Blog. 「レコード芸術 2021年12月号」久石譲 presents MUSIC FUTURE V 新譜月評・評

Posted on 2021/11/21

クラシック音楽誌「レコード芸術 2021年12月号 Vol.70 No.855」(11月20発売)、新譜月報コーナーに『久石譲 presents MUSIC FUTURE V』が掲載されました。

 

 

新譜月評
久石譲 presents ミュージック・フューチャー V

 

準 長木誠司
久石譲主宰のシリーズ7回目のコンサートのライヴ。CDとしては第5集になる。久石自身の作品を含め、ミニマルのスタイルを基本とする作品が演奏されている。久石の《2 Pieces 2020》は第2集に含まれていた同曲の改訂版。ノリのよい反復が続く。マウスピースのみの使用による人声的な金管のアイディアなど、機転を利かせた取り組みは、聴きやすさのなかにほんのちょっと楔を入れる。アダムズの《Gnarly Buttons》はクラリネット・ソロのジャジーなパッセージが快適だし、トロンボーンなどとのかけあいも楽しいが、サンプリング・キーボード2台をはじめ、けっこう手間のかかる曲。《クリングホファー》以降の1990年代のアダムズを特徴づけるネックとも言える作品で、それだけを論じた博士論文さえ書かれている逸品。タイトルはクラリネットを木のフシや瘤のようなボタン付きの楽器に見立てたもので、アルツハイマーによる父親の死がきっかけのようだが詳細は不明。演奏は異なった気風の3楽章とも、ミランダのソロ、アンサンブルともに見事。デスナーの《Skrik Trio(叫びの三重奏)》は弦楽トリオ編成だが、いわゆるミニマルの反復から若干はずれた強い表出力を持つもので、このシリーズで採り上げられる作品のスタイルの幅を示していて、なかなか濃厚な口直し。最後の久石の《Variation 14 for MFB》はもともと交響曲第2番の第2楽章。琉球音階めいた南方的素材の補塡的リズムによる、緊張を伴う展開。

 

準 白石美雪
久石譲の自作自演を軸とする「ミュージック・フューチャー」シリーズの第5集目。昨年11月、よみうり大手町ホールでのコンサートのライブ録音である。久石の近作とミニマル・ミュージックの流れをくむ作曲家の曲をまとめた聞きやすいラインアップに魅力がある。久石が7年前に創設したミュージック・フューチャー・バンドはミニマリストの多様な作品を演奏してきたためか、ここでもこなれたレアリゼーションをみせている。アダムズの《Gnarly Buttons》はいわゆるポスト・ミニマルの書法から、作曲家が解き放たれていく時期の作品。反復音型は使われているものの、意匠を凝らしたミニマリズムというより、アメリカニズムを彩る伴奏音型の一つとなっている。第2楽章に現れるバンジョーの響き一つで、砂ぼこりのたつアメリカの平原とか、干し草が積まれた農家の納屋などが目に浮かぶ。アダムズの少年時代へのノスタルジーを感じさせる音楽で、「アメリカらしさ」にこだわった1曲。M・P・ミランダの独奏クラリネットが曲の魅力を引き出している。デスナーの《Skrik Trio》はロックのテイストを感じさせる曲。テクスチュアは意外に複雑で聴き応えがある。久石の《2 Pieces 2020 for Strange Ensemble》はごつごつした肌合いの音楽。ぼこぼこと穴の開いたユニークな音響空間は特殊な楽器の組み合わせから生まれるのだろう。《Variation 14 for MFB》はエスニックな楽想を織り交ぜた抒情的な部分が面白い。

 

[録音評] 山ノ内正
多様な楽器の組み合わせながら全パートの動きを細部まで聴き取ることができる。特にギターやマンドリンなど、相対的に音量が小さい楽器の音が他に埋もれず浮かび上がることに注目したい。アダムズの作品ではクラリネットやトロンボーンなど重要な役割を演じる楽器を鮮明にとらえるとともに、アンサンブル全体の響きが偏ることはなく、作品の構造を把握しやすい。SACDは管楽器群の音色が柔らかく、発音の明瞭さと楽器イメージに立体感が両立する。DSD11.2MHzにおるライヴ録音。

(「レコード芸術 2021年12月号 Vol.70 No.855」より)

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「久石譲指揮 新日本フィル 第637回定期演奏会」コンサート・レポート

Posted on 2021/09/14

9月11,12日開催「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 第637回 定期演奏会」です。新型コロナウィルスによる緊急事態宣言を受け観客上限50%となりましたが、それよりは少し多く客席うまっていたようにも思います。要請前に販売しているものはOKという補足事項もあったのかもしれません。それだけ早い段階から期待と注目を集めていた演奏会ともいえますね。

いつもの久石譲コンサートとは違って、新日本フィルのお客さま、そんな印象を受けた会場内でした。一方では、新日本フィルご愛顧のお客さまから見ると、今日はいつもとは違った顔ぶれや客層だな、とも感じられたようです。いろんな血が通うというか、風通しのよい新鮮な空気が循環するようで、いいですよね。

 

 

新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 #637

[公演期間]  
2021/09/11,12

[公演回数]
2公演
9/11 東京・すみだトリフォニーホール
9/12 東京・サントリーホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔文洙

[曲目]
新日本フィル創立50周年委嘱作品
久石譲:Metaphysica(交響曲第3番) *世界初演
I. existence
II. where are we going?
III. substance

—-intermission—-

マーラー:交響曲 第1番 ニ長調 「巨人」

 

 

 

さて、個人的な感想はひとまず置いておいて、会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

Program Notes

■ 久石譲:Metaphysica(交響曲第3番)

Metaphysica(交響曲第3番)は新日本フィル創立50周年を記念して委嘱された作品です。新日本フィルとはもうかれこれ30年くらい一緒に演奏していて、お互いをよく知っています。シーズンのオープニングコンサートでこの新作とマーラーを演奏することは大きなプレッシャーもありますが、最大の楽しみでもあります。

新作は2021年4月末から6月にかけて大方のスケッチを終え、8月中旬にはオーケストレーションも終了し完成しました。前作の交響曲第2番が2020年4月から2021年4月と1年かかったのに比べると約4ヶ月での完成は楽曲の規模からしても僕自身にとっても異例の速さです。

楽曲は4管編成(約100名)で全3楽章からなり約35分の長さです。この編成はマーラーの交響曲第1番とほぼ同じであり、それと一緒に演奏することを想定して書いた楽曲でもあります。

当然何らかの影響はあると思います。

僕の尊敬する作曲家デヴィット・ラング氏は「ミニマル系の作曲家は一つの楽曲をできるだけ単一要素で乗り切ろうとあらゆる手を尽くして作曲するけど、マーラーは次々に新手のテーマを投入して楽曲を構成するから羨ましい」とジョークまじりに話していましたが、これがミニマルミュージックと他の音楽の大きな違いです。

その全く違うタイプの楽曲を組み合わせることでかつて経験したことのないプログラムになればと考えています。

Metaphysicaはラテン語で形而上学という意味ですが、ケンブリッジ大学が出している形而上学の解説を訳すと「存在と知識を理解することについての哲学の一つ」ということになります。要は感覚や経験を超えた論理性を重視するということで、僕の場合は音の運動性のみで構成されている楽曲を目指したということです。

I. existence は休符を含む16分音符3つ分のリズムが全てを支配し、その上にメロディー的な動きが変容していきます。

II. where are we going? は26小節のフレーズが構成要素の全てです。それが圧縮されたり伸びたりしながらリズムと共に大きく変奏していきます。

III. substance は ド,ソ,レ,ファ,シ♭,ミ♭の6つの音が時間と空間軸の両方に配置され、そこから派生する音のみで構成されています。ちなみにこれはナンバープレースという数字のクイズのようなゲームからヒントを得ました。

何やら難しい事ばなり書いてきましたが、これは生きた音楽を作るための下支えでしかありません。

皆様には心から楽しんでいただけたら幸いです。

2021年8月12日 久石譲

 

[楽器編成]
フルート4(ピッコロ2持替)、オーボエ4(イングリッシュホルン持替)、クラリネット4(Es管クラリネット、バスクラリネット2持替)、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン6、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、ドラムセット、小太鼓、大太鼓、シンバル、吊しシンバル、トライアングル、タムタム、タンバリン、クラベス、鈴、シェイカー、ウッドブロック、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、チャイム、ハープ、ピアノ(チェレスタ)、弦楽5部。

(新日本フィルハーモニー交響楽団 2021/2022シーズン プログラム冊子 より)

 

 

 

会場で配布された「新日本フィルハーモニー交響楽団 2021/2022シーズン プログラム冊子」と同内容(9~10月開催分)がPFD公開されています。マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」の作品解説もふくめてぜひゆっくりご覧ください。

 

公式サイト:新日本フィルハーモニー交響楽団|2021年9月~10月定期演奏会のプログラムノートを公開
https://www.njp.or.jp/magazine/25169?utm_source=twitter&utm_medium=social

(*公開終了)

 

 

 

 

メディア取材より

「新日本フィルはオーケストラとしてとても品のよい音がします。僕は、新日本フィルの育ちの良い、温かい音がすごく好きなのです。彼らとは現代的なアプローチもずいぶんいっしょに行ってきましたが、新日本フィルは、時代の先端を走るオーケストラであったし、これからもそうあると思います」

「新しいコンサート・シリーズでは、現代の音楽と古典の音楽を同じプログラムで演奏し、クラシックの名曲を現代の視点からコンテンポラリーなアプローチでリクリエイトしたいと思っています。状況が許されるなら、新日本フィルとは、マーラーやブルックナー、《春の祭典》のような大きな編成のものをきちんと形にしたいですね」

Blog. 「音楽の友 2021年1月号」 特集:オーケストラの定期会員になろう2021 久石譲インタビュー 内容 より抜粋)

 

 

「もう30年くらいの付き合い。リハーサルの進め方などすべてを教わりましたし、メンバーを思い浮かべながら曲を書いてもきました。ですから僕にとっては完全にベースとなるオーケストラです。魅力は音が上品なこと。音が鳴った瞬間に人を惹きつける温かさやロマンがあり、最近は力強さも加わっています」

「今まで以上に継続した音楽作りができますね。いわば点から線になる。これを機に今一度クラシック作品にチャレンジすることができます。現代曲を演奏するオーケストラはありますが、後に登場するクラシック作品は昔流のまま演奏することが多いです。そうではなく、現代曲で行ったアプローチでクラシックを演奏することも必要だと思うのです。例えば僕の曲はミニマルがベースなのでリズムが厳しくなる。その厳しいリズムをクラシック作品に持ち込んだらどうなるのか? そうしたアプローチを今後一緒にやっていきたいと思っています」

「『巨人』はタイトルも含めてシーズンの開幕に相応しいと思いますし、現代曲とクラシックを組み合わせたい、現代曲を演奏しないとクラシックは古典芸能になってしまうとの思いもあります。またマーラーが控えている状態でその前の曲を書くのは、作曲家として非常に燃えますし、内容も必然的に影響はあると思います」

「最終的なオーケストレーションの段階です。曲は交響曲第3番(仮)で、全3楽章約35分の作品。第2番と姉妹作ですが、自然をテーマにしたような第2番に比べると内面的で激しく、リズムはより複雑になっています。加えてミニマル的な構造の中にもう一度メロディを取り戻したいとも考えました。編成は後半のマーラーに合わせた4管編成でホルンは1本少ない6本。自分だけ見劣りしたくないというのは作曲家の性ですね。また作曲家は皆そうですが、大編成になると逆に弦の細分化など細部にこだわるようになります。あと50周年は意識しながらも、現況から祝典風ではなく力強さを織り込んだつもりです」

「マーラーは独特なんですよ。どこまでも歌謡形式で、対位法的な動きもその中でなされていますから、それをどう整理するか? また僕自身の作品と並べて演奏することによってどれだけ新しいマーラー像を描けるか? がカギになります。あとはユダヤ的なフレーズの扱い。実は第3楽章を重視していて、そうした部分を東欧ユダヤ系の酒場のバンドのように演奏したい。そして第4楽章のめくるめく激しさには、誰もが書くのに苦労する交響曲第1番を見事にまとめる物凄いエネルギーを感じます。僕はクラシックを演奏するとき、作曲家が書く過程を一緒に辿るんです。『ああこの人はここで苦しんだな』などと推理小説のようにスコアを読んでいます。でも『私はこれを書きたい』という気持ちの強さが一番大事なのではないかと思う。その点でマーラーは別格に感じます」

「シーズンのオープニングを任され、作曲も依頼され、マーラーも演奏させてもらう。作曲家で指揮もする僕としてはこれ以上ない舞台を用意していただき、心から感謝しています。それに僕と新日本フィルは“音を出す喜び”をもう一回取り戻したい。人と一緒に音を出すことが楽しい─これがやはりオケの原点ですよね」

Info. 2021/08/18 久石譲 現代曲同様のアプローチでクラシックを活性化したい (ぶらあぼ より) より抜粋)

 

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

新日本フィル50周年、そのシーズン・オープニング公演を飾ったのが久石譲指揮です。「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ(WDO)」をはじめ、数々のコンサートや録音で共演をかさねてきた黄金タッグです。

 

久石譲:Metaphysica(交響曲第3番)

むずかしかったな、かっこよかったな、また新しいタイプだったな。これが第一印象のすべてです。これまでに『THE EAST LAND SYMPHONY』『交響曲 第2番』ときて、また異なる性格をもった交響曲が並ぶことになったな、なんともうれしくて震える。

今の時点でこれ以上のことは書けません。世界初演にして一聴!つかめるものは少なく、浴びるような体感だけが残っています。それでも、メモをひっぱりだして…演奏会でいつも書きとめるキーワードの羅列から、思い出すように振り返ってみます。平たい感想です。

 

I. existence
[混沌]、楽章全体を覆うのは混沌とした印象です。

[パーカッション炸裂]、スネアや大太鼓はもちろんドラムセットが入っているのでバスドラムのキックも効いていたと思います。『THE EAST LAND SYMPHONY』の楽章を思い浮かべるような。

[拍節感のない]、3拍子4拍子とリズムを数えることの難しい楽章でした。モチーフやメロディ的なわかりやすい旋律を見つけにくいこともあるのかもしれません。また旋律も展開も目まぐるしく変わる入り乱れるという印象です。拍節感のない、正しくはリズム感の難しい、ですね。

[ホルン吠える]、これは中盤以降で下音から上音へ速いパッセージで駆け上がるホルン旋律のところだと思います。6本ありますからね。

[EAST]、たぶん『THE EAST LAND SYMPHONY』に近い印象をもったんでしょう。でも改めてそちらを聴いてみると、「1. The East Land」や「4. Rhapsody of Trinity」よりも終始カオスだった気もします。休まるところを知らない混沌だった印象です。

 

II. where are we going?
[緩徐楽章]、ゆっくりとした楽章です。

[ストリングス]、ストリングスがメロディを奏でて進みます。他の楽器も同じモチーフからきているので、律動的な声部というかリズムをつくりだすオーケストレーションは抑えられているように感じます。

[無調]、たぶんシェーンベルクの弦楽作品ような印象もあったんでしょう。前半は情感に訴えかけてくるようなハーモニーは抑えられている印象でした。行き先の定まらない彷徨のような調性のなか、ときおりみせる一瞬の明るさや暗さのハーモニー。

[ヴァリエーション]、基本となっているフレーズが熱をおびていくように変奏されていきます。

[パーカッション壮大に]、終盤はパーカッションも入って壮大で重厚な響きになります。

[迫ってくる]、とてもエモーショナルで迫ってくるものがあります。

きびしく美しい旋律です。力強い慈悲もしくは力強い慈愛、そんな印象を強く感じました。この楽章を抜き出してリピートしたくなる人多いかもな、そんなことも感じました。クラシック風に言うと、初演演奏会で観客たちの熱狂にこたえるように、この楽章が再びアンコール演奏された。

 

III. substance
[リズム]、よっぽど気になったんでしょうね。この楽章もそうなんですけれど、作品とおして安定した拍節感のようなものがあまりない印象です。リズムをキープする(推進する)構成じゃないので、何が飛び込んでくるかわからない。それがまたいい。聴きこむほどにいい味を出してくる作品になるだろうなという予感すら感じます。

[クラシック感]、逆にいうと一番クラシック要素の強い作品とも感じました。たとえミニマルであっても、ミニマル・ミュージックを出発点にはしていない。そういう意味でリズム重視ではない。運動性、ほんとそうですね、リズムにも束縛されない運動性で解き放て、貫いています。

[パーカッション]、タイトルからも第1楽章と第3楽章は対をなしているのかもしれません。音楽的なしかけもあるのかもしれません。そうでなくても、ふたつの楽章は怒涛のようなパーカッションが鮮烈です。

 

 

感覚的な感想に終始しました。第2番の姉妹作にあたると語られていますが、運動性のみの構成でつくられた作品という点でそうですね。また、あれこれ持ち出さないというか、ピンポイントにフォーカスされている、突きつめて追求されている。ここがまたぐっときます。なんというか密度高いかつ異なる性格をもった第2番と第3番が並んだ。ここにぐっときます。個人的にはかなり好きになる自信のある作品の登場となりました。音源として届けられたときにはずっと聴くだろうな。

 

 

楽器編成について。

プログラムノートから。

 

フルート4(ピッコロ2持替)、オーボエ4(イングリッシュホルン持替)、クラリネット4(Es管クラリネット、バスクラリネット2持替)、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン6、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、ドラムセット、小太鼓、大太鼓、シンバル、吊しシンバル、トライアングル、タムタム、タンバリン、クラベス、鈴、シェイカー、ウッドブロック、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、チャイム、ハープ、ピアノ(チェレスタ)、弦楽5部。

 

*補足
弦16型(第1ヴァイオリン16、第2ヴァイオリン14、ヴィオラ12、チェロ10、コントラバス8)対向配置

*補足2
マーラー:ホルン8、トランペット6、トロンボーン4、ティンパニ2、ハープ2、(パーカッション群異なる)

 

約100名の大編成となっていますけれど、僕の整理した補足2のマーラー作品と比べると、通常でも編成しやすいギリギリのラインをしっかり保っていることも見えてきます。つまりは大掛かりな一大イベントのマーラー作品と比べて、演奏機会の制限を受けない、プログラム頻度に影響を及ぼしにくい大編成交響曲の誕生ということになります。誕生おめでとうございます!

 

 

マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

久石譲指揮でマーラーが聴ける、ちょっとざわざわするような感覚があります。たとれば、それは『ムソルグスキー:展覧会の絵』『エルガー:威風堂々』『ホルスト:惑星』『ラフマニノフ:交響曲第2番』のように、わりとポピュラーな作品を久石譲が指揮するんだという妙な驚きと妙な納得のような。聴いてみたいって思うざわざわ感がありますね。

大編成だけあって、もう音楽的重力はハンパない!圧倒されて感動します。久石譲×新日本フィルは王道で攻める、堂々とマーラーと真っ向勝負な印象を受けました。歌わせるところはたっぷりと歌わせて、ホルンのスタンドプレイ、クラリネットのベルアップなど、視覚的にも魅せてくれます。

リアリティのある演奏。ヨーロッパな優麗さでもないし、民俗的によっているわけでもない。現代的というのともまた違う、リアリティのある響きでした。うまく表現できないのですが、いま響いていること?音?音楽?に必然性を感じる演奏としか言い表せません。きれいに演奏しようとか上品な音を出そうとかいうよりも、すべての楽器・パート・声部がしっかりとリアルな音を出す。ミキサーボードでいうと各ボリュームメーターすべて高め。近視的、接近的な音像で訴えかけてくる。すごかったです。

約1時間の作品を飽きさせずに聴かせるマーラー作品。そのメロディの力や、どんどんいろんな要素を持ち込みながらも見事に構築させてしまう力。ここで注目したのが久石譲指揮の巧みなテンポコントロールです。歌わせるところ、たたみかけるところ、ひと息ゆるめるところ、突き放し駆けるところ。旋律ごとにパート展開ごとに抑揚のある絶妙なテンポバランス感覚で引っ張り、多彩なニュアンスを表現し、決してだれることがありません。…これって、スタジオジブリ交響作品と同じじゃないか! めまぐるしく展開する物語に沿った音楽構成を、見事なテンポ演出でハラハラ・ドキドキ・うっとり。

フォームのしっかりしたベートーヴェン作品やブラームス作品をリズム重視で現代的にアプローチする。ミニマル久石譲の強みです。一方では、フレームに収まらない脈略なく絡み合うマーラー作品をリズムバランスで統率してしまう。いかなる構成パートも沈むことなく、うまくまとめあげてしまう。交響組曲久石譲の強みです。あれっ、死角がなくなってきている?! そんな印象を強く持つことになったコンサートでした。

 

 

 

今回はサクッと加減のコンサート・レポートになりました。なってしまいました。9/22~のアーカイブ有料配信楽しみにしています。もう少し濃厚に吸収できたらいいな、そう思っています。

 

配信期間:
9月22日(水)12:00〜9月28日(火)23:59
視聴チケット販売期間:
9月22日(水)12:00〜9月28日(火)21:00

料金:1500円(税込)

視聴・会員登録はこちら
「CURTAIN CALL」
https://curtaincall.media/njp?

 

 

 

ぜひかぶりつきで視聴しましょう!

 

 

リハーサル風景

 

 

公演風景

 

 

from 新日本フィルハーモニー交響楽団 公式ツイッター
@newjapanphil

 

 

うれしいオフショットです。久石譲と佐渡裕さんもつながりあります。『久石譲:Orbis』の初演は佐渡裕指揮による「1万人の第九」番組プログラムでした。

2023年から新日本フィルハーモニー交響楽団 第5代音楽監督に佐渡裕さんが就任すること発表されたばかりです。今シーズン、音楽監督不在のなか、シーズンの幕開けを任されたのが久石譲だったんですね。

SNSでは新日本フィル・ファンの感想が飛び交っていました。さすがクラシック通だけあって、それぞれの「かくあるマーラー第1番」というものがあります。聴き方や注目のしかたなど、とてもおもしろいです。熱い感想が多くて、純粋な音楽評が綴られていて、たくさん「いいね」してしまいました。勉強になりますし、自分になかった視点や幅が広がるような気がしてきます。

久石譲がオーケストラ楽団の定期演奏会を指揮する。新日本フィルハーモニー交響楽団に日本センチュリー交響楽団。このことは、より一層《指揮者:久石譲》の認知と評価を広げていく流れになっていくのかもしれません。いろいろな客層を集め、久石譲指揮を目の当たりにし、十人十色な感想を抱く。これからますます楽しみです。

 

 

 

オーケストラを熱く応援する!(^^)

 

 

 

 

2021.10.15 追記

プログラムから久石譲の世界初演『Metaphysica(交響曲第3番)』より第2楽章「II. where are we going?」が公開されました。

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」久石譲連載 第4回 新展開のための整理をね

Posted on 2021/09/07

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」に掲載された久石譲連載です。「久石譲のボクの方法」というコーナーで第4回目です。ただこの連載が何回まで何号までつづいたのかは把握できていません。すべての回に目をとおしてみたい作曲家ならではの深く掘り下げた貴重な内容です。

 

 

連載:久石譲のボクの方法
第4回:新展開のための整理をね

新シリーズでスタートしたこのページでは、これから久石さんの仕事内容の”方法”についてより深くさぐっていけたらと考えている。そう話したらなんと久石さん自身自分の仕事を総括する意味でそういったことをやりたいという。

 

自分の中のケジメ

というのは、じつはぼく自身今までやってきたことあるいは自分の中の方法だとか、いろんなものに対するけじめをつけようと思って、そういったことに関する整理をつけているところなんですよ。これは生き方にもかかわってくるしね。同時にソロ活動でピアノ・アルバムを出し『人体』『イリュージョン』『プリテンダー』を出したっていうことがあって、ソロ活動って自分にとってなんだったんだろう。というようなこととかいろんなものがあって、そういうものを考えてる時期なんですよ。

でね、でもぼくが日々なんで一番悩んでいるかというと意外と会社のことなんですよ。音楽以外のこと、つまり社長業のこと。このワンダーシティという会社はぼくが34~5才のとき、55才までに自分の会社をもてたら良いな、という話をしていて、そしたらちょうどそこにスタジオの専門家がいて、そうだねえ、って笑っていたんだよね。でも翌年ぼくは自分で作りましたよね。

で、やっぱりここまでやってきてやっぱり自分が活動するための最低条件を確保したかったんですね。譜面を書くだけではなくそういうものも全部背負ってきた。スタジオを持てばどうしたってお金がかかる。そういうものも含めたものを全部背負ってきた。そうすると作曲、プロデュースのためにもお金がかかる。レコードも出す。そうすると出版権も必要になる。そしてそういうふうにやってきたこととソロ活動でやってきたこととははっきり矛盾がでてきたわけなんです。

というのはソロ活動っていうのはやっぱり自分にこだわるわけでしょ、ところが作曲家/プロデューサーっていうのはあくまでスタッフ・ワークだから、そのスタッフとして働きやすい環境を作り出さなければいけない。

したがって、社長業もやらなければいけない。極端な話をすれば駐車場の稼働率まで考えなければいけないんですよね。

だから生き方自体の矛盾がでてきた。そこでまず自分のライフスタイルのペースからくずしてきたということもある。それとね、30代後半として、なにか可能性が限られてきたんではないかっていう気持ちもあるし、同時にぼくは前しか見ないで生きてきたんだけど、あるとき急に有名人になっちゃったんですよね。自分で言うのも変だけど、いわゆるロッカーたちとは違う、まあ、先生のような捉えられ方ですよね。あるイメージが世間に定着しちゃった。一方で「冬の旅人」みたいな曲を歌っていたりで、いろんなファン層がごちゃ混ぜになってきたんです。そういう意味で自分の存在っていうのを見直す必要がある、考え直す必要があるって思ったんですね。

同時に『イリュージョン』をやって『プリテンダー』をやって、これに関しては作ったときからずっと、「これでいいのか」っていう気持ちもあったんです。

で、やっぱり発売して2ヵ月たち3ヵ月たつとそういう気持ちははっきり出てくるんですね。というのは日本人の僕の友人の大半は「すごい曲だと思うんだけど今はイリュージョンのほうをよく聞いている」というんですよ。「いいアルバムだと思うんだけど一人のときは『イリュージョン』を聞いている」とかね。で、それはぼくもすごく感じていたんです。

それで、なにかな、と考えたとき結局『イリュージョン』のときは日本人としてはかなりシャイなアルバムを作ったなと思っていたんだけど、まだ日本的なウェット感が残っていたんですよね。ぬれた部分が。それに比べて『プリテンダー』は圧倒的にドライですよ。日本的情緒っていうのは完全にない。それは英語だからっていうことじゃなしに曲自体もそういう作りだったし最初から向こうでやってきたし。エコー感もミキシングの方法も、ミュージシャンも。で、いろいろな問題でね。

で、しかもメロディーも自分の中でいちばんモードっぽいメロディーに徹したからそういう意味ではけっこう感情移入を拒む部分があるんですね。

だから『イリュージョン』と『プリテンダー』は対になってるんですね。かたやウェット、かたやドライ。ちょうど同じものの両面みたいなものでね。

そういうこととかがね、自分の中で大命題になるんだけど、じゃ、次になにをやるんだっていうことになると、じつは今年「ナウシカ」のピアノ・ソロを出すんですよ。こういう要望はずっとあったんです。でもぼくはキャンセルしてきた。というのはずっと宮崎さんと仕事をしてきてようやくこのへんでひとつけじめをつける必要があるっていうことでまああの「ナウシカ」の組曲と「魔女の宅急便」のなかのいくつかの曲で作ろうっていうことはアーティストとして計画中だったわけですよ。アーティストとしての宮崎駿さんに対してのメッセージというかひとつの解決というかね。今までやったことの区切りとしてやりたかったことなんだけど。でも、世間から見るとすごく商業的なアルバムに見えるよね。

さらにピアノ・ストーリーズもすごくやりたい。これに入れる曲はもう6、7曲たまっているんですよ。「人体」のときの「INNERS」とか「冬の旅人」だとか。これはもう自分のベスト・メロディーを弾くっていう企画だから。

で、もうひとつはオーケストラでやってくれというもの。それじゃ、今年この3枚を出してくれって言われるとナウシカ、ピアノ・ストーリーズ2、そしてオーケストラを出しちゃったら『イリュージョン』『プリテンダー』は、いったいなんだったんだってことになっちゃう(笑)、ね。

そうするとアーティストとしての活動は幅が広すぎるっていうこともあるんだけどもう少しきちっとしたラインが引きたいっていう気持ちが強くなってきてる。2年先3年先が見える状態でレコードをリリースしたいってことなんです。

(「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年3月号」より)

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1989年11月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/06

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1989年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。アルバム『PRETENDER』をたっぷり語られています。

 

 

久石譲インタビュー

久石さんの最新ソロ作品は「あくまでポップ、あくまで生!」

久石さんが9月21日、満を持して発表した作品『PRETENDER』は、フェアライトによって、ほとんど完成品のレベルまで打ち込んでおきながら、NYでミュージシャンを集めて録音したというもの。僕らとしては『魔女の宅急便』、さらにNHKで放映された『人体』のサウンドトラックで久石メロディーを堪能していたところだっただけに、矢つぎ早の作品発表にまず驚き、ソロ作品としてのアルバム発表ということに、期待がふくらんだ。そして『PRETENDER』リリース。期待にたがわぬ完成度と、その中にただよう久石メロディー。

久石さんの、今現在の音響世界を探り、久石ワールドに改めて足を踏み入れるべく、今号と次号でロング・インタビューを紹介します。

 

●今、”生”に対する欲求が出てきているものだから…

ー最新ソロ・アルバムの『PRETENDER』はNYに行って録音したといいうことなんですが、このへんの意図を教えてください。

久石:
フェアライトとかでけっこう長い間打ち込みで仕事をやってきて、全部ジャスト・ビートで来てることに対して少し飽きがきたのは事実なんですよね。だから最近よくやるのは、打ち込みものでもズラす方向で…苦労しながらズラしてるわけですよ。で、ズラすんだったら生の方がいいだろう、と。気付いてみたら自分の生に対する欲求が強くなった、ということなんです。だけど、ただズレればいいというもんじゃない。ズレるというのは、イコール、それなりのノリとかが必要になるわけですね。そのときに、日本人の中でやるよりは、外人の中でやりたかった、アチラのノリを欲しかったということなんです。

 

ーで、メンバーの方は?

久石:
ドラムがスティーブ・ホリーというポール・マッカートニー&ウィングスのドラマーで、この人はたぶんNYで5本、いや3本の指に入っているというどこに行ってもすごい評判のいい人ですね。それから、ベースがブライアン・スタンリーという人で、この人はドラムのスティーブとよく組んでやっているらしい。コンビネーションがいい方がいいですからね……。

ギターが、ポール・ペスコっていうマドンナやなんかのツアーやってる人で、5月にサイア・レコードからソロ・アルバムを出しているのね。非常に才能のある人で、まだ若いですから今後すごい出て来る人じゃないですかね。あと、弦はニューヨーク・フィルの連中だったりとか、それからサックスはスティーブ・エルソン。彼はジョー・ジャクソンとかデビッド・ボウイなんかとずっとやってる人です。

 

ー今回のドラムは全部生ですか?

久石:
2曲だけ打ち込みのままやってる曲がありますけどね。

 

ーそれはどの曲ですか?

久石:
どれでしょう(笑)?

 

ーえ、えーと、「トゥルー・サムバディ」あたりですか?

久石:
みんな言うんだよね。でも、あれは生なんですよ。「ミート・ミー・トゥナイト」と「マリア」はドラムとベースが打ち込み。「ミート・ミー……」はTR808を使ってます。

 

ー打ち込みパートはこっちで録ったのを残したわけですか?

久石:
そうですね。というか、一応デジタル・マルチに全部録って持って行ったんですけど、全部落として向こうでもう一回全部録り直ししました。

 

ー打ち込みものに関してもですね?

久石:
そうですね。

 

ー向こうに行く前に、ミュージシャンにドンカマを聞かせないで録ろうかな、とおっしゃっていましたね。

久石:
何曲かでもそれはやりました。

 

ーそういう録り方だとテイク1でOKというわけにはいかなかったと思うんですが……。

久石:
基本的には、東京でフェアライトで組んだモノはけっこう完璧にできたのでそのまま持って行って、それを彼らが聞いて、それに合わせて入っている感じですよね。だから、音楽の全体像を見ながらそれぞれセッションをやってったわけですよね。

それで、結果的にはどうしたってジャストで演れるわけじゃないから、必ずズレるわけだよね。逆にそのズレが欲しかったために、ドンカマは一部消して……。それぞれが自分でオン/オフできるようにしといたから聞いてない人がけっこういたんじゃないかなあ。

 

ーじゃあ、ノッてきたらドンカマを消しちゃって演るっていう感じで……。

久石:
そう。それとね、「マンハッタン・ストーリー」が端的な例なんだけど、東京でこのテンポがたぶんベストだろうと思ったテンポでやってたんですよね。それもかなり遅くしてね。他の曲はけっこう速い曲が多かったから、遅い曲が必要なのでテンポを落としてったんですよ。

ところが、ギリギリまで落としてったつもりだったのに向こうでこの曲を録る段になったら、(ミュージシャン達が)もっと(テンポを)落とすんですよ。1回、何も聞かないでリズム・セクション3人だけで演り出したらもっと遅いんですよ。日本でやったら思いっきりダレるなっていうテンポが、全然ダレない。

 

ーノリを持ってるっていうことですね。

久石:
そうですね。今回一番思ったことは、確かに向こうの人はすごい体力もあるし音もすごいからハデな曲を持ってった方がいい、という発想はあったんだけど、逆にこういう「マンハッタン・ストーリー」とか遅い曲も彼らはすごくうまいんですよ。で、ワーッと思ってね、テンポが8つくらい、128ぐらいだったのを110いくつくらいにしたのかな、すごい量を落としたんです。中間のファンクっぽい部分が成立するギリギリのテンポまで落としました。

それで、ほとんどの曲が東京で組んだテンポのままなんですよ。せいぜいひと目盛り下がるかどうかという……。それに関してもかなりシビアにやってったから、ほとんど変わんなかった。唯一変わったのが「マンハッタン……」。それがドドド……って落ちたっていう……。この辺がやっぱりノリのすごさなんだなっていうことを思いましたね。

 

●1回やってみたかったJAZZ…(?)

ーメンバーの人選というのはどんな風にやったんですか。

久石:
このレコーディングに入る前に3月に2週間位NYに行ってたんですよ。で、そのときに全員に直接会って、どんな感じでいくか決めてって……。

一番最初に決まったのはドラムのスティーブ・ホリーですね。で、彼がやりやすいメンツということと、こちらがいろんな人を聞いて決めてったんです。ギターは3人か4人くらい候補がいて、その中にカルロス・アロマーもいて、彼はコ・プロデューサーでやるつもりでいたんですよ。だけど、どう聞いてもロック・フレーズだし……そりゃそうだよね(笑)。だから、どうしようかなみたいなところから、もっとビョーキっぽいのをできる人がいいねっていう感じで、もう一度人選しなおしてもらったりとか……。

 

ーそういえば、「ホリーズ・アイランド」とか「ミッドナイト・クルージング」などではかなりジャズ的なものを感じたんですが。今までこういうのはあまり無かったんじゃないですか?

久石:
いや、『イリュージョン』から少しずつそういうのは入れてたんですよ。高校時代からジャズはすごい好きだったのね。好きだったけど、自分がやるもんじゃないと思ってたからのめり込まないだけで……。ただ、古く言えばスティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲンもポップスなんだけどジャズのイデオムをいっぱい入れてやってたよね。だから、自分としてはフィールドはあくまでもこっちにいるんだけれども、ジャズというのは一つの表現手段として、ジャズのスピリットまでいかない程度にね(笑)、前からやりたいとは思ってたんですよね。で、『イリュージョン』では、けっこうやったね。

 

ー僕の印象では、『イリュージョン』よりもうちょっとジャズに近づいたかなっていう感じがあったんですが……。

久石:
それはあるね。ジャズに近づいたっていうかね……。何て言ったらいんだろう……(しばし沈黙)。……実は僕がジャズの表現をやりだすと本格的になっちゃうんですよ、出だしはマイルス・デイビスから入って、コルトレーンに戻って……ずーっとやってっちゃったから、聞き手としてはわりと聞き込んじゃってたので、あまり深入りしたくなかったんですよ。

ただ、今回は場所が場所でしょ?NYだったということもあって、それをそういうパワフルなものをやるためにはああいう表現(ジャズ)に近づいてもいいなと。で、ジャズ・ワルツっぽい曲もあったでしょ?「ミッドナイト……」かな?あんな感じの曲も一回やってみたかったんです。

 

ーあの曲は最初からあんな感じになる予定だったんですか?即興的に8分の6みたいな感じになったんじゃなくて。

久石:
いえ、全部あのまんまシーケンスを組んでたんですよ。あれは苦労しましたね。録れるかな、とか思いながらね(笑)。日本でやったら止まったと思うんだけど、誰も止まらないんだ。すごかったですよ、あれは。

 

ーロック寄りのメンバーなのに、こういうジャズっぽいのもできちゃうんですね。

久石:
このへんも大事なことなんだけど、ジャズのミュージシャンを集めてないんですよね。もし、ジャズのミュージシャンを集めてたらもっとニュアンスが出るけど、あくまでこちらのフィールドの人がジャズにエレメントを取るという風にやりたかったから、あえてジャズの人は呼ばなかったんですよ。だからよかったと思う。あの曲でジャズっぽい人を呼んじゃうと思いっきりのその世界に入っちゃうでしょ?

例えば、サックスがマイケル・ブレッカーとかだったら、どうしてもフュージョンになりますよね。「マンハッタン……」もそうでしょ?あれをあのままジャズの人を集めちゃったら、もうそのままピタッとはまっちゃうから、なんでこれを今、日本人がやらなきゃならないんだ、みたいな感じになっちゃうじゃない? そういうこともあったんで、あくまでポップス・フィールドの人でやるっていうのは決めてたんです。

 

ー今回、ボーカルものは歌詩が全部英語なんですが、これはやはり世界に打って出ようと……。

久石:
それはかなり意識しましたけどね。前に『アルファベット・シティ』というアルバムのトラック・ダウンをNYでやってるときに、A&Mとかビル・ラズウェルのセルロイド・レーベルから契約の話が来てたんですよね。その時は、契約で過去の全作品の権利を渡すとかなんとかでこじれそうなんでやめちゃったけど。

その時に思ったことは、僕は基本的にインストゥルメンタルでやってきたでしょ? インスト物っていうのは東京でやってもNYでやってもパリでやってもロンドンでやっても、いいものはいいって受け入れやすい状態なんですよ。

それは服飾メーカーでもそうですよね。山本寛斎なんかも言ってるけど、ロンドンで当たった、NYで当たった、東京で当たった、という風に同じ様に評価される。音楽でいうと、日本語が介在しないぶんだけインストゥルメンタルっていうのはそういう世界観を持ち得るんです。

だからそういう意味で『アルファベット・シティ』のときの経験からいっても、どうせやるならばそこまで徹底した方がいいだろうと。日本語でやるよりは英語でやろう、というのは最初のコンセプトで決めてましたからね。

 

ー作詩の方はどういう方が?

久石:
詩はね僕とCMで何本か一緒にやらせてもらったウチダさんという人なんです。それと、「ワンダー・シティ」は今から7、8年前の作品だから、これはマーティ・ブレイシーっていうもんた&ブラザースとかのドラムをやってた人です。

 

ー「ワンダー・シティ」は『インフォメーション』に入ってたのとキーが違いますね?

久石:
変えてます。今度は生でやるから、ベースの最低音にルートを合わせた。2月の草月会館でのコンサートのときからあのキーにしちゃったんですよ。

 

●鳴る音、鳴らない音

ー6月末のコンサート(6月29日サントリー・ホールの小ホール)を聞かせていただいたんですが、ピアノと弦楽四重奏だけですごく豊かな響きを出していて、改めて感心したんですが……。

久石:
弦はね、とても書き方が難しいんですよ。鳴らし方が本当に大変なんだ。例えばある配置で作ったのを半音キーを上げただけで、180度、もう民族が変わるくらい、楽器が変わったと思うくらいに響きが変わっちゃうんです。半音上げるんだったら配置から全部作り直ししないと同じ鳴り方はしないんです。その辺まで知りぬかないと、弦は鳴らないですね。

 

ー久石さんはバイオリンを習ってらしたことがあるそうなんですが、自分で弦楽器をやっていたということでその楽器の鳴る音域とかフレーズとかを体で知っているということが、まず、あるんでしょうね?

久石:
あっ、それはありますよ。それと、バイオリンをやるとすごいいい点はね、ピアノだと鍵盤を弾いたらソの音はソ、ラの音はラって出ちゃうでしょ?だけど、バイオリンの場合はフレットがあるわけじゃないから自分で音を捜さなきゃいけないんです。小さい頃やると耳の訓練には一番ですよね。だから、バイオリンを4歳からやったっていうのは自分のルーツですよね。仕事していく上でもとても武器になったし……。弦のアレンジってなかなかできないでしょ?

 

ー僕も勉強してるんですが奥が深いですよね。で、コントラバスもやってたんです。

久石:
一応そういうのをやってて弦の響きがわかってれば、少しずつできるようになりますよ。

 

ー久石さんの弦の鳴らし方、例えば「ヴュー・オブ……」の盛り上がるところで弦が対位法的に動くとこなんかは一朝一夕にはできるものじゃないですよね。ただ単に白玉を鳴らすっていう発想じゃないですし……。ところで、あの曲はストリングスは後録ですよね。

久石:
そう、最初にまずピアノを録って、それから弦のアレンジして弦を録ったんです。ピアノを録る前の日に曲ができましたからね……。

あの「ヴュー・オブ……」は今までの自分のメロディーらしいメロディーと、同時にちょっと踏み出してるんですよ。メロディーの中でのキーのチェンジが激しいですからね。一歩間違うと今回のコンセプトに合わない曲なんですよ。あの曲を外すかどうか迷いましたね。

で、アルバムに入れた中では唯一ミニマルっぽい扱いですね。途中からピアノが一つのフレーズの繰り返しで押し切って、それとは別に弦が動く。あそこらへんからモードっぽい進行に切り換えることによって、やっとアルバムに入ったんですよ。辻褄が合うようにした。それがすごい難しかったね。

コード進行にそった形でピアノのアルペジオを入れるといちばん僕らしくなるんだけど、今回それをやるとちょっと違うんじゃないかっていう感じがあって。それがちょっと苦しかったとこですね。「ヴュー……」は楽曲的には自分でも納得いってたから、今回入れるためには他の曲とのつなぎの接点でモードというのを使ったんです。そういう方法というのは全体にあるんです。

あと、今回は全体的にバンドっぽい仕上がりにしたんですよ。従来の自分の方法だと、この楽曲は打ち込み、例えば「ワンダー・シティ」だったらやっぱりシンセ・ベースの方が絶対合うわけ、気分的にも。そう思ったら必ずそうやってきたんだけど、今回に関して言うとあえて目先の音のチェンジの前に統一感を出したかった。いいフレーズがあればそれでいい。いい音楽であればそれでいいっていうことで、アレンジャー的感覚でいろんな音色を使うというのは全部排除して……。ベースは全部同じ音でいい。ドラムも全部同じでいいと……。

音色のような細かいことでの目先は変えないで、ストレートに押し切ろうという考え。

今回のアルバムは、基本的に”生”だと。そのままステージにかけられるバンドっぽいことをやろうと……。打ち込みでやってると、ドラムでもなんでも不可能なことを平気でやるでしょう?ドドドッとか。その手のことはもうしない、人間が弾けるっていう状態でとにかくやろうと徹しちゃったです。

(「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1989年11月号」より)

 

 

久石譲 『PRETENDER』

Disc. 久石譲 『PRETENDER』

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年8月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/05

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年8月号」に掲載された久石譲インタビューです。久石譲による連載コーナーの第7回です。

 

 

HARDBOILD SOUND GYM by 久石譲

第7回 ミニマルも「ナウシカ」も素材は同じモードだった

久石さんがPOPワールドに入るきっかけをつくったのは、クラフトワークとの出逢いだった。クラシックとは離れたところで、ミニマルの手法も応用したニューBGMをつくろうとした。それが久石さんたったひとりのオーケストラ、”ワンダーシティオーケストラ”だ。ソロアルバム『インフォメーション』を82年に発表、ミニマルにこだわったニュー・ウェーブ色の強いアルバムだった。その後、2年もたたないうち、「風の谷のナウシカ」のサントラが大ヒット。土着要素の強いミニマルと、クラシックなイメージを持つ「ナウシカ」は対照的だが、久石さんに言わせると、”モード”ということで自分の中では全く違和感はないのだ。

 

クラフトワークの落とし前をどうつけようか?

クラフトワークは、日本では”何だこれっ!?”って感じでなかなかレコードにはならなかったんです。僕は別のルートから彼らの音を聴いていて、絶対ウケルと思ったんだけど…。その後、ニューヨークから超一流のモデルが来日して自分のステージでクラフトワークのテープを流した。それに感動した糸井五郎さんや今野雄二さんらが、自分の番組で紹介して火がついたというわけ。

ところが、タンジェリン・ドリームの方が日本でウケた。アメリカの東海岸では逆にクラフトワークがウケてタンジェリン・ドリームの人気はいまいち。僕からするとタンジェリンは好きじゃないんです。彼らは即興演奏の感性的な感覚だけでぜんぜん理論武装していない。それに対して、クラフトワークは明確。メロディー・ラインもこれ以上なくらいに単純化、パターン化されている。僕のようにミニマルをやってきた人間にとって、同じシーケンス・ベースの中でわーっと弾いているタンジェリンとは全く違って聴こえた。

そのとき、あっと思った。こういうラインで、ポップになれるならば、自分としてもクラシックと離れた音楽のやり方があるんじゃないか、より超モダンでアヴァンギャルドなやり方が…。

その後で知ったことだけど、クラフトワークのメンバーの経歴が興味深い。みんな現代音楽やミニマルの影響を受けたりしている。ドイツのプログレ・バンドやロック・シンセ・バンドは、クラシック出身とか、シュトック・ハウゼンの研究所にいた人間とかが多い。自分と思考過程が似てて、彼らの屈折したところなんかがとてもよく見えた。

YMOがやったことというのは、完全にクラフトワークをベースにしている。メロディを日本風にわかりやすくしてるけど、ステージの前にマネキン人形を置いて、後ろで弾くというやり方などは、クラフトワークがずっとやってきた手段だからね。はっきり言ってものまねだった。彼らのやろうとしてきたコンセプトは、裏にはクラフトワークがあって、でもクラフトワークほどうち出せないところで揺れ動いていた。テクノデリックとか、ポップス・バンドであるとかいうところで、いつもやっていることに対して、クラフトワークまでいけないといういら立ちの中で揺れていたんだとはっきり言い切っていいと思う。彼らは、自分の中でクラフトワークをどうやって解決させるか、どう落とし前をつけるかって作業だったんだろう。

だから、今は逆に彼らはつらいかも、坂本龍一さんはとくに…。彼はその気になればクラシックもできるし現代音楽もできる立場にある、かといって一方でニュー・ウェーブもやってきたという切り口がある。『NEO GEO』はあんまりいいできだと、僕は思ってないんです。ちょうどあの頃に、清水靖晃さんも『サブリミナル』を出したでしょう。2人ともエスニックを素材にしてたけど、エスニックを素材にしたサウンンドってもう新しくないんだよね。第一、もうサウンドがインパクトを持つ時代でもないわけ。サンプリング楽器が安く手に入って、アマチュアの人もすごいことをやってる。すると、おのずと、サウンドで驚かせられる時代じゃなくなってきている。

 

ミニマルから「風の谷のナウシカ」へ

テクノの縦割りのノリは新鮮だった。クラフトワークの、あれだけ削ぎ落としたサウンドは他にはなかった。そこで最初にN(エヌ)というバンドのPOPミュージック、ニュー・ウェーブBGMをつくろうとした。現代音楽も引きずりつつミニマルでポップスをつくろうとしたんです。でもそれだけに、ちょっと苦しいところがあって、今、聴いてみてもえらく綱渡りしている感じがする。

”ワンダーシティオーケストラ”という、といってもたったひとりで演ってたんだけどニューBGMをつくろうとしてたんです。その頃の曲はすべてワンコード、つまりモードなわけ。ベースラインがC#とかでずっと通していて、コードはその中で動くんだけどね。それが、82年に10月に発表したソロ・アルバム『インフォメーション』なんです。

それから次に出したのが「風の谷のナウシカ」のサントラです。メロディだけ聴くと、ミニマルとは反対のクラシカルなものにとらえられがちだけど、自分の中では全く違和感がない。というのは基本的にモード(ナウシカの場合はCドリアン・モード)を使っているからなんです。

(「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年8月号」より)

 

 

 

Blog. 「KEYBORD LAND キーボード・ランド 1989年10月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/04

音楽雑誌「KEYBORD LAND キーボード・ランド 1989年10月号」に掲載された久石譲インタビューです。アルバム『PRETENDER』発売に合わせた時期になっています。

 

 

日本人っていつも何かのフリをしている人が多い
その姿を客観的に表したかった

久石譲

『風の谷のナウシカ』や、『となりのトトロ』など映画音楽やCMソング、他のアーティストの曲の作・編曲の他、キーボード・プレーヤーとしてっも幅広い活動をしている久石譲。彼が3年ぶりの自分自身のアルバム『PRETENDER』をニューヨークで制作した。

久石といえばフェアライトなどの最新テクノロジーを積極的にとり入れたキーボーディストというイメージがあるが、今回のアルバクでは生の楽器が多く使われている。

「今までは90%くらいは電気楽器、打ち込みものとかが多かったのですが、今回は逆に85%近くは生のピアノやドラム、ベースなどを前に出して非常にバンドっぽくあげたかったんです。打ち込みだとジャストでしょ。ジャストだとニュアンスがないからつらい部分があって…。そういう意味では今回はリズムのノリもいいし、かなり欲しいニュアンスが録れたなと感じますね。中には1曲めと5曲めのように部分的に打ち込みを使った曲もありますが、後は全部生です。その打ち込みの部分も、生の音との違いがほとんどわからないくらい精密に、フェアライトで作っていったんですよね。今回はバンドっぽいサウンドということをコンセプトにおきましたから、そういう意味でのカラーの統一をしたかったんです」

彼の言葉どおり、アルバム全体を通してライブ感覚のノリが溢れている。が、そこには人間臭さは不思議となく、都会的なドライさが感じられる。

「今回は全体に乾いた音を中心にして、日本人特有のウェットな部分をできるだけ切り捨てようと思ったんです。そういう意味からもロンドンよりは絶対ニューヨークの方が合っているという気がして行ったんです。ロンドンの音楽は、どちらかというとウェットという部分では、日本のものと似ていますからね」

アルバム1曲1曲は、60年代風のロックあり、ラテンあり、ジャズあり、バラードあり、生ピアノと生弦中心のインストありと実に多彩。しかもラテン風のサウンドひとつとっても、それに東洋的なメロディがのっているような、型にはまらない久石独自の自由なアソビ感覚が伝わってくる。

「1曲1曲、思いっきりパワーを持つように作ったんです。今回はインストとボーカルものを混ぜてしまったし、下手するとバラバラになっちゃうような非常に難しいアルバムだったんですよ。ただ正解だったのはバンドっぽい音ということで、リズム体を変にサンプリングで入れ替えたりして凝りすぎないで、全曲、素直に通したんです。曲の表わし方の個性をどうつけるかでジャジイなものがあったり、ピアノ曲があったりするけど、その上でもっと大きな個性で結実しないかなという思いはありました」

1つの型に凝り固まらず、いろいろなジャンルの音楽をいろいろなノウハウで作り上げてきた彼だけに、実力に裏付けされた確かな自信がうかがえた。その彼の自信作は9月21日NECアベニューより発売される。またライブは10月4、5日インクスティック芝浦ファクトリーで行われる予定。

(「KEYBORD LAND キーボード・ランド 1989年10月号」より)

 

 

久石譲 『PRETENDER』

 

 

 

Blog. 「音楽の友 1998年4月 特大号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/09/03

クラシック音楽誌「音楽の友 1998年4月 特大号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。連載コーナー「この一曲が好き!」に登場しました。久石譲が選んだのは「マーラー:アダージェット」、そして当時公開されたばかりの映画『HANA-BI』の話まで。

 

 

この一曲が好き!

第37回 マーラー/アダージェット 久石譲(作曲、演奏、プロデューサー)

各界の著名人に、自分の一番好きな「この一曲」について、熱い告白をしていただこうという好評連載!今月は、現代音楽の作曲家として出発しながらも、ポップス、映画音楽のフィールドで高い支持を得ている久石譲さんです。

 

昔、学生時代はマーラーはあまり好きではありませんでした。ところが、ロンドンに2年ほどいたときに『水の旅人』という映画のサウンド・トラックを、ロンドン・シンフォニー・オーケストラで、フルの3管編成でレコーディングしようとした(93年4月)んですが、いわゆる管弦楽法の本とかはみんな東京に置き忘れてきてしまった。そのとき手元にあったのは、マーラーの5番のスコアだけだったんですよ。そのスコアをずっと参考にして、ヴォイシング、音の配置を舐めるように見た。それで、マーラーの5番に親しんだのがとても記憶に残っています。

特にアダージェットは、『ヴェニスに死す』という映画のテーマ曲になりましたね。これだけ映画を見ているし、映画音楽をやってきたにもかかわらず、実は『ヴェニスに死す』は見ていなかったんですよ。で、去年、北野武さん監督の『HANA-BI』という映画がベネチア国際映画祭で金獅子賞を取りました。それでその前後であわてて『ヴェニスに死す』を見たんです。とても恥ずかしかったんですが、ヴィスコンティのあの映画に圧倒されて、同時にアダージェットという曲の持っている凄さに、もう一度心酔したんですね。

今回、長野パラリンピックのトリビュート・アルバム『HOPE』を作ったときに、ポップスの人から、ジャズ、クラシック、いろんなジャンルから参加していただきました。クラシックでは藤原真理さんと、オーボエの茂木大輔さん、カウンターテノールの米良美一さん、和太鼓の林英哲さんです。

で、どの曲をやろうかという段階で、チェロとピアノでは不可能かなと思いつつ、アダージェットをやってみたいという提案をしたんですね。真理さんと改めてもう1回聴いてみて、はたしてこれはチェロとピアノになるんだろうか、どうなるかわからないけれども、とにかく置き換えてみます、と編曲を始めたんです。

ところが、弦のスタティックな曲だから、音符がのびないとサマにならないんですね。弦は音を延ばすことは可能だけれども、ピアノはどうしても音が減衰していっちゃいますからね。原曲の響きや世界観をいかに変えずにピアノに置き換えるかで、ずいぶん苦しんだんですよ(笑)。そのレコーディングは相当うまくいって、これからきっとチェロの人のレパートリーに入るんじゃないか、それくらいのアレンジはできたし、自分も納得してるんです。もちろん原点にあったのは、あのアダージェットという楽曲の持っているすばらしさです。

これを書いた時のマーラーは、おそらく精神的に相当きつい状況だったと思うんです。メロディ自体はメイジャーの曲ですよね。でも、心底落ち込んだ、精神状態が最悪のときに、かえってメイジャーなメロディを書くというのは、何段階か人間として器が大きくなるというのでしょうか。辛いときに辛い曲、悲しい時に悲しい曲を書くほど、つまらないことはないんで(笑)。それをつき抜けた絶望の渕の明るさ、そして何かを求めるというようなところが、この曲にはある。ある意味でシューベルトの《白鳥の歌》に近いような、とても死を見据えた強さを、このアダージェットには強く感じるんです。第9番の第4楽章もすごくいいんですが、あれはオーケストラとしても劇的に構成され過ぎている。それに較べると第5番の第4楽章は、ハープと弦だけですよね。シンプルな中に本当に突き抜けた世界観をもっている。そういう意味でもこれはすばらしい。

もともとはブラームスがすごい好きなんです。ブラームス独特の、重たくなるくらいに低音を重ねてしまう、そういうもののほうが本当は好きなんですけれども、ただやっぱり、マーラーは指揮者としても一流でしたよね。ですから、小手先に走る、オケの効果に走る、構成上の弱さを持っているんだけれども、基本的には、オケの鳴らせ方、響かせ方に関しては、作曲部屋にこもって作っている人と、毎日オケの前でやっていた人との違いはある。マーラーの場合、譜面上では、えっ、これで大丈夫なのかな、というのが、実際音を出してみるととてもいいんですよね。この辺は、机上の作曲とまったく違うものがあって、ものすごく参考になります。

ブラームスは、彼の引き裂かれ方が好きなんです。体質はロマン派のくせに、頭の中は構成がっちりの古典派のベートーヴェンなんかに憧れきってる。そのバランスの悪さは、いつ聴いても面白い。第4シンフォニーなんて、音型、モティーフという捉え方でどう頑張っても、メロディにはロマンの香りがしちゃいますよね。ブラームスは一生そのことで闘って悩んでいた。そのことが露骨に見えるのが、ブラームスの一番破綻しているところでもあり、僕が好きなところでもあるんです。

人間の中にも、物事を論理的に考えたいというところと、ものすごいエモーショナルに動きたいというところと、みんな持っているじゃないですか。だからそれを大きなタームで捉えてみると、クラシックの流れ自体が、古典派、ロマン派、新古典派、十二音技法、現代音楽と、絶えず人間のなかの感覚的な部分と、理性的な統御の部分とが、交互に揺れ動いて来ていますよね。

 

僕の学生時代は、ミニマル・ミュージックが最先端の音楽だったんですね。1964年くらいですね。僕らはそれまではペンデレツキやクセナキスの流れで、不協和音を重ねるクラスターという書き方をしていました。あれは正直言ってだれもわからないんですよね。もっといえば、だれでも書ける。ものすごい大きなスコアに、「第1ヴァイオリン」という表記ではなく、ひとりひとりの奏者のヴァイオリン何10本に半音だ4分音だとぶつけていけばいいんだから。そんなに苦労はない。あれは机上の音楽でしかなかった。

実際に創造してるものとは違うはずなんです。それをちゃんとやりきれている作曲家は基本的にいないと思うんです。そういうものをただただ追求していくことが作曲の指南になり、あれだけの大量の音符の量を不確定理論とかでやっても、それが飽和状態まできてるような気がしていた。そこへ、ポンとミニマルを聴いたときに、あの形になってるというのは、僕にとって、ものすごく新鮮だったのね。ミニマルの方が自分たちのリアリティがあった。もちろん、スティーヴ・ライヒたちはいきなりそれを作ったんじゃなくて、いろんなムーヴメントのなかでやってきていますが。

当時、作曲家どうしが集まったときに話すことは、他人の批評ばかりだったわけです。あれはだめだ、これもだめだ、と。つまり、彼らの言い方というのは、他のものはすべてだめ。だから自分が正しい、という理論。赤ちょうちんで飲んで課長の悪口言ってるサラリーマンと何ら変わらない。だから体質的に現代音楽の連中のもっている雰囲気が大嫌いだったんです。音符で証明すればいいのに口で証明しているような奴らとやってもしようがない、と思った。そのときにふっと横を見ると、ロキシー・ミュージックから出てきたブライアン・イーノが、芸術論なんかぶたなくても、充分やっているという姿がすごくうらやましかったんですよ。それならこのまま現代音楽をやっているよりはポップスのフィールドに行った方が自分はいいと。

そこで「作品を書く」というのはやめたんです。そのかわり、ポップスのフィールドに行ってからはもっと自由にできるようになった。あっちは面白ければ正義ですから。もうひとつは売れなければ正義にもならないんだけど。それさえきちんとしていればやりたいことはやれる。だいたい我々の世代でも、才能のあった人物が、ほとんどみんなポップスとか、他のフィールドに流れちゃいましたよね。

映画音楽を作るときは、よほどのことがない限りは、台本を読んで、ラッシュを見て、それからどういう世界観にするかを通常決めて行きます。『HANA-BI』のときは、わりと早い時期から、北野さんから大体の内容は聞いていたし、「今回はアコースティックで行きたい」と言われていた。北野さんとやってきた映画音楽は、『HANA-BI』で4本目なんですけど、それまでのものは実はミニマル的な扱いが多かったんですよ。感情表現というよりは引いてしまって、最少単位の音型が繰り返されるような。具体的にいうと、シンセサイザーをだいたいメインにして作ってきた。『HANA-BI』の場合は、暴力的なシーンでも、弦とかできれいな音楽が流れているようなのはどうですか、という話があった。それがキーワードになりました。ただ、弦を使っていると、どうしてもメロディラインがついて、エモーショナルな部分に走りやすくなるんですよ。北野さんの世界では、おいおい泣いたりするような、感情表現の場って少ないんですよ。そういうところにエモーショナルな音楽を付けると、ものすごくダサくなったり、かえって北野ワールドを壊してしまうんじゃないか、というのが一番心配だったですね。弦を使ってやっていくときに僕が大事にしたのは「格調」。一、二歩引いて、主人公たちの精神状態を奏でるというところから全体を構成していった。通常僕らが映画音楽を書くときは、映画1本で25~30曲くらい、各シーンに入れていくんです。だけど今回は10曲だった。短くなったと喜んでいたんですが、1曲1曲が8分だったり6分だったり長いんですよ。だから、音楽全体の長さは結局45分くらい、いままでと全く変わっていなかった。その分、入れるときはドンと入れる。抜くときは思い切り抜く。映画としての音楽的なメリハリはつけられたという気がします。

以前見たスティーヴ・ライヒの《ザ・ケイヴ》はすごくショックでした。いつかこういうのにチャレンジしてみたいというのはありましたから。ただ、彼は現代音楽のフィールドだけど、僕は、ポップスのフィールドだから、斬新なもの、それでいてエンターテインメントとして楽しめるもの。そういう作品をこれから作っていきたいですね。変に芸術家というと、山の中に篭っていて自分の気にいった音符を書いていれば成り立つかもしれないけれど、僕がいまいる世界は、人様に見て聴いていただいて初めて成立する世界だから。自己満足では完結しないんですよ。それに対して出資してくれる人がいたり、レコード会社や映画会社がいる。そういう人たちは資本をしっかり回収し(笑)、なおかつ人々をただただ楽しませるだけでじゃなくて、もうひとつ上のランクのもの見せられるというのが理想ですから。それを一番やっているのはたぶん宮崎駿さんです。その人とずっと仕事させてもらったし。身の回りに北野さんとか凄い人が大勢いるもんで、いまでもいろいろ勉強させてもらっています。

(「音楽の友 1998年4月 特大号」より)

 

 

久石譲 『長野パラリンピック支援アルバム HOPE』

 

HANA-BI サウンドトラック

Disc. 久石譲 『HANA-BI』

 

 

 

Blog. 「LUCi ルーシィ 2007年4月号」久石譲×SHIHO 対談内容

Posted on 2021年8月31日

雑誌「LUCi ルーシィ 2007年4月号」に掲載された久石譲対談です。「SHIHOのドキドキ♥対談」コーナーです。当時発売されたアルバム『Asian X.T.C.』などのエピソードを中心に話は進みます。

 

 

SHIHOのドキドキ♥対談

今回のゲスト
音楽家 久石譲

宮崎駿監督の映画音楽をはじめ、CM音楽、コンサート活動などでも活躍する久石譲さんが今月のゲスト。有名な曲をつくった時の裏話や久石さんの人となりなど、じっくりとうかがってきました。

SHIHO:
はじめまして。今日はよろしくお願いします。

久石:
こちらこそ。もうこの対談はずいぶん長くやっているんですか?

SHIHO:
4年近くになります。

久石:
いいですね。素敵な人ばかりにお会いできて。なぜ僕が呼ばれたのかは、よくわからないけど(笑)。

SHIHO:
何をおっしゃいますか(笑)。私、テレビはほとんど見ないのに、最近テレビをつけると必ず久石さんの音楽が目や耳に入ってくるんです。本屋に行っても久石さんの記事に目がいったり。とにかくすごいです!

久石:
そうかな。そんなに仕事してないと思うけど(苦笑)。

SHIHO:
宮崎駿監督や、北野武監督の映画音楽を手がけていたり。絶対に誰もが耳にしたことのある音楽ですよね。

久石:
ありがとうございます。

SHIHO:
仕事のペースは、あまり変わらないんですか?

久石:
そうですね。1年を通して映画を何本かと、自分のアルバムをつくって、それを持ってツアーを回る。あと、最近は新日本フィルとやっている「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」の音楽監督もやっているから、それでコンサートを回ったり。コンサートの量は確かに増えていますね。

 

完成図が見えていたら、モノづくりは面白くない

SHIHO:
人の心に残る仕事って、簡単にできることじゃないと思うんですが、どうしてできるんですか?

久石:
どうして…って(笑)。たまたま目の前にある仕事を一生懸命やったら、その結果としてついてきたという感じかな。

SHIHO:
今あることを…ですね。

久石:
自分が書いたものをいちばん最初に聴くのは、自分ですよね。だから、まず自分が喜べる、興奮できるものを書こうということはいつも考えていますね。自分が興奮できれば、周りにもその気持ちが伝わるし、ひいては観客にも伝わる。

SHIHO:
何もないところから、どうやってつくり始めるんですか? たとえば、昨年出されたアルバム『Asian X.T.C.』もすごくよかったです。

久石:
自分のアルバムは、ほぼ毎年出しているんだけど、毎回、”自分にとっての次の大事なテーマは何か?”を考えるんです。このアルバムをつくる前は、韓国映画の『トンマッコルへようこそ』や、中国映画、香港映画の依頼が同時に来たんですね。その時に「あれ?」と思って。

SHIHO:
アジアが来てる、と(笑)。

久石:
うん。前にスケジュールが合わなくてお断りしたものもあるけど、今回は3本同時に来ちゃった。じゃ、3本まとめてやろう。アジアの風が吹いたぞと。

SHIHO:
流れに乗ったんですね。

久石:
そう! 僕、「流れ」はすごく大事にするから。次の自分のアルバムはアジアをテーマにするべきだと思ったの。

SHIHO:
そういう流れなんだ、と。

久石:
うん。でも考えたら、僕がやっているピアノとかオーケストラって、ヨーロッパのもので、アジアのことはビックリするぐらい何も知らなかった。そこで、ヨーロッパとアジアとの違いはなんだろうと考えた時に、考え方だと思ったのね。

SHIHO:
はい。

久石:
キリスト教もしかりだと思うけど、ヨーロッパの文化では、善はいいもので悪は悪いもの。排他的な発想なのね。でも日本の仏教は、南無阿弥陀仏と唱えれば、誰でも救われるとされる。バリ島のケチャダンスにいい神と悪い神が出てくるのも、悪いものがなければ世界は成立しないという考え方だからなんですね。

SHIHO:
表があれば裏がある。光があるから陰がある。陰陽ですね。

久石:
そうそう。それはヨーロッパ的ではないから、そこをテーマにしたらつくれるなと思って。で、アルバムの前半は明るい陽サイド。後半は陰サイドとして、明確に分けちゃった。これでアジアの二面性みたいなものが出ればいいなと。

SHIHO:
そう! 後半ちょっと怖い感じになるんですよね(笑)。そういうテーマって、どの作品にもあるんですか?

久石:
やりながら…。

SHIHO:
できていく…?

久石:
そう。地図が全部見えていたら、ものってつくれないと思うんです。つまり、すべてが見えていたら面白くない。こっちに行ったら何かあるんじゃないかなと思って進むうちにだんんだん見えてきて、「そういうことだったんだ!」と、最後にやっと到達するというのかな。

SHIHO:
絵描きがキャンバスに向かって絵を描きながら方向を定めていくような感じなんですね。

久石:
そう。で、終わったあとにたくさんインタビューを受けると、最初からそう考えていたような気持ちになると(笑)。話をするうちに、自分のなかの考えがまとまっていくことは多いですから。だから、よどみなく話している時は、なんだかインチキ臭いぞ、答えが定型化されているなと思ってください(笑)。

SHIHO:
アハハハ。じゃ、実際の「つくり始め」は、ピアノに向かってとにかく弾いてみることから始めるんですか?

久石:
そうですね。弾きながら、こういうフレーズがいいなと思う時もあるし…。コマーシャルの時などは、イメージがあるだけでもいいです。「ほんわかしているけど、尖った感じのアプローチ」とか、輪郭だけでも見えるともう大丈夫。

SHIHO:
へえ。本木雅弘さんと宮沢りえさんが出ているサントリーの有名な「伊右衛門」のCM音楽の時は?

久石:
あれは、中国で言えば黄河のような、すごく大きな河がとうとうと流れているような音楽をつくろうと。商品と絵コンテだけだったけど、それを見ていたら、たっぷり水があって、ゆったりと流れる大河のような浪浪としたメロディーを、大人数のストリングオーケストラが全員で演奏するというアイディアがひらめいて。そこに、画面に寄り添うような静かなピアノの旋律を乗せようと考えたのね。

SHIHO:
あぁ、今すぐあのCMを見て、大河の流れを感じたい!(笑)

久石:
アハハハ。

SHIHO:
でも、すごく漠然としたイメージからつくり始めるんですね。

久石:
刺しゅうをやる時って、最初に柄の中心から針を入れていくんだって。それを仕事に置き換えると、映画を1本やる場合、30曲とかすごい量の曲を作るんですね。でも、ただ雑多に書いていってはダメで、中心となる顔の部分をきちんと決めないと、全体がよくならない。映画で言うなら、メインテーマですよね。

SHIHO:
あ! いちばん表現したいことは何か?ということですね。

久石:
うん。「この映画なら、これ」みたいなもの。アルバムでも、中心になる曲があるわけです。でも、その曲がアルバムのメインの曲だとは限らないのね。『Asian X.T.C.』で言うと…。

SHIHO:
ど、ど、どれですかっ?

久石:
(笑)最後に入っている「Dawn of Asia」ができた時に、「このアルバムがつくれるぞ」という確信がもてたんですね。で、結果的にこのアルバムのなかでいちばん実験して、最も大切にしているのが「Monkey Forest」という曲かな。

SHIHO:
いつ頃できたんですか?

久石:
「Dawn of Asia」が最初にできて、「Monkey Forest」が…最後のほうかな。

SHIHO:
へえ…。曲順は「Monkey Forest」のほうが先だけど、このアルバムは「Dawn of Asia」に始まり、「Monkey Forest」に終わるんですね(笑)。

久石:
そう。

SHIHO:
よく聞かれることかもしれませんが、創作のアイディアがなくなるかもしれない不安って、久石さんんいも浮かんだりしますか?

久石:
しょっちゅう(笑)。あ、もう今日これで終わりかなって。1時間に1回は考えますよ。もうダメだぁって(笑)。

SHIHO:
い、1時間に1回? 1日に何度も感じるっていうことですか?

久石:
そういうこともありますね。曲をつくっている時じゃなくても。でも、ちょっといいのが浮かんで、バッと書けるじゃない。そうすると「すごい…。やっぱりおれって天才」って(笑)。

SHIHO:
極端ですね。そんなものなんですかね(笑)。

久石:
そんなものだと思います(笑)。最近、インプットする時間があまり多くないんですよ。アウトプット、つまり出しっぱなしだから(笑)。少し気になるよね。

SHIHO:
久石さんにとっての、ベストなインプットの方法って?

久石:
暇なこと(笑)。年に1か月とか2か月とか、暇な時間があったほうがいい。

SHIHO:
へえ。

久石:
仕事がないと焦るじゃない。おれはこのまま終わっちゃうんじゃないかって。それで2か月ぐらい暮らしてごらん。人生変わりますよ。真剣になる。

 

「久石譲」の名前をもらったのは…!?

SHIHO:
でも…ここ最近、暇な時なんてありました?

久石:
去年の1、2月は入っていた映画が飛んだので、2か月間、毎日CD聴いて、本読んで、映画見て…。仕事ばかりで切れてしまっていた友達を片っ端から誘って、飲んで、友達活動にいそしむと(笑)。そうしているうちに、やらないといけないことが見えてくるの。だから、何もしない1か月ってあったほうがいいと思う。ヨーロッパの人たちが…。

SHIHO:
あ、休暇に1か月ぐらい行きますよね。

久石:
ね。あれってすごく大事だと思う。休みなんて、取ることないでしょ?

SHIHO:
私、結構取りますよ。週に1日半と、2か月に1回は1週間休むようにしているんです。

久石:
あ、いいなぁ(笑)。

SHIHO:
でも…その時間をボーッと過ごすのか、目的をもって過ごすかで違ってきませんか?

久石:
いや…。ボーッと…。

SHIHO:
するのもいいのかなぁ。私あんまりボーッとできない性分なんです。

久石:
あ、そういうタイプ?(笑)

SHIHO:
ハイ、まさに(笑)。オフの日でもスケジュールはすごいですよ。午前中は何をして、お昼は何をして、午後は誰に会って何をする、みたいな。1分1秒も無駄にしない(笑)。

久石:
アハハハ。それじゃ全然オフにならないじゃない(笑)。

SHIHO:
それを最近やっと変えたんです。1日中家にいることが、やっとできるようになって、悪くはないな、と(笑)。本を読んだり、料理をしてみたり。

久石:
料理はいいですよね。僕はあまりやらないけど、曲ってああいう瞬間に浮かびやすいんです。

SHIHO:
料理をやらない久石さんは、どういう時に曲が浮かぶんですか?

久石:
トイレ、風呂場、ベッドの上(笑)。起き抜けや、夜寝ようとしている時とか。「つくろう、つくろう」としている時っよりも、フッとした時に浮かぶんです。いちばん多いのは、仕事場に行くまでの車の中ですね。そのへんの紙やメモ帳にバッと五線を引いて、頭の中に浮かんだ2小節とかを音符で残す。これがいちばん曲になりやすいんだよね。

SHIHO:
そういえば…久石さんのお茶目な話を聞きました。音楽で表舞台に立つなら、名前をそれなりのものにしないといけないって…。クインシー・ジョーンズをもじったんですって?

久石:
くいし・じょー、久石譲(笑)。スタジオのバイトをしている時に、尺八吹いてる友人と名前を変えようかなぁって飲み屋で話してて(笑)。そいつが「映画音楽とかやってる好きな作曲家、いない?」って言うから、『スパイ大作戦』の音楽をやってたラロ・シフリンって言ったの。それを漢字に当てはめたら、「裸」に風呂の「呂」…。語呂が悪いからこれはやめよう!って(笑)。

SHIHO:
アハハハ。

久石:
で、結局さほど心酔していたわけではないけれど、ブラックコンテンポラリーでは気に入っていたクインシー・ジョーンズになって。で、久石譲。「いいんじゃない? これで!」って(笑)。音大3年生の時に、友達と飲みながらいい名前はないかあなとノリで決めたんです(笑)。

SHIHO:
カンタ~ン(笑)。

久石:
ね(笑)。

SHIHO:
子供の頃からクラシック音楽を聴いていたんですか?

久石:
子供の頃は、なんでも聴きました。絶えず歌っているか、楽器を弾いている子供だったので、「職業」として音楽を選んだつもりはなく、やるのが当たり前だと思っていましたね。それ以外のことは考えたことがないぐらい。

SHIHO:
親の職業とは関係なく?

久石:
まったく。父親は高校の化学の教師でしたから。

SHIHO:
やっぱり好きなことを伸ばしてあげたほうがいいんですね。

久石:
大学を卒業してからは、24歳から33歳ぐらいまで、仕事はなんでもやりましたよ。テレビや記録映画の音楽、レコーディングのアレンジ…。アレンジはすごい量をやりましたね。あまり知られていないけど、「ダンスはうまく踊れない」「飾りじゃないのよ涙は」が入ってる井上陽水さんのアルバム『9.5カラット』は、僕がアレンジしているんです。

SHIHO:
でも、その後、幅広いお仕事のオファーが来るようになって…。それがすごいですよね。すべて自分からアプローチして勝ち取ったんですか?

久石:
いや。この仕事は絶対に取るぞと決めると、来るの。なんの根拠もないのに、友人とかんいは次はこれをやる!とは言いますよね。だから、自分で「こうなりたい」と思ったら、口に出して言ったほうがいいって。

SHIHO:
ホントですね。そういえば、また映画音楽をやられているとか…?

久石:
中国の有名な役者さんで、監督もやってるチャン・ウェンという人の映画音楽を手がけています。あと、ペ・ヨンジュさんが出る韓国ドラマの音楽をやるので、韓国に打ち合わせに行ったり。

SHIHO:
「アジアの風が吹いてる」って予測したとおり、ビュービューに吹いてますねぇ(笑)。

久石:
映画でもなんでも、いい作品に出合うには自分のテリトリーを広げないと。

SHIHO:
そっか…。私も頑張ります。今日はどうもありがとうございました!

久石:
こちらこそ、楽しかったです。

(「LUCi ルーシィ 2007年4月号」より)

 

 

 

Blog. 「音楽の友 2021年8月号」久石譲&石川滋&福川伸陽 鼎談内容

Posted on 2021/08/16

クラシック音楽誌「音楽の友 2021年8月号」に掲載された、久石譲『Minima_Rhythm IV ミニマリズム 4』の発売にあわせた鼎談です。

 

 

特別記事

〈鼎談〉久石譲&石川滋&福川伸陽
久石によるコントラバス&ホルン協奏曲を語る

取材・文=小室敬幸

久石譲が作曲したコントラバスとホルンの協奏曲を収めたCD『ミニマリズム4』のソリストを務めるのは、コントラバスの石川滋とホルンの福川伸陽。二人は、久石の呼びかけで2019年に誕生したフューチャー・オーケストラ・クラシックスのメンバーでもある。アルバム発売に合わせ、久石、石川、福川の3人による鼎談が実現した。

 

長きにわたり映画音楽などエンタテインメントの領域で世界的名声を得てきた作曲家の久石譲。この10年あまりは、本籍地をクラシックに戻し、作曲だけではなく指揮活動も本腰を入れて取り組んできたことは、本誌読者であればすでにご存知であろう。

クラシック、現代音楽の流れに位置する作品も数多く手がけてきた久石だが、意外なことにソリストの付随する管弦楽作品はあっても、「協奏曲 Concerto」と題された楽曲は非常に少ない。久石作品としては珍しい二つの協奏曲──「コントラバス協奏曲」(2015)と、「3本のホルンとオーケストラのための協奏曲《The Border》」(2020)を収めた新譜がリリースされるにあたり、ソリストを務めたコントラバスの石川滋とホルンの福川伸陽、そして久石による鼎談をお届けしよう。

 

名手二人をも唸らせた難曲

久石:
「ある楽器のために曲を書くとなると、その楽器を買う癖があるんです。ギターの曲を書いたときも福田進一さんに選んでもらった高いギターを買いましたし(笑)。今回もコントラバスは石川さんに選んでいただいた楽器を買って、ホルンは福川さんに相談したら空いている楽器があるとのことでお借りしました」

福川:
「ビックリしましたよ(笑)。今まで作曲家さんたちの前でデモンストレーションすることはありましたけど、ホルンを貸してくれとか、吹いてみたいというかたはいらっしゃらなかったですから」

久石:
「それから僕の場合、演奏者と打ち合わせしていくと妥協してしまうから嫌なんだよね。そうすると作品が弱くなちゃう。だからほとんどの場合、完成して楽譜を送ってから、弾けない箇所があれば直すという流れが多いんです」

福川:
「できたよって連絡をいただき、ワクワクして譜面を開いてみると、めちゃくちゃ難しい!絶望のあまり、楽譜をすぐ閉じましたもん(爆笑)。テンポが108ぐらいと書いてあるのに、最初は60まで落としても吹けなかったんですから。なので、それから毎日1刻みでテンポを上げていきながら練習を重ねましたよ」

石川:
「まったく同じ(笑)。弾けないと、またテンポを落としたりして……。でも、コンピュータによる参考音源もいただいていたので、それを聴くとめちゃくちゃ格好いいんです。どんなに難しくても、とにかく弾きたいって思わせてくれましたね」

 

こんなに機動力の求められるコントラバス曲はない

ー作曲する上での問題意識はどこにあったのでしょう。

久石:
「どちらの楽器も、アンサンブルで他の人と演奏したときに能力を発揮する楽器なんですよ。例えば弦楽合奏にコントラバスがなければ、響かなくて音量が半分ぐらいに減りますし、ホルンのないオーケストラって想像できますか? でも今回はソロなので楽器をむき出しにして、この楽器の何が魅力なんだということを真剣に考え直したわけです。コントラバスは、ソロ楽器としてならやはりジャズのウォーキングベースが魅力的ですよね。それはなぜかといえば弦が長くて響くから。……ということはハーモニクスもきっちり使えば良い武器になるはず。でも、それらを十分に活用した楽曲はまだないんですよ。だから、どうやったらその部分が発揮できるのかを考えながら書きました」

石川:
「音域一つとっても高音から最低音まで激しい移動がしょっちゅうあって、こんなに機動力が求められるコントラバスの曲は他にありません(笑)。自分自身にとっては技術的に新しい挑戦をさせていただきましたし、聴いてくださるかたがたにとっても新鮮な作品だと思います」

 

複数のホルンという発想から浮かんできたアイディア

ー一方、ホルンの協奏曲はどのように生まれたのですか。

久石:
「ナガノ・チェンバー・オーケストラのリハーサルのときに、福川さんからホルンの曲を書いてくださいと頼まれたんです。それからホルンの譜面をいろいろ送ってもらいながらアイディアを練っていたんですけど、どうしてもソロ楽器として考えたときにヨーロッパ的な前衛音楽のスタイルしか頭に浮かばなくて……。それで、ソロではなくホルンを複数にすれば、違うものが書けるのではないかと気づいたのですが、この答えが出るまでに2年(笑)」

福川:
「その2年間、久石さんの前で良い演奏をし続けなきゃいけないと思って、プレッシャーでしたよ(笑)」

久石:
「こちらもずっと意識してました(笑)。そのあとミュージック・フューチャー Vol.6(2019年10月25日)の前日か当日に、協奏曲のアイディアが急に浮かんだんですよ。パルスを刻んでいるところに、下から駆け上がってるラインと、逆に上から下へのラインが絶えずクロスしていく。ただそれだけしかない曲を書きたいと。それで2019年2月から構想を練り、およそ1年がかりで作曲しました。主要モティーフを頭に提示したら、それ以外の要素を使わないでロジカルに作ることを徹底した作品になったことで、ミニマル・ミュージックの原点に戻ってきたように聴こえるかもしれないですけど、そうでもないんです。この作品は個人的にとても大事なものになりましたが、それはいわゆる感性や感情、あるいは作曲家の個性に頼らないスタイルができたからです。第2楽章はフレーズのスケールが大きな福川さんだからこそできる音楽になっています」

 

今後は、他の奏者との演奏やピアノリダクション版も視野に

ーこれらの作品が、広く演奏されていくためには何が必要なのでしょう。

福川:
「僕らが演奏を重ね、たくさん聴いてもらって、この曲を演奏したいと思ってくれる奏者を増やすことが第一かなと思っています。これまで僕が委嘱した作品に対して、アメリカやドイツとか海外からメッセージで問い合わせがくることは割とあるんですよ。ホルン3人のコンチェルトって珍しいですけど、僕がどこかのオーケストラに行って、そこの首席奏者と一緒に演奏しようよって提案しやすい曲だとも思っているんです。だから、いろんな所に提案していきたいですし、ありがたい曲ですね」

石川:
「このCDが賞を獲ることですね(笑)。あとは譜面を出版すること。ピアノリダクション版があればリサイタルで弾いちゃおうかなと思ってます」

久石:
「今度出版するんですけど、リダクションのことは考えてなかったなあ。聞けてよかったです」

(「音楽の友 2021年8月号」より)