながりで、ヨーロッパの風景を感じる久石譲の楽曲を掘り出して聴いています。

 

映画の風景ともリンクするといえば、やはりこの3作品でしょうか。

『魔女の宅急便』 『紅の豚』 『ハウルの動く城』

これらの作品関連CDを春くらいからよく聴いています。

 

『魔女の宅急便』
一般的にはもちろんサウンドトラック盤が心地よい音楽ですが、イメージアルバムも、ハイテックシリーズも、サウンドトラックの各テーマが映画からはなれた音楽的世界観で、独立して完成された1曲として表現されているのでBGMにはぴったりです。

ワルツのテーマやヨーロッパの雰囲気のする楽器たちの使用など、そのあたりは、CD解説にて詳細あります。「晴れたら日に…」「旅立ち」「海が見える街」などなど序盤からヨーロッパです。

久石譲 『魔女の宅急便 サントラ音楽集』

こちら ⇒ Disc. 久石譲 『魔女の宅急便 サントラ音楽集』

 

またこの作品のみならず、宮崎駿監督ジブリ作品の恒例となっているサントラ発売前のイメージアルバムと、その位置づけについても詳しく解説しています。

魔女の宅急便 イメージアルバム

こちら ⇒ Disc. 久石譲 『魔女の宅急便 イメージアルバム』

 

ハイテックシリーズはイメージアルバムをもとにした久石譲楽曲ですが、編曲しているアレンジャーが違うので、また違う雰囲気を楽しめます。オリジナル盤にはない、乾いたアコースティック・ギターの爽やかなサウンドや、オリジナル盤以上の多種多様な楽器とアレンジになっています。

久石譲 『魔女の宅急便 ハイテックシリーズ』

こちら ⇒ Disc. 久石譲 『魔女の宅急便 ハイテックシリーズ』

 

 

『紅の豚』
地中海、アドリア海の青い海と、大人なピアノ、ストリングスの調べ。目が覚めるような鮮やかな赤い花が似合います。「帰らざる日々」「Friend」「アドリアの海へ」「遠き時代を求めて」など。

久石譲 『紅の豚 サウンドトラック』

 

 

『ハウルの動く城』
メインテーマ「人生のメリーゴーランド」はもちろんのこと、「空中散歩」「引越し」「花園」「星をのんだ少年」など、ヨーロッパの賑やかな街だけでなく、湖畔とそこに広がる花畑たち、そんな優しい彩りの花園が印象的です。

「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」は、もちろん恒例のジブリ映画イメージアルバムですが、早い段階から制作していたものあるなかで、渾身のフルオーケストラです。そして、なんとそこにはメインテーマ「人生のメリーゴーランド」は…ありません。この段階ではまだ作曲されていなかったんですね。

後に、宮崎駿監督から、「この映画はメインテーマ1曲でほぼやりたい」という要望から、”18歳から90歳までのソフィーを表現できる曲”それに見合うだけ(主題や変奏としてバリエーション豊富にできる)の新しい楽曲を制作したのが「人生のメリーゴーランド」です。しっかりとメロディの軸があり、かつ多彩なバリエーションに変奏できる、そういう意図だと思います。

実際に、「人生のメリーゴーランド」は王道なワルツ(3拍子)の曲ですが、劇中では、これが4拍子になったり、時にはスリリングな曲調に、時にはしっとりとした恋心を歌ったピアノの調べにと、18歳から90歳までのソフィーの年齢や容姿、感情の振れ幅の大きさを、巧みに表現された「お見事!」としか言いようのない楽曲です。

なので、残念ながら、このイメージアルバムからは、おおよそ半分弱くらいしか本編では使用されていないのですが、それでも完成度は高いです。「ミステリアス・ワールド」「ソフィーの明日」「シークレット・ガーデン」など。「ケイブ・オブ・マインド」は、ハウルが星をのむ印象的なシーンで、「星をのんだ少年」として活かされています。

ハウルの動く城 サウンドトラック

 

 

『魔女の宅急便』以外は、まだCD解説が追いついていないのですが。追々それぞれCD作品ごとに充実させていくつもりです。

 

そうこう言っていたら、『天空の城ラピュタ』もイギリスが舞台ですし、『風立ちぬ』もカプローニが登場するのはイタリア、サントラにも、メインテーマ「旅路」のモチーフとして「旅路(イタリアの風)」があります。

とにかく宮崎駿監督のジブリ作品にはヨーロッパ感が満載であり、久石譲のそれぞれの作品音楽も、それを見事に表現しているなあと思います。

ジブリ音楽のライブラリーはこちらにまとめています。

こちら ⇒ Studio Ghibli ディスコグラフィー

 

こんな音楽を聴きながら、ガーデニングに励み、部屋の一角でヨーロッパ感を感じていたら、映画本編もまた観たくなってきています。それは作品自体のおもしろさもあるんですけど、「あのシーンで、あの街並みで、あのテラスで、どんな花が描かれていたっけな?」となってしまうわけです。

もちろん細部にまでこだわるジブリ作品ですので、描かれている建物、風景、花、土の色までよく調べあげられています。この土地にこの植物は生息しないとか、この頃の東京の土は赤いとか…。

映画本編を観て、花の種類まではわかることはないかもしれませんが、(関連書籍を読めば紐解けるかもしれません)その風景や雰囲気はわかるので、イメージをふくらませて、ささやかなガーデニングの参考にはなるかなと思っています。小さな鉢植え、ひとつふたつでも。

 

ガーデニングの話をしたかったのか、久石譲のヨーロッパ感漂うある音楽の話をしたかったのか、わからなくなってしまいましたが。とにかく映画音楽も、ジブリ音楽も、久石譲音楽も、いろいろな切り口と楽しみ方があります。

光と水と風と音楽?!を切らすことなく、初夏の頃には、花たちが鮮やかに咲きほこってくれるよう、大切に育てていきたいと思います。(お披露目できるくらいまで)

 

ヨーロッパ 花園

 

Blog. 久石譲 雨にちなんだ名曲「la pioggia」

久石譲 『PIANO STORIES 3』

Posted on 2014/06/02

もうすぐ梅雨の季節に入ります。

毎年この時期になると頭のなかで流れてくるメロディーがあります。

「la pioggia」という曲です。

これは1998年公開映画「時雨の記」(監督:澤井信一郎)の久石譲によるメインテーマ曲です。

 

とにかくきれいな曲です。メインテーマの旋律はピアノ、ストリングスなどが豊かに美しく奏でています。「la pioggia」とはイタリア語で「雨」という意味だそうです。そう、まさに「雨」にちなんだ曲なんです。

すべてはイントロが物語っています。ピアノの2小節たらずの短いイントロですが、まさにその音粒が雨粒のように、しっとりと、一粒一粒、一音一音、美しく響いています。

この導入部だけで、この曲はすでに名曲だな、と思ってしまうほどです。そこからつづくメインテーマ、日本情緒ある哀愁的で叙情的な旋律は、奥深い感情の揺れ幅を感じます。

 

まさに「雨にちなんだ名曲」=『la pioggia』であり、この曲を聴くと梅雨の時期も悪くない、といいますか、日本ならではの風情すら感じてしまうので不思議です。そこに紫陽花(あじさい)の淡い紫やピンクの花たちが、大きく花広げ、雨水によって水々しくも輝いている風景が想像されます。

そんな景色も、日本のどこに住んでいても、ふと足を止めれば、見つけられそうな世界です。いつも通っている道の脇にも、アジサイを見つけることはできるかもしれません。

 

名曲「la piggia」は、下記の作品にそれぞれ収録されています。

 

久石譲 『時雨の記』

久石譲 「時雨の記 サウンドトラック」

 

 

ほかにも、
「NOSTALGIA ~Piano Stories III~」では、ピアノとストリングのかけあいがより鮮明に豊かに、「WORKS II ~Orchestra Night~」では、より重厚なフルオーケストラによるライブ音源を、「ENCORE」では、ピアノソロにて緩急あるリズムの揺れと強弱ある鍵盤のタッチが豊かに、聴くことができます。

久石譲 『PIANO STORIES 3』

久石譲 『WORKS2』

久石譲 『ENCORE』

また久石譲プロデュース作品である「ARCANT / 近藤浩志」では近藤浩志のチェロと久石譲のピアノによるシンプルながらも奥ゆかしい名演をゆったりとした揺れで聴くことができます。

それぞれのアレンジと楽器による「la pioggia」の美しさが堪能できます。

個人的には「NOATALGIA ~Piano Stories III~」が一番よく聴きます。楽曲としてサントラ盤よりも構成がうまくまとめられている音楽完全盤なのと、ピアノと小編成のオーケストラという、その響きとひかえめさが品格を感じます。

 

 

ちなみに上に紹介した近藤浩志さんとのピアノ&チェロによるデュオ演奏は、CDのみならず、2003年のツアーでも演奏され、そのDVDも発売されています。

久石譲 『a Wish to the Moon -Joe Hisaishi & 9 cellos  2003 ETUDE&ENCORE TOUR-』

a Wish to the Moon -Joe Hisaishi & 9 cellos 2003 ETUDE&ENCORE TOUR-

 

 

いろいろな梅雨の楽しみ方で、ジメジメ感にイライラすることなく、癒やされたいですね。

紫陽花