Info. 2020/05/08 久石譲「World Dreams」Music Video公開

Posted on 2020/05/08

久石譲オフィシャルYouTubeチャンネルに、新しいミュージックビデオ「World Dreams」が公開されました。

これまでワールドベスト盤『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』(2020.2)に収録されている楽曲からのNew Music Videoでしたが、この曲は違います。”いま”を象徴しているようです。ぜひご覧ください。 “Info. 2020/05/08 久石譲「World Dreams」Music Video公開” の続きを読む

Overtone.第32回 Textsに寄せて ~雑文集ノススメ~

Posted on 2020/04/27

ふらいすとーんです。

このたび「Texts」ページができました。久石譲があらゆる媒体で発信したインタビューを一覧リスト化したものです。雑誌・新聞・Webなどで「久石譲が語ったこと Joe Hisaishi Interview」。

ファンサイトを運営するにあたり、ある時期からこれまでの雑誌インタビューを整理したり、切り抜きファイリングしたり、持っていなかったものを入手したり、知らなかった掲載情報を調べなおしたり。手元のコレクションを整理整頓するのと並行して、ファンサイト内でも内容紹介してきたものたくさんあります。

数年かかりました。ここでようやくひと区切り、まとめてきたものをインデックスしてご紹介しようと「Texts」です。

 

Texts

 

 

一覧リストにするにあたってどう並べようか。スタジオジブリ作品など映画ごとにまとめたほうがいいのか、CD作品ごとにまとめたほうがいいのか。そのほうが見る人も目的をもって探しやすいかもしれない。でも、ひとつの雑誌インタビューのなかで語られていることは、そのときの映画のことCDのこと重層的です。だったらと、シンプルに年代順に並べることにしました。そして、大見出しも載せることで、どういう内容について語られているのか、内容を開く前に目安にしてもらえるかもしれないと。

年代順に並べるメリットはあります。音楽担当したあの映画、リリースされたCDやその他音楽活動。いつの出来事なのか年表はわかっている、その年あたりに照準を絞って探してもらったなら、何か語っていることがあるかもしれない、ないかもしれない。わかりやすいものさしになります。

 

なぜやるのか?

ぜひこちらをご覧いただけたら幸いです。

 

雑文集ノススメ

あらゆる時期に、あらゆる媒体に、あらゆる分野のことを語っている久石譲。これら色とりどりのインタビューたちが、いつの日か一冊の本にまとめられたらいいなあと思っています。これまでの久石譲著書の特色は、ある時期の音楽活動に深く切りこんで記録したエッセイのようなもの、雑誌連載から書籍化されたもの、対談、これらが中心です。つまりそこには、時間軸や内容軸としてテーマがあります。それは局所的な狭義的な範囲でもって凝縮されている、本にもまとめやすい。

ある作家や作曲家のなかには、点として雑誌や新聞で発表してきた掲載物を、無造作にまとめたようなインタビュー集、いわば雑文集のようなかたちで出版されたものがあります。僕は、久石譲著書のなかにも、こういった性格のものがあってもいいんじゃないか、いやむしろ、あってしかりじゃないかくらい思っています。

思っている理由をすすめていきます。

 

◇インタビューのよさ

なんといっても、その時々の濃く深い内容が語られています。それが映画の音楽制作なのか、オリジナルアルバムなのか、コンサートなのか。いずれも、そのときの旬な話題について非常に高い鮮度で語られています。ホット=記憶が新しい、時間をおいて振り返ったときには語らないようなこと忘れてしまうようなことも、リアルタイムの濃密さがそこにはあります。

インタビュアーをおかずに久石譲だけが語っているタイプもあります。インタビュアーの質問に答えるタイプもあります。前者が語りたいことを語るなら、後者は聞きたいことを語らせる。また、インタビュアーが聞き手に徹していたとしても、必要な合いの手や質問を得ることによって、よりわかりやすく読者に届くようにかみくだかれる、インタビューという空間の魅力です。

そこで語られるテーマも、発信元メディアの特性を生かしたものもあります。音楽話はもちろんビジネスに置き換えれることだったり、切り口のバリエーション豊富です。

 

 

少しだけ選んだものをご紹介します。

 

「感性に頼って書く人間はダメですね。2~3年は書けるかもしれないけれど、何十年もそれで走っていくわけにはいきません。自分が感覚だと思っているものの95%くらいは、言葉で解明できるものなんです。最後の5%に行き着いたら、はじめて感覚や感性を使っていい。しかし、いまは多くの人が出だしから感覚や感性が大事だという。それだけでやっているのは、僕に言わせると甘い。ムードでつくるのでなく、極力自分が生みだすものを客観視するために、物事を論理的に見る必要があります。」

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより 抜粋)

 

 

「例えば、2時間の映画を手がける場合、1本につき30数曲、ややシリアスな作品で曲数を減らしても15~16曲を書かなければなりません。それらの曲を本編のどの部分に付けるのか。いわば、音楽が流れない沈黙の部分も含めた、2時間の交響曲を書くようなものです。メインテーマがひとつ、サブテーマが複数あるとして、それらのテーマをどのように配置していくか。同じテーマを悲劇的に使ったり、軽く流したりする場合も、画面と呼吸を合わせていかなければならない。それらをすべて構成し、組み立て、全体のスコアをどう設計していくか。その95パーセントは、テクニックで決まります」

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」(キネ旬ムック) 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「でも、そのことが良い音楽を作る決定的な要素になったんですね。全部で8トラックしかないということは、ハイハットとキックとスネアを使って、ベースを入れて、キーボードが4声だったらもう終わり。すると、そこで工夫が必要になってくるんです。当時、FAIRLIGHTのシーケンサーを使わせたら、僕は絶対に世界一うまかったと思いますよ(笑)。壮大な音を8つの音だけで、いかに作り上げるかということを考えることが、ものすごい訓練になり、その感覚は現在に至るまでずっと続いています。今のように、1チャンネルだけで幾らでも音が出るような環境でやっていると、90%以上は無駄な音を入れてしまっていると思いますよ。ああいうふうに音楽を作っていては、感性は育たない。必要なのは、いかに無駄な音を使わず、しかも色彩豊かに作り上げるかという訓練だと思います」

Blog. 「キーボードマガジン Keyboard Magazine 1999年8月号」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


これ、好きな話です。当時読んだときよりも今のほうがよく響いてくる。1980年代初期シンセサイザーでの作曲活動がメインだった久石譲です。8つの音(チャンネル)だけで音楽を成立させるという訓練は、つきつめれば、フルオーケストラ作品を弦楽合奏や弦楽四重奏という限られた声部に置き換えることができるということ。フルオーケストラが30~40チャンネルあるとしたら、弦楽四重奏は4チャンネル(ヴァイオリン×2,ヴィオラ,チェロ)です。音楽編成を変幻自在に拡大・縮小して再構成する久石譲の技は、こういった時代の経験のなかで磨かれてきた。もっとさかのぼれば、源流にクラシック音楽の教養があったからこそです。なかなかに深いお話だと思います。

 

 

「難しかったんだよね。それまでガッチリとコンセプトを組んできたんだけれど、最後の最後で自分を信じた感覚的な決断をしたということです。あの弦の書き方って異常に特殊なんです。普通は例えば8・6・4・4・2とだんだん小さくなりますね。それを8・6・6・6・2と低域が大きい形にしてある。なおかつディヴィージで全部デパートに分けたりして……。チェロなんかまともにユニゾンしているところなんて一箇所もないですよ。ここまで徹底的に書いたことは今までない。結果として想像以上のものになってしまって、ピアノより弦が主張してる……ヤバイ……と(笑)。」

Blog. 「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


これは『Piano Stories II』のお話です。ちょっと聴き方が変わりますよね。ほかにも、たくさんのインタビューのなかには音楽制作の貴重な過程、録音や収録に使われた専門的な機材のことも話題にのぼったりします。手元にあるインタビューをすべて読み返し、各CD作品ページで必要な情報(インタビュー内容)はあわせて紹介しています。気が向いたら、好きなCD、気になるCDの”Disc.”ページものぞいてみてください。今まで知らなかったエピソードが、そこにあるかもしれない、ないかもしれない。

 

 

「コントラバス・コンチェルトやエレクトリック・ヴァイオリンなどのソロ楽器を持つ曲を書くときは、いつも楽器を買うんですよ。コントラバスのときも買って、響きを体感するために毎日作曲の前に15分くらい弾いていましたね。だから今回もバンドネオンを買おうとしたけど、売ってないんです!もう作ってないですし。それで三浦くんに相談したら、お持ちの楽器の中の一つを貸していただくことになって。それを毎日弾いてたんですけどね、弾いたって言ってもまあ、びっくりしました。こうやって引っ張ってレ~って鳴ってるのに、押したらミになっちゃうんだよ!違うんだよね。往復で違うんだ音!みたいな! キーの配列もまるで規則性がない。これじゃ覚えられない……。でも逆に、このバンドネオンだからこそ(配列のおかげで)音の跳躍ができるというのがわかってきた。裏技を使えばなんとかなるんじゃないかみたいな。ということがあって、あとは信頼して書くしかなかった。」

Blog. 「LATINA ラティーナ 2018年1月号」 久石譲×三浦一馬 対談内容 より抜粋)

 

 

「小学校の音楽の授業で習うことですけど、音楽の中には”メロディー”と”ハーモニー”と”リズム”という三要素があるんです。僕らが音楽を作る上でも重要なのはこの三要素なんですよ。今回、メインテーマの”メロディー”が非常にシンプルで分かりやすいので、”リズム”や”ハーモニー”が相当複雑な構成になっても成立するんです。そこは良かったところですね。この曲の良さは、”ポ~ニョポ~ニョポニョさかなのこ”という最初の部分のメロディーですべて分かってしまうところ。そのメロディーを認識させるために4小節とか8小節とか必要としないですから。1フレーズだけで分かるので、どんな場面でも使えるんです。すごく悲しい感じにもできるし、すごく快活にもできるから、いくつでもバリエーションが作れるんです。メインテーマのアレンジを変えて使うという方法は、前作の『ハウルの動く城』の経験が生きましたね。今回、『崖の上のポニョ』でも徹底的にアレンジを変えました。使い回しは一つもありませんよ」

「音楽を入れるのに楽なところは一つもありません。その中でも悩んだところは、宗介が”リサ!リサ!”って叫ぶ場面と、その後のおばあちゃんたちがいる”ひまわりの家”が水没している場面ですね。ひまわりの家の場面には音楽が必要だと思ったんですが、そうすると宗介のシーンには音楽が入れられないなって。2つの連続する場面のどちらにも音楽が入っていたら”音楽ベッタリ”な感じになってしまいますからね。僕も宮崎さんも悩んだんですけど、宗介のシーンには音楽は要らないという話になりました。ところが、作っていくうちに、”やっぱりこれだとおかしい”っていうふうに思えてきたので、宗介のところにも音楽を入れることにしたんです。でも、ひまわりの家の部分がフルオーケストラなので、違いが出せるように宗介のところはピアノ一本で入れることに。いやぁ、うまくいきましたね。惜しいのは、僕のピアノがちょっと強かったことかな。オケの録音の後にとったので、ちょっと力が入り過ぎたみたいです(笑)」

Blog. 「別冊カドカワ 総力特集 崖の上のポニョ featuring スタジオジブリ」(2008) 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


ジブリ音楽に関しては、一番インタビューの質量ともに豊富かもしれません。映画ごとにたくさんのエピソードがあります。こういうのを読むだけでも、ファンはワクワクうれしいですよね。どれどれ「28.宗介のなみだ」聴きなおしてみようか、なるほど言われてみれば、愛着ますなあ、なんてことも。

 

 

「そうなんです。音楽としてつまらなくて、それが実は「劇伴」というやつなんですが、そんな単体で聴いたらつまらないものを何となく流しておくみたいな、そんな音楽なんてつけちゃマズイですよ。映画の音楽をやったことがある作曲家にね、「久石さん、映画の音楽って安いでしょう」って言いにくる人がいるんです。そのとき「あ、ごめん、俺、恐らく日本の映画の4、5本くらいの音楽予算がないとやらないから、決して安くないよ」って、はっきり言いますよね。「これはぜひ久石さんの音楽が欲しい。でも予算がなくて」なんてさ、それで役者の衣装に費用をかけたりするとさ、「こらっ」って、思うじゃないですか。だったら衣装の一つや二つ削って、音楽予算を作ればいいじゃないかと。例えば「内容さえよければ、どんなに低予算でも私はやります」っていえば、それは70点の回答なんだけれど、それって逃げてる言葉なんです。自分をカヴァーしているだけ。「安いものは基本的にやりません」って言う方が誠意があると思う。」

-それは久石さんを追い込み発言ではありますが、映画音楽ってお金が必要なんだという認識にもつながりますし、当然いい音楽を作るにはお金がいる。

久石:
「いります。シンセで後ろにちょこっと流しておこうという話でなければ、やはりちゃんとお金をかけなければいけない。もし僕が安いギャラで引き受けてしまったら、後に続く連中がもっと安くなってしまう。だれかが突っ張って言っていかないと、ほかの連中がもっとかわいそうになってしまう。自分が置かれた立場を考えると、責任感というものが少しは芽生えましたね。そういう意味では発言の場を作って、機会のあるごとに言っていかないと、日本の映画が豊かにならない気がするんですよ。自分自身がやりやすくなるためにも環境を作っていかなければいけないんです。」

Blog. 「キネマ旬報 2000年7月上旬 夏の特別号 No.1311」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


こんな久石さんも好きです。そしてちゃんと芯がある。

 

 

「この次は絶対にクリアーにしようと、絶えず線になって反省して、さらに理想的な高い完成度の…、ここが難しいんですけどね。完成度が高ければいい音楽になるかというと、ものすごく立派な譜面を書いたからってそうはならない。むしろちょっと粗っぽく書いて、なんだかなあっていうときのほうが、人々に与えるインパクトが大きいケースもありますからね。実のところ、音楽がまだわからない。だからたぶん、10年後もそういうことに悩みながら、『いい音楽をどう創ろうか』と考えていくんじゃないかと思います」

Blog. 「MUSICA NOVA ムジカノーヴァ 2007年3月号」久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「結局、クオリティを上げるのは努力しかないんですよ。一にも努力、二にも努力。自分が納得するまで、これでいいと思うまでやり続けるしかない。それだけです。だから絶えず不安です。書けなくなるんじゃなうかとか、今回は本当にできるのかとか、いつも不安を抱えている。でも、そうするとどこかでアドレナリンがぶわっと出て、意欲が湧き上がってくれる。それで仕事をなんとか乗り切ってる。かっこいいことなんか何もない。いつもギリギリ。でも仕事って、そういうものじゃないですか。のた打ち回れば、のた打ち回っただけ少しはよくなるだろう。そう信じて、最後の最後まで粘り続けられるかどうか。それで作品の質は決まるのだと思う」

Blog. 「GOETHE ゲーテ 2013年7月号」映画『奇跡のリンゴ』久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「久石さんとは同じ時代を生きてきたと思う」。宮崎が語る。「作るに値する映画はいつの時代にもあるだろうという仮説のもとにやってきました。そのたんびにいっしょにやろうと。ここまで来たら最後までいっしょにやると思う。彼の音楽はぼくの通俗性と合っているんですよ。彼の音楽の持ち味は”少年のペーソス”です。それは彼のミニマルの底流にもあるし、『ナウシカ』のときからあった。映画によって隠したり、ちょっと出したり、うんと乾いて見せたり。手を替え品を替えやりながら生き残ってきた人だから、そう簡単に手札を見せるわけがない。でも”少年のペーソス”はずっと変わっていない。そこがたぶんぼくと共通している」

Blog. 久石譲 雑誌「AERA」(2010.11.1号 No.48) インタビュー より抜粋)

 

 

◇対談のよさ

これまでに各界著名人と対談しています。その魅力をひと言でいえば、対談で起こる化学反応な話題の広がりです。プロのインタビュアー(音楽や各業界に精通している人)であれば、こんなことは聞かないよなあ、でも!読者としては聞いてくれてありがとう!な話。思いもよらない切り口や質問がとんでくる。キャッチボールが豪球になっていったり、あるいはラフなゆるい空気になったからこそ生まれる会話。積極的には語ったことないんだけど、聞くなら答えるよ、そんなナイストス!の応酬も対談の面白さです。

インタビューに答えるための、もちろんプロモーションの側面も担った、準備された回答はぐっと減ります。その場、その時、空気、一期一会。これらの貴重な話は、この相手だから聞けたこと、このタイミングだから語られたこと、会話が生きもののように躍動感あるものになっています。

 

 

少しだけ選んだものをご紹介します。

 

秋元:
僕らはよくいろんな方とコラボレーションをするじゃないですか。ドラマでも映画でも悲しいメロディーというと、普通の音楽監督というのは聴いただけで悲しい曲を書いてきてくれる。でも驚かないんですよ。脚本でも音楽監督でも役者でも、やっぱり一緒にやった人が自分が投げたアイデア以上ものもを返してくれて、お互い驚きあいながら作っていかないとダメなんですよね。今回はそこが非常におもしろかった。日活の会議室で初めてブルガリアン・ヴォイスを聴いた日、久石さんが曲を流す前に「いっちゃっていいですか?」と訊ねられて、曲を聴いたら本当にいっちゃってた(笑)。すごくいいなあと思った。作詞でもそうなんですけど、どこまで奇を衒っていいかを判断するのは難しいんですよ。ただ奇を衒ってるだけだと単なる企画もの、イロモノになっちゃう。だから微妙に奇を衒っている新しさ、そこが一番難しいんですよね。

久石:
単に奇を衒うというのはできるんだけど、それがどう主題に関わってくるかですね。それができたのはやはり秋元さんに対する信頼です。受け止めてもらえるというのがあったので。こちらが窮屈にならずに持っているアイデアをぶつけられたんです。

秋元:
いや、それはプロの技ですよ。ブルガリアン・ヴォイスから嵐のシーンのオーケストレーションまで幅が広い。ブルガリアン・ヴォイスだけのアイデアを出せる人はブルガリアン・ヴォイスのテイストで最後までいっちゃうんですね。そうすると今度は映像と音楽が分離してしまう。それにしてもラッシュの音がない時に比べて数百倍良かったです。

久石:
日本映画としては本当にお金を出してもらったんですよ。ホールでオーケストラをきっちり録れるなんてまずないですから。これだけの規模でできたからこそなんです。

秋元:
オーケストラというと、それだけの人数と楽器を集めて、ホールまで借りるのは、すごくお金がかかる。だから大抵みんな打ち込みでやるんですけど、久石さんがホールでモニータに映像を流して同時に録ろうとおっしゃった。すごく贅沢ですよ。アメリカではそういうシステムが整っているけど、日本ではなかなかできない。

久石:
設備が整ったところで録るわけではないので、レコーディング機材を全部運び込まなくてはいけなくて、ものすごく大変なんです。しかもいろいろトラブルがあるし。

秋元:
我々も、いつもああいうことができると思ってはいけないんですね。

久石:
でもこの先デジタルになったら、もっとああいうやり方の重要性が出てきますよ。ホールのアンビエントがそのまま再現されるから、とても奥行きが深くなる。

Blog. 「秋元康大全 97%」(SWITCH/2000)秋元康×久石譲 対談内容 より抜粋)

 

 

 

久石:
ものをつくる場所というのはこだわりますよね。雰囲気的にものをつくれる環境を選びます。レコーディングスタジオに入るとミュージシャンやスタッフなど人も大勢いますし、作業場ですね。今日もこの取材後にスタジオに移動してCM音楽のレコーディングをするのですが、完成させた譜面を持ってスタジオに入ります。やはり曲づくりの場所とは分けています。演奏しないことにはレコーディングにならないので、レコーディングする場所としてそこはきちんと分けています。

稲越:
その場でアレンジとかして違ってきたりするのですか?

久石:
僕はスタジオに入ってしまったらもうまったく変えません。

稲越:
えっ、変えないんだ……

久石:
レコーディングは誰よりも早いと驚かれます。二日間のレコーディングを予定していても、たいてい一日目で半分以上の曲数を録ってしまいますから。一日の場合も、二一時までスタジオを借りていたとしても、一八時、一八時半には終わってしまうことが多いです。このあいだ久しぶりにスケジュールの組み方の問題もあり、遅くなることがありましたけど、これなんかは例外です。

Blog. 「CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12」(2007) 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

 

冨田:
「いや、ほんとうにぼくらの仕事は肉体労働だよ。やっとこの頃、どうにか自分でコントロールできるようになってきたけど。久石さんなんか、いまが死ぬほど忙しいでしょう? 仕事がいろいろな方向へ拡がっているものね。すごく興味を持って見させていただいているんですよ」

久石:
「いやいや、ボクにとっては、一瞬のうちに響きやサウンドが聴き手の耳を惹きつけてしまうという冨田さんの仕事がいつも一番気になってきたものなんです」

Blog. 「CDジャーナル 2002年4月号」 冨田勲 vs 久石譲 対談内容 より抜粋)

 

 

 

林:
「坂の上の雲」のテーマ音楽が聞こえると、意味もなく悲しくなるんですけど、雲の向こうに壮大な世界が広がっていくような気がして。あの音楽を聴いただけで、みんな胸がキュッとなるんじゃないですかね。

久石:
それはすごく嬉しいです。ああいう大型のドラマになると、大河ドラマのオープニングみたいに、「ジャジャジャ~ン!」という派手な音楽で出るのがふつうなんでしょうけれども、僕、そうはしたくなかったんです。あれだけの大作なんだから、その精神を受け止めるような、バラード的なもののほうがあの世界観が出るんじゃないかと思ったんです。

~中略~

久石:
映画の音楽だとかをしばらくやってると、飽きちゃうんです。「これでいいのかな」と思うと、逆に完全に作品風に振っちゃって。そうすると今度は独りよがりになりがちなんです。あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、の繰り返しですね。

林:
團伊玖磨さんみたい。團さんは大作を書く一方で、シンプルで、みんなが好きな「ぞうさん」もお書きになっていて、懐の深さが似てますね。

久石:
「ぞうさん」は、まど・みちおさん作詞で、あれは名曲ですね。ああいうシンプルな曲ほど難しいんです。「♪ぞーうさん ぞーうさん おーはながながいのね……」って、言葉のカーブとメロディーカーブが一致してるんですよ。

林:
ほおー、そこまで考えたことなかったです。「♪歩こう 歩こう……」(「となりのトトロ」の主題歌)もカーブが合ってますよね。

久石:
合わせてます。ポニョ(「崖の上のポニョ」)もそうですね。

Blog. 「週刊朝日 5000号記念 2010年3月26日増大号」久石譲×林真理子 対談内容 より抜粋)

 

 

 

淳:
僕は宮崎監督が久石さんの楽曲に合わせて物語を作ってる部分もあるんじゃないかって思ってるんですが、その辺はどうですか? 「その曲ができたなら、こういう演出にしていこう」って。だって音楽があまりにも作品にマッチしてますもん!

久石:
それはたぶんないと思います。確かに早い時期にイメージアルバムを作って、それを宮崎さんがお聴きになってるっていうのは聞きますけど、非常にピュアに絵コンテをしっかり描かれる方だから。

Blog. 「月刊サーカス CIRCUS 2012年4月号」FACTORY_A 久石譲×田村淳 対談内容 より抜粋)

 

 

ほかにも、鈴木光司さん、飯島愛さん、そして対談本もある養老孟司さんとは、共著以後に2~3回ほど雑誌をとおして対談しています。

 

 

◇本としてまとめることが大切

スタジオジブリ関連本はたくさんあります。そのなかに、宮崎駿監督・高畑勲監督のインタビューをあつめたものも、きっちり歴史をのこすように出版されています。

鈴木敏夫プロデューサーは、こう語っています。

”以前、高畑勲・宮崎駿がいろんな媒体で書き散らかした文章、話したインタビューを、年代順にまとめた本があると便利だと思い、それぞれ一冊にまとめました。文庫も複数の出版社からばらばらに出ているんじゃなくて、一社でやってもらえないかなと”

 

Overtone.第27回 「映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集/武満徹 著」を読む ~ウソとマコト I~ で題材にしたこの本も、巻末に《初出一覧》がぎっしり掲載されています。○○○○年○月○日○○新聞、○○○○年○○雑誌○○月号というように。もしこういった編集作業をへた書籍化がなければ、今読むことはできなかったでしょう。

 

 

◇久石譲論 本ノススメ

宮崎駿も、高畑勲も、北野武も、武満徹も、ほかにもたくさんのプロフェッショナル。映画界、音楽界、スポーツ界。自らのの著書とならんで、そこには研究本があります。”宮崎駿論”は国内にとどまらず海外専門家によっても多数執筆されています。解説・分析・批評・論考・攻略・研究・専門・特集、どんな言葉を使ってもいいです、そういった類の書物。深く切りこんだタイプのものは、そんな視点や考察もあるのかと楽しく驚かされますし、クロノジカルにまとめたタイプのものは、まさに年代記、歴史の足跡を紐解く充実度があります。

 

でも、久石譲の音楽活動について、

そういった本はない。

ずっと不思議だったんです。

なんでないんだろう?

あるとき、ひとつの答えを得た。

 

それは、歴史的資料の絶対数が少ないからじゃないか。歴史的資料を本という単語に置き換えてもいいです。研究したいにも、分析したいにも、資料が少なければできません。どういう制作過程だったのか、当時の環境や志向性は、その時にどんなことを語っていたのか。可能なかぎり集めて広げて、自分なりの論考にまとめていく。

音楽という特性についても。音楽を聴いただけで語るなら、それは解説こそできても、深く鋭い研究はできません。もし仮に、音楽という素材だけで扱うにしても、そこには必ずスコアが必要になります。いくらプロの音楽評論家といえど、聴いたものだけで分析して語れというのは、とても難しい。

宮崎駿監督の著書は11冊あります(対談・インタビュー・共著も含む)。さらに、「ジブリの教科書 シリーズ」のように、各作品で本をまとめたものにも、製作当時のインタビューは収録されています。付随する製作スタッフ(原画・動画・色彩・声優・プロデューサーなど)の話から、浮かび上がってくることもあります。そして「イメージボード集」や「絵コンテ集」、これが映画をつくるための設計図になります。このような重層的な歴史的資料の充実と提示こそ、今なお論考を活発化させ深めさせている要因のひとつだとしたら。

スコアは音楽をつくるための設計図です。ベートーヴェンの音楽を専門的に分析するなら、そこには片手にスコア、片手に資料を準備して臨みますよね、たぶん。音楽評論家は、そこから新しい見方や解釈を得て、議論を深め、音楽と一緒に歴史的価値を引き継いでいく。ここは大切! それが指揮者や演奏者だったらどうでしょう。そこには片手にスコア、片手に資料を準備して臨みますよね、たぶん。深い理解を求め、新しい視点を模索し、”今”という時代に照らし合わせて表現豊かに奏でられる。長く演奏され聴きつがれる音楽になる。

 

僕は、ひとつの答えとしてそう導きました。

 

すべてを包括できてはいないけれど、ひとつの要因として、少しは当たっているような気がしています。つまるところ、僕が強く希求しているのは、「新しい聴き方」のサンプルの提示です。こういう聴き方もある、こういう背景がわかるともっとおもしろく聴けるよ。個性豊かな解釈の集合体が、よりその音楽を重層的に魅力あるものにするように。自分にはない音楽の聴き方、うけとり方を、もっともっと浴びたい。すごいな久石譲!と唸りたい。

日本映画音楽界のひとつの時代を築いてきた久石譲、日本現代作曲家として作品を発表しつづけてきた久石譲。次世代の音楽家たちに影響をあたえ、その血肉や遺伝子のようなものは、確実に音にも方法論にも見受けられることもあります。久石譲ファンであること、久石譲音楽を聴いて育ったこと、そう公言する作曲家は日本ではもちろん、海外作曲家からのリスペストを耳にすることも。

そんな輝かしい久石譲の軌跡をまとめた本が、バラエティ豊かな”久石譲論”書物たちが、久石譲著書と久石譲楽譜の横に並んで置かれている光景。ちっとも不思議なことじゃないですよね。

 

それではまた。

 

reverb.
久石譲インタビュー集と久石譲論の2タイプの書籍化希望のお話でした。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Info. 2020/04/24 「Joe Hisaishi: Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra」from MF vol.6 コンサート動画公開

Posted on 2020/04/24

久石譲公式Youtubeチャンネルより、コンサート動画が公開されました。

2019年10月25日開催「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.6」コンサートより、「Joe Hisaishi: Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra」のライヴ映像です。本公演で世界初演となった久石譲新作です。 “Info. 2020/04/24 「Joe Hisaishi: Variation 57 for Two Pianos and Chamber Orchestra」from MF vol.6 コンサート動画公開” の続きを読む

Overtone.第31回 ファンサイトにあらゆるテキストを記録する5つの理由

Posted on 2020/04/21

ふらいすとーんです。

ファンサイトでは、久石譲インタビュー内容などたくさんのテキストを載せています。雑誌・新聞・Webインタビューから、CDライナーノーツ・コンサートパンフレット・映画パンフレットなど多岐にわたります。

 

なぜこんなことをするのか?

それは、もちろん久石譲の音楽活動をあらゆる角度から記録しつづけることを目的としているサイトだからです。とはいっても、決して声を大にして言えるアピールポイントではありません。誉められることでもない、微妙なバランスのなか存在することができています。このことはいつも謙虚に、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

なぜそこまでするのか?

リスクをおかしてまで、テキストを載せつづける理由はあります。ケンカを売っているわけでも、挑発的に臨んでいるわけでもありません。僕なりの小さな信念がそこにはずっとあります。でも、その小さな信念は、僕だけの小さな正義であって、振りかざすことはできません。いつか続けられなくなる日もくるかもしれない。そう思っています。

今回は、ファンサイトを運営するにあたって、あらゆるテキストを記録する理由をお話したいと思います。言い訳がましい、弁護がましく響くかもしれません。それでもなお、しっかり自分の思うところを示すことも大切だと思い、とすすめていきます。

 

1.書写すること

書き写すことの学びは大きいです。目で追って読む読書よりも、口に出して読む音読よりも、一言一句を丁寧に書き写す作業は、記憶と吸収力の差に直結すると信じています。小学校の授業でもありましたよね。大人になっても好きな本の一節や詩を、ノートに書き残すことはあったりしますね。書くという運動をとおして、自分のからだのなかに入っていく感触や手ごたえのようなもの。

実は、最初の動機はこの一点でした。久石譲の音楽活動という長い歴史を、少しでも自分のなかに血肉として吸収したい、覚えたい。インタビューのなかに知らない言葉があれば、パソコンのページを切り替えて、すぐに調べることもできる。久石譲の口から飛び出した他作曲家やその音楽作品、気になるキーワードもまた、同じように書き写しと並行して調べることができる。そういうことを、ひとつひとつやりこなすうちに、小さな好奇心が小さな学びとなって、ぷつっぷつっと自分のからだに付随してくる感覚です。

たぶん、読むだけだと、知らないことも知らない言葉も、読み流してなんとなく前後の文脈でフィーリングで理解します。雑誌1ページのインタビューも、読むと3-5分、書くと調べると15-30分。そんなアナログな作業を、僕はとてもささやかに楽しんでいます。

 

 

2.ファイリングすること

「そういえばこの曲について、何か言ってたな。あれどの本だっけ? えーっと、時代からみてあの本かなあ…」、「えっ、本じゃない?! じゃあ雑誌かなあ、パンフレットかなあ、動画かなあ…ムリ探せない…」

本であればわりとすぐに見つけることができる内容も、それ以外のメディアに書かれたこと語られたことから探すのは本当に大変です。そうやって、忘れられていく歴史的資料も多く、それは自然の流れなのかもしれません。残らなくていい記憶や記録というものもあるでしょう。時間のフィルターで大切なことだけが残っていく。

そうか、Web上に文章をのせてしまえば、自分のための検索として探しやすくなるな。Web上にファイリングしてしまえば、アーカイブしてしまえば、いつでもサクッと探しやすくなる。自分のために始めたことです。それがほかの人の役にも立つかもしれない、という心優しいことまでは、ちっとも考えていませんでした。Webにあげるということは、公開されるということ。もちろんその責任も理解していますが、静かに記録していくだけ、そっとファイリングされていくだけ。でも、今となってはそんな無責任な立場はとれません。だったら、やるなら穴がたくさんあいたパズルよりも、できるだけ公平に完全に近いかたちで網羅していきたい。その一心です。

 

 

3.Webインタビュー

近年はWeb公開される久石譲インタビューも多いです。インフォメーションで発信メディアを紹介するだけでなく、その内容をファンサイトでもあえて同じく収めています。理由はひとつだけ、公開終了になったら見れなくなってしまうからです。パズルのピースが時間とともに自然消滅的に抜け落ちてしまう。そんな風化にあらがうように、出典元をしっかり明記したうえで、記録させてもらっています。

 

 

4.書き起こし(ラジオ・TV・動画)

ラジオ出演した内容を運良く録音できたとして、それをそのまま音源としてアップロードすることはNGです。ずいぶん悩んだのですが、意を決して音声を書き起こして記録することにしました。悩んだ理由は、シンプルに膨大な時間とエネルギーがかかるからです。

便利なITツールで、パソコンで音声を流すと、それを自動で文字起こししてくれる、そんなソフトもたくさんあります。ちょっと試したこともあります。でも、テキスト化された文章は50点くらいしかあげられません。細かく添削しないといけないなら、ゼロから書き起こしたほうが、きっと楽です。集中力も精神力もかなり鍛えられますが、海外小説を辞書片手に翻訳するような、大きくカラフルなタペストリーを黙々と織りあげるような。そんな超アナログな作業を、僕はとてもコツコツと楽しんでいます。

Web動画もWebインタビューと同じく、いつかは公開終了となってしまいます。公開中の動画URLを紹介したうえで、話していることを文字にしています。

 

Transcription from RADIO

Transcription from TV

Transcription from VIDEO

ほか

 

 

5.世界中のファンが読むことできる

あらゆるテキストを記録するなかで気づいたことがあります。そうか、喜んでもらえるかもしれないと思ったことがあります。海外の久石譲ファンです。

 

情報をさがす
日本であれば簡単に情報は探せるし、新しい情報にもすぐに気づくことができます。それをそのまま見るなり読むなり聞くなり、なんの不便もなく理解吸収できます。でも、海外の人にはむずかしい。

 

CDライナーノーツ
海外ファンは久石譲CDの日本盤を買いたいはずです。でも、買っても日本語で書かれたライナーノーツは読むことできません。もし、Web上にテキスト化されたものがあれば、翻訳ツールを使って簡単に自国語として80~90%以上の理解度で、読み楽しむことができます。

僕も海外アーティストのCDを買ったりして、そこにぎっしりとインタビューが載っているのに英語が読めない、残念な思いをすることはたくさんあります。もし読んで楽しめたなら、音楽の聴きかた・楽しみかた・感じかた、さらに大きく広がるだろうなあと。

近年、LP化された久石譲オリジナル作品シリーズや、世界同時リリースのベスト盤は、英文ライナーノーツも併記されています。日本語だけよりは、ずいぶん親切に、そして世界へ向けたメッセージになりますよね。

 

 

雑誌インタビュー
海外から雑誌を買う人まではいないと思いますが、コレクションに購入しても、写真や雰囲気を眺めることしかできません。Web上にテキスト化してしまえば、同じように翻訳ツールで読むことができます。ここで肝心なのは、CDライナーノーツにしても雑誌にしても、写真や画像でアップロードしても意味がない(その前にその行為はNGです)。ウェブテキストになっていないと翻訳できません。スキャンしてアップしてしまえばすむ簡単なことも(くりかえしその行為はNGです)、海外ファンには伝わらない。1回ボタンをおしてカシャッと1秒で終わることと、カチカチと奮闘しながら時間をかけてタイピングすること。その時間のなかにささやかな親切心のようなものを感じてもらえたら、うれしく思います。

 

書き起こし
自動で文字起こししてくれるITツールがあると紹介しました。実際に、久石譲ファンに限らず、海外ファンがお目当ての日本人を追っかけるなかで、こういったツールを駆使している人はいます。逆もまたしかりです。英語を読みあげている音声を文字化して、できあがったものを日本語に翻訳してみる。そういう使い方をしている人や分野は多いかもしれません。

でも50点なんです。とくにフリーソフトは。だったら、正確さを最大のモットーとして、日本人であることを武器として、書き起こしまでしたものを公開できたなら。きっと正しく伝わり、きっと正しく喜んでくれますよね。

 

 

近年、久石譲著書は中国などでどんどん翻訳されています。これはとてもうれしい動きです。でも、時代的にみて少し古い書籍たちになっていきます。そこにも十分な価値はあります。自国語で読めるのはなんといってもうれしいものです。リアルタイムな雑誌やラジオで「久石譲が語ったこと」は、瞬間的にはファンサイトで補ってもらいながら、長い目でみると、これから新しい久石譲著書が出版されていくといいなあと思っています。

 

◇データベース

このようにしてファンサイトのデータベースはできあがっています。もし気になることを調べたいときには、サイト内検索窓でキーワード検索してください。いろんな情報が見つかると思います。

ただし、”あいまい検索”はヒットしません。サイト内に書かれている正確なキーワードが必要です。Googleなら【ハウル動城】で《ハウルの動く城》のことだとヒットしてくれますが、こまやかな気配りは叶いません。ちゃんと【ハウルの動く城】と検索窓に入れてくださいね。

僕も気になって調べたいときに、調べるキーワードに迷走することがあります。あれ、この言葉は入ってなかったんだ…なんて言ってたっけなあ…と。

また、BiographyやDiscographyには、関連記事は紐付けているものも多いです。たとえばCD作品のページに、それにまつわるインタビュー記事をあわせて紹介しています。

 

◇正しく活用するために

久石譲が語ったことと、僕が思ったこと書いたこと。それは明確に区別しています。「久石譲はこう語っています」とテキストを抜粋紹介したうえで原典も記しています。その下や別のセンテンスで自分の文章を書いています。ごっちゃまぜにならないよう気をつけています。事実や正確性がゆがめられないように。

どうしても、それができないときもあります。そんなに多くはない、たとえばこの文章です。

 

”映画のメインテーマをロンドン交響楽団でやりたい、という久石譲の希望を実現させたのは、アビー・ロード・スタジオのチーフエンジニア、マイク・ジャレット氏です。オーケストラの手配からレコーディングのスケジュールまで。用意したのは85人編成、三管編成に6ホルン、50名のストリングスという大編成オーケストラでした。レコーディングも立ち会い機材やマイクを調整しと、当時の久石譲には欠かせない存在であり、強い絆と信頼で結ばれたパートナーです。

当時、こんなに大きな編成はコンサート用でも書いたことがなかった、という久石譲は、ロンドンに持ってきていた資料も少なく、現地でマーラーの交響曲第5番のスコアを買った。それを教科書として(音楽を真似するという意味ではなく)スコアから学びながら、図書館に通いながら書きあげたのが映画メインテーマ曲です。

ところが、1993年6月23日、マイク氏は37歳の若さで突然病気に襲われて亡くなってしまいます。一緒に制作を進めていた矢先の出来事です。アビーロードでのミックスダウンが終わったときマイク氏はこう言ったそうです。「これはハリウッドにも負けないグレートな音楽だよ」。彼の最後の仕事となったのが、久石譲とのこの映画音楽制作でした。”

Overtone.第30回 久石譲もうひとつの ”HOPE” より抜粋)

 

久石譲著書からのオリジナル文章は書き写さないこと、またこの本が絶版であること。これらを考慮して、本の数ページを要約して書いている例です。本のなかに【当時の久石譲には欠かせない存在であり、強い絆と信頼で結ばれたパートナーです。】、こんな文章はなかったはずです。同じ趣旨のことは言っていたにせよ、使っている言葉や表現は違うはずです。ここに僕の意思や伝え方が入ってしまっています。なるべくこういった方法での文章は、載せないほうがいいと思っています。ごちゃまぜになってしまうので。

 

すべては正確に知ってもらうために

もし、選り好みがはたらいてしまったら。ジブリのことはのせるけど、クラシックはのせないとか。オリジナル作品のことは追求するけど、CM音楽は興味ないとか。こうなると本末転倒です。だから、やるならできるだけ漏れのないように、穴抜けのないように。徹底的にやることが正確性と公平性の担保になると信じています。そうすることで、往年ファンだけどこのテリトリーは知らなかったという人、新しいファンで過去の活動をゆっくり探求していきたい人、海外ファンへの安心できる手引き。少しでもなにかのきっかけになれるならと思っています。

今までわからなかったことが、わかってくるとき。今まで興味のなかったことが、好奇心に変わるとき。あのときはスルーしていた久石譲の言葉が、今になって響いてくることもあります。インタビューを読み返すと、気になるポイントが変わってくることもあります。お気に入りの小説を数年後に読み返したら、感じ方や印象が以前とずいぶん変わっているように。

アーカイブすることは、過去をどんどん蓄積していくことだけじゃないと思っています。どんどん上積みされて古くなっていくものだけじゃないと思っています。アーカイブにふれることで、感じとりかたの変化した自分をもまた感じることができる。これは、ファンとしてたしかな成長や変化ともいえる瞬間です。また、あのときの点と点、久石譲の発言が活動が、時間の流れでやっと反応するように、ある日突然その重みや輝きがますこともあります。アーカイブは混ざることのない地層とはちがう、常に過去と現在を往来しています。そしていくつかの未来の方向性をさし示していることもあります。

 

久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋 Joe Hisaishi fan site “Hibikihajime No Heya” ~The room filled with Joe Hisaishi music~ です。《この部屋は久石譲音楽で満たされています》と表現しています。そこには音楽や音源そのものはありません。久石譲音楽をかたちづくっている大切な記録や足跡が資料館のように保管され、積み重なり溢れていったらいいなあと思っています。

それではまた。

 

reverb.
次回はつづけてテキストについて♪

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Info. 2020/04/17 久石譲「Nostalgia」Music Video公開

Posted on 2020/04/17

久石譲オフィシャルYouTubeチャンネルに、「Nostalgia」ミュージックビデオが公開されました。

映像を手がけたのは? そのコンセプトや想いは? じっくり見てしまう、じんわり安らいでいく、そんなMusic Videoになっています。ぜひご覧ください。 “Info. 2020/04/17 久石譲「Nostalgia」Music Video公開” の続きを読む

Blog. 「紅の豚 サウンドトラック」(LP・2020) 新ライナーノーツより

Posted on 2020/04/11

2020年3月11日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「魔女の宅急便」「紅の豚」の2作品のイメージアルバム、サウンドトラックに、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。「魔女の宅急便」「紅の豚」各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲の5本目のコラボレーション『紅の豚』の音楽は、それまでの4作品と同様、最初に久石が宮崎監督の音楽メモとイメージボードからインスピレーションを得てイメージアルバムを制作し、その後、改めて本編のサントラを作曲するという方法論で制作された。しかしながら、実際の制作過程では、それまでの4本の方法論には見られなかった2つの大きな要素が加わることで、スコア全体にユニークな特徴がもたらされた。ひとつは、ジャズという要素。もうひとつは、久石が制作した(映画と直接関係ない)オリジナル・ソロ・アルバムに宮崎監督が注目し、その収録曲をスコアの中に用いたという要素。そしてその2つは、本作の時代設定でもある1920年代という時代と密接に関わっている。

まず、イメージアルバムの段階で作曲され、本編にもそのまま登場することになったテーマとしては、《帰らざる日々》の原型にあたる《マルコとジーナのテーマ》(イメージアルバム)、《Flying boatmen》の原型にあたる《ダボハゼ》(イメージアルバム)、そして《ピッコロの女たち》の原型にあたる《ピッコロ社》(イメージアルバム)などがある。その中で最も重要な楽曲は、『紅の豚』のメインテーマとなった《帰らざる日々》、すなわち主人公の飛行士ポルコ・ロッソ(=マルコ・パゴット)とホテル経営者マダム・ジーナとの関係を表現したジャズ・ピアノのテーマだ。

オーケストラを駆使する映画音楽作曲家にして前衛的なミニマル・ミュージックの作曲家、というイメージが強い久石ではあるが、学生時代からマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、マル・ウォルドロンの音楽を愛聴していた久石は、実はジャズ的な語法を活かした音楽も得意としており、とりわけウォルドロンのピアノから受けた影響は非常に大きい。

『紅の豚』の物語は、1920年代のイタリア・アドリア海を舞台にしながら展開していく。当時は”ジャズ・エイジ”と呼ばれるほどジャズが隆盛を極めていたので、久石が主人公マルコとジーナを表すテーマをジャズ・ピアノで表現したのは、時代考証的にも理に適った選択だと言えるだろう。実際このテーマは、酒場のピアノが演奏するジャズという設定で、本編の中で初めて流れてくる。それが本盤に聴かれる《帰らざる日々》だ。

ただし、このテーマがジャズ・ピアノで書かれた理由は、それだけではない。

ジーナは戦死した夫の戦友でもあるポルコに想いを寄せ、ポルコも彼女の感情を気付いてはいるが、さまざまな要因によって、ふたりが一線を越えることはない。ふたりの関係を仮に”ロマンス”と呼ぶにしても、その”ロマンス”は決して成就することはない。少なくとも、それがポルコにとっての男の美学であり、彼のダンディな生き方でもある。

ある程度、名作映画をご覧になっているファンならば、そうした男のダンディズムの原型を『カサブランカ』でハンフリー・ボガートが演じた主人公に見出すことが出来るだろう(ポルコが着ているトレンチコートは、明らかにボガートを意識しているし、物語の最後、ポルコが17歳の設計技師フィオを”カタギの世界”に戻すシーンは、『カサブランカ』の有名なラストへのオマージュとみなすことも可能である)。そして『カサブランカ』と言えば、ジャズのスタンダード・ナンバーとしてもおなじみの主題歌《時の過ぎ行くままに(アズ・タイム・ゴーズ・バイ)》だ。

つまり《帰らざる日々》のジャズ・ピアノのテーマは、『カサブランカ』の映画的記憶を音楽で呼び覚ます役割も担っているのである。ただし久石は、このテーマを《時の過ぎ行くままに》風に書くのではなく、あくまでも宮崎監督の世界観に即しながら、彼らしい音楽、すなわち”久石メロディ”に基づくテーマとして書いてみせた。そこがこのテーマの素晴らしい点であり、ひいては『紅の豚』を『紅の豚』たらしめている最も重要なポイントと言っても過言ではない。

イメージアルバムから生まれた他の曲について簡単に触れておくと、空賊マンマユート団のテーマ《Flying boatmen》は、軍隊行進曲の一種のパロディとして書かれている。勇敢なようで、どこか間の抜けた空賊たちのキャラクターを巧みに表現した楽曲だ。ピッコロ社で働く女工たちの陽気なテーマ《ピッコロの女たち》は、途中からマンドリンが演奏に加わるが、その楽器の選択がイタリアという舞台設定を反映しているのは言うまでもない。

『紅の豚』のイメージアルバム制作とほぼ並行する形で、久石は自身のソロ・アルバム『My Lost City』を1992年2月にリリースした。当時久石が愛読していたF・スコット・フィッツジェラルドの作品にインスパイアされ、フィッツジェラルドが描いた1920年代、つまり”ジャズ・エイジ”の時代をテーマにした作品である(アルバム名もフィッツジェラルドのエッセイ集のタイトルに由来)。『紅の豚』も同様に1920年代を舞台にしているが、『My Lost City』の時代設定はあくまでもフィッツジェラルドに由来するものであって、決して『紅の豚』から着想したわけではない。にも拘らず、自分のソロ・アルバムと宮崎監督の最新作が偶然にも同じ時代を扱っていることに、久石は「とても運命的なものを感じた」という。

『My Lost City』リリース後、久石は完成したばかりの『紅の豚』のイメージアルバムと共に、自分の最近の音楽活動の例として『My Lost City』を宮崎監督に贈った。『My Lost City』を聴いた宮崎監督はその音楽を気に入ったばかりか、「あの曲が欲しい。全部『紅の豚』に欲しい」「イメージアルバムと『My Lost City』を取り替えてください」と自分の希望を久石に伝えた。ここから、『紅の豚』のサントラが大きな発展を遂げ始める。

物語中盤、ポルコは秘密警察から逃れるため、まだテスト飛行も終えていない飛行艇サボイアをアクロバティックに操縦し、ミラノの運河から離陸を試みる。そのシーンにまだ音楽が付いていなかった段階で、宮崎監督の提案により、『My Lost City』収録曲のひとつ《Madness》をテスト的に当てはめてみると、まるで初めからこのシーンのために書かれていたかのように映像と音楽が見事にハマり、スタッフ全員が驚嘆した。それが本盤に聴かれる《狂気 ー飛翔ー》である(サントラ収録に際しては、オリジナル音源に若干の編集が施されている)。

《狂気 ー飛翔ー》すなわち《Madness》は、ピアノ・ソロが正気の沙汰とは思えない(=Madness)速いパッセージを演奏する、一種のトッカータとして書かれている。なぜ久石がそのような音楽を書いたかと言えば、『My Lost City』制作当時、日本のバブル経済が達していた崩壊寸前の”狂乱”状態と、1929年の世界大恐慌直前まで人々が浮かれていたジャズ・エイジの”狂騒”が重なり合うのではないかと、アーティストとしての久石の本能が敏感に反応したからである。わかりやすく言えば、《Madness》は「こんな綱渡りみたいな曲芸に浮かれているなんて、日本のバブルは正気の沙汰じゃないよ」と警鐘を鳴らした音楽だ。その音楽が表現している”曲芸”の危うさを、宮崎監督は文字通りアクロバティックな飛行シーンのスリルに読み替えたのである。宮崎監督の眼識の鋭さ、久石の音楽に対する理解の深さが現れた一例と言えるだろう。

さらに『My Lost City』からはもう1曲、《1920~Age of Illusion》と題されたトラックが骨格となり、ポルコが空賊退治に出かけるオープニングシーンの楽曲《時代の風 ー人が人でいられた時ー》が生まれた。原曲にはなかった、激しく上行と下行を繰り返すミニマル風の音形を弦楽器が演奏することで、映画全体の要となる”飛翔感”が見事に表現されている。

この他、本編においては、フルートとマンドリンでイタリア的な情緒を表現したフィオのテーマ《Fio-Seventeen》、ポルコとフィオが飛行艇から見下ろす、アドリア海沿岸の牧歌的な風景をクラリネットのワルツで表現した《Friend》、ジーナの最初の夫ベルリーニが天空の雲に吸い込まれていく幻想的な光景をフェアライトの儚いシンセサイザーで表現した《失われた魂 ーLOST SPIRITー》など、いくつもの忘れ難い楽曲が登場する。しかしながら、基本的には先に述べた2つの要素、すなわちジャズと『My Lost City』という要素が、『紅の豚』を単なる飛行機アクションに終わらせず、映画としての深みをもたらすことに貢献した最大の音楽的要素ではないかと筆者は考えている。

本盤の最後には、本編でジーナの声を担当した歌手・加藤登紀子のヴォーカル曲が2曲収録されている。まず、先に触れた酒場のシーンで、ジーナが歌うシャンソンの《さくらんぼの実る頃》。パリ・コミューンの一員だったジャン=バティスト・クレマンが書いた詞に歌手アントワーヌ・ルナールが曲を付けたもので、クレマンはこの曲をコミューンの女性衛生部隊員に捧げた。クレマンの歌詞は、表面的にはさくらんぼの実る頃、つまり春に経験した恋煩いとその苦い結末を振り返った内容となっているが(ジーナもその歌詞に自分の心情を託している)、パリ・コミューン崩壊後、このシャンソンは”革命の挫折”という文脈でパリ市民たちに歌われるようになった。そしてエンドロールで流れる《時には昔の話を》は、1987年の加藤のアルバム『MY STORY/時には昔の話を』収録曲がオリジナル。偶然かもしれないが、歌詞の中にはスタジオジブリの社名の由来にもなった「熱い風」(イタリア語ではGhibli=ジブリ)という言葉が出てくる。

前島秀国 Hidekuni Maejima サウンド&ヴィジュアル・ライター
2020/1/10

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

紅の豚/サウンドトラック

品番:TJJA-10023
●主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」歌:加藤登紀子
アコースティックなサウンドにこだわって約70名のフルオーケストラで録音。(初版1992.7.25)

SIDE-A
1. 時代の風 -人が人でいられた時-
2. MAMMAIUTO
3. Addio!
4. 帰らざる日々
5. セピア色の写真
6. セリビア行進曲
7. Flying boatmen
8. Doom-雲の罠-
9. Porco e Bella
10. Fio-Seventeen
11. ピッコロの女たち
12. Friend
13. Partner ship
SIDE-B
1. 狂気 -飛翔-
2. アドリアの海へ
3. 遠き時代を求めて
4. 荒野の一目惚れ
5. 夏の終わりに
6. 失われた魂-LOST SPIRIT-
7. Dog fight
8. Porco e Bella-Ending-
9. さくらんぼの実る頃
10. 時には昔の話を

音楽/久石譲
歌/加藤登紀子(SIDE-B M9 & M10)

 

Blog. 「魔女の宅急便 サントラ音楽集」(LP・2020) 新ライナーノーツより

Posted on 2020/04/11

2020年3月11日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「魔女の宅急便」「紅の豚」の2作品のイメージアルバム、サウンドトラックに、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。「魔女の宅急便」「紅の豚」各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲の4本目のコラボレーションとなった『魔女の宅急便』は、スコア全体に聴かれるメロディアスな曲想と、多彩な独奏楽器の使用が見事にマッチした作品である。そうした作曲の方法論を選択した理由について、久石自身が著書『I am 遥かなる音楽の道へ』で具体的に語っているので、まずはそれを引用する。

”「『魔女の宅急便』は、主人公の女の子が親から自立して、さまざまな困難を乗り越えて成長していく姿を描いている。だから、心情的なマイナーな──短調の──音楽をできるだけやめ、明るい音楽だけにした。それが宮崎さんと高畑さんの狙いだった。(中略)この作品では、あらかじめ松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」がテーマ曲に決まっていたから、僕もそれを中心に音楽を組み立てていった。だから、いわゆる久石メロディとは違った、ポップス・メロディに非常にちかいものになり(中略)具体的なメロディ・ラインをもっている曲がとても多い。(中略)舞台は北欧、主人公は魔女という設定ではあるけれど、実際に舞台となる街には、なにか現実の地中海地方の雰囲気があった。だから、音楽も、あの地方の民族舞曲の要素を採り入れて、地中海的なニュアンスのものにしてみた。そのため、これまでの宮崎作品ではあまり使ったことがない、アコーディオンとかギターとかいった楽器を多用した」”(久石譲『I am 遥かなる音楽の道へ』69-71ページ)

この作曲家自身の言葉に音楽の本質的な部分がすべて語り尽くされているが、敢えてそこに説明を付け加えるならば、オカリナ、アコーディオン、そして数々の木管楽器など、息=風(ウィンド)を吹き込む楽器がスコアの中で多用されているという特徴を挙げることが出来る。”息=風”は、主人公キキがホウキに跨って飛ぶ”空の風”の象徴であり、彼女が暮らすコリコの街に漂う”空気感”の象徴であり、ひいては彼女自身の”生命の息吹”、つまり生命力の象徴でもある。もし、リスナーが本盤を聴いて「元気づけられる」「精一杯生きてみたくなる」と感じたら、それは久石がキキの成長物語を音楽で表現しながら、人間の生命力を肯定的に讃えているからだ。

音楽の制作過程を概観しておくと、まず公開1年前の1988年7月に第1回音楽打ち合わせが持たれたが、本編の制作進行スケジュールが非常にタイトだったため、高畑勲が音楽演出(ハリウッドのミュージック・スーパーバイザーに相当する)を引き受けることになった。翌1989年4月に『魔女の宅急便 イメージアルバム』をリリース後、5月から本格的なサントラ制作の打ち合わせが始まったが、その時点で本編が前半分のパートまでしか完成しておらず、しかも久石のソロ・アルバム『PRETENDER』ニューヨーク録音のスケジュールが重なってしまったため、1ヶ月間作業が中断。6月に帰国後、久石は追加作曲と編曲を瞬く間に仕上げ、7月頭にフル・オーケストラの楽曲を収録。そして7月29日の全国公開に間に合わせるという、現在では考えられない綱渡りのスケジュールで完成した。たとえ魔法使いのキキであっても、そんな”魔法”は不可能だろう。しかし、完成したサントラはタイトなスケジュールの痕跡を全く感じさせない、伸びやかで幸福な音楽が展開している。

以下、本盤収録曲を概説していく。

本編冒頭、キキが旅立ちを決意するシーンで流れる《晴れた日に…》(イメージアルバムでは《世界って広いわ》)は、本作でメインテーマの役割を果たすワルツの楽曲。オカリナとオーボエでメロディが導入された後、アコーディオン、マンドリン、ツィンバロンなど、地中海な音楽を連想させる楽器が多用されている。

彼女の旅立ちを家族や隣人たちが見送るシーンの《旅立ち》(イメージアルバムでは《かあさんのホウキ》)は、アコーディオンが”郷愁”を感じさせる、しっとりとしたテーマ。

次の《海の見える街》は、イメージアルバムの《風の丘》と《ナンパ通り》をベースにした楽曲。前半部の《風の丘》の部分は、キキの目に映った街のよそよそしさを反映するかのように、木管と弦のピツィカートがメロディを折り目正しく演奏する。バッハ風の間奏をはさみ、人々がキキの姿に感嘆の声を上げる後半部の《ナンパ通り》の部分になると、ギターやカスタネットを多用したフラメンコ風の音楽となり、キキの躍動感と期待感を表現する。

キキが忘れ物を届けに行くシーンの《空とぶ宅急便》は、メインテーマがベース。

彼女が、オソノさんのパン屋で働き始めるシーンの《パン屋の手伝い》(イメージアルバムでは《パン屋さんの窓》)は、アコーディオンを用いたコンチネンタル・タンゴのスタイルで書かれた楽しい楽曲。実質的には、オソノさんのテーマと見ることが出来る。

曲名通りのシーンで流れる《仕事はじめ》(イメージアルバムでは《元気になれそう》)は、民謡風のメロディを特徴とするシンセサイザーの楽曲。

「トムとジェリー」風のアニメの音楽という設定で流れてくる《身代わりジジ》(イメージアルバムでは《リリーとジジ》)は、調子っぱずれのホンキートンク・ピアノがユーモラスな楽曲。作曲者がのちに語ったところによれば、20世紀前半のアメリカで流行したディキシーランド・ジャズを意識した曲だという。

どこかのんびりしたチューバが老犬ジェフの緩慢な仕草を表現した《ジェフ》は、曲名通りジェフのテーマ。中間部には、軍楽隊風にアレンジされたメインテーマのワルツも登場する。

《大忙しのキキ》と《パーティーに間に合わない》の2曲は、上述の《海の見える街》後半部のフラメンコ風の音楽を基にした楽曲。

《オソノさんのたのみ事…》は、《旅立ち》のテーマをヴァイオリンとアコーディオンのソロでしんみりと演奏したバージョン。

キキと仲良くなった少年トンボが、彼女をプロペラ自転車に乗せて走るシーンの《プロペラ自転車》(イメージアルバムでは《トンボさん》)は、実質的には、トンボのテーマ。後半、ふたりを乗せた自転車が宙に浮かぶと、どこか田舎臭いワルツの音楽に変わる。

《とべない!》は、キキの魔法が弱くなり、飛べなくなってしまうシーンのために書かれたサスペンス音楽。本編では未使用となったが、彼女が直面する危機を表現した「危機のテーマ」と言える。

トンボからの電話にもまともに答えず、ひとり部屋に籠もってホウキを作るシーンの《傷心のキキ》(イメージアルバムでは《町の夜》)は、本編全体の中で唯一登場する「心情的なマイナー(短調)」の音楽。ただし、楽曲後半にアコーディオンやマンドリンが登場することで、本作の他の(長調の)楽曲と世界観の統一が図られている。

絵描きの少女ウルスラの誘いに応じ、キキが森の中のウルスラの小屋に泊まりに行くシーンの《ウルスラの小屋へ》は、メインテーマのワルツをほぼそのまま再現することで、キキが魔法を取り戻すきっかけを見出したことを暗示している。

その小屋の中でウルスラがキキを励ますシーンの《神秘なる絵》は、本作全体の中でも特にユニークな存在感を放っている楽曲で、オカリナ風のシンセによって演奏される。オカリナは、数あるウインド・インストゥルメント(管楽器)の中でも、最もシンプルかつプリミティブな楽器のひとつである。どこか太古の響きを感じさせる音色は、生命の根源そのものの象徴であり、わかりやすく言えば生命力そのものを象徴している。そのオカリナの音色をこのシーンに用いることで、人間としての自然治癒、自己回復を表現した楽曲と見ることが出来る。

《暴飛行の自由の冒険号》は、先に触れた未使用曲《とべない!》、つまり「危機のテーマ」をテンポを速めてアレンジした楽曲。本編では用いられなかった後半部では金管セクションが加わり、いやが上にもサスペンスを盛り上げる。

《おじいさんのデッキブラシ》は、飛行船に取り残されたトンボをキキが救いに向かうアクション・シーンのために書かれたが、最終的に本編未使用となった。《海の見える街》前半部のテーマを007風にアレンジした活劇調の音楽で、手に汗握るスリルとサスペンスを見事に表現した、本盤の中で最も聴き応えのある楽曲である。

そして物語の最後は、メインテーマのワルツを回帰させた《デッキブラシでランデブー》で華やかに締め括られる。

なお、『魔女の宅急便』公開30周年にあたる2019年8月、久石は本盤収録曲から《空とぶ宅急便》《オソノさんのたのみ事…》《ウルスラの小屋へ》を除く全曲をオーケストラ用に再構成した《交響組曲「魔女の宅急便」》を世界初演した。おそらく今後は、その形での演奏の機会が増えてくると思われる。

本盤の最後には、松任谷由実(荒井由実名義)が歌う挿入歌《ルージュの伝言》と《やさしさに包まれたなら》が収録されている。

まず、オープニング・タイトルにおいて、キキがホウキで飛びながら聴き入るラジオの曲、という設定で流れてくる《ルージュの伝言》(1975)のオリジナルは、松任谷のサード・アルバム『COBALT HOUR』収録曲。そしてエンディングで流れてくる《やさしさに包まれたなら》(1974)のオリジナルは、もともと不二家ソフトエクレアのCM曲として書かれた楽曲である。前者はフィフティーズのロカビリースタイル、後者はカントリーミュージックのスタイルでアレンジされており(いずれも松任谷正隆が担当)、それが特定の時代に縛られない本作独自の世界観にマッチしていると言えるだろう。

前島秀国 Hidekuni Maejima サウンド&ヴィジュアル・ライター
2020/1/10

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

魔女の宅急便/サントラ音楽集

品番:TJJA-10021
●挿入歌「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」歌:荒井由実
※「ルージュの伝言」は映画バージョン
映画で使用された楽曲をすべて収録したサントラ音楽集。(初版1989.8.10)

SIDE-A
1. 晴れた日に…
2. 旅立ち
3. 海の見える街
4. 空とぶ宅急便
5. パン屋の手伝い
6. 仕事はじめ
7. 身代りジジ
8. ジェフ
9. 大忙しのキキ
10. パーティに間に合わない
SIDE-B
1. オソノさんのたのみ事
2. プロペラ自転車
3. とべない!
4. 傷心のキキ
5. ウルスラの小屋へ
6. 神秘なる絵
7. 暴飛行の自由の冒険号
8. おじいさんのデッキブラシ
9. デッキブラシでランデブー
10. ルージュの伝言
11. やさしさに包まれたなら

音楽/久石譲
歌/荒井由実(SIDE-B M10 & M11)

 

Info. 2020/07/22 「もののけ姫」サントラ等 初のアナログ盤リリース決定!

Posted on 2020/04/11

「もののけ姫」サントラ等 初のアナログ盤リリース決定!

大好評発売中の「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」のLP盤に続き、「もののけ姫」のLP盤の発売が遂に決定! “Info. 2020/07/22 「もののけ姫」サントラ等 初のアナログ盤リリース決定!” の続きを読む

Info. 2020/05/30,31 「日比谷音楽祭 2020」久石譲出演決定 【中止 4/9 Update!!】

Posted on 2020/03/27

5月30日(土)・5月31日(日)に東京・日比谷公園で開催される<日比谷音楽祭 2020>が、第2弾出演者を発表。あわせて新型コロナウイルスの拡大防止対応に関する方針を決定した。

<日比谷音楽祭>は亀田誠治が実行委員長を務め、“フリーで誰もが参加できる、ボーダーレスな音楽祭”として開催されるイベント。 “Info. 2020/05/30,31 「日比谷音楽祭 2020」久石譲出演決定 【中止 4/9 Update!!】” の続きを読む

Info. 2020/04/06 久石譲×麻衣「いのちの名前」SNS動画公開

Posted on 2020/04/06

久石譲と麻衣によるライブ動画「いのちの名前」(映画『千と千尋の神隠し』より)が、公式SNSで動画公開されました。

新型コロナウィルスで自粛要請のつづく週末に、”stay at home”のメッセージとともに届けられました。

ぜひご覧ください。 “Info. 2020/04/06 久石譲×麻衣「いのちの名前」SNS動画公開” の続きを読む