Info. 2017/10/21 [TV] 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」スカパー!放送決定!!【12/07 Update!!】

Posted on 2016/08/17

8月2日から8月16日まで、日本国内・韓国で開催された「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」の放送が早くも決定しました。

8月16日東京国際フォーラムホールA【Aプログラム】が収録放送予定です。 “Info. 2017/10/21 [TV] 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」スカパー!放送決定!!【12/07 Update!!】” の続きを読む

Info. 2017/12/02 「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」ライブレポート(ナタリーより)

「SONGS OF TOKYO」でPerfume、Linked Horizon、X JAPAN、久石譲ら熱演

11月26日に東京・NHKホールにてNHKワールドTVおよびNHK総合で2018年1月に放送される音楽番組「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」の公開収録が、11月25、26日に東京・NHKホールで行われた。本記事では2日目の模様をレポートする。 “Info. 2017/12/02 「NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO」ライブレポート(ナタリーより)” の続きを読む

Blog. 「DVD&ブルーレイでーた 2017年11月号」我が愛しのブレードランナー/久石譲 コラム 内容

Posted on 2017/12/01

雑誌「DVD&ブルーレイでーた 2017年11月号」より「我が愛しのブレードランナー」リレー・コラムの最終回に登場した久石譲です。

映画「ブレードランナー」に惚れ込んだ理由から、「ブレードランナーの彷徨」(アルバム『illusion』(1988)収録)なんて初期作品まで飛び出し!? 懐かしさと同時に、あぁ覚えてるんだとファンならではのうれしさもあったり。ついついアルバムを聴きかえしたくなります。聴きかえしてしまいます。

「自分のやりたいことがそのままできる機会なんてまずないですからね。それでも『これだけは譲れない』とぶつかったり、譲ったフリをして別の方法で取り返したり。みんなそうやって生き抜くために努力しているのが現実ですよ。」(一部抜粋)

折にふれて語ることのある話題ですが、映画・音楽という異なるジャンルをこえてあぶり出される作家性のようなもの。共鳴し重なりあうことでわかりやすく理解できるのかもしれませんね。

 

 

”ブレラン愛”を語り尽くすリレー・コラム
我が愛しのブレードランナー

最終回 久石譲

3号連続でお送りしてきた本連載、満を持して登場してくれたのは、世界的音楽家である久石譲。数々の名曲を生み出してきた彼が『ブレードランナー』に惚れ込んだその理由とは?

「ヴァンゲリスの温かい音楽はSF映画では異質だった」

-初めて『ブレードランナー』(以下BR)を観た時の印象を教えてください。

久石:
「SF映画は好きなので、劇場公開された’82年に映画館で観たと思います。ただ正直に言うと、その時はあまり印象には残らなかったんですよね。『なんか暗い映画だな』くらいで(笑)。でもその後に原作小説(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)を読んで、それがかなり飛んでる話で『映画もこんな話だったっけ?』と、ビデオでもう一度見観直してみたんです。するとどういうわけか、そこからジワジワと好きになっていったんですよね」

-徐々に良さが分かったということですよね。一体どんなところに惹かれたのでしょうか?

久石:
「ひとつはヴァンゲリスの音楽です。ほとんどシンセサイザーなんだけど、いわゆるシンセ臭くなくて、それが素晴らしいなと。当時僕はフェアライトという何千万もするシンセサイザーを購入して試していた時期なので、『こういうアプローチをするのか』と、作曲家として非常に刺激を受けた部分がありました」

-”シンセ臭くない”というのは、どの辺りから感じたんですか?

久石:
「シンセサイザーは既に映画音楽に浸透していて、当時はちょっとした流行でもあったんです。だからヴァンゲリスがシンセの先駆者というわけではないんだけど、彼はクラシックの素養もあり、それまでのシンセを使った映画音楽とは一線を画していたんですね。ちょっとジャジーなコード使いだったり、スローテンポ感だったりで、音楽全体に温かい雰囲気が漂っていて、それは当時のSF映画の音楽としてはかなり異質なアプローチだったんです。それが『BR』のシリアスな近未来の世界観によく合っていた。ヴァンゲリスの音楽でなかったら、『BR』の雰囲気はもっと重苦しいものになっていただろうし、そういう意味では影から全体を支えていたと思いますね」

-久石さんは1988年に『ブレードランナーの彷徨』(アルバム『illusion』収録)という楽曲を発表されていますよね。しかも、ご自身で歌われて…。

久石:
「それは言わないで。誰も歌い手がいなかったもんだからさ(笑)。でも確かにこの曲のタイトルは『BR』を基にしましたね。当時はバブル期の絶頂で、みんなが孤独な仮面舞踏会状態だったから、まるでレプリカントのようだと揶揄したんです。実は同じアルバムに収録している『オリエントへの曳航』や、その後につくった『MY LOST CITY』も終末的な世界観が『BR』と同じです」

-そうだったんですね。一方で、『BR』の映像についてはどう感じられましたか?

久石:
「素晴らしいです。リドリー・スコットのこだわりが尋常じゃないですよね。近未来という設定を見事に使い切り、ここまでの映像で表現している作品はほかにないですよね。世界観も美術もほぼ到達している感じ。雨を降らし、スモークを焚き、ライティングやカメラ・アングルは徹底的にやって。そりゃあ膨大な時間と手間が掛かりますよ。これは有名な話だけど、リドリー・スコットのあまりのこだわりぶりにスタッフも役者も暴動寸前で、監督を罵る言葉をプリントしたTシャツを着て仕事をするほど、現場の雰囲気は最悪だったらしいよね(笑)。さらに予算が足らずにシーンをかなり削ったり、上層部の意向で監督としては不本意なラストシーンが追加されたりトラブルの絶えない作品だったみたいだけど、結果として、こだわりがいのある映像に仕上がっていましたね」

-そんな苦しい状況下で不朽の名作が生まれたというのは本当に驚きですね。

久石:
「それは結果としてそうなった。カットが減り、シーンの繋ぎが分かりにくくなったことで観客の想像力を刺激することになったとも言えるし。『BR』の成功はどこにあるのかなと考えると、あの映像とヴァンゲリスの音楽、台本も非常にしっかりしていた。色々なシチュエーションが重なって、いつの間にか”不朽の名作”になっていたんじゃないかと。まあ監督としては自分が思う通りのものにならず、悔しい思いをしたでしょうけどね」

-久石さんもリドリー・スコットと同じような苦労を味わったことがありますか?

久石:
「それは僕に限らず、モノづくりしている人みんながそうだと思いますよ。自分のやりたいことがそのままできる機会なんてまずないですからね。それでも『これだけは譲れない』とぶつかったり、譲ったフリをして別の方法で取り返したり。みんなそうやって生き抜くために努力しているのが現実ですよ。リドリーも『BR』で妥協したり踏ん張ったことで、その後素晴らしい作品を生み出すことになったわけですから。それで思い出しましたけど、初めて『BR』の予告篇を観た時は思わず笑っちゃいましたね。アクション&ラブ・ロマンスの大作として大々的にアピールされていて。実際にはアクションもラブ・ロマンスもそんなにないのにね…(笑)。本当、大変だったんだろうなと思います」

-久石さんが最も印象に残っているシーンと言えば、どこでしょうか?

久石:
「やっぱりラストの屋上でのやり取りですね。レプリカントの寿命が尽きて鳩が飛んでいくあのシーンは、もうほとんど哲学的と言っていいくらいだし、映画史に残る名シーンだと思います。エンターテインメントのフリをしながら、最後に”人間とは何なのか”という命題をボーンと突きつけてくる。小難しい問答があるわけではなく、シンプルな形でこれだけ深いテーマを表現できるのはスゴイですよね。それって音楽の在り方としてもまさに理想で、『自分もそういう音楽をつくりたいな』と思った記憶があります」

-では最後に、本作の続編となる『ブレードランナー 2049』への期待についてお聞かせいただけますか?

久石:
「正直、不安と期待が入り混じっていますね。何しろ、続編で『1』を超えるものって、なかなかないんですよね。リドリーの『エイリアン』(’79)でさえ、やっぱり『1』が最高ですし。ただし今回だけは期待してもいいかなとは思っています。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はオリジナルの大ファンみたいですし、リドリー・スコットも彼に全面的に任せているんでしょ? それはすごく正しい選択ですよ。上からコントロールしようとしたら、逆に上手くいかないと思う。『ラ・ラ・ランド』(’16)のライアン・ゴズリングも役になりきれる強さがあるし。それに何より、ハリソン・フォードが出るということは、デッカードという存在についての何がしかの答えを出さざるを得ないということでしょ。ハードルはかなり高いと思うけど、それでも新鮮な驚きを与えてもらいたいし、きっと与えてもらえるんじゃないかなと期待しながら公開を待っています」

(「DVD&ブルーレイでーた 2017年11月号」より)

 

 

 

Info. 2017/11/26 ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)第6回定期演奏会 PV公開

来年2月に迫った「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)第6回定期演奏会」のPVが公開されました。久石譲をはじめNCOメンバーのインタビュー、NCOの特徴や聴きどころなど語られています。ぜひご覧ください。 “Info. 2017/11/26 ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)第6回定期演奏会 PV公開” の続きを読む

Info. 2017/11/25 長野市芸術館広報誌「NCAC Magazine Opus9」NCOコンサートマスター インタビュー掲載

長野市芸術館の広報誌「NCAC Magazine Opus9」(2017.12)にて、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)のコンサートマスター近藤薫さんのインタビューが掲載されています。

 

以下、一部抜粋 “Info. 2017/11/25 長野市芸術館広報誌「NCAC Magazine Opus9」NCOコンサートマスター インタビュー掲載” の続きを読む

Disc. 『NHKスペシャル ディープ オーシャン 超深海 地球最深(フルデプス)への挑戦』

2017年11月24日 DVD/Blu-ray発売
DVD NSDS-22423
Blu-ray NSBS-22420

 

深海の秘境に、最先端の科学で挑むシリーズ。
世界で初めてダイオウイカを撮影したNHK深海取材班が新たな探検へ旅立つ!

「超深海」の最深部(フルデプス)はマリアナ海溝チャレンジャー海淵、10920メートル。57年前、人類で初めて潜航した海洋冒険家は、そこで深海魚を目撃したという。しかし写真などの証拠はなく、多くの研究者がこの目撃談に疑念を抱いてきた。すさまじい水圧のため、タンパク質が機能できなくなり生存不可能と考えられているからだ。一体、「超深海」とはどんな場所なのか?魚は?そして生命はいるのか?フルデプスを自由に動き回れる無人探査機「UROV11K」や、4Kカメラを搭載した探査機器「ランダー」を研究者とともに新たに開発。のべ2か月に及ぶマリアナ海溝の探査航海に挑む。

(2017年8月27日 NHK総合で放送)

(メーカーインフォメーションより)

 

 

シリーズ最終となるこの第3集には、特典映像に久石譲インタビュー動画が収録されている。

 

 

【久石譲が深海に挑む編】

久石譲インタビュー

「やっぱり人間が住む世界とはちょっと違いますよね。だから「異空間」という、そういう感じを音楽でも表現できたらいいかなという気はしてましたね。6500m 7000m 海の底っていうのはすごいわけですよね。そういうところにいる生物、それを少し音楽でも手助けしてそういう雰囲気が出せるといいなと、そう思いました。」

「僕は本来、現代音楽として「ミニマルミュージック」というのをやっているので、その方法論をかなり思いっきり導入したというか、同じフレーズを何度も繰り返すような方法で、たぶんあまりテレビの番組でこういうものを音楽で起用することはないと思うんですけれども、結構実験的にそれをやらせてもらって、音楽的には非常に満足した仕事をさせていただいた。」

「最初のダイオウイカの時から始めて、そこで作ってきた音楽もだんだん回を重ねるごとに進化してきていて、とても映像との関係性も含めて新鮮なものができたと思うので、ぜひ皆さん楽しみにしていただきたいと思います。」

(久石譲さん「超深海は人が住む世界ではない、異空間」インタビュー~NHK公開動画より 書き起こし)

 

 

■特典映像 (予定) プレマップ
【新開発フルデプス編】・【久石譲が深海に挑む編】・【メイキング編】

■封入特典(予定) リーフレット
ディレクターとカメラマンによる制作手記/超深海生物図鑑

【音楽】久石譲
【語り】 三宅民夫、久保田祐佳

DVD版 定価:4,104円(税込)
ドキュメンタリー/セル/本編49分+特典/1ステレオ・リニアPCM 25.1chサラウンド・ドルビーTrueHD(ただし「特典映像」はステレオ・リニアPCMのみ)/片面一層/カラー

Blu-ray版 定価:4,104円(税込)
ドキュメンタリー/セル/本編49分+特典/1920×1080i Full HD/1ステレオ・リニアPCM25.1chサラウンド・ドルビーTrueHD(ただし「特典映像」はステレオ・リニアPCMのみ)/一層/カラー

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE II』

2017年11月22日 CD発売 OVCL-00640

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE II』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲主宰Wonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル夢のコラボレーション第2弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲が“明日のために届けたい”音楽をナビゲートするコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、アルバム第2弾が登場。

2016年のコンサートのライヴ・レコーディングから、選りすぐりの音源を収録した本作には、“現代の音楽”の古典とされるシェーンベルクの《室内交響曲第1番》に加え、アメリカン・ミニマル・ミュージックのパイオニアであるライヒの人気作《シティ・ライフ》、そして久石譲の世界初演作《2 Pieces》が並びます。新旧のコントラストを体感できるラインナップと、斬新なサウンド。妖・快・楽──すべての要素が注ぎこまれた究極の音楽を味わえる一枚です。

日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」が奏でる音楽も、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。レコーディングを担当したEXTONレーベルが誇る最新技術により、非常に高い音楽性と臨場感あふれるサウンドも必聴です。

「明日のための音楽」がここにあります。

ホームページ&WEBSHOP
www.octavia.co.jp

(CD帯より)

 

 

解説 小沼純一

2016年におこなわれた「MUSIC FUTURE」、久石譲が始めたこのシリーズ、第3回目のコンサートで演奏された3作品を収録したのがこのアルバムとなります。初回が2014年で、「Vol.1」はヨーロッパの作品を、「Vol.2」ではアメリカ合衆国の作品を、そして今回、「Vol.3」ではヨーロッパの20世紀音楽の「古典」と、20世紀の終わりから21世紀現在のアメリカ、そして久石譲の作品をプログラムしています。

「MUSIC FUTURE」では、コンサート・ステージにはなかなかのらない「現代」の作品がプログラムされています。もしかしたら動画サイトなどで聴くことができる音楽もあるでしょう。でも、たくさんの音源がならんでいるなかから、ひとつの楽曲を選び、聴く、ことは容易ではありません。いえ、聴くことはできるでしょうが、何らかの見取り図のなかで聴いてみる、ある歴史性のなかで聴いてみる、というのはコンサートだからできる、コンサートという90分から2時間の「枠」のなか、誰かコーディネイトをする人がいてこそ、単独の楽曲がランダムにならぶだけではない、立体的な構成ができることではないでしょうか。そして、演奏する人たちの表情、姿、しぐさ、ナマでむこうやこっちからやってくる音とともに、そばにいる人たちが感じているもの、反応が、空気を媒介にして肌に届いてくる、そんななかで「聴く」ことが新しい体験になる。「MUSIC FUTURE」にはそんな意図があるようにおもえます。そして、ただコンサートで終わるだけではなく、ひとつの記録としてのCDアルバムができ、そういえばこの前のコンサートでおもしろかったあの曲を、とホールで手にとることができ、自宅で聴くことができれば、どうでしょう。コンサートでとはまた異なった体験が得られるかもしれないし、はじめてではわからなかったことに気づけるかもしれません。コンサートがあり、録音がある、とは、こうした体験の輻輳化が可能になることです。

アルバムでは、「Vol.3」のコンサート当日に演奏された5作品のなかから、3曲を収録しています。演奏された楽曲の数と、CDでの録音の数とは、「Vol.2」とおなじです。

ちょっと耳にすると小難しい、とりとめがない、そんな「現代音楽」を最初につくったといわれているひとり、シェーンベルク(1874-1951)の初期の作品から、21世紀も10年代になって発表された久石譲(1950-)の新作、最後に、20世紀もすぐ終わりといった時期のライヒ(1936-)の作品へ。

小難しい、とりとめのなか、そんな「現代音楽」という言い方をしました。でも、このアルバムに収められているシェーンベルクの作品は、そうした小難しさやとりとめのなさはありません。そんなふうになる「以前」の作品なのです。そして、その意味では、ほぼ110年の広がりを持つヨーロッパ・アメリカ合衆国・日本で生まれた作品ではありますけれど、ひとつの調性システム、ドレミファを基本に据えた音楽のさまざまなかたち、ということができるでしょう。「現代音楽」と呼ばれながらも、その広がりもまたかなりある。そんなことがこのコンサート、アルバムから知ることができるのです。

 

シェーンベルク:
室内交響曲第1番 ホ長調 作品9

「室内楽」ということばがあります。「交響曲」ということばもあります。その両方がくっついたような「室内交響曲」がここにあります。それほど多くはありませんが、いまでは「室内オーケストラ(管弦楽団)」もあります。ところが、20世紀になるまで、このフォーマットの作品はなかったのです。いえ、ダンスの音楽やソングの伴奏などにはあったのです。しかし、シリアスな作品がならぶコンサートではありませんでした。シェーンベルクは「室内交響曲」を2曲つくっていますが、これはその「第1番」で、その意味では世界ではじめて「室内楽」としてはちょっと大きい、「オーケストラ」としてはかなり小さい楽器編成で、代替のきかない音楽作品を生みだしたのです。「MUSIC FUTURE」は、(1管編成の)室内オーケストラに拘ったプログラミングをしてきていますから、そうした室内オーケストラの原点といえるシェーンベルク《室内交響曲第1番》をとりあげているのはひじょうに意味があります。

編成はピッコロ/フルート、オーボエ、コーラングレ、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン2、弦楽四重奏(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ)、コントラバスの15人。ただ人数が少ない、というだけではありません。それぞれの演奏家はアンサンブルの一員であるとともに、ソリストとしての責任を課されています。そこも新しいところです。そして、作曲者自身というところの音色旋律(Klangfarbenmelodie)を用いて、通常のメロディーとは違った、音色の変化そのものがメロディーとして認識されるといった手法が用いられています。シェーンベルクがここまで試してきたさまざまな作曲上の技法が、ここでは綜合されている、とみる人もいます。

全体はひとつの楽章からなっていますけれども、提示—スケルツォ—展開—アダージョ—終曲の5つの部分からなっています。いわば、1楽章のソナタのかたちと多楽章のかたちとをひとつに集約したとみられ、モデルとしてはフランツ・リストの《ピアノ・ソナタ》を挙げられます。

作曲は1906年。翌1907年にウィーンで作曲者自身の指揮で初演。1913年にも自身が指揮し、そのときは弟子のアントン・ヴェーベルン《6つのバガテル》とアルバン・ベルク《アルテンベルク歌曲集》の一部もプログラムにあって、一種のスキャンダルになりました。またアメリカ合衆国に亡命後、1935年にはより大きな編成のオーケストラに改変、「作品9-b」としてロスアンジェルスで演奏しています。

 

久石譲:
2 Pieces for Strange Ensemble

「MUSIC FUTURE Vol.3」、2016年10月に初演された作品です。タイトルをみると、それだけで「?」となるかもしれません。「Strange Ensemble」って何だろう?と。2つの対照的な楽曲がならびます。はじめは休止のはいり方、音のなくなり方で、ちょっとどきっとします。休止符は、そう、ときに、とても聴き手を驚かせるものなのです。〈Fast Moving Opposition〉は、まさにそうした休止を、反復音型のあいまになげこむことで、「聴き始め」のショックを与えます。そこからふつうのリズム・パターンになりますが、すると逆に、変化のないパターンに足で1拍1拍をとりながら、べつの音型の出現や休止、音色の変化などに上半身で反応してゆく、といったふうになります。〈Fisherman’s Wives and Golden Ratio〉は、画家サルバドール・ダリの作品からタイトルをとっていて、しかも、曲そのものとはつながりがない、と久石譲はプログラムノートに記していました。ここでは複数のリズムと、楽器「以外」の音色とがないまぜになります。ある意味、先のシェーンベルク《室内交響曲第1番》での音色旋律を現代風に踏襲しているといえるかもしれません。

 

スティーヴ・ライヒ:
シティ・ライフ

1936年生まれのスティーヴ・ライヒは、ここであらためて紹介するまでもなく、現代アメリカ合衆国を代表する作曲家というだけでなく、1960年代に生まれた「ミニマル・ミュージック」の創始者のひとりです。振り子が行ったり来たりするなかでスピーカーがハウリングをおこす作品や、2人のピアニストがおなじ音型を反復しながら少しずつずれてゆく作品といった、ひじょうにラディカルな「ミニマリズム」から、ほぼ50年、その音楽は、反復性を基本としながらも、大きく変化してきました。そして《シティ・ライフ》は、狭義の「ミニマル・ミュージック」では測りきれない独自性をもった作品です。

タイトルどおり、この作品は、都市での生活がテーマになっています。作曲者自身が住むニューヨークの街の音、環境音がサンプリングされ、作品のなかでひびきます。ピアノやマリンバといった楽器によるリズムは人びとの歩いたり生活したりするリズムを、管楽器や弦楽器による持続音はビル街の存在感や活気のある街の空気を、そしてサンプリングされた音は、楽器音のなかにより具体的な都市間をつくりだす──そんなふうにみることもできるでしょう。でもそうだとしたら、サンプリングされた都市の音はただの素材にすぎません。それだけではなく、ここにあるのは、聴く人が、コンサートホールで演奏を聴いたり、自室のステレオで録音を聴いたりという環境と、一歩外にでて街のなかを歩くことがパラレルになっている、その二重三重の、いわばヴァーチャルな音環境が「作品」化されているところになります。《シティ・ライフ》は心地良い音楽です。他方、こういう環境があたりまえで、かつ心地良いというのはどういうことなのか、人が生きている、生活しているときにかかわる音や音楽はどうあったらいいのか、そんなことも作品は問い掛けてきます。つまりは、カナダの作曲家、マリー.R.シェーファーが提起した、「サウンドスケープ」という概念を、音楽作品をとおして、喚起している──そんなふうに言ったら、うがちすぎでしょうか。

1995年、3つの国の現代音楽アンサンブル(ドイツのアンサンブル・モデルン、イギリスのロンドン・シンフォニエッタ、フランスのアンサンブル・アンテルコンタンポラン)からの共同委嘱により作曲。全体は5つの部分からなります。奇数の楽章には声のはいったサンプリングが用いられるのも特徴です。

編成はフルート2、オーボエ2、クラリネット2、ピアノ2、サンプリング・キーボード2、パーカッション3または4、弦楽四重奏、コントラバス、です。

(こぬま・じゅんいち)

(「MUSIC FUTURE II」CDライナーノーツ より)

 

 

~「MUSIC FUTURE Vol.3」コンサートプログラムより

挨拶 久石譲

今年で3回めを迎えることができて、主催者として大変うれしい限りです。本来インディーズとして小さな集いでしか発表できない現代の楽曲をこの規模で行えることは、評論家の小沼純一さん曰く「世界でもあり得ないこと」なのだそうです。徐々に皆さんからの支持をいただいていることは、多くの優れた演奏家から出演してもいいという話をいただくことからも伺えます。新しい体験が出来るこの「MUSIC FUTURE」をできるかぎり継続していくつもりです。

自作について

《2 Pieces for Strange Ensemble》はこのコンサートのために書いた楽曲です。当初は「室内交響曲第2番」を作曲する予定でしたが、この夏に《The East Land Symphony》という45分を超す大作を作曲(作る予定ではなかった)したばかりなので、さすがに交響曲をもう一つ作るのは難しく、それなら誰もやっていない変わった編成で変わった曲を作ろうというのが始まりでした。

ミニマル的な楽曲の命はそのベースになるモチーフ(フレーズ)です。それをずらしたり、削ったり増やしたりするわけですが、今回はできるだけそういう手法をとらずに成立させたい、そんな野望を抱いたのですが、結果としてまだ完全に脱却できたわけではありません、残念ながら。発展途上、まだまだしなくてはいけないことがたくさんあります。

とはいえ、ベースになるモチーフの重要性は変わりありません。例えばベートーヴェンの交響曲第5番「運命」でも第7番でも第9番の第4楽章でも誰でもすぐ覚えられるほどキャッチーなフレーズです。ただ深刻ぶるのではなく、高邁な理念と下世話さが同居することこそが観客との唯一の架け橋です。

ベートーヴェンを例に出すなどおこがましいのですが、今回の第1曲はヘ短調の分散和音でできており、第2曲は嬰ヘ短調(日本語にすると本当に難しそうになってしまう、誰か現代語で音楽用語を作り替えてほしい)でできるだけシンプルに作りました。しかし、素材がシンプルな分、実は展開は難しい。どこまでいっても短三和音の響きは変わりなくさまざまな変化を試みるのですが、思ったほどの効果は出ない。ミニマルの本質はくり返すのではなく、同じように聞こえながら微妙に変化していくことです。大量の不協和音をぶち込む方がよっぽど楽なのです。その壁は沈黙、つまり継続と断絶によって何とか解決したのですが、それと同じくらい重要だったのはサウンドです。クラシカルな均衡よりもロックのような、例えればニューヨークのSOHOでセッションしているようなワイルドなサウンド(今回のディレクターでもあるK氏の発言)を目指した、いや結果的になりました。

大きなコンセプトとしては、第1曲は音と沈黙、躍動と静止などの対比、第2曲目は全体が黄金比率1対1.618(5対8)の時間配分で構成されています。つまりだんだん増殖していき(簡単にいうと盛り上がる)黄金比率ポイントからゆっくり静かになっていきます。黄金比率はあくまで視覚の中での均整の取れたフォームなのですが、時間軸の上でその均整は保たれるかの実験です。

というわけで、いつも通り締切を過ぎ(それすらあったのかどうか?)リハーサルの3日前に完成? という際どいタイミングになり、演奏者の方々には多大な迷惑をかけました。額に険しいしわがよっていなければいいのですが。

1.〈Fast Moving Opposition〉は直訳すれば「素早く動いている対比」ということになり、2.〈Fisherman’s Wives and Golden Ratio〉は「漁師の妻たちと黄金比」という何とも意味不明な内容です。

これはサルバドール・ダリの絵画展からインスピレーションを得てつけたタイトルですが、すでに楽曲の制作は始まっていて、絵画自体から直接触発されたものではありません。ですが、制作の過程でダリの「素早く動いている静物」「カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽」が絶えず視界の片隅にあり、何かしらの影響があったことは間違いありません。ただし、前者の絵画が黄金比でできているのに対し、今回の楽曲作りでは後者にそのコンセプトは移しています。この辺りが作曲の微妙なところです。

日頃籠りがちの生活をしていますが、こうして絵画展などに出かけると思わぬ刺激に出会えます。寺山修司的にいうと「譜面(書)を捨てて街に出よう」ですかね(笑)

いろいろ書きましたが、理屈抜きに楽しんでいただけると幸いです。

(ひさいし・じょう)

(「MUSIC FUTURE II」CDライナーノーツ より)

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーを、2016年の「Vol.3」ではシェーンベルクのほか、マックス・リヒターやデヴィット・ラング等の作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナーノーツ より)

 

 

 

久石譲:2 Pieces for Strange Ensembleについて

編成は、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォン、パーカッション、ドラムス、ピアノ 2、サンプリング・キーボード、弦楽四重奏 チェロ、コントラバス、だったと思います。こちらもスティーヴ・ライヒ作品にもあったような、アコースティック楽器(アナログ)とサンプラー(デジタル)の見事な融合で、至福の音空間でした。デジタル音は低音ベースや低音パーカッションで効果的に使われていたように思います。一見水と油のような特徴をもったそれらが、よくうまく溶け合った響きになるものだと感嘆しきりでした。CDならば、ミックス編集などでバランスは取りやすいかもですが、コンサート・パフォーマンスで聴けたことはとても貴重でした。

例えば、ピアノを2台配置することで、ミニマル・フレーズをずらして演奏している箇所があります。ディレイ(エコー・こだま)効果のような響きになるのですが、CDだと、コンピューターで編集すれば、ピアノ1の音色をそのまま複製して加工すればいい、などと思うかもしれません(もちろん割り振られたフレーズが完全一致ではないとは思いますが)。そういうことを、アコースティック・ピアノ2台を置いて、互いに均一の音幅と音量で丁寧にパフォーマンスしていたところ、それを直に見聴きできたことも観客としてはうれしい限りです。

1.「Fast Moving Opposition」は、前半12拍子と8拍子の交互で進みます。これも指揮者を見る機会じゃないとおそらく聴いただけではわかりません。この変拍子によって久石譲解説にもあった今回の挑戦である「音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶」という構成をつくりだしているように思います。中盤からドラムス・パーカッションが加わり、4拍子独特のグルーヴ感をもって展開していきます。

2.「Fisherman’s Wives and Golden Ratio」は、こちらも指揮者を見ても拍子がわからない変拍子でした。「黄金比率の時間配分で構成」についてはまったくわかりませんでした、難しい。管楽器奏者が口にマウスピースのみを加えて演奏するパートもありました。声なのか音なのか、とても不思議な世界観の演出になります。

言うなれば、贅沢な公開コレーディングに立ち会っている感覚すら覚えたほどです。アコースティック楽器とデジタル楽器、スタジオ・レコーディングならば、1パートずつ録音していくようなそれを、一発勝負で響かせて最高のテイクを奏でるプロたち。スコアを視覚的に見て取るように「あ、今のこの音はこの楽器か」とわかるところも含めて、贅沢な公開レコーディングに遭遇したような万感の想いです。

おそらくとても難解、いやアグレッシブな挑戦的なこと高度なことをつめこんでいる作品だろうと思います。一聴だけでは、第一印象と目に見えた範囲のことでしか語れないので、あまり憶測やふわっとした印象での見解は控えるようにします。1年後?CD作品化された暁には、聴けば聴くほどやみつきになりそうな、味わいがにじみ出てくるような作品という印象です。

 

素早く動いている静物
《素早く動いている静物》 (1956年頃) サルバドール・ダリ

 

カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽
《カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽》 (1928年頃) サルバドール・ダリ

 

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.3」 コンサート・レポート より所感抜粋)

 

 

 

CD鑑賞後レビュー追記

全編をとおして、耳が喜ぶ刺激、そんな音楽です。レコーディングとしても非常にクオリティの高い最高音質には脱帽です。よくぞここまで刻銘に記録してくれました!という言うことでしか表現が浮かびません。

コンサートで聴いたときとはまた違う、収まりのいい録音という音響だからこそ、見えてくる緻密さや聴こえてくる前後左右からの音、新しい発見がたくさんあります。小編成コンサートのシャープでソリッドで立体的な響き、作品の特性もあるのかときにむきだしなほどに鋭利な楽器の音たちは、それだけでも一聴の価値があるほど、ふだんの日常生活ではまた日常音楽では聴くことのできないものです。

 

久石譲作品について。

重厚でパンチの聴いたサンプリング・ベースがかっこいい。この作品を支配する大きな軸になっていると思います。クラブ・ミュージックを彷彿とさせながらも、音と沈黙によって一筋縄ではいかない、踊り流れておわってしまうことのない不思議な世界観を醸しだしています。またこの作品で追求した構成やサンプリング音(低音や金属音の種)は、その後「ダンロップCM音楽」(2016)やNHK「ディープ・オーシャン」(2016-2017)といったエンターテインメント音楽へも派生していきます。そういう点においても、実験的な試みをしただけにとどまらず、今久石譲が求める音を追求したワイルドなサウンドまで。具現化した完成度の高さでこの作品が君臨したからこそ、その先へつながっていると思うと、重要なマイルストーンとなる作品です。なにはともあれ、理屈うんぬんかっこいい!聴けば聴くほどに味がでる、今までに聴くことのできなかった新鮮で刺激的な音楽に出会えたことはたしかです。これがこれから長い時間をかけて聴きなじみ自分のなかへ吸収されていくとしたら、それはまさに快楽といえるでしょう。

 

 

 

アルノルト・シェーンベルク
Arnold Schönberg (1874-1951)
1. 室内交響曲 第1番 ホ長調 作品9 (1906)
 Chamber Symphony No.1 in E major, Op.9

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
2 Pieces for Strange Ensemble (2016) [世界初演]
2. 1. Fast Moving Opposition
3. 2. Fisherman’s Wives and Golden Ratio

スティーヴ・ライヒ
Steve Reich (1936-)
シティ・ライフ (1995)
City Life
4. 1 Check it out
5. 2 Pile driver / alarms
6. 3 It’s been a honeymoon – can’t take no mo’
7. 4 Heartbeats / boats & buoys
8. 5 Heavy smoke

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (Conductor)
フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2016年10月13日、14日、東京、よみうり大手町ホールにてライヴ録音
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 13, 14 October, 2016

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE II

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 13, 14 October, 2016

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Cover Desing:Yusaku Fukuda

and more…

 

Blog. 「久石譲 in パリ」に想う ~風の生まれる音~

Posted on 2017/11/17

6月にパリで開催された久石譲コンサート「JOE HISAISHI SYMPHONIC CONCERT: Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」。スタジオジブリによるコンサートのための公式映像と久石譲による指揮・ピアノ、オフィシャルジブリコンサートは久石譲だからできるスペシャル・プログラム。「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間」コンサート(2008)を継承し映画「風立ちぬ」(2013)も加えた宮崎駿監督作品全10作品としてスケールアップ。オーケストラはパリの名門、ラムルー管弦楽団。巨大なスクリーンに映し出される映画の名シーンと共に奏でられるオーケストラの迫力の音楽が、フランス・パリの聴衆を感動の渦に巻き込みました。

その模様は「久石譲 in パリ ~「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会~」と題し9月NHK BSで放送され大きな反響を呼びました。そして早くも11月再放送決定。

 

音楽に耳を澄ませ、そのとき頭に浮かんだこと、想いめぐらせたことを、しかるべき長さの文章にまとめる。とても個人的で私的なものですが楽しい時間です。もしこれから書くことに意見が合わなかったとしても、あまり深追いしないでくださいね。もしうまく伝わることができて、ぬくもりのようなものを感じてもらうことができたら。見えないたしかなつながりを感じることのできる幸せな瞬間です。

 

 

久石譲 in パリ 「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会
JOE HISAISHI SYMPHONIC CONCERT:
Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki

[公演期間]  久石譲 パリ コンサート JOE HISAISHI SYMPHONIC CONCERT 2017
2017/6/9,10

[公演回数]
3公演 (パリ パレ・デ・コングレ・ド・パリ)
Palais des Congrès de Paris

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:ラムルー管弦楽団
合唱:ラムルー合唱団、ラ・メトリーズ・デ・オー・ドゥ・セーヌ
ソプラノ:エレーヌ・ベルナルディー
ヴォーカル:麻衣
マンドリン:マチュー・サルテ・モロー
マーチングバンド:

Conducted by Joe Hisaishi
Orchestre et Choeur Lamoureux

[曲目]
I. 風の谷のナウシカ
風の伝説
ナウシカ・レクイエム
メーヴェとコルベットの戦い
遠い日々 (Vo: 麻衣)
鳥の人

I. Nausicaä of the Valley of the Wind
The Legend of the Wind
Nausicaä Requiem
The Battle between Mehve and Corvette
The Distant Days (Chant: Mai)
The Bird Man

II. もののけ姫
アシタカせっ記
タタリ神
もののけ姫 (Vo: エレーヌ・ベルナディー) *日本詞

II. Princess Mononoke
The Legend of Ashitaka
The Demon God
Princess Mononoke (Soprano: Hélène Bernardy) *Japanese Lyrics

III. 魔女の宅急便
海の見える街
傷心のキキ
おかあさんのホウキ

III. Kiki’s Delivery Service
A Town with an Ocean View
Heartbroken Kiki
Mother’s Broom

IV. 風立ちぬ
(マンドリン: マチュー・サルテ・モロー)
旅路(夢中飛行)
菜穂子(出会い)
旅路(夢の王国)

IV. The Wind Rises
(Mandoline: Mathieu Sarthe-Mouréou)
A Journey (A Dream of Flight)
Nahoko (The Encounter)
A Journey (A Kingdom of Dreams)

V. 崖の上のポニョ
深海牧場
海のおかあさん (Vo: エレーヌ・ベルナディー) *日本詞
いもうと達の活躍 - 母と海の賛歌
崖の上のポニョ  *英詞

V. Ponyo on the Cliff by the Sea
Deep Sea Pastures
Mother Sea (Soprano: Hélène Bernardy) *Japanese Lyrics
Ponyo’s Sisters Lend a Hand –
A Song for Mothers and the Sea
Ponyo on the Cliff by the Sea  *French Lyrics

VI. 天空の城ラピュタ
(マーチング・バンド)
ハトと少年
君をのせて  *日本詞
大樹

VI. Castle in the Sky
(Marching Band)
Doves and the Boy
Carrying You  *Japanese Lyrics
The Eternal Tree of Life

VII. 紅の豚
帰らざる日々

VII. Porco Rosso
Bygone Days

VIII. ハウルの動く城
シンフォニック・バリエーション “人生のメリーゴーランド+ケイヴ・オブ・マインド”

VIII. Howl’s Moving Castle
Symphonic Variation «Merry-go-round + Cave of Mind»

IX. 千と千尋の神隠し
あの夏へ
ふたたび (Vo: 麻衣)*日本詞

IX. Spirited Away
One Summer’s Day
Reprise (Vo: Mai)  *Japanese Lyrics

X. となりのトトロ
風のとおり道
さんぽ  *英詞
となりのトトロ  *日本詞

X. My Neighbor Totoro
The Path of the Wind
Hey Let’s Go  *English Lyrics
My Neighbor Totoro  *Japanese Lyrics

—–encore—-
Madness from Porco Rosso
Ashitaka and San from Princess Mononoke  *English Lyrics

 

 

 

さて、今回は「久石譲 in パリ」へのいろいろな想いを綴りたく、各楽曲の感想は一口コメントです。きっと一人一人に大好きなジブリ作品ジブリ音楽があると思います。語り尽くせないものがあると思います。溢れだしたらとまらないと思います。

 

開演前
会場で流れていた音楽は、久石譲が宮崎監督へ献呈し三鷹の森ジブリ美術館でのみ展示室BGMとして聴くことができる楽曲たちです。2008年武道館の時もそうでした。そして、久石譲登場とともに観客総立ちスタンディング・オベーションでお出迎え。待ち焦がれたパリファンのボルテージはすでに最高潮。

I. 風の谷のナウシカ
冒頭のティンパニが鳴り響いた瞬間そこはもうナウシカの世界が広がります。宮崎駿×久石譲のコラボレーションはここから始まった、歴史が動きだした瞬間と思うと。

II. もののけ姫
海外オーケストラのパーカッション奏者が日本の和楽器を演奏することも、海外ソプラノ歌手が日本語で披露することもとても貴重です。メイド・イン・ジャパン100%の純度で作品が尊重されている証。

III. 魔女の宅急便
さすがヨーロッパの名門オーケストラ、横揺れする旋律の歌心は流れるような調べ、気品のある演奏。思春期の繊細でこまやかな感情の揺れ動き、音色への表現は日本でもパリでも。

IV. 風立ちぬ
プログラム追加された最新作。これまでに披露された「風立ちぬ 組曲」「風立ちぬ 第2組曲」とも音楽構成は異なります。なんといってもマンドリンのあのどこまでもレガートな奏法にはうっとり。

V. 崖の上のポニョ
2008年は公開記念もあって大きな構成だった作品。「崖の上のポニョ」主題歌はフランス語による大合唱。もしかしたらこのパートは、これから先開催地ごと母国語で歌われるのかもしれませんね。世界何十カ国語で歌われるジブリの歌、ジブリのメロディ。主題歌は英語による大合唱

VI. 天空の城ラピュタ
プロ・アマ問わず、大人・子ども問わず、音楽を奏でる人たちにジブリの種が蒔かれる瞬間。マーチングバンドによる演奏は、世界中にジブリの根が広がっていく、未来へジブリ音楽をつないでいく原石たち。いつまでも輝きを失うことのないあの石のように。

VII. 紅の豚
アンサンブルによるJAZZYで大人な世界。鈴木敏夫プロデューサーと宮崎駿監督のコメントも巨大スクリーンで紹介されました。

VIII. ハウルの動く城
2008年版の「人生のメリーゴーランド」ステージを空撮したその映像は、管弦楽が弧を描き楽器を弾く手振りがまるで華麗な舞踏会で踊っている姿のようで印象的でした。パリ公演の話ではないですが。見事にハマってしまうヨーロッパならではの優雅で華麗な響きは最良の装い。

IX. 千と千尋の神隠し
「One Summer’s Day」久石譲ピアノソロ、演奏後そっと目頭の涙をぬぐうような仕草が印象的でした。こみあげてくるものがあったのか、特別な雰囲気と特別な演奏に久石譲自身なにか感じるものがあったのか。これぞまさに、久石さんの言葉を借りれば「音楽が音楽になる瞬間」です。(詳しくは書籍「音楽する日乗」にて)

V. となりのトトロ
指揮者もオーケストラも観客も、自然と顔がほころび体弾み心躍る。会場いっぱいに夢と笑顔が溢れるとき、この一瞬だけは誰もが未来の平和と幸せを願う、今の幸せを実感する。そんな日本が誇るアンセムとして響きわたっていきますように。

*未放送
「II. 崖の上のポニョ」より「深海牧場」、「VI. 天空の城ラピュタ」より「大樹」、アンコール「Madness」「アシタカとサン」

終演後
ラムルーから久石譲へのサプライズ。舞台裏で「君をのせて」日本語大合唱プレゼント。現地動画で少しだけ紹介されていましたが、興奮と達成感に満ちた空気のなか、何度も浮かべた涙をぬぐう久石さんの姿が印象的でした。

 

6月公演直後のインフォメーションでも、会場の様子や鈴木敏夫プロデューサー、宮崎駿監督のコメントなどご紹介しています。

 

 

 

もうひとつの宮崎アニメ交響作品全集

2015年から始動した一大プロジェクト、ジブリ交響作品化シリーズ。「風の谷のナウシカ」(2015)、「もののけ姫」(2016)、「天空の城ラピュタ」(2017)とコンサート初披露されています。今のところ年1回で交響組曲化されているということは、全10作品が出そろうのは!?

パリ公演で披露されたのは2008年版を継承したもので、新しい交響作品としてスケールアップしたものは反映されていませんでした。ちゃんと考えてみるとそれは当然なことかもしれません。映像と音楽による演出・プログラム構成のため、30分近くに及ぶ交響組曲を持ってくることはできません。また組曲内の同じ楽曲であっても、スケールアップしたオーケストレーションを組み込むこと、部分的な修正はすでに完成された作品世界と音楽構成を歪めてしまうのかもしれません。

細かいことをいうと、すべての作品において2008年版と全く同じものはありません。微細なオーケストレーションの修正やテンポの抑揚などなど着実に進化しています。ここで言っているのは、新しい交響組曲から大きく持ちこむことはしていないとうことです。

すでに完成された作品世界と音楽構成、そうですね、もうひとつの宮崎アニメ交響作品全集は、ここにもうあるんです。「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで全10作品。もちろんシンフォニー(交響)ではない編成の作品もあります。ソプラノ・合唱・独奏楽器・マーチングまで多彩な編成でバリエーション豊かに堪能できるジブリの世界。私たちは、映像と音楽による交響全集、音楽による長大壮大な新交響全集。ふたつの交響作品全集を受けとることができる、幸せなオーディエンスです。

 

 

みんなジブリで育った

小さい頃からジブリ映画を観て育った。楽器をはじめてジブリの曲を弾いてみた。鼻歌で口ずさんでみた、みんなで大合唱した。こんな経験に当てはまらない人は、いないと言い切れるほどでしょう。そのなかから音楽の道を選んだ人たちが、今度は届ける側に立っている。「昔から大好きだったジブリの作品を久石さんの指揮で演奏することができて幸せ」と語る奏者も日本ではよく耳にします。

これは日本だけの現象でしょうか?まったく同じことがパリでも世界中どこでも起こっている。そして音楽人たちは、いつか自分が聴き育った音楽を多くの人へ届けたいと願う。新しい交響作品化シリーズも世界中で演奏したいニーズをうけて、久石譲自ら音楽作品として再構成しているプロジェクトでもあります。

どこで開催されようとも、そこにはジブリ音楽を聴き育った人たちによる最高のパフォーマンスが約束されている。合唱団やマーチングバンドには将来音楽をつないでいく子供たちもたくさん参加します。「久石譲 in パリ」それはまさに花開き、芽吹き、新しい種が蒔かれるとき。

 

 

超ドメスティックはインターナショナルになる

この言葉は久石譲さんが時折語る格言のひとつ。ここに託され象徴されています。

 

「「もののけ姫」は日本にとどまらず、これから世紀末を迎える、世界中のすべての人々に向けて作られるものだと思う。その音楽を手がけることになって、いま一番考えていることは、日本人としてのアイデンティティーをどう保ち、どう表現するか。非常に深いところでのドメスティックさ、日本人であるということが、かえって世界共通語になるんじゃないかと思う。ではどうすればいいか。映画の公開まで、宮崎監督との豪速球のキャッチボールが続きそうだ。」

(CD「もののけ姫 イメージアルバム」(1996)ライナーノーツ より)

 

「シンセも入っていますよ。あと、ひちりきとか和太鼓などの民族的なニュアンスのある和楽器も使っています。日本初の世界同時公開の映画なので、何らかの形でドメスティックなものを出すべきだと思ったんです。それで”超ドメスティックはインターナショナルになる”という考えを持ち込みました。富士山と芸者のようなあいまいなイメージではなくて、本当の日本的な音の感性が核にあれば、インターナショナルとしての価値が出ると思ったんです。だから和楽器を使って、なおかつイメージを限定しない使い方を目指しました。これはすごく悩みましたね。」

(「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」久石譲インタビュー より)

 

「言葉の問題はあると思うんですけど、本来は、インターナショナルを狙うという発想は違うんですよね。ある意味では超ドメスティックにやることで、どこまでも掘り下げていき、深いところで理解すると、それが結果、インターナショナルになる。だからその辺が、たとえば今度の北野さんの映画(『菊次郎の夏』。この対談は99年4月に収録)でも、あれは絶対日本の空間でしか成立しない話なのに、外国の観客にもかえって分かり合えたというところがありますよ。」

(「ダカーポ 422号 1999.6.2 号」鈴木光司×久石譲 対談内容 より)

 

「第二次世界大戦の後70年間まったく戦争がなく、平和の中で暮らしてきた我々は、グローバルという言葉を経済用語だと勘違いしている。真のグローバルとは思いっきりドメスティックであり、多様な考えを受け入れるということである。」

(書籍「音楽する日乗」(2016) より)

 

「一番良かったと思うのは、中途半端なインターナショナルとか中途半端なグローバリゼーションとか一切無関係で、超ドメスティックに作り続けてきた。それで、超ドメスティックであることが、実は超インターナショナルだった。結果、そうだったような気がします。」

(「NHK WORLD TV」(2016)番組内インタビュー より)

 

 

宮崎駿監督の言葉にも。

「つい最近まで『日本が世界に誇れるものは?』との問いに、大人も子どもも『自然と四季の美しさ』と答えていたのに、今は誰も口にしなくなりました。(中略)この国はそんなにみすぼらしく、夢のない所になってしまったのでしょうか。国際時代にあって、もっともナショナルなものこそインターナショナルのものになり得ると知りながら、なぜ日本を舞台にして楽しい素敵な映画をつくろうとしないのか。(中略)忘れていたもの 気づかなかったもの なくしてしまったと思い込んでいたもの でも、それは今もあるのだと信じて、『となりのトトロ』を提案します。」

(映画「となりのトトロ」企画書 より)

 

 

ジブリ音楽は日本オーケストラの財産

優雅で華やかさの際立った「久石譲 in パリ」。どこかで「なにかこぶしが足りないなあ、もうひとつグッと迫るものがなあ」と感じた瞬間があったとして。

モーツァルトのような作品を日本オーケストラが演奏しても、どうしてもなにかしっくりこない越えられない一線があると聞いたことがあります。そこにはヨーロッパの培われてきた特有のニュアンスや精神性があって音楽に込める何かがあるからです。外国人が日本民謡や演歌を上手に歌ったとしても小節回しにどうしても違和感を覚えてしまうのと同じです。

西洋発祥のクラシック音楽にはひとつのハンディキャップがあるならば、日本発祥のジブリ音楽は一転大きなアドバンテージがある。これは日本のオーケストラにとって最大の強みであり、未来へ大きな財産になっていくのかもしれない、と。

モーツァルトを聴くならやっぱり本場のオーケストラ・音がいいよねとあれば、ジブリ音楽を聴くならやっぱり本場日本のオーケストラ・音がいいよね、となる。日本で培われた特有のニュアンスや精神性、音楽に込める何かは、これから先もずっとずっと世界中のファンを魅了する。日本オーケストラの未来は明るい!—と安直なことは言えません、でも明るい未来へと受け継がれるべきものは、ここにしっかりある。これは今を生きる私たちが思っている以上に、ジブリが遺した偉大なる音楽遺産なのかもしれません。

 

 

風の生まれる音

宮崎アニメの魅力のひとつ、空を飛ぶ風を感じる。青い空を蒼い海をいっぱいに飛ぶ登場人物たち。そして風景や身にまとうものはもちろん、感情の変化や表情の動きに髪の毛まで揺れ動く、まさに風が立つ。

久石譲がつくりだす音楽にも共通点があるような思います。「久石譲 in パリ」を観ながら、どの作品にも風を感じる。「風の谷のナウシカ」冒頭ティンパニが鳴った瞬間に谷を流れる風の音が聞こえてきそうですし、「ハウルの動く城」ハウルとソフィの空中散歩の瞬間も、「となりのトトロ」トトロが高く高く登っていく瞬間も、いろいろな風が表情豊かに響いています。

映像やストーリーとリンクしているから、という話ではありません。風が起こる、風を感じる。風とは心なのではないか。気持ちの芽生えや気持ちの変化。一瞬自分のなかに吹く風、たしかに感じるなにか。久石譲が紡ぎだすジブリ音楽は、まさに風の生まれる音。聴く人を魅了してやまない、世界中で愛されつづづけるのは、心の生まれる音そのものだから。

 

 

そして、これから

パリ公演のような宮崎駿監督作品演奏会は、ワールドツアーとして今後も世界各地で開催予定のようです。開催地のアーティスト(オーケストラ・ソリスト・合唱・マーチング)で演奏することも重要なひとつであるならば、準備期間には相当の時間を要します。いつか日本でも凱旋公演を!とも期待してしまいます。

「久石譲 in パリ」がいつかDVD/Blu-rayやCDとしてその映像や音楽がパッケージ化されることも強く望みます。今回TV放送されなかったプログラム完全版として、準備期間やリハーサル風景をまじえたドキュメンタリーとして、現地の反応やインタビュー、公演前後の舞台裏をも鮮明に記録した保存版として。そうしてできたパッケージが、待ち焦がれる世界中のファンへ、コンサートには行くことの叶わない世界中のファンへ届けられる。その先には、ひとりひとりの日常生活とともにある音楽、日常生活で出会える感動・勇気・心の変化。素晴らしい音楽の力、広がりつながり螺旋を描き、そして個へ帰る。

こんなスペシャルなコンサートが開催されるとひと言で「お祭り」企画です。でも、そう簡単には片づけられないなにかがある。エンターテインメントの姿をまとい、ジブリ映画を久石譲音楽を未来にてわたす壮大な一大プロジェクトとしたら。ジブリの根が世界中に広がる、そのどっしりとした根のうえにはどんな樹が空高く立ち、どんな花を咲かせ、どんな実がなっているのか。「久石譲 in パリ」はそんな大切な大切な過程のひとつ。

 

 

「久石譲 in パリ」を観ながら、満足感と幸福感いっぱいに感動しながら、余韻はそれだけでは終わりませんでした。私的に受けとったものめぐらせる想い、テーマごとに綴ってきました。あぁこうやって未来につながっていくんだろうなあ、と。まるで未来への過程をまのあたりにしている生き証人のように。「久石譲 in パリ」、それは今まさに、歴史をつくっている瞬間です。

 

 

パリ公演の歩み ~開催決定から「久石譲 in パリ」放送まで~

 

 

2018.11 追記

ジブリコンサートの映像と音楽のバランス。

久石譲は武道館コンサート(2008)のときにこう語っています。「スクリーンが大きすぎると映像に音楽がくっついてる感じになるし、小さすぎると映像がオマケになってしまう」。そこから88m x 162mの巨大スクリーン、映像と音楽のバランスがいいと導き出した。オーケストラと合唱の大編成、ステージの大きさと大人数が与える視覚的インパクト。それらと対等になるスクリーンの大きさがあの特注スクリーンです。

映像に合わせて音楽をシンクロさせる手法もとっていません。スクリーンに映し出される本編映像とそのとき奏でられる音楽は映画とコンサート違います。でも、観客はその世界観に違和感なく映像と音楽にどっぷりひたることができる。映画ワンシーンの”そのためだけの音楽”ではないからこそ、自由に羽ばたくイマジネーションの広がり。”作品の世界観に音楽をつける”その結晶です。

映画シーンとLive映像を織り交ぜることも。フィルムはフィルムでずっとダイジェスト映像ではなく、今その瞬間ステージLive映像と交錯させることで、臨場感や高揚感、観客の満足度は最高潮に達します。そして映像のつながりや切り替えもなめらかな職人技が光ります。

「映像と音楽は対等であるべき」久石譲の映画音楽に対する信念の象徴、見事に具現化したものそれがジブリコンサート、ひとつのコンサートのかたちです。サービス精神に付随しただけのフィルムコンサートとは一線を画するもの、Concert for Film & Music です。

Info. 2018/11/04 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(ニューヨーク) プログラム より抜粋)

 

 

 

 

Overtone.第13回 ピアノの響きについて考える (雑誌コラム紹介)

Posted on 2017/11/15

ふらいすとーんです。

今回はちょっと音楽的にがんばって掘り深めていきたいと思います。ピアノの音のつくり方、響きのつくり方です。ピアノに限らずどの楽器にも言えることですが、たとえ同じ楽器でたとえ同じ楽曲を演奏したとしても、弾く人によってその音・響きは大きく異なります。なぜそうなるのか?それを言葉で説明することはとても難しい、説明する以前にどこまで本質的に理解しているかというステップもあり。

久石さんのピアノもまさに説明不可能な領域を多く含んでいて、たとえ自分が作曲したものでなかったとしても、久石さんがピアノを弾けば、やっぱりそこには久石譲独特の音や響きが広がります。この魔法はどうやってかけられるのか?

CDを聴くたびに、コンサートで体感するたびに、いつもこの不思議な魔法に魅了されます。そんなところに、とてもわかりやすいコラムを読むことができたので、それをもとに学びを深めていきたいと思います。クラシック音楽専門誌「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」に連載されている小山実稚恵さん(ピアニスト)によるエッセイです。

 

 

クラシック音楽専門誌「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」

ピアノと私 第33回 小山実稚恵

他の楽器・声との共演 ”合わせもの” ②

声楽、そして弦・管楽器で出来るのに、ピアノで出来ない2つの大きなことがあります。それはビブラートをかけること、そして音程を作ることです。この2つをピアノでも自由に使うことができるなら、ピアノの演奏ももっともっと自在になるのにと、声楽家や他の楽器の奏者を羨ましく思うことがあります。

ビブラートは音楽表現の大切な手段。声楽家が言葉に感情を込める時、ビブラートを上手く使うことができるかどうかで、感情表現はずいぶん違ってきます。限られた母音の中に、如何に自分の気持ちを託すことができるか。それが個性となり、音楽の表現手段となるのです。ビブラートのかけ方ひとつで、歌詞が胸に飛び込んできたり、感情が揺さぶられたり。

ビブラートの振れ幅、細かさ、長さやタイミング、音楽性がそこから見えてくると言っても過言ではありません。大胆で劇的なビブラートもあれば、品格の高いビブラートもある。時には、全くビブラートを使わないほうが良い場合だったあるわけですから。声楽家、弦楽器や管楽器の奏者が使うビブラートは、自分の気持ちを表現するための大きな手段なのです。

残念ながらピアノはビブラートをかけることができません。一度出してしまうと音の修正は効かない。無念に思いますが、その分、気持ちでビブラートをかけようと思います。「ここでビブラートをかけたい」と強く願って鍵盤をタッチするなら、ピアノから出るさまざまな倍音が、多少であってもビブラートをかけてくれる、そんな気がするのです。タッチは気持ちで作る、というのが私の持論ですが、「こんな音を出したい」とタッチに気持ちを込めるなら、指(というよりも身体)はそういう音を作ってくれると信じています。

そしてもうひとつ、音程について。現代のピアノは平均律で調律されています。1オクターブは12音で、音は鍵盤通り。ドの鍵盤を弾いたらド、レならレの音が鳴ります。ところが声楽や弦楽器は、自分自身で音を作るから、全ての音と音との間に音が存在する。音程は無限大なのです。音程を取る(作る)難しさがある代わりに、最高に美しい音程を作り出すこともできる。偉大な声楽家や演奏家たちの、何とも言えない音程感覚を耳にすると、私はいつも痺れてしまいます。平均律にはない響き、ハッとするような美しいハーモニーを感じた瞬間に鳥肌が立ち、そういう音程を何とかピアノでも作り出せないかと思うわけです。

一般的にはピアノの音程は決まっているものなのですが、私はピアノであっても、演奏次第で微妙な音程調整ができる気がしています。鍵盤にふれる時に、どの倍音を強く出すかを意識してタッチし、ペダルを踏むタイミングやペダリングの工夫をすれば、物理的にも音程は微妙に変化します。また和音を弾く場合でも、どの音に力点を置くのか、そして、それぞれをどのような音色バランスで鳴らすのか等、倍音の響き具合を上手に利用すれば、美しい音程を作り出すことができると思うのです。音程の決まっているピアノであっても、音程を作ろうと努力することは大切なことなのです。

合わせものをする時には、ソロとは違う判断力が必要となります。タッチを変え、相手の音程との関係を探る。バランスよく、相手と素敵な響きで音程を合わせることができると、最高の感覚に包まれます。共演者の方は、ピアノの音を聴きながら自分の音を判断して音程を作っているはずです。こちらもビブラートを感じ、音程を感じて、お互いを聴き合い、感じ合う。”合わせもの”をすると、音楽の初心に戻ることができるのです。

(「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」より)

 

 

いかがでしたか?

このお話を何回も何回もくり返し読むと、なにかわかったような見えてくるものがあるような気がしてきます。なるほど、ビブラートと音程に対するピアノの制約があったとして、それを克服し表現しようとするペダリングやタッチの強弱、そこから生まれる響きと倍音。

このあたりが掘り下げていくキーワードになりそうです。

 

 

お題1. ドビュッシーにみる和音と響き

ドビュッシーの和音はとても緻密に計算されています。左右両手の和音が乱れることなくピッタリ合うと、きれいな倍音が鳴るようにできています。ショパンやドビュッシーなどペダルや響きにこだわりの強かった作曲家は、楽譜に細かいペダル奏法の指示も残していたと言われます。ピアノという楽器の発達も影響しているのですが(バッハの時代はペダルがなかった、だから音を伸ばす効果をピアノは持っていなかった、トリルという隣り合うふたつの音を連打するのは、音を伸ばす代替とも言われています)、以降の印象派ロマン派においてもペダルを獲得したこと、イコール響きの可能性や多彩な表現力の追求へとつながっていきます。

ピアノ曲ではないですが、「牧神の午後への前奏曲」/ドビュッシー という管弦楽作品について。久石さんがTV音楽番組「読響シンフォニックライブ」(2012)で演奏したときのインタビューでもドビュッシーについて興味深く語られています。

 

「この曲は小節数にするとそんなに長いものではないんですが、この中に今後の音楽の歴史が発展するであろう要素が全部入っていますね。音楽というのは基本的に、メロディー・ハーモニー・リズムの3つです。メロディーというのはだんだん複雑になってきますから、新しく開発しようとしてもそんなに出来やしないです。そうすると「音色」になるわけです。この音色というのは現代音楽で不協和音をいっぱい重ねて特殊楽器を使ってもやっぱり和音、響きなんですね。そうするとそっちの方向に音楽が発達するであろう出だしがこの曲なんだと思います。20世紀の音楽の道を開いたのはこのドビュッシーの「牧神」なんじゃないかなと個人的にすごく思いますね。」

(読響シンフォニックライブ より)

 

 

お題2. 倍音

ここは通りたくないけれど通らないと進めない。久石さんの力を存分にお借りしたいと思います。

 

「まず音の問題。音とは空気の振動である。もう少し厳密にいうと、空気の圧力の平均(大気圧)より高い部分と低い部分ができて、それが波(音波)として伝わっていく現象である(『音のなんでも小事典』日本音響学会編)。まあ太鼓を叩くとそれが振動し、周りの空気も振動し、それが我々に伝わるということだ。」

「そして楽音を含め自然界の音はすべて倍音というものを持っている。それも限りが無いくらい。」

「では実験。今あなたはピアノの前に座っている。ちょうどおへその辺りにあるドの鍵盤を右手で音が出ないように静かに押さえる。そしてオクターヴ低いドの音を左手で強く弾いて、あるいは叩いてみよう。すると、あら不思議!強くて低いドの音が消えた後に弾いていない上のドの音がエコーのように聞こえるではないか!これは下のドの音に含まれている倍音と上のドの音が共鳴したために起こることである。つまり下のドの音には、第2倍音としてのオクターヴ上のドの音、第3倍音のオクターヴと5度上のソなど、限りなく色々な音が鳴っているのだ。もちろん上に行くほど音は小さくなり音程の幅も小さくなる。」

「実は人類はこの倍音を長い年月をかけながら発見していくのだ。例えば真ん中のドの音を男の人と女の人がユニゾンで歌うと、この段階でもうオクターヴ違うのであり、先ほどの第2倍音の音を歌ったことになる。これは整数比で1対2だ。そして500年くらいかけて(という人もいるが定かではない)人類は第3倍音であるソを発見する(整数比で2対3)。」

(講義はまだまだつづく…)

Blog. 「クラシック プレミアム 39 ~ドビュッシー~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

*この音楽マガジンに2年間連載された久石譲エッセイは再構成・加筆され「音楽する日乗」(小学館)として書籍化されています。

Book. 久石譲 「音楽する日乗」

 

TV音楽番組「題名のない音楽会 久石譲が語る歴史を彩る6人の作曲家たち」(2016年5,6月2週連続)に出演した際にも、実際にピアノに座って倍音の作り方を実演されていました。百聞は一見に如かず、とてもわかりやすかったですね。

 

 

お題3.ピアノと調律

現在久石さんが愛用しているピアノはスタインウェイ。初期の頃はベーゼンドルファーに比重が大きく、このふたつの銘器を楽曲ごとに使い分けていたほどです。

 

「レコーディングには約3年程かかりました。1986年秋、ロンドンのサームウェストスタジオで、Resphoina、Lady of Spring、Green Requiem、そしてInnocentの4曲をベーゼンドルファーのピアノで、残りの曲はその後1988年1月、東京でスタインウェイのピアノで録音することが出来ました。」

久石譲 『piano stories』

 

「ストリングスはロンドン・シンフォニーとロンドン・フィルのメンバーに協力してもらいました。ロンドンの──特に弦の音は、僕の求めている音に合うんです。録音はアビィ・ロード・スタジオ。あそこはね、ルーム・エコーが非常にいいんですよ。ピアノのパートは日本で録音しました。ピアノはベーゼンドルファー・インペリアル。低音部分にこだわってみたので」

久石譲 『i am』

『I am』(1991)

 

 

ピアノの好みの響きについて、こんな興味深いインタビューもあります。

 

「僕のスタジオにあるスタインウェイがすごく気に入っています。今のスタインウェイってペダルがきつくて、カクンカクンと持ち上がるんですが、今僕が使っているモデルは、どちらかというと昔のタイプなので、ペダルのスプリングがすごく弱いんです。だから自然にペダル操作ができる。あと、音もきらびやかじゃなくて、ホワンとしています。僕がアルバムでピアノを弾くときは、ほとんどそのピアノですね。ただ、楽曲によってもっと派手な音が欲しいときは、別のスタインウェイを用意してもらうこともあります。あと、好きなのはアルバム『ETUDE』などで使ったオペラシティのスタインウェイ。あそこのピアノはすごくいいですよ。最近はベーゼンドルファーを全然弾かなくなっちゃいました。低音鍵盤があるモデルではその分響きが豊かだから、昔は好きだったんですけどね。理想のピアノは真ん中から低い音がベーゼンで、高い音がスタインウェイ(笑)。」

Blog. 「キーボード・マガジン 2005年10月号 No.329」 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

ここまでこだわってます!

 

「やはり僕はピアノがメインなので、”これしかない”という響きのピアノに出会いたいといつも思ってます。「アシタカとサン」では生ピアノのマイキングに凝って録りました。マイクの位置をミリ単位で変えてみたり、蓋を外したりしていろいろ実験してみたんです。ピアノは譜面台を外すだけでも音は変わりますからね。調律師には”果物が腐る直前のような音”にしてくれと頼みました。ピッチがズレる直前というギリギリの感じですね。」

Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

ほかにもピアノにまつわるエピソードはたくさんあるのですが、お題「ピアノと調律」に振り返ると、楽器選びから、演奏や録音時のセッティングやマイキング、調律による音のニュアンス。自分の求める音に対して、自分のなかで響いている確固たる音に対して、実際の音や響きを近づけようとする過程を読みとることができますね。音程がつくれないピアノに対して、久石さんならではの音程のつくり方、生まれる響きや倍音の土台づくりとも言えるのかもしれません。奥が深い。

 

 

お題4. 久石譲ピアノは再現できるのか?

たとえば、久石さんの演奏CDを機械を介して数値化できたとします。音の強さも音の伸ばし方も音符ごとにすべてきれいな数値に表されたとします。じゃあこのとおり弾けば久石譲と同じピアノの響きになるかと言われると、近づくことはできるかもしれませんが、きっと同じにはならないですね。それは上に書いたピアノという楽器選びもあります。同じブランドであったとしてもグランドピアノは一台一台に性格があり個性としての響きがあります。

もっと大切なこと、それはやはり弾く人そのものが音として表れるからです。根本的にいえば、手の大きさ・手のかたち・指の曲げ伸ばし、このあたりが鍵盤のタッチに影響してきます。指使い・姿勢・椅子の高さ・体と鍵盤の距離感、このあたりが強弱や力のかけ方に影響してきます。それにペダルなどを加えると響き方や倍音に影響してきます。、、と勝手に思っています。

つまり弾く人に注目したとしても、いろいろな要素が絡み合って、素性・テクニック・感性の集合体として一音が生まれる。その人の音をつくっている。僕はこれを総称して”手クセ”と言っています。久石さんの指10本のそれぞれの指力の差、指使いのクセによるメロディの強弱、ドミソという和音を弾くにしても、3つの音のどの音にアクセントを置きたいかで、響き方や倍音の強弱にも影響してくる。一番強く叩かれた音が倍音効果も高いからです。

指使いのクセと書くとなんだか染みついてしまったもののように聞こえるかもしれません。それもあります。もうひとつ大切なのは、メロディーラインからみて模範的な指使いがあったとしても、ここの音でこんなニュアンスを出したいから、この音は小指が適している。といった、自分の指1本1本のタッチの特徴や長所を知っていいるからこその、”手クセ”です。

 

今回題材とさせてもらっているコラムにもわかりやすくありましたね。おさらいでもう一度。

 

「タッチは気持ちで作る、というのが私の持論ですが、「こんな音を出したい」とタッチに気持ちを込めるなら、指(というよりも身体)はそういう音を作ってくれると信じています。」

「一般的にはピアノの音程は決まっているものなのですが、私はピアノであっても、演奏次第で微妙な音程調整ができる気がしています。鍵盤にふれる時に、どの倍音を強く出すかを意識してタッチし、ペダルを踏むタイミングやペダリングの工夫をすれば、物理的にも音程は微妙に変化します。また和音を弾く場合でも、どの音に力点を置くのか、そして、それぞれをどのような音色バランスで鳴らすのか等、倍音の響き具合を上手に利用すれば、美しい音程を作り出すことができると思うのです。音程の決まっているピアノであっても、音程を作ろうと努力することは大切なことなのです。」

(「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」より)

 

 

深い、深すぎる。

自ら作曲した楽曲だからこそ、つくりたい音・つくりたい響きが明確にある。そしてCDやコンサートでも、ピアノをフィーチャーしたい楽曲は必ず久石譲自ら演奏する。伴奏やパートのひとつに徹している管弦楽作品や、指揮との両立で指揮台とピアノの行き来やタイミングが難しい場合などをのぞいて。

CDによる演奏も、コンサートによる演奏も、ニュアンスの違いこそあれ、楽曲を大きく包む響きはまさに久石譲ピアノそのものです。作曲当時の演奏と時を経て今の演奏、そのときどきの想いや年を重ねてきた年輪によっても紡ぎ出される音は変化しています。ライブであれば、観客の反応やその場の特別な雰囲気によって一期一会の音楽がうまれます。

「One Summer’s Day」の最後、たっぷりと響かせた低音の上に、高音がやさしくかけ上がっていきます。もともと久石さんは低音をたっぷり聴かせることが多い奏法だと思います。土台としてどっしり安定するからというのもあるでしょうし、低音の響きや倍音効果もあるのだと思います。作曲家としてピアノのみならずオーケストラ楽器やオーケストレーションを熟知した久石さんだからこその奏法であり響きです。

広がる水面に大きな音滴(低音)がどっぷり沈みこみ緩やかで厚みのある波形を生みだす。そこに小さな音滴(高音)が降りそそぎ細かい波形が幾重にも広がる。そして大小さまざまな波形がおり重なり交錯しまたぶつかり新しい波形をつくる。こうやってできた水面のゆらぎの瞬間こそが響きであり、倍音である。──というのは僕のイメージの世界です。

 

 

お題5. 管弦楽における響きと倍音 *宿題

ラヴェル「ボレロ」は、同じメロディーが楽器構成を変化させ、繰り返され徐々に盛り上がりクライマックスへむかう名曲です。この楽曲にも倍音効果を巧みに意図したオーケストレーションが施されているとなにかで読んだことがあります。

ベートーヴェン「交響曲第7番」第4楽章では、従来ベース伴奏のような役割の多かったコントラバスという低音弦楽器、ベース伴奏ではなく独立した旋律をあたえ、そのフレーズがくり返されることで独特なうねりとなって、緊張感や高揚感をもった響きとなっている。とこれもなにかで読んだ記憶です。

とすると、ミニマル・ミュージックというのは、フレーズを反復させる・フレーズをずらすわけですから…。同じ音がくり返される、同じ音の倍音もどんどん増幅されていくことになり…。和音じゃないにしても響きがかさなりハーモニーのようになり、倍音をうみやすい、それが独特の響きやうねりという覚醒効果をもたらし…。

これ、宿題です。いつかまた、いつかきっと。

 

 

今回は、だいぶん役不足なお題に足を踏み入れてしまいました。結局答えは導き出せたのか?と言われたらもちろんそんなことはありません。小さな、でもたしかなきっかけをひとつ学んだような気はしています。答えは見つからなくても学びや好奇心がもらたすもの、今まで聴こえていた音にも変化が起こっている、そう思える瞬間がきっとあります。

僕は最近思うんです。久石譲音楽についてリスト的な資料的なことであれば紙平面上である程度把握できたとして。それってあまり大切なことではない。情報を知るのと知識を深めることの差のように。ひとつを掘り深めること、たくさんに広がりを持たせること、深さ広さその両方が音楽の豊かさを二次元から三次元へ、平面から立体へとかたちづくられていくように。

久石譲とはこういう音楽だ、こういう傾向だ、と軽くかんたんに手で丸めてしまえるものではない。もっと知りたい、もっと感じとりたい、なにか新しい発見があるのかもしれない。このほうが楽しいですね♪

わかった気になることはそこで学びや感受性の限界をつくってしまうことになる。それはとてももったいないことです。そんな安易なものでは決してないのが久石譲音楽だとも思っています。わかった気になること、わからないとさじを投げること、好奇心の最大の敵だ!──と言い聞かせながら。久石さんの音楽の魅力を語りたい、でも言葉でうまく表現できない、このやきもき感が得も言われぬ醍醐味なのかもしれません(マニアックなファン心理 笑)。果てしないフィールド、これからも四方八方紆余曲折Overtoneしていこうと思います♪

それではまた。

 

reverb.
「久石譲 in パリ」(11/18再放送・NHK-BS)で聴くことのできる「One Summer’s Day」久石譲ピアノソロ極上の響き、今の久石さんだからこそ紡ぎだされる音。とびきりの魔法をぜひ♪

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2017/11/13

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」に掲載された久石譲インタビューです。

この年1997年公開されたばかりの映画「もののけ姫」の音楽についてたっぷりと語っています。”超ドメスティックはインターナショナルになる” ”オーケストラの圧倒的な表現力” ”環境ループ” ”果物が腐る直前のような音” …!! 音楽制作における貴重な宝庫、音楽が生まれる瞬間の永久保存版です。

 

 

超ドメスティックはインターナショナルになる

この7月に全世界同時上映が始まったアニメ映画「もののけ姫」。宮崎駿監督が描くこの空前のスケールの作品は室町時代の山里を舞台にした歴史活劇だ。サウンドトラックを担当したのは宮崎監督の作品ではおなじみの久石譲。監督との意見のキャッチボールでは最初から豪速球でやりあったという。壮大なオーケストレーションで作られたこのサントラは久石譲の記念碑的な作品となるだろう。

 

サントラは控え目であることを美徳とする必要もない

-このサントラを作るにあたって、宮崎監督とはどのようにコミュニケーションを取っていきまっしたか?

久石:
「この話を頂いたのは一昨年なんです。その時にこの映画の大体の内容、登場人物のことなどを聞いたんです。絵コンテも少ししかできてなかったけど、今まで以上の意気込みで作ろうとしていることが伝わってきましたね。話を聞いている段階で、直感的にこれはフル・オーケストラのサウンドでやるしかないと思ったんです。

宮崎さんの仕事では毎回、イメージ・アルバムというのを作るんです。まず作品のキーワードを10個くらいもらって、それからイメージを広げてまず10曲作ってしまうんです。今回のアルバムも既に『もののけ姫 イメージアルバム』(徳間ジャパン:TKCA-70946)として1年前にリリースされています。そして、その音を基にサントラを作りました。」

 

-今回はどういうキーワードだったんですか?

久石:
「タタリ神、犬神モロ、シシ神の森……などでした。さすがに宮崎さんもこれだけではマズイと思ったんでしょうね、言葉に対して自分の思いや説明を長く書いてくれたんです。その中に「もののけ姫」というタイトルでポエムのような言葉が綴られたものがありました。それを見たとき、これは歌になるなと思ったんです。タイトル曲にならなくても、イメージ・アルバムならあってもいいんじゃないかという軽い気持ちで「もののけ姫」という曲を書いたんです。」

 

-今回オーケストラ・サウンドを使おうと思った理由は?

久石:
「オーケストラのサウンドはそんなに色があるものではないんです。だから、こういう時代ものアニメでも、その匂いや日本的情緒を出すことができるんです。全世界公開のサントラなので豊かな弦の音がいちばん合うと思いましたね。」

 

-サントラは生のオーケストラのみですか?

久石:
「シンセも入っていますよ。あと、ひちりきとか和太鼓などの民族的なニュアンスのある和楽器も使っています。日本初の世界同時公開の映画なので、何らかの形でドメスティックなものを出すべきだと思ったんです。それで”超ドメスティックはインターナショナルになる”という考えを持ち込みました。富士山と芸者のようなあいまいなイメージではなくて、本当の日本的な音の感性が核にあれば、インターナショナルとしての価値が出ると思ったんです。だから和楽器を使って、なおかつイメージを限定しない使い方を目指しました。これはすごく悩みましたね。」

 

-具体的にはどういう部分に注意したんですか?

久石:
「例えばひちりきなんですが、すごく個性的な音なんです。だからこの音が単独で鳴ると見ている人の注意がそっちに向いてしまう。すると音としては面白いけど、劇の流れを止めてしまうんです。それで、ほかの楽器とハモらせたりして何とも言えない音にする。ソフィスティケートされるので個性も残り、画面の流れも止まらない。」

 

-サントラならではの試行錯誤ですね。

久石:
「今回の映画では、2時間15分の長さに対する作曲をするわけです。だから音を付けないところも含めてどこで何のテーマが出て、どういう形で宮崎さんが言いたいテーマを浮かび上がらせるかがポイントなんです。そういう設計をして論理的に作ることが大事ですね。黒澤明さんの言葉で「映画は時間の流れの中に作るものだから、音楽ととても構造が似ている」というのがあるんですが、本当にそう思いますね。だから、自分も映画を撮っている感覚で作ります。単純に画面が速くなったからといって、速い音楽にはしたくないんです。時間軸と空間軸の中で作るものですから、音楽が主張し過ぎても問題が起こる。また、控え目であることを美徳とする必要もないんです。」

 

生のオーケストラの圧倒的な表現力

-サントラを作るときにイメージの基本となるような、既成のサウンドなどはあるんですか?

久石:
「直接ではないですが、例えばオーケストラのサウンドをイメージするときに、アビーロードの1スタジオの音というのは定着しているんです。だから、その世界観に近い音を国内で録ろうとしますね。そういうイメージの基本はあります。」

 

-プリプロの作業ではどのような機材を使ったんですか?

久石:
「AKAI S3000XLなどのサンプラーを5台使いました。これらはほとんど弦と管の音で使いましたね。サンプラー1台で2音色くらいしか使わないようにして、オーケストラを入れないでも十分なクオリティのものが、プリプロの段階でできたんです。でも、それらの弦の音は全部生のオーケストラと入れ替わりました。生き残ったのは特殊な音だけですね。」

 

-結局は生オーケストラに替わってしまったという一番の理由は何だったんでしょうか?

久石:
「やっぱり、ニュアンスやアーティキュレーションですね。最後にオーケストラを録ってみたら、やっぱりオーケストラの方が圧倒的に良かった。シンセではやはり限界があります。サンプリングを人との会話にたとえると、”同じ顔でずっと話す”ということなんです。やはり、表情が変わらない顔では会話に無理がある。何も生だけが最高だと言っているわけではなくて、サンプリングにはサンプリングの良さがある。ただ、今回のオーケストラ・サウンドに関してはやはり、生にかなわない。弦のピチカートなどはサンプリングだと安定しててきれいなんですけどね。」

 

-ほかにどんな機材を使っているんですか?

久石:
「YAMAHA VP1を使いました。最近は一番好きな楽器ですね。前面には出てこないけど、このアルバムでは隠し味としていろいろな部分で使っているんです。VP1は、まず音が太くてクオリティが高い。そして、普通のシンセ特有のプリセットのピアノとか弦のような音が入っていないところがいいですね。それで、かえって個性が出てくる。あとシシ神の森というのが映画に出てくるんですけど、その場面ではちょっと特殊な響きがほしかったんです。それで生の弦と、以前に自分で作った”環境ループ”と名付けている音を混ぜました。そこでもっと神秘性が出ましたね。」

 

-環境ループ!

久石:
「耳につくようなしっかりしたメロディがあるわけではないけど、それが流れているかないかでは大違いという音なんです。空間を広げるようなスーっと鳴っている感じです。簡単に言うと、ブライアン・イーノのループ・サウンドのようなものですね。」

 

-ほかに興味がある楽器はありますか?

久石:
「やはり僕はピアノがメインなので、”これしかない”という響きのピアノに出会いたいといつも思ってます。「アシタカとサン」では生ピアノのマイキングに凝って録りました。マイクの位置をミリ単位で変えてみたり、蓋を外したりしていろいろ実験してみたんです。ピアノは譜面台を外すだけでも音は変わりますからね。調律師には”果物が腐る直前のような音”にしてくれと頼みました。ピッチがズレる直前というギリギリの感じですね。」

 

宮崎監督との仕事は倍々返しできつくなる

-主題歌「もののけ姫」を歌っている米良美一さんの歌声も男性にしてはかなり高いですよね。

久石:
「宮崎監督も初めラジオで聴いてびっくりしたそうです。この映画には二重性のようなものもストーリーに含まれていて、例えば善悪を決めつけない部分などもそうなんですが、そういう二重性を米良さんの声にも感じるんです。だから、この映画にはぴったりの声ですね。」

 

-全体の仕上りに関してはどうですか?

久石:
「すごく満足しています。宮崎さんとの仕事は6作目になるんですが、慣れてくるというよりも、倍々返しにきつくなっていくんです。同じ手は使えないですからね。だから、きついけど初心に返ったようなつもりで作業できました。しかも宮崎さんとそうとう深い部分でコミュニケーションできたんです。それが収穫でしたね。今回はストレートな音楽表現は、極力抑えたんです。普通、戦闘シーンなんかは派手に音を使いますよね。だけど、そういうところは抑えて、戦いが終わったあとに心が痛んでいるところに音楽を付けるようにしたんです。結果的にこの方法は成功しましたね。そういう意味で全然悔いはないし、これでだめだったら仕方ないと思えますよ。ミックス・ダウンは最終的に十何日間もかけました。これは一部の劇場ではデジタル6チャンネルで再生されるんです。レフト、センター、ライト、後方のレフトとライト、そしてスーパー・ウーファーなんですが、ハリウッドと違って、日本ではほとんどこの分野のノウハウがない。観客の入り方によっても音は変わるので、音を決めるのには苦労しましたね。」

 

-今後の予定は?

久石:
「北野武さんの新作映画のサントラをちょうど仕上げました。8月中旬にはロンドン・フィルハーモニーと僕のピアノでソロ・アルバムを作ります。これは10月15日の発売予定です。9月は台湾でコンサートをやって、10月はツアーをやります。」

 

(「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」より)

 

 

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