Blog. 「CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12」(2007) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/07/03

雑誌「CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12」(2007)に掲載された久石譲インタビューです。8ページに及ぶロングインタビュー+貴重な建物の中を撮影したオールカラー写真も満載です。広々としたアトリエから庭のプールから、永久保存版です。

 

 

マイ・ライフスタイル

感動をつくれますか?

音楽家 久石譲
写真・聞き手 稲越功一

久石譲さん。音楽家として今をときめく時代の寵児である。また宮崎駿、北野武監督作品には欠かせない存在である事は言を待たない。私たちは西麻布のアトリエ(スタジオ)兼事務所にお伺いした。そこは閑静な住宅街の一角に位置していた。およそ音には縁のない静かな佇まいである。まれに見る多忙の中での取材、緊張感が漂ったがしかし久石さんはそんな様子もおくびにも出さず終始にこやかにわれわれを迎えいれてくださった。ちなみに本タイトルは久石さんの同名の名著(2006年刊)からいただいた。

 

今日的なもののなかにある「普遍性」こそ重要

稲越:
お忙しそうですね。

久石:
そうですね…、今、日本の映画とフランス映画を同時並行で進めていて、少しバタバタしています。

稲越:
今年は中国映画もなさるとおっしゃっていましたよね。

久石:
チァン・ウェン監督の「The Sun Also Rises」ですね。これは一応終わったんですよ。先日ヴェネチア国際映画祭にも出品され注目が集まったようです。

稲越:
仕事って、加速がついているときのほうがいい仕事ができますよね。あんまり暇だと間延びがしちゃうでしょう。

久石:
それはありますよね。

稲越:
もちろん職業によっては、全てがそうとは言えないでしょうけど。やはり今、久石さんは映画音楽、そこからご自身のコンサート、さらにコマーシャルと多岐にわたって活動されていらっしゃいます。僕も風景を撮ったり、人物を撮ったりいろいろですが、当然一人ですから自分の根っこみたいなものって、原点があって、そこから枝葉を広げて花を育てていきますよね。

久石:
それはもう、当然。やはり映画音楽ばっかりつくっていても飽きてしまいます。

稲越:
僕は音楽については詳しくはわかりませんけど、映画音楽にしたって、まあ変に映画という枠組みにこだわっちゃうと、それを専門になさっている方となんら変わらないということがあるでしょうし。……時代に媚びる、ってわけじゃないんですが、時代からずれてしまうとやっぱりいけないようなところもあると思うんですよ。その辺の兼ね合いっていうのは、重要なところだと僕は思うんですがね。どうなんでしょうか。

久石:
今日的であるというのはそれなりに重要ですよね。ただその、今日的なものにこだわりすぎると、それは、四年、五年経つと古くなって見えてしまいますよね。ですから、アップ・トゥ・デートっていうのはそれなりにすごく重要だと思うんですけれど、重要なことは、その今日的なものの中に入っている普遍的なものっていうか、それは過去のことから未来のことまで流れている。

稲越:
それはずっと久石さんの中に流れてきているものだと感じています。

久石:
そういうことはすごく大事にしていますね。

稲越:
それはなにをなさっても、—もっと極端に言えばCMの音楽の中にも、久石調—って言うとなんか変ですけれど(笑)そういうものが一貫して通っていると思います。普通に言えば久石ワールドみたいなね。久石さんが執筆された著書(『久石譲 35mm日記』)の中で山折哲雄さんとの対談がありましたね。それを読んで、久石さんは多岐にわたっていろんなことを勉強なさっているなと思いました。当然かもしれませんが、そういうものが一人の音楽家にプラスアルファとして働きかけているなと思っています。僕はいつも思うんです。久石さんはある種の優しさの中にある時代を、作曲を通して表現なさっていると。こういうと大袈裟かもしれないですけれど。それが、久石さんがさっきおっしゃったある種の普遍性みたいなことなのかもしれないのですけれど。なにかそういうものを感じるんですよね。五年前と今でも基本的には一緒ですけれど、そこに微妙に違いをみます。

 

邦画と洋画の本質的な違いとは

稲越:
映画なら映画で、たとえばフランス映画をなさるときと、アジア映画をつくる時の基本は一緒だと思うんですけれど、言葉の違い? ここでいう言葉というのはその、中国語とフランス語の違いってことじゃなくて、映画の言葉ってあるような気がするんですよ。もちろんつくるバックボーンや風土の違いとかはあるでしょう。部屋の様子ひとつでも当然違うわけですし。僕は今、フランス映画とかイタリア映画って活力がないっていう気がするんですよ。

久石:
そうですか? 単に日本に入ってきてないだけでね、元気はやっぱりあると思いますよ。フランスは国が映画を守っていますしね、非常に活発ですよ。日本の監督の場合大概が文学系の人がつくっているので、脚本をどうやって映像化するかが主体になることが多いんだけれど、フランスの監督は美術大学だとか、絵描き出身だったりする。ビジュアルのほうから監督になる人がすごく多いから画作りにはすごくこだわるわけね。画作りにこだわる分だけ、アート性は高いんだけれども、ともすると荒唐無稽になったり、過剰な表現になりがちではあるけれど。だけど、やっぱりフランス映画なんかは、ヨーロッパの中でちょうど真ん中に位置しているせいもあるからすごくよく作られています。ただ、日本でなかなか観るチャンスがないんですよね。

稲越:
ああ、なるほど。多分そうでしょうね。六〇年代っていうと結構イタリア、フランスの映画は日本にかなり入ってきて、それなりの興行収入もあったんでしょうけどね。でも現在では自分たちが触れてないから、どうしてもね。実際フランスに行って観れば久石さんがおっしゃったように活発なのでしょうね。

久石:
音楽のチャートなんかを見てもね、昔はアメリカのビルボードのチャートに入っている歌は、必ず日本のチャートの上位にもいた。ところがある時期から一〇年以上前からかな、ほとんど入らないんだよね。日本のチャートは日本人のポップスが主体になってしまった。映画においても昔は世界中ハリウッドに席巻されて自国の映画よりもハリウッド映画のほうが興行収入が高い所為もあった。ところが今は逆に、日本のほうが圧倒的な強さをみせています。それはハリウッドが弱くなっているとかいろいろ理由を挙げる前に、僕は日本人のキャパシティが狭まってきているんじゃないかと感じてしまうんです。外国の作品を受け入れる側の懐の広さというものも重要になってくると思うわけ。

稲越:
たまたま僕、昨日タランティーノの映画を観たのですけれど、現代の劇画風とかB級映画のおもしろさのある映画としてすごく良くできている作品だと思いました。しかし正直なところ僕の資質からいくと、とことんついていけない。やっぱりある種の血の違いっていうのがあるんじゃないですか。僕が三〇代だったらまた違ったと思うんですが。生き方とか、自分の肉体的なことを含めてね。もう僕も六〇ですから──やはりこう、ノッてるようでノリきれてない。まあその良さと悪さがあると思いますけれど。でもああいう手法っていうのはけっこう難しいのでしょうね。

久石:
僕は観てないからわからないけど、タランティーノはよく映画を知り抜いていますよね。『キル・ビル』を観ても、どれを観てもやっぱりすごい。わかっていてB級をつくっている人だから。それは素晴らしいと思います。

稲越:
ゴダールとはまた全然違うんでしょうけど、今おっしゃったように、映画を知っててなおかつつくり上げていく。それは、久石さんの作曲って言うのも、先ほど優しいって言ったけど優しさの向うにあるものを知ってらっしゃるから優しい音楽が生まれると思うんです。

 

表現したい事を表現できる努力を

久石:
自分では優しさを表現しようと意識して作曲をしているつもりはないのですけれどね。

稲越:
それは久石さんの資質っていうのかな。たとえば僕がいくらエロく撮っても荒木経惟さんにはなりきれない。やっぱり稲越功一のエロティシズムみたいのになっちゃうと思うんですよね。結局最終的にそれはその人の生きてきた人生かもしれないし、環境かもしれない。それは良い言い方をすれば個性とでもいうんですかね。この間まで中国に行っていたんです。カメラを向けた相手が一瞬でもいやな顔をするとかつてはそれでも強引に撮っていたんですが、今は撮れないですよ、そうなったら。もうシャッターを押せない。自分の若いときと違う視線になってしまったとでもいうんですかね。そういうことって久石さんはありませんか? 久石さんが四〇代につくってらっしゃったことと、今つくっていらっしゃる中で、同じ美しいってことを表現するときに違いはどうですか?

久石:
そうですね、それは毎回当然違うし、比べてもしょうがないことだからあまり考えないですね。やはり今一番興味のあること、今の自分でしか表現できないことがあるから、それに夢中になってしまうからね。四〇代のときとかいつの時とかそういう比べ方はしたことないですね。ただ四〇代のときより今のほうが体力はある、間違いないね。それはやはり当時より鍛えてる分体力もあるし、それから知識も増えた。でも物事を見る新鮮さは、もしかしたら前に比べてなくなっているのかもしれないなあ。重要なのは今自分が一番いいと思う、そう思えることをきちんとやることだから。それは絶えず探すし、経験を積めば積むほど自分がどれだけ真剣にやれることがあるか、そう本気で思えるかが大切な気がします。先ほど稲越さんは相手が嫌な顔していたらシャッターを押せなくなってしまったとおっしゃいましたよね。僕は逆に今やろうと思ったらコンサートの前の日でもプログラムを変えてしまうくらいです。なぜならそれがいいと思うから。その代わり、やりたいものにどこまで忠実に向き合うか、ということになってきますよね。まわりは迷惑でしょうけど。(笑)

稲越:
でもそういうこだわりみたいなものはある意味で自分に自信がないとできないんじゃないかって思うんですよ。

久石:
いえいえ、自信があるわけではないですよ。

稲越:
自信っていうか、やっぱり自分がつくりたいって、ひとつのピラミッドの頂点があると思うんですよね。それはその都度、創作だからそんな計算してできることじゃないでしょうから。アウトラインっていうんですか。それもあるでしょうけどね。まあその、コンサートで発表されたあとで、ああ、あそこはこうすればよかったとか、そういう思いもあるかもしれないですよね。

久石:
ええ、それは絶えずですよ。

稲越:
そういえば三年程前にカナダ人のストリングアンサンブルとコンサートをなさってましたよね。あの方々は久石さんがハワイに行かれていた時に、たまたまケーブルテレビに映っていた方々だったとか。そこで気に入った事がきっかけでその年のコンサートに参加してもらった、みたいなことおっしゃられていましたけれど……。

久石:
ああ、ラ・ピエタのことですね。

稲越:
そういう、自分がつくりたいある種のフォーマットがあって、いろいろアンテナを張っていて、そこに引っかかってきたときにすぐ自分のプログラムにいれてしまう……。

久石:
そうですね。最大限に表現できる演奏家を僕はできるだけ選ばなければならないと思っています。だからそれは選びますけど。

稲越:
久石さんのお話を聞いていると、僕ももっと強引に撮るべきかな、と。

久石:
そう思いますね。すごく賢くなってしまったのかもしれませんね。

稲越:
それと撮るってことは違うわけですから。

久石:
そこに何か撮りたいと思う気持ちがあるとしたら、そちらのほうが大事だと思いますけどね。

稲越:
今お話聞いていましてね、僕も反省を兼ねてですね……。(笑)

久石:
いやいや。稲越さんは瞬時にどこが大事かを見抜いて撮られている。

稲越:
それはですね、今日みたいなこういう仕事と、例えば中国の各地を歩いていて、そんなときに向うが撮られて心地いいって、やはり瞬時にわかるんですよ。それが用意されたカットですとね、おっしゃるようにそんなに人の感情読まないんですよ。自分の中で撮った、っていうのが、実際現像なんかしてみると意外にそれ以上でもそれ以下でもなかったりっていうのもあるんですけどね。

久石:
僕はね、何だろう。やりたいものがあったら、逡巡するまえにやってしまうことが多いですね。どちらかというとね。

 

やりすぎないことが信頼の証

稲越:
どうなんですか、お仕事をこういう部屋でなさっているのと、他のスタジオを借り切ってやられたりとか、場所というのは本質的には関係ないでしょうか。

久石:
ものをつくる場所というのはこだわりますよね。雰囲気的にものをつくれる環境を選びます。レコーディングスタジオに入るとミュージシャンやスタッフなど人も大勢いますし、作業場ですね。今日もこの取材後にスタジオに移動してCM音楽のレコーディングをするのですが、完成させた譜面を持ってスタジオに入ります。やはり曲づくりの場所とは分けています。演奏しないことにはレコーディングにならないので、レコーディングする場所としてそこはきちんと分けています。

稲越:
その場でアレンジとかして違ってきたりするのですか?

久石:
僕はスタジオに入ってしまったらもうまったく変えません。

稲越:
えっ、変えないんだ……

久石:
レコーディングは誰よりも早いと驚かれます。二日間のレコーディングを予定していても、たいてい一日目で半分以上の曲数を録ってしまいますから。一日の場合も、二一時までスタジオを借りていたとしても、一八時、一八時半には終わってしまうことが多いです。このあいだ久しぶりにスケジュールの組み方の問題もあり、遅くなることがありましたけど、これなんかは例外です。

稲越:
お話を聞いていてなんとなくわかったのは、撮影のために久石さんにピアノに向き合っていただいていましたが、指のアップと顔って、だいたい自分の中で絵がつくってあるから、そういうときは、久石さんが座ってから自分を探すってことじゃないんですよね。それと一緒で、ロスがないんですね。

久石:
そうだと思いますよ。

稲越:
イメージされたものをそのままロスのないように移行するということですね。

久石:
オーケストラとのコンサートのリハーサルも短く、無駄に回数多く練習はしていないですね。あまりテンポよく進むので皆が驚くくらいです。大概のケース、指揮者は自分が不安だからどんどん練習したくなるのですが僕はもう全然。最近は少し割り切って考えられるようになりました。

稲越:
でも演奏する人は緊張しません?

久石:
しますよね。

稲越:
一時間、ヴァイオリンならヴァイオリンを演奏する人が十分練習をしていて「もういいですよ」と言われた場合、ほんとにこれでいいのかなって演奏する人たちは自分に問うみたいなことってありません?

久石:
でもそれは逆に、指揮者(僕)が演奏者を信頼しているという証でもあるんです。演奏家に「今の演奏どこが悪いのかわからないけどまた練習するのか」と思わせてしまうくらいならやりません。あえてそこで省かれることによって自分たちは信頼されていると思い、本番がうまくいくんです。だからそういうことは一切やらないですね。

稲越:
すごくいいお話ですね。それもチームのハーモニーっていうことですよね。なるほど。

久石:
今日だってこの後に録るCMのレコーディングも早いですよ多分。三〇分かからないで終わると思います。

稲越:
それはもう久石さんの中にちゃんとしたイメージがあって、そのイメージをロスがないようにスタジオでやればいいことだからですか?

久石:
そうですね。あまり録り直しもしません。ある種そういう緊張感があるほうが楽しいですよね。

 

環境との歩み寄り

稲越:
やっぱり、細かいところでピッと合わせるというのは、一流の仕事なんですね。……一流っていうと語弊があるかもしれませんが。まあ、自分に置き換えると、フレームの中で風景探してるようじゃ一流じゃないと思います。

久石:
そうですか、フレームの中でね。

稲越:
僕の場合写真家だから結局、確認したものを撮れちゃう。今の久石さんのお話を伺っていると、やっぱりその、確認することに無駄がない、ってことにつながるんじゃないかって、思ったんですけどね。この部屋の大きな窓の外に風景なんかが広がっていたりとかすると、何か違和感があると思うんですが。

久石:
確かに、最近良くないなと思っているんです。やはり、大きな窓があるとふと外の風景を見たときに視覚的要素が多すぎる。だからブラインドをある程度下ろしたほうがいいかなって。

稲越:
あははは、そうですか。(笑)

久石:
そう、やっぱりこう、映画音楽を作っているときは映像を観ながら仕事をしますから、そこで気づかないうちにモニター以外の要素が多く入ってきてしまうと、良くないなと思います。自宅のほうはそれがないんですよ。だからもっと集中するんですね。そういうところをみるとどうもここはリゾートっぽいというか、「仕事をする雰囲気にならないな」なんて……。最初は気持ちよかったんですよ。僕はわりと閉所恐怖症だから、閉ざされた感じは好きではないので、ここの全面ガラス窓が気に入っていましたし。

稲越:
とくにこの部屋は、角部屋ですからね、抜けがいいじゃないですか。

久石:
そう、それは気に入っているのも確かなんですが、どうも、視覚情報が多い。そう感じる時もある。この部屋では落ち着いて過ごせていることが多いんでしょうけれど、例えば、昨日みたいに映画音楽を一度に九曲書き上げるみたいな状況になってくると、やはり周りを何にもないようすることも必要なのかもしれませんね。目から入る情報って、想像以上に大きいですからね。

稲越:
でも、他のレコーディングスタジオなどで仕事なさって、ここに帰ってこられたときは逆にホッとなさるんじゃないですか。

久石:
ここに移ったのは今年の五月ですから、まだあまり慣れてないんですよ。やはり半年、一年くらいたたないとね。空間っていうのは自分が充分居付かないと。自分のほうもこの環境にすり寄って、おそらく環境のほうも僕のほうにすり寄ってきて、お互いにね。

稲越:
いや、すごくよくわかります。僕の事務所は四〇年近いでしょ、しかも狭いところなんですよ。ほんとにこの、四分の一くらいですけど。

久石:
でも、居心地いいでしょ?

稲越:
いいです。いいってことと、やはり、逆に狭いから常に整理整頓を怠らない。ロフトみたいなところで何も置かないっていうのが夢なんですけど。でもやはり、空間そのものが自分の手の分身みたいですね。まだ半年とかおっしゃいますが、これ一〇年ぐらい経ったら、同じ風景もまた久石さんの体の一部になるかもしれません。

久石:
そう、そうなりますね。自宅のほうは、もう三年目か四年目なので、だいぶ落ち着いてきましたね。だけどなんかこう、環境には我々も慣れないとね。双方の歩み寄り……。

稲越:
それは絶対にありますね。お忙しいところ、本当にありがとうございました。

 

【撮影後記】
当然かもしれないが、久石氏はどんな曲を創っても、相手を包み込むような優しい余韻が残る。映像でいえば残像、文章で言えば余白といったところの漂いかもしれない。それが私にとってはたまらないのである。氏の持っている独自のスタイルあるいは資質と言ってもいいのかもしれない。私どもの仕事は最終的には表現されたものが、好きか嫌いかであって理屈で言えるものではない。私は久石氏の曲が好きである。とにかく氏は疾走中であるし、この勢いは当分止まらないであろう。それだけの魅力を持って花を咲き続けているからだ。

三日後、久石氏のご自宅におじゃましました。あくまでも静かで堂々とした佇まいである。曇りから一転して光が射し、住居に隣接するプールサイドはさながらにカリフォルニアのようだった。ひとつひとつの部屋には秋の陽が広がり、ゆったりした時間が流れていた。

(稲越功一)

(CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12 より)

 

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1987年12月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/07/02

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1987年12月号」に掲載された久石譲インタビューです。オリジナル・アルバム『Piano Stories』制作時期・準備期間にあたります。

 

 

久石譲
次のソロ・アルバムは全編ソロ・ピアノで現在制作中です

今やCM、映画音楽からアイドルものまで、さまざまなジャンルで超多忙なスケジュールをこなしている久石譲。1日15時間以上スタジオに入っているという久石氏にホーム・スタジオ、ワンダー・ステーションでインタビュー。最近の活動振りや準備を進めているソロ・アルバムの話をうかがった。

 

ー今年はどういった活動を主にやっていたのですか?

久石:
CM、映画、レコードと相変わらずまんべんなくやってますが(笑)、基本的には映画の方に力を入れてきました。今年これまでで4本やりましたからね。これは以前から考えてたんですけど、日本の映画っていろいろ問題を抱えてるんですよ。で、僕もその中で状況を変えていかなければ……と思って。

 

ー音楽サイドから見た映画の問題点というと?

久石:
簡単な話、サントラがあまり売れてない(笑)。すると、音楽予算はどんどん削られていくわけでね。だからもう一度サントラ、映画音楽は売れるんだ、という状況にしていかなければいけない。アメリカでは映画内の音楽と最後の主題歌が別だったというのは、もう10年くらい前の話なんですけど、今でも日本はそれを踏襲している。逆にアメリカでは「フラッシュダンス」以降、映画の中にいろいろな歌が入って、相乗りのような形で宣伝効果を高めて、それが若い人達にそれなりのアピールをするようになってるでしょ? この間の「トップガン」にしてもね。日本でもそういう状況が開発されればまたサントラが売れる可能性は出てくる。……そういったことも踏まえて、今年手掛けたものでは歌を起用するケースが多いんです。この前の僕の仕事で「この愛の物語」というのは、全11曲、歌なんです。ただ脈略もなく歌を並べるだけでは失敗しますよね、だから台本に即したところでそれに見合う作曲をして、さらに詞──特に日本の監督さんとかは詞をすごく気にしますからね、それがピッタリ合うもの、というふうにやっていくと、これは並大抵の労力じゃすみませんね。だけど、こうしていかないとただ単にBGMみたいに歌を流すというろくでもないものになっちゃう……最近あるでしょ、そういうの(笑)。そういった状況を誰かが破っていかないとね。だから、この前やった「漂流教室」の時、主題歌の歌手、今井美樹を起用したのは僕だし、12月公開予定の「ドン松五郎の大冒険」、これで立花理佐が歌っているメイン・テーマ(ニュー・シングル)の作曲もやって全体をコーディネイトしていってます。

 

ー例の「風の谷のナウシカ」あたりが突破口になった……?

久石:
結果としてはそういうことも言えるでしょうね。でも、あれで変に高尚だとかいうイメージもつきまとって、日本のヴァンゲリスなんて言われて(笑)……僕がソロ・アルバム『α-BET CITY』でやったような、アヴァンギャルドな聴くのもつらいというような(笑)音楽をソロでやってるといった部分が覆い隠されちゃってるのが、ちょっとね……(笑)。

 

ー次のソロ・アルバムの進行状況はどうですか?

久石:
実は去年からずっと準備してるんですけど(笑)。ソロ・ピアノをやっていまして、去年の11月にロンドンで4曲録ったんです。で、残りを東京で録ろうとしたら、音質が違いすぎて同じアルバムに入らないということになって……(笑)。何度かチャレンジしたんですけど、音も雰囲気も違っちゃって。だから、年が明けたらまたロンドンに行って録ろうかと言ってたらこんな状況でとても行けない。できれば12月に行きたい、そうすればちょうど1年振りになるし(笑)。まあ、どうにか年内に行ければいいなという感じですね。……ずっとインスト系の音楽をやってきて、一度ここで原点に戻りたかったんです。だから今回はエリック・サティのピアノ曲のようにね、虚飾を取り去ってシンプルにメロディを歌わせるというコンセプトなんですよ。曲はこれまでやった映画音楽が中心となります。「ナウシカ」も入ってれば「Wの悲劇」とか「早春物語」や、最近の「漂流教室」とかも入れて。今までの僕のソロの中では一番わかりやすいものになりますね(笑)。

 

ーロンドンではどこのスタジオで録られたのですか?

久石:
サーム・ウェストです、トレヴァー・ホーンで有名な。そこのピアノというのが、リズム録りとかに使っている、ちょっとガタガタのやつなんだけど、タッチがすごく重くて、どうしてかと思ったら、ベーゼンドルファーなんだけど、MIDI化してあるというたいへんなモノだった(笑)。懸命に練習してタッチに慣れましたけど。それは思った通りの感じで4曲録れましたが、あと5曲くらいはやらないと……ピアノでよかったと思うのは、フェアライトやなんかのギンギンのやつだと、1年も経つとコンセプト変わっちゃうけど、ピアノはあまりそういうことはないのでね。春先くらいにはどうにか出したい。それが終わったら、次は『α BET CITY II』というか、暴力的な、ギンギンのやつをやりたいを思っています。フェアライトIIとIIIを使ってできることとかも入れてね、超ドラマティックなものを。

 

ー久石さんの音楽というと、ずいぶんいろいろなとらえ方をされていると思うんですけど?

久石:
でもね、どんなタイプの音楽やっても、自分のメロディ、音というのは必ず出てくるんですよ。アレンジをやっていても、自分のスタイルは絶対崩さない。僕はフュージョンが大嫌いだから、LAっぽいサウンドみたいなのはやらなくて、どちらかというとブリティッシュ系の音をやりたい。注文に応じて何でもやるんじゃなくてね。今年になってアイドルものとかもやってるんですけど、初めの段階では、キュートでかわいいイメージに、とかいうところでもついエスニックな音入れたりして(笑)。最近では歌モノを素直にできるようになりましたけどね。

 

ー最近のメインの機材というと……?

久石:
やっぱりフェアライトのIIとIII、プロフィット5、DX7、DX7II……だいたいその辺ですね。そろそろ何か欲しいなとか思うんだけど、フェアライトIIIがどんどんバージョン・アップしていくんで追いつかないんだよね(笑)。もう、楽器と戯れてる時間がなくて……。今日は半日あいてるな、とかいってゴチャゴチャいじってるうちにいろんなこと発見していくていうのは重要なんだけどね。楽器にさわる時って全部仕事になっちゃってるから。……この間もIIIがバージョン・アップして、コマンドが全部変わっちゃったから、もうわからない(笑)。ただ、ある程度までいくと、楽器を客観視することというのが必要になってくるんですよ。だから今はオペレーターを通して楽器に接するようにしている。手弾きとかね、リアルタイムの打ち込みなんかは自分でやりますけど、その他の部分はオペレーターというフィルターを通してね。これまで、楽器の中でアイディアをふくらませていく場合が多かったけど、頭の中で一度構築してから置き換えていくというやり方に変わってきているんです。

 

ーフェアライトがIIからIIIになったメリット、デメリットというのは?

久石:
まあ、やはり音質が良くなって、特に4リズム系、バスドラムやスネア、ベースなんかのヌケが良くなってリズムがしっかりしたというのがメリット。逆に容量を死ぬほどくうのが……ピアノひとつに8インチ・フロッピー6枚とかいうんだものね(笑)。IIIの方は音色が揃ってないから、IIもまだ手元に置いて使ってるんです。2台を連動させることもありますよ。弦なんかはね、III、II、それにプロフィットとか総動員していっぺんにMIDI弾きしちゃうから……豪華な音ですね、とよく言われますよ(笑)。何通りかの音の組み合わせを音楽に合わせてやりますよ。強めの弦をIIIで、IIはふわっとした音、ザラッとした感じをプロフィットで、とか……。4歳からバイオリンをやっていて、弦には思い入れがあるから、誰にも負けない自信があります。

 

ー今後、ハードウェアに期待する部分はどんなことですか? たとえばこんな機材が出てほしいとか……。

久石:
それはいろいろあるんですけどね(笑)。たとえば、ベースとか生で弾いているのをそのままシーケンサーとして記録して、それをあとからシンセやなにかの音色で差し換えられるようなものとか。MIDIじゃなくて、生でそのまま入れると変換できるもの。これは便利だと思うな(笑)。突拍子もないことを言っているようだけど、そういう思い付きがハードウェア関係者をてんてこまいさせて、それで新しいものが出てくるというのが正しいあり方だと思うんですよね。今は逆でしょ? 勝手に楽器が出てきて、ソフトウェア側が追いかけていく……これじゃいけない。もっと正常な状態になっていってほしいですね。

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1987年12月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号」久石譲 『Piano Stories』紹介内容

Posted on 2019/07/01

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号」に掲載された内容です。オリジナル・アルバム『Piano Stories』発売の紹介になっています。

 

 

自分の音楽の原点に戻りピアノでアルバムを作った

ZTTの本拠地サーム・ウェストと東京の大平スタジオでレコーディングされた久石譲のアルバムがリリースされた。タイトル通り、ほとんどの部分がピアノで演奏されているこの作品のコンセプトは、「フェアライト等を使ってサウンド・クリエイターとして仕事をしていると、そんなに良くない楽曲でもそれなりに聴かせられてしまう……それに自分としてもやや食傷気味だったし、音楽の”シン”の部分、原点にもどってみようと思った」ことで、シンプルなピアノの響きの美しさが印象的だ。このアルバムを聴きはじめて感じるのは”タッチの強さ”。アルバム中4曲はサーム・ウェストのMIDI付きベーゼンドルファー(MIDIは使用していない)を使用しており、このピアノは非常にタッチの重いものらしいのだが、彼は元来タッチの強いタイプで、ピアノやエレピをガタガタにしたこともあるそうだ。彼の「バルトークのようにピアノを打楽器としてとらえている」タッチは、友人から譲り受けた古いCPで養成されたという。「普通の人だとスケールを弾けないような重さの鍵盤で作曲をしていたら、自然にタッチが強くなった」そうで、メロディとしての表情を追求するためにも、もっとピアノを練習したいとのこと。アルバムで演奏されている曲は、「Wの悲劇」、「Laputa」、「Nausicaä」…などの、サントラ用に制作されたもので、”架空のサウンド・トラック”というイメージでそれらが集められ、再構成されている。これらサントラの曲は「台本を読んだときに6割ぐらいはできあがっている」そうで、「その映画のカット割りのテンポ感を読み間違えなければ、映像と音が対等でいられる」というのが彼のサウンドの秘密のひとつでは? ただし結果的に映像が浮かびやすい音楽にはなっているとしても、映像を浮かべて曲を書く姿勢はとったことはないそうで、「音楽は音楽だけで雄弁に物を語らなくてはいけない。映像がつなかいと持たないような音楽は音楽とは思っていない」と断言していた。いわゆるニュー・エイジ・ミュージックも、「主役のいない音楽のようで好きではない。もともとニュー・エイジというのは意味が違う……完全なヤッピーのための、ビタミン剤の横に置かれる音楽ということですからね」と否定的だ。彼のこのアルバムに聴かれる強烈なタッチは、あるいは彼のこうした姿勢を反映しているのかもしれない。

このアルバムは、IXIAレーベル第1弾としてリリースされる。このレーベルは、「日本に欠けている良質のポップス、家で聴ける音楽の提供」をテーマにしており、8月にリリースされるCDでは、彼のボーカル(!)も聴ける。「普通のポップスのラブ・ソングで、OLのお姉さんが聴いても”素敵ね”っていわれて、プロが聴くと実はものすごく高度なことやっている」という音楽を理想としたということで、これはかなり面白そうだ。この作品には多数のゲストもフィーチャーされ、ジャンルの枠を越えたものになりそう。彼の得意とする弦のアレンジも「意識的に欠けた部分を作り、全体のサウンドの中に入ったときに良く響くようにした」そうで、彼の従来の作品とも一味違うサウンドが期待できる。このレーベルからは、これからも「アッと驚くようなアーティストが登場します!」ということなので、こちらの方も期待したい。

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

Info. 2019/06/28 「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」発売決定 【6/28 Update!!】

6月28日(金)に、「公式ビジュアルストーリーBook 海獣の子供」の発売が決定しました。

映画公式HPで公開され話題を呼んだ 主題歌・米津玄師と原作・五十嵐大介の対談、そして五十嵐大介が自ら制作現場に赴き、芦田愛菜のアフレコ現場や、久石譲の音楽収録現場など模様を描いた「制作現場ルポ漫画 」は必見です。 “Info. 2019/06/28 「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」発売決定 【6/28 Update!!】” の続きを読む

Info. 2019/05/24 「コントラバス協奏曲」石川滋さん インタビュー動画配信『プロの会話を盗み聴き』【6/19 Update!!】

Posted on 2019/05/17

久石譲「コントラバス協奏曲」(2015)ソロ・コントラバス奏者の石川滋さんらをフィーチャーしたインタビュー企画です。とても楽しみにしています。ぜひご覧ください。 “Info. 2019/05/24 「コントラバス協奏曲」石川滋さん インタビュー動画配信『プロの会話を盗み聴き』【6/19 Update!!】” の続きを読む

Info. 2019/06/14 映画『海獣の子供』久石譲メイキングインタビュー 動画公開

映画『海獣の子供』の音楽を担当している久石譲。そのオフィシャル・メイキング・インタビューが公開されました。レコーディング風景をまじえながら、本作品について語っています。ぜひご覧ください。 “Info. 2019/06/14 映画『海獣の子供』久石譲メイキングインタビュー 動画公開” の続きを読む

Disc. 久石譲 『海獣の子供 オリジナル・サウンドトラック』

2019年6月5日 CD発売 UMCK-1626

 

2019年公開映画『海獣の子供』
原作:五十嵐大介「海獣の子供」
監督:渡辺歩 
音楽:久石譲
主題歌:米津玄師「海の幽霊」

 

五十嵐大介によるマンガ「海獣の子供」が長編アニメーションとして映画化。2019年6月7日公開。約150館規模。「マインド・ゲーム」「鉄コン筋クリート」などで知られるSTUDIO4℃が制作を担当。本作は他人とうまく接することができない中学生の少女・琉花が、ジュゴンに育てられた不思議な2人の少年、“海”“空”と出会う海洋ファンタジーだ。第38回日本漫画家協会賞優秀賞、第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を獲得している。

音楽は日本国内外を問わずグローバルに活躍する久石譲が担当。この映画を鮮やかに、そして深海の様に神秘な音で彩る。

<CAST>芦田愛菜(安海琉花)、石橋陽彩(海)、浦上晟周(空)

(UNIVERSAL MUSIC JAPAN メーカーインフォメーションより)

 

 

■ 久石譲コメント

この映画の面白さは、ストーリーとして予測できないところにあります。哲学的であるともいえます。全編を通してミニマルミュージックのスタイルを貫いたので、映画音楽としてはかなりチャレンジをしたと思います。
宇宙の記憶の息遣い、生命の躍動感など見る人のイマジネーションを駆り立てる作品です。音楽と映像によって見る人の感覚が開放されて楽しめることを期待します。

出典:「海獣の子供」公式サイト|NEWSより

 

■スタッフ メディアインタビューより

渡辺監督は「久石さんは最初の話し合いの時点で原作を読み込まれて、イメージを掴んでいらっしゃっていて、『シーンや心情に寄り添って、ストーリーを煽るような音楽よりは、ちょっと客観的なもの。それだったらできる』とおっしゃっていたんです。僕も久石さんが初期に作られていたような、ミニマル・ミュージックな路線でいけたらと思っていたから、それがうまく合致した」とやり取りを明かし、「久石さんとしても挑戦的な、久しぶりというより新しい扉をもう一度開きなおすような意気込みで臨まれた」とコメント。また最初に久石から音楽のスケッチを受け取ったときのことを「フィルムに一気に色が増すような感動を覚えました」と話し、「その感動が皆さんにも伝わっているとうれしい」と客席に笑顔を見せる。

出典:「海獣の子供」ワールドプレミア、総作画監督&CGI監督は“作画とCGとの境目”に自信|コミックナタリー より抜粋
https://natalie.mu/comic/news/332061

 

 

-そうしてできあがった映像をごらんになった、五十嵐先生の感想をお聞きしたいです。

五十嵐 完成に近い映像を見せていただいたのは、音楽収録の時ですね。映像を流しながら演奏するということで、見学にお邪魔したのですが……久石譲さん指揮の生演奏と合わせて観たということもあって、震えるような衝撃を受けました。もちろん、絵の密度や色彩も素晴らしかったのですが、細かい演出にも感心させられました。とにかく全てがすばらしかったです。

-久石譲さんのお名前が出てきたところで、音楽についてもお聞きしたいです。久石さんの参加は、どういったきっかけで実現したんでしょうか。

渡辺 いやあ、ダメ元ですよ(笑)。元よりファンだったこともあって、「もしできるのであれば」と相談したところ、さまざまな方のご協力もあって、奇跡的に実現することができました。

五十嵐 いや、震えましたね。素晴らしい音楽でした。

渡辺 実は久石さん、顔合わせの段階で、原作を深く読み込んできてくださったんですよ。それで「この作品には完全に感情に寄り添うような音楽ではなく、客観的な音楽の方が情感が引き立つのではないか」とご提案くださって……。私も同様のイメージを持っていたので、とても感激いたしました。『海獣の子供』は、そうした劇伴、効果音や声も含め“音の映画”としても魅力的だと考えています。

出典:【es】エンタメステーション|海獣の子供インタビュー より抜粋
https://entertainmentstation.jp/446925

 

 

久石譲音楽についてのスタッフコメントや、主題歌「海の幽霊」/米津玄師についてなどはこちらをご参照ください。

 

久石譲インタビューは「劇場用パンフレット」に1ページ収載されています。

 

 

「今なんか、もうこういう電気機材がすごい発達してるから、もういくらでも細かくやってほとんど音楽がハリウッドでもそうですけど効果音楽になっちゃってるからね、効果音の延長になっちゃってるからね。そのてのつまんないものはね、やっても仕方がないんで。自分が想像してる以上に、世界はソーシャルメディアで変革されてきすぎっちゃってるんですね。そういうなかで結局、映画という表現媒体のなかで、アニメーションというものが持ってるものと、例えばゲームとかね、そういうものが持ってる力を、もう過小評価してはやっていけないだろうと。表現媒体に対する制作陣が昔のイメージで凝り固まって、作品とはこんなもんだっていうことで作っていくやり方が、もう時代に合わない。やはりアニメーションというのはある種の可能性があるわけだから、それをもっと若い世代の人とやっていく、あるいはその時に自分も今までの音楽のスタイルではないスタイルで臨む、今回みたいにミニマルで徹するとかね。そういう方法で新しい出会いがあるならば、これは続けていったほうがいいなあ、そういうふうに思います。」

「観る人のイマジネーションをきちんと駆り立てる。だからそれをアンテナを張ってればこれほどおもしろい作品はない。だからこれでたぶん1回観た2回観た、なんかそうするとちょっと別の景色が見えてきて。変に感情的に訴えかけてくるんではないんだけども、なんかそのなかで自分の感覚みたいなものが開放されたときに、ああこの映画に出会ってよかったって思える、そういう作品だと思います。」

Info. 2019/06/14 映画『海獣の子供』久石譲メイキングインタビュー 動画公開 より抜粋)

 

 

「スタイルとしては、徹底的にミニマル・ミュージックで通しています。一昨年からのNHKのドキュメンタリー(『シリーズ ディープ・オーシャン』)や去年、プラネタリウム(コニカミノルタプラネタリア TOKYO)の音楽を書いた頃から「この作品はミニマルでいける」と思ったら、ミニマルでブレずに書くようにしているんです。映画音楽では、メロディがあって、ハーモニーがあって、リズムがあるという手法が通常なんですけど、そういうスタイルから離れてもっとミニマル作曲家として先をいきたかったんです。ミニマルは変化が乏しくなってしまう可能性がありますけれど、多少コミカルに、エモーショナルになってもスタイルを変えずに最後までできたという点で、個人的にはとても満足しています。」

「シンセサイザーも使っていますが、そんなに分厚くしていない室内楽の形をとりつつ、それでいてしっかり鳴る方法をとっています。ハープや鍵盤楽器の響きを大事にしているところを含めて、最近の自分のやり方を通している感じですね。音色がカラフルに飛び込んでいくようになっているといいなって思っています。」

Blog. 「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

 

ここからレビュー。(2019.6.11 記)

 

久石譲の今の音がつまった、ミクロマクロの音楽設計図

こんなにも新鮮な感動につつまれた幸せ。思い返せば、この新鮮さは”点”ではない。『NHKスペシャル シリーズ ディープ オーシャン』や『プラネタリアTOKYO To the Grand Universe 大宇宙へ』でミニマル・ミュージックを軸に貫いた音楽。その流れの先にあるのが本作『海獣の子供』音楽になっている。しかし、挙げたふたつの作品はいずれも今現在未CD化、ようやく久石譲の今の音がつまったエンターテインメント作品が手元に届けられた感動はひとしお。

2013年公開スタジオジブリ作品『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』以来6年ぶりの長編アニメーションの音楽を手がけた本作。定着したジブリ音楽カラーがあるならば、同じアニメーション映画でも振りきりよく裏切ってくれている。一方で、小西賢一(キャラクターデザイン・総作画監督・演出)は『かぐや姫の物語』作画監督など、笠松広司(音響監督)は『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』音響監督など、ジブリとゆかりのあるスタッフも多い。久石譲音楽をわかっている、音楽の見せ場や聴かせどころを尊重してくれるスタッフが多く関わった作品とも言えるかもしれない。

空間と時間を飛び越えるようなスケールの大きい音楽世界。無限の広がりとループ。ミニマル・ミュージックでありながら、淡白で無機質なくり返しではない、エモーショナルで有機的な結びつきによる音楽。実写やアニメーションというジャンルを超えたところにある、新しい映画音楽のかたち。久石譲の新しい到達点であり、いまなお進化しつづけているその瞬間を見せつけられた高揚感と清々しい気分でいっぱい。

 

予告1・特報1・特報2で使用された楽曲は「星の歌」「孤独な世界」「海」、そのまま使用しているものもあれば、加工編集しているものもある。

 

全体をとおして。

神秘的で色彩豊かな音楽世界。小編成オーケストラにシンセサイザーの混ぜ合わせ。おそらく生のオーケストラにほぼシンセサイザーの音も重ねていると思う。弦楽+シンセストリングスというように。これは生オーケストラのみのソリッドさよりも、広がりをもたせる効果を狙っていると思われ、シンセサイザー特有の音もあるなか、ひょっとしたら5:5くらいの混ぜ具合かもしれない。そのくらいの新しい感覚をおぼえる。

本編111分、音楽43分。映像の3分の1に音楽を配置したことになる。収録曲のいくつかは、別シーンでも使用されていたり(Track2.3.など複数登場する)、楽曲の一部パートを巧みに配置しているシーンもある。メロディー重視ではないミニマル・モチーフで構成された楽曲群だからこそ、切り取り感のない音楽をすっと映像や時間になじみこませる。

CGと手描き、生楽器とシンセサイザー、映像も音楽もアナログとデジタルの混合で、浮いてしまうことなく密着し融合している。効果音やセリフとの折り合いもよく、音響SEから音楽へのスムーズな流れ、クライマックスは映像×音楽のダイナミックなコラボレーション。サウンドトラック時間以上に、音楽がのこすインパクトは圧倒的な映像美と堂々と対峙している。さながら音楽映画の要素をおびた印象をも与えてくれる。

 

以下は、収録曲をフラットに並べて、久石譲の音楽設計図を紐解いてみたい。

音楽を中心に置いているけれど、どうしても必要な箇所は、原作からの引用(【 】)をしています。あくまでも個人の見解です。これを見てくれた人から新しい発見や声があるとうれしいです。

 

1. ソング
7. 宇宙の記憶
15. 空との別れ
18. 宇宙の誕生
19. 生命の理由
23. 海との別れ
一番多く登場するモチーフで作品の世界観につけたメインテーマといえる。「1.ソング」幻想的で一気に引き込まれる。「7.宇宙の記憶」しっかりとモチーフは鳴っていて、このメインテーマを構成している旋律のいくつかが引き算で奏でられる。また弦のこするような音を効果音のように使っている。「15.空との別れ」「23.海との別れ」は近い曲想になっているけれど、音符の数が違っていたり(ミニマル・モチーフを4分音符/8分音符/16分音符で刻むか)、編成パート数も違っていたり(23.は楽器数も多くバックで流れる旋律数も多い)と、聴き比べるとおもしろい。7.冒頭のハープ分散和音も23.に引き継がれ、後半部もふくめてモチーフが響きあう集合体になる。

「18.宇宙の誕生」「19.生命の理由」は映画本編で切れめなく流れるクライマックス。まるでビックバンのようなエネルギーの爆発を浴びせらせる。さも自分が体験しているような感覚、美しさと恐さに呑み込まれる。18.こそほぼ生オーケストラのみで構成されたソリッドな音響になっているので、他の楽曲とのコントラストがわかりやすい。18.のみ現れるミニマルの下降音型と、19.ほかで聴かれるミニマルの上昇音型。高い音から低い音へうつる下降音型は宇宙から降りてくるようでもあり、低い音から高い音へうつる上昇音型は海から湧きあがってくるようでもある。こういう見方もおもしろい。

このように、メインテーマの楽曲を紐解いてみると、「ミニマル・ミュージックで貫かれた映画音楽」というもののなかに整理ができてくる。”くり返しやズレ”を基調とした一般的なミニマル音楽をベースとしながらも、久石譲のそれは、一辺倒な方法論だけではない。”最小限の音型を足し算・引き算しながら変化させること”、”音(楽器)を豊かに変化させること”、これが久石譲の言うところのミニマル・ミュージック・ベースだと思っている。

 

原作では「ソング」とはザトウクジラの発する音・うたう歌とされている。【世界が生まれたときからの時間や記憶】【同じ旋律のくり返し……「ソング」だ】【聞いたことのない…「ソング」?】といったセリフが登場し、【そこら中あちこちに潜んでいるうたを、鯨が傍受して形を与える。それを海がマネする。そうやってあのうたがいつか世界を満たす……】(第4巻)ともある。

全巻において出現する「ソング」は、原作の柱であり有機的に交錯している。象徴的でありながら抽象的というとても難しいかたち。音階やメロディをもっているとは表現されていない。映画では音響SEとしての「ソング」も響く。久石譲は、「ソング」を音楽化した。【同じ旋律のくり返し】というミニマル音型をベースにしながらも、【聞いたことのない「ソング」】かたちの定まらない音型の足し算・引き算の変化。そうやって、旋律になりそうでなりきらない【あちこちに潜んでいるうた】を、【鯨が形を与える】ように音たちが集まり導かれ楽曲後半に悠々と重厚な旋律が奏でられる。冒頭に戻る、一番多く登場するモチーフで作品の世界観につけたメインテーマといえる。

 

2. 孤独な世界
少ない音符の数、メロディのない旋律のなかにおいても、たしかな情感をあたえてくれる。ピアノの残響に添うようにシンセサイザー音をしのばせる。ピアノ高音はハンマー強く、低音は丸みのある音像。ハープも同じく高音は弦のはじく音が強く発せられ、低音はこもりがちなやわらかい音。少ない音符と楽器、ニュアンス豊かに表情をつけている。

 

3. ひとりぼっちの夏休み
ベーシックなミニマル・ミュージックのズレをゆっくり聴くことができる曲。ピッツィカートも生音でここまでふくよかな表情は出せない、シンセサイザーと巧みにブレンドされていると思う。またハープの特徴は「2.孤独な世界」に同じ。もし生音だけでピッツィカートを鳴らしたら、ハープの音に近くなり溶け合ってしまうだろう。ピアノ、ハープ、ピッツィカート、グロッケンシュピールのたゆたう調べ。

 

4. 海と琉花
6. 海に連れられて
9. 出航
13. 海と琉花 ~出会い~
3人の主人公〈琉花〉〈海〉〈空〉の交流を描いたシーンで使われている。出だしから聴かれるモチーフたちを楽曲ごと楽器を置き換えることでカラフルにしている。軽快なミニマル音型のズレ、楽器の出し入れによるくっきりとした多重奏。同じモチーフでもピッツィカートの均一な音幅で奏でられるのと、管楽器ののびやかなフレージング。映画シーンごとに主人公の心情や場面の変化にあわせているというよりも、決して同じものはない・同じところにとどまることのない人や場所や時間の変化という俯瞰と客観性かもしれない。バリエーションを意味づけするよりも、変化することが自然とでもいうように。

 

5. 海
14. 光る夜の海へ
短い音型が小さな上昇・下降をくり返しながら渦を巻くように上がっていく。ピュアな螺旋を描いて昇りつめ、今度は少しの不協音をおびて一気に下降する。「14.光る夜の海へ」ここでもハープが効果的に使われ、また呼吸をするように音型のテンポが一定でないのも印象深い。映画と照らしあわせると、海の世界観・海のもつ生命力のような、大切なシーンで使われている。出番は少なくても象徴的な位置におかれた主要テーマ曲のひとつといえる。

 

8. 星の歌 ~ケーナ version~
12. 星の歌 ~シンセサイザー version~
17. 星の歌 ~ケーナ&ムックリ version~
22. 星の歌
聴いた瞬間にとりこになってしまう曲。あまに言葉にしないほうがいい。

原作を読んだとき「星のうた」にどんなメロディをつけるのか、大きな期待と楽しみで膨らんでいた。この歌には言葉がある。【星の。星々の。海は産みの親。人は乳房。天は遊び場。】。映画のなかで「星の歌」メロディ全貌が登場するのは「12.星の歌 ~シンセサイザー version~」から。「8.星の歌 ~ケーナ version~」のときには【星の。星々の。海は産みの親。】というところまでの言葉が登場する。12.のときにはじめてそのつづき【人は乳房。天は遊び場。】がセリフとして出てくる。そう、しっかりメロディにこの言葉たちが歌詞としてのっかる。節まわしできれいに言葉がハマる旋律になっている。頭のなかで歌ってみると鳥肌が立つ。メロディの出し方と言葉の出し方(前半部分・全貌)が暗黙のようにリンクしている。

原作には「星のうた」についていろいろなエピソードが散りばめられているので、中途半端に持ち出すのはよくない。それでも曲につながるのではと思う(最低限の)いくつかを紹介させてもらう。

【むかしこのうたを聞いた人間が、自分たちの言葉に置きかえた……形をかえたから力を失ったけど、これは特別なうた。】(第4巻)。【”語ってはならない神話”や”うたってはならないうた”を冒涜しようとしているから。】(第4巻)。原作で「星のうた」は「ソング」を聴いた人間たちが置きかえたものだと語られている。久石譲が書き下ろした「ソング」と「星の歌」のモチーフに音楽的つながりを見つけることはできなかったけれど、もしかしたら発見もあるかもしれない。もちろん、人間が置きかえてしまったもの、とするならば、つながっている必要もない。

本作はミニマルモチーフの楽曲群が多いなか、「星の歌」はえもいわれぬ旋律美で深く染みわたる。そして、歌詞をのせて歌われることはしなかった。メロディの力で映画と原作を補間し大きく包みこむ。心ふるわせ涙腺ゆるむのは、初めて聴いた感動というよりも、もともと体のなかに持っていた、昔から受け継いできたものが反応しているよう。「22.星の歌」メロディが枝分かれし、時間軸で交錯している。「ソング」を人間たちが置きかえたものは「星のうた」だけではないのかもしれない。いくつもの言葉と旋律がこれまで形をかえて生まれては消え、伝え遺り。メロディの紡ぎあいは、そんなことにまで想い馳せさせてくれる。原作では「星のうた」について【旅の道標】【誕生の物語り】などとも出てくる。

楽器についても考察したかったが、なぜケーナが選ばれたのか? ムックリについては映画とリンクしているのでぜひご鑑賞を。

 

10. ジンベエザメ
低弦を基調とした太いラインと、まわりに散らばり飛び交う音たち。群れが集まり互いに交信しているような情景が浮かぶ。変な言い方にはなるけれど、要素が同じミニマルでも久石譲オリジナル作品ではこうはならない、エンターテインメント音楽だからこそ、という曲の展開をしてくれている。しっかり求められているものに応えているというか。

 

11. 嵐の中のふたり
24. 私の夏の物語
往年の久石譲ミニマル・スタイルがつまっている。音もハーモニーも。音数・楽器・旋律が増殖したり浸食したり、ずっと眺めていられる雲の流れや海の満ち引きのよう。この楽曲を聴いて楽しいとも悲しいとも押しつけることはない。独特の和音感でありながら長調とも短調ともはっきりしない。映画を観る聴く人または体感するタイミングによって何色にでも染まることができる。「11.嵐の中のふたり」映画ではいくつかの場面が切り替わっていたと思うが、音楽は約3分半通奏で流れていた。結構大胆な使い方をしているな、という印象を受ける。登場人物や状況に合わせない、映像に合わせて音楽を展開させたり切り替えたりしない、突き放したその一例といえる。

 

16. 星の消滅
20. 生命の繋がり
「16.星の消滅」ピアノのみで奏でられた楽曲は、「20.生命の繋がり」前半部ではシンセサイザー+弦楽合奏が重なり引き継がれる。映画ストーリーでは「ソング」をモチーフにもつ「19.生命の理由」からの流れで躍動感あふれるクライマックスの一端を担っている。また後半部に力強く鳴りおろされる”ラミー””シファー”という音型(1:17~)は、「2.孤独な世界」に出てくる”ラミー”(0:03~)”シファー”(0:44~)と共鳴しているのかもしれない。この4度の動きが交錯している「2.孤独な世界」がある種〈琉花〉のモチーフだとしたときに、ここで力強く鳴らされているものは、しっかりと繋がってくるように思えるから。

 

21. 生命の源
異色を放つシンセサイザーとそのヴォイスによるもの。楽曲のなか常にどこかに”ファ”の音が聴こえてくるような気がする。遠くまでの伸びるシンセサイザーの一線や、吐くヴォイスの音程に。

原作で「ソング」や「星のうた」と同じく注目していた3つめの音楽的ポイント。【698.45ヘルツの音波のような】【「ファ」の音】【生まれる場所からの声】【星が死ぬときの音】と出てくる音。映画のなかでは超音波のような凄まじい音圧の音響効果で圧倒されるシーンがある(この楽曲箇所ではなかったような)。それがファの音を帯びていたか記憶が薄いけれど、原作にあるこの音を表現した効果音は必ずどこかに登場している。同じように、久石譲がこれらのキーワードから音楽化したものが、この楽曲だと思っている。

 

25. エピローグ
(1. ソング/2. 孤独な世界)
「ソング」のモチーフをハープで〈琉花〉のモチーフをピアノで織りかさなっている。終曲において、久石譲は物語をとおして《たしかに何かが起こった》ことを暗示した。だからふたつの異なる旋律が同時進行する対位法のように絡みあう。それは同時に、映画を観る前と観た後に起こる《観客の変化(感じたこと・行動すること・ものの見え方)》にもつながる。壮大で哲学的な『海獣の子供』世界は難解でひとつの正解はない。だからこそ最後はシンプルに帰する、神話を経てリアルな今に返る、そしてまたひとりひとりからはじまる。ひとりぼっちだった〈琉花〉のモチーフがひとりではなくなったように、あるいは、ひとりではなかったことに気づいたように。

またこの曲は、映画本編に使用されたバージョンと少し異なる。

 

 

 

1. ソング
2. 孤独な世界
3. ひとりぼっちの夏休み
4. 海と琉花
5. 海
6. 海に連れられて
7. 宇宙の記憶
8. 星の歌 ~ケーナ version~
9. 出航
10. ジンベエザメ
11. 嵐の中のふたり
12. 星の歌 ~シンセサイザー version~
13. 海と琉花 ~出会い~
14. 光る夜の海へ
15. 空との別れ
16. 星の消滅
17. 星の歌 ~ケーナ&ムックリ version~
18. 宇宙の誕生
19. 生命の理由
20. 生命の繋がり
21. 生命の源
22. 星の歌
23. 海との別れ
24. 私の夏の物語
25. エピローグ

 

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Conducted by Joe Hisaishi

Performed by
Flute & Piccolo:Yusuke Yanagihara
Oboe:Hokuto Oka
Clarinet:Emmanuel Neveu
Bassoon:Mariko Fukushi
Horn:Akane Tani, Misaki Haginoya, Sachiko Furuya
Trumpet:Cheonho Yoon, Tomoki Ando
Trombone:Yuri Iguchi
Bass Trombone:Koichi Nonoshita
Timpani:Akihiro Oba
Percussion:Hitomi Aikawa, Shoko Saito
Harp:Kazuko Shinozaki
Piano & Celesta:Febian Reza Pane
Strings:Manabe Strings
Quena:Hideyo Takakuwa
Mukkuri (Jew’s Harp):Leo Tadakawa

Recorded at Victor Studio
Mixed at Bunkamura Studio
Recording & Mixing Engineer:Suminobu Hamada (Sound Inn)
Director & Manipulator:Yasuhiro Maeda

and more…

 

Children of the Sea (Original Motion Picture Soundtrack)

1.The Song
2.Isolated World
3.Loneliness Summer Break
4.Umi and Ruka
5.Umi
6.Be Brought By Umi
7.Memories of The Universe
8.The Song of Stars (Quena Version)
9.Setting Sail
10.Whale Sharks
11.Two In the Typhoon
12.The Song of Stars (Synthesizer Version)
13.Umi and Ruka (Encounter)
14.To The Glowing Sea
15.The Time Has Come
16.A Star Extinct
17.The Song ff Stars (Quena & Mukkuri Version)
18.Big Bang
19.The Reason of Life
20.Connection of The Lives
21.The Origin of Life
22.The Song of Stars
23.Goodbye Umi
24.My Own Summer Story
25.Epilogue

 

Info. 2019/06/04 名古屋港水族館×映画「海獣の子供」コラボレーション企画開催

~企画展 & 久石譲氏の映画音楽にのせた「マイワシのトルネード」を開催~

名古屋港水族館では、6月7日(金)公開予定の映画『海獣の子供』とのコラボレーション企画を以下のとおり開催いたします。 “Info. 2019/06/04 名古屋港水族館×映画「海獣の子供」コラボレーション企画開催” の続きを読む

Blog. 「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 3」久石譲登場回(2008)「ジブリアニメとの25年」内容

Posted on 2019/06/04

書籍「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 3」(2013)に収録された久石譲登場回(2008)です。この本は同ラジオ番組を単行本シリーズ化したものです。

 

 

久石譲
「ジブリアニメとの25年」

ジブリアニメと言えば、久石譲さんの音楽。雄大で、リリカルで、繊細で。そして、時に、ほのぼのとユーモラスに奏でられるその音楽は、ジブリ作品の”肌ざわり”と、切っても切れない関係にあります。『風の谷のナウシカ』(1984年)以来の、両者の永い付き合いは、どのように始まり、どのように発展していったのか……? 『崖の上のポニョ』(2008年)の音楽を作曲中だった久石さんと鈴木さんとのトークに、耳をすましてみましょう。

(ゲスト参加:読売新聞〈当時〉・依田謙一)

 

「駆け引き」はいらない

依田:
初めて宮崎駿監督に会った時は、やっぱり印象深かったんじゃないですか?

久石:
いやあ、それがね……(笑)、全然ドラマチックじゃないからね。阿佐ヶ谷のスタジオ(トップクラフト)でしたね。

鈴木:
はい、そうです。阿佐ヶ谷です。

久石:
壁にいっぱい、『ナウシカ』の絵コンテが貼ってあって。そしたら、宮崎さんがいらして、いきなり説明を……(笑)。「これは腐海といって」とか、「これは王蟲で」って、ワーッと説明された時に、ぼくは、「あれっ!? この人、誰だろう?」と思っちゃって(笑)。

鈴木:
あははは(爆笑)。

久石:
いや、これはあまり言っちゃいけないんだろうけど、実はその時点では、宮崎作品としては、もちろん、『ルパン三世』は知っていましたよ。だけど、それ以外は、そんなに知らなかった。『ナウシカ』も、大まかなストーリーだけ聞いて行ったら、延々と説明されて。もう、ずーっと、1時間くらい、作品のことを全部説明するんですよ(笑)。驚きましたねえ……

久石:
あのね、今作っている『崖の上のポニョ』では、主人公の男の子(宗介)は、5歳の子供でしょう。

鈴木:
はい。

久石:
男の子と女の子(ポニョ)が出会う。そうすると、「好きだ」っていう感情は、もうそのまま、「好きだ」でしょ。普通は、その気持ちが揺れたり、何だかんだ思ってくれたりすると、そこに映画音楽って入れやすいんですよ。

鈴木:
なるほど。

久石:
だけど、その子は、全然悩んでないんですよ。

鈴木:
宮さん(宮崎駿)は、いつもそうですよ。

久石:
もう、スパッと、「好き」(笑)。

鈴木:
あのね、男女関係で宮さんが一番嫌いなのが、”駆け引き”なんです。

久石:
ああ……

鈴木:
会った瞬間、相思相愛。普通だったら、ねえ……打算とかいろいろあって、「ぼくはこんなに好きなのに、彼女はどうなんだろう?」って、いろいろ思い悩むじゃないですか。

久石:
そう。

鈴木:
ないんですよね、あの人の場合は(笑)。

久石:
あははは。キャラクターが思い悩んでくれると、音楽って、そこに入りこむ余地があるんですよ。それがストレートに、「好き」。もうすぐに言っちゃう。追いかけちゃう。そうすると、どうやって曲をつけたらいいのかって悩む。

鈴木:
今に始まったわけじゃないですよ。宮崎作品では、本当に毎回、そうですから。

久石:
そうなんですよ。今回も、見事にスポーンとしてるから……

鈴木:
「現実で、男女はそういうこと(駆け引き)をしょっちゅうやってるんだから、映画の中ぐらい、そういうのがないほうがいいよ」っていう、宮さんの声が聞こえてきそうでしょ?(笑)

久石:
もう、完全にそうですね。

久石:
だから逆に、音楽のほうも割り切った、新しいスタイルでできないかなと思って、今、取り組んでいるんですよ。というか、どちらかというとぼくは、長く曲をつけるのが好きだったんですよ、今までは。入り出したら2分とか、長く続けるのが好きで、その方式をとってきたんだけど、今回は逆に、5秒とかね。

鈴木:
ああ、短いんですよね。

久石:
すごく短い。ようするに、「はい、始まった。終わった」っていうよりも、(音が)「あった」。そのかわり、間もあるんだけど、「また、あった」みたいなね。まあ、理想で言うと、どこから音楽が始まって、どこで終わったか、あまりわかんない方式をとれないかなと思って。

鈴木:
いろいろ考えてますねえ。

久石:
いやいや……(笑)。

鈴木:
絵のほうが、もう、90何パーセントできちゃってるんですよ。

久石:
すごい早いですね。

鈴木:
そう。いつもより余裕がある。だからもう、宮さん本人もね、「あとは音だ」って言ってて。

久石:
あっ……

依田:
プレッシャーが、来た、来た、来た(笑)。

鈴木:
あははは(笑)

 

 

音楽が果たせる役割

依田:
そもそも、最初に『ナウシカ』をおやりになった時は、どうやって曲を作っていったんですか。

久石:
あの作品では、高畑(勲)さんがプロデューサーだったんですよ。

鈴木:
宮さんは、当時、公言しておりましてね。「おれは歌舞音曲には無縁だ」「おれには音楽はわからない」って。だから、「高畑さん、全部よろしく!」って(笑)。そこからスタートなんですよ。「高畑さんが選んでくれたら、おれは、それでいい」と。それで、率直に申し上げると、当時いろんな作曲家の名前が候補にあがって、久石さんを選んだのは、実は高畑さんだったんですよ。で、ぼくも一緒になって、久石さんの作った曲を、とにかく聴きまくった。高畑さんが、「久石さんがいい」って言った時の言葉を、ぼくはよく覚えてる。

依田:
何て言ったんですか?

鈴木:
「この人の曲は、無邪気だ。宮さんに似てる」って。

久石:
ああー……

鈴木:
その時はもちろん、久石さんに会ってないわけですよ。だけど、「この無邪気さ、天真爛漫さ、そして熱血漢ぶりなら、二人は絶対にうまくいくはずだ」って。それで会って、そして、期待に応えていただいたっていうことなんです。

久石:
うーん……いやもう、本当に幸運な出会いだったよね。ぼくはあの時、『ナウシカ』の曲のあと、安彦(良和)さんが監督した『アリオン』というのも担当した。これも同じ徳間書店さんの製作で、やっぱり大作だったわけですよ。『ナウシカ』『アリオン』と、二本続けて音楽を作らせていただいた。だからもう、『天空の城ラピュタ』は(オーダーが)来ないだろうと。「なんか嫌だな、ぼく、やりたいのにな」「ああ、『ラピュタ』できないのかなあ」とずっと思っていたら、連絡があって、うれしかった。あの時は、もう、泣いちゃいましたよ。

鈴木:
高畑さんと二人で、すぐ伺った。で、この音楽が、宮崎アニメの音楽の方向性を決める決定打だったと思うんですね。続いて、『となりのトトロ』ですもん。その時はね、高畑さんも『火垂るの墓』を作ってるから、今度は音楽を、宮さん自らやらなきゃいけないわけですよ。

久石:
そう(笑)。

鈴木:
ぼく、忘れもしないのがね、トトロとサツキとメイが、雨のバス停で出会うシーン。あそこは、すごい大事なシーンでしょ。なのに、宮さんは久石さんに言ってるんですよ、「音楽はいらない」って。でね、しょうがないんで、宮さんには内緒で、『火垂る』を作ってる高畑さんに相談に行ったんです(笑)。そしたら、高畑さんって決断が早いから、「いや、あそこは、音楽があったほうがいいですよ」って。「ミニマルでいくべきだ。久石さんだから、絶対できる」って言った。

久石:
だから、いわゆるメロディーでいくんじゃなくて、ミニマル・ミュージック的な……

鈴木:
そう。で、曲ができました。で、宮さんっていう人は面白いんですよ。聴いた瞬間、「これはいい曲だ!」って(笑)。「あそこは音楽いらない」って言ったのは、かけらも覚えてないわけ。

一同:
あははは(笑)。

鈴木:
とにかく、あの映画の一番のポイントはね、バス停でのトトロとの出会い。子供は、それを信じてくれますよ。だけど、大人が果たして信じてくれるのか。それを、あの曲によって実現した、とぼくは思ってるんですよ。大人も、トトロの存在を信じることができた。そういう意味でね、あの音楽は、本当に大事な曲だったと思います。

久石:
だから、言い方は変なんだけど、何ていうのかな……目の前が霧で何も見えない感じの中で、何か、「あっ、これはいけそうだ」と思うことがある。たとえば、フルートの音だったり。「あっ、こういう感じ!」とか、「あっ、もっと丸いイメージだ」とか、何かピンと来そうなものを頼りに探して歩いてる、っていう感じなんですよね。

だからこそ、映画音楽を作る時に一番気にしなきゃいけないのは、そのストーリー的な流れを邪魔しないようにピッタリ寄り添う時と、あえてそれを無視して、メロディーでそのシーンを押していく場合と、そのバランスですよね。『ポニョ』でも、やっぱり一番気にしてるところなんだけどね。だから、絵コンテをものすごく読み込みますね。それから、映像を観る。で、「どこに音のきっかけがあるんだろう?」と思うのと同時に、「あれっ? ここってもしかしたら、メインテーマや何かとまったく無関係なもので行くべきなのか?」「いや、そんなくだらないことを考えてはいけない(笑)。そうじゃなくて、ここはこういうふうに」とか、ゴチャゴチャ考えながら作っている。音楽に関しては、まず、自分が最初の観客であるわけだから。

映画音楽を書いてるとわかることなんですけど、映画って、もともと”作りもの”なんですよ。フィクションなわけです。で、「あっ、そんなのあり得ない」って思うようなことをやってても、それが逆に、もっと本当らしい現実を表現したりする。だから、映画を観て、みんなワクワクするわけですよね。そういう虚構性の中で初めて存在するわけだから、音楽って、やっぱり必要なんだろうと。

鈴木:
いや、だからね、さっきの、バス停での出会い──やっぱりあそこに音楽がなかったら、あの映画がほんとに名作になったのかなって思う。そのぐらいの力を、音楽は持っている。トトロの存在を大人の観客に信じさせるためには、あの音楽は必須でしたね。

久石:
えっと……ごめんなさいね、今、頭の中が『ポニョ』でいっぱいなもんで……何ていうか、何を話してても、『ポニョ』に気がいっちゃうんですよ(笑)。

一同:
あははは(笑)。

久石:
『ポニョ』ってね、言葉の語感がいいの。そう思いません?

依田:
ああ、音楽的いっていうことですか?

久石:
うん。まず、「ポ」が破裂音じゃないですか。それを、「ニョ」が受けとめる。「ポ」、「ニョ」でしょう。そうするとね、これ自体が、もう音楽なんですよ。

鈴木:
なるほど!

 

 

ラストシーンを決めた音楽

鈴木:
今回の『ポニョ』では、久石さんに作っていただいた曲がね、ラストシーンを決めました。

久石:
あははは(笑)。

鈴木:
いや、そういうことがあるんですよ。あの音楽によって、「ラストは、こうやればいいんだ」と、宮さん本人もわかったっていう……

久石:
いやあ、責任重大ですね。

鈴木:
どうやってお客さんに観てもらったらいいか、それが見えたんですよ、宮さんには。だから今回、早く作ってほんとに良かったなって(笑)。

久石:
いやあ、ぼくは逆にね、宮崎さんは、非常にすぐれた作詞家だと思ってるんですよ、で、本音を言うとですね、音楽の究極は、やっぱり歌ですよ。

鈴木:
うーん……

久石:
だって、人に何かを伝える時に、まず言葉があって、でも、言葉だけでもダメで、それと音楽とが響き合って、瞬時に人生を感じちゃったりとか、いろんなことがすべて見えたりする可能性があるわけで……。そうするとね、最後に行き着くのは、歌なんですよ。

鈴木:
歌も音楽も、生きものなんですね。

久石:
うん。結局は、そこに行き着いちゃう。生命の世界というかね……

鈴木:
何ていうのかなあ……自分の、意識の下のほうにね、太古の昔から続いてる遺伝子みたいなものがあるんじゃないかな、なんて思ってるんですよね。

久石:
うん。今回、もう本当に、「一人で作ってるんじゃないな」っていう感じがして(笑)。鈴木さんとも、しょっちゅうメールしたり、話したり。宮崎さんとも、本当に、すごくコミュニケーションをとったというか、よく話したんですよ。今までは、どちらかっていうと、わりと勝手にこっちで作って、「できました。聴いてください」っていうスタンスが多かったんですよ。

鈴木:
そうですね。

久石:
それがね、今回は本当に出だしからなんで、「ああ、一人で作ってるんじゃないな!」っていう感じが、すごく気持ち良かったんです。

鈴木:
いろいろ注文して、すみませんでした(笑)。でも20何年もお付き合いして、久石さんとこんな話するの、初めてだなあ。いや、貴重な機会でした(笑)。

 

2008年4月11日収録@れんが屋/4月27日放送

(「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 3」より)

*本書には本文下にいくつかの注釈があります。割愛しています。

 

 

内容紹介

5年半をこえる大ロングラン。TOKYO FMの名物番組「ジブリ汗まみれ」(日曜23時~)から、今回もベスト・オブ・ベスト回を厳選収録。書籍シリーズ・第3弾が、『かぐや姫の物語』の公開にあわせて11月発売。天真爛漫でちょっぴり硬派な鈴木トークと、各ゲストの十人十色の個性が魅力。「巻を重ねるごとに面白い」「読みやすく、たっぷり楽しめ、しかも、心に沁みる快著」と、各界で大評判です!

●豪華11大ゲスト(順不同・敬称略)=尾田栄一郎(漫画家)「忘れまじ、任侠のこころ」/細田守(アニメーション映画監督)「”肯定していく力”を描きたい」/山口智子(女優)「日本人の“もの作り”と『かぐや姫』」/久石譲(作曲家)「ジブリアニメとの25年」/矢野顕子&森山良子(ミュージシャン)「ふたりで歌えば」/大塚康生(アニメーター)「追想・ルパン三世」/瀧本美織(女優)「『風立ちぬ』―菜穂子の素顔!?」/三池崇史(映画監督)「映画の息吹、その伝承」/きたやまおさむ(精神科医・作詞家)「“駅裏”のなくなった現代」/川上量生(ドワンゴ会長)「〈鈴木道場〉 其の三・風雲篇」

絶賛発売中
●第1巻:ゲスト=庵野秀明/宮崎駿/阿川佐和子/坂本龍一/志田未来・神木隆之介/山田太一/太田光代/ジョージ・ルーカス/辻野晃一郎/川上量生
●第2巻:ゲスト=浦沢直樹/松任谷由実/押井守/手嶌葵/井上伸一郎・髙橋豊/竹下景子/岩井俊二/宮崎吾朗/川上量生/号外・ジブリ2大最新作製作発表!

(書籍インフォメーションより)

 

*2019年6月現在、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」単行本シリーズは第5巻まで刊行されています。