Blog. 「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/02/07

クラシックス音楽誌「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」(2019年12月20日発売)に掲載された久石譲インタビューです。『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス』についてたっぷり語っています。

また本号は「2019年度 第57回 レコード・アカデミー賞」の特集になっています。その特別部門「特別賞」も受賞しています。このページ後半で、選定会の様子や久石譲受賞コメントもご紹介します。

 

 

作曲家の視点でスコアを立体的に捉えた衝撃のベートーヴェン交響曲全集
久石譲【作曲、指揮】

ききて・文=オヤマダアツシ

衝撃的だった。2016年7月に開館した長野市芸術館で久石譲とナガノ・チェンバー・オーケストラ(現「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」)の演奏によるベートーヴェンの交響曲第1番を聴き、約40名で構成されるオーケストラから繰り出されたその演奏に「まだ、こういったアプローチが可能だったか」と唸ってしまったのである。基本的にテンポは快速、アタックが厳然と強めで”好奇心”という名の心の扉を叩くようなリズム等々、予測を超えてくるその演奏に驚きを隠せなかった。本誌読者の皆様はおそらく、これまでにいくつものベートーヴェン演奏を体験し、複数の交響曲全集を所有している方も多いだろう。古楽演奏の洗礼を通過した方もいらっしゃるはずだ。久石譲が作曲家としての視点で洗い直したという交響曲全集は、2年間(全7回)にわたって行われたナガノ・チェンバー・オーケストラ定期演奏会のライヴ録音であり、さらに新しい表現のベートーヴェンを希求する聴き手に問題提起をする演奏である。2019年度の「レコード・アカデミー賞」で特別賞の栄誉に輝いたこの全集について話をうかがった。

 

作曲家史上最高のリズムへの感覚の鋭さ

「自分も体験してきた時代ですが、戦後の日本におけるベートーヴェンの演奏はドイツ的な重い表現が主流でした。オーケストラも大編成でしたから必然的にそうした音になりますが、数え切れないほど繰り返し演奏されてきたベートーヴェンの交響曲に取り組むにあたって、すでにある表現やアプローチをしても意味がありません。そうしたことから作曲家としての視点でもう一度スコアを見直し、楽譜が何を要求しているのか、それをどう表現するのかということを考えました。ベートーヴェンのスコアではメロディ/ハーモニー/リズムという音楽の三要素が一体化していますけれど、なかでもリズムの重要性に注目したわけです。メロディを美しく歌わせるところでも、リズムがたんなる伴奏のパートに止まらず、3つの要素が切り離せないくらいの関係性を保っていますから、リズムを前面に出すことで音楽が立体的に表現できるなと思ったのです。作曲家というのは、たとえば何かの拍子にとてつもなくすばらしいメロディが浮かんでしまうと、もちろんそれを書き留めるわけですが、同時にどういったハーモニーや対旋律、リズムを合わせるとそのメロディが生きるかを考えて悩むわけです。そうなると、メロディと伴奏の音型は決して”主と従”の関係ではありませんし、すべてのラインやパートが同等だと考えれば必然的にそれは立体的になりますよね。そう考えることで、ベートーヴェンがその曲を作った時に近づき、どこに工夫をしているのかと考えることがおもしろくなるのです」

一例を挙げるなら、筆者がもっとも耳を奪われたのは交響曲第8番の第3楽章、トリオでホルンとクラリネットが主旋律を演奏するのと並行して、バス声部がリズムを強調するような音型を演奏する部分だ。実演も含めていろいろ聴いてきたつもりだが、これほどこのバス声部が明快な主張をもって聞こえてきたのは初めてだった。このようなちょっとした発見と驚きは、全9曲のあちらこちらにちりばめられていて飽きることがない。

「第6番《田園》の第2楽章は8分の12拍子で細かな音の伴奏が続く中、第1ヴァイオリンや木管が緩やかなフレーズを乗せていきますが、伴奏の音型がとても雄弁でその間をうまくメロディが流れています。これも、”主と従”ではなく、しかも一体化していて無駄がない。ここだけでもベートーヴェンはすごいなと思います。第2番の第4楽章や第8番の第4楽章も、どうしてこんなリズムが思い浮かぶのかと驚きますし、第3番《英雄》の第1楽章でも、4分の3拍子なのに2拍子のタイミングで激しい和音が繰り返されるところがあり、リズムに対する感覚があまりに鋭く、作曲家史上最高だなと感じてしまうほどですね。ですから、ベートーヴェンがどういうつもりでこれを書いているのかを読み取りたくなるのです」

ナガノ・チェンバー・オーケストラのコンサートでは『ベートーヴェンはロックだ!』というキャッチーなスローガンが聴き手の目を引いたが、それも「決してベートーヴェンはロックと同じだというつもりはなく、リズムがベースになっているロックと通じるものがあるということです」といった考え方が根底にあっての言葉だという。

 

ミニマル音楽の演奏と並行して楽員たちと音楽を作り上げる

そのリズムといえば、多数ある久石の作品がミニマル・ミュージックのスタイルをルーツにもち、久石自身がリズムを追求してきた作曲家だったということを無視するわけにはいかない。一般的にはスタジオジブリ作品をはじめとする多くの映画音楽などで知られる久石だが、本誌2018年3月~4月号の「青春18ディスク」で披露されたように、作品の背景にはフィリップ・グラスをはじめとするミニマル・ミュージックや20世紀の諸作品がある。ナガノ・チェンバー・オーケストラの定期演奏会でもベートーヴェンの交響曲と自身の作品、さらにはペルトやグレツキ、マックス・リヒターの作品などを組み合わせていたが、今にして思えばそれがオーケストラの楽員たちを鍛え上げ、久石の理想とするリズムに焦点を当てたベートーヴェンの実現につながったと思うほどだ。

「ミニマル系の音楽を演奏する際には、リズムをきちんと再現しないと音楽全体が崩れてしまいますし、そもそも曲として成立しません。しかも縦の線が揃えばいいという単純なことではなく、オーケストラのメンバー全員が音価をきちんとそろえて演奏し、可能であれば各楽器の発音のタイミングも考慮して演奏するという、かなり高度な能力を必要とします。正直なところ、日本の奏者でそうしたことができる人はまだ少ないです。今回は、そうしたことも踏まえて自分たちなりのベートーヴェン演奏を実現するべく、コンサートマスターの近藤薫さんが中心となって人選をしました。コンサートを重ねるごとに核となる奏者が固まっていって、フューチャー・オーケストラ・クラシックスとしての基本的なサウンドが決まっていったと思います」

メンバーには東京の各オーケストラに在籍している首席クラスの奏者も多く、ソリストや長野県出身者なども加わった。

「若い世代が中心ですけれど、いろいろな指揮者と演奏を重ねてきて経験も豊富ですし、楽器で音楽をたくさん語れる人ばかり。こちらが要求していることをキャッチして、すぐに演奏へと反映してくれます。この全集の発売を記念し、紀尾井ホールと軽井沢大賀ホールで交響曲第5番と第7番のコンサートを行いましたが、立奏による演奏を試してみました。身体が自由になるせいか開放的になって音も大きくなった反面、ピアニッシモは着席での演奏のほうがいいかもしれないと思い、ひとつの課題として残っています。しかしダイナミック・レンジが格段に広がり、演奏の可能性が広がることも事実ですから今後も模索したいですね。音だけではなく視覚的にも元気に見えますし、演奏家の表情も豊かな感じがしますから。クルレンツィスとムジカエテルナが立奏だと話題になりましたけれど、小編成のオーケストラが大きなホールで演奏する時には有効でしょう」

さまざまな可能性を追求する中、若い世代の指揮者にも関心の目を向けており、自分たちも新しい時代を作る担い手として最先端の音楽を提示していきたいという気持ちは強い。

「クルレンツィスやミルガ・グラジニーテ=ティーラのような指揮者はリズムに対するアプローチがとても新鮮で、最先端の音楽だなと感じています。繰り返し演奏されてきた曲でも新しい表現にアップデートしないと、クラシック音楽はたんなる伝統芸能になってしまうという危機感がありますし、つねに新しいアプローチを試していくことで、さらに次の世代が進化をつなげてほしいという気持ちも強いですね。自分たちもベートーヴェン、そして2020~21年はブラームスの4つの交響曲、さらにはメンデルスゾーンやシューマンなども先に見据えて新しい演奏を追求していきたいと考えているのです。作曲家ですから、これまで聴いたことのない新鮮な音楽を送り出したいという思いが基本的にあり、それはベートーヴェンやブラームスを演奏する時も変わりません」

 

迷いの残る《第9》のスコアに人間的な魅力を感じる

今回の全曲演奏にあたり、学生時代からスコア・リーディングの勉強にも使用していたというブライトコプフのスコアからベーレンライターのスコアに買い換え、もう一度すべての曲を勉強し直した。そうしたなかで気がついたことのひとつは、ベートーヴェンの年齢や人生と曲の関係だったという。

「どの曲もそれぞれに特徴があって凄いのですが、第5番《運命》くらいから作曲家としてのピークへと向かっていて、彼が理想とする完成度へ達したのは第8番なんじゃないかと思います。この曲はどこをとっても斬新で、驚くべき作品ですね。では第9番《合唱》はどうかというと、第8番からのブランクがあったからか、演奏者に対して明確にこうだと指示できていないところがたくさんある。おそらく写譜の段階でおきたミスが大半だと思いますが、本人の迷いを入れて約140か所以上不明部分があります。ベーレンライターのスコアでは、それについていろいろ可能性を提示してくれていて、演奏者に任されるところも多い。第9番を書いた年齢を考えると、精神的・体力的なことが影響を与えているのかもしれませんね。自分としては共感できてちょっと心が痛くなります。もっと若い頃の作品、たとえば第3番《英雄》などは才気煥発で、浮かんじゃったものを惜しげもなく使っているけれど、そのせいで長い曲になってしまい形式的にはやや無駄な部分もあると感じます。でも、その無駄だと思えるところが魅力的なのですよね。第9番はそういった勢いがない代わりに年齢に即した、論理的で破綻のない書き方をしています。今回、全曲を番号順に演奏してみて、年齢とキャリアに応じて対応しているベートーヴェンの姿を見ているような思いがしました。でも(第9番では)論理的に完璧な書き方をしているのに140か所も『どうしようかな』と迷っている部分が残されているというのは、なんだか人間的でいいなとも思えるのです」

このほかにも、第9番の第4楽章は「オーケストラに声楽という音色を加えた変奏曲」として考え、やはり最終楽章にパッサカリアという変奏形式を使ったブラームスの交響曲第4番を想起させるなど、次のプロジェクト(2020年から2021年にかけ、4回の演奏会でブラームスの交響曲4曲を演奏)を示唆する考察も。

「じつはこの前、この全集に収録されている第7番を少しだけ聴いてみたのですが、『ここ、もっと弾けるはずだな』と思ってしまうなど、リハーサルをしているような気分になってしまいました。それだけ自分もまだベートーヴェンに関しては進化し続けているということでしょうし、機会ができればさらにアップデートした演奏をお聴かせできるでしょう」

今回の交響曲全集がひとつの成果であることは間違いないものの、これからさらなる進化を遂げるであろう久石譲とフューチャー・オーケストラ・クラシックスには、まだまだ驚かせてもらいたい。

(「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」より)

 

 

 

特集 2019年度 第57回 レコード・アカデミー賞

音楽之友社主催による第57回(2019年度)「レコード・アカデミー賞」が今年も決定しました。本賞は、各年度(1年間)に、日本のレコード会社から発売されたクラシック・レコード(本年度は2019年1月号~12月号本誌月評掲載分)の中から、全16の部門において、まず「部門賞」が、各部門の担当選定委員による第一次選定会において合議によって決定されます。

その上で、4つの「特別部門」を除いた9部門の「部門賞」のディスクを、全選定委員が1ヶ月の試聴期間を設けて試聴した後、第二次選定会を行い、投票により、年間最優秀レコードである「レコード・アカデミー賞 大賞」、「レコード・アカデミー賞 大賞銀賞」、「レコード・アカデミー賞 大賞銅賞」が選定されます。

今年度の部門賞は10月27日に、そして3賞および「特別部門/企画・制作」「特別部門/特別賞」「特別部門/歴史的録音(録音の新旧を問わず、歴史的に意義のある録音等を表彰するものです)」の選定は11月24日に行われ、各賞が決定しました。

 

*各賞 受賞作品 (本誌にて)

 

 

ここでは、特別部門の選定座談会について紹介します。本誌で5ページにわたって選定と賞決定までの話し合いが掲載されています。そのなかなら、【特別部門/特別賞】を受賞した『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス』について話題にあがった箇所のみをいくつかピックアップしてご紹介します。全内容はぜひ本誌をご覧ください。

 

 

特別部門 選定座談会

選定=浅里公三、満津岡信育、中村孝義

浅里:
「久石/ベートーヴェン」は、日本のオーケストラの精鋭が集まって、いわば久石さんのセンスにのって、大変速いテンポで──ロック調のということなのでしょうが──これまでのベートーヴェン演奏に一石を投じるような演奏になっていたと思います。

~中略~

中村:
他には私も「久石譲/ベートーヴェン」です。~略~ とにかく「強烈な個性」という意味では、クレンペラーやカラヤンは、まさに圧倒的だと思ったのですが、久石譲さんのベートーヴェンも本当に強烈。金子建志先生が選定会の後のお話で、昔のフルトヴェングラーやワルターが、今録音したらこういう演奏になるかもしれない、とお話になられていましたが、私も同じようなことを思いました。正直に言えば、久石さんは、映画音楽などの、どちらかと言えば耳当たりのいい音楽を作っている人と思っていたので、今回は聴いてびっくりしました。決してクラシックから外れたところにある人ではなく、音楽をもっと大きくとらえている人なんですね。

~中略~

満津岡:
~略~ それから「久石/ベートーヴェン」も、これは際立って個性的な演奏でした。決して借り物ではない音楽で、自分自身でスコアを読んで、突き詰めてこういう演奏に達したということがわかるような演奏で、私も素晴らしいと思いました。

~中略~

満津岡:
ただ「久石/ベートーヴェン」も、私は彼の演奏とこのボックスがクラシック音楽界になげかけた意義と価値は、大いに顕彰すべき価値があると思います。ただし、久石さんの場合、今年の新譜は第4番と第6番ですから、本当の意味での新録音となると、この中では「アファナシエフ」でしょうか。

~中略~

満津岡:
そうなりますと、私は「特別賞」が、久石さんのディスクにふさわしいように思うのですがいかがでしょうか。本来「企画・制作」でもおかしくない内容ですし、このボックスは、本当に楽しんで聴いてもらえるものだと思います。

中村:
私も「特別賞」は「久石/ベートーヴェン」がいいと思います。彼のようなスタンスの人が、ベートーヴェンの交響曲を、自らが組織したオーケストラを指揮して、しかも全集で録音するなんて、レコード会社にとっても本当に英断だったと思います。でも虚心に聴けば、この面白さは必ず伝わるはず。

浅里:
私も異議なしです。「特別賞」はぜひ「久石/ベートーヴェン」で。

 

(以上、抜粋紹介)

 

 

受賞アーティストからのメッセージ

久石譲

FOCのベートーヴェン交響曲全集が特別部門特別賞に選ばれたことはとても光栄です。クラシック音楽の演奏も時代と共に進化していきます。いや、進化していくべきだと考えます。僕の場合は現代の音楽の作曲家としての立場から、リズムをベースにして(そのためRock The Beethovenというコピーまでつきましたが)スコアを組み立てました。現代のクラシック音楽のあり方に一石を投じることができたら幸いです。フューチャー・オーケストラのメンバーや関係者の皆さんに感謝します。

 

(「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」より)

 

 

from オクタヴィア・レコード公式ツイッター

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「家庭画報 2020年1月号」〈ベートーヴェンの力の源を求めて〉久石譲 インタビュー内容

Posted on 2020/02/06

雑誌「家庭画報 2020年1月号」(2019年11月30日発売)、「<生誕250周年特別企画>6人の識者が愛とともに語るベートーヴェンの力の源を求めて」コーナーに久石が登場しました。「ベートーヴェン:交響曲全集」の話題も含めて、久石譲が語るベートーヴェンの魅力つまったインタビューになっています。

 

 

生誕250周年特別企画 6人の識者が愛とともに語る
ベートーヴェンの力の源を求めて

2020年に生誕250周年を迎えるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。多くの人に聴かれ、語られてもまだ溢れる魅力──その力の源を求めて、ベートーヴェンを愛する6人の識者(指揮者 アンドリス・ネルソンス/音楽研究家 平野昭/作曲家・指揮者 久石譲/音楽学者 沼野雄司/ピアニスト 河村尚子/音楽社会史家 大崎滋生)が、それぞれの視点で新しいベートーヴェン像に迫ります。

 

久石譲(作曲家・指揮者)さん × 沼野雄司(音楽学者)さんが語り合う
現代の音楽として、ベートーヴェンを振る、聴く

 

ベートーヴェン独特のリズムを打ち出した演奏が新鮮

沼野:
久石さんが『ベートーヴェン交響曲全集』を出すと聞いて、最初は意外に思ったんです。割合に昔から、ミニマル・ミュージック(パターン化した音型を反復する音楽)の作品『MKWAJU』を聴いたり、それと前後して映画音楽でお名前を知っていたものですから、ベートーヴェンとあまり結びつかなかった。でも、リリースされていったディスクを一枚一枚聴いていくうちにどんどん納得していき、最終的にこれはほかにはない演奏で、ベートーヴェンにそんな余地がまだあったのか!と改めて思いました。

久石:
それは大変ありがたいです。ミニマル・ミュージックをベースにした作品を創る当時の感覚のまま、未来のクラシックはこんなやり方もあるのでは?、という提案ができればと思っていました。

沼野:
特に低音(チェロ、コントラバス)が太く音響化されている印象で、小編成ですが、そうとは思えないほど豊かに聞こえました。これはミキシング(複数の音声を効果的に混合・調整すること)で強調されていますか。もちろん、生演奏の状態でも久石さんが思うバランスになっているのでしょうが、レコーディングのときにそれを一度解体して、ミキシングによってさらにシェイプアップされたのではないかと。であれば、クラシックにはあまりない発想で、テクノロジーとの共存を考えるよいヒントにもなりそうです。

久石:
リズムをしっかり打ち出す方法を採りますと、倍音が重要になります。ミニマル・ミュージックではあるパターンをずらしていき、そのズレを見せるためにリズムを際立たせますが、この方法論をクラシックでも生かしたい、ならばベートーヴェンがいちばんいい。コンサート時にはコントラバスの位置を通常より前に出してきちんと低音を目立たせ、さらにミキシングでそれを強調することで、バランスが頭で描いたイメージに近づきました。米現代作曲家スティーヴ・ライヒなどもPA(音響拡声装置)を使っており、クラシックでも方法論としてありと考えています。

 

ベートーヴェンが仕掛けたリズムのトリック、シンコペーション

久石:
ベートーヴェンはリズムの天才ですから、思わぬところでシンコペーション(強拍と弱拍の位置関係を変えて曲に緊張感を作ること)ができ、あっといわせますよね。この独特のリズム感を出すには、一拍子で刻むのがいいと思っています。

沼野:
なるほど、一拍子ですか。私もベートーヴェンはシンコペーションの人だと思っています。漫然と音楽が進むところに何か一つ違うものをボンと入れるから情報量が多い。音楽全体もシンコペーションのようで、お上品な調和の中にはピタッとはまらず、グッ、グッとアクセントがついていく。それが彼の素晴らしさの一つだと思います。

久石:
まさにそのとおりですね。実は彼が仕掛けたシンコペーションの最大のトリックがあったんです。たとえば第五番第三楽章のタタタ/タン……という二小節が連なるモティーフ。どれも小節頭から始まりますが、弱拍から始まるモティーフと捉えるのか(タタタ/ーン)、強拍からと捉えるのか(タタ/ターン)。同じパターンにせず拍節をずらして絶妙に変化をつける、しかも全楽章にわたってこのような仕掛けが──。認識はしていましたが、隠れたシンコペーションの意図に気づいたのは録音後でした。ちょっと悔しい(笑)。これを意識した指揮者や演奏はいまだ聴いたことがありません。やはりベートーヴェンはすごいです。

 

ベートーヴェンに”ビビっていない”からこそ生まれたスタイル

沼野:
全集を聴いて強く感じたのは、久石さんがベートーヴェンに”ビビっていない”ことでした(笑)。全集は人生の集大成として取り組むかたが多く、気負いや新解釈をと意気込むケースが多い。が、久石さんの場合は、低音をきちっと聴かせてリズムの推進力やシンコペーションを強調することで、自然にこのスタイルが生み出されたのだと思いました。

久石:
それは嬉しいですね。日本では特にベートーヴェンやブラームスなどのドイツ音楽を「重厚」と表現することが多く見受けられますが、それは第九を楽劇に書き換えたワーグナーの影響や、彼以降の大編成オーケストラの演奏が、戦後日本の音楽受容の基軸になっていたからです。しかし、ベートーヴェンの時代はそれほど大編成ではない。今回のベートーヴェン交響曲全集に取り組むにあたり、小編成を起用したのもそのためです。「ドイツ音楽」にある先入観から離れ、譜面からきっちり捉え直すことで、現代のクラシック音楽のあり方に一石を投じることができると思いました。

 

 

フォームよりエネルギー!強く訴えかけるベートーヴェンの力

沼野:
交響曲全集の演奏・録音を通じて、ベートーヴェン観は変わりましたか?

久石:
むしろ追体験していく気がします。譜面を読むだけではわからない、実際に演奏して初めてわかることが多くありました。たとえば第九はバランスが悪いと思っていましたが、実際演奏してみると、第四楽章はマリオブラザーズを一面一面クリアしていく感覚で(笑)。作曲家が特にこだわるフォーム(形式)や完成度とか、そんなものは全然関係ない。演奏者もエネルギーを出しきらないといけない。このパワーと人に訴えかけてくる力は、自分が考えていた作曲のイメージとは違うと強く感じました。

沼野:
興味深いのですが、ご自身の作曲スタイルにも変化はありましたか。

久石:
それはすごくあります。曲が持つエネルギーや、曲をどのレベルで完成していくのか、ということを考えるようになりました。ベートーヴェンは教会や宮廷などしっかりしたフォームが残っていた時代に、機能和声を人間的な感情表現(長調は明るい、短調は暗いなど)に初めて用いた人ではないでしょうか。だからこそ、その先に文学と結びついたロマン派の時代が到来する。このフォームと人に訴えかける力のバランスをどう取るか、を考えるきっかけをくれました。

沼野:
確かにベートーヴェンは常に意思が前に現れている。交響曲が九曲しかないのも、何か新機軸がないと出す意味がないという近代的な考え方ゆえですね。まさにその当時の最先端の現代音楽。その力が我々に訴えかけてくるのですね。

久石:
ええ。フォームという既存の枠に留まらず、エネルギーや感情表現がそれを超えていく──この力強さこそが、今回ベートーヴェンの演奏から得た気づきであり、私自身の作曲スタイルへの影響でしょう。

(「家庭画報 2020年1月号」より)

 

 

 

なお、2020年1月7日に家庭画報公式サイトでも雑誌と同内容にて掲載されています。

公式サイト:家庭画報|久石 譲さん×沼野雄司さんが語り合う「私の愛するベートーヴェン」https://www.kateigaho.com/travel/67829/

 

 

 

ベートーヴェンを愛する6人の識者が選んだ作品

ベートーヴェンのことをよく知る6人の識者が選んだ作品をご紹介。じっくりと耳を傾ければ、今までのイメージとは違う、ベートーヴェンに出会うことができるはずです。(本誌登場順)

 

アンドリス・ネルソンスさん

交響曲第3番 Op.55「エロイカ」
音楽史においても革命的な一曲。演奏時間も長くなり、曲想も次々と変化していきます。第1楽章はまさに「英雄」を感じさせる堂々たるテーマが奏でられ、第2楽章は厳かな葬送のリズムに哀愁漂うメロディ、それを突き抜けた先にティンパニを伴うクライマックスが人間讃歌のように響き、第3楽章は快活なスケルツォに狩りを象徴するホルンが冴え、第4楽章はモティーフを多彩に変奏されていき盛大なフィナーレへ!(推薦音源:ネルソンス指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

その他のおすすめ:交響曲第9番Op.125、ピアノ・ソナタ第14番Op.27-2「月光」

 

平野昭さん

交響曲第4番 Op.60
力強い「運命」などでは知ることのできない、品のよさや自然体なベートーヴェンが聴けます。厳かな序奏のテーマが続いた後、一気にffで活気ある主部が展開する第1楽章、静けさの中にドラマがある第2楽章、力強いモティーフの後に弦楽器と管楽器で交わされる穏やかなフレーズが有名な第3楽章、速いパッセージで奏されるテーマをファゴットが懸命に再現する箇所など聴きどころ。(推薦音源:パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン)

その他のおすすめ:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」Op.47、連作歌曲《遥かな恋人に寄せ》Op.98

 

久石譲さん

交響曲第8番 Op.93
もっと皆さんに知っていただきたい曲。第1楽章冒頭から心を摑まれます。第2楽章なんてリビングで聴いたら最高です。メトロノーム考案者のメルツェル氏のために作られたといわれていますが、それはともかく、こんなに素敵で可愛い曲はないですから、ぜひ聴いてください。ベートーヴェン自身も気に入っており、キー設定から音の構成まで、本当によくできています。同時期作曲の第7番との違いも面白い。(推薦音源:久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス)

その他のおすすめ:交響曲第4番Op.60、交響曲第5番Op.67

 

沼野雄司さん

ピアノソナタ第18番 Op.31-3「狩」
一見すると柔らかな線の連なりの中に、思わぬシンコペーションが待っているのが魅力ですね。第1楽章はテンポの緩急があるモティーフが魅力的。第2楽章スケルツォは強拍にp、弱拍にsfで強烈に始まり、それが転調しながら展開されていく面白さ。第3楽章はメヌエットらしい可愛らしいメロディ、中間部のトリオは控えめなシンコペーションが楽しめます。第4楽章は6/8拍子でタランテラ風、最後まで軽快に疾走!(推薦音源:『河村尚子 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集2』)

その他のおすすめ:チェロ・ソナタ第4番Op.102-1、弦楽四重奏曲第7番Op.59-1(ラズモフスキー第1番)

 

大崎滋生さん

『ヨーゼフ2世の逝去を悼む葬送カンタータ』WoO.87
ボン時代、1790年の作。ベートーヴェン作品の一つの重要な系列がこのとき始まりました。皇帝の追悼式用に依頼されましたが、完成は間に合わず(追悼式は音楽なしでとの通達あり)、数か月後に見事な大作に仕上がります。式典とは関係なく、ハイドンの受難音楽『十字架上の七言』の影響下に力試し的に書いたのではないか、と見るのが正解と思われます。この作品の凄さを伝える音源に乏しく、忘れられていた作品。(推薦音源:ティーレマン指揮、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団)

その他のおすすめ:オラトリオ『オリーブ山のキリスト』Op.85、ピアノ・ファンタジート短調Op.77

 

河村尚子さん

ピアノソナタ第32番 Op.111
最後のソナタですが第1楽章は古典派的に始まります。減7度の音程でこの世の終わりのような落胆を感じさせますが、その後は生命力に満ち、演奏中にもエネルギーをもらいます。古典派とロマン派を想起させる自由さとのギャップが面白いです。第2楽章アリエッタは簡単なメロディを巧みに変奏していき、最高潮に達した後、彼の精神に入り込むような静けさがあり、最後の高音域のエピソードはまさに彼の神経の中枢をついているようにも感じられます。(推薦音源:河村尚子)

その他のおすすめ:チェロ・ソナタ第5番Op.102-2、弦楽四重奏曲第13番Op.130

(「家庭画報 2020年1月号」より)

 

 

 

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年12月号 No.143」久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/01/22

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年12月号 No.143」に掲載された久石譲インタビューです。

オリジナル・ソロアルバム『PIANO STORIES II ~The Wind of Life』について、たっぷり語られた貴重な内容になっています。

 

 

久石譲
New Album 『PIANO STORIES II ~The Wind of Life』 Interview

オリジナル・アルバムとしては『Piano Stories』から8年ぶり。久石さんの新作は『Piano Stories II』と題されている。ピアノとストリングスという、久石ミュージックのいちばんの魅力がたっぷりと味わえる、注目の1枚だ。コンサートやレコーディングで大忙しの久石さんに、今後の活動予定も含めてお話をうかがった。

 

自分にとって原点になるべきところ、それが「ピアノとストリングス」。

 

●”生もどき”の音 (?!)

ーオリジナル作品としては『Piano Stories』から8年ぶりのアルバムですが、この時期に II を出された理由は?

久石:
8年前に出した時は、打ち込みを多用して音楽を作っていた時期だった。その時に、あえて「今自分ひとりで何ができるか」と立ち返ったのがピアノだったんです。つまり、いちばんピュアな音楽をやろうと思って作ったのが『Piano Stories』だった。

そしてもう1度今、自分にとっていちばん原点になるべきものはなんだろうと考えたら、「ピアノとストリングスをメインにしたアルバム」だろう、ということになった。この1~2年ずっと考えていたことです。タイトルを『Piano Stories II』にしたのは、これが精神的に前作とつながるからです。

 

ー生楽器のみを使っていらっしゃる?

久石:
生ですね。あと”生もどき”(笑)。基本的に言うと、耳につくところは全部生だと思いますよ。

ただ4リズムという形態、つまりギター、ドラム、ベース、ピアノなんかは、音の存在感やアタック感も、すごく表現しやすいんです。それが弦とピアノとなると、「キックドラム」に相当する低域のパワー感を、弦だけでは出し切れなくなったりするわけです。けっして「きれいきれい」な世界を表現したいわけじゃなくて、そういうパワーも含めた「弦とピアノでここまで行ける」ということをちゃんと出したかった。

そのために、弦は「8-6-6-6-2(第1ヴァイオリン-第2ヴァイオリン-ビオラ-チェロ-コントラバス)」という特殊な編成で、低域をすごく厚い編成にしました。なおかつ、たとえばMIDIミニのようなシンセサイザーのベース音を隠し味で薄く入れたり。そういう意味では、限りなく生に近いんだけどそれをリッチに聞かせるための味付けを、他の楽器でもやっていますね。

 

ー個人的には3曲め「Asian Dream Song」が特に好きなんですが…。

久石:
これは、今年はアトランタで行われたパラリンピックのテーマ曲とした書いた曲です。

 

ー「Angel Springs」では、ピアノだけの部分でハミングが入っているような…。

久石:
1枚のアルバムの中で必ず1個所出るんだよね(笑)。バイエルを習っている人でも弾けるようなシンプルなメロディなんですが、そういうところって逆にすごくツライ。簡単なフレーズは誰でも弾けるから、「もっと歌わなきゃ」なんていろいろ思うと、気づくとなんかノイズが入っているんです(笑)。

 

ーノイズですか?

久石:
あはは…そうかな。『Piano Stories』の方にもあるよ、何個所かね。

 

 

●弦の魅力と難しさ

ー「Kids Return」では、ストリングスがかなりギュンとうなっている感じですね。

久石:
たとえば、クロノス・カルテットでジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」をやってますよね。僕もいろいろとリズムを作ってレコーディングをするからよくわかるんだけど、(リズムを)キープする楽器がない時って、実はすごく大変なわけ。

でも、ドラムを入れてしまえばリズムがまとまるというものでもなくて、(そのドラムに)寄りかかってしまうわけだから、逆にそこからは細かいニュアンスって出てこない。

弦楽カルテットとか今回のような編成の時は、そうとうしっかりしないとリズム・キープもまともにできない。だからみんな避けてしまうけど、あえて大変なところに今回は挑みました。

ポップスの人がよく思い浮かべる弦楽カルテットは、ビートルズの「Yesterday」のバックとか(笑)そういう清らかなイメージかもしれない。でも、実は「Kids Return」のようにゴリゴリしていてすごく大変なリズムもある。中途半端にリズムが入っているものよりずっとワイルドな感じが出るんです。そういう方向でやってみたんですよ。

 

ー4分の5拍子の曲もありますね。

久石:
「Les Aventuriers」ですね。先日のリサイタルではやりませんでしたが、11月の赤坂Blitzではやりますよ。そうとう(演奏が)厳しいから(笑)。

ソロ・アルバムの弦の音はずっとロンドンで録ってきていたので、日本で作ったのは本当に久しぶりなんです。それで、ちょっと”浦島太郎状態”になっちゃった曲です(笑)。つまり言い方はへんなんだけど、日本の(弦の)人たちはうまいけど、リズムが違うんですよ。僕が弦に託しているのは、打楽器扱いの弦みたいなリズミックな部分が大きいんです。そういうニュアンスが当たり前と思っていたんですが、それなりの訓練をしないと無理なわけで…。そのあたり、思いのままにはできなかったのでちょっと残念でしたけどね。

 

 

●到達点でもあり、出発点でもある作品

ー6曲めはまったくピアノだけですが。

久石:
「Rain Gaeden」ですね。クラシックですよね。意外なんだけど、フランス印象派みたいなピアノ、ドビュッシーとかラベルとか、あのへんのラインを今まであまり自分の作品に取り入れていなかったんです。好きなんだけど、なぜかなかった。

ただこのところ個人的に、練習のためにラベルとかクラシックをよく弾いているんです。ラベルのソナチネなんか弾いていると、自分がすごく好きだということがよくわかる。その中で出てきたアイディアで、たまたまこういう曲ができたんです。

次のアルバムでは、こういった響きの曲も少しずつ増えてくるんじゃないかな…という予感はしていますね。すごく大事な曲です。12月のコンサートは、この曲をしっかりとピアノ・ソロでやる予定です。

 

ーアルバムを作り終えた、感想をひとことで言うなら?

久石:
このアルバムは、今までやってきたことの到達点でもあり、同時に出発点みたいな感じです。たとえば、作曲家として書いた弦のスコアはおそらく今までの中で最高だと思う。本当に3段階ぐらいレベルアップした感じがします。もちろん全部過渡期だけどね。安全を狙うというよりは攻撃的な弦を書けたから、それがすごくうれしかったですね。

細かいところまで考えれば、自分が狙っていたところが100%うまくいったとは言い切れない部分もあるけど、アルバムとしては100%うまくいったと思う。その中で課題はいくつか残ったので、それは次の時にチャレンジしますよ。

 

 

●スコアの上にメロディが”見えて”くる

ーコンサートのアレンジも、ご自身でなさっているんですか?

久石:
1曲残らず全部やるよ。だから、大変なんです。筆圧が強いから、(楽譜を書いた後は)ピアノなんて弾けない状況の手になる。コンサート直前まで書いてたから、死にそうになったよ(笑)。

ホントは大嫌いなんだけどね、スコアを書くのは。学校で放課後に残されて宿題をやっているような感じで、悲しくなりますよね。できるだけ逃げているんだけど、スコアに没頭して入り込んじゃった時には、本当にメロディが絵みたいに見えてくるんですよ。だから、書いている瞬間には「世界でいちばん俺がうまいな」と思いながら書いてますよね(笑)。また1時間後に「ダメだオレ、才能ないかもしれない」となったりしながら。

 

ーBunkamuraオーチャードホールのリサイタルも拝見したのですが、フル・オーケストラの音に感動しました。

久石:
オーケストラって想像以上におもしろいと思います。

 

ーコンサートって、いい音がしている時は演奏している人もすごくカッコよく見えますよね。

久石:
そうだと思う。アレンジがよくない場合、メロディが全部第1バイオリンにいってしまって、演奏者は大勢いるのにひとりしか動いていない…みたいな光景もあるじゃない(笑)。だけど、メロディがいろんなところにきちんとあって、必然性さえあればオケってすごく美しく見えるんですよ。

それにコンサートって、その時の編成や雰囲気で同じ曲でもまったく違う演奏になりますよね。次の11月のコンサートでも、「今回の演奏を聴いておかないとヤバイよ」という部分を、ちゃんと出すつもりです。

(KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年12月号 No.143 より)

 

 

久石譲 『PIANO STORIES 2』

 

 

 

Blog. 「千と千尋の神隠し 徹底攻略ガイド 千尋と不思議の町」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/01/20

映画『千と千尋の神隠し』公開にあわせて出版された特集本です。映画の見どころ解説から、宮崎駿監督・鈴木敏夫プロデューサーのインタビューはもちろん、声を担当したキャストインタビューも収められています。またスタッフインタビューでは、音楽を担当した久石譲はじめ、作画・美術・音響スタッフなどのインタビューもたっぷり収録されています。

 

 

「毎回、挑戦の連続です」

音楽 久石譲

『風の谷のナウシカ』以来、宮崎作品の音楽を一貫して担当。北野武監督らの映画にも音楽監督として参加する。

 

ートラックダウン作業中だそうですが、今、作業されていたのは、どんな場面ですか?

久石:
映画の冒頭に近い、人気のない街を千尋がさまようシーンで流れる曲です。

ーずっと同じフレーズが流れているようんですが。どういう作業なんでしょう。

久石:
その一つ一つが微妙に違うんですが、わかりますか?

ー実はあまりよくわからなかったんですが(笑)。

久石:
木管楽器の音をほんのわずかだけ出し入れしていたんです。今回はコンサート用のホールで、管楽器も弦楽器もそれぞれにマイクを立てて、同時に演奏して収録したんですが、管楽器のマイクにも弦楽器の音がわずかに漏れて入っている。そのために、例えば木管楽器の音を大きくすると、別の楽器の音も若干大きくなってしまう。だから、微妙な調整でベストのバランスを探していたんです。

ー全部の楽器を別々に録音しておけば、そうならないわけですね。

久石:
でもそうすると、ホールの音の響きの良さが失われてしまう。今回は響きの良さを選択したわけです。なんとなく聞いているだけでは、気が付かないことですが、こうしたことの積み重ねが、最終的な音楽の仕上がりを決定するんです。

ー宮崎監督とのコンビはこれで7作目。

久石:
毎回、挑戦の連続です。今回は、ガムランやエスニックな打楽器など、とてもオーケストラといっしょに奏でるようには思えない楽器を大胆に使っています。それに6.1チャンネルのドルビーサラウンドという、従来の5.1チャンネルよりもさらに進歩した、アニメ映画では初めての試みにも挑戦しているんです。

ー昨年、音楽映画『Quartet/カルテット』で、監督を経験されましたね。

久石:
実は何年も前から映画制作のオファーはあったんですが、中途半端なものを作ることはできないと思い、ずっと躊躇していたんです。でも、音楽だけでは表現しきれないものを自分の中に抱えていた。それが’98年に長野パラリンピック開会式を演出したことなどで、演出という仕事に手ごたえを感じるようになり、監督をやることになりました。

ー監督という仕事を経験したことは、その後の映画音楽作りに影響しましたか?

久石:
何よりも、監督という立場の気持ちがすごくよくわかるようになった。『千と千尋』でも、このシーンからこのシーンまで音楽が入るという指示があるとしますね。これまではその中で、いかに映像と音楽がカッコよく結びついているかという見方だった。それがこのカメラアングルが意味するものは、とは、なぜ人物がこの方向から入ってくるのかといった意図が、とても良くわかるようになったんです。そうなると、このシーンでは監督の意図を妨げないように、曲想を押さえ気味にしようとか、ここはさらに盛り上げようとか、そういう、より繊細な映画のための曲作りができる。監督を経験したことは、音楽家としてとてもプラスになったと思います。

ー『千と千尋』の作業の後は何を?

久石:
福島で7月20日から開催される「うつくしま未来博」で、大スクリーンを使って上映される、日本初フルデジタル撮影の実写映画『4 MOVEMENT』の公開準備に入ります。

(千と千尋の神隠し 徹底攻略ガイド 千尋と不思議の町 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「家庭画報 1998年4月号」長野パラリンピック 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/01/08

雑誌「家庭画報 1998年4月号」に掲載された久石譲インタビューです。長野パラリンピックの内容になっています。

 

 

ライブな男たち 第4回
久石譲 作曲家

長野パラリンピックに次代の「希望(HOPE)」を見る

この記事が出るころには、すでに長野パラリンピックは終演している。しかし、ある人はこんなことを言っていた。

「オリンピックよりもパラリンピックのほうがはるかに面白いですよ」

「えっ?」

「薬物を使うという嘘がそもそもないし、僕には二本足で滑降するよりも、一本足で速く滑降することのほうがよっぽどすごいことに思えてしまう。一度、目の当たりにしてごらん、本当にすごい迫力だよ。あの情熱といい、あの純粋さといい、オリンピックのようなコマーシャリズムとも無縁だし、スポーツの本来あるべき姿を見る思いだね」

そのパラリンピックが今、まさしく幕を開けようとしている。パラリンピックは体に障害をもつスポーツ選手のオリンピックで、下半身麻痺という意味の英語、パラプレジアとオリンピックをあわせた造語である。そもそもパラリンピックと名称され、オリンピックと同じ場所で開催されるようになったこと自体が近年のことで、1988年の夏季ソウル・オリンピックが最初だった。しかし、歴史が浅いからなのか、パラリンピックの認知度はおそろしく低い。

「三年前、パラリンピック組織委員会から話があって引き受けたとき、僕の周囲はそういう大会があるんだといった表情でした。決して世に知られた大会ではないので話題にも上らなかった。総合プロデューサーになってからは、少しでも知ってもらえるように、とにかく知名度を上げることに努力してきました」

久石譲さんは作曲家だ。宮崎駿監督の『もののけ姫』、北野武監督の『HANA-BI』、それに大ベストセラーになった瀬名秀明さんの小説を映画化した『パラサイト・イヴ』、いずれの映画も久石さんが作曲した。彼が携わる映画は次々に大ヒットしているが、別に映画音楽中心の作曲家ではない。アーティストとしてソロアルバムをコンスタントに出しているし、今年は弦楽四重奏とのアンサンブルによるコンサートツアーも予定している。

その久石さんが、今回は長野パラリンピックの総合プロデュースをしている。具体的には、テーマ曲の作曲、開会式、閉会式、各競技の表彰式、そして開会式の前、二日間にわたって催す前夜祭コンサート。こうした仕事は初めてだ。

「実は、最初は長野パラリンピックのテーマ曲の作曲という依頼だったんです。その時に、あっ、これはちょっと、ただいい曲を書けばいいっていう問題じゃないと思い、しばらく考えさせてほしいと返事したんです。半分断ろうと思っていたくらいでした。それまで地道にボランティア活動をしていたわけではないし、いきなり障害者のスポーツに関わるには、ちょっと重かった。三か月ぐらい悩みましたね。自分がやるべきかどうか考え抜きました。でも、パラリンピックのビデオを見ているうちに、僕も含めてですが、何かこう、垣根があることに気づいたんです。つまり、体に障害を持つ人と持たない人との間の垣根。その垣根は、自分の意思で越えていかなければいけない、越えることがいかに大切かということに気づいたんです。それまでの僕の生活は、障害を持つ人とあまり関わりがありませんでしたから、まず慣れていない。慣れていないから、障害者を神棚に上げるように、逆に大事にしすぎてしまう。それは障害者だけではなく高齢者に対しても同じことがいえると思うんです。生活を分離させてしまう。でもそれは、嫌いだからというのでも、見たくないからというのでもなく、どういうふうに付き合えばいいのかわからないというのが正直な気持ちだと思うんです。この仕事を通して、自分が変われるかもしれない、そんな期待を抱いて、迷いにピリオドを打ちました。また、僕の仕事への考え方は、オール・オア・ナッシング。つまり中途半端な関わり方はしない、するなら完璧にきちっとするし、しないなら何もしない。だから引き受ける時は、テーマ曲をつくるだけではなく、スタッフとして参加しますと返事をしたら、ぜひプロデューサーをと言われて、僕にできることでしたら引き受けますとなったわけです」

総合プロデューサーになり、まず取りかかったのは、大会を演出する上でのコンセプトづくりだ。何を伝えるのか、それを伝えるためにはどうしたらいいのか。最後には、ひとりひとりの気持ちの中に愛や平和といったものを感じてもらえればと考えた。そしてつくったコンセプトが「HOPE(希望)」だった。六年前、ロンドンに住んでいた久石さんが、絵画の殿堂テート・ギャラリーで見た19世紀の英国の画家、ジョージ・フレデリック・ワッツの『HOPE』という絵画をモチーフにしている。沈んだ色調のブルーとグリーンの宇宙空間の中に地球が描かれ、少女が打ちひしがれた姿で地球に腰掛けている。少女の目には包帯が巻かれ、手には一本の弦だけをかろうじて残したくたびれた竪琴がある。

 

誰がどう見ても絶望的な状況なのに、絵画の中の少女自身は希望を失くしていない。生きているその姿が希望なんです。

 

「11枚目のソロアルバム『地上の楽園』のコンセプトを探していたときに出会ったのが最初でした。その頃、日本はバブルの絶頂期でした。初めて見た時、随分暗い印象でしたが、何か自分の中に響くものがあったんです。最初は警鐘の意味もあって、自分の気持ちの中で大きかったんですが、今はここまで日本が暗くなってしまい、むしろ絵画からは前向きさを感じるようになりました。これは決して絶望の絵画ではありません。絵画の下には、絵画自体が希望を表わしているのではなく、この少女自身が希望であるというコメントが付記されています。目が見えず、しかも切れそうな細い一本の弦。果てしなく絶望的に見えるけれども、最後まで希望を求めている。この少女自身が希望というコメントに、受動的ではなく能動的なものを感じたんです。誰がどう見ても、悲劇的な状況なのに、少女自身は希望を失くしていない。あの姿で生きていることが希望なんです」

久石さんは、この絵画のブルーとグリーンの色を開会式の基本色に選んだ。そして、この絵画のコピーを持ってアーティストひとりひとりに会い、パラリンピック支援アルバムづくりへの参加を頼んだ。

「この絵画を共通項にして、絵画から感じることをそれぞれに表現してもらいました。ただ、これはあくまでもトリビュート、応援歌ですから、デカダンスになったり、後ろ向きにだけはなってほしくないとお願いしました。昨年の10月末にアルバムづくりを思い立ち、ツアーの合間に交渉。レコーディングは12月1日に始まり、今年の1月の中旬に仕上げましたから、時間はまるでなかった。僕は基本的に音のプロデュースだから、レコード会社をどこにするとか、資金集めはどうするかとか、すべてをプロデュースしたのは今回が初めてでした。すさまじい労力でしたね。ただ、予想していた以上に皆さんが協力的で、前向きに参加してくれたのがすごく嬉しかった。日本でトリビュート・アルバムをつくるのはすごく難しいんです。所属のレコード会社のことや契約のことがあって、昨年の春先に別の企画で一度試みたことがあったんですが、つぶれてしまいました。でも一音楽家としてどうしてもやり通したいと思うようになったんっです。というのも10月だったんですが、ツアー先でたまたまある晩、テレビのドキュメンタリー番組を見ていたら、清水一二さんという、20年間もボランティアでパラリンピックを撮り続けているカメラマンを取り上げていたんです。僕もよく知っている人なんですが、その彼の姿にすごく共鳴したんです。ここまで力を尽くしているのかと……。僕なりに3年間積み重ねてきましたが、まだ100%やりきれていないという思いがよぎって、何とか形にしよう、それが動機でした」

こうして「HOPE」という名のアルバムが誕生した。猿岩石、加藤登紀子、上田正樹、和太鼓の林英哲、ジャズの近藤等則、カウンターテナーの米良美一、チェロの藤原真理、ドリアン助川など、ざっと16名のアーティストたちの力が結集してできあがった。音楽のジャンルもポップスからクラシックまで、両方に精通している久石さんならではの、さまざまな試みがなされたプロデュースである。しかもアルバムは、実費を除いては全額寄付することになっている。障害者のスポーツ用具にあててもらいたいのだ。一枚のアルバムがより多くの人々にパラリンピックを知るきっかけになってほしい。アーティストたちにとっても、参加してよかったと思えるような結果になってほしい。そんなことを願っているという。

「『HOPE』をつくっている時ですが、何か見えない力みたいなものを感じましたね。もし自分の中に、野心や何かの思惑があったら、成功しなかったと思う。ひたすらやり遂げることだけを考えて、ピュアな気持ちで周囲にぶつかっていった。そしたら、周囲の人たちもそれに応えてくれた。ある時期を境に、いろんな人たちがどんどん手を挙げて参加してきてくれて、それにつれてテンションもどんどん上がっていった。何かの力が作用したんじゃないかと思った瞬間がありました」

今回の長野パラリンピックには、32か国から選手・役員を含めて1200名が参加する予定になっている。大会の運営に携わるボランティアの延べ人数は2500名。競技は、アルペンスキー、クロスカントリースキー、バイアスロンのほかに、パラリンピックならではのアイススレッジスピードレースとアイススレッジホッケーの合計五競技で、さらに障害ごとに細かく分かれて34種目を数える。

「21世紀はもう物とか金とか、物質的なことでは幸せになれないだろうと思うんです。こうして今、社会が抱えているさまざまな矛盾や問題は、大概が解決がつかないままに持ち越されていくのだろうけれども、私たちはそうした矛盾を抱えたまま生きていくしかないわけです。でも、受け身ではなく、自分から探しにいくと思うか思わないかで生き方は変わると思う。オリンピックは何だか21世紀にはつながらないような気がするんです。むしろパラリンピックが、これから自分たちが成熟していく上で必要な体験をさせてくれるいいきっかけの場になっていくのではないかという気がします」

(「家庭画報 1998年4月号」より)

 

 

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2020/01/02

2019年大晦日「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」が開催されました。2014年から6年連続になります。

今回のプログラムはまさにアメリカン・プログラム。アメリカ合衆国の音楽史をたどるような、アメリカの作曲家、アメリカで生まれた音楽、アメリカの歴史とともに演奏されてきた作品たち。そして、久石譲の音楽とも共鳴しあうような作品たちが選ばれています。 “Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」 コンサート・パンフレットより” の続きを読む

Blog. 「レコード芸術 2019年10月号」久石譲指揮 ベートーヴェン交響曲全集 Viewpoints 内容

Posted on 2019/12/12

クラシック音楽誌「レコード芸術 2019年10月号 Vol.68 No.829」に、『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス』が5ページに渡って取り上げられました。楽しむためのポイントや聴きどころなど、わかりやすく、そしてたっぷりと語られています。久石譲本人ではないクラシック通な専門家による視点という点でもとても貴重です。

「Viewpoints」連載は、毎号ホストの満津岡信育さんをホストに、ゲストを迎え、主にひとつのディスクを取り上げて深く掘り下げ語りつくす、そんなコーナーです。

 

 

Viewpoints ー 旬の音盤ためつすがめつ 34 連載

ホスト:満津岡信育
今回のゲスト:矢澤孝樹

今月のテーマ・ディスク
ベートーヴェン/交響曲全集
久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス
〈録音:2016年~2018年〉
[EXTON (D) OVCL00700 (5枚組)]

 

① 猛烈に楽しい!! 血湧き肉躍るベートーヴェン

肝は”リズム”!その快感にひたすら前進!

満津岡:
今日は、久石譲が指揮したベートーヴェンの交響曲全集を取り上げます。今まで単売されてきたCDですが、交響曲全集の完結編にあたる第4番&第6番のリリースに合わせてボックス化された形ですね。演奏団体は、録音された時点では「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」という名称でしたが、資金的な問題もあって、今後は「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」という名称で活動していくことになり、全集もこの名義になっています。私は本誌の交響曲の月評担当なので、一枚ずつ聴いてきたのですが、とにかくどれもとても刺激的な演奏だと思いました。

矢澤:
同感です。7月18日、紀尾井ホールで第5番と第7番を初めてライヴで聴き、瞠目しました。とにかく、猛烈に楽しかった(笑)。誤解を恐れずに言うなら、エンタテインメントとしての、活劇映画的ベートーヴェン、という印象でした。

満津岡:
コンサート、私も行きましたが、確かにとても楽しいコンサートでした。ほぼ全員が立奏していて、クルレンツィスとムジカ・エテルナかと思いましたよ(笑)。しかも客席には女性が多く、かつ客層も若かった。

矢澤:
以前の写真は座って弾いていますから、立奏に関してクルレンツィスの影響はある気がしますね。さきほど活劇映画的、と申し上げましたが、いわばハリウッド映画やジブリのアニメ映画のように、次から次へとカタルシスが連続し、指揮者が面白いと感じる箇所にくれば「今、ここが面白いぞ!」と強調し最後まで飽きさせない。客層の違いはこの点にも起因している気がします。また彼らは「ベートーヴェンは、ロックだ!」というキャッチ・コピーを掲げていますが、ロックといっても意味するところはいろいろあるものの、ここでは、「このベートーヴェンの肝は”リズム”であり、その快感に正直に、ひたすら前進する音楽である」だと思います。紀尾井ホールの演奏ではそれを心底実感しましたが、全集ボックスを聴き、改めて久石さんの意図を再確認できました。

満津岡:
小編成のモダン・オーケストラでのベートーヴェンは、スタイルとしては、もはや一つのパターンとして確立されているといってもいいと思うんです。しかしこの久石さんのベートーヴェンの場合、いわゆるHIPなどの「ピリオド的成果」も踏まえてはいるけれども、その「スタイル」を借りようといった意識は全くないように思います。

矢澤:
あくまで「手段」ですね。

 

「リズムの繰り返し」でここまで面白く出来る!

満津岡:
久石さんは、作曲家として、「リズム」をとても大切にしていると話していて、同時に「自分はミニマリストだ」とも語っています。私は、この2つが、今回のベートーヴェンの重要な切り口だと思います。

矢澤:
同感です。

満津岡:
まず「リズム」についてですが、ベートーヴェンの交響曲は「リズム・パターン」がしっかりしているので、強弱や緩急というより「リズムの繰り返し」で面白くできることを久石さんはよく承知していて、かつ、そこを徹底的に突き詰めることで、新鮮な感覚があふれ出ています。

矢澤:
それについて久石さん自身が、ライナー・ノーツの中で、面白いことを書かれていますね。映画音楽ではセリフも音楽も両方聴かせるために、メゾフォルテやメゾピアノを重視する。しかし、ベートーヴェンの音楽はフォルティッシモやピアニッシモ、スフォルツァンドが特徴的で、中間の曖昧さがない、と。つまり、「ロマン的」でなく、音の運動、「構造」としてのベートーヴェンに迫ろうという意識がある。こうしたアプローチはHIP系ではもちろん多々あり、アーノンクールもノリントンも、ロマン派的「神話」を音楽から引き剥がし、「構造」から見直した。久石さんの姿勢もそこにシンクロしますが、久石さんの場合はご自身が作曲家として感じる「ベートーヴェンの”リズム”の面白さ」を、いわば「久石流」にオーケストラに反映させることに主眼が置かれている。

満津岡:
まさに。この”リズム”の強調は、彼のベートーヴェンの最大の特徴でしょう。

 

そして「ミニマル」は「ドラマ」と相性がいい!

満津岡:
もう一つのキーワードの「ミニマル」についてはどう思われますか。

矢澤:
同じ「ミニマル」といっても、70年代までのライヒやテリー・ライリーらのミニマルと、80年代以降の世代、つまりジョン・アダムズやマイケル・ナイマンらのそれは違いますよね。70年代は、漸次的変化のプロセス自体に焦点が当たっていた。けれども80年代以降は、明らかに「ドラマ構築手段としてのミニマル」になっている。

満津岡:
まさに。

矢澤:
ナイマンの音楽は、ピーター・グリーナウェイ監督の映画で有名になりました。『ZOO』など観るとわかりますが、反復セクションが突然切り替わる手法が、映画のドラマトゥルギーとうまくかみ合っている。グラスもライヒも80年代以降どんどんドラマティックになっていきますね。ミニマルは、ドラマトゥルギーと相性がいいことが「発見」されてしまった。久石さんは、非常に美しい旋律を創る映画音楽作曲家であり、同時にミニマルの手法に長けた現代音楽の作曲家でもある。メロディ・メーカーにしてミニマリスト、最強です。よって指揮者としては、印象的な旋律が多いベートーヴェンの音楽に内在するミニマルなパワーをリズムによって駆動させ、ドラマティックに表現することでオーケストラを乗せ、かつ聴衆を魅せる。

満津岡:
そういった特徴は、やはりすごく感じますよね。

矢澤:
このアプローチが、第5番や第7番といった元々パワフルな作品で発動するのは納得ですが、《田園》のような「美メロ」曲でも、違った形で生かされるのが面白かった。聴いていて「《田園》って久石さんの曲だっけ?(笑)」「これは《菊次郎の夏》?」「まさかの《ソナチネ》?」みたいな(笑)、そんな感じがそこここに。「美メロミニマル」ですよ。

満津岡:
ベートーヴェンでそういう感想が出てくるのがそもそも凄いですよね(笑)。確かに《田園》でも、リズム・パターンの繰り返しがとても効果的に使われています。私は、最初に第3番を聴いた時に、第3番では、第2楽章のテンポが速過ぎて、全体的に軽い感じがしたこともあって最終的には準推薦をつけたのですが、今回全集のブックレットに、久石さんのロング・インタヴューが掲載されていて、葬送行進曲に言及して、「でも棺おけを担いで、そんな遅いテンポで歩けますか?」という一節があって、なるほどそういう発想かと感服しました。

矢澤:
それも「映画的」、「物語的」な発想ですよね。伝統的”クラシック思考”の虚をつくというか。

満津岡:
ええ、正直驚きます。

矢澤:
告白するなら私は登場当時、少し色眼鏡で見ていたのです。でも聴くにつれて「あ、これは面白いぞ」と思い始めました。満津岡さんが例に挙げられた第3番で言うなら、終楽章の変奏曲で、ヴァイオリン・ソロになる部分がありますよね。

満津岡:
ジンマンが挑戦的にやり始めてから、やる人が出てきた箇所ですね。

矢澤:
そういう新しい解釈も、ちゃんと取り入れている。

満津岡:
インタヴューでも、以前はブライトコプフ版で振っていたけれども今回はベーレンライターの新版に準拠してスコアを読み直したと話しています。つまり独自の勝手なイメージで演奏しているのではなく、ベートーヴェン演奏史の様々な手法を知った上で、「自身のベートーヴェン」を表現しているんですね。

矢澤:
映画的、物語的な発想を、熱意ある研究で支えている。久石さんは、ピリオド楽器演奏のスタイルや版問題、あるいはノリントンが提起したメトロノーム問題などに関しても、参照して咀嚼し、使いこなしている。得た情報を「モダン」「HIP」といった枠内ではなく、「自分の表現のための手段」として用いている。

満津岡:
よく「なんちゃってピリオド」なんて揶揄されるように、現代は、室内オーケストラでヴィブラートを抑えてベーレンライター版を使えばそれがある種の免罪符のように思われるところもある気がしますが、久石さんと彼のオーケストラには、そうしたスタイルへの依存とは無縁の、彼ら独自のベートーヴェンがしっかりとある。

矢澤:
一方でこうしたハイブリッド演奏は、もしかしたら「軽い」と評されるかもしれません。しかしその「軽さ」を、様々な演奏の潮流を柔軟に受け入れる軽やかさと肯定的にとらえたい。そこで私が思い当たるのはクルレンツィスです。

満津岡:
意外な名前が出てきますね。

 

②「伝統の呪縛」から離れた場所で

もしやこれは? のクール・ジャパン

矢澤:
クルレンツィス、近々、ベートーヴェンの交響曲集をリリースするそうですね。きっとすごいことになるのでしょうけれども、今回、久石のベートーヴェンを聴いて、クルレンツィスは──これまでの演奏を聴く限り──やはりヨーロッパの「伝統」を背負った指揮者だと感じました。伝統との戦いが、やはり確実にある。

満津岡:
それはあると思います。「伝統」あっての「革新」ですから。

矢澤:
けれど久石さんの音楽には、そうした軛(くびき)から切り離され存在している。これはもしかしたら「今の日本」だからかもしれない。様々な情報がフラットに飛び込む一方、伝統の呪縛もしがらみもない。どこまでも「自身の考え」で対象と対峙できる。

満津岡:
なるほど。

矢澤:
もしかしてこれこそ「官製のお仕着せ」でない「クール・ジャパン」かな、と思ったりもします。話は飛びますが、最近、大英博物館で日本の漫画展が行われました。画期的な漫画展で、公式図録の表紙は野田サトルの『ゴールデンカムイ』。日露戦争直後の北海道を舞台に、生き残りの兵士たちとアイヌの人々が繰り広げる冒険活劇です。ヒロインであるアイヌの女の子が図録の表紙を飾っている。この漫画ではアイヌや北方少数民族の文化が入念に描かれていますが、日本における民族の多様性を描く漫画が、英国の博物館にちゃんと評価されているわけですね。また図録を観るとセレクションが秀逸で、中村光『聖☆おにいさん』も一話まるまる載っている。イエスとブッダが、日本の立川でヴァカンスを楽しむ話ですから、普通に考えてヨーロッパの人たちには衝撃でしょう(笑)。こんな漫画は、日本でなければ絶対に考えられない。でも、私はクリスチャンですが、あの漫画はOKです。異なる宗教が仲良く共存している、今の世界の現状を考えればこれって理想郷ですよね。私は、久石さんのベートーヴェンにも、こうした作品と共通する、特定のイデオロギーに呪縛されない柔軟な寛容性と、それを信ずる意志の強さがあると感じます。

満津岡:
久石さん自身も、この演奏を日本だけではなく世界に発信していきたいと言っていますからね。世界でどう受け取られるか、私もすごく興味があります。

矢澤:
日本では、本誌の月評で満津岡や金子建志さんが高く評価されたことが、すごく重要だったと思います。普通に考えれば「重々しさがない」「精神性が足りない」「これはベートーヴェンじゃない」とかいって簡単に切って捨てられる危険性も十分にあった。でも軒並み「特選」ですから!

満津岡:
日本は、どうしてもクラシック音楽の聴き方として保守的な面がありますからね。

矢澤:
ヨーロッパの人々が、久石さんのベートーヴェンをどう感じるか。『聖☆おにいさん』じゃないけど、世界が「日本でないと考えられないものが出てきたね。これこそクール・ジャパンじゃない?」と言ってくれたら愉快ですね。

 

ロック・バンドの重い戦いと、楽し気なポップ・バンド

満津岡:
私がふと思ったのは、久石さんと彼のオーケストラは、立ち位置としては、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツカンマー・フィルのベートーヴェンに近いものがあるかもしれないということです。つまり、ベートーヴェンの精神性に迫る方向というより、音そのものを純粋に楽しむ姿勢があるように感じます。ベートーヴェンは面白い、現代にも通じるものがありますと、そういう方向性でしょうか。ロックにも通じているパーヴォはN響の首席指揮者就任時の記者会見で「日本の人たちに、どうやってクラシック音楽の魅力をアピールしますか?」という質問に「クラシックはすごく面白いんですよ。それを演奏を通して表現していきたい」と答えていました。久石さんも、基本的にはそういう立ち位置ではないかと思います。紀尾井での聴衆の若さが、それを証明しているようにも思います。

矢澤:
同感ですね。しかし、もしかしたら、パーヴォ・ヤルヴィ以上に自由かもしれません。久石さんと彼のオーケストラには、現代の「ポップ・バンド」的な精神を感じるのですよ。「ロック・バンド」じゃないの? と言われそうですが、現在はロックよりもポップの方が自由だと思っていまして。というのも、ロックは今や長い歴史を刻み、様々な重みを背負ってしまっている。むしろポップの方がのびのび自由にやっている。レディオヘッドよりもエド・シーランの方が楽し気に自由に(笑)。もちろん優劣の問題ではないですが。

満津岡:
なるほど、面白い考え方ですね。

矢澤:
で、やはりクルレンツィスとムジカ・エテルナは「ロック・バンド」なんですよ。クルレンツィスはロックです。しんどいほど「重い戦い」をしている。レディオヘッドと同じで、それが尊いのですが。ですから、久石さんの解が唯一である、と言うつもりはもちろんありません。重い戦いも、「ロック」も必要なんですよ。

満津岡:
パーヴォとドイツカンマーには、映像によるベートーヴェンの交響曲全集がありますが、ロック・バンドよりは、ポップ・バンド寄りかもしれません。

 

③ ベートーヴェンの”精神性”って?

ロックのリフのような《第九》での伴奏音型

矢澤:
となるとベートーヴェンにおいてはどうしても、「精神性」という厄介な問題と向かい合う必要が出てくる。フルトヴェングラーやクレンペラーのベートーヴェンに対し、久石さんがこの点にどう向かい合われているか? 例えば《第九》では、この軽薄な私ですら(笑)、久石さんたちのアプローチで完全に汲み尽くせない何かがあるように感じたりもします。

満津岡:
いや、私は逆に、一つの可能性を突き詰めた表現として、あの《第九》はありだと思いました。実はたまたま同じ月の月評にアントニーニとバーゼル室内管の《第九》も出たのですが、なんと久石さんの《第九》、あのアントニーニよりも演奏時間が短い!

矢澤:
それは史上最速級ですね(笑)。

満津岡:
しかも、本来重々しく処理される伴奏音型も、ほとんどロックのリフのような感じです。私は非常に面白く聴いて、なるほどなと。これはこれでありだと思いました。

矢澤:
もちろん、彼らの手法が極限的に突き詰められているのは確かですね。

満津岡:
第3楽章も、テンポは速いけれど歌心はとても感じられるし、ヴァイオリンの装飾的な音型が、あのテンポで演奏されるとふわふわ漂っているような感じで気持ちがいい。

矢澤:
《田園》同様、「美メロミニマル」かもしれません。そうおっしゃっていただくと、私はまだ《第九》神話に囚われているのかも(笑)。聴き直してみよう。

満津岡:
こんな手もあるのかということが随所にあって、非常に感心しました。それにしても、矢澤さんは先ほどクール・ジャパンだとおっしゃったけれど、日本からこうした演奏史上前例のないベートーヴェンの交響曲全集が出てきたのは、やはりすごく意義があると思います。

矢澤:
日本はもちろん、世界的に見ても、かつてない全集でしょう。

満津岡:
先月、古典四重奏団によるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集でもやはり世界でも類例がない、かつ日本でしか生まれえないのではという話が出てきました。久石さんのベートーヴェンにも同様のことが言えると思います。

矢澤:
あのショスタコーヴィチ、私も自筆譜を演奏と共にたどるような感銘がありました。あるいは、ラ・フォンテヴェルデのモンテヴェルディ、そしてこの久石さんのベートーヴェン……近年の日本人による「全集」、それぞれに異なりますが、かつて振りかざされた「精神性」とは異なる意味と価値を持つ録音が増えているようにも思います。

 

痛快極まりない!出色の第8番

ーところで、オーケストラは常設ではありませんが、アンサンブル等の技術面についてはいかがですか。

満津岡:
基本的に一発録りなので、アンサンブルとして多少傷があるのは仕方がないところ。しかし、在京オケのトップ・クラスのメンバーが集まっていますから、技術的には極めて高いのは間違いありません。しかも、すでにベースとしてピリオド的な手法が個々のプレイヤーに浸透しているので、久石さんの下でリズムを重視したベートーヴェンをやろうとなった時に、彼らが個々に蓄えてきたピリオド的なノウハウがうまく活かされているように思うんです。ライナー・ノーツにも「ヴィブラートはやめようという話はなかった」と書かれていますが、言わずともそうなるということですね。

矢澤:
先程お話に出た「なんちゃってピリオド」時代も、一種デトックスとして必要で、それによって育まれた土壌があるということなのでしょうね。その意味で久石さんのベートーヴェンは、時機を得ての登場だったかもしれません。

ー特に印象的だったのはどの交響曲でしょう。

矢澤:
どれも面白かったのですが、特に私は第8番が面白かった。一種古典帰りの作品ですが、従来の「精神的」ベートーヴェン路線では扱いが難しい。その後のアーノンクールやブリュッヘンの演奏は、古典回帰と見せかけたアヴァン・ギャルドだと証明しました。それが久石さんたちの演奏では一巡りして、ノリの良い面白い曲だとストレートに楽しめる。こういう第8番はあまりなかったのでは。強いて言うならシャイーが近いかな。

満津岡:
私も第8番はすごく面白かった。昔はベートーヴェンの中では少し軽く見られていた交響曲でしたが、場面転換が鮮やかで、上質なスラップスティック・コメディのような感じがありますね。

矢澤:
確かに。終楽章なんて、実に痛快で。

満津岡:
もちろん、他の交響曲も質が高い。

矢澤:
第7番の、おそらく久石さんのベートーヴェンでベースになる曲ですね。「リズムの権化」なわけですから。演奏も象徴的だと思います。

満津岡:
第7番の解説では「第7番は、ベートーヴェンがキー設定を間違えたと思っています」とも言っていますよね。こんなこと、考えたこともなかったですよ。

矢澤:
ベートーヴェン崇拝者にしてみれば「何てことを言うんだ」と怒ってしまうような話ですが、言ってしまえる強さ(笑)。

満津岡:
しかも、作曲家の目から見て、きちんと理由も挙げていますしね。

矢澤:
その確信が演奏に説得力を与えていますね。私はこの全集を、レコ芸読者の方々がどう聴くか、とても楽しみです。ぜひ、まっさらな気持ちで、聴いてみていただきたいですね。私も《第九》をもう一度虚心坦懐に聴きます(笑)。

満津岡:
今日はありがとうございました。

(レコード芸術 2019年10月号 Vol.68 No.829 より)

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/12/11

2019年公開映画『海獣の子供』、関連書籍「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」に収載された久石譲インタビューです。なお、「海獣の子供 劇場用パンフレット」にも同内容が収められています。

 

 

音楽 久石譲 『海獣の子供』に纏わる第十一の証言

音色がカラフルに飛び込んでくるように

ぼくにとっては、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』以来6年ぶりのアニメーション映画となります。アニメーションというと、ぼくの中では宮崎駿さん、高畑勲さんの存在が大きくて、なかなか気持ちが動かなかったところもあり、極力、依頼をお断りしていたんです。でも、この作品に関しては、ずいぶん前からお誘いをいただいていて、その熱心な声に打たれましたし、映像を拝見したらとても絵が美しい。余計なこだわりに振り回されることもなく、作品に向きあうことができました。

本質的にはいい意味でのファンタジーなんじゃないかなと思います。ストーリーだけを追うと、抽象的なところが多くて、正直、よくわからない。逆に、理解できないからこそ引き受けた部分があるといいますか。先の展開が容易に見える作品ではないからおもしろく観えましたし、一方で考えさせられる部分もたくさんあって、こちらの入り込む余地が十分ありました。そのあたりも今回、作曲の大きなモチベーションになっていますね。

スタイルとしては、徹底的にミニマル・ミュージックで通しています。一昨年からのNHKのドキュメンタリー(『シリーズ ディープ・オーシャン』)や去年、プラネタリウム(コニカミノルタプラネタリア TOKYO)の音楽を書いた頃から「この作品はミニマルでいける」と思ったら、ミニマルでブレずに書くようにしているんです。映画音楽では、メロディがあって、ハーモニーがあって、リズムがあるという手法が通常なんですけど、そういうスタイルから離れてもっとミニマル作曲家として先をいきたかったんです。ミニマルは変化が乏しくなってしまう可能性がありますけれど、多少コミカルに、エモーショナルになってもスタイルを変えずに最後までできたという点で、個人的にはとても満足しています。

シンセサイザーも使っていますが、そんなに分厚くしていない室内楽の形をとりつつ、それでいてしっかり鳴る方法をとっています。ハープや鍵盤楽器の響きを大事にしているところを含めて、最近の自分のやり方を通している感じですね。音色がカラフルに飛び込んでいくようになっているといいなって思っています。

基本的に、映画音楽って音楽を状況につけるか心情につけるかのどちらかです。でも、今回はそのどちらもやっていません。主人公の気持ちを説明する気も全然なかったし、海で起こる状況にもつけなかった。すべてから距離をとる方法をとっているんです。やっぱり、音楽が映画と共存するためには、そういう考え方を持っていないと、劇の伴奏のようになってしまってつまらなくなります。走ったら速い音楽、泣いたら哀しい音楽なんて、効果音の延長のようじゃないですか。

 

イマジネーションを駆り立てる作品

実は、作曲期間はすごく短くて、仕上げまでに3週間ほどしかありませんでした。2月にヨーロッパ・ツアーがありましたから、実際に作曲をしたのは昨年末から1月にかけて。アニメーションは実写に比べて倍以上の時間がかかりますから、時間的に難しいかなと恐れていたんですが、想像以上に順調にいって、1月中に録音を、ツアーから戻った3月にトラックダウンを済ますことができました。

今回は映画として一個の独立したいい作品に仕上がっていると思います。ひと言では言い表せないおもしろさがありますよね。観る人のイマジネーションをきちんと駆り立てるし、そういうアンテナを立てている人ほどおもしろく観られます。観るたびに徐々に感情が開放されていって、出会えてよかったという気持ちになっていくのではないかな。そういう作品だからこそ、音楽的にもほかにはないような、かなりチャレンジングなことをやっています。自分がベーシックな部分でミニマリストであることはよくわかっていますし、その大事にしているものを今いちばんやりたいやり方でやりきりました。きちんと表現できる場でやりきることができたという実感があるので、いろんな方にご覧いただけるとうれしいです。

取材・文=賀来タクト

※このインタビュー文章は、東宝映像事業部発行の公式パンフレットと同一内容になります

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より)

 

 

 

また、本書から、久石譲音楽にまつわるエピソードもあわせてピックアップご紹介します。

 

 

監督 渡辺歩 『海獣の子供』に纏わる第五の証言

音楽と音響によって広がった作品世界

ー久石譲さんの音楽を最初に聴いたときは、どう思われましたか?

渡辺:
作品の色合いがグッと増したな、と思いましたね。もちろん映像にも色がついているんですが、音楽の作用によって、作品全体の色が非常に鮮やかになった。それは開口一番、久石先生にもお伝えしました。加えて、作品内のカットやシーン、それまでバラバラだったものが音楽によって縫い合わされていく感覚もありました。シーン全体の雰囲気やキャラクターの心情を表しながら、決してそこにどっぷり浸かっていかない。客観的に捉えた音作りになっていて、その距離感が心地よかったです。久石先生にお願いして本当によかった!と思いましたね。もともとファンだったものですから、感激もひとしおでした。

ー監督から久石さんに音楽について注文はされたんですか?

渡辺:
いえいえ、お願いできるだけでありがたかったので、注文なんて滅相もない!……なんて言うと、何も考えてなかったみたいですね(笑)。実は最初の打ち合わせのとき、久石先生からうかがった音楽のイメージが、こちらの想像していた感じとかなり合致していたんです。久石先生も原作を取り寄せられて、最後まで読み込んでから打ち合わせに臨んでくださったので、その時点でハッキリとしたイメージを持たれていて。心情心理やストーリーを煽るようなものではない、ミニマルな方向性がいいのではないかと。それはまさに僕としても狙いの通りだったので、久石先生ご自身のイメージのままに作曲をお願いしました。完成した曲も素晴らしくて、ワクワクしましたね。仕事を忘れる瞬間でした(笑)。

ー映画全体の音響設計においても、音楽を含めた音のバランスが絶妙でしたね。

渡辺:
音響監督の笠松広司さんにお願いして、全体の音に関しては早めに青写真ができていたんです。「ここはSEのみで」「ここのセリフは強調して」「ここに音楽のピークが来るように」といった設計図は久石先生と打ち合わせをした段階で詳細に決めてありました。久石先生はセリフの位置まで計算して音楽を作られる方ですから、そのときすでに総合的な音楽の設計図もできあがっているんです。

ーダビング作業中、音響面で重点を置いたポイントなどはありますか?

渡辺:
僕から注文したのは、本当に微妙な部分です。SEの位置や音の絞り方とか、それぐらいですね。笠松さんも名だたる作品の音響デザインをやってこられた方ですからね。僕も音に関するイメージは一応あったつもりですが、こちらの想像のはるか上を行っていました。非常に深く作品を読み込んできてくださって、緻密なプランニングで全体の音を構築してくださいました。音数はそこまで多くはないんですが、じつに要領を得ているというか。音によってシーンの持つ意味が増幅したり、作品がどんどん立体的になっていくのを目の当たりにしました。すごい方でしたね。どことは言いませんが、最終的にセリフを取ってしまったところもあります。「音がここまで雄弁であるなら、セリフで説明するまでもないか」と。

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より 一部抜粋)

 

 

プロデューサー 田中栄子 『海獣の子供』に纏わる第十三の証言

ーこの作品において、田中さんを衝き動かしていた最大の原動力はなんなのでしょうか?

田中:
私は今この時代に、『海獣の子供』という作品を作ったこと自体に、すごく大きな価値があると思っているんです。プロデューサーとしてこの作品を世に届けることで、みんなに勇気を与えられるんじゃないかと。つまり、これほど生産性や経済性を度外視して、メッセージ性やアート性をとことん追求し、人間の表現力の可能性に懸けた作品づくりを会社として実現させるのは、きっと一般的にはありえないことなんです。でも、それは可能なんだ!と。

~中略~

ーでも、莫大なお金がかかるだけですよね。

田中:
もちろん!5年間にわたって大勢のスタッフに創作の場を提供し、その創造力を存分に発揮してもらうために、プロデューサーとして尽力しましたし、そこを評価してほしいという思いはあります。私個人の手柄ということではなく、こういう発想や思想、表現をプロデュースするという行為自体の社会的意義や価値を認めてもらわなくちゃいけない。そうじゃないと、『海獣の子供』みたいな作品は二度と作れなくなるから。

~中略~

ー音周りでも、田中さんのこだわりが発揮されているとか。

田中:
今回のキャスティングは、本当に自信作なんです! 芦田愛菜ちゃんは監督が指名して、石橋陽彩くんと浦上晟周くんはみんなの意見で決めましたが、それ以外の方はほとんど私が独断で決めました。オファーも直接させていただいて、我ながら珠玉の人選だと思います(笑)。今回のアフレコは、ブースのなかの声優に監督が付きそうという異例の収録方法で行われたので、私が収録卓を預かることになり、本当に緊張の連続でした。音楽の久石譲さんには、実は4年前からオファーをし続けていたんですよ。ことあるごとに状況をレポートして、4年越しにやっとお返事をいただけて、諦めないで本当に良かったと思いました。自らタクトを振り、何テイクもこだわって収録する姿がじつにタフでエネルギッシュで、まさに天才の仕事でしたね。曲を録り終わって「あとは笠松に任せた」と言って見せる笑顔がまたチャーミングなんですよね(笑)。音響監督の笠松広司さんは、久石さんが全幅の信頼を寄せる方であり、ウチの作品のほとんどを担当してくれている方です。今回はしっかりと音楽のメニューも作り、音響全体の舵取りをしてくださいました。最初は「この繊細な映像と音楽を凌駕するSEが果たして作れるのだろうか?」と、要らぬ懸念も抱いていました。でも、こちらの想像をはるかに超えるイマジネーションを駆使して、感覚に鋭く響く音作りをしていただいて、圧倒されましたね。そして、エンディングをかざる米津玄師さんの主題歌の素晴らしさ! こんな奇跡のコラボレーションが実現できて、本当に幸せな作品だと思います。

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より 一部抜粋)

 

 

原作・五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポでは、レコーディング風景が紹介されています。そこから「音楽収録は2019年2月に行われたこと」「楽器ごとに個別で音を拾うために、いくつかの部屋に分かれて中継しながら同時録音という手法がとられたこと」「久石譲指揮で映画シーンをモニターに流しながら行われたこと」「事前録音のシンセサイザーと合わせ、映像を観ながら確認作業が行われたこと」などがわかります。《映像に音が重なった瞬間、世界が立ち上がったような、まさに映画が誕生した瞬間に立ち会った気がしました》とコメントあります。

 

小学館HPにて本書ためし読み(パソコン閲覧13ページ/スマホ閲覧25ページ)できます。先にWeb公開された〈五十嵐大介×米津玄師スペシャル対談〉や、久石譲の音楽収録現場など模様を描いた「五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポ 」も見ることができます。

公式サイト:小学館|海獣の子供 公式ビジュアルストーリー BOOK
https://www.shogakukan.co.jp/books/09179299

 

 

レコーディング風景は久石譲メイキングインタビューでも見ることができます。

 

 

 

 

「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」久石譲インタビューは、「海獣の子供 劇場用パンフレット」にも収められています。ここでは最後に、パンフレットのほうから久石譲音楽にまつわるエピソードもあわせてピックアップご紹介します。

 

笠松広司 音響監督

音楽を軸において全体の音を構築したシーンも多い
ある種、音楽映画といっても過言ではない作品

久石さんの音楽もわりと早いタイミングで上がっていたので、音楽を軸において全体を構築したようなシーンもたくさんあります。つまり、音の構造の中心として音楽があって、そのまわりにいろんなものが追従していく。モノローグの位置とか、SEの鳴らし方とか。普段はそういう組み立てをやる時間がないままに終わってしまう場合も多いんですが、今回は音楽の美味しいところを極力スポイルしないように音を構築できました。誕生祭の場面はまさにそうですね。ある種、音楽映画といっても過言ではないくらいだと思います。

(海獣の子供 劇場用パンフレットより 一部抜粋)

 

 

 

 

 

海獣の子供 公式ビジュアルストーリー Book

アニメーション映画『海獣の子供』の真髄に触れる、数々の証言と、その軌跡。

【CONTENTS】

INTRODUCTION
VISUAL STORY ”序”

『海獣の子供』に纏わる第一の証言
原作/五十嵐大介 × 主題歌/米津玄師

COMICS / MAIN THEME
原作・五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポ
CHARACTER / PROP

『海獣の子供』に纏わる第二の証言
安海琉花役/芦田愛菜

『海獣の子供』に纏わる第三の証言
海役/石橋陽彩

『海獣の子供』に纏わる第四の証言
空役/浦上晟周

VISUAL STORY ”破”

『海獣の子供』に纏わる第五の証言
監督/渡辺歩

STORYBOARD

『海獣の子供』に纏わる第六の証言
キャラクターデザイン・総作画監督・演出/小西賢一

ROUGH SKETCH
KEY FRAME&LAYOUT

『海獣の子供』に纏わる第七の証言
CGI監督/秋本賢一郎

『海獣の子供』に纏わる第八の証言
CGI/平野浩太郎

CG WORK / COLOR DESIGN

『海獣の子供』に纏わる第九の証言
色指定・仕上検査・特殊効果/伊藤美由樹

『海獣の子供』に纏わる第十の証言
美術監督/木村真二

IMAGE BOARD / LOCATION HUNTING
VISUAL STORY ”急”

『海獣の子供』に纏わる第十一の証言
音楽/久石譲

ORIGINAL SOUND TRACK

『海獣の子供』に纏わる第十二の証言
アニメーションプロデューサー/青木正貴

『海獣の子供』に纏わる第十三の証言
プロデューサー/田中栄子

LULLABY
CREDIT

原作・五十嵐大介描き下ろし短編
星のうた -南洋探遊-

 

 

 

Blog. 「GQ JAPAN 2018年12月号 No.185」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/12/10

雑誌「GQ JAPAN 2018年12月号 No.185」に掲載された久石譲インタビューです。「MUSIC FUTURE」コンサート・シリーズ初のニューヨーク公演を控えたなかでの取材、またGQ JAPAN×ボーム&メルシエのタイアップ企画とも連動しています。

 

 

GQ PROFILE:Joe Hisaishi Talks about Life & Music
作曲家・久石譲に訊く
なぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?

最先端の“現代の音楽”を久石譲がセレクトするシリーズ「MUSIC FUTURE」。その5回目となる今年は11月11日にニューヨーク・カーネギーホールでの公演が決まった。ミニマル・ミュージックの本場に挑む久石譲に訊いた。

 

久石譲のライフワークは、ミニマル・ミュージックだ。端的に言葉で表現するならば、「同じ音型を反復する現代音楽」。アンディ・ウォーホルは、マリリン・モンローの顔やキャンベルのスープ缶を繰り返し並べることで、そのものが本来持つ意味合いを変え、新たなアートを構築した。これはミニマリズムと呼ばれるアートの手法であり、ミニマル・ミュージックも同じ思想に基づいている。

思想ばかりが先走った、変化に乏しい退屈な現代音楽。そう思う人もいるかもしれない。だが、久石譲のコンサートに行けば、それが偏見であり誤解だということがわかる。確かに繰り返されるのは同じような旋律だ。だが、久石はそこに少しずつ”変化”を加えることで、”景色”を変えていく。

たとえるなら、空に浮かぶ雲。一見、何も変わらぬように見えるが、久石がふるうタクトにあわせ、雲はゆっくり形を変えながら動き、その動きにあわせて、太陽の光の量も微妙に変わっていく。ただ変えるだけではない。久石が描くのは、間違いなく日本の空。やさしく美しい景色。はじめて見たはずなのに、懐かしい。いつの間にか意識は耳に集中し、音楽という雲の行方を追いかけてしまう。

「同じ音楽が繰り返されると、聴き手は時間の感覚が麻痺して、物理的な認識をずらされていく。ミニマル・ミュージックはそれを体感する音楽だと思っています。ただ僕がやっているのは、ミニマル・ミュージックそのものというより、ミニマル・ミュージックをベースとした音楽。現代音楽のなかには、聴き手を無視した単に退屈なものもたくさんありますが、僕はそんなものを作りたいとは思わない。

 音楽とは、譜面があって、演奏があって、観客がいて成立するもの。ミニマル・ミュージックでも人に届かなければ意味がない。だから僕がミニマルをやるときは、同じ時間を何度も繰り返しつつ、少しずつ変化を与えていく。その違い、見えてくる景色の変化を楽しむことがミニマル・ミュージックのおもしろさだと思っています」

コンサートでは、オーケストラを相手に指揮をふるい、ときには自らピアノを奏でる。大仰な指揮はしない。サービスのためのMCもない。それでも久石が音楽というものを全身で楽しんでいることが伝わってくるし、その楽しさと音楽の奥深さを観客は共有することができる。

「同じプログラムでも、毎回まったく同じということはありえない。誰も気づかないような少しの音の違いが発見につながることもあります。だからコンサートはやめられないんです」

 

(2017年10月24日、25日の2日間、東京・よみうり大手町ホールにて行われた「ミュージック・フューチャーVol.4」コンサートの模様。バンドネオン奏者の三浦一馬氏と共演した。)

 

(一定のフレーズを反復するミニマル・ミュージックの発展に大きく貢献した音楽家であり、日本公演では共演経験もある音楽家のフィリップ・グラス(写真左から2番目)さんとのオフショット。写真右は、久石譲の娘で歌手の「麻衣」。)

 

過去は振り返らない

久石譲が描く音の景色には、誰もが馴染みを感じているだろう。世界中で高く評価される数々のジブリ作品や北野武映画は、彼の音楽を抜きにして語ることはできない。だが、当の本人はそんな”過去”には無関心のようだ。

「昔の作品を褒められても、『あ、そう』としか思えない。うれしくないというより、どうでもいいって感じかな(笑)。だってそれを作ったころの自分と今の自分は違う。『トトロが大好きです!』って言われてもさ、30年前の作品だから。あのころの僕は、ベストを尽くして作った。でも今はまた違う場所にいる。聴けば聴くだけ反省が浮かんでしまうんです。

 ベートーヴェンの『第九』ですら、指揮するために譜面を仔細に見ていくと『あ、ここミスしたんだな』と思うポイントがあるんです。そのミスを補うために、他を調整した痕跡もある。音楽に完璧なんてないんですよ。いわゆる”前向き”というのとも違う気がするけど、過去は振り返らない。というか、いまやるべきことに集中しているから、振り返っている時間はないって感じかな」

話しているとまったく年齢を感じさせない。見た目も、口調も、話す内容も実に若々しいのだ。過去の栄光にまったく興味を持たず、ただひたすら未来に向かって音楽を作り続けているからかもしれない。

「クリエイティブに年齢は関係ありませんよ。もちろん年齢を重ねることで失ってしまうものはあるでしょう。でも失うことを嘆くのではなく、それを補って、さらに”上”を目指して走り続けるしかない」

 

 

次の時代にも生き残る音楽

「いい音楽とは、長く聴かれる音楽。僕は、時代を超えて愛される音楽を作りたいと思っています。でもいまという時代からまったく離れた音楽を作るのは無理。作り手が意識しなくても、音楽と時代はシンクロしていくものです。ただ、流行りを追いかけ、ウケそうな音楽を作ったとしても、それは長くて2年で消費されてしまう。大切なのは、流行や時代の本質を見つめ、つかまえること。それができれば次の時代にも生き残る音楽になると思っています。

 音楽とは何か? その正解にたどり着けるとも思っていません。一生かけてもその一端を理解できるかどうか。自分が作る音楽が100年後、200年後も聴かれているかどうか。それもわからない。でもだからこそ、自分の100%を捧げて真摯に音楽と向きあうしかないと思っています」

映画音楽は、注文にあわせて監督の意図に沿う音を作り上げる職人の仕事。一方、オーケストラを率いる作曲家はアーティスト。職人とアーティスト、久石はそのふたつの顔をどのように使い分けているのか。そう質問すると、意外な答えが返ってきた。

「もしかしたら、僕は一生アマチュアなのかもしれません。映画音楽でも交響曲でも作るときは毎回どうすればいいかわからないというところからスタートする。悩んで、途方に暮れて。簡単に作れた曲なんて、ひとつもありません。職人のような磨き上げた技術もアーティストのような天才的なひらめきもなく、苦しみあがきながら音楽を作っている。もしかすると、そのおかげで少しずつでも進化できているのかもしれません」

 

音楽の殿堂に挑む

この秋には、ニューヨークの音楽の殿堂、カーネギーホールで初のコンサートを開催し、東京で凱旋公演をすることも決定している。

「ニューヨークはミニマル・ミュージックの故郷であり、本場。これまで海外でのコンサートは何度もやってきましたが、ニューヨークはやったことがなかった。一度やってみようかという話になって、最初は小さなライブハウスでと思っていたんです。それが気がついたら話がどんどん大きくなってカーネギーホール(笑)。どうなふうに受け止められるんでしょうか。楽しみというより、プレッシャーのほうが大きいですね」

そう言いながら、久石は笑顔を見せる。それは、プレッシャーと裏腹の自信というよりも、新しいことに挑戦する高揚感のあらわれのように思えた。

旅先で空を見上げると、雲も色も異なっていることに気づく。アメリカにはアメリカの空と雲があり、ヨーロッパにはヨーロッパの、アフリカにはアフリカの空と雲がある。ニューヨークで久石のミニマル・ミュージックに接した人は、日本の空と雲を感じることができるはずだ。アメリカで生まれ、日本で、久石譲という稀代のメロディメーカーが磨きあげたミニマル・ミュージックがどんな景色を描くのか。その反響がいまから楽しみだ。

(GQ JAPAN 2018年12月号 No.185 より)

 

 

なお、雑誌掲載と同内容のものがWeb版として11月5日に公開されました。

公式サイト:GQ JAPAN | CULTURE | 久石譲
https://gqjapan.jp/culture/bma/20181105/joe-hisaishi

 

 

 

その他、Webインタビュー/Web動画

 

 

[内容紹介]

COVER STORY
全米オープン覇者は、こんなにもきれいだ!
ナチュラル美女 大坂なおみ

FEATURE
■特集1 Money Issue お金をめぐる6つのおはなし
-What Do People Think About Money? お金の価値観大調査!
-Theory of Winning お笑い芸人「ハナコ」の絶妙なバランス感覚
-A Spiritual Guide To Money 辛酸なめ子の「お金のエネルギー」講座
-Generation Wealth ローレン・グリーンフィールドが撮る「富の世代」
-Money Rules The World? 丸山ゴンザレスの「スラムの沙汰もマネー次第」
-A Clone is Born お金持ちのためのクローンビジネス

GQ GLOBAL
-Fear and Loathing in The Lab パーティドラッグは心の病を治すのか
-Tom Ford’s Underworld エレガンスの帝王が次に手がけるのは下着
-Sperm Count Zero 止まらない精子減少の行方

DETAILS
■The Art 香取慎吾、ルーヴル初個展の手応えは?
■The Man of the Month 世界一悔しい世界一
■The Food パリから最強の“角打ち”がやってきた!

SERIES
-GQ Profile 久石譲はなぜ、NY・カーネギーホールに挑むのか?
-GQ Taste 有名シェフの復活店がおもしろい・後編
-GQ New Face UTA特別撮影

 

 

Blog. 「ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語」 久石譲 インタビュー内容紹介

Posted on 2019/12/09

「ジブリの教科書19 かぐや姫の物語」(文春ジブリ文庫・2018年刊)に収載された久石譲インタビューです。巻末出典一覧で語り下ろしとあるとおり、数ある「かぐや姫の物語」インタビューからの再録ではなく、高畑勲監督への追悼も込めた内容になっています。「熱風 2018年6月号《特集/追悼 高畑勲》」に掲載された原稿と近しい内容になっています。

 

 

映画音楽のあり方を考えさせられた
久石譲(作曲家)

最初に『かぐや姫の物語』のラッシュフィルムを見せてもらったときのことです。かぐや姫が月に帰るクライマックスシーンの話になると、高畑さんは子どもみたいに笑って言いました。「これはまだプロデューサーにも言ってないんですけど、サンバで行こうと思っているんです」。「え!? サンバですか」。僕がびっくりしていると高畑さんは、続けてこう説明してくれました。

月の世界には悩みも苦しみもない。かぐや姫も月に帰ったら、地上で起きたことをぜんぶ忘れて幸せになる。そういう”天人”たちの音楽はなんだろうかと考えると、地球上にある音楽でいえばサンバになるんじゃないでしょうか──。

お別れの場面ですから、普通に考えれば悲しい音楽を想定します。ところが、高畑さんはそうは考えない。非常に論理的に詰めていった上で、サンバへと飛躍する感覚的なすごさがあるんです。われわれ作曲家もそうですが、多くの人は、論理的な思考と感覚的なものとの間で葛藤しながら、ものを作ります。でも、高畑さんはそこの折り合い方がすごく自然で自由なんです。

その自然さはどこから来るんだろうと、ずっと不思議に思っていたんですが、あるとき高畑さんがこうおっしゃったんです。「僕はオプティミストなんですよ。楽天主義者だから、楽しいことが大好きなんです」。それを聞いて、僕は「ああ、なるほど」と納得しました。楽しいこと、おもしろいことに対して素直に喜ぶ。そこに基準を置きながら、論理的、意識的な活動と、感覚的なものを両立していた。それが高畑勲という人だったんじゃないでしょうか。

 

僕が初めて高畑さんとお会いしたのは、『風の谷のナウシカ』のときでした。もちろん音楽のミーティングには宮崎さんも出席されていましたが、作画のほうが忙しかったこともあって、音楽のほうは主に高畑さんが見ていらっしゃいました。高畑さんの場合、七時間以上の長時間のミーティングはあたりまえです。それを何回も何回も繰り返して、「いったいどこまで話すんだ」というぐらい音楽の話をします。

『かぐや姫』のときも、本当に何度も話し合いを重ねました。ようやく「これで行きましょう」と決まり、ほっと一安心していると、翌日の夜十時に突然「いまから行きます」と電話がかかってくる。そして、「昨日はああ言ったんですが、やはりここは新しいテーマが必要なんじゃないでしょうか」と言うのです。ブレるというのとは違います。どこまでも考え抜き、そのほうが作品にとっていいと思った結果なんです。そこで、また四、五時間話をする。録音の二、三週間前まで、そうしたやりとりが続きました。

しかも、二〇一三年は宮崎さんの『風立ちぬ』と高畑さんの『かぐや姫』、二つの大作が重なりました。ああいう優れた監督との仕事は、四年にいっぺんで充分というぐらい極度の集中力を必要とします。それを二本となると、作曲家としてはもはや自殺行為です。それでも、僕としては高畑作品を手がけてみたかったのです。

結果的に、『かぐや姫の物語』に携わったことは、僕にとって大きな転機となりました。

高畑さんは、その前に僕が書いた『悪人』の音楽を気に入ってくれていました。「登場人物の気持ちを説明するわけでも、シーンの状況に付けるわけでもない。観客のほうに寄っている音楽のあり方がいい」と言ってくださったのです。だから、『かぐや姫』に取りかかるときも、まず最初に言われたのが、「観客の感情を煽らない、状況にも付けない音楽を」ということでした。

いわゆる普通の映画音楽は、登場人物が泣いていたら悲しい音楽、走っていたらテンポの速い音楽というように、状況に付けて、観客の感情を煽ります。近年のハリウッド映画などは、あまりにも状況にぴったり付けることで、映画音楽が”効果音楽”に陥っているものすらあります。でも、『かぐや姫』ではそういうことはいっさいやめて、”引く”ことが求められたのです。

難しい課題でした。僕自身、以前から多少意識していたとはいえ、『悪人』のときは、まだそれほど理論武装していたわけではなかったからです。とくに、高畑さんの言わんとしていることを理解するまでが大変でした。ただ、試行錯誤を重ねて、「ここだ」というポイントをつかんでからはスムーズに進むようになりました。最後のほうは、ニコニコと「それでいいです」と言ってもらえることが増え、ほとんどあうんの呼吸のようになっていきました。

それまでの僕のやり方は、もう少し音楽が主張していたと思います。それに対して、『かぐや姫』以降は、主張の仕方を極力抑えるようになりました。音楽は観客が自然に映画の中に入っていって感動するのをサポートするぐらいでいい。そう考えるようになったのです。ただし、それは音楽を減らすという意味ではありません。『かぐや姫』では引いていながらも、じつはかなりたくさんの音楽を使っています。高畑さん自身、「こんなに音楽を付けるのは初めてです」とおっしゃっていたほどです。

矛盾するようですが、僕は映画音楽にもある種の作家性みたいなものが残っていて、映像と音楽が少し対立していたほうがいいと思うんです。映像と音楽がそれぞれあって、もうひとつ先の別の世界まで連れて行ってくれる──そういうあり方が映画音楽の理想なんじゃないでしょうか。そういう僕の考えを尊重してくれたのは、高畑さん自身が音楽を愛し、音楽への造詣がものすごく深い方だったからかもしれません。

制作が終盤にさしかかった頃、ダビング作業の合間に、僕が翌月指揮をしなければいけないブラームスの交響曲第三番のスコアを見ていると、ふいに高畑さんがやってきました。「それは何ですか?」と言ってスコアを手に取ると、第四楽章の最後のページを開いて、「ここです。ここがいいんです」とおっしゃいました。第一楽章のテーマがもう一度戻ってくるところなんですが、そういうことを言える方はなかなかいない。少なくとも僕はそういう監督に会ったことがありません。それぐらい高畑さんは音楽に詳しかった。

高畑作品を見ていると、どれも音楽の使い方がすばらしいですよね。たとえば、『セロ弾きのゴーシュ』。よくあの時代に、あそこまで映像と音楽を合わせられたなと思いますし、『田園』(ベートーヴェンの交響曲第六番)から選んでいる箇所も絶妙です。音楽を知り抜いていないと、ああはできません。『ホーホケキョ となりの山田くん』では、音楽で相当遊んでいます。マーラーの五番『葬送行進曲』を使ったかと思ったら、急にメンデルスゾーンの『結婚行進曲』がタタタターンと来る。あの映画は音楽通の人にとっては、見れば見るほど笑えるというか、すごい作品です。

すべての作品で、使うべきところに過不足なく音楽が入っていて、作曲家の目から見ても、音楽のあり方が非常に的確なんです。世界を見渡しても、こんな監督はいないと思います。だから、できることなら、もう一、二本撮っていただきたかったし、できることなら、一緒にやりたかった。残念ながら、それは叶いませんでしたが、高畑さんとの仕事でつかんだ方法論は、いまも僕の中で活きています。

僕にとって、宮崎さんが憧れの”お兄さん”のような人だとしたら、高畑さんは”理想の人”でした。僕は何か迷いがあるとき、宮崎さんならどうするだろうか?  鈴木敏夫さんなら?  養老孟司先生なら? と考えます。そんなとき、いつも決まって最後に浮かんでくるのは高畑さんの笑顔です。そうすると、何だか希望が湧いてきて、次の自分の行動が決まるんです。いまも高畑さんは、僕の中で羅針盤のような存在であり続けています。

(インタビュー・構成 柳橋閑)

(ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語 より)

 

 

 

 

ジブリの教科書 19
『かぐや姫の物語』

[目次]

ナビゲーター・壇蜜 ジブリのフィルターを通して見た竹取物語

Part1 映画『かぐや姫の物語』誕生
スタジオジブリ物語 『かぐや姫の物語』
鈴木敏夫 高畑さんとの勝負だったこの映画。いまでも緊張の糸はほどけない。

Part2 『かぐや姫の物語』の制作現場
[原案・脚本・監督]高畑 勲 全スタッフがほんとうに力を出しきってくれ、みんながこの作品をやり遂げさせてくれた
[人物造形・作画設計]田辺 修 多くのスタッフに助けられて、完成することができました
[美術]男鹿和雄 自然な余白を残すように描いた浅すぎず軽すぎない「あっさり感」のある背景

対談 伝説の男・高畑勲はいかに帰還したのか?
プロデューサー西村義明×スタジオジブリプロデューサー見習い川上量生

Part3 作品の背景を読み解く
・viewpoint・ ヒキタクニオ 大人味のアニメ
奈良美智 待つとし聞かば今帰り来む
二階堂和美 限りあるいのちを生きている私たちは
久石 譲 映画音楽のあり方を考えさせられた
辻 惟雄 なぜ絵巻物に魅入られたのか
宮本信子 百年先まで残る映画です
マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット 繊細さと叡智――高畑勲監督からのギフト

出典一覧
高畑勲プロフィール
映画クレジット