Posted on 2021/07/20
ふらいすとーんです。
久石譲の真骨頂ミニマリズムについて、進化つづけるミニマリズムについてです。
ミニマリズムとは
「Minima_Rhythm」というタイトルは、ミニマル・ミュージックの「Minimal」とリズムの「Rhythm」を合わせた造語だが、リズムを重視したミニマル・ミュージックの作品を作りたいという作家の思いからつけた。
不協和音ばかりに偏重してしまった現代音楽の中でも、ミニマル・ミュージックには、調性もリズムもあった。現代音楽が忘れてしまったのがリズムだったとするならば、それをミニマル・ミュージックは持っていた。
映画音楽やポップスのフィールドで仕事をしてきた。言うまでもなくポップスの基本はリズムであり、またメロディーにもある。そこで培ってきた現代的なリズム感やグルーヴ感、そういうものをきちんと取り入れて、両立させることで独自の曲ができるのではないか。もう一回、作品を書きたいという気持が強くなったとき、自分の原点であるミニマル・ミュージックから出発すること、同時に新しいリズムの構造を作ること、それが自分が辿るべき道であると確信した。それがごく自然なことだった。
(『Minima_Rhythm ミニマリズム』CDライナーノーツより 抜粋)
久石譲が若い時代に封印したクラシックに戻り、つよく作品をのこしたいと作家性を解放しはじめることになったのが、『Minima_Rhythm ミニマリズム』(2009)の発表です。ここから以前にまして、エンターテインメント音楽の大衆性とオリジナル作品の芸術性を両軸に、大きな翼を広げていくことになっていきます。
自らの原点であるミニマル・ミュージックを追求し、シンフォニックな作品を凝縮した記念碑的アルバム。フルオーケストラから室内オーケストラまで、クラシックの語法を施しながら、色濃く久石譲の作家性をもあぶり出してみせたミニマリズム出発点です。たとえて言うなら、シンフォニック・ミニマリズム。
指揮者久石譲としての現代的アプローチも如実に、ソリッドな響きに磨きのかかったアルバム。室内楽編成で彩られた作品は、ピアノソロ、2つのマリンバ、4つのサキソフォンとパーカッション、弦楽四重奏という独創性あるもの。最小(音型・編成)にこだわった芸術性で新しい方向性をすでに示してします。たとえて言うなら、室内楽ミニマリズム。
いよいよ長大な交響曲が姿を現した、それは未完となっていた交響曲第1番の完全版なる作品を遂に収録したアルバム。おさまりきらないカオスは、パーカッションが炸裂しソプラノが浄化する。またファンファーレ感きらめく新たなコンセプトと着想でまとめあげた祝祭的作品も。たとえて言うなら、管弦楽ミニマリズム。
最新作は、ミニマル×コンチェルトという斬新なコンセプト。さらにはソリストに迎える楽器も、協奏曲の数が稀有なコントラバスと、これまでのイメージを覆し新しい表現力に挑んだ3本のホルン。久石譲にしか書けない協奏曲を、久石譲とともに現代的アプローチを磨いてきたFOCの演奏で収録。たとえて言うなら、協奏曲ミニマリズム。
このように振り返ってみると、ミニマリズムはシリーズをかさねるごとに、コンセプト・音楽構成・楽器編成と、それぞれの盤に独自のカラーとテーマ性で練られ、それぞれの立ち位置で堂々と君臨していることがわかります。すべてに共通しているのはクラシック・フィールドから発表されていることです。伝統的なクラシックの手法を受け継ぎながら、現代の作品として新しい可能性を追求しています。
久石譲の現代作品はこれだけでしょうか?
歩みのなかで忘れてはいけないこと、あくまでも”Minima_Rhythm”出発点は【原点のミニマル・ミュージックをベースに作品を書くこと】であったということです。すでに『ミニマリズム2』(2015)の時には出発点から大きく進化しています。一般的なミニマル・ミュージックの狭義から大きく飛び越えています。
“ミニマリズム Minima_Rhythm”アルバムには収録されていないけれど、久石譲オリジナル作品の多くにミニマル手法は盛りこまれ、あらゆるかたちでミニマルなエッセンスは散りばめられています。
主なオリジナル作品(2000-)
2005年
DEAD for Strings,Perc.,Harpe and Piano
(『WORKS III』収録)
Links
(『Minima_Rhythm』収録)
Orbis
(『Melodyphony』収録)
MKWAJU 1981-2009 for Orchestra
(『Minima_Rhythm』収録)
DA・MA・SHI・絵
(『Minima_Rhythm』『Spirited Away Suite』収録)
Sinfonia for Chamber Orchestra
(『Minima_Rhythm』収録)
The End of the World
(『Minima_Rhythm』収録)
2010年
弦楽オーケストラのための 《螺旋》 *
*Unreleased
Prime of Youth *
*Unreleased
2011年
5th Dimension
(『JOE HISAISHI CLASSICS 4 』収録)
2012年
Shaking Anxiety and Dreamy Globe
(『Minima_Rhythm II』収録)
2014年
Single Track Music 1
(『Minima_Rhythm II』収録)
String Quartet No.1
(『Minima_Rhythm II』収録)
Winter Garden for Violin and Orchestra *
*Unreleased
2015年
祈りのうた ~Homage to Henryk Górecki~
(『The End of the World』収録)
The End of the World for Vocalists and Orchestra
(『The End of the World』収録)
室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra
(『MUSIC FUTURE 2015』収録)
コントラバス協奏曲
(『Minima_Rhythm IV』収録)
Orbis for Chorus, Organ and Orchestra *
*Unreleased
2016年
TRI-AD for Large Orchestra
(『Minima_Rhythm III』収録)
THE EAST LAND SYMPHONY
(『Minima_Rhythm III』収録)
2 Pieces for Strange Ensemble
(『MUSIC FUTURE II』収録)
2017年
Encounter for String Orchestra
(『Spirited Away Suite』収録)
ASIAN SYMPHONY
(『Symphonic Suite Castle in the Sky』収録)
室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜
(『MUSIC FUTURE III』収録)
2018年
The Black Fireworks 2018 for Violoncello and Chamber Orchestra
(『MUSIC FUTURE IV』収録)
2019年
Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra *
*Unreleased
2020年
The Border Concerto for 3 Horns and Orchestra
(『Minima_Rhythm IV』収録)
2 Pieces 2020 for Strange Ensemble *
*Unreleased
Variation 14 for MFB *
*Unreleased
2021年
I Want to Talk to You ~ for string quartet, percussion and strings ~ *
*Unreleased
交響曲 第2番 *
*Unreleased
久石譲オリジナル作品一覧はこちらにまとめています。上記は大きく抜粋したものです。その全貌や変遷はこちらからどうぞ。
久石譲コンサート活動の転換点となった「久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシックス(FOC)」と「久石譲 presents ミュージック・フューチャー(MF)」、この2つのコンサート・シリーズは創作活動にも影響を与えている分岐点です。
コンサートそのものに大きなコンセプトを備えているので、おのずとそこで発表される久石譲新作も、コンセプトに沿ったものという新しい指向性をうみだすことになりました。最新アルバム『Minima_Rhythm IV』に収録された「The Border Concerto for 3 Horns and Orchestra」はFOCコンサートで初演されたものです。
新しいミニマリズム 1
注目したいのは、MFコンサートで新作として初演される個性的で先鋭的な作品たちです。オーソドックスな楽器編成ではなく、ストレンジな特殊編成でつくりあげられているという点においても。
《ソリストのためのミニマリズム》です。こんなにおもしろい構成ってなかなかないと思います。変わった楽器編成かつソリストを迎えたかたちで、ミニマル手法を駆使した音楽を構成しています。ソリスト×ミニマルって世界中をみわたしても、作品群として築いている人ってそういないんじゃないかな。オーケストラとして、アンサンブルとしては、もちろんあります。でも、ソリストのためのミニマル作品ということは、ソリストを務める演奏者に求められるものも大きく、またソロ楽器のことも熟知したうえで表現力を開花できる作曲家、ということになるからです。
《Minima_Rhythm for Soloists》
室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra
(エレクトリック・ヴァイオリン)
室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》
~バンドネオンと室内オーケストラのための~
The Black Fireworks 2018 for Violoncello and Chamber Orchestra
(チェロ)
Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra *
(2台のピアノ)*Unreleased
タイトルを見ただけでも、なんと意欲的で衝撃的な作品が並んでいることか。エッジの効いたサウンドはときにサンプラーやキーボードもアクセントになっています。実験性の高いというには完成度の高すぎる、その時期の創作活動のマイルストーンとなっている楽想・音色・コンセプト・手法・こだわりなどが濃厚に反映されている。そして、オーケストラ作品よりも編成規模も中、時間も中、ほどよい大きさと長さは、より一層ミニマル・ミュージックを突きつめるのにも適している。新しい感覚で聴き手を魅了し、躍動と静謐の緩急で覚醒させ、未来を切り拓いていこうとするエネルギーに溢れています。そして!(ここ大切)、ソリストをおくことで、呼吸するミニマル、エモーショナルなミニマルを強く打ち出しています。
広く協奏曲も for ソリスト。
最新作『Minima_Rhythm IV』に収録された「Contrabass Concerto」も「The Border Concerto for 3 Horns and Orchestra」も協奏曲というグルーピングであり、ソリストを迎えある楽器にフィーチャーした音楽構成という意味では、上のMF作品群と同じです。一方では、MFの室内交響曲と銘打ったエレクトリック・ヴァイオリンやバンドネオンの作品も、音楽構成は協奏曲形式です。2つの協奏曲もMF作品群も《ソリストのためのミニマリズム》という大きなグルーピングにもなります。
音源化されていない「Winter Garden for Violin and Orchestra」もヴァイオリン協奏曲の構成をとった珠玉の作品です。まだかまだかと待ち望んでいるファンはとても多い。
久石譲の大きなこだわり。一貫してすべての作品で、ソロ楽器とオーケストラ(アンサンブル)が役割の切り離された主従関係のような構成をとっていません。ソロが主役、オケが伴奏ではなく、一体化して聴かせる音楽になっている。旋律も音色も融和することで、絶妙な調和をうみだし、ソリストふくめ全奏者がアンサンブルする一員となっている音楽構成です。
ソリストのために構成された音楽は、性格・カラー・コンセプトを決定づける大きな要素になります。そして、伝統的な協奏曲形式をとりながらも、斬新で意欲的な現代にしか書けないもの。久石譲の《ソリストのためのミニマリズム》とは挑戦であり開拓である、と強く感じます。
新しいミニマリズム 2
久石譲の音楽は、エンターテインメント音楽(大衆性)とオリジナル作品(芸術性)の二面性のバランスをとりながら、いずれか一方を強く打ち出すかたちで、境界線を引くように生みだされてきました。
近年は、エンターテインメント音楽とオリジナル作品の発表比率が5:5に近づいているだけではなく、エンターテインメント音楽においても、色濃く作家性をにじませた楽曲をつくっています。つまり大衆性と芸術性の二面性という境界線をクロスオーバーするような作風が目立ってきました。
《エンターテインメント・ミニマリズム》あるいは《クロスオーバー・ミニマリズム》です。エンターテインメントの壁をすり抜けて、ミニマルなアート性を貫いた楽曲たち。映画音楽やCM音楽という壁をすり抜けて、オリジナル作品へと昇華したり組み込まれた楽曲たち。
《Minima_Rhythm for Crossover》
ASIAN SYMPHONY
(『Symphonic Suite Castle in the Sky』収録)
映画『花戦さ』のために書き下ろされた楽曲が、ひとつの楽章として組み込まれています。
Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra *
*Unreleased
ダンロップCM音楽のために書き下ろした楽曲が、ひとつの楽章として組み込まれています。
ほかには、直近から映画『海獣の子供』『赤狐書生』、テレビ『ディープオーシャン』、プラネタリウム『ad Universum』、プロモーション『Will be the wind(レクサス中国)』『Prayers(明治神宮)』など、さまざまな機会でミニマル手法の多面性を開花させています。このなかには、すでに演奏会用に再構成された作品もあります。
ここでひとつ象徴的な言い方をしてみましょう。これまでは聴いてすぐ「あっ、久石メロディだ」とわかる楽曲がエンターテインメント音楽にありました。最近は、「あっ、この音楽久石さんかな」とわかるミニマル手法の楽曲がエンターテインメント音楽にあります。ミニマルなエッセンスが広くお茶の間にも顔をのぞかせしっかり浸透しはじめている。
少し横道に。
久石譲は「ASIAN SYMPHONY」を【メロディアスなミニマル】(2017)と言い、「DEAD」を【最も自分らしい曲でもある】(2018)と言っています。ここで引き出したいのは、メロディとミニマルを融合させるかたちをこの2作品はとっているということです。これこそが、久石譲独自の音楽を確立するひとつのモデルとなっています。
エンターテインメントとオリジナル作品、メロディアスとミニマル。エンターテインメントはメロディアス、オリジナル作品はミニマルと、これまでは並走する2本の線だったものが、4つの点を縦横無尽にクロスして、これまでの境界線をとっぱらって、なんの矛盾もなく共存できる、いかなる可能性をも秘めています。
《Minima_Rhythm for Soloists》×《Minima_Rhythm for Crossover》
Untitled Music *
*Unreleased
TV番組『題名のない音楽会』のために書き下ろされたテーマ曲で、番組司会を務めた五嶋龍さんに華を添えるように、ヴァイオリンをフィーチャーした楽曲になっています。久石譲の新しい方向性を導いたといってもいい、秀逸なエンタメ×ミニマルの結晶です。オリジナル作品一覧にラインナップしたいほどに。
The Dream of the lambs
(『羊と鋼の森 オリジナル・サウンドトラック SPECIAL』収録)
映画エンディングテーマとして書き下ろされた曲で、久石譲と辻井伸行というコラボレーションは大きな話題にもなりました。ミニマルとメロディアスが交差するこの曲は、記憶にのこる印象的なメロディと高度な律動で、心地よい情感と緊張感に魅了されます。
この2曲は、今ある単曲としても素晴らしいです。もしかしたら、これから大きな作品へと再構成される可能性もないとは言えない、久石譲作品を並べるうえで外せない作品です。
リスペクトする演奏家、コラボレーションしたい楽器、ソリストのために書き下ろされる作品。世界で活躍する次世代を担う若きトッププレーヤー、五嶋龍(ヴァイオリン)、辻井伸行(ピアノ)、三浦一馬(バンドネオン)、現代的なアプローチとリズム感覚にも優れ、若い才能と強い個性で久石譲音楽を輝かせる。抜群の安定感と充実した表現力でリードするトッププレーヤー、西江辰郎(ヴァイオリン)、マヤ・バイザー(チェロ)、滑川真希(ピアノ)、石川滋(コントラバス)、福川伸陽(ホルン)、演奏不可能を可能にする熟練の技術と集中力。こういった一流演奏家たちこそ、100年後のソロ楽器レパートリーへと久石譲音楽をつないでくれる確かな先導者たちです。
新しいミニマリズム 3
久石譲の初期作品は、アンサンブル曲やシンセサイザー曲があります。のちに、オーケストラ作品として生まれ変わったものも数多くあります。「MKWAJU 1981-2009 for Orchestra」「DA・MA・SHI・絵」「DEAD for Strings,Perc.,Harpe and Piano」「The End of the World」など。オリジナル版から発展させたもの、完全版へと昇華させたもの、これがこれまでのひとつの流れでした。
久石譲の近年作品は、完全版としてあるものを新たに置き換える、そんな手法も目立つようになりました。《リコンポーズ・ミニマリズム》です。楽器編成を拡大したり、反対に縮小したりすることで、その楽曲の核を強く浮かびあがらせる。あるいは、楽器や構成を換えても楽曲の核を失わないことを確かめるように。そのようにして再構成(リコンポーズ)していく。オリジナル版からリコンポーズまでの期間が短いというのも特徴といえます。
《Minima_Rhythm for Recomposed》
Shaking Anxiety and Dreamy Globe
[2台ギター版]
[2台マリンバ版]
Single Track Music 1
[吹奏楽版]
[サクソフォン四重奏と打楽器版]
Encounter
[弦楽四重奏版] 第一楽章
[弦楽オーケストラ版]
祈りのうた
[ピアノ版]
[ピアノと弦楽合奏とチューブラー・ベルズ版]
The Black Fireworks
[バンドネオンと室内オーケストラ版]
[チェロと室内オーケストラ版]
2 Pieces for Strange Ensemble *
(2016年版/2020年版 改訂)
Variation 14 for MFB *
(交響曲第2番からひと楽章を先行披露)
I Want to Talk to You *
(合唱版/器楽版 先に完成の合唱版は未初演)
*Unreleased
また、作品をまたいだ転用手法もあります。
The End of the World for Vocalists and Orchestra
III.D.e.a.d
「D.E.A.D」第2楽章<The Abyss~深淵を臨く者は・・・・〜>がひとつの楽章として組み込まれています。
Orbis for Chorus, Organ and Orchestra
III. Mundus et Victoria ~世界と勝利
「Prime of Youth」をベースに合唱パートを加えひとつの楽章として再構成されています。
The Border Concerto for 3 Horns and Orchestra
III. The Circles
「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」第3楽章をベースにひとつの楽章として再構成されています。
このように、一度コンポーズ(作曲・構成)したものを、柔軟にリコンポーズ(再構成)することで、久石譲作品の足腰はどんどん鍛えられ、強靭なコアを磨きあげていっている。クラシック音楽では、旋律の転用をはじめ楽曲まるまる転用という手法は一般的にあります。ベートーヴェンでもマーラーでもお気に入りのメロディをいろいろな作品に使っていたりします。そこには、作曲家のオリジナリティが強くあるもの、作曲家の執着が強いもの、作家性としてコアなパーツが転用されていると捉えることもできます。作曲家の視点でみるなら、転用に値すると判断したもの、ということでしょうか。
裏返せば、リコンポーズほど作家性が色濃く出る手法はありません。自作品であれば、リコンポーズするだけのオリジナル性をもっていないとBefore作品もAfter作品もその魅力を発揮でません。他作品であれば、オリジナル版から新しい魅力を引き出せる、あるいはリコンポーズした人が誰なのか聴いてわかるほどのアイデンティティをそこへ残せるか。「フィリップ・グラス:TWO PAGES」を久石譲がリコンポーズした版のように。
リコンポーズについては、これから先もふれることがあると思うので、いまはキーワードだけ残させてください。……リワーク、再構成、再構築、脱構築、再作曲、解体、変形、変容、再発見、再創造…どれも久石譲リコンポーズ・ワークスにつながるように思います。
久石譲は、自らを作曲家という肩書きにこだわっています。多種多彩なコンサート活動をみわたせば、プログラム(選曲)ふくめプロデューサーでもあります。指揮者として臨んだコンサートでも、古典作品と現代作品を同じアプローチで扱いソリッドに表現構成しています。コンポーズには作曲という意味がありますが、構成するという意味もあります。久石譲の活動をみると、大きく音楽を構成している人のようにも思えてきます。久石譲は作曲家であり音楽を構成するコンポーザー。現代における稀有な音楽家です。
新しいミニマリズム 4
最後はやっぱり《交響曲ミニマリズム》です。
《Minima_Rhythm for Symphony》
THE EAST LAND SYMPHONY
記念すべき第1交響曲は、「THE EAST LAND SYMPHONY」とされています。もともとは未完で発表された「交響曲第1番 第1楽章」を、そのまま第1楽章として継承し全5楽章からなる作品として誕生しました。
位置づけとしての番号付け【第1交響曲 / シンフォニーNo.1】はしていますが、作品名としての番号付け【交響曲第1番 / シンフォニー No.1】はされていません。このあたりの思いについて、以前少し語られたことがあります。
”これはすごく悩みます。シンフォニーって最も自分のピュアなものを出したいなあっていう思いと、もう片方に、いやいやもともと1,2,3,4楽章とかあって、それで速い楽章遅い楽章それから軽いスケルツォ的なところがあって終楽章があると。考えたらこれごった煮でいいんじゃないかと。だから、あんまり技法を突き詰めて突き詰めて「これがシンフォニーです」って言うべきなのか、それとも今思ってるものをもう全部吐き出して作ればいいんじゃないかっていうね、いつもこのふたつで揺れてて。この『THE EAST LAND SYMPHONY』もシンフォニー第1番としなかった理由は、なんかどこかでまだ非常にピュアなシンフォニー1番から何番までみたいなものを作りたいという思いがあったんで、あえて番号は外しちゃったんですね。”
(Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 より抜粋)
さらに悩ましいことに、「THE EAST LAND SYMPHONY」(2016)を第1/No.1としてしまうと、それ以前の交響作品たちは??
多楽章で構成されたオーケストラ作品(改訂 発表順)
- DEAD for Strings,Perc.,Harpe and Piano ※弦楽オーケストラ
- Sinfonia for Chamber Orchestra ※室内オーケストラ
- Winter Garden for Violin and Orchestra ※協奏曲形式
- The End of the World for Vocalists and Orchestra ※スタンダード曲含む
- Orbis for Chorus, Organ and Orchestra
- ASIAN SYMPHONY
- THE EAST LAND SYMPHONY ← 第1/No.1
実は、こう振り返ってみると、もし仮に過去作品から純粋な【久石譲 第1交響曲】を選ぼうとすると、、「Sinfonia for Chamber Orchestra」「Orbis for Chorus, Organ and Orchestra」「ASIAN SYMPHONY」あたりに絞られてくることにも気づいてきます。見方によるけれど「The End of the World for Vocalists and Orchestra」くらいの4作品まで。ふむ、4作品も候補があれば充分あふれてる気もしてくる。交響曲をフルオーケストラの管弦楽作品としたときにです。
個人的には、作品番号付けしてほしい派です。「THE EAST LAND SYMPHONY」ではなく、「交響曲第1番《THE EAST LAND SYMPHONY》」でも「交響曲第1番《THE EAST LAND》」でもいいので。
理由は2つです。
久石譲の交響作品がワンセットとして機能すること。「今日は3番聴こうかな、今日は5番な気分だな」とか、そういうあり方をひとつひとつの作品がしてくれることで、久石譲音楽が多面的に有機的に響きあうこと。数字的な無機質さの良さ(機会を狭めない)もあります。
もうひとつは番号付けによる関連付けです。未来の話をします。たとえば100年後、「久石譲:交響曲第5番《○○○》」が注目されたとします。引っ張られるように、ほかの番号作品は?と注目が連鎖していきます。歴史のなかで見直されてきたマーラー交響曲たちのように。もしこれが、《○○○》だけだったら注目が点で終わる可能性もあるのかもしれません。番号付けすることで交響作品の点と点が線となり、久石譲交響作品の歴史としてわかりやすくなります。
外堀から攻める。
「シューマン:交響曲 第4番」、作曲年次としては、第1番《春》に次ぐ2番目の交響曲であるが、改訂後の出版年次(1854年)により第4番とされた。(ウィキペディアより)
「メンデルスゾーン:交響曲 第4番」、第1番、第5番に次いで実質3番目に完成された。「第4番」は出版順である。(ウィキペディアより)
長い長い歴史でみたときに、実は完成はこっちが先とか初演はこっちが先とか、そういうことは、重要じゃない、いや重要なんです。聴く人が深く紐解こうとしたときに、聴く人が深く聴き入ろうとしたときに、トリビアな味わいになっていくじゃないかなあと思います。
そして第2交響曲は、「交響曲 第2番」として2021年に初演されたばかりです。なんとタイトルがなくなって純粋な作品番号だけになっています。…と書いていたところに、最新ウェブインタビューでその理由も知ることができました。
”でも、そういうタイトルを付けると、必ず〈Borderってどういう意味ですか?〉とか質問されるじゃないですか。そこで僕が言った言葉が聴く人にある種のイメージを付けてしまいますよね。現代音楽の人は実はそういうことが大好きなのですよ。そこで、僕はタイトルを付けることはやめてしまったのです。
例えば、〈9.11についての作品〉〈東日本大震災に向けたレクイエム〉〈政治に対する怒り〉といったきっかけで書かれた作品はすごく多い。でも、僕は、そういうのはゼロなんですよ。音の運動性をきちんと書きたい訳です。〈純音楽〉と言ったらいいのかな、バロック時代のように音のフレーズを運動体として、文学的な意図なんて一切無しに、音を論理的に構成していくことをやりたいんですよ。だから、タイトルを付けられないんですね。
今、9月の新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会のために書いている作品も、同時に演奏するマーラーと同じ編成のオーケストラ曲ですが、あくまでも〈交響曲〉というタイトルで、特にサブ・タイトルは付けません。そういう意味でも、今回の『ミニマリズム4』のアルバムは、ひとつの特徴ある作品集となったと思います”
(Info. 2021/07/15 久石譲がコントラバス石川滋、ホルン福川伸陽と語る挑戦に満ちた協奏曲集『ミニマリズム4』(Web Mikikiより) 抜粋)
とても賛成です。なんだか勇み足だったかな。ポイントは【運動性】【純音楽】と前インタビューの【ピュア】といったキーワードに象徴されています。純粋に音の運動性で論理的に構成した作品ということですね。こうなってきたら、もっと柔軟に、ベートーヴェン交響曲のように(本人が付与したわけではないけれど)、サブ・タイトル付きの交響曲と番号のみ交響曲とが並んでていいんじゃないかなあと思います。だから、想いも込めた「交響曲 第1番《THE EAST LAND》」と次は「交響曲 第2番」そして次は、というように…しつこいかな。
過去の交響作品たちも、新しい番号をもらう日がくるかもしれません。たとえば、「The End of the World」が交響曲第○番とされる日には、今あるスタンダード曲の引用楽章はなくなるかもしれないとか、「DEAD」の弦楽オーケストラ構成が管弦楽に拡大されるならばとか、「Orbis」は完全版となって第9交響曲にあたるのかな!?とか…改訂や出版のタイミングで晴れて番号もらえる…しつこいかな。
「交響曲 第2番」についてのレビューは、少し先に控えています。「久石譲&WORLD DREAM ORCHESTRA 2021」コンサート・レポートでたっぷり感想を語れたらと思っています。たぶん重複しますが、強く言いたいこと。「THE EAST LAND SYMPHONY」と「交響曲 第2番」の2作品だけを並べてみても、そこには大きな3つの要素があります。古典のクラシック手法、現代のミニマル手法、そして伝統の日本的なもの。この3つの要素と音楽の三要素(メロディ・ハーモニー・リズム)の壮大なる自乗によって、オリジナル性満ち溢れた久石譲交響曲は君臨しています。これは誰にもマネできるものではありません。《Minima_Rhythm for Symphony》、これこそまさに久石譲にしかつくれない交響曲であり、《総合的な久石譲音楽のかたち》と言うべきものです。
むすび。
今までの流れだけを見て、今の時点だけをとらえて、カテゴライズしてしまうのは可能性を狭めてしまいます。作品たちのそれぞれの立ち位置や、作品群としての位置関係などは、あとから大きく見たときにわかってくるでいい。そう思っています。むしろ、いろいろと楽しく推測したり空想広げたら、無限の方向性や新しい転換点がまだまだこの先待ちうけているんだろうなあという、予想もできないワクワク感でいっぱいになってきます。
2020年『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』久石譲音楽のメロディにフォーカスした自作品や映画音楽などからセレクトされた世界リリース・ベスト盤です。2021年『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』では、オリジナル作品からも収録されます。これまで以上に、世界中から注目を浴びることは間違いありません。
もっともっと先に、「ミニマリズム Minima_Rhythm」のワールド・ベストが発売されることにでもなれば、もっともっと久石譲作品が広く聴かれることになるでしょう。「Minima_Rhythmシリーズ」のユニバーサルミュージック、「MUSIC FUTREシリーズ」のオクタヴィア・レコード、ぜひレーベルの枠を越えてオールタイム・ミニマリズムになったら、なおいいなあと思います。
久石譲ミニマリズムの足跡をたどること、それは現代作曲家としての久石譲の足跡をたどることそのものです。時代ごとのアイデア・コンセプト・テーマを、純粋に音楽的に具現化されたもの。クラシック・現代音楽・最先端まで時代の語法を駆使しながら、論理的に構築された音楽たち。エンターテインメント音楽ではうかがい知れない、時代の空気を色濃くあぶり出しすような現代の音楽たち。点と点がしっかりと線になっている久石譲オリジナル作品は、20-21世紀の歴史を刻み未来のレパートリーとなりますように。《新しいミニマリズムのかたち ミニマリスト:久石譲》でした。
Modern Minima_Rhythm Style
Minimalist: Joe Hisaishi
それではまた。
reverb.
今回は、久石譲の音楽活動をリアルタイムに(必死についていこうと!?)歩んでいるファン、そんな歩速と歩幅で、足なみ緩めることなく一気に進みました。こんな作品知らなかった、こんなコンサート活動知らなかった、こんな歴史知らなかった、ということもあると思います。興味あるところからゆっくりのぞいてもらえたなら、じんわりたしかにわかってくることもあると思っています。いつも頭の中散らかっています(^^;
*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number]
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