11月11日開催「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.5」(ニューヨーク)公演のコンサート風景やプログラム情報は《速報》公開は11月末予定です。
11月21日、22日 日本公演(東京)を控えています。
予めご了承ください。 “【お知らせ】「ミュージック・フューチャー Vol.5」ニューヨーク公演風景 公開予定:11月末” の続きを読む
11月11日開催「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.5」(ニューヨーク)公演のコンサート風景やプログラム情報は《速報》公開は11月末予定です。
11月21日、22日 日本公演(東京)を控えています。
予めご了承ください。 “【お知らせ】「ミュージック・フューチャー Vol.5」ニューヨーク公演風景 公開予定:11月末” の続きを読む
Posted on 2018/11/04
2018年11月2~3日、久石譲によるスタジオジブリ宮崎駿監督作品演奏会がアメリカ・ニューヨークにて開催されました。
2017年6月パリ世界初演、「久石譲 in パリ -「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会-」(NHK BS)TV放送されたことでも話題になりました。
1984年公開の「風の谷のナウシカ」から2013年公開の「風立ちぬ」まで、宮崎駿監督と久石譲コンビが手がけた全10作品の音楽を演奏するスペシャルなフィルム・コンサート。巨大スクリーンに映し出される映画の名シーンと共に奏でられるオーケストラの迫力の音楽。指揮・ピアノはもちろん久石譲、共演オーケストラはハリウッド・フィルム・ミュージック・オーケストラ。 “Info. 2018/11/04 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(ニューヨーク) プログラム 【11/7 Update!!】” の続きを読む
Web GQ JAPANにて「作曲家・久石譲に訊く。なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?」、久石譲インタビュー記事が公開されました。
これは雑誌「GQ JAPAN 2018年12月号」(10月25日発売)に掲載されたものと同内容Web版です。掲載写真もすべて同じものが公開されています。
ぜひご覧ください。 “Info. 2018/11/05 [Web] GQ JAPAN「作曲家・久石譲に訊く。なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?」公開” の続きを読む
久石譲 主宰のWonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル
夢のコラボレーション第3弾!未来へ発信するシリーズ!
久石譲 presents ミュージック・フューチャーIII
発売日:2018年11月21日
税抜価格:3,000円
品番:OVCL-00685 “Info. 2018/11/21 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー III」 CD発売決定!!” の続きを読む
Posted on 2017/11/27
9月に放送し大好評だった「久石譲 in パリ」の再放送が決定いたしました。
「Joe Hisaishi Symphonic Concert:Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」パリ公演の模様が再放送されます。ぜひご覧ください。
久石譲 in パリ -「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会-
放送局:NHK BSプレミアム
放送日:2017年12月30日(土)午後18:00-19:29 “Info. 2018/05/16 [TV] NHK BSプレミアム「久石譲 in パリ」再放送決定!! 【11/1 Update!!】” の続きを読む
Posted on 2018/11/01
世界の音楽情報誌「LATINA ラティーナ 2018年1月号」に掲載された久石譲と三浦一馬の対談です。
2017年「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.4」コンサートで初共演を果たしたコラボレーション。久石譲がバンドネオンのために書き下ろした新作『室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜』について。共演のきっかけや、作品コンセプトや演奏に際して。久石譲が狙ったものと三浦一馬が挑戦したもの。バンドネオンという楽器の奥深さについてもわかりやすく理解が深まります。充実のロング対談になっています。
久石譲×三浦一馬が探求するバンドネオンの新しい可能性
文:小沼純一
去る10月24日~25日、バンドネオン奏者・三浦一馬は、久石譲の新作を初演した。「MUSIC FUTURE」は、久石譲が2014年から、この列島ではほとんどコンサートで演奏されていない現代作品を積極的にとりあげているシリーズ。デヴィッド・ラング、ガブリエル・プロコフィエフらの作品によるプログラムの最後をこのバンドネオン・コンチェルト《The Black Fireworks》が締めくくる。
ソリストとしてアンサンブルの前に立つ、というよりは、アンサンブルの一員のようにして席につき、淡々と、しかしとても集中し、熱をこめながら演奏する三浦一馬。
はたして作曲家と演奏家はどのようにしてこの作品を生みだすことになったのか──。
-お二人が一緒にやるきっかけから教えてください。
久石:
去年、2016年「MUSIC FUTURE Vol.3」に三浦くんが聴きに来てくれたんです。終演後、楽屋で会ったのですが、バンドネオンの譜面などを持ってきてくれて。そのとき、もう瞬間的に、来年はバンドネオンだって──アイデアは何もないんですけど、バンドネオンでミニマル・ミュージックは誰もやってないな、面白いかもとひらめいた。それがきっかけですね。
三浦:
「MUSIC FUTURE」、音楽の世界で生きている中で最先端な部分を見ることができるコンサートだと思っていました。初めてお会いして、ご挨拶させていただいた時、「ねぇ、バンドネオンの曲を書いていい?」ってその場で仰ってくださって、嬉しかったと同時に、本当かなぁとも思ったわけで(笑)。まさかこんな急展開で作品を書いていただき、本当にすごい感激しています。
久石:
何度かバンドネオンを使った曲は、映画などいろんなところで書いてはきてるんです。「Tango X.T.C.(タンゴ・エクスタシー)」という曲を書いた時からこだわるようになったし、楽器への思い入れもつよく持っていた。あと、なんて言ったらいいんだろう、呼吸かな。アコーディオンにはでない独特の呼吸感みたいな。それがすごく好きだったんですね。人間的な…やはりフレーズが独特なんです。蛇腹を返す時にも情感が出るので、弓やボーイングを返すのよりも、もっとはっきり出るんですよね。人間が歌っている感じがすごくある。歌かなぁみたいな。それがやっぱり一番面白いなと思いますね。
三浦:
今回作曲された作品でなら、第二楽章「Passing Away in the Sky」で、ここがすごく人間っぽくって仰ったところがありました。具体的にバンドネオンという楽器に対して、あるいは音色に対して、今おっしゃっていただいたことをすごく象徴的に語って下さったなと、僕はお話をうかがっていて、思いましたね。
久石:
ありがとうございます。二楽章は大変だったようね(笑)。
三浦:
今まで色んな曲を弾いてきて、大変なものもたしかにありました。こういうものが来たらこうしよう、というのが自分なりに持っていました。でもマエストロの楽譜を見せていただいたとき、なんだこれは!って。悪い意味じゃないです、はじめて見る楽譜だったんです。もちろん音符は普通ですが、バンドネオンでは見たことがないものだった。今まで自分が音楽に対してアプローチしてきたメソッドとは全く違うプロセスと思考回路で、向き合わないといけない。これはバンドネオンにとって、また僕自身にとっても新しい。正直難しかったです(笑)。けれども、僕にとっては刺激に溢れる挑戦でもあり、心地よい良い緊張感でした。
久石:
譜面を渡してから二、三日後に一度電話でどうですか? と話をしたんですよ。書きたい音を書いてしまったから、弾けないところがあったりするかもしれないので、その辺はどんどん言ってくださいねと言ったんですけど、三浦くんは何も注文付けないんですよ。そういう時に細かくごちゃごちゃ言わない人間って素晴らしいですよね。
三浦:
僕としてはもうごちゃごちゃなんてもうそんな……。作曲家が書いた音は、何が何でも、無理でも何でもやるっていうスタンスでいますから。あとはこっちがどこまでそにの近づけられるか、高められるかっていうことなんで……。
久石:
コントラバス・コンチェルトやエレクトリック・ヴァイオリンなどのソロ楽器を持つ曲を書くときは、いつも楽器を買うんですよ。コントラバスのときも買って、響きを体感するために毎日作曲の前に15分くらい弾いていましたね。だから今回もバンドネオンを買おうとしたけど、売ってないんです!もう作ってないですし。それで三浦くんに相談したら、お持ちの楽器の中の一つを貸していただくことになって。それを毎日弾いてたんですけどね、弾いたって言ってもまあ、びっくりしました。こうやって引っ張ってレ~って鳴ってるのに、押したらミになっちゃうんだよ!違うんだよね。往復で違うんだ音!みたいな! キーの配列もまるで規則性がない。これじゃ覚えられない……。でも逆に、このバンドネオンだからこそ(配列のおかげで)音の跳躍ができるというのがわかってきた。裏技を使えばなんとかなるんじゃないかみたいな。ということがあって、あとは信頼して書くしかなかった。
三浦:
跳躍って意味で言ったら、もうまさにバンドネオン以外の何物でもないですね。マエストロは、弾くレベルじゃないと仰いましたけど、それでも楽器に向き合ってくださったのが貴重でした。
[作品のアイデア]
-作品はいわゆるヴィルトゥオジティを前面にだすのではなく、他の楽器と一緒にアンサンブルとして成り立ってる作品です。それでいて、アンサンブルとやりながら、その音色ゆえにちゃんと目立つ作品でした。
三浦:
従来のコンチェルトみたいにソリストとオケが対峙するわけでもなく、書かれていますよね。
久石:
発表する場の問題はすごく大きいと思います。「MUSIC FUTURE」は、新しい、まだ誰もやってないようなことをチャレンジする、日本で聴かれない音楽を提供する場と考えています。そこで、古典的なスタイルよりは、たまたま今自分がやっているようなシングルトラックというか単旋律から組みたてる、この方法で、バンドネオンを組み込めないかというのが、最初のアイデアではありました。
[作品のプロセス]
この作品、「8月の中旬まで全く手がつけられなかった」という。久石氏のことばを要約する。まず、2か月強でしあげなくてはならない。はじめは3つの楽章で、「最後はタンゴのエッセンスを入れた形に仕上げようと思った。だけど曲を書き出した段階で全く検討がつかなくなって……」2つの楽章を書いて、それぞれ異なった方法をとっているし、これで完成と考えた。すでに楽譜も送った。しかし何かが足りない。これがリハーサルの10日前。そしてこのあいだに1週間で最後の楽章を書き上げた。「これは今までにやったことがない」。
[作品について]
-あの第三楽章があると、すごくまとまりがよくなります。バンドネオンって細かい音型が多く、特に第一と第三楽章は、第二楽章の息の長いものとコントラストになっています。だから古典的ではないながらも、やっぱり古典的な傾向もある作品として受けとれます。
久石:
第三楽章を入れることで、いわゆるコンチェルトとしても三楽章的な世界観にどんどん寄りましたよね。
-ところどころ、金管奏者にハミングをさせるようなところもありました。
久石:
最近くせになっているんですよ。マウスピースだけで音を出したり。
三浦:
あれはよかったですよね。自分で言うのもヘンかもしれないんだけど、マウスピースの音にバンドネオンがうっすら重なると、両者が融けあって何かわからなくなるんですよね。何の楽器か、声なのか楽器なのか。
久石:
あれは狙った音だったから、本当にうまくいってよかったな。
-まさに最初久石さんが仰っていた呼吸、それがアンサンブル側から、オーケストラっていうのはふつう管楽器も使ってるけどそれはみんな慣れてしまっているから呼吸のかんじがなくなってしまうのだけど、でもそういったマウスピースなどを使うことで、バンドネオンの開閉の呼吸音みたいなのと呼応するというのも体感できて。
久石:
ミニマル・ミュージックをベースにした曲はどうしても縦割りのカチカチカチカチしたメカニカルな曲になりやすいんです。でもなんかもっとエモーショナルでも絶対成立するんだというのがあって、それをチャレンジしたかったんですね。ミニマルなものをベースにしながらも広がりのあるものを、あるいはヒューマンなものを今回けっこう目指しました。
[バンドネオンに対する固定概念]
-三浦さんはこの作品を実際に弾き終わって、いま、どんなことをおもっていらっしゃいますか? 練習しているうちの大変さ、実際にオケとリハをやってみたとき、初演も終わったというとき、いろんなプロセスがあって、と。
三浦:
コンサートを終えてみて、バンドネオンという楽器に対して、自分の中で新しいものを獲得したという感覚がすごく大きい。今まで弾いてきたいろいろな曲のどれからも得られなかったものです。バンドネオンにはある種の固定概念がつきまとう。それが運命だし、どこか宿命にある楽器なんです。それをここまで強烈にバン!と影響を与えてくれる曲が今までなかったんでしょうね。ですからコンサートが終わって、何日かしても、ちょっと鼻歌で口ずさんじゃうくらい身体に入り続けているし、バンドネオンそのもので考えても、やっぱりタンゴとかそういうものとは違う奏法がやっぱり必要とされていたんだと思うんです。またミニマル・ミュージックという新しいジャンルが、僕にとってはじめて扉を開けた世界で、そこに足を踏み入れ皆さんとご一緒することができた。今度は僕が普段やってる音楽も考え方がちょっと変わってくると思うんです。バンドネオンのチラシとか、8割がた「魅惑の~」とか「情熱の~」とか「哀愁の~」とか入ります。そういうことじゃなく、フェアに楽器として考えるっていうのは常日頃から思っていることです。嬉しかったですね。
久石:
実は一番悩んだところでね。「魅惑の~」に(笑)、引っ張られちゃうんです。やっぱり僕はピアソラが好きだし、ずっと聴いてきたから、ふとコンチェルト・スタイルというか、ちょっとそういう感じをフィーチャーしてバンドネオンの特性を出そうと思った瞬間から、どうしても「哀愁の」じゃないけど(笑)、そういう情緒系のフレーズが出てきてしまう。非常に多彩な楽器なので、それを駆使しだすとどうなるのかというのもまたすごくある、いくつかそういうフレーズも試してみたけど、結局、全くこっち側はやらないと決めた。新しい可能性になかなか出会えないんじゃないかと思って。
三浦:
バンドネオン=タンゴで、開拓されて花開いてっていう楽器ではありますけれど、楽器としてみたときにできる可能性があまりにも大きいなとおもっているんです。タンゴだけにとどめるのは勿体ない。タンゴを否定しているわけでは全然ありません。僕はタンゴが大好きだし、これからも弾いていくでしょう。でも、楽器としてもう右も左もなく、まっすぐ真ん中からフェアに見ていきたい。できることは何でもやろうと思ってるんです。そこがバンドネオン奏者としての最大の使命であり、人生をかけてやらないといけないと思ってるんです。僕はタンゴ弾きというよりも、バンドネオン弾きという意識です。
[これから]
-地方・海外での再演も視野にいれたい作品では。と。
久石:
本当にそうです。この曲はニューヨークで演奏したいなと思います、正直ね。来年にはアルバムにも収録する予定ですし。
-今後お二人で一緒に、バンドネオンを使ってというようなことは…
久石:
今回は始まりです。だからやりたいんですよ。オケとやる。小さいオケでもいい。オケで演奏することになったら、そこでやんなきゃいけないのが、コンチェルトを作る。そうすると今の音は当然フィーチャーする楽器対オケになりますよね。ですから、そういう方法を取るなり、なんかでまた是非書きたいなと。
三浦:
ありがとうございます! バンドネオンっていう未来を感じますよね。
(LATINA ラティーナ 2018年1月号 より)
本誌表紙も飾った久石譲×三浦一馬 対談ですが、誌面でも表紙テイストのコンサートや対談風景の写真が複数掲載されています。
(Webニュースより)
世界各地からたくさんのご応募をいただきました
第2回「Young Composer’s Competition」における優秀作品が決定いたしました!
受賞結果の詳細はこちら>>>
https://joehisaishi-concert.com/mf-2018-jp/comp2018-jp/
(久石譲オフィシャルサイト より) “Info. 2018/10/30 MUSIC FUTURE Vol.5 作品募集企画【Young Composer’s Competition】受賞作品発表” の続きを読む
Posted on 2018/10/29
雑誌「キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470」に掲載された久石譲インタビューです。前号(10月下旬号)と2回にわたって前編・後編でソロアルバム『Asian X.T.C.』について語った貴重な内容です。その当時の立ち位置や進むであろう方向性が見えてくるようなインタビューです。
サントラ・ハウス
sound track house
文:賀来タクト
A Conversation with Joe Hisaishi Vol.2
久石譲【後編】
アジアの風をつかまえながら日本をきちんと考えていきたい
アジアをテーマに制作した最新アルバム「Asian X.T.C.」は、単にアジア風味が効いたポップス作品集に終わらず、そのままズバリ、久石譲という作曲家の現在を映す鏡となった。その一つの証左となるのがミニマル技法への回帰である。12年前と同様に「今は過渡期だ」と言い切るその表情には、作曲家として完成すること=巨匠への道を避け、新たな可能性を追い求める最前線の戦士としてのさわやかな野心がみなぎる。
「リセットしたというのかな。原点に戻るというよりも、らせんのように描いていって、その先でもう一回遭遇したような感じだね。ミニマルをベースにやってきた経験とポップスをやって培ったリズム感、単純にいうならノリ、グルーヴ感。それが両方きちんと息づいたところでの自分にしかできない曲。それを書いていこうと決心がついた最初のアルバムが『Asian X.T.C.』なんです。確かに今は過渡期だと思うし、94年頃に”映画をやめる”と言ったときと同じような節目になってるね。だいたい僕は10年おきにそういうのがあるんだよね(笑)」
西洋のミニマル作品の担い手たち、すなわちフィリップ・グラスやマイケル・ナイマンといった面々に対するライバル意識も小さくない。「作品」を書くことで彼らに自身をぶつけてみたい。そんな活力のみなぎりは実に微笑ましい。
「アジア人のミニマリストっていないとマズイんですよ。いるべきだと僕は思う。それを誰がこの時代で担うのかといったら、僕しかいないだろうと。グラスって東洋思想に刺激を受けてやっていたけれど、それって形式からの脱却を考えてあがいた結果、東洋に目を向けたわけだよね。でも、そういうふうに目を向けられている肝心のアジアから誰も育たないというのは変ですよ。で、考えてみたら、僕のベースはアジアで、端からそういうものが血の中にある。ミニマルが原点だった自分がやっぱりきちんとやらないといけないだろうと。アジアをテーマにするというのも、その意味で必然性があったわけ。ミニマルに戻るってことと、アジアに目を向けることは同じ延長線上にあるんです」
駆け出しの新人作曲家ならいざしらず、十分にキャリアを積んだ久石譲が「アジアのミニマリスト」宣言をする痛快さをどう喩えようか。
「ちょっと大きい作品を書きたいね。長さもあって、スケールも大きいものを。西洋的な形式でいうところのシンフォニーだったりレクイエムだったり、1時間以上ある大作というのは、体力のあるうちに書いておかないとね。この2、3年のうちに、そういう大作をまずは作ってみたい」
一方「Asian X.T.C.」は、編成がぐっと小さくまとめられている点にも注目すべきだろう。ここ最近、指揮者として遮ニ無二取り組んできた大編成管弦楽の起用はここにはない。これまた一種の「再出発」であり、個人的にはピアニスト久石譲のリハビリの場ではないかとの印象も強くある。
「僕ね、このままやっていくと、たぶんピアノを弾かなくなっちゃうと思うんだ。だからここで一回しっかりとピアノに戻って、ピアノのソロツアーを来年に是非やりたい。今回、アンサンブル編成にしたのは、オケのエッセンスだけを抜き出したっていう感じだね。そのエッセンスと自分のピアノがどれくらい絡むかということで、次が変わるんじゃないかって思ったの。オケは作曲家にとって最大のパレットだし、やっていかなきゃいけないというのはあるんだけど、一方でお決まりの方法論でもある。確かにいつもそれだけというのは飽きちゃうかもしれないよね。飽きなかったらそれは巨匠でしょ。でも、僕はジョン・ウィリアムズにはなれないから(笑)」
個人的にはジェリー・ゴールドスミスという作曲家が雑草の人である。何度も苦難を味わった彼は、絶えずウィリアムズという生き方の彼岸にあった。すなわち巨人であっても、決して巨匠ではなかった。
「ゴールドスミスってすごくシンプルなんだけど、やりたいことが明快だったよね。それって作家としてずっと持っていなきゃいけない姿勢だよね。前に『オーメン』の譜面を見たんだけど、すごくユニゾンの強さがあった。今度ヨンさまのドラマをやるんだけど、そのときはオールユニゾンのようなちょっと強い音楽を作らなきゃいけないと思ってる。韓国の作品って荒っぽいところがあるでしょう。少し照れるけれど、オールユニゾンみたいな強さがないとちょっと乗り切れないなと思ってる」
来年に放映が予定されているペ・ヨンジュン主演のドラマ『太王四神記』もさることながら、同じく音楽を書いた韓国映画「トンマッコルへようこそ」も10月28日より日本で上映開始。中国、香港映画の公開も控え、11月にはアジア5ヶ国を巡るツアーも待機する。かつて、あれほど海の向こうに対して慎重だった久石譲にどんな事態の変化があったというのか。
「それはもう時代の風ですよ。ちょうどこの時期にアジアの風が吹いた。そうとしか言いようがない。映画音楽とか映像の仕事をしていく限りは、いい作品に出合わないといい音楽が書けない。そういう中で今、風が吹いているんだったら、それをちゃんとつかまえようと。それがすごく大事だった。最初はそんなにうまくつかめないだろうと思っていたら、本当にいい感じで全てがアジアに向いていったんだね。一回、自分の日本というフィールドをアジアというフィールドに広げたうえで考えていく必要があるなと思ったんです」
それはアジアに拠点を移すとか、日本を振り切るということではない。むしろ、久石譲にとてはいっそう日本を考える機会につながっている。
「当然です。僕は最終的には日本しか考えてないですよ。海外の映画をやっていても”日本は日本は”って絶えず考えてる。それがいちばん大事だから。今、日本は政治一つとっても大変な時代でしょう。危険とすらいえるんじゃないかな。そういうことに対して、文化をやってる人間は文化の中で言わなければいけないし、僕も僕なりの方法できちんと言っていきたいと強く思っています」
(キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470 より)
【前編】
Blog. 「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」久石譲インタビュー内容
Posted on 2018/10/28
雑誌「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」に掲載された久石譲インタビューです。次号(11月上旬号)と2回にわたって前編・後編でソロアルバム『Asian X.T.C.』について語った貴重な内容です。その当時の立ち位置や進むであろう方向性が見えてくるようなインタビューです。
サントラ・ハウス
sound track house
文:賀来タクト
A Conversation with Joe Hisaishi Vol.1
久石譲【前編】
二面性が潜むアジアと自分をもう一度見つめなおしてみたい
久石譲が最新ソロ・アルバムでアジアをテーマに掲げた。かつて「日本はアジアではないのではないか」との声を漏らしていた作曲者に、いったいどのような心境の変化があったのか。
「ヨーロッパの先にアジアがあったわけです。ファッションだって、だいたいフランスだったりアメリカからのものでしょう。つまり、自分たちが憧れたり、何かを感じたりするものの基準というのは、まず欧米を指すわけ。アジアってその先にある。だから、近いんだけど、いちばん遠い。僕自身、西洋音楽の教育を受けてきているからアジアは遠いものだった。ただ最近韓国や中国、香港の映画を立て続けにやったことで、自分の中のアジアをもう一度見つめ直す必要が出てきてね。そこで改めて思ったのが、西洋の先にあるアジアではなくて、我々がいちばんアジア人であるということ。近いはずなのに、なぜ遠いのか、もう一度検証しなければならないんじゃないか。そういう気持ちが強く出てきたんです」
題して「美しく官能的でポップなアジア」。
「アジアの貧困だとか、発展途上だとか、そういったものを題材につくることは絶対にしたくなかった。それどころか、アジア人っていうのは非常にかっこいい。女性は肌がきれいだし、男性は欧米人に比べたらずんぐりむっくりだけど、大地に根ざしているかのようにガッチリしていてエネルギーがある。1+1=2では終わらない世界がまだアジアにはいっぱいあるんですよ。例えばバリ島の闇なんて、見たら驚くよ。それこそ富士の樹海くらい、いやあれよりも暗いかもしれない。何かいるんじゃないのって。その闇を見ているだけでもね、何か普通の足し算では片づけられないプラスαが確実にある」
そんな感覚の行き着いた先が東洋思想だったと、語気が強まる。
「何が違うかというと、キリスト教だと”信ぜよ、さらば救われん”というような、一種の選民思想になる。これは今のアメリカやヨーロッパの動きそのままでしょう。でも、アジアって善と悪が共存していて、悪はダメっていう発想がない。人間が持っている二面性も決めなくていい、両方持っているのが自分なんだと。この考えにたどり着いたとき、やっとアルバムの方向が見えたんだね」
その「決心」はアルバム構成に具体的に集約された。映画やCM曲の楽曲群(陽サイド)と、ミニマル・ベースの楽曲群(陰サイド)がそれぞれ別個に固められて前後に並んでいる。まるでLPレコードの表裏を連想させる「二面性」をあえて1枚のディスクの中で訴えているのだ。統合性や平衡感覚に囚われず、はっきり違ったものがザクッと並んでいてもいいのではないか。そんな力強い作曲者の声が、手に取るように伝わる。
「曲を書き終えたあとに初めて構成が決められたんです。とりあえず今、自分がやれることはこれなんだと。その決断ですね」
アルバムの詳細に今少し踏み込むなら、全11曲を収めたアルバムには、韓国映画「トンマッコルへようこそ」、中国映画「叔母さんのポストモダン生活」、香港映画「A Chinese Tall Story」の主題曲が盛り込まれており、最近目覚ましいアジア圏での作曲者の活動が簡潔に伝えられている。ピアノは久石自身が担当し、ゲストにはバラネスク・カルテット、ギター・デュオのDEPAPEPEが連なり、二胡・古箏などの中国楽器も加わる。テーマの中の「ポップ」とは、個人的な意見を記すなら、要は「かっこいいこと」に通じ、「官能的」とは闇の喩え話に顕著な「神秘性=ゾグゾグ感」と換言することができるだろう。音色といい、発想といい、整然とした世界がそこに広がる。
「僕は論理性を重んじて曲を書いています。でも、音楽ってそれだけでは通じない。直接脳に行っちゃう良さが歴然とあるわけだし、それは大事にしないといけない。そこまで行かないと作品にならないしね」
これまた今回のテーマを地でいく声として注目してよく、要するに感性と論理性の拮抗こそが作曲家・久石譲の本質であり、この二面性を正面から引き受けなければいけないという意識において、実のところ従来と変わらぬ野心と探究心の表れでもあろう。となれば、今回のアルバムはアジアを展望した新しい出発であると同時に、ミニマル時代やピアノ奏者としての自身も見つめなおした一種の再出発ともいえる。立ち位置の再確認といえば、思い当たるのが12年前、自ら「映画を少し休む」と宣言した94年暮れの事態であろう。あの瞬間と同じ作曲家としての惑いや不安がここににじむ。そこでふと思う。久石譲は再び過渡期にあるのではないか、と。
「それはね、一つ正しい。そのとおりだと思う。たぶん、いちばんつらかった時期は、4、5年前くらいから一昨年くらいの間かな。あのまま行ったら巨匠の道を歩んでいたと思うし、実際歩みつつあった。特に『FREEDOM PIANO STORIES 4』というアルバムの頃はそっちに行きそうな悪い予感がしてた。それが『WORKS III』っていうアルバムを作ったときに組曲の『DEAD』を完成させたでしょう。あのときに自分が何をやりたいのか、非常に明快に思ったことが一個あって、それは要するに”作品を書きたい”ってこと。もうすごく単純に。アメリカのフィリップ・グラス、イギリスのマイケル・ナイマン、どちらもミニマルの作家で、映画の音楽も書いているでしょう。そんな彼らと僕の大きな違いって何かというと”作品”を書いていないことなんですね。作家としていい曲を書いて売れることはもちろん大事。でも、それだけでは生きていたくない自分というのも確かにいる。やっぱり”作品”を書くことなんだね。それを考えたときに、いわゆる巨匠の道はやめたんです」
巨匠=完成されそれ以上前にいけなくなった作家ではなく、最前線で汗まみれの切磋琢磨=挑戦と実験を繰り返したい。そんな久石譲のこわだりはどこへ向かおうとしているのか。次号でその着地を試みたい。
(キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469 より)
【後編】
Blog. 「キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470」久石譲インタビュー内容
Posted on 2018/10/27
雑誌「kamzin カムジン 第3号 FEB. 2005 No.3」に掲載された久石譲インタビューです。
映画『ハウルの動く城』について、メインテーマのワルツの効用からオーケストラレコーディング方法の変化まで、とても興味深い内容になっています。
編集長インタビュー
「宮崎作品」の”音”作り20年 音楽家 久石譲さん
音楽家・久石譲さんは、宮崎駿監督作品の音楽を20年以上も担当。上映中の最新作『ハウルの動く城』(東宝洋画系)は、年明けで観客動員千万人を超える大ヒットとなっている。スクリーンを飛び出し、観る人の心にからむ”久石メロディー”。その制作秘話に迫った。
(湯浅 明)
映像との調和を考え、シンプルなワルツの力を借りました。
-手応えはあったのですか?
久石:
「評価は音楽家のいうことではないからお任せします。一昨年の初め、「戦時下の恋愛、メロドラマを作りたい」と宮崎さんから聞かされ、「得意分野です」と言っておきましたけれどね(笑)。」
-この2年の世界情勢の変化は著しく、メッセージ性の強い宮崎作品にも影響したのでしょうね。
久石:
「どう反応されるのか、個人的興味はありました。映画にAからEのパートがあるとすると、最後のE部分が30分はかかると予想していたのに、10分程度でまとめたのにはビックリしました。」
-物足りなかった?
久石:
「いいえ、見事ですよ。作家として、この時代ならいろいろといいたいことがあるだろうに、実生活で皆がくたびれ果てているのだから、ああだのこうだのと自分の認識を出さず、メロドラマのコンセプトを貫いた。作家の勇気を見ましたね。これは本当にスゴイことですよ。」
-音楽への注文はありました?
久石:
「今回の主人公は十代から九十歳まで年齢幅があるけれど、宮崎さんには、同じテーマ曲で統一したいという強い意志がありました。僕がいきついたのはワルツ。曲を決めるとき、今まではシンセサイザーなどでデモテープを作りました。今回は3曲を用意して宮崎さんの前でピアノを弾いてみました。証拠が残らないように…。というのは冗談ですが。最初弾いた曲は合格点の予想がつくもの。2曲目がワルツ。」
-そうしたら?
久石:
「すごい反応。宮崎さんは「これはやってない。驚くよね。もう一回弾いて!」」
-3曲目は?
久石:
「弾かなかったし、去年の2月6日のことなので、もう忘れちゃいました。映像に音楽を合わせるサウンドトラックは6月ごろ。全編30曲のうち17曲がテーマがらみで、あるときは物悲しく、あるときは勇壮であったり、優雅になったり。新しい扉を開けた最上の仕事ができたと思っています。まあ『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』も、新しいことをやっているつもりでしたけれど。」
-ワルツを選んだ理由は?
久石:
「舞台が西洋で、フルオーケストラでやろうと決めていました。個人的には音楽的な主張が強くなって、複雑な方向にいきそうな時期でしたから、映像との調和を考え、シンプルなワルツの力を借りました。」
-昭和の不安な時代にも、なぜかワルツが流行しました。
久石:
「そうね。歩くリズムを考えれば二拍子や四拍子の偶数系は安定し、三拍子はズレます。それが立ち止まって音楽を聴きやすくなるのかな。そこに日本人が好む、哀愁が入りやすくなるんでしょうか。でも、三拍の中身はアバウトで「ズンチャッチャ」もあれば、「ズン チャチャ」もある。」
-すき間をを作れる!
久石:
「そう。余韻を楽しめるし、民族の差もそこにでます。でもね、ものを創造する環境として今はよくないですよ。今日食べるパンが大切という現実を前に「音楽を聴いて心を和ませて」とはいい難いでしょう。CDが売れるとかいう問題ではなく、メディアとしての音楽の本質の話です。世界でも日本でも、カリスマが次々と表舞台から消え、確実に時代は動いています。人の気持ちは変化する。「祇園精舎の鐘の声…」という句がありますが、「鐘の声」は十年前も、30年前もあまり変わっていない。聴く僕らの価値観が変化しています。いま起こっている戦争と、『ハウル』が描く戦争を引っ掛けたら、納得しやすいですよね。『もののけ姫』のときなら宮崎さんは思いっきり突っ込んだでしょう。しないのは、理屈をこねるよりも作家として勇気が必要。ただ、将来の人と人のつながりや家族のあり方についてのメッセージが『ハウル』は込められている気がします。」
-宮崎さんとの話から推測?
久石:
「僕らはそんなこと言い合いません。「最高!」と僕はいい、テレもあるのか「とんでもないものを作っちゃいましたね」と宮崎さんは毎回いわれる。僕が『ハウル』で「やったな!」と思うのは、これまでは1秒の30分の1まで計算して、映像と音楽を合わせてきました。今回はアバウトにしています。映像を見ながらオーケストラを指揮して、音楽をつけたのですから。」
-気分を大事にしたから?
久石:
「デジタルだとテンポが一定になるじゃない。そうした計算づくではなく、たとえシーンの合わせ目が微妙にズレたとしても、気分の充実を大事にしたかった。この方法は『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』以来。20年ぶりですが、後退ではなく、前進だと思っています。」
-時代や社会情勢は、文化にも大きな影響をおよぼしますよね。
久石:
「この時代に生きていますからね。昨年『ワールド・ドリーム』という曲を書きました。国歌のように朗々としたメロディーを考え、明るくおおらかなものを作っているはずなのに頭に浮かぶのは、『9.11』だったり、イラクで子供が逃げ惑っている姿。平成10年の長野パラリンピックの音楽をやったとき、『エイジアン・ドリーム・ソング(アジアの夢の歌)』を書きました。「世界の夢」だから、大きくなったはずなのに地域紛争多発で、世界の夢がなくなった。そうした現実に音楽の無力さを感じ、こんな中途半端ではいけないと悩み、発言や主張を盛り込もうとしたら書けなくなりました。また、先月発売したアルバム『FREEDOM PIANO STORIES 4』の制作でも、タイトルにひっかかりました。これは政治体制の自由ではなく、心の自由と解釈して乗り切りました。」
-作曲のほかイベント、演奏、指揮…。多忙ですが今年は?
久石:
「そろそろ仕事をセーブしなければと思っています。『ワールド・ドリーム・オーケストラ』の夏ツアーなどの予定はありますが、自分で作った枠を壊していく作業を一番やりたい。そういう年齢になったのですかね。素朴な感動ではなく、技術力でこなすことは減らしたい。仕事の速度に気持ちが追いつかず、忙しいからこの程度でとか、求められるものに迎合する、作家にあるまじきことはせず、一曲一曲、なぜ書きたいのかを考えていきます。実験精神が薄くなっているのが反省で、守りに回らず、自分が驚くものをキッチリやっていきたいですね。」
-期待しています。
(kamzin カムジン 第3号 FEB. 2005 No.3 より)