Blog. 「新日本フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン生誕250年記念 久石譲、ベートーヴェンを振る!」コンサート・プログラム

Posted on 2020/08/06

毎年夏開催「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020」に久石譲が登場しました。「新日本フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン生誕250年記念 久石譲、ベートーヴェンを振る!」公演です。

開催も危ぶまれるほどの状況下、座席数を制限してのホール鑑賞とインターネット有料映像配信によるハイブリッド開催という新しい試みです。コンサートに足運ぶことを待ち望んだ観客は、拍手喝采にわき、オンライン鑑賞は当日のライブ配信から一定期間アーカイブ配信視聴まで楽しめるという、新しいかたちです。

 

 

新日本フィルハーモニー交響楽団
ベートーヴェン生誕250年
久石譲、ベートーヴェンを振る!

[公演期間]  
2020/08/04

[公演回数]
1公演
ミューザ川崎シンフォニーホール

[編成]
指揮:久石譲
ヴァイオリン:豊嶋泰嗣(ソロ・コンサートマスター) *
コンサートマスター:崔文洙(ソロ・コンサートマスター)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
久石譲:Encounter for String Orchestra
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61 *
(カデンツァ:ベートーヴェン/久石譲)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

[参考作品]

久石譲 千と千尋の神隠し 組曲 

 

 

当日会場でも配布された「プログラム・曲目解説」はPDFで閲覧・ダウンロードできます。

公式サイト:フェスタ サマーミューザKAWASAKI 2020|新日本フィルハーモニー交響楽団
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/calendar/detail.php?id=2702

 

 

「Encounter for String Orchestra」は、だまし絵で知られる版画家M.C.エッシャーの同名の作品に触発された楽曲。リズムは変拍子のアフタービートで刻まれ、ミニマル・ミュージックを原点に持つ久石ならではのもの。ピアノと弦楽四重奏のための作品を弦楽オーケストラのために自ら編曲。ミニマル・ミュージックと、弦楽オーケストラならではの抒情的感性とが絡み合い、それぞれの特性が浮かび上がる。

「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」 今回、演奏されるヴァイオリン協奏曲のカデンツァは、そのピアノ協奏曲に編曲する際にベートーヴェン自身が作ったカデンツァをもとに久石譲が再構築したものだ。編曲者によって途中がカットされている版がほとんどだが、久石はそれをせずにベートーヴェンのオリジナルと同じ長さに仕上げた。まさに世界で唯一の完全版で、今回の演奏会が初のお披露目になる。

(プログラムより 一部抜粋)

 

 

 

アーカイブ動画は、《公演を1000円で、8月31日まで、たっぷり3時間、いつでも何度でも、ゆっくり視聴OK》となっています。

内容
久石譲インタビュー
室内楽コンサート
公演
首席ファゴット奏者 河村幹子インタビュー
テレワーク動画「さんぽ」

 

これからますますふえていく、コンサート動画配信、いち早く楽しんでみてください。

公式サイト:TIGET|新日本フィルハーモニー交響楽団 久石譲
https://tiget.net/tours/summermuza20200804

 

 

 

ここからは映像配信の内容をベースとしながらご紹介します。

 

 

指揮者 久石譲インタビュー (約7分)

外出が出来ない時期は何をされていましたか?

久石:
「この5ヶ月間、僕がやっていたのは、ほとんどほんとに家にいたんですけれども、週3回オンラインで英語のレッスンを受け、それから新しいシンフォニーを書く、それからちょっとエンターテインメントのお仕事とか、ほとんどもう作曲に集中して、できるだけ規則正しい生活を、ミニマルの生活と言いますか、それをずっと一生懸命やっていました。」

 

演奏曲目について
見どころ聴きどころ

久石:
「今回演奏するのは、1曲目に僕の「Encounter」というストリング・オーケストラの曲、これが約7分ちょっとでしょうかね、とてもリズム難しいんですけれども、その現代曲をやって。」

「それからベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルト(協奏曲)をやります。このコンチェルトに関しては、ソリストの豊嶋(泰嗣)さんから依頼があって、カデンツァを僕が全部作りました。ただこの場合、新しいフレーズを自分が書くにはちょっとおこがましいので。ベートーヴェン自身がヴァイオリン・コンチェルトをピアノ・コンチェルトに直しました。そのとき初めて本人がカデンツァを書いたんですね。ヴァイオリン・コンチェルトのときは書いてないんですが、ピアノコンチェルトに直したときにカデンツァを書いたんです、かなり長大なカデンツァ。これをベースに作った。それで、普通はピアノ・コンチェルトなので途中いろんなところをカットされるんですが、僕はもう今回はベートーヴェンが書いたとおりのものを、(ソリストと)もうひとりヴァイオリンとチェロとティンパニ、こういうかたちで、いわゆる完璧バージョンとして作り直しました。それから、豊嶋さん自体がですね、15万円ぐらいするのかなあ、なんかわからないけど、自筆のベートーヴェン譜を昔買って、それを徹底的に調べて、通常やってるフレーズとは随分違うフレーズでやってるんで、今回はとてもその、何度も聴いてるかもしれませんけれども、随分違ったベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトになると思います。これはもうほんとに今回初めて聴ける、ほんとのオリジナル完全バージョンということになると思います。」

 

9月1日から新日本フィルハーモニー交響楽団のComposer in residence and Music Partnerに就任

久石:
「今までワールド・ドリーム・オーケストラという、僕と新日本フィルのプロジェクトとして音楽監督やってたんですけれども、今回のコンポーザー・イン・レジデンスになりますと、このオーケストラのために現代曲として作品としてきちんと作曲をし、それからミュージック・パートナーとしても、どちらかというと今度は演奏する側に自分もまわって、きちんと一緒に音楽を作っていく。なにかいろいろなことがあったら相談にのるし、できるだけ一緒にこういう方向に進もうよということを積極的にクラシックの分野でも一緒にやっていこうということになるわけですね。ですから、とても光栄ですし、逆に大変緊張もしています。」

「あと、わりと海外からも委嘱がすごく多いんです。ですから、やはりもともとミニマルをベースにした作曲家だったわけなので、それをこれからは真剣にやりたい。そして、いろいろこうやって新日本フィルさんともその新作を一緒に演っていきたい、そういうふうに思っています。」

 

久石譲さんにとって新日本フィルは○○なオーケストラ?

久石:
「オーケストラというものを一から教えてもらったのが新日本フィルなんですね。たとえば、リハーサルのやりかた、それからオーケストラの人たちが何を大切にしているか、というのをかれこれ30年一緒に仕事をしています。それで、折に触れそういうことを教わってきて、自分が今オーケストラの曲を書いたり、オーケストラを指揮する、それはすべて新日本フィルから教わったことなんですね。だから僕にとっては、ここはほんとにホームグラウンドなんですね。ホームグラウンドで、しかもとても品のある上品な心に訴えてくるサウンドといいますか音と、それからワールド・ドリーム・オーケストラなんかで、僕のミニマル・ミュージックとか随分演ってますので、とても現代性も持っている。そういう長所を、それともちろん、小澤(征爾)さんたちがずっと培ってきたクラシックの非常に伝統的な、その両方をこなせるすごくいいオーケストラなので、恩返しもふくめて、そういう長所を伸ばして一緒にやっていく、そういうオーケストラを目指したいと思っています。」

 

配信をご覧になっている皆さまへ
メッセージをお願いします

久石:
「こういう非常に厳しい状況ですが、我々音楽をやっている人間は、やっぱり音を出す、それがやっぱり命です。今回、新日本フィルハーモニー交響楽団の皆さんも、みんなほんとに燃えてます。ぜひその一生懸命やっているひたむきな演奏を楽しんでください。」

(動画より 書き起こし)

 

 

室内楽コンサート

ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第8番

【出演】
ヴァイオリン:崔文洙、ビルマン聡平
ヴィオラ:篠﨑友美
チェロ:植木昭雄

 

本演前の室内楽コンサートといえば、ふつうはロビーコンサートやウェルカムコンサートなどのような、軽い装いのプログラムと雰囲気をイメージしますが、ステージでの演奏は張り詰めた緊張感がひしひし伝わる迫真の演奏でした。この作品は、”反ファシズムと第2次大戦で亡くなられた方々への哀歌として作曲されたもので、コロナ禍の犠牲になられた方々へ捧げられました。”と紹介されています。コンサートマスターが演奏に入っていることからも並々ならぬ思いが伝わってきます。

 

from ミューザ川崎シンフォニーホール 公式ツイッター
@summer_muza

 

 

プログラム
久石譲:Encounter for String Orchestra
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61 *
(カデンツァ:ベートーヴェン/久石譲)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

 

 

コンサート動画配信は、多数のカメラアングルと、臨場感のあるサウンドです。ライブ配信時の映像と音響をそのままアーカイブ配信していますが、編集や修正の必要のないくらい素晴らしいライブ・クオリティです。

「Backstage Special View」、舞台袖に設置されたカメラで、舞台袖から登場する指揮者や奏者、カーテンコールで出たり入ったりする指揮者やソリストの様子まで。普段のホール客席からは見ることのできない貴重な機会と、本企画ならではの楽しみ方に感謝です。

新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターが二人も同じステージに上がる公演、なかなかない贅沢さだと思います。弦編成は12~10~8~6~6の対向配置と、一般的な弦12型よりも低弦が厚くなっていて(これは久石譲の編成特徴)、ダイナミックなサウンドです。ティンパニは、「ヴァイオリン協奏曲」と「交響曲 第7番」とで使用している種類が違います。(久石譲FOCは本公演「交響曲 第7番」で使用している種類と同じで、また木の撥を使うのも同じじゃないかなと思います。乾いた跳ねるような音質が特徴的です。)オーボエはベテランの方でしょうか、オーケストラのチューニング時はオーボエのラ音に合わせるのですが、そのときに音叉を耳に当てていらっしゃるのが印象的です。また演奏中、オーボエのふとしたフレーズで指揮者久石譲やソリスト豊嶋泰嗣の表情が一瞬ゆるんだり、空気がそこでふわっと変わったり明るくなったり、ちょっとペースを整えたりと。そんな見えない安定感や信頼感といったものが伝わってきました。長年一緒にやっている大御所の方でしょうか。

このように、見れば見るほど、聴けば聴くほどに、新しい発見やおもしろさがありそうです。動画配信ならではの楽しみ方です。

 

お客さんの数は、いつもより少ないはずなのに。カーテンコール、鳴りやまない拍手喝采に、着替えかけのTシャツ姿の久石譲が再登場。豊嶋泰嗣さん、崔文洙さん、コンサートマスターお二人も現れ、客席へ応えている笑顔は、このコンサートの成功を映しているようでした。

 

公演風景の写真2枚お借りしました。(計4枚中)

from ミューザ川崎シンフォニーホール 公式ツイッター
@summer_muza
https://twitter.com/summer_muza/status/1290596877428088832

 

 

また主催者オフィシャルブログでも公演の様子と観客感想が紹介されています。ぜひご覧ください。

公式サイト:ミューザ川崎シンフォニーホール|オフィシャルブログ|8/5日 第11号
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/blog/?p=13230

 

 

まだ間に合う!

アーカイブ動画は、《公演を1000円で、8月31日まで、たっぷり3時間、いつでも何度でも、ゆっくり視聴OK》となっています。

 

内容
久石譲インタビュー
室内楽コンサート
公演
首席ファゴット奏者 河村幹子インタビュー
テレワーク動画「さんぽ」

公式サイト:TIGET|新日本フィルハーモニー交響楽団 久石譲
https://tiget.net/tours/summermuza20200804

 

 

Blog. 「レコード芸術 2020年8月号」ブラームス:交響曲第1番 久石譲 FOC 最新盤レヴュー・評

Posted on 2020/07/27

クラシック音楽雑誌「レコード芸術 2020年8月号 Vol.69 No.839」、先取り!最新盤レヴュー コーナーに『ブラームス:交響曲第1番/久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス』が掲載されました。

ここで紹介されるものは、次月号「新譜月報」に登場するディスクから要チェックアイテムを先行紹介するもの、来月号にも期待です。

 

 

先取り!最新盤レヴュー

一騎当千の手練たちがバンドのように燃焼する

久石譲とフューチャー・オーケストラ・クラシックスのブラームス:交響曲第1番が登場

 

ベートーヴェンをきっかけに風向きは変わり始めた

久石譲は、宮崎駿監督のアニメなど映画音楽の作曲家として名高いが、近年はクラシック音楽の指揮者としても活躍している。

国立音楽大学作曲科の学生時代に影響を受けたミニマル・ミュージックの紹介と、自作の新作初演にも力を入れているが、それと並行して、19世紀の交響曲の指揮でも着実に経験を重ねて、成果をあげつつある。

10年ほど前、東京フィルや新日本フィルを指揮した演奏会やそのライヴ録音のCDが出はじめたころは、博物館行きではない、生き生きとした音楽を聴かせたいという思い自体はよくわかったものの、楽員たちとの意思疎通にもどかしさが残り、十分な結果につながらないうらみがあった。

しかし、評価は変わりつつある。転機となったのは、2016年に開館した長野市芸術館の芸術監督として、新たに結成したナガノ・チェンバー・オーケストラ(CDではフューチャー・オーケストラ・クラシックスと改称)を18年まで毎年夏に指揮して、ライヴ録音によるベートーヴェンの交響曲全集を完成させたことだ。

本格派を自負するようなクラシック好きはどうしても、その活動を「アニメで儲けた作曲家の余技」と、よく聴きもしないうちに軽侮しがちだが、それだけで片づけてしまうにはもったいない演奏を、このベートーヴェンでは聴くことができた。

現在は、ベートーヴェンの交響曲はヨーロッパを中心に、第1ヴァイオリン12人以下の編成で演奏するものが主流となっている。久石もその傾向に則り、室内オーケストラのサイズで、快速で弾力に富んだ演奏を展開していた。

 

一気呵成に進行するダイナミックな音楽

今回のブラームスの交響曲第1番も、同様の方式によっている。弦楽器は10~10~8~6~5という編成で、ヴァイオリンは舞台の左右に分かれる対向配置。チェロとコントラバスは第1ヴァイオリンの後ろにいる。

ヴィブラートは少なめに、音の減衰を早めにして弾ませ、第1楽章の序奏から速いテンポで、音楽を一気呵成に進行させる。チェロとコントラバス、打楽器とハープ以外の全員が立奏しているのも、音楽のダイナミックな動きにつながっている。

現代のブラームス演奏は、前期と後期のロマン派様式の境目に位置して、どちらもさかんなだけでなく、双方に利点と説得力がある。久石の演奏はもちろん前者だ。

ナガノ・チェンバー・オーケストラから新たに東京を活動の中心に移し、フューチャー・オーケストラ・クラシックスと名を変えたアンサンブルには、国内の交響楽団の首席奏者など俊英がつどって、まことにイキがいい。久石の指揮のもと、思いきりやってやろうという意欲が伝わってくる。

顔の見えない巨大集団ではなく、個性を持った演奏家たちがバンドのように合奏する。近年のヨーロッパのありかたが、ようやく日本にも伝わってきているようで、嬉しい。コンサートマスターの近藤薫、ホルンの福川伸陽などのソロの鮮やかさも際だっている。

来年7月までにブラームスの残りの交響曲を演奏する計画は、コロナ禍のために中止となってしまったが、再起と実現を待ちたい。

山崎浩太郎

(レコード芸術 2020年8月号 Vol.69 No.839 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「ダカーポ 1998年2月18日号 NO.391」久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/05/21

雑誌「ダカーポ 1998年2月18日 NO.391」に掲載された久石譲インタビュー内容です。『もののけ姫』『HANA-BI』そして『パラリンピック』の話題になっています。

 

 

インタビュー

久石譲

宮崎、北野作品で鍛えられた成果を長野パラリンピックで表現したい

宮崎駿作品、北野武作品などの音楽監督として知られる久石氏は、3月5日から始まる長野パラリンピックの総合プロデュースも手がけている。その一環として、ドリアン助川、猿岩石、池田聡、米良美一といった、20人以上の人気アーティストがボランティアで参加した、パラリンピック支援(トリビュート)アルバム『HOPE』を2月25日にリリースする。

 

ーアルバムの企画はどのような経緯で出てきたんだですか?

久石:
「パラリンピックの文化イベントの総合プロデューサーをやっていて、それなりに自分では十分やってたと思っていたんですけど、10月に、たまたまテレビでドキュメンタリーで清水さんという、パラリンピックの選手を20年間ボランティアで追い続けている人のドキュメンタリーを見て、感動しましてね。オレはまだ音楽家として、ちゃんとやることをやっていないかもしれないと、急に思い立って。それが去年の暮れ。でもどう見ても時間がないわけですよ。仕事っぽくなるのも嫌だったから、事務所を通さずに一人一人電話して、こういう趣旨でというのを説明して口説いて、それで始まったんですけどね」

 

ー反応はどうでしたか?

久石:
「もちろん事情でできない人もいましたけど、話をして、直接お会いして意図を説明したら、ほとんどの人がOKだったんです。印税も、何%とか面倒くさいこといわず、諸経費を除いた全額寄付する。この辺が潔いというか、そう決めたらみんな分かってくれて、とても協力的でした」

 

ーパラリンピックテーマ曲でコンビを組んだドリアン助川さんの作詞も2曲入っていますね。

久石:
「そのテーマ曲『旅立ちの時』を彼が朗読して、僕がピアノを弾く予定だったんですよ。そのつもりでスタジオに入ったら『旅立ちの時』のイントロともいえる、まったく新しい詩を書いた詞で臨んできたんです。気合が入ってるなーと思って、ドリアンさんの朗読と僕のピアノだけの、ほかは一切使わない一騎打ち勝負の『鮮やか』という新曲を2人で録りました」

 

ー猿岩石はどうでしたか?

久石:
「これがうまかった。猿岩石の『上を向いて歩こう』がすごくいい。4PMとか長渕さんとか、いろんな『上を向いて歩こう』があるけど、それとはまったく違う素朴さがあって、ストレートな青春ソングというか、すごくいい上がりでしたね。今まで聞いた『上を向いて歩こう』の中では一番好きですね」

 

ーアルバムのプロデュースに関して、統一したイメージはありましたか?

久石:
「イギリスの画家でフレデリック・ワッツという人に『ホープ』という、僕が昔から大好きな絵があるんですよ。目に包帯を巻いた女性が地球に座って、竪琴を弾いているんですね。小さな竪琴で、全部糸が切れているんです。それで1本だけ細い線が張ってあって、それに耳を近付けて聴いている。この絵をコンセプトにして、全員に送って見てもらったんですよ。

要するに、何も縛らない、ただ、この絵が持っているイメージだけ。見ようによってはすごい絶望的な絵なわけです。だけど同時に、これ以上ないような絶望の中でも希望は捨てないという、前向きな絵にも見えるわけですね。

この絵を見て、曲を書いてもらったり、パフォーマンスしてもらったんです。そうしたら、まったく違うそれぞれの個性が生きながら、全員で同じ風景を見ているような、そういう統一感のようなものが、このアルバムにはできたんです。それがすごくうれしかった」

 

ーそもそもパラリンピックの総合プロデュースをすることになったいきさつを教えてください。

久石:
「一番大きかったのは、僕も長野県出身であることだと思うんです。最初にパラリンピックのテーマ曲を書いてくれと依頼されたときに、僕は福祉を一生懸命やってきたりとか、そういうボランティアをやってきた人間ではないもので、ちょっといいメロディーを書くというだけでは、どうも重く感じてしまったんですよ。

それでしばらく待ってもらって、出た結論は、やるからにはすべて自分もかかわるということで、一スタッフとして参加しますと言ったら、今度はこういうプロデューサーをやっていただきたいと言われて。それもまたすごいヘビーでしょう。

どうしようかと思ったんですけど、その時の自然の流れで、やろうかなと。僕自身、宮崎駿さんとか北野武さんとか、いい監督と映画中心に仕事をして、ビジュアルに関しては分からない方ではないと思うので、開会式の演出を引き受けたんですよ。自分の新しい可能性も出るかもしれないし」

 

ー開会式のプランは?

久石:
「メーンが火ですからね。普通ああいう室内でやるときは火なんてそんなに使えないんですけど、盛大な火が出ますね。あと、空中戦で。いろんなバンジージャンプはあるわ、空から人は降ってくるわ。大スペクタクルですよ。

いろんな出し物をつなげるだけや、ストーリーに縛られてしまって、みんながイメージが広がらないのは嫌だから、バックストーリーを作って、それを前面に出さないで、そのストーリーから組み立てた4つのシーンという感じで構成します。イベントとしては一番手間暇かかる方法らしいですけど」

 

ー実際の競技も、見た人は一様に”半端じゃなくすごい”と言います。ドリアン助川さんも、選手たちを「超人」と評していました。

久石:
「本当に、彼らの持っている力というのは、見ているだけでわれわれも勇気づけられちゃいますよ。今の時代で、一番21世紀に近いことを考えやすいんじゃないかな」

 

ーといいますと?

久石:
「つまり、今のオリンピックは、どうしても経済性が前面に出てしまうじゃないですか。お金とかいろんなもので幸せになる環境があるなら、それもいいんですね。

だけど、どう見ても経済は破綻しているし、そういうことで幸せになることがないとしたら、逆に自分と隣の人とのかかわりとか、家族とのかかわりとか、そういうところを考え直した方がいいんじゃないかと、パラリンピックを担当したことによって、僕はものすごくそういうことを考えました。

でっかいビルを建てるよりは、車イスの人のスロープを緩やかに作ってあげるとか、きめ細かい配慮をしていることというのが、僕たちにとってもすごく幸せになるような。つまり生活環境がよくなるわけですよね。そういうことの方がいいような気がする」

 

『HANA-BI』の音楽は、大胆なアプローチで成功

ー昨年の『もののけ姫』、今年の『HANA-BI』。映画音楽監督としても話題作が続きました。

久石:
「『もののけ姫』はそれこそ足かけ3年間、イメージアルバム、サウンドトラックとかかわっていて、宮崎さんのすさまじい情熱に、こちらも負けてはいけないわけですから、こっちもパワー全開で、音楽的にも全部シンセで作ったのを、オーケストラでやり直したりとかいろいろして、やれる限りのことを尽くした。これでダメだったらごめんなさいというところまでやり切れたという満足があります」

 

ー公開中の『HANA-BI』に関しては?

久石:
「これも北野さんの映画の中では、今までの集大成みたいな部分と、新しく歩みだそうという姿勢が結実していて、ある意味で分かりやすくて、本当に人に語りかける映画ですから、完成度がすごく高かったんですね。その音楽に関して自分は、アプローチは相当大胆にやったんですよ。

あの映画には3つの要素があると思うんです。主人公の刑事と、犯人に撃たれて下半身不随になる同僚との友情。夫婦の愛。それからバイオレンス。ぼくはこのバイオレンスのシーンに、音楽を一切付けなかったんです。通常はそういうシーンにも必要になるんですけれど、これはいりませんと言い切って。同僚が画家になっていくシーンと、夫婦のシーンにしか付けなかったんです。

そのことによって、非常に徹底した音楽を書いたという思いがある。それでも0号試写を見るまで、本当にそれで良かったのか悩んでいたんですが、すごくうまくいっていた。無難な路線を選ばない、徹底したアプローチが、映画として成功したのが、自分としてはものすごく満足しましたね」

 

ー北野監督は何か?

久石:
「監督と僕というのは、そんなにああだこうだと話さないんですよ。この前一緒にテレビに出たときに言ってましたけど、自分が映像を撮って『はいどうぞ、お好きに』とぽーんと投げかける。僕はそれを『分かりました』というだけで作らなくちゃいけないから、やり方としてはしんどい」

 

ーそれだけ信頼されている?

久石:
「北野さんと宮崎さんに共通して言えるのは、すごく音楽的な感性がしっかりしている。理論的じゃなくても、感覚的にこの映像と違っているということには、あの2人は徹底的に言いますから。そうならないように僕も努力してますけど、その辺のやりとりというのは、表面は静かですけれど、壮絶な闘いというのはあるんです」

 

ー久石さんにとって宮崎さんはどういう人なんですか?

久石:
「人生の師匠ですね。よく一般の人が誤解するのは、もう何本もやっているから慣れてるでしょう、と言われるんだけど、そういうことは一切なくて、僕は一本一本が勝負で、もし一回でも期待に沿えないものができたら、次はないです。そのスタンスはお互いにすごく明確。

そういうところで仕事してきて、ふっと前を見ると、宮崎さんという人が、一映画監督という域を超えて、時代のオピニオンリーダーのようになっている。その宮崎さんと、音楽家としていいメロディーを書くということではなくて、互角に渡り合わなくてはいけない。そう思ったときに、宮崎さんが読んでいた本、影響を受けた作家、堀田善衞さんとか司馬遼太郎さんとか、全部読み直しました。それで、何でこのシーンがここにあるのかということなんかを、すごい徹底的に考えることによって、もう一度もっと偉大な宮崎さんを発見しました。僕にとって、生きていく上での座標ですね」

 

ー北野さんのすばらしさはどういうところに感じていますか?

久石:
「口で言うのはものすごく難しいんですけど、すごくシャイな人ですよね。自分という世界を本当にしっかり持っている。なおかつ、大半の日本人がなってしまっている、人頼みのところがない。達観しているところがありますよね。ある種の哲学的な深さ。口では何も言わないんだけど、いるだけでそういうものを感じさせる人です。会うと、次の映画の話ばかりしてますよ」

(「ダカーポ 1998年2月18日号 NO.391」より)

 

 

 

久石譲 『長野パラリンピック支援アルバム HOPE』

 

久石譲 『もののけ姫 サウンドトラック』

 

HANA-BI サウンドトラック

 

 

 

Blog. 「紅の豚 サウンドトラック」(LP・2020) 新ライナーノーツより

Posted on 2020/04/11

2020年3月11日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「魔女の宅急便」「紅の豚」の2作品のイメージアルバム、サウンドトラックに、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。「魔女の宅急便」「紅の豚」各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲の5本目のコラボレーション『紅の豚』の音楽は、それまでの4作品と同様、最初に久石が宮崎監督の音楽メモとイメージボードからインスピレーションを得てイメージアルバムを制作し、その後、改めて本編のサントラを作曲するという方法論で制作された。しかしながら、実際の制作過程では、それまでの4本の方法論には見られなかった2つの大きな要素が加わることで、スコア全体にユニークな特徴がもたらされた。ひとつは、ジャズという要素。もうひとつは、久石が制作した(映画と直接関係ない)オリジナル・ソロ・アルバムに宮崎監督が注目し、その収録曲をスコアの中に用いたという要素。そしてその2つは、本作の時代設定でもある1920年代という時代と密接に関わっている。

まず、イメージアルバムの段階で作曲され、本編にもそのまま登場することになったテーマとしては、《帰らざる日々》の原型にあたる《マルコとジーナのテーマ》(イメージアルバム)、《Flying boatmen》の原型にあたる《ダボハゼ》(イメージアルバム)、そして《ピッコロの女たち》の原型にあたる《ピッコロ社》(イメージアルバム)などがある。その中で最も重要な楽曲は、『紅の豚』のメインテーマとなった《帰らざる日々》、すなわち主人公の飛行士ポルコ・ロッソ(=マルコ・パゴット)とホテル経営者マダム・ジーナとの関係を表現したジャズ・ピアノのテーマだ。

オーケストラを駆使する映画音楽作曲家にして前衛的なミニマル・ミュージックの作曲家、というイメージが強い久石ではあるが、学生時代からマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、マル・ウォルドロンの音楽を愛聴していた久石は、実はジャズ的な語法を活かした音楽も得意としており、とりわけウォルドロンのピアノから受けた影響は非常に大きい。

『紅の豚』の物語は、1920年代のイタリア・アドリア海を舞台にしながら展開していく。当時は”ジャズ・エイジ”と呼ばれるほどジャズが隆盛を極めていたので、久石が主人公マルコとジーナを表すテーマをジャズ・ピアノで表現したのは、時代考証的にも理に適った選択だと言えるだろう。実際このテーマは、酒場のピアノが演奏するジャズという設定で、本編の中で初めて流れてくる。それが本盤に聴かれる《帰らざる日々》だ。

ただし、このテーマがジャズ・ピアノで書かれた理由は、それだけではない。

ジーナは戦死した夫の戦友でもあるポルコに想いを寄せ、ポルコも彼女の感情を気付いてはいるが、さまざまな要因によって、ふたりが一線を越えることはない。ふたりの関係を仮に”ロマンス”と呼ぶにしても、その”ロマンス”は決して成就することはない。少なくとも、それがポルコにとっての男の美学であり、彼のダンディな生き方でもある。

ある程度、名作映画をご覧になっているファンならば、そうした男のダンディズムの原型を『カサブランカ』でハンフリー・ボガートが演じた主人公に見出すことが出来るだろう(ポルコが着ているトレンチコートは、明らかにボガートを意識しているし、物語の最後、ポルコが17歳の設計技師フィオを”カタギの世界”に戻すシーンは、『カサブランカ』の有名なラストへのオマージュとみなすことも可能である)。そして『カサブランカ』と言えば、ジャズのスタンダード・ナンバーとしてもおなじみの主題歌《時の過ぎ行くままに(アズ・タイム・ゴーズ・バイ)》だ。

つまり《帰らざる日々》のジャズ・ピアノのテーマは、『カサブランカ』の映画的記憶を音楽で呼び覚ます役割も担っているのである。ただし久石は、このテーマを《時の過ぎ行くままに》風に書くのではなく、あくまでも宮崎監督の世界観に即しながら、彼らしい音楽、すなわち”久石メロディ”に基づくテーマとして書いてみせた。そこがこのテーマの素晴らしい点であり、ひいては『紅の豚』を『紅の豚』たらしめている最も重要なポイントと言っても過言ではない。

イメージアルバムから生まれた他の曲について簡単に触れておくと、空賊マンマユート団のテーマ《Flying boatmen》は、軍隊行進曲の一種のパロディとして書かれている。勇敢なようで、どこか間の抜けた空賊たちのキャラクターを巧みに表現した楽曲だ。ピッコロ社で働く女工たちの陽気なテーマ《ピッコロの女たち》は、途中からマンドリンが演奏に加わるが、その楽器の選択がイタリアという舞台設定を反映しているのは言うまでもない。

『紅の豚』のイメージアルバム制作とほぼ並行する形で、久石は自身のソロ・アルバム『My Lost City』を1992年2月にリリースした。当時久石が愛読していたF・スコット・フィッツジェラルドの作品にインスパイアされ、フィッツジェラルドが描いた1920年代、つまり”ジャズ・エイジ”の時代をテーマにした作品である(アルバム名もフィッツジェラルドのエッセイ集のタイトルに由来)。『紅の豚』も同様に1920年代を舞台にしているが、『My Lost City』の時代設定はあくまでもフィッツジェラルドに由来するものであって、決して『紅の豚』から着想したわけではない。にも拘らず、自分のソロ・アルバムと宮崎監督の最新作が偶然にも同じ時代を扱っていることに、久石は「とても運命的なものを感じた」という。

『My Lost City』リリース後、久石は完成したばかりの『紅の豚』のイメージアルバムと共に、自分の最近の音楽活動の例として『My Lost City』を宮崎監督に贈った。『My Lost City』を聴いた宮崎監督はその音楽を気に入ったばかりか、「あの曲が欲しい。全部『紅の豚』に欲しい」「イメージアルバムと『My Lost City』を取り替えてください」と自分の希望を久石に伝えた。ここから、『紅の豚』のサントラが大きな発展を遂げ始める。

物語中盤、ポルコは秘密警察から逃れるため、まだテスト飛行も終えていない飛行艇サボイアをアクロバティックに操縦し、ミラノの運河から離陸を試みる。そのシーンにまだ音楽が付いていなかった段階で、宮崎監督の提案により、『My Lost City』収録曲のひとつ《Madness》をテスト的に当てはめてみると、まるで初めからこのシーンのために書かれていたかのように映像と音楽が見事にハマり、スタッフ全員が驚嘆した。それが本盤に聴かれる《狂気 ー飛翔ー》である(サントラ収録に際しては、オリジナル音源に若干の編集が施されている)。

《狂気 ー飛翔ー》すなわち《Madness》は、ピアノ・ソロが正気の沙汰とは思えない(=Madness)速いパッセージを演奏する、一種のトッカータとして書かれている。なぜ久石がそのような音楽を書いたかと言えば、『My Lost City』制作当時、日本のバブル経済が達していた崩壊寸前の”狂乱”状態と、1929年の世界大恐慌直前まで人々が浮かれていたジャズ・エイジの”狂騒”が重なり合うのではないかと、アーティストとしての久石の本能が敏感に反応したからである。わかりやすく言えば、《Madness》は「こんな綱渡りみたいな曲芸に浮かれているなんて、日本のバブルは正気の沙汰じゃないよ」と警鐘を鳴らした音楽だ。その音楽が表現している”曲芸”の危うさを、宮崎監督は文字通りアクロバティックな飛行シーンのスリルに読み替えたのである。宮崎監督の眼識の鋭さ、久石の音楽に対する理解の深さが現れた一例と言えるだろう。

さらに『My Lost City』からはもう1曲、《1920~Age of Illusion》と題されたトラックが骨格となり、ポルコが空賊退治に出かけるオープニングシーンの楽曲《時代の風 ー人が人でいられた時ー》が生まれた。原曲にはなかった、激しく上行と下行を繰り返すミニマル風の音形を弦楽器が演奏することで、映画全体の要となる”飛翔感”が見事に表現されている。

この他、本編においては、フルートとマンドリンでイタリア的な情緒を表現したフィオのテーマ《Fio-Seventeen》、ポルコとフィオが飛行艇から見下ろす、アドリア海沿岸の牧歌的な風景をクラリネットのワルツで表現した《Friend》、ジーナの最初の夫ベルリーニが天空の雲に吸い込まれていく幻想的な光景をフェアライトの儚いシンセサイザーで表現した《失われた魂 ーLOST SPIRITー》など、いくつもの忘れ難い楽曲が登場する。しかしながら、基本的には先に述べた2つの要素、すなわちジャズと『My Lost City』という要素が、『紅の豚』を単なる飛行機アクションに終わらせず、映画としての深みをもたらすことに貢献した最大の音楽的要素ではないかと筆者は考えている。

本盤の最後には、本編でジーナの声を担当した歌手・加藤登紀子のヴォーカル曲が2曲収録されている。まず、先に触れた酒場のシーンで、ジーナが歌うシャンソンの《さくらんぼの実る頃》。パリ・コミューンの一員だったジャン=バティスト・クレマンが書いた詞に歌手アントワーヌ・ルナールが曲を付けたもので、クレマンはこの曲をコミューンの女性衛生部隊員に捧げた。クレマンの歌詞は、表面的にはさくらんぼの実る頃、つまり春に経験した恋煩いとその苦い結末を振り返った内容となっているが(ジーナもその歌詞に自分の心情を託している)、パリ・コミューン崩壊後、このシャンソンは”革命の挫折”という文脈でパリ市民たちに歌われるようになった。そしてエンドロールで流れる《時には昔の話を》は、1987年の加藤のアルバム『MY STORY/時には昔の話を』収録曲がオリジナル。偶然かもしれないが、歌詞の中にはスタジオジブリの社名の由来にもなった「熱い風」(イタリア語ではGhibli=ジブリ)という言葉が出てくる。

前島秀国 Hidekuni Maejima サウンド&ヴィジュアル・ライター
2020/1/10

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

紅の豚/サウンドトラック

品番:TJJA-10023
●主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」歌:加藤登紀子
アコースティックなサウンドにこだわって約70名のフルオーケストラで録音。(初版1992.7.25)

SIDE-A
1. 時代の風 -人が人でいられた時-
2. MAMMAIUTO
3. Addio!
4. 帰らざる日々
5. セピア色の写真
6. セリビア行進曲
7. Flying boatmen
8. Doom-雲の罠-
9. Porco e Bella
10. Fio-Seventeen
11. ピッコロの女たち
12. Friend
13. Partner ship
SIDE-B
1. 狂気 -飛翔-
2. アドリアの海へ
3. 遠き時代を求めて
4. 荒野の一目惚れ
5. 夏の終わりに
6. 失われた魂-LOST SPIRIT-
7. Dog fight
8. Porco e Bella-Ending-
9. さくらんぼの実る頃
10. 時には昔の話を

音楽/久石譲
歌/加藤登紀子(SIDE-B M9 & M10)

 

Blog. 「魔女の宅急便 サントラ音楽集」(LP・2020) 新ライナーノーツより

Posted on 2020/04/11

2020年3月11日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「魔女の宅急便」「紅の豚」の2作品のイメージアルバム、サウンドトラックに、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。「魔女の宅急便」「紅の豚」各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲の4本目のコラボレーションとなった『魔女の宅急便』は、スコア全体に聴かれるメロディアスな曲想と、多彩な独奏楽器の使用が見事にマッチした作品である。そうした作曲の方法論を選択した理由について、久石自身が著書『I am 遥かなる音楽の道へ』で具体的に語っているので、まずはそれを引用する。

”「『魔女の宅急便』は、主人公の女の子が親から自立して、さまざまな困難を乗り越えて成長していく姿を描いている。だから、心情的なマイナーな──短調の──音楽をできるだけやめ、明るい音楽だけにした。それが宮崎さんと高畑さんの狙いだった。(中略)この作品では、あらかじめ松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」がテーマ曲に決まっていたから、僕もそれを中心に音楽を組み立てていった。だから、いわゆる久石メロディとは違った、ポップス・メロディに非常にちかいものになり(中略)具体的なメロディ・ラインをもっている曲がとても多い。(中略)舞台は北欧、主人公は魔女という設定ではあるけれど、実際に舞台となる街には、なにか現実の地中海地方の雰囲気があった。だから、音楽も、あの地方の民族舞曲の要素を採り入れて、地中海的なニュアンスのものにしてみた。そのため、これまでの宮崎作品ではあまり使ったことがない、アコーディオンとかギターとかいった楽器を多用した」”(久石譲『I am 遥かなる音楽の道へ』69-71ページ)

この作曲家自身の言葉に音楽の本質的な部分がすべて語り尽くされているが、敢えてそこに説明を付け加えるならば、オカリナ、アコーディオン、そして数々の木管楽器など、息=風(ウィンド)を吹き込む楽器がスコアの中で多用されているという特徴を挙げることが出来る。”息=風”は、主人公キキがホウキに跨って飛ぶ”空の風”の象徴であり、彼女が暮らすコリコの街に漂う”空気感”の象徴であり、ひいては彼女自身の”生命の息吹”、つまり生命力の象徴でもある。もし、リスナーが本盤を聴いて「元気づけられる」「精一杯生きてみたくなる」と感じたら、それは久石がキキの成長物語を音楽で表現しながら、人間の生命力を肯定的に讃えているからだ。

音楽の制作過程を概観しておくと、まず公開1年前の1988年7月に第1回音楽打ち合わせが持たれたが、本編の制作進行スケジュールが非常にタイトだったため、高畑勲が音楽演出(ハリウッドのミュージック・スーパーバイザーに相当する)を引き受けることになった。翌1989年4月に『魔女の宅急便 イメージアルバム』をリリース後、5月から本格的なサントラ制作の打ち合わせが始まったが、その時点で本編が前半分のパートまでしか完成しておらず、しかも久石のソロ・アルバム『PRETENDER』ニューヨーク録音のスケジュールが重なってしまったため、1ヶ月間作業が中断。6月に帰国後、久石は追加作曲と編曲を瞬く間に仕上げ、7月頭にフル・オーケストラの楽曲を収録。そして7月29日の全国公開に間に合わせるという、現在では考えられない綱渡りのスケジュールで完成した。たとえ魔法使いのキキであっても、そんな”魔法”は不可能だろう。しかし、完成したサントラはタイトなスケジュールの痕跡を全く感じさせない、伸びやかで幸福な音楽が展開している。

以下、本盤収録曲を概説していく。

本編冒頭、キキが旅立ちを決意するシーンで流れる《晴れた日に…》(イメージアルバムでは《世界って広いわ》)は、本作でメインテーマの役割を果たすワルツの楽曲。オカリナとオーボエでメロディが導入された後、アコーディオン、マンドリン、ツィンバロンなど、地中海な音楽を連想させる楽器が多用されている。

彼女の旅立ちを家族や隣人たちが見送るシーンの《旅立ち》(イメージアルバムでは《かあさんのホウキ》)は、アコーディオンが”郷愁”を感じさせる、しっとりとしたテーマ。

次の《海の見える街》は、イメージアルバムの《風の丘》と《ナンパ通り》をベースにした楽曲。前半部の《風の丘》の部分は、キキの目に映った街のよそよそしさを反映するかのように、木管と弦のピツィカートがメロディを折り目正しく演奏する。バッハ風の間奏をはさみ、人々がキキの姿に感嘆の声を上げる後半部の《ナンパ通り》の部分になると、ギターやカスタネットを多用したフラメンコ風の音楽となり、キキの躍動感と期待感を表現する。

キキが忘れ物を届けに行くシーンの《空とぶ宅急便》は、メインテーマがベース。

彼女が、オソノさんのパン屋で働き始めるシーンの《パン屋の手伝い》(イメージアルバムでは《パン屋さんの窓》)は、アコーディオンを用いたコンチネンタル・タンゴのスタイルで書かれた楽しい楽曲。実質的には、オソノさんのテーマと見ることが出来る。

曲名通りのシーンで流れる《仕事はじめ》(イメージアルバムでは《元気になれそう》)は、民謡風のメロディを特徴とするシンセサイザーの楽曲。

「トムとジェリー」風のアニメの音楽という設定で流れてくる《身代わりジジ》(イメージアルバムでは《リリーとジジ》)は、調子っぱずれのホンキートンク・ピアノがユーモラスな楽曲。作曲者がのちに語ったところによれば、20世紀前半のアメリカで流行したディキシーランド・ジャズを意識した曲だという。

どこかのんびりしたチューバが老犬ジェフの緩慢な仕草を表現した《ジェフ》は、曲名通りジェフのテーマ。中間部には、軍楽隊風にアレンジされたメインテーマのワルツも登場する。

《大忙しのキキ》と《パーティーに間に合わない》の2曲は、上述の《海の見える街》後半部のフラメンコ風の音楽を基にした楽曲。

《オソノさんのたのみ事…》は、《旅立ち》のテーマをヴァイオリンとアコーディオンのソロでしんみりと演奏したバージョン。

キキと仲良くなった少年トンボが、彼女をプロペラ自転車に乗せて走るシーンの《プロペラ自転車》(イメージアルバムでは《トンボさん》)は、実質的には、トンボのテーマ。後半、ふたりを乗せた自転車が宙に浮かぶと、どこか田舎臭いワルツの音楽に変わる。

《とべない!》は、キキの魔法が弱くなり、飛べなくなってしまうシーンのために書かれたサスペンス音楽。本編では未使用となったが、彼女が直面する危機を表現した「危機のテーマ」と言える。

トンボからの電話にもまともに答えず、ひとり部屋に籠もってホウキを作るシーンの《傷心のキキ》(イメージアルバムでは《町の夜》)は、本編全体の中で唯一登場する「心情的なマイナー(短調)」の音楽。ただし、楽曲後半にアコーディオンやマンドリンが登場することで、本作の他の(長調の)楽曲と世界観の統一が図られている。

絵描きの少女ウルスラの誘いに応じ、キキが森の中のウルスラの小屋に泊まりに行くシーンの《ウルスラの小屋へ》は、メインテーマのワルツをほぼそのまま再現することで、キキが魔法を取り戻すきっかけを見出したことを暗示している。

その小屋の中でウルスラがキキを励ますシーンの《神秘なる絵》は、本作全体の中でも特にユニークな存在感を放っている楽曲で、オカリナ風のシンセによって演奏される。オカリナは、数あるウインド・インストゥルメント(管楽器)の中でも、最もシンプルかつプリミティブな楽器のひとつである。どこか太古の響きを感じさせる音色は、生命の根源そのものの象徴であり、わかりやすく言えば生命力そのものを象徴している。そのオカリナの音色をこのシーンに用いることで、人間としての自然治癒、自己回復を表現した楽曲と見ることが出来る。

《暴飛行の自由の冒険号》は、先に触れた未使用曲《とべない!》、つまり「危機のテーマ」をテンポを速めてアレンジした楽曲。本編では用いられなかった後半部では金管セクションが加わり、いやが上にもサスペンスを盛り上げる。

《おじいさんのデッキブラシ》は、飛行船に取り残されたトンボをキキが救いに向かうアクション・シーンのために書かれたが、最終的に本編未使用となった。《海の見える街》前半部のテーマを007風にアレンジした活劇調の音楽で、手に汗握るスリルとサスペンスを見事に表現した、本盤の中で最も聴き応えのある楽曲である。

そして物語の最後は、メインテーマのワルツを回帰させた《デッキブラシでランデブー》で華やかに締め括られる。

なお、『魔女の宅急便』公開30周年にあたる2019年8月、久石は本盤収録曲から《空とぶ宅急便》《オソノさんのたのみ事…》《ウルスラの小屋へ》を除く全曲をオーケストラ用に再構成した《交響組曲「魔女の宅急便」》を世界初演した。おそらく今後は、その形での演奏の機会が増えてくると思われる。

本盤の最後には、松任谷由実(荒井由実名義)が歌う挿入歌《ルージュの伝言》と《やさしさに包まれたなら》が収録されている。

まず、オープニング・タイトルにおいて、キキがホウキで飛びながら聴き入るラジオの曲、という設定で流れてくる《ルージュの伝言》(1975)のオリジナルは、松任谷のサード・アルバム『COBALT HOUR』収録曲。そしてエンディングで流れてくる《やさしさに包まれたなら》(1974)のオリジナルは、もともと不二家ソフトエクレアのCM曲として書かれた楽曲である。前者はフィフティーズのロカビリースタイル、後者はカントリーミュージックのスタイルでアレンジされており(いずれも松任谷正隆が担当)、それが特定の時代に縛られない本作独自の世界観にマッチしていると言えるだろう。

前島秀国 Hidekuni Maejima サウンド&ヴィジュアル・ライター
2020/1/10

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

魔女の宅急便/サントラ音楽集

品番:TJJA-10021
●挿入歌「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」歌:荒井由実
※「ルージュの伝言」は映画バージョン
映画で使用された楽曲をすべて収録したサントラ音楽集。(初版1989.8.10)

SIDE-A
1. 晴れた日に…
2. 旅立ち
3. 海の見える街
4. 空とぶ宅急便
5. パン屋の手伝い
6. 仕事はじめ
7. 身代りジジ
8. ジェフ
9. 大忙しのキキ
10. パーティに間に合わない
SIDE-B
1. オソノさんのたのみ事
2. プロペラ自転車
3. とべない!
4. 傷心のキキ
5. ウルスラの小屋へ
6. 神秘なる絵
7. 暴飛行の自由の冒険号
8. おじいさんのデッキブラシ
9. デッキブラシでランデブー
10. ルージュの伝言
11. やさしさに包まれたなら

音楽/久石譲
歌/荒井由実(SIDE-B M10 & M11)

 

Blog. 「レコード芸術 2020年4月号」ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 久石譲 東響 特選盤・評

Posted on 2020/03/23

クラシック音楽誌「レコード芸術 2020年4月号 Vol.69 No.835」、新譜月報コーナーに『ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」/久石譲指揮、東京交響楽団』が掲載されました。特選盤、おめでとうございます!「モーストリー・クラシック」「ぶらあぼ」の評もまとめてご紹介します。

 

 

新譜月評

THE RECORD GEIJUTSU 特選盤
ストラヴィンスキー:バレエ《春の祭典》
久石譲指揮 東京交響楽団

 

推薦 藤田由之
久石譲が、2019年6月3日と4日にサントリーホールにおいて、東京交響楽団を指揮してストラヴィンスキーのバレエ音楽の一つの頂点ともいえる《春の祭典》をライヴで収録した。古い話で恐縮だが、1950年代から日本のプロのオーケストラ界とも関わってきた私は時代が変わったように実感している。

作曲家としての久石のキャリアからみれば《春の祭典》にしても、スコアを細部まで見て、とくに管楽器のバランスなどについても熟知しているような音楽家の一人であると考えているので、それだけの要求もできるし、オーケストラのメンバーも、限られた時間の中でも、ほとんどすべての指示に対応できるような水準にあるはずなので、久石としては予期した成果が得られたといってもよかったにちがいない。

近年のオーケストラやアンサンブルは、日本でも弦楽器群のすべてが充実してきているのは事実であるが、管楽器奏者もかなり水準を高めている。木管楽器の奏者ばかりでなく近年は金管楽器についても人材が増えてきているのは、吹奏楽の世界の充実と無関係ではないし、オーケストラのレパートリーにも、数多くの金管奏者が求められることがある。

そういえば、《春の祭典》では5管ずつの木管と、8本のホルン、トランペット5、トロンボーン3、テューバ2が記されているし。それにティンパニ2、打楽器群も加わる。

 

推薦 増田良介
クラシック音楽の指揮者としての活動をますます充実させる久石譲だが、この《春の祭典》もすばらしい。昨年6月のライヴ録音とのことだが、どうやら関係者のみを対象とした演奏会だったようなので、こうして一般発売されたことはありがたい。近年、優れた録音が相次いで登場した《春の祭典》だが、当盤はそれらにまったく劣っていないし、それらとは異なる魅力もちゃんとある。とはいえ、これは決して奇抜な解釈ではない。久石の目指したのは、作曲家の書いたリズムを正確に打ち出したり、複雑なからみあいの中でも必要な音が聞こえるようにバランスを整えたりすることで、《春の祭典》という作品の内包するいろいろな力を、余すところなく解放するということだったように思える。言葉にすればあたりまえに聞こえるかもしれない。しかし、連打される和音の圧倒的な迫力や、多数の楽器が咆哮する場面の鮮烈な色彩感などが、東京交響楽団の演奏能力を得て高い水準で実現されることで、この演奏は、どの細部を取っても「こういう《ハルサイ》が聴きたかった!」と思わせる演奏となっている。王道の、しかし非凡な《春の祭典》だ。ひとつ不満を言うなら、1枚に《春の祭典》1曲だけというのはもったいない。せっかくなら、普段あまりクラシックを聴かない、しかし久石譲の名前に惹かれて手に取った人が、なにか別の新しい世界に出会えるような曲をもう1曲入れてくれていたらさらに良かっただろう。

 

[録音評] 山ノ内正
すべての楽器が鮮明に聴こえてくるが、なかでも木管楽器の力強さと勢いが際立ち、エネルギーに満ちている。密度の高い音で各パートがぶつかるわりには全体の見通しは良好で、ソロ楽器の動きが埋もれてしまうことはない。パーカッションのエネルギーも強靭で衝撃が強いが、余分な音を残さないので連打でもリズムが緩まず、強い推進力を発揮する。残響は極端に長くはないが、特にSACDで聴くと空気の密度の高さが伝わり、トゥッティで大量の空気が瞬時に動くダイナミックな空気感を体感できる。

(「レコード芸術 2020年4月号 Vol.69 No.835」より)

 

 

その他、いくつかの媒体からもまとめてご紹介します。

 

エンターテインメント性を発揮し、耳当たりのよい演奏を実現

現代音楽の作曲家として出発した後、数々の映画音楽で才能を遺憾なく発揮した久石譲だが、近年は指揮者として目覚ましい活躍を行い、「ベートーヴェン交響曲全集」はきわめて高い評価を得ている。この「春の祭典」も好調を強く印象付けるもの。精緻なアンサンブルは長年、指揮にかかわってきた人を超える印象がある。そして、よい意味でのエンターテインメント性を発揮し、きわめて耳当たりのよい演奏を実現。東京交響楽団の充実も光る。

(「モーストリー・クラシック 2020年5月号 vol.276」より)

 

 “ロックのような”ベートーヴェンの交響曲全集が好評を博している久石譲の東響との初録音。これもあらゆるフレーズが生命力を放ちながら躍動する快演だ。まずは既成概念に囚われずに構築された音のバランスが実に新鮮。ベートーヴェン同様にリズムの明確さも耳を奪い、中でも遅い場面における各リズムの明示が清新な感触をもたらしている。全体に速めのテンポでキビキビと運ばれ、特に快速部分はスピード感抜群だが、その中に流れるフレーズのしなやかさも見逃せない。東響もこまやかな好演。音楽的感興と生理的快感を併せ持つ新たな「春の祭典」の登場だ。

(「ぶらあぼ2020年4月号」より)

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 読売新聞夕刊 3月5日付 「久石譲 未来形ブラームス」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/03/05

読売新聞夕刊(3月5日付)に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

久石譲 未来形ブラームス

リズム重視で新しい可能性

作曲家の久石譲が、クラシックの名曲を新たな解釈で指揮する演奏に力を入れている。明瞭なリズム表現とスピード感で、ロックのようにベートーヴェンの交響曲を聴かせたのに続き、ブラームスに取り組み始めた。手応えを聴いた。

(清岡央)

 

冒頭、ティンパニの渾身の打撃と超高速のテンポに度肝を抜かれた。先月13日、東京オペラシティコンサートホール。久石の呼びかけで国内の若手実力派が集まったフューチャー・オーケストラ・クラシックスが繰り出したブラームス「交響曲第1番」は、重厚な始まりに慣れた耳に、あまりに刺激的だった。

「奇をてらったわけではない。ブラームスは今、いかにもドイツ風に重々しく演奏されるが、楽譜には『ウン・ポーコ・ソステヌート』、つまり(音の長さを保つ)テヌート気味に演奏する、としか書いていない。しかも初演は40人で演奏したとか。重々しいブラームスをやったわけがない。書かれたことをきっちり表現し、まだクラシックにこんな可能性がある、と提示できれば」。作曲家の意図の再現と斬新な解釈は決して矛盾しない、というわけだ。

腕利きの奏者たちに歌心は解放させながらも、ビブラートはリハーサル2日目に「なし」と決めた。「ビブラートはいかにも豊かには聞こえるが、雑音も増すし、音が遠くまで飛ばなくなる。古楽器の奏法をまねしたわけではなく、リズムにベースを置いて、スピード感を大事にするやり方に合わないからやめた」と説く。

リズム重視には理由がある。作曲家として力を入れてきた「ミニマル音楽」では、最小限の音型を繰り返す中、精緻にフレーズの拍をずらすのも重要な手法。リズムの正確さが不可欠だ。一方、オーケストラの楽器はそれぞれ音の出し方が異なり、全員が音の入りや動きを合わせるのは本来難しい。「合わせるところは世界で一番きっちり合わせ、歌うところは歌う。使い分けられるようになれば、オケの表現力はすごく広くなる」

前身のナガノ・チェンバー・オーケストラで取り組んできたベートーヴェンの交響曲全曲演奏は「ロックなベートーヴェン」と話題になった。新たな目標をブラームスの交響曲4曲に定め、来年7月までかけて演奏する。ブラームスの前には、自身の作品など現代曲をプログラムに入れる。「前半で現代曲を指揮した感覚が後半の古典に生かされた演奏会ってないんです。ないなら自分でやるしかない、と。聴いた人が『現代的な聴いたことないブラームスを聴いちゃった』と満足して帰ってくれるように」。曲作りも、指揮も、聴衆の満足が最優先のようだ。

  ◇

今後の演奏会は、7月11日(長野・軽井沢大賀ホール)と13日(東京・紀尾井ホール)で第2番、来年2月4、5日(同)で第3番、7月8日(東京オペラシティコンサートホール)、10日(軽井沢大賀ホール)で第4番を予定。

 

[掲載写真下コメント]
「ブラームスが迷いながら作った交響曲第1番の第1楽章は絶えず不安定。それを本番で振っていて、最も『今的』と思った。世界がこんなに混沌としているじゃないですか」

 

(読売新聞夕刊 3月5日付 より)

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2」 コンサート・レポート

Posted on 2020/02/18

久石譲のコンサート新シリーズ「久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシックス(FOC)」第2弾が開催されました。2016年からベートーヴェン全交響曲に3年がかりで取り組み、今回からはブラームス全交響曲に取り組んでいくシリーズ。

本公演は、久石譲コンサートとして初の試みになる生中継動画が配信されたり、先行CD販売(限定50名サイン会参加券付き)など、話題の多いコンサートとなりました。

 

 

 

 

久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2

[公演期間]  
2020/02/13

[公演回数]
1公演
東京・東京オペラシティ コンサートホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:Future Orchestra Classics
コンサートマスター:近藤薫

[曲目] 
アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための
久石譲:The Border 〜Concerto for 3 Horns and Orchestra〜 *世界初演
I. Crossing Lines
II. The Scaling
III. The Circles

—-intermission—-

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68

—-encore—-
ブラームス:ハンガリー舞曲 第4番 嬰ハ短調

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

”Future Orchestra Classics(FOC)”の第2回目にあたる今回からブラームス・チクルスに取り組みます。前回にチャレンジしたベートーヴェン交響曲全集がレコード・アカデミーで賞をいただき、また多くの人たちから賛辞を得たことで次のステップに行きます。FOCは現代の音楽とクラシック音楽を現代の視点で演奏していくオーケストラです。未来に向けた新しい音楽のあり方が少しでも表現できたら、そしてそれを楽しんでいただけたら幸いです。

2020年2月13日 久石譲

 

 

曲目解説

アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための
Arvo Pärt:Festina lente for string orchestra and harp

1986年作曲の「フェスティーナ・レンテ」は、ローマ帝国の創始者である初代皇帝アウグストゥスも使った矛盾語法の「ゆっくり急げ」から着想したものである。このタイトルは構成だけでなく形式についても暗示している。作品は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、ヴィオラ、そしてチェロとコントラバスの3つのグループからなるカノン様式で構成され、メロディは全員同時にしかし3つの異なるテンポで演奏される。最も速いメロディは7回繰り返され、短いコーダを経て音楽は静寂の中へと消えていく。

1986年11月17日、パリでリチャード・バーナス指揮/ミュージック・プロジェクツ・ロンドン・オーケストラで初演。その後、数回の修正を経て、最終版はデニス・ラッセル・デイヴィス指揮/ボン・ベートーヴェン交響楽団でECMからリリースされたアルバム「Miserere」に収録された。

Arvo Pärt Center 作品紹介より(抜粋)

 

久石譲:The Border ~Concerto for 3 Horns and Orchestra~ *世界初演
Joe Hisaishi:The Border ~Concerto for 3 Horns and Orchestra~ *World Premiere
I. Crossing Lines
II. The Scaling
III. The Circles

3本のホルンと2管編成のオーケストラの協奏曲です。きっかけは4年前にホルン奏者の福川さんから依頼されたことです。去年の2月から構想を練っていたので1年がかりの作品になります。全3楽章、約24分かかる作品になりました。

”I. Crossing Lines”は16分音符の3、5、7、11、13音毎にアクセントがあるリズムをベースに構成しました。つまり支配しているのはすべてリズムです。その構造が見えやすいように音の構造はシンプルなScale(音階)にしています。

”II. The Scaling”はG#-A-B-C#-D-E-F#の7音からなる音階が基本モチーフです。ここではホルンの持つ表現力、可能性を引き出しつつ、論理的な構造を維持するよう努めました。

”III. The Circles”はロンド形式に近い構造でできています。Tuttiの部分とホルンとの掛け合いが変化しながら楽曲はクライマックスを迎えます。以前に書いた「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」の第3楽章をベースに今回再構成しました。ホルンとオーケストラによってまるで別の作品になりました。

久石譲

 

ヨハネス・ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68
Johannes Brahms:Symphony No.1 C minor, Op.68
第1楽章 Un poco sostenuto-Allegro
第2楽章 Andante sostenuto
第3楽章 Un poco allegreto e grazioso
第4楽章 Adagio ー più Andante ー Allegro non troppon, ma con brio

19世紀後半のドイツで活動したヨハネス・ブラームス(1983-97)はロマン派時代における保守的な古典主義者と見なされることが多い。確かに彼は伝統を尊重した作曲家だった。それだけに伝統ジャンルの中でも特に高度な構築性を持つ交響曲という曲種を手掛けることは、彼にとって重い意味を持っていた。初めて交響曲の作曲を思い立ったのはまだ若き日の1855年頃、自分を世に紹介してくれたシューマンが自殺未遂を図った前後のことで、交響曲の構想を始めていることを精神病院に入院したシューマンに手紙で報告している。しかし交響曲という曲種がとりわけ重要だと思うだけに、筆は遅々として進まない。特に彼は尊敬する先人ベートーヴェンの交響曲史上における偉業に対して強い意識を持っていたので、生来の自己批判的な正確とも相俟って、交響曲の創作には慎重にならざるを得なかったのである。

もっとも、ブラームスは決して頑なな古典主義者だったわけではない。19世紀に生きていた芸術家らしく、内面的なロマン的感情表現をも重んじた作曲家だったのであり、特に恩人シューマンの妻クララに対する思慕の情は、彼の多くの作品のうちに影を落としている。そうしたロマン的な感情表現を、古典的な交響曲の論理といかに結びつけていくか──その点がブラームスにとって大きな課題となったと思われる。そうした課題の解決法を探るために長い時間を必要としたのであり、何度にもわかる創作の中断や、作曲した部分を結局やめて他の曲に転用するといった方向転換など、数々の試行錯誤と模索を繰り返しながら、彼は次第に独自の交響曲のスタイルと表現方法を見いだしていく。自信をもって完成へ向けての創作の本腰を入れるようになったのは最初の構想から実に19年もたった1974年になってからのことで、その2年後の1876年に全曲はついに完成された。初演は同年の11月4日にカールスルーエにおいてオットー・デッソフの指揮で行われたが、その後もブラームスはさらに第2楽章を大幅に書き直し、現在演奏されている決定稿がやっと仕上げられたのである。綿密な論理的書法──すなわち徹底した主題労作法(主題やその中の動機を様々に用いながら音楽を展開する方法)、暗→明という全体の構図、2管編成の無駄のない管弦楽法など──のうちに、豊かなロマン的な感情表現を湛えたその作風は、まさに長年の苦心の努力の見事な結実といえるだろう。

第1楽章 ウン・ポーコ・ソステヌート~アレグロ、ハ短調、8分の6拍子。緊迫感に満ちた序奏に始まる。その冒頭に現れる半音階的楽句は、この交響曲全体を統一するモチーフとして、以後暗い不安定な情調を生み出していくこととなる。主部は綿密なソナタ形式。闘争的な第1主題と叙情的な第2主題を持ち、半音階的な動きや錯綜した音の綾などが生み出すどこか鬱屈した雰囲気のうちにドラマティックな展開が繰り広げられる。

第2楽章 アンダンテ・ソステヌート、ホ長調、4分の3拍子。情感に満ちた3部形式の緩徐楽章。静かで穏やかな長調の主題に始まる主部に対して、中間部では感情が綾を織り成しながら高揚していく。やがて最初の主題が回帰し、独奏ヴァイオリンがホルンを伴いながら美しく主題を歌い上げる。

第3楽章 ウン・ポーコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ、変イ長調、4分の2拍子。古典的な定石に従ったスケルツォでなく、優美な間奏曲風の楽章である。

第4楽章 アダージョ、ハ短調、4分の4拍子~アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ、ハ長調。不安な緊張の漂う序奏で開始される。その緊張がピークに達したところで、突如霧を晴らすかのようなハ長調の明るい旋律がホルンに現れる。このまさに暗から明へと転換する箇所に現れるこの旋律はブラームスがシューマン未亡人クララに贈った旋律を引用したもので、そこにはクララへの想いが秘められているのかもしれない。そして荘厳なコラールを経て、明朗な第1主題に始まる主部がダイナミックに発展、最後のコーダでは先のコラールも力強く再現され、圧倒的な高揚のうちに全曲が締めくくられる。

寺西基之(てらにし・もとゆき)

 

 

フューチャー・オーケストラ・クラシックス
Future Orchestra Classics(FOC)

2019年に久石譲の呼び掛けのもと新たな名称で再スタートを切ったオーケストラ。2016年から長野市芸術館を本拠地として活動していた元ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)を母体とし、国内外で活躍する若手トップクラスの演奏家たちが集結。作曲家・久石譲ならではの視点で分析したリズムを重視した演奏は、推進力と活力に溢れ、革新的なアプローチでクラシック音楽を現代に蘇らせる。久石作品を含む「現代の音楽」を織り交ぜたプログラムが好評を博している。2016年から3年をかけ、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏に取り組む。2019年7月に発売した『ベートーヴェン:交響曲全集』が第57回レコード・アカデミー賞特別部門特別賞を受賞。日本から世界へ発信するオーケストラとしての展開を目指している。

(「久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシック Vol.2」コンサート・パンフレット より)

 

 

リハーサル風景

from 久石譲コンサート@WDO/FOC/MF 公式ツイッター
@joehisaishi2019

 

久石譲作品「The Border」にちなんでおそろいのボーター・ホルン奏者たち

from 福川伸陽Nobuaki Fukukawa ツイッター
@Rhapsodyinhorn

 

終演後

from 久石譲 Future Orchestra Classics 公式Facebook

 

 

ここからはレビューになります。

 

ニコニコ生放送の独占生中継は、カメラ約5台からのアングル、ステージに配置された無数の集音マイクの効果もあって、とてもクオリティの高い映像配信になっていました。

FOCでは立奏スタイルによる演奏が試みられていますが、立奏について久石譲はこのように語っています。

「若い世代が中心ですけれど、いろいろな指揮者と演奏を重ねてきて経験も豊富ですし、楽器で音楽をたくさん語れる人ばかり。こちらが要求していることをキャッチして、すぐに演奏へと反映してくれます。この全集の発売を記念し、紀尾井ホールと軽井沢大賀ホールで交響曲第5番と第7番のコンサートを行いましたが、立奏による演奏を試してみました。身体が自由になるせいか開放的になって音も大きくなった反面、ピアニッシモは着席での演奏のほうがいいかもしれないと思い、ひとつの課題として残っています。しかしダイナミック・レンジが格段に広がり、演奏の可能性が広がることも事実ですから今後も模索したいですね。音だけではなく視覚的にも元気に見えますし、演奏家の表情も豊かな感じがしますから。クルレンツィスとムジカエテルナが立奏だと話題になりましたけれど、小編成のオーケストラが大きなホールで演奏する時には有効でしょう」

Blog. 「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための

静謐なこの作品は、曲目解説にもそのコンセプトが紹介されています。さらにわかりやすく言うと、ひとつのメロディがあって、例えば第1ヴァイオリン・第2ヴァイオリンは4分音符で演奏します。ヴィオラはその2倍の長さ2分音符で演奏します。チェロ・コントラバスはさらにその倍の全音符で演奏します。この3つのパートが同時に演奏されて進んでいきますが、例えば4部音符でメロディを奏でるのに2小節あったとして、2分音符であればその倍4小節かかります、全音符であれば8小節かかります。すごく簡単にいうと。異なる対旋律はなく、ひとつのメロディの音符長さのズレだけで、自然的にハーモニーや大きなリズムが生まれる、そんな作品だと解釈しています。こういったところにアルヴォ・ペルト作品のおもしろさ、そして久石譲が創作において共感しているところがあるのだろうと思います。チェロやコントラバス、ハープといった楽器を座って固定しないといけないものを除いて、この作品でも立奏です。

 

 

 

久石譲:The Border ~Concerto for 3 Horns and Orchestra~ *世界初演

ホルンのために書かれた協奏曲です。3人のホルン奏者がフィーチャーされ、ステージ前面中央で主役を演じます。その音から悠々とした旋律を奏でるイメージのあるホルンですが、この作品では、とても細かい音符をあくまでもリズムを主体とした音型を刻む手法になっていました。ずっと吹きっぱなしで、ミュートを出し入れ駆使しながら、さらにそれなしでも、おそらくは口と管に入れた手だけを調節して。ホルンという楽器にはこんなにもバリエーション豊かな音色があるんだと、感嘆しました。第2楽章では、ホルンのマウスピースだけで音とも声ともつかない音色を奏でたり。第3楽章は「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲 第3楽章」をベースにしているとあるとおり、エレクトリック・ヴァイオリンの独奏パートがホルンに置き換えられ、1管編成の室内楽だったものが、オーケストラへと拡大されています。

生演奏で体感し、ホルンを味わい、オーケストラの重みも伝わり。この作品は、レコーディングされて、ホルンをはじめ個々のパートがそれぞれ浮き立って配置されたものをしっかりと聴けたときに、またいろいろな発見がおもしろみが感じられる。そう思っています。ホルン3奏者の役割分担や絡み合うグルーヴ、ホルンとオーケストラとのコントラスト。エレクトリック・ヴァイオリンが担っていたディストーションや重奏やループ機能までを、ホルン(単音楽器)×3へ分散させた術などなど。そんな日を願っています。

 

 

 

ヨハネス・ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68

こんな演奏は聴いたことがない。このひと言に尽きます。直近では2019年にも久石譲指揮、仙台フィルハーモニー管弦楽団で共演していますが(そのときもすこぶる感動しました)、でもまるで別モノ。編成でいっても通常のオーケストラよりグッとコンパクト、弦10型(第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン・ヴィオラと少しずつ小さくなってチェロ6人、コントラバス5人)。通常オーケストラが弦14型くらいだとして、弦楽器だけで合計10人近い差があります。それでも堂々たる存在感と爆発的な臨場感で迫ってくるのは、立奏スタイルの強みでもあるといえます。

往年の名演たちが約45分はとっているこの作品、本公演では40分切るか切らないかというスピード。全体で約5分くらいかと思うかもしれませんが、体感するテンポ差は直感的にすぐわかるほどです。第1楽章冒頭から、倍速?!と思うほどで、これはどこまでいっちゃうんだろう!?と一気に手に力が入り身を乗り出してしまう感覚でした。

第1楽章から、久石譲編成においてリズムの要となっているティンパニ(木の撥 使用)の轟音は、随所で作品を引き締め、前へ進め、ソリッドなオーケストラの奏法も健在です。8分の6拍子ですが、久石譲は1拍子のようにタクトを振っていきます。この効果は絶大!

やってみよう。

タン・タン・タン・タン・タン・タンと手拍子を6回打ちます。それをしながら、口で1・2・3・1・2・3と手拍子に合わせて数えます。次に、口の1・2・3・1・2・3はそのままに、手拍子を1のところだけを(2度)打ちます。するとどうでしょう。同じテンポでも、まったくリズム感が変わって感じるはずです。前者は均一なリズムを保っているともいえるし、一拍ごとに微妙なズレも出てくることあります。後者は手拍子と1のところに強調や躍動感が生まれると同時に、口の3を言ったあと1に向かうわずかな瞬間グッと引き寄せられるようなうねりを自分に感じることができると思います。まるで軽いステップを踊っているように。

第1楽章の冒頭、多くの指揮者はティンパニの連打に合わせてダン・ダン・ダン・ダン・ダン・ダンと6回重くテンポ遅くタクトを振り下ろします。久石譲は、タンタンタン・タンタンタンと太字の2回しか振り下ろしていません。1拍子で大きくリズムをとることで、うねりを生み出している証です。

久石譲がアプローチしている1拍子の手法や、それによるリズムの強調やシンコペーションの表現というのは、やってみてもらった簡単な例の、さらに高度な積み重ねと分析からだと思います。もちろん試みられているアプローチのなかのひとつの小さな部分です。

第1楽章では「タタタ・ターン」のリズム、第2楽章では「ンタータ・ンタータ」、第3楽章では「ンタタター・ンタタター」というように、楽章ごとに特徴的なリズムが散りばめられています。これはパーカッションが叩くリズムという意味ではなく、旋律によって発生するリズム動機のことで、随所に浮き立って表現されていたように思います。ベートーヴェン交響曲 第5番「運命」に共通項をもつ作品とも言われていますが、今回はじめてその一端が少しわかったような気がします。ベートーヴェンの「ダダダダーン」というあの有名な旋律=リズム動機です。これは、おそらく久石譲アプローチがベートーヴェンからの継続性があること、久石譲指揮によって体感できた発見だと感謝とも感激ともつかない想いあふれます。

第3楽章・第4楽章は、一般的なリズム設定に近く、やや落ちつきを取り戻した感もありましたが、そのぶん第4楽章のホルン、フルート、トロンボーン、弦楽など、歌させるところはたっぷりと歌わせ、緩急豊かだからこその緊張感と臨場感がありました。もっと言えば、このメリハリの効いた第4楽章こそ、もっともエネルギーを使う指揮と演奏だったのではないか、とすら思ってしまうほど緊張感を保持したままの至極な開放感です。

 

今は繰り返し聴けないので残念ですが、もし本公演がCD化されたときには、第1楽章だけでも「タタタ・ターン」となっている旋律がどれほどたくさんあるか、かなり楽しく発見できると思います。

そして、ベートーヴェンからブラームスへと、久石譲が指揮するからこその表現が必ずある。作曲家ならではの視点と綿密な分析、そして指揮者として確固たる自信をもって臨む手法。そこには、固定概念をひっくり返すほどのエグ味すらあります。でも、それは決して奇をてらうことを目的としたものではない、アプローチを貫くことでのエグ味=新しい快感です。

 

 

 

本公演当日、これからのコンサート予定も発表されました。Vol.3からVol.5(2020-2021年)にてブラームス全交響曲を演奏していきます。またこのシリーズでは久石譲新作書き下ろしの世界初演も予定されています。新作はもちろん、研ぎ澄まされた久石譲&FOCのパフォーマンスで、「Sinfonia」「Winter Garden」「Untitled Music」ほか幾多ある久石譲オリジナル作品も聴いてみたくなります。

 

 

 

ぜひ公式サイトからも最新情報をチェックしてください。

https://joehisaishi-concert.com/

 

 

Blog. 「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/02/07

クラシックス音楽誌「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」(2019年12月20日発売)に掲載された久石譲インタビューです。『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス』についてたっぷり語っています。

また本号は「2019年度 第57回 レコード・アカデミー賞」の特集になっています。その特別部門「特別賞」も受賞しています。このページ後半で、選定会の様子や久石譲受賞コメントもご紹介します。

 

 

作曲家の視点でスコアを立体的に捉えた衝撃のベートーヴェン交響曲全集
久石譲【作曲、指揮】

ききて・文=オヤマダアツシ

衝撃的だった。2016年7月に開館した長野市芸術館で久石譲とナガノ・チェンバー・オーケストラ(現「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」)の演奏によるベートーヴェンの交響曲第1番を聴き、約40名で構成されるオーケストラから繰り出されたその演奏に「まだ、こういったアプローチが可能だったか」と唸ってしまったのである。基本的にテンポは快速、アタックが厳然と強めで”好奇心”という名の心の扉を叩くようなリズム等々、予測を超えてくるその演奏に驚きを隠せなかった。本誌読者の皆様はおそらく、これまでにいくつものベートーヴェン演奏を体験し、複数の交響曲全集を所有している方も多いだろう。古楽演奏の洗礼を通過した方もいらっしゃるはずだ。久石譲が作曲家としての視点で洗い直したという交響曲全集は、2年間(全7回)にわたって行われたナガノ・チェンバー・オーケストラ定期演奏会のライヴ録音であり、さらに新しい表現のベートーヴェンを希求する聴き手に問題提起をする演奏である。2019年度の「レコード・アカデミー賞」で特別賞の栄誉に輝いたこの全集について話をうかがった。

 

作曲家史上最高のリズムへの感覚の鋭さ

「自分も体験してきた時代ですが、戦後の日本におけるベートーヴェンの演奏はドイツ的な重い表現が主流でした。オーケストラも大編成でしたから必然的にそうした音になりますが、数え切れないほど繰り返し演奏されてきたベートーヴェンの交響曲に取り組むにあたって、すでにある表現やアプローチをしても意味がありません。そうしたことから作曲家としての視点でもう一度スコアを見直し、楽譜が何を要求しているのか、それをどう表現するのかということを考えました。ベートーヴェンのスコアではメロディ/ハーモニー/リズムという音楽の三要素が一体化していますけれど、なかでもリズムの重要性に注目したわけです。メロディを美しく歌わせるところでも、リズムがたんなる伴奏のパートに止まらず、3つの要素が切り離せないくらいの関係性を保っていますから、リズムを前面に出すことで音楽が立体的に表現できるなと思ったのです。作曲家というのは、たとえば何かの拍子にとてつもなくすばらしいメロディが浮かんでしまうと、もちろんそれを書き留めるわけですが、同時にどういったハーモニーや対旋律、リズムを合わせるとそのメロディが生きるかを考えて悩むわけです。そうなると、メロディと伴奏の音型は決して”主と従”の関係ではありませんし、すべてのラインやパートが同等だと考えれば必然的にそれは立体的になりますよね。そう考えることで、ベートーヴェンがその曲を作った時に近づき、どこに工夫をしているのかと考えることがおもしろくなるのです」

一例を挙げるなら、筆者がもっとも耳を奪われたのは交響曲第8番の第3楽章、トリオでホルンとクラリネットが主旋律を演奏するのと並行して、バス声部がリズムを強調するような音型を演奏する部分だ。実演も含めていろいろ聴いてきたつもりだが、これほどこのバス声部が明快な主張をもって聞こえてきたのは初めてだった。このようなちょっとした発見と驚きは、全9曲のあちらこちらにちりばめられていて飽きることがない。

「第6番《田園》の第2楽章は8分の12拍子で細かな音の伴奏が続く中、第1ヴァイオリンや木管が緩やかなフレーズを乗せていきますが、伴奏の音型がとても雄弁でその間をうまくメロディが流れています。これも、”主と従”ではなく、しかも一体化していて無駄がない。ここだけでもベートーヴェンはすごいなと思います。第2番の第4楽章や第8番の第4楽章も、どうしてこんなリズムが思い浮かぶのかと驚きますし、第3番《英雄》の第1楽章でも、4分の3拍子なのに2拍子のタイミングで激しい和音が繰り返されるところがあり、リズムに対する感覚があまりに鋭く、作曲家史上最高だなと感じてしまうほどですね。ですから、ベートーヴェンがどういうつもりでこれを書いているのかを読み取りたくなるのです」

ナガノ・チェンバー・オーケストラのコンサートでは『ベートーヴェンはロックだ!』というキャッチーなスローガンが聴き手の目を引いたが、それも「決してベートーヴェンはロックと同じだというつもりはなく、リズムがベースになっているロックと通じるものがあるということです」といった考え方が根底にあっての言葉だという。

 

ミニマル音楽の演奏と並行して楽員たちと音楽を作り上げる

そのリズムといえば、多数ある久石の作品がミニマル・ミュージックのスタイルをルーツにもち、久石自身がリズムを追求してきた作曲家だったということを無視するわけにはいかない。一般的にはスタジオジブリ作品をはじめとする多くの映画音楽などで知られる久石だが、本誌2018年3月~4月号の「青春18ディスク」で披露されたように、作品の背景にはフィリップ・グラスをはじめとするミニマル・ミュージックや20世紀の諸作品がある。ナガノ・チェンバー・オーケストラの定期演奏会でもベートーヴェンの交響曲と自身の作品、さらにはペルトやグレツキ、マックス・リヒターの作品などを組み合わせていたが、今にして思えばそれがオーケストラの楽員たちを鍛え上げ、久石の理想とするリズムに焦点を当てたベートーヴェンの実現につながったと思うほどだ。

「ミニマル系の音楽を演奏する際には、リズムをきちんと再現しないと音楽全体が崩れてしまいますし、そもそも曲として成立しません。しかも縦の線が揃えばいいという単純なことではなく、オーケストラのメンバー全員が音価をきちんとそろえて演奏し、可能であれば各楽器の発音のタイミングも考慮して演奏するという、かなり高度な能力を必要とします。正直なところ、日本の奏者でそうしたことができる人はまだ少ないです。今回は、そうしたことも踏まえて自分たちなりのベートーヴェン演奏を実現するべく、コンサートマスターの近藤薫さんが中心となって人選をしました。コンサートを重ねるごとに核となる奏者が固まっていって、フューチャー・オーケストラ・クラシックスとしての基本的なサウンドが決まっていったと思います」

メンバーには東京の各オーケストラに在籍している首席クラスの奏者も多く、ソリストや長野県出身者なども加わった。

「若い世代が中心ですけれど、いろいろな指揮者と演奏を重ねてきて経験も豊富ですし、楽器で音楽をたくさん語れる人ばかり。こちらが要求していることをキャッチして、すぐに演奏へと反映してくれます。この全集の発売を記念し、紀尾井ホールと軽井沢大賀ホールで交響曲第5番と第7番のコンサートを行いましたが、立奏による演奏を試してみました。身体が自由になるせいか開放的になって音も大きくなった反面、ピアニッシモは着席での演奏のほうがいいかもしれないと思い、ひとつの課題として残っています。しかしダイナミック・レンジが格段に広がり、演奏の可能性が広がることも事実ですから今後も模索したいですね。音だけではなく視覚的にも元気に見えますし、演奏家の表情も豊かな感じがしますから。クルレンツィスとムジカエテルナが立奏だと話題になりましたけれど、小編成のオーケストラが大きなホールで演奏する時には有効でしょう」

さまざまな可能性を追求する中、若い世代の指揮者にも関心の目を向けており、自分たちも新しい時代を作る担い手として最先端の音楽を提示していきたいという気持ちは強い。

「クルレンツィスやミルガ・グラジニーテ=ティーラのような指揮者はリズムに対するアプローチがとても新鮮で、最先端の音楽だなと感じています。繰り返し演奏されてきた曲でも新しい表現にアップデートしないと、クラシック音楽はたんなる伝統芸能になってしまうという危機感がありますし、つねに新しいアプローチを試していくことで、さらに次の世代が進化をつなげてほしいという気持ちも強いですね。自分たちもベートーヴェン、そして2020~21年はブラームスの4つの交響曲、さらにはメンデルスゾーンやシューマンなども先に見据えて新しい演奏を追求していきたいと考えているのです。作曲家ですから、これまで聴いたことのない新鮮な音楽を送り出したいという思いが基本的にあり、それはベートーヴェンやブラームスを演奏する時も変わりません」

 

迷いの残る《第9》のスコアに人間的な魅力を感じる

今回の全曲演奏にあたり、学生時代からスコア・リーディングの勉強にも使用していたというブライトコプフのスコアからベーレンライターのスコアに買い換え、もう一度すべての曲を勉強し直した。そうしたなかで気がついたことのひとつは、ベートーヴェンの年齢や人生と曲の関係だったという。

「どの曲もそれぞれに特徴があって凄いのですが、第5番《運命》くらいから作曲家としてのピークへと向かっていて、彼が理想とする完成度へ達したのは第8番なんじゃないかと思います。この曲はどこをとっても斬新で、驚くべき作品ですね。では第9番《合唱》はどうかというと、第8番からのブランクがあったからか、演奏者に対して明確にこうだと指示できていないところがたくさんある。おそらく写譜の段階でおきたミスが大半だと思いますが、本人の迷いを入れて約140か所以上不明部分があります。ベーレンライターのスコアでは、それについていろいろ可能性を提示してくれていて、演奏者に任されるところも多い。第9番を書いた年齢を考えると、精神的・体力的なことが影響を与えているのかもしれませんね。自分としては共感できてちょっと心が痛くなります。もっと若い頃の作品、たとえば第3番《英雄》などは才気煥発で、浮かんじゃったものを惜しげもなく使っているけれど、そのせいで長い曲になってしまい形式的にはやや無駄な部分もあると感じます。でも、その無駄だと思えるところが魅力的なのですよね。第9番はそういった勢いがない代わりに年齢に即した、論理的で破綻のない書き方をしています。今回、全曲を番号順に演奏してみて、年齢とキャリアに応じて対応しているベートーヴェンの姿を見ているような思いがしました。でも(第9番では)論理的に完璧な書き方をしているのに140か所も『どうしようかな』と迷っている部分が残されているというのは、なんだか人間的でいいなとも思えるのです」

このほかにも、第9番の第4楽章は「オーケストラに声楽という音色を加えた変奏曲」として考え、やはり最終楽章にパッサカリアという変奏形式を使ったブラームスの交響曲第4番を想起させるなど、次のプロジェクト(2020年から2021年にかけ、4回の演奏会でブラームスの交響曲4曲を演奏)を示唆する考察も。

「じつはこの前、この全集に収録されている第7番を少しだけ聴いてみたのですが、『ここ、もっと弾けるはずだな』と思ってしまうなど、リハーサルをしているような気分になってしまいました。それだけ自分もまだベートーヴェンに関しては進化し続けているということでしょうし、機会ができればさらにアップデートした演奏をお聴かせできるでしょう」

今回の交響曲全集がひとつの成果であることは間違いないものの、これからさらなる進化を遂げるであろう久石譲とフューチャー・オーケストラ・クラシックスには、まだまだ驚かせてもらいたい。

(「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」より)

 

 

 

特集 2019年度 第57回 レコード・アカデミー賞

音楽之友社主催による第57回(2019年度)「レコード・アカデミー賞」が今年も決定しました。本賞は、各年度(1年間)に、日本のレコード会社から発売されたクラシック・レコード(本年度は2019年1月号~12月号本誌月評掲載分)の中から、全16の部門において、まず「部門賞」が、各部門の担当選定委員による第一次選定会において合議によって決定されます。

その上で、4つの「特別部門」を除いた9部門の「部門賞」のディスクを、全選定委員が1ヶ月の試聴期間を設けて試聴した後、第二次選定会を行い、投票により、年間最優秀レコードである「レコード・アカデミー賞 大賞」、「レコード・アカデミー賞 大賞銀賞」、「レコード・アカデミー賞 大賞銅賞」が選定されます。

今年度の部門賞は10月27日に、そして3賞および「特別部門/企画・制作」「特別部門/特別賞」「特別部門/歴史的録音(録音の新旧を問わず、歴史的に意義のある録音等を表彰するものです)」の選定は11月24日に行われ、各賞が決定しました。

 

*各賞 受賞作品 (本誌にて)

 

 

ここでは、特別部門の選定座談会について紹介します。本誌で5ページにわたって選定と賞決定までの話し合いが掲載されています。そのなかなら、【特別部門/特別賞】を受賞した『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス』について話題にあがった箇所のみをいくつかピックアップしてご紹介します。全内容はぜひ本誌をご覧ください。

 

 

特別部門 選定座談会

選定=浅里公三、満津岡信育、中村孝義

浅里:
「久石/ベートーヴェン」は、日本のオーケストラの精鋭が集まって、いわば久石さんのセンスにのって、大変速いテンポで──ロック調のということなのでしょうが──これまでのベートーヴェン演奏に一石を投じるような演奏になっていたと思います。

~中略~

中村:
他には私も「久石譲/ベートーヴェン」です。~略~ とにかく「強烈な個性」という意味では、クレンペラーやカラヤンは、まさに圧倒的だと思ったのですが、久石譲さんのベートーヴェンも本当に強烈。金子建志先生が選定会の後のお話で、昔のフルトヴェングラーやワルターが、今録音したらこういう演奏になるかもしれない、とお話になられていましたが、私も同じようなことを思いました。正直に言えば、久石さんは、映画音楽などの、どちらかと言えば耳当たりのいい音楽を作っている人と思っていたので、今回は聴いてびっくりしました。決してクラシックから外れたところにある人ではなく、音楽をもっと大きくとらえている人なんですね。

~中略~

満津岡:
~略~ それから「久石/ベートーヴェン」も、これは際立って個性的な演奏でした。決して借り物ではない音楽で、自分自身でスコアを読んで、突き詰めてこういう演奏に達したということがわかるような演奏で、私も素晴らしいと思いました。

~中略~

満津岡:
ただ「久石/ベートーヴェン」も、私は彼の演奏とこのボックスがクラシック音楽界になげかけた意義と価値は、大いに顕彰すべき価値があると思います。ただし、久石さんの場合、今年の新譜は第4番と第6番ですから、本当の意味での新録音となると、この中では「アファナシエフ」でしょうか。

~中略~

満津岡:
そうなりますと、私は「特別賞」が、久石さんのディスクにふさわしいように思うのですがいかがでしょうか。本来「企画・制作」でもおかしくない内容ですし、このボックスは、本当に楽しんで聴いてもらえるものだと思います。

中村:
私も「特別賞」は「久石/ベートーヴェン」がいいと思います。彼のようなスタンスの人が、ベートーヴェンの交響曲を、自らが組織したオーケストラを指揮して、しかも全集で録音するなんて、レコード会社にとっても本当に英断だったと思います。でも虚心に聴けば、この面白さは必ず伝わるはず。

浅里:
私も異議なしです。「特別賞」はぜひ「久石/ベートーヴェン」で。

 

(以上、抜粋紹介)

 

 

受賞アーティストからのメッセージ

久石譲

FOCのベートーヴェン交響曲全集が特別部門特別賞に選ばれたことはとても光栄です。クラシック音楽の演奏も時代と共に進化していきます。いや、進化していくべきだと考えます。僕の場合は現代の音楽の作曲家としての立場から、リズムをベースにして(そのためRock The Beethovenというコピーまでつきましたが)スコアを組み立てました。現代のクラシック音楽のあり方に一石を投じることができたら幸いです。フューチャー・オーケストラのメンバーや関係者の皆さんに感謝します。

 

(「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」より)

 

 

from オクタヴィア・レコード公式ツイッター

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「家庭画報 2020年1月号」〈ベートーヴェンの力の源を求めて〉久石譲 インタビュー内容

Posted on 2020/02/06

雑誌「家庭画報 2020年1月号」(2019年11月30日発売)、「<生誕250周年特別企画>6人の識者が愛とともに語るベートーヴェンの力の源を求めて」コーナーに久石が登場しました。「ベートーヴェン:交響曲全集」の話題も含めて、久石譲が語るベートーヴェンの魅力つまったインタビューになっています。

 

 

生誕250周年特別企画 6人の識者が愛とともに語る
ベートーヴェンの力の源を求めて

2020年に生誕250周年を迎えるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。多くの人に聴かれ、語られてもまだ溢れる魅力──その力の源を求めて、ベートーヴェンを愛する6人の識者(指揮者 アンドリス・ネルソンス/音楽研究家 平野昭/作曲家・指揮者 久石譲/音楽学者 沼野雄司/ピアニスト 河村尚子/音楽社会史家 大崎滋生)が、それぞれの視点で新しいベートーヴェン像に迫ります。

 

久石譲(作曲家・指揮者)さん × 沼野雄司(音楽学者)さんが語り合う
現代の音楽として、ベートーヴェンを振る、聴く

 

ベートーヴェン独特のリズムを打ち出した演奏が新鮮

沼野:
久石さんが『ベートーヴェン交響曲全集』を出すと聞いて、最初は意外に思ったんです。割合に昔から、ミニマル・ミュージック(パターン化した音型を反復する音楽)の作品『MKWAJU』を聴いたり、それと前後して映画音楽でお名前を知っていたものですから、ベートーヴェンとあまり結びつかなかった。でも、リリースされていったディスクを一枚一枚聴いていくうちにどんどん納得していき、最終的にこれはほかにはない演奏で、ベートーヴェンにそんな余地がまだあったのか!と改めて思いました。

久石:
それは大変ありがたいです。ミニマル・ミュージックをベースにした作品を創る当時の感覚のまま、未来のクラシックはこんなやり方もあるのでは?、という提案ができればと思っていました。

沼野:
特に低音(チェロ、コントラバス)が太く音響化されている印象で、小編成ですが、そうとは思えないほど豊かに聞こえました。これはミキシング(複数の音声を効果的に混合・調整すること)で強調されていますか。もちろん、生演奏の状態でも久石さんが思うバランスになっているのでしょうが、レコーディングのときにそれを一度解体して、ミキシングによってさらにシェイプアップされたのではないかと。であれば、クラシックにはあまりない発想で、テクノロジーとの共存を考えるよいヒントにもなりそうです。

久石:
リズムをしっかり打ち出す方法を採りますと、倍音が重要になります。ミニマル・ミュージックではあるパターンをずらしていき、そのズレを見せるためにリズムを際立たせますが、この方法論をクラシックでも生かしたい、ならばベートーヴェンがいちばんいい。コンサート時にはコントラバスの位置を通常より前に出してきちんと低音を目立たせ、さらにミキシングでそれを強調することで、バランスが頭で描いたイメージに近づきました。米現代作曲家スティーヴ・ライヒなどもPA(音響拡声装置)を使っており、クラシックでも方法論としてありと考えています。

 

ベートーヴェンが仕掛けたリズムのトリック、シンコペーション

久石:
ベートーヴェンはリズムの天才ですから、思わぬところでシンコペーション(強拍と弱拍の位置関係を変えて曲に緊張感を作ること)ができ、あっといわせますよね。この独特のリズム感を出すには、一拍子で刻むのがいいと思っています。

沼野:
なるほど、一拍子ですか。私もベートーヴェンはシンコペーションの人だと思っています。漫然と音楽が進むところに何か一つ違うものをボンと入れるから情報量が多い。音楽全体もシンコペーションのようで、お上品な調和の中にはピタッとはまらず、グッ、グッとアクセントがついていく。それが彼の素晴らしさの一つだと思います。

久石:
まさにそのとおりですね。実は彼が仕掛けたシンコペーションの最大のトリックがあったんです。たとえば第五番第三楽章のタタタ/タン……という二小節が連なるモティーフ。どれも小節頭から始まりますが、弱拍から始まるモティーフと捉えるのか(タタタ/ーン)、強拍からと捉えるのか(タタ/ターン)。同じパターンにせず拍節をずらして絶妙に変化をつける、しかも全楽章にわたってこのような仕掛けが──。認識はしていましたが、隠れたシンコペーションの意図に気づいたのは録音後でした。ちょっと悔しい(笑)。これを意識した指揮者や演奏はいまだ聴いたことがありません。やはりベートーヴェンはすごいです。

 

ベートーヴェンに”ビビっていない”からこそ生まれたスタイル

沼野:
全集を聴いて強く感じたのは、久石さんがベートーヴェンに”ビビっていない”ことでした(笑)。全集は人生の集大成として取り組むかたが多く、気負いや新解釈をと意気込むケースが多い。が、久石さんの場合は、低音をきちっと聴かせてリズムの推進力やシンコペーションを強調することで、自然にこのスタイルが生み出されたのだと思いました。

久石:
それは嬉しいですね。日本では特にベートーヴェンやブラームスなどのドイツ音楽を「重厚」と表現することが多く見受けられますが、それは第九を楽劇に書き換えたワーグナーの影響や、彼以降の大編成オーケストラの演奏が、戦後日本の音楽受容の基軸になっていたからです。しかし、ベートーヴェンの時代はそれほど大編成ではない。今回のベートーヴェン交響曲全集に取り組むにあたり、小編成を起用したのもそのためです。「ドイツ音楽」にある先入観から離れ、譜面からきっちり捉え直すことで、現代のクラシック音楽のあり方に一石を投じることができると思いました。

 

 

フォームよりエネルギー!強く訴えかけるベートーヴェンの力

沼野:
交響曲全集の演奏・録音を通じて、ベートーヴェン観は変わりましたか?

久石:
むしろ追体験していく気がします。譜面を読むだけではわからない、実際に演奏して初めてわかることが多くありました。たとえば第九はバランスが悪いと思っていましたが、実際演奏してみると、第四楽章はマリオブラザーズを一面一面クリアしていく感覚で(笑)。作曲家が特にこだわるフォーム(形式)や完成度とか、そんなものは全然関係ない。演奏者もエネルギーを出しきらないといけない。このパワーと人に訴えかけてくる力は、自分が考えていた作曲のイメージとは違うと強く感じました。

沼野:
興味深いのですが、ご自身の作曲スタイルにも変化はありましたか。

久石:
それはすごくあります。曲が持つエネルギーや、曲をどのレベルで完成していくのか、ということを考えるようになりました。ベートーヴェンは教会や宮廷などしっかりしたフォームが残っていた時代に、機能和声を人間的な感情表現(長調は明るい、短調は暗いなど)に初めて用いた人ではないでしょうか。だからこそ、その先に文学と結びついたロマン派の時代が到来する。このフォームと人に訴えかける力のバランスをどう取るか、を考えるきっかけをくれました。

沼野:
確かにベートーヴェンは常に意思が前に現れている。交響曲が九曲しかないのも、何か新機軸がないと出す意味がないという近代的な考え方ゆえですね。まさにその当時の最先端の現代音楽。その力が我々に訴えかけてくるのですね。

久石:
ええ。フォームという既存の枠に留まらず、エネルギーや感情表現がそれを超えていく──この力強さこそが、今回ベートーヴェンの演奏から得た気づきであり、私自身の作曲スタイルへの影響でしょう。

(「家庭画報 2020年1月号」より)

 

 

 

なお、2020年1月7日に家庭画報公式サイトでも雑誌と同内容にて掲載されています。

公式サイト:家庭画報|久石 譲さん×沼野雄司さんが語り合う「私の愛するベートーヴェン」https://www.kateigaho.com/travel/67829/

 

 

 

ベートーヴェンを愛する6人の識者が選んだ作品

ベートーヴェンのことをよく知る6人の識者が選んだ作品をご紹介。じっくりと耳を傾ければ、今までのイメージとは違う、ベートーヴェンに出会うことができるはずです。(本誌登場順)

 

アンドリス・ネルソンスさん

交響曲第3番 Op.55「エロイカ」
音楽史においても革命的な一曲。演奏時間も長くなり、曲想も次々と変化していきます。第1楽章はまさに「英雄」を感じさせる堂々たるテーマが奏でられ、第2楽章は厳かな葬送のリズムに哀愁漂うメロディ、それを突き抜けた先にティンパニを伴うクライマックスが人間讃歌のように響き、第3楽章は快活なスケルツォに狩りを象徴するホルンが冴え、第4楽章はモティーフを多彩に変奏されていき盛大なフィナーレへ!(推薦音源:ネルソンス指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

その他のおすすめ:交響曲第9番Op.125、ピアノ・ソナタ第14番Op.27-2「月光」

 

平野昭さん

交響曲第4番 Op.60
力強い「運命」などでは知ることのできない、品のよさや自然体なベートーヴェンが聴けます。厳かな序奏のテーマが続いた後、一気にffで活気ある主部が展開する第1楽章、静けさの中にドラマがある第2楽章、力強いモティーフの後に弦楽器と管楽器で交わされる穏やかなフレーズが有名な第3楽章、速いパッセージで奏されるテーマをファゴットが懸命に再現する箇所など聴きどころ。(推薦音源:パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン)

その他のおすすめ:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」Op.47、連作歌曲《遥かな恋人に寄せ》Op.98

 

久石譲さん

交響曲第8番 Op.93
もっと皆さんに知っていただきたい曲。第1楽章冒頭から心を摑まれます。第2楽章なんてリビングで聴いたら最高です。メトロノーム考案者のメルツェル氏のために作られたといわれていますが、それはともかく、こんなに素敵で可愛い曲はないですから、ぜひ聴いてください。ベートーヴェン自身も気に入っており、キー設定から音の構成まで、本当によくできています。同時期作曲の第7番との違いも面白い。(推薦音源:久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス)

その他のおすすめ:交響曲第4番Op.60、交響曲第5番Op.67

 

沼野雄司さん

ピアノソナタ第18番 Op.31-3「狩」
一見すると柔らかな線の連なりの中に、思わぬシンコペーションが待っているのが魅力ですね。第1楽章はテンポの緩急があるモティーフが魅力的。第2楽章スケルツォは強拍にp、弱拍にsfで強烈に始まり、それが転調しながら展開されていく面白さ。第3楽章はメヌエットらしい可愛らしいメロディ、中間部のトリオは控えめなシンコペーションが楽しめます。第4楽章は6/8拍子でタランテラ風、最後まで軽快に疾走!(推薦音源:『河村尚子 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集2』)

その他のおすすめ:チェロ・ソナタ第4番Op.102-1、弦楽四重奏曲第7番Op.59-1(ラズモフスキー第1番)

 

大崎滋生さん

『ヨーゼフ2世の逝去を悼む葬送カンタータ』WoO.87
ボン時代、1790年の作。ベートーヴェン作品の一つの重要な系列がこのとき始まりました。皇帝の追悼式用に依頼されましたが、完成は間に合わず(追悼式は音楽なしでとの通達あり)、数か月後に見事な大作に仕上がります。式典とは関係なく、ハイドンの受難音楽『十字架上の七言』の影響下に力試し的に書いたのではないか、と見るのが正解と思われます。この作品の凄さを伝える音源に乏しく、忘れられていた作品。(推薦音源:ティーレマン指揮、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団)

その他のおすすめ:オラトリオ『オリーブ山のキリスト』Op.85、ピアノ・ファンタジート短調Op.77

 

河村尚子さん

ピアノソナタ第32番 Op.111
最後のソナタですが第1楽章は古典派的に始まります。減7度の音程でこの世の終わりのような落胆を感じさせますが、その後は生命力に満ち、演奏中にもエネルギーをもらいます。古典派とロマン派を想起させる自由さとのギャップが面白いです。第2楽章アリエッタは簡単なメロディを巧みに変奏していき、最高潮に達した後、彼の精神に入り込むような静けさがあり、最後の高音域のエピソードはまさに彼の神経の中枢をついているようにも感じられます。(推薦音源:河村尚子)

その他のおすすめ:チェロ・ソナタ第5番Op.102-2、弦楽四重奏曲第13番Op.130

(「家庭画報 2020年1月号」より)