Blog. 「デイリースポーツオンライン」 2011年11月 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/3/8

2011年11月、3回にわたってWeb掲載されたデイリースポーツオンラインでの久石譲コラムです。

 

 

数々の名曲を残してきた作曲家・久石譲(60)。宮崎駿監督の「ジブリ作品」やテレビドラマのテーマ曲など、エンターテインメントの世界で活躍する傍ら、オーケストラの指揮にピアノ演奏と、クラシック音楽にも精力的に取り組んでいる。10月7日には「第24回 西本願寺音舞台」(TBS・MBS系で11月3日午前9時55分から放送)にも出演した。音楽への関わり方、バックボーン、そして日本人への提言…。日本を代表する音楽家による“言葉のアンサンブル”をご堪能あれ。(聞き手=福島大輔)

◇  ◇

‐数々の曲を作ってこられた中で、曲作りの過程というのはどういった形なのでしょうか。

久石:
「うーん、締め切り日があって、それに向かって必死にひねり出すという感じですかね(笑)。大概、書かなきゃいけないものはいくつかだぶってますから、その時に、今、これを勉強しなきゃいけないなっていう仕込みを時間がとてもかかりますので、割と順序立てて、組み立てながら作っていく感じです。アイデアが湧いた、湧かないみたいなことで必死になるよりは、最終的には確かにそれも大事なんですが、そこに持ち込むまでは、どれだけ論理的にやっていくか、というね」

‐計算の上で、ということですね。

久石:
「そうです。今回もお寺さんでやるわけで、『こういう所だったら、いくらでも曲の発想が浮かぶでしょ』なんて言う人もいるんですが、ふざけんな、ってね(笑)。そんなんだったら、一年中旅行してるよって」

‐ある程度こういう曲を作ると決めて、その世界観をご自身の中で作ってから、具体的な製作に入られると。

久石:
「そうなんです。映画の音楽にしても、脚本を読んで、その映像に合うやり方を考えて、そのままやったんでは面白くないから、一歩先を行くにはどうしたらいいか、とかいう感じでね」

‐世界観の作り方というのは、具体的にはどのようにされるのですか。

久石:
「いやこれは、毎回ケースバイケースですよ。例えば今回、西本願寺で演奏するプログラムを作るにしても、一曲一曲はある映画の音楽だったり、自分のアルバムのための音楽だったりするんですが、曲順を決める段階では、本来それぞれを最初に作ったときの意図とはまったく違って、前後関係でそれぞれの楽曲の意味が変わるんですよ。これが構成。1曲目から最後の曲まで聴き終わったときに、何を感じてもらうか。例えば1つの映画を見たように、聴いていただいた人たちがどのように感じてくれるか、それをすごく考えますよね」

‐曲というのは、そのシチュエーションごと1つの作品であると。

久石:
「もちろんそうです。どんな場合でも、パーツパーツがあって、例えば映画の場合は、1シーンずつ撮ってきたものを、最後にどう編集するかで、その意味づけが変わってきますよね。音楽でいえば、1曲の中にもあるし。何でこれは『ド』から『ソ』に降りたんだ、とかね。それが1曲単位になり、ある時間の長さになる。そんな感じがしますね」

‐これまで、ジブリ作品などのアニメ映画の音楽なども手掛けてこられましたが、そこにはやはりアニメならではの世界観が…。

久石:
「そうですね。アニメーションは、ほとんど宮崎(駿)さんの作品しかやってないんで。あれだけすごい人のをやっちゃうと、ほかの人のができないというのもあるんですが(笑)、宮崎さんの場合は、あまりアニメーションとは考えてないんですよ。現存する映画監督の中で、最低でも十本、あるいは五本の指に入るような優れた監督ですから、その人が何をやりたいかというと、そこに映っているものより、バックグラウンドの方が大きいんですね。やはりこちらが浅はかな知識でやっていると、とてもついていけないので、そうするとやっぱり…、勉強しないといけないですね(笑)」

‐勉強の仕方というのは、どのように。

久石:
「僕は今は基本的に、音楽のことしかやらないようにしているんですね。クラシックの指揮をしたりとかもするんですが、オフィスもありますんで、最低限お金は稼がなきゃいけない(笑)。そうすると、お昼の12時、1時過ぎぐらいから夜中の12時ぐらいまでは、エンターテインメントの作曲なり、仕事と言ったらちょっと語弊があるかもしれませんが、それを書く。そして家に帰ってから明け方まで、過去の作曲家の譜面を読んだり、彼らが生きた時代や本人の生活の環境、その時代の方法に対して、その作曲家がどのくらい進んでいたのか、遅れていたのか、そういうことを考えます。例に出すと、ブラームスなんかは当時の流行からすると、遅れた音楽をやっていたんです。まだベートーベンの影響を引きずっていた。ところが当時は、シューマンとかいろんな人たちが、新しい方法に入っていた。古くさい方法をとっている中で、革新的な方法をとっている人もいた。どっちが優れていたのか、というのは全然言えないんですよ。長く生き残ってきたものというのは、本物ですから。でも本人の中は、絶えず葛藤してたわけだよね。僕ら、ものを作る人間というのは、絶えずそれですから。今のこの時代で、僕が作曲家としてどういう書き方をするか、自分にとってはすごく重要なことで、そのようなことをいっぱい勉強するという感じですかね」

‐ご自身が、その時代に立ち返るという感じでイメージされる。

久石:
「そういうことですね。あの、優れた指揮者というのは大勢いるんですが、自分がやる場合の武器って考えると、『作曲家』なんですよ。作曲家として、もう一回ほかの人の譜面を見るから、それはちょっと普通とは違うみたいで、いい意味での武器だと思いますね」

‐作曲家だけでなく指揮やピアノなど、多方面で活躍されていますが、1人の人間としていろんな方向から音楽を見るのは刺激になりますか。

久石:
「すごくありますよ。指揮をしているのも、基本的には指揮者になりたいのではなくて、通常、他人や古典の譜面を見ると、ざっと見て「こういう感じね」で済んじゃうんですけど、自分で実際オーケストラを指揮するとなると、ものすごく細かく見ますよね。それをやることによって、作曲家として『ああ、ここはこうやって音を動かせばいいんだ』っていうふうに、作曲の肥やしになるというのがベーシックですよ。それがないとやらないです」

‐指揮でも演奏でも、なにがしかのフィードバックがあると。

久石:
「ただ、そのおかげで、久石っていう作曲家はね、クソ難しいんですよ、演奏が(笑)。指揮も難しいし、ピアノも難しくて、もうちょっと演奏する人のこと考えて欲しいな、なんて思いますけど」

‐ご自身で演奏するときも…。

久石:
「最悪ですよね(笑)。やりすぎなんだ、っていつも思いながらやってます」

‐そもそも、作曲家を目指したきっかけというのは。

久石:
「きっかけって、ないんですよ。小さいときから、やるもんだと思ってたから、いろんな職業の中で作曲家を選んだ経緯というのはないんです。いや、作曲家を選んだというのは、中学2年か。音楽をやるというのは決めていたというか、やるもんだと思ってましたから。意識的に選んだという記憶はないです」

‐環境の中で、音楽があふれていたなどは。

久石:
「全然。何もなかったね。普通の一般家庭。ただすごく好きで、絶えず音楽は聴いてたし、小さいときからバイオリンを習ったりはしてましたけど」

‐中学校2年生で、作曲家に針が振れたというのは。

久石:
「ブラスバンドなんかをやっているときに、与えられた譜面を演奏するよりは、一生懸命譜面を書いては皆に聴かせている方が好きだったんですよ。それは再現する方の音楽家ではなくて、作る方だなと。それで作曲家を目指したんです」

‐初めて曲を作られたのはいつでしたか。

久石:
「中学1年ぐらいですね。全然手に負えてはいなかった(笑)。ただ音符を並べただけだったと思います。要は、いろんな蓄積がないとできないですね。よく、作曲家の個性なんていいますけど、ないんですよ、そんなのは。結局、自分が今までいろんな状況で聴いてきた音楽や体験してきたこと以外、出ることないですから。その中のものが、その時の思いで断片的に組み合わされて、『あなたの』というのが出てくるだけで、そんなねえ、オリジナリティーなんて、世の中にないと思いますよ。一生に1曲もできないと思う」

‐作ってできるものではなく、にじみ出てくるものだと。

久石:
「とすると、やはり自分のバックボーンを大きくするしかないわけですよね」

‐これまで音楽家として、多くのことを成し遂げてこられましたが、今後目指していかれるものとは。

久石:
「やっとね、今少し自由になってきた気がするんです。自由になったというのは、こういうふうなものを書きたいな、と思っても、全然書けなかった、行き着けなかったんですよ。それが最近、少し楽になったね。だから、体力があるうちに、長い曲を書きたいですね。この2、30年、エンターテインメントの方でやってたんですが、3、4年前から、クラシックの方にもう一回スタンスを戻してますから、そういう意味では、シンフォニーとかオペラとか、そういう作品をきちっと書きたいです」

‐楽になったというのは、蓄積されたものがある程度、自分の自由に出し引きできるようになったと。

久石:
「多少はね。多少はできるようになりましたけどね。でも、エンターテインメントの音楽も大好きですから、それもできる限りしっかり書いていきたいと思ってます」

‐最近の活動でいうと、東日本大震災の被災者へ向けてのコンサートなども行われました。

久石:
「あのときも、大船渡とか陸前高田、気仙沼あたりに行ったんです。そこでに感じた、日本人はどうなっちゃうんだろう、という思いは強かったですね。その中で…、何て言ったらいいんだろう、僕はもうちょっと、世界を意識しますね。どういうことかというと、こういうことが起こった、しかしいろんな対応を見てて、あまりにひどいじゃないですか。遅すぎるね。僕は日本人って、今一番ノロい民族だと思ってるんですよ。何やるにしても遅いでしょ。街中歩いてても思いますよ。店員も遅いし。本当にね、日本人って器用で速いと思ってたけど、そんなことないんです。例えば、この異常な休日の多さ(笑)。こんなんじゃ仕事できないですよ。一年中虫食いのような日程で動いてるでしょ。で、全部の会社が休む。日本人って、世界で一番働いてないと思う。僕の部屋には、ヨーロッパから見た世界地図が張ってあるんです。日本の地図は、日本がど真ん中にあって、ヨーロッパとアメリカが端にあるでしょ。いかにも日本が世界の中心に見えるじゃないですか。しかしヨーロッパの地図で見ると、日本は本当に東の端なんですよ。そこにいるんだって意識しないと、どんどん世界から置いていかれますよね」

‐日本を愛するが故に、の歯がゆさ。

久石:
「もちろんです。どんなに世界中行ったって、日本食が一番好きですし(笑)。今回の『音舞台』の曲目で『World Dreams』という曲があるんですが、これに作詞をして、大勢のコーラスの中でやるんです。これは、国歌のような曲を作りたいと思って、凛々しく、堂々とした曲になっています。これが多分、全体のピークになるんですが、私の伝えたいメッセージはそこに全部入っていると思います。今だからこそ、力強く、凛としていこう、というね」

◇  ◇

(デイリースポーツオンライン 2011年11月8日 より)

 

久石譲 モノクロ

 

Blog. 久石譲 「アップル iTunes インタビューズ」 『パリのアメリカ人』発売記念

Posted on 2015/3/6

2005年発売『パリのアメリカ人』久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)としての第2弾アルバムです。

アップル itunesサイト内でのインタビュー。当時はインタビュー動画も閲覧することができました。なかなか貴重な媒体での、そして貴重な作品をクローズアップしてのインタビュー内容となっています。

 

 

隣にいる人に優しくしてあげたくなるような、心安らぐ音楽をプレゼントしたい 久石譲

New ” for winter lovers” ALBUM
『パリのアメリカ人』 発売記念 Special Interview

宮崎駿作品、北野武作品をはじめとする数々の映画音楽を手がけ、さらにはイベントの総合演出や映像監督など、さまざまなフィールドで活躍する作曲家でピアニストの久石譲さん。最近では韓国映画『Welcome To Dongmakgol』、香港映画『A Chinese Tall Story』の音楽監督を務め、アジア各国での活動にも積極的に取り組んでいます。また、2005年11月30日には、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラを率いてのニューアルバム『パリのアメリカ人』がリリースされ、12月2日からはコンサート『12月の恋人たち』がスタートするなど、ますます精力的な活動を展開中です。そんな久石さんに、ニューアルバムに込められた想い、そして初期の頃からのベテランMacユーザーとしての一面、また、iPodやiTunesの普及によって変化し始めた音楽の環境ついてお話をうかがいました。

 

ポップスオーケストラで奏でる、フランスの映画音楽。

Q. まず、ワールド・ドリーム・オーケストラの新作『パリのアメリカ人』について聞かせてください。フランス映画音楽を多くカバーされていますね。

久石:
ワールド・ドリーム・オーケストラは、僕以外の作曲家の曲を取り上げて指揮をする、というコンセプトで始めたシリーズです。基本的にポップスのオーケストラで、ボストンポップス(オーケストラ)みたいな位置づけになると思います。そのワールド・ドリーム・オーケストラのCDは、今回で2枚目。さあ何をやろうか、と考えた時に、フランスの映画音楽はどうだろうと思ったんです。フランス映画の音楽というのは、とてもいいメロディが多いんですね。あと、12月でしょう。内容的にヘビーなものよりも、心暖まるようなものにしたかった。「今年もキツかったなあ」なんて思っている「お疲れモード」の人たちに、音楽でホッとしてもらいたいという気持ちです。

Q. 『パリのアメリカ人』というコンセプトをもう少し詳しく説明していただけますか?

久石:
1920年代、30年代という世界大恐慌前後の時代、アメリカ人が憧れるものっていうのは「文化」だったんですね。成功したらパリに住むというのが、彼らのステイタスになっていた。それでコール・ポーターもフィッツジェラルドもパリに住むようになった。でも今、成功したらここに住みたい、というような場所はないでしょう? わかりやすい憧れの対象や目的がないこの時代に、「パリのアメリカ人」をテーマにすることで、今の時代性が浮き出てくるといいなと考えたんです。

一方で、パリのアメリカ人ということは、つまり異邦人ですから、基本的に居心地がいいはずがない。どこかに違和感を抱えて暮らさざるを得ない。そしてそれは、今この時代にみんなが抱えている問題とイコールだと思うんです。例えば会社に勤めている人でも、1日の大半を「オレ、この会社に合ってるのかな」って思って過ごしていたりする。なんとなく自分の居場所がないような気持ちになっている人っていっぱいいると思うんです。そういう現代人がこの音楽を聴くことで、安らげるようなものになっていたらいいなと考えています。

Q. フランス映画音楽以外にも、アメリカの作曲家、コール・ポーターの楽曲が多くカバーされているのが印象的でした。

久石:
コール・ポーターはね、作曲家なんだけど作詞もするんです。なので言葉とメロディの関係がすごく上手くいってる。それと、彼はパリに住んでいたんですよ。つまり、「パリのアメリカ人」。アルバムのコンセプトにも合っているということで、カバーしたわけです。

Q. 今作でヴォーカルを取っているレディ・キムの声は心地よいオーケストラの音楽に、いい意味でブルージーな感覚を与えていますよね。

久石:
コール・ポーターっていうと、やっぱり歌ですからね。スウィング的なものや、ジャジーな感覚を持っているということで、彼女を選んだんです。フランス映画音楽だけをそのままやってしまうのではイージーリスニングになってしまうかも知れない。どこかに異種のもの、アメリカン・テイストを入れたかったんですね。フランス料理にハンバーガーが入ってくるというか(笑)。それがコール・ポーターであり、レディ・キムのヴォーカルなわけです。ミスマッチの要素が入ることで両方が際立てばと。そういうことも含めて「パリのアメリカ人」なんです。

あと、こうしたテーマを日本人がやるっていう部分も面白いと思うんです。例えば僕はオーケストラをやってますけど、これは西洋音楽がベースでしょ。なんで日本人がやるんだって言われると困っちゃうわけです。結局みんな根無し草状態なんですよね。でも、だからこそ自分のルーツを知りたいという思いがある。そうした部分から出てくる孤独感や叙情っていうのは僕にとって昔からのテーマなんです。

Q. 2005年12月2日からはじまるコンサートについて教えて下さい。

久石:
基本的にはニューアルバムと共通のコンセプトなんですが、ステージならではの仕掛けも用意してますよ。例えば「パリのアメリカ人」という曲はアルバムでは1分くらいしかないんですが、18分フルでやるつもりです。また、ラヴェルをやったり、12月ですからクリスマス・ソングもやります。女性だけの30人程のコーラスが入ったりするし、レディ・キムの歌があるし、サクソフォン軍団やドラム、ベースも入るので、今までの中でいちばん大がかりな編成です。舞台のレイアウトを考える人が悲鳴をあげていますよ(笑)。ですから自然と、アルバムよりもさらに賑やかになっていくはずです。とにかく、この1年を一生懸命生きてきて、みんな疲れているだろうから、このコンサートを聴くことで心が安らいで、隣にいる人に優しくしてあげたくなるような、そんな音楽をみなさんにプレゼントしたいと思っています。

 

久石譲 itunes 2

 

iPodは大勢の人に選ばれたすぐれたツール。

Q. 久石さんはMacユーザーで、音楽ソフトVisionを使用しているそうですが、ピアノもオーケストラも生音による音楽ですよね。Macを音楽制作にどのように活用しているのでしょうか?

久石:
主に譜面を書くのに使っています。以前は手書きで書いてたんですけど、大量に曲を書かなくてはいけないときには、右手を痛めてしまうんですね。それではピアノを弾くのに困るので、Macで譜面を作成する方式に変えたんです。それが3年くらい前。ところがこれはこれで、問題も出てくる。手書きによる隠し味のようなものが、どうも出てこない。ここでホルンがすうっと伸びて、みたいな部分がオケではとても大事になってくるんですが、それは手描きの線によって無意識に表現されていたりするんですね。それをコンピュータでボーンと作っちゃうと、簡単だけど、情報量が手描きの半分位に落ちてしまう。ただ、逆にコンピュータの良さもあるんです。鉈で割ったような、ガツンという強さが出る。手書きとコンピュータ、それぞれのメリットを、新しい方法として融合させていくのに2年半くらいかかりましたね。

Q. 久石さんがMacを選んだのは何故だったのでしょうか?

久石:
VisionがMacのソフトウェアだったということはあるね。あと、実は僕はずいぶん昔にニューヨークで初めてMacを見て、すごく気に入っちゃってプリンタと一緒に買って、アメリカから持ち帰ってきたことがあるんです。それ以来Mac。かなり初期からのMacユーザーかもしれない。Macってすごくヒューマンなところがあるでしょ。それがよくてね。仕事やる場所には楽器からコンピュータから全て同じセットを置いていて、いつでも制作ができるようにしています。

Q. iPodやiTunesの普及で、音楽を楽しむ環境が大きく変化し始めています。そのことについて、どのように感じていますか?

久石:
僕自身、iPodはよく使っています。これはもう、完全に時代の流れですよね。レコード業界は今までは物流の世界だった。それが本当の意味でのソフトのやり取りになってきている。それは基本的にはいいことだと思います。 ただ、大事なのは、クリエイティブなことをやるためには、それなりの制作費が必要だということ。だから、法律的なことも踏まえて作曲家、作詞家、そして演奏者が存分に音楽を制作できる環境を作っていかないと、結果、クオリティが下がっていくと思うんです。

もうひとつは、曲を作る側の意識がどんどん変わっていくと思います。従来アルバムというのは、アルバムを牽引していくシングル曲があって、その他に実験的な楽曲を入れる余地もあった。それによってアーティストは冒険をし、成長していくわけです。それが1曲単位で選べるようになると、全部がシングルのようなものになっていかざるを得ない。即物的、刹那的な要求に対応していかないといけなくなるわけです。その結果、アーティストが成長するパワーを失う可能性もあるかもしれない。3、4年後にその結果が出てくると思うけど、今後どんな風に音楽を制作していくことになるのか、それを見守っていかなくてはいけないですね。

Q. 逆に、iTunes Music Storeの登場で得るものも大きいですよね。

久石:
そう。これまでドメスティックでしか聴けなかったものが、地球の裏側の人もアクセスして聴けるようになる。これはアーティストにとって絶対にプラスになることなんです。マーケットがレコード会社間の問題を飛び越え、全世界に広がっていく。それはiTunes Music Storeのようなものがないとあり得ない。その上でみんながどういう動きをしていくのか、それを見ていきたいですね。

Q. なるほど、確かにそれは興味深いですね。

久石:
そういう便利さはあればあるほどいいんです。その中でこちらが選択していけばいいわけですからね。僕が音楽やっていて感じるのは、一般の人は本当に頭がいいということ。ものを選ぶ能力が非常に高い。 先日、養老孟司さんと、いい音楽とは何か? という議論をしたんです。結論として、長く聴いても飽きないもの、時代を超えて生き残る音楽がいい音楽だと。それは道具にしても同じですよね。時代を超えて、大勢の人が使っているものというのは、やっぱりいいものなんですよ。何十万人、何百万人もの人と、何十年もの月日によって淘汰され、生き残ったものですからね、そこには絶対的な説得力があるんです。(iPodを指差して)これも、いいものだと思いますよ。これだけ大勢の人に選ばれているわけですから。

 

「AMERICAN IN PARIS」紹介

かろやかなフレンチ・ムーヴィー・ポップスに舞い、しなやかなコール・ポーターの名曲に酔う… 久石譲のセンセーショナルなアレンジによるセレブリティ・アイテム。

久石譲 『パリのアメリカ人』

01. パリのアメリカ人

1928年に作曲家ジョージ・ガーシュインが初めて手がけた同名のフル・オーケストラ用管弦楽曲をもとに、ミュージカル映画「巴里のアメリカ人」が作られたのは1951年のこと。パリに住む画家志望のアメリカ人青年とキュートなパリジェンヌの恋模様を小粋に描いたこのMGM作品は、主演および振付を務めたジーン・ケリーとレスリー・キャロンのダンス・シーンが話題となり、作品賞はじめ8つの部門でオスカーを受賞している。

02. 夜も昼も

コール・ポーターが作詞作曲を手がけた1932年のブロードウェイ・ミュージカル「陽気な離婚」からのナンバーで、主演スターであるフレッド・アステアのために書かれたもの。海辺のリゾートを舞台に、イギリス人作家と離婚を控えた女性との恋が描かれるこの作品は、名ダンス・コンビ、フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャーズの主演で、1934年に「陽気な離婚者」と改題されて映画化された(邦題「コンチネンタル」)。

03. 男と女

フランシス・レイが手がけた「♪ダバダバダ」のメイン・テーマがあまりに名高いこの作品は、過去の痛手から立ち直れず、新たな愛へと踏み切れぬ男女の心の機微を描いた、大人のムードあふれる1966年のフランス映画。主演はジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ。監督は、フランシス・レイと組んで「パリのめぐり逢い」(1967)、「白い恋人たち」(1968)等の名作を送り出したクロード・ルルーシュ。

04. ロシュフォールの恋人たち

監督ジャック・ドゥミ、音楽ミシェル・ルグラン、主演カトリーヌ・ドヌーヴのゴールデン・トリオが生み出した、フランス・ミュージカル映画の傑作の一つ。お祭りにわきたつロシュフォールの街を舞台に、さまざまな恋が展開されてゆく1965年の作品で、ドヌーヴは実の姉フランソワーズ・ドルレアックと、夢に恋に生きる双子の姉妹役で生涯唯一の共演をはたした。ジョージ・チャキリス、ジーン・ケリーと、その他の出演者も豪華。

05. Le Petit Poucet

シャルル・ペローの童話「親指トム」をもとにした、2001年製作のフランス映画。小人の“親指トム”が主人公のファンタジーで、ロマーヌ・ボーランジェ、カトリーヌ・ドヌーヴらが出演している。監督は、ジャン・レノ主演の映画「クリムゾン・リバー2」を手がけたオリヴィエ・ダアン。久石譲が音楽を手がけ、主題歌をヴァネッサ・パラディが歌っている。

06. ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ

1943年のミュージカル映画「サムシング・トゥ・シャウト・アバウト」のためにコール・ポーターが作詞作曲した曲。ドン・アメチーとジャネット・ブレアが歌い、アカデミー主題歌賞にノミネートされたが、失敗作続きのブロードウェイ・プロデューサーが新作を舞台に乗せようとするまでの悪戦苦闘を描いた映画自体は流行らず、クリフォード・ブラウンと共演した歌手ヘレン・メリルのレコード等によってポピュラーな曲となった。

07. ビギン・ザ・ビギン

1935年に初演されたブロードウェイ・ミュージカル「ジュビリー」からのナンバーで、西インド諸島のマルチニーク島の民俗舞曲である“ビギン”と“始める=ビギン”を掛けて、コール・ポーターが作詞作曲した。身分を隠して城を抜け出し、普段できないことを楽しむロイヤル・ファミリーの姿を描いた「ジュビリー」はさほどヒットしなかったが、後の大スター、モンゴメリー・クリフトが子役として出演していたことで知られる。

08. 太陽がいっぱい

リッチな放蕩息子に憧れ、彼になりかわるべく恐ろしい犯罪に手を染めていく貧しい青年を描いた映画「太陽がいっぱい」(1960)は、主演のアラン・ドロンがスターの地位を不動のものとしたサスペンス・ドラマ。監督はルネ・クレマン、「ゴッドファーザー」シリーズやフェリーニ作品などで名高いニーノ・ロータが音楽を手がけた。後に「リプリー」(1999)のタイトルで、マット・デイモン主演でリメイクもされている。

09. ラストタンゴ・イン・パリ

パリのアパートでただただセックスに溺れる日々を送る中年男と若い女の姿をとらえた「ラストタンゴ・イン・パリ」は、衝撃的な性描写ゆえに1972年の発表当時世界各国で上映禁止となり、日本でも27年の年月を経てやっと無修正完全版が公開された。「ラスト・エンペラー」(1987)などで名高いベルナルド・ベルトルッチ監督が31歳の若さで発表した問題作で、主演はマーロン・ブランドとマリア・シュナイダー。

10. ソー・イン・ラヴ

シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」のミュージカル版と、そこに出演している役者たちのラブロマンスが二重写しで描かれるブロードウェイ・ミュージカル「キス・ミー・ケイト」(1948)の、舞台裏の部分で歌われたナンバー。コール・ポーター作品として最大のヒットとなり、第一回トニー賞の栄誉に輝いたこのミュージカルは、1953年にMGMにて映画化されているが、その際コール・ポーターその人も出演をはたした。

11. シェルブールの雨傘

「ロシュフォールの恋人たち」に先駆け、監督ジャック・ドゥミ、音楽ミシェル・ルグラン、主演カトリーヌ・ドヌーヴのゴールデン・トリオが生んだ、フランス・ミュージカル映画の最高傑作で、1964年度のカンヌ映画祭グランプリを受賞した。港町シェルブールを舞台に、戦争で引き裂かれる傘屋の娘と自動車修理工の若者との悲恋が、甘い調べに乗ってせつなく描かれるこの作品は、セリフもすべて歌いあげる手法も話題を呼んだ。

12. 白い恋人たち

フランス・グルノーブルにて1968年に開催された第十回冬季オリンピック大会の模様をとらえたドキュメンタリー映画で、「男と女」や「パリのめぐり逢い」と同じく、クロード・ルルーシュが監督を務め、フランシス・レイが音楽を担当している。アテネからの聖火リレーに始まり、華やかな開会式、各競技に挑む選手たちの姿、そして13日間の白熱した日々を経ての閉会式などが、ヴィヴィッドに描き出されている。

文:藤本真由

 

久石譲 itunes 1

 

Blog. 週刊ポスト「Macはヒューマン」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/3/2

2011年11月11日号「週刊ポスト」に掲載された久石譲インタビューです。

長年愛用しているコンピューターMacについて語っています。

 

 

久石譲氏 「Macはヒューマン。よく固まるけどそれも楽しい」

10月に他界した故スティーブ・ジョブズは、常に革新的なアイデアを重視していた。そのため機械に思わぬ不具合が生じることも少なくないのだが、それでもユーザーは減らない。Macintosh愛好家である作曲家の久石譲氏がいう。

「一言でいえばヒューマンなんですよ。Macはよく固まる。集中して1時間ぐらいかけて作った曲がフリーズでおジャンというのは昔は日常茶飯事でした。泣きたくなるけど、それも楽しかったりする。人間味のあるパソコンですよね」

欠陥さえも愛してくれるユーザーがMacには大勢付いている。久石氏はMacintosh Plus(1986年)の思い出について、こう語った。

「ニューヨークにいた時、友人に勧められて衝動買いしました。最初に触った時の驚きは今でも覚えています。画面にはいくつかのアイコン、そして書類を作って必要ならコピーしていらなければゴミ箱に捨てる。今では当たり前ですが、当時の他のパソコンはこんなに直感的ではなかったんです。まるで自分の机の上で仕事をしているような感覚でしたね。それまで無機質だと思ったパソコンに急に人間味を感じました。

とはいえメモリが1MB程度なので、このマシンでは書類作成がメインでした。Macで曲を作るようになったのは1990年代中盤ぐらいでしょうか。皆さんに聴いていただいている最近の曲のほとんどはMacで作っています」

 

【プロフィール】
久石譲(ひさいし・じょう)1950年生まれ。作曲家として宮崎駿や滝田洋二郎の映画の音楽を担当。国内外で数々の音楽賞を受賞する日本を代表する作曲家。最新CD『The Best of Cinema Music』(ユニバーサルシグマ)が発売中。年末には北九州ソレイユホール(12月28日)、大阪ザ・シンフォニーホール(12月31日)にてコンサートを開催。

(週刊ポスト 2011年11月11日号)

(出典:NEWSポストセブン 2011.11.1 より)

 

Macintosh Plus(1986年)と久石譲氏

【Macintosh Plus(1986年)と久石譲氏】

 

Blog. 「クラシック プレミアム 30 ~ストラヴィンスキー / プロコフィエフ~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/2/28

クラシックプレミアム第30巻は、ストラヴィンスキーとプロコフィエフです。

クラシック音楽のなかでも近代にあたる20世紀を代表する新しい響きとリズムによる名作です。よりストーリー性をもち、劇的でドラマティックな構成と編成。現代音楽にも近く、また古典的な格式も継承しつつ。今聴いていても、さながら映画音楽を聴いているような、時代差をあまり感じない音楽といいますか、はっきりとしたストーリー性、起承転結な音楽だなと思います。

 

【収録曲】
ストラヴィンスキー
バレエ音楽 《春の祭典》
-2部からなるロシアの異教徒の情景
ピエール・ブーレーズ指揮
クリーヴランド管弦楽団
録音/1991年

プロコフィエフ
バレエ音楽 《ロメオとジュリエット》 作品64より
前奏曲
第1幕 街の目覚め / 朝の踊り / 少女ジュリエット / 客人たちの登場 / 仮面 / 騎士たちの踊り / マドリガル
第2幕 マキューシオの死
第3幕 ロメオとジュリエットの別れ / 朝の歌
第4幕 ジュリエットの死
ワレリー・ゲルギエフ指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
録音/1990年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第29回は、
音楽を構成する3要素を座標軸で考えると

直近のテーマで数号にわたって展開されてきた視覚と聴覚の締めくくりとなっています。それもさることながら、年末年始にかけての久石譲のお仕事、コンサートから今年2015年に発表されたふたつの作品のこと「かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための」「Single Track Music 1」バンド維新2015委嘱作品 吹奏楽(制作時期が2014年の秋以降だった模様)

さらには、作品化されていないシリーズ!?ジブリ美術館用館内BGMのことまで。今後の予定にも光の射す一文が。いろいろな意味で、旬な久石譲がわかる、しかも本人直々に語られるというオフィシャルな近況報告、読み応え満点な内容になっています。

一部抜粋してご紹介します。

 

「新しい年を迎えた。1月4日にピアノ曲を作曲し、翌日の5日に録音した。曲名は《祈りのうた》で僕自身初のホーリー・ミニマリズムのようなシンプルな三和音を使った楽曲になった。さっそく宮崎駿さんのもとに届けた。これは恒例化した新春の儀式のようなもので、ジブリ美術館で流れる音楽を作曲して以来、毎年ではないけれどもなんとか作っては届けている。去年サボったら年間通して作曲の調子が悪かったので、今年はなんとしても作るという決意を持って臨んだので、正月も緊張したまま過ごしたせいか疲れが残っている。」

「まあ考えてみたら、12月31日に大阪でジルベスターコンサートを行ったこともあり、まったく休んではいない。おまけに2日目のリハーサル(30日)の後、風邪が悪化して熱も出て救急病院に行ったりで体調も悪かったのだから仕方がない。このときは《Winter Garden》という22分くらいのヴァイオリンとオーケストラの曲の改訂初演を行った。関西フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター岩谷祐之さんの素晴らしい力演もあって成功した。その第1楽章は8分の15拍子という変拍子で2・2・3・2・3・3と分けてリズムを取るというまことに厄介な曲で、かなり肉体的練習をしないと体に入らないので苦労した。”久石さん”の曲はどれも面倒な曲ばかりなので指揮者としてはできるだけ演奏をしないで済ませたい。」

「そう思ったせいか深秋から暮れにかけて書いたウィンド・オーケストラのための《Single Track Music 1》は長年の知り合いである作曲家の北爪道夫氏が振り、次いで書いた女声三部合唱のための《かぐや姫の物語》は東京混声合唱団の指揮者山田茂氏にお願いした。両方ともレコーディングだったので僕はディレクションに専念できて良かったのだが、実は肩の調子が凄く悪くて手が挙がらない状態だったこともある。その状態で暮れに先ほどの変拍子を振り続けなければならなかったのは(しかもテンポが速い)かなり酷だった。だが、人間やればできる!風邪薬を飲んで14~15時間寝たらすっきり、頭もはっきりで、こんなに音楽がクリアに見えたことがないほど調子が良かった。人間やはり寝て休むことが大切だと思い知ったのだが、きっと長くは続かない、たぶん。」

「ついでに言うと救急病院に行くほど風邪がひどかったのでタバコも吸えなかった。翌日、本番が終わり1本吸ったがおいしくなくそれでお終い。1月1日も1本だけ、このまま止められるかな、と思ったら2日は3本、3日は6本、作曲に集中した4日には10本を超え、5日のレコーディングでは、ほぼいつもの状態に戻ってしまった、やれやれ。」

「去年の正月はこの連載などで文章ばかり書いていた気がする。それはそれで言葉に置き換えることによって、頭の中を整理することができてよかったのだが、作曲家はやはり音符を書かないと話にならない。今年は依頼された楽曲も多いので気を引き締めてとにかくたくさん書こうと思っている。」

「やっと本題、視覚と聴覚について書いてきたのだが、その中で聴覚を重視する宗教としてユダヤ教を取り上げ、ユダヤ的なるものを考えることでこの日本で生きること、あるいは日本人であることを考察してきた。そろそろ締めくくろう。」

「視覚と聴覚から入る情報のズレを埋めるために人は言葉を持ち、時空という概念を手に入れた。この時空という概念はそのまま音楽の概念でもある。」

「音楽を構成する要素は小学校で習ったとおり、メロディー(旋律)、ハーモニー(和音)、リズムの3要素だ。座標軸で考えるととてもわかりやすいのだが、横のラインが時間軸、縦のラインが空間軸となる。リズムというのは刻んでいくので時間の上で成り立ち、ハーモニーは響きなのでそれぞれの瞬間を輪切りで捉える、いわば空間把握だ。そしてメロディーはと言えば時間軸と空間軸の中で作られたものの記憶装置である。時間軸上の産物であるリズムと空間の産物であるハーモニー、それを一致させるための認識経路として、メロディーという記憶装置があるわけだ。そしてこれはあらゆる音楽に適合する。例えばあの難解な現代音楽にも当てはまる。不協和音や特殊奏法も響きとしての空間処理であるし、十何連音符のような細かいパッセージも聴き取りやすいリズムではないが時間軸上でのことであるし、覚えやすいメロディーではないとしても基本の音形や何がしかの手がかりがあるし、セリー(十二音列)などでもやはり時間と空間軸の上での記憶装置にはなっている(もちろんわかりにくいが)。そして多くの現代音楽が脳化社会のように込み入ってしまって、本来メロディーが持つ説得力やリズムの力強さ、心に染み入るハーモニーなどを捨て去ったために、力を失ったことは歴史が証明している。今こそ音楽の原点を見直し、多くの人たちに聴いてもらえる「現代の音楽」を必要とする時がきたのである。」

 

 

ということで、読み流せないキーワード満載でした。キーワードごとにチョイスして補足します。

【ジルベスターコンサート 2014】
3年ぶりの復活。久石譲作品の豪華オンパレード。
こちら ⇒ Blog. 「久石譲 ジルベスター・コンサート 2014」(大阪) コンサート・レポート

【ジブリ美術館音楽】
1月5日の宮崎駿誕生日に合わせて、ジブリ美術館用館内BGMを献呈。過去の献呈曲などは下記。
こちら ⇒ Disc. 久石譲 三鷹の森ジブリ美術館 展示室音楽 *Unreleased

今年献呈された楽曲は「シンプルな三和音」のホーリー・ミニマリズムのような曲。ホーリー・ミニマリズムは、作曲家アルヴォ・ペルトなども作品を残しています。

【かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~】
こちら ⇒ Disc. 久石譲・高畑勲 『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』

【Single Track Music 1】
久石譲最新作品(2015.2現在)にして、吹奏楽第2作目。
こちら ⇒ Disc. VA. 『バンド維新 2015』 (演奏:航空自衛隊 航空中央音楽隊)

【現代の音楽】
久石譲が語る、「現代音楽」ではない「現代の音楽」とは。
こちら ⇒ Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

 

【今年は依頼された楽曲も多いので気を引き締めてとにかくたくさん書こうと思っている。】楽しみでなりません。作曲期間からお披露目されるまでのたっぷりとした時間を考えても…今年どれだけの新曲が聴けるのか。待つのみです。

 

クラシックプレミアム 30 ストラヴィンスキー

 

Blog. 久石譲 YOMIURI ONLINE 「私の先生」 インタビュー内容

Posted on 2015/2/20

2012年3月、読売新聞およびWeb YOMIURI ONLINEに掲載された久石譲インタビューです。国立音楽大学在学時の話です。久石譲の学生時代のひとコマが垣間みれておもしろいです。

 

 

[私の先生]和声の権威 静かな喝破 作曲家・久石譲さん

忘れもしません。生意気な学生が鼻っ柱を折られた衝撃的な瞬間ですから。国立音楽大学(東京)の2年か3年、場所は学内の喫茶店。折った主は和声学の権威・島岡譲(ゆずる)教授でした。

演奏活動に明け暮れる日々で、たまに授業に出ると、「話が古い!」なんて野次るから、「単位はやる。もう出なくていい」とこぼす先生もいるほどの生意気盛りでした。

そんな学生が、喫茶店で出くわした権威に持論を浴びせたのです。音の組み合わせや配置など音楽の根本的な仕組みを学ぶのが和声学ですが、「それで曲が作れるなら、学者が最高の作曲家になれるじゃなか。訓練にならない」とね。

それに対し、小柄な、いかにも学者という風貌の先生が静かにおっしゃった。「こんなことでつまずくとは、その程度の人ですね」。聞いて身の内が震えました。音楽には理論がある。掟をしっかり理解した上で枠を外し、自らの音楽を確立せよ。先生はそう説いたのですよ。

それは先生の姿そのものでした。実は、先生には高校時代、ピアノの個人レッスンを受けていました。思えば、ピアノに向かう背中には、いつも音楽への厳しさ、ひたむきさが宿っていた。そのことに改めて気づかされた。すごい、と舌を巻きました。

以来、先生の言葉が、自らの音楽を探す道標になっています。まず基礎を固めてから自分のスタイルに。「トトロ」しかり、「千と千尋」しかりです。

指揮も独学でしたが、この数年は、何人もの方に基礎から教えていただいています。今も輝く道標に沿った音楽の旅は、まだまだ続きます。

(2012年3月27日 読売新聞)

(YOMIURI ONLINE より)

 

久石譲 コンサート 2014.5

 

Blog. 久石譲 国立音楽大学 「くにおんぴーぷる」 インタビュー内容

Posted on 2015/2/15

出身校でもあり今では同校で学生に講義も行っている久石譲。国立音楽大学ホームペイジ内での紹介およびインタビューページより。

 

 

久石譲(作曲家)

音楽のスタイルはひとつ着こなすジャンルは、限りなく/1989年9月

 

インタビュー

「風の谷のナウシカ」「漂流教室」「となりのトトロ」などの大ヒット映画やカネボウ、サントリー、日産などCF、各種テレビ番組、舞台の音楽担当者。井上陽水、甲斐バンド、チャゲ&飛鳥、薬師丸ひろ子などの曲の作編曲者。第一線で活躍中のシンガー。ピアニスト。敏腕の音楽プロデューサー。レコードレーベル「IXIA」の設立者。日米のレコーディングスタジオと音楽制作プロダクションからなる「ワンダー・グループ」の経営者……。これらすべてが、久石譲さんに冠せられる形容詞です。人々はその多様さに降参してか、簡明な一語で久石さんのことを呼ぶ場合が多いようです。「彼は天才だ」、と。

 

あの「ナウシカ」もひとつの通過点にすぎない

国立音楽大学に在学中から、現代音楽の作曲家として活動をスタートさせていた久石譲さん。その名が広く世間に知られるようになったのは、宮崎駿監督のアニメ大作「風の谷のナウシカ」の音楽を手掛けたことがきっかけでした。

「宮崎監督の作品をはじめ、優れた映画の仕事は今後も続けていきます。が、久石譲=映画音楽と思われるのは心外ですね。映画やCMなどの音楽制作は、私の音楽活動の中でのひとつの通過点にすぎないのですから。」

そう語る久石さんが現在、最も力を注いでいるのはアルバム制作やコンサートなどのソロ活動。ピアノありボーカルありのソロアルバムでも、大ホールからライブハウスまでのステージングをこなすコンサートでも「ジャンルを超えた音楽家」として高い評価を得ています。

「私はジャンルにこだわる必要はないと思うんです。ジャンルなんて洋服と同じようなものじゃないですか。着替えるのは簡単、要はそれを着こなす自分自身のスタイルでしょう。衣装は変わっても自分だけのメロディラインは不変です。」と、こともなげに話します。

 

自分から動き回って 大学を活用することが大切

絶えず自分だけの音楽を創造し続ける久石さんにとっては、国立音大・作曲学科での学生生活も「ナウシカ」などでの大成功と同様、通過点のひとつなのかもしれません。が、大学での日々が久石さんの積極的な“音楽へのアプローチ法”のルーツになったことは確かなようです。

「この仕事は、理性と感性の葛藤の連続なんです。そのために必要なしっかりとした理論を、私は恩師である島岡譲教授から教わりました。今も音そのものに関してはかなりの完璧主義者ですね。それともうひとつ貴重だったと思うのは、外部での演奏会や月1回の学内演奏会を自分で企画・プロデュースした経験。大学の友人や教授の方々にも協力してもらってね。せっかく周りに才能ある仲間や経験豊かな先生方がいるんだから、そうした環境を積極的に活用しなければもったいないでしょう。大学は何かを教えてもらう場所と考えるのは大間違い。もっと自分から動くべきです。」

インタビューの最後は、久石さんの音楽観について。

「音楽は私のライフワーク。中途半端で終えるのではなく、死ぬまで続けていくものと考えています。私が音楽家になろうと決心したのは、実は3歳の時なんです。そしてその翌年からヴァイオリンを習い始め、以来、私の音楽に対する姿勢は何も変わっていません。」

音楽に感動する心や、新しい音楽を発見したときの喜びはいくつになろうと変わるものではない、と久石さんは言い切ります。

「よく音楽はコミュニケーションだと言いますよね。私も確かにそう思います。ただし、それは1対大勢ではなく、あくまで1対1のもの。演奏者や作曲家と、その作品を聴いてくれる一人ひとりとの親密な対話こそが音楽です。コンサートやレコーディングを重ねてきて、強くそう感じるようになってきました。」

久石さんは新作を発表するたびに、またコンサートを開くたびに、音楽で通じ合う“話し相手”を増やしているのです。

(出典元:国立音楽大学 くにおんぴーぷる 久石譲(作曲家) より)

 

久石譲 モノクロ

 

Blog. 「クラシック プレミアム 29 ~ブラームス2~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/2/13

クラシックプレミアム第29巻は、ブラームス2です。

第13巻にてブラームス1として、交響曲 第4番、悲劇的序曲などが特集されていました。久石譲もこよなく愛するブラームスの交響曲。ベートーヴェンの後継者とも評されていたブラームスが、完成までに20年余りをかけた渾身の交響曲第1番。

ベートーヴェンを尊敬しその偉大さを讃えていただけに、なかなか交響曲を書き上げることができなかったブラームス。けれども完成後、この交響曲 第1番は、ベートーヴェンの《交響曲 第9番》に続く”第10交響曲”であるとも評され、絶大な人気を誇る作品となっています。

 

【収録曲】
交響曲 第1番 ハ短調 作品68
クリスティアン・ティーレマン指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/2005年(ライヴ)

《大学祝典序曲》 作品80
リッカルド・シャイー指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音/1987年

 

 

前号巻末の西洋古典音楽史での、「なぜ指揮者がいるのか?(上)」にて、指揮者と楽団員の関係やその実態、修羅場な環境!?を一部取り上げて紹介しました。今号では、「なぜオーケストラに指揮者がいるのか?(下)」ということで、どんなお話が飛び出すのか楽しみにしていました。

一部ご紹介します。

 

「指揮者とは「タイムキーパー&サイン出し係」であると同時に、「何か」を持ってさえいれば、何もせずとも、ただそこに居るだけでいい商売だ、前回こう書いた。」

「偉大な指揮者というものは、作品を隅から隅まで掌握し尽くしているからこそ、あれこれ指示を出さずとも、ただ居るだけでメンバーを落ち着かせることができるのだと思う。今、どの楽器とどの楽器がどういうハーモニーを奏でているか。そのハーモニーは次にどちらの方向へ転調するか。次に入ってくるあの楽器が吹く音は、どんなニュアンスの不協和音か等々。」

「例外はあろうが、オーケストラ・プレーヤーたちは実は驚くほど作品の全体像を知らないケースが多い。次から次へといろいろなレパートリーをこなさなければならず、その中には少なからぬ新曲も交じっているだろう。だから自分のパートを無難にこなすことだけで精いっぱいになってしまうのは、当然といえば当然だ。自分が吹いているそのメロディーは、どういうモチーフを展開しているか。そこのその音はどちらの方向へ転調するのか。そういうことはほとんど知らずに、ただ(もちろんプロだから立派に)吹いている、そういうケースはかなりあるはずだ。」

「近代のオーケストラとは、いわば超大型空母である。4人乗りの漁師船とは違う。弦楽四重奏ではない。後者であったなら、4人全員が船の仕組みを熟知し、航海のルートもしっかり把握していて、いざとなれば誰もが船長の役割を果たすことができるということもあり得るであろう。しかし大型空母の乗務員は基本的に、自分の小さな小さな持ち場のこと以外、ほとんど何も知らない。全体像が見えていない。だからこそ、すべてを鳥瞰図的に把握している艦長の役割が桁違いに重要になってくる。そして艦長が頼りなければ、組織全体が浮足立つ。」

「想像するに、指揮者にとって最も重要な要素の資質の一つは、タイミングの勘であると思われる。指揮者とプレーヤーの関係を、異性を口説く場合に喩えるとわかりやすいかもしれない。「あの人ってタイミング悪いのよね~」という時のあれである。異性が「このタイミングでこう来てほしい」と思っている、まさにその図星の瞬間に、過たず相手にさっと手を差し出す。プレイボーイとはそういうものなのだろう。」

「多くの名指揮者は猛烈にセクシーだ。単にハンサムだとか好色だとかそういう話ではなくて、そこしかないというタイミングを過たずに衝き、そうやって思うがままに相手を操る野性的な本能のようなものが、彼らに独特の官能的な相貌を与えているのだと思う。大指揮者の相貌にはしばしば、こうした「恐怖が持つ官能」とでもいうべき魔術が宿っている。カラヤンなどはこうしたタイプの典型である。」

「何度も書いてきたように、オーケストラのプレーヤーとはいわばピラニアの群れのようなものである。ちょっとでも隙を見せたらあっという間に攻撃してくる。だからといって怖がって下手に出るとなめられる。ある意味で指揮者に必要なのは、どんな手を使ってもいいから、まずはオーケストラが絶対に自分に逆らえないようにしてしまう力なのかもしれない。芸術的な独創性がどうのなどといった高尚な事柄は、その後の話だ。ではどんな手段を使って支配するか。恐らく最も合理的な方法は、機能の圧倒的な高さでもって統率することだろう。指揮技術の高さといったものである。そしてタイミングを自在に操る駆け引きの術。これが官能に通じる。だが恐怖による支配だって、指揮者の重要な資質だ。「こいつに逆らったら何をされるかわからない」という独裁者の恐怖である。」

 

 

特に、前半の空母に喩えた、指揮者とオーケストラとの関係性が、わかりやすく、おもしろかったですね。その中での、オーケストラ(団体)と弦楽四重奏(4名)の比較もありましたが、これはプレーヤーだけではなくて聴き手にも影響を与える要素のような気がします。

たとえば交響曲を聴きながら、全楽器、全パートを聴きとってみせよう!とはあまり思いません。よっぽどスコアを片手に見聴きしない限りは。逆に四重奏や小編成、アンサンブルなどになると、全楽器、全パートの旋律が鮮明に聴こえてきます。すると、旋律のかけあいやタイミング、プレーヤー同士の呼吸まで、聴きとることができる気がしてきます。

そして「ここのかけあいがいいよね、ここの入り方が絶妙!」「あっちがこうきたから、こっちはこうきたか!すごい!」そんなことを思いながら作品の奥深くに耳を傾ける。これが小編成の醍醐味だなと思います。

それは上にも書いていたように、プレーヤーたち自身が、他の楽器や他の旋律を聴きながら、意識しながら自分の旋律を奏でているからではないか、ということにハッとつながったのです。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第28回は、
映画『卒業』をめぐるあれこれ

視覚と聴覚の話から、空間軸と時間軸の話になり、さらにはユダヤというキーワードがクローズアップされ、前号ではマーラーを掘り下げていたエッセイ。今回は、往年の名作映画『卒業』を取り上げていますが、これもまた冒頭の数珠つなぎからの関連性のようです。

一部抜粋してご紹介します。

 

「映画『卒業』は1967年に製作されたアメリア映画だ。僕はこの映画を高校時代の終わりか大学1年生の時に観た。フランスのヌーヴェルヴァーグからフェリーニ、パゾリーニなどのイタリア映画を経て、その頃はアメリカン・ニューシネマにはまっていた。『俺たちに明日はない』『イージー・ライダ』『明日に向かって撃て!』『真夜中のカーボーイ』『ファイブ・イージー・ピーセス』などの作品は間違いなく自分自身がテーマや主人公に同化していたし、まさに『卒業』もそういう映画の一つだった。音楽はポール・サイモンとデイヴ・グルーシンが担当していた。ポール・サイモンはヴォーカル・グループ「サイモンとガーファンクル」のメンバーで、この映画は〈サウンド・オブ・サイレンス〉〈ミセス・ロビンソン〉〈スカボロー・フェア〉など後世に残る名曲が使われた。僕としては主題歌サイモンとガーファンクル、音楽担当がデイヴ・グルーシンとしたいのだが、劇中でかなり歌を使用していたので、この場合の音楽担当は両者ということになる。このこだわりは映画音楽に携わっている僕だけなのかもしれない(笑)。」

「だが、この青春映画の傑作も内田樹氏から観ればまったく別のものになってしまう。「あれはユダヤ人のブルジョア家庭の話なのです。主演のダスティン・ホフマンはユダヤ人だし、監督のマイク・ニコルズもユダヤ人だし、主題歌を歌っているサイモン&ガーファンクルもユダヤ人。あれはユダヤ人の映画なんです」ということになる。」

「いやー驚いた、確かにこの日本で、僕の知る限りそういう見方をする人はいなかった。内田氏は続けて「アメリカにおけるユダヤ人のあいまいな立場が伏線になっていることは(日本人には)理解できない。そういう人種的な記号を日本人は解読する習慣がありませんから」と強調する。そして極めつけは「ラストシーンはキリスト教の教会からユダヤ人青年が花嫁をさらってゆくわけで、これは宗教的にはかなりきわどいストーリーなのです。そういうニュアンスは日本人の観客にまず伝わりませんよね」。」

「同じ映画でも観る人によってまったく感じ方が違う。それは当たり前なのだが、あらゆる人種や宗教が入り交じる海外での見方と、この極東の島国「日本」での捉え方がこうも違うのか?もちろんこのようなユダヤ的視点で海外の人が全員観ているとは思わないが、少なくとも国内の映画評論その他でこのような意見を僕は聞くことも見たこともなかった。日本には多様な意見はないのだろうか?」

「第二次世界大戦の後70年間まったく戦争がなく、平和の中で暮らしてきた我々は、グローバルという言葉を経済用語だと勘違いしている。真のグローバルとは思いっきりドメスティックであり、多様な考えを受け入れるということである。」

「内田氏の文章を読んで、早速DVDを買って観た(ただしこれは2年前のことだが)。確かにそう見えなくはない。慣れ親しんだ、あるいは記憶の中で整理されている物事が実は別のものでもあると感じる体験は新鮮だ。ダスティン・ホフマンが若いなあ、などと思っているうちにユダヤ人の映画として観るより、段々音楽の入りかたが気になってきた。」

「デイヴ・グルーシンはフュージョン音楽が全盛の頃に活躍した作曲家、ピアニスト、アレンジャーでサックスの渡辺貞夫氏とのコラボレーションでも有名だ。映画音楽では『コンドル』『恋に落ちて』などで、とてもクリアで無駄のないスコアを書いている。」

「その彼の音楽は問題ないのだが、とにかく使われている歌の箇所が多すぎる。歌には歌詞があるので、劇中での使用はなるべく避けたほうがいい。なんとなればその歌詞がセリフを食うし、変に安っぽくなる危険もある。もちろんエンドロールは別であるが(それも個人的には好まないが)、もう少し効果的にサイモンとガーファンクルの歌を使用してほしかった、つまり使う箇所を少なくするべきだった。これはあくまでも僕の考えであって、当時はこのような使用法が斬新だったのだろう。物事は時間が経ってみなければわからない。」

 

 

クラシックプレミアム 29 ブラームス2

 

Blog. 英国ニュースダイジェスト Web 「ミニマリズム」「メロディフォニー」久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/2/11

2010年の久石譲Webインタビュー内容です。

「ミニマリズム」と「メロディフォニー」という、久石譲の芸術性と大衆性の両輪をそれぞれ表現した名盤。この二作品の制作を終えて語ったインタビュー、この内容は両作品のCD初回特典としてDVDにも収録されています。

世界屈指とも言える最高のレコーディング環境と、世界最高峰とも言われるオーケストラとの演奏録音。なぜイギリスだったのか?なぜ海外のオーケストラ楽団と共演する必要があったのか?渾身の大作をつくりあげたその過程や想いが、当時のインタビュー内容から伝わってきます。

 

 

2 December 2010 vol.1278

「音楽家」と「エンターテイナー」
2つの自分を両輪にして駆け抜ける 久石譲

日本の映画音楽を、芸術の領域へと押し上げた音楽家、久石譲氏。「となりのトトロ」「菊次郎の夏」「おくりびと」といった、同氏が手掛けた映画音楽の名作を集めたアルバム「メロディフォニー」が、10月末に発売された。同アルバムの録音は、ロンドンで実施。過密日程を縫ってまでして、なぜ彼はこの地に来ることを選んだのか。その素朴な疑問に対する答えの中に、音楽家としての久石氏の思想が凝縮されていた。 (本誌編集部: 長野 雅俊)

 

7月16日、ロンドン北部、アビー・ロード・スタジオ。ビートルズのアルバム名に使われたことでロンドンの観光名所となった通りの前に立つ録音スタジオだ。久石譲氏はこのスタジオにて、英国が誇る名門オーケストラであるロンドン交響楽団と、最新作アルバムの録音を終えた直後だった。

ビートルズの4人が練り歩くジャケット写真が撮影された有名な横断歩道を渡り、白い建物の中へと入って受付を済ませると、地下の第一スタジオへ。優に数十メートルは奥行きがあると思えるホールの中央には、椅子と照明器具、そしてテレビ・カメラが設置されている。あとは、カメラの位置や配線の具合を確認しているスタッフが数人。ここで、日本で販売される予定の、久石氏のインタビューを内容とするDVDの収録が行われることになっていた。そのインタビューの場に同席することが許されたのだ。

収録開始の時間が近付くにつれて、久石氏のマネージャーや今回の録音作業に関わるコーディネーターといった人々の姿が揃い始めた。それまでしんとしていたスタジオに、足音や話し声が響くようになる。最後にジャケット姿の久石氏が現れると、DVDの取材班に軽くねぎらいの言葉をかけた後、用意された中央の椅子に腰掛けた。準備が整い、取材班が周囲の人間に携帯電話の電源を切るよう促す。一瞬の沈黙。その静寂の中に、久石氏の言葉が響き始めた。

 

シビアな環境に身を置けば、 客観的な自分が見える

あまり広くは知られていないが、久石氏は、ロンドンという都市と縁が深い。生まれて初めての海外訪問でロンドンを訪れたのが、25歳のとき。このときは、世界の名作映画音楽を集めたレコードの制作に関わるために1カ月半滞在した。また40代の頃には、約2年間にわたりこの地で生活を送っている。

久石:
ある時期は、本当にロンドンでばかりレコーディングを行っていましたね。それから10年ぐらいの期間を置いて、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」の映画音楽を手掛けた際に、またロンドンに戻ってきました。「ハウルの動く城」は、まずプラハでチェコ・フィルハーモニーとの録音作業を行ってから、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでリミックスして。ここ4、5年は、大事な仕事はロンドンで仕上げているんですよ。

久石:
今回は、録音の段階からロンドン交響楽団にお願いしました。日本のオーケストラだって、すごく優秀です。レコーディング作業そのものだけに限って言えば、日本で行っても何ら問題はないでしょう。ただ海外で、肌が違う、言葉が違う人と接していると、自分のテンションが上がるんです。言葉も宗教も違う人たち、さらには世界有数の音楽家の人たちに、自分の音楽をどういう風に受け止めてもらえるか。そして、自分が今どういうポジションにいるか。日本にいたら、世界の人々にどのように受け止めてもらえるか、分かりずらいですよね。こういうシビアな環境に身を置けば、客観的な自分が見えてくる。

久石:
あとはやっぱり、英国って、音楽のレベルが高い国なんです。僕らは音楽家なので、それが一番ですよ。例えば日本の電化製品は優れているって言われますよね。確かにわりと一般的な、安い商品に関してはレベルが高いかもしれない。でも音楽の世界におけるレコーディングの機材って、ほとんどが英国製なんですよ。「英国製」って聞いただけでは、とてもいい加減な代物に思えてきますけどね。でも、実はみんな英国製なの。

久石:
そんな機材を作ってしまう英国人たちがまたすごいと思う。あんまり英国人って働かないっていう印象がありますよね。でも音楽業界では、世界で最高峰の機材を英国人たちが作っているんですよ。「ロード・オブ・ザ・リング」も「ハリー・ポッター」も、サウンド・トラックはロンドンで録音していますよね。ハリウッド映画だって、一番大事な音楽はほとんどロンドンで録ってるんですよ。すると、やはりここは世界で一番良い音楽環境ということになる。ロンドンでのレコーディングを続けていると、そのレベルを絶えず意識させられます。

 

難しいものを難しく演奏せず、あくまでも音楽的に表現する

「25歳で初めて渡英したときには、夢のまた夢だったと思いますよ」と言う、ロンドン交響楽団を指揮しての録音作業。同作業に立ち会った関係者によると、久石氏はすべて英語で指示を出しながら、非常に和やかな雰囲気の中で作業を進めていたという。

久石:
ロンドン交響楽団とは、15年くらい前に、「水の旅人 侍KIDS」という映画のテーマ音楽を録ったんですね。また昨年には、前作となる「ミニマリズム」の録音も行いました。日本以外で音楽を表現できる場として、ロンドンでの活動がまた復活したというのがうれしいですね。

久石:
去年の「ミニマリズム」のときと全く同じように、演奏あるいは指揮をしながらロンドン交響楽団の皆さんに指示を出していくわけです。今年は一段二段と高いレベルでできました。非常に良い協調というか、お互い理解し合えた。演奏はやはり、1回目より2回目の方が、音楽上のコミュニケーションが増えるんですよね。例えば前作と同様に、マリンバの演奏で、非常に難しいところがあるんです。その部分に出くわすと、皆で「ああ、去年のデジャブだ」なんて言いながら、楽しみながら演奏していました。そういう意味では、コミュニケーションが上手くなっているんだと思います。

久石:
セッションは、1曲につき大体1時間半くらいの時間で仕上げていかなければなりません。その時間枠で仕上げるものとしては、今回、演奏する曲は難易度が高い。それをこのレベルでこなしてしまうロンドン交響楽団は、本当に豊かな力を秘めていると思います。難しいものを難しいように演奏するのではなくて、それをあくまでも音楽的に表現する。やはりこの辺は、さすが世界最高峰のオーケストラなのかなと感じましたね。

 

ときに難解とも受け取られる現代音楽の代表格であるミニマル・ミュージックに、音大時代からずっとこだわってきた。そのこだわりは、昨年にロンドン交響楽団との録音に臨んだアルバム「ミニマリズム」でついに具現化。そして今回、今度は映画・CM音楽の集大成となる「メロディフォニー」の録音を、再びロンドンで行った。

久石:
私には、大きな夢が2つありました。一つは、芸術家としての自分が追い求める、ミニマル・ミュージックをテーマとしたアルバムを完成させること。この目標は、昨年の時点で「ミニマリズム」というアルバムを完成させることで実現しました。ただそれだけではなくてもう一つ、これもやはり自分が長年続けてきた映画音楽やテレビ・ドラマのサウンド・トラックに代表されるメロディアスな音楽を、オーケストラを使って録りたいと去年からずっと思っていたんですよ。つまり、作家としての自分と、メロディー・メーカーとしての自分の両方を生かしたいというか。去年の「ミニマリズム」の録音時に書いていたノートを引っくり返してみると、両方の種類の音楽についてのメモを残しているんですね。年が明けて考えてみて、やはりこれは両方あってこそ自分の姿ではないか、と強く思うようになって。「ミニマリズム」と「メロディフォニー」の2つを持って、自分をすべて表現できるという気持ちです。

 

私にとっては、両方あって車の両輪みたいなものだから

勝手な思い込みであることは承知しながらも、久石氏にとっての2つの大きな夢がここロンドンで実現したことに、ロンドン在住者としての小さな喜びを感じた。同時に、「作家としての自分」と、「メロディー・メーカーとしての自分」という自身の2つの側面を、他人を分析するかのように、冷静に見つめているということに少し驚いた。その両極端な2つの側面を演出しようとするのであれば、対照性をより出すために、2つのアルバムを違う場所で、違うオーケストラを使って制作するという考えは浮かばなかったのだろうか。

久石:
いや、同じオーケストラを使って異なる音楽を演奏するからいいんですよ。というのも、私にとっては、ミニマル・ミュージックと、映画やテレビ・ドラマ、CMで使われることを念頭に置いて作曲した音楽の関係は、車の両輪みたいなものだから。作家性のある音楽をきちんと追求していきたいと思う自分と、エンターテインメントというか、大衆性を持つ音楽を皆さんに聴いていただきたいと願う2つの異なる自分は、いわば車の両輪なんです。ミニマル・ミュージックだけを作曲していたら、ロンドンでレコーディングする立場を築くのは正直言って非常に難しいですよ。ある意味では、エンターテインメントの分野で一般の方々からの支持をいただいているからこそ可能なことでしょう。

「メロディフォニー」収録曲の選定に際しては、インターネットでの一般投票を呼び掛けた。収録曲には、「となりのトトロ」や「菊次郎の夏」といった日本映画の名作で使われた、おなじみの作品が並ぶ。メロディー・メーカーとしての久石氏の真骨頂だ。

久石:
ほぼベストに近い音楽ができたと思います。ただ昔の作品ばかりを並べただけではおもしろくないので、できるだけ去年、今年までに作曲してきたものも網羅しようと試みました。オーケストラ演奏における楽器の色々な使い方は年々上手くなっているのに、昔の作品は、オーケストラの編成が小さいままなんです。だから、そうした部分を変えたりしました。また映画音楽として作曲したときに、映画のサイズになったままの曲があるんです。それを今回まとめて、一つの音楽作品として聴けるようにするのも狙い。例えば「坂の上の雲」といった現在進行形でオンエアされているテレビ・ドラマの曲も、11~12分の曲としてまとめ直しました。あるいは「魔女の宅急便」。個人的には1回もきちんとレコーディングしていないんですね。けれども今回は、ロンドン交響楽団と合体する形で録音し直すことができました。

 

疲れが限界を超えたときは、変に休まないで続ける

ビートルズの曲名にかけて、ロンドンでの日々を「『A Hard Day’s Night』だった」と振り返るほどの過密日程。録音作業は、文字通り、朝から晩まで続けられた。その中でも久石氏は、寸暇を惜しんでピアノの練習を行っていたという。

久石:
レコーディングでこちらに来る直前まで編曲作業などを行っていたので、ピアノを触る時間が1日に1時間もなかったんですよ。ピアノは間違いなく練習量が比例してくる楽器ですから。通常だと1日7、8時間は練習するのに、今回は1時間くらいしかできなかった。

久石:
3日間にわたってオーケストラとのレコーディングがあり、その後に迎えたピアノ演奏の収録の日は、朝から別の録音作業を始めて、午後は50人くらいのコーラスを指揮して、疲労もピーク。それからピアノの演奏をするのは少し厳しいんじゃないかと思っていたんですが、その中でも実は起きていたんで。限界を超えているときは、変に休まない。確か夜中に4時間くらいぶっ通しでピアノを弾いてました。疲れているときは、ピークを超したらひたすら集中する。休まずにもうひたすらそこに向かったのが、良い結果になったのではないかと思いますね。

作曲家であり、指揮者であり、演奏家でもある久石氏は、ときに一人で何役をも同時にこなすことを求められてしまう。そうした音楽活動を、何十年にもわたって続けてきたのだ。朝早くからのレコーディング作業を終えた後、夜10時過ぎになってもピアノを弾き続ける久石氏の姿を見ていたというDVD取材班の一人が、「その意欲はどこから生まれるのですか」と尋ねた。

久石:
それは、あの、やりたいことがあるから。そして、一つやりたいことができたと思うと、必ずその次に何かが起きるんです。あそこがもうちょっとだったなあとか。そう思ったときに、コマーシャル音楽や映画音楽の作曲だったり、コンサートだったりといった仕事を利用しながら、自分のやりたいことを追求できる。たぶんコンサートを成功させることを目的としてやっていても、個人的に自分が音楽家として抱えている問題を解消しようともしているんですよ。

久石:
だから、休む必要がないんじゃないですかね。例えば今回のロンドン録音でも、僕はピアノのレコーディングが終わったら2日間お休みになったんですね。でも、休んでなんかいません。あれはもう、数カ月後に行われるクラシックのオーケストラ演奏の準備のための時間だと思っていましたから。次にやらなければいけないことを時間的に逆算すると、今はどの位置にいるかという目安が常に見えるし、今回はここを絶対にクリアするという課題は絶えずありますよね。それをこなす、チャレンジしていくという気持ちの方が強い。

久石:
もっと完成されたものを考えたい、もっとレベルの高いものをという思いはいつも根底にはあるのですが、結局はディテールの積み重ねなんですよ。一つひとつの仕事を区切りにしながら、一個一個調整をしていく。指揮者としてもきちんとしたものができるようになりたい。もちろん作曲家としても。そういうようなことを僕は考えちゃいますね。

DVD取材班によるインタビュー収録を終えた久石氏は、束の間のコーヒー・タイムを取った後、またすぐに別のスタジオへと向かっていった。そして、改めて挨拶をしようと私たちがこの場所を訪れたときにはもう、同氏はレコーディングの編集作業に取り掛かっていた。自身の音楽活動を車の両輪に例えた彼は、その車輪をフルスロットルで回転させて、次の地点へと走り始めていた。

(出典:英国ニュースダイジェスト 久石譲インタビュー より)

 

 

「Melodyphony」
Melodyphony世界最高峰のオーケストラ、ロンドン交響楽団の演奏で収録した久石譲のベスト・アルバム。インターネットの人気投票を参考に収録曲を久石氏自身が選んだ。「メロディー+シンフォニー」から生まれたタイトル「メロディフォニー」の通り、メロディアスな美しい楽曲がラインナップ。昨年発表した現代音楽の作家としてミニマル・ミュージックを強く意識したアルバム「ミニマリズム」の対とも言える作品。

1. Water Traveller
(映画「水の旅人」メイン・テーマ)
2. Oriental Wind
(サントリー「伊右衛門」)
3. Kiki’s Delivery Service
(映画「魔女の宅急便」より「海の見える街」)
4. Saka No Ue No Kumo
(NHKスペシャル・ドラマ「坂の上の雲」)
5. Departures
(映画「おくりびと」)
6. Summer
(映画「菊次郎の夏」メイン・テーマ/トヨタ「カローラ」)
7. Orbis
(サントリー1万人の第九)
8. One Summer’s Day
(映画「千と千尋の神隠し」より「あの夏へ」)
9. My Neighbour TOTORO
(映画「となりのトトロ」 より「となりのトトロ」)

 

 

久石譲 『ミニマリズム』

Disc. 久石譲 『ミニマリズム Minima_Rhythm』

 

久石譲 『メロディフォニー』

Disc. 久石譲 『メロディフォニー Melodyphony ~Best of Joe Hisaishi〜』

 

 

久石譲 英国ニュース

 

Blog. 「冊子/Web R25 2009年9月17日付 Vol.248」 久石譲 「30年来の夢のアルバム」ロングインタビュー

Posted on 2015/2/10

Web R25 にて特集された久石譲インタビューです。2009年9月17日付 Vol.248 にて久石譲のロングインタビューが掲載されました。同時に冊子(無料)掲載もされています。

ちょうどオリジナル・アルバム『ミニマリズム Minima_Rhythm』(2009/8/12)が発表され、それをひきさげてのコンサート・ツアー「久石譲 Orchestra Concert 2009 〜ミニマリズムツアー〜」(2009/8/15-2009/9/3)終演後のインタビューという時期になります。

 

 

ロングインタビュー
Vol.251
BREAKTHROUGH POINT ~つきぬけた瞬間

人生の壁にぶつかった時、彼らは何を思ったか?
あの人の25歳のころと今をインタビュー。

 

Profile

1950年長野県生まれ。国立音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに興味を持つ。81年『MKWAJU』を発表。82年には『INFORMATION』でソロアーティストとして活動。『Piano Stories』をはじめ、多数のソロアルバムをリリース。一方で84年の 『風の谷のナウシカ』 以降、宮崎 駿監督9作品の音楽を担当。北野 武監督の諸作やアカデミー賞外国語映画賞受賞作『おくりびと』など、多数の映画音楽を手がける。09年1月にはクラシックの指揮者デビュー。そしてこの8月、ルーツに立ち返った新作『ミニマリズム』をリリース。さらにアグレッシブな活動を展開する。

 

その名を見るだけで脳裏に甦る。

ピアノと弦ととても叙情的なメロディ。

それだけでグッとつかまれて、不覚にも泣きそうになる。

でも、べつに泣かせるメロディが得意なわけではない。

音楽づくりの根っこにあるのは高い理想とクールな理論。

クラシックの作曲家が軸足をポップスに移し、活躍してきた。

そして今また、クラシックの側から音楽を作った。

そんな、不安と努力と戦いと理論と、少しの満足のお話。

 

 

インタビュー INTERVIEW

「30年来の夢のアルバム」

9月2日夜、サントリーホール。

舞台上の久石譲は何度か小さくガッツポーズをしていた(ように見えた)。コンサートマスターやソリストと握手し、“オーケストラに拍手を”と腕を広げる。満面の笑み。

8月にリリースされたソロアルバム『ミニマリズム』をフィーチャーしたコンサートツアー。開演の直前、舞台に現れた久石譲は「30年来の夢のアルバムです」と言った。

1950年生まれ。スタジオジブリ作品や北野映画の映画音楽、数々のCM音楽を手がける…というか、すでに頭に何らかの久石メロディが流れてるでしょ? だがそれらはたぶん、彼がポップスに転じてからの作品である。

そもそもは現代音楽の作曲家だ。

 

ポップスのフィールドへ。クラシックへの回帰を

久石:
「20代のときには、いわゆる芸術家をやってたわけですよ(笑)。“音楽ってなんなんだ”って絶えず問い続けていて── 。論理的な構成に基づいて音楽を作っていきたいという気持ちがずっとあった。今もそうなんです」

現代音楽は、西洋クラシック音楽の流れを汲むものだ。ベートーヴェンやモーツァルトなど、いわゆるクラシックの作曲家たちが、彼らの時代での新しいことを音楽で成し遂げようとしていたのと同様、現代音楽の作曲家たちも様々なやり方で、現代の作曲家としてなすべきことを追究していた。

久石譲が実践していたのはミニマル・ミュージック。短いパターンをほんの少しずつ変化させながら反復することで曲を構成する。そのわずかな変化を劇的に感じさせる音楽である。

久石:
「そういう前衛的なところに身を置いていたから、曲を作ったときも、どんなコンセプトを作ったかが重要だった。つまり音楽より言葉で表現することの方が多くなるわけ。“こういう意図でナニナニで~時間軸に対するどうたら~”とかって(笑)。どんどん高じていくと、それは果たして本当に音楽をやっていることになるのだろうかと、疑問を持ち始めたんです」

音大でミニマルと出会い、20代は、作品づくりとその表現に費やした。

久石:
「あるとき、ふとポップスの世界に目を向けたら、イギリスではフィル・マンザネラとかブライアン・イーノが活躍しててね。こっちが現代音楽という枠に囚われて動けなくなってるのに、彼らはパターン的なものをポップスに取り入れて自由にやっていました」

イーノの『ミュージック・フォー・エアポーツ』(78年)は空港で流すことをコンセプトとしたアルバム。場内アナウンスを想定し、曲はどこで切れてもいいように作られ、人間の会話を邪魔しない周波数で構成されていた。

久石:
「すばらしい作品でしたね。そういうのを見ると、自分もこのままではダメだ、そろそろなんとかしなければと」

そしてポップスの音楽家に。82年にワンダーシティ・オーケストラ名義で『INFORMATION』をリリース。これが実質的なソロデビュー作。

久石:
「ポップスのフィールドっていうのは、そもそも論理的ではないから何をやってもいいんですね。売れたら正義、つまり観客がいて初めて正義になるわけだから、理屈だけでやってた世界とは決別したということでしたね」

『INFORMATION』をきっかけに宮崎 駿監督と出会い、84年には『風の谷のナウシカ』で、初めての映画音楽を手がけている。

久石:
「ナウシカも聴いてもらうとわかるんですが、ほとんどワンコード。映画のなかの音楽は、オープニングからテリー・ライリー(ミニマルの創始者)のようなオルガンだけ。あんまり器用じゃないということもありますが、実は自分のスタンスはあんまり変えてなかったんですけどね(笑)」

でもそこには大きな差があった。

久石:
「クラシックのフィールドに立つと、“作品”を書かなくてはならない。それ自体が音楽として成立するような作品を絶えず書き続ける必要があります。でもポップスに身を移してからは、作品を一切書かなくなりました。もちろん、折々にアプローチはしてきました。ポップスのフィールドにありながらギリギリ許せる範囲でミニマルに寄った曲を作ってきました。でもそれはクラシック的な意味あいでの“作品を作る”ことではなかった」

おおよそ27年が過ぎ、この夏、『ミニマリズム』が生まれた。その最も重要な背景は「自分のなかのクラシックを見つめ直すこと」。

久石:
「このごろ、よくクラシックの指揮をします。僕は大学時代、ほとんどいわゆる“クラシック”を勉強してこなかったんです。やりたい現代音楽に夢中だった。たとえばベートーヴェンの『運命』なんてのは、当然アナリーゼ(楽曲分析)の授業でやりましたけど、“ああ、クラシックね、はいはい”っていう意識しかなくて(笑)。でもいざ自分で振るとなるとまったく別なんですね。ひとつのシンフォニーを指揮するには、3カ月は譜読みをします。同じ曲なのに、大学時代とは違うものが見えます。 ある仕掛けが生み出す効果や、“なるほど”と思うことが非常に多くて。それで、僕は自分のなかのクラシックをもう一度見てみたいと思うようになったんです」

20代で煮詰まり、見えなかったものが50代も終わりにさしかかり、見えるようになるのではないか、と。

久石:
「だから今回は、今までの立ち位置ではなく、もう一度完全にクラシックに自分を戻して書いたんです。そういう意味では、これは僕の“作家宣言”といっていいでしょうね」

 

20代へのメッセージ、満面の笑みの意味

「基本的に感性は信用しない」という。新しい恋や、刺激的な体験によって内面から音楽がわき上がるのならば、逆にいうと、そういうものがない限り新しい音楽はつくれないことになる。

久石:
「感性に頼って曲をつくるところには、自分に対する課題がないんですよ。自分をどうやって高めていくかを考えていない。音楽っていうのは、96%まで技術です。やりたいものがあってもそれをかたちにするには徹底した技術力が必要です。それは日々の努力で確実に身につく。技術を背景に、頭のなかで分析して作る。ギリギリまで理論で押し通し、最後の最後、曲が曲として完成するときには、“1+1=2”にならない部分が出てくるんです。だから、芸術なんですよね。そのときに“これしかない”と思えるものに出会って曲は完成するわけです。最後に出てくる要素がなんなのかがわかったら、ものすごく楽なんですけど、これは一生わからない(笑)。追究していくしかないんですよね」

最近上梓された対談本『耳で考える』に、「若いうちから理論でがんじがらめになってのたうち回るくせをつけろ」という一文があった。ときに理論は、自分の理想と違う方向の音を強要することがあるらしい。そこで葛藤が生まれる。

20代へのメッセージをもらった。

久石:
「20代ってとくに“自分が特別だ”“社会のシステムの中に自分を置きたくない”って絶えず考えてますよね。僕は今でも、曲を作るときには葛藤します。単純な意味での自由なんて、どこまでいってもないんですよ。だから、そのことを早い段階で自覚した方がいい。そのうえで会社を利用し、たくましく自分なりの人生を組み立てていく方がいいと思うんです」

ただそれには自分を強く信じる必要がある。そしてそのためには、乗り越えるべき壁のような存在に、早いうちに出会っておくこと。

久石:
「その壁へのアンチテーゼから、人は自分の生き方を探し始めるわけだから。本来なら、父親がたぶん人生の一番最初の壁だったはずなんだが…何せ今、親が弱くなっちゃったから。乗り越えるべき壁ではない。お友だち感覚でしょ。会社も同様ですよね。上司もみんなお友だち状態でね(笑)」

日本の若者は、社会に対する怒りがないという。フランスではすぐにデモが起こる。若者が騒ぐのだが…。

久石:
「目的が見つからないし、みんな頭がよくなって、先のことがわかってるのかな。大学を出るころに55歳まで見えちゃってるのかもしれない(笑)」

久石譲は、30年越しの夢のアルバムを完成させた。若かりし日には思いもよらなかったことだ。そしてコンサートで満面の笑み。

久石:
「音楽をしているときは一番楽しい。ただオーケストラには、自分や各パートの動揺は瞬時に伝わります。100人いるから、アクシデントや間違いは起きる。でも曲はその時点で終わりじゃない。瞬間瞬間が過去になるんです。“心配しないでいいよ、まだ先があるぜ”ってカラダで表現して、最後まで行かなきゃなんない。それと観客の反応。僕にはホールのテンションを最高ものにする役割もある。その日はオケを初めて聴く人がどのぐらいの割合なのか、どうすればあまり固くならずに聴いてもらうことができるかを瞬時に判断しながらやっていくんですよ。すごく燃えていながらも、これ以上ないほどクール。舞台での2時間半のあいだ、起こることにはすべて責任をとるつもりで振っています」

最高のカタルシス。でも冷徹にオノレを見つめる目はあるのである。

 

編集後記

若者たちの未来への目線に「ロマンがない」とダメ出ししつつ、彼自身も決してバラ色の未来を夢見ていたわけではなかった。ただ、覚悟だけはあった。「音大生っていうのは教職を取るんですよ。僕はとらなかった。ウチの父親は高校の先生で、僕も実は教えるの得意です(笑)。でもそういうの(教員免許)をもってれば、ホントに食えなくなったらどこかで教えようってなっちゃうから、退路を断つ意味もあって取らなかった。思い込みはすごく激しかった」

(出典:Web R25 BREAKTHROUGH POINT 久石譲 ロングインタビュー より)

 

 

 

from 冊子版

 

 

久石譲 モノクロ

 

Blog. 「作家で聴く音楽」 JASRAC 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/02/9

2007年の久石譲インタビューです。

インタビュー掲載当時の紹介プロフィールをご覧いただくとその時期の音楽活動内容も垣間見ることができます。ちょうどオリジナル・アルバム「Asian X.T.C」を発表した時期です。

 

 

「作家で聴く音楽」 JASRAC会員作家インタビュー

– PROFILE –

1950年長野県生まれ。国立音楽大学在学中から現代音楽に興味を持ち、コンサート、演奏、プロデュースを数多く行う。1982年、ファーストアルバム「INFORMATION」を発表し、ソロアーティストとして活動を開始。以降、「Piano Stories」、「My Lost City」、「地上の楽園」、「WORKS」、「Shoot The Violist」、「ENCORE」、「ETUDE~a Wish to the Moon~」、「Asian X.T.C.」など多数のソロアルバムを生み出す。

映画「風の谷のナウシカ」以 降、宮崎駿監督の「となりのトトロ」、「もののけ姫」や、北野武監督の「HANA-BI」、「菊次郎の夏」など50本以上の映画音楽を担当し、これまで数度にわたる日本アカデミー賞音楽賞最優秀音楽賞をはじめ、第48回芸術選奨文部大臣新人賞(大衆芸能部門)、淀川長治賞など、数々の賞を受賞。また、サントリーCM「伊右衛門」の音楽で第45回ACC広告大賞の最優秀音楽賞を受賞するなど、CM音楽の分野でも活躍している。

1998年に開催された「長野パラリンピック冬季競技大会」式典・文化イベントでは、プロデューサーとして総合演出を担当。2001年には「Quartet カルテット」で自らも映画監督としてデビュー。音楽・脚本(共同)をも手がけ、高い評価を受けたほか、同年に福島県で開催された「うつくしま未来博」でもメインイベントの総合演出を手がけ、日本初のフルデジタルムービー「4MOVEMENT」を監督第2作目として発表するなど、多方面にわたりその才能を発揮している。

2004年には、“新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ”の初代音楽監督に就任。現在までに4回の全国コンサートツアーを敢行している。また近年は、韓国映画「トンマッコルへようこそ」での音楽監督、香港映画「A Chinese Tall Story」での音楽監督、中国映画「叔母さんのポストモダン生活」、「The Sun Also Rises」の音楽を担当するなど、アジアでの活躍も多彩。

最近では、公開中の映画「マリと子犬の物語」、宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」(2008年夏公開予定)、キム・ジョンハク監督による韓国ドラマ「太王四神記」の音楽制作を手がけるなど、その活躍はとどまるところを知らない。

「千と千尋の神隠しBGM」で2003年JASRAC賞金賞、「ハウルの動く城BGM」で2007年JASRAC賞金賞を受賞。1980年3月からJASRACメンバー。

 

作曲家を志すまで

僕は信州中野の出身です。信州中野は、作曲家の中山晋平さんや、作詞家としても知られる国文学者・高野辰之さんなどを輩出した土地なのですが、音楽教育が特に熱心な土地というわけではないと思います。僕の場合、たまたま「鈴木慎一バイオリン教室」が近くにあったので通い始めたんです。4歳の頃でしたから詳しいことは憶えていませんが、おそらく自分から言い出したんだと思います。

音楽をやっていこうというのは、その頃から思っていましたね。考えるというよりも、それが当然だと。ただ、中学生くらいになって、具体的に音楽でどの道に進もうかと考えたときに、自分は演奏に興味があるほうではなかった。トランペットは結構上手かったんですけどね(笑)。でも、トランペットを演奏して誉められるよりも、下手なアレンジでも一生懸命譜面を書いて、それをみんなに聴かせるときのほうがずっと楽しかった。それで、中学2年生くらいのとき、作曲家になろうと思ったんです。

 

尖っていた大学時代

上京して東京の音大に進んでからは現代音楽にのめり込み、武満徹さんやクセナキス、シュトックハウゼンなど様々な作家の作品を聴きあさりました。また、自分の曲を発表する場をつくるため、5、6人の作曲家の新作展みたいなものを自分でプロデュースして開いたりもしていましたね。学生とはいえ、発表会程度で済ませるのは絶対に嫌でした。ちゃんとしたホールで、一流の演奏でコンサートを開きたいと思って、有名な作曲家に作品を依頼したり、すごく安い謝礼でNHK交響楽団の人たちに演奏をお願いしたりしていました。大学の先生が売り込みに来たこともありましたよ。「次は僕の曲をやってほしい」とか(笑)。まあ、そんなやり方をしていたから学校では目立っていたし、傍から見たら尖った学生だったと思いますね。

 

知的な興奮のない音楽には興味がない

大学在学中に、現代音楽の新しいジャンル、ミニマル・ミュージックに出会いました。ミニマル・ミュージックとは、非常に短いフレーズをわずかに変化させながら繰り返すことで、微細な変化がとても重大な変化に感じられるようになる、いわゆる前衛音楽です。僕はこの音楽に魅せられ、20代の大半はミニマルの作曲家として活動していました。小規模の映画やテレビの仕事のほか、レコードのアレンジなどはしていましたが、メインは現代音楽でしたね。30代前半くらいからはポップスの領域にもフィールドを広げて今に至るわけですが、僕のベーシックな部分は、驚くほど当時と変わっていません。映画音楽などを手がけるようになったことで、作品にメロディという要素が加わりましたが、基本的に自分は現代音楽の作曲家だと思っています。知的な興奮のない音楽には興味がないんですね。ですからクラシックに凝り固まるのも好きではないし、単にポップスっぽいものにも何だかあまり興味がない。自分のスタイルを模索していく中で、表現したい音楽に近い方法を選んできたということです。

 

1枚のCDを介したリスナーとのコミュニケーション

若い頃は、文化に立ち向かうような気持ちで、客が誰もいないところで前衛音楽をやっていましたから(笑)、もっと尖っていきたい、もっとアートに突っ走ってしまいたいという欲求は今でも持っています。ただ僕は、久石譲のそういう側面を理解してくれている人たちのためだけに音楽をつくっているわけではありません。僕の音楽を聴いてくれる人たちには、『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』から入った人もたくさんいるわけです。それは言わば、久石譲の全国区的な、NHK的な側面ですよね。そういった一般の人たちに「あれ?」って思わせてしまうのは失礼かな、という思いはある。ですから、尖りすぎたアルバムをつくった後には比較的わかりやすいものをつくるとか、その辺りのリスナーとのコミュニケーションの取り方というのは常に考えてアルバムを制作しています。

そういう意味では、昨年リリースした『Asian X.T.C.』は、方法論として良かったのかどうか、まだ自分の中で結論が出ていない作品です。この作品では、ちょっとポップス寄りのメロディアスな作品と、ミニマルの攻撃的な姿勢の作品を、昔のレコードのようにA面とB面で完全に分けてしまうという方法をとりました。音楽家の意図としては非常に明快ですし、作品としてもすごく納得しているつもりなんですが、あのような形式が本当にリスナーとコミュニケーションを取れる方法だったのか。それを考えると、まだちょっとクエスチョンマークが付いていますね。

 

本当に気に入った作品を、まだ書いていない

納得がいく作品というのはなかなかないんですよ。例えば、1本の映画で30曲ほど書くわけですが、メインテーマについてたとえ皆が「すごくいい」と喜んでくれたとしても、その30曲のうち5、6曲は「こんなはずじゃなかった」という気持ちがある。弦の書き方とか、メロディラインにインパクトが少ないとか、いろいろ引っかかるんですね。ソロアルバムを制作しても、収録した10数曲の中にはそういう曲が何曲かあって、でもまあいいかと思って入れてしまったものが、やっぱり自分の中で引っかかっていたりします。あるいはアルバムのコンセプト自体、もうちょっと尖ればよかった、ちょっと迎合しちゃったかな、とか。そうすると、できなかったことを次の仕事で確実にクリアしたいという思いが強くなる。でも、それをクリアすると、また別の課題が出る。どんな場合でも満足することがないから、次の可能性に向けてチャレンジができるんです。経験したり勉強することで身につくことが必ずありますから、表現するということは一にも二にも勉強だと思います。

納得のいく作品をあえて挙げるとすれば、1992年に発表した『My Lost City』というソロアルバムと、2003年の『ETUDE』というピアノのソロアルバムでしょうか。この2枚は、世間での評価とは関係なく、あのときにあの作品ができたことがすごく良かったと思える作品ですね。

 

映画監督を経験してわかったこと

映画音楽は今までたくさん手がけてきましたが、2001年に、弦楽四重奏団を題材にした映画『カルテット』を自分で監督したときには、映画を撮るということはこんなに怖いことかということを痛感しましたね。映画監督の場合、例えば主人公が何を着るのかまで全部決めなければなりません。いくつか選択肢がある中で、自分が選んでいるものというのは、結局自分が好きなものなんですよ。黒いTシャツに黒めの服とか、気づいたら普段自分が着るものなんです。音楽というものは抽象的ですから、作品を聴いてもその音楽家の人格まではわかりませんが、映画の場合、いいと思うことを素直にやっていくと、そのままの自分が出てしまう。「これはいやだな」と思いましたね(笑)。おそらくプロの監督の方だったらまた違うんでしょうけれども。撮影はとにかく大変でしたが、映画監督を経験して得たものは、その後の映画音楽の制作にも非常に役立っています。

 

音楽家にとって日本人であることとは

僕の音楽は、宮崎駿さんや北野武さんの映画に使われていることもあり、世界中で流れていますし、たくさんの国から作曲のオファーが来ます。仕事をするうえで、日本を背負っているという意識はありませんが、日本人であることの誇りは持っていますね。ただ、音楽家にとって重要なのは国籍ではなく、“どういう曲をどういうレベルで書けているか”ということ。ですから、日本の映画音楽を1本手がけるとしても、そこで書く音楽、たとえば弦の書き方は、それ自体は絶対にジョン・ウィリアムスには負けたくない、負けちゃいけないという志を持っています。クラシックの作曲家のスコアを見てもわかるとおり、弦の書き方ひとつとっても、精度を極めた緻密な書き方が世の中にたくさんあるわけです。自分はそれと比べ、どのくらいのレベルに達しているか。そういうことはすごく考えますね。そして、考え抜いていった先の個性という段階で、自分が日本で生まれ育ったという、この環境で育まれた良さがきっとあるだろうと考えます。ですから、自分が日本人であるとかアジア人であるというのは非常に深い部分で出てくるべきことであって、安易にアジアのエスニック楽器を使ってしまうとか、そういうようなレベルでの仕事のし方は良くないと思っています。

とはいえ、近年はアジアでの仕事も増え、以前よりも自分がアジア人であることを意識するようになりました。日本人は、長い間欧米を見習いながらやってきましたから、殊に音楽の面では、アジアは遠い存在になっているところがある。けれども、自分たちがアジア人であることは間違いないわけですから、そこでのアイデンティティのあり方というのは大いに考える必要があると思っています。

 

国によって違う著作権の意識

著作権法は国によって微妙な違いがありますよね。日本で上映されることを前提に制作した映画音楽が外国で使われた場合、どちらの国の著作権の考え方を適用するかなどでは、僕は外国とも結構闘ってきたつもりです。宮崎駿さんの映画以前には、邦画が海外で本格的に上映されることはほとんどありませんでしたから、そうした権利主張をしたのは、おそらく僕が最初だったのではないかと思います。そうした経験から言えば、もうちょっと世界で統一されたルールがあればいいな、とは思います。ただ、日本の法律の考え方を曲げてまで、中途半端に外国に媚びを売る必要はない。「日本はこうやって作家を保護している」というやり方があるなら、それをきちんと主張していくべきだと思いますね。

アジアの国々の「著作権の意識の低さ」もよく指摘されるところです。でも、ついこの前まで日本も同じようなものでしたから、偉そうなことは言えないと思いますね(笑)。著作権というのは、オリンピックを開催する頃から意識が高まってくるんです。オリンピックを成功させるためには、スポーツだけではなく、知的な部分も含めたコミュニケーションを世界的に図れる体制をつくらなければいけませんから。韓国が著作権について意識しだしたのはソウルオリンピックの頃だと思いますし、日本だって、新しい著作権法が施行されたのは東京オリンピックの後でしょう。来年は北京ですから、中国に関しては少しずつ良くなっていくのではないでしょうか。

北京などでは、僕のCDは数年前に発売されたばかり。ところが、去年コンサートを開いたところ、チケットは即日完売で、ものすごい人なんです。しかも、全員僕の曲を知っているんですよ。発売されていないものまでインターネットで聴いている。だったら、「聴くな」という統制をするのではなく、きちんと流通させたうえで著作権を保護した方がよほどいい。人々の「聴きたい」という気持ちに歯止めをかける理由はどこにもないですよね。

 

僕にとって音楽とは

一般の方は、作曲家というのはルーティンワークからは一番縁遠い職業のひとつだと思っているでしょうが、僕などはむしろ、サラリーマンの方より規則正しい生活をしているかもしれません。サラリーマンの方とは6時間くらいずれていますが(笑)、それはもう判で押したような生活ですね。朝起きてシャワーを浴びて、食事をとる。13時くらいから曲づくりを開始して、夜中まで。帰ってきて、ちょっとお酒を飲んで寝る。こんな日常の中で、ルーティンワークのように延々と同じことを繰り返していると、やっぱり苦しくなって、逃げたくなるときはありますよ。それでも音楽を続けるのは、僕にとって音楽は、生きることそのものだから。今までずっと、僕は音楽を通して世の中を見て、音楽を通して生きるということを考えてきました。そして、これからもそうするでしょう。「音楽」というのは、イコール「生きること」なんです。僕にとってはね。

(「作家で聴く音楽」 JASRAC会員作家インタビューより)

出典:「作家で聴く音楽」 久石譲

 

久石譲 JASRAC