Info. 2021/07/08 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」東京公演 ライブ配信決定

Posted on 2021/06/30

久石譲が作曲家の視点でクラシックの新しい魅力を引き出すコンサートシリーズ「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS」のライブ配信が決定しました。国内だけでなく、世界各地(一部地域を除く)からも視聴できます。 “Info. 2021/07/08 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」東京公演 ライブ配信決定” の続きを読む

Overtone.第42回 映画音楽がクラシックになる日 ~ジョン・ウィリアムズと久石譲~

Posted on 2021/06/20

ふらいすとーん。

ここ4回にわたって、ジョン・ウィリアムズ映画音楽を紹介してきました。約50年に近づいている音楽活動のなか、時代ごとにいろいろなベスト盤や企画盤があります。わりと新しいCD作品(2016-2020)から、ジョン・ウィリアムズが到達した偉業の集大成であり、かつ現在進行系でもある、そんなホットなアルバムを4枚選びました。

 

映画音楽がクラシックになる日

 

 

ここでおさらい。それぞれにしっかりとしたカラーやコンセプトのアルバム、ちょっと整理しましょう。

 

Overtone.第38回 「ジョン・ウィリアムズ・プレイズ・スピルバーグ」を聴く

  • 選曲はスピルバーグ監督作品
  • 新アレンジに新録音
  • 多彩な音楽構成に楽器編成

時代の新しいスピルバーグ監督コラボ作品から、すべて演奏会用に新アレンジ・新スタジオ録音された曲たちは、映像になんの遠慮もいらない迫力あるサウンドでダイレクトに響きわたっています。ときに楽曲を彩る楽器たちはフルート/トランペット/合唱まで。多楽章で構成された大作は、ソリストにアルトサックス/ビブラフォン/ベースを迎えてジャジーなアメリカン・サウンドが大きく自由に展開しています。

 

 

Overtone.第39回 「ジョン・ウィリアムズ・セレブレーション」を聴く

  • 映画音楽から代表作を網羅
  • コンサート完全収録の2枚組
  • フライングテーマでプログラム

若手人気指揮者ドゥダメルによるジョン・ウィリアムズ演奏会。映画音楽を中心にオリンピック作品まで、代表作を網羅した作品集にもなっています。アンコールまで完全収録したライヴ録音は2CDのボリュームです。クラシック指揮者がリスペストを込めて、自ら《フライング・テーマ》でプログラム構成し、魅力的な選曲で配置、ひとつの大きな交響曲のようにかたちにした未来型クラシック演奏会です。

 

 

Overtone.第40回 「アクロス・ザ・スターズ ~ジョン・ウィリアムズ傑作選」を聴く

  • ヴァイオリンとオーケストラのための
  • 主役ヴァイオリンの輝く選曲
  • 高度で多彩な表現力を追求した編曲

世界的ヴァイオリニストのムターを迎えて、ヴァイオリンとオーケストラのための珠玉の作品集です。主役ヴァイオリンの輝く選曲は、いつもなら隠れがちなジョン・ウィリアムズの名曲たちにもスポットを当てています。高度で多彩な表現力を追求した編曲は、原曲のイメージを広げ、ヴァイオリンの魅力を存分に楽しめる。新たな生命を吹き込まれた楽曲たちは、エンターテインメントの大衆性と高度な芸術性が出会った瞬間です。一流演奏家たちも喜ぶレパートリーの殿堂入り、そんな未来の切符をすでに手にしているかのようです。

 

 

Overtone.第41回 「ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン」を聴く

  • 黄金ディスクの誕生
  • ムターも華を添えた豪華プログラム
  • オーケストラの魅力伝える映画音楽

映画音楽の巨匠と世界最高峰のオーケストラによる世紀の共演です。最高の演奏は、最高の録音技術で聴く/観る 黄金ディスクの誕生です。単に有名メインテーマを並べたわけではない、抜群の選曲と配置で仕立てられ、ムターも華を添えた豪華なプログラムです。現代の大衆娯楽である映画、そのなかには伝統芸術なオーケストラ作品として生まれ変わることができる映画音楽がある。そしてコンサートは現代文化の宝物であると、今こそかみしめる歴史的公演です。

 

 

各Overtoneでは、そこからつながるかもしれない、久石譲話や久石譲音楽も登場しています。よかったら、ぜひのぞいてみてください。

 

 

たとえば。

久石譲がジョン・ウィリアムズについて語ったこと (2005)

“やっぱりオーケストラを扱って映画音楽をやってるから比べられるのはしょうがないと思うし、昨年、ワールド・ドリームでスター・ウォーズのテーマを自分で振ってみてよくわかったんだけど、あれだけのクオリティと内容のオーケストレーションをやれる人はいないですよ。すごく尊敬してるし、僕なんかまだまだだな、と思います。でもね、実際の音楽でいうと、僕と彼の作るものはまるで違うんですよ。僕は東洋人なので、5音階に近いところでモダンにアレンジしてやったりするものが多いんです。でもJ・ウィリアムズはファとシに非常に特徴がある。正反対のことをやってるんです。それはすごくおもしろいなあと思いますね。音楽の内容も方法論も違うけど、僕もあれくらいのクオリティを保って作品を発表し続けたいですね”

Blog. 「月刊ピアノ 2005年9月号」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

演奏会用作品

4つのアルバムに収録された楽曲はすべて、映画公開後にジョン・ウィリアムズ自ら演奏会用に編曲したものです。サウンドトラックからそのまま抜き出したのでは披露できないものを、音楽作品にしたものです。

久石譲も映画・TV・CMのために書き下ろした楽曲を、演奏会でプログラムできるように再構成します。サントリー伊右衛門「Oriental Wind」も初めはCMのために作った15秒・30秒ほどの曲です。弾きはじめたと思ったら、すぐに終わってしまう長さのものを、演奏会用に充実した起承転結パートを構成し、聴きごたえのある満足感ある作品へとなった。なったからこそ、CM音楽を飛び越えてコンサートで聴くことができています。

 

オーケストラ作品

ジョン・ウィリアムズも久石譲も、原曲からオーケストラ編成をベースに曲づくりされていることが多いです。大中小いろいろな編成であっても、さらにアンサンブルであっても、オーケストラで使われている生楽器です。加えて久石譲の場合は、シンセサイザーや異色楽器が曲に色を足すこともあります。そんな原曲たちを前にしても、色が抜け落ちてしまうことなく遜色なく、華麗なオーケストレーションでアップデートしていきます。

例を挙げると。

映画『もののけ姫』は、主題歌やサントラ曲ではケーナや篳篥といった民族楽器を隠し味に使っています。のちの交響組曲やコンサートでは、民族楽器や電子楽器を排除し、伝統的なオーケストラサウンドだけで、もののけ姫の世界観を見事に表現しています。

映画『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』はじめ、映像やセリフのためにうすく書いた曲も、交響組曲は緩急豊かにダイナミックにドラマティックに。メロディにからまる旋律たちも増えて彩られ、音楽はさらに雄弁になって物語は進行しています。

映画『あの夏、いちばん静かな海。』「Silent Love」も、映画『キッズ・リターン』「Kids Return」も、シンセサイザー主体の原曲が、オーケストラ作品に生まれ変わるなんて。シンセサイザーだからこそできた曲だと思っていたものが、なんのその劣ることなく素晴らしいなんて。

 

それができる人

いかなる原曲も、演奏会用オーケストラ作品へと昇華できる人。それがジョン・ウィリアムズであり久石譲です。クラシック音楽からの流れの上に立っているふたりです。純粋なオーケストラを使って、クラシックの語法を使って、音楽を建築的につくりあげていきます。壮大なシンフォニー、組曲、ソリストを迎えた小協奏曲、独創的な編成など、音楽的にも多種多彩な作品たちが誕生します。流行にぶれない普遍的な魅力をまとって愛されつづけることになっていきます。

 

 

“久石譲が語ったこと”

”映画など他の仕事でつくった音楽を「音楽作品」として完成させる、という意図で制作しています。映画の楽曲であれば、台詞が重なったり、尺の問題があったりとさまざまな制約があるので、そうした制約をすべて外し、場合によってはリ・オーケストレーションして音楽作品として聴けるようにする。『WORKS』シリーズはそうした位置づけの作品です。”

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより より抜粋)

 

“それはですね、映像の仕事の場合、基本的には監督にインスパイアされて、すごく一所懸命曲を書くわけです。ところがやはり映像の制約というものもある。『このシーンは3分です』だとか。だから映像の中のドラマ性に合わせなくてはいけなくて。映像と音楽合わせて100パーセント、もしくは音楽がちょっと足りないくらいがいいときもある。そこから解放されて音楽自体で表現、音楽だけで100に。つまり本来曲がもっている力を音楽的にすべて表現できる。そこが今作なんです。”

Blog. 「週刊アスキー 2010年11月9日号」「メロディフォニー」久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

久石譲 『WORKS 1』

 

久石譲 『WORKS2』

 

久石譲 『WORKS3』

 

久石譲 『メロディフォニー』

 

 

 

スタジオジブリ交響組曲

ジョン・ウィリアムズには、王道シンフォニックな「スター・ウォーズ組曲」や、個性光るジャジーな「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン組曲」などがあります。ひとつの映画作品をひとつの音楽作品に、映画の世界観を音楽的に広げ膨らませることで十分に楽しめる組曲たち。

久石譲も、2014年から本格的にスタジオジブリ作品の交響組曲化プロジェクトをスタートさせました。スタジオジブリ作品を音楽作品としてもきっちり残すこと。そして、年々高まる人気に裏打ちされたアンオフィシャルな演奏機会の急増、オフィシャル版を演奏したい要望に応えるためにも、公式録音と公式総譜という手引きを残すこと。

こういった一連の作業は、古典からあります。チャイコフスキーのバレエ音楽も、舞台のために書かれた劇音楽から演奏会用組曲として再構成されました。このおかげで、演奏会の定番レパートリーになり、そのなかからキャッチーな曲たちは、映画・TV・CMなどでも広く親しまれています。もし、バレエ公演でしか聴けない音楽のままだったなら…。「花のワルツ」も「あし笛の踊り」も、ディズニー映画『ファンタジア』に使われることもなく、ソフトバンクCMでお茶の間に流れてくることもなく…。

ジョン・ウィリアムズも久石譲も、映像がないともたないような音楽はつくっていません。作品の世界観に深く音楽をつけているから、たとえ映像がなくてもふっとイメージが立ち上がる。曲だけ聴いても、どのシーンかすぐにわかるくらい際立つ音楽たちがそこににあります。そして皮肉なことに(とてもいい意味で)、使い回しがきくように作った曲ほど汎用性がない、ピンポイントに射抜くように作った曲ほど可能性がある、これは真理です。作品を越えて使われる、時代を越えて残る。強いコアをもった曲たちからなる組曲化は、作曲家がその作品のもうひとつの照らしかたをしてみせたアナザー・ストーリーともいえます。

 

 

“久石譲が語ったこと”

“だからシンフォニック・スイート(交響組曲)として20分ぐらいで、オーケストラがしっかりと演奏できるバージョンを、いままでにジブリで音楽を担当した10作品中、6作品ほど作っています。

比べるのはおこがましいですけど、チャイコフスキーが《白鳥の湖》や《くるみ割り人形》を組曲にしているのと同じ行為だと思っていて。オーケストラの能力を発揮できるコンサート・ピースとして成立できれば、凄く幸せですね。”

Info. 2020/10/30 久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ WEBインタビュー (ONTOMO) より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 

未来のコンサート

ここまでそろえば未来は明るい。

ジョン・ウィリアムズの作品を集めるということは、アメリカ音楽史プログラムです。ハリウッド映画=アメリカ(たとえ映画がアメリカを描いていなくても、映画産業の象徴としてのハリウッド)。映画を巡る旅は、アメリカ音楽史を巡る旅です。これまでに、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」や、バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」が定番曲となってきたように、これからは、同じアメリカ人作曲家のジョン・ウィリアムズ作品が、新しいレパートリーとなっていくでしょう。きっと。

久石譲の作品を集めるということは、日本音楽史プログラムです。スタジオジブリ作品や邦画のなかには、日本を舞台にした作品も多いです。おのずと日本を感じさせる音楽たちは、伝統的な音階のものからモダンな和を感じるものまで。琴や篳篥といった邦楽器を使っていなくても、西洋オーケストラ楽器だけで日本を響かせてしまう久石譲音楽。どこか懐かしいのに古くはない、時代を超越した原風景な日本を呼び起こしてくれます。

スタジオジブリ交響組曲をそのままプログラムすることもできるでしょう。はたまた、スタジオジブリ作品から《フライング・テーマ》(飛ぶシーン)を象徴する曲をセレクトして、作品をまたいでプログラムすることもできるようになるかもしれません。はたまた、手がけてきた数多くの映画・TV・CM音楽のなかから《海》や《日本》といったテーマでプログラムすることもできるようになるかもしれません。

パズルのピースが多ければ多いほど、その組み合わせは無限大に広がります。久石譲も、自身の指揮で演奏や録音を重ねて、公式スコアまで監修することに力を入れています。ニーズに応える環境は整い、他者の指揮による演奏会もふえ、これからは世界各地で新しいレパートリーとなっていくでしょう。きっと。

 

それができる人

映画音楽ふたりの巨匠は、人気も芸術性もトップクラスです。かつて映画黄金期を支えたオーケストラサウンドは、時代が進むにつれてオールドスタイルと言われるようにもなりました。それを経てふと今見わたすと、伝統や手法をしっかりと受け継いだ作曲家、オーケストラで2時間の映画音楽を構成できる作曲家は、どのくらいいるでしょうか。ジョン・ウィリアムズと久石譲は、過去からバトンを渡された正統な継承者にして現在も走り続けるトップランナーです。

ある演奏家・ある楽器のために再構成するというコンセプトを得たならば、思いもよらない化学反応も起こります。作曲家の手によって新しい輝きをもち、そこへ演奏家のインスピレーションと表現力も加わり、予想を越えたものが生まれることもある。ヴァイオリンのための編曲という範疇には収まりきれなかった光、ムターとのコラボレーションなどは、まさにそんな結晶です。

あるいは。ドゥダメルは、独自の解釈で楽曲の新しい魅力を引き出し、新しい切り口でプログラム構成することで、マンネリズムから見事に脱却しています。作曲家と指揮者のあいだにも、思いもよらない化学反応は起こります。「こんな名曲ありました、懐かしいでしょう」、そういった回顧なスタンスはありません。同じように、過度に映像の余韻に浸るような、過度に記憶の残像の力を借りるような陶酔型もそこにはありません。真っ向から純粋に音楽と向き合い現代的にアプローチしていく。今聴く価値のある音楽として響かせています。

 

映画音楽のポテンシャル

ベートーヴェンもモーツァルトの時代も、大衆文化のなかに音楽があり、演奏会は大衆娯楽のひとつでした。でも、一度に聴いてもらえるのは観客数百人。録音技術もない、演奏会を繰り返し楽譜出版を並行することで、なんとか忘れられずに今まで残ってきた音楽遺産です。

ジョン・ウィリアムズも久石譲の時代も、大衆文化のなかに音楽があり、映画は大衆娯楽のひとつです。そして、一度に聴いてもらえるのは映画館と観客のかけ算。国境を超えて公開されることもあれば、VOD配信というデジタルな選択肢も増え、世界中で広く認知される可能性をもっています。さらに、サウンドトラックはCD盤から配信やサブスクまでと、映画音楽にふれるアクセスポイントは広がっています。

 

 

”ジョン・ウィリアムズが語ったこと”

“音楽を書くチャンスを与えられること、かな。もし映画が成功すれば、何万、何百万もの観客がその音楽を聴くことになる。より多くの人が楽しんでくれれば、より大きな喜びになるからね。このことは作曲家にとって今世紀でも新しいことのひとつだ。今世紀初めには千人、2千人だった観客が、今では世界中の人が対象になっているんだ”

Overtone.第38回 「ジョン・ウィリアムズ・プレイズ・スピルバーグ」を聴く より抜粋)

 

“久石譲が語ったこと”

“自分が想像してる以上に、世界はソーシャルメディアで変革されてきすぎっちゃってるんですね。そういうなかで結局、映画という表現媒体のなかで、アニメーションというものが持ってるものと、例えばゲームとかね、そういうものが持ってる力を、もう過小評価してはやっていけないだろうと。表現媒体に対する制作陣が昔のイメージで凝り固まって、作品とはこんなもんだっていうことで作っていくやり方が、もう時代に合わない。やはりアニメーションというのはある種の可能性があるわけだから、それをもっと若い世代の人とやっていく、あるいはその時に自分も今までの音楽のスタイルではないスタイルで臨む、今回みたいにミニマルで徹するとかね。そういう方法で新しい出会いがあるならば、これは続けていったほうがいいなあ、そういうふうに思います。”

Info. 2019/06/14 映画『海獣の子供』久石譲メイキングインタビュー 動画公開 より抜粋)

 

“今年の2月にパリでコンサートを行った時、フランスメディアのインタビューを受けましたが、みんな『二ノ国』のことを知っていました。「今度映画化されるんですよね。音楽を担当するんでしょう」と質問された。日本国内のみではなく、海外でも認知されているタイトルが、『二ノ国』。それが映画化されるということで、みんな期待を持っているんだなと感じています。日本のみならず海外にも、この音楽が映画とともにみんなに聞いてもらえたら、僕にとっては何よりの喜びです。”

Blog. 「映画「二ノ国」公式アートブック」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

ちょっとアングルを変えて。

 

“久石譲が語ったこと”の反転

”とにかく今で言うところの、最も優れたキャッチーな作曲家である。ブラームスは「彼がゴミ箱に捨てたスケッチでシンフォニーが1曲書ける」というほどドヴォルザークのメロディを評価していた。が、それだけではなくスコアを追っていくとよくわかるのだが、とても緻密にオーケストラを書いている。色々なモチーフ(音型)を散りばめ、ポリフォニックに構築しながら全体の構成に気を配っている。ところが、幸か不幸か、あまりにもメロディがキャッチーなため、「タータータータータターン(第4楽章の10小節目)」と派手にホルンとトランペットが第1テーマを鳴り響かすと、聴衆の耳はそちらに集中するので、メロディの後ろの緻密さにはなかなか気づかない。”

”シューベルトの最も天才的な部分は、ハーモニー感覚の凄さにある。普通は、ある調からある調に移るには正当な手続きを踏んで転調するように書くのだが、シューベルトはたった一音で次の調に自然に移ってしまう。例えば、第1楽章の38小節目のホルンとファゴットが最後の2音だけで転調してしまうのだ。或いは、第2楽章の後半で、第1ヴァイオリンだけになり、その最後のたった一音で完全に転調してしまう(280小節、295小節など)。これほどの天才は他に見たことがない。”

Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』 CDライナーノーツより 抜粋)

 

 

作曲家・指揮者の視点で楽曲解説した久石譲の言葉からです。ドヴォルザークやシューベルトといったクラシック作曲家について語っていることですが、ぐるっと反転して、これって久石譲音楽にも見受けられることじゃないか!そんなふうに思えてきます。あまりにもキャッチーなメロディは、甘美すぎると受けとられがちですが、メロディをささえるハーモニーやリズムはあらゆる手を駆使して緻密に構成されている。音楽専門的にはわからなくても、感覚的にわかる感触のようなもの。ああ、だから聴くたびにおもしろいのか!ああ、だからいくら聴いても聴き飽きないのか!ああ、だからコンサートで聴くたびに耳に飛び込んでくる旋律たちが新鮮なのか! と。

 

これもまた象徴的です。

 

”メロディは記憶回路なんですよ。記憶回路であるということは、シンプルであればあるほど絶対にいいわけです。メロディはシンプルでもリズムやハーモニーなどのアレンジは、自分が持っている能力や技術を駆使してできるだけ複雑なものを作る。表面はシンプルで分かりやすいんだけど、水面下は白鳥みたいにバタバタしてるんです。”

Blog. 「キーボード・マガジン 2005年10月号 No.329」 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

映画音楽ふたりの巨匠は、親しみやすいメロディを生み出し、メロディが輝くオーケストレーションで作品をつくりあげています。映画を見終わって、『スター・ウォーズ』のメロディが頭から離れないほどに、『崖の上のポニョ』の歌を思わず口ずさんでしまうほどに。「ウィーンフィル ・ニューイヤーコンサート」の楽曲たちも、演奏に合わせて鼻歌できるほどのキャッチーなメロディに、自然と軽やかになるリズミックなポルカやワルツたちです。

 

 

今のコンサート

未来は明るい。

未来から今を照らすとここも輝く。

今の久石譲コンサートは、大きくWDO*に代表されるエンターテインメント・コンサートと、大きくFOC*やMF*に代表されるクラシック・コンサートの両軸があります。海外公演も人気を博しているジブリコンサート*では、指揮者+ピアニストとして映像との共演でパフォーマンスの完成度も極めています。WDOコンサートでは、スタジオジブリ交響組曲や新作の世界初演も自らの指揮で果たしています。クラシック・コンサートでは、作曲家視点の新しい解釈で話題を集めています。今発信したい音楽を、古典作品から現代作品まで並列して意欲的にプログラムしています。

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「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ(WDO)」,「久石譲&フューチャー・オーケストラ・クラシックス(FOC)」,「久石譲 presents ミュージック・フューチャー(MF)」,「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」

 

これすべて今しかできないことです。未来のコンサート、久石譲の名曲たちがプログラムされるコンサートとは大きくちがう。きっと久石譲の音楽は未来でも愛聴され、多くの演奏機会に恵まれるでしょう。そこに不安はありません。そこは未来の音楽家のみなさんぜひ託されてください。どうぞよろしくお願いします。

でも、そこには指揮者久石譲もピアニスト久石譲もいません。ジブリ映像と一緒に作曲家本人の指揮とピアノで楽しめることもありません。久石譲がプログラムしたい古典作品や現代作品が並ぶこともありません。作曲家久石譲の視点でベートーヴェンが響くこともありません。久石譲の新作が自身の指揮で世界初演されることもありません。

そう思えばこそ、今の久石譲コンサートは強く輝いています。久石譲は今しかできないことをやっているんだと。久石譲のいるコンサート、久石譲のプロデュースするコンサートに足を運べるチャンスをもっている。聴衆もまた今しかない時間のなかにいます。

 

 

フルオーケストラによる映画音楽が、クラシックのメインストリームでも熱狂的に支持されるという、音楽史の新しいページを拓いているジョン・ウィリアムズと久石譲です。現代の大衆娯楽と伝統的な芸術の幸福なかたちといえる、品格のあるシンフォニックな作品たち。

シェーンベルクやショスタコーヴィチといったクラシック作曲家も、映画音楽を手がけています。『春の祭典』でセンセーショナルを巻き起こしたストラヴィンスキー。映画『ジョーズ』のジョン・ウィリアムズ音楽には、この作品からの影響が色濃くあります。そうして、今やクラシック音楽において人気レパートリーと高い評価を得ている『春の祭典』ですが、ストラヴィンスキーは2021年に没後50年を迎えたばかりです。

ジョン・ウィリアムズ音楽も久石譲音楽も、強引にプッシュしたり、無理やり割り込む必要もなく、これから自然とゆっくりなじんでいくことでしょう。未来のクラシックとなりうるふたりの作品は、それぞれ個性豊かに欧米とアジアの大衆文化、20~21世紀エンターテインメントをも表現しています。『ハリー・ポッター』や『千と千尋の神隠し』といった映画音楽を通して、西洋文化と東洋文化の世界観をあぶり出してみせたように。

クラシック音楽からの流れの上に立っているふたりが、伝統をつなぎながら今を体現しながら、映画音楽で果たしてきた功績は大きいと思います。もし、今世紀を代表する映画について語るなら、そこにはおのずとジョン・ウィリアムズと久石譲も引っ張られてきます。まちがいなく今世紀を代表する作曲家です。また、演奏家や指揮者によって、新しい表現が可能性がうまれつづける。映画音楽へのリスペクトが尽きないかぎり、新しい感動が生まれつづける。映画音楽がクラシックになる日は、もうすぐそこまできています。

 

それではまた。

 

reverb.
久石譲とジョン・ウィリアムズ、夢のプログラムあったらいいな♪

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Info. 2021/07/15 [楽譜] 久石譲『“The Border” Concerto for 3 Horns and Orchestra』公式スコア 発売決定

Posted on 2021/06/19

久石譲『“The Border” Concerto for 3 Horns and Orchestra 3本のホルンとオーケストラのための協奏曲』全音楽譜出版社より公式スコアの発売が決定しました。 “Info. 2021/07/15 [楽譜] 久石譲『“The Border” Concerto for 3 Horns and Orchestra』公式スコア 発売決定” の続きを読む

Info. 2021/07/25,26 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」振替公演決定!!

Posted on 2021/06/18

【W.D.O.2021 振替公演決定のお知らせ】

緊急事態宣言を受け中止となった
「JOE HISAISHI&WORLD DREAM ORCHESTRA 2021」
4月25日(日)、27日(火)の2公演の振替公演が決定しました。 “Info. 2021/07/25,26 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」振替公演決定!!” の続きを読む

Info. 2021/05/27 [CM] アサヒ飲料「十六茶」「自然に、健康に。」夏編 公開

Posted on 2021/05/27

アサヒ飲料「十六茶」の新しいCM動画が公開されました。2021年3月から新しく久石譲がCM音楽を書き下ろしています。今回も同曲が使用されています。公式サイトCMギャラリー、アサヒ飲料公式チャンネルにて先行公開です。TVCMは5月29日からオンエア・スタートになります。ぜひご覧ください。 “Info. 2021/05/27 [CM] アサヒ飲料「十六茶」「自然に、健康に。」夏編 公開” の続きを読む

Blog. 「かぐや姫の物語 サウンドトラック」(LP・2021) 新ライナーノーツより

Posted on 2021/05/24

2021年4月24日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」の3作品に、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

”『ナウシカ』について言えばね、最初にイメージ・レコードっていうのを作ろうということで、久石さんていう人に頼んで作ってもらったんですね。そしたらなかなか面白い曲がその中に含まれていた。で、いろいろ経緯はったんだけど、映画の音楽も久石さんにやってもらおうということになった時にね、(中略)要するに久石譲という人にとって、映像に劇伴としてつけるんじゃなくて、原作を読んで想像力を駆使して、独立した音楽として聞かせるつもりで全力をあげて書いたもんでしょ? その魅力を全面的に発揮させるように後で音楽設計をする。” (高畑勲『映画を作りながら考えたこと』徳間書店所収「「赤毛のアン」制作の全貌に迫る」 初出は「アニコムZ」vol.5 赤毛のアン特集 1985年8月 早稲田大学アニメーション同好会)

”テーマ主義による基本的な音楽設計が出来上がってみれば、ゆきなやんでいたことが嘘みたいに明快なのであった。久石氏は精神性の表現として必要なテーマのすべてをイメージ・レコードのなかに用意してくれていたわけである。” (前掲所収「しあわせな出会いー久石譲と宮崎駿」 初出はアニメージュレコード「久石譲の世界」1987年3月25日 徳間ジャパン)

これは、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』のプロデューサーを務めた高畑勲が、同作の音楽制作の過程を回顧した発言および文章である。久石譲にとって本格的な劇場用長編映画作曲第1作となった『ナウシカ』の段階で、すでに高畑は映画音楽作曲家としての久石の特質を正確に見抜いていた。つまり「全力をあげて書いた」「精神性の表現として必要なテーマ」が適切な音楽設計により「その魅力を全面的に発揮」するという特質である。その高畑が、結果的に生涯最後の監督作となった『かぐや姫の物語』の音楽を久石に依頼することになった時、『ナウシカ』の経験を即座に思い浮かべたことは想像に難くない。イメージアルバムこそ制作されなかったものの、『かぐや姫の物語』の久石の音楽は、高畑勲監督が『ナウシカ』制作時に初めて見出した方法論の延長線上に位置づけることが出来るだろう。本盤の収録曲に聴かれるように、久石のスコアは明確なテーマ主義という一分(いちぶ)の隙もない音楽設計に基づいて作曲され、しかも『ナウシカ』に勝るとも劣らない高い精神性を表現しているからである。

その『かぐや姫の物語』について、久石は次のように筆者に語っている。

”かぐや姫という主人公は、月の世界にいる間は人間的な喜怒哀楽も知らず、完全な幸せの中で暮らしている存在です。その彼女が地上に下り、さまざまな人間の感情を経験し、再び月の世界に戻っていく時に、やはり彼女はそのまま地上にとどまっていたいと感じた。つまり、人間というのは日々悩み、苦しむ存在なのですが、それでもやはり生きるに値する価値がある。そのようなことを『かぐや姫の物語』からは強く感じます。” (前島秀国「久石譲《第九スペシャル》を語る」 2013年12月「久石譲 第九スペシャル」プログラムノート)

本作の音楽制作については、別掲の高畑監督と久石の対談、およびメイキングビデオ「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~」の中で詳しく紹介されているでの、ここではその過程を簡単にまとめておく。

もともと本作は、宮崎監督の『風立ちぬ』──こちらは久石が本編公開の2年以上前に作曲の依頼を受けていた──と同時公開(2013年7月20日)が予定されていた。もし、本作の制作スケジュールが当初の予定通りに進んでいたら、『かぐや姫の物語』の音楽制作は『風立ちぬ』と時期が重なってしまうため、久石は『風立ちぬ』の作曲に専念せざるを得なかっただろう。しかしながら、本作の制作スケジュールに遅延が生じ、2013年11月に公開延期が決まったことから、2012年暮、高畑監督は久石に作曲を依頼した。その時点で、すでに多くの作曲スケジュールと演奏予定が詰まっていたにも拘わらず、久石は本作を「高畑監督との一生に一度の仕事」と位置づけ、作曲を快諾。2013年正月明けに設けられた音楽打ち合わせの後、まず久石は琴の演奏シーンの作画に必要な楽曲の録音に着手したが、この時に久石が書き下ろした琴の音楽を高畑監督が大変気に入り、その曲を基にした「なよたけのテーマ」をメインテーマにすることで、スコア全体が作曲・構成されていった(本編のための作曲作業が本格化する前に書いたが曲が、結果的に映画の中で最も重要な音楽となったという点でも、本作と『ナウシカ』は共通している)。

以下、本作の微に入り細を穿った音楽設計を明らかにするため、スコアに登場する全テーマと、それに対応する本盤収録曲を列挙する(テーマ名は、筆者が暫定的に付けたもの。「」はテーマ名、《》は本盤収録曲を示す)。

「わらべ唄」
《はじまり》《秋の実り》《春のワルツ》《月》《琴の調べ》《わらべ唄》《天女の歌》
高畑監督が作曲した5音音階の劇中歌。《わらべ唄》《天女の歌》は久石が参加した時点で曲は既に存在していたが、ヴォイス・キャストが歌う《わらべ唄》《天女の歌》は、演技の流れを重視してアフレコ収録されている。劇中でかぐや姫が演奏する《琴の調べ》は、久石の編曲・指揮により、姜小青が古箏(こそう、グーチェン)で演奏した。この「わらべ唄」で特に注目すべきは、第2節にあたる《天女の歌》が、歌詞の上でもメロディの上でも、地球の記憶に涙する天女の心境を反映したヴァリエーションとなっている点である。

久石のスコアにおいては、まずオープニングタイトルの《はじまり》において「なよたけのテーマ」の対旋律として導入され、かぐや姫が満開の桜の樹の下でくるくると舞い躍るシーンの《春のワルツ》後半部で西洋風のワルツ様式に編曲されている(つまりワルツのリズムが持つ旋回性と、かぐや姫の舞いの旋回運動がシンクロしている)。ラストシーンの《月》では、やはり「なよたけのテーマ」と共に演奏されるが、久石は《天女の歌》のメロディを用いることで、地球を懐かしむかぐや姫の未練を暗示している。

「なよたけのテーマ」
《はじまり》《小さき姫》《なよたけ》《蜩の夜》《悲しみ》《飛翔》《別離》《月》
先述のように、もともと作画用に書かれた琴の音楽(本盤には《蜩の夜》を収録)を基にしたメインテーマ。このテーマは《はじまり》で登場した後、翁が竹藪の中でかぐや姫を見つけるシーンの《小さき姫》で初めてテーマ全体が演奏され、以後、かぐや姫の出自やアイデンティティに関わる重要なシーンに限って登場する(《なよたけ》は、テーマのフル・ヴァージョンを久石自身のソロ・ピアノで収録したもの)。ちなみに本作の劇場公開後、高畑監督が新たに歌詞を書き下ろし、久石が女声三部合唱のために編曲した「なよたけのかぐや姫」が作られ、同様に久石が編曲した「わらべ唄」女声三部合唱版と共に録音・楽譜出版されている。

「生命のテーマ」
《芽生え》《生命》《生命の庭》《飛翔》
「なよたけのテーマ」冒頭のモティーフを長調に変えて発展させた、「なよたけのテーマ」の派生形。いわば第2のメインテーマである。本編においては、媼がかぐや姫に授乳するシーンの《芽生え》で初めて登場する。さらに《芽生え》《生命》《生命の庭》が流れる各シーンにおいては、いずれも画面に鳥が登場することに注目したい。つまり、このテーマは鳥のように自由に羽ばたき、まさに「鳥 虫 けもの」のように生命を謳歌したいかぐや姫の願望をも象徴しているのである。その願望の到達点が、彼女が捨丸と共に鳥のように大空を羽ばたくシーンの《飛翔》であり、ここで久石は文字通り大空を羽ばたくような壮大なサウンドをオーケストラから引き出している。

「喜びのテーマ」
《生きる喜び》《タケノコ》《衣》《春のワルツ》《帰郷》
鳥のさえずりをモティーフにした五音音階のテーマ。「自然讃歌」と呼び替えてもいい。西洋のオーケストラを用いて東洋的な自然観を表現した、マーラー風の方法論に基づいて作曲されている。

「春のめぐりのテーマ」
《山里》《手習い》《春のめぐり》《真心》
いわゆるホーリー・ミニマリズム(宗教的ミニマリズム)のティンティナブリ様式(鈴鳴り様式)に基づいて書かれたテーマ。心安らかな三和音の素朴な繰り返しが、自然の営みや季節のめぐりを象徴し、かつ、そうした自然の中で生きる幼いかぐや姫の無心な喜びを表現している。ただし、石作皇子が一輪の蓮華の花をかぐや姫に捧げるシーンで流れる《真心》だけは、他の3つとは大きく異るヴァリエーションとなっている(ハープの伴奏に、繰り返しの音形を聴くことが出来る)。このシーンにおいては、「この一輪の花、すなわち姫を愛する我が真心」という石作皇子の言葉にかぐや姫の心が揺れ動き、もしかしたら石作皇子が自分と同じ価値観を共有しているのかもしれないという期待感を抱く。しかしながら、《真心》が「春のめぐりのテーマ」をそのまま演奏したものではないように、かぐや姫の期待も所詮は錯覚に過ぎなかったのである(ファゴットなどの低音が石作皇子の腹黒さや下心を象徴している)。

「運命のテーマ」
《旅立ち》《宴》《絶望》《里への想い》《運命》
この「運命のテーマ」は、使用楽器の違いによってふたつのグループに分類することが出来る。ひとつはリュート、チェレスタ、ハープなどによってメロディが演奏される《旅立ち》《宴》《運命》のグループ。このグループは、「鳥 虫 けもの」のように生きたいかぐや姫の願望とは裏腹に、彼女を”高貴の姫君”に育て上げていく翁の上昇志向に逆らえず、翁が決めた生き方、すなわち”運命”をやむなく受け入れる彼女の胸中を象徴している(その意味では「翁のテーマ」とみなすことも可能である)。もうひとつは、ピアノを用いた《絶望》《里への想い》のグループ。こちらのグループは、いずれもかぐや姫が激情に駆られるシーンで流れてくるが、久石の音楽はその激情と一体化することなく、ミニマル的なアルペッジョの繰り返しを強調することで、あくまでも運命に翻弄されるかぐや姫を客観的に捉えている。クラシック音楽にある程度親しんだリスナーならば、《里への想い》でピアノが演奏する3連符の繰り返し、つまりミニマル的なアルペッジョの繰り返しから、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番《月光》第1楽章を連想するかもしれないが、そうした連想は物語を深く理解する上でむしろプラスに働くかもしれない。というのも、月光のように輝くかぐや姫は、まさに月に帰らなければならない”運命”を背負った存在だからである(《月光》のニックネームはベートーヴェン自身の命名ではなく、第1楽章を「ルツェルン湖の月光のさざなみ」と評した詩人レルシュタープに由来する)。いずれにせよ、どちらのグループの「運命のテーマ」も、ミニマル風のアルペッジョの繰り返しが、抗うことの出来ないかぐや姫の”運命”を象徴している。

「月の不思議のテーマ」
《光り》《衣》《月の不思議》《月の都》
むしろ「月のモティーフ」と呼ぶべき短いテーマ。古来より”赫映姫”とも”輝夜姫”とも表記されてきたかぐや姫の光り輝く姿、および月の輝きをメタリックかつ冷たい音色で表現している。4曲とも短い和音か、その分散形として演奏されており、旋律的な要素を全く持たない(《月の都》ではハープとチェレスタなどが和音を仄めかしている)。つまり、月には謳歌すべき”生きる喜び”が全く存在しないことを示唆している。

以上述べた主要テーマとそれに属する楽曲以外に、久石は雅楽や祭囃をパロディ化した《高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)》(実質的には5人の公達のテーマ)、かぐや姫が御簾越しに演奏する《美しき琴の調べ》、それに《天人の音楽 I,II》を状況内の音楽として作曲しているが、本作公開当時、観客に大きな衝撃を与えたのは、かぐや姫を迎えに来た天人の楽隊が奏でる《天人の音楽》である。

このシーンのために高畑監督が参考にした阿弥陀来迎図には、篳篥、横笛、琵琶などの邦楽器、あるいは方響(大まかに言うと編鐘の小型版)のような中国楽器などが描かれており(来迎図が描かれた時代によって楽器編成は若干異なる)、そのいくつかは楽隊の演奏シーンでも見ることが出来る。もし、作画通りにこれらの楽器を鳴らす形で《天人の音楽》を作曲したら、おそらくは日本の伝統的な雅楽(宮廷音楽)に非常に近いものになるだろう。だが、それだと本作は物語的に破綻をきたしてしまう。雅楽は──《高貴なお方の狂騒曲》が端的に示しているように──かぐや姫に想いを寄せる側の音楽、すなわち御門の音楽だからである。天人たちが、そういう音楽を奏でるわけがない。《天人の音楽》の久石の作曲が真にユニークなのは、阿弥陀来迎図に描かれた楽器の音色をある程度尊重しながら別の楽器に置き換える(例えば琴をケルティックハープ、琵琶をチャランゴやギターなど)ことで雅楽の文脈を離れ、アジア、アフリカ、あるいは南米の民俗音楽にも通じるエスニックな音楽──語弊はあるかもしれないが、”土俗的な音楽”と言ってもいい──を書き上げた点にある。別の言い方をすれば、我々が聖歌のような音楽から連想する”天の聖”と、世界各地の民俗音楽から連想する”地の俗”という常識が、この《天人の音楽》には全く通用しない。時代的・地域的制約を逃れ、我々の常識を撥ね除け、人間の感情など一切関係なく、つまり「心ざわめくこともなく、この地の穢れもぬぐい去り」ながら、能天気にリズムを鳴らし続ける音楽。ある意味で煩悩から解き放たれた音楽、もっと言ってしまえば”あの世の音楽”なのである。

本来ならば、そういう音楽を我々は耳にすることが出来ないし、想像することも出来ない。耳にしている時は、おそらくかぐや姫と同じようにこの地を後にしているはずだから。哲学者ウィトゲンシュタインの有名な言葉をもじれば、「我々が語り得ぬ音楽に関しては、我々は沈黙しなければならない」のである。だが、高畑監督と久石はそういう音楽を敢えて映画の中で表現するという無理難題に挑み、生に満ち溢れたエスニックな《天人の音楽》をこのシーンで反語的に鳴らし、しかも先に述べてきた主要テーマを周到に本編の中に配置することで、作曲家にとって最も困難かつチャレンジングなテーマである”生と死”を見事に表現してみせた。これこそが『かぐや姫の物語』の音楽設計と久石の作曲が到達した、精神性の高さに他ならない。

本作公開後、久石は2013年12月に単独で《飛翔》を、翌2014年8月に交響幻想曲『かぐや姫の物語』(物語順とやや異なり《はじまり》《月の不思議》《生きる喜び》《春のめぐり》《絶望》《飛翔》《天人の音楽》《別離》《月》の順に構成)を、それぞれ高畑監督を客席に迎えて世界初演した。演奏後、久石の楽屋を訪れた高畑監督の満面の笑みが、筆者は未だに忘れられない。ずば抜けた音楽的教養を持つことでも知られた高畑監督のこと、きっと極楽浄土でも、あの時と同じ笑顔を浮かべながら《天人の音楽》を奏でているはずである。

エンドロールで流れる二階堂和美《いのちの記憶》は、2011年にリリースされた二階堂のアルバム『にじみ』に感銘を受けた高畑監督が、本編完成の1年以上前に彼女を抜擢し、作曲を依頼した主題歌。その制作過程については、本編公開に合わせてリリースされた二階堂のアルバウ『ジブリと私とかぐや姫』に高畑監督と二階堂の往復書簡が封入されているので、そちらを参照されたい(文中敬称略)。

2020年11月23日、『かぐや姫の物語』公開から7年目の日に
前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

かぐや姫の物語/サウンドトラック

品番:TJJA-10034
価格:¥4,800+税
※2枚組ダブルジャケット
SIDE-A,B,Cに音楽収録 SIDE-C裏面はキャラクターのレーザーエッチング加工)
(CD発売日2013.11.20)
音楽:久石譲 全37曲

高畑勲がプロデューサーとして参加した『風の谷のナウシカ』以来30年の時を経て映画監督・高畑勲と作曲家・久石譲がタッグを組む、最初で最後の作品となった『かぐや姫の物語』のサウンドトラック盤。二階堂和美の歌う主題歌も収録。