Blog. 「週刊ポスト 2005年9月2日号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/05/31

「週刊ポスト 2005年9月2日号」の連載コーナー「私のほっとタイム」に久石譲が登場しています。当時の仕事の話から映画音楽についてまで興味深い内容になっています。

 

 

私のほっとタイム
連載 vol.40 久石譲

映画音楽の仕事は妥協の連続。だからメロディが浮かんだ最初の瞬間が幸せ

昨年のカンヌ映画祭の最終日、喜劇王バスター・キートンのサイレント映画の傑作『大列車強盗(キートン将軍/The General)』(1962年製作)に、新たなスコアを付けて組曲とし、カンヌ・オーケストラの演奏により、僕の指揮で初演したんです。なんでもカンヌ映画祭でタクトを振ったのは、日本人として僕が初めてだったそうで、そのとき演奏された組曲『THE GENERAL』は、発売されたばかりの僕のアルバム『WORKS III』に収録されているので、もしよかったら、耳に触れていただければ。

ちなみに、サイレント映画に音楽を加える試みは、フランシス・フォード・コッポラによる『ナポレオン』(27年製作)やジョルジオ・モロダーによる元祖SF映画『メトロポリス』(26年製作)など、これまでにも行われていますが、今回の僕と『大列車強盗(キートン将軍)』の出会いは、フランスの映画会社のオファーによって実現したんです。アメリカの歴史的な名画がフランスの会社を介し、日本人の僕によって音楽が加えられたという、国際的な連携の意味でも画期的な出来事だったんですよね。

ただ、当日の現場はバタバタしていて大変でした(笑い)。リハーサルの時間がほとんど取れなくて。フランスのオーケストラを相手に指揮をしなければいけないのに、直前までうまくお互いに意思の疎通が図れなかったんですよ。でも本番では、最高にいい具合に75分の作品に生オーケストラで音楽を加えることができたんです。最高の結果を迎えられた瞬間はとても気持ち良かったなァ。

人は生きていく過程で、いくつかの修羅場を経験しますけど、あの日の演奏はまさにそんな修羅場のひとつでした。でも、どんなに年齢を重ねても、そういう修羅場をくぐり抜けることで、またひとつ大きくなっていくような気がします。

それと、修羅場をくぐり抜けようとしたご褒美だったのか、会場に向かう赤絨毯を通る際に、僕にメーンのスポットライトが当たったんです。普通は、作品の監督や主演男優や女優を中心にスポットが当てられるじゃないですか。しかし、バスター・キートンは死んでますから、僕にスポットを当てるしかないというね、めったに経験することのできない、すごくおいしい思いをしました(笑い)。

そのスポットライトの話ではないですけど、やはり映画は監督のものですね。音楽を担当する側は常に妥協ばかりですよ(笑い)。そういえば、あるアメリカの映画音楽の作曲家で有名な方がこんな言葉を残しているんです。「映画音楽の仕事は基本的に、妥協ばかりだから、どんどん落ちていく仕事である」。この言葉の意味を具体的に説明すると、こうなります。

朝、目が覚めますよね。そのときふと、メロディが浮かぶことがあるんです。その瞬間んがこの上なく最高なわけです。なぜなら、浮かんだメロディを頭の中で反芻させてスタジオに入っても、結局のところ100%思い描いていた作品にならない場合が多いからなんですよ。

でも、なんとか気を取り直して、まァ、これでいいかと納得はするんですね、一応は(笑い)。だけど、朝の目覚めの時点で浮かんだ旋律が100だとすると、この段階でちょっと落ちてる。

それで次に、譜面に起こし、生のオーケストラでレコーディングすることになります。しかしながら、いくら腕のいいミュージシャンを起用したとしても、どこかに気に入らない箇所が出てくる。それでもまた、気を取り直して監督に聴かせると、う~ん、そうだねェ……と思案される(笑い)。そして最後に、映像に音楽を合わせる作業の段階で、あんなに苦労して作り上げた音がセリフと効果音に邪魔され、最終的には小さい音に下げられていたり。

落ち込むからこそエネルギーになる

どうです? 分かっていただけますか、僕たちの仕事がいかに妥協の産物だということが(笑い)。だから、そのアメリカの作曲家も同じように感じたんでしょうが、僕が映画音楽の制作において100%の幸せを感じることができるのは、頭の中で曲が完成した瞬間であって、試写の段階では落ち込んでばかりなんですよ。

そういう意味でいうと、僕はピアノを弾いたり、コンサートも行いますけど、根っからの作曲家なんです。なんにもないところから、自分が曲を作りだす、その瞬間がなにものにも代え難く、いつも幸せなんです、うれしいんです。ただ、試写を観て落ち込むといっても、自分がせっかく作った音をこんな扱いにされたから……という感情ではなく、単に、どうしてあのシーンにあんな音を書いちゃったのかな、もっとこうすればよかったのになと、反省材料がいっぱい出てくるからなんですね。そうなるともう、しばらくは立ち直れなくなり、公開から1~2年は絶対にその作品は観られません。

でも落ち込むからこそ、次の映画では必ずいい音楽を作り上げようとするエネルギーになるともいえます。そういう悔しさがあるから、次の作品へと没頭できるわけなんです。そんな、試写会で落ち込んだ作品が、だいたい1~2年後にはテレビでオンエアされますよね。それで、つい観てしまうと、なあんだ、けっこうよく出来てるじゃんって思ったりもしますし(笑い)。

そんなふうに音楽に囲まれている日々を過ごしている僕が最近凝りだしたのは、LPレコードを集めることかな。今は、とりあえずクラシックを中心に集めています。きっかけは、この間、仕事で香港に行ったときに、たまたま現地のスタッフに「中古のレコード店はないですか?」と聞いたんですね。そしたら、何店か調べてくれて、覗きに行ってみたんですよ。どの店もレコード盤にホコリが積もっていそうなところだったんですけど、なかなか味わい深くて。しかも50年代60年代の貴重な作品が取り揃えられていたんです。そういうのを何枚か買ってきたんですけど、これは趣味として最高だな、と。

ちゃんと趣味にしたいと思っています。東京で集めるんじゃなくて、旅の途中で、渋いこぢんまりとした中古レコード店を探すこと自体が楽しいですしね(笑い)。掘り出し物はないかと探す時間は、僕にとっては心が満たされるひとときになりそうです。

構成/佐々木徹

(「週刊ポスト 2005年9月2日号」より)

 

 

Info. 2022/06/17,18 「Music of Joe Hisaishi」久石譲コンサート(バンクーバー)開催決定!! 【5/30 Update!!】

Posted on 2019/05/01

2020年4月3、4日、久石譲コンサートがカナダ・バンクーバーで開催されます。

2019年2月22日「バンクーバー・シンフォニー・オーケストラ(VSO)2019-2020 シーズンプログラム」にてスケジュール発表されました。アジアの映画音楽にスポットをあてた企画が年間行事に盛り込まれ、そのひとつに久石譲コンサートがプログラムされています。 “Info. 2022/06/17,18 「Music of Joe Hisaishi」久石譲コンサート(バンクーバー)開催決定!! 【5/30 Update!!】” の続きを読む

Overtone.第66回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.1

Posted on 2022/05/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.1です。

今回題材にするのは『若い読者のための短編小説案内/村上春樹』(1997/2004)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

村上春樹バイオグラフィー的なものは飛ばします。とても音楽に造詣が深いことでも有名です。ジャンルはジャズ、クラシック、ロックと広く、自身がDJを務めるラジオ番組では愛聴曲たちをたっぷり紹介しています。音楽にまつわる文章も、ジャズ本・クラシック本・エッセイ・雑誌インタビュー・対談本と数多く発表しています。視点を本業の小説活動に移しても、ほんと音楽が体に染みついている人なんだなだとわかります。多くの小説にバラエティ富んだ楽曲が登場し、小説によって音楽がリバイバルヒット、はたまた廃盤CDが復刻される現象も起こるほどです。小説を発表すると、出版業界から音楽業界まで賑わせてしまう人。

 

今回題材にするのは『若い読者のための短編小説案内/村上春樹』(1997/2004)です。

この本は、実際のアメリカでの講義にも沿っているようですが、村上春樹が自作ではなく他作を取り上げ、短編小説を深く読んでみよう、こういう読み方もできると思う、とかなり深く突っ込んだ内容になっています。

取り上げたいのは、2004年文庫化のときに加えられた「僕にとっての短編小説──文庫本のための序文」からです。約20ページからなるこの項に、僕がテーマとして紐解きたいことがたっぷり語られているのですが、すべては紹介できない。でもぶつ切りな切り貼りはしたくない。自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

 

“僕は自分自身を、基本的には長編小説作家であるとみなしています。僕は数年に一冊のペースで長編小説を書き(更に細かく分ければ、そこには長めの長編と、短めの長編の二種類があるわけですが)、ときどきまとめて短編小説を書き、小説を書いていないときにはエッセイや雑文や旅行記のようなものを書き、その合間に英語の小説の翻訳をやっています。考えてみれば(あらためてそういう風に考えることはあまりないのですが)守備範囲は広い方かもしれません。ジャンルによって文章の書き方も少しずつ変わってきますし、長編・短編・エッセイ・翻訳、どの仕事をするのもそれぞれに好きです。要するに早い話、どんなかたちでもいいから、文章を書くという作業に携わっていることが、僕は好きなのです。またそのときどきの気持ちに応じて、いろんなスタイルで文章を書き分けられるというのはとても楽しいことだし、精神バランスの見地から見ても、有益なことだと思っています。それは身体のいろんな部分の筋肉をまんべんなく動かすのに似ています。”

~(中略)~

⇒⇒
久石譲もオリジナル作品(そこにも大きめの作品と小さめの作品の二種類があります)を発表しつづけていますね。映画・TV・CMなどのエンターテインメントのお仕事も話題が途切れることはありません。コンサートも久石譲プログラムからクラシック演奏会まで多種多彩にしてすべて久石譲指揮です。あらためて言うまでもなく守備範囲は広いです。エンターテインメントな大衆性とアーティスティックな芸術性のバランスをとりながら。そして、すべての仕事が長編小説の肥やしとなり結実しているように、すべての仕事がオリジナル作品(たとえば交響曲)の肥やしになり結実しているように思います。

 

 

もちろん読者の中には、「いや、村上さんの書くものの中では短編小説がいちばん好きです」という人もいらっしゃいますし、「村上の小説は苦手だけど、エッセイは好きだ」という人もおられます。それはそれでもちろんありがたいのですが(お前の書いたものはどれもみんな同じくらい嫌いだ、と言われるよりはずっといいですよね)、でも僕自身としては、小説家になって以来二十五年間、長編小説という形体にもっとも強く心を惹かれ続けてきたし、また実際にもっとも多くの労力と時間を長編小説の執筆に投入してきたのだ、ということになります。生意気な言い方かもしれませんが、僕より上手な優れた長編小説を書く作家はもちろんいるけれど、僕が書くような長編小説を書ける作家はほかに一人もいないはずだ、という自負のようなものもあります。自分の書く長編小説に、ささやかではあるけれど自分だけのシグネチャー(署名)を残すことができるのだ、という自負です。もちろん僕が書いた長編小説は好まれたり好まれなかったりするし、評価されたりされなかったりもします。しかしそれとはべつに、長編小説というのは、作家としての僕が一生を通して真剣に追求しなくてはならない分野であると、僕自身は感じているわけです。”

~(中略)~

⇒⇒
「僕が書くようなオリジナル作品を書ける作曲家はほかに一人もいないはずだ」、ご本人がそう思っているかどうかはわかりませんが、ミニマルな要素と日本的な要素をしっかりと作品に刻みこむことで、久石譲だけのシグネチャーをたしかに残しています。大いに自負していただいてしかりです。独自性をもった交響作品・現代作品を系譜として発表しつづけている稀有な人です。

 

 

“それに比べると、短編小説を書くことは多くの場合、純粋な個人的楽しみに近いものです。とくに準備もいらないし、覚悟みたいな大げさなものも不要です。アイデアひとつ、風景ひとつ、あるいは台詞の一行が頭に浮かぶと、それを抱えて机の前に座り、物語を書き始めます。プロットも構成も、とくに必要ありません。頭の中にあるひとつの断片からどんな物語が立ち上がっていくのか、その成り行きを眺め、それをそのまま文章に移し替えていけばいいわけです。もちろん「短編小説なんて簡単に書けるんだ」と言っているわけではありません。ひとつの物語を立ち上げていって、それを完成させるというのは、なんといっても無から有を創り出す作業なわけですから、片手間にひょいひょいとできることではありません。ときには呼吸することを忘れてしまうくらいの──実際に忘れることはたぶんないでしょうが──鋭い集中力が、そしてもちろん豊かなイマジネーションが、要求される作業ではあります。”

~(中略)~

⇒⇒
宮崎駿監督から渡されたメモや絵をきっかけに。原作小説の印象やイメージをきっかけに。あの楽器を使ってみようというアイデアをきっかけに。ひとつのメロディをきっかけに。音楽を立ち上げていく過程にもいろいろありそうです。

 

 

“「その女から電話がかかってきたとき、僕は台所に立ってスパゲティーをゆでているところだった」という一行から短編小説を書き始めたことがあります。それ以外に僕の中にはとくに何のアイデアもありませんでした。ただの一行の文章です。一人でお昼にスパゲティーを茹でているときに電話のベルが鳴る、というイメージが頭にふと浮かびます。それは誰からの電話だろう? 彼は茹でかけのスパゲティーをどうするのだろう? そういう疑問が生まれます。そういう疑問を招集して、ひとつの物語に換えていくわけです。それは『ねじまき鳥と火曜日の女たち』という短編小説になりました。400字詰め原稿用紙にして八十枚くらいの作品です。

その短編を書き上げて、雑誌に発表して、単行本に収録して、五年ばかり経過してから、僕はその短編『ねじまき鳥と火曜日の女たち』をもとにして長編小説を書き始めました。時間が経過するにつれ、その物語には、短編小説という容れ物には収まりきらない大きな可能性が潜んでいるのではないかと、強く感じるようになったからです。その可能性の重みを、僕はしっかりと両手に感じとることができました。そこには未知の大地に足を踏み入れていくときのような、わくわくした特別な感覚がありました。二年の歳月ののちに、それは『ねじまき鳥クロニクル』という作品として結実しました。二千枚近い枚数の、かなり長大なフィクションです。考えてみれば、「その女から電話がかかってきたとき、僕は台所に立ってスパゲティーをゆでているところだった」という一見なんでもない一行から、思いもかけずそのような大柄な作品が生まれることになったのです。

そのように僕は短編小説を、ひとつの実験の場として、あるいは可能性を試すための場として、使うことがあります。そこでいろんな新しいことや、ふと思いついたことを試してみて、それがうまく機能するか、発展性があるかどうかをたしかめてみるわけです。もし発展性があるとしたら、それは次の長編小説の出だしとして取り込まれたり、何らかのかたちで部分的に用いられたりすることになります。短編小説にはそういう役目がひとつあります。長編小説の始動モーターとしての役目を果たすわけです。僕はほかにも同じように、短編小説をもとにしていくつかの長編小説を書きました。『ノルウェイの森』は『螢』という短編小説を発展させて書きました。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という長編小説は『街と、その不確かな壁』という百五十枚程度の作品が下敷きになっています。

もちろん短編小説に与えられているのは、そういう役目だけではありません。僕は長編小説にはうまく収まりきらない題材を、短編小説に使うことがよくあります。ある情景のスケッチ、断片的なエピソード、消え残っている記憶、ふとした会話、ある種の仮説のようなもの(たとえば激しい雨が二十日間も降り続けたら、僕らの生活はどんなことになるだろう?)、言葉遊び、そういうものを思いつくままに短い物語のかたちにしてみます。たとえば『トニー滝谷』という短編小説は、マウイ島の古着屋で買ったTシャツの胸に「トニー・タキタニ」という名前がプリントしてあったことから生まれました。「トニー・タキタニっていったいどんな人なのだろう?」と僕は想像し、それでこの作品を書き始めたわけです。「トニー・タキタニ」という言葉の響きひとつから、物語を作っていったわけです。”

~(中略)~

⇒⇒
少し長い引用でしたけれど、一番伝わりやすいと思い選びました。短編小説が長編小説へと膨らんでいくさま。短編小説をエンタメ音楽に、長編小説をオリジナル作品に、置き換えてみてもう一度読んでみてください。──おもしろいですね。ちょっと遊んで枚を秒にしてみます。80枚の短編が2000枚の長編になる=1分20秒(80秒)の小曲が約33分(2000秒)の長大な作品になったりするわけですね。おもしろいですね。

 

 

“そのような様々な試みがあって、中にはうまくいったと思えるものもありますし、残念ながらあまりうまくいかなかったものもあります。しかし短編小説というのは基本的にそれでいいのではないかと、僕は考えます。極端な言い方をすれば、「失敗してこその短編小説」なのです。うまくいくものもあり、それほどうまくいかないものもあって、それでこそ短編小説の世界が成り立っているのだと僕は思います。何から何まで傑作を書くことなんて、どんな人間にもできません。波があって、それが上がったり下がったりします。そして波が高くなったときに、そのタイミングをつかまえて、いちばん上まで行くこと、おそらくそれが短編小説を書く優れた作家に求められることです。僕は短編小説を書くときには、いつもそんな風に考えています。

逆の言い方をすれば、作家は短編小説を書くときには、失敗を恐れてはならないということです。たとえ失敗をしても、その結果作品の完成度がそれほど高くなくなったとしても、それが前向きの失敗であれば、その失敗はおそらく先につながっていきます。次に高い波がやって来たときに、そのてっぺんにうまく乗ることができるように助けてくれるかもしれない。そんなこと長編小説ではなかなかできません。一年以上かけて行われる大事な作業ですから、「まあ今回これは失敗でもいいや」というわけにはいかないのです。その点短編小説だと、危険を恐れずに、ある程度まで自由に好きなことができます。それが短編小説のいちばんの利点であると思います。たとえば僕は長いあいだ三人称で長編小説を書くことがうまくできなかったのですが、短編小説で三人称を書く訓練をして、それに身体を馴らしていって、その結果かなり自然に違和感なく三人称を使って長いものが書けるようになりました。”

~(中略)~

⇒⇒
”短編小説は実験の場、可能性を試す場”と語っています。アイデアをかたちにしてみる、新しいことに挑戦してみる機会とも言えます。なるほど、「ダンロップCM音楽」からオリジナル作品へと発展させた「Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra」なんかもあります。また久石譲が追求している単旋律(Single Track Music)手法は、小さな曲や小さな編成から試されながら、手応えと磨きあげをもって交響作品でしっかりとのこされています。

 

 

“このようにして短編小説をいくつかまとめて書くと、僕の場合、必ずその次に長編小説が書きたくなる時期がやってきます。短編小説を書いているのは楽しいのですが、だんだんそれだけでは足りなくなってくるのです。もっともっと大きな物語に取り組んでみたいという思いが高まってきます。そういうエネルギーが、雨水がちょっとずつ桶に溜まるみたいに、身体に次第に蓄積されてくるわけです。そのエネルギーの溜まり具合から、「この感じだと、あと三ヶ月くらいで長編小説を書き始めることになるだろうな」というようなことも予測できます。それがどれくらいの厚さの本になるかということだって、だいたい見当がつきます。

そのように、短編小説は、長編小説を書くためのスプリングボードのような役割も果たしています。もし短編小説を書くことがなかったら、僕がこれまで書いてきた長編小説は、今あるものとはずいぶんかたちの違うものになっていたのではないかと思います。短編小説である種のものごとをうまく書ききってしまえるからこそ、僕はそのあとまっすぐ長編小説に飛び込んでいくことができるわけです。あるいはまた短編小説で書ききれないものごとが見えてくるからこそ、長編小説の世界に挑みたいという気持ちも高まってくるわけです。そういう意味あいにおいても、短編小説は僕にとってきわめて大事なものであるし、それはまたなにがあろうと、うまく自然に書かれなくてはならないわけです。”

~(中略)~

⇒⇒
「エンターテインメントの仕事をするなかでの葛藤やフラストレーションが、自分の作品をつくることへと向かわせてきた」久石譲スタンダード語録です。作家同士のシンパシーを感じてしまう一面でした。短編と長編、エンタメ音楽とオリジナル作品。

 

 

“そのように短編小説には、時間をおいて手を入れる、書き直すという喜びもあります。長編小説を書き直すとなると、ものすごくエネルギーと手間が必要になりますし、一部を書き直すと全体のバランスが違ってくることもあるので、まずやりませんが、短編小説の場合は比較的簡単に書き直すことができます。もちろんすべての短編小説にそういうことが可能だというわけではありません。もはや書き直せないというものもありますし、書き直す必要を認めないというもの(完璧な出来だということではなく、あくまでその必要がないということです)もあります。でも「これは書き直した方が明らかによくなるな」というものもやはりあるわけです。短編の書き直しは、主として技術的な見地から行われます。しかし全体から見れば、「これは書き直したい」と思わせる作品はそれほど数多くありません。「この作品は、技術的にはいくらか不備があるかもしれないが、下手にいじらず、このままそっと置いておいた方がいいだろう」と感じるものの方がずっと多いのです。そういう意味では、短編小説というのはきわめてデリケートな成り立ちなのです。一筆加えるだけで、過去の作品が生き返ったり、あるいは逆に勢いを失ったりもします。何がなんでも技術的にうまく書き直せばいいというものではありません。”

~(中略)~

⇒⇒
ふむ深い。「これは書き直したほうがよくなる、これは書き直したい」そう思って映画のために書いた曲を再構成してオリジナルアルバムへ収録された曲もたくさんあります。

ここには出てきていない話題ですけれど、村上春樹さんは雑誌掲載用と書籍収録用と長さの違う2つの短編を用意することもあるそうです。これは雑誌に載せるときの文字数の問題で、削ったものと削っていないものです。のちに書籍化するときは完全版のほうを収録する。どちらも成立するからそれでいいとも言っています。久石譲に置き換えると、文字数の制約は台詞のかぶる音数の制約だったりカット割りの分数の制約だったりでしょうか。そうしたことから解放される音楽作品の再構成。いろいろなケースがありそうです。

 

 

“このように、様々な意味合いにおいて、短編小説は作家である僕にとって重要な学習の場であり、探求の場でもあり続けてきました。それは画家にとってのデッサンのようなものだと言えるかもしれません。正確で巧みなデッサンをする力がなければ、大きな油絵を描ききることはできません。僕は短編小説を書くことによって、またほかの作家の優れた短編小説を読むことによって、あるいは翻訳することによって、作家としての勉強をしてきました。”

~(中略)~

⇒⇒
村上さんは毎日必ず机に向かってなにかしら書くというサイクルを守っているそうです。久石さんも毎日なにかしら音楽をつくる(音楽的断片であっても)サイクルを守っているといいます。お互いに何十年ものあいだこの習慣を維持している。そこには強い基礎体力と精神力の自己管理や鍛錬も必要になってくるわけで、本当にすごいことです。日々のデッサンが、培われたデッザン力こそが、ついには大きな作品を誕生させているのだろうと、簡単に言ってしまうのも恐れ多いほどひしひしと感じます。

 

(以上、”村上春樹文章”は「僕にとっての短編小説」項より 引用)

 

 

 

少し追加します。

同書からは離れて、同旨なことを語っているものです。いろいろな方向から眺めてみると、いろいろな言い回しから触れてみると、吸収しやすくなったりすることあるなと僕なんかは思います。

 

“『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という長編小説を書きあげたのは一九八五年のことだ。この小説のもとになったのは、その五年ばかり前に書いた「街と、その不確かな壁」という中編小説である。この「街と、その不確かな壁」という作品はある文芸誌に掲載されたのだが、僕としては出来がもうひとつ気に入らなくて(簡単に言ってしまえば、その時点では僕はまだ、この話をしっかり書き切るだけの技量を持ち合わせていなかったということになる)、単行本のかたちにすることなく、そのまま手つかずで放置されていた。いつか適当な時期が来たらしっかり書き直そうという心づもりでいたのだ。それは僕にとってとても大きな意味を持つ物語であり、その小説もまた僕によってうまく書き直されることを強く求めていた。

でもいったいどうやって書き直せばいいのか、そのとっかかりがなかなかつかめなかった。この小説にとって必要なのは小手先だけの書き直しではなく、大きな転換であり、その大きな転換をもたらしてくれるまったく新しいアイデアだった。そして四年後のある日、何かのきっかけで(それがどんなきっかけだったのかは今となっては思い出せないのだけれど)僕の頭にひとつのアイデアが浮かんだ。「そうだ、これだ!」と僕は思って、さっそく机に向かい、長い書き直し作業に取りかかった。”

(『村上春樹 雑文集/村上春樹』「自分の物語と、自分の文体」項より 一部抜粋)

 

⇒⇒
「書き直し」という点では「MKWAJU 1891-2009」も浮かびます。曲名にあるとおり、発表時には技術が足りなくてうまく実現できていなかったものを時を経て直しています。もうひとつ思い浮かべたいのは、「交響曲第1番 第1楽章」として未完のまま発表したきりになっていたものを5年後に「THE EAST LAND SYMPHONY」として完成させた事例です。しかも村上春樹さんの「街と、その不確かな壁」という中編作品は文芸誌で一度発表されて以後どの著作にも収録されることなくお蔵入りです。久石譲さんの「交響曲第1番 第1楽章」も演奏会で一度披露されたきり、直して引き継がれた「1. The East Land」はあるものの、その原型を聴けることはもうありません。

 

 

“ある種の短編は、書き上げられて発表されたあとに、僕の心の中に不思議な残り方をする。それは種子のように僕という土壌に落ちつき、地中に根をのばし、やがて小さな芽を出していく。それは長編小説に発展されることを求め、待っているのだ。僕はそういう気配を感じることができる。

どのような短編小説が長編小説の母胎として根を下ろすのか。どのような短編小説が根を下ろすことなく完結していくのか。それは自分でも予測がつかない。とにかく書き終えて、発表して、ある程度時間がたつのを待っているしかないのだ。時間がたてばそれはわかるし、たたなければわからない。”

(『村上春樹全作品 1990~2000』第4巻「ねじまき鳥クロニクル1」解題より 一部抜粋)

 

 

“いくつか手を入れてみたいとも思った。内容を大きく書き直すのではなく、文章的に「ヴァージョンアップ」してみたいと思ったのだ。短編小説に関しては僕はよくそういうことをする。長編小説に手を入れることは一切しないが(そんなことをしたらバランスが崩れてしまう)、短編小説には現在のポイントから書き直す余地が往々にしてあるからだ。レイモンド・カーヴァーも同じようなことをしていた。前のヴァージョンをオリジナルとして残しながら、新しい版をこしらえていく。それは文章家としての自分自身の洗い直し作業でもある。おそらく「前のほうがよかったよ」と言われる方もおられるだろうが、僕としては二十一年ぶりに、またひとつ違う可能性を追求してみたかったのだ。ご容赦願いたい。

そのようなわけでオリジナルの版と区別するために、こちらの作品はタイトルを『ねむり』と変えた。”

(『ねむり/村上春樹』あとがきより 一部抜粋)

 

 

 

村上春樹にみる短編小説と長編小説。久石譲にみるエンターテインメント音楽とオリジナル作品。だぶるように透けるように、うっすら見えてきたのならうれしいです。ちょっとこじつけが過ぎるよ!抜き出し方が作為的だ!……そんなことにはならない印象で自然にすうっと入ってくるとうれしいです。

村上春樹は長編小説を一番大切にしていますが、同じように短編小説がないと今あるかたちの長編小説は生まれてこなかっただろうとも語っていました。久石譲がオリジナル作品を一番大切にしていると公言はしていないです。でも公言はしなくとも、作家として自作品を残すことが一番大事と思っている、これはしごく当然なことです。

僕らファンは、あの映画がなかったら、あのCMがなかったら、エンタメオーダーがなければ生まれなかった名曲たちがたくさんあることを、深く愛おしく理解しています。そこからオリジナル作品へと発展したものもある。聴き手がわかるものもあれば作曲家本人しか知りえないものまで。深いところでつながっている作品たち。

 

 

ひとりの作家が生みだす全ての創作物はつながりをもっているという尊さ。思えば、これはクラシック音楽時代からそうです。小曲から交響曲へとなっていったもの、ひと楽章まるまるカットされた改訂、弦楽四重奏曲から弦楽オーケストラ作品となったもの。作品系譜という年表のなかで遺ってきた作品たち。

そんななかで、村上春樹と久石譲、このふたりにしか見当たらない共通したフィールド、他の追随を許さない強力な武器があるとしたら。実践することで自身の作家性をより広げ深めているもの。それは、翻訳と指揮です。Part.??まで続くかわかりませんが、ぜひ楽しみにお付き合いいただけたらうれしいです。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

 

それではまた。

 

reverb.
次は翻訳と指揮について深めていけたら。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Info. 2022/05/06 《速報》「HISAISHI SYMPHONIQUE」久石譲コンサート(フランス4公演)プログラム 【5/10 Update!!】

Posted on 2022/05/06 – 05/10

5月4日~8日「HISAISHI SYMPHONIQUE」久石譲コンサートがフランスのストラスブールとパリで開催されました。オール久石譲プログラムです。共演はストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団。また、これらの公演は2020年9月12,13日(当初予定)の延期公演もふくまれます。 “Info. 2022/05/06 《速報》「HISAISHI SYMPHONIQUE」久石譲コンサート(フランス4公演)プログラム 【5/10 Update!!】” の続きを読む

Info. 2022/05/07 久石譲フランス公演 現地インタビュー(Web Téléramaより)

Posted on 2022/05/07

5月4日~8日「HISAISHI SYMPHONIQUE」久石譲コンサートがフランスのストラスブールとパリで開催されました。オール久石譲プログラムです。共演はストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団。また、これらの公演は2020年9月12,13日(当初予定)の延期公演もふくまれます。

それにあわせた現地インタビューになります。原文そのまま紹介します。ウェブ翻訳機能を使ってお楽しみください。 “Info. 2022/05/07 久石譲フランス公演 現地インタビュー(Web Téléramaより)” の続きを読む

Disc. 久石譲 『Toccata』 *Unreleased

2022年5月7日 世界初演

 

2022年5月6日~8日開催フィルハーモニー・ド・パリ「week-end Joe Hisaishi」久石譲にフォーカスしたイベントプログラムのなかの一公演「MAKI NAMEKAWA」。久石譲作品「Variation 57 ~2台のピアノのための協奏曲~」の初演などでもつながりのある滑川真希のピアノリサイタルにて世界初演。

 

 

プログラムノート

Joe Hisaishi
Toccata

Composition : 2020-2022.
Commande du Massachusetts Institute of Technology’s Center for Arts,
Science, and Technology (CAST), du Festival Ars Electronica et de la
Philharmonie de Paris.
Durée : environ 9 minutes.

Ma Toccata a été composée à la demande de Maki Namekawa pour un concert à la Philharmonie de Paris programmé à l’origine à l’automne 2020. Je lis dans mes premières ébauches que j’ai commencé à y travailler en janvier 2020. Puis sont arrivés la Covid-19, le confinement et les annulations dans le monde entier pour des artistes comme Maki et moi-même. J’ai utilisé le temps qui m’était subitement accordé par la force des choses pour composer plusieurs grandes pièces pour orchestre, dont mes Symphonies nos 2 et no 3.

Dans ma Toccata je suis à la recherche de la fluidité dans le son, associée à la diversité
rythmique que j’admire tant en musique baroque. En me concentrant sur des mouvements horizontaux, linéaires, et en évitant les dissonances manifestes dans les accords, j’espère faire naître une réponse émotionnelle chez l’auditeur plutôt que de lui en imposer une. Maki Namekawa est une excellente pianiste, avec une approche directe et sincère de la musique qu’elle interprète. J’attends son concert avec beaucoup d’impatience.

Joe Hisaishi
Traduction : Delphine Malik

(「MAKI MAKI NAMEKAWA」プログラムノートPDFより 抜粋)

 

 

約9分のピアノソロ作品。作曲時期は2020-2022年。

Toccataは滑川真希の依頼で作曲しました。フィルハーモニー・ド・パリは当初2020年秋に予定されていました。私は2020年1月に作曲を始めました。その後、Covid-19によって真希のようなアーティストも私自身も世界的なロックダウンとキャンセルに見舞われました。私は突然与えられた時間を使って交響曲第2番と第3番をふくむオーケストラのためのいくつかの大きな作品を作曲しました。

Toccataでは、多様性に関連する音の流動性を探しています。バロック音楽でとても尊敬するリズム。動きに焦点を当てる。水平で直線的で、そして和音の明らかな不協和音を避けたいと試みました。聴き手に感情的な反応を強要するのではなく、感情的な反応を呼び起こします。滑川真希は優れたピアニストであり、彼女が演奏する音楽、彼女のコンサートを楽しみにしています。

(プログラムノートより Web翻訳・仮訳)

 

 

 

久石譲はパリ初演公演に駆けつけている。なお約1週間後の5月13日には同じく滑川真希によるアメリカ初演が行われている。場所はマサチューセッツ工科大学講堂クレスジ・オーディトリウム MIT Center for Art。

 

 

 

 

 

Info. 2021/11/04 「Xpark」台湾水族館 久石譲 インタビュー動画公開 【5/4 Update!!】

Posted on 2021/11/04

2020年開館、新都市型水族館『Xpark』(台湾)の館内音楽は久石譲書き下ろしによるものです。このたび、久石譲インタビュー動画が公開されました。そして、2021年11月から音楽は新しいバージョンになるそうです。ぜひご覧ください。 “Info. 2021/11/04 「Xpark」台湾水族館 久石譲 インタビュー動画公開 【5/4 Update!!】” の続きを読む

Info. 2022/05/01 《速報》「HISAISHI DIRIGUJE HISAISHIHO」久石譲コンサート(ブルノ)プログラム

Posted on 2022/05/01

2022年4月28,29日、久石譲コンサート「HISAISHI DIRIGUJE HISAISHIHO」がチェコ・ブルノにて開催されました。久石譲指揮は初登場、久石譲作品は二度目となります。SNSがきっかけで各方面を賑わせたニュースなコンサートでした。そのことも記録しています。そのことに翻弄される前に、めくりかえすとこのコンサートまでしっかりとつながっていたこともありました。 “Info. 2022/05/01 《速報》「HISAISHI DIRIGUJE HISAISHIHO」久石譲コンサート(ブルノ)プログラム” の続きを読む

Disc. 久石譲 『I Want to Talk to You』 *Unreleased

2022年4月30日 世界初演

 

山形県合唱連盟創立70周年事業
山形県総合文化芸術館オープニング事業
「合唱の祭典」

 

2020年5月10日開催予定されていたものの、新型コロナウィルスの影響に伴い延期・中止のスケジュールを経てようやく2年越しの振替公演となった。また、久石譲の新作が自身の指揮やコンサートによって初演を迎えるのではないかたちは近年の中で珍しいケースといえる。

 

 

I Want to Talk to You (委嘱作品・初演)
作曲:久石譲
1. I Want to Talk to You 作詞:麻衣 久石譲
2. Cellphone 作詞:久石譲

指揮:山田和樹
パーカッション:大場章裕、和田光世
ピアノ:鈴木慎崇、今村尚子
合唱指揮:水戸博之、鈴木義孝、柿﨑泰裕
合唱:東京混声合唱団、山形県合唱連盟、合唱団じゃがいも、合唱団Pianeta、鶴岡土曜会混声合唱団

 

 

楽曲解説

「I Want to Talk to You」は、2020年5月に山形県山形市で行われる予定だった「合唱の祭典」で演奏するために山形県から委嘱されて作曲した。僕の作品としては初めての書き下ろし合唱作品になるはずだったが、Covid-19の世界的パンデミックのため何度か順延され、2年後の2022年4月にやっと初演される運びになった。

当初は、街を歩いていても、店に入っても、電車の中でも人々は携帯電話しか見ていない、人と人とのコミュニケーションが希薄になっていくこの現象に警鐘を鳴らすつもりでこのテーマを選んで作曲したが、その後の人と人との接触を控えるこの状況では、携帯電話がむしろコミュニケーションの重要なツールになった。別の言い方をすると世間という煩わしい人との関係性から逃れる便利なアイテムが最小限の人との接触のアイテムになった。なんとも皮肉なことだが、それだけ携帯電話が人々にとって必須なものになったということだろう。

作詞はいくつかのキーワード、例えば「Talk to you」をコンピューターで検索し関連用語やセンテンスを抜き出し、音のイメージに合う言葉を選んでいった。最終的には、I. I Want to Talk to Youは娘の麻衣が詩としてまとめ、II. Cellphoneは僕がまとめた。約20分の作品になり、少合唱グループと大合唱グループ、それに2台のピアノとパーカッションという編成になった。

作品としてはこれで完成しているが、僕としては日本語でも聴きたいと思っている。つまり日本語バージョンである。そこには弦楽オーケストラが演奏していることも想定している。山形の皆さんには、これが終わりではなく、これからも機会があるたびに進化してくこの作品を聴いて(歌って)いっていただきたいと思っている。

久石譲氏からのプログラムノート

(「合唱の祭典」コンサート・パンフレットより)

 

 

 

ここからはSNS情報による。

・演出には携帯電話の呼び出し音、指揮合図による音の消音など。また最後は、着信の入った電話を渡された指揮者がスマホ片手に話しながら退場する、という演出もある。

・I. I Want to Talk to You、ビブラフォンを低弦楽器の弓で弾く特殊奏法もある。

・II. Cellphone、クラッピング(手拍子)やストンプ(足を踏み鳴らす)も取り入れられている。

・久石譲からのビデオレターも流された。同期間の海外公演先チェコにて撮影したもの。

・作詞を手がけた麻衣も会場に駆けつけた。

 

 

リハーサル風景

from 東京混声合唱団 公式ツイッター
https://twitter.com/TokyoKonsei

 

 

2022.10 追記

2022年10月30日開催「リトルキャロル 26周年コンサート」にてプログラムされた。

 

 

 

I Want to Talk to You ~ for string quartet, percussion and strings ~

2021年3月開催「久石譲コンサート 2021 in ザ・シンフォニーホール」にて世界初演。2020年5月開催予定だった合唱版の順延によって、ほぼ同時期に構想された弦楽バージョンが先がけて披露された。久石譲指揮、共演は日本センチュリー交響楽団。

2021年7月開催「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」にてプログラム。久石譲指揮、FOCの以心伝心タッグで披露された。

 

 

 

この弦楽バージョンは久石譲公式チャンネルなどから特別配信されている。

 

 

 

2023.6 追記
合唱版のライブ映像公開にともないレビューを新しく記した。

 

 

 

 

 

Overtone.第65回 「新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだクラシックへの扉 #6」コンサート・レポート by ふじかさん

Posted on 2022/04/28

4月15,16日開催「新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだクラシックへの扉」です。2020年9月から新日本フィルハーモニー交響楽団 Composer in Residence and Music Partnerに就任した久石譲は、定期演奏会・特別演奏会といろいろなコンサート共演を広げています。「クラシックへの扉」シリーズへの登場は2015年以来です。

今回ご紹介するのは、ふじかさんです。いつもありがとうございます。「展覧会の絵」は原曲となるピアノ版と編曲されたオーケストラ版と、どちらもしっかり聴いて予習していたそうです。「展覧会の絵」も「チェロ協奏曲」も、すべての作品で楽章ごとに構成曲ごとに丁寧にレポート描かれています。それはまるで、ディティールまで解像度の高い、一枚の大きな音楽会の絵を眺めているようです。どうぞお楽しみください。

 

 

新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだクラシックへの扉 #6

[公演期間]  
2022/04/15,16

[公演回数]
2公演
東京・すみだトリフォニーホール

[編成]
指揮:久石譲
チェロ:リーウェイ・キン ◇
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
サン=サーンス:チェロ協奏曲 第1番 イ短調 op.33 ◇

—-Soloist encore—-
ジョバンニ・ソッリマ:アローン (4/15,16)
バッハ:無伴奏チェロ組曲 第4番より サラバンド (4/15)
プロコフィエフ:子供のための音楽 op. 65より第10曲 行進曲 (4/16)

—-intermission—-

ムソルグスキー/ラヴェル編曲:組曲「展覧会の絵」

—-Orchestra encore—-
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

 

 

久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会
すみだクラシックへの扉 第6回のレポートをさせて頂きます。

2022年4月16日 すみだトリフォニーホール 大ホール 14時開演

 

今回のコンサートは、久石さんの自作曲が一切無い、完全なクラシックの演奏会。近年指揮者としての活動を充実させている久石さんが、「指揮者 久石譲」としての活躍をしっかり見ることができるのもある意味貴重だと思うとともに、以前から生演奏で聴いてみたかった『組曲 展覧会の絵』がプログラムされていたのも手伝って今回のコンサートへ行くことにしました。

チケットもぎりを過ぎ、会場へ入ると、なんとなくいつもの久石さんのコンサートとは異なる雰囲気。久石さんのCD販売が無いからなのか、新日本フィルのファンのお客様が多いのか…?

着席して、ステージを見ると弦は14型の久石さん指揮での鉄板の対向配置。ステージの後ろの方に見えるパーカッションの多さや、ハープなどから近年のオーケストラ編成の印象を強く受けます。

14時過ぎに続々とステージに楽団員の方が登場。今回のコンマスはチェさん。久石さんとの共演は去年の9月以来でしょうか?チューニングののちに、久石さんが登場。いよいよコンサートが始まります。

 

 

・Claude Debussy『牧神の午後への前奏曲』

久石さんが合図をしてから最初のフルートソロの音色が流れるまで、時間としては短かったはずなのに、とても間が長く感じました。ピリッと静まった空気感のある会場に、淡くて夢幻のようなふわふわしたメロディが流れてきました。そこから入ってくるハープと金管の音色。久石さんは指揮棒を持たず、ところどころ「うん、うん」と頷きながら、ゆったりと指揮をされていました。

途中で力強いヴァイオリンのメロディが入ってくるところでは、久石さんが笑顔で1stヴァイオリンを見ながら待ち構えているような仕草を見せるシーンも。旋律が大きく動くところでは大きく身体を動かし、全体で表情豊かにこの美しい曲を表現していきました。

3月の三重公演では、ロマン派での重要な作品とさせるベルリオーズの『幻想交響曲』、そして今回は印象派での重要とされているドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』をそれぞれ今を生きる作曲家の久石さんを通して聴くことができたのはとても有意義でした。

 

演奏が終わり、一通り拍手が終わると、大きく舞台替えへ。次の『チェロ協奏曲』用へとコンパクトなオーケストラへと衣替えとともに、ソリスト用の台が用意されました。その後、久石さんとソリストのリーウェイさんが登場しました。

 

 

・Camille Saint-Saens『チェロ協奏曲第1番 イ短調 op.33』

1楽章 Allegro non Troppo

全体をダン!という大きな和音から始まった直後に、上から下へと駆け巡るようなチェロのソロがなだれ込んできます。リーウェイさんがかなり身長の高い方の為か、チェロが割と小さく見える印象でした。そのチェロから流れる音色は力強く、時には色っぽく、チェロの音域のせいか、まるで男性が歌を歌っているような雰囲気も感じられました。主旋律がフルートに変わるところでは、サッとサブメロディへ移るシーンもスマートでカッコよかったです。

 

2楽章 Allegretto con Moto

1楽章と雰囲気も一変。軽やかなで上品な3拍子の弦楽のメロディとソロチェロの音色が美しく交差していきます。中間部で現れる小さなカデンツァもちらっと超絶技巧も垣間見えて、ワクワクしました。再度主題が現れて、より華やかな雰囲気と次の楽章へ繋がるような少し暗い雰囲気も感じさせながら、3楽章へと向かいました。久石さんはあまり大きな振りをせず、優しく寄り添うような指揮をしていました。

 

3楽章 Molt Allegro

1楽章のメロディが木管で流れたのちに、ソロチェロで演奏。その後、テンポが速くなるところでは大きなうねりを感じさせるようなパワフルな演奏となりました。ですが、途中木管のフレーズが小さく美しく響くところでは、久石さんもオケ全体に抑えて!抑えて!というような指示も。終盤、盛り上がりのあるパートでは、リーウェイさんがコンマスや久石さんと随時アイコンタクトを取り、楽しそうに演奏していました。ワクワクが客席に伝わってくるようなとてもエネルギッシュな演奏!熱気は客席へと十分伝わり、演奏が終わると大きな拍手に包まれました。

 

何度かのカーテンコールのちに、ソリストアンコールへと進みます。

 

・Giovanni Sollima『Alone』

重厚な和音を奏でるともに、弦を指ではじいてピチカートのような音色も同時に出していました。冒頭が終わると、一気に速くて、心地よいビート感のある中間部へ。まるで2人組チェロユニットの2 CELLOSの演奏を聴いているかのような、緊迫感・緊張感。とてもチェロのソロだけで演奏しているとは思えないような、複雑で超絶技巧が光る1曲でした。

 

さらにもう1曲アンコールを披露してくれました!

 

・Sergei Prokofiev『こどものための音楽 Op.65-10 行進曲』(チェロ編曲 ピアティゴルスキー)

今度は雰囲気一転、軽快に大股でずんずん歩いていくような行進曲。途中で聴こえてくるドーシラソーというフレーズが耳に残ります。短い曲でしたが、遊び心のある小品に心が弾みました。

 

 

ー休憩ー

 

 

・Modest Petrovich Mussorgsky(arr.Mrurice Ravel)『組曲 展覧会の絵』

プロムナード

美しく、華やかなトランペットのソロから始まり、全体を包み込むようなホルンやチューバ等の金管の音色が絵画の旅へと誘います。

1.グノームス

雰囲気は一変、低音弦が怪しいメロディを奏でます。今回座っていた座席が1st ヴァイオリン側の前から2列目で、その後ろのコントラバスの音がザクッザクッと刻むと、その音が身体の芯まで揺れるような感じがしました。途中のパチンっという打楽器の音を出す直前には、久石さんも大きな振りを見せてくれました。最後は『DEAD組曲』の1楽章の終わりのような雰囲気で終わります。

プロムナード

続いてのプロムナード、ホルンのふくよかな音色で演奏されます。主旋律に寄り添うオーボエの音色も美しかったです。このプロムナードを演奏しているときの、フルート主席の方が笑顔で聴いていた様子がとても良かったです。

2.古城

哀愁の漂うサックスの音色が印象的な一曲。久石さんは、全体を抑えるような演奏にする時は、ソロリソロリと慎重に。メロディが動いてくると身振りをどんどん大きくしていっていました。

プロムナード

再びトランペットのメロディで再現させるプロムナードですが、チューバやコントラバスなどの低音楽器が力強い伴奏が加わります。

3.チュイルリーの庭

オーボエやフルートのいたずら心溢れる音色が響く、可愛らしい一曲。久石さんもリズミカルな可愛らしい指揮をしていました。

4.ビドロ

牛がノッシノッシと重そうに歩く様子がすぐに目に浮かぶような曲で、チューバの音色がよく響きます。しかし、全体は重たいだけではなく、抑揚も大きくオーケストラのダイナミックレンジの広さを改めて感じます。

プロムナード

いままで3度演奏されてきたプロムナードとは若干雰囲気が変わり、フルートが物悲しくテーマを奏でます。

5.卵の殻をつけた雛の踊り

こちらも『チュイルリーの庭』のように木管の音色が印象的ですが、スピード感もありスリリングな曲でもありました。

6.サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ

この曲の冒頭のチェロ主体のメロディが、久石さんの『坂の上の雲』のサウンドトラック3枚目の『孤影悄然』のような雰囲気があってお気に入りの曲です。中間部のトランペットの連符もかなり耳に残ります。

7.リモージュ・市場

雰囲気は一転、賑やかで華やかな、日常を感じさせます。こちらも久石さんの曲で例えると『二ノ国2』のサウンドトラックから『ネズミ王国の城下町』の感じがします。

8.カタコンベ

一気に重くて暗い、金管による和音が炸裂します。久石さんも深刻そうな顔で指揮していました。

死せる言葉による死者への呼びかけ

冒頭の弦のトレモロに木管のメロディが加わり、いままで4回演奏されてきた『プロムナード』よりさらに物悲しく、重たい雰囲気に。後半に入ってくるハープの音色にどこか光も感じます。

9.鶏の足の上に立つ小屋(バーバ・ヤガー)

久石さんの得意とするミニマル的なアプローチも合っていた楽曲だと思いました。全体の激しく、スピード感ある構成に吠える金管隊。かなりテンポ感も速く、キレッキレでカッコいい演奏でした。曲の最後では、久石さんも屈むような姿勢を取り、次なる楽曲へ向けてパワーを貯めている感じしました。

10.キエフの大門

そして、前曲から途切れることなく、一気に華やかな音色が会場を包み込みます。打楽器が力強く入る部分では、久石さんも左手をヒラヒラとさせてもっと!もっと!というような指示を出していました。中間部のコーラル風の部分は祈りを感じさせるような、荘厳な音色に。終盤の直前に再現される『プロムナード』のメロディが流れると、一気に鳥肌が立ちました。その後は、大音量で壮大に表現される『キエフの大門』。昨今の情勢に、希望と祈りを込めたような、エネルギッシュで叫びのような演奏に思わず目頭が熱くなりました。

 

凄まじい演奏に圧倒されたホール内からは一瞬の静寂後、割れんばかりの拍手が鳴り響きました。久石さんも満面の笑みで拍手に応えます。その後は恒例の楽団メンバー紹介。途中、トロンボーンセクションと一緒にチューバ奏者が立ってしまい、あなたはまだだよ!次だよ!次!というようなジェスチャーを送る久石さんも見ることできました。

 

Encore

・Mrurice Ravel『亡き王女のためのパヴァーヌ』

美しいホルンのソロから入る、オーケストラ版の『亡き王女のためのパヴァーヌ』久石さんは指揮棒を持たず、ゆったりと指揮をしていました。対向配置の為、1stヴァイオリンがメロディを奏でて2ndヴァイオリンがピチカートを鳴らすシーンでは、音色のメリハリがしっかり聴いていてとても楽しめました。レクイエムのようなしっとりとした演奏。最後は希望の光を感じさせるように、静かに輝くように楽曲が終わりました。

 

 

再び割れんばかりの大きな拍手。何度かのカーテンコール後、こちらも恒例となっている久石さんと弦楽の方達との腕合わせ。その後、深々とお辞儀をしてコンサートが終わりました。

1曲も久石さんの楽曲が無いのに、まるでWDOコンサートに来たような満足感でした。『展覧会の絵』は、クラシックの作品ながら、プロムナードがアレンジを施して何度も演奏されるなど、どこかサウンドトラック的な一面も感じます。さらに今回のオーケストラの編成が久石さんのオリジナル曲演奏時の編成に近いものもあり、それらからもWDOの雰囲気を感じたかもしれません。

今後のスケジュールはまだ発表されていませんが、再び久石さん×新日本フィルの定期演奏会を楽しみにしています。

2022年4月25日 ふじか

 

 

そうだそうだ、そんな感じだった。そんなこともあったかな。それは気づかなかったな。というオンパレードで一気読みしました。いつも焼き付けかたがハイスペックだなと感じます。

「展覧会の絵」で「坂の上の雲」がつながるなんて。当日お話しているときに少し話題にあがったので、帰り道にどの曲のことだろうと探したりしていました。さらに「二ノ国」か、なるほど!楽しいですね。久石譲音楽のバックボーンというか影響うけているかもしれないと感じられる。久石さんファンだからこそできるクラシック音楽の聴きかたってありますね。より楽しくなります。

コンサート終わって「よかったですねー!」「よかったですねー!」とお互い言いながら歩いている間に、すぐ隣にある駅に着いてしまいました。瞬間最大共感はあっという間でした。今回もありがごうとございました。

 

 

 

こちらは、公式リハーサル/公演風景写真の紹介もあわせて、いつものコンサート・レポートをしています。

 

 

公演風景(追加分)

from 新日本フィルハーモニー交響楽団公式ツイッター

 

 

 

 

「行った人の数だけ、感想があり感動がある」

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みんなのコンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

 

reverb.
さて、次はみなさんいよいよWDO2022ですね!!

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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