Info. 2019/09/29 《速報》「Joe Hisaishi in Concert」(ニューヨーク) プログラム 【10/10 Update!!】

Posted on 2019/09/29

9月27日、28日、「Joe Hisaishi in Concert」久石譲ニューヨーク公演がカーネギーホールで開催されました。

2018年11月、初のニューヨーク公演は同じくカーネギーホールでのジブリコンサート。そして同月「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.5」もカーネギーホールのザンケルホールで開催されました。 “Info. 2019/09/29 《速報》「Joe Hisaishi in Concert」(ニューヨーク) プログラム 【10/10 Update!!】” の続きを読む

《号外》BSスカパー!「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」を見よう ~まとめ~

Posted on 2019/09/23

今年夏コンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」が早くもTV放送されます。今年はスカパーかあ、と諦めるのはもったいない!視聴できる方法まとめました。 “《号外》BSスカパー!「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」を見よう ~まとめ~” の続きを読む

Info. 2019/10/20 [TV] 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」BSスカパー!放送決定!!

8月1日から8月12日まで国内7都市8公演で巡った「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」コンサートツアー。いよいよ早くもBSスカパー!にてTV放送決定しました! “Info. 2019/10/20 [TV] 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」BSスカパー!放送決定!!” の続きを読む

Blog. 「新潮45 2018年7月号」養老孟司×久石譲 「作曲の極意を知りたい」対談内容

Posted on 2019/09/20

雑誌「新潮45 2018年7月号」に掲載された養老孟司×久石譲 対談です。10ページに及ぶ知的充実の対談は、折にふれて話題にのぼること、今いちばん気になっている事などが語られています。同誌2012年にも対談は行われています。また、『耳で考える -脳は名曲を欲する』/養老孟司×久石譲(角川書店・2009刊)はたっぷり一冊知的好奇心をくすぐる本です。こうしてみると、時期ごとに対談が叶っている組み合わせ、次の機会も楽しみになってきます。

 

 

対談 作曲の極意を知りたい
養老孟司(解剖学者)× 久石譲(作曲家)

作曲家、久石譲からあふれる旋律の数々は、どこから生まれてくるのだろう。最近は指揮者としても活躍中だが、その源泉はどこにある? 長年親しい養老孟司が、久石譲に、音の世界について聞く。

久石:
高畑勲監督が亡くなられて(数日前に訃報が)……、お世話になっていたのでショックでした。

養老:
直接お会いする機会はなかったのですが、宮崎(駿)さんからよく話を聞いていました。

久石:
『かぐや姫の物語』(2013年)で音楽を担当して御一緒したのですが、ラストにかぐや姫が月に帰る、育ててくれたおじいさんおばあさんと別れるシーンがあります。ここはどういう音楽にしますか? と聞いたら高畑さんはニヤッと笑って「まだプロデューサーに話していないんだけど、ここはサンバでいこうと思って」とおっしゃる。普通お別れの場面は悲しい音楽のはずだから、えっ!? とこちらはフリーズしました(笑)。

理由はというと「よく考えたら月の世界というのは悩みも悲しみも一切ない。かぐや姫も月に行ったら、地球で起こったことは全部忘れちゃって、幸せになるんだ」と。ある種の仏教の極楽の世界でしょうか。煩悩が一切なく、真の悦楽を得た人たちはいったいどんな音楽を聞くのかと考えたら、サンバになったわけです。

養老:
確かにそうなりますね(笑)。

久石:
大変なものを引き受けたぞと思いました(笑)。高畑さんは、非常に論理的な判断をすると同時に、感覚的に「それならサンバだ」というアイディアが噴出してくるので、その辺の折り合いの付け方がうまいんです。

その根底に「僕はオプティミスト(楽天主義者)で、楽しいことが好き」とおっしゃる高畑さんの本質があると思うのです。論理か感覚かという時、うまくスライドできるんですね。楽天的だと自分で言ってしまうすごさが、強さでもあるのでしょう。

ただし、周りは苦労します(笑)。簡単に言うと、今日7時間話し合ってAに決めたはずが翌日には変わって完全にBにシフトしていて、なぜBかを延々と話す。さらにその翌日になるとまた変わる。世間的には「ぶれている人」なわけです。

ところが結果的に、瞬間ごとに本人は確信的に思ったことをストレートに言っているだけだから、ぶれているわけではない。そしてああいうすばらしい作品ができあがるんです。僭越ながら、もう2、3本は撮ってほしかった。次に構想されていた『平家物語』を観てみたかったです。

養老:
存在自体が貴重な方でしたね。

久石:
『遺言。』(80歳にして養老が久しぶりに書き下ろした新書)を読んだときに、目や耳に光や音が入るのを捉える「感覚所与」と、意味を見出してそこに価値を置く「意識」の行き来が無理のない方として顔が浮かんだのが高畑さんでした。飄々と軽やかで素敵な方で、養老先生と重なるところも実はありまして。

養老:
そうでしたか。

絶対音感のように「違い」をきちんと捉える感覚か、言葉のように「同じ」を追求する意識か、自分なりに考えてどちらかを消すんでしょうね。「現実」や「事実」か、それとも「論理」か。理屈でやるときは徹底的に理屈でやり、感覚でやるときは、徹底的にそちらでいく。

僕も標本をつくったり見たり、人体でも虫でも同じですが、具体的な現実を扱うときは、理屈を全部外してそのまま受け入れるようにします。

久石:
実作業のときは感覚的な処理をするけれど、そこから離れると論理をまた考え直す──その行き来なんですね。

養老:
記憶で絵を描いているようなものです。景色を見ているときは、絵を描いてはいない。

久石:
宮崎さんがそうですね。写真を撮るようなことは一切しないで、対象をひたすらじっと「観る」。映像記憶が特に強くて、ご自分で「後で絵を描くときには、要らないものは切っている」とおっしゃるのを聞いたことがあります。感覚で捉えた自分の世界を論理的に再構築されるのかなと想像しています。

養老:
高畑さんと同じように、かなりそこはアクロバティックですよね。観ているときは、理屈の方を落としているんでしょう。それを意識的にではなく、苦労なしになさっている。

感覚と意識の間を行き来でき、その上で何かものを創っている人に最近は話を聞くようにしていて、だから今日も、久しぶりに久石さんとお話ししたかったんです。

 

ものを作るインテンシティー

久石:
うかがいたかったのはまさに、感覚と意識のその関係です。作曲という行為を日常的にしているといつもこの二つの間を行き来します。インテンシティー、集中させる力とでもいうのか、決定的な原動力になるのは意識なのか、感覚なのか。

養老:
それはどちらでもないでしょう。レベルが違う。情動の中心は深くて、脳で言うと辺緑系にあります。

久石:
基本的に感覚で突き動かされないと作業ができない面があります。これがなんとも厄介でして。

養老:
理屈では語れないから僕も、ずっとそこをしゃべるのは避けています。しゃべることは理屈にすることだから、必ず落ちる感覚がある。

あえて言えば、一番極端なのは連続殺人犯です。扁桃体の活動が高過ぎるのに対してブレーキが弱い。普通の人はブレーキをかけられるんですが、それが弱い人がいます。

久石:
「ブレーキ」とは、感覚が暴走するのを止める……?

養老:
ブレーキをかけるのは意識の働きです。だから道徳律は「してはいけない」という禁止で伝えます。「しろ」という道徳律はないんです。

作曲とは違うけれど、ものを書く時で言えば、僕は、あまり締め切りには苦しめられません。嫌なら嫌なりに、どうせ嫌なんだから、割り切って意外に「やっちゃう」。

久石:
僕は…時間的制約の締め切りがなければだめですね(笑)。作曲家で締め切りなしで書いていたのはシューベルト(1797~1828)とプーランク(1899~1963)くらいです。

シューベルトは、浮かんだらとにかく書く。演奏されないものも多く、少々粗っぽくソナタ形式としては破綻しかけているのですが、ある意味伸びやかさを感じます。

プーランクは、比較的小さい作品が多く、日曜日に「いい日だな。曲を書こうかな」という具合に、これもあまり苦労が感じられなくて、羨ましい(笑)。

対してハイドン(1732~1809)は毎週行われる晩餐会などの演奏会のために曲を書かねばならなかったのですが、フォームが固まっているから、生涯で104曲(実際にはもっと多い)もの交響曲を書いています。モーツァルト(1756~1791)も短い生涯で交響曲を41曲書いています。理屈としては、土台にソナタ形式というフォームがあるので、第一、第二とテーマをつくると、必然的に次の展開が決まっていく。だからフォームがきっちりしている時代の音楽は、量産が可能だったのです。

音楽の歴史を見ていくと、例えばバロック、古典派時代くらいまでは基本的にフォームを重視しており、感覚を音の形にする表現方法がありました。音の「明るい」「暗い」自体が感情表現になり始めるのはバロック時代以降です。機能和声といって、それまでのポリフォニー(多声部音楽)と違って和音の進行が重要視されてきます。ポリフォニーの代表的な作曲家はバッハやヘンデル、ビバルディで、古典派ではハイドンやモーツァルト。このあたりまではフォームを保っていた。

養老:
どのあたりから変わるのですか?

久石:
ベートーヴェン(1770~1827)の時代ではっきり変わります。長調、短調の明快な長三和音、短三和音が感情を表現し始めます。明るい、悲しい、楽しいといった感情を記号的に和音の変化で表現できるようになる。メロディーラインの登場です。自ずと、観客は感情移入という行為を促されます。

観客の人数も、20~30人の宮廷での小さい晩餐会から、100、200……1000と増え、規模が大きくなると、宮廷や教会のものだった音楽が民衆のものになりました。要するに一般人が来て聴くようになった。その段階で大衆性が強くなります。

音楽の在り方自体も巨大になり変わっていきました。モーツァルトが交響曲を41曲書けたのに対してベートーヴェンは9曲しか書けないという構造になるんです。

養老:
作曲家の在り方も変わりますね。

久石:
音を選んでいく行為は、養老先生の虫採りと同じですべて感覚に拠るものです。とはいえ「音楽」とするにはそれを意識的に、立体的に組み立てる行為が必要になる。浮かんだことを書くのはアマチュアにもできることですが、作曲家は、それを有機的にまとめなくてはいけない。

そうなると、作曲とは意識的なものと感覚的なもののあいだを絶えず行き来しながら、規制をかけ、同時にそんな組み立てを壊したいという葛藤との狭間でつくっていく行為なのだとつくづく実感しています。

養老:
音楽が感情の表現になったというのはおもしろいですね。19世紀の末に『クロイツェル・ソナタ』(ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番に因んだ、トルストイの短編小説)の中で、ベートーヴェンの曲は人を動かすけれど、このわきおこる情動をどうしてくれるんだと文句が書かれています。

久石:
ベートーヴェンは煽りますから。

養老:
ニーチェが「ディオニュソス的」と呼ぶ創造的、激情的なもの。

久石:
危険なものともいえます。音楽はアフリカにもアジアにも、世界中にある。日本にも独自なものがある。ところがいま世界の多くの人が聴いている西洋音楽(クラシック)というカテゴリーは、ほとんど4世紀以内、たった400年に収まる範疇の音楽です。

そのピークにいるのがベートーヴェンだと思うのです。僕はいま、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏とCD化に取り組んでいます。論理的でもあるのになぜこんなに人の情動を煽るほどに感覚的なのか。譜面の奥に含むものが圧倒的で、驚くことばかり。おもしろくてたまりません。

でも、実はベートーヴェンと同じような人が当時は何百人といたはずです。時間が経って振り落とされ、その中でも最も強い人が音楽史上に残った。ベートーヴェンよりも当時売れた人はもっといるだろうし新しいことをやった人もいっぱいいる。でも、残ったのはベートーヴェンだった。

それこそ養老先生がいつもおっしゃっている「唯一性」だと思います。世界を感覚で捉えたら同じものはひとつもない。そして、その世界で「美」を基準に優れたものが芸術として残る──。

音楽史としては、その後ロマン派になったころから文学、言葉の世界が入ります。詩をもとに音を構成するのです。シェーンベルクやウェーベルンが出てきて十二音技法になった段階で、あらためて、フォームを重要視する時代になっていきます。

養老:
現在はどうなっているのですか?

久石:
不協和音の現代音楽が山ほど出ており、基本的にすべて現代の音楽は意識中心です。もちろん音を選ぶのは感覚ですが、誰のためなのかというと、自分だけで完結している。必然的に観客は離れます。音楽にそんなものを求めていませんから。

『遺言。』で、今の時代は意識が中心になっているから少し考えようよ、と書かれています。実は、個人の集合やつくりだす各時代の語法や思考にも、意識に近いときと感覚に寄るときと、揺れるうねりが絶えずありますね。音楽の歴史でも同様です。

養老:
いつごろから譜面を使うようになったのでしょう?

久石:
最初は、単音をユニゾンで歌っているだけで、『グレゴリオ聖歌』の5世紀ごろには譜面なんてありません。備忘用として、1本の線でコブシのような音の高低が書かれているだけ。この線がだんだん増え、音の長さや音程を五線で表すようになるのが15世紀のルネサンスのあたりです。

それまでの音楽は基本的に覚えたことを歌うか、即興演奏でした。ところが記譜によって例えば対旋律など、ありとあらゆる可能性を文章のように吟味できるようになっていきます。それが作曲です。つまり、譜面ができた段階で作曲家が現れた。

16世紀を過ぎたところで、長三和音、短三和音が出てきて、メロディーと和音とリズムという非常に明快な分業体制ができあがりました。そうすると、メリハリがついて気持ちがいい。和音が音楽の感情表現をさらに可能にしたんです。

 

状況内と状況外

養老:
文学で、情動をむやみに動かしても意味がないという批判があります。チェーホフ(1860~1904)について哲学者のシェストフが『悲劇の哲学』という本で書いていましてね。チェーホフは、がんで余命いくばくもない医学部の老教授のことをきれいに書いていて、これがいいんですよ。名声を得ていて、弟子の第一助手が娘のお婿に決まっていていい奥さんがいて、それなのに家族にも何もかにもうんざりしている。それをただずっと書いていまして、なぜか読ませる。ずばり『退屈な話』っていう作品です(笑)。

久石:
どれだけ退屈なのか(笑)。

養老:
シェストフが指摘したのは、あれだけの才能をなぜ虚無的な無駄話につぎ込んだのか。僕は作品も『悲劇の哲学』も大好きですけど。

久石:
今度読んでみよう。

養老:
つまり、19世紀の文学は情動というものを処理しきれていない。あの才能を以てすれば人の感情を動かせるのだろうけど、チェーホフはそうしません。

久石:
『桜の園』も暗いですしね。

養老:
じゃあ、あの人は暗い人かというと、どうもそうじゃない。

久石:
医者になって、それなりに成功していますよね。

養老:
当時流刑地だったサハリンまで行ってね。囚人の環境が劣悪だと訴えて人道的な記録も残している。ところで、若いうちはミニマル・ミュージックをやられていたでしょう。

久石:
そのときは意識寄りでした。「こうあらねばならん」というものを一生懸命につくっていました。

ところがその後に始めた映画音楽はメロディー重視で、逆なんです。エンターテインメントは、人をどう感動させるか、どうインパクトを出すのかが大切ですから、今度は感覚ばかり使います。そうなるとバランスをとるために論理的であるミニマルな要素をどんどん増やしたりしています。

いま僕が気に入っているやり方は、観客が見るときの手助けにとどめる方法です。あえて、登場人物の気持ちに寄り添う音を極力少なくする。それから状況説明の音楽も極力減らす。客観的なところで音を付ける。

演じている人が泣いているところに輪を掛けて悲しい音楽を流すのは愚の骨頂だと思うから、距離を取るというやり方です。ストーリーの邪魔をする必要はありません。

養老:
僕はテレビで風景を見るのが好きなんだけど、時々音楽がうるさすぎて「これさえなければいいのに」と腹が立つことがあります。

久石:
そう、邪魔する音楽は本当に多いです。フィクションの映画につける音楽の根本もまたフィクションです。つくりものの極致が映画音楽なんです。僕らが会話の中で笑ったときに「ちゃんちゃか♪」と楽しい音楽は鳴らない。でも映画では鳴る。

だから嘘めいたものが映画音楽だと言える一方で、嘘めいていないのは状況内音楽です。例えばわれわれがこのまま隣の赤ちょうちんに行ったとして、そこで演歌が流れていたとする。状況で流れているから、それは不自然ではない。この状況内と状況外をうまく使い分けることが大事です。

黒澤明監督の『野良犬』(1949年)という映画があります。三船敏郎扮する若い刑事が木村功扮する犯人に拳銃を奪われ、その銃で殺人事件が起こり、ラストシーンに郊外の新興住宅地のそばで二人が泥にまみれて殴り合いをします。その最中に新興住宅地の若奥さんが弾くピアノ練習曲の『ソナチネ』が流れる。これは状況内音楽です。ピアノが自宅にあるようなブルジョアの戦後社会の象徴と、たまたま片方は刑事で片方は犯人なだけで所詮は同じ戦争引き揚げ者たちの対比。この構図では『ソナチネ』を流しただけで、二人とも戦争の犠牲者だと瞬時にわかるのです。言葉で説明するとくどいことが音で見事に表現されている。

映画の音楽を丁寧につくるというのは、こういうことで、これをやらなくてはいけないと思います。名作と言われている映画は、この辺が巧みです。

 

言葉と音楽

久石:
言葉というものが、感覚で捉えたことを伝えるためにできたとしたら、それぞれのものに名詞が付き、それを組み立てる文章が書きとめられ、吟味されなくてはなりません。

音楽でいうと、五線譜ができ作曲家が誕生し、音楽として発展を遂げました。音楽にも通じるのでうかがうと、言葉が生まれてから表現手段となるまでにどのぐらい時間がかかったんですか?

養老:
相当かかっているんじゃないでしょうか。文字の始まりは、「ウマ何頭」といった税金の記録ですよね。そこから都市をつくり、最初に書かれたのがおそらく「誰々がこう語った」という対話録でしょう。

『論語』はご託宣ですけど、プラトンも『新約聖書』も言ってみれば誰かが語ったものです。同時多発的に四大文明で出てくるのが、「語り」であり、その語りの記録に対して解説がなされていく。中国では、「先生はこういうことを言おうとした」と「子曰く」で解釈をする「訓詁」の概念があり、それが中国語自体の成立に結びついたと思います。

その注釈を全部知っていないと科挙に合格できないのは、一つの言葉にはそういう背景があるという認識が共有されていたからでしょう。

ソクラテスが「書かれた言葉」を嫌ったのは、実際の状況が消えれば感覚世界が失われるからだったと直感的にわかります。だから「対話」だったのでしょう。それを無視して平気でやったのがプラトンで、だからプラトン以来、言葉の学問ができていく。ソクラテスの時代はまだ、感覚と切ってはいけないという考え方があったんでしょうね。現場の状況と言葉を切り離すと、言葉が独立して動き出してしまうからと。

久石:
それは音楽でも同じですね。譜面ができたことで、譜面上で作曲家が組み立てを行うようになった。

曲は人工物であり、所詮個人の思いに過ぎないのではないか。言葉が独立して勝手に動き出すのと同じように、本来音楽は、もっと日常的なものだったはずが、勝手な自己運動に入ってしまっているのではないか。こうなると作曲家という存在は必要なのか、いつも考えてしまうんです。

なにしろ譜面は演奏家に再現可能をもたらします。演奏された音は自分のつくったときのものとは異なりますし、それなら自分とはなんぞやと問えば、音は扱っているし構成はしているけれども……ねえ? どんなに作曲をしてもその疑問は消えません。

そもそも今や、音楽家の基本は譜面なんですよ。オーケストラは、年間で優に100回以上のコンサートをやります。譜面を見て、たった1回か2回の練習で本番をこなす能力がないといけないとなると、クラシックの音楽家にとって最も重要なことは目で譜面を読む能力です。耳も、もちろん必要ですが、目で読み取って音にする視覚の能力がなければ、クラシックは成立しません。実質的に作業の半分以上は「目から入れた情報を変換しているだけ」となりかねない状況なのです。

 

指揮者として見える世界

久石:
それでいて譜面は不確実です。なにしろ細かいことを書いていたら8小節書き切るのに1ヵ月はかかります。例えば「タータランタタタララン」という場合に「タータラン」なのか「タンッタラン」なのかは譜面に細かく記されていないし、放っておけば、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのユニゾンで演奏されるニュアンスが異なる場合もある。

それを揃えるのは指揮者の役割ですし、譜面は輪郭にしか過ぎず、解釈や情動、味わいまでは、どうしても書き切れません。

となると、指揮をするということは、譜面に感覚所与を生じさせることなんです。基本はそこに感覚を与えて、埋もれているパートを立体的に組み立てていくという作業になる。指揮するときも、感覚と意識の両方を駆使しながらしているのです。

作曲と指揮を並行するようになって、面白い発見がありました。「美は乱調にあり」という言葉がありますよね。論理的なものと感覚的なものは、絶えずせめぎ合っています。どんな名曲でも必ず整合性が取れない、どうしようもない部分が出ます。感覚と意識とが、どうにも折り合いがつかなくなって破綻する部分で、ベートーヴェンの中にもあります。その破綻部分に実は、その本人特有の何かが如実に出てきます。僕は、それを見つけるのがうれしくて指揮をしているようなものです。

養老:
「あれ?」っていう部分だな。

久石:
はい。どんなにいい作品でも必ずあります。その矛盾した所に、ほんとうは何がやりたかったのかが逆に見えてきて、それが一番楽しいかもしれません。

音楽が他の芸術と違うのは、譜面に表されたものが再現されること。そして、そのために演奏家という特別な集団がいること。この2点です。絵画なら個人の筆で完成するのですが、音楽は演奏されないと意味がない。しかも音というのは必ず時間の経過を伴い、論理的であり複合的になります。

養老:
「古池や蛙飛びこむ水の音」ですね。古池が目に映り、耳には水音が入る。短い中に時間と、そして芸術のすべてが含まれています。だからこそ、名句なのです。若いうちは「古池がどうしたんだよ」「カエルがいて当たり前だろう」と何であんなものがいい俳句なのかわかりませんでしたけどね。

久石:
見事に時空がありますね。

養老:
運動も入っていますし。よくもあの十七文字の中ですべてを表現したものです。

久石:
そこに世界が全部凝縮されていて、音が活きる空間があの言葉の中に描き出されているのですね。

(新潮45 2018年7月号 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「レコード芸術 2018年4月号 Vol.67 No.811」青春18ディスク 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/09/19

クラシック音楽誌「レコード芸術 2018年4月号 Vol.67 No.811」に掲載された久石譲インタビューです。巻頭カラー連載「青春18ディスク」コーナーに登場、前号3月号では前編・本号4月号は後編、2回にわたっていろいろなエピソードとともに思い出のディスクが紹介されています。

 

 

青春18ディスク
私がオトナになるまでのレコード史 (4)

今月の人●久石譲 後編

協和音もリズムもあって反復する音楽を”これが最先端”なのだと突きつけられた瞬間、世界がひっくり返るくらいに驚いた

ききて・文:飯田有抄

 

ミニマル・ミュージックとの衝撃的な出会い

現代音楽とジャズにすっかり魅了される高校時代を過ごした久石譲。新しい音楽のレコードを積極的に聴く姿勢は、国立音楽大学作曲科に入学後も続いた。

「シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、そしてブーレーズの作品へ……と音楽史の動き通りに追っていました」

大学では入野義朗氏のもので十二音技法を学ぶなど最新の音楽語法に触れていく。そんな学生時代も後半になると、自作品によるコンサートを開くようになった。

「作曲家の北爪道夫さんや長与寿恵子さんらと作品を持ち寄って、N響の打楽器奏者・有賀誠門さんなど一流の方に演奏をお願いしていました。300席ほどあった朝日生命ホールにお客さんの姿はポツン、ポツン……僕の親戚、あいつの親戚という具合(笑)。奏者の方にはなんとかギャラをお支払いし、アルバイト代でホール使用量を払う日々を送っていました」

そんな中、衝撃的なレコードに出会った。テリー・ライリーの『A Rainbow in Curved Air』だ。

「あまりのショックで3日間くらい寝込んだと思う。自分たちは不協和音や非拍節的な音響を用いて新しいことをやっていたつもりだったのに、協和音もリズムもあって反復する音楽を”これが最先端”なのだと突きつけられた瞬間、もう世界がひっくり返るくらいに驚いた。これがミニマル・ミュージックとの衝撃的な出会い。自分にとっての完全なターニング・ポイントでした。そこからはフィリップ・グラスの『The Photographer』やスティーヴ・ライヒの『ドラミング』から始まる一連の作品など、とにかくたくさんミニマルを聴きました」

 

UKポップスシーンを追う

同時にミニマルは、イギリスのポップスに積極的に取り入れられていった。

「ブライアン・イーノの『Music for Airports』、クラフトワークの『TRANS-EUROPE Express』、マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』、タンジェリン・ドリームのアルバムなど、ミニマルの影響を受けたポップスをよく聴くようになりました」

大学を卒業する頃には、テレビの音楽やアレンジの仕事を手がけるようになっていた。

「その頃はスティーリー・ダンの『Aja』やドナルド・フェイゲンの『The Night Fly』もよく聴いた。彼らは徹底的にこだわり抜いたレコーディングをしているので音質が最高。ジャケットも当時のアメリカの雰囲気が出ていて素晴らしく、ひとつの『表現』になっていました。今のCDのジャケットは小さすぎて、『表現』ではなく『情報』になってしまった」

UKポップスの代表格として、スティングを挙げる。

「イギリスのミュージシャンはクラシックがベースにある人が多い。スティングの《イングリッシュマン・イン・ニューヨーク》もガーシュウィンの《パリのアメリカ人》を捩っていますしね。『ブルー・タートルの夢』はジャズミュージシャンを起用して作ったアルバム。ジャズ的なモードを使い、政治的な言葉や環境問題なども歌に盛り込む。恋愛ばかりを歌うポップスとは一線を画しています」

 

青春の終わり

青春時代を彩る最後の3枚としてあげたのは自身のアルバムだ。

「ミニマルに出会ってから、すでに7、8年が経過していましたが、81年にムクワジュ・アンサンブルのために作曲した『ムクワジュ』で、やっと初めてミニマル作品らしい作品を作ることができました。これを境に、いったん僕はクラシック音楽と決別した。当時の日本の作曲家たち(=現代音楽界)は、何か新しいことをしようとすると、まず他人の論理を潰すことばかりに終始していた。相手を論破し、自分の論理がいかに正しいかを訴え、お客さんに音楽を聴いてもらうということは全然考えていなかった。僕はそんな世界がつくづく嫌になり、ポップスの世界に行った方が”やりたいことができる”と思った。

 そして1982年、僕の正式なデビュー盤である『インフォメーション』を作りました。ミニマルというベースは変えていないけれど、ここから僕の現住所はポップスです、という宣言をした。ロック的な要素やレゲエも取り入れています。年齢的にはすでに30代に入っていたけれど、方向性を探っていたという意味でまだ僕にとっては青春時代です。

 そして最後は『風の谷のナウシカ~イメージアルバム』。実際に映画で使う音楽は、もっと名のある方が担当するはずだったのですが、無名だった僕のイメージアルバムを聴いたプロデューサーの高畑勲さんが、”ここに素材がすべて出揃っている”と推してくださった。そこから映画音楽の道が拓かれていきました。だからこのイメージアルバムまでが、僕の青春時代なのです」

そして今、再び「本籍を完全にクラシック音楽に戻した」と語る。

「1960、70年代は、既成概念を壊し、権力に楯突くことがアーティスティックな行為だったけれど、それはある種の共同幻想だった。伝統や本道があるからこそ、潰そうと思える対象があった。今は本道が失われ、それぞれが好き勝手にやって世界中が分裂したような状態。21世紀はむしろ本道を模索していかなければ世界も音楽も衰退してしまう。歴史上の古典の名曲を敢えて否定してきた僕も、今はその伝統に向き合い、その延長線上にいる自分をきちんと据え直したい。その活動の一つとして今、ナガノ・チェンバー・オーケストラでベートーヴェンの交響曲全曲演奏と録音をしている真っ最中です」

(レコード芸術 2018年4月号 Vol.67 No.811 より)

 

 

テリー・ライリー / A Rainbow in Curved Air
〈録音:1967年、1968年〉
[OCTAVE/CHERRY REDⓈOCTD4846]

「作曲家仲間の長与寿恵子さんの夫・吉田耕一さんから聴かせてもらい、世界がひっくり返るような大きな衝撃を受けた。このアルバムを聴いて、さっそく自分も4、5人のグループを作って、オルガンを使ったディレイの奏法などを試みた。」

 

フィリップ・グラス / The Photographer
〈録音:1982年〉
[CBSソニーⓈ25AP2504(LP)]
[ソニークラシカルⓈSICC129]

「ミニマル・ミュージックの世界に近づくために、グラスやライヒらの多くのレコードをひたすら聴いた。楽譜として買えるものはまだ少なくしかも高額だった。そんな当時、とても世話になっていたのが大学の図書館。誰も借り手がつかないような現代曲の楽譜ばかり借りていた。」

 

ブライアン・イーノ / Music for Airports
〈録音:1978年〉
[ポリドールⓈMPF1229(LP)]
[ユニバーサル・ミュージックⓈVJCP98051]

「実際に聴いていたのはもう少し後かもしれないが、ミニマルを取り入れたポップス系のアルバムとして非常に影響を受けた一枚。新しい音楽を求め、この頃の嗜好はイギリス系にシフトしていった。」

 

クラフトワーク / TRANS-EUROPE Express
〈録音:1976年〉
[キャピトルⓈECS80833]
[パーロフォンⓈWPCR80041]

「クラフトワークの最初の頃のアルバムで、テクノ・ポップ。当時の彼らのステージは、舞台上には人形が置かれ、バックステージで彼らが演奏するという画期的なスタイルだった。」

 

ドナルド・フェイゲン / The Night Fly
〈1982年発売〉
[ワーナーミュージックⒹP11264(LP)]
[ワーナーミュージックⒹWPCR17866]

「徹底したレコーディングにより、楽器のバランスも最高。僕がスタジオで録音する際にはバランスを知るためにこの音源をリファレンスとしてかけてみて、調整をはかっていた。そんな最高峰の一枚。ジャケットも惚れ惚れするほど格好良い。」

 

スティング / ブルー・タートルの夢
〈1984年発売〉
[A&MⒹUICY20212]

「スティングはUKポップスのド本道と言える。大量に所蔵しているUKポップスの中でも、とりわけ大好きなアーティストでもある。比較的、政治や環境問題などメッセージ性のある言葉を選び、サビはみんなで口ずさめるようなシンプルな構造だが、知的レベルは高い。」

 

久石譲 / ムクワジュ・ファースト
〈録音:1981年〉
[デンオンⒹCOCB54240]

「2年間、毎週のようにリハーサルをおこなって録音した渾身のアルバム。ここでいったんクラシックに決別した。打楽器、キーボード、コンピューター・プログラミングによる作品。」

※2018年1月31日発売。最新リマスタリング盤

 

久石譲 / インフォメーション久石譲 『INFORMATION』
〈録音:1982年〉
[ジャパン・レコードⒹTKCA73444]

「作曲家としてのフィールドをポップスに移し、エンターテインメント作品第1弾として制作したソロ・アルバム。基本はミニマル・ミュージックというスタンスは変えていない。」

※2018年4月21日にアナログ復刻盤[TJJA10003]が発売

 

久石譲 / 風の谷のナウシカ~イメージ・アルバム久石譲 『風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人』
〈1983年発売〉
[スタジオジブリⒹTKCA72716]

「1984年の映画公開に先立ち1983年にリリースされた。当時は、映画本編のサウンドトラックとは別物の「イメージアルバム」が作られることが多くあった。ストーリーもよくわからないままにオファーを受けて作った記憶が。打ち込みや当時の流行りの音などを多用。実はギターに布袋寅泰さんが参加している。」

(レコード芸術 2018年4月号 Vol.67 No.811 より)

 

 

前編
Blog. 「レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810」久石譲インタビュー内容

 

 

 

Blog. 「レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810」青春18ディスク 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/09/18

クラシック音楽誌「レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810」に掲載された久石譲インタビューです。巻頭カラー連載「青春18ディスク」コーナーに登場、本号前編・次号4月号後編として2回にわたっていろいろなエピソードとともに思い出のディスクが紹介されています。

 

 

青春18ディスク
私がオトナになるまでのレコード史 (3)

今月の人●久石譲 前編

こんなに不協和音だらけの音楽があるのか!
ショックを受け、前衛的な響きにのめり込むきっかけとなった黛敏郎の《涅槃交響曲》

ききて・文:飯田有抄

 

年300本以上観た映画は音楽の原点
ヴァイオリンは交響楽への入り口

「いつも”今が大事”だと思っているので、自分自身の過去を振り返ることはほとんどありません。ですから『あの音楽と出会ったのはいつだったか』という編集部からの問いかけで過去を思い返すのは、個人的に珍しい体験だった。気づけば一生懸命LPを探していました」

そう笑いながら、思い出の詰まったレコードの山を見せてくれた。買い集めてきた青春時代のLPは、ジャケットの一枚一枚にも思い入れがある。だが「レコードを聴く」行為そのものは、物心ついたころから始まっていたという。

「竹針を使う”電蓄”ですね。あれを父が持っていて、《カルメン組曲》などのクラシック、童謡、美空ひばりの歌謡曲など、ジャンル問わずいろいろな音楽が家の中で流れていました。

 当時の音楽的な経験として大きかったのは、年間300本以上映画を観たことです。長野県中野市の高校の若手教員だった父は、生徒が映画館に出入りしていないかどうか巡回に出掛けるので、僕もその度に付いて行っていたのです。街には二つの映画館があり、片方が東映・東宝で、もう片方が日活・松竹・大映。テレビが普及する直前、映画全盛の時代ですから、週に3本ずつ入れ替わる。月に最低24本。怪談、恋愛、アクション、チャンバラ……あらゆるジャンルを5年間見続けました。のちに映画音楽を書くことになった僕にとって、この経験は財産ですね」

印象に残るレコードとして最初に記憶されているのは、小学校時代の友人の家で聴いたドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》だった。

「同級生に医者の息子がいて、その子の家には立派な装置があった。そこで聴いたのがワルター指揮コロンビア響の《新世界より》。まだ自分でレコードを買うのではなく、友人宅に何度も遊びに行って聴いていました」

交響曲のレコードに魅せられたのは、ヴァイオリン・レッスンに通っていた影響もあるという。

「4、5歳くらいから小学校高学年くらいまで習っていました。練習室にはオルガンが置いてあって、それをレッスンの一時間前に行って弾くのが楽しみで。和音なんてことを習う前から、自分でドミソを鳴らしては綺麗だなぁ、と。ヴァイオリンよりも、鍵盤をたどって美しい響きを自分で発見するのが面白かった」

 

演奏することよりも作ることの方が好き

中学に入るとポップスに出会った。初めて買った45回転のドーナツ盤がザ・ロネッツの『Be My Baby』。

「中学生ともなると世間に目覚めるというか、ラジオで聞いていいなと思ったらメモをして、買えるものは買いました。60年代当時はアメリカのポップスがすごく元気だった」

一方で、中学の部活動ではブラスバンド部に所属。トランペットのソリストとしても活躍した。

「マーチだとか、コンクールの課題曲だとか、みんなで音楽をやるというのがとても楽しかった。サクソフォーンやトロンボーンもやりましたが、指揮もしましたね。というのも、ヴィレッジ・ストンパーズの《ワシントン広場の夜は更けて》なんかをブラスバンド用に一生懸命譜面に起こし、みんなに演奏してもらうのが楽しかったのです。夜中に布団をかぶって、あ、この音だ、と探しながら譜面にするのは大変でしたよ(笑)。当然ハーモニーの理論なんて知らない頃だから。でもそれで、自分は演奏することよりも、作ることの方が好きだと自覚し、作曲家になろうと決めたのです。

 音大の作曲科に進もうと、ピアノを習い始めました。そこでグレン・グールドの《インヴェンションとシンフォニア》に出会った。その頃にはうちにもステレオがあって、イ・ムジチ合奏団の録音でバッハの《管弦楽組曲第2番》などもよく聴きました」

 

現代音楽とジャズの洗礼

高校時代は音大の作曲科を目指して、3年間レッスンを受けに東京に通った。師匠は和声学の大家、島岡譲。

「島岡先生のレッスンは無駄のない厳しいものでした。和声学は古典的な理論の基本です。決められた型を学ぶ。でもそのことに抵抗を感じていた僕は、後に大学に入ってから一度先生に楯突いたことがありました。『決まりを学ぶことが、本当に人の感性を育てることになるんでしょうか?』と。先生の答えはとても明快でした。『基礎を学ぶ程度で個性が潰れるやつは、所詮作曲家にはなれない』と。そうポンと言われたときに、あ、理論はやっぱりちゃんとやったほうがいいな、と逆に思いましたね」

そんな反骨精神と素直さを併せ持った10代、夢中になって聴いたのが「現代音楽」だった。

「この頃はもういろんな音楽を聴きたくて、バーンスタインの指揮するショスタコーヴィチの5番が好きでした。メシアンの《トゥランガリラ交響曲》を小澤征爾さん指揮のトロント響で聴き、とんでもない日本人がいると知ったのもこの頃。次第に現代曲に目覚め、黛敏郎さんの《涅槃交響曲》に出会ったときは衝撃でした。日本の現代音楽にすごく勢いのあった時代で、三善晃さんの《交響三章》や《オンディーヌ》などのレコードも買いました。耳はどんどん刺激的なものを求め、クセナキスの《エオンタ》や、シュトックハウゼンの作品なども、これも音楽なんだと驚きながら聴いてましたね」

一方で、高校時代にはジャズの響きも知った。

「地方でも街に一人くらいは、ちょっとはみ出し者で、いろいろ教えてくれる大人がいたものです。10歳くらい年上で、喫茶店のようなところで、『これいいんだよ~』とジャズを教えてくれる人がいて、ディジー・ガレスピー、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンなど、あらゆるジャズを聴かせてくれた。マル・ウォルドロンの『Left Alone』は高校時代の終わりに、耳コピしてピアノで弾いていましたね。でも、当時のレコードは回転もアバウト。僕はF#マイナーで聴き取ってコピーしたのだけれど、原曲はFマイナーだったのを後から知りました(笑)」

(レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810 より)

 

 

ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビアso
〈録音:1959年2月〉
[ソニークラシカルⓈ SICC2012]

「当時としては音響のいい設備をもった友人宅で、同時期にアンセルメ指揮スイス・ロマンド響によるベートーヴェンの第5番《運命》や、シューベルトの《未完成》など、交響曲の名作をたくさん聴いた。」

 

J.S.バッハ:2声のインヴェンションと3声のシンフォニア
グレン・グールド (p)
〈録音:1964年3月〉
[CBSⓈ OS425(LP)]
[ソニークラシカルⓈ SICC30352]

「音大を目指す者の通過儀礼として、自分でもピアノで弾いたバッハ。グールドが芸術作品として聴かせてくれた印象深い一枚。」

 

J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番
イ・ムジチ合奏団
〈録音:1963年8月〉
[フィリップスⓈ SFX7597(LP)]
[フィリップスⓈ PHCP9683(廃盤)]

「イ・ムジチといえばヴィヴァルディの《四季》が有名だったが、バッハを好んで聴いていた。当時はスメタナの〈モルダウ〉やチャイコフスキーの《スラヴ行進曲》など派手なオーケストラ曲もステレオで楽しんだ。」

 

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番, ストラヴィンスキー:バレエ《火の鳥》組曲*
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークpo
〈録音:1959年10月, 1957年1月*〉
[CBSⓈ WX7(LP)]
[ソニークラシカルⓈ SICC1791, SICC1850*]

「カップリングのストラヴィンスキーの《火の鳥》と合わせ、擦り切れるほど聴いた。同時期に知った《春の祭典》には、「こんな暴力的なリズムもやっていいのか!」と驚いた。」

 

黛敏郎:涅槃交響曲
ヴィルヘルム・シュヒター指揮 NHKso, 合唱団
〈録音1959年頃〉
[東芝(M) TA7003(LP)]
[EMI(M) TOCE9430(廃盤)]

「音楽とは綺麗なものだと思っていたのに、こんなに不協和音だらけの音楽があるのか! とショックを受けた。でも知ってしまうと、それ以外はあり得ないと思ってしまうくらい、前衛的な響きにのめり込んでいった。」

 

三善晃:音楽劇《オンディーヌ》
森正指揮 ラジオo, NHK電子音楽スタジオ, 他
〈録音:1959年〉
[東芝Ⓢ JSC1005(LP)]
[EMIⓈ TOCE9435(廃盤)]

「このあたりの音楽を聴いていたころ、自分はまだ東京で古典的なレッスンしか受けていないけれど、「現代音楽の作曲家になるのだ!」という意識が芽生えた。」

 

クセナキス:メタスタシス, エオンタ, 他
コンスタンティン・シモノヴィチ指揮 パリ現代音楽器楽ens, 高橋悠治(p) 他
〈録音:1965年〉
[コロムビアⓈ OS2914(LP)]
[シャン・デュ・モンドⓈ KKCC30(廃盤)]

「マスになった不協和音のダイナミズムで曲を構成していく音楽が、当時は最新鋭で刺激的だったが、ずっと後になってから指揮の師匠・秋山和慶さんのリハーサルに立ち会った際、時代がかった音響に聞こえたのも印象的だった。」

 

ジョン・コルトレーン / 至上の愛
〈録音:1964年12月〉
[ユニバーサル・ミュージックⓈ UCCU5606]

「大人からさまざまな名盤を教えてもらい、店で聴いた。この頃、ジャズのレコードを自分で買った記憶がないが、とにかくジャズが大好きになった。」

 

マル・ウォルドロン / Left Alone
〈録音:1959年2月〉
[Solid BethlehemⓈ CDSOL45501]

「ピアノでコピーできるくらいに聴きこんだ。当時はレコードも機械もチューニングがいい加減。ファなのかファ#なのか曖昧で、その中間くらいの音だった(笑)。後に本人の来日公演でFマイナーであることを知った。」

(レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810 より)

 

 

後編
Blog. 「レコード芸術 2018年4月号 Vol.67 No.811」久石譲インタビュー内容

 

 

 

Blog. 文藝別冊『大林宣彦 「ウソからマコト」の映画』(2017) 久石譲 寄稿内容

Posted on 2019/09/17

映画監督・大林宣彦の軌跡を辿るムック、文藝別冊『大林宣彦 「ウソからマコト」の映画』に、これまでいくつかの映画や仕事で関わってきた久石譲も寄稿しています。作品ごとにそれぞれ回想されるエピソード、この書籍のためだけの内容になっています。

 

 

大林監督江

大林監督はすなわち映画である 久石譲

大林監督の手はとても大きい。やや太めの指ではあるが、ショパンと同じくらい大きくて下のドの音からオクターヴ上のミまで約一〇度の音程を片手で押さえられるのではないかと思えるほどだ。そして温かい。相手を包み込んでしまうようなその手と初めて握手をしたのは『漂流教室』という映画の音楽を担当した時だった。

「大きいなあ」と感心している僕の向かいには優しい眼差しと少年のような笑顔があった。そして独特な語り口は多くの人がそうであるように僕を虜にし、それはその後もずっと続いた。例えば広島国体の時(監督が総合演出で僕は行進などの音楽の手伝いをした)当日は雨が降った。うらめしげに空を見上げる僕に監督はいった。「ジョー、普通はあいにくの雨ですがっていうだろ、だけどね、雨は、恵みの雨ともいうんだよ」。目から鱗のこの表現、つくづく感嘆したのだが、この言葉を聞いたのはもう数回めだった。このふつうでは捉えられない視点はもちろん物を作る人間の必須条件ではあるのだが、大林監督の捉える観点は想像をはるかに超える。それはおどろきであり、同時に危険でもあった。

『ふたり』という映画の音楽を担当した。通常音楽打ち合わせは数時間から場合によっては数日かかるのだが、たったの五分で終わった。監督が台本をめくり「こことここと、こことはいらないね」。つまりそれ以外はぜんぶ音楽が必要ということで約ニ時間一五分くらいの映画のうち一・五時間くらいの分量の音楽を一週間か十日そこらで書き上げなければならなかった。泥沼の徹夜はいうまでもない。また『水の旅人』では一週間後にはオーケストラのレコーディングがあるというのに映像の編集が半分もできていなかった。つまり音楽を書くことができない。困り果てた僕は監督に電話をしたのだが、のっけから「そうだろうジョー、普通は編集する時期に、こっちは撮影に入ったんだから本当に大変なんだよ」。何だかはぐらかされたようで渋々電話を切った記憶がある。そして極め付きは同映画の試写会の時だった。舞台挨拶をする僕に舞台袖の関係者からチューインガムを引き延ばすような仕草が何度も送られてきた。「?」とドギマギしたのだがやっと気づいた。実はその日の朝までダビング(セリフや音楽、効果音をミックスして仕上げる最終工程)していたため、試写会場に届いたフィルムが乾いていなかった。だから時間稼ぎをするために話を長くしろ、という合図だったのだ。信じられます?そんなこと。《注:だいぶ昔の話のうえに歳をとったので勝手に自分の記憶を書き換えている節もある。間違っていたら関係者の皆さん、大目に見てやってください(笑)》

大林監督の周りではこんな逸話が多分いっぱいあるのだろうと推察する。まるで映画のように。監督のそばにいると僕たちは映画の中の登場人物のようにふつうではない体験を嫌が応でもします。そして新たな自分を発見して世界が広がった気がするわけです。

じつはこれ映画そのものです。映画はウソの世界です。だからこそリアルな現実では感じ取ることのできないものごとの本質を暴くことができる。同時に生きる希望や喜びをあたえてもくれます。

もしかしたら大林監督は、映画そのものなのかもしれない。いや、監督自身が映画なのです。

(ひさいし・じょう/作曲家)

(文藝別冊『大林宣彦 「ウソからマコト」の映画』より)

 

 

久石譲 『漂流教室 オリジナル・サウンドトラック』

今井美樹さんの歌う主題歌「野性の風」、その編曲も手がけています。

 

1996年ひろしま国体の式演出を務めた大林宣彦監督の呼びかけのもと、イメージソング「砂漠のバラ」(歌/森公美子)を作曲。またこの曲は行進曲用にアレンジされたものが開会式・閉会式の入退場にも使われました。

 

久石譲 『ふたり オリジナル・サウンドトラック』

主題歌「草の想い」は大林宣彦監督と久石譲のデュエットで話題に。この曲はインストゥルメンタル曲「Two of Us」として珠玉の名曲で愛されていくことになります。

 

久石譲 『水の旅人 オリジナル・サウンドトラック』

中山美穂さんの歌う主題歌「あなたになら…」もロンドンでレコーディングされるなど、当時久石譲はロンドン生活でした。

 

 

そのほか、映画『はるか、ノスタルジィ』(1993)、映画『女ざかり』(1995)、映画『この空の花 —長岡花火物語』(2012) があります。各作品ごとにCDライナーノーツや当時インタビュー・文献は掲載しているものも多いです。大林宣彦×久石譲、その数々のエピソードのなかから、いつか掘りさげることもあるかもしれません。

 

 

 

KAWADE夢ムック
文藝別冊『大林宣彦 「ウソからマコト」の映画』

■目次
大林映画のことばたち
写真アルバム OB’S MEMORIAL
家族座談会 大林恭子×大林千茱萸×大林宣彦 家族で映画ばかり撮ってきた
大林宣彦フィルモグラフィー
[大林監督江]
高柳良一(ニッポン放送総務部長)
のん(女優)
塚本晋也(映画監督)
久石譲(作曲家)
小林亜星(作曲家)
ロケット・マツ(パスカルズ)
石川浩司(パスカルズ)
今関あきよし(映画監督)
原將人(映画監督)
犬童一心(映画監督)
井口昇(映画監督)
本広克行(映画監督)
糸曽賢志(映像監督)
椹木野衣(美術評論家)
笹公人(歌人)
竹石研二(深谷シネマ支配人)
北沢夏音(ライター)
[インタビュー]
尾美としのり 大林映画、 悲喜こもごも
常盤貴子 いま、 大林映画に出演できる幸福
根岸季衣 大林映画の常連役者として歩んだ幾年月
南原清隆 大林監督はいつも心のなかに夕凪の風景をもっている
寺島咲 安心感と緊張感がつねに一緒にある現場
窪塚俊介 唯一無二の“純映画”をつくる人
山崎紘菜 メッセージを受け止め、伝えること
桂千穂 四〇年後の“決着”
阪本善尚 僕の撮影監督としての骨格は大林映画で築かれた
三本木久城 監督の生理にもとづいて生み出される映像
竹内公一 “絵空事”としての映画美術
KAN いつか見たミカン箱の上で
呉美保 大林組が映画と社会への入口だった
[大林宣彦エッセイ選]
やがてかなしいドラキュラ
闇──ひとりぼっちの空間
恋の相手はもうひとりの自分
ひとの想いのなかで死者も生きる
[対談再録]
泉谷しげる×大林宣彦 通りすがりのぼくたちが垣間見たのはプラスチックなお祭り騒ぎ
石上三登志×大林宣彦 ジュブナイルだからこそ語れる大人の心の痛み
宮部みゆき×大林宣彦 107人素顔の俳優の渾身の演技
[コラム]
真魚八重子 大林宣彦の明朗ホラー&ミステリー
モルモット吉田 大林映画はどう評価されてきたか
[エッセイ]
淀川長治 私のシネマ交遊 ~大林宣彦~
山中恒 その出会い
赤川次郎 崖っぷちの時代に
内藤誠 大林さんとわたしとプラス・アルファ
大森一樹 媒酌人・大林宣彦様
黒沢哲哉 “失われゆくもの”を刻み込むために 映画の言霊をひろう
[コミック]
三留まゆみ
とり・みき
森泉岳土
[論考]
草森紳一 失声の悲しい饒舌 大林宣彦の透視
金子遊 フィルム・アンデパンダンの時代
樋口尚文 あらゆる映像ハードは「大林映画」を降臨させるためにある
中川右介 大林映画と角川映画から始まった
渡辺武信 大林宣彦メモランダム 主として二〇〇〇年以降の作品について
野村正昭 私的大林映画体験=大林映画考

 

単行本(ソフトカバー): 256ページ
出版社:河出書房新社
発売日:2017年10月28日
価格:1,300円(税別)

 

 

 

Blog. 「GOETHE ゲーテ 2013年7月号」映画『奇跡のリンゴ』久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/09/16

雑誌「GOETHE ゲーテ 2013年7月号」に掲載された久石譲インタビューです。映画『奇跡のリンゴ』公開にあわせての内容になっています。

 

 

「24時間仕事バカ!」の熱狂人生 vol.48

作曲家:久石譲

『奇跡のリンゴ』から聞こえる旋律
追い詰められた先に必ずある、人の心を動かす仕事

1984年の『風の谷のナウシカ』以降、常に手がける作品のヒットを支えてきた男が、次に挑んだのは、極限状態に陥りながらも、世界で初めてリンゴの無農薬栽培を成功させた男を描く映画『奇跡のリンゴ』だ。本作の原作者である作家・石川拓治が、常に自分を追い詰めながら生みだすという久石の奇跡の旋律に迫る。

 

「だいたい映画のなかで音楽が流れるなんて嘘ですから。現実生活では、愛を語ったからって音楽は流れてくれないでしょう」

そう言って、彼は笑う。

「映画音楽は、つまり虚構中の虚構なんです。けれど、そもそも映画自体がフィクションなわけです。フィクションだからこそ真実を語れる。それが映画の面白さ。そういう意味ではもっとも映画的なのが映画音楽ともいえる。映画の構造自体が、音楽と密接に関わっている」

彼以外の人から、同じ話を聞いても、それほど納得はできなかったと思う。この人が言うからこそ、腑に落ちる。虚構なはずの彼の音楽に、幾度も、数え切れないくらい心を動かされてきたからだ。この人が音楽を担当した映画は、音楽の鳴っていない部分までが音楽的だ。

例えば今回彼が曲を書いた中村義洋監督の映画『奇跡のリンゴ』でも、阿部サダヲ演じる主人公が、悲惨な目に遭い続ける15分ほどの長い印象的な場面に、音楽がまったく入っていない。聞こえるのは登場人物の苦しげな息づかいや、慌てた足音だけ。映画である以上その足音も作りものなのだが、とてもそうとは思えない。妙な言い方だけれど、彼の美しい音楽が流れていないことが緊迫感を生み、真実と錯覚させるのだ。

そういう錯覚も、この人が音楽を担当した映画を観るひそかな喜びだ。長い息の詰まるような音楽的沈黙のあと、突然楽器が鳴る。ある時は頬を撫でる風のようにそっと、またある時は高らかなファンファーレのように誇らしげに。そして観客の感情は、激しく揺さぶられる。感動させられ、物思いに耽させられ、あるいは涙腺をゆるませられる。悔しいくらいに。

映画監督が映画の世界を創造する神だとしたら、彼はその世界に命を吹きこむ魔術師だ。

 

感動させようと思って、曲を書いたことはない

久石譲。世界にその名を知られた作曲家であり、指揮者にして、ピアニストである彼の経歴について、ここで繰り返し述べることはしない。今回のインタビューでは、どうしても聞きたいことがあった。

どうして、毎回あんなにも人の心を掴む音楽が作れるのだろう。1984年の宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』に始まり、北野武、滝田洋二郎、李相日、チアン・ウェンと、国内外の映画監督の作品のために、彼は音楽を書き続けてきた。

そのすべての音楽に感動させられた。どうしたら、そんな完璧な仕事ができるのか、人の心を動かす作品を作り続ける秘訣があるのだろうか。

「いや、感動させようなんて考えたことはありません。そこにきちんとした、本当の音楽を存在させたい、というだけの気持ちなんです。その映画に必要な音楽が、そこにきちんと存在してくれればいい。それだけを考えて曲を書いている。観客を泣かそうと思って曲を書いたことは一度もないです」

感覚や情緒で、作曲することはないという。そういうやり方では長続きしないからだ。

「ものを作る人間は、クリエイティヴであろうとすると、まず失敗するんです。自分の単純な好き嫌いとか、感情とか感性と呼ばれているような曖昧なものに頼ってはいけない。それではアイデアはすぐに枯渇してしまいます。そうではなく、できるだけ論理的に物事を考え、きちんと枠組みを捉える。今回の『奇跡のリンゴ』でも、これはどういう映画なのか、どういう音楽が必要かを、最初に徹底的に考えました」

中村義洋監督との仕事は初めてだった。打ち合わせは長時間に及んだらしい。

「驚いたことに、『どこに音楽を入れるべきか』という意見が僕と監督でほとんど完璧に一致したんです。映画音楽を深く理解している監督で、一緒に仕事をするのは楽しかった。だから僕も一所懸命にやってしまいましたよ(笑)」

そして最終的に、この映画には3つのテーマが必要だという結論に達したという。

「まず第一は、リンゴのテーマですね。人類が何千年にもわたって苦労して栽培してきた、普遍的な果物としてのリンゴのテーマ音楽。それからもうひとつはこの映画の主題である愛のテーマ。木村さんと奥さんの夫婦の愛、それを包みこむ愛のテーマが必要です。本来ならこのふたつで行きたかったんですが、映画の撮影現場を訪ねた時に、映画のモデルになった木村秋則さんというとんでもなく個性的な方に会ってしまったんです。それですぐに気づいた。この人にリンゴのテーマだけでは太刀打ちできないなと」

そして、生まれたのが木村秋則さんのテーマ音楽だった。

「たどりついたのは『津軽のラテン人』というコンセプトでした。マンドリンとウクレレと口琴というあり得ない編成で、木村さんの天真爛漫で明るい雰囲気を出せないかと考えたんです。それでちょっと奇妙でコミカルなテーマ音楽が生まれた。ただ、雰囲気で決めたわけではない。この映画にはどういう音楽が必要なのかを考え抜き、詰め将棋のように緻密に、必要な音楽を作って組み立てる作業のなかで、あのテーマもできあがっている。映画音楽は大変ですから、1本作り上げようとすると、魂を入れるような作業が必要なんです。だから、あまり本数をやるべきじゃないと思っているんですけど(笑)」

音楽とは本来、ピタゴラスを虜にしたほど論理的なのだ。にもかかわらず、映画音楽には確立した理論がないと嘆く。

「映画音楽にも、しっかりした論理を構築しなければいけないと思う。そのひとつが、状況外音楽と状況内音楽。先ほど話に出た、愛を告白すると流れる音楽は状況外音楽です。観客にしか聞こえない虚構の音楽。これに対して状況内音楽は、例えば映画の登場人物が弾くピアノの曲だったり、劇中の商店街の拡声器から流れてくる音楽だったり。登場人物にも聞こえている音楽。この両者を、映画音楽ではきちんと分けて考える必要がある。他にも対位法とか考えるべきいろんな手法がありますが、そういうことを体系的に説明した理論もなければ本も何もない。世界中のどこにもないんです。音楽は言葉では表現しづらいから、非常にムードに流されやすい。『このシーンにはこんな音楽つけたらかっこいいんじゃない?』というレベルで作っている。だから、映画音楽がジャンクフードになってしまっている。これが一番の問題ですね」

そういう理論を何も知らなくても、観客は映画を観て、その音楽が理にかなっているかどうかを無意識に感じる。久石さんの映画音楽が世界中で愛される理由も、おそらくはそこにあるはずだ。

「観客はそういう意味で非常に賢いと思います。いつの時代だって、生き残るのは本当にいい音楽です。いい音楽だけが選ばれていく。我々の仕事で必要なのは、その視点を絶対に失わないということです。その視点を失ったら、単に消費されるのみですから、いいものができない。それは映画音楽以外のものでも同じですよね」

 

クオリティを上げるには、努力し続けるしかない

平均すると、1年間に2作品の映画音楽を手がける。実際の作曲にかける期間は、ひとつの作品について1ヵ月くらい。曲を書き始めれば仕事は早い。ただし、書き始めるまでに可能な限り時間をかける。

「作曲の作業に入るまで、悩み続けます。撮影の現場に行ってみたり、本を読んだり。必ずしも映画に直接関係のある本だけとは限らない。作品について考えるのに必要だと思う本や資料を、片っ端から読みます。宮崎駿さんの映画の音楽を考えるのに、司馬遼太郎さんの本ばかり読んでいた時期もある」

周到に準備をして、考え抜いて仕事に取り組む。けれど、最終的に仕事の質を維持するのは努力の二文字しかないと語る。その言葉を、彼から聞くとは思わなかった。スマートで天才肌で、人知れず努力をしていようと、それを他人には見せないタイプだと思っていたのだが。

「結局、クオリティを上げるのは努力しかないんですよ。一にも努力、二にも努力。自分が納得するまで、これでいいと思うまでやり続けるしかない。それだけです。だから絶えず不安です。書けなくなるんじゃなうかとか、今回は本当にできるのかとか、いつも不安を抱えている。でも、そうするとどこかでアドレナリンがぶわっと出て、意欲が湧き上がってくれる。それで仕事をなんとか乗り切ってる。かっこいいことなんか何もない。いつもギリギリ。でも仕事って、そういうものじゃないですか。のた打ち回れば、のた打ち回っただけ少しはよくなるだろう。そう信じて、最後の最後まで粘り続けられるかどうか。それで作品の質は決まるのだと思う」

美しい音楽の数々が彼の苦闘の産物であると知って、身が引き締まる思いがした。

「今取りかかっているのは宮崎駿さんの新作『風立ちぬ』の音楽なんだけど、宮崎さんはよくあのプレッシャーのなかで生きているなと尊敬します。『風の谷のナウシカ』からここまで世界中の人が彼の映画を注視している。僕がその立場だったら、プレッシャーで潰されている」

そう言う久石さんも、『風の谷のナウシカ』以来完璧な音楽を作り続けている。彼こそ、プレッシャーに押し潰されそうになることはないのか。辞めたいと思ったことはないのか。

「それはあります。というかこれからの3作品の映画音楽(宮崎駿監督『風立ちぬ』、高畑勲監督『かぐや姫の物語』、2014年公開の山田洋次監督『小さいおうち』)の制作が終わったら、自分が本当にやりたいことを、もう一度見直したいと思っています。まず自分の作品を書きたい。それからクラシックの指揮。若い頃は現代音楽ばかりでクラシックは見向きもしなかった。でも指揮をするようになると、『新世界』くらい振れないとまずいと思うようになって。それで振ったら、素晴らしく奥が深いんです。今僕が一番燃えるのは、クラシックの指揮をしている時かもしれないですね。作曲の勉強にもなるし、これからは集中して取り組んでみたいと思っているんです」

 

Rules of Wisdom

常に危機感を持てばやがてアドレナリンとなって意欲に変わる

石橋を叩きすぎるくらい慎重でいい。自らが抱く危機感に追いこまれ、のた打ち回っていれば、仕事の質は上がる。

クリエイティヴであろうとするのではなく論理的に仕事を捉える

感性だけに頼っているとアイデアはすぐに枯渇する。論理的に考え、物事の枠組みを捉えようとすればイメージは広がる。

対象に寄り添いすぎず常に自分の頭で考える

音楽を担当する映像作品は基本は一度しか見ない。映像やストーリーにひっぱられることなくまず自分の頭で対象のことを考え捉える。

(ゲーテ GOETHE 2013年7月号 より)

 

 

久石さんと出会って、僕がうけた職業上のショック

映画『奇跡のリンゴ』監督・中村義洋

映画監督になって14年ですが、そのうち少しは楽できるようになるって思ってたんです。今まで毎作品、これが駄目なら次はないという危機感に追い立てられ、自分が納得するまで妥協せず何度でも脚本を書き直し、撮り直しをして映画作りをしてきました。でも、晩年まで素晴らしい映画を撮り続けた大島渚監督は一発OKで撮り直しをしなかった。クリント・イーストウッドはテストもしない。そういう名監督もいるわけで、自分も経験を重ねれば、もう少しは楽に映画が撮れる日が来るかもしれないと、淡い期待を抱いていた。でも久石さんと仕事をさせていただいて、それが甘い考えだと気づきました。久石さんの仕事があまりにも完璧なんです。例えば、音符がセリフにかからない。音楽がセリフにかぶって聞こえにくいから、セリフの音量を上げることがよくあるんだけど、久石さんの場合は1ヵ所たりともそれがない。音符のひとつもセリフにぶつからない。これは驚異です。そして、その音楽が身震いするくらい美しいんだから……。「これで完璧だと思ったら、それはもう完璧ではない。この世に完璧というものは存在しない。ただ、完璧を求める姿勢だけが存在する」という僕の好きな言葉があるんだけど、久石さんはその言葉を地で行く人でした。20歳年上の久石さんがそうなんですから。仕事が楽になることなんて、未来永劫あり得ないと悟りました。職業上のショックでしたね、これは(笑)。

(ゲーテ GOETHE 2013年7月号 より)

 

 

久石譲 『奇跡のリンゴ オリジナル・サウンドトラック』

 

 

 

 

Info. 2019/06/07 映画『海獣の子供』公開決定!! 音楽:久石譲 【9/15 Update!!】

映画「海獣の子供」
2019年6月7日(金)全国ロードショー

スタッフ
原作:五十嵐大介「海獣の子供」(小学館 IKKICOMIX刊)
監督:渡辺歩 
音楽:久石譲
主題歌:米津玄師「海の幽霊」
キャラクターデザイン・総作画監督・演出:小西賢一
美術監督:木村真二
CGI監督:秋本賢一郎
色彩設計:伊東美由樹
音響監督:笠松広司
プロデューサー:田中栄子
アニメーション制作:STUDIO4℃ 
製作:「海獣の子供」製作委員会 
配給:東宝映像事業部

キャスト
安海琉花:芦田愛菜
海:石橋陽彩
空:浦上晟周 “Info. 2019/06/07 映画『海獣の子供』公開決定!! 音楽:久石譲 【9/15 Update!!】” の続きを読む