Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/25

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139」に掲載された久石譲インタビューです。

北野武監督映画『Kids Return』についてのとても具体的な音作りについて語られた貴重な内容です。

 

 

今年ほど日本ということを意識したことはない。

久々に映画のサウンド・トラックを手掛けた久石譲さんの新作『Kids Return』がリリースされた。この作品のサウンドの背景には”日本”を強く感じ、今までの久石サウンドとは少し異なる印象を与えてくれた。久石さん自身の心境の変化、また次に控える宮崎駿さんの映画のサウンド・トラックのお話を含めて、彼の今の音楽観について語っていただいた。

 

●日本を意識した音

-今回のアルバム『Kids Return』は映画のサントラですね。

久石:
「そうです。僕も映画への復帰は2年ぶりです。ほとんど映画の仕事を断っていたから(笑)。ちょっと「日本の映画は終わったなあ」と感じていたんです。それで、しばらく休もうと思ってたんですよ。でも、日本の映画の状況は、もっと悪くなってきて、休んだからってよくはならないなと思ってね。やっぱり、ちゃんとやるところはやっておかなきゃ、と思っていた矢先にたけしさんの映画の話と、宮崎駿さんの次回作、ほとんど同時にオファーがあって…。「あ、これはやっぱり復帰するタイミングだな」と思ったんです。」

-今回のアルバムを通して聴いて、映画を観ていなくても”絵”が浮かんでくるような感じがしました。

久石:
「今回は、主人公が若い2人で、片方はヤクザの親分になって、片方はボクシングのチャンピオンになろうとするんだけど、両方とも挫折するという映画でね。だから、ある意味じゃ青春映画なんですけど。で、どういうスタンスを取ろうかなと考えてたんです。以前にたけしさんが作った『ソナチネ』は、けっこう虚無的な世界感だったんだけど、今回は青春映画だから違うだろうと思っていた。台本読んだ段階でも「違うな」と思っていたんですよ。でも、上がりはまったく同じだったという(笑)。」

-アルバムからはアジアの香りを感じたのですが…。

久石:
「それは、僕の今年のテーマなんですが…たとえば、パラリンピックのテーマを担当するんですが、この大会は、オリンピックの影に隠れてしまうし、規模も全然小さいんだけども、世界中の人々が注目する大会なんですよ。それが初めてアジアに来たわけですが、日本はいちばん福祉の遅れているところだから、日本人がいちばんその重大さをわかっていない。

そうすると、テーマを書く僕は、自分のアイデンティティやオリジナリティ、日本人であるということを、すごく一生懸命考えてしまうんです。そういう意味で、わりと”5音音階”とかに今年は積極的に取り組んでいるんです。

このことは、そのまま次の宮崎駿さんの次作のサントラの『もののけ姫』までつながるんです。ストーリーは日本が舞台だしね。だから、すごく今年ほど日本ということを意識したことはなかった。でも、たとえば「5音音階を使ったら日本風」とか、やたらアジアを出したりとかはしない。そういう決め事はないんだけれど、”自然に出てきて納得するもの””シンプルに作ってそうなるなら、いちばん望ましい”という発想でやっています。」

 

●こだわりの音色

-このアルバムの重要なポイントに、パーカッションがあると思うんですが、全部生での録音ですよね。

久石:
「それは企業秘密(笑)。でも、教えてもみんなマネできないから、教えてもいいんですけどね(笑)。

いわゆる通常のリズム・サンプリングをやっているんですよ。ただ、そうとうな数の組み合わせと、エスニックのミュージシャンを入れて、1パートは全部生なんです。いい意味でも悪い意味でも、生の持っている人間臭さと、そういうリズム・ループやなんかを使った時のメカニカルな部分、その両方が好きなんですよ。

音楽というのは、時間の上に作っていく構築物だから、出だしとおしまいというのは絶対違うわけです。それなのに全コーラス同じようにいこうとする…たとえば、メロディが1コーラス、2コーラス、3コーラスと出てきますよね。1コーラス始まって2コーラスに入る瞬間に、リセットする。なんで単に2回3回繰りかえさなきゃならないの? と思うんです。「衣装変えて、出てこいよ」という感じがあるじゃないですか(笑)。インストというのは実はそのへんがとても重要なんですよ。」

-今回のアルバムでも、いろいろなピアノの音が入っていると感じたのですが…。

久石:
「実は、今回の『Kids Return』も、最後の最後まで生のピアノって1回も弾かなかったんですよ。全部ふつうにコンピュータで、サンプリング中心に作っていた。で、今の質問が出たということは、ピアノの音が印象に残られたでしょ?」

-ええ、一瞬のフレーズとか…。

久石:
「あれは本当に、最後の最後に録った。ピアノは、実際に弾いて入れた音はすごく少ないんですよ。でも、それが印象に残るぐらい、生の存在感ってあるんですよね。それはプレイヤーの質もあるけどね。でも、結果的にピアノが目立ってくれて、僕自身は本当にほっとしているし、嬉しく思いますね(笑)。」

-クラリネットがメロディを取っている曲がありましたが、あれは生ですか?

久石:
「”ミニマル”っぽいやつね。あれは、すごく苦労しました。ヤマハのVP-1とVL-1に、いくつか音色をブレンドして、あの空気感が出るまでやってみたんです。だから、あれを聴いた人はなかなか打ち込みとは思わないと思う。」

-てっきり生だと思っていました。

久石:
「でしょ? うん、そう(笑)。あのぐらいやると、打ち込みとは思わないだろうと、僕も思いながら作ったから。そう思ってくれたなら、嬉しいですよ。人間やればできるって(笑)。」

 

●5年ぶりの宮崎作品

-宮崎さんの次回作の音楽もやられるということで、今はどのぐらいまで進んでいるんでしょうか。

久石:
「ほぼ、できているんですけどね。さっきも言ったように、わりと今年は日本人としてどう生きようかとか、そういうことを考えていた時期なんです。哲学の本とか司馬遼太郎さんの本をたくさん読んでいて、宮崎さんが対談なさっている本とかね。で、そういう中での巡り合わせのようなものですよね。『Kids Return』もそうなんですけど、”この時期になぜ自分が作るのか”、そういう意味をすごく考えながらやっています。

宮崎さんは『紅の豚』から監督はなさっていませんでした。プロデュースだけです。そうすると、宮崎さんとしては5年ぶりの作品で…だから僕とのコンビも5年ぶりということですが、そうすると、宮崎さんの今世紀の集大成の作品なわけです。その熱気がすごすぎて、こっちもそれに負けずに頑張らないと大変だなという感じです。

聞くところによると制作費が20億(!)だそうで。とにかく日本映画の枠の話じゃないですよね。当然、海外にもすぐに封切られるだろうし…。だから、そういう意味では大変な作品になりますよ。」

-楽しみですよね。

久石:
「絶対楽しみにしておいたほうがいいと思う。すさまじいですよ、内容もすごいし。本当に宮崎さんが、人生で考えてこられたことが全部凝縮されているから。

すでに、音楽の制作期間が4ヵ月越しているんですよ、しかも単なるイメージ・アルバムだけで。まだサウンド・トラック自体に手を付けていないのに…イメージだけに4ヵ月。それで、まだできていないんですから。みんな、目がつり上がりながら待ってますよ(笑)。」

(KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139 より)

 

 

なお、本誌には『Kids Return』のエンジニア浜田純伸の話も内容濃く掲載されています。使用機材、音色の特徴、パーカッションの音の秘密、ピアノの音の秘密。専門的に精通している人が見たらきっと唸ってしまうディープで貴重なサウンド分解です。

 

 

久石譲 『Kids Return』

 

 

 

Info. 2018/10/25 [雑誌] 「GQ Japan 2018年12月号」久石譲インタビュー掲載

『GQ Japan』2018年12月号(10月25日発売)に久石のインタビューが掲載されました。ぜひご覧ください。

GQ PROFILE: Joe Hisaishi Talks about Life & Music
作曲家・久石譲に訊く
なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか? “Info. 2018/10/25 [雑誌] 「GQ Japan 2018年12月号」久石譲インタビュー掲載” の続きを読む

Blog. 「別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/19

「別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009」に掲載された久石譲インタビューです。ゆずオリジナルアルバム『WONDERFUL WORLD』に久石譲プロデュース・指揮楽曲「ワンダフル・ワールド」が収録されています。

 

 

特別寄稿 2

久石譲(音楽家)

前アルバムの表題曲「ワンダフルワールド」のプロデュースを手掛けた久石譲。シンプルなデモテープとして手渡されたこの曲の種に壮大な世界観を読み取った久石は、オーケストレーションによるスケールの大きなアレンジを施し、楽曲を育んだ。曲の誕生秘話、ゆずの魅力、新作に感じる成長について、メッセージを寄せてもらった。

 

フルオーケストラをバックに歌っても、ゆずは「ゆずであった」

出会った時の第一印象は、二人とも非常に爽やかであったこと。今の若者の中にあって変なクセもなく、すごく前向きで純粋な、いい青年たちだなあと思いました。「ワンダフルワールド」の話をもらった当時の僕は、映画の仕事が立て込んでいて、少し違う世界のことをしてみたいなと思っていたところだったんです。そこに届いた曲が「ワンダフルワールド」でした。ギターと歌だけのデモテープは、おそらくこれまでのゆずとは違うであろう世界観があり、社会性も感じられました。

僕の曲で、「WORLD DREAMS」という、ある種、国歌のような朗々としたメロディが頭を過って書いた祝典序曲があるんですが、それを作っていた時は、9.11のテロの映像や、悲惨な状況下で逃げ惑うイラクの子供たちの映像が頭の中に浮かんできていました。実はこの「ワンダフルワールド」を聴いた時にも、同じ感じが過って、「あ、これは自分ならこうしたい」というイメージが湧いたんです。そんな話を、ゆずの二人との打ち合わせの場でもした記憶があります。

大きい世界観があったので、楽器編成はどうしてもオーケストラでやるのがいいと思いました。しかし、ある意味で西洋的な世界だけでは表現できないと思ったので、そこにエスニックパーカッションといったものを取り入れ、もっと第三世界の雰囲気を表現しました。そして最終的には「We are The World」のように皆が参加できるような、そういう世界観になったら良いなと思い、少しスケールの大きなアレンジを試みました。結果としては、自分でも非常に満足する出来です。

大人数のフルオーケストラをバックに歌っても、ゆずはゆずだった。「ゆずであった」というのはどういうことかと言うと、決してオケにも負けていないし、彼らの歌はオケと「対立」するのではなくて、むしろオケを「味方」にして、より歌がスケールアップしていたということです。そういうところが一緒にやっていてとてもエキサイティングだったし、楽しかったところです。

彼らの歌からは「いろいろ悩みも一杯あるんだろうけれど、前向きに生きようよ」というようなメッセージが、いつも伝わってきます。ですから、みんなにそういう勇気をしっかり与える力を彼らはきっと持っているんだと思う。そこがゆずの素晴らしい魅力です。

最新アルバム『FURUSATO』を聴くと、1曲目に弦などを使って、より大人の鑑賞に堪えるような世界観に持ち込もうとしていますね。コード進行一つにしてもツボを心得ているというか、すごく人の気持ちが高まるところで効果的なコードをきちんと使っていて、以前に比べて1歩も2歩もその世界観が大きくなっている。そして、もちろん二人の歌声は変わらず自信を持っている声に聴こえるし、キャリアを積むに従って、より音楽性も高くなっている。それはとても素晴らしいことだと思うので、これからも彼らを見守っていきたいと思います。

(別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/18

雑誌「Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

21世紀の匠たち

音楽家 久石譲

誰もいない小学校の校庭、晴れた日の田んぼのあぜ道、裏山に作った秘密基地…。トヨタ「NEWカローラ」のCMソングに代表される彼の音楽は聞き手にそんなデジャブにも似た幼い日の記憶を色鮮やかに呼び起こす。単に映像を説明するのではない。かといって映像から逸脱するのではない。そこからしか生まれ得ないあのメロディーの秘密を聞いた。

 

風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、青春デンデケデケデケ、Sonatine、HANA-BI、菊次郎の夏…。久石譲。現在の日本の映画音楽は彼なくしては語れないだろう。そんな彼は意外にも、大学時代は前衛音楽の流れの中に身を置き西洋音楽の洗礼を浴びていた。乱数表を使った偶然性の音楽などを学びながら、どうやったらギリギリの音楽が成立するかという世界で彼はオリジナリティーを模索していた。

「オリジナリティーは結果にすぎないからあまり意識したことはないですね。ただ海外で演奏していると、やっぱり誰かの借り物ではないアイデンティティが欲しくなる。そして、自分は間違いなくアングロサクソンではなく黄色人種の一人、アジア人の一人であることに気づくわけです。そうするとそういう自分が一番ストレートにできることが一番大事なんですよ。僕の持論でもあるんですけど、超ドメスティックであることがインターナショナルであるということですから。だからといって、ただ尺八使うんだとか、沖縄の音楽を持ってきて自分のコンサートに入れるとかそういう表面的なことではなく、手段はオーケストラでもやっぱりジャーマン系ではないなという個性を大事にしたいと思います」

今では映画音楽家として広く知られている彼だが、その前に前述のような音楽家であることを忘れてはならない。では、オーケストラを率いての純音楽と映像につける映画音楽。その違いとは何なのだろうか?

「映像につける音楽と、音楽だけで勝負するのは全く別モンだという捉え方をしている。人に何かを伝えるときに、音楽で100パーセント伝えられるものと、映像があって100パーセント伝えられるものとは別ですから。映像がないと成立しないような音楽は純音楽としては成立しないし、逆に映像につける音楽というのは映像が入り込む余地を創らなければいけないんです。だから、映像につける音楽というのはハリウッド的にキャラクターを説明しようとしたり、音楽や映像をなぞっては駄目なんです。映像と音楽のどちらかが一方を説明してはならないんです。例えば映画の中で誰かが泣くシーンがあるから泣いた音楽とか、走ったから速い音楽ではダメなんです。そのためにはどこか冷静に、映像に寄り添いすぎないで一歩ひいて、監督がこのシーンで何を言いたいか? を考えることが大切だと思います。感性だけに頼るのは凄く危険なんですよ。直感的な部分とそれを論理的に創る両面が要求されるんです」

天性のメロディーメーカーである彼の感性に論理が加わって、初めてあのメロディーが生まれる。しかし、それは言葉で聞くほど容易なものではない。

「自分を追いこんで追いこんでギリギリのところで自分が納得するもの。それも自分が意図しているものじゃないくらいのものに出会った時に、聞き手が納得してくれるものができると思う。絶えず良いメロディーを書きたいと思って作曲という作業をやっているわけですけど、そうしょっちゅう出会えるわけではないよね。ある意味ではラッキーに近い。ゾウキンを絞って絞って破けるくらい絞ってやっと出てくる最後の一滴。それに出会うために毎日作曲していると思うんですよ。それをポンと話せるようなコツがあるとしたらもっと大量生産してるよね。もしくは風景見たくらいでポンとメロディーが出てくるんだったらしょっちゅう旅行していますよ(笑)」

全ては最後の一滴のために。昨年映画『カルテット』を監督したのもそんな一滴のためなのだろうか?

「あくまで僕の活動の中心は音楽ですから、他のジャンルという意識はあんまりないんですよ。ただ音だけを追求してやっているとどうしても足りないものが出てくる時もあります。そういう欲求が凄く強くなって、それをやらないと次にいけないと思う時があったら何かやると思います。今の課題は日本語の解決。自分のメロディーと日本語のかみ合わせがどうしても納得できていない。ある意味で音楽と言葉の相性ってとても重要なんですよ。自分の中でそれが納得できたら将来的にはオペラとかミュージカルをやってみたと思いますね。そういう新しい自分に出会えるような仕事じゃない限りやりたくない。自分が入り込めない仕事は相手に逆に迷惑をかける気がするから。でも幸せなことに共感できる仕事をやらせてもらうことは多いですよね。誰も文句を言わないと解っていても安易な完成度に身を置くことはないんですよ。手を抜きたいと四六時中思っているんだけど、抜いてやったら後悔する自分を解っているから。だから徹底的にやります。オール・オア・ナッシングが自分の性格ですから」

今でも5、6本の仕事を抱え、これはインフルエンザで高熱が出た中でのインタビューであった。にも関わらず、ひたむきにこちらの話に耳を傾け、時折やさしそうな笑みを浮かべる彼の姿が印象に残っている。一体、いつ休まれているんですか? という問いに彼は少し自嘲気味な笑みを浮かべてこう答えた。

「でも生きていくというのはそういうことだし、モノを創っていくというのはそういうことだからね。知的な要素が強いストレスのある仕事が一番楽しいもんですよ」

(Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42 より)

 

 

Bolg. 「ROADSHOW ロードショー 2002年4月号」 淀川長治賞受賞 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/17

映画情報誌「ROADSHOW ロードショー 2002年4月号」に掲載された久石譲インタビューです。200年淀川長治賞受賞記念のスペシャル・インタビューとなっています。

 

 

2002年淀川長治賞発表!!

淀川長治賞とは

日本の映画文化の発展に長年にわたり多大な貢献をされてきた故淀川長治氏の業績をたたえ、これを記念して1992年に設立されました。この賞は、映画文化の発展に功績のあった人物(または団体)を毎年1名程度選考し、表彰するものです。

2002年の同賞受賞者として、選考を重ねました結果、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』など宮崎駿監督のヒット作や、『HANA-BI』『BROTHER』など北野武監督の話題作を中心に斬新な映画音楽を手がけ、映画界に比類のない存在となった久石譲氏を選出いたしました。2002年4月12日に行われる「淀川長治賞授賞式」にて正賞を授与します。

 

●授賞理由

久石譲さんは、『風の谷のナウシカ』を皮切りに、40数本の話題作の映画音楽を手がけてこられました。特に、超ヒット作『千と千尋の神隠し』に至るまでの宮崎駿監督作品、『あの夏、いちばん静かな海。』から『BROTHER』に至る北野武監督の問題作において、きわめて現代的な映画音楽作りに取り組んでこられました。さらに昨年は、初監督作『カルテット』を発表、またフランス映画『リトル・トム』(仮題)で国際舞台にも進出され、日本の映画音楽の水準の高さを証明されました。

こうした業績をたたえて、ここに2002年淀川長治賞を授与いたします。

 

●受賞のことば

一緒に仕事をしてきた北野武監督も宮崎駿監督も、過去に淀川長治賞を受賞していますね。そういう素晴らしい賞をいただけると聞きまして、名誉だと思いますし素直に喜んでいます。思い出しますと、北野監督との初の作品『あの夏、いちばん静かな海。』は、淀川先生にほめていただいたことが世間の評価につながりました。おかげで名作として見直してもらえたという点で、淀川さんの発言力もすごく大きかったと思います。(久石譲・談)

 

[選考委員]
品田雄吉(映画評論家)、渡辺祥子(映画評論家)、髙澤瑛一(映画評論家)、ROADSHOW編集長

 

 

久石譲さん〈受賞記念 SPECIAL INTERVIEW〉

いま自分がやっている仕事は、世界でも先端をいくものだとわかりました!

北野監督や宮崎監督のように正反対な世界観を持つ人のほうがやりやすいですね

-久石さんは、北野武監督や宮崎駿監督らの、異なったジャンルの映画の音楽を同時に担当されたりして、違和感はありませんでしたか?

久石:
「海外で取材を受けると”ハートウォーミングな宮崎作品と、バイオレンスの北野作品を同じ作曲家が手がけるようなことは、ヨーロッパやアメリカにも例がない”と言われるんですよ。なぜ、できるのかと必ず聞かれる。でも、中途半端に似た監督の音楽を手がけるほうがつらい。正反対な世界観を持つ監督のほうが、逆にやりやすいですね。北野作品では、できるだけ感情を伴わない、同じパターンを繰り返すようなタッチで。宮崎作品ではメロディが主体。はじめから、はっきり区別してやってきたので苦労はしなかったです。でも最近、北野監督からはエモーショナルな音楽を要求されるケースが多くなった。逆に宮崎監督のほうは、『千と千尋の神隠し』などでは、冒頭から感動を押しつけるのではなくて、シンプルな音がいいねと言われるようになったかなあ(笑)」

-映画音楽というのは、どういう手順で作られていくのですか。

久石:
「それは監督によって違います。でも、まずは脚本を読むことから始まる。そして、どんな世界にしたらいいかを考える。具体的に言うと、オーケストラでいくのか、シンセサイザーでいくのかとか。それから、北野監督の場合は、余り多くのことを語られないかたですから、相当な部分を任されていると思って、音楽を作った上で提示するケースが多い。宮崎監督とは、絵コンテを見ながら、徹底的に話し合ってやっていきます」

-2001年は、おふたりの『BROTHER』と『千と千尋の神隠し』があり、久石さんの初監督作『カルテット』が公開されて、いそがしい年でしたね。

久石:
「『カルテット』では、過去に40本余りの映画に音楽をつけてきた作業の末に、こういう音楽映画も日本にあっていいのではないかと考えたことが、監督をするきっかけになりました」

-監督業は大変でしたか?

久石:
「多くの監督さんたちが苦しんでいる姿をそばで見てきましたから、そう簡単に監督業に手をつけるものではないと思って、断り続けてきたんですよ。やってみたら、思っていた以上に大変でした」

 

海外作品での初仕事、フランス映画『リトル・トム』で自信を持ちました!

-さらに、海外での初仕事になるフランス映画『リトル・トム』(仮題)の音楽も手がけられたのですね。

久石:
「シャルル・ペローのおとぎ話”親指トム”を下敷きにした、幻想的で、けっこう怖い大作です。監督は、30代のオリビエ・ダアン。この作品に音楽をつけていくうちに、ぼくたちは世界中の映画音楽のレベルでいっても、相当進んだ位置にいることがわかりました。ハリウッドのメジャーでやってきたエンジニアとケンカして、自分のやりかたを通しました。日本でいい音を作ろうとして、ドルビー5.1チャンネル・デジタル・ミックスその他の技術的な面のノウハウを追求してきた末に、いまぼくたちは世界でも先端にいると実感しました。現場での経験を積み重ねた結果、外国人スタッフと仕事をしてみたら、ぜんぜんイケテルじゃないかという気分になりました」

-ところで、外国映画で好きな作品とか、影響を受けた作品はありますか。

久石:
「好きな作品は、『ブレードランナー』と『セブン』ですね。それに、一緒にやってきた監督すべてに影響を受けています。でも、仕事が煮つまったり、疲れたりすると、スタンリー・キューブリックか黒澤明監督の作品を見ます。そして見るたびに、いろいろな発見をします。なんで、ここでこういう音楽を使ったのだろうとか、映像のもっていきかたを考えると、すごいんですよ。キューブリックなどの場合は、『シャイニング』にしても『フルメタル・ジャケット』にしても、長いシーンで緊張感を持続させる。何が映像的なのかを、とことんまで追いつめたのが、このふたりの監督です。彼らの映画は、バイブルみたいなものだと思います」

-2002年のお仕事の予定は?

久石:
「まずは北野武監督の新作、そのほかに何本かの作品のオファーがあります。今年も映画音楽家としてがんばります」

(ROADSHOW ロードショー 2002年4月号 より)

 

 

Blog. 「PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/16

映画情報誌「PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42」に掲載された久石譲インタビューです。

『joe hisaishi meets kitano films』『千と千尋の神隠し』『Quartet / カルテット』『Le Petit Poucet』、怒涛の2001年を象徴するような、そして各作品ごとにしっかりと語られた貴重なインタビューです。

「Summer」(菊次郎の夏)は第2テーマのつもりだった?!宮崎駿監督はミニマルを要求した?!日本を代表する二大監督の音楽を手がけてきた久石譲。それぞれ別ベクトルで音楽を創作してきたものが、大きく交わろうとした2001年とも言えるのかもしれません。

 

 

映画音楽の魔術師
久石譲が奏でる新しい旋律

彼の音楽なくして、2人の映画は語れない。北野武と宮崎駿、共に日本が世界に誇る映画監督の作品を見るとき、久石譲の生み出したサウンドは単なる音以上の力を持つ。それは映像と一体となってイメージを膨らませ、見る者の耳と目に鮮烈な印象を残す。その彼が、『カルテット』では指揮棒の代わりに自らメガホンを握った。北野作品、『千と千尋の神隠し』、初監督作、そして初の外国映画とのコラボレーションなどについて、マエストロが語った。

Text by 前島秀国

 

北野武監督とのコラボレーションを集大成したベスト盤『joe hisaishi meets kitano films』の発売、宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』完成披露、自身の初監督作品『カルテット』完成披露、そしてフル・デジタル・ムービーによる監督第2作『4 Movement』の初上映……。

わずか1ヵ月の間に驚くべき密度の濃さである。秋には全国8ヵ所を訪れるツアーとソウル公演を控え、指揮者への意欲も見せる。八面六臂の活動ぶりを見せる久石譲を、もはや「音楽家」という枠組みにはめておくことはできない。

 

北野武監督作品

「今回のベスト盤は僕にとって重要な作品です。北野監督のために書いてきた音楽が、実は自分のソロアルバムのための音楽と呼べるものでもあった、という面を含んでいます」

最新作『BROTHER』ではトレードマークのピアノ・ソロでメインテーマを奏でることを潔しとせず、リード楽器にフリューゲルホルン(トランペットより若干、柔らかい音を発する)を使用して話題となった。

「もともと監督はピアノと弦が好きで、ブラス(金管)はあんまり好きじゃないんです。僕もあんまり好きじゃなかった(笑)。しかし、LAの乾いた雰囲気をフル・オーケストラでどう表現すればよいかを考えたとき、あえて硬質で乾いた響きをブラスや木管で表す方向に切り替えたんです。作品的に見れば『BROTHER』は『ソナチネ』や『HANA-BI』の延長線上に位置づけることができるので、その2作と同じような音楽を繰り返せば何の問題もない。ただし、それをやってしまったら今度、北野監督とコラボレーションを組むときに音楽がマンネリ化してしまう。北野監督の世界もどんどん大きくなっているわけですから、音楽の側もキャンパスを広げる作業をして対応しなければならない、という気持ちがあったのです」

北野監督や宮崎監督と組んで音楽を書くとき、久石は自分自身のソロアルバムでは得ることのできない大きな喜びを感じるという。

「例を挙げると『菊次郎の夏』のメインテーマ『Summer』。あれは僕にとっては第2テーマだったんです。もともと『菊次郎の夏』では北野監督が『絶対にピアノでリリカルなものを』というイメージをはっきりもっていたので、その意向に沿って第1テーマと、軽くて爽やかな『Summer』を作った。そして両方聴いて頂いたときに『あ、これ、いいね』と監督が洩らしたのが第2テーマだったんです。そう言われたら、こっちはパニック(笑)。つまり、映画のなかの重要な個所は第1テーマで押さえたつもりだったのに、監督が気に入ったのは第2テーマだから、全部入れ替えなければならない。しかし、そのときに監督が出した方向性というのは、実は圧倒的に正しいんですよ。僕なんかでは太刀打ちできない『時代を見つめる目』があるんです。軽かったほうの『Summer』が結局メインテーマになり、しばらくたってからそのテーマ曲が車メーカーに気に入られ、1年以上もCMで流れている。宮崎監督もそうですが、彼らは音楽が社会に出たとき、人々の耳にどのように聞こえるか、ちゃんと知っているんですね」

 

『千と千尋の神隠し』

その宮崎監督が引退宣言を撤回し、実に4年ぶりのコラボレーションとなった『千と千尋の神隠し』。これまでの宮崎アニメ同様、本作でもサントラ録音に先立ってイメージアルバムが制作された。このイメージアルバムと実際のサントラの仕上がりは時に大きく異なることもあり、作曲家は通常の倍の手間をかけなくてはならない。今回、『千と千尋の神隠し』のイメージアルバムで興味深いのは、本編で使用されていない歌が数多く収録されていること。しかもすべて宮崎監督の作詞によるものだ。なかでもムッシュかまやつの陽気なヴォーカルと「さみしい さみしい 僕ひとりぼっち」という歌詞が奇妙なミスマッチを生み出すカオナシのテーマソングなど、『千と千尋の神隠し』を読み解くための鍵が隠されているようにも思えるのだが。

「イメージアルバムの制作に入ったときには、すでに1、2ヵ月後に本編のサントラに取りかからなければならない時期にさしかかっていました。そこでイメージアルバムでは、あえて全部『歌もの』に切り替えたという事情があります。宮崎監督から頂いた説明がかなり詩的なものだったので、『じゃあ、これを全部歌にしちゃえ』と。ですから、映画と切り離して作ったアルバムですね」

ところが実際に本編に付けられた音楽を耳にし、大きな衝撃を受けた読者も多かったのではなかろうか。沖縄の島歌からガムラン、果てはロマンティックなワルツまで、驚くほど色彩的なスコアが展開されていた。

「宮崎監督は最初、すごくミニマルっぽいものを要求したんです。もともと『となりのトトロ』などでもミニマル風の音楽を付けたことはありますが、今回、監督から『ここのシーン、普通なら(フルオケで)ジャーン!と鳴らすところをミニマルで行きませんか?』と言われてびっくりしました。いつも宮崎監督は『自分は音楽のことはよくわからないので』とエクスキューズしていますが、北野監督と同様、映像に付ける音のあり方に関しては、ものすごく鋭敏な神経をもっていますね。『千と千尋の神隠し』のサントラでは、あまり好きなやり方ではないのですが、キャラクターごとに音楽を付けていくハリウッド的な手法をとりました。あくまでも少女の話なので、彼女の心情にできるだけ寄り添いながら静かな音楽で押し通し、あとは監督の世界観に(フルオケで)合わせると。ただ、その世界観をつかむのが大変でしたね」

 

真の音楽映画『カルテット』

これまで日本にもミュージカル映画や歌謡映画は存在した。しかし、久石監督のデビュー作『カルテット』は「日本初の音楽映画」だという。

「まず音楽映画とはどういうものか、明確な定期をしておかなければいけないと思いました。ドンパチがあればギャング映画、音楽があれば音楽映画というふうに考えれば、実際どのジャンルを見ても明確な定義など存在しないんです。そこで自分が考える音楽映画とは、まず第1に音楽自体がストーリーの展開と強く絡んでいなくてはいけない。第2に、せりふの代わりに音楽で半分ぐらいは表現してしまう。つまり、(音楽で)見る側にイマジネーションを広げてもらう。この2点を明確にして自分のスタンスをとろうというのが演出の根底にあったんです」

音楽大学の同級生だった4人の若者がカルテット(=弦楽四重奏団)を組んでコンクール優勝を目指すという青春映画、撮影にあたってスタッフに手渡されたのは、なんと監督の手による楽譜だったという。現場での混乱はなかったのだろうか?

「そりゃ大混乱ですよ(笑)。譜面を渡されて、『3小節目のジャン!で、左からカメラ寄る』なんて書いてあるわけです。結局、学生さんのアルバイトを雇い、たとえば阪本善尚カメラマンの後ろに1人付けて、「1、2、3、ポーン」という感じで背中を叩いてもらって撮ってもらいましたから(笑)。通常、オケを撮る場合もオケを恐れちゃって遠くから撮るだけっていうケースが圧倒的に多いんですよね。自分はオケの連中との仕事も長いんで、『はいっ!弦、全部どけ~!』ってガンガンなかに入って撮る」

袴田吉彦以下、主要キャストの演奏場面を、監督は「アクション・シーン」とみなして演出したという。

「袴田君たちは(プロの)ヴァイオリン奏者じゃないから、みんな(実際に)弾いていないってわかっているわけです。だから見る側が『あっ、本当に弾いている』と思えるところまでもっていくのが鍵でした。楽曲の小節ごとに顔のアップ、手のアップ……と決め、『その小節だけは何が何でも手とかは写るからね』と指示して、さらってもらったんです」

初監督の経験は今後、映画音楽作曲家としての彼にどのような影響を及ぼすのだろう?

「プラス、マイナス両面あると思います。プラスの面は、まず脚本の読み方が変わりましたね。つまり、カット割りを含めて監督の視線を前よりも強く認識するようになりました。映像をどうやって組み立てていくか、監督の気持ちがより深く理解できるようになった。マイナス面は、かえって深読みしすぎて映像のほうに寄った音楽を書いてしまう可能性がありますね。実は音楽を付ける作業では、直感的なところで決断したほうがかえって力強いものが生まれたりするんですね。映像と音楽が対等にあって、喧嘩するくらいの感じで距離をとりながら相乗効果になっていくのが、僕はいいと思います。そのあたりは今後、自分でも距離をとっていかなければならないですね」

 

初の海外作品は童話がベース

さらに驚くべきことに、こうした多忙な作業と並行しながら初の海外作品『Le Petit Poucet』のスコアも手がけたというから凄まじい。原作は「シンデレラ」などで知られる童話作家ペローの「親指小僧」だ。

「確かに子供も出演している童話ですが、結構残酷な映画なんですよ。なぜ僕のところに依頼が来たのかまったくわからないんだけど……スタッフは僕以外、全部フランス人なんですが、オリヴィエ・ドーハン監督は『トレインスポッティング』のフランス版のような映画をこの作品の前に1本撮っています。本人も鼻ピアス、目ピアスみたいな(笑)」

だが、久石はことさらフランスの風土に見合った音楽を提供するような、安易な姿勢をとらなかった。

「全体のサウンドの設計からいうと、〈日本〉をすごく出しました。和太鼓だったり尺八だったり……宮崎監督をはじめ、日本の監督は尺八を使うとすごく嫌がるんですよね。『尺八の音』とイメージを限定してしまうから、と。でも、フランス人には全然関係ないことなので、逆に前面に出したんですよ。そのほうが自分にとってリアリティがあるということもありますが、もうひとつはドメスティックなほうがかえってインターナショナルに通用する。要するに日本やアジアの風土に根ざした音楽を掘り下げた状態で提示すれば、それは世界中で通用するはずなんです」

これまでの名声に甘んじることなく飽くなき実験を重ねながら、活動の場は世界へ……。久石譲の新たなる挑戦が始まろうとしている。

(PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42 より)

 

 

Blog. 「CDジャーナル 2002年4月号」 冨田勲 vs 久石譲 対談内容

Posted on 2018/10/15

音楽雑誌「CDジャーナル 2002年4月号」に掲載されたものです。冨田勲と久石譲という日本を代表するふたりの作曲家の貴重な対談内容になっています。

 

【現代コンポーザーspecial対談】
音、映像、そして空間の魔術師たち
冨田勲 vs 久石譲

作曲家活動50年という時間のなかですこしも止まることなく、日本文学の最高傑作とされる『源氏物語』をテーマに、あらたにコンサート組曲と映画音楽というふたつの作品を仕上げた冨田勲。一方、宮崎駿、大林宣彦、北野武といった日本映画を代表する監督たちとともにその代表作を音楽面から支えてきた久石譲は、はじめて自分自身で映画作品を仕上げた。そんなふたりにとって映像と音楽の関係、そして自分らの作品への想いはどんなものだろう。そして、それぞれの仕事へ向ける興味とは。

久石:
「もう30年も前のことになりますか、ほんの少しだけ冨田さんのお仕事を手伝ったことがあるんですよ。NHK大河ドラマ『新平家物語』のテーマ録音でした」

冨田:
「へ~え。あれはたしかまだシンセサイザーを使ってないですよね」

久石:
「ええ、キーボードを弾かせていただいたんです。当時の学生仲間が琴で参加していまして、ちょっと助っ人に来いということだった。そのときスタジオでお目にかかって〈いや、3日寝てないんだよ〉と話されていたのがすごく印象に残っています。作曲って体力勝負だな、と思いましたよ」

冨田:
「いや、ほんとうにぼくらの仕事は肉体労働だよ。やっとこの頃、どうにか自分でコントロールできるようになってきたけど。久石さんなんか、いまが死ぬほど忙しいでしょう? 仕事がいろいろな方向へ拡がっているものね。すごく興味を持って見させていただいているんですよ」

久石:
「いやいや、ボクにとっては、一瞬のうちに響きやサウンドが聴き手の耳を惹きつけてしまうという冨田さんの仕事がいつも一番気になってきたものなんです」

冨田:
「なんだかいつでも押しまくられているなかで仕事してきた、というのが実感なんだけど、そんな風に感じてもらえたら最高ですね。でも、余裕があるから出来にも満足できるかというとそうでもない。緊張のなかでポッといいものができたりする」

久石:
「〆切ぎりぎりのテンションが高まったなかでやるのがよかったりしますよね」

 

『源氏~』に漂う幻想的なトミタ・ワールド

-エールの交換といった感じですが、そんななかで仕上げられた今回の仕事。冨田さんの『源氏物語』関連2作品、久石さんの『Quartet ~カルテットOST』と『ENCORE』、それぞれについて聞かせていただけますか。

冨田:
「ぼくの場合はたまたま『源氏~』が重なったんです。はじめにコンサート版の『源氏物語幻想交響絵巻』があり、そのあとに『千年の恋~ひかる源氏物語』のオリジナル・サントラといった具合いにね。偶然なんですよ」

久石:
「ロンドン・フィルとやった『~交響絵巻』は、サウンドも音楽も素晴らしかった。オーケストレーションは全部、ご自分で書かれたんですか?」

冨田:
「不思議なもので覚えてるんだよね。シンセサイザーを使うようになってから、楽譜を書くなんてこと一切やらなかったのに、今回試してみたらできるんですよ。30年ぶりだよ。でも、結局、自分でやってよかったというのが実感ですね」

久石:
「ナマの楽器を使っても間違いなく冨田さんの音ですよね」

冨田:
「普通、ぼくはテーマ音楽をつくるときには主人公に入れ込む。脚本などをとことん読み込んで自分なりのイメージをつくってね。それが今回は違っていたんですね。最後まで光源氏の顔がでてこない。人間の本質がでてこない。わからなかったんだね。だから結局、光源氏のテーマってないんだよ。その代わり、紫の上の哀しみのようなものがずいぶん強く漂っていますよ」

-『千年の恋』も同じことですか?

冨田:
「いや、ぼくのなかではまったく別ですね。具体的には源氏、六条御息所、若紫と、みんな役者さんがいる。その意味ではイメージはまとまりやすかった。ただ、彼らが暮らしているベールの向こう側の世界を表現するのには、ナマの楽器ではなくシンセサイザーで創った音、幻想的な音が適していると考えたんです」

久石:
「メロディを創るだけじゃなく、和音や音色まで創造する。自分が発想した音色をそのまま実現するのがシンセサイザーですからね」

冨田:
「ぼくはモノラル放送2ラインを同時に使ってステレオ放送を流すというNHKの『立体音楽堂』という番組から大河ドラマの音楽へというように、作曲の道に踏み込んだ。でも、そのうちに、いろいろな曲を書いても結局は自分の書いてる譜面は前に誰かがやっちゃってるんじゃないか、と悩むようになりまして。ピアノもヴァイオリンも、もう誰かがやり尽くしてるんじゃないかってね。そんなときに出会ったのがシンセサイザーだったんですよ」

久石:
「最初のころにシンセは、たしかにすごくイマジネーション豊かな楽器でしたよね。なんといってもひとつひとつの音から創っていかなければならない。逆に創れる。電子楽器とはいっても、その意味では手作りの楽器だった。それと、また別のところでボクが非常に面白いと思ったのは、作曲の過程というのが冷静に音を数値に置き換えていく作業だと気づいたことでした。自分と自分が出す音を客観的に見られるようになる訓練だったともいえますね。シンセは本来、音色を創らなければならない。でも、いまはあふれるほどサンプリングがありますよね。クラリネット、フルート、弦……それをそのまま使うなら、ナマの楽器の音の方がいいんじゃないかな」

冨田:
「アナログのころは同じシンセサイザーを使っても、個性があってそれぞれの作品に深みがあったよ」

久石:
「冨田さんの『月の光』を聴いたときのショックといったらなかったもの」

 

音以外の”世界創造”を、と映画制作に辿りつく

-ところで、久石さんのあたらしい方向性はどんなところからでてきたんですか。映画音楽から映画そのものへですよね。

久石:
「宮崎さんや(北野)武さんの映画作りをみていると、とてもじゃないけど、あんな大変な思いをするのはまっぴらだし、だいたい自分にはとても無理だ、というのが正直な感想なんですよ。でも、それとは違ったところで、これまでは”音楽で世界をつくってきた”のだけれど、もっとべつの形で”世界創造”をしてみたい、やってみたら、どんなになるのだろうという気持ちが強くなってきた。『Quartet~カルテットOST』という作品はそんな気持ちの表れなんです」

冨田:
「ぼくもそうなんだけれど、作曲するときって自分なりのイメージを持ちながら、つねに映像とのズレがあるよね。それがかえっていいものを創るバネになったりする。逆に自分で両方引き受けてしまうというのは辛くないの?」

久石:
「脚本を読み込むなかで自分のイメージができる。もちろん実際の映像は違ったものになるから、ある程度の距離を保ちながらその違いを出していく、ということなんです。ただ、だんだん音楽だけでは表現できないものがたまってきた。こういう映像でこういったものがあってもいいんじゃないか、ビジュアルをふくめて自分の創作を実現してみたい。そんな気持ちですね」

冨田:
「久石さんはライブラリーが広くて懐が深いから、それができるんだろうな。ぼくの場合、自分の志向は割と狭いんで、そこからはずれると意外に弱いんだ」

久石:
「いえ、じつは『Quartet~カルテット』は音楽映画ですから、逆にそのための音楽は必要ない。弦楽四重奏団が主人公だから、彼らの演奏だけで音楽は十分。劇中でかならず音楽がなるから、映画音楽を一切書かないでやろうということで、映像を創る自分と音楽の距離をとったんです。もちろん、そうは単純には行きませんでしたが」

-それと較べると、ソロ・ピアノの作品『ENCORE』の位置づけはどういったものでしょう。

久石:
「14年ぶりにやってみたピアノだけのアルバムなんですよ。映画音楽からはじまって、ここ数年、イベント・プロデュース、映画制作と仕事の枠を大きく拡げてしまったんです。音楽に向かう自分自身が一番ピュアな原点に戻らなきゃいけないという気持ちになった。それがこのピアノ・アルバムというわけです」

冨田:
「なにかをやってだれかを驚かそうとかじゃなく、たまたまやりたかったことや、やらなきゃいけないと突き動かされたものを手掛けるんだよね」

久石:
「活動は線だから、目前にあるものに向かって自分を表現していく。もちろんその向こうには聴き手がいるわけです。でも、まずは自分がどこまで納得できるかが大切でしょう」

冨田:
「ぼくの場合、それはずっとこだわり続けてきた立体感あふれる音楽だったりする。だからいま四方八方から音が聴こえる日常生活の音を体験できるDVDオーディオに興味津々だよ」

久石:
「長野パラリンピックの総合プロデューサーをやり、福島の『うつくしま未来博』ではフル・デジタル・ムービーとステージ・パフォーマンスを組み合わせました。あまりにも拡がりすぎたので音楽の仕事へ立ち返ったのがいまの姿。ここからまた踏み出そう、というところですかね」

そう語り合った冨田氏と久石氏。まだまだ新しい音楽の姿で、わたしたちを魅了してくれそうな予感を漂わせた対談だった。

 

「こだわっているのは、やはり立体感のある音楽ですね」(冨田)

「純粋に音楽へ立ち帰ろうと思っているのが今なんです」(久石)

 

(CDジャーナル 2002年4月号 より)

なお本誌には貴重な2ショット写真も掲載されています。

 

 

Overtone.第20回 なぜ『交響組曲 もののけ姫』(2016) はリリースされないのか?

Posted on 2018/10/15

ふらいすとーんです。

そわそわザワザワしそうなお題です。

なぜ『Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE / 交響組曲 もののけ姫』(2016・世界初演)はリリースされないのか? スタジオジブリ作品の音楽を手がけてきた久石譲が、自ら交響作品化するプロジェクトを始動したのが2015年。第1弾『Symphonic Poem NAUSICCÄ 2015 / 交響詩 風の谷のナウシカ 2015』は同年W.D.O.2015コンサート世界初演、翌年Live盤CDリリースされました。順当にいけば『交響組曲 もののけ姫』もこの流れをとると思われていたなか、、、飛び越えて第3弾『Symphonic Suite “Castle in the Sky” / 交響組曲 天空の城ラピュタ』がW.D.O.2017世界初演、2018年の今年新たにレコーディング音源としてCDリリースされました。『交響組曲 もののけ姫』はW.D.O.2016世界初演で止まっている。

ここに導き出すのはひとつの回答です。正解か不正解かと言われると困ってしまいます。だから僕の回答を押しつけもしませんし、あるいは遠慮もしません。言い逃げではいけない、きちんと向き合って思い考え巡らせています。あぁ、そういう見方もあるかもね、いや違うんじゃない。最終的には、あなたの回答を導き出すきっかけ材料にしてもらえたらうれしいです。

 

 

バッハの「マタイ受難曲」を聴いてみたいと思いながらずっと素通りしていました。約3時間もある、これはなかなか根気がいるというのが理由です。深掘りはできないけれど、まずは一旦通して聴いてみようよ、やっと手をのばしました。

厳かな世界だなあ、すると、どこかで聴いたことあるフレーズが流れてくる。あれ、これ何だったかなあ、疑問をすえおき聴き進める、また同じフレーズが登場する。合唱による美しい旋律、合わせて鼻歌で歌いながら記憶をめぐらせる。

久石さんの作品にあったよね!

『THE EAST LAND SYMPHONY』「5. The Prayer」です。えっ、旋律そのままだけど!?なんで?!……待てよ、そういえばバッハが云々あったかも。CDライナーノーツを取り出します。

 

「5.The Prayer」は今の自分が最も納得する曲です。ここのところチャレンジしている方法だいうことです。最小限の音で構成され、シンプルでありながら論理的であり、しかもその論理臭さが少しも感じられない曲。すべての作曲家の理想でもあります。もちろん僕ができたということではありません。まあ宇宙の果てまで行かないと実現できそうもないことなのですが、志は高く持ちたいと思っています。ソプラノで歌われる言葉はラテン語の言諺から選んでいます。もちろん表現したかったこと(それは言わずもがな)に沿った言葉、あるいは感じさせる言葉を選んでいます。後半に現れるコラールはバッハ作曲の「マタイ受難曲第62番」からの引用です。このシンフォニーを書こうと考えたときから通奏低音のように頭の中で流れていました。

久石譲

(CDライナーノーツより抜粋)

 

ちゃんと書いてあります「後半に現れるコラールはバッハ作曲の「マタイ受難曲第62番」からの引用です」と。僕はこれ、てっきり歌詞や言葉を引用したんだろうと勘違いしていたんですね。だからこの時「マタイ受難曲」原曲を確認しようとすることを怠った、反省。

 

from Youtube

 

この旋律を聴いて「5.The Prayer」の間奏部だとすぐにつながった人は『THE EAST LAND SYMPHONY』をよく聴いていますね。曲全体のソプラノによる歌唱パートは久石譲作によるもの、後半に1度だけ顔をのぞかせるオーケストラパートが「マタイ受難曲 第62番」からの引用です。

このコラールの旋律は第15番・第17番・第54番・第62番に登場します。そして「マタイ受難曲」では合唱編成でしか奏でられません。器楽のみ演奏はない。約3時間がんばった甲斐ありました!? 原曲の雰囲気と全体像を知って聴き比べる。久石さんは器楽パートとして切り換え引用した。そして自ら書き下ろした旋律との融合が見事としか言いようがないことに気づきます。つながりもスムーズで違和感ないし、引用することで共鳴したり広く深くなる世界観。同じコラール旋律なのに、あえて第62番からの引用と言ったのか…第15番などじゃダメだったのか…それは「マタイ受難曲」の音楽作品を深く紐解くとストーリーとしての位置づけと重なるのかもしれません。僕の手には負えないので、タイトルだけ書き留めておきます。

第15番  コラール「われを知り給え、わが守り手よ」(合唱)
第17番  コラール「われはここなる汝の身許に留まらん」(合唱)
第54番  コラール「おお、血と涙にまみれし御頭」
第62番  コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱)

 

 

もののけ姫は?

忘れていません。

「5.The Prayer」を聴きながら、ずっと不思議だったんです。どうして曲が終わって観客の拍手が入ってるんだろう? 音楽作品としてならあの静謐な終結部、音がゆっくり消えていき静寂の余韻にひたりたいところに拍手が入ってくる。否応なく現実に引き戻される。あえてそうしたのはなぜ??

僕はこれを”あえて”と思っています。あの拍手を聴くたびに「これはLive盤だからね」「きちんとした完成版・レコーディング版じゃないからね」というサインのように聞こえます。近年の久石譲Live盤はW.D.O.を筆頭にまるでセッション・レコーディングしたかのようなハイクオリティ録音です。オーケストラの各楽器に配置された集音マイクはおそらく計40本以上。それらをステージに設置してのコンサート演奏とホール空気ごと封じ込めた音源化。指揮者や奏者の呼吸や足音、譜めくりの音も観客の咳払いも一切の会場音を排除できている。Live盤であることを銘打たないとわからないほどです。だからリリース時Live盤のときはきちんとそう告知されていますし、逆に告知されていなくて実はLive盤だったというようなことは、ないように思います。いろいろ危惧される諸事情ふくめて。

それはさておき、ここで一番大事なことは、久石譲オリジナル作品に声によるソリストを迎え入れた作品がかつてなかった、ということです。合唱を除くヴォーカルをフィーチャーしたもの。久石譲作品に見合う声なのか?久石譲が求める声質や歌唱なのか? 合唱と異なり声が大きなカラーとなってしまう扱い方には、作品の世界観にも大きな影響を及ぼします。まだめぐり逢えていないのか、答えが出ていないのか、とても慎重に熟考しているような気がします。

結論。

だから『THE EAST LAND SYMPHONY』はLive盤だった。「コンサートで世界初演したものを音源化しました。今回はこうなりました。」それがあの拍手のように思えてなりません。はっきり言えば「この時の演奏においては」という枕詞的サインです。ハイクオリティ録音でやもすると完全なるレコーディング版と思う人もいる。パフォーマンスのクオリティに納得していないわけではなく、コンサート・ソリストに納得していないわけでもなく、あくまでもレコーディング完結としたときのソリスト選定、現在進行系・吟味中の作品であること、めでたく結実しましたとはまだ言えない。そんな気がしています。

作品を生みおとす通過点のひとつとしてLive盤として音源化はしてくれた。映画音楽やCM音楽で起用するヴォーカルとは違います。映画の世界観に合う声として選ばれた場合は、当たり前に堂々とレコーディングできます。それだけに久石譲オリジナル作品として”声”を扱うというのは、とても神経を尖らせるデリケートなこと。かつ、そのリスクを背負ってでも、この作品は「3. Tokyo Dance」ふくめ言葉による世界観の構築とソプラノ歌唱による表現が必要だった。そんな新しい挑戦と覚悟が見え隠れする渾身の大作です。

 

 

順ぐりやっと「もののけ姫」です。

もうなんとなく僕の言いたいことは察しがつきますか。さて、散らかした考えをどうする…Q&Aでいきます。Q&Aはどちらも自問自答です。

 

 

Q.なぜ『交響組曲 もののけ姫』はリリースされないんですか?

A.「もののけ姫」「アシタカとサン」がソプラノ歌唱で構成されています。これを誰に歌ってもらうか、どんな声を求めているのか、ポイントになっているように思います。

 

Q.過去にもCD化されてますよね?

A.『交響組曲 もののけ姫』(1998)はチェコフィルハーモニー管弦楽団と共演した作品。プラハでレコーディングされました。全八章に及ぶ壮大な組曲は主題歌「もののけ姫」含むすべてインストゥルメンタル版です。『WORKS II』(1999)はここから4曲をセレクト忠実に再現したLive盤です。『真夏の夜の悪夢』(2006)はさらに3楽曲に絞り込み再構成した約8分半の作品。主題歌「もののけ姫」はヴァイオリンをフィーチャーしています。一夜限りのW.D.O.コンサートを収録したLive盤です。

 

Q.「もののけ姫」ヴォーカル版もありますよね?

A.『久石譲 in 武道館』(2008)は久石譲ジブリコンサートとしてDVD人気定着しています。このスペシャルコンサートは映画『崖の上のポニョ』公開年、映画オープニング「海のおかあさん」を歌った林正子さんが「もののけ姫」もコンサート歌唱しました。一期一会のコラボレーションです。「アシタカとサン」も新たに歌詞がつけられコーラス編成で披露されました。

A.『The Best of Cinema Music』(2011)は東日本大震災チャリティコンサートを収録したLive盤です。「アシタカせっ記」「TA・TA・RI・GAMI」も合唱あり再構成した武道館ヴァージョンが継承されています。「もののけ姫」は武道館にひきつづき林正子さんによるソプラノ歌唱(英語詞)でした。

 

Q.『交響組曲 もののけ姫』(2016)は?

A.こんがらがってきます。2016年版の音楽構成は最後を見てください。「もののけ姫」「アシタカとサン」がソプラノ歌唱されています。深掘りすると「アシタカとサン」はソプラノを迎え入れるタイミングで転調しました。「World Dreams」コーラス版と同じように。ソプラノのために必要だったと思うのですが、個人的には転調しないコーラス版と同じ構成がよかった、「アシタカとサン」はオリジナルキーで通してほしいと当時ひっそりメモしています。

A.『THE EAST LAND SYMPHONY』と同時初演された『交響組曲 もののけ姫』。考え方によっては、『THE EAST LAND SYMPHONY』でのソプラノ編成が主軸にあって、『交響組曲 もののけ姫』はその編成を活かした。合唱編成のないコンサートで「アシタカとサン」はどう披露できるか?となった。そんな見方もできますね、できませんか…?

A.「もののけ姫」「アシタカとサン」ふたつの楽曲は、歌と言葉による精神性、世界観を表現する重要な核になっているとも言えます。だからこそ誰が歌うか、どう表現するか、独唱なのか合唱なのか、はたまたオーケストラのみで築きあげるのか…。悩ましい。

 

Q.『交響詩 風の谷のナウシカ 2015』はCD化されています。

A.『The End of the World』(2016)にLive収録されています。『WORKS・I』(1997)から大きく進化した完全版です。独唱はありませんがコーラスが作品全体とおして大きな役割を担っています。「遠い日々」は合唱版になっていますが、理想は独唱+合唱という推察もできます。そこにはナウシカが歌っているという世界観。『風の谷のナウシカ サウンドトラック』(1984)版は麻衣、『WORKS・I』版はボーイ・ソプラノ、そしてジブリコンサートも多彩なヴォーカリストです。

 

Q.『The End of the World for Vocalists and Orchestra』も同アルバム収録です。

A.『Minima_Rhythm』(2009)から進化した久石譲オリジナル作品です。追加楽章となった「III. D.e.a.d」「久石譲編:The End of the World (Vocal Number)」はカウンター・テノールによる歌唱です。そしていみじくもこの作品もLive音源収録です。そこには、作品として現在進行系な何かが潜んでいるのか、声によるものなのか、久石譲作ではないスタンダードナンバーを組み込んでいるからなのか…。『Another Piano Stories ~The End of the World~』(2009)でもレコーディングされたこの曲、そこで歌っているのは久石譲本人です。

 

Q.『THE EAST LAND SYMPHONY』ちょっとうがった見方じゃないですか? Live盤にはよくある拍手です。

A.そこに戻るんですね。ラストを飾る曲が「Kids Return」「Madness」「Asian Dream Song」のような作品であれば、観客の高揚感と会場の臨場感を拍手まで完全収録して-完-、と素直に思ったかもしれません。「5.The Prayer」だったからこそ、ちょっと待てよと考えめぐらせるきっかけになっています。

A.『The End of the World for Vocalists and Orchestra』には拍手入っていません。辻褄はあいません。がんばって言うと、DISC1に収録されています。DISC1が終わってそこに拍手を入れるのか、そうするとDISC2にも入れるのか…。いろいろな考え方はありますね。

A.ヴォーカル・ソリストをフィーチャーした『The End of the World for Vocalists and Orchestra』『THE EAST LAND SYMPHONY』はLive音源になっている。『TRI-AD for Large Orchestra』『ASIAN SYMPHONY』はセッション・レコーディング収録されている。これは偶然…?!

A.『Minima_Rhythm III ミニマリズム 3』(2017)に収録された『TRI-AD for Large Orchestra』と『THE EAST LAND SYMPHONY』。ひとつのCDアルバムにレコーディング音源とライヴ音源が並列している。一般的にあまりないように思います。考察をめぐらせる価値は十分にある提示だと思います。

 

Q.都合のいいものだけ並べて言ってませんか?!

A.すべての作品を洗い出しても整合性はとれません。発表当時の時代や作品コンセプトも影響します。無理やり辻褄合わせをしようとも思っていません。ここでフォーカスしているのは、久石譲オリジナル作品/スタジオジブリ交響組曲、このふたつの大きな柱でプログラムされるようになる、世界初演に恵まれる作品も多いW.D.O.コンサート、「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」を起点にしています。

 

Q.久石さんを袋小路にしたいんですか?!

A.とんでもないです!むしろ逆です。思い考え巡らせることで、いまだ『交響組曲 もののけ姫』がリリースされていないこと何か理由があると考えたい。正解や理由が知りたいというよりも、そこには気分や気まぐれでリリーススケジュールを決めているわけじゃない、忘れているわけじゃない、タイミングを失ってるわけじゃない(言いたい放題 失礼しました)、そう思えるなにかを自分のなかで考えてみたい。近年の作品に対する信念やどう音源化できるかの指針が”リリースするかたち”として現れているように思っています。ひとつのものさしです。

 

Q.『交響組曲 もののけ姫』もLive盤としてリリースしたら?

A.久石譲オリジナル作品なら「今回はコンサートで披露してこうなったよ」で通過点にできるかもしれません。その先にある新たな進化やレコーディングもふくめて。一方ジブリ交響作品化として始動したものを「今回はこのバージョンね」と幾度リリースすること、いくつもの盤を並列させてしまうというのはちょっと考えにくいかなあと思っています。(ファンとしてはうれしいですよ!)

 

Q.だから慎重を期してTV放送もされていない?

A.TV放送だけしてCD音源化は見送る方法もありますね。TV放送もCD音源化もしない方法もありますね、今の時点では世の中にいかなるかたちでも出さないと。コンサートにはステージ集音マイクはもちろん収録カメラも入っていたはずです。『THE EAST LAND SYMPHONY』はCD化された。そういえばW.D.O.2016はABプロでソリスト違います。カメラが入った会場はどこだったのか(把握していません)、TV放送とCD音源でソリスト違いとなるのは混乱する…この先は推して測るべし。

A.とにもかくにも、コンサートTV放送だ!コンサートCD化だ!と当たり前の恩恵のように思ったらいけないですね。そこへたどり着くまでにどれほどの検討と葛藤と苦悩があるのか。考えめぐらせながら改心しながら。

 

Q.ほかにもリリースしない理由はあるのでは?

A.コンサート収録がうまくいかなかった。コンサートパフォーマンスに納得していない。組曲化の構成やオーケストレーションに納得していない。レコーディングスケジュールが組めない。……いろいろあるかもしれません。ほかにも到底考えが及ばないこともきっとある。でも、ここに書いた4つの理由はないかなと思っています。なぜ?と聞かれても困ってしまいます、なんとなく、いや直感です。

 

Q.これからの交響組曲化シリーズは?

A.『交響組曲 天空の城ラピュタ』はオーケストラ編成でした。そして注目すべきは『交響組曲 千と千尋の神隠し』もすべてオーケストラによるものでした。この音楽構成の意味するところは大きいと思っています。「あの夏へ」「ふたたび」ヴォーカル版も人気高いなか、武道館・世界ツアーでも展開中のジブリコンサート版とは線を引いた。開催地の多彩なヴォーカル・コラボレーションで華やかになる歌曲たちと、完全版として君臨することを目論む交響組曲化プロジェクト。今後『交響組曲 もののけ姫』が編成を変えて再演されるのか、また『崖の上のポニョ』(海のおかあさん/vo)や『となりのトトロ』といった作品がどんな交響組曲になるのか、ひとつの指標になると思っています。

 

Q.じゃあ結局どうしろと言いたいんですか?

A.『交響組曲 もののけ姫』(2016年版)をLive盤としてリリースしてほしい。そこに説明はいらない。ファンなら誰しも聴きたい!また聴きたい!早く聴きたい!

A.『交響組曲 もののけ姫』(1998年版)のように全編オーケストラのみインストゥルメンタル版。この場合、「もののけ姫」でヴァイオリン(コンサートマスター)&ピアノ(久石譲)が聴けたり、「アシタカとサン」も久石譲ピアノがたっぷり聴ける。ジブリコンサート版と線を引いて、『交響組曲 千と千尋の神隠し』と同じようにふたつのバージョンを楽しむことができる。かつ、2016年版は「旅立ち」「コダマ達」も追加されている。早く聴きたい!

A.「もののけ姫」(vo)、「アシタカとサン」(vocal or chorus)版。映画『もののけ姫』の精神性や世界観を表現できる歌い手さんにめぐり逢えますように。それは日本人じゃなくてもいいかもしれませんね。「Stand Alone」(坂の上の雲)もサラ・ブライトマンさんが歌うからこそ先入観なく入ってくる歌声、イメージ広がる世界観になった強みもあります。

A.たとえば、世界ツアーのジブリコンサート。各開催地で多彩なソプラノ歌手やヴォーカリストが華をそえています。これがソリストを射止めるオーディションだったとしたら?!世界各国を巡るなかコラボレーションするなかで、この人だっ!という歌い手さんにめぐり逢えたら?!妄想もここまでくると…。内心、半分真面目に本気です。

A.多彩なヴォーカル版がCDになってもいいと思うんです。テーマを根底から覆すつもりはないです。言いたいのはベストヴォイスを聴く人に委ねてもいいんじゃないかということ。もし仮に主題歌や歌手の扱いがネックになっていたとして、それゆえリリースされないというのはあまりにももったいない。スタジオジブリ作品、宮崎駿監督作品という大きく揺るぎない世界観があるからこそ、聴き手を少し信じて委ねてくれるならうれしく思います。早く聴きたい!

 

Q.あなたの言ってることは本当に信憑性あるんですか?

A.わかりません。わかりませんが、全力考察しました。意外にその答えは。世界初演されたその時すでに布石を打たれていたのかもしれません。

 

本日世界初演される「Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE」は、昨年初演された「Symphonic Poem NAUSICCÄ 2015」に続き、宮崎監督作品の音楽を交響組曲化していくプロジェクトの第2弾。楽曲構成は次の通り。まず、アシタカが登場するオープニング場面の「アシタカせっ記」。アシタカがタタリ神と死闘を繰り広げる場面の「TA・TA・RI・GAMI」。大カモシカのヤックルに跨ったアシタカが、エミシの村から西の地に向かう場面の「旅立ち」(ここで「もののけ姫」のメロディーが初めて登場する)。負傷した村人を背負って森の中を進むアシタカが、森の精霊コダマと遭遇する場面の「コダマ達」。傷ついたアシタカを森のシシ神に癒やしてもらうため、サンがアシタカをシシ神のもとに連れて行く場面の「シシ神の森」。サンの介抱によって体力を回復したアシタカが、人間と森の共生をめぐり、犬神のモロの君と諍う場面で流れる主題歌「もののけ姫」(本日は、ソプラノ歌手によって歌われる)。エボシ御前とサンの争いを仲裁したアシタカが、自ら負った瀕死の重症を顧みず、サンを背負って森に向かう場面の「レクイエム」。そして、久石のピアノ・ソロが登場する「アシタカとサン」は、シシ神の消えた森に緑がよみがえり、アシタカとサンが互いの世界で生きていくことを誓い合うラストの音楽である。

(楽曲解説:前島秀国 ~「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」コンサート・パンフレットより)

 

それではまた。

 

 

2020.7 on Twitter (memo)

「交響組曲 もののけ姫」はナウシカと同じく合唱あり版なし版どちらでも成立するのがいいと思う!

アシタカせっ記
TA・TA・RI・GAMI(合唱あり/なし)
旅立ち
コダマ達
シシ神の森
もののけ姫(ヴァイオリン&ピアノからオケ+合唱あり/なし)
レクイエム
アシタカとサン(合唱あり/なし)

 

2016年版
オーケストラとソプラノ独唱
a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
c) 旅立ち
d) コダマ達
e) シシ神の森
f) もののけ姫 (vo)
g) レクイエム
h) アシタカとサン (vo)

 

 

 

reverb.
『交響組曲 千と千尋の神隠し』は今年TV放送あるのかなあ、情報を待ちわびる日々。ちっとも改心していない。(^^;) ☆彡

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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