Blog. 「ダカーポ 422号 1999.6.2 号」鈴木光司×久石譲 対談内容

Posted on 2018/01/19

小説が大ヒットし映画化も大ヒットした「リング」「らせん」で知られる人気作家鈴木光司と久石譲による対談です。

雑誌「ダカーポ」(1999)にて企画されたもので、その後「鈴木光司対談集 天才たちのDNA―才能の謎に迫る」(2001)として書籍化されました。糸井重里、いっこく堂、秋元康、俵万智、柳美里、村治佳織、立川志らく、横尾忠則ら26人のゲストを迎え、落語家、ピアニスト、レーサー、棋士、歌人、能楽師、映画監督、脳機能学者といった、さまざまな分野のスペシャリストたちとの対談を集めたものです。

この対談とても長く、宮崎駿監督や北野武監督とのエピソードなど話は多岐にわかります。異分野の作家同士の共鳴するお話はとても奥が深く興味が尽きません。ふせんやマーカーがあったらいくつチェックしても足りないくらいです。

 

 

ぽっと何か浮かぶ。すると、「これなんだ、これで行ける!」と

鈴木:
「小説でも、僕はたとえば太宰の小説は引き込まれるんですよ。ひかれるものがあるんです。圧倒的におもしろいストーリーでもないんだけど、いまの世代の人が読んでも、やっぱりひかれてしまう。だからと言って、ベストセラーになっている小説を分析して、ベストセラーを書こうとして、絶対に成り立たない世界。人の心をとらえる名曲というのはどういう瞬間に生まれるのか、とても興味があります。」

久石:
「名曲と言われる音楽って、伴奏を付けないで歌っても音楽的なんですよ。いい音楽って、みんなそうなんです。まず、だいたいの場合ですけど、シンプルです。メロディーがものすごいシンプル。たとえば『上を向いて歩こう』でいえば、あれは5音階なんですよ。ドドレミドラソという。普通で言うと、「わ、ださい」という典型のメロディーなんです。文部省唱歌と全然変わっていないんですよ。ところがそれが全然、日本風じゃないんですよ。」

鈴木:
「日本風じゃない?」

久石:
「中村八大さんというジャズピアニストが作曲者です。当時もあれに関しては、一歩間違えば演歌になるそうなところを、ジャズコードを使っていて、通常のああいうものと比べたら、しゃれていたんです。その辺の、計算でできるものではないミスマッチというもので、単に童謡にならなかった。五音階って逆に言うと、アメリカの人たちには慣れ親しんだものではないから、その辺の新鮮さもすごくあって、アメリカでもヒットした。」

鈴木:
「唯一あの曲くらいですよね、日本の歌でアメリカでヒットしたのは。」

久石:
「その核が分かれば、もの作りは楽なんですけどね。さっきの太宰の話にしても、読み始めたときに、そこにはっきりした世界観があれば、たとえば興味のある話ではなくても入って行っちゃいますよね。それが嘘じゃないと、そのまま行けるし、ものを作るときの虚構性って、そういうのすごく強いんですよね。」

鈴木:
「たとえば太宰の小説をアメリカ人が読んでひかれるかな、というのは、ちょっと分からないんですよね。音楽の場合は、地球規模のものがあると思うんですよね。たとえば日本人の心はつかむけど、アメリカ人の心はつかまない音楽と言うより、音楽は言葉の壁を乗り越えた、全世界的なものですよね。」

久石:
「言葉の問題はあると思うんですけど、本来は、インターナショナルを狙うという発想は違うんですよね。ある意味では超ドメスティックにやることで、どこまでも掘り下げていき、深いところで理解すると、それが結果、インターナショナルになる。だからその辺が、たとえば今度の北野さんの映画(『菊次郎の夏』。この対談は99年4月に収録)でも、あれは絶対日本の空間でしか成立しない話なのに、外国の観客にもかえって分かり合えたというところがありますよ。」

鈴木:
「アメリカでこういう映画受けているから、似た映画を作ったとしたら、日本人の観客の心すらつかめないものができてしまいますよね。」

~中略~

鈴木:
「映像を見て、音楽を載せるという作業について聞きたいんですが。映画を見ながら考えるんですか?」

久石:
「一番最初は、台本をいただいて、台本の段階で、本当は70%は作曲が終わっていなくてはいけないんですよ。結局その台本をもとに監督さんはお撮りになり、いろんな人たちがものを考えていく。まずそこに何がいいたいかというのは確実にあるはずだから、そのテーマに即して考えていくんですよ。そうすると、たとえば一見恋愛ドラマ風になっているけれど、実は社会ドラマだっりすると、ラブシーンはあまり甘い音楽を付けない方がいい、もしかしたら音楽をはずした方がいいとか。さらにそのテーマが浮かび上がるように、僕なんかは全体設計する。その次に重要なのは、それぞれの演出家の方の画面のテンポがある。それは歩くだけでも、非常に遅くする方と速い方と、あるんですね。その画面のリズム感みたいなものをつかむのは、もう一つ重要です。そうすると、つかんでしまえば、自分が書いた音楽を、このシーンに合わせようとしなくても、合ってしまうんです。それはその演出家のテンポを分かったときですよね。その2つが重要だと思います。」

久石:
「もう一つ、昔やった『天空の城ラピュタ』がアメリカで英語で公開されるんです。ディズニーで公開するんですけど、ディズニーの常識でいうと、アニメーションというのは1時間40分なんですよ。ところがあれば2時間4分です。しかもあまり音楽の量が多くない。日本の映画はアニメーションを含めて、みんなそうで、音楽の量が多くないんですよ。ところがアメリカは全編に入れるんです。もう10何年前の映画だから、新たに音楽を足してくれと言われてもできないし、性格的にもオール・オア・ナッシングなところがあるから、いま全部作り替えているんですよ。来月の頭にアメリカのシアトル交響楽団というところで、録るんですよ。これはいままで自分がやってきた映画のスタンスと全然違うんです。アメリカは過剰情報量の世界だから、誰々のテーマというのがあって、何かが出てくるとそのテーマを流すんです。基本スタイルが本当に劇の伴奏なんです。僕はそういうやり方、基本的に嫌いだし宮崎さんの作品に関しても、これが我々の決定稿であるというオリジナルがちゃんとあるわけです。でも今回、もしやるのであれば、まったく違うもの、あえてハリウッドスタイルでやろうかということで。鈴木さんの『バースディ』みたいなものですよ。『こういうのもあるだろう』というスタイルで作っている。映画音楽の作り方って、いろんな考え方があるんですよ。僕にとってそれは、作者の意図がどう伝わるかということに貢献していくということです。」

鈴木:
「僕も芝居に音楽を付けていた時代があるんですよ。大昔のことですけど、やっぱりその時に非常に気になったのは、演出家が役者に与えるテンポなんです。テンポがちょっとずれていると、芝居はやりにくくなってしまいますよね。映画の場合は演技は終わっていますけど。本来はシナリオの段階で音楽がある方がよろしいとしても、だいたい映像ができてから考えるわけですよね。」

久石:
「大体、真剣にシナリオを読んだときに、メロディーが浮かぶケースが多いんですよ。」

鈴木:
「自然に?」

久石:
「そう、無理やりじゃなく。そうすると、台本の裏に5本線を引いて、でだしのフレーズとか、頭に浮かんだメロディーを書いておくんですよ。それで、そのまま忘れてしまうんですね。それで監督とラッシュ見ながら、どうしよう、こうしようといって、監督の意図とかが分かってきたときに、意外に一番最初に書いたそれがいいケースって、結構あるんですよ。京都の映画だったら、帰りの新幹線の中でふっと浮かんで書いたヤツとか。そういうのがすっと出るときというのは、逆に言えばいい状態になりますね。映画って、やっぱり、2時間くらいありますけど、僕らが実際に音楽をつけるのは50分前後ですかね。だから50分の音楽を書いているんですけど、核になるのは一つなんですよ。それがメインテーマだったりする。その切り口が一つ、きちんとはまれば、後はある程度技術で作れてしまう。重要なのは、新鮮なネタだったり……ネタというのは何といえばいいんでしょうかね。たとえば小説家が小説を作ると思ったときに、一番基本の動機みたいなところ、あるいはシーンだったりするかもしれません。それと同じようなところが音楽家もあって、ぽっと浮かんできたとき、あるいは頭ですごく考えて作っても、結果的に据わりが悪い時ってあるんですよ。どんなにゴテゴテにアレンジしても、最後まで寄り添えないぞ、という時もあります。」

鈴木:
「基本になる核というのは、1本の映画だったりすると、1つですか?」

久石:
「1つだと思います。それがあるから副次的なテーマだとか出てくる。」

鈴木:
「バリエーションみたいに?」

久石:
「出てきますよね。それはやっぱり、台本がしっかりしていないと難しいですよね。」

鈴木:
「それは小説にとってのテーマということになると思うんです。小説の場合、長編だったりすると、テーマは1つなんです。それでこのシーンを描きたい、この心情だけはどうしても描きたいというのが5、6個は絶対にほしんですよ。テーマから派生した感じになると思うんですけど、このテーマはたぶん強調するシーンであるとか、人間と人間とのつながりとか、これだけは書きたいというのがあるとうまくいく。それは論理とか、考えた結果出てくるものではないんです。自然に出ないとまずいんです。」

久石:
「ドラマって構造が基本的には対立じゃないですか。主人公がいたら、それと対峙する人間とか。音楽もそれがすごくあって、メインテーマにすごくきれいなものを書いてしまったときは、それに対立するメロディーって別にいるんですよね。つまり、これを際立たせるためにもう一つ、というのはありますね。それは映画2時間の中で沈黙、音楽をつけない場所を作るのも仕事のうちですから。それをどう構成していくかという時には、音楽自体には非常にドラマチックな構成が要求されますね。昔、ソナタ形式というのがあって、モーツァルトからベートーヴェン、全部そうなんですけど、Aテーマがある、すると必ずそれとは正反対のBテーマがある。第二主題というんですけど、それが絡んでいって、展開部があって、もう1回再現されている。だから音楽の構造って想像以上に映画とか、ストーリー作りの構造に似てるんですよ。」

鈴木:
「そうなんですよね。似ているんですよ。」

久石:
「黒澤明さんも言っていますよね。映画も時間軸の中で作っていくものだから、それと最も近い形式は音楽であると。それはすごく分かります。」

鈴木:
「ボクもよく、長編小説をどうやって書くかというのを聞かれるんです。その時には音楽家が音楽を作曲するのと同じだ、と言っているんです。もちろん僕は交響曲なんて作ったことなんてないんだけど、たぶん同じじゃないかと類推しているんです。いろいろな聞かれ方するんですけど、『リング』なら500枚ですが、「その作品が最初からストーリーが頭の中になって書き始めるんですか?」と、みんな聞かれるんですよ。そんなこと、まったくないんです。最初に何かが鳴り始めるんです。たぶん作曲家の方というのは、テーマが鳴り始めると、その後に引きずられて頭の中に音楽が鳴って来るんじゃないかなと、僕なんかは想像しちゃうんですけど、それと同じような感じなんですよ。ワープロで書き始めると、物語がこちらに流れてくる、という感じなんです。頭の中にテーマが生じ、音楽が鳴り始めるような体に作り替えていくのが、音楽家にとっても修行だと思っているんですが、小説家にとっての修行もまったく同じことだと言っているんです。テーマが明確になって、自然に書き始めて、物語が引きずられて流れこんで来る。そういうふうに細胞を全部変えていくのが、作家にとっての修行じゃないかと。小説を書くという作業を音楽にたとえると、非常に分かりやすい。」

久石:
「まったくそうですね。最初から全体の設計図を引いてから作っていく、ということはないですね。僕の場合は布団の中だったり、シャワー浴びてたりトイレの中だったりが多いんですけど、ぽっと何か浮かびますよね。すると、「これなんだ、これで行ける!」と思いますよね。それはワンフレーズだったりイメージだったりする。そこから出発します。あとは直感というのじゃないんですけど、累積の中の直感。これで行けるんだというのを確信するときがある。そこから作って、もしかしたらそれはメロディーの頭じゃなくてまん中だったりするけど、それは勝手に動いていきますよね。長い曲になってもそれはすごくある。だから次、どうやって展開するかというのは、論理的に考えるというよりも、この道を行かなくてはならないという感じが、すごくします。小説もそうですか?」

鈴木:
「そうなんですよ。だから、「来るか来ないかというのは、もうオレの責任じゃない」と言いたいくらいですよ。」

久石:
「分かる、それは。逆に言うと、いつか来なくなるんじゃないかという恐怖はありますよね。」

鈴木:
「ありますよね。だから僕の場合だと、締め切りに追いまくられて、年がら年中書いていたら、絶対来なくなるからと言って、制御しているんです。来なくなるのが一番怖いですから。何もないところから生み出す作業というのが一番きついですよね。」

久石:
「締め切りがない方がいいですか?」

鈴木:
「ないと無理です。締め切りがあって、どうにかそれが来るように持って行くんです。お祈りするんです。」

久石:
「同じだ。締め切りがないと、やらないでしょう。締め切りがあって、それに向かって動いていく。その過程で、今日行けそうか行けそうじゃないか、行けそうじゃない日はやらない、というのはありますけどね。締め切りは必要なんですよ。でも500枚とか、750枚とかだと、どのくらいかかるんですか?」

~中略~

久石:
「普通はそこから行けないか、と考えてしまうけど、捨てた方が本当はいいのかもしれない。『もののけ姫』やっているときに、僕も初めてあんなに時間かけたというか、退路を断ってやっちゃったんですよ。普通、余力を残して作品は作っていくのが一番いいんですね。その人がストレートに出るから。ところがあの時は退路を断ってしまったために、入り込んじゃったんですよ。入り込んじゃうと、これを書きたいと思いますね。で、ふと宮崎さんの顔が浮かんだときに、たぶんノーだろうなと思うと、聴かせると間違いなくノーなんですよ。何かこう、分かっているんだけど突き進む。僕らの場合は、映画に関しては共同作業なんで、監督がいて的確な判断をされるから、「ハイ」という感じで、それは捨てて戻れます。ところがソロアルバムとか、自分の世界になった時は、ノーという人がいないじゃないですか。ちょっと間違ったなと思っていても、捨てる勇気がなかなかないですよね。その時が逆に一番苦しい。」

~中略~

久石:
「僕の音楽というのは、決して芸術作品じゃないから、支持している人がいて、初めて成立する。根本的にはエンターテインメントの音楽であると、強く認識しているんですよ。芸術作品であるならば、自分の作りたいものを何年もかけて、山にこもって、あるいは学校の先生をしながら、シンフォニーを3年4年かけて作ればいい。でも、我々はそうじゃなくて、人に聴いてもらうというのが大前提であると。ただ、それを喜んでもらえばいいというのではなくて、エンターテインメントの音楽なんだけど、聴き終わったときに、一つだけなにか、良かったなと感じてほしい。たとえばシンフォニーを僕がオーケストラを使って書いたら、それでコンサートに来てくれた人が、いいなーと思って、次回は、マーラーでもベートーヴェンでもコンサートに行ってみようと。音楽っていいものだなと、何か一つ階段を上ってもらえれば。押しつけちゃいけないけど。そういうようなところで音楽を書いていけたらいいなと思います。」

鈴木:
「久石さんの音楽、聴いていると僕はものすごく心がやすらぐんですよね。」

久石:
「本人はのたうちまわっているんですけどね(笑)。」

鈴木:
「(北野)武さんの映画を見ても、音楽と映像が離れないというか、音楽を聴くと映像が浮かぶんです。」

久石:
「それは、視覚と聴覚で考えていくと、聴覚の刺激の方が強いみたいですね。たとえば『ムーンリバー』だったら、曲を聴くとオードリー・ヘップバーンが窓際で歌っているシーンが浮かんでくる、というケースも多いんですよ。視覚と聴覚というのは、すごく面白いなと思います。」

~中略~

久石:
「音楽がどういうルートで脳に働きかけるのか。たとえば歌詞カードがあったとすると、いい歌詞だなと思うけど、そんなに泣けない。でもそれがメロディーにのっかたりすると、非常にエモーショナルなものを引き起こすじゃないですか。なぜ音楽がそうなのかは、メカニズムとしてはまだ分からない。それを解明できたら、人間の持っている何かが分かる。人間の感情を揺り起こすのに、音楽がどう作用するかというのは、永遠のテーマなんですよ。でも映画の世界観に音楽が与える影響はすごく大きいですよね。たとえばバレエで踊っているダンサーが、何も音がないところで手を急にぱっとふると、何だろうと思いますよね。それが音楽に合わせて動いたら何でもないんですよ。音楽はそのすごさもあるんだけど、本来ならもっとすごいことを流してしまうことも、必ずあるんです。本来ならここで集中すべきところを、ストーリーを平板にしてしまうという、悪いケースもあります。ハリウッドでも、「何でこんな付け方をしたんだ?」というのもありますね。たとえば、スピルバーグなんかが、これは大林さんが言っていたんですけど、音を消してスピルバーグがつないだ絵を見ると、余りよくないんですよ。シーンのつなぎがぎくしゃくしている。でもスピルバーグはやろうと思えば完璧にできるんですよ、すごいテクニックがあるから。なぜそういうことをしているかというと、そのところにジョン・ウィリアムズのオーケストラの音楽がガーンと流れるんですよ。それでつないじゃうんです。逆にきれいにつながった絵にあの太い音楽をつけると流れちゃうんですよ。音楽がガーンと行くから、シーンは少しごつごつのつなぎをした方が、見る側に衝撃が来る。そこまで計算して、わざと荒くつなぐ。音楽を信じている。だからスピルバーグは絶対ジョン・ウィリアムズとしかやらない。あれは正しいやり方です。だから僕らが音楽を頼まれて、監督さんが期待したものを出したら、もうだめですね。えっ、こういうふうにもなるんだな、となるように。監督は音楽のプロじゃないから、その人が想像した範囲内のものを出したら、それは予定調和でしかないから、何もそこからはドラマが生まれないんですよ。」

~中略~

久石:
「北野武監督はすごい人ですよね。僕はこの映画に一番ピッタリだと思う曲をメインテーマで書きます。それで副次的なサブテーマを書きます。聴いた武さんは、サブテーマを気に入ったりするんですよ。「監督、もっといいのありますから」と言っても、これなんですよ。なぜだろうと思うと、たいがいその場合、副次的テーマの方がシンプルなんですよね。それでそれをメインにすげ替える。映画の様相ががらっと変わるんですよ。その時に北野武という監督の嗅覚、感覚のすごさ、いまという時代に生きている彼が選ぶ、いいなと思うものというのが、一番ポップなんですよね。大衆との接点では大体あたるんですよ。テレビで大衆を目の当たりに日々闘っている、武さんの嗅覚というのは鋭いですね。僕らはこもって作っているから、どうしても頭で作ってしまいます。その分ステージは高いかもしれないけど、一般とのつなぎの部分で弱い時がよくあるんですよ。その時に武さんはぽーんとそれを見抜く。その能力はすごいですよね。『菊次郎の夏』でも、非常にシンプルなピアノの曲を書いたんですけど、武さんもすごく気に入って、結果的に非常にいい感じの分かりやすい音楽が主体になった。武さんも弾きたいっておっしゃったから、譜面を書いて送ったら、もう弾けるよって言ってましたけど。いまでも最低1日1時間はピアノを練習しているとか。秋の僕のコンサートの時に弾くって言ってますよ。3回くらい言ったから、本気なのかもしれない。」

ー曲が浮かぶ時って、どういう感じなんでしょう。

久石:
「楽器の音の時もありますけど、フレーズだったり、音の輪郭、図形的なものというのも結構多いですよ。この映画はメタルのような鋭いもの、とがっているものとか、あるいは非常になだらかなもの、そういう音楽がたぶん合う。そういうのはすごくあります。音の図形みたいな感じて考えるケースもすごく多いです。そうか、これでいけるんだ、と思ったときは、結構核になるので、そのまま突き進んでいくケースも多いです。最初に、CMでも映画でも、こういう世界観、という感じが浮かぶと、スタートラインについたこれでいける、となりますね。最初からメロディーが浮かぶときもあるし、それはケース・バイ・ケースですよね。」

-いきなり頭の中でオーケストラが鳴ることも。

久石:
「あります。『もののけ姫』の話が来た時は、宮崎さんと話している時にオーケストラの音ががんがん鳴っていたから、これはオーケストラだと。それから武さんの『HANA-BI』やるときは、その入口がちょっと見えなかった。それまでは割とミニマルミュージックをベースにした、感情を排した音楽でやっていたから、またそっちでいくのかな、でもそろそろ変えたい、と思っていたときに、飲み屋で一緒になって「久石さん、やっぱりアコースティックでいきたいんだよね。きれいな弦が流れてさ。暴力シーンもあるんだけど、関係なくきれいな音楽が流れて……」と言ったときに、ぱーんと世界が見えて、それからは迷いなく行けましたけどね。世界観が見えるまでは苦しみますね。」

-『菊次郎の夏』は?

久石:
「これが困ったんですよ。監督に聞いたんですけど「いままでうまく行ってるからいいんじゃない」それだけで終わってしまった。でも爽やかなピアノ曲というイメージはお持ちだったし、それは分かるなと。エモーショナルと言うよりは少年が主人公だし、ピアノ曲なんだけどリズムがあり、という感じで作ったんですけどね。あの映画で困ったのはギャグが満載なので、どうするんだと、実はちょっと思っていたんですよ。そうしたら武さんは大胆なことをおやりになった。「大ギャクをやっているところに悲しい音楽を流してみたら」って言って。大丈夫ですかね、と言って、長めに流したんですよ。そうしたら面白かったのは、それまでは、やってるやってる、というギャグが、全部悲しく見えるんですよ。「ああ武さん、これをやりたかったんだ!」と思って。菊次郎とか少年の持っている悲しみみたいなものが、画面が明るいだけにどんどん出て来ちゃって。あの時に「この映画、やった!」と音楽的にも思いましたね。あの辺を計算していたとしたら、北野さんはすごい人だと思います。普通に笑いを取るために笑いを取る音楽を付けたら自殺行為ですよね。人を好きだという時に、「好きだ」という台詞を書いたらバカ臭いじゃないですか。その時に「お前なんか嫌いだ」と書いた方が、そいつは好きかもしれないというのがあるじゃない。音楽もそういうのがあって、予定調和でこういうシーンだから、こういう音楽流せばと流してしまったら、コンクリートで固めたみたいで、そこから何も立ち上ってこない。ものを作るってそのくらい面白いものだと、最近思います。小説でも、「この主人公、こう動くな」と思っていて、その通りに動いたら、引きますよね。それがこちらの想像を超えていってくれるから引き込まれる。」

鈴木:
「創造するとき、どこかにスリルがないと、作ってて面白くないですよね。」

 

(初出:雑誌「ダカーポ 422号 1999.6.2号」/書籍「鈴木光司対談集 天才たちのDNA―才能の謎に迫る」 より)

 

 

Blog. 「ゾラ ZOLA 1998年2月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/01/17

雑誌「ゾラ ZOLA 1998年2月号」に収められた久石譲インタビューです。当時は、映画「HANA-BI」が日本だけでなく世界中を席巻した時期です。

 

 

「北野映画に限らず『沈黙』をつくることも、音楽監督の仕事です」

第54回ベネツィア国際映画祭で、映画『HANA-BI』が金獅子賞(グランプリ)を獲得したニュースは、97年中でも一・二を争うほどの心から喜べる出来事のひとつだった。この快挙は、どこか異端児扱いだった”映画監督 北野武”だけでなく、彼の映画に欠かせない協力者としての”音楽監督 久石譲”の存在感を世界の内外にアピールしたのではないだろうか?

実際、たびたびテレビでも流れた映画祭会場での映像で、北野監督の傍らに付き添う久石譲の姿を目に焼き付けた方も多いだろう。映画の評判が現地で高まるにつれ、会場での彼への取材が殺到し、日本では尋ねられないような、鋭い質問に驚いたという。

「『日本的な音楽ですね』って言われると思ってたら、『とてもイタリア的ですね』という感想を突きつけられた。だから『僕にはイタリア人の血が流れてるんです』と答えると、横で北野監督は呆れたって顔してる(笑)」

音楽監督の存在は、日本の映画界では影に隠れがちだ。しかし、20世紀が生んだ「総合芸術」としての映画の中では、映像・演技・脚本に負けず劣らず、「音の設計」が重要な役割を果たす。だからこそ、北野作品および大ヒットした『もののけ姫』をはじめとする宮崎駿作品での、久石音楽の多大な貢献ぶりがもっと注目され、正当に評価されてもいいと思う。

「映画音楽は映像と対等であるべきだと思うんです。単に絵をなぞるような、付属品にしたくない。中には、あらかじめ監督に『どんな感じがいいですか』って、お伺いをたてる人がいるけれど、僕は絶対にやらない。音楽に関しては監督から、対等なくらい任されてますから」

ある事件をきっかけに警察を辞めた主人公と不治の病に侵された妻が二人きりで出発する途方のない旅……。鮮烈な暴力描写を散りばめながらも、今までの北野作品にはない形で、東洋的な家族観そして死生観が浮かび上がる映画『HANA-BI』。どんなコンセプトに基づいて今回、久石音楽は作られたのだろうか?

「生のストリングスなどを使って、アコースティックな音に仕上げたいと考えたんです。きれいな音をつけてあげたい。かわりに暴力シーンには音楽はいらない。主人公と奥さんの関係、そして銃で撃たれて車椅子生活をおくっている主人公の同僚、その2つの関係を中心に音楽をつくっていこうと。全体的にあまりムーディーにならないようには心がけました。本当のメインテーマは最後の方に出てくる。音を抜くときいは思いっきり抜くことで次第に、後半に行くに従って情感が増してくるんです。この作品に限らず、沈黙をつくるのも、映画音楽の大事な仕事です」

 

誰がつくったか知らないけれど、何処かで聴いたことのある旋律

久石譲は音大生のころから現代音楽の作曲家として、活動を開始していた。当時、最も影響を受けたのがテリー・ライリーやスティーヴ・ライヒらによる、いわゆるミニマル・ミュージック。無駄な装飾を削ぎ落とし、音の反復を基調とするその手法は、どこか北野監督の映画づくりに似たところがあると、彼は以前語ったことがある。

「今でも根本的なところは継承していると思います。『省略』が最も重要な点、できるだけシンプルな形態を目指すこと。そしてもちろん、映画の中ではミニマルだけではやっていけないので、何か象徴的なメインテーマが必要になる。『風の谷のナウシカ』の時にメインテーマのためにオルガンを弾きたおした後でようやく『ああ、これはテリー・ライリー的だな』と気づかされることもありました」

映画音楽の世界でこれだけの実績を重ねた彼が、ふたたび現代音楽の世界に戻ることはあるのだろうか?

「現代音楽をやっていた当時、ふと隣をみると、ブライアン・イーノが『ミュージック・フォー・エアポート』をやっていたりだとか、むしろロック・フィールドにいた人たちの方が自由にミニマルを使いまわしてたりしていて、そっちの方が面白いや、と感じたんです。20代の後半のころに『(芸術)作品』をつくるのをやめました。『作品』を残すことよりも、エンタテイメントのためにポップス・フィールドへと移る決意をしたんです。作曲家として名前を残すことよりも、誰が作ったか知らないけれど、このメロディーは何処かで聴いたことがある、というような『無名性』の方がよほど大事だと考えています──名前よりも音楽を覚えていてくれることこそが、ある意味、作曲家の理想でしょ?」

(ゾラ ZOLA 1998年2月号 より)

 

 

Info. 2018/04/25 久石譲旧譜7タイトル一挙初アナログ化!不朽の名盤を重量盤LP発売決定!

久石譲が国内外で大ヒットを記録した旧譜7タイトルを初のLP化!全作品重量盤、完全生産限定盤としてリリースします。アナログプレーヤーから奏でられる久石譲の音色に酔いしれてみてはいかがだろうか。

(メーカーインフォメーションより) “Info. 2018/04/25 久石譲旧譜7タイトル一挙初アナログ化!不朽の名盤を重量盤LP発売決定!” の続きを読む

Blog. 「CDジャーナル 1991年4月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/01/15

音楽雑誌「CDジャーナル 1991年4月号」に収められた久石譲インタビューです。

この頃の作品というと、ソロアルバム「I am」、映画「タスマニア物語」や映画「仔鹿物語」などがあります。映画音楽論としても興味深く、当時の映画音楽のポジションと久石譲の揺るがない芯を見ることができる貴重な内容です。

「映画音楽というのはとてもプライドのある仕事」「交響曲のフルスコアを書けるくらいのクラシックの素養と、同時にチャートにヒット曲を送り込めるだけのポップス性の両方を持っていないと本来できない」など、「自分に忠実に一所懸命書いたら、同じタイプになっていいと思うんですよ。オリジナリティっていうのは、そういうものでいいんですね」「メロディをいくつか作っておいた方が楽なんです。メロディが一個だと、ものすごく、緻密に作らないと持たないし、本格的にそういう作り方をしようと思ったら、時間とお金が膨大に必要なんですよ」などなど。ぜひ前後の文脈もかみしめながら理解を深めたい、とっておきの内容になっています。

 

 

日本のポップスを創る人たち 最終回

日本の映画音楽とポップシーンに大いなる刺激を与える男 久石譲

映画音楽はとてもプライドのある仕事だ

アメリカにおける映画とポップ・ミュージックの関係は、レコード会社の中に映画会社の関連会社がかなりあることからもうかがえるように、伝統的にも非常に密接なものがある。しかし、日本のポップ・シーンに映画音楽が占めるポジションは、アメリカとは比較にならないほど小さい。それは、わが国のポップ・ミュージック史の欠落部分とさえ言えるのではないかと思うくらいだ。

そんな状況の中で、存在感のある日本の映画音楽を作りだしている数少ない作家のひとりが久石譲だ。自らのピアノとストリングスだけで彼のメロディアスな音楽性のエッセンスを描き出した新しいソロ・アルバム『アイ・アム』にも、昨年公開された「タスマニア物語」や今年公開される「仔鹿物語」のメイン・テーマのメロディも収められており、彼の活動の中で映画音楽のポジションが、けして小さくはないことが感じられる。

「『風の谷のナウシカ』の音楽を手掛けるまでは自分がメロディ作家とは思ってなかったんですよ。それまで、日本人が映画音楽をやると、ヘンリー・マンシーニ風だったりジョン・ウィリアムズ風だったり、必ずナニナニ風だったんですが、『ナウシカ』の音楽にはナニナニ風というのがなかったんです。それは、後で人に言われて気がついたんで、狙ってやったことじゃないんですけど、結果的にオリジナルなメロディを作ることができた。その後も、宮崎駿さんの作品とか『Wの悲劇』などで、自分に素直に音楽を書いていくうちに、いつの間にかみんなが久石メロディと言うようになって、自分はメロディ・メーカーだったということを気づかせてくれた。それは映画の仕事をやらなかったら気がつかなかったと思うんですね。」

ともあれ多くのリスナーにとっても、久石譲の登場が日本の映画音楽に初めて関心を持つきっかけとなったことは間違いないだろう。しかし、それは逆に言えば、日本の映画音楽の地位が非常に低いままに置かれてきたということの裏返しでもあるだろうと思う。

「ぼくは映画音楽というのはとてもプライドのある仕事だと思うんです。だけど、日本の映画音楽は劇伴ですよね、はっきり言えば。テレビの2時間ドラマとどこが違うんだ、みたいな映画音楽が多すぎます。それは映画自体もそうですね。映画音楽というジャンルは、交響曲のフルスコアを書けるくらいのクラシックの素養と、同時にチャートにヒット曲を送り込めるだけのポップス性の両方を持っていないと、本来できないと思うんです。ところが日本映画の場合は、現代音楽の作家が手がけるか、そうでなければコードネームでしか音楽ができない人が書いちゃったりとか。バランスが悪すぎるんです。その両方を持ちながらキチンとした作品として仕上げられているものが、あまりに少ないと思うんです。」

それが、日本の映画音楽がポップ・シーンから縁遠いものになっている大きな理由でもある。しかし、ある意味でハリウッドをお手本にしてきたハズの日本映画界が、映画音楽をここまでおろそかにしてしまったというのも、ちょっと不思議な気はする。

「日本映画はヨーロッパの真似をし過ぎたと思う。本当にアメリカ映画主流にしていれば、もっとエンターテイメントが重要視されるハズだけれど、もっとプライベートな、もともとお金がなくて作っているようなヨーロッパ映画を変形させたATGみたいな形で発達しちゃったために、監督個人の青春記みたいなところで作る映画が多すぎたと思うんですよ。ぼくは、本来、映画のまん中に置かれるのは、ありとあらゆる人が楽しめるエンターテイメントだと思うんです。その一方で、映画が追求すべき芸術性をちゃんと表現する作品もあるというふうに、ちゃんとしたピラミッドを作らなきゃいけない。でも、日本では、それが出来なかったために、映画音楽家も育たなかったと思いますよ」

 

一本の映画にはひとつのメロディしかない

という自覚のもとに、久石譲は映画音楽に取り組んでいる。では、彼がその作品を作る時には、どんなことを考えているのだろう。

「ぼくにとっては、映画は台本なんです。台本を読んだところで仕事のかなりの部分は終わり。というのは、映画っていうのは、非常に論理的なものだと思うんです。この映画を通じて何を言いたいのか、という論理的なところから構成を作っていくものですよね。だから、シリアスな問題を扱っている映画だとすれば、ラブ・シーンでも甘い音楽は流さない方がいいとか、音楽の使い方でシーンをより効果的に表現できる。そういうふうに組み立てていくのが映画音楽です。ぼくは映画音楽の仕事は音楽監督として受けてますから、必ず映像と対等の立場で発言するようにしています。それが映画に臨む姿勢ですね」

「単に映画に音楽を提供するということではなく、少なくとも、自分の作品でもあるという意識は持つようにしています。もちろん、最終的には監督の世界です。でも、大林宣彦さんのような方は別ですけど、たいていの監督は音楽に対しては素人で、イメージは持っているけど、どう言葉で表現していいかわからない場合が多いんです。ですから、その人になり替わって自分がやるんだ。ということは考えますね」

「作品によってあえて違うものを書こうという考えはないんです。前の作品に似ていようと、その映画に合っていると思った自分の正しいメロディを正しい形で書くということに徹したんですよ。ジョン・ウィリアムズも、けっこう何を書いても同じでしょ。すごい技量があって何でもやれるハズの彼が、何故ワンパターンと言われながらもやっているのか。自分に忠実に一所懸命書いたら、同じタイプになっていいと思うんですよ。オリジナリティっていうのは、そういうものでいいんですね」

「去年『タスマニア物語』をやった時に、一本の映画にはひとつのメロディしかないというのが正しいということにしたんです。たとえば、『ティファニーで朝食を』という映画には、当然いくつもの音楽が使われていたわけですけど、結局『ムーンリバー』しかないですよね。だったら、メインテーマですべてを押さえなければいけないということにして、それに徹したんです。実は、メロディをいくつか作っておいた方が楽なんです。メロディが一個だと、ものすごく、緻密に作らないと持たないし、本格的にそういう作り方をしようと思ったら、時間とお金が膨大に必要なんですよ。『タスマニア』ではじめてそれが出来たんです」

「だからプレッシャーもすごくあります。そこまで言いきって、予算も用意させて”なに、このくらいの音楽?”って言われたら、その瞬間が自分の終わりですから、そのためにはこちらも命をかけなきゃいけない」

 

アーティストとしてのポジションをキチンと確立したい

いい作品を作ろうとするのはアーティストとして当然のことだが、久石譲は同時にポピュラリティ、ポップス性を非常に重要視している作家だ。そして、興味深かったのは、彼が久石譲というブランド・イメージを本気で売りだそうとしていることだった。

「先日、自分のコンサートをやってみて気づいたんです。これだけたくさんの人が待っていてくれて、感動してくれた。だから今後も、『アイ・アム』というアルバムからの流れをも大切にして、自分のアーティストとしてのポジションをキチンと確立した上で、それを映画に返していくという作業をすることが、自分がやるべき仕事じゃないかなと思っているんです。そうやって映画音楽の土壌をなんとか引き上げること、それから日本のポップス・シーンを、もう少し大人の音楽をキチンと聴けるようにすること。それが僕が戦わなきゃいけないことだという気が、すごくするんですよ」

客観的に見れば、現在の日本の映画界では彼の存在は特例に過ぎないだろうとも思う。しかし”やっぱりポップスは売れなきゃ正義じゃないと思うんです”という久石譲の覚悟が、日本の映画音楽およびポップ・シーンに大いなる刺激を与えることを、彼の音楽のファンとして、僕は期待しているのだ。

(CDジャーナル 1991年4月号 より)

 

 

Overtone.第15回 「人生は単なる空騒ぎ -言葉の魔法-/鈴木敏夫 著」を読む

Posted on 2018/01/12

ふらいすとーんです。

スタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫さんの著書はたくさんあります。内容もおもしろい、語り口も独特で味がある、なにより学ぶことが多い、頭と心のストレッチ体操で読後ほぐれる心地いい感覚。

「人生は単なる空騒ぎ -言葉の魔法」(2017年12月28日刊)、鈴木敏夫プロデューサーの手書きの「書」をまとめたもので、格言からジブリ映画コピー・イラスト・絵まで、手書きと言葉のもつ力強さやメッセージを込めた大型本です。

ひと言で言えば、個展にある図録のような装い佇まい(実際個展も開催しているはず)。それほどに見事な「書」であることはもちろん、過去から現在まであらゆる「書」が収められています。言葉を選ぶこと、その言葉にどんな想いをのせて表現するのか。ゆっくり眺めるとほんとうに奥が深い世界だなあと思います。そしてさすがエンターテインメント、見ているだけでもおもしろいのが鈴木敏夫プロデューサーの個性溢れる「書」。

中身をお見せできないのが残念ですが、ぜひ書店で見かけたら手にとってみてください。

 

 

今回は目次をなぞりながら、その章で印象に残ったことを個人の備忘録よろしく記していきます。いつかどこかで、なにかつながるときがくる、そう思っています。

 

【目次】

はじめに

1 読む話す好きな言葉

 

本のタイトルにもなっている「人生は単なる空騒ぎ。意味など何ひとつない。」、もとになっているのは映画のセリフだそうです。鈴木プロデューサーのコメントに「もともと人生に意味はない。だったら意味を付ければいい。自分の人生は自分で決められる。」と補足がありその真意がわかりやすく伝わった気がします。

 

この章で強く印象に残った文章を一部抜粋させてもらいます。

言葉を集める

「人間が何かを考え、論理を組み立てるとき、その単位となるのは言葉です。おもしろいのは、頭の中で考えるだけじゃなくて、声に出してみると、自分の考えがまた違う響きを持って聞こえること。それについて何度も考え、口にするうちに、気がつけばその言葉に支配されている自分がいる。不思議なものです。ぼくは学生時代から”言葉”が好きで、気にいった文章に出会うと、ノートに書き写すということをよくやっていました。とくに大学時代は本を読むときは必ず傍らにノートを置いていた。本に線を引っ張ったり書き込んだりはしないで、いいなと思った言葉はノートに書き写す。そうすると文章が自分の体に入ってきて、しっかり記憶に刻まれる。」(以後つづく)

 

 

2 映画を作るときに書いてきたこと

 

スタジオジブリ映画のこれまでのキャッチコピーや名セリフの数々が「書」で収められています。『バルス!』も1ページまるまる力強い筆で。文章頁では【映画を伝える/「生きる」というテーマ/監督の話を聞く】というプロデューサー論やその仕事が垣間見えるエピソード満載です。

ちなみに「ハウルの動く城」をはじめ、いくつかの映画タイトル(題字)も鈴木プロデューサーによるものであることは有名です。

 

この章で強く印象に残った文章を一部抜粋させてもらいます。

「お客さんに喜んでもらいたい──これに尽きます。映画作りって、ぼくはラーメン屋と同じだと思うんです。いろんなお店がありますけど、本当にいい店はやっぱりお客さんのことを考えている。間違っても、自己表現だとか、自分のこだわりに走っちゃいけない。いつも受け取る相手のことを考える。そうすれば迷わないし、こちらも楽しくなってくる。エンターテインメントってそういうものだと思います。」

 

 

3 自分のためではなく 他人のために

 

スタジオジブリ作品以外で依頼された「書」がまとめられています。「男鹿和雄展」や「24時間テレビ」、宮崎駿監督がいちばん褒めてくれたという絵、LINEスタンプのキャラクター絵一覧まで。

 

NHKでTV放送された「終わらない人 宮崎駿」、この番組題字もそうだったんですね。本にはその原書が収められています。

 

そして久石譲パリ公演の題字、鈴木プロデューサーのメッセージも。観客に配られたパンフレットや会場特設巨大パネル、ステージ巨大スクリーンにと、海外ファン新鮮インパクト絶大!

「英文の題字は大文字と小文字が交じったアルファベットに苦労した。何枚も書いた」というエピソードが語られていました。原書はご紹介できないのでコンサートで使われたものを。日本発信のスタジオジブリ映画・スタジオジブリ音楽。コンサートに華を添える筆文字のおもてなし。

 

Info. 2017/06/11 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート Music from スタジオジブリ宮崎アニメ」(パリ) プログラム 【6/12 Update!!】 より)

 

 

4 分からないことはそのままで

 

鈴木プロデューサーの生い立ちや少年期の作品まで。よくここまで状態よく保管されているなあと感心したわけです。作ったもの(作品)を大切にするという職人気質が、小さい頃からすでにあったのかもしれないと思わずにはいられません。学生時代の「分からないことはそのままにしておく」というエピソードも学びの種をもらい、アニメージュ編集者時代のマニュアル一覧表もすごかった。言葉の表記や校正のルールがまとめられています。まちがえやすい送り仮名・漢字・仮名づかい、数字表現(漢数字/算用数字)ルール、カッコ類の使い方、などなど。学校では教えてくれない?!ような実用性の高いものばかりで、食い入るように見ていました。文章を書く機会の多い人、文章を書くことが好きな人は、見て損はない「おっ、こいつの文章は一応の教養はあるな」と思ってもらえる型がつまっています。

 

 

5 ジブリにまつわるエトセトラ

 

ジブリ映画の企画書、製作時期の作業工程表、宣伝計画表、選考段階のキャッチコピー、ポスターラフスケッチ、映画タイトルロゴ、CM用コンテなどなど。時に便せん用紙に、時に原稿用紙に、時に白紙にと、すべて鈴木プロデューサーの手書きのものが収められています。ジブリ映画本「ロマンアルバム」やジブリ美術館に展示されているような貴重な関連資料と言ったらわかりやすいかもしれません。

ユーモアあふれる筆跡やイラスト、デザインとしてもバランスいい優れた資料とも見れます。一方では絵に描いた餅にならない説得力と計算性をもった内容。このあたりのアート性と論理性が研ぎ澄まされた究極のバランス感覚が、鈴木プロデューサーの一流たる所以であり、一貫するエンターテインメント力なんだろうなあと感嘆しきりです。

 

 

6 書は体を現わす

おわりに

 

今さながら、本著至極の「書」にどんな言葉があるのか、どんな筆で表現されているのか、その言葉へのコメントは紹介できていませんが、それは本を開いてのお楽しみということで。

僕は常々、数々の言葉たちは、鈴木プロデューサーから生まれた言葉だと思っていたのですが、そうではないんですね。先人たちの格言をそのままだったり、鈴木プロデューサーのフィルターを通って言葉が少し変換されていたりと。もちろん日常のやりとりのなかで生まれた言葉もたくさんあります。

日本語、英語、韓国や台湾で開催されるジブリ展示会のための各国語題字。鈴木プロデューサーの「書」は書道の精神を現わすというよりも、全体のデザインが巧みで文字のアクセントやバランスの妙を感じます。絵がうまいことも要因でしょうし、エンターテインメント性のあるデッサンや動き出しそうな字たち。精神よりも生身、生きた字を感じるのかもしれません。

 

この章で強く印象に残った文章を一部抜粋させてもらいます。

創作と制約

「昔の芸術家は、発注者の注文に応じで作品を作っていました。ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、みんなそうです。そういう意味でいえば、プロデューサーとしてのぼくは発注者にあたります。実際に作品を作るのは、監督である高畑勲や宮崎駿です。発注者としての経験から思うのは、作る人が自由に好きなものを作ると、なかなかいい作品ができないということです。むしろ、ある制約をかけられて、それを克服しながら作ると、いいものができる。」(以後つづく)

昨日の自分は、過去の遺人

「ぼくは昔から過去のことに興味がありません。雑誌も映画も、作り終わったあとはもう過去のこと。見返すことはないし、まわりの人から「あのときこんなことがあった」と言われても、よく覚えていないことが多い。今回、こうして自分が過去に書いたものを並べてみても、「へえ、こんなものを書いていたんだ」と他人事のように見ている自分がいる。ぼくにとっては、昨日の自分はもう他人なんです。~略~ 過去の出来事は思い出せても、そのときの感情は思い出せない。過去の自分は叩いてもつねっても、痛くも痒くもない。つまり、もはや歴史上の人物と同じ。ぼくにとって、過去の自分とはそういう存在です。」

「ぼくが書に向かうのは、いま、ここに集中したいからなのかもしれません。じつをいえば、宮崎駿という人も、いつも、いま、ここの人です。」

 

 

久石さんファンとして。

僕は久石さんのファンでよかったなと強く思うことがあります。それは久石さんの周りにいる人たちからも多くのことを学ぶことができる。鈴木敏夫プロデューサー、高畑勲監督、宮崎駿監督、をはじめつながる方々の本やインタビューを読む機会にめぐまるからです。仕事論、プロ論、人生論、どれも一流です。突きつめてきた人たち、走りつづけてきた人たち、切り拓いてきた人たち、そこから生まれる具体的なエピソードや教訓、時に失敗談や笑い話。生き生きとしていて、羨ましくもあり、希望や勇気をもらえる。「自分の今の壁なんてまだまだ!」とか「自分もこんな眺め(心境)を味わいたい!」と、先を照らしてくれる灯りのようです。半端なビジネス書を読んでふわっとした額ぶちオチなら、断然スタジオジブリ関連書籍をおすすめしますっ。

これらの人から語られる言葉・考え方は、長年付き合っている久石さんの耳にもきっと入っている。本からではなく直に接する会話やりとりのなかで。とすると、久石さんの血肉にもなっているかもしれない思考(少なくとも影響は受けているものはある)、そのおすそ分け知る学ぶことができる書籍はとても貴重でかけがえのないものです。

 

久石さんからでる言葉に「?」となったとき。なぜこの言葉?なぜこの言い回し?なぜ今?…

本からの鈴木プロデューサーの言葉を借りれば。「分からないものはそのままにしておく。──現在進行系で起きている事柄を捉えようとするとき、分かることと、分からないことが出てくる。もちろん分かろうと努力はするものの、全部は分からない。 ~略~  いまは分からなくても、いつか分かる日が来る。だから、そのまま大事にとっておこう。」

まさに、この心境そのままに記しました。

いつかどこかで、なにかつながるときがくる、そう思っています。

それではまた。

 

 

reverb.
書も収められいた言葉に「どうにもならんことは どうにもならん  どうにかなることは どうにかなる」、いい言葉だなあとからだの深くに染みこんでいきます♪

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Blog. 「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」久石譲出演 コメント内容 【1/9 Update!!】

Posted on 2017/01/04

「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」に出演した際のステージ上での久石譲インタビュー・コメント内容です。

 

NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO

[公演期間]  
2017/11/26 *公開収録

[公演回数]
1公演 (東京 NHKホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

[曲目] 
久石譲:Links
久石譲:One Summer’s Day
久石譲:Oriental Wind

 

[TV放送日時]
NHK WORLD
Part 4: January 2, 2018 8:10, 15:10, 22:10, 28:10 (Japan time)
NHK 総合
前半:2018年1月8日(月)午後10時50分~午前0時
後半:2018年1月9日(火)午前0時15分〜1時5分(月曜深夜)

[TV放送曲目]
-NHK WORLD- 
One Summer’s Day
Links

-NHK総合 前半-
One Summer’s Day

-NHK総合 後半-
Oriental Wind

 

 

久石譲:出演時コメント

「(パリ公演は)2日間で3回やったんですけども、最終公演はもう最初に登場しただけで全員立っちゃって。いきなりスタンディング・オベーションなんで、そのまま帰ろうかなと思った(笑)。」

「何回かパリでもやらせてもらってるんですけれども、今回は特にちょっと感慨深かったですね。スタッフも観客の皆さんも全員外国人だったんで。だからそれはまあなかなか楽しかったというか。」

「海外でやるときって全部そうですよね。日本人は一番まじめですから。それ以外は、事が起こると思ってかからないと厳しくないですか。」

「オリンピックというのはスポーツの祭典です。世界中の人が集まったり、オンエアされて世界中の人が見る。そうするとある意味では日本の文化といいますか、それも古いものだけではなくて、現在進行系のいろんな文化を発信しなきゃいけない場所だと思うんですね。」

「そういう意味では、こういう番組とかいろいろあることで、日本の文化を知ってもらう、進行形の文化を知ってもらう、その辺がとても大事だろうと思います。」

(NHK WORLD O.A. より 書き起こし)

 

 

Blog. 「キネマ旬報 1991年4月下旬号 No.1056」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/01/07

映画情報誌「キネマ旬報 1991年4月下旬号 No.1056」に掲載された久石譲インタビューです。

「特集 映画音楽 -日本映画音楽の担い手たち-」というコーナーで、佐藤勝のインタビューや他作曲家コメント集なども掲載されています。

 

 

特集 映画音楽 -日本映画音楽の担い手たち-

映画を構成する要素はさまざまあるが、その中で音楽もまた重要なパートであることは、今さらいうまでもない。日本の映画音楽界はこれまでにも早坂文雄氏、伊福部昭氏、佐藤勝氏、武満徹氏をはじめ、世界に誇る名匠を次々と送りだしていった。彼らの多くは現在も第一線で活躍中であり、新しい才能も確実に増えはじめてきている。さらには80年代ミュージック・ビデオの急成長、衛星放送の開始など、人々の興味が映像と音楽との融合へ向かっていることは疑いようのない事実である。しかるに、日本映画界の現状は?

これから本誌では、全ての映画音楽にこだわり続けていく。今回”日本映画音楽の担い手たち”は、その序章である。

・佐藤勝 いい映画がないといい映画音楽は成り立たない
・久石譲 新しいサウンドトラックの在り方を求めて
・作曲家コメント集
・音楽プロデューサーに聞く
・八木正生追悼 秋山邦晴

 

新しいサウンドトラックの在り方を求めて

久石譲

エンターテインメントが少なすぎる!

今度、NECアベニューから、今まであったレーベルの中に新シリーズ”サウンド・シアター・ライブラリー”を設けて、積極的に映画音楽のCDを出していこうと思っています。基本的に大きな柱が二つあって、一つは日本の良質な映画音楽を出していこうというもので、もう一つは、映画からイメージを受けた耳で聴くサウンドトラックみたいな形で、映像を抜いた新しいサウンド・シアターというか、そういう新しい試みが出来ればいいな、と考えているんです。もっと言えば、実際にサウンドトラックで作った曲ではなく、新たに歌で作り直したりという、そういったことも当然起こってくるでしょう。もちろんベーシックには映画というものを置いてありますけど、映像との関わり合いというか、そういった関係の中で起こり得る、これからのオーディオ・ヴィジュアル時代にあるべきいろんな試みが出来ればいいと思っています。

日本のサウンドトラックというのは、今、最悪の状況になっています。映画の製作費だけでは映画音楽は作れない、それでレコード会社とタイアップで、例えば主題歌を出すからとか、サントラ盤を出すからという前提で、お金を出して貰って、両方でビジネスにしていたところが今まではあったんです。ところが、今はレコード会社自体がサウンドトラックに見切りをつけちゃって、興味がないと。それでレコード化される例も少なくなったんですね。

レコード会社はあくまで主題歌を誰に歌わせるということで、ついでにサントラ盤を出すという姿勢だった。従って、彼らはサウンドトラック自体に興味があるわけではない。主題歌に興味があるんですよ。だからその感覚で作ってくる、あくまでシングル・ヒット狙いの主題歌と、映画の内容とが毎回ぐちゃぐちゃに対立してしまうわけ。僕は監督と一緒に映画をやっているし、ヒット・ソングも作るから、両方の接点が見い出せる。それで僕は映画を全部見渡せる立場として、音楽監督を引き受けるケースが多いんです。

日本の映画音楽が悪くなった理由は三つ。一つは予算が少ない、一つは日数がない、もう一つはいい作曲家がいなかった。この最後の、いい作曲家がいないというのは非常に難しい意味があって、エンターテインメント出来る作曲家がいなかったということです。日本にもいい作曲家の方はいらっしゃるわけですけど、映画を一つのアートとして捉えたところでのワークが凄く多かった。佐藤勝先生などはエンターテインメントをよく知ってらっしゃる方ですけど、日本ではエンターテインメント映画として成り立つ分野がとても少なかった。それも大きな理由だと思います。映画音楽の厳しい点は、クラシック音楽の教養とポップスの最先端の両方の感覚を持っていないと、実は書けないということ。その両方を持っている方は、想像以上に少ないんです。いい音楽家の方は大勢いたんだけれど、映画音楽に最適の人が少なかった。映画音楽は裏方でいいと思うけど、一方で音楽の主張もあるエンターテインメント映画が中心になって、片方に芸術映画、もう片方に別の映画があるというような構造が一番いいわけ。それが日本にはなさすぎた。みんなが入りこめるいいメロディがなさすぎた。

僕はたまたま宮崎駿さんという素晴らしい監督と知り合えて、四作やっていますけど、それがたまたまアニメだったために特殊な世界に閉じこめられていることに腹が立ちます。例えば、僕は宮崎さんが日本アカデミー賞で作品賞を取れないのはおかしいと思う。アニメという偏見が日本映画をダメにした。そういうことの裏で、僕が一所懸命やった仕事が全部帳消しにされてしまう。僕と宮崎さんがやった仕事のアルバムは、既に売り上げが100万枚以上超えているわけ。それを聴いたファン層があり、やがて親になって子供をコンサートに連れてくる。これは非常に健全な図式です。こういう映画が実写にないことを本当は恥ずべきことなのに。

 

もっと音楽を身近なものに!

みなさん映画音楽の現状を知らなさすぎる。好きなんだけど、知らないから変に口出ししてはいけないと思ったり、知らない自分が恥ずかしいんじゃないかと敬遠する人が多すぎて、音楽家だけがガラス張りに取って置かれたような現状がありすぎた。僕が”気分はJOE JOE”のエッセイを引き受けた理由も、裸の自分を全部出すことによって、いろんな、音楽家の日常や考え方を見せていくことによって、音楽家を身近に感じてほしかったからです。単に映画だけ作っていたらいえないことや、僕が考える映画のことも体系だててはいえないけど、エッセイ風に綴りながら、みんなに音楽が身近になって貰えれば、今度は自分達が音楽にこうしてほしいとか、こういうのはどう、といえる。今はそういうレベルにも達していないんです。スタッフにしても、キャメラマンの人でも、音楽が好きな人は大勢います。監督さんも好きな人が多い。でも、なんか自分は知らないからと気遅れしちゃって、もう一歩立ち入れない状態で映画をやってきちゃったケースが非常に多いんです。これを何とかしたかった。もっと音楽は身近にならなければいけない。そういったことが、今回の”サウンド・シアター・ライブラリー”にもつながってくるんです。

”サウンド・シアター・ライブラリー”の大きな特徴は、CDに脚本が全部ついてくることです。それによって自分達が映画に対して音との関係とか、映像があるために納得してしまうようなことを、見ないために、脚本を読んで音を聴いてイメージを喚起できることもあるし、その方がよほどイマジネーション豊かなわけ。とりあえず3月21日に「仔鹿物語」を出し、同時に大林宣彦監督自身が歌っている「ふたり」のシングルを、4月にそのサウンドトラックを出す予定です。このシリーズで大事なことは、単発で出してもあまり見向いてもらいないことを、こういったシリーズにして形にすることによって注目してもらうことであり、映画音楽にスポットを当てるという意味では非常に効果的なんです。今回脚本の中に音楽が入る箇所は示さなかったんですが、何かの作品ではやると思います。ただ、専門家用の企画になると困るので、もっと一般の人に楽しめるように、あまり細かい視点までは入れないつもりです。やはりこれ自体、エンターテインメントでありたいものですよね。

今年、各社の映画の中でもよほどのものでないとCD化されないでしょうから、いい作品があって、これを出したいというのがあれば、こちらも検討してどんどん出したいと思っています。この前調べたら、ニーノ・ロータのアルバムもあまりレコード化されてないんです。あれだけたくさんの名曲を残しておきながら、悲しいことですね。ですから、ニーノ・ロータの全集も出したらいいじゃないかと。佐藤先生や武満徹さんの仕事もどんどん形になってほしい。今の状況だと、映画音楽の価値観みたいなものが復権できないんですよ。僕はいい監督と巡り会えて、みなさんに教わったことも凄く多かった。だから、恩返しの意味でも僕がこういうシリーズをやって、映画音楽を活性化させることを少しでもやっていきたい。イコール、キネ旬のような立場はなおさら重要ですよ。キネ旬だからこそ、そういうことに使命感があると思うから、キネ旬で映画音楽賞をぜひ作ってほしいですね。そうすれば変わるかもしれませんよ。僕らは映画と同じように音楽が好きでしょう。その二つがドッキングしている映画音楽なんて、実は最も興味がある分野なはずなんですよ。でも、キネ旬に音楽賞がないというのは、日本を象徴しているね。

(「キネマ旬報 1991年4月下旬号 No.1056」より)

 

 

Blog. 「新潮45 2012年6月号」久石譲×養老孟司 対談内容

Posted on 2018/01/06

雑誌「新潮45 2012年6月号」に掲載された久石譲×養老孟司 対談内容です。「耳で考える」(2009年刊行)でも豊かな対談は読み応え満点でした。今回も貴重なやりとりがたくさんでてきます。12ページにも及ぶロング対話から抜粋してご紹介します。

 

 

特別対談

目と耳と脳のあいだ
久石譲(作曲家・指揮者・ピアニスト)× 養老孟司(解剖学者)

なぜ、直感の方が正しいのか、現代人はきちんと考えない。音楽家と解剖学者のスリリングで豊穣な対話。

 

二重に測れないものの危険さ

久石:
すごくいい天気ですね。

養老:
箱根にしばらくいると、曇りや雨の日もいいんです。あれ、この音はなんだ?

久石:
ずいぶん中途半端なサイレンの音ですね。

養老:
初めて聞きます。下の方で地震があったのかな…、ああ、山火事警報か。

久石:
いつも大地震を疑ってしまうので。大丈夫そうですね。お久しぶりです。

養老:
わざわざ遠くまで。

久石:
今日箱根湯本まで来る電車、平日なのに、ものすごく込んでいたんです。韓国と中国の旅行客が多かったですね。

養老:
それはよかった。去年は、箱根は、本当にがらがらだったんです。

久石:
わが家は世田谷なのですが、けっこう、中国人が土地を買いに来ているようです。窓から見ていると、集団で来てガヤガヤとやっています。3.11以降、全然来なくなって、最近復活したみたいで(笑)。

 

~中略~

 

養老:
だから、放射能はあやふやで危ないものなんです。測定方法がガイガーカウンターしかなくて、直感では絶対に分かりません。科学では、二重に測れないものは常に警戒しないといけないんです。全然別のやり方でもう一回測ることができないと、計器に異常があった場合はどうしようもない。いくつか違う原理の計器を使って測れれば確実なのですが、放射能ではなかなか難しい。人間の感覚で捉える方法がないので、誰かが嘘をついたらそれっきりでしょう。

久石:
第二の方法で検証できないものは、もともと危険なんですね。

 

~中略~

 

久石:
村上春樹さんの『1Q84』に、「説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんということだ」という一節があったのを思い出しました。

養老:
似た話かもしれません。科学をやっている人は、あまり人間の側の能力をチェックすることをしません。多くの科学者は自分が利口な者で、論理は確かなものだと思っています。だから、精密に測れば違いが出るだろうと考えがちですけど、ぱっと見てわからなきゃ、一生懸命見ても同じなんです(笑)。

久石:
音楽も同じですね。どんなに論理的によくできていても、聞いて、つまんないじゃん、と言われれば終わりです。

養老:
すべて抽象的になっていれば話は別ですけれども、物のかたちにも音楽もいったん頭の中に入りますから、感覚が関わってきます。

久石:
受け手側、感じる側の持っているアンテナをもっと信じていいんですね。

 

~中略~

 

視覚と聴覚

久石:
養老先生とは、何度か対談させていただいているのですが(『耳で考える』角川oneテーマ21)、テーマは視覚と聴覚の違いでした。視覚は空間、聴覚は時間の経過であるから、両方に入ってくる情報があまりに違いすぎて、その誤差を人間の中で一致させる「時空」という概念が必要になり、そこから「言葉」が発生するという話をされました。あの時、養老先生は、「ムソルグスキーの『展覧会の絵』というのはどうにも気に入らない(笑)。(音楽と絵画という)こんなに繋がりにくいものをなんで一緒にするんだ、どういう皮肉か」と仰っていました。

ところが、困ったことに、僕は知り合いからどうしてもと頼まれて、フェルメールの展覧会(「フェルメール 光の王国展」)に流す曲を書かざるを得なくなりました。

でも、フェルメールは、狭い自分のアトリエに籠もってほとんど同じ構図で左側から光が入ってくる光景を描いているだけだから密度が濃くて、音楽など入り込む余地が全くありません。オランダまで行って実物を見たけれど、全然やる気が起きない。断ろうとしたのですが、時間があったから、エッシャーを見に行ったんです。

エッシャーは版画ですし、時間も空間もパターン認識の形で抽象化されています。僕がやっているミニマル・ミュージックという音楽では、まず、エッシャーならば曲にできると思いました。そして、エッシャーとの比較対照からフェルメールに行けば曲ができるのではないかと考えて、無理矢理「フェルメール&エッシャー」とくっつけたんです。

結果的に、なんとか完成したのですが、なぜできたのか、すごく考えたんです。やはり目で見た情報をそのまま音楽にすることはできないんです。ところが、一度、絵画を言葉に置き換えると、自分自身も言葉で考えているわけですが、音楽にすることが可能だったんです。言葉というクッションを介入させた瞬間に、可能になったんですね。

養老:
その通りでしょう。言葉ではなくて数でもいいんです。数が一番典型的に抽象化されたものですから、一回、抽象化すればいいのです。すると、目から脳の特定の部位に入り、他の部位と繋がっていきます。目と耳はいきなり繋がっていませんから、一遍、脳味噌に入らないといけません。

動物は、目から入るものと耳から入るものを別のものと思っているはずです。脳の中で繋がないまま、目は目、耳は耳で反応しているかもしれません。人間が耳と目を一番よく繋いだんです。

 

~中略~

 

久石:
先日、気仙沼に行ってピアノを弾いてきましたが、なかなか復興は進んでいないようです。

養老:
場所が場所で、東北は過疎で人口がどんどん減っていたわけですから、さらに減らすか、あえて増やすか、どちらを復興と呼ぶのかよく分からないんでしょう。神戸ならば大都市ですから、復興という言葉も単純になりますが。

久石:
東北は自然に返せということか。

養老:
怒られるかもしれませんが、復興と言って皆さん矛盾を感じないのかしら。そもそも青写真などない土地ですし。隈研吾という建築家が言っていましたけれど、いっそ地下都市にしてしまえばいいのかもしれません。津波でも大丈夫。いざという時は密閉できるようにすれば安全でしょう。冗談みたいですけれど、可能性はいろいろ考えなければ。昔、「核の冬」が真面目に議論されていた頃、みんな地下都市を考えていたんですから。

久石:
9.11の後のニューヨークは、もともと他人に関心を持たない街だったのに、すごく優しくなりました。今、福島や宮城に行くとみんな優しくて、前よりも共同体意識がすごく強くなっています。屋台村に行って焼鳥屋に入っても、ほかの店のおいしいものを分け合って、持ってきてくれたりするんです。

養老:
やはり、自分が生き延びたのはありがたいという意識があるんじゃないですか。戦争の時もそうですよ。戦後、人があれだけ元気だったのは、死んだ人には悪いけれど、俺は元気だよ、という気持ちがあったからです。どこかで、生き残って申し訳ない、という後ろめたさもあり、だから何かやらなくちゃ、という気も起きます。大事なことです。

 

反応しかしない人

久石:
音楽家はどうしても、音楽を作ればいい、という話に集約されます。でも、材料はドレミファソラシドに半音足しても十二しかなくて、後は高い低いがあるだけです。アラブ系など半音の半音の四分音がある音楽はありますが、基本を西洋音楽でやると、十二個しかない音を組みかえているだけです。身も蓋もない言い方だけれど、僕の世界が十二個しかないと考えると、本当に寂しいです(笑)。

養老:
まさにミニマル・ミュージック。

久石:
音楽に感動したとか、人生を表現した、とか言っていると、何かが胸に詰まるんです。そんな時、養老先生にお目にかかると、しゃきっとします。

養老:
世の中に顔を見たい人と見たくない人があるんです(笑)。十秒でもいいから会うといいことありそうな気がする人と、あいつに会ったら百年目、今日は家に帰って寝る、という人もいます。

久石:
養老先生に、ラジオの対談で最初にお目にかかった時、まず、いい音楽と悪い音楽はどう違いますか、と聞いたんです。すると、速攻で、「長く聞かれる音楽、生き残った音楽、それがいい音楽です。例えばモーツァルト」とお答えになった。こんなに明確に言う人は少ないです。

養老:
単なるミニマル・アンサーです(笑)。返事は、ぐずぐず言っても仕方がない。いきなり聞かれて細かい話などできないでしょう。

久石:
どちらもミニマル好きですね。

養老:
お互い基礎から考える点が共通しています。解剖学、あるいは分類学は学問の基本です。若い頃から、どちらも学というものではないと馬鹿にされてきましたし、子供の科学ではないか、と言われてきました。確かにあまり高級なものとは言えませんが、みんなやらなすぎます。原発事故など、ほとんどささいな原因で起こった子供の事故でしょう。発電機に電気が行かないし、周囲には山ほど水があるのに、ヘリコプターで水をかけて冷やしている。ほとんど悪い冗談です。

久石:
震災以来、価値観が完全におかしくなっていますね。だから、この一年、こんな状況で音楽は何をやれるのか、すごく悩みました。十二個の音をいじってどうなる、と即物的に考えれば、物を作ることなど意味がないでしょう。

養老:
昔からずっと気になっているんですが、反応しかしない人が増えてきましたね。メディアが発達したことも大きいかもしれませんが、モンスタークレーマーと呼ばれる人たちなどは典型で、自分の世界が、何か起こったせいでこうなった、という理屈だけになっています。自分から何々しようという発想がない。

久石:
行き詰まりですね。今時の歌が全然良くない理由は、たとえばラブソングを作る場合、人を好きだ、ということしか歌っていないんです。ラブソングを作るならば、二人の状況や季節感など、さまざまな風景に自分の気持ちを託した言葉が盛り込まれるから成り立つのに、今は直感的に、相手の気持ちも関係なく「君が好きだ」で止まってしまいます。ラブソングは相手と関係性を含む、基本的に二人称の歌なのに、全部、自分の思いだけに単純化されてしまっています。反応だけ、というお話と同じですね。

養老:
当たり前の話ですが、解剖は自分でやらなくては絶対に進まないものです。学生の時、臨床をやるか解剖をやるか、ずいぶん考えたんですが、臨床をやれば楽だな、と思ったんです。臨床は患者さんという問題が向こうから来てくれるから、それを解決していけばいい。ただ、その生き方は、安易だし自分のためにならない。基礎医学は自分で問題を考えて、答えも自分で出さなければならない、と若いから馬鹿なことを考えたんです。自分から行動することのない死体をずっと相手にしていると、だんだん禅の修行をやっているような気持ちになってきます。

久石:
死体に向き合っている時間は、結局、自分に向き合うしかありません。

養老:
そうなんです。若い頃は過敏なのでどうしても反応しているんです。それは精神的にも良くない。逆に、死体を見ていると落ち着きます。変な話、解剖は全部、いわゆる自己責任なんです。

久石:
人生観がまったく変わりますね。一番、生き方として変わったのは、どういうところですか?

養老:
解剖しかやっていないので、よく分からないのですが、とにかく、どんどん鈍くなりました。昔は、心理学など他人の内面を考えるのが好きだったんですが、どんどん考えなくなりました。

久石:
とてもいいことですね。今、人間の存在は人との関係性でしか考えられなくなっているでしょう。

養老:
フェイスブックみたいなものにあまり手を出さないのは、やりとりだから、どうしても反応が入ってくるからです。それより、全く無反応がいい(笑)。僕はもともと精神科に行こうと考えていたんですが、今思えば、ほとんど患者として行こうとしていたんですね。医者と思っている患者と、患者と思っていない患者が一緒になっている場所が精神病院。どこか神経質すぎるから、死体みたいなものでブレーキをかけないといけない、と自分で感じたんです。

 

歌は語れ、朗読は歌え

久石:
僕は、音楽をやっていてよかったかもしれません。否が応でも、さっき言った十二しかない音に向き合い、来る日も来る日も、とにかく昼から夜まで作っています。よく書けますね、と言われますが、日常にしているから書けるだけです。本当に名曲を一曲書こうと思ったら、一年やっても十年やっても一曲もできません。生活の中で作っているから、たまたま上手く行く時もあると考えないと、曲など絶対に書けません。クラシックや現代音楽の作曲家は、命題の立て方を間違うんです。「次はシンフォニー書くぞ」と言った人間は、だいたい書けなくなります。自分のすべてを投入した巨大な、ジス・イズ・俺みたいな曲を作らなければいけないというプレッシャーがかかる。僕も一楽章で止まったままです(笑)。

僕はもともと、現代音楽をやっていたんです。考え方でいえば、幹を作る音楽で、葉も花もない。音楽の可能性を追求するようなジャンルで、聞いても理解できません。論理と意識だけが行き過ぎるから、現代音楽の作曲家同士でコンサートすると、毎晩、討論会になってしまうんです。連合赤軍のつるし上げのような話になって、とても音楽やってるとは思えなかったんです。その時、イギリスのロキシーミュージックというロックグループのブライアン・イーノなどが、現代音楽の要素を取り入れて、同じ音を繰り返したりしながら、自由な音楽をやっていたので、僕も町中の音楽家でいいや、と思って前衛をやめたんです。

通常、ロックミュージシャンは体制に対する反対や何かをぶち壊すことが目的です。でも、体制がはっきりしている時にアンチはありますが、今はロックなど存在しません。ぶち壊すべき体制がないからです。ロックは、基本的に自立した音楽ではないんです。

養老:
戦後日本は、アンチが学生運動の主流でした。反体制、反何とか、僕はつくづく嫌だった(笑)。アンチも反応ですが、反ばかりやってもどうにもならない。アンチの奴は、体制が消えれば自分がすぐ体制側になってしまうんです。

久石:
歌のことですが、作詞と作曲は陣取りゲームみたいなものです。実は、今、校歌の作曲をやっていて、谷川俊太郎さんの詩がずいぶん前から来ているんですが、論理的な構造がきちんとできていてすごいんです。まず、文字数で五、七、七、五、八、五とか完全なリズムができているし、内容も意味も過去、現在、未来が一番から三番の歌詞でばしっと決まっています。本来、作曲家と作詞家が五分五分で行けるのが理想だけれど、詩だけで十分で、僕の音楽が出る幕がないんです。悔しいからがんばるつもりですが、谷川さんみたいな人と仕事をするのは良い意味で大変です。

養老:
曲つけないで、全員で朗読すればいい。これぞミニマル・ミュージック。

久石:
それ、いいな。確かに、どこにもない(笑)。ともあれ、歌というのは難しくて、極力、オペラや歌曲には手をつけないようにしているんです。単純に言うと、いい曲で、いい演奏者で、いい録音をすれば、いいCDはできます。けれど、歌の場合は、歌は変なメロディで声もしゃがれている、アレンジも最低なのに感動する場合があります。だから、こちらはまったく計算が成立しなくて、感覚だけで勝負しなければなりません。今は、感覚に命を賭けることはできないけれど、もう少ししたらやるかな。

養老:
若い頃、飲み屋でよく人の歌を聞いていたけれど、音程は外れているし、本当に下手だと思うのに、聞いている人が泣いている。歌は上手い下手いじゃないでしょう。あれは一種の語りなのかな。

久石:
歌は語れ、朗読は歌え、とよく言います。

養老:
歌には現場がありますから、どこで歌うかで全然違ってきます

久石:
そうですね。それと、喜怒哀楽をどう伝えるかはテンポが重要になってきます。怒っている場合はテンポが上がりますし、悲哀の場合はテンポがうんと落ちます。歓喜の歌を作りたい時はテンポを上げて、音程も大ざっぱに言うと飛躍させます。ところが、悲哀、レクイエムや祈りの歌を書く時は、あまり音程も跳躍せず、テンポも遅くして作ります。これは、人間が声で喜怒哀楽を表現する方法と、ほとんど同じです。ロボットに喜怒哀楽の調子を入力して朗読させれば、案外、きちんと感情を表現できます。

養老:
若い頃はよく考えていたのですが、歌は言葉と音楽の間に入って、どっちつかずの中間領域でしょう。詩も歌になれば言葉ではありません。視覚で言えば漫画です。文字でもないし絵でもない、一番面白い領域なんです。

久石:
去年の九月、マーラーのシンフォニーの五番を振らせてもらったんです。七十分ぐらいかかるんですが、もう徹夜で何ヶ月も分析したんです。マーラーは分からない人で、あるメロディと同時にカウンターメロディや他のメロディが、四つ巴ぐらいぐちゃぐちゃに来るんです。形式感もあまりなくたらたらしていて、自分が過去に聞いた軍楽隊の音楽なんかがちょこちょこ出てきたり、大学時代から本当に嫌でした。でも、あの時向き合っていて本質的に分かったのですが、マーラーは歌曲、歌の人なんです。いろんな楽器は歌手のように使われていて、ただ横に繋がっていて浮かんでくるものが書かれています。だから、全体の構造は全然分かりづらい。ただ、なぜあんなに重いのか、正体が摑めませんでした。

兄弟が十何人もいたけどほとんどが若いうちに亡くなったとか、奥さんとうまくいってないとか、悲劇は一杯抱えていますが、それだけであの重さは生まれません。ところが、最近、養老先生と内田樹さんの『逆立ち日本論』で書かれているフランクルの『夜と霧』の件を呼んでいた時、電流が走るように分かりました。マーラーのあの世界観は、ユダヤ人だからとしか言いようがない気がします。「神に選ばれた民」だという「選民意識」があの重さを生むんだな、としか。

養老:
ユダヤ人は、個人や歴史の大きな悲劇を背負っている状態を、あまり気にしない人たちですね。

久石:
いや、演奏前に読んでおけばよかったと、ものすごく悔しかったです(笑)。

養老:
まさに音楽を体感されているわけですね。普通の人は、頭で理解するものだと思っていますが、本当の理解は身体でするものです。指揮の身体の動かし方など、その典型でしょう。

久石:
音楽も身体性ですね。だから、ピアノが一番嫌です。指揮者は自分で音を出すわけではないですし、ある指向性をしっかり打ち出せば、優秀な演奏者たちがきちんと音を出してくれます。でも、ピアノは同じフレーズを何百回練習しても、本番では弾けないケースがあるんです。ピアノは頭を経由せずに手が動くところまで行かないと難しいんです。いかに避けようかっていう日々だけれど、弾かなければならないとなったら、人と話している時でも指を動かしています。

養老:
たぶん、寝ていてもピアノを弾いています。運動選手のスランプは、練習しすぎるところから来るんです。無意識のうちに身体を動かしているから、本当の意味で休んでなくて、疲れちゃうんですよ。

 

対立構造が人間を動かす

久石:
考えることは止められますか?

養老:
いや、数学者の脳など、どうなっているのかよく分かりません。頭脳がほとんど自動運転みたいに動いています。

久石:
寝ている間も、ですか?

養老:
動いています。寝ている間に問題が解けたという有名な例がいくつかあります。たいてい間違いなんだけど(笑)。

久石:
なぜか数学者や医学関係の方に音楽が好きな方がすごく多いでしょう。

養老:
情動との関係ですから、一番難しいところですよ。僕がいつも言う脳の話は、大脳皮質の問題ですから、繋がりは平面上に広がっています。でも、感情はその下の部分の領域が司り、繋がりが立体的です。音楽が感情の部分に直に行くことは間違いありません。

久石:
感情の問題は大きいです。昨夜、六月にドヴォルザークを振る予定が突然ブラームスの四番に変更になり、僕は大好きだから俄然やる気まんまんです。ブラームスは論理的なものと感覚的なもの、あるいは感情的なものが全く相容れないぐらいに並立している男なんです。頭の中ではベートーヴェン的な論理構造に憧れているのに、感性は完全にロマン主義の体質です。一人の中で激しいダイナミズムが起こり、矛盾したものがそのまま音楽に表れているからすごいんです。やはり、対立構造が人間を動かす原動力になっているんじゃないですか。

養老:
ニーチェの最初の著作『悲劇の誕生』は、ギリシャ悲劇は目と耳の二項対立から生まれる、ということだけ説明した本ですが、久石さんの話と同じですね。今、話を聞きながら、僕は自分の中で、何が対立しているんだろうと考えていましたが、これだけ長く生きてもはっきりしません。だから、あまりプロダクティブじゃないんでしょう。いつも適当に折り合っていますからね。

久石:
ユダヤ人の音楽家は大勢いますが、考えてみると、みなさんプロダクティブです。シェーンベルク、バーンスタイン、アシュケナージ…。『逆立ち日本論』によると、ユダヤ人は「『遅れていることを受け容れるのと引き替えに、イノベーションの可能性を手に入れる』ということを知った集団」だそうですが、あらかじめ対立構造が生まれるテーマが与えられた人たちみたいに見えます。

養老:
ユダヤ人の文化を調べること自体がプロダクティブな行為になります。山本七平さんや内田樹さんなど、ユダヤを専門にしている人からは、今まで日本にないような思考が出てきます。

久石:
ユダヤ人抜きの西洋音楽が成り立つかどうか、知りたくなります。

 

~中略~

 

日本人は互助会方式で

 

~中略~

 

久石:
日本人が海外でコンサートやイベントをやろうとする時、保険会社が最大の問題なんです。何が起こるか分からないから、どうしても保険が必要なのですが、日本の保険会社を通すのには異常に手続が多くて、時間がかかりすぎるんです。比較的緩いのがドイツ系らしいです。日本人が感じているより、世界の中で保険はものすごく重要なんです。

養老:
今日、テレビでやっていましたが、原発に保険をかけるとしたら七百兆円かかるそうです(笑)。無理ですよ。民間が引き受けられるはずもない。

日本は今、フリーメイソン、マフィア、華僑会型を採るか、アングロサクソンの保険型を採るかという、境目のところに来ていますね。保険会社だとオープンで行くわけですが、日本人に合っているのは、むしろユダヤ型のオープンではない共同体型の保障じゃないでしょうか。大震災が起こる前から言っていたんですが、日本にも互助会方式の、保険に代わる組織が必要ですね。

久石:
互助会方式、いいな。今、西欧型の保険がこの国では成り立たなくなっていますからね。僕は長野で育ちましたが、昔は、小さな町や村の中で、お互いの助け合いが色々ありました。今は、ほぼなくなっているでしょう。

養老:
それが子供の教育に一番出ちゃったんです。昔は、共同で子育てっていう感覚で、理屈じゃなく、よその子を平気で怒っていたんです。子供がそのまま大きくなって困るのは自分、という感覚だったんです。今は、人の子だから知ったことじゃないし、親の方も、関係ない人間がなぜうちの子を叱るんだという話です。

久石:
完全に関係性が切れています。そして、清潔に、清潔になりすぎていて、転んで痛い目に遭わないようにしています。無菌状態のまま、どんなことが危険なのか分からないまま大きくなると、この子たちをどう育てる気なんだろうという感じがしています。

(「新潮45 2012年6月号」より)

 

 

Blog. 2017年「久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋」アクセス・ランキング

Posted on 2018/01/05

2017年「久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋」年間アクセス・ランキングです。

2017年も精力的活動を展開した久石譲、近年その軸は多種多彩なコンサート。海外公演も充実し、コンサートから派生したCD作品やTV放送などますます話題に事欠かない一年でした。コンサートを追いかけ、最新情報を追いかけ、その合間に資料整理や横道それて想いしるし。1年間をバイオグラフィから振り返ってみましょう。

 

2017  

  • コンサート:「久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第3回定期演奏会」開催 C D 1 2 3 4 5 6 7
  • コンサート:「久石譲 オーケストラ・コンサート with 九州交響楽団」開催 C 1
  • コンサート:「THE WORLD OF JOE HISAISHI」(プラハ)ゲスト開催 C 1 2
  • コンサート:「久石譲 & ミッシャ・マイスキー」(台北)開催 C 1 2
  • コンサート:「久石譲 シンフォニック・コンサート 宮崎駿作品演奏会」(パリ)開催 C 1 2 3 4 5
  • コンサート:「アートメントNAGANO 2017」開催 1 2 3 4 5 6 7
  • コンサート:「善光寺・奉納コンサート」開催 C 1 2
  • コンサート:「久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第4回定期演奏会」開催 C 1 2 3
  • コンサート:「久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第5回定期演奏会」開催 C 1 2
  • コンサート:「W.D.O. 久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」ツアー開催 C 1 2 3
  • コンサート:「久石譲プレゼンツ ミュジック・フューチャー vol.4」開催 C D 1 2 3 4
  • コンサート:「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団特別演奏会」(三重)開催 C 1
  • コンサート:「久石譲 PREMIUM CONCERT 2017 in 仙台」開催 1 2
  • コンサート:「久石譲 ジルベスターコンサート 2017 in festival hall」開催 1
  • CD:ソロアルバム「Minima_Rhythm III  ミニマリズム 3」発売」 D
  • CD:ソロアルバム「久石譲 presents MUSIC FUTURE II」発売  D 1
  • CD:「家族はつらいよ 2 オリジナル・サウンドトラック」発売 D 
  • CD:「花戦さ オリジナル・サウンドトラック」発売 D
  • CD:「ベートーヴェン:交響曲第1番&第3番『英雄』」発売 D 1
  • 配信:「天音」/EXILE ATSUSHI & 久石譲 D
  • 映画:「たたら侍」(監督:錦織良成)※主題歌 「天音」/EXILE ATSUSHI & 久石譲 1 2
  • 映画:「家族はつらいよ 2」(監督:山田洋次) 1 2
  • 映画:「花戦さ」(監督:篠原哲雄) 1 2 3
  • 映画:「Our Time Will Come (明月几时有/明月幾時有)」(監督:アン・ホイ) D 1
  • TV:NHK WORLD「Direct Talk」出演 1 2
  • TV:NHK「NHKスペシャル ディープ オーシャン 第2集・第3集」音楽担当 D 1 2 3 4
  • TV:NHK「シリーズ ディープオーシャン 南極大潜航 幻の巨大イカと氷の楽園」音楽担当 D 1
  • TV:NHK「深海大スペシャル 驚異のモンスター大集合!」音楽担当 D 1
  • TV:NHK BSプレミアム「久石譲 in パリ「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会」放送 C 1 2 3 4
  • TV:スカパー!「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」放送 1
  • CM:東北電力「よりそう地域とともに篇」CM音楽 1
  • CM:ダンロップ「LE MANS V誕生篇/選べるダンロップ篇」CM音楽 D 1
  • CM:サントリー「サントリー緑茶 伊右衛門」「川下りの夏 編」「Oriental Wind」Newヴァージョン D 1
  • Topics:富山県ふるさとの歌「ふるさとの空」駅到着メロディー D 1 2
  • Topics:久石譲公式チャンネル開設 1
  • Topics:「平成29年度双葉郡中高生交流会 FUTABA 1DAY SUMMER SCHOOL」出演 1 2 3
  • Topisc:「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」出演 C 1 2

Biography 2010- より)

 

 

眺めるだけでもすごい量と質です。気になった項目は各リンクを紐解いてみてください。さて、このなかからどんな活動がランキングに。一年を象徴するトピックに定番の人気ページも。今年2018年もさらなる久石譲活動に期待して、点と点をつなげるサイトとなるよう追いかけていきます。

 

 

2017年アクセス・ランキング -総合-

TOP 1

Info. 2016-2017 羽生結弦フリーFS楽曲 久石譲「Hope & Legacy」 について 【10/2 Update!!】

2016年の話題ながらその勢いはとまらず。大晦日「ジルベスターコンサート2016」から夏ツアー「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」で、オリジナル楽曲「View of Silence」「Asian Dream Song」の2曲が久石譲ピアノ&弦楽合奏でプログラムされたことも象徴的でした。

 

TOP 2

Info. 2017/06/09,10 「久石譲 シンフォニック・コンサート Music from スタジオジブリ」(パリ) コンサート決定!!

「久石譲 in パリ」コンサート開催情報をキャッチしたのは2016年11月。ジブリコンサートというだけでも注目度は絶大でした。

 

TOP 3

Blog. 「かぐや姫の物語」 わらべ唄 / 天女の歌 / いのちの記憶 歌詞紹介

ファンサイト4年連続でのトップ3君臨。いつか映画「かぐや姫の物語」の音楽についていろいろな角度から記してみたいと思っています。

 

TOP 4

Info. 2017/03/20 「久石譲 オーケストラ・コンサート with 九州交響楽団」(宮崎) 開催決定!! 【3/10 Update!!】

国内外問わずその地域のオーケストラと初共演も多い一年でした。ツアーでは回れない土地でコンサートすることも、その土地で愛されるオーケストラと久石譲のコラボレーションも。足を運ぶ観客の期待と満足感はSNSなどでたくさん見ることができました。

 

TOP 5

Info. 2016/04/16 [CM] 三井ホームCM「TOP OF DESIGN」 久石譲音楽担当

本格的なミニマル音楽で話題となったCM音楽。他CM音楽やTV音楽でもミニマル・ミュージックを全面におしだした音楽を聴く機会がふえ。新しい楽曲がエンターテインメントメディアで流れるたびに「かっこいい」という声。こういった反応や言葉に芸術性×大衆性の新しい久石譲が凝縮されています。

 

TOP 6

Blog. 「ふたたび」「アシタカとサン」歌詞 久石譲 in 武道館 より

「W.D.O.2016」にてジブリ交響作品化第2弾「交響組曲 もののけ姫」が世界初演されたことも記憶に新しいところ。そして「久石譲 in パリ」公演での「ふたたび」歌唱。これからまたコンサートやCD/DVD化などで触れる機会に恵まれたい名曲たち。

 

TOP 7

Info. 2017/09/06 [TV] NHK BSプレミアム「久石譲 in パリ」放送決定!! 【9/4 Update!!】

コンサート開催から3ヶ月後早くもTV放送、待ち焦がれたファンのボルテージは最高潮、TV放送当日はファンサイトもアクセスが集中してしまいちょっとパンク状態に。素晴らしいコンサートプログラムと映像美・音響美に酔いしれました。

 

TOP 8

Info. 2017/12/31 「久石譲 ジルベスターコンサート 2017 in festival hall」開催決定!!

上位常連の「ジルベスターコンサート」インフォメーション。大晦日にスペシャルなコンサート、年間コンサートのなかでも関心の高さと恒例行事としての定着感があります。最高の音楽で一年を締めくくることができるのはチケットを手にした人に贈られる最高のご褒美です。

 

TOP 9

Info. 2017/06/11 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート Music from スタジオジブリ宮崎アニメ」(パリ) プログラム 【6/12 Update!!】

トップ10に「久石譲 in パリ」関連が3つも。なんだかパリな1年と錯覚してしまいそうでうれしいやらなにやら。今後の開催地は? これからもワールドツアー旋風を巻き起こす予感。

 

TOP 10

Info. 2017/Aug. Oct.「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2017」「ミュージック・フューチャーVol.4」コンサート開催決定!! 【7/10 Update!!】

2大コンサートとして近年大きな軸となっているコンサート。ツアーで都市をまわるW.D.O.は各会場で大盛況、海をわたって海外公演も大熱狂。久石譲の新作とジブリ交響作品シリーズが世界初演される場としても注目度が年々あがっています。そして現代の音楽を届けるコンサートも定着しながらますますどんどん濃く進化しています。

 

TOP 11

特集》 久石譲 「ナウシカ」から「かぐや姫」まで ジブリ全11作品 インタビュー まとめ -2014年版-

久石譲の音楽が作られる過程に興味をもってくれる人がふえとてもうれしいです。聴いて楽しむ音楽、知って楽しむ音楽、なにか新しい発見や新しい聴こえかたがする。そうやって日常の音楽が豊かになっていくなら、作曲家や演奏家だけでなく聴き手にも”いい音楽”を育てていくことができるのかもしれませんね。

 

TOP 12

SCORE

久石譲監修、オフィシャル・スコア、オリジナル・エディションの楽譜を紹介したページです。ピアノ譜、室内楽、オーケストラスコアなど。

 

TOP 13

Info. 2017/12/20 「久石譲 PREMIUM CONCERT 2017 in 仙台」開催決定!!

地元オーケストラとの初共演となったひとつ。クラシック音楽「カルミナ・ブラーナ」と自作「風の谷のナウシカ」という作曲家としては並べて易しいプログラムではないなか、甲乙つけがたい対等な感想が多かったこと、指揮者としての充実ぶりをも象徴しているようでした。

 

TOP 14

Disc. 久石譲 『明日の翼』 *Unreleased

根強い人気と関心のある楽曲です。2011年に発表されてから今現在、未CD化であり、コンサートでも披露されたことのない幻の作品です。

 

TOP 15

特集》 久石譲 「Oriental Wind」 CD/DVD/楽譜 特集

久石譲の代名詞ともいえる曲のひとつ。2017年は長い沈黙を破ってNewヴァージョンのCMオンエアには驚きました。海外に発信するコンサート「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」でも披露され、今ではもう日本の代名詞ともいえる曲のひとつ。

 

TOP 16

Info. 2016-2018 「久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ」 全7回定期演奏会 ラインナップ発表

長野市芸術館オープンから3年かけてのベートーヴェン全交響曲演奏会。いよいよ2公演を残すのみとなっています。久石譲作品もプログラムされたり、久石譲が今注目している古典/現代作品も意欲的に盛り込まれ、何と言っても久石譲が今追求している音が響きわたる演奏会です。

 

TOP 17

Overtone.第3回 羽生結弦×久石譲 「Hope&Legacy」に想う

TOP1にひっぱられるように見ていただいてありがとうございます。このコーナーは、直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと始めました。いろいろな角度から眺めていきたいと思っています。

 

TOP 18

Info. 2017/11/25 「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団特別演奏会」(三重) 開催決定!! 【6/2 Update!!】

W.D.O.2017にもプログラムされた「TRI-AD」「天空の城ラピュタ」に、久石譲が指揮者として最も振っているクラシック作品のひとつ「悲愴/チャイコフスキー」。三重でしか聴けない特別なプログラムというキャッチコピーは、まさにそのとおり。

 

TOP 19

久石譲 最新コンサート情報

トップページバナーの「Concert」、開催予定の久石譲コンサート情報をまとめています。

 

TOP 20

久石譲 最新スケジュール情報

トップページバナーの「Joe Hisaishi Recent Schedule」、冒頭にも掲載しているスケジュールリストです。最新情報にあわせて随時更新しています。

 

 

 

ファンサイト例年以上に重い腰をあげた一年だったかもしれません。やりたかったこと、課題となっていたことに多く手をつけて結実することができました。「Overtone スタート」(1月)、「Works -Official ver. / Fansite ver. 掲載」(1,4月)、「サイトリニューアル」(3月)、「チャット/アンケート 企画開催」(8月)、サイトSSL化(12月)など。

常に最新情報を追いながら、コンサートに足を運びながら、新しい楽曲にレビューしながら、いろいろな資料を整理しながら。とてもパワルフに充実して動けた一年となったことに感謝しています。そして、新しい久石さんファンとの一期一会な出会いもたくさんありました。コンタクトいただき、そこからいろいろな久石さんへの愛を感じることは喜びであり、今後も交流がつづいていけるなら、ファンサイトの大きなエネルギーになります。

今年はなにか新しいことできるかな? 新しい出会いやつがなりをつくれるかな? ぜひ気軽に部屋をノックしてください♪気軽に話しかけてください♪

どうぞこれからもよろしくお願いします。

 

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Blog. 「キネマ旬報 1988年8月下旬号 No.991」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/01/04

映画誌「キネマ旬報 1988年8月下旬号 No.991」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

SPECIAL INTERVIEW
久石譲

「風の谷のナウシカ」やこの春公開された「となりのトトロ」の宮崎駿作品、「Wの悲劇」等の澤井信一郎作品の音楽で映画ファンにも馴染み深い久石譲氏が、自分のレーベルを作った。その第一弾が「ピアノ・ストーリーズ」だ。このアルバムは今まで書いた映画音楽をピアノで再演奏したもので、素晴らしいものになっている。写真ではサングラスをしていてわからないがとても綺麗な目をした素敵な人で、それが音楽にもよく現れている。このインタビューでは、レーベルを中心に、今の映画状況やビデオの事について聞いてみた。

 

-今まで書かれた映画の曲を改めてピアノで演奏しなおそうと思った理由は。

久石:
「この前に出したアルバム『カーブド・ミュージック』(ポリドール)がCMの曲を集めたものだったんです。僕はどちらかというとCMの場合、自分の中の先鋭的な部分をメインにほとんど生楽器を使わないで作ってきたんですよ。そういったものをまとめてアルバムにした時、自分の中でちょっと原点に帰りたいな、と思いまして次に何をやろうかと考えた時、それがピアノだったんです。やはりサウンドではなく、あくまでメロディにこだわってものを作りたい。そう考えた時にピアノが一番良かったんです。」

 

-この中の曲もオリジナル(ナウシカ、Wの悲劇、恋人たちの時刻 etc)がピアノがメインになっているものが多いですね。

久石:
「やはりピアノというのが、自分にとってそれだけ身近なんでしょうね。」

 

-選曲の基準はどうされたんですか。

久石:
「実は全部オリジナルでやろうかなとも思ったんです。だけど、あえてオリジナルである必要はないんじゃないかと、それは今までの曲をピアノで弾きなおす、という事自体が自分の過去、現在、未来を含めて一体何なのかという問いかけになる訳だから、過去のものでも心をこめて演奏すればいいんじゃないかと。これはほとんど偶然だったんですけど曲を選んでいったとき、映画が一番多くなったんです。だったらいっその事、映画だけに絞ってしまおうと思ったんです。」

 

-この『ピアノ・ストーリーズ』というタイトルの由来は。

久石:
「映画のテーマを集めてはいるんですけど、その映画を見た人がああこの音楽はあの映画で見た時が懐かしかったね、と思うために作っているのではなくて、逆に映画で扱われた事を全然無視して、聞いた人が新たにストーリーを再構成するといいますか、新たに架空のサウンド・トラックみたいな感じでとらえて欲しい、ということで『Piano Stories』としたんです。」

 

-このアルバムを聞いて自分の中でストーリーを作り上げて欲しいと。

久石:
「そうですね。」

 

-新しいレーベル、IXIAレーベルについてお聞きしたいのですが、これはどういうきっかけで。

久石:
「やはり作家というのは、誰でもそうだと思うんだけど自分のソロ・アルバムを作るだけじゃなくて、自分のレーベルを持つという事が一生の夢なんですよ。レーベルってレコード会社の中にあるもう一つのレコード会社みたいなもんでしょ、そうするとレーベル・カラーというのも打ち出せるし、自分のやってきた仕事の集大成も出来るし。僕もずっとレーベル持ちたくて、本当は一番やりたいのはボブ・スケア・レーベルのようにブライアン・イーノ的なものをやりたいんだけど、日本でそんな事やったら二枚もださない内につぶれちゃうから。で、今一番みんなが要求しているのは、ポップ・ミュージックだと思うんですよ。日本の音楽産業が、アイドル中心で作られているから、大人が安心して聞ける音楽って少ないでしょ。レコード店へ入っても何買っていいかわからない。そうするとみんなどんどん聞かなくなってしまいますよね。みんなカラオケやなんかで歌ってはいるけど、同時に自分も聞きたい音楽があるはずなんですよ。特にビートルズ・エイジだった人たちが四十代に突入してってる訳だから、そういう人たちは、やはりカラオケで演歌っていうだけでは物足りないと思うんですよ。」

 

-特に邦楽の場合はそれはありますね、洋楽はまだ数が揃ってますからね。

久石:
「洋楽の感性で聞けて、アダルトまでを対象とした日本のポップ・ミュージックが、あってもいい時期だと思うんですよね。ですからこのレーベルではその辺にターゲットを絞ったものをやりたいですね。僕の中にあるクラシックからポップスまでの中から良質なものを提供できるんじゃないかと思ってるんですけどね。」

 

-そういったポリシーで他のアーティストもプロデュースされる。

久石:
「そうですね。第一弾が7月22日に発売された『Piano Stories』、8月が『Night City』というCDシングルで、なんと僕が歌を唄ってるんですよ、それも日本語で。やんなっちゃいますけどね(笑)。9月にそれを含んだアルバムを出します。7、8、9月と連続で出すんで、とんでもなく忙しくてヘトヘトですね。」

 

-歌を唄われるという事はお好きなんですか。

久石:
「いや、あんまり好きじゃないです(笑)。やっぱり最後はメロディアスなものを書きたくて、メロディにこだわりだすと、じゃあそれをピアノではなくて何で表現するかと考えたときにやっぱり歌だったんです。しかも日本語で唄うという事が一番コミュニケーションしやすいですよね。だから今回は歌までやってしまったんです。それで、やる以上は、素人っぽくてはしょうがないんで、徹底してやりました。結構大変でしたね。」

 

-話はかわりますが、久石さんが音楽を担当されたもので長い間お蔵になっていた「グリーン・レクイエム」が公開されますが、あの音楽についてはどうですか。

久石:
「あの作品は、結構イメージ・ビデオっぽかったんですよ、イメージ映画というか、一種のファンタジーだったんで、どう取り組もうか悩みまして、「卒業」のサイモン&ガーファンクルのような感じで歌を効果的に使っていこうとなったんです。いわゆる映画音楽的なインストもあるんですが、重要な部分はほとんど歌になるように仕上げました。因みにこの『グリーン・レクイエム』映画自体はとても冬っぽいものなんですけど、テーマは常夏のモルジブで思い浮かんだんですよ。でもうまく合いましたね。」

 

-昨年は随分映画の仕事をされてましたが、今年はどうですか。

久石:
「自分のレーベルを作ってしまいましたので、ソロ・アルバムや他のアーティストのプロデュースをしなければならないので、今年は映画や他の仕事はあまり出来ないでしょうね。」

 

-それは残念ですね。当分映画の中で久石さんの音楽は聞けない訳ですね。

久石:
「去年は映画音楽の位置を高めようと頑張ったんですけど、やはり難しい所はありましたね。その原因としてレンタル・ビデオがあると思いますね。昔は映画を思い出す手段としてサントラ盤があったんですけど、今はビデオで映画そのものが楽しめますからね。よほどの事がないかぎりレコードは買いませんよね。」

 

~中略~

 

-今まで御覧になった映画で、これは絶対というのはありますか。

久石:
「色々ありますけど「ブレードランナー」ですね。もしああいう映画が日本で作られるとしたら、他の仕事を後回しにしても音楽つけたいですね。それともう一つやってみたいのがオカルト映画なんですよ。ところが日本映画にはあまりないでしょ。」

 

-「エクソシスト」みたいな。

久石:
「「エクソシスト」は是非やってみたいタイプですね。」

 

-マイク・オールドフィールドの音楽が印象的でしたね。

久石:
「あの曲がやはりミニマル・ミュージックなんですよ。当時は「サスペリア」とか、結構ミニマル的な音楽がそういったホラー映画によく使われていましたね。ミニマル・ミュージックは自分がよくやっていた音楽なんで、一回昔に戻った気分でやってみたいですね。」

 

-久石さんの書くホラー映画の音楽というのは聞いてみたいですね。

久石:
「是非やりたいですね。これは相当強力なものがありますよ。やりたくてしょうがないですね。」

 

(「キネマ旬報 1988年8月下旬号 No.991」より)