Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 4 』

2011年9月7日 CD発売 WRCT-2004

 

「久石譲 クラシックス・シリーズ」第4弾

生命のリズム、あふれるエネルギー、今ここに「運命」の扉が開かれる!

 

 

久石さんが指揮したベートーヴェンと藤澤守作品について

2011年2月11日、ある演奏会で偶然姿をお見かけした久石さんから、のちに《5th Dimension》と名付けられることになる新作の構想を伺った。「久石譲 Classics Vol.3」に《運命》がプログラミングされていることから、おそらく《運命》のリズム構造を土台にした作品になるだろう、というお話に僕はとても興奮し、4月の世界初演を心待ちにしていた。そのちょうど1ヶ月後、東日本大震災が日本を襲った──。

そして4月9日、久石さんは予定通り演奏会を開催し、《5th Dimension》とベートーヴェンの交響曲を指揮した。いつまた起こるやも知れぬ余震の恐怖。計画停電と節電と原発事故を口実に、文字通り灯火管制を敷いたように演奏会をキャンセルし続ける首都圏の音楽界。そうした異様の状況下でも──いや、そういう状況だからこそ──音楽家は音楽家としての責務を果たすべき、というのが久石さんの考えだった。その強い意志は、ベートーヴェンの書いた絶対音楽(Absolute Music)の楽譜の能う限り忠実たらんとした、久石さんの指揮にも色濃く反映している。

絶対音楽とは、久石さんが普段手がけているエンタテインメント音楽と異なり、ある特定のドラマや情景を標題的に表現したものではない。音楽の論理そのものに美を求め、価値を見出す音楽である。その論理とは、本盤に収められたベートーヴェンの交響曲の場合、粘り強く繰り返されていくリズムの集積体だ。《運命》の全曲にちりばめられた「ンタタタ・ター」の運命リズム。あるいは《第7番》第1楽章に聴かれる、「タータタ・タータタ」の付点リズム。それらひとつひとつの”小石”がコツコツと積み上げられた結果、最終的に築き上げられる大伽藍が、すなわちベートーヴェンの絶対音楽なのである。久石さんは、そのリズムの”小石”をどれひとつも疎かにせず、また、積み重ねの過程から注意を逸らすような恣意的なテンポ設定をとることもなく、忍耐強く丁寧に鳴らしていく。当然だろう。久石さんが長年手がけてきたミニマル・ミュージックは、何にも増してリズムの反復を大切に扱い、そこから生まれる”生命”の萌芽をムクワジュ(タマリンド)の大樹にまで育て上げていく音楽である。その成長の過程を、久石さんはベートーヴェンの絶対音楽の論理の中にも見出しているのだ。繰り返すが、絶対音楽は何か特定の事象や感情を具体的に表現したものではない。しかし、久石さんはベートーヴェンの絶対音楽の論理に徹底的にこだわることで、これからの復興における日本人の”精神”の在り方までも示唆し得るということを、逆説的に表現したのである。

その久石さんが本名の藤澤守名義で作曲した絶対音楽《5th Dimension》は、これまで久石さんが書いたミニマル・ミュージックを遥かに凌ぐ凝縮度をもって書かれた作品だった。かつてシェーンベルクがウェーベルンを評した言葉「このような集中力は、むやみに愚痴を口にしないような精神においてのみ、見出し得る」を彷彿とさせる凝縮度。その凝縮度こそが、実はベートーヴェンが「ンタタタ・ター」のリズムに仮託した《運命》の”精神”に他ならないのだ。

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(CDライナーノーツより)

 

 

藤澤守/フィフスディメンション

今回の”久石譲 Classics Vol.3”でベートーヴェンを演奏することが決まり、ここで発表する新曲は何にしようかと考えたとき、やはりベートーヴェンをベースにしたミニマル曲にしようと思った。

つい先日、知人からジョン・アダムズという僕と同じミニマルのスタイルで管弦楽曲もたくさん書いているアメリカの作曲家がベートーヴェンをモチーフにした新作を発表すると聞いてすごく驚いた。時代の先端にいる世界を代表する作曲家が偶然にも同じ題材のミニマル作品を作ろうとしていたことがとても嬉しかった反面、とてつもなく大きなプレシャーにもなった。これは相当頑張らないといけないぞ、と。

僕はまず、ベートーヴェンの作品は非常にシステマティックに作られているので、ロマン派の情緒的なものや情景描写といった感性の部分よりもその構築性を題材にすることを最初のアイデアとした。しかし、何かのフレーズを選んでミニマル的に展開していくというにはあまりに個性が強過ぎる。なかなかアイデアと現実を一致させることが出来ずにいたのですが、それでもやはり自分の中で圧倒的にインパクトがあったのは、あまりにも有名過ぎるあの「運命」だったので、これを題材にしようと決心した。

次に、第5番の「5」という数字をキーワードに、全体を5つのパートに分けた5部構成にしようと。そこから試行錯誤を繰り返し、スケッチを書き足していく中で、コラージュの手法を用いながら、この曲の持つリズム、調性、音列の3つの要素を使うことを考えた。ところが、これらがなかなか有機的に結合しない。一体何が出来上がるのか全く予想がつかなかったけど、結果的にそれらを成立させたのは他でもない、あの「運命」のリズムだった。

それから、ベートーヴェンにはものすごく強力な構成美がある反面、非常に強いエモーショナルな部分があるということ。感情だけに流されるでもなく、論理的な理性の構造だけでもない。そこが成り立っているという次元がベートーヴェンの凄まじいところで、人間が破壊されてしまうかもしれないギリギリのところで作っている。自分にとっても、エモーショナルな部分と論理性をどれ程までに高く激しいレベルでぶつけ合えるかがテーマになった。そういったせめぎ合いをしながら作曲している最中に今回の震災があったので、それはやはり大きく影響している。より感情的になっているというか、論理性の部分はもう破たんしてもいいのではないかというまでに。音が持っているエネルギーや運動性といった瞬間的にその曲が要求していく自然な方向へ自分も一緒に行ってしまおうと思ったわけである。

あと、現代の交響楽曲における打楽器、特に僕の場合はミニマル的要素となるハープ、グロッケン、マリンバ、チェレスタといった辺りは欠かせないんだけど、今回はベートーヴェンの編成に準じるということで打楽器・鍵盤楽器類は一切使わず、なんとティンパニだけ。参った! という感じで、この禁じ手は堪えましたね。一番の得意技を使えないってことだから。

名義を本名の藤澤守にした理由は、作品を書く時にどうしても久石譲としてエンタテインメント音楽を作っていることを引きずってしまう、だから今回はそれをはっきりと「違う」と。もちろん同じ一人の人間だから別人格になるわけじゃないけど、聴いてくれる人を大事にし過ぎて言いたいことを言い切れなかった分、藤澤守でやるからにはまず作品をどう作るかということに集中し、そこに音楽がるならその音楽が求めることをきちんと形にしていこうという、自分の中での区切りとして。

結果的には、今まで作ってきた中で一番激しい作品になったのではないかと思う。出来上がったばかりでまだ音を出してみないとわからないけれど、とにかくチャレンジした。エンディングにかけて作り込んでいったところはやはり今の状況ととてもリンクしている気がするのでその辺りを聴いていただきたいし、もしかしたら半分以上の観客が受け入れないかもしれない、という覚悟もある。それでも今この時期だから、自分のフィルターを通して発信された音を作曲家として真摯に受け止め、自分に嘘がないように作ったのは事実、かな。

2011年4月 久石譲 談

(CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/交響曲第5番 ハ短調 作品67 《運命》

実は、交響曲第5番が休符で始まることはご存知だろうか。強拍(頭)におかれた休符で瞬時に溜められたエネルギーが、3音の連打と3度の下行ではじけるように解放される。いきなりユニゾンで「ンタタタター、ンタタタター」とくる衝撃的な開始はあまりにも有名だが、このような不安定な始まり方はまだ当時の常識にはなかった。まとまった旋律ではなく断片的な動機が提示され、その「運命動機」は第1楽章内だけで何百回も徹底的に使われ、さらには全楽章において重要なファクターとして用いられる。結果、交響曲は初めて全楽章を有機的に統合することに成功したのである。交響曲様式史上の一大転換点となる革新とも言えよう。

作品の愛称「運命」は、晩年の秘書アントン・シンドラーのベートーヴェン伝に由来する。ベートーヴェンは曲の冒頭について、「斯くの如く運命は戸をたたく」と彼に説明したというのである。一般にシンドラーの記述はそのまま信頼することはできないのだが、これほどまでに広く受け入れられてきた逸話も稀だろう。ただし、日本以外ではそれほど当たり前に「運命」とは呼ばれていない。

1804年頃よりスケッチを開始。1808年12月22日、アン・デア・ヴィーン劇場で行われたベートーヴェン演奏会にて、作曲家自身の指揮により「第6番」として演奏された。

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ(速く活発に)ハ短調 2/4拍子 ソナタ形式
交響曲主題としては前代未聞の動機によって開始される。この動機が直接間接的に後続楽章にも用いられる。第2主題部は古典的な定石通りの平行長調をとるが、この主題部の引き金になっているのも「運命動機」である。

第2楽章 アンダンテ・コン・モート(動きをつけて歩くような速さで)変イ長調 3/8拍子
アダージョではなく動きのあるアンダンテを設定しているのは、この楽章が歌謡三部形式による抒情楽章ではなく、変奏技法によって展開されるソナタ形式をとっているからでもあろう。低弦部に「運命動機」のリズム・ヴァリアンテが置かれている。

第3楽章 アレグロ(快速に、急速に)ハ短調 3/4拍子
終楽章への移行楽段を末尾に備えた複合三部形式によるスケルツォ楽章となっている。チェロとコントラバスの独立的な楽器用法がひとつの理想的頂点に達している。また、4楽章へ接続する長大なクレッシェンドも当時としては異例な用法であった。「運命動機」が楽章を通していたる所に聴かれる。

第4楽章 アレグロ(快速に、急速に)ハ長調 4/4拍子
確かに勝利を示すかのような力強く明るい行進曲調の主題呈示に始まる。ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンがこの楽章の中で初めて登場してくる。伝統的な交響曲において珍しい楽器の参入は、フランス革命音楽(軍楽、救出オペラ)からの影響も考えられる。これらの楽器は交響曲ではこの作品が初めてではないが、この作品をきっかけとして、19世紀の交響曲で頻繁に使われるようになった。最も古い楽器の一つであるトロンボーンは古典派時代までは専ら教会所属の神聖な楽器として宗教音楽そして例外的に劇音楽だけに使われていたが、ベートーヴェンは大胆にもこの楽器を世俗音楽である交響曲の中に用いたのである。

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調 作品92

第5番・第6番の完成からベートーヴェンが次の交響曲を完成させるまでに4年ほど経っている。ナポレオン率いるフランス軍の第二次ウィーン占領などの影響も考えられるが、1800年に第1番を完成させて以来ほとんど毎年のように交響曲の創作を続けてきたベートーヴェンが、1809年と1810年の2年間はスケッチさえも書かず全くの空白期を迎えていた。しかし、創造力が枯渇したのではなく、新しい語法の可能性について模索していたのである。

短い動機を展開して全曲を有機的に統合するという手法を極めたベートーヴェンは、もう一度「旋律性」を見直し、主題をある程度まとまったカンタービレな旋律形として維持することを試みる。一方で、交響曲としての力動性や構築性そして何よりも重要な緊張感を得るため「リズム動機法」を用いた。この楽曲は、ワーグナーが「舞踏のアポテオーゼ(神格化)」と評したように、全曲にわたってリズムが主要要素で、緩徐楽章さえも比較的テンポが速くリズミカルであり、楽章ごとに特徴ある魅力的なリズムで構成されている。

献呈はフリース伯に。また、ピアノ独奏用編曲がロシア皇后に捧げられている。初演は1813年12月8日にハーナウ戦役に従軍した傷病兵のための義援金調達慈善演奏会という名目でウィーン大学講堂にて行われた。

第1楽章 ポコ・ソステヌート(やや音を保って)4/4拍子~ヴィヴァーチェ(活発に速く)イ長調 6/8拍子
序奏付きのソナタ形式。序奏の終盤からヴィヴァーチェ6/8拍子のリズム動機を暗示的に示し、木管楽器が反復するリズム動機の中からフルートのソロによって第1主題が抜け出してくる。繰り返し反復される付点のリズム動機が、楽章内を通して支配する。

第2楽章 アレグレット(やや速く)イ短調 2/4拍子
大きな複合三部形式。変奏曲やフガートの技法なども加えられている。美しく和声的な第1主題も、葬送風の行進曲リズムの反復により構築されている。中間部はイ長調に転調。その性格は明るくなるも、低弦などによってリズム動機の断片は持続され、そのまま再現部に継続される。

第3楽章 プレスト-アッサイ・メノ・プレスト(急速に-より急速に)ヘ長調 3/4拍子
律動的で快活なスケルツォと、アッサイ・メノ・プレスト(ニ長調3/4拍子)のトリオを持つ。トリオはオーストリアに伝わる巡礼歌からの引用という。トリオは2度現れ、A-B-A-B-Aのロンド形式に近い。このトリオをニ短調で書くことによって、主調イ長調終楽章への伏線を作っている。

第4楽章 アレグロ・コン・ブリオ(快活に速く)イ長調 2/4拍子
熱狂的なフィナーレ。強烈なリズム打撃による導入を受けて、アイルランド民謡から採られたという第1主題が呈示される。ロンド的性格を持つソナタ形式。コーダ部ではバス・オスティナート上に凄絶なまでの緊迫感が築かれ、やはり冒頭で呈示したリズム動機で饗宴を締めくくる。

(楽曲解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

 

2014年、台湾コンサートにて改訂初演された。

「自作の《フィフス・ディメンション》は、ベートーヴェンの《運命》のリズム動機(有名なダダダダー)と音程を音列化し、ミニマル楽曲として作ろうとしたのだが、作曲していた最中に東日本大震災がおこり、それが影響したのか激しい不協和音とエモーショナルなリズムに満ちていて演奏がとても難しい。今回はさらに手を加えてより完成度を上げたのだが、難易度も計り知れないほど上がった。指揮していた僕が「この作曲家だけはやりたくない!」と何度も思った、本当に。」

 

 

 

(1)は、久石譲が本名の藤澤守名義で作曲した「5th  Dimension」。ベートーヴェンの第5番『運命』をベースに11分に及ぶミニマル・ミュージックを展開。エンターテイメント音楽の久石譲とは一線を画し、求められる音楽ではなく、純粋な作曲家として、絶対音楽・現代音楽を発表するかたちでの本名名義。

その作曲中であった2011年3月11日に東日本大震災が日本を襲い、それでもなお同年4月9日の演奏会にて世界初演。震災が大きく作品に影響しているとも本人は語っている。

 

 

 

JOE HISAISHI CLASSICS vol.4

Mamoru Fujisawa 5th Dimension
1. 藤澤守 / フィフス ディメンション
Beethoven Symphony No.5 in C minor Op.67
ベートーヴェン / 交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」
2. I.ALLEGRO CON BRIO
3. II.ANDANTE CON MOTO
4. III.ALLEGRO
5. IV.ALLEGRO
Beethoven Symphony No.7 in A major Op.92
ベートーヴェン / 交響曲第7番 イ長調 作品92
6. I.POCO SOSTENUTO -VIVACE
7. II.ALLEGRETTO
8. III.PRESTO- ASSAI MENO PRESTO
9. IV.ALLEGRO CON BRIO

指揮:久石譲
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
録音:2011年4月9日 東京・サントリーホール

 

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